2016年12月2日金曜日

Google+ 2016年11月中の日記メモ

当月は、記事で掲載する写真枚数が非常に少ない(実際としてもあまり撮影しなかった)。
さて、何枚であろうか?
メモ文章中に、痔(真偽不明、臀部・尻肉・ケツの腫れ)に関する記録も多く、患部の写真は掲載しないが、多く撮影した。
大きな痔を患った患部・臀部の写真は、10月中のものを合わせて16枚ある(うち当月は11枚)。

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2016/11/01

本日も前日のように4種アラームのうちの複数を聴いたはずだが、3時30分に起床した。11時30分から押入れに就いて横になった。仮眠のつもりはないが、気を抜くと5分程度で浅い睡眠状態となる。夢のような思考というか夢のようなビジョン(8月9日メモでの表現)が映り、私が他人に「早く歩け!("速く"ではなくて"早く"・実際に立ち止まっている人物に対して"早期に"歩き出すよう指示)」と指示し続けると、そのまま私が他人の背中を押し始め、次第にその人物と視界が一体化し、リアルの目を開けると押入れの中が見えた。これは眠りそうな私に対して「早く起きろ!」という暗示(眠りを拒む潜在意識)であると思い、早期に起床しようと思った。

12時台前半、前日にも言葉でほのめかされた衣類に関して直接母親に話された。面倒な経緯の説明は省略するが、母親が不穏な言葉を発したりして論理に困った末に私の手を握ったり掴んだりする奇行に及んだ。母親が1か月ほど物を渡したくて渡さず、今に持ちかけた話であるのに、今の感情のせいで渡したがらない様子である。私が素直に受け取ってやろうと手を差し伸べると、あの醜態である。心が素直でない人間にはどう話しても通じづらいが、適当にやり過ごした。保健所の人(前日10月31日訪問)もしてくるような趣旨の話を聞かされた際も、最初から私の意思は決まっている。母親の、それに関する話への転換は、何ら脅しとはならないし、煩わしいだけで、誰の得にもならない上に母親の品性を他人の目から落とし、母親自身がますます悪く落としている。そうして自分が悪道の境界に堕ちつつあると気付きもしない。右手が主に被害を受けたので、母親のハンドクリームか何かの臭いが残った。その後も1階リビングに居続ける母親は、最近よくあるゲホゲホと咳き込む行為が見られ、テレビから流れる「小2の時に手編みのマフラーをパパにプレゼントしたら3か月後にゴミ箱で見た」という発言の際にも、笑いながら咳き込んでいた。



2016/11/02

本日も前日のように4種アラームのうちの複数を聴いたはずだが、起床は3時41分となった。このように連日3時台に起床してしまう理由は、偏にあの痔のような巨大な腫れをかばう姿勢でPCなどを続けて心身ともに疲れているからであろう。7時30分台になって2階の弟に動向があり、それから母親が弟に干渉しつつ7時42分に遅刻の登校を始めた。9時46分に母親が発車した。

軽い思考メモ「本日は菓子類・甘く味の付いた牛乳を飲み食いすることが多かった。そういった食べ物や飲み物を取っていると自分の体に贅肉が増える気分となる。実際にどれほど増えるかはともかく、そういった気分は、私の潜在的な美形への執着心を原因としていよう。甘い味・油・脂の触感、特に温かくないものを飲み食いしてそう思う。食べている時の自分が、自分らしくないようにも思う。豚のようではないか、と。実際に仏教では、目先の欲望に囚われる状態が『畜生』に譬えられ、物を貪る状態が『餓鬼』に譬えられる通りである。仏教の修行者で、瞑想が上手い人というかイメージトレーニングが上手い人などは、私と同様ではないかと思う。人間として生きる自分や仏・菩薩を志して修行する自分とは異なる、飲み食いに快楽を覚えている時の自分には、畜生(禽獣)・餓鬼を重ねるに違いない。拒食症の人が食べている自分を嫌う心理構造とは似て非なるものであり、私としても仏教徒の心でいる。」

母親は19時10分ころに帰宅した。本日は10時前・14時10分台にボラギノールA(10月31日初使用)を患部に塗布した。1日3回の文字通りに19時50分台、母親が風呂に入っている間に3回目の仕様を行った。



2016/11/03

前日の就寝時に4種アラームのうちの2:24のものを1時間遅らせて滑り止めとしたが、本日は3時18分に起床したので、これが滑り止めの役目を果たすことはなかった。失敗が多い時にわざわざ失敗に対して備えた用意をすると、それに頼らないで済む結果はよくある。

5時50分、PCの前で携帯作曲をしていてPCは数分程度操作していない状態であり、私はPCのイヤホンを装着したままでいる。その時にUSB端子に接続した際に発生するシステム音と同時に画面が暗くなってマウスカーソルだけが残る異常が発生した。10秒ほどで画面が点々と戻ったあたりでタスクバーに"iwd audio device"云々の読み込みをしているらしい表示が見えた。全て意味不明である。IWDなどというものも知らない。本当に異常なPCであるというしかない。意味不明でも何でも記録を取るしかない。



2016/11/04

本日は2時52分に起床し、直後に下剤1錠を飲んだ。6時過ぎ、それまでに腹痛も発生していたが、便意が増し、元々起きてから排尿もしていなかったため、トイレに入った。左臀部の腫れが座りづらくさせるので、最初の5分ほどは小便もない。20分ほど苦しむ中に大きなあくびが複数回あり、鼻づまりも発生し、首から上・腕・手・脚・足などが痺れた。ようやく小サイズのもの1つを排出したが、そこからまた苦しむ時間が続き、先ほどの部位の痺れ以外にも冷えが襲う。貧血・立ちくらみのような意識朦朧状態も発生した。このごろは既に朝方の冷え込みが酷く、フローリングは薄手の靴下には冷たい。6時40分過ぎに1度トイレを出ようと尻拭い・立ってパンツを穿くも、すぐに便意がよみがえったので再び便座に着いた。6時50分まで苦闘が続いて下痢のような液体に塗れた固形(軟便とも異なる)を出し続け、部屋に戻れた。5分程度でまたトイレに入り、下痢のような状態のものを多少出した。普段の軟便・下痢とは異なってドロッとしたカレー状態である。

