2015年9月28日月曜日

2015年以降、特に配慮する文法

一字一句を推敲する。
文法で今年のいつからか非常に気にするようになっているのは「している・していない」という現在進行形の「い」抜きや、一文中(文節)で「は・では・には・のは」等で助詞の重複がないようにするところである。
前者の「い抜き言葉」に関しては一般的に誰も問題視していないし、私も他人が使うだけなら問題視しないが、自分の文章はここらへんもキッチリさせたく思う、というより、今では「い」が入ることが自然に当然のセンスとなっている。
後者の「助詞重複表現」に関しては、例えば長い一文で重複助詞が離れていれば一見違和感が無いのだが、それを意味が変わらない程度に重複助詞を近づけると、誰の目にも息苦しい助詞の重複と感じられるから、このように位置を整然とすることで助詞の重複という状態を見分けられる。
適度に句点(ピリオド)を打って文章を終わらせる工夫は必要だろう。

これは自分で記述訓練をしてこそ得られる感覚だから、文例を挙げての説明は野暮だと思ったが、一応の例を挙げておく。
慣用句的な「一概にこうとは言えない・一概にはこうと言えない」のどちらかが適切な文脈において「一概に"は"こうと"は"言えない」と、助詞の"は"が2回使われることが助詞の重複である。
「この場合に"は"それ"は"しないでね」という一文も重複であり、否定形が続くものが多い。
助詞"は"の同系の助詞として仮定などの意味がある接続助詞"ば"であり("こういう場合は"と"これならば"という語は文章によって同義である)、例として「そういうことなら"ば"(同義表現: そういう場合"は")、これ"は"いらない」という一文が挙げられる。
助詞の重複は、助詞全般に対して有り得るものであるから、「が」の系統など、色々ある。
曲がりなりにも文章に関する仕事で収入を得ているプロは、一応、この点にも念を入れる。
※今の一文の「曲がりなり"にも"」と「この点"にも"」は重複表現の範疇でない。
"は"の重複表現は、現代人好みの曖昧な印象を付けるようであり、発言者の心の自信の無さや、何となく中途半端に表現したい意図が表れている(曖昧な表現を好んでいる自分に気付いてこれを退治する努力が必要に思う)。



ここでもう一点思い出したことは、名詞的な助詞である「の」や助詞的な名詞である「こと・もの・ところ(蛇足:とき・ころ等)」を多用しすぎない表現であろう。
前者は名詞的=体言のような性質を有することで「準体言助詞(準体助詞)」と呼ばれ、後者は「形式名詞」と呼ばれる。
「こと」に関しては、中学生の頃、自分の言いたいことを海外サイトに英語の長文で書き込もうとした際に、客観的に見て使わない英単語"Thing"が、自分の知識で直訳するとあまりにも繁多になっていて、ウンザリした経験がある。
一方、英語の"Thing"も「こと・もの・ところ」同様に、何らかの事象に当てる表現として"Everything, Anything"等の英熟語がある点で日本語と類似する。

現代の日本語の表現は、曖昧にしたがるきらいが備わる(まあ英語も"This is it"みたく前後の文脈を知らないと意味不明な文章が多いが)。
それを覆して、「こと・もの・ところ」などは、全て具体的な名詞にすればよいのである。
例えば「驚いたことがある」という一文では、「驚いたこと」が何らかの過去の経験を指すのか、何らかの本で読んだ記述を指すのか、あるいはその他なのか、曖昧である。
「驚いた経験がある、驚いた記述がある」と、一つの単語を差し替えるだけで、いくらか具体性を持った想像が可能となる。
こうして、極力「こと・もの・ところ」という、どんな文脈も嫌わない中性的すぎる単語を、具体的な単語に差し替える"こと"="思考・努力"が重要であり、常に心がけている。
そうすれば、自分の言葉を英訳したいときも、垢抜けない雰囲気が一掃されるかもしれない。

助詞的な名詞(こと・もの・ところ、とき・ころ、なに等)は、ある程度漢字にしない方がいい理由として、当てる漢字の意味(字義)が含まれないところにある。
好例が「もの」であり、人物などを指す「者」や、物質・物体などを指す「物」のほか、「こと」のように事象を指す場面もあるが、これはどちらに変換するのも好ましくない。
無闇に漢字にしてはいけないのが、助動詞「いる・みる」や「ない」等であり、「してみる」の「みる」は視覚的に見るのでなく、「試みる」ことであるから、当然「見る」と綴らない。
「しない」の「ない」も否定形の助動詞という上では本来「せず」いい、漢文なら「不」の字を当てたように「無」よりも「不」の字義が通じ、助動詞「ない」は存在の有無などを意味しないから、「しない」の「ない」は「無」と綴らない。
有無の「無」と異なって、新参助動詞だから「綴らない」を「綴らなし」と文語体形容詞同様の終止形にすることなどは禁物。
上代から現代にかけての日本語の変遷を見ては、自ずと感覚を得られる。
「ない」という形容詞的な助動詞・「もの」という助詞的な名詞などは、音がたまたま一緒で意味も類似するだけであり、正体は別物と考える必要がある。

※「ない」の語は、既述するように「存在の有無=○○が無い」と、「行わない=不」に加え、「性質の否定=非・不」いうのがあり、「ではない」なら「あらず=非ず」が対応する。「ではないが」という表現は「あらねども」等と古文に変えられるよう、実は対応がしっかり出来る。



漢字の変換についても「など・等」を使い分けるのは、実際に脳内で「等」の時は"とう"として言葉が紡がれているので、これに従う。
私は文脈により「など」か「等(とう)」を選んでいるわけだが、見る人にはこのニュアンスの違いが汲み取れないかもしれないというジレンマがあって、私としては方針を変えたい部分もある。
こういう私は、他にも「ほか・とき」を漢字にするかしないか、迷う経験が多い。
そもそも、「ほか・とき」とも漢字の変換が複数ある(とき=刻というのはデフォルトIMEで出来ない)。
今の一文に出た「とも=共、できる=出来る」といったものも多く選ぶ時間を取るし、そういった変換するかしないか迷いやすい漢字には枚挙に遑が無い。
ここで、適宜その可読性を考慮するか、あるいはその時の裁量など、必ずマニュアル通りの文法を持つ必要が無いという帰結もある。
もちろん、私自身そんなマニュアルありきの執筆活動ではないのだが、伊達に書いているわけではないからいくらか自分の流儀が定まりつつあるのは当然である。



最後に、文法や文字主体の話と少し異なることだが、近頃の傾向をここに記録する。
日々脳内の思考や、口に出す独り言では、反射的に古い発音であるとか、浮かび上がった言葉の文字列は古い仮名遣いなどに置き換えられてしまう。
簡単に言えば、FPS・TPS等の暴力ゲームや、テトリス等のパズルゲームにはまった時に自覚する中毒症状と似ている。
前者は視界がさながらゲーム内の空間であって自分は主人公のつもりで他の歩く人間が殺害対象などに捉えられたり、後者はあらゆる物体などの形状が積まれたテトリミノのように見えてしまうというもので、どちらも過去に体験している。

今の私という者は、ちょっとした言葉もおかしな発音に置き換えたり、あるいは普通の人が「してる(い抜き言葉)」と言うところ、「してる→している(正統)→しておる(古風・老人)→してをる(旧仮名遣い)」のように変化して、独り言では実際にそう口に出すことが特に多い(「してをる"Shi-te-wo-ru"」の発音は少し自然に"Shi-tweo-ru"というくらいが近い)。
少し考えただけでもこうして即座に、普通では奇異と見える表現に置き換わる。
英語の学習に徹すると、日本語の単語が勝手に英訳される人もいるし、これも経験があり、今でも日本語や漢語の音韻が勝手に英語・ラテン語・ギリシャ語・ドイツ語等に変わることもある。
異言語などが干渉するという状態は、普通の人だと一過性の流行語にはまってポンポン出すようなもので、私の場合も勉強の成果といえども、いずれは元に戻るのではないか、あるいは「個室即地域」の方言のように定着するのではないか。
方言というものは、本来日本全国で同じように(蝦夷は不明、アイヌは漢字系と異文化)時代差はあれ、現代で言う古語が話されていて、近代に至るまで江戸時代の封権(??)で地域ごとに独自に進んだ大衆文化の中で成熟した。
各国の領域下やもう少し広い地域で、産業も政治も収まった(それまでは中央集権と、他の地方の作物・鉱物取立てで統治)わけで、大名だかの頭以外の民衆は遠く他所行きする必要も無い。
今の私も封建(??)的に過ごしているわけだから、方言的な独自の語りも生まれように、これは今に限らず幼少期も単語レベルなら造語を生んではいた。





後年の追記①
「動詞連用形+て」という形の後に句点を打つと、文脈が乱れやすい。
ただし、「よって・したがって」や、「○○を以て」や、「○○に於いて」などの副詞的用法の表現には句点を付けた方が文章の整理がつく場合があるため、便宜を図って句点を付ける。



2015年9月22日火曜日

2015年・秋季散歩計画の策定

涼しい季節となってきた。
まあ、連日の雨の影響でもあるかもしれないが、いずれは必ず寒くなる。
年の後半の涼しい時期、すなわち秋季の散歩シーズンについて考え始めておきたい。

私が散歩する日を選ぶ上で、自身の体調はもちろん、気温や天候のみならず、散歩後の風呂や洗濯をも視野に入れる必要がある。
2015年3月30日にも「散歩の計画は風呂というものも包含している。みだりに放蕩して汚して、剰え洗濯・風呂が叶わないというわけにはいくまい。」と記述している。

例えば、午前中に散歩に出て帰宅し、間もなく衣服を洗濯機にかけ、自分も風呂に入り、出てからは洗濯物を干しださねばならない。
夜や早朝などに行うゴミ出しや自販機通いなら、部屋着でササっと済ませて、長くても1週間経つまでに洗濯される。
私は頻繁に外出するわけではないから、一度着て外で長時間歩いたために汗を少しでも吸った衣服は速やかに洗濯する必要があると考えているし、母親などに頼るわけにはいかない事情もある。
母子家庭にあって母親は・・・いつもの事情を話すと長くなるが、2015年3月から当面休職でいるため、本来なら母に任せてよいのだが、家事の積極性に欠いていて思い通りにはならない。

やはり、散歩する最中は汗かきを厭わずやっていきたいので、事後には風呂などその日の内に入っておきたいわけだが、風呂についても入りたければ入れるものではない。
これも上述のものと似たような事情があることは、多くの過去記事・日記メモに見るところ。
なお、いつもの注意点となるが、浴槽という狭義の風呂は2010~11年より一度も入っていない(故に日記メモでは「シャワシャン」の注釈を頻繁に付けている)し、どんな散歩になろうとも入浴は当面有り得ない。



普通の人が気軽に外へフラつくのと異なり、自分はこうした面で躊躇している。
同じ自分を振り返ると、確かに豊橋に来てから1年以内は風呂や洗濯などを一切意に介さず、奔放な面も多かった。
例えば2週間風呂に入らないことがあるとして、その間に何度もコンビニ通いをするなど、かなり不潔に思うかもしれないし、どちら(コンビニ通いも風呂2週間超拒むことも)にしても、今の価値観では真似したいと思わない。
散歩の判断に迷っている今の状態も愚かしく感じるが、欲が先行して外出し過剰な消費活動(ほぼ毎日浪費気味のコンビニ通い)を続けることは猶愚昧に思う。
コンビニ通いが実質不可能となったり、コンビニ店員への恐怖が強まって入店しなくなった2012年9月からも、自販機に通う頻度は今の5~10倍ほどあっただろう。
幾らか経済的な束縛が外的に強められた結果であるとはいえ、今の状態は清らかで慎ましやかに感じるから、幸甚の思いだが、同時に散歩の決断力に欠いてしまうのは副作用であった。
だが、条件がそろって散歩を即決する日は、2014年秋季にも2015年春季にもあった、これが救いであるから、10月以降も条件がそろえばこうしてまたどこかへ行けると良い。



散歩の計画であるから、目的地やルートなども考えねばならない。
詳細なルートはこの記事では示さないが、過去の散歩記事では便宜上どこかの駅を起点として地図にルートを描いている。

目的地の案としては、とある急勾配の場所(川の流域が低地だから川に対して傾斜がある)に設けられた長い階段を歩きに行くとか、2014年11月の大量下血の日に歩いた幹線道路沿いの商店を再度映しなおしに行くとか、愛知県道2号沿いとか405号沿いとか、色々ある。
弟ほどの体力を持っているか、前の家のように自転車を所持していれば、外出自体の頻度もあがり、より遠くの場所にさえも行けるようになろう。
その場合は今年度開校の特別支援学校であるとか新しい図書館(分館)であるとか、あるいは弟のように頻繁に中央図書館に行ってみる(弟はビデオをレンタル出来ても本は借りられない)など、選択肢が大いに増えることだろう。
それも、自転車という当たり前の道具にさえ恵まれない自分には夢想でしかないことに気付けば、慎ましい隠棲が大事。
ただし、散歩の意思を放棄するものではないから、今後もじっくりと案を練っていきたい。

→記事投稿の翌日である9月23日(メモ参照)に、一つの案の練習散歩を実行した。
1日限りの行動にならぬよう、今後も12月まで出来る範囲で検討する。


2015年9月18日金曜日

類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇

*横野要文類聚 第三篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史が実父は慈父にてやあるらん、慈父にてやあらざるらん。
覺えざりしかば、暫く物を思ひて要文を示さん、云々。
斯くて此處(こゝ)に明文(みやうもん)聚まりぬ。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

今回のテーマは「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」と、書きたい放題の題である。
例えば2007年4月の頭に母との別居が始まった頃から暫く経って、父親は毎朝早くから料理して朝食を用意するなど、この辺りはどういった決心からか、真面目であった。
毎日しっかりとした朝食を取って学校に行けることは一つの喜びでもあり、何でもないように思うかもしれないが、同じ朝を迎えるという点では、不登校の予防の一助になっていたかもしれない。
※母親の頃は不登校期間含め小4までシリアル、小5別居まではスープやトーストが多かった。

今回聚められる要文の中には、私の物心が付く前の父親の態度について母親が語ったことも含まれ、その口述内容が仮に事実とすれば、その時から大きく子育ての意識を変えようとしたことは見て取れるが、やはり次第に疑心暗鬼など、修復・橋渡しをする弟2人も2008年末の姫路訪問以降埼玉への帰還を拒んでいるため、およそ私にとって人生相談の相手にならない父親、父親にとっても教育相談の相手(打ち解けた同僚や知り合いやご近所さん、友人や親戚など)が誰もいないという、互いに孤立無援の状況に陥ってしまった。
疑心暗鬼の要因としても、私が寡黙で朴訥だから、何かの必要性の訴えや相談などを、仕事も家事こなす父親に話しづらい面が強かったからであり、それが互いの不満を増長させたようで、初めていじめの相談をした2010年春休み頃は、ほぼ無関心のようであったから、その後も全く相談をする機会など無かった。
互いに寡黙であるばかりか、大事な局面でも言葉が足らず、摩擦を生むだけ。

それからも不和が進み、同年10月の家庭内別居、同年12月から始まる人生最後の不登校など、社会的には悲劇が続くこととなり、私にとって唯一の頼みであった戸籍上家族でない母・弟2人(姫路訪問以来顔を合わせず)を求め、2011年4月18日の豊橋母宅への小旅行もとい家出に畢った。
父が単身で住まうはずの住居には、2012年8月に豊橋追放となった弟が住み始める。





(前略) 母親からこういう情報が告げられた。私が物心のつかない小さな頃のこと、鴨川(父方)の祖父母宅へ父親が独断で私を連れていき、一週間ほど置いていったそうだ。私が鴨川より返送された折、父親は母にこう話したらしい「自分(父)は幼い頃いい子で利口だったらしいが、この孫(私)は悪い子で育てられないと母さんたち(父方の祖父母)が言っていた」。確証のない話で、当然両親の名前すら知らないような幼少の昔話など、俄かには信じ難い。
この他、あの父親がとんでもなく子供(私)を除け者にしていた、父親として失格であったなどの例を母親から多く挙げられたが、全ての例が生まれる前・物心のつかない時のことである。私が産まれる時の産婦人科において、間もなく何かが済むという時に待ちきれず、一人そばのコンビニに移動して飲み物を買ったりタバコを吸っていたりしたそうだ。私が社会的な判断能力を備えた年頃(小5別居以降)に父親を見ても、そのような様子は一度も無かったのだが、それぞれの時期では状況がどう違うのだろうか…2015/06/26記事における07/03追記

Mくんのお父さんは毎年の4月に誕生日を向かえます。ある年のこと、その4月になりましたが、Mくんの記憶では肝心の日付が曖昧で、「4日だったかなぁ?5日かも、6日?」と自分では答えが掴めませんでした。自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました。思いもよらない返答に、Mくんは困ってしまい、「そっか」とだけ言い淀んで、それ以上聞き返す気力も失ってしまいました。Mくんとしては、世間の浅い即物的な親孝行なんて考えていませんので、見当違いな返答が心残りのまま誕生日の解答も心得ずして、その1年後の4月に家を出てしまい、今日まで二度とお父さんの家に帰ることはありませんでした。…2015/06/26

某クリニックに数度カウンセリングを受けに行ったのも、私が自発的に父親に「精神科で診てもらいたい」と尋ねた経緯があるが、当時の私は年下の幼児ばかりいる小児科的なものでなく、成人も受診する精神科を期待していたが、当時は上手く口に出来なくて「本当にここなの?」としか聞けず。そのカウンセリングも、私が小3の頃に児童相談所で受けた内容と同じようなIQの検査だとか、私が中1になって受けるに足らないメニューであったことに、冗長で回りくどく嫌気がさした。担当の30前後ぽっちゃり女性の作り笑いを絶やさぬそれ (中略) 父親もまあ、元々家から少し離れたここに連れるのも面倒だったのだろうし、乗り気でない私の態度も相俟って、数度のみ(多く見積もって4度)の受診となった。最後の回が、中1の終わりも近い頃・・・平成21"年度"末のようなものだ。その後、新しい精神科などの手引きが一切ないまま、「診てもらいたい」の願望が潰えた。父親に物を選ばせる(塾など、子供の教育の補助の場の斡旋、鑑定する眼が問われる)ことは、どこかアテに出来なかった記憶が少々残っている。教育の方面、家庭のケアには疎いようだった、それはこの件に限らないけれど…2015/06/10

父親と二人暮らしになって、父親という者は私に放任の度が過ぎていた。こと、PCという高価なおもちゃに際しての指導が皆無な点は驚きである。日本生命勤務で、IT関連だかの役職ではないのか?部屋には立派にOracleだかの資格認定証らしきものが飾られていたはずである。本棚にも、Windows云々とある大判の本が並んでいたと記憶する。斯様な人間が私のPC利用にまで無関心とは、父親としての意識どころか、その職に携わる人間としての気質さえ欠いてないか?母親もそうだが、職業というものは金儲けの道具に過ぎないようである。遣り甲斐だとか、本心には仕事の楽しみなど微塵も持ちえてないと見える。小5の時に父親に (諸例記述等中略) 何にせよ、両親とも放任が過ぎて放棄とさえ言える状態で、当時の私も父親に関わられたくない気持ちの反面、何か拍子抜けした面もあった。プライバシーには触れず、趣味には全面的に協力する(やらせすぎて堕落させるのは別問題)か、自分が詳しいならば助言をするなどの采配が親として肝要だ。両親、まして悪妻娶りし父親は別居に伴う父子生活をも想定して、もっと子育ての信念を婚前、否、求婚期より持っておくべきだった。 (後略)…2015/04/27



(父に)捨てられても(父を)妄信した私


自分のパパの誕生日くらいは、改めて覚えておきたいと、Mくんは「心から親を思う気持ち」で恥じらいもありましたが、思い切ってお父さんに誕生日を尋ねると、「誕生日のプレゼントならいらないよ」とだけ返されました…2015/06/26

冬休みに母が当時住んでいた姫路に私や下の弟と共に遊びに行った際、私は予定通り埼玉県内に帰る(父親思いの俺)と言っても、弟達は施設帰りを厭い、母の姫路に移住する腹を決める…2014/08/07



(弟に)捨てられても(弟を)偏愛した父


注釈: 例えば家の玄関先の壁や、キッチン空間(リビングじゃない、ダイニング?)対面の壁に、弟2人の児童養護施設・通学先における思い出だか作品(絵や書など)をベタベタ貼っていた。まあ当時の私としても自分の創作物だとか貼られても困るのだろうが、時折、何となしに疎外感さえ覚えていた。姫路遠征時に自分を捨てた人間を愛し続け、姫路遠征でも傍に居続けると誓った人間を等閑にすることは、本末の顛倒と言わずして何と言う。父の顛倒ぶりは、傍に居れば随所に感じられよう。果たしてその偏愛は虚妄に終わらず、2012年8月に上の弟との再会が叶った。その末路が、以下のメールなどである。

父親もあの弟への偏愛故に金銭感覚が崩壊してるに違いありません。2012年8月の弟の追放以来、父親はあの弟にPC一台買い与えたが弟は壊し、スマホ一台買い与えればすぐに無くしたとも同メール内に書いてありました。そして「どうしたものだろうか」と当惑の色を表しています。一方の私は成績優秀でもあまり愛されなかった上に、いじめの相談は忙しい父親相手に我慢し続け、ある日思い切って話しても関心を示さなかったり、差がありすぎます。故に、偏愛と呼んでいるのです。PCは2011年7月買った物を、携帯は2010年7月に買った物を今でも大事に使い続ける私とあの弟では歴然とした違いがあります。全然進歩しないあの弟じゃ無駄金注いでも何もいいことはないはずですが。父親も為すすべなく求められるがまま従うという典型的クズ親でしょう。逆に母親もあの弟の悪行を私に問われれば毎回感情論で言い逃れしてばかりで、なぜ両親共にあんな弟を庇うのか、気が知れません…2014/10/02



付録 - 父親の放言メールと私の諫言メール
引用元・一言一句への感想は右記リンク先http://masashi.doorblog.jp/archives/40506334.html

題:転入届 - 母宛 - 2014年10月1日22時28分

今日出しました

○○(上の弟の名前)には聞いてないけど、豊橋に戻りたいとは言ってないので、このままでいいんじゃないかなぁ

そちらはお母さんの面倒も見ないといけないし

そもそも、一方的に転出届を出したり、国保脱退させたりしたのはそちらだし

ニキビのことは、こっちに来た当初は気にしてて、薬を買って欲しいと言ったので、何回か買ってあげたんだ

顔をしげしげと見たわけじゃないから良くなったかどうか分からないけど、ここ一年くらいは何も言わなくなったので気にしてないんじゃないかなぁ

そのかわり、金が欲しいからバイトしたいとか、もう一度パソコン買ってくれとは言ってるけどね

バイト先はコンビニか本屋がいいと言ってる

金は週に三千円渡してるけどね

学校にも行ってなかったので、勤まるもんだろうか?

