2015年6月3日水曜日

「理と事」の概念に基づく整然とした思考を (事と理)

「理」とは理論・理屈のことで、「事」とは事象・事実のことである。
「理と事」の概念は、主に仏教を学んでいる過程で思考に浸透して備わった。
というと、「理同事勝」や「理の一年三千・事の一念三千」といった日蓮系の研鑽の中で覚えたものだが、これは後半に詳述する。



「理と事」の例を挙げると、例えば誰かの理に適った思考があるとして、その人がその内容を事細かに言葉で表せないとしても、確信を持っていれば要点だけ「私はしっかり論"理"的に考えた末、"事"実としてはこうなると断言できる」と話せるのだ。
その弁が理に適った答えであるかは、実際に起きることを確認すれば明らかとなる。
私が理を噛み砕いて説明をする中で、仮に思考が錯乱して言葉が詰まるような状態となったとしても、平静を取り戻して「事実確認」の旨を頼めばよい。
事実に符合する理論であるなら、その正当性が事実に反映される。
「事実確認」に念を押すことが実は、最も理を噛み砕いた表現になるのだ。

例えば、3000年前に天才の人が「我々の住む土地は丸い星なんだ!球体なんだ!」といきなり悟った事実を話しても、当時の人類には到底理解できない。
現代でこそ星の外から地球を見返すことはできても、当時では実質不可能である。
せいぜい、「空に浮かぶ星と我々の住む土地は同じ性質なんだよ」とその事実を理屈として、演繹的に話す手段しかない。
航海技術が進んだ500年以上前になってようやく「西洋から西に船を進めて東洋に至る」という仮説を実証できるようになった程度である。
航空技術や軍事技術も成長した末に、星の外まで飛べるようになった現代、「この目」で住む土地の丸さを見て、球体であることは反論なく証明された。
「百聞(理)は一見(事)に如かず」という有名なことわざに、「理と事」の差がよく表れる。
※無論、科学では「目で見た」ということが、それだけでは客観的な物の性質や状態に対する証明にならない。ただし、当記事の話題に合わせれば、近代までに様々な科学的・数学的な理論の提唱と実証がされてきた結果に星の外から俯瞰して球体だと視覚的に認識し得るという事実認識も、証明の手段となるし、科学で一般には事実として承認されている。そうでないと、地球が球体であるという前提による天文学などあらゆる分野での研究ができなくなってしまう。

正しい理論の場合は如実に事実の形として出るが、稀にどんな理を尽くした計算をしても、事実の形、結果が異なる場合があることもある。
例えばオーディオファイルの".mp3"や".wav"のサイズは、ビットレートと再生時間で算出されていることは、理論に基づいた事実の形である。
オーディオデータの内容が無音であっても会話音声であっても激しい音楽であっても、同じ長さと同じビットレートでは同じサイズが算出される。
一方動画ファイルの".mp4"や"wmv"などはビットレートと再生時間、フレームレートなどの数字に出た情報のみでファイルサイズが算出されるわけではない。
中身が無地・黒地のみのデータや静止画ならば、同じビットレート・再生時間・フレームレートの映像に動きがある動画ファイルと比べて、ファイルサイズが大差で縮む。
動画ファイルについては、この他に圧縮などの関係も含めて話すべきだが、ここでは割愛する。
いずれにしても、オーディオファイルが公式理論に密接な数字を出すことに対し、動画ファイルでは必ずしも理に即した事の数字となるわけではないとわかる。



5月24日2時に考えていたことも、この「理と事」に区切られる。
隣のI家の夜間における車の出入りに関する推量をしていた。
その推量自体は「理と事」に無関係だが、軽く記録に取ると「土曜22時~27時くらいに女性1・2名ほどがI家の老年女性に会いに来るが、5月23日は22時半にやって来た。そして女性の車が敷地の外に出た途端に入れ替わるが如く中年男性の車が帰ってきた」という状態であった。
翌24日2時の状態に戻すと、そのI家の男性の車が無いように見えたが、これはどうも暗いためそのように見えただけで、車はある。
これに伴うその思索の全貌を、遂に話すことが出来る。