7時10分台から40分以上、横になった。眠ったという認識も、起きて思考する意識もない不思議な時間が過ぎていたようである。その間は1階にいた弟や、登校を始めたであろう弟の動向も感じられず、母親の干渉があったかも不明である。本日は金曜日であり、最近の例(10月142128日)に倣えば母親が「仕事」に出るため、弟が家を出て以後の7時30分台から1階に居座るはずだが、私の7時57分の起床時に母親は1階にいない。その後、トイレに入って少量の下痢を排出したが、このメモの文章をここまで打っている8時20分にも動向を感じない。10時44分に母親が発車した。先月中旬に始まる通勤(?)の動向は水曜日・金曜日とも一貫して発車への時間が遅れており、今回は前の金曜日よりも3・4分遅れた。

11時前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、11時47分に自室へ戻った。左臀部の腫れについては、風呂(シャワシャン)の度に膨張を実感するが、一時的な吸水によるものか。とはいえ10月23日の小さい印象が10月24日の風呂(シャワシャン)によって顕著な膨張と痛みを帯びたので、実質的で主要な原因としても作用している。垢のようなものを断続的に取れた。もろくなっているところを破裂させようとも考えたが、思った以上に手ごたえがあるのでやめた。



2016/11/05

本日は4種アラームの2:10の第一アラームと2:40の第二アラーム(一昨日メモ2:24→3:24のものがそれまでの第二アラーム)には気付いたろうが、その後は感じないまま3時32分に起床した。



2016/11/06

本日は2:40の第二アラーム以降の2時45分に起床した。こういう、3時台に起床を後回しにする気のないほど起床の機運が高い時になぜか弟が1階に居座っている様子なので、数分程度は起床に躊躇していた。前日夕に母親と弟が激しく喧嘩した経緯があり、弟が夕食を自重していた(母親は19時台後半から一人で食事)。そんな経緯があると、わかりやすい話で、やはりこうして夜中に起き続けるのであろう。このような時間帯には、決まって通販番組しか見ることができない彼である。3時57分に私は1階トイレに入っていたが、彼がこの時に2階へ上がる際、1階のリビング・洗面所間のドアやリビング・廊下間のドアを大きな物音で閉じた。そして2階のトイレに入った様子であるが、その際のドアを閉じる音も大きく、深夜にどこまでも自重しない傍若無人ぶりであった。

17時台、母親が夕食準備をしている中で弟と喧嘩を起こしたようである。喧嘩の度に逐一記録を取らない、というよりは寧ろ記録を取るべきでもないと考える昨今だが、少しばかり記録する。彼らの喧嘩の話題はともかく、今回の弟は1階リビングに置いている電気ストーブかファンヒーターを壊したようである。喧嘩の原因というものを問うても不毛のことである。親子喧嘩(親子不二)記事にある通りである。おおよそ、弟が不手際を起こして母親が細かく責めてグチグチ小言を起こしたり、弟が耐えられなくなって脅し・奇声を上げるなどとなれば、母親がこれに反発するわけだから泥沼である。双方の感情が、喧嘩に発展させるほど低レベルの状態で等しいために、毎度、彼らは二の足を踏む(母親は知能がまともで高年齢な分、相対的に感情のレベルが低いと言える)。

それはそうと、母親は決まり文句で「自分が悪いことしたんだからごめんねでしょ・普通の子は」と発する。弟が「そんなこと記憶できねーよ」と言い返すと、「記憶とかじゃなくて"フインキ(雰囲気)"でするもんだ」と反論するが、自分が低レベルの感情の人間であり、親の徳が絶無であるから、そんな理想論しか言えない。普段からまともな教育ができていないから、困ったときにはそのように相手を卑下する。自分がまず「(母親自身の認識上の)普通」でない親だから、教育において悉く「普通」と相違するのだと、自覚する日は来るまい。母親の狭量な価値判断基準と自他・善悪の二分によって他人の苦労や思考への尊重をしないので、特に知的障害の弟とは相性が悪い。尊重精神や協調性が無い人間には知的障害児の教育に困難が生じる。いな、あの母親は健常者との人間関係が長続きしないから、障害者・健常者、また老若男女のいずれにも相性が悪い。俗説にある血液型のAとかBの問題は無い(母はA型)。また、弟の「耳に辛い(からい、慣用句の真似か)」発言の揚げ足取りを行う母親には、こういう己の管見に対する絶対視と他人への尊重を欠いた醜悪さが感じられる。8月19日・業者男性発言の「なべぶた」に対する反論を思い起こす。狭量な認識・管見の自覚が微塵もないとはクソガキババアである。

ほか、前日には、弟の方から喧嘩を売ってくるという主張もあったが、その喧嘩は母親が買ってこそ成立する。因と縁といった条件の満足で喧嘩に至るのであるが、逆に母親も弟の脅しを煽るような「しつけ(ではない愚痴の類)」を行って原因の原因を作る。故に、どっちが原因であるかなど不毛のことであろう。いつもの話だが、仏教では物事の因果が絶対的にあるとしつつも、細かい事実関係は「戯論」である。ただ人間の悪い感情・三毒が因縁となっている自覚によって解脱を目指し、平和が生まれる。

