2021年7月22日木曜日

著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済

デジタルな情報の通信技術が普及した今では、多くの情報が共有され、20世紀よりは、はるかに生産性が向上した。
また、多くのコミュニティもSNSなど少数の大規模なスペースに集約するか、二次的な拠点を置き、同じスペース全体での著者の不明な情報もあることで、信頼性 (reliability) が玉石混交の様相を呈している。
ここら辺の事情が国によってまちまちだが、何よりも私のいる日本国とそのマジョリティの言語である日本語において、より生産性と信頼性とを向上させたいと願う私は、改めて簡単な意見表明をしたい。



「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」と題した。
ここで示唆される情報の市場は、その主役である人間たちの欲求と信頼性とを等しい比重にすることを理想とされている。
現今では、本の著者や情報商材の提供者やセミナー講師やサロンなどに金銭が渡る状態を先とし、後でその顧客の感想があることになるが、これでは相手が悪質であるという評判を知らないか、個人的に悪質であると感じる要素がありうるにもかかわらず、知る前にその人の「外付け生命力」である財産が渡ってしまう。
やはり、その人にとって、こういった取引は心の不幸さに繋がるし、その意味で、正しく金が動くことにならず、貧しい人の貧しさを強めるおそれもある。

米国では米国なりの民主主義や自由主義の思想的な影響で私の言うような傾向が見られるし、中国では社会主義の思想的な影響で私の言うような傾向が見られる。
どこからどこまでが「社会全体の共有財産」であろうか?
Twitter: @tottoriloop, 2021-05-13付近のツイート

物理学博士(プリンストン大学 1981)のアラン・ソーカル (Alan Sokal) 教授が彼自身の著作(ただし共著の本)の違法PDFをダウンロードできる (illegal downloadable) と意見相手の人物に紹介している文章も参照されたい。
彼は本の収益と別に実利的な対応を優先したように私は見ている。

ウェブ文書のキャプチャ画像


特許権を含む知的財産権に関して中国共産党は、国際法や異国の法律の立場で年々取り締まりの厳しさを増す姿勢でいるが、やはり中国の成長は、著作物に関するオープンさや平等性に求められる部分もあろうから、日本では「盗用、違法アップロード」と思われることも、中国では過度に違法であるように思われないようである。
違法アップロードでの情報共有は、それも大概、悪ではあろうが、実際に私の言う「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」であれば、多少の法改正の後、違法ではなく合法になりうる。
剽窃や著者の詐称は、著作者人格権や"authors' rights"などの観点で、違法で構わない。
著者を隠匿することまたは不明と呼ぶことは、グレーゾーンだが、著作権の関係以外での違法性を言うことができる。
倫理的かどうかは、その通用する範囲内の社会の通念に依拠するので、単純に現今の情報化社会とやらの立場では、私が言う「情報経済」に抵抗が無くなりつつあるであろうし、これからはなおさら、そういう「常に無料アクセス、オープンアクセス」ということが、学術から芸術まで可能である必要を覚える。

報酬を得る人は、運が良ければ今まで以上に得られるかもしれないし、顧客の母数が少なければ収入が減少するか1銭も得られない可能性が上がりもする。
著者も、顧客から「こいつに金を出したくねぇ」という人から先に金を出されて当たり前だと思うのでなく、「相手に金の損をさせたら逆恨みが怖い」と思って金銭を非道徳的に受けたいと思わないくらいの精神性、または、「そういう顧客からの金はもらわなくて結構」という金銭への寛容さが無いと、出版業が社会の平和や幸福を生む商売でないと私は思う。
いくらかの種類の著作物に基づく著者の収入に、「印税」(租税や税制と無関係)という奇怪な語源および語感の用語が日本語にある。
書籍の出版業界や音楽業界は、知的財産の側面に限っても色々と分業が多いことを私は理解している。
「印税」のシステムが色々と言われるが、それに関しても顧客からの感想や評判に依拠した方式も採用できる。
前掲のアラン・ソーカルの例からは、彼が小さな利得よりも相手の立場を思いやった紳士的な気質を私は感じている。
金儲けしている著者の人たちには、『失楽園 (Paradise Lost)』で有名なジョン・ミルトン (John Milton) さんの、彼が言論・出版の自由を訴えて記した書 Areopagitica (1644) を読んでいただきたい。

