2017年11月20日月曜日

訛らないパーリ語句"Brahmā (Brāhmaṇa)"や"Bhadra (Bhadda)"の謎と経典編纂の光景

パーリ語の経典(元来パーリは聖典の意)を見ていると、部分的な語彙がサンスクリットもといヴェーダと比べて「訛り(二重子音の単純化・長子音化=促音便・撥音便)」となっている。
しかし、中でも"Brahmā (ブラフマー、語幹Brahma)"や"Brāhmaṇa (ブラーフマナ、婆羅門・バラモン)"という語句は全く訛りを見かけない。
例えば、サンスクリット語の"Bhadra (形容詞や語幹となり賢・善・吉祥などと訳)"は、パーリ三蔵を見ると、ある時に"Bhadra"であり、パーリ語らしい促音化をした"Bhadda"と混在している。
パーリ三蔵における"Bhadra"の例は、スッタ・ニパータ5章の対告者の一人バドラーヴダ"Bhadrāvudha"などがある。
促音化"Bhadda"の例は、釈尊在世で最後に弟子入りした須跋陀羅・スバドラ"skt: Subhadra"がスバッダ"pl: Subhadda"、跋地羅諦偈(ばつじらたいげ・古語発音バッディラタイ)・賢善一夜・賢善一喜・一夜賢者・吉祥染著・祥染はバッデーカラッタ"Bhaddekaratta (Gāthā・偈)"と言う。
上記は語中draがddaと促音化した例であるが、語頭であればpra-という接頭辞がpa-になることが有名である(般若prajñā プラジュニャーまたはプラギャー → paññā パンニャーなど)。

同じようにブラフマー"Brahmā"も、パーリ語ではバフマー *Bahmāとか、バンマー *Bammāと二重子音の単純化や撥音便などが生じているであろうが、そのような例をパーリ仏典より見出せない。
なぜ、このようにブラフマーのみ訛りが生じないか?
やはり高尚な概念で、釈尊在世の人々や経典結集までの仏弟子になじんでいたからであろうか?
その前提であれば、「パーリ語は仏の用いた言語」説や、反対に「パーリ非マガダ語」説は共に肯定できる。
「パーリ語が仏の用いた言語である」という説について、ブラフマーという重要な語句などはしっかりと当時の人々が発音していたという理由で肯定できる。
80年代以降の日本仏教学の一般論で、「パーリ語(仮名)という口語が釈尊在世の下位カースト(梵ヴァイシャ・巴ヴェッサ、梵シュードラ・巴スッダの2種)の人の口語だから釈尊(通称ゴータマ・ブッダ)も教化の為に用いられた」という見解を尊重する。
一方、「パーリ語が仏の用いた当時のマガダ語(解明されていない古代言語)でない」という説は、ブラフマーの発音が普通のパーリ語やプラークリット・方言で有り得ないという理由で肯定できる。
ここでは、後者の説の理由について検討してみる。

※現代のインドのヒンドゥー教徒の間で「ブランハー、ブランハナ(Bramha, bramhana?)」といったような発音がされていることについても一考の余地はあるが、当面は措いておく。



まず、「普通のパーリ語やプラークリット・方言」とはどのようなものであるかは、現代に伝わるパーリ語経典とプラークリット文献から考えればよい。
以前、パトナ(パータリプトラ)近辺やガンダーラの「ダルマパダ"Dharmapada"」を参照した時のように調べてみよう。
ダルマパダ二本にも、パーリ語ダンマパダ"Dhammapada"のように婆羅門・ブラーフマナに関する章が設けられており、パトナは"Brāhmaṇa"、ガンダーラは"Brammaṇa (ブランマナ、文字の特性上で元は長音ブラーンマナか?)"とあり、後者に-hm-個所の撥音便が見られる。

プラークリット文献での調査は、これを限界とし、続いて英語版Wikipedia"Pali"を参照する。
パーリ語に関して学問的な立場で何らかの情報が書かれていることを期待して参照すると、かなり耳寄りな情報があった。
Following this period, the language underwent a small degree of Sanskritisation (i.e., MIA bamhana > brahmana, tta > tva in some cases). [出典: K. R. Norman 1983]

私訳および誤記修正: この期間に続き、パーリ語はある程度のサンスクリット化を受けた。すなわち、中期インドアーリア語 (MIA, Middle Indo-Aryan)の Bamhaṇa が Brāhmaṇa となり、時には動詞の絶対詞(連続体)を作る ttā が tvā となる。 ※修正はインターネットで見つけた原典"Pāli Literature"にならった。

