「識」を重んじて生き抜く私の精神に振り返る回想をした。
まず、タイトルにある「他の児童を嗤う」という具体的な経験などを語る。
私の研鑽は言語を中心に据え、歴史・宗教などを範囲に収めているが、それまでは地理がメインで、現在であっても地理は言語の一端として幾らか取り込まれる。
その言語とは、2015年以降日本語(国語)の性質が強まって止まないようであるが、小学生の時も今も英語はじめ諸言語は捨てられない。
※学習が疎かと思われた英語は、3ヶ月前にSoundCloudで書く際に思い浮かばなかった文章が、本日再考した時ひらめいて、翻訳サイト無用で一気に構築された。
その中で「嗤う」という行為は中学生以降、ネットで他の誤りに向けられていた。
簡単な英単語さえスペルミスを犯す者が多いことに愕然としながらも嗤わずにはいられなかった。
2011(中3)~2014年の私は、好きな洋楽1曲の歌詞を全文ミスなく打てることを豪語していた。
それはまあ置くとして、私自身は幼稚園・不登園期間に自然とアルファベット大文字を読めるようになっていた(書けるようになったのは不明だが、間もないだろう)。
具体的に嗤った例は、小4の頃(二学期で転校した学校、当時の記憶はおばさん教師で、ケバい中年女性ではなかったから間違いなく小4と断定)には、とある女子児童が書いた絵の「レインボー」のアルファベット大文字表記を見た際、「レインボー☆」に遠い男子児童である当時の私でさえ、RとLや、AとEや、WとUの誤りに気付けたため、これは哄笑モノだった。
かっこつけて(かわいこぶって)英語書いたが運のツキ、でもおばさん教師をはじめとして誰もこの誤記には気付かないものだろうと覚った時、女子児童は表面的には幸運な方だと思えた。
何にしても、分かる私と比べて分からないような人は、自分の浅識に依存しないで大人に頼るか、あるいはかっこよさに飛躍せず、控えめにカタカナで書けばよい。
浅識の自覚に立って学ぶにも浅智ならば我慢偏執を捨てて、より智と識に優る人間に頼るべきだろうが、私は幼少より智に自立性があるので、それをしないで生きてきた。
一方の小文字の読み書き至っては、小学校卒業までに完璧に習得できていたが、当然母親別居以降などの時期的経緯からしても、指導者なきまま自ら学ぶ気持ちで進めたことである。
誰しもPCなどのqwerty入力に慣れれば一定の知識が身に付くが、小文字の一つ一つをつぶさにに見ているというはずは無いため、それだけで完璧な読み書きは出来ない。
故に、これを習得するに至った点は「自ら学ぶ」意欲が叫ばれよう。
小5・小6あたりのとある図工か何かの授業で描いた絵には、ローマ字表記で日本語文章を綴ったりして、周囲からの評価は何となく良かった。
これは、家にある両手鍋のデザインに着想を得たものだった。
逆に、描いた自分がこれに自信を持てず、文章を消したような記憶がある。
それに比べれば、中2になってもアルファベット小文字の"b d, p q"の区別が付けられないような人々、これが案外多かったため、「習っても覚えられない残念な奴ら」と嗤わずにいられなかった。
中1の初めには修まるべきアルファベット小文字は、出来ぬままなら中2までであってもテストで致命的だし、そもそも初歩的なことも修まるべき時間の内に修まらないとは、蓋し遊戯雑談の所為と断ず。
日本語であっても、毎日のように長文を書く私を見ていれば、判然としたタイプミス(誤変換や誤文法など除く)など、諸君の目にも見受けられないことと存ず。
受動的な勉強でさえ満足に身に付かない人々が友達などと戯れていて、別方向では当時の私を蔑視したり、逆に当時の私が「バカ」だとか思われていたわけだから困る。
私もそんな彼らに憐憫さえ起きたから、嘲笑の意思は何も口外、もといおくびにも出さなかったが、やはり諸々の遊戯雑談者という「ブーメランバカ」のレベルに合わせることは、それ以上に愚の極みであって、慢心こそ己の敵の頭領だと思う。
私のように「勉強できつつ友達のいない」タイプの中学生らもまた、この慢心が誰よりも身近な大敵となるのではなかろうか。
2010年12月をもって私は、その敵が現れがたいであろう世界へと離脱したが、やはり今も忽然と湧き出て闘争が続いているのだろう。
続いて、英語からも「嗤う」経験からも離れた「識」の昔話を綴る。
これは他者に向き合って公然と行われた、世間が求めるような実体験である。
小2~3の時、というと上述の小4以降の戦場とは少し遠い地の小学校(さいたま市浦和区)に通っていた時代となるが、その戦場以前であるため、友達が多かった頃だ。
ある日の昼休みのあたり、とある話題があって、「らくがき」の漢字表記について「楽書き」を推す者がいたので、「落書き」が正しいことを私は返した。
それは黒板にチョークで「落書き」の文字を落書きした後、教師の机上にある辞書を引いて示すなど、入念なものであった。
実は、この「らくがき」の漢字については、過去の国語の授業において「楽」と「落」で混同しないよう教師が教示していたくらい(教師用教科書に指導があるのか?)記憶もある。
「楽」は小2で習い、「落」は小3で習う教育漢字だが、どちらの時にこの旨を授業で教わったのかといえば、小3のときなら私は6・7月に3度目の不登校となるから期間的に考えづらい。
どちらにしても、小2~3の頃にこういった「識」問答があり、正しきを示せたのだ。
こういった双方の認識の齟齬がある時(母との会話然り、ネットで誰かの投稿見るとき然り)は、いつも自分が誤っているのではないかと思う場合も多いし、盛んに掲示板で投稿していた中2の頃は、誤解などを強く構えてこちらを曲解する集団にねじ伏せられるなどでトラウマがあったほどだ。
どんな時でも、大多数の暴力・多勢に無勢といったような苛烈な状況下に陥りやすく、リアル・ネットを問わず果敢に抗したことの多い中2頃も、惨敗の経験が多かったようだ。
この際、蛮勇にして正義顕揚も通じない虚しさは、疲弊感をみだりに増やすだけなので、少なくとも掲示板投稿は2011年から年々落ち込み、前にもどこかで書いたが、2014年以降ほぼレスを投稿しないまま掲示板閲覧にとどめることが多くなった(某したらばのスレッドは普通に閲覧するが、2ch関係は某ランキングでめぼしいスレをチラ見するほどで、ニュース系は記事本文の閲覧のみ)。
どこであっても、指摘するまでもない些細な誤り(作者が意見を募ってない以上タイプミスなどは一笑に付せばよい)から、とんでもない誤解や無明・驕慢・顛倒により詭弁や謬論(主に2ch掲示板や芸能人・世間一般の識者に多い)を書きなぐったものなど、日々目にすることとなるが、それを見てみぬフリで置いてしまうのはいかがなものか。
そう思うから自分はある程度、蛮勇のようでも中2までの正しい「識」を与える破折精神に立ち返ろうとする。
「嗤う」と「以識破折」と関係ない小学校の思い出
1. 小5の時に、オリジナルの小説を書く国語の授業があったが、期間内ではみな400字の原稿用紙3~5枚程度、多くて8枚ほどだったのが、私は9枚使った(クオリティは不明)。
2. 小6二学期~三学期に、好きなオトモダチと組んで発表するイベントがあったが、過去記事にあるとおり、私は学年で唯一「一人一組」のスタイルで臨み、苦渋の中で立派に巨大な紙面を完成させるも、発表時の様子は不評、恥辱ここに極まった。
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