2020年4月5日日曜日

「二次・三次相対互換の理論」に対する新しい解明と説明

「二次・三次相対互換の理論"theory of relativity between 2-ji and 3-ji; the relative similarity theory"」の先行研究は以下である。
2016年2月15日投稿『二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論の体得』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/02/2ji-3ji-gokan.html

導入として「三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていることは反対の例・『絶対的な相似』であり、二次元側に比較するならば違和感ばかりを覚えてしまう」といった考えもある。
当該記事では、内在理論の具体例に関して、主観性と客観性を混ぜながら説明した。
他に絵に関する私の複数の記事でも、この研究が紹介される。

2019年以降、幾何学的な見地での検証・解明と、認知科学での説明とを構想するようになった。
第一段階に、数学(最低でも中等教育レベル全体)の学習と、3DCGのソフトウェアの操作の習得とを志した。

用語の簡易な注釈:スラング的な日本語の「二次元–2次元 (nijigen, 2-jigen; from two-dimensional)」と「三次元–3次元 (sanjigen, 3-jigen; from three-dimensional)」を容認している前提である。加えて、当記事では 2-ji, 3-ji と表記する場合がある。「相対互換」の意味合いは「三次元→二次元」のみならず「二次元→三次元」とも想定され、当記事では途中やあとがき欄などで過去記事の例示とともに説明する;新しい解明と説明によせて、変更案も挙がる。



「幾何学的な見地での検証・解明」と、「認知科学での説明」の前に、二次イラストと三次写真(または擬したイラスト)とを選定する必要がある。
それらのうち、何でも表情があれば動的なものとして扱い、先に、健康な状態の時の平穏な表情(健全な無表情)を静的なもの/基盤とする。
二次のうちでも、私が描く萌え系イラストは一つの類型 (illustration style or type) であり、私が検証に用いる。
それと実在人物の相貌との中間的な相貌の類型もあるので、それごとに相対互換を検証することも可能である。
これを概念的想像図にすれば、それらが正当に相対互換である場合、座標上の直線 (line) または放物線 (parabola) に重なるもの(比例 proportional 相似 similar)と考えられるからである。
Aさんの顔つき、Bさんのさんの顔つき(Cさんの…, D…, E…)などがそれらの線になり、イラスト・写真の類型ごとの点が線に重なると想定する。
一次元的には、異なる画風=イラスト類型でスペクトル (spectrum, fr: spectre) が形成される。
ケースに応じた数(1ないし無数)の直線が多方向に放射状に展開されることを考えたが、実際には2つの極点の間でケースに応じた数の立体的な曲線 (curve) があることになる。

modeling modelling longitude lines meridians
概念的な『顔つきの線』モデル (原案: 2019年9月28日)

2つの極点 (2 poles, 2 extreme points) とは、地球に北極点 northern pole と南極点 southern pole とがあるように、二次極 2-ji extreme point と三次極 3-ji extreme point とがある。
想像上の2つの極点に置かれる類型は判然としないが、二次極までの1/4で単純な図形の組み合わせによる表情の画風、三次極までの1/4で写実的な画風および写真となろう。
二次極に極めて近いものでは「Aさんの顔つきの線」、「Bさんの顔つきの線」などの個人間の差異がほぼ無くなり(顔文字 ・_・ や :( を想像すると分かりやすい)、任意の解像度における「二次極の1歩前」は、正三角形を上下反転した角の位置に点が3つあるようなものとして仮定できる。
今の日本で一般的に見られるような表情の筋肉の反映が顕著で表現しやすい画風は、赤道 (equator) の位置に近いかもしれない。
想像上の二次極・三次極の間には1ないし無数の立体的な曲線(非ユークリッド幾何学の繋がる直線とも)がある。
地球の経線(子午線 meridians)が1本, 2本, 180本, 360本ないしそれ以上が必要に応じて想定されることと同じである。
線は、1ないし無数のイラスト類型の点で構成されるようでもある。

