養護施設シリーズ3記事目。
私の人生には大きな分岐点が15歳までにいくつもあった。
普通の人はみんな同じように学校通って卒業して、就職という何の変哲もない人生を送るに違いないし、進学や卒業や就職なんてみんな同時期に決まって与えられるため分岐点でも何でもない。
いわば大きい道(一般的な国道N号線など・重複区間云々はさておく)を歩き続けて小さい脇道を気にすることが無いことと同じである。
ところが私は人生で多くの引越しを重ね、親が小5で離婚して父親と二人暮らしになったりタイトルのように弟と引き離されたり、父親の家から遠い母親の家へ家出したりと、他人にはありえない分岐点を持った。
いわば中ほどの広さの道に同等の広さの道のT字路が続くようである。
一時、弟と生き別れたこと(後に再開)は、ある種の武勇伝にも類するものだが(他人にない悲劇を抱えたみたいな)、やはり正常な人生を過ごす上で私には損失を被った一大危機だったのだろう。
まあ生まれから正常じゃない私が正常な人生を求めるのは困難か。
私が中2の時にいじめ等で不登校になってしまったのも、弟が父と私と共に住んでいればもう少しは防げたに違いないだろう。
そして、不登校になる前から父親と家庭内別居にあった私も、家庭での孤立を防げたであろう。
なんだかんだ小4離別前は仲良くした弟たちだから、些細な兄弟喧嘩くらいあっても無問題だろうし、ましてや互いに励ましあって通学の継続もできただろう。
みんなで仲良く小学校に通い、私だけ中学校に進学してからも同調の意識で、弟が通ってるなら自分だってという発想から不登校にならずに済んだだろう。
そして、私が中2になれば上の弟も中学に上がる。
下の弟(知的障害児)は私が高1の場合、最寄の中学校に特別支援学級がないため、少し離れた他校への進学を余儀なくされるがね。
まあ親の誤った判断のせいで、現在は私(父宅→母宅へ家出)と上の弟(母宅→父宅へ追放)共々中卒無職で、知的障害の弟が頑張って中学に通えてるのが救いか。
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