本人の人格の心理的傾向が指示対象である。
「幼女になりたい」、「わたしは女の子」、「永遠の15歳」などと。
キャラクタライズされたものでは「~でしゅ」、「~ですぅ」、「~でちゅ」、「~でつ」という語尾の役割語で連想させる場合(りぼんちゃんや翠星石は…)がある。
疫学的に、ある種の社会的弱者(低所得者を含む)に、この傾向が強いと思われる。
たとえ今が社会的弱者でない人であっても、背景にそういう過去があったり、人格形成期に負の影響が大きいことがある。
地域として、世界的な単語の「ロリコン」(lolicon, ただし hentai と同じく日本語での意味と異なる指示対象) の起源である日本国に限らず、近縁の大衆文化とポップカルチャーのファンであれば諸外国にも点在しているであろう。
SNSのプロフィール画像にその種のキャラクターの肖像を採用することに関しては、対外的なイメージ向上の意図に基づく場合と、ここでいうような心理的傾向に基づく場合とがある、と私は見ている。
同一人物のSNS投稿内容の傾向から、どちらの場合であるかを察することが可能である(私が当事者に質問して回答を得たわけでない)。
筆者による何らかの音楽イメージ絵、未完成 (ドキュメント20210728, scenery3; 20220409 edition) □ |
どうせ「防衛機制」ならば、「昇華」に昇華し、私のようにロリっ子の絵を描きましょう…健全な。
「絵本に手加減して!」 by Nさん
目次
埼玉県越谷市在住1999年生の男性Aさん、自ら「性同一性障害 (gender identity disorder, GID; DSM-IVまで有効の診断名、アラビア数字に変わったDSM-5からは性別違和 gender dysphoria, GD とする)」と表明している (MtFとも表明している) (エストロゲン製剤、抗アンドロゲン剤などを2014年8月から飲んでいるそう)その人物は、「幼女になりたい」というフレーズを常用する。
Aさんは、自殺未遂で精神科の医療保護入院を受けた経験(2019年11月)がある。
アイコン使用例は、『ご注文はうさぎですか?』(ごちうさ)初回登場時で中学生のキャラクター(後で高校生)である。
Aさんの膀胱炎に関しては、女性に多い種類よりも、LGBTに多い種類(外出先でのトイレ利用の困難さに起因するもの)として、発症した可能性がある。
※英語で"transgender", "dysuria", "bladder"などのキーワードによる完全一致検索をかけても、日本語と比べて関連する情報が出てこないのは、結局、英語圏でそんなにトイレ事情が進歩している、ということなのか?
身体的性が男性で、トランスジェンダー女性であるAさんは、そういう意味で「同性の幼年、幼児」としての幼女を挙げるというよりは、とりわけこだわって幼女の特性を挙げていると思われる。
無論、特定ごちうさキャラ(ただし他のアイコン使用例もある)を「ザ・幼女」と称してそのキャラになりたい、ということでもなかろう。
※"I wanna be the guy"というのは、定冠詞があることで特定の"the guy"(ザ・ガイ) が想定されているのであって無冠詞"guy"とはなっていないようなものを意味している。有名なゲームの作品名としては実際に誰を指すのかあずかり知らない。日本語で同じ意味を表現する場合、定冠詞の語彙が無いか、有っても話者が常用しないので、このあたりは不明瞭になる。その人物は「ザ・幼女」を指定しているよりも、「誰かしら幼女」を想像して「幼女になりたい」というフレーズを常用すると私は思うものの、同時に特定ごちうさキャラを好いていることも投稿物から見られる。
他にも、「ロリータ系のエッチな漫画」を買った経験を話すこと(記録不明)などで半ば「いわゆるロリコン」であることを表明しているNさんは、女児のような話し方(ものまね以外)をすることもある。
私はその動画を傍証としたいわけでないが、参考までに例示する。