パソコンは過去二台壊したし、スマホ一台買ってあげたけど、すぐ無くしたんだ

だから、これもどうしたもんだろうか?




題:諫言 - 母携帯機より送信 - 2014年10月2日3時 (15年6月編)

バイトなんて今まで甘ったれて性根の腐った自堕落な彼に勤まるはずもなきこと、赫々明々だ。
そして彼自身、そんな過去の例と今の自分を鑑みてないからこそ、そんな無責任な欲望からくる「バイトしたい」発言などが口を衝いて出てくるのである。
母親も甘やかして、父親も週に三千円を渡すような麻痺状態そのものの感覚なら、自分にも非があることを自覚し、改心せねばならないが、もはや彼には手遅れだ。
今まで適切な教育を怠ったことを両親は猛省し、子供に甘やかしの限りを尽くさせる方がいいほど。
金銭的に理不尽な要求をされても快諾し続けてしまおう。

次いで、前言撤回のようだが彼にPCは不要だろう。テレビや他の娯楽でも足りよう。
スマホにしても、彼は2011年中にXperiaを大破させる凶行に至っている。
PCにしてもスマホにしてもただゲームやネット閲覧などの用途に終始するので、高価な玩具に過ぎない。
高度な使い方は一切体得していない。
いわんや短時間で破壊することをや。然もありなん。

何より自分の子供の非常事態だし、案ずる前に然るべき対応もあった。
両親による過去の愚策は枚挙に遑なきもので、一つでも挙げるに躊躇う。
十数年分の過ちは、未来永劫に取り戻せない。
私からアドバイスできることは今のところこれで限界だ。



その他 (母親に関しても含む)

・父親は私を「あの人(母)と似ているよ」と言ったり、母親も私に「パパとおんなじこと言うね」と稀に放言する。親として、互いの嫌いな人間に子供を重ねるというのはどうなのであろうか、ましてや私から見れば二人とも肉親であり、両親同士はただの他人同士ではない。困ったら、嫌いな人の存在により子供へレッテルを貼る。各々の発言をプラスに取ろうと思えば取れなくもないが、やはり両親ともそんな意図は微塵も無く言っているのだから、プラス思考は歪曲・逃避思考であり、取り違えになる。親としての見識や言葉の含蓄など絶無である両親に千子何人が尊敬しよう。私は諫言を続ける。

・母親にしても、当記事に見る父親にしても、当人らが社会的にどうであっても、子供は3人悉く社会的な能力が欠如してしまった。これは広く世間を見て、そんな親子の絶対的対象など起こり得ない。特に、上記2014年10月メールで話題の上の弟を思えば、見るに堪えない惨状である。その中で私は、戸籍上の他人である実母の家に居候しながら、子供を蕩かすダメ親("ダメ"という言葉は使わないようにしているがここでは伝わりやすく使う)の影響を受けないように求道と修行に生きている。上の弟は今もゲームライフに生きているのか。親は子に不満を持ち、子は親に不満を持ち、夫婦もまた互いに反発することを見れば、親子も夫婦も而二不二とはこのことである。

・私は中2の一学期の中間テストで著しく順位が落ち、31位だったと記憶する。それ以前は学年に110~130人いる内の20位前後であったところ、30位以下は一度もなかった。ショックだったので、何となく父親に「中2に上がってから勉強量を増やしたのに落ちた」という旨を強調しつつ尋ねてみると、当ての外れた答えが返ってきた。「みんなもっと勉強してるから」などと、無知をひけらかしてきた。「勉強量を増やした」の一言を、絶対と相対の二義を弁えない父は逆で取ったのである。現代の理屈が強い子供にそんな言葉は通用しないし、仮に子供に対する教育的方便でそう言うにも、子供の機・根を知らない無知の不徳(子供への慈悲なきが為の精神的指導力の欠如)をかえって証明している。第一に、父の言う「みんな」も、何を見て「みんな」という偶像が生まれるか。教育現場か、テレビ画面か、創作文学か、脳内の形成か。それに、勉強しろと遠回しに促すだけで、実質性に欠く。私は「相対的に多く勉強」した結果を述べたというのに。もちろん勉強量が成績上昇の絶対条件ではないからこそ、懐疑せざるを得ない。なぐさめてもらうか良い形で励ましてもらうことを内心で期待したろう当時の私は、ただ幻滅し、どこにも心の頼りや助けが無いと絶望したろう。



不徹底を徹底するから、父親に人生相談だとかということは、何ら期待ができなかったと今までの要文などに書かれる。完璧な答えでなくとも、子供を知らないために子供の心に通じない言葉しか発せられぬ父親に親の徳も資格もない。いじめ・人間関係のほか、勉強・塾に関連するあらゆる子供の思考など、父親は興味もなければ、話しても碌な答えを返さず。仕事一辺倒で、休日は友人なき楽器趣味に耽っているボ○親父もまた、母親と等しく親として失格であろうし、私ほど賢い子供また、彼らの子に相応しくない。こんな両親にお似合いな子供は、煎じ詰めてもあの上の弟くらいであるが、彼であっても母との争いは絶えなかった。

過去に、「夫婦は家の柱」と言った。子供は世間に言う「子は鎹(かすがい)」であるものの、決裂するような夫婦で、揺れ動いた柱はボロボロならば、鎹も外れてしまう。現に、家庭の家庭らしき様相は、夫婦の不仲によって早く崩れている。


2015年9月13日日曜日

類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇

*横野要文類聚「母の普遍的な精神状態」篇・前節*
夫(そ)れ、横野真史は能(よ)く己が母を憐愍(れんみん)せられ、好き慈子にあらせらる。
故に能く母を諌めて、甚だ繁(しげ)く記録を留めたり。
かゝる慈悲を最も知らざるは、母に外ならず。
加之(しかのみならず)、誤り・過ち・失(とが)をも自ら知ることなし。



横野要文類聚(よこのようもんるいじゅ)

シリーズの趣旨などは第1回目の記事に記した。
今回2回目の記事のテーマは「母の普遍的な精神状態」であり、これは長い目で見ても、あの母親に共通する・・・即ち私の幼少から現在までの母親に一致する性格・人格などが見て取れる記述を聚めることとする。
そこで、今回は記述を大量に引用すると途方もない文字数となることが想定されるため、単一から複数が聚まって注釈でもつけるなどがほどよいと思う。
また、「母の普遍的な精神状態」に関する要文のみ引用しているため、どういう背景があるかは、日付のリンク先のページを参照し、日記メモである場合はその日付のメモを見ること。
文脈って大事だからね、やっぱり要点だけでは疑問が残る場合があるから、疑問が残る場合、それを解消すべく、大体の背景を引用元のページで確認できる。





忘却された暴力性


母親の体罰=横暴、虐待というものは、正気の人間の所業にあらず。母は、2014年4月3日23時41分のメールに「ママもお婆ちゃんには、痛めつけられていて沢山嫌な思いをしているんだ。」と綴っている。尚且つ、あの祖母に対し直接「いじめられた覚えはあるけど、虐待された覚えは」などと威張っている。そのように自分が実母から虐待されただとか強弁するなら、それを実子に振るう道理などあるのだろうか。言動不一致とは、このことである (中略) 「出来ないなら拳骨あと100発だかんね("100発"は脅し文句だが、"拳骨"は事実)」…2015/03/21

母親は幼い頃、実母(祖母)に虐待されていたと虚言か大袈裟な形容かはわからないが、私に自白し(その癖アンタも俺の幼少期に俺や弟を毎日ボコボコ叩いてたじゃん)、友達もいなくていじめられていた、などこれまた虚言か大袈裟な形容か存じ上げない告白をした…2014/09/15

注釈: 2015年の5~7月頃、母親に「拳骨100発」発言ついて問うた時、己の口癖もすっかり忘却していたようで、それも言葉のまま受け取って「100発もあんたのこと叩いたわけないじゃん」と放言していた。母親の発言を例に取っただけで、私自身が本当に1日で100発も叩かれたと記憶をすりかえるはずがない。自分の悪行を忘却し、他人の意も理解できなくなった母親は、その愚昧な状態にも気付けず、哀れと言うほか無い。また、無自覚の故に己の問題性が悉く自分が嫌う実母=私から見て祖母と一致していることに気付かないから、痴呆ばあさんと同じ道をひた走りである。


無自覚 (8月は惰眠ネタが多い)


母親は現場を指示せず、敢えて知的障害の子(下の弟)に一人で好き勝手やらせて、少しでも問題があると激怒して止まない無責任な人間である。最初から放任するくらいなら、その程度は大目に見て誤りを改善するよう教えればよいのに、放任もとい単なる早起きが面倒・生活バラバラの人間であって、心が狭いからそれが出来ない。放任にしても実際は浅慮なだけである。問題があったら自分の非よりも、他人の目先の過失ばかり責めて、自分は反省をしない。 (中略) 今回も、元はといえば、午前中グーグー寝ていて母親にあらざる人間性に起因しているのに、やはり自分の非に気付くこともない。少しは自分を省察した方がよい。…2015/08/27

心理学だ、カウンセラーだ、の講座を受けるよりも、日々自身を深く捉え、他と相対し、冷静に正しい本質を見極めて向上すべきである…2015/08/24

毎日争いまくる割に、刹那的な安逸から気楽な素振りは多いが、愚人の最たるものだ。 (中略) このような奇跡に救われてばかりでは、ますます堕落するだけである…2015/08/20

13時半から、母弟の喧嘩が始まった。最初は原因が分からなかったが、次第に元々私も違和感を覚えた事象との関連性が浮かぶ (中略) (母親について)自分の頼んだ配達物は自分で対処せよ、と思う。弟を遣わせ、配達員は雨の中に待たせる。勝手な食器洗いの件も、母親が生活を自ら正し、朝早く食器を洗うことで防止できた (中略) 母親(49)にはその自覚も無い。へりくだること、客観的な知見も無い。しかも「自分は決してそういう言われは無い」と信じて已まない強情な人格であろう。自分の状況に、微塵も疑いを持たず、他者に真っ当な見解を示されても受け入れはしない…2015/08/17

続く12時半過ぎには、にわか共産党員の母親から「"戦争法案反対"」の署名にサインを求められた。その際に「"戦争反対"に名前書いて」と言われたのだが、実に語彙が足りていない。ニュアンスがかけ離れる。自分の信条くらいもう少し具体性を孕んだ語彙で自信を持って唱えてみよ、と思う。まあ母親に信念は無いのだが。その時の私はこういった思想を吐露せず、穏便に断るだけとした。私は別に、安部政権の政策に賛否も無く、支持不支持の意向も無ければ、恣意的で一方的な「戦争法案」の呼称を用いることも無い。「中庸が最善(安部ちゃんのコレ裏目に出たけどね)」に賛同するだけである。この後、知的障害の弟もサインを求められ、彼は時間をかけて記名・住所記入を行った。
※「署名される紙」を私に渡す際に、母が「破くなよ」的なことを言っていたが、そうして起こり得ない事態への被害妄想をしてわざわざ本人に発言するとは、人権侵害である。子供の心を破る人間は、母親である。「署名される紙」を破く行為など、私はしないが、仮に私が破いても、子供の心を破る母親の罪こそ最も重大である。是の如き悪親が子供から信用される道理は無い…2015/08/15

弟のシリアルが足らないから、弟が慣れない作業に手を焼くこととなってしまった。まともな母親なら「自分のせいで」という自責の念により、いち早く買い物へ急がねば我が子が苦しむと嘆くはずだ。一連の狂った感覚を、本人自身が気付けずにいるのは言うまでもなきことだ…2015/07/24

あなたの低劣な「クサイクサイ」という口癖は、もう少し自己を顧みて改められたい。自他もろとも冷静に精査できる人は、もっと色々なところに問題を生まず、いな母親は、自分が問題を作っていたり、そもそも問題を抱えていることを気付きさえもしていない呑気な人だ…2015/06/24

注釈: 子供に放任的に物事をやらせるorそもそも管理していないが、いざ問題あらば烈火の如く怒り出してしまう。母親としては無責任に過ぎるし、それでいて都合が良いだろう。子供が母親にって問題な不手際を犯しても、問題点を優しく示して改善するよう促す、などということは幼少から一度も無い。それでいて、自分にも大きな非があり、それが根本原因だが、花には自分の根っこが見えないから、他人の目先の過失のみ責めることしかできない。いな、自分にも非があることを一度として考えもしないからこそ、自身を省みて、何が正常なのか精査すべきなのだ。8月20日の奇跡が災いした結果が、1週間後である8月27日の草むしり闘争であろう。


コミュニケーションにおける普遍的な問題


まず、知らないだろうから示しているのに、それを不遜に感じてしまうらしい母は、いつも「知るわけないじゃん」とふんぞり返る。私が知らない人に事実を教える上で、勝手に悪く捉えてそういう返答ばかりする癖を母親は直すべきであろう、いな自覚すら無いように思うから、もう少し自他ことに自身の言動を事後に省みるのでもでもいいから、精査した方が良い。他に直すべき会話上の悪癖は、不要に詳細な私事を並べる母に、私は話が雑然としないよう「どうでもいい」と釘を刺すと、「どうでもよくないよ」と言い返すところである。ただ、これについては私の「どうでもいい」という口癖に似た(母親の口癖でもある。移った?)発言にも一部非があり、語彙が足りず、語弊があるようだ (以下略)…2015/08/23

注釈: このメモにおいては、口論の内容について詳しく触れていない。私のみ覚えるその背景は、自分の目で見た事象のみが全てであると思ってしまうから、私が今まで常習的にしてきたことを初めて見た時になって私が初めてそれをしたかのように捉える。あの人が見た時がたまたま初めてなどという偶然が有り得るのだろうか。1Fキッチンの炊飯器の利用も2014年12月から仄めかしているのに、実際に見た2015年8月23日で初めて私が使ったと思い込み、それ以前からの利用状況は微塵も疑わない。思慮深い息子が気付かれないようにやっている、という発想が絶無のようだ。これは育毛剤や某美容アレの使用についても同様の反応であった。疑うべきことを疑わず、疑うべきでないことを邪推するなど外れてばかりだが、迷妄の極みではその自覚さえも無くなる。


息子の意見に本能的・反射的に反発し、一顧だにしない


(前略) 混乱・錯綜した母親にはそれとなく態度に表しても言葉に含みを持たせても伝わらず、直接意思を伝えてもごちゃごちゃ別の問い(既に聞かれたこと)を起こしてくる。母親にはいつも、自己分析と自覚が必要であるように思う私だが、こういう状態が慢性的な人にはどう伝えても手の施しようがない。特に、卑下の対象である息子に言われると、全て遮断するなどで微塵も理解に及んでくれない。こういう点は「ガキ!」という発言に全て内包されている…2015/08/24

道理を立てられるほどに「減らず口だ(理解不能の本人語:ヘッタクレてんじゃないよ)」と反感を生ませてしまうらしい…2015/07/06

その中で今年のお年玉「1万円」の話になったが、私は「私からそのような大金を求めておらず、半額の5000円でもよかった」という趣旨の発言したが、次の話題でこの発言を「今月の小遣いとして5000円欲しい」と、あらぬ方向に誤解していた。即座に、正しい認識に戻すよう促して、ここで正しく理解してくれた。6月2日のメールの意を汲み取っていれば、「今月は5000円欲しい」と私が思っているなどと誤解はしない。このメールを読んでいないのか、読解力が無いのか、感受性に乏しいのか。生まれつき薄情なだけでなく、輪をかけたように痴呆化がはじまっている今では、いずれも考えられることは非常に物憂い…2015/06/08

続いて、母親がこれから持ち出すと見えた話題は、未然に根を絶たんと矢継ぎ早の弁舌を私は繰り広げた。その度に「そんなこと思わないよ」と否定的な返答のみ出してくるが、息子のこういった意見は徹底的に受け入れないところが相変わらず、件の母親の人格が如実に表れていよう (中略) この種の口論は毎度、価値のないばかりか詮無きまでの不毛さを痛感する…2015/05/24


他所に対して平然と不穏な態度を取る(ある意味感服)

以下、文字数の多さから視認性を考慮し、「改行」の例外を適用する。

叔母さんYなどには些細な日本語の誤用(とも言い難い)に関してくどい指摘をしたり、学校の教員などには何かのイベントの日程や情報に関して「微に入り細に入り("細に穿ち"の誤用、あなたも誤用しているじゃん!)詳細に伝えてくれないと誰も分かりませんよ」などと頻繁に指摘することがあるが、その割に自分こそ不明瞭な発言ばかりである。人には理不尽に当たるところが、人間関係に摩擦を起こし、現に父親と喧嘩し続けた日々を偲べば、誰にとってもあの母親と長く住まうことは、正気を保てないことであると言える (中略) 
「微に入り~」云々は、寒気がした記憶である。というのも、母親自身の声で聞かれたものではなく、電話の事前に書かれたメモを見たからであるが、「微に入り~以下誤用」の表現を口頭で発したいが為に電話の事前にそのような台本を作っているところが、気持ち悪さに輪をかけている行為だと思えよう。他にも、学校の公式ブログの何かの予定に関する告知記事に、本名のフルネームをローマ字に換えた名前で「具体的に案内して、こう書いて、でないとどうしたらいいのか全然分からない(要約、元の文字数は約260)」とコメントしていたのだが、当該公式ブログでそんな殺伐としたコメントを、しかも本名で以てコメントする人間は過去に一人もいない (中略) 
稀に家の近辺の診療所から郵便物が届くが、2015年4月頃にも同診療所からいつも通りの封筒が届いていた。母親がその封筒を返送するらしく、表に「何年も我慢しています、不条理("理不尽"と混同?)だとしか思えません」などと書きなぐっていたが、「非常識」ならまだしも、「不条理」とは仰々しい形容だ。勝手に送られる郵便物を返送するにも、不穏な文言を書きなぐれることは正気でなく、もっと穏便に停止する手続きなどがあるし、その方法を採ろうと思わなかったのだろうか…2015/05/20


様々な大仰の反応


(前略) 数分ほどで今度は弟が降りてきたようだ。それに私が気付いたのは母親の大声からであった。例の如く母親は、部外者の私もウンザリするような大仰の反応で弟を出迎えた。たかが弟が1階に降りてきただけで、この驚きようは何なのか。一度の大きくて長く伸ばした声にとどまらず、大きめの声で何やらペラペラと喋り始めた。当の弟も甚だ煩わしく感じるようで、激怒したり、大きな物音(落下音)も聞こえてきた。なぜ母親はトラブルの原因を作って止まないのだろうか。人の機嫌を損ねることの自覚は生まれないのか…2015/08/06

弟による「暴力」の直前まであった、普段の高慢な威勢が殺がれて、オドオドと混乱した後その場を離れ1階に降りた。1階での用を済ませた(手を冷やしていた?)直後に階段を上りながら弟に憤りを浴びせた。夕食抜き発言はともかく、特別支援学校の面談というものが7月21日にあるそうだが、これを辞退するという旨は、その場の感情から衝動的に言った程度か、それとも本人の決然とした意志なのかは不明。大概は前者の衝動性に起因する (中略) スキンシップレベルの打撲 (中略) 母親は内面の人間性のみならず、体質においても大仰な反応が起きるとよくわかった。 (中略) 潜在する悪心が態度どころか体表にまで大仰に顕現されるということで、私の母はその性質を強く内在する極稀な人間だと言える (中略) 今回の弟暴力の結論は、案外大仰な負傷の顕現ではなく、逆に小さな負傷を大仰に誇張したパターンであった…2015/07/17

大仰な反応をするきらいのある人に関して思うことは、きっとその反応の根底に、自覚できない潜在的な意図がある。私にその心当たりが生じたのは、5月24日11時15分の母親の挙動からである…2015/05/24


衝動的摂取&にわか嗜好&「にわか趣味」で人に迷惑


後日の様子 動画1 9DgOpZMgcbw 動画2 WBMF0bUb63Y 本家記事 46052530.html など

(前略) 今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は(私・弟の一家三人で)一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない…2015/09/03 (8月12日記事の追記)

母自身も大してガムや飴を好んでいないのに、俄かに買い出すことがあるのは何故か、そんな自分に何の疑いも無いのか。こういう感覚は鈍磨そのもので (後略)…2015/08/31

母親が福井旅行時にホテルの部屋からくすねてきたティーバッグ「緑茶x2・ほうじ茶x2」があるが、8月17日にほうじ茶x1消費して、8月18日には残り3つ全て消費したようだ (中略) 普段お茶をあまり飲まない人が俄かにこれほど摂ることが極端で、まさか飲みたくないのに消費しきらねばならない理由があるのだろうか…2015/08/19

母親が物の位置を変える行為について、どうにも明確な意思から行っているものでないことがわかる。先月(模様替え後)のいつ頃か、玄関クローゼット内の本棚に置かれてある噂の「楽譜読める本」が、リビングのソファの上に置かれていた。リビングにはこの他に読んでいる実体の不明な本が種々雑多置かれてある (中略) どうも同じソファの上でも、向かって右側背もたれの傍から、中央よりに位置がずらされるなど、読んでいるのか不明なものの位置のズレが明白に見られた。そこで、私はこれを食事するテーブルの上に移動した。暫し待ったところ、ついに元の玄関クローゼット内の本棚、あるべき場所に戻され、今に至っている。結局、フラっとした気持ちで手に取りつつ、元に戻そうか数日迷って、私の行動を機に最初の場所に戻すことが決まった。これは冒頭の一文の一例であり、今回わざわざ日記メモにしようと思ったのは、本日6月22日に同様の疑問が二つ生じたからである (以下略)…2015/06/22