概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は、「幅の無いものとしての線 (ユークリッド原論1-2: Γραμμὴ δὲ μῆκος ἀπλατές)」ではなく幅が広まったり狭まったりする線になるかもしれない。
「Aさんの顔はCさんに似ている」、「Bさんの顔はライオンに似ている」といった比喩が伴う場合や、「Aさんの起きたばかりの顔(むくんでいるなど)」、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」である。
例外事項で「『気絶している状態』などの顔」があり、「表情に関する筋肉の力が入っていない状態」と仮定される「表情」に区分されることに注意する。
「年齢差(幼少期・老齢など)」に至っては同一人物の同一性による基盤から外れる。
「Aさん・Bさんの顔は幻想的だ」と言われそうだが、あくまでも実在人物に仮託した基盤の「予備的なパラレル」として幅が広まったり狭まったりすることの話をする。
この場合(線に1以上の幅を想定する)は地球上で譬えて、単純な標高–海抜0 mに対するプラスやマイナスを想定するなどが可能になる。
パラレル事項は、そのように予備であって根本的でないが、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」という例は、実際に絵を描く人が感じる思考や疑問として伴う場合がある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は疑似的な客観性=共通主観性(共同主観性ともいう)で認知される自然物が基盤であり、パラレル事項は多くの場合に主観的認知の強いものとして許容の範疇に置く。

「二次・三次相対互換の理論」をこのように、地球(真球または楕円体)の形で概念的に・スキーマ的に想像することは、これからの作業の設計図の一部分として受け止める。
相対互換ということ(相似)の要旨でもある。





顔の形質的特徴とその知覚に関する基礎知識から考えられる注意点

  1. 皮膚がどうあるか/骨格がどうあるかに依存して、輪郭の線として抽出される特徴や種々の影の原因となる多くの立体性が問える
  2. 知覚の構造は、形質的に:パーツと、その配置に特徴づけられる (cf. 相貌失認 prosopagnosia, 脳における側頭葉や後頭葉に局在–偏在する機能に関連。重要視されるものは紡錘状回 gyrus fusiformis–BA37の紡錘状顔領域 FFA, fusiform face area で顔のパーツとその配置 configuration of parts に敏感であるという; ただし網膜などの視細胞や視神経や脳神経に本題の理論との関連性は今のところ無い)
  3. 「髪などを除いた相貌のみを認識せよ」と他者からの指示または自己の意思で人が何らかの顔を認識する際に、「任意の個別パーツ」または「全体の配置」または「パーツとも配置とも表現できない漠然とした全体像」のいずれかには、見ている間の時点によって偏り (バイアス bias) がある
  4. 目視において遠近法のようなもので遠距離と近距離とでは正当に比較できないようなパーツの見え方の差異 difference が生じる





幾何学的な見地での検証・解明

「幾何学的な見地での検証・解明」には、2Dでの顔貌(相貌)の特徴抽出 (手段の例: ニ値化、1 px細線化または線画抽出 thresholding, thinning)と、パーツとその関係性の数量化 (quantification; width, height などの value) などがある。
2Dの状態でも色々と求められる事柄はある。
その後、3DのCGのソフトウェアでいわゆる二次元キャラ・三次元ヒトのモデルを作成し (modeling)、比較・対照を行う。



備考:「絶対的な相似」と違和感についての簡易な検証

当記事の冒頭にも載せた2016年当該記事の文は「例えば三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていると、誰しも奇怪に思うであろう。このように『絶対的な相似』では、違和感ばかりを覚えてしまう」として「絶対的な相似」について言及した。
その中で目が例に挙げられるので、このことも含めたいくつかの検証を行う。

上から;写真A, binary-1, 2, 3

写真A 201908080917.jpg は私の顔全体を含む上半身がY軸斜め(鼻尖をX = 0, Y = n, Z = +100% で任意の後頭部1点をX = 0, Y = 鼻尖に等しいn, Z= -100%とした際の両目のXやZが正面顔に比して対称的な数値にならないこと)で写される。
その二値化がされた画像(二値画像 binary image)を3種類に用意した。
私の管理するファイル名で binary-1, binary-2, binary-3 としている。
binary-1は、一ソフトでのエフェクトの後に「しきい値 155 (0-255中)」の方法で二値化して作られたものである。
binary-2は、その方法で二値化してからその人物の繭から頤の範囲に少しの幾何学的矯正 [height 66%] とともに目と眉の形状を保ちながら位置の適正化をし、細部の感性的矯正をして作られた…。
binary-3は、その方法で二値化してからその人物の目の範囲に幾何学的矯正 [width 130%, height 300%] と拡大後エッジの感性的矯正をして作られた…。