当記事注: 「仏教では物事の因果が絶対的にある」とは、いわゆる「法有」の見(けん"dṛṣṭi")ではない。「物事(法"dharma")が有る」という見地では「絶対的に因果"hetu, phala"が有る」という一応の道理を骨組みだけ説いており、それは通仏教的に肯定できる。問題なのは、「物事が有る」ということを修行者が無反省に肯定し続けることであり、龍樹菩薩は、そういう「物事」と、その見地に想定し得る「絶対的な因果」についての拘泥を中論において否定している。『細かい事実関係は「戯論」である』。また、「仏教では…ただ人間の悪い感情・三毒が因縁となっている自覚によって解脱を目指し、平和が生まれる。」という理想は、私自身の努力のもとに発せられた言葉であるが、残念ながら身近な他人が正反対なので、この道心が折れ欠けている。ネット上の仏教徒も、おそらく私に協力しない。



2016/11/07

前日の就寝時に2:10の第一アラームをOFFにした、本日は2:40が第一アラームとなったが、記憶は薄く、2:50の第二アラーム以降の2時54分に起床した。2:10のアラームをOFFにした理由は、早すぎるタイミングでのアラームは、その後にいくら鳴らしても覚醒意識の蓄積にもならなくて逆効果のままではないかと考え、実際に試そうという意欲が生まれたためである。起床直前から2階で、掃除機のような音を立てる機械の動作音を聴いていた。3時20分前から前日の予定である外出を行った。今回も前の月曜日(10月31日、あれはもう夕方の外出だが)のようにゴミが溜まっていないため、買出し程度である。空は少し雲が見え、星が見えるところにはオリオン座を中心として20個程度の目視ができた。4時台、外出前に淹れた1杯のコーヒーを帰宅後に飲んだ影響による排便をした。

6時40分台に弟が朝食を抜きにして登校を始めたが、母親に「ダイエット」を理由として話していた。7時台前半から母親がこれといった飲食はなく家の外に出て車を1m程度前進してズラし、掃き掃除や雑草刈り(一般に流通する家庭用の柄が長い鍬・クワを使う)を始めていた。8時過ぎまで続いた。西の日が橙色を帯びてきた15時過ぎ、母親がバタバタと2階の上り下りを繰り返しながら独り言を発し続け、15時29分から何度も車の出入りを行ったり、車のエンジンをかけようとすると間抜けな動作音が発されたり、また家の中に戻って2階に上がるなど異常な状態が続いた。15時33分に発車した。

前日に組んだ予定は「買出しの外出(済)」以外にも「主要な食事としてアレ類を食べる(済)・出来れば昼に炊飯(母親が大量に夕食を余すと予想されたためだが今も余したままで炊飯不能)・スウェットの洗濯(今は時間が遅くて不可能)・冷蔵庫の霜取り(母親の外出直前から辛うじて実行を始めた)」がある。これらは母親の行動に楽観的・悲観的予測と期待の両方を鑑みたものである。炊飯・スウェットの洗濯は後日に延期してもよいことを想定していたが、ここまで母親が狂っているとは思わなかった。自分で「弟の休日に家を空けると弟が物を破壊する」という無茶苦茶な発想をしていながら、月曜日のこの時間ではすでに遅く、弟は間もなく帰ってくる。そもそも被害妄想が無茶苦茶であって弟の休日=土日を避ける意味もない。母親と弟が夕・夜に喧嘩をしていた前日・前々日も、日中の5時間以上は弟が外出していていくらでも隙はあったし、母が事前に知っていた様子もある。母親の都合で母親の気休めにすることは勝手だが、その気休めも一貫できない自己矛盾となれば、人間のクズと言うほかはない。

外出の前に母親は、弟との前日・前々日の喧嘩について「ごめんよ」との謝罪の意を表した置手紙をしていた。これについて肯定的・否定的に意見しても邪推の域を出ないが、一つ確証のある見解を書く。先ほどの被害妄想による母親の行動について、一貫性があるものとすれば、この手紙に表れていよう。私が夕の勤行をちょうど終えた17時10分に弟が帰宅したが、事実、弟が家に居ながら母親は家を空けている。前日・前々日の経緯に怯えて自己保身の置手紙をしたという見解が妥当である。6月の如き「小人革面」であろうか否であろうか如何に。それ以外の肯定的・否定的な見解はいずれも邪推・詮索の甚だしいものとなってしまう。良心が強い私は、今までにこういう文章を書いて良心の呵責があるが、仕方がない。事実の記録と思考の記録である。母親の言動に、もっと温かみのある見解をしてもよいが、この場合に対しては邪推・詮索の域を出ない。



2016/11/08

本日は2時54分に起床した。前日の就寝前に飲んだ下剤1錠の効果が4時以降からじわじわと腹痛で苦しめてきたが、7時10分からトイレに入って下痢のようなものを含めた大きめのもの複数個を出した。8時40分からもトイレで軟便を出した。



2016/11/09

本日の起床について書く前に前日中に目覚めた記録を載せる。「23時0分、意識がはっきりするにつれて口の中の酷い渇きに気付いた。口を開けると舌などが傷つきそうであった。梅干をイメージして直ちに唾を生んだ。口の中が渇くことがあっても、ダムの水が完全に干上がったような渇き方は、そうない。この現象の原因というか、普段より悪い条件はある。布団の掛け方である。男性器のあたりを悪く刺激し、胴体の方では左半身に寄っていた。これをもって原因とは断定できないが、普段はない状態なので影響はありそうに思っている。」

本日はまず2:10の第一アラームに目覚めたが、次のはっきりとした記憶が3時17分の時刻確認をした。目覚めである。しかし、この間のいくつかのアラームで、何らかの目覚めと行動の跡が確認できた。2:10の第一アラームを聴いて再度寝るまでに携帯電話は折りたたんで閉じている。しかし、3時17分の時は開いたまま(5分間操作をしないとディスプレイを消灯する設定)であったから、何らかのアラームを聴いた際には折りたたんで閉じなかったようである。それはそうと、3:20設定のアラームを聴いた3分後に起床した。