「夜中に車で出かける用事」があるとすればどんな用事であるか、次に徒歩なら怪しくないのか、次に自転車の方が普通ではないか、次に車・徒歩・自転車ならどれが安全であるかと進んでいく。
夜中は静かであるため、音や姿かたちで存在を示せる点で、車はいくらか安全かもしれない。
その上で、夜中の街の明るさについてだが、夜と同様に街灯が点いているため問題ではない。
夜中0時~3時の歩行者というと本来滅多に見かけず、いるとしても、この近所では私みたいに昼間外へ出られない人間か、あるいは遊び中・帰りの人ばかりではないか。
その時間帯に外に出ることが割合としては多々ある私が言うのだから、この近所では粗方そんなところだ。
極稀に気を失った人間が徘徊していれば、歩道が確保されていない通り道の場合、ドライバーにとって危険だろう。

ともあれ、色々考えるうちに思ったことが「夜20時~23時台と、夜中の0時~3時台ではどちらが交通事故が多いのか」という点で、これが本題だ。
夜中は、既に上げた種々の状況には夜との大きな差が見られない上に、そもそも絶対数として車の通行量も歩行者数も少ない点で、夜より安全であると"理"論上の説明が行く。
よって、夜中の方が断然、対歩行者の交通事故は少なく、通行量に対する割合でも普通の夜に優る見方も出来る。
ここにその「理」に対して「事」の要因を示すと、必ずしもそうであると言えない考えが浮上する。

上の思考において、夜中は「極稀に気を失った人間が徘徊している」可能性を示唆した。
この他にも、その道を行き交う人間の状態まで含めると「事」が浮き彫りになる。
例えば、夜中のドライバー側が「遊び中・帰りの人」であると、飲酒運転をしていることも考えられる。
そうなれば危険度は必然的に上がってしまい、そこに幸いが歩行者や自転車の人がおらずとも、運転を誤ってガードレールや電柱、建物の柵や塀などにぶつけたりする事故も起こりやすい。
対歩行者の交通事故という点では、依然として起こりづらい見方が出来るものの、その他多くの交通事故の点で夜中の交通安全性を怪しく思う。
※3時以降に新聞配達のバイクが多く現れ、バイク同士ですれ違うこともあるだろうが、自動車・歩行者などよりもバイクが危ういかもしれない。

街灯だとかの「理」として挙げた要因が、「事」に扱っている人間の状態等の要因と比べてどう違っているかというと、「理」は全体に渡る普遍的で、変化しづらい要因であるといえる。
飲酒運転のドライバーとの遭遇は不規則的であり、街灯が点かない・故障したなどはよほどの気まぐれで、こういった運によるものは固定的な「理」に混ぜがたい。
夜中の通行量についても、俄かに暴走族の集団が現れることだって毎日あるものでもなければ、近所の幹線道路に月1度あるかないかだと見られる。
こういった確定的でなく不規則的な要因というのは、固定的な「理」に混ぜない。



時間帯別の交通事故発生数について、推理される「理」とデータに取られる「事」があり、そこで連想される判断材料にも、「理と事」が判然と存在していることがわかる。
このように理論上は完璧であっても、事実と向き合ってから予期しない問題が起きる場合もある。
「理と事」の勝劣は、事に軍配が上がる。

多岐にわたる例によって、「理と事」の関係性が掴めただろうか。
この他にも、食品の賞味期限の日付というものが「理」で、実際の保存環境によって左右され、時間と共に落ちてゆく食品の味や食感は「事」であると言える。
言葉・文法の誤用の理由(理)と実例(事)や、法律の条文(理)と判例(事)もそれだ。
理だけの説明が話すも聞くも難しい場合、平易な事の例をあげることは互いに簡単に話がつくこともある。
或いは、事の例を先に挙げ、その後に理でも説明をすると理解が深まる。





