和声の医学、疫学:
任意の症候群のようなもの
とその疫学
疫学的音楽学の仮想
和声の言語学:
方言、訛りまたはジャーゴンのようなもの
とその分布
コーパス言語学に類する、コーパス音楽学または文献学的音楽学の確立
ロックのうちで、ギターは楽音として音響的に強いものであり、またコードを鳴らすことが基本である。
そして、第二次世界大戦以降の飽和的にギタリストがいる原因である物質的な豊かさが、ギタリストの全体的な低質化や世俗化と高い相関性を持っている。
この状況で、ギタリストの専門的な技術の高さを求めないならば、相応の「やさしさ」が演奏の譜面(楽譜:五線譜、TAB譜または無形)に求められる。
実際、それがためであるのか、エレキギターによるパワーコードのサウンドは汎用的に、また結果としてロック系諸ジャンルの音響的特徴として真っ先に挙げられる。
これを重要視するならば、それが「やさしい」演奏の内容に当たる。
もし、そのパワーコード依存を「ある」と問題視して「脱却」を望むならば、何ができるか?
ギタリストの作曲したロック音楽の例で、一見して「半音的だ」といえるメジャーコードづくしの譜面も、実際に演奏すると、開放弦を多用して「やさしい」ものになっている可能性がある。
具体的にそう仮定できる曲の特徴は:
・EADGBEの標準チューニング=調律
;およびその半音上げチューニング、または半音下げチューニングといった標準に対するシフト系 (shifted: raised and lowered)
・それで弾きやすいキー=調;つまり:CメジャーとGメジャーとDメジャーとそれらの並行調AマイナーとEマイナーとBマイナー、加えてそれらの五度圏で隣り合うFメジャーとAメジャーとそれらの並行調DマイナーとF♯マイナー
;およびそのシフト系チューニングで対応するもの
上記の示された調のうちで、強調型転調のような転調を除いた場合、最もロック音楽に適している調は「Dメジャー」であろう。
これは12または24のダイアトニックな調で唯一、それ自身とその同主調「Dマイナー」が標準チューニングの開放弦EADGBを持っている。
管理楽曲識別番号の曲例468と988はともにDメジャー、平行調Bマイナーの曲に当たるが、これはDマイナーの和音=コードを借りている部分がある。
該当するパート、楽節から、度数表記で示す:
468bar21 in /D/ [I, V, ♭VII, IV, I, V, vi, IV]
988bar1 in /D/ [I5, VI5, ♭VII5, V5]
任意のメジャーの調における [♭VII] は、同主調(パラレル)マイナーの調で [V] に相当する。
前者はギター演奏を行う人(作曲者M)の作品であるが、後者は演奏経験について不明であるもののロック系を中心に作る人の作品である。
後者988に関しては、他にも同主調からの借用をしたり、楽節が進むと同主調へ転調したり、という部分がある。
988bar5 in /D/ [I5, V5, ♭VI5, ♭III5 IV5] (1つの和音が2小節分を占める;表記については、例の通り、コードの1つの区切りを半分にしている部分はスペースでのみ分けている)
988bar21 in /Dm/ [IV5, III5, IV5, III5] (1つの和音が4小節分を占める)
また、楽節によっては任意音メジャー調なのか同主音マイナー調なのか分からない曲もある。
曲例717、DメジャーとDマイナー調の半音上げ=E♭メジャーとE♭マイナー調と思われる楽曲は、イントロがE♭マイナーの構成音によるパワーコードづくしであるのに、ボーカルパート(歌メロ)に入るとE♭メジャーの構成音によるパワーコードを3つ鳴らしてE♭マイナーの構成音によるパワーコードを2つ鳴らすコード進行を持つ。
717bar1 in /E♭m/ [I5, VI5, III5, VII5] (メジャー調で度数表記すれば [VI5, IV5, I5, V5])
717bar13 in /E♭/ [I5, V5, IV5, ♭VI5 ♭VII5]