ところで、一つ、痔のような腫れに関してメモを取るが、寝起きの時は1日で最も症状の悪化を感じる。それまで寝ていたため、寝相の変化によっては患部がを傷めてしまいやすいからである。本日であっても、寝起きの後に服の上から触診すると、痣を圧したような性質の痛みを感じた。症状全体の傾向としては快方に向かいつつある。ほか、前日に脱いで患部の写真を撮ったが、これを前日の就寝時に携帯電話からPCメールアドレス宛に送信する際、このような触覚的特徴の記録を書いた。「表面の外側(左臀部の左や上の外まわり)は、硬化している。触る場所を尻の中心にずらすと、フワフワからブニブニに変わり、膨らみのある窪みに繋がる」

前の水曜日よりも1時間近く遅い10時37分に発車した。やはり水曜日ごとに母親が家を出る時刻の遅滞が見られているが、そんなにもルーズな職場なのであろうか?毎度、疑問に思えてならない。炊飯とスウェット洗濯を開始してから風呂(シャワシャン)準備を始め、11時42分に自室へ帰った。本日は12時台と19時台に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。



2016/11/10

本日は0時40分ころに一度目覚めたが、2階でひどい物音や足音が鳴らされ続けていた。すぐに眠りに戻ってからは2:10の第一アラームに目覚め、2時39分に起床した。



2016/11/11

本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、色々と挟んで3時8分起床である。2時台も3時台も雨の音ははっきりと聴こえるように降っていたが、母親が10時39分に発車するまでには快晴となっている。Yahoo!天気所載の当地の天気情報も、3時台が雨→晴れ、5時台が晴れ時々雨、今は曇りのち晴れとなっている。

母親の外出直後から洗濯物を始めた。1度目に黒いシャツ・スキニージーンズ・とある因縁を持つパンツを洗い、2度目に色落ちを懸念するシャツ1点を洗った。13時26分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、14時14分に自室へ帰った。本日は10時台と15時台に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。



2016/11/12

本日も2:10の第一アラームに一度目覚めたが、そこで起床することは無く3時19分である。いつも思うが2:40, 2:50などアラームらはどう作用しているか。あるいは2:10の第一アラームが全然記憶されない・効用が無い時期もあった。それはそうと、この起床直後には3:20設定のアラームが鳴ることとなった。3時27分、便意が悪い形で発現した。クソをチビりかけた。2016年の今、一度として経験したであろうか。しかし、これはセーフラインであった。2016年5月7日のケースと似る。トイレに入ってパンツの被害の無きことを確認しつつ、ブリブリかましておいた。軟便から普通の硬さのものを複数個出してきた。ところで、今月は8・9・10と立て続けにメモ帳ブログの新記事の下書きを起草している。目安では、来年1月までメモ帳ブログの投稿を確保できていることとなる。



2016/11/13

本日は1時57分に起床した。この睡眠において最初の目覚めは別にある。時刻上は前日かもしれなく、1階リビングでニュース番組(土曜日20~24時の間だと番組が特定しやすいか)の音声が聴こえた。それはそうと、この目覚めでは随分、スースーするタイプの鼻づまりがあった。こういう鼻水は「青い」タイプであろう。本日の起床時に至ってはだいぶ和らいでいた。



2016/11/14

本日は2:10の第一アラームに一度目覚めてからしばらく意識が無く、再度目覚めて数分後の2時38分に起床した。5時26分、前日就寝時(21時以降)に飲んだ下剤1錠の効果による便意・腹痛を鑑みてトイレに入り、長めのものなどを排便した。6時40分からも軟らかめのものを多めに出した。

10時43分から母親が発車した。月曜日だと買出しの可能性が高いものの、この時間帯に買出しのみを目的にする発車は考えづらい。金曜日に軽度の買い物を済ませてある点を踏まえてもそう思う。水曜・金曜10時台の「仕事とされる外出」のある日と服装が同じようであったため、「仕事とされる外出」の線が強い。11時前、腫れの患部に軟膏・塗り薬・ボラギノールAを使用した。14時14分からも便意のためにトイレへ行き、長めのものなどを多めに排出した。



2016/11/15

本日は2:10の第一アラームのみならず、2:50の第三アラームや3:20の第四アラームなどもはっきりと聴いて停止しながらに惰眠を貪った。3:59のアレ告知アラームでようやく危機感を強く覚えて即座に起床した。



2016/11/16

本日は2時48分に起床した。4時50分、本日最初のトイレから自室へ帰って薄い灰色スウェットの腰紐を結ぼうとしたとき、元々こすれていた部分が力に耐え切れず、ちぎれた。長い腰紐であるから、また切れた先を整えて着用を継続できるが、こうもモロい性質が悪く発現され続けては失望してしまう(前年10月11日メモに別の部分の裁縫による修繕を記録する)。同じメーカーの濃い灰色スウェットもボロが出始めているとはいえ、差異が顕著である。

10時43分に母親が発車した。11時前から風呂(シャワシャン)を始め、12時過ぎに自室へ帰った。12時10分以降から母親の部屋のバルコニーに洗濯物を干し出す、と同時に塗り薬・軟膏・ボラギノールAを使用した。18時台、なんと風呂(シャワシャン)以来となる小便を行った。13時台にコーヒーを飲み、16時過ぎからラーメンを調理(一日記事2016記述の通り麺は3分の2程度であってスープや具材などは少量残してある)が、ここまで尿意なく過ごすことは驚きである。尿の色はやや濃い程度である。