ここで、仏教的な話に入ろうと思う。
冒頭で名を挙げた二例の後者、「一念三千」について簡潔に説明すると「一念には、宇宙の十界×十界×十如是×三世間=三千の法が具わっている」という真理だ(実質全ての物事を算数で仮定して三千という数字で表している)。
それぞれの用語の意義は、興味あらばネット上の他サイトに任す。

一念三千における「理と事」の相違点は、「理の一念三千」が智顗(ギ)、いわゆる中国の天台・智者大師が意義を説いたもので、これに基づいた日蓮大聖人の教えが「事の一念三千」である。
大聖人いわく、この「事」の方が勝るそうで、天台の一念三千は古い時代(像法)のものだから、末法の現在ではこれに従った修行は理解が難しく、功徳も少ないということだ。
理解=論理的な教えであり、事の一念三千の修行は「理解」が出来なくても、一念三千を顕す御本尊に向かい「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで"理"と同等以上の功徳があるとしている。



続いて、前半で紹介した俗な解釈を仏教的な言葉に置き換えてみる。
仏教を専心に学び、説く立場にあるような人々、というと僧侶・お坊さんになるが、彼らが語る論理に対して実証・実践が伴うものであるかを考える。
現代においては僧侶が「坊主」と半ば軽蔑気味に称されることもあるが、それは「スケベ・エロ・煩悩まみれ」、「外車・豪邸・豪勢に豪遊」、「修行を怠ける・サボる」と見られている場合が多い。
そういった僧侶がいる事実があるならば、即ち少欲知足や煩悩断尽、或いは修行による功徳で仏性が強まることなどを口で説いても、論者にその実体がないということになってしまう。
仏教・仏法とは、現世で修行を実践する宗教である。
「理と事」の概念は、こういった方向にも指すことが出来る。





ところで、最近になり牛久祖母問題の真相が見えてきた。
茨城の親戚中が悩んでも解決せず、愛知に移されても母親が手を焼いていた。
あの祖母の2014年8月老健入所をいかにして実現できたかといえば、知的障害を持つ弟の堂々たる虐待によるところが大きい。
母から「バカ」扱いされる頭でも強情な祖母は、牛久(茨城)にいた当時に「ヘルパーさん」をも追い出したと言われる。
つまり、牛久では訪問介護呼びだろうと福祉施設入りだろうと拒絶・・・もとい介護される必要性を誤魔化してきた経験があったようである。

ところが、仮の宿の豊橋の家であの弟に叩きのめされると、日に日に衰え、家の中の徘徊行為も激減して声も弱くなった。
当然、虐待が始まって最初の1ヶ月は大きめの声で「やめてよ」、更に窓の外へ「誰か助けてぇ」と声を張ることもあったが、それさえ無くなったのだ。
7月から始まったデイサービスにより、施設の快適さに安らぎを覚え、虐待による心労も快方に向かって、声の大きさが元に戻ると同時に母親にまた迷惑かけるようになった。
8月中ごろに祖母の老健入所が完了したのだが、祖母はもう拒まなかっただろう。

茨城の親戚中がどう小賢しく知恵を巡らしても、解決などありようもない。
時には虐待じみた体罰をかましたいと考えたこともあったのではないかと思えるが、他の発覚を恐れ法的に、何より良心の呵責が当然起こり得る。
偏に、弟の行動力が短期間での解決に至らしめたことは明白だ。
まあ母親が家にいるときは虐待をしなかったが、やりたい気持ちのまま素直に虐待した奔放さが、結果的には茨城・愛知の大人がいくら考えても時間が流れるだけの問題を終結させた。



ここに、難しく正しい「理」に至る苦悩よりも、素直な実践による「事」が何倍以上に優れていることが強く現れている。
これは昔話にも、無邪気な子供であるとか、一見くだらないような物が幸福を招いたり、解決のきっかけを作ったりすることが散見されている。
「馬鹿には見えない服」を着た王様に諂う自己欺瞞の大人と、素直にその恥を嗤う子供。
旱魃による不作に酷く悩み続ける農民と、3年寝続けた小便で大河をもたらした怠け者。
古今東西、伝承・創作、多くの昔話の構図を思うに、凄く「理と事」の差が浮き彫りとなっている。