これらのうち、binary-3の画像が目に関して、その「絶対的相似」の意図に近いものになっている。
つまり、幾何学的な目の横幅と縦幅の近似値を人物の目に「二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目との絶対的相似」で適用したことになる。
数学–幾何学用語の「相似 (similar, similarity)」からは、私の目とbinary-3矯正後の目とで相似でないものの、近似値として「二次イラスト 2-ji」の特徴に相似であることを企図している。
一方で、binary-2の画像は、目の横幅と縦幅に変更が無いまま、その距離を鼻尖や口に近いものとしてパーツの相対性を重んじたものとしたことになる。
認知の対象におけるどの細部や全体に重点が置かれるかは、認知の行為者=主体の一時的な機能と長期的な経験とによって不確実であるものの、どちらが「二次イラスト 2-ji」の特徴に近いか、行為者自身で吟味する必要がある。
ただ、2016年以降の私の「自明の理」としてbinary-2側であるとされている。

この備考で、反対の仮想–反証または背理法の材料–反例として、こういった検証を提供する。
厳密な数理的方法は、やはりそれができる人に発破をかける意図でも、私が導入するのみである。



備考:前述の「注意点 4」についての検証

任意の3DCG(三次元コンピューターグラフィックス)のビデオゲームから相貌の遠近法 (perspective) の数理モデルの簡単な例示をする。
人物Bryan (身長約1.8 m ≈ 5.9 ft と仮定。実在人物からモデリングされていることを含めて著作権 a copyright や肖像権 a right related privacy or morality, a portrait right 云々の問題を言われそうだが倫理面以外では現状に問題視されない) の顔は:[fov 44] コンソールコマンドで至近距離(約0.2 m が想定される)で撮られたrendering1-a1rendering2-a1 、[S] キーで後退することで離れて(距離にして約10 m と想定)から撮られた rendering1-bfrendering2-bf 、[fov 3.8] コンソールコマンドで同じく撮られた rendering1-b1, rendering2-b1 がある。

rendering2-a1 と rendering2-b1 をGIFアニメーションで交互に表示する。

rendering1-a1に rendering2-a1を50%の濃度で重ねる。

rendering1-bfに rendering2-bfを50%の濃度で重ねる。

rendering1-b1に rendering2-b1を50%の濃度で重ねる。

3DCGの表示の数理モデルや計算的構造が直感的に分かると思うが、遠近法–透視投影 (perspective projection) に関しても再現されていることが分かる。
循環論法に思われそうだが、これは「注意点 4」についての検証と、3DCG利用の実効性に関する両方を同時に示すことである。
ここで使用した3DCGモデルの正確さについては、別の話とする。

注意点:ここでの画像の名は筆者個人管理のファイル名から撮られた。rendering1はワイヤーフレーム wire-frame のレンダリングであり、rendering2はテクスチャ texture を表示するレンダリングである。Bryan の顔の位置をこちらは至近距離a1系の時で僅かに高い位置から見ていたので視線の角度は水平よりも下になる。離れてからb2系も同じ視線の角度にすべくこちらの「カメラ camera」の位置を物理的に上(CGの計算処理としてはY軸のプラスに当たる)にして同じ角度で同じようなBryanの見え方を再現した。[fov] コマンド (field of view, 人間の視野と区別して"angle of view"と呼ぶことがゲーム業界の外では好まれる。コマンドの数値上限は170で視角170度のことだが水平と垂直 horizontal/vertical に関しては水平を基準にしつつ垂直も比例して変化している) は人物の映っている範囲の解像度 (resolution) の向上と統一を目的にしていて、過度な外周付近の縮約–展開(e.g. 北極と南極の展開された平面世界地図、鉄製スプーンの裏側が楕円的なもの=凸面鏡に映る像 cf. 19世紀に著名な学者マッハ Ernst Mach が哲学的な探究から描いた自身の鼻が右に映るような左目の視界を表現した自画像の絵 drawing, これらの間には異なる原因や結果的な焦点と外周の距離感の差異があるが参考までに)が発生しないことを期している。