2016/11/17

本日はまず2:10の第一アラームに目覚め、手で2:40第二・2:50第三アラームを止めていたようである。再度目覚めた3時11分に起床した。なお、前日は母親が21時以降に帰宅したのであろうが、母親のテレビ音によって23時台などに目覚めたこともある。起床後1分以内に部屋を出て何らかの作業を行った帰り道の廊下を見ると、何やら床の上におぞましい形が見えた。もろいスウェットの糸くずだと思いたかったが、十中八九、虫であろう。正体は蛾であった。私は踏みつぶしていない。なぜか床のど真ん中で死んでいる。箒で掃いて片付けることにしたが、一定の重量や翅の硬さがわかる。蛾はもっと軽くて翅がもろい印象であったが。キッチンの収納スペース内にゴミ箱があり、そこにいれようとした際、ゴミ箱でないところに落下した。その際の音もはっきりと聴こえているから、一定の重量と翅の硬度が再確認できる。なお、落下したところは箒で掃けるところではなく厄介である。「母親が非常識な場所にゴミ箱を設置した報いである」として彼女に気付いてもらうきっかけにしようと思うので、蛾も我も使命を相互に果たしたり。

4時30分過ぎから自販機通いの外出を行ったが、自販機が設置されている通りに近づくにつれ、おかしな声が聴こえてきた。通行人の会話かと思ったが、どうも路上に一時停止をしている車が見え、奥にはなんとパトカーがあった。私は危ういと認識された時に、その場へ近寄らないでおこう。一応は間もなく去ってゆくことを期待して様子を窺ったが、2分程度で断念して帰路に就いた。外出直前に淹れて帰宅後に飲み始めたカルピス(2か月前開栓?の原液)混ぜコーヒーのカフェインパワーで催した便意により、6時40分ころからトイレに入った。中・長サイズの糞を複数本出した。16時40分台、母と弟が夕食(寿司?)を食べに発車して出かけた。17時50分過ぎに彼らが帰宅した。



2016/11/18

本日は3時3分に起床した。9時7分から弟が外出を始めた。豊川特別支援学校では「穂の原祭り」という学園祭の一種のイベントが本日・明日に行われるようである。こちらで控えてある予定表では月曜日が振り替え休日のようである。10時42分に弟が帰宅した。外を走ってきたとかどうとか、と母親と話していて母親が「明日は1日休んでいいよ」という意味不明な返答をしていた。いつからそんな約束が有ったろうか。また、金曜日であるが母親は通勤(?)しておらず、1階リビングでテレビを見続ける。そう記すと、母親がにわかにテレビを消して2階に駆け上がってトイレに入り出した。2人の行動は私の理解を超えている。豊川特別支援学校も同罪の悩乱者である。ここまで狂いだすとは・・・。

12時4分から母親が家の外に出たが、発車は遅れて12時9分となった。先に弟へ話した言葉から、帰りが遅くなる可能性を考えるが、通常の通勤(?)どちらにせよ今回の不明な外出となるにせよ、本日は風呂(シャワシャン)を行う予定でいた。しかし、一昨日・水曜日に入ったばかりであったから、本日に行う必要性を感じづらくなったので、明日以降とする。本日に排便が無い場合、明日は下剤1錠を飲むつもりでいるので明後日が妥当である。。13時台、1階トイレで用を足す最中、前日から託された塗り薬・軟膏・ボラギノールAの使用を思い出したので、実行した。15時24分に母親が帰宅した。母親と弟が外出前にしていた会話内容に、昼食は12時30分から作れ、という部分もあった。弟本人は風呂にも入らず食事も作らず、トイレなどの動向もなく、私が塗り薬・軟膏・ボラギノールを使用する際に母親の部屋に居て家電親機が鳴っても微動だにしなかったため、ずっと寝ていた。



2016/11/19

本日は2:10の第一アラームに一度目覚め、2:50の第三アラーム以後の2時58分に起床した。3時10分台に下剤1錠を飲んだが、午後まで断続的に腹痛が発生するのみで、大した便意も腹の張りなどもない。

明日20日の風呂(シャワシャン)予定は、排便の問題を鑑みて21日に延期する。延期の理由はまだある。本日19時40分台、それまで2時間半以上は1階にいた母親が2階に上がったのでキッチンの様子見をすると、おにぎりだとかの作り置きが見えた。これは、何となく明日に弟がイベントに出る前兆かと思われた。昼間に聞こえた母の言葉にも、それを窺えた。明日はどうも「トヨカワシティマラソン」の5キロ部門に弟が出場すると見られる。トヨカワシティマラソンの話自体は1週間ほど前にも聞こえていた。明日の朝に私が動くわけにはいかないため、同じ朝の風呂(シャワシャン)ならば明後日21日が妥当であると考えざるを得ない。明日に母・弟が家を空ける場合、適当な時間を確保して風呂(シャワシャン)を行う。明日はまた腸の調子に付き合おうと思う。例えば、本日飲んでいないコーヒーを飲もうか。

当記事注: 2017年11月19日、2017年度のトヨカワシティマラソンがあったので、ついでに後のメモと併せて再確認した。リンク切れを起こしているページを入れ替えた。当該ページに「豊川市ホームページは、2013年1月4日に全面的にリニューアルし」云々と無秩序的なメッセージが表示されている。ページ管理が不届きで無関係な・見当違いのメッセージを表示することはよくある。行政の人は無理なページアドレス変更をしまくらないでほしい。無理なページアドレス(ディレクトリ名・ファイル名)変更を行う意図が不明である。したければリダイレクトのようなものを設けるべきである。



2016/11/20

本日は2時48分に起床した。7時前後に弟がトヨカワシティマラソンに向かい、13時40分ころに帰宅した。13時58分から母と弟がどこかへ発車したが、これは元々の予定であろうか、直前に弟が「もらったタオルを会場に置き去りにした」という旨の発言をしたことに因る行動かは不明である。なお、トヨカワシティマラソン完走の認定証が弟の部屋にあり、5km走の記録が32分?であった。

