2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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