学問的に見るならば、現代にパーリ三蔵として伝わる言葉は、釈尊が往古に用いた言語から何らかの改良が加えられたものと推定される。
ブラーフマナとかブラフマーといった発音は、紛れもなく、元々のパーリ語と思われる古代言語で用いられなかったろうが、僧団・仏教教団の身近にサンスクリットやヴェーダの言語に堪能な婆羅門がいてもおかしくないし、婆羅門からの供養だって釈尊が多く受けられたように、後の僧団も婆羅門からの供養を受けたろうし、僧団にも婆羅門出身の者は多かった。
時代のいつであれ、サンスクリット・ヴェーダの発音を聞き得たと思われる。
多くの神様・語句などには「訛り」の特徴を残しても、ブラフマーやブラーフマナなど一部の語句はサンスクリットへ後世に置き換えられたろう。



さて、仏教であるから、再びお経を見直そう。
パーリ長部27経"Aggañña Sutta"(起源経、世起経、漢訳長阿含経の小縁経)に、学問でいう「通俗語源説(民間語源"folk-etymology")」が見られる。
例として「カッティヤ"khattiya"(貴族・王族・武士、梵語クシャトリヤkṣatriya)は、ケッタ"khetta"(国土、梵語クシェートラkṣetra)の主であるからカッティヤという名声が生じた」、と階級・身分の語句の起源を釈尊がお述べになっている。
ここでブラーフマナは、「ブラフマン"Brahman"を得た者だからブラーフマナ"Brāhmaṇa"である」という一般的な認識を覆すような語源が説かれる。
‘pāpakā vata, bho, dhammā sattesu pātubhūtā, yatra hi nāma adinnādānaṃ paññāyissati, garahā paññāyissati, musāvādo paññāyissati, daṇḍādānaṃ paññāyissati, pabbājanaṃ paññāyissati. Yannūna mayaṃ pāpake akusale dhamme vāheyyāmā’ti. Te pāpake akusale dhamme vāhesuṃ. Pāpake akusale dhamme vāhentīti kho, vāseṭṭha, ‘brāhmaṇā, brāhmaṇā’ tveva paṭhamaṃ akkharaṃ upanibbattaṃ.

要約: 盗みや争いや嘘などの悪法をヴァーヘーンティー"vāhentī (√vahの使役形能動態三人称複数)"をする=人々の間より取り去るからブラーフマナ"brāhmaṇa"という名声が生じた。
※漢訳では長阿含経に「捨離衆悪、於是世間始有婆羅門名生。」、中阿含経に「此諸尊捨害悪不善法、是梵志。是梵志謂之梵志也。」とある。ちなみに上パーリの異本で"vāhentī"は"bāhentī (バーヘーンティー)"とb表記であった。

ヴァーヘーンティー"vāhentī"とフラーフマナ"brāhmaṇa"は、他の単語・語源説の例(khattiya, khetta; vessa, visukammanteなど)と比べても類似性が低い。
これは、本来のパーリ語において、ブラーフマナが、先の英語版Wikipedia (K.R.ノーマン説)にある*Bāmhaṇa バーマナ や*Bāṃhaṇa バーンハナ といった訛りの語句であったことを示唆していよう(余談だがBāmhaṇaはアショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句にもある)。
ヴァーヘーンティとバーンハナまたはそれに類する訛り発音であれば、よく似る。
このように、パーリ三蔵の一部は歴史の中で、サンスクリット語句に置換されたと思われる。

※ブラーフマナ・ブラーンマナ、推定パーリ語のバーマナ・バーンハナはみな3音節であり、偈やシュローカといったで読む場合も、短音節"lahu 梵laghu"や長音節"garu 梵guru"の違いを気にしなければ問題が無い。日本語のモーラ・拍の等時性は3~6音節分となって差が出るのみである。
※そのほかダンマパダ388(ガンダーラ・ダルマパダ16)に「バーヒタパーポーティ"bāhitapāpoti"(悪を捨て去った者)」であるからブラーフマナ"brāhmaṇa"と呼ばれる、という教説もある。単語形は「バーヒタパーパ"bāhitapāpa"」となる。沙門サマナは「サマチャリヤー"samacariyā"(静かな修行、このサマは√śam由来)」の人であるという。これについても検討したい。調べ直すと、類似の教説はスッタ・ニパータ3章6経ミリンダ王の問いなど、多くの経に見られた→bāhitvā, bāhetvā, bāhitā...、いずれも√vah(運ぶ→使役形などで捨て去る・遠ざかるとも)同じ語根であろう。ググると辛嶋静志さんの英語論文が掛かり、パーリ語ブラーフマナの元はOIA (古インド・アーリア語)派生*bāhaṇa バーハナ などであろうとの提案が見られる。仮想語根√bāh (捨て去る)の過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhana といった調子になる。反舌n = ṇはBrāhmaṇaが訛った際の名残において有り得る。