彼には精神科の措置入院を受けた経験(2012年3月など)がある。
男性向けアダルトものでなく、女児まんが(小中学生向け少女漫画)雑誌『りぼん』を2019年11月6日に購入していたことも、目的(主に説教か)が何であれ、傍証である。
上掲の動画は、彼がパンダの姿でいてたまたま女児が多く集まったという例である。
2019年11月24日の滋賀県大津市民が彼に向かって「ロリコン」と呼んだり、警察官が彼を念頭に置いて「ロリコン」と言ったりしたのも、彼が動画や写真で撮影した対象の演奏会参加者がたまたま未成年女性だった上で「(演奏者のうち最初に見た人物の)背が高いから子供だって分かんない」「後で音楽を聴きたくて補聴器だと音割れするから動画で録音した」「相手が子どもをおとりに使って自分をハメた証拠のために静止画を撮った」と話している。
典型的な精神分析学用語における退行の例は、2012年1月18日15時17分の動画0分6秒における「(複数の警察官らに対して)知りませーん(それまでとそのあとのどちらも敬語は使っていない)」が真っ先に連想されるものの、他に当てはまる例は過度に多いわけでない。
2019年11月24日の滋賀県警からの「ここは幼稚園でも小学校でもないよ」という指摘から、彼と口頭で話した人たちも、「精神年齢」に関する推察が露呈される。
参考までにNさんがどう、成人女性(外見と声の特徴)を相手にして話をするかだが、特に相手が女でも男でも変わりはないと思われる。
上掲の動画の原作 20180829-1635.wmv 14分のフルバージョンでは、「すっごい乱暴につかんだよね、補聴器。言葉の裏腹にはすっごい態度荒いね。〇×交流館とかそういうとこ、表面的にはすっごい言葉遣いよくても、内面的には…。『私にコレ、マイクを向けた』ってみたいな感じで」などと聞かれ、成人女性、成人女性、成人男性と別の関係者が出てきても特に態度の変化は見られなかった。
この件とまるで同じようなことが 20120308-1354.wmv 札幌市青少年科学館でも行われていた。
これと関係は無いが、「綺麗な女性(京都市にそれが多いのは醜い人を排除しているから、という陰謀論を語る)」ということの価値判断も分かるようである。
彼らは行政的に逸脱行動と思われることによって警察沙汰となったり、精神科の入院を受けることが経験されているので、「幼児退行」、「低い精神年齢 (low mental age or IQ)」が心理学や精神分析学や精神医学の観点では言われうる。
それらの分野がそういう立論でやってきた歴史経緯を私は知っているが、最新の知見がもしそうでなければこの限りでない、とだけ付言する。
彼らは解離性人格障害、解離性同一性障害 (dissociative identity disorder, DID) とまで至らずとも、未成年女児になりたい願望が多かれ少なかれある、と私は感じている。
色々な人がいて顔写真と本名を公開している者も、そうでない者もいるが、いずれも正直な話や心情(正確には:当事者に可能な言語表現の行使)であると見てよい。
たとえ精神科の措置入院を経験しない人であっても、行動の特徴で幼児退行が見られるうえで、同じような心理学的ロリコン現象が発生していることもある。
某サイト投稿者で、2012年8月まで激しいパンク系の楽曲を作っていたMさんが、2018年に別のコミュニティで再び見られた時には幼女外見キャラクターのアイコンを使っていて2019年には別の少女外見キャラクター、2020年にはオリジナル幼女外見キャラクター自作ドット絵(SD)をアイコンにしていた。
Mさんがリアルでどうかを詮索するにも材料は少ないが、2022年現在に33歳以上(根拠:2008年6月時点に18歳以上であることが確定している)の年齢で親の家に住んでおり、インターネット文化にひたっていてもパソコンを持っていないことは確かであり、どう譲歩しても「高所得でない」という特徴が想像される。