;717は作曲者Mの作品である。
私はこれらに関して「借用コード、借用和音 (borrowed chord; 旋法混合 modal/mode mixture とも)」や、「同主調の和声型転調」といったことで理解し、717を含む一部の例をそうであると説明した。
2021年5月21日公開『IV-VトリプルシャープIV-V進行、同主調の和声型転調、三全音転調』https://lesbophilia.blogspot.com/2021/04/harmony-variable.html
しかし、こうみなすには、あまりにもロックギターに特徴づけられる和声的特徴である、という疑問が後々から付いてきた。
標準チューニングは第6弦から第3弦 E, A, D, Gが完全4度の音程であり、この範囲内で「同じ指の関係の位置に単純化できる」としてパワーコードやメジャーコードやマイナーコードに一本化することが譜面から証明されれば、それはそのギタリストが弾きやすいからそうしている、と確定できる。
その場合は、他の曲例も同様であるかを調査することで、それがロックギター譜面における和声的特徴の一つとして立証することになる。
和声的に「やさしい」演奏の考え方では、開放弦の使用頻度という観点で、標準チューニングにおける第6, 5, 4弦によるDsus2 = Asus4という特定のコード(およびそのシフト系)や、含まれるパワーコードが利用可能である和声も想定される。
そういう風に範囲を広げると、それ以外のジャンルでアコースティックギターやピアノなどを用いる楽曲に「ライン・クリシェ」などと呼ばれる技法の和声までも想定されるが、今回の記事では扱わないこととする。
曲例:
421bar1 in /C/ [Iadd9, iii7, iiiφ, VI7, ii, ♭II+, Vsus4, V]
1016bar9 in /D/ [Isus2=Vsus4, V7, v7, IV V]
;こちらは作曲者Mの作品である。
「疑問」に関して、私は「ロックのギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」と考えるに至った。
それは、ロックのギタリストがやりやすい演奏方法の結果の和声的特徴であり、言いやすい言葉や語彙と、その定着とが、ロックの音楽の曲という「文 (sentence)」の中に込められている、という理解である。
ロックのギタリストどうしでは、たぶん、分かり合える和声の一つであろう。
ただし、一般的な意味における「ジャーゴン (jargon)」は専門用語 (technical term) とも理解できるので、「スラング (slang) では?」とも考えなおした。
結局、音楽を言語にモデリングする方法は、「音韻と音声実現(調律方法、ピッチ基準音、楽器メンテナンス、エレクトロニック音響楽器ではアンプやスピーカーの調整、情報技術では更にサンプリング音源のサンプル=標本データやプロパティでの調整)とその聴覚的効果および心理的効果」vs.「譜面と演奏とその聴覚的効果および心理的効果」や、「文法学」vs.「和声学」や、「記号学、記号論」vs.「調の性格論」など、枚挙にいとまなきものの、音楽ジャンルのジャーゴン的な演奏とそれに直結する和声があるという発想が加わることになる。
楽器の形状、その標準チューニングをはじめとしたチューニングといった「音楽の外的文脈 (context, 辞書的に、言語学での定義というよりは一般的な「状況」についての定義)」があり、その結果の演奏のしやすさといった演奏者の好みで、ジャーゴン的なコードとその和声の「文」が成立しているように私は感じる。
何らかの時代にそういう歴史の部分があり、後々はロックの和声で自然と成り立って言語習慣のように継続しているとも私は感じる。
考え方を変えると、これは個人または地域社会における方言の発生と定着に相当するものとも、モデリングができる。
