2015年4月9日木曜日

髪切らずして5年経つ日が迫る

2010年8月より髪を切らなくなって、5年近く経つ。
5年といえば、私の人生の4分の1をも超す長さだ。
4分の1以上も髪を切らない人生とは、余人には想像し難い世界である。
相対的な時間の長さは一方的に増えるのだから、30歳までには人生の過半に達する。

逆に今から髪を伸ばす人なら、その年齢から+5年とは私ほど感覚的に長くはない。
ましてや、30歳を超える年の者ならば、これしきの時間など問題ではないはず。
その年で5年髪を伸ばすには、別の方向で色々と問題があるが・・・
環境的な制約とは、物理面(頭皮、毛根の意味)のみならず、当人の立場上、その立場に於ける「自由な容貌の限度」から逸脱してしまいかねない。
故に、私の立場ほどの自由度が必要になるが、髪を伸ばすためにそれをしたがる人間がどれほどいるか、その気概を持つ人間もいなければ、私自身も当初は伸ばしたくて伸ばしたのではない。
発端は頭髪の制限がない上に、髪を切るメリットも生まれないところから。

結局、30歳以上の人に伸ばしてもらっても、気持ち悪さに磨きがかかるだけか。
そこで、幼い子供たちに髪を伸ばすことを勧めたい。
可愛い頃から人材を育てる、これぞ各界普遍の専門家ならではの心意気だ。

活発な時期にあって不便な点は、運動の最中に抜けやすいことだろう。
当然、同時に抜ける本数も多ければかなり痛む。
最悪の場合、しばらくは目立つハゲも・・・
痛みも醜態も、幼い頃から経験し続ければ忍耐力と我慢強さが養われる。
その上、みんながハゲなら、いじめも差別もないのではないか(簡単な理屈)。

1歳から今日に至るまでハゲている私に比べれば、それほど物の数ではないことだろう。
ハゲアリヌイマノワタシニクラブレバ、アナタハモノノカズニアラザリ



4月2日、トイレにて項垂れた姿勢(肘・腕を腿に突き前屈みになる)をとると、髪の先端が床にべっとりと着いてしまう。
そんなことは自分で十二分に既知のことと存じ上げているものの、改まって不可抗力的になったこの状態を見れば、いつからかは確かな伸びを見せていることに気付ける。
一年と少し前であれば、同じ姿勢でも辛うじて付くや否やの程度である。

そこで髪を伸ばすことの展望も改めて述べたい。
端的に言えば「当面の間は切る予定が無い、可能な限り伸ばしたい」。

顧みると1年半ほど前なら、今の長さ(2015年4月・最長部80cm強)で届く部位から以下の部位に及ぶ長さは切ってしまい、それを維持するということがベストだとしていた。
先述の「トイレ」に関する要因(伸びた髪が悲惨な地に着く)がかなり強い。
過去の絵の練習記事でも、この考えを元に描いた9月24日の絵を載せている。
2014年9月当時にもなると、この辺の憂慮が残るくらいで、今と同等の「髪への意志」は既に持っていたはずである。



冒頭の2010年8月というと13歳半ほどの年齢だが、大聖人様は16歳で出家あそばされた(寺に入ったのは12歳)ので、頭髪に関する命運が反発している。
しかも私は出家ならぬ「父宅の家出」を2011年4月=14歳で敢行したため、この点も類似。
冒頭の一行目が自我偈訓読っぽいので「我2010年8月(平成廿二年八月庚寅)自り髪を切らなくなって来(このかた)経たる所諸の年数五年なり。」

先述の通り4月といえば18日を以て家出より4年が経つ。
前の家で自転車乗って微妙な地理感の保障される範囲で遊びまわっていた時間も今は昔。
こちらの家では遊ぶ金も場所も自転車もなく、鬢糸茶烟の感で思いを馳せるのみ。
根源である体力さえもないのではないか。

毎度のように対比されることは上の弟の現状。
今尚遊び呆けているか、その中で自転車は用いられているか。



0 件のコメント:

コメントを投稿

当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。