他にもアマチュア、同人、インディーズの音楽 (doujin, dōjin and indie music) 関係者で、素性を隠しながらもそういう種類のアイコンやアルバムアートを採用する人が、同様の印象で映る。
無論、「対外的なイメージ向上の意図に基づく場合(主に商業的コンセプト)」に関してはこの限りでない。
すでに「大柄な男(およびそれに付随する負の属性)」(少なくとも男女を問わず成人相当の外見)と客観的に(共同の主観性で)見られたり、自覚がある人が、かえって真逆の属性である「幼女」になりたいということは、これも結局、コンプレックスの一種であろう。
そういうわけで、すでに普及している語形から「ロリータ・コンプレックス (Lolita complex)」だと仮に呼ぶ。
無論、アリス・シンドローム (Alice syndrome), ピーターパン症候群 (Peter Pan syndrome) みたいな他の名称でもよいので、変更可能である。
もし社会的弱者に相当する人であれば、どうにも「(肉体とは別の意味で)弱いですぅ、私のことを守ってください~、庇護してください~」といった意図に重ねられる。
直感的に、そういうものとしては年齢差別 (ageism), 性差別 (sexism) に相当する。
個人主義の社会性(および自由主義の社会責任)を理解している私は、極力、自制している。
一般にいうロリコンの性愛を当事者の経緯で持つ場合は、ただその性的対象に近づく手段として「イケメンよりもロリ自身のほうになりたい」という考えを出発点にする個人もいるのであろう。
これには大衆文化における「ロリ百合」のようなジャンルの作品からの影響も考えられる。
心理学的ロリコンを学術的に見れば、認知的な幼女ないし少女の理想像のための「客体化 (objectification)」が挙げられる。
つまり、「心理学的ロリコン現象」までに、「幼女ないし少女」について理想像の材料を無意識で選び抜いて把握する過程が考えられる。
客体化のために、理想像における負の要素は、理想的に切除されている。
ただし、負の要素であっても、ギャップ萌えみたく、「大男をひねりつぶせる、最強で冷徹な『ぅゎょぅι゙ょっょぃ』」というものがある。
それもまた理想像に当たるのだが、「心理学的ロリコン現象」ではそういった負の要素が認知的に切除されている。
見ようには、任意の文化および文明全体に共有された「ステレオタイプ」に相当する。
ただし、私だって「永遠の14歳(人生がそこで止まっている)」だとかと言いたくもなるし、少女というか乙女じみたことをやりたくもなる。
「つける薬」とは、個人の心理現象よりも社会全体に対するもの
心理で彼ら個人たちがそうなること自体は「心理の生理的な現象」であり、いたしかたがない。
この社会が、言語でも文化でも「年齢差別 (ageism, エイジズム)」、「性差別 (sexism, セクシズム)」、「外見差別 (lookism, ルッキズム)」、「障害者差別 (ableism, ablism, エイブリズム;接頭辞 -ism の別の意味から健常主義とも訳される;直訳は能力差別でよいのでは?)」、「人種差別 (racism, レイシズム)」を内包していることに、原因がある。
日々の言葉遣い、風習、文化的な力のある作品(古典、宗教聖典)などで、我々は絶え間なくそういう影響を受けている。
その解放を企図していない人は、誰でも、社会正義としての議論を行えない。
「心理の生理的な現象」自体をつぶそうとせず、確かな教育を老若男女に全てにゆきわたらせて原因を解消する、地道な努力しか、有効な手立てはない。
「見知らぬ人への攻撃という凶悪犯罪(うち宗教的な心情に基づくテロを含まない)」を無くするにも、急進的なものは何ら解決のすべではなく、ただ、同じように「地道な努力」のみが有効である。
もろもろの当事者へ、経済的に支援や救済することおよび社会的地位を向上させることというのは、二の次である。
私は何か?