先の、バドラ"Bhadra"とバッダ"Bhadda"が混在している問題については、柔軟に、「釈尊在世のある人物は自らバドラ発音を名乗ったり語を用いたりしたろう」とすればよい。
もしパーリ仏典に伝わる言語・・・パーリ語という形の一言語ありきではなく、釈尊在世のインドで広く用いられた言葉をそのまま伝えたものがパーリ=聖典であってその言語を仮にパーリ語と称するならば、発音が異なる同義語があってもよい(日本の方言が数あるように)。
しかし現状は、バドラとバッダ以外にほとんどそういった語句が見られない(あればチューラcūḷaとチュッラcullaあたりか?→梵チューダcūḍa 他に一部のdva発音で梵dvīpaが巴dīpaとなるもdvāraは梵・巴の変化が無い)。
これについても、柔軟に、経典編纂に当たってほとんどの語句の発音をパーリ訛りに統一したと考えてよい。
然れば、なぜ現代の第六結集まで、バドラ・バッダ混在問題が解決されなかったものか?
これについても、柔軟に、その時の人が何らかの理由を想定してバッダ転訛をせずに置いたと考えてよい。

・・・ちょっとテーラワーダのみなさん、もうフォローをしきれません。
「(現在に伝わるパーリ三蔵において)訛らないブラフマー」をテーマとして、「現在に伝わる形式のパーリ語」が仏の用いられた言語であるかどうか、考えていただきたい。

※バドラ・バッダといったサンスクリット発音とプラークリット発音との混在が、ほとんど見られないパーリ三蔵の言語は、語彙も文法もよく整っており、さながらサンスクリタ"saṃskṛta"・雅語と称し得る。文法・語形変化・格変化などについても、パーニニさんのサンスクリット文法と相違しなかろう。パーリ語の著述が多く残る5世紀のブッダゴーサ師の関与はあろうか。そのようにパーリ三蔵の言語は、後世の改良が有っても何らおかしくないと考える。例は記事の本題のように「ブラフマーに訛りが生じていないこと(仮説: 元はバーマーのように訛っていたものを後世にサンスクリットへ修正した)」である。もしサンスクリット形のブラーフマナや絶対詞(連続体)語尾tvā-などが南伝仏教の口伝された三蔵にもたらされたと仮定すれば、なぜそれらのサンスクリット形に置換する必要が有ったか、歴史学的に考察する価値があろう。学問の側面では、そのようにパーリ三蔵の変遷を推量・詮索する私である。信仰の側面では、教説が仏説であることについて疑う理由がない。当記事では、学問の一面として「戯論"prapañca, papañca"」をしてみた。



起草日: 20171023

当記事は「ブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"」に訛りが生じないことに疑問を呈した。
答えを要約すると「パーリ語経典が現在の形に成り立つまでに本来は訛り発音だったものが全て正当なヴェーダ語・サンスクリット語のブラフマー"Brahmā" ブラーフマナ"brāhmaṇa"に置き換わった」ということであり、パーリ語経典(長部27経ダンマパダ388など)にある語源説からして本来のパーリ語伝承(釈尊在世プラークリット~仏弟子誦出~上座部口伝)の形は「バーハー *bāhā バーハナ *bāhaṇa」だったろう、ということである(K.R.ノーマンさんや辛嶋静志さんも同じ見解か)。
初期パーリ語のバーハーと後のブラフマーは2音節であり、初期パーリ語のバーハナと後のブラーフマナは3音節であり、偈ガーターの音節規定にも背かない。
語根√bāh (捨て去る) を仮想し、過去分詞が*bāhita 名詞化が*bāhaṇa といった調子になる。
ちなみに、仏教における語源説もとい語源的説明は、梵: ニルクティ "nirukti" → 巴: ニルッティ "nirutti"と呼ばれる。