斯く言う私も、前者のような「論理性が高くも消極的」な人間の最たるものだが、同時に論理性が高まって真理を見抜き、このようなブログで啓発を行うことはそれにも優る「事」であると自負する。
思考の奥底には「理と事」の概念があるのに、埋もれたままの人々、この記事を読んでいくうちにその輪郭が浮かび上がっていく。

先述の通り大聖人も、仏法の理を極めて「事の一念三千」による本尊を顕した。
「理」が極まれば自ずと「事」に達することも事実であると言いたい。
大聖人も、理を極めるまで様々な難があったが、佐渡に在す時、文永8年に始めて「事」の形として本尊を顕された。
あるいは無始無終の御本仏、久遠元初の自受用報身如来だから元々知っていたのだろうか?
まだ浅学なので、どちらなのかは分からない。



追記: 2015年6月9日

物事の判断基準には、当記事の「理と事」のほかにも、私が重用するものもある。
「理と事」では物事の将来の推測などに、前例から見る普遍的な法則(理)と、前例にある稀な特殊事例(事)など兼ねて利用できる。
ではその他の整然とした思考のための概念といえば、「絶対と相対」、「名と実」だ。

「絶対と相対」とは、数量や度合いを判断するときに利用する。
"絶対数"はただの個数などで、"相対数"は全体から見た個数などが占める割合を指す。
これは小6~中1期から意識するようになったものの、今みたいな言語能力が希薄で、当時の私の思考が理路整然たるものでも、人に伝えるのは難しいようだった。
「絶対と相対」を弁えていない場合、割合で見た数値などが絶対数と混同され、正誤に錯綜する。
また、「絶対と相対」が当てはまる事物は、数値の範疇にとどまらないことも知られたい。
同・小6~中1期には「先天的・後天的」という口癖があった。

「名と実」は、人物や組織体などの名前に対する実際の中身や影響力を判断するときに利用する。
何々を成し遂げた、ということで人物が有名になっても、虚構や空言の時がある。
あるいは名ばかり広まって、その人物の行為・功績自体の影響力が無いのも"実"に欠く。
"名"は名声や名聞のことで、"実"は実体や実情を指す。
名実共に、有名無実、名目・実質GDP、などの表現にこの概念がハッキリと見られる。

「名と実」の"実"の方は、「理と事」の"事"にも似たものがある、というより、「理と事」の解説をする中で、"事"の説明に「事実」だとか「実際・実現・如実」等と用いている。
意味合いとしては非常に密接だが、「理と事」の解説では"実"について触れなかったのも、どこか違う感覚があったからだ。
そうして温存した甲斐があって、ここでの「名と実」の説明に持ち越せた。

他に、「主観と客観」などもある。


追記: 2015年6月20日

演繹」と「帰納」という考え方・推論の方法があり、「理と事」に通じる。
簡単に説明しよう、まず「演繹」とは、普遍的な"理"から個別の"事"を推量する思考で、「帰納」とは、個別の"事"が単数~複数あるところから普遍的な"理"を推量する思考である。
各Wikipedia記事を眺めて、どうにか上記のような説明が出来る。
Wikipediaでは一部学問の記事が、多くの門外漢に取り難解なことも多く、知る人の為にあるような場合も多いが、この「演繹」と「帰納」なる既成概念は、私の思考に符合するところも多かったのでどうにか理解に及んだ。
これにも優劣、利点と欠点などが各々存している。
ついては、当メモ帳記事や当該Wikipedia記事を熟読し、判断されたい。


追記: 2015年7月26日

この数日ほど意識するものに「根幹と枝葉」がある。
"根幹"の特に"根"は、植物の根であって、幹を含めれば蓋し樹木の根となり、根本的などというように、重要なものや大本、「本末転倒」の"本"を指す。
"枝葉"とは文字通り枝と葉のことで、根や幹から派生した程度の多くありふれたもの、言い換えると重要でなく瑣末で、「本末転倒」の"末"を指す。