それは、その演奏者(同時に作曲者であるか編曲者であるかそれに準ずる機能のある者)個人と他者から見てその人が属するジャンルの「和声的な方言 (harmonic dialect of the genre)」や「和声的な訛り (harmonic accent of the genre; the word "accent" is with a definition in sociolinguistics)」というモデルである。
言語の形式科学の特徴に加えて社会科学の特徴を音楽の中にも見出すことになる。
他の音楽学者からすれば、「言語モデルなどを用いずとも、音楽学はそういう形式性と非形式性(e.g., 物理的不確定性、認知的不確実性、即興音楽や実験音楽など)、更には社会性を対象とするものだ」と反発しうるものである。
あえて私が言語学に比較することは、私が多くの種類の言語学を重んじていた経緯に加え、任意の和声的特徴の分布を示したいからである。
分布とは、つまり、先述の楽器演奏の側面が強いか弱いジャンルの次元が基準であり、更には、地理や時代などの次元も加わっている、2次元や3次元の分布である。
「そもそも、音楽ジャンル区分が定性的である以上(ファンと音楽グループのみならず創始者の存在自体も議論がある)、そこから定量的研究をすることは愚かしい」と思われるかもしれないが、いつものように私は、そういう定量的研究が加わることこそ定性的研究の分野につきものである(言語学はその典型例)と思っているし、問題外である。
それは医学における「〇〇症候群 (*** syndrome)」などの病気や症状や疾患とその疫学 (epidemiology) に私は比較できる。
「食の欧米化」とその生活習慣病を考える時、民主主義政治、資本主義経済といった社会的要因や文化的要因に相関関係が問えるし、部分的には原因でもありうる。
「食の欧米化」というのは種々の要因の世俗的な総称であり、物質的な豊かさとの結びつきや、上掲の政治や経済に代表される文物の輸入や普及を具体的な経緯として想定する。
任意の生活習慣病の個人が「食の欧米化」を持つ場合、患者個人たちの属する時代や地理(ここでは社会的に国家の立場が強い)に学者たちはその要素を見出す。
他に、任意の病気の発生数が年齢の差、性別の差や、DNAのハプログループなど分子人類学的な、遺伝学的な属性の差(ソフトに言えば人種の差)でどれほど多いか、という観点も疫学にはある。
音楽で私は、先述の通り、エレキギターの普及とエレキギターで演奏される音楽の和声的特徴に一定の因果関係を見出す。
「エレキギターで演奏される音楽の和声的特徴」が「ロック・ギター症候群」などと仮名で呼ぶ想定もある。
開放弦が多いと限らない435bar84のような例について「長和音症候群」、「短和音症候群」という傾向を呼ぶ。
435bar84 in /D♭/ [I, V, ♭VII, IV, ♭VI, ♭III, II7, III7]
「傾向」に関しては、病理としてみなすよりは、病理にも別の意味にも用いられる -ism 系の接尾辞による造語でもよかろう。
医学とか疫学とかのモデルは、本題でないので、参考程度に記すに留める。
言語学のモデルでは、第一にジャンル、第二に地理、第三に時代の、最大で3次元で私は「和声的な方言、訛りまたはジャーゴン」の分布を示したい。
私が調査すると、客体が、例の管理楽曲識別番号の範疇と、雀の涙ほどの世間の曲例と、私が作曲した曲例に限られてくる。
それの範囲内で、統計学的に分布を示すならば、ジャンルはいくらかの広さにいくらかのサンプルがあったところで、地理は日本国内が多数となり、時代も21世紀が多数となることは事前に想定できる。
それで世界地図とか、独自の3D立体図形(平面に投影する方法 a projection を伴う)とかに記すならば、分かりやすい偏りが想像できる。
世界地図でやる場合は、ジャンル別に用意するしかない。
分量は、一次元に対しては棒グラフとかで示せばよいが、世界地図など二次元以上では光のスペクトルと似た色で成分の強さを示すことになる。
私がなぜ「ジャンル」を重要視するか?