「物件 (中略) 明日11時に伺う」 (中略) 最初に「物件」の語が聞かれた際、真っ先に想起されたことは、過去にも物件を見回る癖があったことである (中略) 2015年3月まで母親は断続的に薬剤師の仕事を続けていたわけだが、ちらほら起業だかの雑念がちらついていた。人間関係が希薄であると同時に、新しい縁を作る能力などあなたには生まれつき無いことを自己分析すれば判然としているのに (中略) 母親はまたも、人を呼びつけておいて対応を行わず、その無責任・不誠実を発露した (中略) 惰眠(昼寝含む)を貪らず自戒する心を少しでも持てば、容易に対応できる。ずっと悩ましいことは昨日の日記メモに記したとおり「11時に伺う」件だ。これを念頭に置いていれば、10時過ぎにノコノコ起き出して「ゴミ出すの忘れてたぁ!」などと放言する真似は考えもしない(普段の母は、ゴミを弟に出させる)…2015/06/03・04

母親は自分で育てているはずの植物の水遣りさえ怠って子供に任せようとする (中略) 5月5日は14時頃に起床したと思われる母親が、焦りながら「水遣り!やった??」と弟に問うていたが、勝手な独善のために他人を縛り付けることはやめよ。外での仕事がないからこそ、そのライトな趣味にもっと注力すべきが道理である。GWとて、子供を酷使するような方針は即刻悔い改め、己の無責任さを自覚すべし。ライトな趣味としてそこそこ長めに続いている園芸(水やるだけ)も、この体たらくであるが、より壮大な領域においては俄かに始まり俄かに終わることを過去にも論ってきた。それが去年末解散総選挙に発端して今年3月上旬に解約された「しんぶん赤旗」購読問題や、同2月22日京都日帰りを発端とし3月末の関西1週間出張キャンセルに終息した「カフェ」関連。無責任に無節操さを混ぜ、人を巻き込む悪辣さであろう。…2015/05/05

そもそもリビングで人が通る場所に、そんな大事大事らしいものを勝手に横たわらせておくことが顛倒の様で、神経質の割に無神経だ。いざ俺のつま先がぶつかってズレたり、表面が僅かな水滴に濡れただけで中身が汚れるだ、返品がどうだ、あんたの俄かに終わる趣味を「仕事」と強弁するだとか、3月に輪をかけた悪辣さと思う。 (中略) 俄かに終わる趣味か何かに固執して、人を惑わせ、トラブルを起こさせる人格異常者だから父親と喧嘩しまくっていたという点には気付く由もない…2015/04/24

注釈: 2015年3月6日以降の「カフェ関連」の異様な動きについて克明に記した記事がある(2015/03/11)が、要点としては「朝に1Fリビングのテーブル上に謎の蜜蜂アート 昼に"アイパッド"についての電話 16時過ぎに母部屋へ上がって謎の蜜蜂アート・謎のカフェ系の品書き原案を多数発見 PCの履歴に"アイパッド"や描画ソフト関連のワード散見」。後日実際に"iPad mini"が届いたようだが、2015年5月から9月現在、ほとんど使っていないことを確認できている。カメラ機能は4月頃の一度きり試用のみ、ブラウザの履歴を見ても疎らであったし、9月10日に起動してみるとホームに表示された未読メール件数の700件ほどが、メール画面を開くと900件超に膨れた。メール画面すら数百件来るほどの間(2ヶ月ほど?)も開いていないようである。同記事で"Amazon Kindle"というタブレット型の電子書籍端末を例にとっているが、結局何を買おうと、まともな目的の無い人間には無用の長物である。衝動的に高価おもちゃに手を出すくせ、人には吝嗇家でいる。


その他

16時29分に母親から電話がかかってきたのだが、まず「○ちゃんはもう帰ってきた?」という不可解な用件だが、一応帰ってきていないから簡潔に「まだ」と即答した。母親(49)はまともに言葉を理解する能力が無くなっているので、「え?×△※○△」と返してきた。私は幾度と繰り返し「ま・だ!」と復唱していったが、「何?"また"って」と、あらぬ取り方をした。"また"とは、こちらが何なのか聞き返したいほどだ。「狂った聴覚+抑揚を無視して音を文字列で捉える」といった母親は認識がポンコツの機械と変わらない。はたまたボケ・痴呆症の類であろうか。そんな母に「帰ってきたか?と問われたから、"まだ"帰ってきていないと言っている」と、詳細な言葉を紡いでようやく理解された。それで私からも、「どういう経緯で弟と別れたのか」を聞き返したのだが、まともに聴こえていないままで切断された。自分から勝手な質問を気安くしてくる割に、相手の発言が聴き取れず、相手の質問を無視するとは独善的な女だ (中略、多く略された経緯はリンク先にて) 17時20分に再度かかったのだが、「まだ(もう)食事中だから、弟を呼び直してもらいたい」との旨である。ずっと優しく対応した私であり、ここでも穏便にして断る。終始ヘラヘラした母親にはただ辟易する思いであった (以下略)…2015/09/13

母親が帰ってきた時はこれまた聞き返さないうちに色々としゃべっていたのだが、その中で「弁当渡し忘れちゃって・・・」と、件の憶測の答えが聞かれた。母親らしいといえば、それまでだ (中略) 「帰ってくる予定」を再度ここで聞いておいた。私にとっては、一度これを聞いたほどに重要なのだから、それは物分りの良い人間ならいくらでも留意しよう。奔放寡聞な母親の返答は「○○を見たいから」と言う。これはイベントの冊子に時刻も併記されていて、それを自主的に見て既に覚えている多聞な私は「15時頃だろう?」と具体的な時刻を上げて聞き返したが、余計な言葉の反論ばかりで煩雑となる。そもそもイベント内容の一つを挙げられても、私みたく多聞の者でなければ何も知りえない。物見しか頭にない母親は、イベントの仔細を心得ず、一度問われた問いの答えが用意できない…2015/09/12(今後のまとめ投稿次第でリンク変更予定)

母親が所持する本については、何かの分野の入門書っぽいもの、昔買った英語の参考書っぽいものなど無味乾燥・陳腐なものばかりで、後は薬剤師の関係で医療書がほとんどで、小説(文学)、自伝、ドキュメンタリー、エッセイなど書き手の人間性が出やすいものは一切無いが、その割に本業熱心というわけでもなく、テレビ番組を見続けてゲラゲラ笑うとは低俗の極みである…2015/08/17

(母・弟の喧嘩が)一段落したあたりで藪から棒に「ケーキの残りを一緒に食べない?持ってこようか?」と聞かれたが、穏便に断った。一旦去って直後に「○○は15歳になりました!」と言われるが、まだ当日じゃないのに焦って当日と混同したのか、それとも本当に26日が誕生日だと思い込んでいるのか。すぐに「まだ今日じゃなく、明日6月27日だろう」と指摘した。どうも両親とも誕生日には頓着しないのであろうか、まず思い出されるのが前の家で2009・10年頃の4月に、父親の誕生日を尋ねたことがある…2015/06/26

(前略) 部屋に置かれた物について過去にも同じ事を幾度となく話したのに、何を思って言い出してくるのか。例えば室内のDHC製リップクリームを見て「私の勝手に使ってるし」などと言い出すが、あなたの使用済み若しくは未使用であっても、リップクリームをくすね取りなどしようもない。あの母親がなぜか根に持っているコレだが、DHC製リップクリームは自分用だと思い込んでいるそうだ。どちらにせよ、私はリップクリームを要求したことは今までに一度も無く、母親の方から2013年に買い与えられたコレだが、使う頻度も多くない。他にも同年中に別メーカーのリップクリームが買い与えられたが、2015年なおも未使用のままである。私が使いたくて、ましてや、くすね取ることなど考え付きもしないが、そんな何度も繰り返し言った情報を毎度言わねばならない。これほどに度し難い50歳手前の母親がおろうか。あなたが勝手に与えた者を私が勝手に盗ったと思うならば、事実無根を過ぎて、マッチポンプである。この時は以前と同様に、未使用の別クリームの存在を強く示してすぐ前言撤回する間抜けな母親であった。やはり例を鑑みずに場当たり的な感情のみを口に出す…2015/06/15

(前略) この時に「誹謗中傷」 に関してコテ名を交えた相談を母親にしても、その本質的に枝葉末節のコテ名という情報に囚われた母親は、見当違いの回答しかできず。こういう相談では、無経験者に頼るべきものではない…2015/04/27

俺が幼い頃に親はこう言った「あんたがおかしくて、次の子に期待してもおかしくて、その次は知的障害児になってしまった」=「キチガイを作った次もキチガイ、その次は知的障害」らしく (後略)…2014/06/02


関連記事へ誘導した要文

あの母親の掲げる理想と、現実への整合性がとれないことは今までも多くあった。それは「メモ帳:新聞購読の是非」にも参考程度に書いているので参照されたし。→http://lesbophilia.blogspot.com/2014/12/blog-post_27.html …2015/03/11






当記事以後の要文掲載案

(前略) 母親がどこかの料亭か何かの資料請求をしたそうで、その書類にも目を通したのだが、もしそこと関わろうというなら本当に母親の考えが掴めない。本気でそこに関与するなら、俄かに衝動的に突飛なものだと思う。もちろん、それはほぼ無いと思っておく。今年3月のカフェ関連にしてもそうだが、あれはあれで不可解な動向が強く出たものの、結局は京阪遠征など無く、不可解を極めながらに終わっている。その料亭(京都のしゃぶしゃぶ店フランチャイズ加盟の事業??って本当なの)ほか、カフェなど飲食店の調理も接客も生来スキルやノウハウが無いというのに、どうしてこう資料請求だかをするのであろう。今年の話なら、ファミリーマート店舗経営などもあった。やる気なく興味本位で請求だけしたのなら、それも愉快犯や子供じみている。本気だとしても、今ババアだからこそ、実現性が無い夢想を止してほしい。さっさと本業に返られて、おかしな衝動が多少は律される人間に戻られたい…2015/11/12

 151222メモ 151226メモ 160106メモ 飛ばし 160605メモ

としこおばさん母親の学歴・職歴

 2016年8月の家庭教師、なべぶた無理解、大学パンフレット大量請求は凄絶。

10時20分台、母親が通話している声を聞いたため、耳を傾けた。車に関する話のようだが、聞き取った情報を要約すると、東京海上日動?の保険に関する窓口に事故の相談をしているようで、誰かにぶつけられたらしい。その誰かがぶつけてきた証拠も無く、相手のナンバープレートもわからないという話であった。最近、リビングの棚の上に見られた東京海上日動の書類は、よく母親が無意味に雑然と置くことと同じ状態かと思ったが、一応、この通話と関連がある場合、事故は数日以上前の出来事と見る。8月15日に買出しへ行かなかった理由はこれであろうか (中略) 別の相手との通話に少し耳を傾けると、先ほど110番で届け出した・事故は1週間以上前といった情報が聞かれた。再度耳を傾けると、8月12日・この一週間は怖くて車でどこにも行けなかった・車を使うのが怖い、というように聞かれたため、もはや事故が買出しに行かなかった原因そのものである。ほか、「"なべぶた"って~wそんなの手元の国語辞典にも漢字辞典にもありませんよ」という狭い知識・視野の発露、無知の無恥・無自覚、相手を敬う心の無い醜さ・浅ましさが見られた。今の電話相手は最初の女性→110番?→別の女性→男性であるが、その男性は母親相手に柔軟な切り返しで"なべぶた"という漢字の部首の説明をした。母親みたいな小物(魔物)も稀にいるのであろう。時間が経ってから再度耳を傾けると、話が終わりそうであった。実際に間もなく11時27分に通話が終わり、時期は不明だが相手が訪問するとか、という様子であった…2016/08/19



追記: 2018年4月某日
ここ数年の母親について、ごく簡単な記録をしておく。
情報ごとの詳細は、対応する日記メモを読むことで知れよう。

2017年4月まで、「母親(薬剤師の資格を持つ)」は復職(別々の職場へ就職)・退職を繰り返しつつ、2018年3月(平成29年度の末月)より薬剤師の復職に関する動向があり、2018年4月(平成30年度の初月)より正式に復職(新しい職場へ就職)した。
2017年中、母親は「息子に無駄な怒りをぶつける行為」の最中に、復職しない理由を自分から話し始め、弟の高等学校通学や卒業後の進路に関して努力する目的があるという。
母親は「目的性と精神性が齟齬して翻意し続ける人物」であると、当記事の記録だけによっても判断できる(そう意図する私が恣意的に集めた記録だが)。
その人物が無駄に家に居座ると弟と喧嘩をし続け、「寡黙な知的障害である弟」を狂わせたので、弟に抗精神病薬を服用させるに至る。
このような「エセ母親」なので、具体的な行動をしても無意味(期待された結果を得ない)に等しい。
2016年8-9月(初記録は8月24日)に世間で「大学パンフレットなりすまし・いたずら請求(被害者: aiueo700氏)」の問題が顕在化している最中に、母親が当該事業者に対して大量に大学パンフレットの資料請求をしながら、資料に一瞥もしないような状態があった(そもそも知的障害を持つ弟に向かない大学の資料を請求して何になろうか)。
2017年6月より弟を障害者向け社会福祉施設・作業所に通わせたが、2018年1月における弟の野暮な一言で弟の施設通いをやめさせるほど、浅はかな考え方の人物である。
自覚が有るのか無いのか、結局は母親が復職して今に至る。

自覚が有るのか無いのか、という疑問については、何らかの理由や根拠で判断を下しても、無意味・空虚である。
例えば、弟の作業所通いがやめさせられて間もなく(2017年3月~)、チャレンジ4年生(3月号、直後には5年生4月号)・ベネッセの通信教育を始めるなど、またしても前代未聞の謎の動向があった(ちなみに筆者は幼稚園児~小学4年生までベネッセの通信教育を利用した経験がある)。
そういう点からすれば、無自覚のままだといえる。
あらゆる物事自体、寂滅であって不戯論・真如だから、判断や推量や詮索は言語道断心行処滅*であるが、とりわけ母親に対する判断や推量や詮索はその極みである。
私は記録があることを簡潔に示したかったので、このように示しておく。

類聚記事らしく、以下に過去文言を一つのみ掲載する。


3月1日の14時台と3月2日の18時台に、日本郵便の配達員による「ベネッセからの配達物(弟のための進研ゼミ受講らしいと2月27日に小耳に挟んでいた)」は配達の完了がされなかった。前者は家に私のみがおり、後者は2階の弟が「2度目の呼び鈴を鳴らされてから駆け足で降りて玄関でガタガタとしてから」ドアを開けると、配達員が「配達の車(ワゴン車・バン)」の中に去っていたらしく、弟はドアを開けたまま佇んで終わった。この事柄について、私は母親に聞かれたが、結局、母親が日頃の不満をぶつける展開となり、母親が問題に関して私に解決法を求めるということがない。母親の話は、本末転倒か?あるいは、一度の問題が末端であり、端緒として日頃の不満を話すことが本題か?いずれにしても、ベネッセもとい進研ゼミ受講など、また、クズ親クズ母親の動向となる。弟には、たった一度で「家庭教師」の訪問を止めさせたことが2016年8月にあった。社会福祉法人の作業所・施設通所も、2か月前に野暮な理由で辞めたばかりである(2017年6月18日ころは母が同伴・7月1日ころ以後は送迎車による・2018年1月12日に辞める発言を記録)。ちなみに、「受講」といえば、母親自身の「心理カウンセラー」が短期間で停止された経緯も連想される。…2018/03/03



2015年9月7日月曜日

呉音では濁音となる漢字・鼻音の後でも連濁しない漢字(天など)

「神道」は"しんとう"と読む。「仏道」は"ぶつどう"と読む。
この二者の違いは「○道」が濁音であるか否か、の違いだ。

前者の「神=しん・道=とう」はどちらも清音であり、また漢音である。
漢音は清音の場合が多い。
「神社」は"しんしゃ"と読まず、"じんじゃ"と読むとおりである。
「道=とう」という読み方は一般的でないのだが、これを敢えて漢音清音統一として取り入れており、筋が通った反骨精神を感じる。
この読みが語の成立当初から今に流れているなら、成立時期も背景も何となく分かってしまう(古い仮名遣いが"しんたう"であることは措いていただきたい)。

後者の「仏=ぶつ・道=どう」はどちらも濁音であり、また呉音である。
呉音は濁音の場合が多い。
「仏」を"ふつ"と読む漢音の例もまた一般的ではないが、「仏領インドシナ」あたりが著名だ。
フランスの音写「仏蘭西」自体、「仏(ふつ)」の読みを踏襲している(中国ではフランスの音写が「法蘭西」と、「仏法」の違いがある)。
仏教用語は呉音の傾向が強く、これは時の王朝が隋の時代に伝えられたところによる(遣唐使以降は鈴=リンなど、一部唐音が増える)。
呉音というのは不規則的な傾向があると言われるが、これはより正確に言って「時の中国(のとある地域)から伝えられた音(上古音・中古音に近い)を慣れない日本人が記録したり、流入してきた音も同時期に多様であった」ことが真実だろう。

例えば「樂(楽)」という字は、同じ経文を同じ流儀*1で読んでも「伎楽(きがく)・遊楽(ゆうらく)・信楽(しんぎょう)」と、何故か三通りも存在している(自我偈には全てが具わる)。
これは日本に伝えた当時の中国大陸のどこかの地域で読み方により意味を複数に分けた例*2の最たるもので、それでもその当時は現在の「ガク=音楽、ラク=楽しい」という意味に相当するものしか確認されない。
信楽・愛楽・楽着など"ぎょう"に相当する音は、中古音とされる中に"ŋau = ngau"があり*3、もしこれを当時の日本人が聴いたのであれば"がう"と仮名遣い・・・仮名も無き時に仮名遣いとは表音漢字だろうか、ともあれ"がう・ぎやう"と聞き取ったことは想像に難くなくて、それを現代流に置き換えると"ごう・ぎょう"となる。
それが日本で特異な語句にこの音が当てられたようであるが、中国大陸で学んだ僧がそう教わってそう呼んだのか、日本で便宜上こうしたのか、詳細は未だ掴めずにいる。

1年以上前にメモ帳記事などで「漢音で"ei"の発音があるものは"you"となる」と語ったりしたが、特にこの記事に通じるものとしては「成・静=じょう」という呉音である。
前者は「成道(じょうどう)」があり、後者は「静脈(じょうみゃく)」がごく一般的な用例だ。
「成功(せいこう)」には、上記呉音の例に加え、「功(こう)」という漢音を鼻音"う"*4に連濁させて"じょうごう"という読ませ方を当方のIMEでは変換できる。
「定(てい)」にしても呉音は"tei→tyou→dyou→jou=じょう"と逆に辿れ(これには時系列的に語弊があるが説明は省く)て、こちらの"じょうごう"は変換できないが「定業(じょうごう)」や「入定」と、仏教用語には「定(じょう)」という呉音は多い。
漢音"てい"が呉音だと"ちょう"という漢字なら「丁(丁寧・一丁)」などが好例だが、「定」のように"じょう(旧仮名:ぢやう = dyau)"として濁音を伴う傾向があることをここで留意されたい。



続いて、記事タイトルにある「鼻音(ウ・ン)の後でも連濁しない漢字」について触れる。
このような漢字は漢音と呉音で読みが一致することも多い。
それは「天」や「開・海・戒・改」などである。
後者の"かい"という漢音がある場合、呉音では「会・回」のように"え (ゑ)"と読む例から、「悔」が"け"、「解」が"げ"と読むなど、漢音→呉音を辿ると枝分かれが見られる*5
もちろん時間的にはその逆で、いくつかある川の上流が下流で合流するもの、と言える。
「カイ川・エ川・ケ川・ゲ川」が下流で多くが「カイ川」に合流していく、と。

そもそも連濁というのは当記事で「成功(じょうごう)」と既に触れているよう、音読みの熟語の場合は鼻音の後が濁音になるという法則がある。
「成功(じょうごう)」を例に取ると紛らわしいが、これは「成」が呉音で「功」が漢音と、複合状態である上に、「功」が「成(じょう)」の2モーラ目"う"の鼻音に呼応して濁音となっている。
「功」が「功徳(くどく)」のように呉音"く"なら"じょうぐ"と読める。
「功徳(くどく)」は、「功(く)」が鼻音でないのに連濁しており、これまで解説するとややこしくなる。
・・・例えば、「諸有修功徳」という自我偈の一句は"しょー・うー・しゅー・くー・どく"と5拍子で読むのだが、"くーどく"となれば、"くー"が鼻音連濁を起こさないともいえないので、他の経文も同じように1モーラの音を伸ばして読むことから、そのまま鼻音のない状態でも連濁したと見る。
いいや、この「功(こう・く)」は元々ピンインでいう"gong"という2モーラ目が軟口蓋鼻音であったが、千数百年以上前の日本では2モーラ目"ng = う"が省かれては「ごう・こう」であるべきところ、「ごう・こう」でない「く」という1モーラのみの清音が普及したと考えてよい。
読経において元々1モーラ相当の音*6が2モーラに伸ばされただけだと、通常は連濁しない・・・だから知らない人にはややこしくなってしまう話となる。
「呉音"く・ぐ"+連濁」で似ているのは「弘通(ぐずう)」などがあるが、「通」という字*7は経文を伝統的に「神通力(じんずうりき)」と読む場合と、一般的に「神通力(じんつうりき)」と読む場合がある。



冗長な話をここで終えて、鼻音でも連濁しない漢字の例について書く。
まず「天」については、「寒天・昇天」から、仏教系だと「梵天・有頂天」などがある。
いずれも前の漢字の2モーラ目にある鼻音"ウ・ン"の後で連濁が発生していない。
連濁の法則が仏教系に多いとしても、「梵天・有頂天」までが"ぼんでん・うちょうでん"となっていないところ、伝来当時の中国などで実際に、濁音が生じない漢字であったのだろう。
そうでなくとも、やはり普遍的な法則に見える仏語における連濁も、例外があるようだ。
ここに理と事の思考が活かされよう。