本日は濃さやムーミンカップ中の量に差があるコーヒー3杯、10時ころに効果を薄めて下剤1錠を飲んだ効果として、腹痛なども今までに発生したが、14時40分台からはトイレに入った。50分以上はトイレにいて苦しんできたが、チョビ糞2つで精一杯であった。その間の15時20分ころには2人が帰宅した。16時40分ころからトイレに入り、長めの一本糞を始めとして多めに排便した。これで明日以降は風呂(シャワシャン)なり節食の試行なりが行えよう。コーヒーの麻薬効果(カフェインパワー)は、そろそろ御免に思う。あの分量の約3杯でも、吐き気が発生するし、カフェインの覚醒作用がかえって疲労・眠気を発生する。元はと言えば大量下血を恐れて半年以上飲まない時期もあったろうに。コーヒーの嗜好飲料としての価値まで否定したくはない。一切の事物を尊重する仏教徒(在家信者)の立場において。コーヒーの飲用は週1~月2程度でよいようになりたい。

当記事注: 2017年11月19日、2017年度のトヨカワシティマラソンがあったので、ついでに先のメモと併せて再確認した。リンク切れを起こしているページを入れ替えた。当該ページに「豊川市ホームページは、2013年1月4日に全面的にリニューアルし」云々と無秩序的なメッセージが表示されている。ページ管理が不届きで無関係な・見当違いのメッセージを表示することはよくある。行政の人は無理なページアドレス変更をしまくらないでほしい。無理なページアドレス(ディレクトリ名・ファイル名)変更を行う意図が不明である。したければリダイレクトのようなものを設けるべきである。



2016/11/21

本日は3:20の第四アラーム直後に起床した。それ以前にも目覚めていたのであろうが、記憶が薄い。前日の下剤の効果はまだ残っていて腹痛や便意があり、3時36分からトイレに入り、中サイズの複数本を排出した。4時40分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時16分に自室へ帰った。5時26分からもトイレに10分いて下痢を排出した。10時20分台に母親が発車して通勤(?)に出た。



2016/11/22

本日は1時20分の時刻確認の数分以内に起床した。前日の母親の外出は帰りに買い物を兼ねていたようであるから、品物の受け取りを行った。なお、その間、母親は風呂に入っていた。ところで、前日の夕は、使用中のポリウレタン製の耳1組がもろく汚くなっていることで捨てると同時に、まだ5組余している耳栓を使わないで寝る考えを決めた。去年8月までの昼夜・夜昼逆転が自由なころは耳栓を使わずとも入眠しやすく安眠妨害されない時間に眠ることが出来たが、以来今日まではそういうわけにもいかない。なかなか厳しい先行きを予想するが、色々な処置を自ら期待する。



2016/11/23

本日は2:10の第一アラームに目覚めたが、すぐに意識を落とした(?)。2時26分に2階で誰かがトイレを利用したり大きな足音やら何か色々な音が聴こえてきた。3時34分に起床した。本日は祝日につき、母・弟は仕事や学校が無いが、弟は9時ころから外出(母に"ちゅーおーとしょかん・こーえん"と話す)して15時40分ころに帰宅した。<



2016/11/24

本日は2:10, 2:40の第一、第二アラームなどを聴いて2時41分に起床した。夢について起床後の私が薄らとした記憶を振り返って顧みると、私の潜在的な怒りと恨みの感情が発露されたようであった。なかなかに改善できない「本悪・性悪」の部分であろうと思う。有情の衆生は、これを内蔵萌心のような本善・性善と兼備している。4時54分から弟が1階に降りて1時間程度リビングを占拠して2階に戻り、6時10分台には母親の部屋をノックして(登校する際の決まりごと)学校に早く登校したい理由を「電車で座席の確保をしたい」と話していた。

本日は前日からの見込み通り、ここ2週間ほどの温かさと異にする寒さであり、東京都心では予報通り、6時以降に雪が降り始めた様子である(NHKのニュースサイトで中継LIVE映像が災害や出来事に応じて度々特別に配信されておりそこで確認した)。都心の雪は15時現在も続いているくらいである。無論、当地では雪が降らない。深夜から雨が降って12時ころには止み、その時はカラスや小鳥の鳴き声があたりに聴こえていたが、これまた天気予報の通り、15時までに晴れ上がっている。



2016/11/25

本日はまず0時10分に目覚めた。原因は、1階リビングから聴こえるテレビの音以外に、家の外から聴こえる異様な音がある。私が臥せる押入れ空間を震えさせて響かせる、詰まった低音で、重機が発するようであったが、音に気付いて3分ほどして音が離れた。バイクの改造マフラーであったか。私は一旦、起き上がって下剤1錠を飲んだ。0時20分台にも夜中とは思えない、ピーピー・グニョグニョとトラックが立てるような音が遠くから1分ほど聴こえた。その数分以内に1階リビングでテレビを付けて居座っていた人物=母が2階へ上がった。

10時42分から母親が発車した。10時50分から風呂(シャワシャン)の準備と着ていた衣類の洗濯を始め、11時47分に部屋へ戻った。先の洗濯物を2階バルコニーに干し出し、1階で髪を乾かしてからタオル2点の洗濯を始めた。もちろん、この文章通りに余事なくそれらの作業のみを進めているわけはない。また、書く必要は無い話だが、洗濯する=洗濯機を作動して洗濯する、ということであり、過去にはこのように厳密な表現を用いた場合が多い。今時は、それを再現する必要が無いと思いつつ、まさに今この時はわざわざ注記したいと思ったので注記した。



2016/11/26

特別支援学校 連絡帳
11月26日5時52分に撮影した、弟の特別支援学校連絡帳の記述内容「××グリ」

本日は2:40の第二アラーム直後の2時41分に起床した。なお、前日は睡眠中である22時8分に母親の帰宅を確認した。母の車が家に着いた時刻は知らないが、母が家の中に入った時刻は22時8分と推定している。

