2015年6月24日水曜日

有名なフレーズ・引用する文・故事は典拠を探して原文を確認する

先日の拙論文では、後書きにてその論文の題名の由来が有名なフレーズをもじったもので、更にそのフレーズの原文も引用して少々説明を行った。
そのフレーズ自体が本来の原文を漢字五文字に短縮した略語であるため、該当箇所の適切な範囲を正しく引用しておいた。
"当記事の頭で「社会即宗教論」と号したが、これは天台大師の摩訶止観の一節「若深識世法即是佛法(若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり)」を略した「世法即仏法」を由来とする。"

思えば、元々仏教関係自体、経文などの「文証」を示す決まりがあるのだが、今のネットを見ると情報が一人歩きしており、ましてやその原文が如何なるものか、探しもしないのではないか。
すなわち、誰かの投稿に引用されたフレーズを我が物に孫引きしているように見える。
私の場合それに留まらず、しっかり原典より原文を探して、それと思しき箇所を確認したところで納得がつくものだ。
故に、先の拙論文においても、日本のネットではあまり引用されない長めの原文を示した。
ついでにいうと、この拙論文ではドイツの学者の言葉も引用しているが、それはなお有名であるから、Wikipedia記事やWikisource原典を探して確認して、URLリンク付きで引用した。

仏教以外の書=中国などの外典や、西洋や近代日本の論文など、Wikisourceをはじめ、真面目に探すと原文が見つかることも多い。
それでは仏教関連の場合に私はどうしているかというと、まず大聖人の御書なら創価学会の検索システムが便利であり、続いて御書以外の経・論・釈ならば大蔵経(大正蔵)DBを利用する。
どちらも知らない人には難しそうで、私もいずれのサービスの存在を知った当初には難しく見え、利用には消極的だったが、検索したいワードを検索欄のあるページで打ち、検索すればよい。

特に大蔵経DBは、新字体や簡体字・繁体字などの原版(旧字体)と異なった表記で検索しても、指すところの同じ漢字が引っかかる仕組みも備えている。
例えば、「経」や「釈」は旧字体・繁体字だと「經」や「釋」であり、多くの書のデータがこの旧字体・繁体字の字形を多く採用しているが、こういった違いで検索結果ゼロになることもない。
漢字が主体の世界において、これは稀に見る親切設計だと評価したい。
※私が大聖人御書を引用する際は、校正がしっかりとした日蓮正宗版を用いることもある。



それでは、今月中に「あの格言・あの譬喩」の原典が何か、或いは訓読文の典拠が示されるだけで原文の漢文が如何なるものかなど、探した答えをまとめようと思う。
聞いたものが訓読文の場合に大蔵経DBで経・論・釈を探す時は、元の漢文を推定してから検索することも多い。
その他、訓読者や引用者の表記ゆれなど、適宜加味して検索ワードを考慮する必要もある。



大石寺第六十八世日如上人猊下が「第二祖日興上人御生誕七百七十年 奉祝大法要の砌」において撰時抄の一節の講義をされたそうだ。
上リンク先ページの最初の閲覧が2015年6月8日、この時から6月21日まで「非想非非想天の欝の頭」と「飛ぶ狸」のことが印象に残り続けていた。
6月21日にその逸話について色々と調べたのだが、典拠と思しきものはなかったものの、新たに知ったことが「鬱頭羅弗」の「羅」は「藍」の方が一般的、サンスクリット名の「ウドラカ・ラーマプトラ(パーリ語でウッダカ・ラーマプッタ)」の音写には、一般的な「欝頭藍弗」の他に「舎利弗→舎利子」となるに同じく「欝頭藍子」という表記もあり、「弗」は漢訳すると「子」を意味し、片親の名前に付けて作られた苗字で、アメリカ等の「父姓・父称姓"son"」にも似たものである。
蛇足だが、プトラ名はサンスクリット語でプッタ名はパーリ語という表記と、プッタ名もサンスクリット語だという説明がWikipedia内でバラバラなのだが、合理的な根拠はあるのだろうか。
その他、「欝頭藍弗」が三界の最上・非想非非想天=有頂天の悟りを出家間もない釈尊に示したところ、釈尊はそれを即座に体得してみせたが、それでも真の悟りではないと覚って満足しなかったという、某漫画的な話(私の主観)も見られた。

6月22日になり、再度典拠を探してみたところ、経の中では「佛本行集經 (闍那崛多訳)」に「優陀羅迦羅摩子」として欝頭藍弗が登場しており、それらしいストーリーも見られた。
続いて有名な「大智度論 (龍樹造 鳩摩羅什訳)」では、特に日如さんの言葉とそっくりな形で見つかった。
「久しくして定を得て非想非非想天に生まれた」という表現が「此人久後思惟得定。生非有想非無想處」と類似している。
「下生すると、飛狸、飛ぶ狸となって諸々の鳥や魚を殺し、無量の罪を作って三悪道に堕ちた」と「下生作飛狸。殺諸魚鳥作無量罪墮三惡道」もそれであるため、日如さんは恐らく大智度論を典拠にこのことを話したと思われる。
逐語的な話し方では初心者に難解の説法となろうが、おかげで私などの中級者には原典を参照しやすく、良い一面もある。