幼女の客体化は芸術的に行い、私の自由として、まだ文明で許されているため、「心理の生理的な現象」として行っている。
だから私は社会正義に背かないし、非難される余地は無い。
結局、教訓童話や仏教経典と同じで、そういうふうに仕向けないと、何の芸術でも悪の媒体でしかなくなる。
それについて私は注意しているが、諸賢からのご指摘を過去に一度もいただいていない。
主に日本語で活動しているため、日本国に社会正義を果敢に行う者がいないのだ…、と判断しておこう。
前にも「立正安国論」ということで、その正義の薬を文明全体(一閻浮提)の万民に施そう、という立場を表明している。
急進的なことをするつもりは無い。
社会病理とは、「個人の社会的領域に関する病理」ではなく、その原因である「任意の想定された社会全体が一個人=一個体であるときの病理」であらねば、何ら解決策を打つことはできない。
換言すれば、ひきこもり個人が社会病理なのではなく、ひきこもらせる社会全体に治療すべき病理がある。
なお、"social pathologies"が「社会病理」という訳語の原語とされるが、その意味するところは、任意の社会における特定の逸脱行為または行動 (deviant behavior and/or action, 主に自殺や種々の犯罪、詳細は英語版Wikipedia - "Deviance" oldid=1069286625を参照)であったので、文字通りに考えると誤解を招く。
また、この概念の名称は、日本語(歴史上の、および現代的な意味のどちらも)以外であまり普及しているように見えない。
フランスの社会学者、エミール・デュルケーム (Émile Durkheim) は、やはり個人の逸脱、特に自殺については、個人それ自身の意識よりも社会のほうにこそ原因がある、という仮説を立てることで、逸脱と社会病理の研究で先行していたそうである。
ここで、それがどういう立論であるのかを説明することは、煩瑣になるので、しない。
自殺の細分化(武士の切腹、ハラキリなどを含む)のことからも、ひきこもり行為をただちに精神病理と同質化して考えることはできない、と誰でも理解できる。
参考:2015年8月17日投稿『「引きこもり」について一元的な見方しかできない世間・・・質素な閑居について』
https://lesbophilia.blogspot.com/2015/08/blog-post_17.html
「ニート」や「ひきこもり(学会での改名案:社会的距離症候群)」の名称は、障害者の名称以上に愚弄されているし、エイブリズム以上に社会全体で真面目に考慮されていない。
次のように、ネガティブな表現における「引きこもる」という動詞の使用も、エイブリズム思想や障碍者差別感情の発露では?
引用:
「○○な考え方に引きこもって」という表現を母親が受けた某講座の冊子(6/10日記メモ)から見取ったのだが、こういったネガティブな表現にいちいち「引きこもり」の語を持ち出す理由が不可解だ。
悪しく用いたりするが、心理云々の講座の割に、配慮が何も感じられない。
どのような者が執筆し、誰の校正を受け、誰の許しを通してこんな低劣な講座の冊子が印刷され、流布してゆくのか非常に疑わしいものがあるが、当の母親も、その冊子に落書きで苦言を綴っていたりするなど、不適切な記述・謬見まみれの紛い物講座だと思えてならない。
—上掲、2015年8月17日記事 ※「心理云々の講座」とは、任意の通信教育業者による心理カウンセラーの講座の教材(冊子)を指す。これを受講した本人は、三日坊主(この慣用的表現は仏教僧侶への文化的宗教的差別用語でない)であり、他人の心理をいっこうに理解できることはなかった。なぜならば、本人自身が悪を自覚し、反省し、努力するという姿勢を欠いているから;灯台下暗し。大学の薬学部出身という学歴も、何ら、精神的な高尚さや向学心の高さに関連しない。下の弟が2022年1月9日に「心理カウンセラー」になりたいということを言っていたが、同じく、口先だけであって努力の姿勢が見られない。私は心理学界隈に無批判の憧れを懐いたことなど、2012年以来、一度も無い。
私は個人主義の保守性と革新性(順法と脱法の両立)を改めて主張している。
私は総合的に判断し、やりたいことをやるし、自省でも自制でもすべきことをする。
いつもの話になるが、「精神の死生観、苦楽の輪廻(1秒=一生)」とセットである。