これは「点」にしても同じく「難点・盲点」など、"ウ・ン"の後で濁音となっていない。
一方、"てん"の発音があるものでは「典」あたりが連濁し、一般では連濁せずとも、仏教系で「経典」は"きょうでん"と読む宗派も多い。
なお蛇足となるが、「法典・聖典」などは"はってん・しょうでん"と心の中で風変わりな読み方をしているが、これについては多く勉強されるとどういう言語的法則が根底にあるか知られよう。
"しょうでん"を変換すると「聖天」なるものが!「天」が連濁しておる・・・
不安なので「梵天」についても調べると"ぼんでん"と呼ぶ例が散見された。
この辺りの考古学的な調査は不可能なので、「そういうこともある」と思うこととしよう。

続いて、「開・海・戒・改」について、単語例は枚挙に遑がないためこれを省く。
簡単に説明できるものは、「信(しん)」が連濁せず、「進(しん)」が連濁するところであろう。
"しょうしん"と清音で読める単語に「正信」と「精進」があるが、前者は"しょうしん"であり、後者は"しょうじん"である差が分かる(正は正法"しょうぼう"とかというように正も精も2モーラ目が"ng"鼻音で連濁させる作用がある)。
私が「仏語」を強調するよう、仏語では多く連濁する漢字も、一般的には鼻音連濁の法則が薄いせいで清音のままというものが多い。
だからこそ、鼻音連濁の多い仏語において鼻音連濁をせず清音のものを探す必要がある。
"しん"の発音なら、「心」も「用心・信心」など、仏教系では鼻音連濁するが、"しょうしん"の変換では「傷心・小心・焦心」など清音で多く出る。
なお、冒頭にあるよう「神」という字は漢音"しん"と呉音"じん"であるから、鼻音連濁の限りでなく、「深」にしても呉音が"じん"であるために「甚深」を"じんじん"と読み、これも鼻音連濁とは異なる。




最後に、漢字の音読みと関係の無い和語の話をする。
「涙」を"なだ"、「喉」を"のんど"と読む場合を見かけないだろうか。
「涙(なだ)」は、"なみた(?)→なんた→なんだ→なだ"と、"み"が"ん"に撥音化されてこれが無音化した("なみだ"という一般的な発音は"なみた"の異流か)。
「喉(のんど)」は、一般的に"のど"というが、これ自体も涙と同様、本来"のみと(飲み門)"と、日本の医療が進んだ時代からか出来たようで、"のみと→のんと→のんど→のど"と、撥音便・無音便(造語)を踏んできている。
ここで注目してもらいたいのは"のみと→のんと→のんど"の箇所である。
"のん"の後の"と"が発音しやすく連濁して"のんど"となった。

和語には、こういった経緯を踏まえる動詞がとても多くあり、源流を辿ると似たような例が散見される。
これは「涙・喉」のような名詞に限らず、多くの動詞にもあるが、これについては勉強してその様相を探ってもらいたい。
案外、重なった言語感覚から手に取るように得られる。

もったいぶってみたが、一個だけとりあえず動詞の例を示す。
「重んじる」とは「重む」という動詞の連用形「重み」に「する」というサ変動詞をつけて「重みする→おもんする→おもんずる→おもんじる」となった。
この法則に気付くと、頭で勝手に「辛んじる」などとポンポン動詞を生んでいる(類推・逆成)。
※「辛うじて」の混同だろうか、「辛(かろ)うじて」とは「辛(から)くする→(ウ音便・字音変化)辛(かろ)うする→(う濁音)辛うずる→(連用形+て)辛うじて」として出来たのだろう。

サ変動詞が「鼻音連濁+じる」と変化するのは「感じる・講じる」など、動詞音読みのものに多くある。
「存(ぞん)じる」「存(そん)する」は、同じ漢字であるが、漢字の読みに清音・濁音の差があれば、サ変動詞も"じる"変化が生じていない。
生じない、変じない。
サ変動詞で連濁し、"じる"変化が起こっているもので、鼻音ではないものは「命じる」等あり、これも"メーじる"という長音だから"じる"変化があると思えばいい・
もちろん、「存(そん)する」のように「呈する」が一般的な"エー"系サ変動詞もあるし、そもそも文語体・古いものは「汝に命ず・肝に銘ぜよ」等書いてしまえば、"じる"変化はごく現代的・慣用的で、必ずしも絶対的な文法では無いことが分かる。
「○○する」というのは、正統終止形で「○○す」となり、古書を紐解くと「○○する」は本来連体形の用例のみであることは判然としていて・・・
これについては過去記事で縷々と語っているので参照されたい。



脚注

*1・・・例えば、異なる宗派と地域では、同じ経文でも連声・・・「成仏已来」と唱えるとき「じょう・ぶっ・ちー・らい」と読む場合と、連声せず「じょう・ぶつ・いー・らい」と読む場合とがある。元々連声するのが正統であるとか、あるいは正統気取りで連声をしはじめたとかは、考古学者ではないから知る術がない。二分・多分に分かれた読みは、宗派や地域などによっていずれかが慣用的な読みに変えたり、後世へ正統派の読みが忘却・不相伝などは確実に考えられる。

*2・・・例えば、顕著なものとして「易」という字が挙げられる。「貿易」等に見る"えき"は、交換や変化などを意味する。「平易」等に見る"い"は、難易のやさしさを意味する。これは、中古音に"yek"と"ye"という違いに現れ、それ以前の上古音では意味の違いによる発音の著しい差が生じていない。他は、「惡(悪)」も、状態や行為などの悪さ(悪化・悪行・悪魔)を"あく"といい、憎悪・嫌悪(悪寒は?)などを"お"と言うが、中古音では同じく"ʔak"と"ʔu"という違いがある。"ʔ"という環境依存文字は「声門破裂音」の記号で、有るようで無いような子音だと思えばよい。

*3・・・環境依存文字"ŋ"は、普通のアルファベットでは"ng"と書き、「軟口蓋鼻音」という。ここで過去の釈明をしよう。「日本以外の漢字文化圏や東南アジア・インドネシアの地名などをGoogle地図で見れば"ng"の綴りが甚だ多い」という現象について、2011年から最近まではこの"ng"の綴りを「nの後に発音しないg」と思い込み、原因を「東南アジアなどにとって中国がローマナイゼーションの師匠だから」等と考えていた。それは私の誤解である。誤解が晴れたきっかけは、このように"ng"が語尾ではなく、母音を伴っているピンインを見たところにあり、自分が思うnとはまた異なる鼻音"ng = ŋ"があると知り、その音を以て具体的な違いを知った。だからこそこのことを論った記事では、確然としていない知識からの見解に「信憑性の薄い話」と自ら不信を唱えていた。

*4・・・日本の漢字音読みにおける"う"の音は、歴史的仮名遣いや字音仮名遣いというものでも"ウ"とされる場合、中古音・上古音では"ng"の音がある場合が多い。この"ng"とは脚注2にあるとおり「軟口蓋鼻音"ŋ"」である。日本語の"ウ"は本来「狭母音」の一種であって、鼻音ではないのだが、連濁の法則上は伝来当初の"ng"音が守られているのかもしれない。ほか、"う"の読みのある漢字でも、例えば小や好などは"ng"音による"ウ"でない。合や法の場合はいわゆる入声音の"p"が字音仮名の"フ"、現代では"ウ"となっており、当然軟口蓋鼻音ではないから、連濁は通常せず(した場合は類推か)「合掌」を"ごうじょう"とは読まず"がっしょう"と読む。

*5・・・「会・回」と「悔」と「解」というのは、それぞれ古い仮名遣いでは異なりがある。現在では全てが漢音において一様に"カイ"であるが、古くは「会・回」は"クワイ"、「悔」も"クワイ"、「解」は"カイ"であった。厳密にこういった違いが中古音など、時の中国では分別があったものの、日本語の口頭では境界が曖昧で、現代までに誰も意識しなくなった。こちらで確認できる中古音を現代カナに置き換えると「会 = kwajH =クヮイ」、「回 = hwoj = フォイ」、「悔 = xwojX = クォイ"」が近いだろうか。中古音などの表音で、大文字のXやHが末尾に付くことでの相違点は不明。拗音ォは、便宜上こうしたが、自分の口頭では小さいヲが近い。なお、普通は母音"a e i o u"が付かない"j"は珍しいだろうが、これの本質はドイツ語・ラテン語学習者ならご存知の通り、"i"の音に相当する(更に言えば英語の"y"に相当する)。"i"と"j"の字の形状にもその点が表れていよう。本来は"iapan = japan"のように、"j"は"i"の亜流であった。よってここでは"イ"とした。

*6・・・日本で読経する際、漢字1文字2モーラとなってテンポの良いリズムを作る。だが、稀に音写された固有名詞などでは1文字1モーラで連続することがある。「釈迦牟尼仏」を"しゃー・かー・むー・にー・ぶつ"と読まず"しゃか・むに・ぶつ"と続けざまに読む。「舎利弗」も"しゃー・りー・ほつ"ではなく"しゃり・ほつ"と読むが、中国では"しゃー・りー・ふぉー"と1文字2モーラ式だ。

*7・・・"つう"という読み方は、一般的には「通・痛」の2字がある。日本Wiktionaryは「」の"つう"を慣用音として、「」の"つう"を呉音として載せているが、根拠が薄い。堅物の日本ウィクショナリストは「どこどこの辞書にそう載っているからいじるな」と言って譲らないものだが、中古音を元に考えると、「通・痛」の2字とも"thuwng"であり、特に脚注3等でも示されるよう、"ng"は伝来当時の日本で多く"ウ"と扱われ、「通」だけ慣用音だとか、そんなことはあり得ない。経文読めば、慣用音でのみあるということは全くないし、仮にどこぞの辞書がそう載せているならば、その辞書の編纂者という一個人の見解であろう。辞書へ絶対的に依存する堅物である。真実を見ない。辞書の説が真実と思うならば何らかの合理的根拠が要る。なお、ほとんど慣用音とされる読みで有名なものは"すう (数・崇・枢・趨など)"であり、これについては一理あって、経文でも「数(數)」は「無数(むー・しゅー)」等、"しゅ"と読み、一般では何故か濁音の「数珠(じゅず)」が好例。「数(數)」については数数見擯出(さくさくけんひんずい)という変わった読みがあるが、これも上古・中古音や現代でも各種方言に似た発音が多々あって(上: srok 中: sræwk 閩南・広東: sok)、「数字」などとは異なる意味を表す際の音である。



以下、脚注6・7を追記する前に「脚注5で記事が終わる」と想定して書かれた末文だから、脚注6・7を意に介さず読んでね。
せっかく綺麗に記事を締めくくれそうなのに日本ウィクソが調和を乱して、文脈破壊追記をさせる。

↓ ↓ (脚注5・母音に似た"j, i, y"字の音の類似性と歴史的関係性を受けて)

こういった文字を、(勉強の中でたまたま)歴史や多言語の上から研究していると、発音の本質を容易に覚ることができる。
よく取り沙汰される"L"と"R"の違いも、過去記事にあるよう古いラテン語や現在でもフランス語に"lla=ヤ"、"lle=ユ"という発音を見ることができ、トルティーヤやミルフィーユといった名が分かりやすい。
英語の"All"のみならず、"al"の綴りが単語の頭でも中でも尾でも、"オゥ"や"ォオ"のような発音をするのは、9月7日調べると「ダークL」というそうだ。
ミゥク、アーポゥ、ヴェイォオって何だ。エニモゥ(発音動画)
私一人の覚ったことではもったいないので、こうして文章に表し、自分で覚れない人の為にこの文理(もんり、文のことわり)を説く。

なお、当記事は9月6日22時頃、俄かに記事の案として発想し執筆を始めて、ダラダラやったつもりが9月7日14時頃に5,000文字を超した。
今回のテーマ「連濁」について、私としては記事で例を挙げきれないほど知り尽くしたつもりだが、一応「覚れない人」びとの為を思い、勉強に役立てようと、こうして記事にまとめて投稿する。
学術的メモ帳であるから、自分の知識などを形に留める目的でもある。
そういうつもりで今まで作成した記事は、当時まだ知識不足・誤認識があったり、調査不足の面もあったことは、後々気付くこととなる。
だからこそ、「知り尽くしたつもり」の更新をするため、その都度、記事に作って成長過程を判明させねばならない。



2015年9月3日木曜日

Google+ 2015年8月中の日記メモ等

日記メモを付ける日々の中で、やはり一メモで千文字を優に超すものが多いことを思うとき、独自で記事を作るのもよいのではないかと考えつくこともあれば、実際に便宜を図ってそうすることも今までに何度かあった
今後は、日記メモひいてはブログ記事や動画説明文から有用な記述を集めた「類聚」カテゴリでも設けて記事を作ってもよいと思う。
日記メモまとめ記事はいつも、当メモ帳で掲載するにあたり、「日記」・「記録」カテゴリのみ設定しているのでは、中身の日記メモに各カテゴリに相当する記述があっても活きることがない。
「類聚」カテ独自記事に、例えば家庭における話題のメモなどはかなり多いため、「家族」ほか相当カテゴリを設定する、記事を作りたい時にこれで試す。
↑の内容をメモした8月中旬から、8月24日には実際に類聚記事を初作成した。



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2015/08/01




家に一人の3日間の2日目、本日8月1日は朝6時20分頃起きた。先月も「6時20分」という起床時間を何度も日記メモで書いたような記憶があるため、なんだか嘘を付く時のお決まり思いつきみたいな空々しささえ感じられそうだ。ともあれ、昨日は22時半過ぎにPCをシャットダウンして以降、2時間近く寝付けなかったし、何度か目が覚めた気がしなくもない。

そんな昨晩は21時過ぎに下剤(某ラック)を2錠飲んでいた。その下剤の効果は、寝つきの悪かった時間内にほぼ発現を感じられず、体への影響が弱まっているか、あるいは穏やかに作用して程よく効果を現すか、といった望ましくも疑わしくも感じられる複雑さがあった。前者であることは、決して無きようにと祈りさえもした。

そのまま朝を迎え、予定通り納豆を多めに消費する朝食(味噌汁に野菜の余りを使用)を食べ終わって(味噌汁とご飯を僅かに残して数時間以内に食べる予定)お茶のペットボトルや茶碗の水洗いなどの後片付けを始めようとして、自室冷蔵庫に茶ボトルを戻したところ、アレが出そうだったので出してみると、アチラではなく、下痢の方が発射されてしまった。最初は半信半疑のまま急ぎ足でキッチン方向に歩くにつれ、臀部下に生暖かさを感じてきて、しかも左腿を勢いよくつたっていく温かい液状の何かを感じ、すぐさま左の靴下を脱ぎ、風呂場に急いだ頃には左足にアノ液体がぽつっ・・・

でもまあ、この後右の靴下も脱いで風呂での洗浄を始めたし、汚物付着の衣服2点(部屋着下・パンツ)も粗方汚れを落としてすぐ洗濯を始めるなど、被害が最小限に留まったのも、最新メモ帳記事「怜悧な」の言葉が合う私の即決英断によるところだ。結果として、この風呂に置き去りにしたカミソリのカバーであるとかを回収できたり、オマケの良いこともあったわけだから、それほど不満は残さずに置けるかもしれない。

だが、一番不可解なのは、たまにある下剤の極端な作用だろう。今回のように、寝る前には腸の左下の硬化にしても、腹のハリや鳴りなどもなく、俄かに下痢が迸る現象は不条理極まりない。特に今までの下剤使用でもこれほどに服用~前兆~排出の過程における中間現象が無い上で俄かな発現があることはなかった。5月25日メモに記した「中間現象が無い」という場合でも、その時は今回ほど酷い排出状況ではない。

原因があるとすれば7月28日メモにもあるとおり、ローションいじいじかもしれないが、これはその日の就寝前下剤2錠服用と翌朝の紅茶=カフェイン中程度摂取のダブルパンチであってもこのような「痛みも便意もなく突如発現」という奇怪な現象に至る事は無かった。他に挙げられるその時と今回の差異といえば、せいぜいその時が4日排便が無くたまっていて、今回がたった2日待ちで敢行したことくらいでしかない。精神面の原因では、私が小6の頃に某掲示板で仲良しだった山形県酒田市小6女児のコテが「うんこ漏らしたorz」という品性の無い(彼女自身V系・某TCGファンの自称レズビアンで男になりたいと私に告白していた)書き込みをして私が彼女を嫌うようになった、という思い出を本日は起きてから回想していたことにあるかもしれない。今の私にすれば、そんな女子らしからぬ汚い書き込みさえも愛しく思えてならないし、今どんな子になっているだろうか・・・

10時半より前に薄い桃色の折り紙を折り始めたが、生まれてより一度も折ったことのない「鶴」を、300枚入り色紙の裏厚紙に記載された説明に従って作ることにした。私は不登校期間の関係で、折鶴の折り方を教わったこともなければ、小学生の速弾きの定番「猫踏んじゃった」の音階も知らない(音感によってアレンジ曲を作ったことはある)。逆上がりも、補助台使用でも一度として出来たことはなかった異端児の私が、特有の難解な説明に従って折るのだ。図形感覚や言語感覚が卓越した私に敵は無し、と勇み立つこと20分、苦闘の末に人生初の折鶴を一人で完成させた。小学生が一人でやるには難解であったが、私は図の見方や平仮名主体の読みづらい文章も、文意を超えた理解によって正解へと進めた。私といえば、日本文化・折り紙そのものが「淫風陋習・時代錯誤」だと嫌いになりつつあった中で、始めて和解への一歩を踏み出せたこととなる。

それはそうと、この「3日間」を指すのに「3連休」と言いそうになることが昨日から何度もあった。確かにある種の休日でもあろう。家に一人でいられて羽を伸ばし、半ば好き放題できるわけだからそう言いたくなるのは無理もないが、同時にその「半ば好き放題」の範囲のほとんどが、洗濯・炊事や弟機利用などのプランに則った作業であり、実は一番労働に近い状態となっている。昨日に続き、今日も色々予定を組んでいるし、日記メモやブログ記事執筆も盛んに行っている。この好き3日間を逃す手はないが、詰め込みも程々にしたい。そこに、今日のメモのお漏らしとは、番狂わせ同然だし、月の頭から汚すぎるメモの話題には自ら辟易してしまう。ともあれ、こういった終日、でなくとも日中一人でいられる時間が2012年上の弟追放~2015年3月母退職までは多くあったわけで、今では貴重なものだが、このような時間は月に数度あれば程よいと思うものだ。また、年に数度こういった3連休の余裕があると嬉しい。それだけで寝具の衛生面も調和がとれる(雨降らなければ、の話)。次回は毎年恒例のお盆シーズンかな。

追記1:20時16分、予想だにしない凶報が届いた。20時過ぎより福井駅から電車に乗り始め、帰路に着いたという。これによって3日目の計画も、3日目に向けて整えた準備と心構えは全て空しきに帰し、2日目夜を含む、今後に掛けた希望は潰えた。20時20分過ぎに継続中の作業を中止して、すぐさま全ての後を片付ける作業に移行した。最後の作業の土産も拵えた。このようにスムーズな対応ができることは、凶報がメールの形で未然に告げられたところで不幸中の幸いと言えるだろう。これで、母・弟の福井旅行からツアー制などの説はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。

最も遺憾なことは、明日午前中の風呂(シャワシャン)が不可能となった点で、これを見据えたが為に多少の汗水は厭わなかった。まあ同メール曰く24時頃家に着く見込みであるそう(終電など平気か)だからその間に入りたければ入ればいいものの、すぐ入る決断を下せるものではない。私の運の悪さは誰にも正しい反論が出来ないほど証明しきれているが、やはりまたとてつもない大番狂わせで、ナントカ付きの計画が空しく壊滅したことになる。

追記2:23時半前、母と弟が帰宅した。23時50分に二人とも2階に移動している合間に、1階リビングに置かれたおみやげ袋の存在を確認したが、これは凶報メール貼付画像1の左端で見切れた大きな紙袋と同一であった。"DINO STORE"という恐竜博物館内の土産屋らしく、中身は食品系3点の箱を確認した。去年の阿智村1泊時の土産を特別支援学級の担任と所属生徒に配ったように、来週の登校日にも配る予定だろうか?結局このような担任・同級生への土産配りという母の性癖・贈答癖も、小1の私の全同級生に宛てた年賀状を私に書かせた2003年と同轍にしか思えない。



2015/08/02

本日8月2日は起きたのが午前10時過ぎのことだが、目覚めの要因は母・弟の会話である。程なくして弟は向山方面・中央図書館などに向かったそうだ。彼らの会話がなかったとしても、やや暑苦しさを感じる寝起きであることから、後1時間しか眠っていなかったのかもしれない。就寝は昨日もとい8月2日0時50分頃のPCシャットダウン以後であり、実際の睡眠時間は8時間半ほどと見て、寝つきが悪くも早起きの多い最近の中では眠れた方だろう。

起きたときの体の違和感といえば、左手の筋肉痛である。昨日は書いた文章量も去ることながら、弟機に入れた某ゲームの通常ストーリーをかじっていたわけで、これでかなり指を動かせたのだろう。寝相に原因があるとも思えないし、何より体の中で手にピンポイントで筋肉痛が発生する寝起きなどは一度も経験が無い。蓋しゲームの影響且つ、私の普段の執筆活動はゲームより遥かに疲労を生まないらしい。

昨日ひいては24時過ぎも、できるだけ夜更かしによる昼夜逆転を目指していた。日曜日は少なくとも毎度24時前に用事がある。近頃は21時~23時までにPCシャットダウン・就寝といったリズムが定まっており、日曜日であっても24時まで起きて用を済ませばすぐ寝て、翌日の起床も早める。次のお盆までは当分、昼夜逆転も良いと思っている。短期間で昼夜・夜昼を逆転させるスキルはもうとっくに習得しているため、気軽に行える。でも寝付きづらい夏では意図した通りになるかは今一つ心許なく思う。

ところで、今日8月2日は、本来だと母・弟福井旅行3日目で、行き先は永平寺となっていたが、その3日目が失われなければ私は今日どれほどに活気が溢れていたのだろうか。今日はとある別の要因もあってあまり気分は芳しくないし、「3日目」であれば、起きた時間も7時頃とかだったかもしれない。意義を見出して躍起となる、結局は私にとっても精神的な部分が原動力として肝要なのだと感じてしまった。