新型コロナウイルス感染症のコロナ禍で、社会のセーフティネットが注目を強めている今だから言うこともできる。
金満の売文家の人々は、もし私が言う「情報経済」によって収入が激減しても、転職したいと願って実現するまでの間、社会保障として生活保護(時代の想定によってはベーシックインカム)の金銭を受給できる。
日本国が他国から信頼を受ける限り、国の借金、国債、公債(対GDP比)が増えても急な恐慌や財政破綻はありえないし、何かしら人道的な食糧供給などはある、と市民的に「信頼」すれば明日の我が身を絶望する必要は無い。
自分の生活と名誉と日常とが壊れることを嫌うから、細々とした生活に対して絶望する人もいるが、この話は脱線するので、終える。

「持続可能性」という観点でも、マクロ的には地球環境が今の人間文明によって変動していることは多くの人が実感しているであろうから、機械化する労働環境も考慮し、人間は多少の客観性と精神性をどちらも重んじてゆかねばマクロ的な持続可能性を向上することは無理であろう。
蓋然性として、「著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済」は求められることになる。
「炭素税」「カーボンプライシング」とかの環境政策にも、互換性があるものとして仮想できる。
前述の「借金」のアイデアで、「地球への借金」を問題視することは人への借金と同じかそれ以上にできる。
日本国は、ビジネスなどの慣習が全体として保守的であり、他のことも、たとえi-mode携帯電話(デジタル符号化の絵文字 emoji の始祖)、2ch (4chanなど画像掲示板が普及する元の元として決定的), ニコニコ動画(英語圏では中国版YouTubeとして知られるbilibili動画に多くの要素が継承される)などの成長が早くて先進的だったとしても、中途半端な段階で留まっていつの間にか諸外国(中国と韓国を含む)の後塵を拝する状態になっていった。
これらから類推すると、こういった領域でも中国や米国が先んじていくに違いないため、社会主義であれ自由主義であれ、私が言う「情報経済」も後から日本の人が理解できるようになると思われる。



この話では、「リバタリアニズムの国家が存在しないように、そんな『情報経済』も存在しない」と言われそうである。
現今では、確かに存在しないからこそ、可能性の側面を当記事で記した。
他にもあるので、少し紹介したい。

モデルケースおよび類例

・いくらかの PC フリーソフト、Android, IOS スマートフォンアプリ
;ソフトウェアを無償配布する行為、その対象物。それを行うプログラマーやエンジニアの人は、それだけで終える個人もいるであろうが、利用者らの寄付を募る個人もいる。私見だが、利用者らの寄付によって優れた個人が報酬を受けることが理想的であるとする思想の人もいると見られる。
自由ソフトウェア (free software フリーソフトウェア) に一部重なる。ソフトウェアを、コピーレフトであるかどうかを問わず、そのソースコードが誰でも自由に利用できることを基本としている。利用者らの寄付によって優れたプログラマーが報酬を受けることが理想的であるとする思想の標榜、またはそのような事物。その運動または団体の思想や理念からは、結果的に無料になりうる場合が多いのではないか?

・Wikimedia財団の活動、特にWikipedia
;多くのコンテンツは無料で利用できるし、素材の方もクリエイティブ・コモンズ (Creative Commons) やGFDL (GNU Free Documentation License) や独自ライセンス(プロプライエタリなど)やパブリック・ドメインにそうものを使いつつ、言語マジョリティの国の法律に従う形でフェア・ユース (fair use) を採用するかどうかも言語版ごとに異なる方針で運用している (e.g., 日本語版では不採用、英語版では採用)。ウィキメディア財産はボランティアの立場である。ウェブサイトの運用が中心でありながら、広告収入を得ないでおり、寄付が主な資金である。

