私自身の音楽活動を主体としたブログである「横野真史音楽ブログ(音楽館)」で、ブログ設立当初に書いた記事では「自称一人バンド」と、そのロック系ジャンル楽曲制作の名義である"Sundarkness"について表現しているが、これには大いに語弊がありそうだ。
バンドとは、楽器を弾いてこそ名乗るものであるが、巷ではチャラチャラしたあるいはイカツげな男らが歌って踊る音楽グループが「バンド」と誤解される傾向がある(○爆、エグ○イルなど)。
私自身もただ、「ロック系を作っているから"一人"でもバンド」としていたようで、楽器を弾いているならばそう名乗るに値するが、実際はDTMにおける「打ち込みの作曲」をしているに過ぎず、楽器を弾いて音を録り、ミックスする行為さえ満足に出来ない。
バンドとは、楽器を弾いてこそ名乗るものであるから、仮に作曲は出来なくても、一般のジャズバンドやマーチングバンドなどは既存の有名な楽曲を演奏し続けるのである。
というわけで、「私自身~」「バンドとは~」を2往復させての考察を4行で書いておき、「一人バンド」とはあくまで「自称」という範疇では妥当としておく。
件の記事でそのように表現した当時の心境として、バンドという存在に仮託した活動を標榜し、あわよくば演奏の協力者を抱えられたら、との淡い期待もあったのであるが、孤陋の身なれるを知らざりしが故に儚いことである。
近頃思うこととして、「自称」のスタンスであっても「バンド」と銘打つことは余りにも滑稽でならないため、今後はそう名乗る気があまりない。
深意をいえば、バンドなるものが私の精神と背くようでもあり、世俗芸能とは別とされる古典音楽においても、現代では演奏家ばかりもてはやされ、相容れないことを思っている。
それでは、私の音楽活動によりよい呼称が他にあることか。
例えば「ライター Writer」というと、ゴーストライターだとかシンガーソングライターといったように、接頭語を伴う呼称がやや存在している。
ライターということは"Write"して然るものであるが、何を"Write"するかといえば、歌詞あるいは楽譜と見られる。
しかし、私といえばDTMでの打ち込みが専らであり、歌詞は今なおも書こうと思わず、楽譜は猿真似が関の山であるから、私に付けては余る表現であろう。
ここに、歌詞を書いてボーカルを募る、楽譜を書いて奏者を募るといったことを求めず、一人耽美的な楽曲のありかたを探求するといった、私らしい姿勢を感じてしまう。
私の諸活動(記録・研鑽・創作)は、この数ヶ月に常々「自己満足」と形容してきているが、端的に言って「自己満足」という言葉に落ち着くのかもしれない。
もちろん、それは腑に落ちない一面もあるのだけれど、一般にはこう捉えられよう。
・「バンド」の単語に関する余談
Yahoo!知恵袋は2015年10月下旬からカテゴリの増設と整理を行ったが、「バンドエイド」という文字列がある既存の質問の多くが「音楽 > バンド」カテゴリに移行されてしまった。
どこぞの指定管理者制度図書館の蔵書分類のように、字面だけで機械的にカテゴリを認識するから、こうも不適切となってしまうが、大手の運営ほどその陥穽の識別ができず自覚も無い。
・どこに載せようか迷ったメモを一応ここに掲載する
「快楽も金銭も結果的に得られる程度で良い。自ら願って求むるところにあらず。芸術は、肉体的ないし即物的な満足よりも、己の心の満足にこそ至福がある。これぞ芸術に望ましい少欲知足の姿勢である。観念的なれども、この美学を奉じている。満足すれば飽きて辞めるのか否、飽くことなし、満足あってなお追究す。耽美主義的精神論、修養足らざる不肖の身にあり」
【活動方針・展望】
某サイト・某ツール作曲の人々は、当該サイト内でこそ好きなように気兼ねなく且つ他ユーザーと懇ろに交流してきたのであるが、一度サイトの外に出ると、サイト旧友との付き合いこそすれ、音楽性や活動の姿勢は見る影も無い。
Twitterほか音楽サイトで遊戯雑談の活動の域を出ず、いやしくも作曲するとて、音楽性に妥協を感じる。
妥協したる音楽性とは如何なるものぞや、既存有名楽曲アレンジほか、オリジナルでは凡庸な陳腐な無難なジャンルが多かったりしたり、ジャンル名ばかり同系列でも腕が落ちていたり、やりたいことをやっていないのではないか、と思えるような楽曲群である。
当該サイト内の熱気・情熱というものを「他所に持ち込む」ことについて、自重する道理はない。
よって、私は技量の許す限り気儘に音楽制作と楽曲投稿を続ける。
今の精神状態・・・道心がある私には、あんまり過激(卑俗)な語彙を用いたり、奇を衒うようなことはしづらくあるが、それも「やりたいこと」でないのだから無理にすることではない。
同サイト内でも、実機端末が動くうちは「身を粉にする」とまで言わずとも時間との折り合いをつけながら随時投稿を続けるが、某サイトとは先述の通り、連帯感であるとかフレンドリーな交流により、彼らの創作機運を相高めている節がある。
某サイト特有のポイントとして、譜面共有の自由度が高い点があり、他のサイトにはないアレンジやコラボレーションなどの投稿量も一考に値する。
今でこそ「街」の名は廃れて「廃村」さながらにあれ、最盛期の賑わいを垣間見る思いで、当時の彼らが互いに励まして成り立つとも私は遠く忍ばせるのみに、別の信念から活動を継続する。
つらつらインターネット上の創作界隈(同人等)を惟みるに、当該サイトの元住民らに限らず、広く創作界隈で2011~13年以降は何かためらい気味のものを感じてならない。
気兼ねなくやっていけばよいところが、どことなく妥協した創作ばかりに思える。
音楽のみならず、絵であるとか、創作界隈の全般を俯瞰した上でそう書く。
「聖人(しょうにん)或いはこの道を去り、或いは退き、已に一人(いちにん)も残らず。求道の者・誰(たれ)かこれを嘆かざらん」
以上の文章は大半が12月9日頃に書かれた。
ところが状況は一変して、12月12日から稀にあるサーバの504エラーが始まった。
これは今年に2度あり、いずれも4日ほどウェブサイトもデータスペースも接続不能に陥った。
当該サイトのサーバ上にデータを保管するところに依存する面が強い点で、実機での制作は厳しい上に、実機で行ってもサイト公開が現状できるはずもない。
また、サーバが消失する(管理者自宅サーバーの放棄か契約解除かデータ紛失かデータ消去)こととなれば、サイト利用自体誰もできなくなることも論を俟たない。
MIDIシーケンサーの制作環境でも構わないが、一つの意志は潰えよう。
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