2015/08/04

11時前に起きたらしいが、その時は13時のつもりだった。私が起きた直後に、どこかに出かけていたらしい弟と母が帰ってきたが、行き先は大体予想でき、弟は中学校に顔を出す必要がある予定が元々あって、母親も買い物に行っていたことは、私が寝ている間に行われていた。だが、私が目覚めた1分かそこらの間で彼らが家に帰ってくるのは信じられない。厳密に言えば、家のドアを開けたのは弟が先でも、母は家に着いてから軒下ドアの前まで行くのに、数分ほどはかかる。1Fリビングの窓を開け、そこから家の中に購入物を置くための作業などする。実際には母が車を家の前に停めたことが、帰宅タイミングとしては先着となる。

思えば、いつも母の買い物では15~18時に発車することから、今日は午前中に行って正午より1時間も早く帰ってきている。稀であるが、これがやはり、帰宅後特有の雰囲気が相変わらずで、弟との衝突を生んでしまった。「お前の買ってくる菓子なんかま~ずいんだよ!」、「ぶちコロされたいかぁ!?」などと不穏な言葉を吐き散らしつづける弟に、母親もたまに言い出す「刑務所入れるよ?」といった言葉で応戦し、「ヤダッ」と分かりやすく尻込みする。

色んなスキがある時に、いつも起きた直後に行う、水での顔洗いや口ゆすぎ、うがいなど急速に済ませたのだが、最後にトイレに入って小便を半ば出した頃に、音も無く訪問者が来た=車を伴わない=何かの勧誘か挨拶回り?が煩わしくも家のインターホンを2回も鳴らした。インターホンに応答するため母・弟が1階に降りるかもしれない、という危惧から紙拭きなど早めに済ませて退出し、自室窓から家の前を窺ったが、どうにも人影が全く見られない。家の前から去りゆく人影すら見られなかったのだ。そんなすぐ消える輩がインターホン2階鳴らすとは非常識極まりない。

私の人生、おかしなことは毎日付き物だが、起きてからすぐにこんな異常事態の連発では身が持たない。第一に8月2日メモにもあるよう、昼夜逆転を意図的に狙って計画組んでいる私を、午前の内に買い物済ます母から、キチガイ訪問者まで邪魔し続けているではないか。この日記メモも、起きたばかりの頭を使い、たった15分ほどで1000文字くらい書いてきている。

追記:19時50分前からまた弟と母に一悶着あった。弟の怒声のみならず、何かを叩きつける音であるとか、とにかくうるさいだけであった。どうも「まずいんだよ!」が口癖のような弟で、今回は「お前が買ってくる肉なんかまずいんだよ!」と叫んでいた。



2015/08/06

昼夜逆転狙いの最中である本日8月6日は、朝5時過ぎに朝焼けの美しさに見惚れて自販機通い兼ゴミ捨てに出ようと考えた。軽く準備も済ませて家のドアを開けた瞬間、セミと思しき影と飛び立ち、羽音は私のことを大いに驚かせたのだ。すぐにはドアを閉めようとしない私が数秒様子を窺う間に、飛び立った木の元へ帰ってくるように接近したため、そこでドアを閉め、反射的に家の鍵も掛けた。元々施錠されていたものを戻す行為とはいえ、私も朝から大きめの音を立ててしまった。鍵を掛ける音は結構大きい。

このセミが飛ぶことに関して、ごく最近にも経験がある。7月28日あるいは7月31日に洗濯物を2階バルコニーに干す際、私が窓を開けた瞬間に不気味な羽音と共に今回と同様の影が飛んでいくのを見たが、それがセミだった。それが飛びゆく先にもまた同様の影があったが、あんな鳥みたいな影が、2階建ての建物の屋根の高さでいくつも飛んでいると思うと恐ろしい。今年は例年にも増してセミに関する記録が多いと思うが、夏の終わりから激増するセミの死骸に関しても記録するのだろうかと思うとウンザリする。

ところで、このセミとの遭遇によって怖気づいた私は、自販機通い兼ゴミ捨てを実現できなかった。セミの一匹を前に一歩も外に出られないようだと、別の点で憂慮される。ドアを開けた際の路面を見るに、夜中は雨が降っていたようだと知る。朝焼けについては、我が家の2階空き部屋(元・上の弟、前祖母)から鑑賞した。眺めが1階や路上とは違うものだ。写真も1枚撮って、これで満足することとした。

追記:その後朝7時台に寝始めて、起きたのは14時過ぎであった。18時過ぎに外出計画が再浮上し、19時過ぎに決行した。あたりは大分暗くなっており、やはりセミの不気味な声が小刻みに聞こえている。どういう種類の鳴き声か私は知らない。いつもの通りを進むと、とあるお宅の敷地内に植えられている木の多くが、葉の茂った枝を落とされたようで、そのお宅の隠れていた建物が見えたり、この通りからは普段見えなかった別のアパートなども見え、新鮮に感じた。今回の夕焼けは弱程度、服装は過去数例に同じ。

帰ってきて数分ほど経って母親が1階に降りてきて何かの作業を始めた。おそらくは料理だろうが、また数分ほどで今度は弟が降りてきたようだ。それに私が気付いたのは母親の大声からであった。例の如く母親は、部外者の私もウンザリするような大仰の反応で弟を出迎えた。たかが弟が1階に降りてきただけで、この驚きようは何なのか。一度の大きくて長く伸ばした声にとどまらず、大きめの声で何やらペラペラと喋り始めた。当の弟も甚だ煩わしく感じるようで、激怒したり、大きな物音(落下音)も聞こえてきた。なぜ母親はトラブルの原因を作って止まないのだろうか。人の機嫌を損ねることの自覚は生まれないのか。



2015/08/09

酩酊 泥酔 フラフラ 千鳥足

本日8月9日0時38分、部屋の障子を強烈に照らす光があって外の様子を窺うと、タクシーが止まっていたのだが、0時台にタクシーが家の前に止まる光景は既視感がある。過去に4月25日の日記メモで記録した出来事と同じ可能性が高い。明るんだタクシーの中で、後部座席に2人の人影を感じたが、気のせいだったのか出てきたのは一人。やはり、前回の時と同様、向かいT家のおっさん・・・ご主人である。酩酊・酔いつぶれの千鳥足で、覚束ない足取りながら、今回は慎重に進むようにしていたため、上体を愛車にぶつけるようなことはなかった。(タクシーが去った後の0時39分に撮った写真を即時PC送信→編集した。)

思えば昨日8月8日は、19時過ぎに一家4人、奥さんの運転でどこかに行っていたわけだが、あれからどういう経緯があったかを私は知らないし、今まで関心もなかった。行き先の地で一人帰らず夜の街や店に居続けたのか、あるいは一家4人で帰宅後にご主人だけフラフラと遊びに出たのか。こういう姿を、御息女はご覧になったことがあるのか。ともあれ、その19時過ぎに普段見かけない服装を着てはしゃいでいた御息女は、とても愛らしく映った。

ここまでメモを書き終えて数分以内、2階で母・弟の会話が聞こえた。昨日23時以降断続的に話し声はあったのだが、まともに聞けなく、今回はしっかり聞こうとした。どうも、風邪の話題のようで、「母:風邪薬飲みすぎ、エアコン消して」と言って一度会話は閉じたが、弟は「まだ話がある、夏は夏風邪でしょー?」と反論したが、敢え無く「そう言うけど、普通の人は夏風邪を引かない、夏に風邪薬を飲み続けるのは変な人」と言われて弟は口を噤んだ。

夏の風邪薬常用は、先の7月29日の日記メモで私も問題視した。クーラーをかけるだけかけて光熱費を上げるばかりか、一食に2合のご飯を食べる弟がそれで風邪を引いてしまう、無駄なのは食事量だけにしておいた方がよい。件の日記メモでは、弟の食生活と外出状況から身体的に丈夫な方であると分析しつつ、冬の風邪薬飲用状況から風邪に弱い体質である可能性も示唆したが、また俄かに始まった会話でも「俺の体はねぇ、風邪に弱い体なの」と弟が話していた。一方の私は外遊びやスポーツなどをせず、体型のとおり少食であるものの、知能・精神面で非常に優れており、自己管理の取れた用心深い生活であるから、夏風邪には無縁だ。反面、冬の風邪には体質上不安が大きいが、2014-15冬シーズンは特に風邪薬を必要とすることもなかった。

このように見れば全て太い人との差が一目瞭然であろう。熱ければエアコンのクーラーを冷蔵庫の如く(7月31日調査では設定温度23度・静風)かければいいわけでもないし、それで風邪を引いたら風邪薬を飲む、これでは経済的な問題だけでなく、医学的にも脆弱であり、何より精神的な部分がボロボロのフラフラだ。向かいT家の主人は酒でボロボロ・酔いでフラフラな体でも、心だってまたボロボロのフラフラである。

追記:朝9時40分前に佐川の配達があったが、何かのトラブルの件で長めに立ち話があった。それはいいが、続く9時40分台、母が弟にシリアルを食べたかどうか聞いた際に、弟からは今日買い物に行くかを問われていた。先の福井旅行からやはり月・木の買い物ペースが狂ったままなのだがが、あまり融通が利かない近頃の母親に出不精が加わったのかもしれなくて、いつものイオン買い物は今日から振り返って5日前である8月4日のことだ。8月7日(金)に臨時、徒歩でコンビニに菓子(母・弟はアイス・デザートや菓子パンを食べた)と牛乳の買い物に出ていたが、これがあるだけ助かった方だろう。

買い物のペースは、2012年の頃なら当時の仕事休みがある水・土曜日に買出しに行き、普通の仕事帰りにも弁当屋の弁当を買うだとかコンビニに寄るだとか、とても気が利いていた。休職中の今と比べれば別人のように経済活動をしていたこととなる。私としては、買い物が無いために野菜不足で健康がやや害されるとも幾分構わないのだが、母親の出不精が強まって全てが無気力となってしまっては、息子として何とも安らかでいられない。母親はそういう風になるべきではない人間であることは、その半生を振り返ることでよくわかる。私への理解も無い割に、私の真似をするだなんてただの怠け者にしかならないだろう。「私への理解」の無さについては、後日記事にされるはずだ。

月・木の買い物ペース調整するにも、一時的に頻度を縮めるか先延ばしにするかの場合、後者を選んでいるが、その度合いがあまり強いと弟にとってはかなり苦痛だろう。私としても、買い物ペースを時に応じた丁度良い頻度にしてくれるといいが、母親は、買い物に行く曜日が今までいくらでも変わってきたことを置いて、今は月・木を頑なに守ろうとしている。月・木厳守などいくらでも破って、必要な時こそ買いに出る、これくらい柔軟でなくてはならないし、先述の通り2012年ひいては2014年までの活発な動きとは異にしていることが明白だ。

近頃の傾向を予て察していた中で、金曜日のコンビニ行きは当時としても感心であったし、この追記してから少し経つ11時過ぎに、元々玄関に置かれていた見慣れないバッグを荷物としてどこかへ行った。車にエンジンをかけてから実に10分ほど車と家の中を行き来していたことが気がかり。13時ころ帰ってきたが、荷物の用事の他に食事でもしたのだろうか。

当記事注: 8月10日にも二人でどこか車で出掛けていたが、実際に買い物に出たのは8月11日(火)のことであった。もはや何が魂胆なのか見当もつかない。例えば、買い物我慢大会だというなら、あと数日でも付き合えたわけだが、何も話さない人だから何も理解できない。この火曜日にあたって弟は何か聞かされただろうか。まさか日曜日朝の会話で火曜日の予定の話があがったのだろうか。何にせよ、こんなことなら月・木厳守の方がずっとまともである。頑固どころか狂乱のように見えてならない。



2015/08/11

昨日は引き続き買い物がされない日であり、本日夜中はご飯が炊けなそうであり、レトルトご飯の蓄えに手を出すことも敢えて控えることとし、スパゲッティを食べることとした。パスタ系はあまり口にしていない(一つまみのペンネをラーメンと共に茹でたことが1年以内にある)のだが、スパゲッティは2~3年以上食べていない。昔じゃ週に1度ないしそれ以上の頻度で食べていて、前の家ではよく一人で茹でて適当な味付けで食べたりもした。カップ麺タイプもそれなりに多かった。それからすると、少しでも生活が変わり、意識も変わってしまった今では、リビングから漂うミートソースの香りだとかにも反応が乏しくなっているわけで、スパゲッティを求めることはほぼ無くなってしまう。かつての食生活や嗜好から対比すると、同じ自分としての変化が著しいことだろう。

ここまでの下書き前日・8月10日22時以降に書いたのだが、11日1時半なおもスパゲッティ調理の見込みはなく、空腹のままでいる。そもそも8月10日は12時前に寝始め、起きたのは17時台のこととなるが、まず18時過ぎに豚骨ラーメン(麺は10日夜中の別料理で部分消費済み)を食べた。その時、麺の量に対応して水分量を少なめに調理し、粉末スープをやや残るように使った。このときは、ご飯のふりかけ代わりに使おうとしたのだが、最近日増しに「スパゲッティ食べていないな」という意識がついてきたために、スパゲッティを久方振りに調理して、その味付けに使えば都合がよいと発案した。それで、そのラーメンを食べ終えた19時前後からこの1時半まで、シリアル少々摂りつつお湯や水などを飲んで過ごしている。

大体いつもこういう食生活だけれど、今回については1時過ぎから母親が1Fリビングで絨毯に体育座りでテレビを見ている。傍から見ると不気味な光景にしか映らない。ついでにリビングにおける母親のエアコン使用状況についてだが、今回も作動させている。涼しさは、私が多く29~30度設定にする(風量強弱は適宜調節)のに対し、1Fリビングはあの広い空間がかなり冷える印象であるから、それなりの低さであろう、体感値では29度設定の空間で、指定値は風量中強ほどなら26~28度、弟のように静風なら24~26度。その仮説の答えは27度、風量・中と判明した。

2時20分頃、スパゲッティ調理の準備を進めて茹で始めた。記憶から必要な材料である塩と油を揃える過程で、本当に久しく調理していないことを実感する。この片手なべで作る上での留意点が、沸き立つ水の空気のように鮮烈なものとして思い起こされる。麺の投入から調理器の火力など、ラーメンと同じ要領でやると吹きこぼしもあり、茹で上がりは劣悪となる恐れがある。色々、過去の調理感覚と齟齬もあるのだが、結果的に難なく出来上がった。

思えば、結束タイプのスパゲッティ一束を取る時、三束あるように見えた袋には2.5束分あった。一束あたり本数を無視すれば3束と言えるけれど、あまり心地よく思えない。私も普通の一束から3分の2近い量を抜き取った。それはいいとして、その量を9割がた食べた後、余りを片手なべに残したままお湯を入れ、1時間以上経った頃に味噌汁を作って食べた。終わり。

追記:12時前に寝て18時頃起きた。その間に母親は買い物に行って既に帰ってきている。私は20時前からゴミ出しと自販機通いを行った。道中、とある十字路に近づくにつれて、嫌な羽音が聞こえる。警戒しつつ歩き続けると、十字路の左側から軽トラックがこちらに=右折してきた。それで露払いされたことを期待したが、羽音の正体はなおも路面にいたらしい。こちらはノンストップ歩行であるから、正体が見えたときの対処は危ういものだった。羽音の正体は既に飛び立ち、こちらの方向に飛んでくる奇行のために私は、思わずしてか思ってか大声をその場で上げてしまった。普通の住宅街で白昼堂々、というのであればこちらが奇怪な人間である。

それで、羽音の正体が虫であることは確実なものとして、実際にはどんな種類かといえば、一瞬だけ捉えた姿はセミに見えがたいが、知識もないためセミと思うしかない。セミであるなら可愛らしいくらいだろう。この住宅街の中で、得体の知れない種類が路面を這ったり飛び立ったりするのは恐ろしいことで、ますます外に出られなくなる。本当は19時半に出ようとしていたが、少し遅れただけでも虫の沸きようが格段に異なる、と短絡的に考えたくもなる。所詮セミか何か大物が一匹現れた以外に何も無いはずなのだが、こういう不可解現象が続くところは私らしい。

その後の自販機通いについては、無事に済んで帰路も別状なし。8月10日夜にも別に行った自販機があるが、そこは10円玉・100円玉を投入してもつり銭の場所に流れてしまう異常が起きていた。また以上確認のために手を伸ばした先に巨大な羽虫っぽい暗い茶色の影も。やはり既に目的の場所に手を触れたあたりで虫が飛び去った。他に、白バイっぽいのが進行方向後ろよりノロノロ走行していたので、走り出したらスピードを上げてきた、ということも。この昨日の外出についてはメモにするつもりはなかったし、メモ投稿しなかったし、本日の外出も別状なければ記録はしなかった。



2015/08/12

「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」

これは本日の思い付きで浮かんだフレーズであるが、古い日本語とラテン語っぽいのの知識やセンスは、今年の1月からあまり進歩していない。「如何・恐々」といった語の使いようは比較的最近身についた方ではある。また、思い付きであるから、正しく使えているかという点はあまり保障するものではない。

私のネタに詳しい方なら「主の御稜威(みいつ)」という表現・・・それにピンと来ずとも、デウス・メタラムの語から「メタル神」のネタであることが明白である。8月10日に勢いで制作を始めた新曲があるが、これは非メタルで今も制作中。8月11日にも新曲をもう一つ手がけて都合5時間即日完成に至ったが、これはシンセソロのフレーズが8月10日新曲から借用しつつ、リードギターのフレーズは1月4日から制作を継続している「赤誠」から借用したもので、即日完成を条件にハイスピードで打ち込んだ。今までに無いスピードで1分超のメタル系楽曲が完成した。

私のアレ作曲最盛期は、去年8月であり、YouTube音楽チャンネルでも本数多めに投稿活動を果たせた。この佳き月を迎えるにあたって憂慮もあったのだが、今はまた俄かに盛りはじめていることは喜ばしくある。去年8月ですら、1日でこの規模の楽曲は難しかった。確かに今回の曲は同じフレーズのコピペが40秒ほど続くが、だんだん増える楽器パートを見ると、ことにPC81: Square Wave(矩形波)の使いようは、憧れの人たちに比肩するクオリティを再現できた。ほか、技術的な進歩を具象化できたが、視覚的実体はMIDI譜面に一目瞭然。



2015/08/13

昨日のメモ以後、ウトウトし始めたようで、23時半過ぎには寝落ちが始まった。PCを起動したまま寝落ちというのはそうそうあるものではない。寝落ちという行為自体、2014年に入ってからはあまりしておらず、体力減少のためか肉が薄くなったためかは定かでない。ともあれ、実にはしたない上に不覚にもそのような状態に陥ったことはあまり喜ばしくない。断続的に目が覚めて上体起こすこともあったが、まともに起き上がったのは1時半の頃であり、2時間ほどこういった状態が続いたらしい。

それから色々ネット閲覧や楽曲いじりをしていたが、私があの状態になってからか起きてからか、どうも雷の音が幾度と鳴り続けている。雷というと、今年は当地の場合あまり雷鳴を聞いた覚えがない。5月の台風6号襲来にしても他の時期にしても梅雨にしても、雷鳴はほぼ聞かれなかったため、今日は違和感が強かった。3時半から炊飯準備をしたり、4時半には食べ始めて、5時過ぎから風呂(シャワシャン)に入った。そのあたりには雨音がシトシト、サァーッというような程度に聴かれた。8時現在は既に止んでいる。

ところで、前回の風呂では髪を洗う際に「フケ・かゆみ防止」を標榜するものを試しに使ったのだが、これは以前にも数度使った経験がある。その効果が出ているかの評価は決まらないが、その時の使用では、使用中から頭皮に広く痒みが走ったばかりか、後頭部には2日ほど約1cmの腫れができた。いつもはメリットを使用しているが、どう配合成分が違えばどう良く標榜された効能が出て、どう洗い方を間違えればこのような異常が発現するのか。既述の通り過去に使用例があって同様の事態には至らなかったし、これといった問題も感じなかった。体質・幼少期抱えていたアトピーなどが問題とも思えない。

追記:13時過ぎに寝始めるまでは、俄かに強い雨が降り出して10分で止んだりもした。私が押入れの中に入ってしばらくすると、外から拡声器を通した男声が聞こえてくる。車を利用して町内にアナウンスしているようだが、その内容はとあるイベントの本日中止と、明日(みょうにち)は天候がよければ予定通り行う、という旨であり、そのイベントは近所に張り紙がされているのを目にしたものであった。本日より数日ほど続ける開催予定の1日目が中止、という報告であった。

続いて私が起きたのは20時を過ぎた頃のことで、その時は母親が1Fにいたことに気付き、数分後には2階へと上がった。間もなく弟と母の会話が始まったが、切り出したのがどちらかは不明。内容の要点は、この夜か数日以内にどこかへ行く予定を中止するかのもので、弟が怒っていた。「お母さんの何とかは80パーセント何とか、300パーセント、4000パーセント」等を繰り返した。「後で80万円払え!」等の小遣い要求系も叫んだ気がするが、この話の中では8月9日に鰻を食べに行った(カレンダー記載済み)ということも聞かれ、弟が「おいしかったよ」というと、母は「ほんと!?アレまずかったけど、ならいいや」のようなやり取りとなっていた。

ちなみに、寝る30分~1時間以内に下剤2錠飲んだわけだが、今回も起きてから時間の経つ22時前に悪い形で発現した。それまで8月1日メモにも書いた「服用~前兆~排出の過程における中間現象が無い」という有様であった。下剤服用に起因する違和感といえば、せいぜい起床時に少し感じられた程度だ。何かしらの前触れがないと、人は知らない間・無意識に小便を垂れ流してしまう動物となっている。「中間現象が無い」例として、8月1日や5月15日(少し状況が異なるが)等の類似例も鑑みると、寝る前の下剤服用→起きてからの効果発現を期待するのは悪い結果しか招かないと帰結する。被害の方はパンツまでの最小限に留まった。

人体のリズム上、朝起きてからの排便云々という理屈が一般的であり、私が小学校の頃にも、某ベネッセか何かで断片的に知られていた。当時から半信半疑だったそれを、実感ないまま期待するのであれば、生来貧困の者が富裕に夢想することに等しい。同じ貧困の者でも、富裕なら幸福であるとかの幻想を懐かない者もいる。私も、幼少より実感し得ない「人体リズムの理想」に手を伸ばそうとする必要は無いのかもしれない。



2015/08/14

星の一巡ありし方にTはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好みも偶この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自りこのかた、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし。