概ねの意味としてはこんなところで、多くの物事にあてやすい二分概念ではあるものの、個人的な疑問としては"花"や"果実(種子)"という存在がどう介在するかである。
樹木には、桜や梅などの華やかに親しまれるものから、松や杉などの花粉を撒き散らすと敬遠されものもあり、しかもそれら高木の小ぶりな花が地上から肉眼で見えづらいこともある。
一部の樹木や品種改良では花が付かないこともあろうが、私はその辺の知識に明るくないため「花無き木」は知らないし、それは置いておくとして、"花"や"果実(種子)"は何だろうか。
"花"は自分でも、根幹や枝葉に対して中庸であるとか、あるいはそれらを超越した希少で最上、あるいは全く別次元として見るべきか、あるいは関係ないので介在すべきでないものか、と色々考えたが、あてはめられる例が浮かばないので捨てた。
"果実(種子)"については、やはりこれ無くして新たな芽が息吹くことは無い、と思いつつもそれは「卵ニワトリ論争」と大差が無くて、私の浅慮の及ぶところではないようだ。
この"花"と"果実(種子)"についての疑問は、それこそが"枝葉"の議論なので、忘れてよい。



追記: 2015年8月28日

思考の対極概念と、対比や分別に便利な概念は、この他「広義と狭義」などがあり、これを弁えなければ話し手も聞き手も、異なる意義を持って同じ単語を認識している場合、議論に齟齬が出る(そういうやり取りが2ch系の掲示板でよく見られる)。
互いが「広義の何々、狭義の何々」を知らなければ、参考として出した一つの単語でさえ、大きな亀裂を生みかねない。
例えば「首都圏に一極集中している」とAが話すが、Aのいう首都圏は「埼玉・千葉・東京・神奈川の一都三県」という広義の首都圏であり、それをBが「関東地方+山梨の一都七県」という狭義の首都圏を取り違えて「北関東や山梨はどうなんだ」反論をする。
こうして、一つの言葉をの定義を正しく伝えないだけで相互に亀裂が生じてしまう、という悲惨な光景を多くの掲示板で見てきた。

余談だが、地方の区切りは、南関東でさえ政治面では「千葉・神奈川・山梨(東京)」という場合と「埼玉・千葉・東京・神奈川」の場合もあり、北関東でも埼玉が入るか否か昔から議論が分かれる。
これは私の住む愛知県であっても西か東か、近畿(関西)・中部(東海)地方であれば三重は入るか否か、歴史的経緯や風習と現在の制度上などから論議される。

なお、某宗系教団の論理においては「一往は・再往は(言葉の表では・裏では、建前では・本音では)」、「別しては・総じては」という分別法が見られ、これは某宗教学関連のサイトで見てから、検索した時に某宗系がメインなのだと分かった。
二つの義をしっかり分別する説明であり、某宗系教学以外の話ではあまり使用を推奨しないものの、とりあえずここで分別法の一種として記録する。



追記: 2015年10月17日

偉い師匠が亡くなる前に「私はもう先が長くない。この理論を留めて遺す。これを事実の上で再現することは大いなる偉業だ」と遺言し、弟子に託し(遺命する)、これを誰かが実現する。
当記事中段にて説明した理事の一念三千において、"理"を遺したのが釈尊であり天台大師であり、"事"を遂げたのが日蓮大聖人ということになる。
9月14日の本家ブログにも載っている、ある創作家が、9月6日に新作ゲームのアイデアを披露して以降、ブログ更新や創作関連の掲示板交流などが全て途絶えた。
これは新作の"理"を遺し、ゲームとして"事"を遂げてくれる人を求めてのことであったのか。