起床直後に飲んだ下剤1錠は数時間以上が経って徐々に発現し、8時20分前からはトイレに入って鈍い痛みに苦しみながら小さめの中サイズの複数本を排便した。痛みは残っているが一頻り出したろう。9時40分にクソケ交じりの水をチビった(今までの類例よりクソ成分が希薄)のでトイレに入り、軟らかめの固形物を多めに出した。前日分と本日分の下剤効果が、通常の排便能力を超過させていて大腸が破裂しそうである。最後の排便から5日も経っているためか、拭った紙に付着したモノの色が悪い。久々に見る。過去における下剤効果の強さが原因であるという見解と衝突する。気付いて便器を見れば、多く出された糞の色も、はっきりと、よからぬ状態で溜まっていた。11時58分からも強い便意のためにトイレに入り、ある程度のモノを排出してきた。



2016/11/27

本日はいくつかのアラームで目覚めたであろうが、3:20の第四アラームの1分後に起床した。10時0分、ヤマト配達員(男性だがSかNか不明)が来て弟が受け取った。いつも通り、配達員が去ってから母親が1階に降りてきて段ボール箱の開封をするなか、母親と弟の口論が起き、弟が時々物音を大きく立てた。11時59分、先ほどの両者の会話の中に聞かれた別の配達を確認した。母親が弟に呼び掛けつつ先に1階へ降り、弟に受け取らせている。



2016/11/28

本日は2:40の第二アラームで目覚め、2:50の第三アラームで起床した。13時21分、唐突に電話がかかったが、当然、今、1階リビングにいる母親(本日出勤せず?今月は月曜日の出勤らしい動向も見られたし先週水曜日が祝日であったこととは違うにもかかわらず本日は出勤せず?)ではない。けだし保健士Sであろうし実際にそうである。電話ではリビングの母親を気にしたために、ただ小声でハイ、ハイと続けて「11月31日・水曜日・1時半か2時ころ」というはっきりとしない予定が決まった。11月31日・・・そんな日は無い。仮に有っても水曜日にはならない。通話中、わずかに違和感を覚えていたが、ハイ、ハイくらいしか声に出そうとしなかった。ボケ極まりつつある過失が多い。「11月31日」が私の聞き間違えでも、ボケであり、死にたくなる。絶望的である。先の記事で、後悔を恐れない姿勢を綴ってある通り、掛け直すという行為もたまにはすべきであろう。

13時43分、せっかくの機会で決心がついているので掛け直しを行った。Sとは別人のSである同課サイトウさんが応じたが、やはり、不在のようである。私の「やはり」とは、Sが私に電話した経緯は、保健所のオフィスを離れる手前の空き時間であったと推測していたためである。いつごろお戻りになるか、と尋ねれば、夕方ごろという。明日に掛け直す旨を伝えたが、やはり向こうからも私の名を問われて電話の件をS本人に伝えるということであった。私のしゃべり方については、やはりぎこちないながらに悪い勢いも出るようで、上手くいってはいない。

14時30分過ぎ、母親が徒歩で外出したが、直前に1階リビング窓を開錠していた。散歩に出て家の前に着いてから車に乗って買出し、という流れが最近(10月24日メモ)一度あったため、今回も同様かと考えられなくはない。14時50分に帰ってきてリビング窓を開けた。その窓の前と車を何度か移動してようやく謎の衣類が置かれた。目的不明である。



2016/11/29

本日は1時台に目覚めて時刻確認をした記憶があるがやはり去年にあったような記録精神と比べて薄い現状、携帯電話に時刻のメモを取っていない。以後の睡眠でも、4種アラームは3つほど気付かなかったか?3:20の第四アラームははっきりと気づいて3時22分に起床した。起床直前まで、1階に誰かがいてテレビを消して2階に上がった様子であった。

4時2分、本日起床以後に唐突に決断した自販機通い予定を実行した。「11月29日に実行する自販機通い予定」は本日構想して決断されたが、自販機通いを行う意思は数日来であった。雨が降る日、風の強い日などが続いていたが、本日は極度に冷えず、雨風は問題なく、路面も濡れていないため、都合が良かった。条件が合うならば即日決断して実行もできる私である(浅慮なだけか?)。400円分を購入したが、目的地手前で唐突に新聞配達の原付バイクのエンジン音が鳴り始め、帰路はトボトボバイクと道のりが100m程度重なった。集スト風味である。なお、空は南東に金星のような星が見え、南西にオリオン座が見えるなどとなり、雲は見えなかった。行きも帰りも小走りや大股のような移動をしていた。外出の際の服装は前日投稿動画の際に着ていたような薄手の上下服ではなく、例の濃い灰色のスウェットに着替えて髪隠しニット帽や手袋を着けてもいたが、マスクの発想は無いなかでそのように移動したため、涙が出そうになった。例年の冬よりも体が弱っている状態ではウイルス感染・筋肉痛などに不安が残る。

4時40分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時23分に自室へ戻った。9時40分、母親がどこかへ発車した。洗濯の準備としてバルコニーや洗濯道具の様子見で2階に上がって2分以内に母親が帰ってきたため、空き部屋に潜り込んだ。2階に上がってきた母親が母親の部屋で独り言を言いながら何かを漁っている1階に降りた母親が私を呼ぶが、まだ2階にいるので手を鳴らして応え、事情を話した。その後、私に掃除の指示を出した母親は再度家の外に出てから9時51分に発車した。

本日は8時以降、前日の電話かけ直し予定について考えることもあったが、10時前から決心し、少し案をまとめてイメージトレーニング(リハーサルのようなもの)を行った。前日斎藤さんと通話した後はSさんが電話を掛けた13時ちょうどが望ましいと考えもしたが、就寝前には11時を定めたが、結局、間もなく実行を行う。10時12分から電話を掛けた。まず、同課を名乗る男性が出た。一応、私は苗字「○野」を名乗った(前回の反省)。それからSさんの存在を尋ねたので、男性がSさんを呼び出す保留状態にした。Sさんが出て前日の斎藤さんに関する確認と、その後、要件(11月31日説の実否)を確認した。11月30日・水曜日を改めて聞き出した。通話時間は保留を含めて1分57秒らしい。これにて私の「訓練」は成功裏に終わった。