Eのストーリーにおける主要のキャラは、シリーズ他作品のキャラに合わせがたいようだが、その点ストーリーにあまり関与しなかった作品色の薄いキャラは一見地味でも他作品キャラとの親和性があって、他作品の類似種族で結ばれる傾向がある。私としては、このマニアックなEの立場を知る機会が多かった。何かと、表に出づらいような立場だと分かるが、それでも去年末に出たとある映像で、そのEのEXの子に出番が与えられることを知るや、その歓喜はやや起こった。手放しに喜べはしなかった一憂がある。それは措いておく。15時前、この文を留め残して眠りなん。

続いて23時過ぎに起き、今はラーメンを食べながらメモを打つ。作曲についても真面目に考えた。過去に何度も至っているはずの結論であったり、その故に近頃あまり考えようとしなかった話題がある。やはり音楽用語とかが自分には未だ理解ができていない。過去に幾度と嘆いた「コード進行」等をはじめとして、漠然とした認識・感覚的な程度にとどまって、他にサラっと聞きなれない言葉を出している投稿を見ると、正直ひがみにも似た感情になる。例えばどこか理系の学術機関・研究機関において、彼らの専門用語がやり取りされるのは何も悪く思わないのだが、ネット上の一般人(リアルでプロもいるのかもしれないが)の間でさも当然のようにやり取りされる光景は、疎外感を覚えてしまう。

ここで、やはり数年以上前から、用語がわかる作曲者に対して、分からずに作曲できる「天才型」という考え方を見出す。「天才型」という語が揶揄のようで、必ずしも褒め言葉でない印象を受ける。理論がわかり事実にあらわす、これが最も望ましくあるから、今の私が「天才型」に似たまま作曲を続けていることは快い状況と思えない。理論の理解ができればいくらか便利なことに違いないのだが、今や理解できたら負けの気持ちさえ芽生えている。理論の理解、事実の実行、この「理と事」とも優れた人が、某サイトに少しばかりいるが、多くは「天才型」なのかもしれない。



2015/08/15

8月15日、寝るために11時53分にPCの電源を落として押入れに入ったのだが、程なくして12時前に手を洗いに1Fキッチンまで出た際、母親が2階から1階に降りてきて廊下で何やら大きめにしゃべっていた。怪しいのですぐ部屋にリビングふすま経由(1F概略図参照)で戻ったが、すぐに母親はリビング側に移動し、今度はふすまノックで私に話しかけてきた。私への小遣いを自主的に渡しに来たようだった。

その際、8月13日朝・14日朝に送信したメールで尋ねた用件への返答が無いことから直接問うた。初めにメールを2度送ったことから話しても、3日間くらいメールを読んでいないとのことだったが、いくら他人との友好関係が無く、知り合いもいない母親に、まともにメールを受ける相手が私だけでもいるのだから、ちゃんと見る・・・それ以前に、最近の様子では携帯電話も起動していなく見えるが、実に呆れたことだ。

ところでそれは一言も発さず続いて用件を口頭で尋ねたのだが、一に次回の買い物の予定は何曜日となるか(前回火曜日)、二に今年はお盆の墓参りに行かないのか、という二点だ。一の答えは月曜か火曜日なのだが、どうでもいいことをくどくどと喋ったり、わかりづらい。また、ここ1ヶ月の傾向を見ると、買い物の予定が週2度から週1度に減らされる懸念があるが、母親の出不精に起因するのか経済的な裏事情が原因であるのかは不明だ。「どうでもいいこと」とは、表面的な話をごちゃごちゃ言っていることで、こういった内面について自ら打ち明けることが母親にはない。二の答えは「行かないわ(アクセントは"いかねーよ"と同じでお嬢さま言葉の方ではない)」と率直であった。

続く12時半過ぎには、にわか共産党員の母親から「戦争法案反対」の署名にサインを求められた。その際に「戦争反対に名前書いて」と言われたのだが、実に語彙が足りていない。ニュアンスがかけ離れる。自分の信条くらいもう少し具体性を孕んだ語彙で自信を持って唱えてみよ、と思う。まあ母親に信念は無いのだが。その時の私はこういった思想を吐露せず、穏便に断るだけとした。私は別に、安部政権の政策に賛否も無く、支持不支持の意向も無ければ、恣意的で一方的な「戦争法案」の呼称を用いることも無い。「中庸が最善(安部ちゃんのコレ裏目に出たけどね)」に賛同するだけである。この後、知的障害の弟もサインを求められ、彼は時間をかけて記名・住所記入を行った。

※「署名される紙」を私に渡す際に、母が「破くなよ」的なことを言っていたが、そうして起こり得ない事態への被害妄想をしてわざわざ本人に発言するとは、人権侵害である。子供の心を破る人間は、母親である。「署名される紙」を破く行為など、私はしないが、仮に私が破いても、子供の心を破る母親の罪こそ最も重大である。是の如き悪親が子供から信用される道理は無い。

寝る前に、起きてからの予定を組んでアラームを設定し、起きたのはアラームが鳴るより先の18時50分のことであった。目覚まし時計等、設定前より起きられるのは中1以降覚った体内時計のシステムによる。19時半までに調子を整えて計270円の自販機通いを行った。やはり外の明るさは、1ヶ月前(7月中旬)の19時半よりグッと暗くなってしまう。



2015/08/17

8月16日に寝る前(午前12時=午後0時以後)の押入れの中で、自分の腕や足を見ると、外から入った光の調和もあり、「枯れた木の枝」と自嘲的に感じた。さながら、枯れて葉っぱも付いておらず弱弱しく、簡単に折れてしまいそうな枝の外見によく似ていた。私の質素な閑居・隠棲修行で順次食事量が減りゆく中で、こういった体型の変化も判然としてくる。

その時想起したことは、「入定」という多義的な言葉のうちの、過酷な修行法を指すものである。「入定」の語は、単に禅定の境地に至った精神状態を指す場合が本来持っている語義となるが、一方で修行法を指す場合は、食べ物にこだわって漸次肉体を「ミイラ化」させるための状態に近づけ、ついには地中に設けた空間に入って読経のまま餓死、示寂に至ること。

好ましい食べ物は木の実・樹皮など、いわゆる「木食(もくじき)」であり、「腑に入らばたちまちに腐りぬ(腑-月+肉=腐、というジョークである。昔見た菜食派の受け売りだけれど、字の成り立ちに無関係・牽強付会らしい)」と嫌われる肉類を避ける。まあ肉食(にくじき)は、入定を行うような僧侶であれば大前提もとよりしていないはずだけれど。これに続いて、日本人と欧米人の腸の長さは~、というこれまた昔の受け売りの話題にも入ったが、これも割愛する。

そこに、本日は興味本位でとある僧侶の弟子が綴った伝記か何か(某上人伝)について検索し、ヒットしたとある寺院公式サイトを覗いた。そこは過去に見覚えがあったが、最初はどういう経緯で見たか思い出せずにいた。サイトの情報量と好奇心からのめりこむように色々観覧していったのだが、その中でようやく、少し前の記憶に触る書の名前を見つけた(伝教大師最澄さんのとある書)。これを検索した際(2月6日)、初訪問となったようだ。色々見る中に、先述の「枯れ木」のような僧侶の姿について、上座部仏教とチベット系仏教と日本等の大乗仏教での反応の差も触れてあった。当該寺院は真言宗で、江戸時代にそこで得度した高名な僧侶(その人物も今年7月7日に1度見た)の流れをついで、梵語経典の研究が深い反面、真言宗の中心本山である高野山を蔑視、お大師の空海さんさえ軽視した向きもある。もう一人同寺で尊ばれる僧侶がいるが、それは華厳宗にあって密教を受持した僧侶で、所縁の寺院は明治以降、名実共に真言宗に宗旨替えしている。

多くのページの記述は、当該寺院の所属僧侶の一人による著述のようだが、私の卑見で観ずるに、誤謬・誤文法・誤字・誤変換(右に些末順)が少々あり、気に障るような「社会」に執着したり、「支那」「朝鮮」といった語を常用する嫌・特亜思想などをお見受けした。朝鮮の南に限定する場合は「韓国」と表記するのは公平である。支那という呼称は、どういう状況による分別か不明だが、普通に「中国」と書く場合もある。歴史的背景を伴わず、現代のことを指すにも「支那」「朝鮮」と表現したページを見た(支那や朝鮮の如きもの・他所から剽窃・元来我が物であったかのように・見た目豪勢・さも実があるかのように)。私見では、日本仏教で長い歴史を貫いて現代までの中国を指す際、「漢土」とするのが適切な印象であり、どちらも通常IMEでは一発変換できない。また、二つの対極的な立場を述べる際にも、双方の言い分に「などと」と度々記すが、これでは論者の考え方に掴みどころが無くなる。

これらはともかくとして、そういった多くのページ・記述から、固く戒を持(たも)つ思想がこの方より窺え、破戒の不行状は許すまじとした熱気が伝わる。梵語経典の研究と同時に、戒律主義を推進したのも、寺院ゆかりの僧侶の偉業であるそうだから、こういった気風が当該寺院で堅持されているのかもしれない。

彼の私情と嫌うことはないから、実際の修行法、修行の理念についても披瀝されたい。戒・定・慧の実践はどうなのか、また具足戒や律などを厳守しているのか、飲酒肉食妻帯は終生しない方針か。最後の問いのYES or NOほどは単純な二択でも済ませられる。未熟な求道者たる私に、先達として指針を示すことは大乗の鑑であり、また自己の信条の矜持は確然たるものとして受け止められる。この方は、多くの論理を示せども、個人的な部分は示さずという点は、中立のような全意見反骨のような文章の随所に現れている。

ところで日記だが、8月16日は19時過ぎに母・弟らがコンビニに買い物へ出掛け、私には菓子パン1点チョコ菓子2点、彼らは菓子パン・スイーツ・アイス等個数不明だがこういったもののみを買った様子だった。前回彼らのコンビニ通いでは牛乳計3本があったが、今回は飲み物類が無い様子。日付上8月17日に入って未明より、かなり強い雨が降り出し、4時半からは断続的にやや離れから雷鳴も聞こえる。

7時50分あたりから、またも1時間近く寝落ちをしてしまったらしい。前回8月13日に続き、「1年ほど無かった寝落ち」の2度目と、痴態・醜態に我ながら情けない思いでいっぱいだ。それは疲れているためなのか、睡魔の干渉が始まったためなのか、いずれにせよ前回は通常睡眠の状況を書いていないが、雷鳴が聞こえた日という点は一致し、今回は2日連続睡眠不足の傾向がある。アラーム設定起床、これは前日(日付上の8月16日)同様、5~6時間ほどの睡眠にとどまる。それでもこの時間内でしっかり休まったらよいものだ。

13時半から、母弟の喧嘩が始まった。最初は原因が分からなかったが、次第に元々私も違和感を覚えた事象との関連性が浮かぶ。12時頃にキッチンの洗い物が全て無くなって、一時保管のザルにも置かれておらず、母親の流儀にはかなり異なると思った。その実は、弟が全て洗ったらしいく洗い物の処理について母親が咎めて、ここから揉め始めたようだ。「さっさと銀行行け!!」「オレはがんばってなぁ、必死でなぁ」という弟の発言も聞かれたのだが、母としては「分からないなら聞けばいいのに」「出来るんならいいけど出来てないじゃん」と苦言する。

思えば、本日は朝9時40分頃にヤマトからAmazon購入品の配達があった際も、弟が遅れながら応答したのだが、母親はグーグー惰眠を貪っていたに違いない。これは退職後の3月からしばらくよくあったが、最近は失せ気味の傾向であった。自分の頼んだ配達物は自分で対処せよ、と思う。弟を遣わせ、配達員は雨の中待たせる。勝手な食器洗いの件も、母親が生活を自ら正し、朝早く食器を洗うことで防止できた。仕事が無い人間とはいえ、睡眠と起床のリズムくらい調整すべきであろう。私は緩急自在に昼夜・夜昼逆転など調整したり、洗い物など最初から出さないし、洗うなら自分でその都度洗う人間だ。母親は、自分を統御するだとかの意識をもう少し持つべし。同じ家に住んでいて生活体系が異なれば、意識も逆方向だと思う。

私、中卒無職の横野真史(18)は世間で社会のゴミ、クズ人間と蔑視されても仕方がない肩書きかもしれない。社会的見地においてはそうかもしれない。薬剤師免許持ち大卒でバツイチ夫なし職なしの母親(49)にはその自覚も無い。へりくだること、客観的な知見も無い。しかも「自分は決してそういう言われは無い」と信じて已まない強情な人格であろう。自分の状況に、微塵も疑いを持たず、他者に真っ当な見解を示されても受け入れはしない。

当記事注: 2016年8月26日、中阿含経の阿梨吒経を披見していた。そこには「燥草枯木」の文がある。当メモで触れた「枯れ木」について、仏典に説明があるとはあまり思っていなかった。この経文には「比丘は人から非難されたり攻撃されたり、あるいは供養を受けて尊敬されても喜怒哀楽はない。例えば今、我々がいる給孤独園の周辺に広がる荒れ野の雑草、枯れ木のようである。これから薪に用いられる草木がやたらと怒ったり喜んだりはしない」と説かれる。上座部仏教圏の沙弥・比丘の望ましい姿勢が「枯れ木」とされる根拠はこれでなかろうか。そのように、大阪のお比丘さまは「一見して無愛想で不遜に見える態度こそ比丘たる振る舞いだが、外国人相手にやると印象が悪いため、外国人が多い地域の比丘らは愛嬌を演じることが多い」と書いていた。ただし、このお比丘さまは経典の所説を示しておらず、縁起観や歴史的経緯などの思想のみを推量して語っていた。この経文にははっきりと枯れ木の態度が示されている。この経文やその所説がパーリ仏典に存在するかは不明であり、実際に存在してもそれが上座部圏で根拠となっていたかも不明である。


2015/08/18

今日は0時20分頃に起きたと見る。昨日寝に入るまでにPCをまだ付けた状態で下剤を2錠飲み、PCをシャットダウンしたのは14時半を過ぎてからのことだ。昨日のメモにあるよう、ここ数日以上の疲れを鑑みて、出来る限り眺めの睡眠を取るように望んで寝たのだが、一度母親から間抜けなメールが21時前に届いた。毎日21時頃にはとあるネットでの予定があるが、これを返上してまで眠り続けようとしたのに、メールの着信音で目が覚めてしまい、台無しである。その後気を取り直して再度寝始め、メモ冒頭の一文に帰る。

下剤2錠を寝る前に飲む、これは8月13日で「実感し得ない理想」と諦めつつあった問題の再検証のためである。効果の方だが、起きたときには腹部から相応の違和感が感じられ、日課である水での手洗い顔洗いと口ゆすぎを済ませる間に強まった痛みを元に、早速トイレへと入った。入って跳ね返り対策を施すなどして糞が出るよう集中していると、蚊が一匹飛んでいるのを見つけた。後で困らぬよう速やかに根絶したく、徹底的に追い詰めた。一度蚊の浮遊バランスを崩して急降下させ、床に落ちたときは、致命的な弱らせ方ができたと思ったものの、試しに指先でつつくと何事も無いように飛び上がった。ついには手の平が痛みながらも平手で潰した。幸い吸われなかったようだ。「幸い」という表現はあまり使いたくない。殺したからには罪悪感もある。潰れた蚊の肉体は、トイレットペーパーで拭った。

私をモスキートキラーに仕立て上げる蚊は、殺生の罪より深いと思う。いちいち、なぜか夜中に明るいような怪しい空間、すなわち人のすみかに入ったら、蚊にとって命終は不可避である。追い詰められた終いには、キラーも嫌がる無残な潰れようで命を落とす。そして何より、この蚊を殺した後、更に2度も蚊が沸いたのであった。同じ蚊の蘇生と仮定すれば、等活地獄のようなものだ。

2度目の蚊は、私がある程度脱糞・・・排便をしたあたりでどこからともなく現れ、これも何回トイレに入るか分からない後先に困るため、速やかに対処する必要を考えた。今度の蚊は潰さず、両手の指先で押さえ込むように捕らえ、フワフワとトイレの水面へ落とし、私自身もう尻を拭い終っていたから、そのまま流し、一旦トイレを出ることとなった。

間もなく便意と痛みが強まり、再度トイレに入ってから、また蚊が現れて3度目となる。初めは小バエに見えたが、蚊だと分かっては、まさか流したはずの蚊が生きていたのか、とも考えたが、一見して小バエと思ったように、他の2匹より小さめであった。こうも3度と短時間で蚊が1Fトイレに現れることは無い。まして、下剤服用の関係でトイレ通いづめの間では、糞への集中も乱される。仏教には、禅定が得られそうなほど座禅・瞑想に集中していたのに湖面の魚が暴れたり、林の鳥が叫ぶなどで気が散ってしまい、その後は天上界の悟りを得るなど色々あって飛狸、モモンガとなって魚や鳥を殺戮して三悪道に落ちたという修行者の故事が「大智度論・十七」にある。だがしかし、今回の3度目については蚊を手で払う程度で様子見した後、ドア側に寄った際逃がした。もはや何匹も殺す気にならない。求道者の立場で、蚊などに気を揉んで手を焼いたり、もう手を穢す真似は御免蒙りたい。

この3度目の蚊のみならず、大概の蚊は手で払われるなどで怖気づいて天井の方へ逃げ惑い、頭をゴツゴツぶつけるなどはよくあるが、1度目の蚊の時は同じ状態になっても「徹底的に」と綴ったよう、猛烈に殺した。2度目はそうなる前に押さえ込んだ。3度目は長時間この状態で、断続的に降下したりもしたが、その都度手で払った。釣り下がる電灯や換気扇の枠のあたりなどいくらでもしがみつく場所はあるのに、ずっと浮遊したまま天井にぶつかり続ける理由がわからない。私もずっと天井を見ていると光で目を悪くしそうだから、それは出来ない。

また、この長文のメモを書いている間にも、現状は蚊に刺されたことによると見られる症状などは確認されず、思えば7月19日の日記メモで記録した蚊は貪欲な奴だった。下剤2錠の再検証にしても、「実感し得ない理想」が形式上再現されて、一歩進めた。



2015/08/19

8月19日は3時前の起床で、就寝は前日の17時半。夜昼逆転の移行はスムーズな方だが、障害が無いというわけではない。「万障を繰り合わせて」実現に向かっているのだ。

日付上昨日の8月18日は22時10分頃に一度目覚めた。8月17日21時前の短時間覚醒と同じく、原因には母親が絡んでいるが、今回の直接原因は弟である。何時からかは分からないが、その日の第2次母弟喧嘩が2階で始まって、弟が立てる激しい物音に加えて凶悪な脅し声も届いてくる。母親に対して実際に手を上げている可能性もあり、物騒なことこの上も無い。

先に「第2次」としたが、8月18日は既に物々しい喧嘩が1度、1Fリビングにて起きたのだ。それは15時頃に母親が買い物から帰ってきてその1時間以内のことである。この日の買い物は、弟も同行していたようで、後から耳鼻咽喉科の処方薬・1日1錠7日分の記載がある袋を見つけたが、それ以後にどこからか一人徒歩で帰ってきたようで、それが14時頃のことであった。喧嘩では「まずいんだよ!買ってくんな!」といった罵声が聞かれたが、一旦収まってからリビングに出てみると、件の処方薬の袋だとか、封の開いたポテチ袋もあり、中身が細かく砕かれていた。

買い物が長時間無いと、弟に不機嫌の傾向が出るようだが、買い物があったらよりキレやすくなるのだろうか。気になる騒乱の原因は、「ゴミの処理」らしい。弟がゴミとして、変わった物を出す、母親は買い物帰りに環境センターかどこか行政機関に問い合わせていた。その「ゴミ」とは、彼らの買い物中、たまたま弟の部屋に上がった際、ビニール袋にまとめられた恐竜・怪獣フィギュアを見た。袋の頭は縛られていて、妙な気持ちとなったが、これが関係していそうだと見ている。
ともあれ、冒頭における「万障」の所以がここに明かされた。母弟には頼むから、普通の会話をして、頼むから私を眠らせて欲しい。

ところで、母親が福井旅行時にホテルの部屋からくすねてきたティーバッグ「緑茶x2・ほうじ茶x2」があるが、8月17日にほうじ茶x1消費して、8月18日には残り3つ全て消費したようだ。私の去年11月以降のティーバッグ中毒でも、1日に3つ消費ということはあまりない。1つのバッグで私のムーミンカップ2~3杯分出している。そもそも普段お茶をあまり飲まない人が俄かにこれほど摂ることが極端で、まさか飲みたくないのに消費しきらねばならない理由があるのだろうか。旅行から帰ってきて2週間半経つ今更、どうしたかったのだろうか。

追記:本日は朝9時から16時台まで勉強詰めであって、一時は空腹も構わず休みなしで既存記事の追記等に打ち込んでいたのだが、その後半の時間、実に4時間ほどは自室をふすまで隔てた先の空間でテレビを見続ける人間がいた。そのことを独り言でベラベラ言い始めると、その人物は不意に2階へと上がり、弟に「明日って21日でしょ?ソフビ、エレキングとか捨てる日」などと放言しているが、今日が19日であることからとんでもない日付感覚と見る。だがまあ、これであのビニール袋にまとめられた怪獣らの処遇も判明した。

17時5分以降母親が家の周りで掃除などを始めたのだが、7分頃に家の前を見覚えのある男女が通過した。これは10代の二人組み、学校生活で言う今年度1学期の時期にも平日の昼間に見かけた彼らはどんな間柄なのだろうか。健全な兄弟関係か不純な異性関係か。いずれも同じ方角に歩いていく様子のみだ。ちなみに掃除といえば、A家の婦人も今朝か昨夕にほうきで掃いていたが、同時に向かいT家の出入りがあった。A家婦人が私の母と見間違えられたりはしなかっただろうか。



2015/08/20

今日は午前2時頃に意識があったのだが、自覚した直後に私の眠る1階自室物置に2階から直に届くような物騒な物音が轟いた。弟の怒りが混ざった声も聞こえた。意識が付いてからの偶然なのか、それとも私の意識が付いた原因がその前から続く母・弟のやり取りに起因するものなのか判然としないが、それからもう一度、小さくなった同種の音などが聞こえてくるともう何も騒々しさは無くなった。本当はもう少し寝ておきたかったのだが、理性では仕方がないと思いつつ、起きることとした。