参考:投影法 projection の立方体による比較
(by Cmglee, from Wikimedia commons)
遠近法について:至近距離a1系で両耳などが見えづらい代わりに鼻の突出の具合が強い。離れてからb2系で両耳がよく見えるように奥まった部分の把握がしやすい。これらは遠近法の有意な差として認めることができる。かつ、計算機=コンピューターの処理に基づいて立体の特徴が計算的に反映されたことになる。人物の相貌以外では、単純に立方体 (cube, さいころ dice などの実物または3Dモデルを指す) を斜め上から見る場合にも、見る「目(裸眼)」または「カメラ(ゲーム用語)」の距離によれば物理的に近いものがそれだけ視覚における映像の中に拡大される。

注意点4の検証は以上のように可能である。
至近距離の画像で見られたような特徴は、「迫力のあるもの」として知覚されるので、驚きや絶望感や威圧の表情に用いることが強みになると思う。
二次・三次相対互換の「幾何学的な見地での検証・解明」で、距離感の近すぎる顔の特徴を用いることは望ましくない。
どのような距離感の顔の特徴を用いるべきかと言えば、「ほどほど中間的」である上で、比較対象が相互に同等である必要がある。
例えば、任意の距離感の2-ji画像にはそれに近似するか等しい距離感の3-ji画像を比較に用いて新たに用意するものも可能な限りでそうすることになる。
「距離感の計測」は、描かれたものである以上、顔の遠近法 perspective を計算的に取ることが困難であるため、目測で構わないが、2つ以上あるものは基盤の一者を決めて、そこから「それに近似するか等しい距離感の画像」を選択する。



備考:その他の考慮事項

顔面の皮膚の「シワ–しわ–皺(wrinkle, rhytide; 年齢に関するものと表情の筋肉に関するものとで呼び分ける場合もある。かなり広い指示対象で見た目によるものは fold とも)」は、まぶた–目蓋–瞼(eyelid, La: palpebra)上部 (palpebra superior) のものが幼少から見られる実在人物が多いものの、それ以外のシワは若年層に多く見られづらいし、ある場合は薄い。
私自身の顔は、いわゆる「平行二重瞼」の傾向(反対に東アジア人などに普遍的で末広二重や奥二重や一重に統計的相関のある蒙古ひだ epicanthic fold も少し考えられる; 英語版Wikipedia oldid=941837871で"up to 90% in some estimations"と記されるようなもの)があるほか、額や眉間に少しだけシワのようなものがあったり、浮かびやすいし、頬のほうれい線も同様である。
シワというよりは影の一種として2015-03-05記事に示すような「ケツアゴ(割れ顎 cleft chin)」もある。
一般的な二次イラスト 2-ji でまぶた上部のシワは他のシワよりも描かれやすいが、形式に関しては、白人(ここでの指示対象はヨーロッパと中近東のコーカソイド)に比して鼻梁に近い位置の3分の1程度が描かれるものと、私がするように全体的に描くものと、全く描かれないものとで分かれてもいる。

「眉毛–まゆ毛(まゆげ eyebrow, La: supercilium)」は前頭骨の眼窩部 (orbital part of frontal bone, La: pars orbitalis ossis frontalis, 前頭骨は os frontale で眼窩は orbita) につく傾向にあるが、位置が高いか低いかの個人差が著しく見られる。
同じ毛色の場合の「視覚的な濃さ」は、毛の太さと長さと密度などで上下する。
人種論的な見解を含めて言うと、白人(先述の指示対象)は東アジア人よりも平均的に位置が低めで、個人間の太さの差が少ない。
東アジア人である私の顔についてはその白人タイプの方に近似する、と分析する。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は画風によって比較的低い年齢の人物の眉の位置を高めにする傾向がある。
私の萌え系イラストでは、他の萌え系イラストよりも実在人物の特徴に近づけ、全体の平均は比較的低い、と分析する。

