2015年5月20日水曜日

普通のメールに見えるが、その深くして量り難い真義

2015年5月19日0時38分に母親に送信したメール。
食料に関する要望の旨のメールだが、私が真に問いたいのは母親の人間性についてである。
叔母さんYなどには些細な日本語の誤用(とも言い難い)に関してくどい指摘("ご苦労様は目上の人(姉である母自身)に使わない"、"誰も教えてくれなかったんだね可哀想"と一人で言いたい放題)をしたり、学校の教員などには何かのイベントの日程や情報に関して「微に入り細に入り("細に穿ち"の誤用、あなたも誤用しているじゃん!)詳細に伝えてくれないと誰も分かりませんよ」などと頻繁に指摘することがあるが、その割に自分こそ不明瞭な発言ばかりである。
人には理不尽に当たるところが、人間関係に摩擦を起こし、現に父親と喧嘩し続けた日々を偲べば、誰にとってもあの母親と長く住まうことは、正気を保てないことであると言える(この種の話題では毎度この情報を書かねばならない)。

そんな母親の人間性を受け継ぎ、今でも肌身に触れる私(2007年~2011年まで別居していたが)も世間に聞く、愚にもつかない「血液型」なるもので人間性を判断するそれに準じてA型(母)とB型(父・私・弟二人)の差はあれども、似たような人格は形成されたようである。
「人間性を問う」意思を暗示された、含みのある「5月19日0時38分メール」は以下の通りだ。



シリアルが写真の通り4袋、内容量換算でも3袋分余っている。牛乳の量を増やすか、シリアルを週に1度に減らす等の対策が必要。そもそも以前はシリアル週1度だったが、週2度の買い物で毎度買っているから、○○(下の弟の名前)がバカ食いしても私には供給過多となる。○○には私と同じシリアルの量に対し、私より多くの牛乳を与えている。その上で先週は2LのDAKARAや1.5Lの炭酸飲料を与えていた。荷物の重みで指の肉がちぎれないだろうか。私のシリアルは牛乳無くして食べられないが、○○の水分補給は水で足りるし、一週間に3.5Lの清涼飲料水や私以上の多量の菓子摂取で、○○の糖尿病発症も必至か。
要望としては、牛乳を増やすか、シリアルを週1度にして菓子を増やすかだが、体力・金銭負担や買い物時の記憶整理の観点であなたが楽だと思う方でよい。シリアルの余りが過ぎたら○○に1袋分けるかもしれない。」

余ったシリアル

注釈をするならば「私以上の多量の菓子摂取」という記述だ。
このメールは先に記した通り、母親に宛てたものであり、母親自身が下の弟の菓子摂取状況は把握しているため、同メール内に縷々と記す必要も無かった。
当記事では読者のために一応その状況について書く。
私は母親から買い与えられた少量の菓子に留めているが、あの弟の場合は前の土曜日にもイオンで菓子を多めに買い足していた。
チョコ系然り、スナック菓子然りである。

炭酸飲料と清涼飲料水の話も加味するが、私も暑くなりゆくこの時期にあって、お茶・炭酸飲料の買い足し頻度は強まっている。
確かに菓子も飲み物も、私が今の下の弟と同じくらいの頃にはどれほど貪っていたことか。
このような回想は雑念そのものだと思う。



注釈ということで、冒頭の「学校側に対して細かく情報を尋ねる」行為について過去の例と現在の対応について記録する。
「微に入り~」云々は、寒気がした記憶である。
というのも、母親自身の声で聞かれたものではなく、電話の事前に書かれたメモを見たからであるが、「微に入り~以下誤用」の表現を口頭で発したいが為に電話の事前にそのような台本を作っているところが、気持ち悪さに輪をかけている行為だと思えよう。
他にも、学校の公式ブログの何かの予定に関する告知記事に、本名のフルネームをローマ字に換えた名前で「具体的に案内して、こう書いて、でないとどうしたらいいのか全然分からない(要約、元の文字数は約260)」とコメントしていたのだが、当該公式ブログでそんな殺伐としたコメントを、しかも本名で以てコメントする人間は過去に一人もいない。
殺伐としたコメントも、フルネームを使用したコメントも、片方に該当するコメントすら誰もしていないことを、あの母親だけが成し遂げた。
誇れもしない武勇伝を次々に作り上げる母親に、息子として感服する思いである。