朝4時過ぎに私のゴミを出したのだが、最初は時間選びに迷いがあった。やはりゴミ出しと自販機通いをセットにこなしつつある近頃では、どうしても暗くなり始めの頃か、明るくても人の少ない時間などにこだわってしまいがちだ。どちらも、自販機に寄り付く虫が少ないことから好機と定めているが、ゴミ出しについてそれは無関係の事柄であるため、その短い時間帯を狙う必要は何も無い。まして8月6日には、朝5時の明るんだ時間帯に家のドアを開けるとセミが飛んできたこともあり、むしろそれら時間帯を好まないで良いほどだ。その結論に至ってからは、すぐ実行に移った。帰って間もなく雨が降り始め、10分以内には止んだ。

朝5時半以降炊事や食事など随時終えたりもしたが、食器洗いをしている6時過ぎになって母親が2Fトイレを出た後、弟に「起きてる?じゃ今日出来そうだね、8時までに」と話しかけていた。無論、昨日の日記メモなどにも触れてきた「おもちゃのゴミ出し」あるいは、それは明日21日に出すとして今日20日は普通のゴミを出す日であり、どちらにしてもゴミ出しに関連した話題であろう。母親の過信・・・期待、というよりは信頼か、これは実に甘いし、本人も無用心だ。所以は何ん。

その朝8時になっても、ゴミ出しの動きはおろか、2階における人の動きも感じられない。よもや惰眠を貪っているということはあるまい。雨の日では9時頃に収集車が来ることも多いため、本日メモ執筆開始時間から数えて、間もなくタイムアウト・ゲームオーバーである。母親も、弟に信頼を向けるのはいいが、見守るだけ否、見守りもしないというのなら無責任が甚だしい。もしこれで出しそびれたら、無責任の母親が自分の非を省みず怒って、怒られた弟は母親の非を覚らず悔しがるだけで猛烈に反発するのだろうか・・・(邪推)。

何にせよ、早朝は二人とも起きていて互いに軽々しく言葉を交わすが、問題の時間までにはグーグー寝始めてしまうならば恐ろしいものだ、無用心の愚を知るべし。人間1時間放っておくとどうなるのか、母親の信頼はその道理を無視して知的障害の弟に重荷を載せてしまったことに他ならず、過信そのものだ。仮にゴミの回収に間に合うとしても、「8時までに」という期待は既に大いに外れてしまった。夏休みなど長期休暇の時でなければ実際に6時~7時半の登校までに出したりする。今日の声掛けも、その点の不安から行ったのかもしれないが、であれば手放しに安逸に浸らず、少しは監視すべきであろう。

このような締りの無い人間性の彼らを見ていると、憤懣やるかたない思いである。私は彼らに合わせて、あるいは自分の完璧な計画を完遂すべく、昼夜逆転や夜昼逆転を自在にしている。彼らの狂った物音などが邪魔してこようとも、断じて達成せねばならない。毎日争いまくる割に、刹那的な安逸から気楽な素振りは多いが、愚人の最たるものだ。

ところで、9時8分に佐川の配達が来た。ここで母の次に弟が起き出して応答したが、奇跡的である。このような奇跡に救われてばかりでは、ますます堕落するだけである。入れ替わりで9時11分にゴミの回収が来た。私の部屋の窓を開け放っていたおかげで、2Fの彼らにも聞こえたようである。母親が弟に指示し、大きいゴミを抱えて収集車の後を追った弟は、手ぶらで帰ってきた。タッチの差で受け付けてもらえたらしい。佐川という奇跡的な助け舟、あるいは霊柩車となるのか、安堵ばかりでなく反省も必要である。弟のネット監視では、4時51分から止まっていた履歴が9時19分から進んでいるところ、やはり佐川が来るまで寝ていたのは疑いない。



2015/08/21

本日は3時過ぎに起きた。3分の1サイズのラーメン、ムーミンカップ半分x2のシリアル、炊飯器蓋設置漏れで1合炊いた前日のご飯の残りなどを11時までに食べてきた。11時頃に母親から「おはようの挨拶」と称した干渉があったので、その際に本日6時に送信した品書きメール後半質問文の返答を請うたが、案の定読んでいないため、要旨を伝えて訊いた。その要旨とは、「1. 買い物の方針を示してほしい 2. 週1にするつもりか 3.その場合何曜日を定めるのか」ということで、2・3の答えは「買出し面倒臭い、決まりは無いが月・火になる」とのことであった。8月9日メモの通り、母親は仕事が無いと余事にも消極的となり、8月17日のメモの通り自堕落な生活となる。

12時頃に、ヤマトから大きめのダンボールの配達が来た。どのような品が届くのか知ることは大抵無いものだが、今後は食品を頼む可能性もありそうだ、と考察した。みな母のようにネットでの食品購入が増えたら、佐川とヤマトが肥大化する、需要に応じてAmazon等が独自の配送機関を設けるかもしれない、リアル店舗小売業の雇用が運送業に傾くな、と何となく恐怖を感じるが、それは食品配達に限らず佐川とヤマトが来る度に思うことだ。また、健康食品などでなければ私にも分配されて然るべき流れとなる。

そう思ったところ、品物の答えが12時50分頃に判明した。それはその時に私へ母からの干渉があり、食品を渡された際に「さっき到着した荷物の中身か」と訊いて母が肯定したところによる。渡された食品とは、謎のクッキー8枚(個包装)と、某スナック菓子である。母によれば、食品以外にも頼んだらしいが、具体的なことは聞き流してしまった。調べ直したところ、ビールらしい。

追記:どうにか21時台まで起き続けている。今日は午前中より当メモなど様々な作業を挟みつつ、とある調査をしてここまで過ごしてきた。その調査の詳細については後日音楽館あたりに投稿する記事に約5,000文字で載ることと思う。その調査から一つ追究したい事柄が生まれたので、熱心に取り組んで、疲れや眠気を感じながらも色々と済ませた。こうして夜昼逆転は、連日の日記メモに見るごとく完遂へと向かうのである。

当記事注: ここで「約5,000文字」と示した範囲・・・即ち、その調査の詳細、レポートであるが、その箇所は間もなく6,000文字を超してしまった。



2015/08/22

この日の日記メモは無いが、同日投稿の本家ブログ記事に日記の要素が大いに込められている。



2015/08/23

本日8月23日は前日夜に設定した4時50分のアラームの30分ほど前に意識が付き、10分前に体を起こした。つまり4時40分ころ起床となるが、やはり私の体内時計・・・くだらないようにも思うが、7月2日の日記メモで同じ出来事を記録したように、過去にこういうことはよくある。却って、アラームの定刻に至っても意識が付きさえしないことも多く、この二極化というのはどういうわけなのか不可解だ。

前日そのようにアラームを設定したのは、風呂に入るという計画に基づいてのことだ。風呂(シャワシャン)の準備を進める間、炊飯が出来そうな状況に気付いたため、米研ぎも並行して行った。途中、母親が2Fトイレなど利用した後、1階に降りてきたため、私が「意味分からん」とつぶやくと「ごめんね私が1階の電気つけっぱなしに」と言い出し、2階に戻った。私はいつも作業する際物音を立てない。母親は私の物音に目を覚ましたわけではない。勝手にバラバラな生活をしているだけのようであることは例の通り。この干渉により、嫌な予感が尾を引く。

風呂に入る前、いつものように洗面台の鏡を見て、特に後ろ髪が気になった。出来るだけ全て後ろに流し伸ばしてみると、やはり長さが気になる。振り返れば、この半年ほど伸びていないような気がしてならない。育毛剤はどれほど寄与しているのだろうか。海苔はどれほど寄与しているのだろうか。海苔についてはもちろん育毛を期待して摂っているわけではない。ただ、好悪何らかの影響はあるべきだろうと考えている。

風呂場から出る前に身体を整える・・・体や髪の水気を切る、払うなど行っている最中、母親が1階に降りてきて・・・何よりは炊飯器のことが心配であった。風呂場を出るまでいつも以上に水気払いを続けざるを得なかったが、母は一度2階に上がったりした。洗面所で体を拭く等している間にまた降りてきて、今度は庭に出て行った。庭にいる間に作業が済んだので神経を鋭敏にしながら廊下を通って自室に帰ってきた。

この後まあ、多々経過があったが、母親とのコミュニケーションにおける普遍的な問題についてメモする。まず、知らないだろうから示しているのに、それを不遜に感じてしまうらしい母は、いつも「知るわけないじゃん」とふんぞり返る。私が知らない人に事実を教える上で、勝手に悪く捉えてそういう返答ばかりする癖を母親は直すべきであろう、いな自覚すら無いように思うから、もう少し自他ことに自身の言動を事後に省みるのでもでもいいから、精査した方が良い。

他に直すべき会話上の悪癖は、不要に詳細な私事を並べる母に、私は話しが雑然としないよう「どうでもいい」と釘を刺すと、「どうでもよくないよ」と言い返すところである。ただ、これについては私の「どうでもいい」という口癖に似た(母親の口癖でもある。移った?)発言にも一部非があり、語彙が足りず、語弊があるようだ。要するに私が「どうでもいい」と発言する深層には、趣旨が理解できた点に因る。母親の主張したい感情・趣旨が伝わったら、それ以上の仔細は余分・冗長なのだから、それで終えることが出来る。私がその心情を前提に発する「どうでもいい」の語は、場合によって「あなたがそうしているという要点は分かったからいい」など、もう少し如実に言い換えたほうがよいのかもしれないので、以後実践できるならこれを念頭に置く。ちなみに、母親が「どうでもいい」と発する際の状況は私の場合と全く異なり、同語異義である。

追記:17時過ぎからラーメンの調理を始め、出来て、食べ始めてから5分ほどで蚊が目の前に現れた。どうも吸う蚊らしく、いくら払っても執拗に迫ってきたり、太ももの内側に止まったり、私が座布団から立ち上がってテーブルの前から離れ部屋の反対側に移ると、やはり時間差でついて来る。色々動き回って殺虫剤を乱射したりもしたが、「エアコン→私→蚊」の位置関係になったところで殺虫剤を噴射したあたりから見かけなくなった。蚊の死体が散逸して腐敗されても困るから、早急に見つけたい。

ところで、今日は風呂に入ったのは既述の通りだが、洗濯の問題で長袖の部屋着を着ていない。何でこういう時に蚊が現れるのか、ましてや食事中に手や腕を振ってみたり腕を動かして蚊を手に収め殺そうとしたり、部屋中動き惑うなど、控えたい。部屋に蚊が現れるのはもう2週間ほどないことであったのに、悪い衣服悪い食事時に現れるのは狂っている、陰謀だ。

調理前からトイレを我慢していて、おそらく最初に尿意を感じてから30分ほどは調理・食事・蚊の邪魔・何かの作業など続けていたのだが、全て落ち着いてトイレに行ける状況下になると、今度は邪魔なセールス(1度インターホンを鳴らしてすぐ去る丁寧型ピンポンダッシュ)が来た。また陰謀だ。すぐ去るパターンだから、弟が応答する10秒前には家の前を去っている。弟は母に「なんでもなかった!」と告げた。先述の「何かの作業」の中に、刺されて腫れて痒くなった箇所に塗り薬を塗布する行為が含まれるが、このおかげで20時頃には諸症状が概ね引いた。



2015/08/24

本日は朝8時に起きたが、前日19時はゴミ出しと自販機通いを難なく済ませた。朝9時までに食事を行ったが、前日のご飯の残りを油揚げ麺のかけらをかけて食べた。炭水化物かけご飯おいしい。いつも通り、海苔に巻くなどして食べたりがメインだけど。味付けは、そのラーメンの粉末スープちょびちょび。

本日12時前、母・弟が車でどこかへ出掛けた。月曜日ということもあり、買出しであると予想されたので、予て問題視していたエアコンの掃除・前日メモでも触れた洗濯物などを処理すべく行動を開始した。余裕あらば弟機で音楽関連の作業も行うつもりでいたが、間もなく12時10分頃、掃除に使った雑巾を洗っている最中に二人とも帰ってきた。

彼らはどうも「パン」を買いに行ったらしい。パンを買うのに弟が同行する理由も薄ければ、そもそも「買出し面倒臭い(8月21日メモ)」という母親が少しばかりパンを買うだけに車を走らせる理由がどこにあるのだろうか。パン屋などに行くことは、買出しの寄り道ならよくあることだ。本来すべき買出しを忽せにしてパン屋にだけ買いに行く母の自家撞着に呆れる。もし自家撞着でないとの反駁あらば「買出しは面倒だが、余事には吝かでない」ということだろうか、そんなやる気の本末顛倒による外出が災いして、私との摩擦を起こした。

母親は、私の行った作業にめくじらを立てるきらいがあるが、今回はいつも以上に大仰に取り立てた。母親が問題視している事柄について、私は自身の非を一部認め、母親の言うことを反芻したのだが、少し声が大きいことを不遜に感じるらしく、「黙れこぞう!」などと切断してくるが、あなたの主張に甘受・同意した旨を確認しても、こういう風に真っ向から反発するのは実に平常心に欠く。そもそも、この人が手放し・無根拠で私を信用したところの説明不足が最大の過失である。後から説明されてそれでも承服する息子の親思いをなぜ認めないのか。無根拠の信用でさえ愚昧なのに、それが裏切られた気になってこんな反応とは、親として世界最低ランクである。

この他、「ケンキョーフカイ」の論理を口頭で指弾しても、「不快じゃないよ!」と、分かったような顔で言い返してくる。「ケンキョー」が聞き取れず、「フカイ(付会)」を一字も合わない「不快」と聞き違えているようだ。言葉を知らないのに、その知らない言葉を借りるとは、己の無知を知らざる無恥であろう。分かったような顔で人の言葉を借りるのは慎んだ方がいい。

なお、「パン」を買いに行ったとする情報は、私が実際に見たのではなく、見たものは見慣れないデザインのビニール袋。実際は会話の終盤で母が「○○のパン捨てるからね!」と唐突に発したことに依る。頼んでもいないもの、求めてもいないものを引き合いに出して、それも事後にペナルティを課すなど、聞いているこちらは母が意図することと別の意味で驚いてしまう。冗談でも、パンを捨てるだとか幼稚な発想を私はしない。母の「捨てる」発言に呼応した弟が「俺が食べたい」と呟いたそうだが、母は「イヤ、捨てるものだから」と。終わったはずなのに無駄な独り言(私に向けているが、聞き返すと「あんたに関係ない独り言」だと本人が言って憚らない)を続けるのもいつもらしい悪癖である。

話が終わって数十分後に、物分りの悪い問いがされ、素直に応答した私だが、混乱・錯綜した母親にはそれとなく態度に表しても言葉に含みを持たせても伝わらず、直接意思を伝えてもごちゃごちゃ別の問い(既に聞かれたこと)を起こしてくる。母親にはいつも、自己分析と自覚が必要であるように思う私だが、こういう状態が慢性的な人にはどう伝えても手の施しようがない。特に、卑下の対象である息子に言われると全て遮断するなどで微塵も理解に及んでくれない。こういう点は「ガキ!」という発言に全て内包されている。心理学だ、カウンセラーだ、の講座を受けるよりも、日々自身を深く捉え、他と相対し、冷静に正しい本質を見極めて向上すべきである。

追記:16時台にリビングを出入りしているとき、先週からテーブルに置かれていた弟用の耳鼻科の薬(8月19日メモ参照)、その袋が増えていた。すぐ繋がる事象があろう。今日の行き先は、パン屋のほかに弟を連れての耳鼻咽喉科通いのようだ。前回と同じ薬が14日分処方されている。薬の名前はエバスチンで、どういう症状の治療や改善を期待する代物か調べてみても、弟の状態と噛み合わなかった。そもそも耳鼻咽喉科と聞いて、弟の夏風邪などが連想されるが、実際にどれほど関連しているかは判然としない。

18時前のあたりか、母親の干渉があった。1度目は私がキッチン棚にあるパンの存在を示すと、弟の胃袋の中だなんて強弁していたが、その棚には20時現在も確かに有る。そこに有る物をそこに無いなどと思い込む時点で、顛倒した思考である。2度目には、「明日買い物に行くからなんか言って」と、要望を私に聞いてきたが、これも前の金曜日に送信したメールに書いてある、と伝えた。私は用意周到・・・人間性が優れていて、少しも間違わない。母親は未だに読まずしてわざわざ口頭で尋ねてきたのだ。その上、読みもしないで尋ねる行為は3週連続である。買出し面倒状態になって、全て鈍磨しているのではなかろうか。



2015/08/25

本日は朝6時40分頃に起きた。昨日の21時半頃に下剤を1錠飲んでいる。意識が付いて直後の押し入れ内でも下腹部の違和感があった。実際に"出た"のは、朝食も挟んだ8時半頃である。朝食ではレトルトご飯の扱いで悲惨な事態に難儀したが、これは割愛する。ともあれ、寝る前の2錠で異常発現もあれば、寝る前1錠でも足りるであるとか、いくらか調査は進んでいる。今後も寝る前1錠で様子見となろう。

一つ良い傾向にあるかと思いたいが、やはりこの下剤ライフ(第2次大便秘期)の濫觴が、別しては2014年11月19日の大量下血、総じてはその1週間ほど前からの腸の不調にあって、状態が並行に推移したら1周年を迎えてしまう。もちろんそれを重々危惧しているから、今日まで安易な下剤乱用を行わず、しかもこういった記録を厭わずに継続している。私が裏で記録しているところでは、2012年から「最後に下痢をした日」など取り始めており、本来は便秘より下痢の症状が慢性的であり、日々悩まされているものだった。

追記:母親は以前だと夕に買出しに行くことも多かったが、近頃は10時~14時までには出る場合が多い。その中で、今日は夕方(17時半)になっても母親は買い物に行かない様子だ。否、今日は1日あまり動きを感じない。私が15時頃音楽関連の作業をしているとき、強風(自室雨戸の音が酷い)と母がかけだした掃除機が二重苦であった。弟など、今日はほとんど食えていないのではないか。

それはともかく、「明日買い物に行く」という昨日の日記メモにも記録した発言のあるやり取りを無視するのか。出不精の重ね続ける母親のことだから、台風の影響で当地にも吹き荒れる強風に怖気づいたに違いない。まだ18時にもなっていないで今この追記を行っているが、今日はこれからも蓋し買出しに行かないことと思う。週に1度が定着しつつある中、しかも月曜日行かないならば遅れても火曜日だ、ということすら裏切る。今日の昼頃は家の前を何か大会の帰りっぽいJCが強風にさらされながら健気に自転車を漕いでいた。こんな日にも決行する屋外競技の市内or地方ブロック大会があるらしい。それは余談。

この追記を書く最中、17時51分にメールが届いたが、携帯電話を手に取る前から母だと分かる。予想通り、買い物中止の旨が書かれた内容だ。「食べ物、まだ、ありますか?大丈夫ですか?」などという文言はどうでもいいを越して鬱陶しいほどに思う。その感想だけを綴ってすぐさま返信した。食べ物については、次回の買い物の購入品を視野に入れ、消費するペースなどを調整している。そんな話を母にする必要など無い。

そもそも、昨日のメイン目的地の耳鼻科(診療どんな短時間?薬の処方だけ?)に対して無駄なパン屋通いを辞め、通常の買出しを行っていれば全て滞りなく、あの蟠りを起こさず済んだが、事前に台風の影響はあまり考えないでいたようであり、しかも当日になって影響の強さを知るや、この様である。私の怒りは義憤である。物質的な欲求が満たされないとかではなく、ただ母親が話を蔑ろにしたことが悔しくて、痛憤に堪えない。



2015/08/26

本日は7時半過ぎに起床。食料不足の中、朝は自分の料理用(後述)に残しているクッキーをかじり、少量淹れた豆挽きドリップコーヒーを飲んだ。ほか、水を朝・昼と多めに飲んできて、先週火曜日(8月18日)の買出しによる牛乳2本の内、少量飲んできた1本も、本日の賞味期限切れに際して使いきった。

母の13時買出し行きの前あたりから音楽動画関連の作業が大詰めとなり、動画の編集・エンコードに、音楽館記事文章の下書きをほぼ完成させるに至った。そして15時に母が買出しから帰ってきた。15時半になって受け取り催促をされたが、これを待つためにトイレを我慢し、それがずっと無いから部屋を発ってトイレに向かった矢先、催促が来るとは、嫌な予感の的中そのものだ。廊下における私の位置を示そうとも、「風呂の方(洗面所)かと思った」とあらぬ取り方をする母、この不条理で面倒な話に巻き込まれた。

買出し購入物として、予ての打診の結果に海苔ではなくふりかけ(それも大袋)が選ばれた。極端なことに、ご飯にかけるものとしてはレトルトカレーや焼き鳥缶詰(と納豆はいつも通りだが先週は無かった)など、充実している。普段海苔だけ買わせているのと、「海苔が嫌ならふりかけなどで頼む」というところからの結果がこれだと、私の意思が伝わっているかよりも、母がどういう思考でこの結果を選んだのかが気になる。いずれもラーメンにはほぼ使えないので、今週はご飯週間ということで、極力炊飯をしながら、レトルトの蓄えを崩す。

その他、シリアルはいつも通りとして、菓子はまた板チョコ(ガ○ナ)一つ。品書きは、ある時から「チョコ系の菓子」で念を押すことが多いが、チョコレートの塊は小学生の昔から無しの方針(実際に伝えたのは中3でこちらに来てからだろうか)なのに、それを忘れたのか知らないが、あるときから板チョコだけ、ということは多い。まして、ガ○ナは好きではない方だと直接伝えたこともあった。中1の時に毒入りバレンタイン作戦での使用に際して選んだハイ○ルクで板チョコのおいしさを知った。結局、板チョコ買いの再開以降、一度も不満を母に伝えていない、朴訥。1週間生き抜くのにシリアルさえない場合は発狂しているかもしれない。あるいは修行として、一度きり耐え抜いてみようとポジティブに堪えるかもしれない。

15時40分頃、クッキーのヨーグルト焼き、似非レアチーズケーキを作り始めたが、前回は7月7日(メモ参照)である。今回の使用クッキーは、金曜日到着の母注文品の中の一つであり、これを朝8時頃にかじった分では何の味に似ているかわからなかったが、料理前にもう一度かじると、それはメロンパンの表面に似ていると気付く。今回もほどよい焼き上がりで、ヨーグルトとよく合った。写真を撮る必要を感じなかったため、今回は撮っていないが、焼き上がりはいつも7月7日の例のようなものだと思ってくれればよい。