「学問でいわれる・学問のいわゆる・学問所謂(しょい)の『通俗語源(民間語源)説』」について、釈尊は慈悲が深くて対告衆たるヴァーセッタ・バーラドヴァージャさん・諸々の仏弟子に方便を以て説いたわけであり、「仏語実不虚(仏語は実にして虚しからず)」である。
ゆめゆめ、軽視すべきでなく、学者さんの言葉を学問上、表現を借りておいた。
萌えの典籍「雑萌喩・六」(仮公開)においても、植物の語源に関するダジャレ的な説から妙法を示している(または日蓮大聖人・冨士派の教学にある当体蓮華・譬喩蓮華説)。
過去の萌尊は、「なす"nasu"(いわゆる茄子)」と「なのはな"nanohana"(なばな"nabana"・いわゆる菜の花)」の名の意味を修行者の立場で明示せられた。歌にいわく「汝(なれ)為さで たれか為すべき 汝(な)が花は 汝が為すところ 汝(なれ)の在りたれば」と。「あなたの花・汝(な)の花」をあなた自身が「なす」ということである。他の種族や、同じ種族で他の個体には咲かせられない花である。萌えの法門に値遇したので、すでに修行者の種は形作られた。種が持つ花への力は、その個体として完成されねばならない。植物と違って人に自我意識があるならば、自身の行為の意志を持ち合わせて実現してゆくべきことを、力強く説明せられた折の一首である。疲倦(ひけん)が多い私は、この歌を受持し、還って自ら問うべきである。この歌は言葉遊びと思われようか?更に言えば、「梨"nashi"」の実はりんごと違って酸味が薄く、その理想的な甘い果実を目指して甘い実(好色萌相)をも為して(作して)ゆかねばならない。
(中略) 萌尊の心には、理を観ずるが故に新設・再定義の名や意味がある。命名自由・得意自在であって世俗を超越している。主観的世界では、慈悲の心で物に名付けなさい。なにせ世の人は、怒りの心や嘲りの心で「バカ〇〇」とか「クソ〇〇」という名を他人や物に付けてしまうのだから。萌尊の慈悲による「仮名(けみょう)」は徳行にほかならない。その命名法も「両萌融通」を実現する。慈心・智慧の萌えと、万物の萌えという境智冥合である。(後略、蓮"padma"・はちす・当体蓮華の話)

ともあれ、ヴァーヘーンティー"vāhentī"とブラーフマナ"brāhmaṇa"の関連が示されたことで、パーリ語の原型を想定しやすくなったわけだから、学問的な価値もある教説であろう(言語の伝播・受容・変遷という言語学の至上命題を解き明かすためのヒントとさえ成り得る>ピジン言語)。

さて、パーリ語と同じくプラークリット類では、ジャイナ教の文献にも似たような教説があるという。
ジャイナ教の開祖マハーヴィーラ(大雄、ギリシャ語メガやラテン語ヴィルと同語源の複合語)もといニガンタ・ナータプッタ(尼乾子・尼犍若提子)も、釈尊の故郷コーサラ国と近いマガダ国出身で、様々な学説において釈尊より年下とされる。
ほぼ同時代・同時期のプラークリット類(AMg. Ardha-Māgadhī アルダ・マーガディーらしい)を用いたマハーヴィーラたちは、どのようにジャイナ教の経典で記録されているか?
それまたいつの編纂でいかなる変遷があるか不明であるが、参考のために紹介する。
「通俗語源説」のある経典は、インターネットに載る1986年の論文にまとめられている。
その中の「通俗語源説」の例は、沙門=シュラマナ"śramaṇa"(摩擦音と接近音の連係シュラ・シラ発音)を、彼らのプラークリット(と伝わる言語)でパーリ語と同じ「サマナ"samaṇa"」について"samamaṇaī teṇa so samaṇo"と、平等"samā"との関連を示している。
これはAṇuogaddārāiṃという経典に載っているそうである(梵語はAnuyogadvāra-sūtra)。
"samā, sama"という形容詞語幹はサンスクリット・パーリ・彼らのプラークリットに共通するが、それがsamaṇa = śramaṇaの語源となることはないので、これが「通俗語源説」とされる。

