6月30日、母親から唐突に「私が入院したとき、自分で歩いて買い物行ける?」と問いかけられた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。
この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。
毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。
クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。
話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。
この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。
この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。
その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。
この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。
以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。
2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。
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