2020年現在は、フェアユース(米国法107条)と、「日本法46条(屋外に恒常的に設置されている美術著作物)」(Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針を参照)または「Wikipedia:日本で著作権が消滅し、米国で著作権が消滅していない画像の利用方針」の対象」の両方を適用できる場合のみが受け入れ対象となっているため、英語版ウィキペディアのように、映画やアニメーション作品の映像などの多種多様な著作物を受け入れるには至っていません。
Wikipedia:FAQ_画像などのファイル#フェアユースによるファイルのアップロードはできますか oldid=82958192


・ある程度の音楽業界によるフルアルバム (Full Album) 無償配布またはストリーミング動画公開
;レーベル(レコード会社)所属のもの、インディーズ、同人音楽を問わず、各々のいくらかが、異なる程度でこれを行う。また、第三者が好意でアップロードしたそれらコンテンツも海賊版として排除するのではなく、許容している例もある。右記YouTubeプレイリストは、特定のバンドとそのレーベルの方で公式に投稿しているものを公式にまとめているが、第三者(リスナーまたはファンと見られる)が既にアップロードしているものも包摂的に加えている稀な例である。https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mcCde8nBW8sZg-awIT38Aewn5FrtrzHYU 一方、行わない事業者でも行う事業者でも、排除する場合もある。

・いくらかのTV番組
;最新話の任意のTV曲での放映後、1週間以内はインターネット上の何らかの領域で無料視聴できるなど、色々とある。

・私、横野真史の活動
;絵と音楽と論文といった数々のコンテンツを全て無料で閲覧できるようにし、ブログやYouTube動画では(こちら側の意図として)広告も付与していない。

これらの例に関して、少し、分析してみたい。
商業的な領域で取引されている作品などでさえも、いくらかのものは鑑賞に関して無料である場合があることは分かったと思う。
それに関しては無料の無許可または違法アップロードはともかく、有料で売る海賊版のコピー源となりうる可能性はあるので、2000年代にはまだ早く、2010年代からはインターネットのファンの界隈に配慮してか、海賊版の対策が進んだためか、知的財産権に関する問題性の一般認知が普及したためか、これらの複合により、徐々に定着したと思ってよい。
管理する団体および個人の国籍が、米国であろうと欧州であろうと日本であろうと、自発的な経緯または同様の例を見習った経緯から、そうしたろう。
無論、著作物の使用のガイドラインやライセンスということを「情報経済」の話題で私は論じているわけでなく、無料作品でも有料作品でも、ソフトウェアにおけるソースコードと画像と音声などの使用素材や、著書および文書における情報といったものは、無許可で利用されたくないか、営利的な、政治的な活動などで使用されたくないという制限が伴う場合がある。

海賊版に対抗する手段は、その需要が排除しきれないし、包摂の形で、行われてきている。
海賊版の社会的または道徳的な問題は、商業的であってもなくても、他人の著作物を利用した配信の行為が、その掲載サイトの広告収入または有料会員の会費の形で、不法な収益になっている点であろう。
私はそもそも、「最初から著作物が無料で提供され、寄付によって著者が支えられる仕組み」の強化がされることを提案しているので、これが結果的には海賊版の駆逐の手段、もしくは自然淘汰の結果となりうるという考え方もある。



備考:私による顧客側の実例

紙の本 /4476011586 レビュー文案引用、2点の写真

私が「持っておきたい」と思って購入した活字の本がある。
事前にインターネットでどういう中身かを知っている(文章の内容を指すが、扱う対象が複雑なのでどういう配置かといったレイアウトや書式については知らないので気になった)上で、購入した。
私は、しっかりと紙媒体や物理的媒体としての特徴を理解したり、疑問を解決したい、という意識で、そのカテゴリの商品を購入し、過度に多くの量を買うことはない。
顧客各自のミニマルさというアイデアは、当記事の趣旨から外れるが、類例として挙げる。



