2015年8月29日土曜日

閑居求道者が隠棲覚者となる日まで

私が、閑居して人身究竟の道を求める意(こころ)とは何か。
十余年の苦楽を経て識った答えがある。
己の名も分からぬ歳で頭頂がハゲてしまった件を濫觴とし、その後の境遇は明らかに苦難の連続、刹那的な快楽ばかりで、次第に誰もが己に平伏する完璧な富貴の人にならんとする野心をも生んだが、それは泡沫・陽炎に過ぎなかった。
世俗・社会の道を外れた先の住まいでも、「衣服不足(えぶくふそく)・飲食麁粗(おんじきそそ)」と、ありふれた安逸にありつけることも無い自分は「求財不利(ぐざいふり)」の人生を進んできて、余生もまた然るべきものと、答えを識るに至った。

二十歳に満たない者が、自ずとこの世間の実相の一端を識るに至ったことは、偏に仏説に値えたが為であって、稀有にして僥倖であり、それは多くの濁世の大衆は終生識り難くもある。
この上は、孤陋のようでも研鑽の日々を送って、最上の真実を識らねばならない。
私の文章の全てがたとえ「有所言説人不信受(うしょごんせつにんぷしんじゅ)」とされても、詳らかに顕示する。
「止暇断眠」の研鑽による「蛍雪の功」は未だ遠い・・・。



私はよく「子供のまま・15歳から人生が止まっている」ことを実感する。
意義は多々存するのだが、例えば全ては豊橋の母宅に小旅行もとい家出したところに収まる。
2011年4月18日その日より、豊橋の外に一歩も出なくなってしまった。
前の家では、2010年8月から髪を短く切ることはなくなってしまったりと、計り知れない。
小6から着ている部屋着を中3の時に来た写真と現在を見比べても、身長の伸びを感じないし、具体的な身長は中2はじめの発育測定から一度も測っていない。

「子供のまま」といって、ただ知能や精神が発達せず大人になった状態に当てるのとは、方向が大きく異なる。
子供は子供なりに、子供としての期間で大きな成長を遂げる。
中3までの私でも、十分人並みを外れた否、凡庸な大人共にさえ勝ると自負していた。
そういった見地においては、今も優れた子供という点に変わりが無い。
そしてその子供が、子供らしく「おべんきょう」を続ける。



連日文章を書き続けることに自ら疑念を懐いて、やや億劫になることもある。
否、文章を書き続けることが私の本分だと自覚せねばならない。
利益も無いのに身を粉にするが如く勤しむ必要は無い、余事に捧げたい時間が惜しい、PCのキーボードが壊れそうだ、PCの寿命が縮みそうだ、など弱腰になってしまうが、その疑念を断じて尽かすべきである。
こうして修練を重ねることで、現世における無上の智慧・識を得られるようになる。

PCに度々問題が起きようとも、小5期とは異なって2011年6月末から今日まで、正常とも言いがたい正常の状態で動作している。
だから、可能な内はネットに多く自分の言葉を綴った文章を残す修練を続けねばならない。
その目的は、多くの人の目に入れることよりも、まず自分の思考や生活の記録のためであり、後日にはそれを見返して確認することで再度役に立つ。



8月はほぼ毎日1,000~3000文字の日記メモを書き、本家のブログ記事もそれなりに投稿した。
例えば本家の記事投稿回数だけならば、2013年9月下旬~12月下旬まで、3日に1回以上投稿していたことと比べれば、今は1~2週間以内という何とも疎らなペースで粗末に見えてしまうが、1記事あたりの文字数が尋常ではない。
学術的メモ帳も月に19回投稿した2014年10・11月と比べれば、当記事を含めてたった3分の1以下の6回しか投稿できていないし、月初の日記メモまとめ記事を除けば約4分の1とも言えるが、これも文字数という質の差が大きい。
いわば、現在で言う日記メモクラスの内容を記事にしていたような例が、学術的メモ帳も本家記事も多かった。
本家では毎記事トップに画像を付けるしきたりが開設より間もなく始まっていて(初期は例外もある)、3日に1回以上投稿していた時期も一貫しているのだが、このあたりは今でも見習いたいとは思う。
日記メモ投稿日数の多さも、例えば「昨日は22時寝た。今日は朝7時起きた。」を1ヶ月通して書けばそれで最大31日を埋め尽くせるが、それでは有って無きようで空虚なものだから、この点でも今月の投稿日数に文字数の多さを考慮すれば濃密な実体が分かる。