当の学校の教職員の間では、「特別支援学級の○○(下の弟の名前)君のママさん怖い人ですよね、給食の懇談会では誰とも話さず俯いたまま(写真アリ)食事し続けて、○○君のお兄さんは二人とも不登校のようでした」などと噂になっているに違いない。
特別支援学級の担任、大○先生はこんな母親の理不尽な要望ばかりでも、真面目に対応している人だ。
あの母親だけに詳細な日程を記したプリントを作成するなど、特別な処置を行っている。

教師とはそもそも自己犠牲の職業であるべきで、この先生は弟が去年の5月に同級生とのトラブルでズル休みした2日目に我が家まで訪問したが、私が最後の不登校になった○川市立中学校の新任男性担任教師Hには一度も無かった。
まさに自己犠牲を美徳とすべき、この先生は教師の鑑であろうと傍目に感じられた。
ただ一点思うのは、特別支援学級という特殊な少人数クラスでは、少人数でなくとも負担が軽く、問題児に個別に当たりやすいのではないかという上から、弟の問題にも親身に当たる事が出来たのではないかとも見られる。

そういえば、母親の気持ち悪い性癖に関して、類似の例が最近もあったので軽く記録。
稀に家の近辺の診療所から郵便物が届くが、2015年4月頃にも同診療所からいつも通りの封筒が届いていた。
母親がその封筒を返送するらしく、表に「何年も我慢しています、不条理("理不尽"と混同?)だとしか思えません」などと書きなぐっていたが、「非常識」ならまだしも、「不条理」とは仰々しい形容だ。
勝手に送られる郵便物を返送するにも、不穏な文言を書きなぐれることは正気でなく、もっと穏便に停止する手続きなどがあるし、その方法を採ろうと思わなかったのだろうか。
この母親に汚された封筒の実物(当然この後ポストに投函されただろう)を見れば、誰もがあの母親の異常人格に驚愕することは無理もないはずだ。
不穏な文言の書かれた封筒を見て時間が経った頃、診療所担当部位を模したキャラクターのイラストと「不条理」の単語が不調和で、思い出し笑いが絶えないものだった。





以下、当メールとは全く関係ないが、ついでに日記メモ欄とする。
5月19日19時前から19時半頃まで母親と一悶着あった。
同メール送信よりこの時間に至っても、一度もメールの件について返信や返答はないので、内容は一応承知したと見える。
喧嘩自体についてどういった原因があるかなどは、長くなる為ここには書かない。
ただ、タイミングとしては18時半頃(まだ日没前)に夕方の勤行を遅れて始めて十如是・寿量品長行を終え、自我偈の中腹に至った時であった。

意味不明なタイミングで唐突に、ある問題(本当に何故このタイミングでそんな遠い時間の話題が出るのか)に関して焦るような口調(遠い時間のことをあたかも今起きたかのような臨場感)で話され、誰でも聞いていて心地よくないし、腹を立てることも仕方が無いものだ。
相変わらず理不尽で、出来事に対する感情の変化が非合理的で煩わしい。
その「遠い時間」にとても近い時(19日朝5時台)に一度話しかけられたことがあったが、その時にその不満を私に投げかければまだ正気の内であると看做せる。
20時頃にもまたおかしな問いがあったが、母親からは万事に渡って理解の乏しさを感じられる。