目の「クマ–くま(目の隈 dark circles under eyes, periorbital dark circles)」が強めの顔には、そのクマの状態によって「彫り(ほり、顔の骨格に依存して立体感が生まれた状態)」が深く見える効果が考えられる。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は一時的変化または人物の属性(どちらでも睡眠不足の記号的表示が好例)を示すために誇張して描かれることがほとんどである。
私の萌え系イラストでは、特に意識してクマが描かれることは無い(反面、彫りを示すような影を眼窩の領域に付けることは多い)。

これら(および同等の考慮事項)を含めて検証したいときは、検証に用いるデータにその成分が出ている場合に、その範囲をラベリングするか注釈する方法がある。
これらを除いた場合のデータも用意して検証することも選択肢に入れる必要がある。





認知科学での説明

「認知科学での説明」には、研究者である私が近似する特徴としての具体例を示すべきであり、最初から断定的である姿勢は望ましくないと思う。
「近似する特徴」という前提で示される具体例は、断定的である場合よりも、例示の余裕があり、量を多くできる。
読者の多様な判断を促すうえで、「近似する特徴」という前提で多めに示そう。

具体例@(記事投稿日現在保留)

2019年9月28日 記憶に基づく実在人物の絵 二次ver. 三次ver.@



学術機関でのそれ(科研費の案件・研究課題)だと、何か社会的な調査を含めるかもしれない。
当の記事の後年の追記②で、「臨床的な手法」という言い方をしたことに当たる。
日本でいう「モニター調査・モニタリング *monitoring」という類があるが、英語圏で一般的にそういう言い方があるか不明である。
他にアンケート (enquête) とも言われる方法 (questionnaire; surveyの一種) がある。
誰か一定数の人々に、1人ずつ、具体例の二次ver.と三次ver.の類似性を尋ねる方法である。
特定の場所に人々を招くか、遠隔で人々に判断させる(類似性の判断に不自然な影響が入っていない必要がある)など、多少の形式の差がある。

手法としては、いわゆる定性的研究=質的調査 qualitative research の一種に入ると思う。
医学的に「エビデンスを取る」という言い回しをすると、それは定性的研究と定量的研究=量的調査 quantitative research とのどちらかは判然としない(英単語survey サーベイはどちらの意味にもなる>アンケート調査 vs. 測量・測定行為)。
混合研究法 (mixed methods research, multimethodology) という言い方がされるものもある。
「臨床的な手法」は、この研究に社会的要請がある場合に行えばよいと思う。





精神的作用からの「相対互換」

「相対互換」という言葉には、三次元ヒトもとい実在人物が二次元キャラの相貌の影響を受けることも含まれている。
これは、実在人物が知能を有している描く主体=見る主体=思う主体であり、その客体である絵を、主体が自ら認知する特徴に意識的でも無意識的でも似せることがあるのみならず、主体が客体である絵の顔つきに似てくることである。
そのような主体と客体との相互関係・互恵関係・相互依存ということを「兩萌相應(新字体:両萌相応)」とも呼ぶが、「兩萌相應」は宗教的な文脈でのみ使用したほうがよい。
絵を描く私が、人物の顔つきについて考察を深める中で、骨格・筋肉などが自身の理想に近似してゆく兆候を感じたことが含まれる。
主体が何を描く・見る・思うかによっては、その思いの対象である=客体である絵に相応した近似があるので、私が求める萌え系に限らず、他の人間・動物(イヌ等)・人間に似た謎の生命体(肌が黄色いアレ等)など、主体のヒトビトが異なって客体に似ることがある。
この趣旨は、2017年3月23日投稿記事『「念」による端正(たんじょう)な顔の利益 ~ 色心の相応』に様々な例示で説明されている。
そこで、私が小学生のころに世間の事物から意識的に感じていた事柄が示されてもいる。

これを定量的に研究するならば、膨大なデータ量とそのための時間とを必要とするであろう。
前提の設け方も色々とあるため、いくつかの説明方法も用意せねばならない。
手早く済ませたいならば、私の中学2・3年生の時の写真と、2016年以降の写真とを比較することで一旦の解決にする。
私の体脂肪率(特に顔面の皮下脂肪)は、それらの期間において恐らく大差なかろう。