その他

情報に対する「報酬、謝礼」としての寄付なのか?人間活動への「応援、投資」としての寄付なのか?
これは基本的でない話であり、どちらの立場で行ってもよい、とだけ、ここでは判断する。
「相場の金額」は、寄付したい人の自己判断であるが、実際の本から類推して一定の量ある情報にその分野の本1冊の2021年現在における価格以上とか、その人の感謝の気持ちを数値化して出したい金額を出すなどが考えられる。
感謝の気持ちは定価にできないので、1円でも0円でも100万円でもよいし、本の価格は寄付額に困った場合の参考程度である。
無料で見ることには精神的満足に関連する創作物であれば、なおさら、それが先であり、その後に精神的満足の感謝の料金が払われる期待でよかろう。

「無料」の例から外れるものを考えよう。
私は、ビデオゲームや映画などのエンターテインメント系に関して、ソフトウェアであっても有料であるほうがよいと思う。
これに関しては大きな理由があるわけでなく、単純にそれらが有料であることを望み、ゲームに限っては少数もしくは個人製作の同人ゲーム、インディーズゲーム (indie game, インディーゲーム) or フリーゲーム (free game) があり、今までと同じく競合していればよいと思う。
両者はその相克で成り立っていて問題がない。
ただし、物理的なゲームセンターの利用に比較できるわけでない。
それで無料のものがあれば、当記事の言及対象とは別の善意で、無料で提供されるに過ぎないと私は思う。
任意の種類の障害者に対して無料で利用できるようにする、レジャー施設、遊戯施設、娯楽施設、スポーツ施設があることがその例で、当然、ゲームセンターの利用もみな、私がビデオゲームなどのエンターテインメント系を有料であるようにすることと比較できない。
マンガ、漫画などコミック類や小説など文学作品とその評論などは当然、当記事の言及対象になっている。
コロナ禍で慈善のつもりで、一部のマンガ週刊誌が無料公開したり、特定の作品が全巻を無料公開したり、という限定的な条件ではあるが、こういったものが無料で広い範囲に公開された事例が出てきており、当記事のように恒久的な条件でも無料にできることは希望がある。

インターネット回線、有線や無線のインターネット接続など、情報通信技術そのものは、明らかに著作物(特許を含む)ではなく、物質的である部分が強くあり、有形の産業に相当するものとして、契約によって利用の対価を支払うことが一般的な経済と同じであると私は評価する。
たとえが悪いかもしれないが、公共の場所でのフリーワイファイ、Wi-fi (Wifi) というものは、図書館または知り合いから本を借りることと近い。

こう考えると、ゲームは物理的なハードウェアに対する物理的なソフトウェア中心で売り続けてそれは有料が当然、という目線で、映画館で見る映画とか、多くの映像作品のDVD, BD (Blu-ray) も有料ということで、物理的な媒体もしくは多少の範囲の閲覧方法が有料であることの基準になっているようである。
これらは、小売店や遊技場というサービス業(正確には第三次産業)の利用料金、人件費が含まれる。
あまり、エンターテインメント産業について言及することを当記事の起草当初に私は想定していなかった。
新品の製造でも、活字の本のリサイクルでも、結局はフィジカルな程度が高くあり、環境負荷も大きいわけで、法律にない範疇での「贅沢税」という風に考えて、そういうものは基本的に有料で取引される、という考え方もできる。
コレクターのコレクション程度にそういう物理的な媒体(パッケージや小冊子など付属、ただし映像作品の光学ディスク optical disc 焼きこみの内容はデジタルな情報 cf., DVD = Digital Video Disc or Digital Versatile Disc)は有料にされ、少数の製造であれば、環境保護の観点にも見合う。
ファッション記事でも私が記すような、いつもの「多くの産業(リサイクル産業を含む)のリストラ (restructuring, 和製英語、カタカナ語の意味でも本来の意味でもどちらでも) どころか雇用削減、産業衰退になる」というもう一方の話は、ここでしない。