確かに歴史経緯からして、ロックの直接の誕生と発展はアメリカ合衆国を含む英語圏に求められるので地理や時代が重要であると思われる。
しかし、任意のジャンルは下位の区分であるほど、異なる地理において異なる名称の指示対象や、任意の音楽グループへの独特のジャンル名称を持つと私は思っている。
日本で「メロコア(merokoa, メロディックハードコア, melodic hardcore punk in Japanese language)」や「メロスピ (merosupi, メロディックスピードメタル, melodic speed metal in Japanese language)」と呼んでいるものは、それぞれの典型例であると私は思っている。
どちらもロック系のジャンルなので、グループはバンドと呼ばれる。
バンドの例では、「メロコア」が日本のバンド群に対してあまり似ないバンド Bad Religion などが挙げられ、「メロスピ」が英語圏で"power metal"と呼ばれるバンド DragonForce が挙げられる。
「メロコア」へは2018年に私がそういう判断をし、「メロスピ」へは2012年に私がそういう判断をした。
他には、同じ地理的領域において特定の下位ジャンルの音楽グループが多かったり少なかったりすることも、きっと理解していただけるであろう。
白人メンバーが多いジャンルである「デスコア (deathcore)」は、人種の多様性が好まれる民主党支持基盤のカリフォルニア州 CA、ひろげて支持基盤を問わないアメリカ合衆国 US 全土に2013年以前の人気バンドが多くあった(2013年以後はジャンルそのものが衰退していて論じづらい)が、他の国には0に近いほど、見られづらい。
Bring Me The Horizon, BMTH は英国 UK であるが、これはデスコアのような音楽性が2008年以前のアルバムに見られたものであり、個人的には最初から今までずっとデスコアのバンドではないと思う。
仕方が無いので、ヘヴィメタルとかハードコアパンクとかも、結局は和声に関してギターのチューニングに深い依存性を持つものと私は思い、「ロック」で一括りにした結果のジャンルを最重要視し、細かいジャンル区分を適用しないことにした。
その点、もはや既存の社会的な音楽ジャンル区分というものではなく、特定のチューニングや楽器使用の依存性の差に対して私が既成事実の音楽ジャンルのラベルをつけていることになる。
勝手な定義ではあろうが、これで検討している。
バンドなど音楽グループに関しても、この調査では重要でなく、楽曲とその作曲者(および作曲に協力的な演奏者)に焦点を当てることにし、楽曲の方をジャンルの基準とし、私は考察している。
主にエレキギターが実演されるかその想定で作られている曲を指し、当面、それはロック系といえるが、ポピュラー音楽で「なんちゃってロック」があると必ずしも当てはまらない特徴 (e.g., ライブをはじめとする自然な演奏では無理な複数回にわたる強調型転調) を有するので、曲例とする対象には精査が必要である。
任意の楽曲には、音がミックスされて(デジタル環境でのマスタリングとは限らない)種々の媒体で提供された「ディスコグラフィ音源」としては直ちに演奏不可能部分があっても、少しの省略で演奏可能性が出れば、それは普通にロック系の楽曲として妥当な要件の一つを満たす。
メタルやパンクの境界が不明瞭なエクストリームメタル系、グラインドコア系の音楽では「標準チューニングとそのシフト系」と異なるものを多く用いている、とも私は知っている。
しかし、それでさえも、一例で7弦ギターの場合がどういうチューニングであるかを見れば分かる。
第7弦とかがB1かA1であるとしても、基本が標準チューニングとあまり変わらないか、E2, A2, D3, G3 に相当する部分を伴っていることがほとんどであろう。
結局は、それだけの演奏の可能性の制約があるし、実際に隣り合う弦の間で短3度(半音3つ)以下の音程しかないような調律を最も愛用する奇特な演奏者は、現実で存在しないことを私以外も認めるであろう。
そのような調律で、程度が弱めなものに関しては稀な例として実際に使われるので、以下を参考にしてもらいたい。
全ての弦が短3度以下の音程しかないディミニッシュな調律も載っているが、演奏家の具体例に関しては一般的な調律よりも挙げられづらい。
英語版Wikipedia - "List of guitar tunings". oldid=1033123767.