筆者自身の感情を表現した2020年4月26日の絵 (元の掲載ページ) 人物は、2019年2月26日の絵の「話し手だった人物」であり、自画像でない。 |
筆者自身の感情を表現した2020年8月30日、8月31日、9月6日の絵 (元の掲載ページ) 人物は、2019年2月26日の絵の「話し手だった人物」であり、自画像でない。 |
反対の仮想、反例:他の「~になりたい」
・「ねこになりたい」などと動物になることの願望を言う人。
;発言者にとって、その「なりたい」対象が、性的対象としての様態を兼ね備えていない可能性が高い。発言者にとって「お気楽に見える」のであれば、お気楽に生きたい、という意思の投影として一時的にそう発言することもありうる。
;例えば猫の気持ちを理解したいから猫になりたい、と比喩で言うことは可能である。また、猫と仲良くなる手段で猫になりたい、と本気で思う人がいれば、病的にも、ほほえましくも見え、個人の例や経緯(発言の文脈)を見ないとただちに判断可能な心理は無い。
・緑ランドセルのお兄さんとして私を記憶している芽生ちゃんが2019年の高校卒業のタイミングに「引きこもりになりたい」とツイートしたこと。
;若い女性の一部に見られる自殺願望と似た種類?この場合は行為としての「引きこもり」に相当する。
;客体化された幼女と同じく「弱者」が理想化されている例?この場合は肩書としての「ひきこもり人物」に相当する。
発言に基づいて鑑定する場合も、結局は言語的な問題(冠詞の種類と有無)から発言経緯の問題まで色々と横たわっており、簡単に断定できるわけでない。
備考:男性の少年愛者、ショタコンの中の心理のショタコン
昔の自分に重ねて(自己投影して)少年に執着心を持つ人もいる。
同じく、「心理のショタコン」と便宜的に呼びたい。
ただし、単にかわいい子ども全般を性的対象とする小児性愛の人が、たまたま男性である子ども(慰めてもらった経緯がある特定の人または似た外見や声の人とか、髪が長いか中性的な外見である人など)を好んだ場合、この限りでない。
男性の少年愛がある人は、両性愛(バイ)というか性的対象が女性であることに加えて少年を性的対象にすることもできるという程度の場合が多い。
心理のロリコンが「いわゆるロリコン」の程度を強く持っているわけでないように、心理のショタコンも「いわゆるショタコン」の程度を強く持っているわけでない。
昔の自分に重ねて(自己投影して)少年に執着心を持つ傾向も、疫学的に、ある種の社会的弱者(およびその経緯がある)に多い、と私は見ている。
当記事では、男性における心理のロリコン(いわゆるロリコンと半分同じで半分異なる)について示したが、男性における心理のショタコン(いわゆるロリコンと半分同じで半分異なる)というのもいることを忘れないでもらいたい。
簡素に例を挙げる:
・先のNさんは2007年に2ch掲示板スレッドで「少年兵」を指定難病「二分脊椎症」など複数の障害を抱える自分よりも残酷だ(不幸だ)と憐れむ書き込みを行い、2008年に紛争地域の少年兵をテーマにした歌詞を作って歌っていた。更に、Nさんは2019年に別人格Tの状態で歌詞を「何もできないままの少年に…」と作り、自分自身の人生を歌っていた。
・三重県菰野町在住のKさんは2012年に「忍者の少年、ショタが主人公の『ナルト』という漫画があるんだよ」と発言した。同年、Kさんは「8歳の変態少年hm君」という題名の自分自身を映した動画を投稿していた。
;2名は、俗に言うナルシストの振舞いをせずとも、心理学や精神分析学におけるナルシシスト (narcissist) とみなされる面がある。そういう心理から、外でトラブルを頻発させるなどしなければ、ただちに有害でない。
・東京都在住のW. T.さんは2016年から彼の趣味をテーマとしたブログで、本題の趣味とは別に少年愛、特に子役の男子の話題をしていた。その後も、彼自身の肖像は隠す上で、幼少期の本人の写真を頻繁に素材として用いるなどもしている。とはいえ、彼には異性愛(ただし昔の女優など…、「おばあちゃん」のことも好き)もある。ずっと実家に住んでいるようである。
踏み込んだことは言いづらいが、身体的性が女性の人の場合も、これは互いの性が逆転する形で通用するはずである。
とはいえ、以前もフランス語のフェミニズム界隈、ポストモダン心理学界隈を見たように、母性とか、女性に特権化された特徴を踏襲すると、必ずしも精神構造や脳の機能が男性と一様でない、という仮説から、同じく、「男性における心理のロリコンと男性における心理のショタコン」が女性にあるなどと考えることは難しい。