「論者が誰であるか」という情報への信頼性や責任ということは、私が言う「情報経済」が件の精神性や道徳の理解がひろまっていることを前提にするので、同時に、高めの水準で成り立つと私は思う。
「論者が誰か分かっていれば、たとえ粗末な内容であっても、論者や情報源 (reference; source, ソース) が分からない野良情報よりはマシ」という著者と読者の双方の責任感の低さが甘さである状況は、それ以前の通過点になる。



この議論は、その著作者が著作物や芸術作品や情報に関して無料で閲覧などができることを良心的に拒否できる状態でもよい。
全部、精神的な話であるし、良心とやらが変わる結果で私が言う「情報経済」があると、世間の蓋然性について私は予測してこれを記すし、できればより能動的に推進されることを望んでいる。
法律の改正を原因とするか、結果とするかは本質的な話でなく、やはり常識的に、前掲の「モデルケースおよび類例」が出版業界などで知られることがまず第一歩ではなかろうか?








起草日:2021年5月20日

このような知的財産権、著作権がらみのことは「情報経済学 (information economics)」と呼んでさしつかえない、と自分の言語感覚で思った。
バイナリなどのデジタルな情報を伴う、金銭の取引(株、為替、商品購入)ということではなく、この意味で問題なかろう。
経済学という広範な領域自体、多分野である私にさえ門外漢であるし、題材にすることは勇気がいる。
「情報の非対称性 (information asymmetry)」に関しては、「本の著者や情報商材の提供者やセミナー講師やサロンなどに金銭が渡る状態を先とし、後でその顧客の感想があること」というフレーズを含む段落に示唆されている。
また、私がファッション産業の化学による解析を行った記事 2021-04-02 でも、こういう消費者目線での疑問の解決を図る意図がある。
こういった文章により、自由市場で、不平等であったり、良いものの値打ちが低いといった、結果として順当ながらに不当な状況の解消の一助にしたい。
要は、専門的な「経済学」というよりも、単に社会正義や平等の立場での実践をしたことになる。

当記事のアイデアは社会主義にも自由主義にも通じているので、他方への批判的視線が強いという属性のある党派性の一種が強い人に受け入れられづらいと思う。
何らかの既得権益が強い人にも受け入れられづらいと思う。
情報通信技術の普及した環境で、労働生産性や学問、学術領域の発展を願う場合は、ビジネス書から学術論文までオープンアクセスであるほうが、当然、その点では好ましいが、同時に正しく利益があるようにするには、寄付する精神性の理解の普及も必要になる。
このように、簡単な発想であるから、MIT発想のOCWも類例と私は感じている。
当然、私の年齢的な原因もあり、彼らの方がずっと歴史的に早いし、そういう歴史を学んだ方が、当然、
「人への信頼性」に関しては、クラウドファンディングとかが、即物的な例が多いとはいえ、類例であろう。
他に、「情報への信頼性」や責任ということは、本文に記した通りである。

著作権に関する記事の例、2017年8月10日公開『仏教と著作権・・・「同一性」とは相似性の便宜上の呼称である(法学・法律学)』
https://lesbophilia.blogspot.com/2017/08/buddhist-dharma-and-social-law.html

何はともあれ、私の「兵器なき戦争」が長く続いていることを感じている。

2021年6月16日に同年6月10日の外出で私が撮ったうちの1本の動画のみを公開し、説明文に当記事の話題をした。
今後に投稿される他の記事の話題がメインであり、よろしければその記事もご覧いただきたい、という意思表示である。
『豊橋市 表浜海岸 伊古部海岸で荒木伸行さんのモノマネ(2021年6月10日)』 https://www.youtube.com/watch?v=X9RPJs-VN64