@他に示したい曲例(要変更)
401bar9 in /C♯m/ [I5 III5, IV5 V5] (215 BPMで1小節の半分の長さのパワーコード;メジャー調で度数表記すれば [VI5 I5, II5 III5])
202105112222bar37 □ |
私は参考までに、同主調どうしのDマイナーとDメジャー(一部Bマイナー)が混じったり転じられたりするようなロック系の楽曲を作っている。
2021年5月11日から6月中旬までの期間は38小節が作られ、6月29日までの期間は236小節が作られた。
202105112222bar37 in /Dm/ [I5, VII5, ♯III5, V5 ♯vi, I5, VII5, IV5 Isus2, iiφ V] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI5, V5, ♯I5, III5 ♯v, VI5, V5, II5 VIsus2, viiφ III])
;マイナー主音のDパワーコード演奏時、メロディはF♯ = 長III、F = 短IIIのどちらも鳴らすので、(同主調に限定された意味の)混合旋法になっている。3番めの和音=F♯パワーコードもメロディにあるA音符と合わせてマイナーコードと見る場合、(同主調からの)借用コードと理解できる。こう傍観者視点で記すが、作曲者およびコード進行の発案者は私なので、実際に私はそれを意図して作っている。
202105112222bar89 in /Dm/ [I, IVΔ7, VI VII, III IIIΔ7] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, IIΔ7, IV V, I IΔ7])
202105112222bar113 in /Dm/ [I, IV, VI VII, Isus2, ♯III] (並行メジャー調で度数表記すれば [VI, II, IV V, VIsus2, ♯I])
;言うまでもなく、マイナーキーのパートにして全てメジャーコードである;表記の誤りでなく。
これらのうち bar 89, 113 からの楽節に関しては、Dメジャーのコードが開始であることを理由にDメジャーの調で解釈できる。
そうすると: [I, IVΔ7, ♭VI ♭VII, ♭III ♭IIIΔ7] のような表記になる。
先の988からの3つの進行のうちbar 1, 5 からの楽節に関して、♭III, ♭VI, ♭VII度のパワーコードを見ることもできた。
こういう表記を好む場合、任意の「自然短音階」であるとか、「エオリアン・モード(エオリア旋法 Aeolian mode; これはどちらかというと現代ギリシャ語や教会ラテン語よりであり、古典ラテン語よりでアエオリアン、古代ギリシャ語よりでアイオリアン、英語に偏りたいならばイオリアン・モードとカナ表記する方が正しい)」であるように理解することもできるので、特に英語圏ではビートルズやメタルなどを分析する常套手段だ、と私は観測する。
さらに「エオリアン進行 (Aeolian progression)」と呼ぶ人もいる、と私は観測する。
私は何度も、「借用コード」「旋法混合」の方で解釈していることを表明している。
201小節からは第5, 4弦が開放弦で鳴らされて第6弦のみが運指の対象になるような(第3, 2, 1弦はミュート)コード進行というか演奏技法になっている。
これを見れば、ロックギターの楽曲のコード進行が演奏技法に強く依存している場合を感じるに違いない。
202105112222bar201 in /D/ [Isus4, I, Isus2, I] (sus4, sus2類を互いの転回として曖昧にせず、はっきりと分けることができる;転回形としての特徴は既に記されている)
;ここはDメジャーのパートであり、メロディ構成音がそのようにDメジャーのスケール、音階である。ちなみに、ペンタトニック、五音音階ではないので、判別しやすい。
2021年9月、このような同じ主音のコードのみで占められたコード進行の例を求めると、マイケル・ジャクソン Michael Jackson の"Black or White"イントロにあることが判明した。
それはEメジャーの調なので、実際に打ち込んだ:
The song in /E/ [Isus4, I, Isus2, I]
これは特定のピッチを指すならば、リフの一部が第2弦の開放弦Bもしくは開放弦でないEを弾き、第1弦がAとG♯とF♯を鳴らしていることでsus4部分や普通のIII度部分やsus2部分を鳴らしているようである。
標準チューニングで弾くことに問題ないという仮説に乗った見解として、私はそう解析した。
結果を再生して聴きながら、私の管理楽曲にも同じようにEメジャーの調でサスペンデッド・コード suspended chord を多めに用いるイントロの曲があることを思いだした。
以下である:
59bar1 in /E/ [I5, Isus2, Isus4] (最後の和音は2小節分)