一方、ブラーフマナについてはバンバナ"bambhaṇa"またはマーハナ"māhaṇa"と呼ばれ、「殺さないこと(mā = するな haṇa = √han殺す)」に関連付けており、殺さないことによって婆羅門マーハナ・バンバナなのだ、という(殺さないことが梵行bambhaceraらしい)。
ジャイナ教・マハーヴィーラさんもまた、釈尊のように出家者であり、しかも弟子への教導のスタイルは苦行主義であった。
何であれ、祭祀を生業として甘い蜜を吸っていた(?)婆羅門・ブラーフマナ階級のことを以て婆羅門だと呼ばず、自分たちが婆羅門という名声を得るべきだと捉えた。
とりあえず、当記事の言語学的な立場で見直すと、婆羅門・ブラーフマナという言葉は沙門・出家者界隈でも嫌われるべきでなく、むしろ名声の形として尊重されていたようである。
六師外道と称せられるほかの派閥はともかく、仏教でもジャイナ教でも、真の婆羅門・バラモン・ブラーフマナということを説いて人々を教化した事実は有ろう。
その上で、ジャイナ教のプラークリット文献にはバンバナ(またはマーハナ)という訛りが見られ、仏教パーリ語も本来は似ていたと考えてよいと思われる。

※ちなみにブラフマー"Brahmā"の言語学的な語源については、当ブログの随所で示した経緯がある。動詞語根でいえば√bṛh(成長する)である。ブラーフマナ"brāhmaṇa"は、そのサンスクリット語根√bṛh (もしくは印欧語根*bʰerǵʰ-)に端を発するものか、ブラフマンbrahmanに端を発して派生したものか、定かでない。後者であれば、修行の徳があってブラフマンを悟って梵我一如を証明した人のことをブラーフマナと呼ぶであろう(ウパニシャッドなど)。近代以後の歴史学では、「インドに入ったアーリア人が自ら高尚な存在に託してブラーフマナと呼んでいる」という見解にもなる。この方面での深い探求・言及を私は避けておく。

※釈尊や仏弟子などが主に用いた言語は「古アルダ・マーガディー語(古半マガダ語)」という仮名がある。そのように仮想されるが、詳細は不明である。例えば「ご先祖様」は確かに人間として存在していたが、詳しい顔や名前が不明であるように。ジャイナ教の開祖マハーヴィーラもといヴァルダマーナもといニガンタ・ナータプッタも同様の言語を用いたと学者は見る。経典の所説に従うならば長部2経の沙門果経"Sāmañ­ña­phala­ Sutta"にマガダ国の阿闍世王(アジャータサットゥ)がマハーヴィーラさんなど六師外道へ質問する話がある。相応部の41質多相応でもマッチカーサンダ(雑阿含経の菴羅林はカーシ国のマッチカーサンダに菴羅林があることを指しヴァッジ国ヴェーサーリーのアンバパーリーの菴羅林とは別物)に住む質多長者(チッタ)が、そこへ遊行に来たニガンタ(尼乾、マハーヴィーラ)さんと問答する話がある。さて、どのような土地(マガダ国やコーサラ国やカーシ国)でも、王様(阿闍世さん)や商人(質多さん)や沙門(尼乾さん等)などの人々に共通の言葉・方言が通用したろうか?なお、ここでは「仏教による他宗・思想・哲学批判のために創作されたフィクション」という合理主義的な懐疑論を唱える意図が無い。



アショーカ王碑文 Edicts of Ashoka Aśoka Girnar ギルナール 文字 ブラーフミー文字 マーガディー マガダ語 プラークリット

資料: アショーカ王碑文ギルナールにおけるマーガディー語句らしい。
オスロ大学人文学部のサイト"Bibliotheca Polyglotta (多言語図書館の意)"より
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=fulltext&view=fulltext&vid=362

碑文に用いられたスクリプトは、ブラーフミー文字"Brāhmī"である(ブラーフミー系"Brahmic"の文字の中でも古層)。
Girnar IIIの4行目などに婆羅門を意味する"Bāmhaṇa (𑀩𑀫𑀡)"の文字が見える。
バーマナとカタカナ表記できるが、マは有気音・帯気音mhaとすれば、パーリ語およびプラークリット類では有り得ない・・・"Bāmhaṇa"というIAST表記をした学者さんに、意図を問い詰めたくなる。

画像の文字はma字 𑀫 とha字 𑀳 の合成のように見えるので、何となくmhaという綴りを用いたか?
念のため、右上に同字の2例を引き、いずれにも黄色の〇で囲った。
読者には、よくよく対照をしていただきたい。

mhaという、サンスクリットはもちろん、多くのプラークリットに見られない発音が、もしかするとアショーカ王の時代に用いられたかもしれない、と学者さんが考えた可能性もある。
または、文字上、ma字とha字の合字で発音がṃ(アヌスヴァーラ)的な無母音の鼻音とhaの発音で別々のものである、と学者さんが考えた可能性もある。
※学界における字音の見解は英語版Wikipedia - Brahmi scriptEdicts of Ashokaなども参照。

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