今後、『未分類マイノリティの考察、動画撮影型精神疾患(動画記録依存症、証拠どり症候群)と動画撮影障害』という題名で、インターネット上のいくらかの動画投稿者(YouTuberと他人から認定される場合が多い)を含む人物に関しての研究を発表するつもりである。
そこでは:
「未分類マイノリティ」からの新・障害区分「動画撮影障害 (video recording disorder)」の理解から、「こういう人が社会にいてその行為でトラブルを起こしがちだ」と知り、主体性や尊厳を蹂躙する非倫理的な方法以外で「動画撮影障害」を治すことは困難であり、出くわした人間がうまく付き合う必要がある。
撮られたくない人は、その個人たちに遭遇することについて「運が悪いが、撮られた映像は悪用(わいせつ、個人攻撃)をされない」と信じるしかない。
…ということを記している。
これは、同じく今後の発表が予定される『著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済』という記事の趣旨とごく近いもので、個人の権利を個人主義者として私は重んじながらも、社会に対していくらか個人情報と権益などにオープンであることを期待していることが示される。
現実に、多少のトラブルがこの種の個人情報と権益などから発生している。
一方、「侵害される側」の中には「侵害する側」を許している人もまた、当然いる。
トラブルを作る立場とは、どちらであるか?どちらにも原因があるのでは?侵害されて泣き寝入りすることも両極端に相当する。
私権や自由と責任を考え直すきっかけになるであろう。


2021年7月5日に当記事を初公開したが、7月22日に更新するにあたって、「公開日」設定を更新日と時刻とに合わせた。

改めて思うが、著書は通常、無形であり、有形の媒体=メディア、メディウムという中間の存在は有形の様態としてのコストに価値があることになる。
彫像などを著作物とする場合は不可分とも言えるが、結局、CG(computer graphics, コンピューターグラフィックス、コンピュータグラフィックス)の3Dモデルに複製することもできる(複製した人に関する著作権が生じる)。
小山田圭吾という音楽家の過去の雑誌インタビュー内容が炎上し、彼の仕事が剥奪される経過があった。
2020年オリンピックの開会式に関することで組織委員会が特に、社会的責任を問われていた。
2011年にNHK番組がらみから既に問題視されていた雑誌インタビュー内容であったとしても、これはオリンピック反対派が火種となり、大きく炎上したと言える。
この件に始まったことでなく、芸能界には、見る人によってサイコパスのように見える個人が大勢いる。
ギャラだとかと、芸能界の活動は商取引になっている。
作業者の肉体的疲労と顧客の精神的変化以外に客観的な影響の無い作業に金を出す価値を、私は感じない。
信頼できる人柄に、その個人の生きていることへの感謝としてであれば、それはそれで心からの金を出すことが望ましい。
学術における科研費などは税金から出ているとはいえ、私はまともな学問が進むことに関して金銭が拠出されることを承認している。
出演料、仕事への報酬、メディアに移された無形物の価格などというものは、好ましからざる存在であるように、改めてこの記事で主張しておこう。
芸能界とは、個人主義者でも全体主義者でもある私にとって「くにはじ、国賊」を多く有する業界に見える。
文明の悪い部分への依存が強い、しかし左翼じみた人も多い、無反省のゴロツキ集団、という点で、よほどの人以外、金を与えるに値しないと私は感じる。
アニメやマンガにしても私は同種に思っており、信頼できる人物に寄付する精神性が道徳的にもよいのではなかろうか?
本文にも記したように、感謝の気持ちでも応援の気持ちでもよいが、金の行く先の人の気持ちを先とすべきであり、他の物事に釣られて(話題の流行おっかけ、友人関係のつなぎ、興味、物理的媒体の製造過程=労働者への感謝と無関係な特典目当て)金を出すことは文明的「金ドブ」である。
そういう人間性の尊重が無いと、AIの発展や普及が進むにつれて人類は自らの無力さについて克服できないのだから、私は警告する。

是が非でも「無料」「タダ」というキーワードを毛嫌いする「悪い意味で保守的な勢力」のために、別の提案をしよう。
当記事では「寄付」の具体的な金額例を「の分野の本1冊の2021年現在における価格 […] 感謝の気持ちは定価にできないので、1円でも0円でも100万円でもよい」と記しているので、無料ごり押しではないし、なんならば「定価1円または100円での取引」ならば良いとでも表現を変えればよいか?

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しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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