;ロック系の作曲が多いベーシストによる作品。これは標準チューニングであるとみなすことのできるイントロだが、後々は半音2個=全音1個上げチューニング (F♯/G♭ tuning) と解釈したほうが合うように見える。
640bar1 in /E/ [Isus4, V7sus4, IVΔ7, IVadd9, vi7, vi7sus4, iiiadd4=11, vi7] (分数コード slash chord で度数表記すれば [Isus4/1, Isus4/2, IV/3, IV/5, vi5+7/1, vi5+7/2, vi5+7/7, vi5+7/1])
;多ジャンル作曲者による作品。ラテン系の雰囲気でギターソロも同じコード進行に乗せる盛大なイントロであり、これは標準チューニング、半音2個=全音1個上げチューニングのどちらでも開放弦で弾きやすいのかというと、否であった。Dメジャーに移調して標準チューニングであると考えても同じである。Cメジャーに移調して標準チューニングであるとは考えやすいので、このEメジャーでは半音4個=全音2個上げチューニング (G♯/A♭ tuning) が開放弦で弾きやすいという印象である。
サスペンデッドコードの話が、それまでの話題とどう関わるか、説明は難しいかもしれない。
単に技法として面白いから挙げる、ということ以上に、やはり、和声的な意味があると私は思う。
「借用コード」以外での「旋法混合」が、同主調間の転調におけるピボットコードであろう。
D sus2 である D–E–A, D sus4 である D–G–A は、もちろん、その構成音がいずれもDメジャー調とDマイナー調に含まれているので、その間の転調があるならば、「ピボットコード(ピヴォット・コード pivot chord)」と呼ぶことができる。
既に私の曲例1つ、世間での曲例3つが挙げられたように、標準チューニングなどのされたギターを使用した楽曲で使うには、都合がよい。
特に同主調転調や、旋法混合を狙う場合は、合う。
「ロック(および高い技術を要求しない雰囲気)のギタリストの演奏におけるジャーゴン的な演奏方法がある」ことを再現したい場合も、同様である。
総括して言えば、ギター主体の楽曲の和声的特徴の確立には、他のポピュラー音楽や古典音楽からの発想や他の楽器に関する要素よりも、ギターのチューニングが先にある可能性が高く、特にロック系のいくらかは確実にその例である。
そこに、既存の短調や長調の区分が適用できない楽節も含まれる、と私は考えている。
それに関して「ピカルディの三度を含む拡張短音階(8つの音があるが一般的な八音音階 octatonic scale の類型に無い)を伴う調」とか、「任意の主音がある短音階と長音階の構成音が混ざった独特な調」と私は考えていたが、新たに「任意の主音があるチューニングありきの独特な調」として単純化することになる。
音楽の分析に「文脈」の概念を導入した。
これは和声に限って言えば、任意の楽節の前がどうであるか、という意味で理解できるが、今回は楽曲の和声の外の要素を文脈として考え、そこから和声の意味(言語学からの比喩表現)を理解するものである。
・任意の曲がどのような人による作曲か?
;およびどのような協力者、助言者がいるか?
・その作曲者らはどのような音楽的キャリアや役割を持っているか?
・当該の曲が演奏可能性を考慮して作曲されたか?
・その作曲者らが思う当該の曲のテーマは何か?
;2021-06-04投稿など調の性格論についての私による一連の記事群も参照。
当記事の発想のための特定の和声的特徴の説明で、ギタリストでもある作曲者M(2021年現在、Sと名乗る彼はギターを弾いているように思えない)の楽曲群が大いに参考になった。
とはいえ、実際に演奏の腕のある人が曲例を演奏して誠実な意見をくださらない限り、確定的でない。
意見とは、「どの部分が演奏しやすいか、演奏しづらいか」。
私が多くの分野を学ぶことで、音楽でも、和声は単純に和声である以上に、歴史や具体例によって「実用上の和声がある」と感じ取ることになった。
これで私がロック系の作曲をする際も「Nメジャー調」や「Nマイナー調」である以上に、「Nギタリスト調」がある場合を理解して実際に活用することになる。
ロック系の楽曲では、ベースやドラムがリズムの側面を多く持ち、ベースが部分的に和声、ハーモニーの要素を兼ねたとしても、「面倒なコード」「パワーコードにしたくなる」ような要素を強く持つ楽器は、どうしてもギターになるし、ギタリスト個人の人格や性格に照らし合わせても、複雑な構成音のコードは9割がたの個人の大半の状況において敬遠されるに違いない、という心理面の詮索さえ、私はしていた。
その前提で、フレットの数は対数構造で実際は高音部が短いとはいえ、整数的でもあり、整数的に同じ距離感で運指することができるよう、同一の種類のコードに制約することで簡略化される。
これでギタリストの精神的負担は減るし、ライブなどで演奏する場合は更に簡略化することもありうる。
こなれた作曲の結論として私は考えるが、学問的には仮説の域に留まるであろうし、もう一度、その「誠実な意見」を望む。
個々の作曲で、ギターやベースのために私は任意のチューニングにおける第6, 5の開放弦の頻度を増やすなどしている。