「訓練」とは何か?大概の人や、私の中の合理主義は「Sさんは水曜日を本意としていたろうし、何月何日でも関係ないからわざわざ再び電話を掛け直す必要は無い」と価値判断をしてしまうであろう。しかし、その他人を犠牲にするという価値判断を前提とすれば、私は極悪人であり、一般人もみな罪人となる。ここで、何らかの犠牲を厭うべきでない。相互依存・苦楽の煩わしい世・娑婆は一定(いちじょう)である。特に私は自己本位の修行・訓練を自覚する。電話を掛ける・・・社会科か?職業訓練か?何でもよいが、私が必要性を自覚するならば意思のままに行えばよい。その言動が否定されるべきではない。その言動のうちに他人を尊重する心があるならば、何をしても大体、問題にならないので、可能な限り「自分磨き」をすべきである。件の記事においても、積極性を重視する考えが綴られる。後悔や反省も大事だが、「行わないことによる後悔」よりも「行ったことですべき後悔・反省」が良い。したことで様々に反省すべき点が増えてくる。今回の場合は大いに行動しておく必要を考えた。ただし、成功した行動であるから、その中に反省のポイントは少ないほどのみある。

17時27分、母親が車で帰ってきたが、停車場所が珍しく所定の場所でなく(9時台に一度帰宅した時もそうだったが)、降りた母親は私の部屋の側に移動して雨戸を少し引き上げ、網戸が張っていない方の窓ガラスをノックした。その時に玄関側から弟が家に入ってきたようだが、母は弟とどこかに出ていたのであろうか。網戸が張っている方の窓を開けてやり、網戸も開けるように指示されたのでさらに開けると袋が置かれた。マクドナルドで購入した食品のようである。いつものような普通のハンバーガー・チーズバーガーではなく、"KALBI MAC"と箱に書いてあるハンバーガーであった。コーラがある。また、2年ぶりか、ポテトも入っていた(MかLサイズのようである)。これは明日に食べる。部屋の冷蔵庫に納めるにあたって難儀した。

19時16分、母から電話がかかり、既に明日30日の保健士訪問予定を承知していて明日も10時ころには外出する話をされた。本日の外出でSさんに会って話をしたという。他に母から、「明日Sさんに『ありがとうございましたご迷惑をおかけしました、弟の受診先(心療内科?)見つかりました、お医者さん見つかりました』と伝えてほしい」と指示された(実際の母の切り出し方が唐突で曖昧であったから少し具体的に話してもらうように誘導した)。言葉にする機会の有無次第だが、そういうスタンスで非を言わずに了承した。この通話の時間も1分57秒であった。



2016/11/30

本日は1時台や2時台などに2度ほど目覚めつつ、3:20のアラームまで待ってから起床した。前日は20時10分以降にPCをシャットダウンして4種アラームのうち2:10, 2:40, 2:50の設定をOFFにした経緯がある。少しでも多めに睡眠時間を確保したかったわけだが、実際は就寝以後もしゃべる時間が長かったり、21時20分ころには絵のイメージが鮮烈となってついつい起き上がってメモ絵2点を5~10分ほど描いたりもしていた。前日は色々な行動があったわけだが、この就寝時は蓄膿症のような膿の感覚(左鼻腔からアレを口内に吸い出すこともできた)があり、今の起床時にはおさまったようだが、前日懸念した筋肉痛については下肢ではなく腹筋の方に現れた。

9時35分に母親が発車した。13時21分、Sさんから電話が入り、どうも今から保健所を出て我が家に赴くそうである。よって14時(午後2時)ころに到着するという。28日の電話で「(午後)1時半か2時ころ」と曖昧に話していた理由は、大体決まっていた予定だが当日の詳しい動向が不明であるためであろうか。29日には「1時半」と話していたが、結果は今の電話の通りである。

13時35分にSさんが来た。Uさんがおらず、どうも事情は、UさんかUさんの子供が風邪だとかとSは話していた。今回は1階リビングに予定通り案内した。主導すればあっという間である。座っての話は20分ほどで終わったが、立ち上がって以後も写真立てがいっぱい並んでいるラックを見て反応したSさん(9月26日訪問時もSやUが反応しており当時は彼女らの調子に合わせた)に、弟がしばしば写真立てを破壊する話をした。この10月か11月にも、一度、金色塗装で大きいオブジェ付の重い鉄製の額縁のもの(浦和区常盤在住時からある)を破壊していた事実を話した。弟と母親の精神的な問題について、家での内実(破壊行為など種々の不和)や外での事象(周囲との不調和)を話し、母と弟の両者に争いが起こる原理を簡単に話した。14時2分にSさんは我が家を後にした。

本日は10時ころか、一度コーヒーを飲み、少量残した状態で少量のココアパウダーを溶かした液体が保健士Sさんを帰して以後もある。前日の予定で保健士との対談が終わって以後に下剤1錠を飲む、というふざけたものがあり、これに随い、14時24分に下剤1錠を飲む形で実行した。

話の内容を少し顧みると、Sさんは自ら「忘れっぽい」と語ることも多く、それは本人が自覚する範囲のものはそうとして、私が気になった点はどうであろうか。私が気になった点とは、以前された質問の繰り返しという点である。毎度、「食事や睡眠は取れているか・体の調子はどうか」と聞かれることに関して聞かれて当然であるとは思うが、「どう料理しているか」という質問については、以前と同じように答えて以前と同じように反応する。ただ気になるのみであり、私は何か鬱陶しいとは思わない。質問は基本的に質問通りに答える精神であるから、回答は怠くないし、吝かでない。人に話す必要があって彼女らを受け入れている、と常に綴る通りである。彼女らも人権擁護の行政の立場で私を訪問する必要があると自身で認識している。



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