2015年8月7日金曜日

7月31・8月1・2日の母弟らの福井旅行と様々な思索

2015年7月31日から月をまたいで8月1・2日の間に、2泊3日の福井旅行へ赴いた母弟だが、その予定を知った7月中旬当時からの旅路(交通手段)の仮説と、2012~2014年に国内地理に興味を持っていた時代の知識などを、ここで披瀝したく思う。
※当記事の原案は7月31~8月1日昼までにはほとんど完成していた。旅行2日目の8月1日20時16分に「緊急帰宅」の凶報メールが届いて、3日目は無しに終わった。ところどころの状況が異なる加筆で紛らわしくなる。

まず旅路の仮説、福井への交通手段とは何であろうか?
予定の概要を知った7月中旬当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは最短ルートで豊橋→名古屋→米原→福井?)、現地からツアーが組まれている、などだろうか。
少なくとも、家から車を飛ばして目的地数箇所に回り、それで帰宅もするということは無い。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。
その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。
2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。
福井市から勝山市、永平寺町という流れは方向上自然に見える(今回の旅で利用した可能性のある現地鉄道路線の福井駅 - 勝山駅間の途中で永平寺口駅がある)。

このような仮説が立てられたが、記事冒頭に加筆した「旅行2日目の8月1日20時16分に緊急『帰宅』の凶報メールが届い」たという一件でかなり実相が浮き彫りとなった。
母・弟の福井旅行がツアー制という線はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。
その故に、掲げたプランを自ら撤回して、急な帰宅の判断も下る。
凶報メールに貼付された同日17時10分48秒撮影の写真にも、画面左端にエナメルバッグが見え、旅の荷物は常に博物館内などで提げながら移動していたことがわかる。
どういう事情かは聞かないが、予約など取らずに現地に出向いて泊まれるホテルが無かったのか、現地で二人が喧嘩して感情的に帰宅判断を下して終電ギリギリに帰ってきたか、と推量。
1日目の宿泊先を示す品も見当たらないため、更に探してみたいし、他の事情も聞ける時があれば聞いておきたく思う。



福井駅 ストリートビュー 恐竜
画像クリックで元サイズ拡大

続いて、弟が一人写っている福井駅前での写真(上画像の中央上)を見てもらうと、福井の西口駅前が噂に聞く「ジュラシックパーク」仕様となっていることが物凄く分かりやすい。
少し前まで、かなり広々とした様子の駅前だった。
個人的に福井駅西口といえば、あの有名な自称・集団ストーカー被害者の山下さんが福井のお巡りさんに喧嘩を売っている動画が印象的ではある。

それはそうと、2013年にストリートビューで初めて見た(ディスクにその日付の記録されたキャプチャ写真保管)印象は、撮影日にもよるだろうが人通りがほぼ見られずガラーンとしており、駅付近の立派な片側三車線以上で中央分離帯付きの大通りも交通量は疎らで、各種統計上からも福井は良かれ悪かれ地方都市の王道を進んでいる印象を受けたのであった。
2013年当時の駅前の人通りの頭数と、今の恐竜オブジェクトやアートの恐竜達の頭数であれば、実は後者の方が多いかもしれないのではないか・・・実に幼稚なネタを詫びたい。
でもまあ、その少し前までの印象を覆し、同じ北陸にある「世界で最も美しい駅の一つ・金沢駅」に対抗できるようなインパクトが生まれたのではないか。
※ストリートビューで福井駅付近もとい福井県内広域が見られるようになったのは、2013年2月の大幅拡大の時(リンク先Google日本公式)で、撮影時期の範囲は2012年4~8月頃が主要だ。

一方の東口の方はどういった様子かというと、記憶によれば比較的近年にカタカナ四文字で地上10階建てくらいの商業施設・・・アオッサ(AOSSA)というそうだ。
これがあるかなぁ、という記憶がある点、私はまだ詳しいほうではなかろうか。
西口であっても、高層棟にホテルが入居する高層ビルを建設している、といった記憶が2014年頃より残っており、これも将来の北陸新幹線開通を視野に入れた動きかもしれない。
上記は、「興味を持っていた時代の知識」を語ったものだが、今し方調べ直したので、アオッサ西口複合高層ビル再開発(地上21階90m、福井最高層)のリンクを文字に付加する。
その西口再開発の高層棟について、正しくはホテルでなくマンションの分譲だった。



2日目には恐竜博物館に寄ったが、下の弟としては一番期待していたスポットであろう。
私自身、「福井+恐竜」といえば小学生の頃に、ほんの数度か福井から発掘された化石に新種を見出して、発掘地である福井の名を冠した学名になっている、といった情報を見ただろう。
その情報の通り、フクイサウルス・フクイラプトル・フクイティタンといった名前が付けられている。
ところで、同じく小学生の頃から福井県の境域(県の形)自体が、頭でっかちの恐竜に見えなくはないと思っていたが、今の言語感覚で学名を定めるなら「トポモーフォシス」とする。