「誑惑の正本堂 崩壊す!!(還御を寿ぎ奉る - 魔の殿堂 正本堂 音を立てて崩れる)」の「大聖人の御遺命 耳朶を打つ」にて御書より「滝泉寺申状・撰時抄・立正安国論」を引用している箇所がある。
いずれも本来は経文か釈書の訓読文で、数ヶ月以上前から「どれかが涅槃経由来」という認識があったが、曖昧であるためこの際、明確な典拠を探した。

「若善比丘見壞法者。置不驅遣呵責擧處。當知是人佛法中怨 (大般涅槃經 - 曇無讖 訳、慧嚴さんのものは後の修正版=添品妙法蓮華経みたいなもの)」
「寧喪身命不匿教者身輕法重死身弘法 (大般涅槃經疏 - 章安大師灌頂 撰)」
「若有正法欲滅盡時應當如是受持擁護 (大般涅槃經 - 曇無讖 訳)」



有名な四箇の格言のうちの「禅天魔」の説明では「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」が言われ、御書では「蓮盛抄」のみに引用される。
「蓮盛抄」は、禅宗の根本教義を厳しく呵責し、木端微塵に破折し尽くす内容である。

この引用文の典拠・涅槃経には多く「魔の所説に随順する者が魔の眷属」と書かれており、粘ってようやく「仏の所説に随わない者が魔の眷属」という文章を見つけた。
すなわち「若有不隨佛所説者是魔眷屬」という箇所か「是佛所説。若有不能隨順是者是魔眷屬」という箇所になる。
前者には「当に知るべし」と「是の○は是れ」などの対訳がなく、後者にはその二点の対訳あれど、新しい表現が増えている。
私の浅学では、どちらが「蓮盛抄」の当該箇所であるか判定不能で、また他にもっと当該箇所にそっくりなものがあるかも見つけられない。

他に印象的な「願ひて心の師と作るとも、心を師とせざれ」という涅槃経の一文も調べたが、「願作」で「寶積部・涅槃部」を検索すると「願作心師不師於心」が出てきた。
実に涅槃経の出番が多いことを実感するところである。



法華経の正義を示す無量義経の有名なフレーズ「四十余年未顕真実」は、大蔵経DB (大正蔵)において「四十餘年未曾顯實」となっている(新旧字体の違いに機転を利かせて)。
「未顕真実」と「未曾顕実」では意味は大して変わらないが、使われ方は当然前者の方が一般化しており、実際に天台大師・伝教大師はもちろん、日蓮大聖人も多く引用された。
ある者は「異訳本があるのだろうか?」と見ているが、どうだろうか。

大蔵経DBの当該ページの冒頭に訳者の曇摩伽陀耶舍の言葉が述べられ、そこでは「復云(またいわく)未顯眞實」とあり、「未顕真実」の語を用いている。
「四十余年未顕真実」の語が抜きん出て有名でも、このことは未だ知られ難いようだが、人々はやはり原文を見ずして探さずして、好き放題に「○○経には~」と言っていそうだ。
件の大蔵経DBと私が称している元は、高麗大蔵経といって日本と異なる地域の経巻を参照しているらしく、日本では「未顕真実」という文字列の経巻のみが伝わったか?

※7月1日になり、このようなページ(リンク先)を見たが、ここに「未曾顯實」について触れてあり、真偽のほどは判断しがたいが、参考にはなった。こちらでは、その序文が「荊州隱士 劉虬(りゅうきゅう・るく)」の説だと書いてあり、私が「訳者の曇摩伽陀耶舍の言葉」と上で書いたのは誤解で、確かに大蔵経DB当該ページにその「劉虬」作と表記されている。



でもまあ、少し考えてみると、小難しい原典や原文を随所に書かれては馴染みの無い人にとり、難解に思えてしまうだろう。
日蓮系仏教関連では、大聖人の御書・経文などから直接引用することが多いが、経文なら訓読文・そして現代語訳(通解・意訳)を載せることも多い。
私はこれらからも原理主義ならぬ原典主義として、多少の難度はあれど原文を重視していきたいが、場所によっては手段を選んだ方がよいこともあろう。



追記: 2017年中
本文中の「知道寺ホームページ」さんのページのリンクを、同サイトのコンテンツを全て引き継いだ(法水瀉瓶)「聞仏寺ホームページ」さんのページのリンクに差し替えた。
旧 http://tidouji.la.coocan.jp/gosinann/housyuku770.html
新 http://monnbutuji.la.coocan.jp/gosinann/housyuku770.html

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