今月の話に戻すと、音楽館の記事でも一つ調査のレポートを長々と書いて、音楽関連の活動もこの一年で最も多く作曲・某サイト投稿を成し遂げた。
その「音楽館の記事」の投稿予定リンク→http://deathmetal.blog.jp/arc/Aug-21-2015.html
今年の8月は勉強にしても創作にしても、並行して大いなる功績を挙げたのであった。



一方で食事量はますます落ちていき、気付けばお湯などを片手に作業を続けている。
こういうわけだから、今月ついに最低体重が45キロを割るに至った(後述)。
8月の日記メモで幾度と話題にしている「買出しのペース半減」に一因があると言えるが、何と言ってもそれで一度も母親に不満を漏らさない私の精神力である。
この食糧難こそ即ち修行の絶好機であるとして、水ばかり摂るような生活を続けられる。
この話題で母親に何か訊いたかといえば、せいぜい「今後の買出し方針を決めてもらわないと、品書きメールが書きづらい」ということくらいである。

ぬるいといえば未だぬるい苦行かもしれないが、こうした自戒の精神は長い時間漸次強まっており、それが数値として表れもする。
もともと私の身長が、正確に測れていないため不明だが推定約170cmとして、体重はピーク時(1年半以上前)の55キロから、今では10キロも下る44~46キロ台に落ち込んでいる。
自分の外見にも幾許か痩せた違いが見受けられるが、それでも10キロの差は考えづらい。
ともあれ、同じ体重計(体組成計)がこう表示した数値を素直に受け止めると、清く慎ましきこの生活の精神が、数値の推移にも比例して反映されることが分かる。

関連記事
「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html



「不知世間・能識世間」

我を過ぎて世情を知れる者は、あたかも海中の沙の如くに多し。
我を措きて世間を識れる者は、さながら爪上の土ばかりに少なし。
世の人の云ふところの世間を知らねども、世間の濁りたる様は識れり。
妙法蓮華経譬諭品にのたまはく「三界は安きこと無し、猶ほ火宅の如し」と。
増一阿含経善聚品の偈にのたまはく「愚者の常に喜悦すること、また光音天の如し。智者の常に憂ひを懷くこと、獄中に囚はれたるに似たるが如し」と。
我常に暗室に居りてもいづくにても、安からずと覺えたり。
人界に身を受くるを徒らに悦ぶ勿れ、況や財物名聞を得ることにおいてをや。
設ひ天上界なれども、三界に生まるゝは都て偏に過去世の善業足らざるの故なるべし、其の中で得る名利は夢の中の榮華なり。
唯佛の敎(教)へに値へることこそ今生での悦びなれ。
されば、賤しき身も佛道を歩ましめ給ひ、人界唯一にして眞の悦びを得ること、その德(徳)は名利富貴の人に百千萬億倍勝れたらんと思ひて已むことなし。



※阿含経の偈について訓読文のワードを断片的に完全一致検索(歓楽・愉悦など表記揺れを回避する策)すると、日本では変な解説ページや、浄土真宗の人だか禅ファンか唯識勢か不明だが浄土真宗の教義に折衷し、ましてやとある教えでは「智者・愚者」の位置をどういうわけか逆に換えて換骨奪胎していた(文脈が不明なので評価も出来ない)。何かの状態を指すにも、この偈の文言の主語のみ入れ換えたものを書く必要があったのだろうか、誤解が起きよう。例えば自分で「智者常安楽・猶如雀歓躍」とでも表現を大きく変えて創作したらよいのに。
それと、「三界家宅」と「智者・愚者」の偈をどちらも引用した日本のページは、「宝物集」という書の全文を載せたdocファイル(読書よりも異本の研究ページっぽい)のみがヒットして、それ以外は中国のサイトにすら無い。引用元を「正法念経」とするところは、往生要集と一緒であり、念仏交じりの平安天台宗らしいとは思う。



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