1ヶ月ほどは、この種の衝突はなかったが(4月26日の件は数分程度)、この件のせいで最近続けている勤行を退転したくなってしまった。
真面目に勤行していて邪魔な干渉というのは、法難か、はたまた罰か判断し難い。
ここで一つ思うのは、他の家庭も含め、個人的な勤行が世間の家庭不和の原因になることもあろう(この程度の衝突は、数年前、飛んで小3・4期じゃ日常茶飯事だが)。

「隠れ題目」として、読経・唱題は観念で行じる、というのも可能だろうか。
「懈怠するより殊勝だろう」として、以降全てを観念行にしてしまうのは「凡夫の浅識・驕慢」で、謗法となるのだろうか。
いずれにせよ、仏界というものの涌現やそれが強盛になるだとかは、思い込みはあっても、確かな実感は無い。

うちの母親には、法華経の価値も「馬の耳に何とやら」であるし、逆に法華経の信行というものが反発される要素にもならず(論理的な怨嫉もないということ)。
また、法門を一分と知らずして知る気もない者に、仮に認められるなら「第一のはぢ」だ。
法義上から諫暁することが仏法の行いかもしれないが、無理ね。



仏法のそれについても度し難いが、それは今の濁世の普遍的な問題で、人格面では人並みはずれて相容れがたい。
ある動作をする度に、あるいは過去にも似たような理由の口論(何年も続いていることに"ず~っと"不満があったかのような言い方で不服を唱えていたが、これも理不尽な物言いだ)もあったが、それに関する動作の度にもこれらの衝突がフラッシュバックする。
当記事の本文で取り上げた諸々の奇怪な文言も、日記メモ欄の話題の出来事も、偏に母親の異常人格が元凶であるが、この異常性は日毎に強まっていることを実感する。

更年期障害だとか痴呆症だとか、特定の病名を取り上げてレッテル貼りをすることは避けている私だが、どうにもこれらの枠に嵌めたくなってしまう。
病気といえば、先の口論でもまた通院の実態が不明な「ガン治療」や、「もう閉経した」だとか、思い出せぬ何か病気に触れて「自分は病弱だから」との理由で語っていたが、そう、みな病気で子の代になるほど寿命が短く、私も40歳までに若年性認知症になり、下の弟はそもそも先天的に知的障害があることを書くといつものように長くなる。
口先だけのガン治療強弁はうんざりするが、母が言うガン治療を認める傍証があるとすれば、健康食品を買いあさっているあたりだろうか?
ブルーベリー系やコエンザイム系のサプリメントは継続している方だが、それ以外の普通の食品(粉末系)は何十日分だろうと少し試してあまり使用しなくなってしまうのに、次々新しく買うのは無節操さの発露にしか見えない。

とにかくあの母親がエセ患者を名乗る内は厄介であるが、暴力性については幼少期の体罰がなくなった分、この点を恐れる必要がないのは救いがある。
また母親は、他人との関わりが酷く薄いが、最低限の人間関係は今でも維持している上で、必要以上に関わられると父親と似たような不幸に陥る点もある分、多くの人々にとっては救いだ。
あの母親が若かりしばあさんを「悪口ばかり・厄介者の性悪女(原文ママ)」と形容したそれが、今までの母自身の半世紀をも包含していることに推して知るべきだろう。

子供の教育上、「しかる」行為についても合理性が問われるが、その観点であんまり時と場所を選ばないような「しかり」は、その子供にも非合理性が定着しかねない。
私の場合、母親と離れた小5以降、一人の時間が極度に増えたり、学校では色んな空気(排気ガス・光化学スモッグ的な毒気)に触れたことで、母親譲りの不整合が矯正された。
それでも、母親の毒気に触れられている今はまた、冒頭に書いたように別の点で「似たような人格は形成された」のである。
少なくとも、母親の無神経さや論理矛盾・感情の不整合に関しては、理性で何とか抑えて、母親と同じ轍を踏むような状態にならない心掛けをしている。


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あしからず。

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