2015年3月30日月曜日

東南アジアの言語のローマ字表記と漢字文化圏の影響

英語版Google地図等で東南アジアのあたりを見るに、2012年頃の私は「中国語同様、"n"の後ろに発音しない"g"(厳密には発音に些細な違いを生む)を付けた地名が多いな」と気付く。
「"n"の後ろに発音しない"g"」の代表例は"Beijing"や"Bangkok"など。
その特徴ある地名が見られた国は朝鮮半島や勿論、一部モンゴルも。
東南アジアはインドシナ3国(漢字の影響が強いベトナムをラオス・カンボジアと同種にみなすのは誤り?)とタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアなどであった。

一度国境を越えインドに渡れば、もはや中国語ピンイン的なスペリングは消える。
一方、我が国・日本は言うまでもなく"n+g"という綴りの地名などはない。
この点において、2012年当時は「日本語もインドの諸言語も、中国の言語的な影響は少ないか、或いは特有の独自性があるから」という見解に至った。
それから暫く、揺るがない通説になって落ち着いていた。
「日本は中国と文化的に異なっているはず」という、感情による後押しも大きい。



ところが最近これを思い返すと、どうも違うと気付く。
この頃は勉強も盛んであるから、当時より知識が著しく増え、違った見方が出やすい。
それは何か、「n+gの綴りが多いのは、西洋が『先に倣え』の如く中国式のローマナイゼーションをまだローマナイズドされてない言語に便宜的に取り入れて、それが浸透した」というものだ。

日本は先に西洋と言語的な交流を作った歴史があり、中国など別のアジアの国の形式とは別にローマ字化がされた為、性質の異なるローマ字表記が多いと見る。
またインドも、ピンインのような先例などない時からイギリスの統治などを受け、言語的な交流も生じ、これまた中国の例と別の表記(サンスクリットIASTなど)が与えられた。
インドが現在も英語に強く圧されず独自の文字を保っていることは傍証か。

タイはインドシナ3国と異なり、西洋の統治もなく中国とも少々異なる方向の国家であった上、言語的には本来文字などがサンスクリット系(いわゆる梵字、専門的にはブラーフミー系とかアブギダ系と言うそう)に疎通する。
にもかかわらず、中国に類似したローマナイゼーション(n+g等)がされたのはなぜかといえば、タイの学者自身が、中国の例を参考に西洋文字の互換を図ったのではないか。

インドネシアに至っては、地理的に中国から言語的影響など歴史上見られなさそうな国家。
まあ、言語の特性というのは何たら語族というのが端的な区分であるか。
これも現地の学者・政治家か、西洋の人が、中国の例からローマナイゼーションを行った。
ところがインドネシア語の"ng"の発音は、どうも"n"ではなく"g"の方が主体らしい。
それでも、私はこの綴りを採用すること自体が、やはり中国式に似せたと見ている。

マレーシア・ミャンマーまで解説するのは、省略しておく。
モンゴル含む"n+g"の綴りがある多くの言語ローマナイゼーションは、既述の言語と同様か。
※ここまでの文面は、信憑性の薄い話に終始してしまった。



続いて、日本語の音読みについての一考である。
当ブログでは去年7月より今まで、幾度と呉音に関する情報を記した。
日本語は漢字の音読みであっても、中国式のローマナイゼーションになることはない。
"ng"形はもちろん、"x"で"sh"のような発音の綴りもありえない。

近頃、仏教関連でサンスクリット等の音写の語句眺めていると、思うことがある。
今の中国語の発音などでは、サンスクリットの本来の発音から転写された漢字列など、原音から遠のいてしまうのではないか。
実例として、「釈迦牟尼」は「シャーキャムニ"Shakyamuni"」というサンスクリットの音写だが、これを今の中国語で素直に読むと「シジャムニ"Shijiamouni"」と、少し離れてしまう。
「仏陀」に至っては「ブッダ"Buddha"」と読まずに、「フォトゥオ"Fotuo"」とかけ離れる。
フォトゥオとブッダでは、母音にも子音にも共通点が何もない(強いて言えば、BとF、DとTなどの変化を、共に濁音でない状態に変化した類似性と看做せる)。
今の中国で、音写などの語句の場合、本来の読みでしっかり読んでくれるのだろうか?
※後日注、マレーシアの動画で中国語マンダリン楽曲がBGMに流れ、フォートゥオ(1:06)とかシ~ジャ~モオニ~フォ~(3:55、南无本师释迦牟尼佛と言っている)とかシジャモニフォー!とかと歌っていた(15年6月頃の記憶を15年9月になって辿っていて探しづらい)

一方、今の日本語の方が原音に近い発音をしているように思う。
日本語では漢字の読みが「漢音・呉音」に分かれているのだが、漢や呉の時代に類似した読み方を今に些細な変化はあれど、受け継がれている。
千数百年以上前にインドの僧侶などが音写した時代の発音と大きな差はなさそうだ。

対する今の中国は、音写された時代の発音を大きく変えたということは、様々な国家や民族の衝突や交流などにより薄れてしまったことを根拠とする。
標準的な中国語といえど、今の中華の言語的な源流は清の頃である。
清に至るまでの間が、様々な王朝などの鬩ぎ合いで異流同士の食い潰しの繰り返し(中国史は詳しくないため、勝手なイメージかもしれない)。
また日本語でも、平安・鎌倉時代までは文化あらば全国的に同等の文語・口語を持っていながら、今では多くの方言に分裂したように、中国語も標準的なものから方言まで分裂し、あの時代の名残は薄れたものと見る。
同時に言えることは、一部方言などは寧ろ発音に面影を残してる可能性もある。
色々と探して、私は広東語あたりが日本の音読みと共通点が多いと感じた。
それでも、目を丸くする読みがある。
朝鮮語などの漢字読みも、まだ日本語よりであった。

一部言語に仏典音写時代の面影は残っているが、中国の標準的なものは中国でありながらかつての中国に遠のいたものだと再確認する。
中国本土の「簡体字」などは、漢字文化破壊だとも評されることがある。
増殖した人民、多様な民族を抱える以上、教育には少しでも平易さが求められるところがあるのかもしれないが、象形・会意などの成り立ちが損なわれるのは確かに疑問だ。





謎のメモ

軟口蓋鼻音 Velar Nasal 鼻濁音 ng, ŋ (IPA表記) 尾子音 韻尾
アジア 地名 Asian place names, Toponym, Toponymy東京 とうきょう トーキョー tokyo, to kyo トンジン トンキン tongjing, tong jing ,donjing, dong jing
上海 シャンハイ shanhai, shan hai じょうかい jokai, jo kai, shanghai, shang hai
拼音 ピン音 Pinyin, ping yin

0 件のコメント:

コメントを投稿

当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。