起草日: 20190928

科学の後に、一般世間で広く利用できる技術があるとすれば、なおかつ、この研究が科学的であるとすれば、私が描く萌え系のための技術が開発できる。
例えば、似顔絵を描く際の「似ている似顔絵」・「似ていない似顔絵」の客観的な判断基準の設定に役立つ。
実践としては、特徴的な画風の中でのAさん・Bさんなどの顔つきの差異を「NさんよりはAさんっぽい・Bさんっぽい」などの相対性よりも「確実にAさんだ・Bさんだ」などの絶対性に近い判断が得られるような絵画の表現を実現するための補助の理論となる。
実在人物のコミカルな外見の表現でも、髪型や服装だけでなく人間的な特徴のうちで変化しづらい性質のある「顔つき」がそこでの人物の判別のために明確な特徴を発する。
正確にその絵画の技術もとい技法を用いるには、相当の慎重さを伴った丹念な方法が求められて困難であり、速い描画のためには天才的な才能が求められて困難であるとも思う。
コミカルなものなどは、性格に応じた表現(表情・セリフ・人物の外見全体による行動描写)などが人物の特徴として認知されやすく・描く者が意識するので、その方面では「二次・三次相対互換」の「スキーマにおける形式性の追求」は影響を与えづらいかもしれない。

他に、人物の表情を描画しやすく、他者から直観的に判別しやすく開発することを考えよう。
人物の多面的な表現を志向する、一部の漫画やイラストレーションなどのためには応用できる。
単純な図形の組み合わせによる表情の画風は原型たる人物と一時的な表情のヴァリエーションが少ないし、写実的な画風は人物の表情の反映が必ずしも直観的でない。
人工言語というと、音韻や文法に関して聞き取りやすく区別しやすいものや自然の現象を知覚・想起する脳内での主体と客体の関係を示しやすいものを目指す。
子音や母音の種類が少なすぎる (e.g. 10/3) と、実現しないことも多いか単語の音素単位・文字数が多くなる。
子音や母音の種類が多すぎる (e.g. 50/10) と、相互の区別が困難な音素が増える。
文法事項を反映した語形(屈折 inflection によるものなど)が多すぎると、習得が困難だったり日常的な使用に支障の出る人もいる。
過去記事に例示される人工言語エスペラントは、ヨーロッパの言語が基盤である(日本語L1のみで30年以上生きた人にとっては/l/ /r/や/h/ /x/の区別が困難かもしれない)とはいえ、ここら辺のバランスが望ましいし、信奉者が社会的な変化に多少の対応を努力する傾向もある。
言語には、論理性に加え、色々とユニバーサルなことやバリアフリーなことが求められよう。
しかしまた、多様性の観点では、日本語や英語などの自然言語において好まれる特徴も多いので(主要な自然言語は相互に通じやすくすべく合理化された部分・翻訳借用も多いが)、なかなか取り扱いは単純でない。
大衆的な絵も、人物に関しては表情の表現を描画しやすく判別しやすいものを目指すことが可能であるが、どのくらい追求されるべきか?
芸術のうちで限定的な領域であっても、模索したい人が模索することは望ましい。
結果的な反響や利益について、私は特に想定しない。

楽語共調理論 symphonedy theory」など、情報技術の数学的原理・情報理論とさまざまな芸術行為に関する統括的な研究が考案される。
芸術の立場では、認知科学などの知見も取り入れることになる。
一個人である私がマルチに活動するとなると、どうにも疎通の説明が可能な研究が必要となる。
個別分野に関しては、当然、それらのローカルな知識(専門用語)や学問(パラダイム paradigm: "nomenclature, terminology, methodology"に差異がある・"incommensurability"がある)が伴うし、芸術分野も色々と説明がされていて一つの分野(例えば芸術>音楽>ポップス>ロック<器楽などが入れ子構造や二重支配を持ってもどれか一つ)に複数の流儀や解釈や説明がまかり通る。
それらが人間の行為と複数の人間に理解される知識と捉えられ、私は時間がかかっても学び取るだけの知能と精神とが必要になる。