起草日:2021年7月14日
この記事は、またしても私が「ポストモダン」とかと誤解されうるモデルを用いている。
この記事の目的は、私の和声分析や音楽構造解析の過程で学問の比較行為を導入し、音楽学の突破口を設けることにある。
また、ロックに関する話はその和声分析が主軸であり、応用として、演奏の初心者、初学者のために「やさしい」練習曲と、同時に必要な「やさしい」説明ができることを私は期待している。
私の記事は、多くの場合、実用的なものを志向している。
仏教学や言語学そのものに関しては、専門的な傾向であったが、他の分野では、当記事のように総合的である場合が多い。
専門的であっても、信仰であるとか語学であるとかに役立つものとして私は記してもいた。
何でもそれらの思考と知識とが、私自身においては、芸術と学問と日常生活とに活かされている。
私自身は、こういうわけでロック系の楽曲を作ることにも役立てられたり、良い作品が理論的に設計され、適切な時間で完成すると思っている。
当記事の目的により、ロックといっても楽器としてのギター、特にリズムギターのチューニングに基づく役割を重要視しているが、以下の2013年に投稿された記事の時と全く同じ考えであるはずはないことを確認されたい。
2013年7月11日公開『YouTube・ニコニコ動画にありがちな自作曲・オリジナル曲』
https://masashi.doorblog.jp/archives/29400474.html
2021年7月24日0時の文章:
任意の時代での主流または正当な和声の文の形態または文法が、使用楽器の需要拡大や流通量増加と高い相関性で簡単なものに改良され、その普及がある。
この現象が、大衆化、俗化として見られ、俗語や口語に相当する。
同時に、方言の派生のように和声的特徴の亜種ができているものと私は見ている。
長く演奏技術を追求して修練を絶やさない人は、面倒なコードの連続として作曲することにもやぶさかでない。
そうでない人は、例えば半音下降進行も三和音でなく下降部分と半音5つ以上の位置の構成音だけによる擬似コードを弾くような譜面に改良して困難さを減らし、面倒を回避する。
後者こそ、ある種のロック和声症候群とも見られる、ジャーゴンまたは方言のような定着であり、ロックの主流となっていると私は思う。
差別や優劣の決めつけを私は意図せず、個性や多様性を尊重している。
だからこそ私はどちらの特徴でも作曲しているし、それがロックのギタリストなどと理解し合う道筋の上にあると私は感じている。
当記事では一般通念にある「方言」を私が例示したが、それ以上に方言の言語学的な側面を記していないし、「標準語」という単語は出されてさえいない。
世の中には、この2つの概念の名称 dialect, dialects and standard language や区分を蛇蝎の如く嫌う人もいるので、少し説明しよう。
私はラテン語でもイタリア語でも漢文でも学んでは詩を作るなり歌詞にするなり、してきた。
イタリア語はイタリア国家の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前がダンテの『神曲』(Divina Commedia) でも知られる「トスカーナ方言」である。
中国語(普通話、官話)は中華人民共和国の公用語であっても、多くの階級と他地方出身者が用いるようになる以前が「北京方言、北京語」である。
i.e., Tuscan dialect, Beijing dialect.
過去に公文書を含む文語としての側面も強かったろうが、結果的に口語の側面も兼ねて非母語話者への教育にも望ましいものとして「標準語」が普及している。
ラベルとして"standard", "common", "general" (e.g., General American) など、異なるものが適用されても、言語の機能としては同じである。
なお、『神曲』で知られるダンテ・アリギエーリ (Dante Alighieri) は『俗語論』De vulgari eloquentia 著しており、1巻に彼の知る同じ時代のトスカーナの言葉にも副方言のようなものがあることを示していた。
彼は彼の生まれの言葉と、当時におけるもっともフォーマルなラテン語とを用いながら、できる限り分かりやすい言葉を目指してこの著作をしたためたのであろうし、同じことは12世紀や13世紀の日本の仏教僧侶にも言える(真言、念仏、禅、日蓮といった諸派にある、仏教学で私が示したこと)。
後世のナショナリズムでは、本居宣長からフィンランドのリョンロートまで、異なる立場も見える。
イタリック語派というよりはイタリアのロマンス語でいうナポリ語、シチリア語、シナ語派でいう広東語、閩南語など、私は、もちろん、同系言語群の別の現代言語の存在も十分に理解したつもりである。
また、英語ではイングランド領域にあるロンドン (London) の、そのまた経済階級の差で言葉遣いも異なったような歴史経緯があるが、現代英語のアイデンティティを示す文献でよく好まれるものは、KJV聖書とシェイクスピア作品と『失楽園』 Paradise Lost などではなかろうか?