彼は自分のリアルや素性などをほぼ触れないでいたモラルある創作者だが、この失踪前までもどういう事情があっていなくなるかを一言も書いていない。
ただ、「私のアイデア、もしよかったら使ってあげて」とのみ仄めかしていた。
含蓄ある遺言は印象深いものだが、この意思を汲み取れる者がどれほどいようか。
サイトには遊びに来る、と言っても、そう発言した8月30日の一週間後には失踪が始まったわけだから、とあるゲーム作者の2013年頃も含め、みな山奥に修行へ行ったのではないか、と私はその都度思っている。

それからというもの、当該掲示板やサイト関係は冷え切っている。
無論、彼のアイデアを基とした後継者の存在も依然として現れない。
音楽勢であり、門外漢である私は遠慮しておく・・・。



追記: 2015年12月10日

本文中「百聞(理)は一見(事)に如かず」の手前に、一例を加筆した。
12月以降、理事の例として浮かんだものである。
ほか、既存の文脈をいじったり、あるいは校正などを行った。

「理を極むれば即ち事を為す(極理即為事)」とは自分でよく唱えるけれど、この言葉はどういうことかといえば、例えばコンピューターは一元、二元、多元、とどんどんその法則・パターンなどの"理"を含めていき、そこから答えなどを導き出す。
それはどこまでもどこまでも飽くなきまでに"理"を吸収すれば、たとえ多くの事例の予測などを弾き出すことができる。
しかし、それはあくまでも100%とは言わない。
多元性が低ければ"理"のレベルも低い。
言い換えれば、際限なく10%, 20%, 50%, 90%, 99%, 99.999%とどこまでも追究でき、そうなればそれはもう"事"と違わないかもしれないが、絶対100%とはならないので、詮ずる所「百聞(理)は一見(事)に如かず」となり、"理"の範疇でしかない。
多くの"理"を追究しても、やはり"事"に敵うことはないのであろう。

歴史の事実だとか歴史の真実だとかという議論は多いが、現代、教育機関で教わるものも、現代人が誰も目にしない領域であるから、事実・真実とされる話も90~99%程度の「蓋然性」があるのみで、この「蓋然性」を信頼した上で教育が成立している。
歴史上の人物(近現代を含む)の名言だとか、宗教の教祖の教えにしても、実際にその人物が口でしゃべったものがどの程度あり、その中でも論理的文献学的推論で煎じ詰めたものがあっても、やはり90~99%程度の「蓋然性」に留まり、100%とは言えない。
なぜならば誰も耳にしていない言葉であるからである。
無論、現代の誰かがタイムマシンか何かで直接、本人の言葉を聞いたり、口の動きを見たり、書物を編集する場面を見ても、他人から伝えられたことは真に事実であると保証できない。
情報の認識は、自己本位(自己の中にも頭が冴えた自分や意識が絶えた自分など優劣は著しく自分が自分であると言えないものも多いが)のみである。

これも、結局は人間の感情が伴った判断で「信頼」してこそ、事実・真実として人間界に認められるようになる。
歴史に限らず、ごく現代の災害や事件や事故など、テレビやネットの映像・情報は、「実際に自身が見た光景」ではない場合も、誰もが「実際に起きた物事」として捉えて疑わないのである。
多くのメディアや現地在住とされる人物などが伝えている情報だから、その映像や情報の信憑性を疑う発想すらないではないか。
自分が事実として見ない・聞かない・経験しないで知識として得た「事実」は90~99%程度の「蓋然性」に過ぎないが、それを心によって「信頼」することで「客観的事実」たりえる。
もし、テレビで報道される映像が「この目で見た事実のものに相違しない」と思うならば、既に「信頼」の前提を超えて定着した認識・判断となっていることになる。
人によっては、自分の目も耳も信頼できない場合があるし、全ては程度の差であり、「絶対的事実」であるかどうかは、「信頼の前提を超えた定着」のラインによるであろう。

「理」・「事」の差異や、絶対的「事」の希少性と、「事」の必然性の確立が自己本位であること、そして、蓋然的「事」を信頼する人間の心の重要性はお分かりいただけたか。


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