男性ホルモンが異様に多い女性であるとか、産んだ子を守ろうと思わない(どういう事情であれ、すぐ捨てるどころか神戸市大学生のように手ずから殺すこともある)女性とか、新しい交際相手や内縁関係の夫と一緒に児童虐待をする女性とか、色々あるわけだから、私も最初からひとまとめにする気は無い。
ただ単に、焦点は「心理のロリコン」または「心理のショタコン」の属性を持つ人に当てておきたい。
Nさんだから「ノンバイナリー (non-binary)」、Aさんだから「アロマンティック・アセクシャル/アセクシュアル (aromantic asexual, aromanticism)」と頭文字で遊んで言うには、無理があろう。
備考:接尾辞 -ism の多義性
当記事では「接尾辞 -ism の多義性」を詳述しないでつもりでいたが、折角なので簡単に説明したい。
究極的には古代ギリシャ語 -ισμός (-ismós) に繋がるとしても、18世紀以降の学問の中で、色々な意味に使われ、日本の西周(にし・あまね)が、何かしらの必要性によって「~主義」と翻訳したことが、漢字文化圏では定着している。
e.g., 「フェミニズム」"feminism" に対する中国語圏での「女性主義 (Simplified Chinese: 女性主义)」.
しかし、意味によって単一の訳にこだわる必要性が無いことは、翻訳行為に詳しい人ならば誰でもわかる。
「自閉症」"autism" (auto- + -ism) のことを誰も「自分主義、自己主義、自動主義」などと翻訳しないようなものである。
同様に「リウマチ」"rheumatism"のことも「ロイマ主義(ギリシャ語 ῥεῦμα のドイツ語読みを採用)」などと誰も翻訳しない。
たとえそう翻訳されていた例があっても、普及していないか、今の人は誰も知らない。
「~差別」と翻訳しうる例は、その単語とその用法の多さから、私が説明するまでもないし、辞書サイトの一例でもその定義を示した項目がある。
これらで、多義性は証明されている。
接尾辞 -ism の話と異なるが、中国共産党(中略)
「ナニナニ主義 (-shugi)」という表現は、漢字文化圏独特のものとして理解しておくと、その中での交流には向いている。
起草日:2022年1月7日
出典に乏しくなるとしても、特定分野での仮説としては大いに有意義だと私は思っているので、とりあえず起草した。
これも憲法の個人主義について人々が考える上での材料になればよい、という気持ちで書かれている。
他の参考:
女々しい印象、女性的な外見に関する用語: Effeminacy
Kkonminam (韓国語/朝鮮語 Korean: 꽃미남)
Niang pao (中国語 Chinese: 娘炮)
韓国や中国の大衆文化で、日本の文化性が反映された例でもある。
前者は、漫画 (1992年)「花より男子(はなよりだんご、花男)」(Boys Over Flowers) の韓国語名称(現地のドラマ版でもある)「꽃보다 남자」から取られた、ということが一目でわかる。
後者は、「娘」という、本来、その漢字の意味として中国大陸に無かった「ムスメ=若い女子」の日本での字義を借用して以後の同じ漢字が使われている。
いずれにしても、日本と比べると全体主義の強い国々であり、中国では特に"effeminate man"の K-pop などが規制対象になりやすいことから、必ずしも良い意味で通じるとは限らない、と留意されたい。
憲法の個人主義をどう進めても、中国共産党 (CCP) の社会主義をどう進めても、"effeminate men"のような傾向は、実社会の中で強まるに違いない。
ファッションの新しいスタンダードとしてであればともかく、「去勢された社会的弱者」のような人における心理学的ロリコン現象と同様の原因による場合については、軽く見たり、弾圧したりすることは望ましくない。
なお、心理学的ロリコン現象を発現した男性が、後で女性と結婚したり、既婚であったりする例もあるかもしれないが、かなり少数であろうし、一時的な演技やモノマネの場合もありうる。
本気で心理学的ロリコン現象であった場合、結婚後にどうなったか、ということは別途、考察対象にできるが、実在性はいかがなものか?
