2014年9月24日水曜日

悪夢に魘される 現実に準じて展開される悲劇

私はあまりいい夢を見ない。
今日は久々に怖い夢を見た。
おぞましさのあまり、途中で目覚めたが、雨の降る朝6時40分過ぎだった。

先に言うが、夢とは現在では半ば常識と化していることにこんなメカニズムがある。
脳の記憶整理に伴い生じた幻覚。
だから決して超能力の類でなく、神の啓示もなければ、予言というのも潜在意識の顕れである。
あとは、睡眠中に現実で生じる刺激が五感に与えるもの、或いは夢を見る顕在意識の反応でも内容が変わる(今日の夢もそうだった実感がある)。

そのため、自己解析として今回は推察していきたい。


肝心の内容について書く。
舞台が豊橋のこちらの家の構造・外見に似て非なるものであったが、住人は私の他に私の上の弟(埼玉)と、父親(埼玉)である。
家と住人がごちゃ混ぜである、まるであべこべだ。
そんな中、雨が降る暗めな朝に家の外で、何が発端かは忘れたが俺と上の弟で軽い喧嘩をしたっぽく、その後、秘密裏に父親が上の弟の肩を持ち、また争うことになる。
その際、私は弟に大量の血を流させて、返り血を多く浴びた私は「証拠撮り」をした。
自分を写し、後にネットに載せる魂胆が、という俺らしいシーンだ。
上の弟は再び敗れ泣き寝入りし、今度は父親が武器(包丁)を持たせ、またも闘争を唆し、俺に仕向ける。
結果、俺に向けられた刃を逆手にとって所有者たる弟に突き返して、返り討ちにした。
さなか、包丁の刃を直に触れた影響で掌を負傷した。
戦果の屍を父親の元に、嘲笑うようなセリフで渡したら、「もう○○を唆すのはやめるよ」と言い返した後、父親は父親の部屋(現実の豊橋の家では母の部屋)で暴れはじめた。
この家での先行きに不安、曇りを感じて俯く俺が映って終わりだ(というより自らの意志で起きて、悪夢を強制的に切り上げさせた)。


ここから解説に入る。
上のあらすじでは、完璧に私の闇を反映させてることがわかる。
もしも、豊橋の家の母親が死んだり、上の弟のように私が追い出されれば、本来の親権者でもある埼玉県内の父親のもとへ行かねばならないのはもはや決まったことである。
その時には父親だって生きてるのかはわからない。
父親とは私の豊橋への旅行が家出に発展したことが原因で別れてるのだから、今更顔を合わせるわけにいかない。
そんなもしもがこんな形で表れた。

弟と喧嘩に発展したのも、恐怖の対象が父親だけでなく弟にもあることを表す。
実際、弟だからいつも仲良しなどということはなかった。

証拠撮りという行為も、実に現実に準じたものである。
この際にもう一点、私が現実であることに悩んでいる面も夢の中で表現されたが、あまりに低俗なので割愛しておく。

そして、弟は武器を持ち出し私に挑むのだが、「武器を持ってようと、それを扱える能力がないならば反撃をくらう」ということで、その弟が武器を持つ手を巧みに操って(単に、その手を抑えて己に向けさせて)返り討ちにしたのである。
現実の俺にそんな力と、臨機応変な判断ができるかね。
このへんはある種の慢心が夢に出たのかもしれない。

最後、戦果の屍を担ぎ、父親の部屋へ運び嘲笑まじりの勝利宣言をすると、父親がその時だけ怒りまじりにも穏便な言葉を向けつつ、果てに大暴れするのだが、これも父親に何か悪い感情を持っていてそれの表れなのかもしれない。
弟の屍を見せつけ、父親に誇ったのも、前の家では私なんかより姫路に逃げた弟の方を求めてたっぽい父親に対する実力の誇示をしたかったのだろう。
成績優秀でいつでも父親に欲も漏らさず、黙って父親の元にいてやった俺なんかより、児童養護施設が怖くて姫路遠征時に帰還を拒んだ弟の方に恋焦がれていたことが気に食わなかった。
まあ結局先述の如く、そんな父宅より2011年4月に母宅へ逃れたのだが。

最後のシーンでは、俺が生活への不安を強く懐いたが、これも現実で毎日ひしひしと受ける感情の表れで、父親の家での頃のみならず、こちらの母親の家でも共通する。
だからこんな夢を見た、そもそも上述の通り母親の家での生活がいつまで続くかと思い詰めて父親との生活の最悪のストーリーを考えたのだろう。
まあ最悪の構図は、父親から俺に暴力を振るい始めることなのだろうが。

最初こっちに来たときは、父親が殴りこんでくるんじゃないかとかの不安もあったがね。


目覚めたときは臍まわりの腹筋と後頭部がかなり痛かった。
嫌な目覚めだよ。
こんな気持ちでは、いつもの「目覚めの余暇」なる時間はほぼ無に等しい。
俺はすぐに体を起こし、PCを起動させるのであった。


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