その後、納得のいく検証・解明・説明を私が行おう。
説明には既存の概念に比較しづらいとき、紛らわしくない新たな造語を欲することは、科学哲学で有名な通約不可能性"incommensurability"を念頭に置いている。
例えば、言語学でノーム・チョムスキーさんが言った「言語能力 linguistic competence」という独自の用語・術語 (恐らく1965 Aspects of the Theory of Syntax か 1957 Syntactic Structures) は、文法が言語の基盤である前提にして(生成文法・普遍文法のモデル)言語と文法が生得的な能力である(彼の派閥は他の動物と共通する生物学的カテゴリに置くことを期す)という意味で言われたものの、一般的な形容詞と名詞の組み合わせであることから、社会的な能力 (ability) や経験的な知識 (knowledge) としての差別的な言語能力と解釈されやすく(チョムスキーさんは同時に ability に近い意味で linguistic performance も説明したろう)、人文科学・社会科学における一つの反省点である。
用語の使用と受容の不調和は、既存の主流な研究の妨げになったり、新たな・独特な研究に対する主流派からの容喙が及ぶなどで、相互に問題が起こる。
こうして音楽でも絵画でも、個々の理論を人間の行為の大局的な領域にまとめあげる作業がある。
一応、芸術分野の一つの解釈のために科学的方法論や知識の援用があるのみで、私の研究を科学に属すると立証する意図は無い。
研究の前提に、色々と科学や数学の方法論と知識と歴史とを学ぶ。
日本の大衆的な芸術分野の突破口を見つけ、国際化以上の価値を創出する一助にしたい。
専門分野との関連性は、奥行きや広がりを持たせる。
複数の分野の関係者間における相互理解の一助としても期待がある。



↑(一つ上)の段落は2019年10月2日以前に書かれたものである、と2020年3月7日に確認した。
当記事はそのように起草日から数日以内に大きく書かれて以後は、「必要な準備(数学の学習、学術的方法の検討、画像素材–図表の作成)」と「他のあらゆる作業–活動」のためにあまり加筆されないできた。
2020年2月下旬からは、内容の加筆が再開され、理論の基礎部分の再考を始めたりした。

「相対互換(相対的互換性とも)」という名は2016年当時に学術的な立場をあまり念頭に置かず、便宜的に付与した名称である。
「相互」をほぐしたような語彙として考案されたかもしれない。
現在までにこの理論を指した記述の数例を参照する:
それで、記憶に似つき、相対的互換性理論に適っているかといえば、然程でもないが、実在のS・芽生ちゃんとは別物と思えば、別物として良しと言える。—Ld1. 2016-07-01

女児Sのイメージを、どうにかして絵として完璧に表現できることを望みながら、懲りずに描いた。(中略。なお「S・芽生」と「女児S = Y.S.」は別人物)「二次三次相対互換」の様々な理論や、イメージを表現する際の経験的基準を用いても、技能的な問題が強いためか、なかなか望み通りとならない、と見ている。—Ld1. 2018-05-05

萌え系の人物の相貌に関する「実在の美人の相貌との相対的相似(近似)」を「二次三次相対互換」として2015年から考察を始めた。—Ld1. 2019-08-19

互換性といえば英語で"compatibility"であり、形容詞は"compatible"であるが、行為名詞 (action noun, nomen actionis) や現在分詞と同形の動名詞 (gerund ジェランド) は無いように見える。
元はラテン語で「(誰かとともに苦しむ/憐れみを感じる」という意味の能動態 (active voice/aspect) しか無い自動詞の compatior である。
不定詞 compati  と接尾辞-bilis が合わさったような語彙の派生語として、英語の形容詞"compatible"(「思いやりがありえる/できる」「同情できる」;任意の人物の持つ精神の機能という意味合いで。そこから「両立できる/互換性のある」)があろう。
過去能動分詞 compassus は「同情・哀れみ–憐れみ」のような意味の名詞 compassion の派生がある(いわゆるコンパス compass とは接頭辞con- = com- が共通しても関連性は無い)。
このような観点から「相対互換」という表現は、西洋語を念頭に置くときに扱いが困難である。