22時10分過ぎ、色々予定合わせが終わって今日最後のトイレに向かうと、直後に2階の動き・・・母親が弟に服薬の確認をしていた。急いでトイレでの作業を終えてドアに手を掛けたあたりで、母親が1階から降りてきた。入れ替わりで部屋の中に逃れて間もなく母親がわざわざ部屋のドアをノックして干渉してきた。ただでさえ予定を破壊する魔物が、もっと邪魔をしたいらしい。私はそんな母の干渉に猛反発して、すぐ話を終えようとしてもしつこく返す母親だが、数十秒で終わった。

こう書いてしまえば、自分の予定を母親にさえ壊されるのが嫌だという利己的な人間性だと私を評価する者もいるかもしれないが、きっとそういう高慢な人間なのかもしれない。だが、不要な干渉を不要だと思わず、畜生の如く漫然と浅慮のまま行動をし続ける愚昧な人間性の輩は、より低劣である。それで摩擦を起こすだけの人間が母だ。徳を下げる内容でも厭わず記録に残すのは、常に苦悩である。



2015/08/27

http://www.youtube.com/watch?v=flY7hoWcrBg

昨日の22時半以降、不快ながら必死に寝ようとして、悪い寝相で寝付いた。そして、不快感から目が覚めて数分後に新聞配達に回るバイクに気付き、携帯電話に手を伸ばすと、驚いたことにアラーム設定の1分前、3:29であった。8月23日にも、アラーム設定時刻の手前に目が覚めたことについて触れたばかりだ。

アラーム設定をしたというプロセスが、私の体内時計の目覚し機能に間接的に作用するとも、鳴らすアラームが直接役に立ったことは、ほぼ無い。アラームに気付いて目が覚めると、また眠り出す二度寝に入ったり、或いは鳴っているのも気付かないかそもそも鳴ってさえいないために、目的の時間に目を覚ますことなく超過する場合も多い。

それから4時までに炊飯ボタンを押す段階まで予定をこなした。5時までには食事なども済ませて、5時過ぎからだらだらと歯磨き・脱衣・自慰・風呂(シャワシャン)の順番で予定を消化し、風呂を出た後の身支度も7時までには済んだ。

歯磨きをしたあたりで、体重を測ったりもしたのだが、パンツ・肌着で食後の私に対して出された今回の数字は、44.50kgであった。この体組成計においては初めて見かける44キロ台。数値を不審に思いつつ元の位置に体組成計を片付けたのだが、歯磨き後に再度測ると、下2桁の数字が入れ替わって45.40kg。更に測りなおすと、今度は44.80kgと出た。不安定に過ぎる。でもまあ、平均して約45キロであり、今後もそうであるのなら、最近投稿した動画も「身長未詳(推定170cm) 体重46kg」というタイトルも書き換えた方がよいだろう。多く見積もっても46kgのつもりで当時そう書いたのだが、実際にもっと低いのだろう。

10時頃から、夏休みの課題かは不明だが、弟の草むしりが始まった。草むしりといえば、前の家では冬によく草を刈っては焚き火をしていた。それを父・施設帰りの弟ともに行ったのが2007年12月~2008年12月までの冬であり、2009年12月~2010年3月までの冬なら父と二人であっただろう。2010年12月などは既に家庭内別居も不登校も始まっていたから、一人で鎌を振りかざして「ヒャッハー!」気味に草刈をしていた。一人での焚き火の記憶は不明である。

夏に草刈などをするリスクは、酷暑と諸々の虫などが言わずとも知られる。活き活きとした草の茎は柔軟で丈夫だ。しかし、冬なら雑草も枯れているから刈りやすく根から抜きやすく、なお焚き火の火が起こりやすく、ベストである。家庭内別居期は2010年10月からだが、「一緒に焚き火しないか?」のような声掛けなどは一度も無かった。母も話しているような放任もとい無関心の性質が強盛に復活した時期である。

12時頃、母親が起き出して、弟が草むしり終了(実際は庭の一隅をむしっただけ)の旨を告げると「そぉ?えらいねー!」とお決まりの台詞をフッと口に出していたが、刈った雑草をまとめた袋の置き場所など様々な問題から、いつも通り、否いつも以上の激しい喧嘩が勃発する。母親は現場を指示せず、敢えて知的障害の子を一人で好き勝手やらせて、少しでも問題があると激怒して止まない無責任な人間である。最初から放任するくらいなら、その程度は大目に見て誤りを改善するよう優しく教えればよいのに、放任もとい単なる早起きが面倒・生活バラバラの人間であって、心が狭いからそれが出来ない。放任するにしても実際は浅慮なだけである。問題があったら自分の非よりも、他人の目先の過失ばかり責めて、自分は反省をしない。

喧嘩の最中、弟はいつも以上に荒れて、1階・2階ともに幾度と轟音を立てていた。怒声の応酬も12時半頃には止んでしまったが、12時35分に用を足す折、洗面所の水音、風呂場であるが、どうも弟が風呂に入っているようだ。風呂の折戸は上部が損傷し、ガムテープ一枚が貼り付けられている。またしても母親は弟に破壊の因子を植え付けたらしい。これほどに悪しき親は、世界中そういない。つまらないことで自他共に徳を落としてしまうし、実子たる私もその範疇にある。故に孝子たれば啓蒙と諫言を臆することなく続けるべきだ。

13時50分以降、母と弟の会話が復活したので耳を傾けると、「外で遊ぶんだったら草むしりやってね」という話が以前からあったらしい。それで、朝から独断で草むしりをやった弟が、母親の意に反した作法で怒られるハメとなった。「やるにしてもまず私に相談して」とのことであり、これは8月17日にも「分からないなら聞けばいいのに」と同じ旨が聞かれた。その時も今回も、元はといえば、午前中グーグー寝ていて母親にあらざる人間性に起因しているのに、やはり自分の非に気付くこともない。少しは自分を観想した方がよい。

弟の14時32分の発言「こいつで殺してやろうかぁ!姉妹がぁ、三人になるぅ、ここに来てぇ!ここで消えろ!三人ともぉ!明日でみんなぁ!(姉妹とは愛知より遠く茨城に住む母の妹2人)」ほか、14時頃に母親2階にハンマーを持ち込んで、6月21日(当該メモ参照)と同じく何かを修復するように20回近く叩いていた。

18時台にもまた、母と弟でゴミ袋の話で険悪となり、やかましいだけの争いが続いた。母親を脅す目的で物を持ち出したり振り回す弟に、怒りを混ぜた悲鳴を上げる母だが、母親が負傷するに至るのはごく稀であり、負傷したらしたで酷い痣を作って買い物行かない理由にするなどもある。それはともかく、今回も負傷しない通例の範疇であった。

18時40分台に母は1階に降りてきて作業を始めたのだが、弟が時間差で一度脅迫だけ降りてきてすぐ帰りもした。この作業では、唐揚げを作る予定で常温解凍に付していた鶏肉トレー2パックを片付けるなどが見られた。鶏の唐揚げといえば私が小4の頃までは母がよく作った料理であったが、小5別居以降に触れた父親の料理では揚げ物全般が少なく、その分焼き魚と炒め物が主要だ。あの弟は今なら、私が小4当時の3兄弟分を、胃袋の容量的な意味では難なく食べられそうだ。こちらの家に来てから母の料理を見ても、唐揚げはほとんど作らなくなっていた。19時半頃、母がまた1階に降りてきたが、曰くつきのとある家具(三脚・一本柱の不安定なガラステーブル)を倒して大きな音を立て、不意のことだから私の心臓が止まりかける。

当記事注: 浦和に住んでいた頃の2005・06年にも、下の弟は父親の本棚のガラス製部分に大穴を穿ったことがある。この風呂の折戸がクリアな樹脂っぽい材質であるのに対して、あれは本物のガラスだから、破片が飛び散ったことと想像される。拳なのか物を用いての暴力なのかさえ覚えていない。後々、危険な損傷箇所はガムテープで補助された。あの本棚の表面は、左右に開くドアが2つ付き、そこに上下2つの窓が付く。左側のドアの上方窓の下部が損傷を受けているため、ガムテープ補助以後も、残ったガラスが外れそうに不安定である。実物は前の家にあって、詳細な確認はしづらいが、記憶としてはこのようであった。



2015/08/28

今日は7時過ぎに起きたが、前日の予定ではアラーム設定で5時半のつもりであった。アラームはいつも2・3段階ほど鳴らし、今回なら5:40に2回目として保険をかけていたが、当然それにも気付くことはなかった。やはりアラームで起きることは叶わない。目が覚めることが無いか、目が覚めても気付かない。予定の時間に目が覚めても、アラームが鳴る直前。

計画遂行のため、急いで体を起こすと、右肩の痛みを感じるほか、後には尻の筋肉痛も感じる。起きてからさっさと昨日の炊飯の残り分のご飯を中心とした食事の準備を進め、8時までには茶碗を洗うなどしたところで2階の動きを感じたが、メモを書き始めた現在9時前まで誰も降りてこない。昨日21時半頃の会話では、今日は8時か9時に起きて母親が「市役所などに手続き」を取る外出をするそうであり、元は弟も連れるつもりだったが、その会話で一人で行くことが決まった。

母親は11時半に出掛けていったのだが、どうも風呂場に洗濯物が干されたままである。昨日の争いの中で、弟がやたらと洗濯物を増やすこと(幼少から直らない癖)についても叱られていたが、確かに洗濯物が多めだ。その中には昨日私が出した靴下・パンツ・肌着もある。出掛ける前に自室バルコニーに移動したらよいのではないかと思う。豊橋市内の当地付近ではにわか雨など、豊橋南部や三河山間部(豊田~奥三河)と比べてほとんど無く、この点を案じる必要は無い。洗濯物の衛生観念について、「30分で乾くとしても1・2時間は外でお日様の光や風に~」と力説するが、今回風呂に乾したままなのは、にわか雨を恐れてのことか、そうでない場合は洗濯物のことを顧みず外出したのであろうか。



2015/08/29

今日は5時過ぎに起きたが、前日の予定ではアラーム設定で6時半のつもりであった。どうも弟が1階で食事を取るにあたって、静かなドキュメンタリー番組を爆音で流していたようだ。弟が早朝に1階で食事を取るにも、こういうテレビ音量は滅多に無い。再度寝たかったが、この際起き続けてみてもよいと思い、二度寝だけはしないことを願って体を起こした。今回も今回でアラームが役に立たない結果となった。

毎日21時に予定があることをこの8月にメモに書いたが、それは2013年の途中から始まった習慣で、今回はこれを辞退して早めに眠りについてもよいし、耳栓を付ければなお効果的である。今の弱い体で17時間ほど起きていられる自信は無く、蓋然的に二度寝が起きると予想される。自分の生活を21時にある予定に合わせる必要は必ずしもあるわけではないため、眠りたければ19時に寝てもよい・・・そう考えたが、それで翌日朝5時に起きて日曜日21時・24時頃までにある予定をもこなすことはなお困難となるため、これをも辞退することとなる。風向きを見て適宜判断しよう。

起きて顔を水洗いして間もなくつけたPCは1度目の起動が狂っていた。MIDIシーケンサーは音源デバイスを読み込まず(これはよくある)、最初に作業するためのIEもトップページのGoogleさえ表示せず、アクセス以前の異常であった。手に負えずスタートメニューからログオフすると、デスクトップの画像とマウスホイール以外消えた状態で何の変化も見られなくなり、Ctrl+Alt+Delで表示した画面から再度ログオフを選んだら、速やかにログオフという結末だ。PCの異常はよくあっても、今回の例は初めてだ。2度目の起動は何事も無いかのように動き、PCの異常を話題にした先の本家記事タイトル画像「因無し策無し禍根無し」の具足を現した。

6時頃はコーヒーを片手に、前日母が出掛けた折に買ってきて、私に分け与えられた2個のパンの残り1個を食べた。コーヒーという選択は、長時間起き続けるための布石である。その後も9時頃のご飯や14時頃のラーメンなど、ペットボトル緑茶をコップに注いで少しばかり喫んできた。コーヒーもお茶も、カフェインパワーに期待してのことだが、1年以上前のような節度無き飲み方を今はしないから、少量でも効果的に作用する。

19時台、いつも思うことだが、母親のテレビ観賞時にテレビ放映内容に向けられる言葉が寒気を催す。この時も、抑揚がない声で「えっ何、えっ何」と2度唱えていたのだから、慄然としてしまう。時折、あのばあさん牛久祖母の声と重なってしまうのも、母と母子の関係であるが故、無理ならず。何より、稀に取り憑かれたような狂い笑いがある時は、精神崩壊をも想起させる。



2015/08/30 (日記メモ未投稿。当記事で別途編纂)

朝5時台に目覚めた。メモに書くことはないが、長い日曜日が始まろうとする(8月31日の日記メモを参照)。この8月30日は5時台から翌日1時近くまで起きていたが、体の弱い私としては長時間の活動だと言える。どうも、この頃「私としては長時間の活動」をする日が多く、「私の体としては」睡眠不足の傾向にあろう。

8月30日は12時以降また「草むしり」の話題がぶり返したようだ。昼食の料理前から始まり、料理がある程度進んだところで収まった。連日の雨で、刈った雑草をまとめた袋が不衛生であり、「まとめる必要なんかなかったんだよ」という。ほか、「何であんなとこむしったの?」と、むしらなくてよい、もとい敢えて雑草を伸ばしていた隅っこの箇所だけむしられたことについて責めた。母(庭いじりをしない人間)が所用で庭を出入りする際、邪魔となる草=庭の中央箇所をむしってもらいたいらしい。確かに私もあの一隅だけむしった意味がわからなかった。強いて言えば、弟の心理としてボーボーに生えた箇所をむしった方がよいとの発想だと推量する。母はあらかじめ、むしる箇所を指定していたそうだが、独断で始めた弟は何も母に尋ねず独創(母の表現)で遂行した。

昼食の間は一旦別の話題が続いて昼食の終わるあたりで険悪ムードから、また同じ話題を蒸し返した。「何で木曜日なんかに?私が風呂入っている間勝手に?」と問い詰めたが、この日の1度目のやり取りで済んだ問いを繰り返しているだけに不毛なことである。弟は「もういいそんな話題は!(倒置法)」と反発するので精一杯だ。ほか、草むしりを独断で始めた動機は「手伝い成果の小遣いが目当て」だと話していた。小遣い目的でやったと一度は分かっても、少し経てば「何で?何で?」と狂ったように同じ問いを続けて已まない。

17時20分頃、母親と弟がどこかから帰ってきた。間もなく聞こえた会話で買い物のように思ったが、しばらくすると険悪ムードに陥った。「ブランコ乗って泥だらけのズボン、まっくろけっけじゃん」等の母のセリフから、想像しがたくなったが、泥云々は、昼間のやり取りでも26日「止んでしまった」以降の弟の入浴を指して、「草むしりで泥んこ、風呂入りすぎで」と・・・これを読む人には脈絡が伝わらないことと思う。誰かの喧嘩の記録なんてそんなもんだ。



2015/08/31

本日は6時50分過ぎに1度目が覚め、もう少し寝たくて寝たら、10時過ぎのこととなった。そもそも日記メモを投稿しなかった昨日は、朝5時台に雨が強く降る中に起きて、0時頃まで日曜特有の予定のため起き続けていた。私としては長時間の活動だと言える。

日付が回った本日31日の1時頃に寝始めて、最初に起きた7時前には母親と弟がリビングで何かしていたが、8月31日から始業式があるので、今日からが弟の登校日である。それを思って再度耳栓を付けて寝てみれば、耳栓は付いたまま(5時間以上寝ると体外は両耳とも外れる)10時過ぎに起きて、耳栓を外すと誰かの話し声が・・・最初はテレビだと思いたかったが、どう考えても声の位置がテレビでなく、母親の声らしきもの混ざり、起きたばかりの感覚ながら、会話内容で結局は母親と、8月26日の騒乱で損傷した風呂の折り戸について相談を受けた修理業者(去り際に見た姿は明らかなギャル風の若い女性と、60以上に見える白髪が多めの男性)だと分かる。元々母が業者に電話で相談する声は聴いていたが、それが今日来ることは知らなかった。

野暮な会話内容の詳細はともかく(お子さんは女の子ですか?子供が中3・実は今日から学校など、専ら破壊的問題児のこと)、朝7時前の起床で母・弟がリビングに居るという稀な状況(と前日の長時間活動を加味)から二度寝を決めたのに、ここでも人が居るのでは、二度寝なんて時間を無為に潰した惰眠でしかなくなる。以前もどこかで書いたが、起床後は口をゆすいで顔を水洗いする習慣があり、ましてや誰でも睡眠中は膀胱に尿がたまって、起きて20分以内には確実にトイレへ向かっているはずだ。トイレくらいなら、母・弟がリビングにいてもリビングのドアはしまり、廊下経由でいける。修理業者という赤の他人で、ましてやリビングドア閉まりのリビングで会話するならまだしも、廊下とも洗面所ともつかない場所では、水の出る場所のどこにも通り道が無い。

結局三度寝などする気は更々無いから起き続けるなかで、口をゆすぐことは部屋のケトルに溜め込んだ水で行い、これで凌いだ。口内の不快感をゆすいだ水は、外に吐き出してはならない。そのままゴクンと飲み、これも過酷(でもない)な状況を耐え抜く訓練の一環だと思うことにした。程なくして、修理をせず相談を受けただけの業者は帰っていったが、後日修理に来るという約束が交わされた上での退出となったのかは不明である。

16時15分まで3時間ほど、座り続けて勉強なり色々していて、ようやく息抜きに立ち上がってまずトイレへ(上時間内にも1度トイレへ行ったが)。続いてキッチンでの所用を済ませようとした矢先に、母親が1階から降りてきた。少しでも物欲を出すとこういう風になってしまう。先日反映した記事「閑居求道者が隠棲覚者となる日まで」にも、「求財不利(ぐざいふり)」という境涯を明かしている。ほかキッチンでの所用とは、風雨の強かった8月30日朝、開けっ放しでキッチンに吹き込んだ雨に晒されて悲惨な状況となっており、私が愚昧な母の代わりに窓を閉めた際に掃除したら、木目調の材質ビニールか何かの小窓付近を拭った雑巾は真っ黒となっていたため、ついでに今そこを見直そうとも思っていた。

結局、キッチンでは指先を少し洗っただけで洗面所に逃げ込むこととなり、母親が大仰な反応をして一言絡まれ(用あるの、と言うがそんなの分かるし、俺にも用がある。後から現れて譲らない人)、いつもと違いグチグチ小言は無かったが、この時は左膝に右膝を打撲したほか、右の平手でドアを叩いたり左手の親指付け根(手首の近く)を取っ手にぶつけて痛めた。部屋に入ってからもう一度話しかけられたが、私の応答も無いまま自分のペースで話し始めたので、大声で割った。これについても珍しくグチグチ小言は起きなかった。人が息抜きしようと過ごしている時に限って1階に降りてくる母親が私の機嫌を損なった元凶である。それについては不条理を起こして人間関係を破壊したがる運が悪いから何も咎めない。ただ、近頃多くなった、私の返事無きがままふすまを隔てた先でのマイペースな用件話し出しは、考え直すべきだ。

この後、テレビなど付け始めたが、長居を予想させる。少しの大声でも喉を悪くしたので、長期間放置しているのど飴を一つ舐めようと思った。案の定、包装紙の中で周りはやや溶けており、一見固形の箇所も、砂糖が分離し軟化していた。自室への飴の流入過程は複雑だ。飴やガムは本来好まず、母親に釘を刺すこともあるが、一度緩むと2・3度連続で私に飴やガムを多く買い与え、なぜかチョコ系やスナック菓子を全く買わなくなるという落差だ。よってこの飴や、最近なんとか消費を始めた長期間開封済みのガム(表面のコーティングはぐにゃぐにゃ)や、未開封のガム・飴各種は望まれずに多く買われて、長期間放置されたままでいる。

母自身も大してガムや飴を好んでいないのに、俄かに買い出すことがあるのは何故か、そんな自分に何の疑いも無いのか。こういう感覚は鈍磨そのもので、一時的に麻痺はおろか誰かに操られているかのようだが、私の舌も今、麻痺とは言わないが、飴によってピリピリ感が残っている。別途、舌については昨日あたりに食べたおかゆで、左側が外見だけ火傷している(3月の某メモ写真のように)。「舌焼けず」の故事について考えていた時であったが、これから逆に考えると、舌を火傷しないように払った注意が最近解けていたとはいえ、舌を火傷するのは私が悪いこと言っているからなのだろうか?

22時50分頃、本日の作曲に再着手して間もなく、2階で巨大な物音が立った。発生源は蓋し弟の部屋であり、程なくして2階で弟の会話する声が聞こえ、直後には1階に降りてきてすぐまた2階に戻った。その辺りから母親がなぜか掃除機(片手で使うタイプだが音量は普通のものと変わらない)を掛け始めた。夜中に掃除機・・・これはたまにある。ともかく、ややもすれば物音・掃除機など、異様な二人で、私の作曲に雑念を交えたがる。悪運の極みだ。作曲作業の音は彼らに聴こえるはずもないが、彼らは作曲の邪魔をし続ける。元々静かだったのにね、集ストだらけ。実は8月25日にも、音楽関連の作業時に母親が掃除機(これは普通サイズ)を掛け出すことがあった(メモ参照)。

当記事注: 「以前もどこかで書いた」の箇所は、「確かに日記メモなどで書いたはずだが、どうせ2~7月までの既存まとめ記事の中に一つも見当たらないのだろう」という当然の帰結を予期しての表現である。メモ投稿後に事実確認をすると、やはり、「起きてすぐには口をゆすいで顔を洗い、前後不順でトイレに行くなどの習慣があるんだよ~」と伝えたメモが無く、本家ブログ記事日記追記にも無い。当然の帰結の予期は当たってしまった。無理やり探すと、4月24日メモ・6月26日メモからは断片的に窺える。しばらくして探しなおすと8月18日のメモに「日課である水での手洗い顔洗いと口ゆすぎを済ませる」とあるのを見つけた。