2014年8月18日月曜日

私が絵と音楽を手放す瞬間 儚き夢の幻想



私は昔、友達が欲しくてみんなの話題といえばまずテレビ、ということで当時バラエティ番組やドラマなど視聴し続け、クラスの中じゃおそらく私が一番というほどの知識をつけた。
ところが、そんなものは喋らせてもらえる機会がない私が覚えたところで、無用の長物であった。

今からすれば、当時の自分が幻想に囚われ、踊らされていたことは馬鹿げてるとしか思えないし、芸能関係に2012年以降も未だに釘付けになっている人間はより馬鹿馬鹿しく見える。
ということで今の私は2011年の家出以降バラエティ番組は大嫌いだし、ドラマ等も見ておらず、ネットで流行の深夜アニメも同一視しているから無論アニメの話題も滅多にしなければ、2012年いつかからアニメ自体自発的に見ることはない。
このような世俗は本来もう少し高尚な業界だったかもしれないが、今じゃ友達ごっこの繋ぎでしかないと思うと下卑た分野に落ちぶれたものだなと感心。


私は今、絵と音楽を嗜む芸術家的な趣味を持ち、近頃は毎日のようにお絵かきや作曲を続けている。
しかし、これももしかしたら何かに囚われている渦中ではないかと思える。
絵と音楽は趣味で、秘密裏に行い自己満足に終始させ、他人に見せびらかすものでもないかもしれないが、私はネットに臆せず載せている。

これはある種、変化を求めての行動だろう。
ネットに載せることで、この趣味を自己満足に終らせず、上の階層を目指す。

残念ながら、過去には変革を求めて努力しても自分が気付く範囲で違いが現れるのみで、理想が叶うことはなかった。
常々書いてる、猛特訓の末に体力テストで飛躍的に記録を伸ばしたが、いじめの効力は生まなかったというのも好例である。

尚且つネットに載せることに功罪があるが非を挙げるならば、それを火種に中傷が起きること。
そしてその時に「絵も音楽も下らん、やめてしまえ」と投げ捨てるのだ。

幸い、今の私はその状態にないが、過去の例からすれば、いずれその面に堕ちるかもしれない。
そんな悪しき例の集合体が私ではなかろうか。
いつも同じ手法で己の知る範囲では卓越するのだが、それを発揮する場所がないならその才能は死んでしまうということだね。
まあ、現行の"幻想"である絵と音楽は未だその領域を得ていないけど。
というかこれからも花開くことはなさそうだね、鍛錬の時代と同じように飛躍的に伸びるが、凄く優れたというほどでもないところで止まるだろう。

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