2014年8月23日土曜日

環境が自分の思う範囲で必要程度に達しない場合、例えその分野の能力はあっても不向きなのか?

私はいつも、絵にしても音楽にしても環境のことで嘆いている。
もう少しでも充実した環境が欲しいと。
同じ素人の立場でも私より適した環境が整っている人は多くいるが、私の才能がその中で抜きん出ているが結局環境が劣るためいまいち進歩がしづらいと。

私はネット上の素人・アマチュア・同人系の人々を見ていて、私よりずっとマシな道具を使い作品を作っていると見ている。
だからこそ、立場は近いはずなのに自分と違う、より高度な道具を用いてることが羨ましい。
俺はそんな少しの投資で得られる道具を、環境を揃えられないなら不適合なのかもしれない。

この期に及んで"何たらかんたらBlames his tools"という諺を見て、「それは詭弁だ」と内心で強く反発したわけだが、やはり環境が整っていない時点で能力あっても不向きなんだ。
そういう人はもっと他のことをすればいいんだ。
それが不適合ということの筋になっている。

俺はいつだってそんな他人より劣る環境の中で努力してきた。
そんな逆境の中でそれなりに適応乃至昇華するための構想を練ってきた。
今直面している絵や音楽の問題も、不適合な環境で如何に上を目指せるか、我慢しながら、臥薪嘗胆の思いで試行錯誤を繰り返している証であるのに。
私の精神や執念を根本から否定することばかりネットに散見される。
関係ないときにそれが目に入る。
親などの家族もその懊悩の時間を知らないし、知る由もない。
邪魔ばかりされて自信を失いかける。それでも続ける。闘い続ける。

俺はいつも環境が悪くて挫折してきた。学校生活など。
そこでの環境とは周囲の人間との相性である。
生まれつきの軽い障害は、健常者にも障害者にも同類がいない状態を作った。
普通の道も外れた道も、前途多難を極めるもので人生ハードすぎる。
ハードより上の難易度の呼称って、ゲームによって分かれるよね。余談。

以前の記事の冒頭にも綴ったが、普通を志して上手くいかなかったから今の流れに向いたはずだが、これも難儀するっぽい。
自分の道を見つけられる日は来るのだろうか。


中1の俺にこう諭すことが出来るなら、当時の俺が志す道を上手く辿っていたかもしれん。
「軽い障害があることを割り切って、どうせ幼い頃と違って友達なんか出来るわけがない。だから世俗に囚われず、冷静さを貫いて、鍛錬と勉学に励むのが好ましい。何も他のアホみたいに成り下がってまで凡人の振る舞いをしなくていい。今のお前には味方を作る必要は一切ない。」
俺の今の姿を映せば大きな説得力になる。
当時の俺は想像だにしなかっただろう、4・5年ばかり未来の俺はこんな姿であること。

どうであっても思い描く成功に全く結びつかない俺は、過去の俺にそう戒めたところで、異なる不条理に妨げられてまた挫折してるんだろうね。
多くの人間が大した悩みもなく俺より上手くいってることが羨ましいよ。
親などの遺伝子が成功させない作りなんだろうね、弟達も俺みたくツイてない人生だし。

俺を不快にさせるネット上の文章は全て詭弁の塊だよ。
人を困らせてそんなに楽しいかい。
もちろん俺に宛ててるわけじゃないのはわかってるが、だから不快なんだよ。
17歳のか弱い人間を困らせるのが楽しいかい。
そんな人間の存在自体詭弁だよ。


私が絵と音楽、高度な言語を得ようとした大きな動機は、いつも見下されていた俺、明らかに自分に劣る人間にさえ見下され続けていたところから、相手に俺は優れていることを伝える簡単な手段をそれらに見出したこと。
もともと勉強は出来る方だったが、友達作りの為にアホなキャラを演じたのが奴ら真性のバカに余裕を生ませた上、それで友達になられれば目標達成だが、それどころか壁を生む結果にしかならなかった。
俺は自己研鑽を続けた。しかし一向によくなる気配はない。
只管逆行し続けた俺への扱い。

5度目の不登校になる以前からネット上の某所で私は学校生活と重なるような処遇を受け続けていて、俺の覆したい欲求が一層強まる。
今は当時の人格と違う状態であっても、その欲求は変わってない。
この活動の原動力も、一種の承認欲求であり、能力の高さを万人に認めてもらうことだろう。
しかし変なアンチを作ってしまうなど、当然うまくいってる感覚はない。
ネット上の某所時代とさして変わらず。学校生活とさして換わらず。
俺を見る人間の俺への対応がさして変わらずその裏で、俺は日々実力を付けている。
それでも他人はさして変わらず。

運が悪いからか黒幕が仕組んでるからか俺に付きまとう結果はいつも同じ。
俺が何度変わっても回帰する結果は変わってくれない。
未来永劫苦境輪廻の渦から逃れ渦に飲まれ揉まれ


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