次に、3日目に寄った「永平寺」(2日目夜の「緊急帰宅」が告げられる以前の原案だから許して~)についても、知っていることから色々書いてみる。
これは正直に言うと、地理関係を学んでいた頃には名前さえはっきり覚えていなかった寺院で、しっかりと覚えられたのが仏法を学び始めた2014年6月以降に、日蓮系の人が「禅の道場から観光寺院に成り下がった」と評していたところによる。
この永平寺は、日本禅宗の中枢とも言える寺院であり、事実、曹洞宗開祖の道元禅師が開山して、同宗の大本山でもある。
また、あまり関係は無いが、曹洞宗の某寺院に茨城母方の祖父か誰か親戚の墓があり、私も1~2度墓参りに同行したことがある。

実は一度だけ、地理関係を学んでいた頃に福井市郊外の山間部に面白い場所はないかとGoogle地図を見回していて、たまたまここをストリートビューしたが、地方の観光地にしては妙に人が集まり、若い人や親子連れも多く、大概の山間部観光地が中高年層ばかりのイメージと逆で驚いた。
要するに、偶然この永平寺をストリートビューしたことがあり、そういった印象を受けたわけだが、宗教関係を学ぶに連れて別方向のイメージも強まっていく。
仏法の勉強の初めの頃に日蓮系の人の発言を聞いた時、「永平寺って何だったかな?」と思って検索し、ストリートビューしたら、一度見たばかりの場所だと分かり驚いたものだ。

私自身、禅の教えなどはあまり好いておらず、例えば釈尊の教えよりも、誰々禅師の語録、問答などが尊ばれている点は仏教=仏の教えという根本に背反しないだろうか。
確かに禅にとっての釈尊最高の教えは、大梵天王問佛決疑經における「不立文字・教外別伝」であるから、敢えてその他の経文を好まないようにしつつ、便宜的に勤行で読誦はするのかもしれないが、まだ勉強不足。
他にも、禅に関わる僧俗らの人格、これは邪推じみた意見となるが、どうも社会派エリート気取りばかりだし、説法(サイトやブログ含む)の語彙は俗悪・粗暴な印象がある(下品さなら真宗系が・・・)。
専ら世俗的な大成だとかの為の処世訓として尊んだり、何か「貴い」人が座禅修行で身を修めているのではないだろうか。
仏への尊敬も、成仏への願望すら抜けているため、現代日本の禅は儒教に修行の形が加わった、「座禅教」と私は見ている。

「只管打坐」の精神というと、近代でもベトナムの僧侶が仏教徒としての主張のために座禅(結跏趺坐)したまま焼身自殺した殉教行為が想起される。
まさしく「不惜身命・我不愛身命・身軽法重」などの経文の身読だ。後生善処は疑いなし。
あれくらいの気概が「心頭滅却すれば火もまた涼し」の体現であり、上座部仏教にも似た禅宗の究極体だと言っても過言ではないが、過激・・・
日本でもせいぜい、アウトローに高層ビルの柵を乗り越えた上昇気流が擾乱する場所で人を騒がせるくらいの只管打坐があれば、実に愉快なものだと思わずにはいられない。

まあ、永平寺そのものとは関係の無い仏法の話となったが、これは以前から「禅」について思っていたことを、この際ここで書いてしまおうということで、そうした。
過去記事でも、禅宗系について論じたような記述はあるので参照されたし。
終盤 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/blog-post_17.html
唯心論云々の箇所 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/18.html
蓮盛抄の箇所で少々 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.html

ところで、日蓮系を中心に学ぶ私が永平寺について調べなおして驚いた一点は、道元さんが京都を追われて、有力士族「波多野」氏の誘いから越前に逃れ、後に永平寺を開いた、これは日蓮大聖人が鎌倉に居続けて法難に遭うのがいたたまれず、甲斐の有力檀徒・士族の「波木井」氏が自分の領土(身延)に招いて、その地に大聖人在世の内に後の久遠寺が出来た経緯と似ている。
京都・鎌倉の都から、近場の福井・山梨の山間部に「波」がつく漢字三文字の氏が後に宗祖となる高僧を招き、その入滅・遷化に至るまでに同宗派の本山格寺院がその地に開かれる。
妙だが意味の無い共通点を好む私としては、非常に興味深く思っている。
また、日蓮大聖人の複数の御書には、法華経を受持する真の天台法華宗が「釈迦世尊所立の宗(伝教大師の法華秀句より)=仏の立てる宗=仏立宗」であるとしており、道元さんが自分の教義にあえて宗名を付けるなら「仏心宗」とした名称と似てはいないだろうか。
これも私の好きな言葉遊びである。



・・・両派閥の方々にはよろしく当記事の乱文を諒とせられ、禅定の心を以てお許しおきくださらんことをと願い申し上げる。
なお、母・弟の福井旅行で永平寺に寄るという3日目が無く終わったことは既述の通りだけれど、彼らは永平寺で何をするつもりだったかといえば、蓋し物見遊山であろう。
僧侶の話を聞くとか、仏法などへの関心は恐らく無い。

日本共産党の機関紙を反安倍思想から購読しても、共産主義などに無知だからすぐ解約するような母だしね。
ちなみに言うけれど、私は反安倍でも無ければ、有権者でもなく政治にさしたる関心も無いただの18歳である。
一番云々したいのは、無知だったりするが刹那的な関心で衝動的に行動するも、信念が無いからまともな継続の無い上に、そこに気付かない母親の人間性。


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あしからず。

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