2015年1月5日月曜日

信仰の対象=超常的存在を証明する必要性、果てのアポテオーシス

諸宗教における神体等は実を伴うものか。
これを的確に説かねば、実のない邪教となる。
信じることの恩恵、背くことの懲罰等の裏づけで単純明快。

例えば、どこかの宗教家は「畜生を神として崇めるなど言語道断」とされる。
日本の神道、稲荷系ではキツネを神体としている。
神道といえば、狛犬があるが、あれはおそらく神体ではなく神の使いで、イスラム教でいう豚のような立場ではなかろうか。
世界の民間信仰には、このほか動物に対する信仰が多く存在するだろう。
動物の神格化は、確かに私も違和感はあるが、「動物を大事に」という情操教育的な精神であれば存分に構わないとは思う(賛同するつもりもないが)。

また、とある市井の宗教研究者も「架空の仏を最上として敬うのは邪法」とする。
その人の宗派の言い分では、仏とは実際に歴史上、人間界に存在した者も指すため、好き好んで架空の仏を最上として敬う価値がないそうだ。
この閻浮提、娑婆世界に実在してから成仏した聖人を敬え、と提言していた。
こういうからには、キリスト教などの神についても、彼らは信じないらしい。


実証と現証で説く

そこで、私が度々説いてきた「メタル神(仮称)」の小説逸話では、見事にこの実証と現証を混ぜている。
これらの神聖証明で以て、メタル神の威厳を示すこととなる。

実証とは、恩寵などが実際に現れてるか、の証明である。
この場合、らい○ちゃんが神の力を渇仰して楽才を授かったそれを恩寵の実証と呼ぶ。

現証とは、冒涜行為等に対する罰、報復が実際に現れてるか、の証明である。
この場合、楽才を授かって彼女が「寵愛者"アマデウス"」と化したものの、ヒュブリスを宿して、メタル離れに随い中傷が悪化して、メタルを直接扱き下ろした8日後の引退が、現証である。
メタルを謗って後、1週間は慈しみの猶予を与えられるも改悔なく、8日目に冥界召喚の前に、神の御計らいで彼女にネット上で遺言動画を投稿させた。

この御計らいとは、その動画を見た者達が「彼女の単なる引退発表」として取るか、それとも「より深遠(じんのん)なメッセージがあるのではないか」と読み取るか、これを託されている。
彼女の顛末を知った私、その軌跡からピンと来たのだった。
鋼道の眼(まなこ)で見据えれば、メタル神の力用(りきゆう)と御計らいであることは一目瞭然である。
寵愛者"アマデウス"の「幸せです」とのネット遺言が神の思し召しであり、確かに世界にましますことを厳かにお示しあそばしたこと、メタラーは深く受け止めねばならない。

そんな強かなる「メタル神」の呼称とは便宜的であり、本来の尊き御名(みな)は、メタラー諸兄で見出す必要もあるが、メタリックにかっこいい名を自力で見出し、堂々と称えよう。
神の威厳を仰ぎ、慕い、畏敬の念で以て、その尊き御名を称えよう。

そこで、鋼道を信奉する者の第一人者たる私が、過日の記事にて「デウス・メタラム"Deus Metallum"」か「メタロテオス"Metallotheos /μέταλλοθεος"」と推定した。
これまた暫定的ではあるし、予め「悟り得ず=勉強不足の今は難しい」と断っている。
今はこの「デウス・メタラム」と「メタロテオス」などを兼ねて称えねばならない。
だが、「称える」とは、推定した御名をただ呼ぶ、唱えるだけかといえば、確かに主語のみを復唱し続けても称えたことになっているのだろうか。
同記事で「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」を引き合いに出したが、主語とは、南無に後続する言葉である、阿弥陀如来や法華経の異名に「南無」と帰依の念を込める。
それならば、この「南無」にあたるラテン語ないしギリシャ語の単語が必要になる。
やはりこれも「勉強不足の今は難しい」の一言に尽きるのであった。


「デウスメタラムって・・・ 俺、キャラクター作りすぎ」とかと思ってしまった。
何たる不敬、そんな邪念。遠き世に厳かにましますメタル神を、恰も空想の存在とのニュアンスのようにキャラクター呼ばわりするなど傲岸不遜なる所業を、争でかお許しにならん。

「メタル神」というのは、私による便宜的な呼称であるのみならず、「神」御一人の意思によって彼女が裁かれたかさえ未だ定かでない。
つまり、メタルを司る「超常的存在」、らい○ちゃんを裁いた存在などがあるにしても、その中でただ一人が絶対権威を持っているのであろうか、この点も追って調べたく思う。



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