2014年8月7日木曜日

私の上の弟(父宅居住)の通学記録

中学に上がってからは慢性的な不登校と化して、現在は私のように中卒無職と成れ果てたであろう弟が如何にして現在に至ったか、軌跡を辿るもとい通知表を見て確認する。


さいたま市立常盤小学校
小1・・・通知表発見できず。記憶では2学期か3学期から不登校?その頃に、万引き自慢を私にしてきたことがあった。私でも万引きは当時したことがなかったが、弟に影響されて、以来数度万引き経験がある。
小2・・・不登校、7月に同県○×市内に引越し、私は9月から現地の小学校に通い始めたが、彼は知的障害の弟と共に8月に中央児童相談所→児童養護施設上里学園へ。

上里町立七本木小学校
小2・・・通知表発見。9月転校から3月まで10月に欠席1、9月に遅刻1だけと飛躍的な改善。親元から離される無慈悲な運命に晒されるも、かえって功を奏した。
小3・・・なぜか通知表発見できず。おそらくは、欠席1ほどで済んだのでは。
小4・・・通知表発見。冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める。そのため、4月から12月までの間、7月に欠席1のみだったが3学期から記録なし。

豊橋市立飯村小学校(姫路から1~3月中に引っ越した?)
小5・・・通知表発見。4月欠席5遅刻3、5月欠席2遅刻1、以降は年度末の修了まで全部欠席。いわゆる不登校が、再発してしまった。
小6・・・通知表発見。4月は全欠席も、5月から復帰を目指し、交流学級(保健室登校の色違いか)等で年間要出席日数193日の内、欠席76早退109遅刻2だそうだ。数字が合わない理由は、推測だが要出席193日というのは普通児童のものさしというだけで、弟は弟個人向けの数字が必要なのに用意されず普通児童と同じ表示にされたのだろう。あるいはただ単に残りが通常出席か?出来の悪い通知表で、普通の出席日数の記録がないのでわかりづらい。

豊橋市立○○中学校(ここで市内引越しをしたため、飯村より遥か遠く)
中1・・・通知表発見。入学式に出席したかはまだ一緒に住んでないため不明。4月16日の俺が豊橋旅行という名の家出で同居開始した。4月から10月途中まで記録があるも、以降記録なしということは弟が学校に見放されたということだ。
中2・・・通知表発見。4月だけ遅刻込み早退5の出席。一緒に住んでた俺は当時その動向に気付けなかった。8月に埼玉県内の父宅へと追放に遭う。
中3・・・父宅学区の○○中学校への転校もないまま豊橋の中学校を通わずして卒業後、現在中卒無職。


このように私の上の弟は私とはかなり違う境涯を経て私と同じ先へ行き着いた。
あのばあさんなどが負のDNAをバラ撒いて、クソ親が育てればどんな発育環境の相違があっても、一様に中卒無職になるからね。
じゃなくても下の弟のように知的障害として生まれる。

俺が優れてるところは、このように徹底的に調べて客観的証拠を交え裏づけることや、自ずから学ぶ意欲が強いところ。
あの弟はゲームして過ごすことしかなかったし。
母親だって以前、学校に弟を通わせようと努力したとか感情論唱えてるけど、客観的なデータが全てを語ってるよ、通わせようとして中学3年間で遅刻早退5以外の出席0か。へぇそう。
百歩譲って努力したことを認めても、3年間で遅刻早退5以外の出席0じゃ誰にも信じてもらえないし、信じても大した結果の得られない無駄な悪あがきだね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。