所詮、そういうものであると歴史、地理、比較言語学の観点で私は熟知しており、何も標準語と方言の差を嫌う意味は無い。
互いの通じやすい言葉遣いを心掛けることはもちろん、自分の血肉にも等しい生まれの言葉を、「ありのままで」自ら重んじるだけの理由も付随する。
無論、非標準的なものはGoogle翻訳などの機械翻訳で不利になるなどある、といったことから、人間の差別感情に触れずとも「劣等感」を抱える人が少なからず現れる。
私が理解するように、方言と標準語という分別は、何も優劣や善悪を示すものでないことが、科学的もしくは社会的、哲学的、文化的な構造を解明することで理解できる。
日本語での「地方 (chihō)」という言葉の特定なニュアンス (province, locality) も、「首都、首都圏 (shuto, shutoken; capital region/area)」への対比で用いられるに過ぎず、「地方」ということはそれ自体、田舎 (country, countryside) であるとか、劣悪な鄙びた土地を指すということはないが、日本でこそ「地方都市」"provincial city"の行政区画なけれ、英訳の言葉としてはベトナム「城庯」や台湾「省轄市」を指し(英語説明が曖昧で単に"city"ともする)、中国でも「地级市 (regional-/prefecture-level city, prefectural-level municipality)」がある(東アジアに根強いとされる中央集権や全体主義の感覚は関係するか否か?)。
以前にも同じような話をしたと思うが、沖縄(琉球)や奄美の言葉も日本系の言語 (Japonic languages) のうちの方言ではなく独立の言語として、UNESCOなり学術機関なりが見立てている。
それにはそれだけの言語的特質があるということになるが、独立の言語として見られるかどうかはこの話に重要でない。
日本での標準語は、「東京方言」であるとか「江戸っ子ことば」であるとかと見るにも、難しいし、加えて、インフォーマル (informal) なものや口語や俗語といったことは、多様に定着しており、それはいわゆる地理的次元から言われる方言と別次元ながらほぼ同様に言語の特質の違いを持ってはいない(文法構造は変わらず、形態的 morphological な違いが中心であるため)。
2017年2月に私は、以下のような話題をブログ活動以外で記していた。
平安時代の国風文化以前に字音や訓読を考える記述は書物に見られるか?
伝教大師最澄 (778-822年) が法相宗の徳一 (8-9世紀、同時代の日本僧侶) の訓読を論う記述が、「守護国界章」に見られる。
守護國界章・卷中之中・彈謗法者僞譯如是章第十二 (弾謗法者偽訳如是章)
「如是我聞」の訓読もとい「日本方言」について、まず初めに「許禮阿何伎伎之何其都之 (許礼阿何伎伎之何其都之)」という例を挙げてある。(後略)
オサレ作曲に古今東西の言語知識が必要かと言えば、絶対条件でないにせよ、私は突破口を見出すための手段として必要になるものと思っている。
後で「Nギタリスト調」に相当する世間の曲例を探そうと思ったが、以前にも探したように、Google検索では発見が難しい。
代替表記 (e.g., "biii", "bvi", "bvii") やコンマ区切り (e.g., "d a c g"ではなく"d,a,c,g") といった検索スキルを駆使する必要がある。
1個でも掘り当てれば、同サイト内に多く見当たる場合がある。
例えば、やはりと言うべきか、英語圏ではRedditに多く見つかった。
ここで一例を示す:
"Songwriter looking for a chord progression list with borrowed chords"
https://www.reddit.com/r/musictheory/comments/c2jw7n/songwriter_looking_for_a_chord_progression_list/
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