「相対互換」という表現の扱いが困難でなかったとしても、この記事の段階で私は「Aさんの顔つきの線」の話にあるような新しい説明の手段を持っている。
想像上の個人と仮定される顔の抽象的な類型区分を設定する方向にある。

変更案のために連想される語彙は何か?:
"facial similarity"…顔の類似性、相似性。曖昧さが強調される。
"graphical face indentity/identifying"…描写的な顔貌同一性/識別。
"individual face taxonomy"…個別顔貌分類法(分類学)。
"prosopoanalysis/prosopanalysis"…顔貌(相貌)分析(分析学)。πρόσωπον (prósōpon) + ἀνάλυσις (análusis) という古代ギリシャ語系の複合語。
"generative face perception"…生成的な顔貌の知覚/生成顔知覚。「考えられる注意点 2」も参照。
"anatomy of the neotenous/baby-faced appearance"…幼児のような外見/童顔の解剖学。この neoteny 語彙は生物学用語から派生した俗語–スラング slang の意味合い。いわゆる「二次元」の萌え系イラストの個別の分析と実験手法の側面に寄せて。
"moe-form/moeriform identification"…萌相識別(顔貌についての表現対象と表現結果との間の同一性の明示)。moeriform は moerus (萌えの典籍からの造語) + -forma (adv. -formis) というラテン語系の複合語。

改めて想起されるものが、2016年に動物を比喩的に萌え系イラストの類型区分に用いたことである。
Ld1. 2016-06-22で2015年12月15日の絵を載せた際の説明、Ld1. 2016-10-11で2016年8月28日から6日の複数の絵を1枚に載せた際の説明、同じく2016年9月4日の絵を載せた際の説明などの後、Bl. 2016-10-10で譬萌條という章に「五萌類『萌相を獣に譬ふ、狗・貓・猴・兔あり、鳥も擧ぐべきか』」が説かれたことを指す。
経線モデルで萌えの帯域にZ軸(海面からのプラスとマイナスの高度に当たる)方向の派生を設けたいならば、分類学的研究とそのMoella属の種または経度Numerus属(numerusは数学 n と同じ仮定なので実際にはラテン語の数詞またはアラビア数字を当てる。赤道からプラスとマイナスを仮定する場合は2-ji属と3-ji属とEquator属とを設ける)のmoerus種(前述のプラスとマイナス仮定ではnumerus種)の亜種か変種といった命名を伴うことが考えられる。
生物学の分類学や系統学を参考にした。
彼らの命名やラベリングは、現在に主流の分子系統学 (molecular phylogenetics) の場合に個体と考えられる個体間における分子的な差が特異でないと種の区分が生じない(属と科と目などについても種に代表される下位の区分の情報の蓄積に依拠している)。
歴史として、いきなりそういう高度なものではなく、先に古典的な形態の特徴の分析の後、難問が露出し、転回–パラダイムシフト paradigm shift が求められ、今も生物学には分子系統学の正しさを追究する努力があるのではないか。

この長くなりつつあるあとがき欄で、はじめに「私が描く萌え系のための技術」が開発できるという展望を示した。
技術開発の観点では、科学的研究もほどほどにして客観的特徴の心理的な決定と実用性を重んじ、既存の二次イラスト(3DCGモデルを含む)や三次写真を解釈して数々の属性 (property, properties) のラベリングを行うであろう。
自身の出力 (output) のための情報を整理して形式的に記述する。
さしずめ <eye size="middle" color="156°, 100%, 78%"> (color属性はここであえてHSL, HSVのようなもので心理的に表現;気に入らない方はRGB: 0, 200, 120; CIELab: 71.33, -60.18, 28.53とも) <eyelid fold="2" length="100%"> などの具合で客観的特徴の心理的な決定を行うが、これは、その実用を望む人自身がイメージについて自覚的である精神的努力の技術が同時に求められるかもしれない。
萌え系の鼻の表現では、鼻梁と鼻尖と鼻孔のいずれをどう強調するかなど、これも <nose> 要素の property または variant, variable または value として考慮できる。
あとは、音楽でいう楽譜からの楽器演奏またはMIDIファイルの再生のように、そのように記述されたものが他者の脳内またはプログラムの組まれた機械で変換されて出力されるなどもある。

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