オトメになりたかったオトコたち。
性別を問わないと、アダルトチルドレン (adult child, adult children; キダルト kidult, kidults; バルナブル/バルネラブル・アダルト vulnerable adult, vulnerable adults) が近い概念になる。
サナトクマーラ"Sanatkumāra"は「永遠の子供」と直訳できる、純潔さを表したサンスクリットやパーリなどインド言語での神格の名前(典拠:チャーンドーギヤ・ウパニシャッド7章ほか;神智学は無視してよい。文献のまとめられた過去記事は2018-02-10)ではあるが、同じ意味のラテン語"puer aertenus", "puella aeterna"などと言うと、指示対象が変わる(近代の心理学界隈がそうである反面、2000年前のローマでは Ἴακχος という神の呼び名で使った例がある点はインドの例に近い)。
トランスヒューマニズム (transhumanism) と、十界互具(じっかいごぐ)…、Nさん流に言えば「ト=十(とお)、ジュッカイゴグ」。
2013年ころ、学術的な作業の以前に私は色々とジェンダーの話題をしていたが、当記事に関連性が高いものには以下がある。
2013年7月31日『ああ、女になりたい』
https://masashi.doorblog.jp/archives/30152616.html
これはこれで「学者、研究者」自身とは異なる立場として研究対象にすることが可能である。
今でも、都合によってトランスジェンダー女性のレズビアンであるという「ジェンダーのアイデンティティおよび恋愛対象」を私は言っている。
ジェンダー論(男女平等、LGBTQ+社会的包摂)以外で、当記事に関連性が高いものには以下がある。
2021年7月11日『未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害』
https://lesbophilia.blogspot.com/2021/06/uncategorized-minority-webography-studies.html
トランスジェンダー女性のAさんも、結局は、「動画撮影型精神疾患」の岩間さんや、ライブ配信者(ライバー)たちを見ており(Twitterで岩間さんの最新のアカウントをフォローする行為を含む)、その人には、彼らの影響で行っていたと思われるいくつかの要素がある。
ちなみに、この記事を起草して20日後の1月27日、Aさんの住む埼玉県越谷市で、ライバー女性がリスナー男性(茨城県牛久市)によって殺害される事件が発生した。
ドロドロたる痴情のもつれと、盛大なる逆アンカリングと(越谷市ライバーつながり、かつ理論的ロマンス記事 2021-11-04で示唆された犯罪の現実化)に辟易する。
今回の記事を、2015年から繰り返されている心理学への風刺やジョークと見るかどうかは、諸君に任せよう。
次回の記事も、心理面の詮索が含まれたものである。
何を題材にしても、西洋文明が追及する社会正義の視座(科学の批判的思考と人権平等と普遍的価値)で私は執筆している。
投稿日の翌日:Nさん誕生日おめでとう。
殺人などの凶悪事件、凶悪犯罪心理学へのアクセスを示そう。
推察としては、「可愛さ余って憎さ百倍!」のネコ殺しを含めて「ぬこ、猫コンプレックス、ネココンプレックス、ネコンプレックス」や、「犯罪心理のロリコン」がある。
神戸市須磨区酒鬼薔薇聖斗事件、東京埼玉連続幼女殺人事件、狭山事件などが考えられる。
これこそ「エディプスコンプレックス」に執着するジークムント・フロイト狂信者が切望した、血みどろコンプレックス(コンフリクト)理論の現代版である。
複合語解釈「オイディプースが抱いたコンプレックス(属格の依主釈)」の意味であれば「酒鬼薔薇コンプレックス」か?
0 件のコメント:
コメントを投稿
当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。