日記メモを付ける日々の中で、やはり一メモで千文字を優に超すものが多いことを思うとき、独自で記事を作るのもよいのではないかと考えつくこともあれば、実際に便宜を図ってそうすることも今までに何度か
あった。
今後は、日記メモひいてはブログ記事や動画説明文から有用な記述を集めた「類聚」カテゴリでも設けて記事を作ってもよいと思う。
日記メモまとめ記事はいつも、当メモ帳で掲載するにあたり、「
日記」・「
記録」カテゴリのみ設定しているのでは、中身の日記メモに各カテゴリに相当する記述があっても活きることがない。
「類聚」カテ独自記事に、例えば家庭における話題のメモなどはかなり多いため、「
家族」ほか相当カテゴリを設定する、記事を作りたい時にこれで試す。
↑の内容をメモした8月中旬から、8月24日には実際に
類聚記事を初作成した。
メモ記入日(斜め太字は画像付きの日)1 2 4 6
9 11 12 13 14 15 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26
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div id="日付"を付けておいた。classは使えない
2015/08/01
家に一人の3日間の2日目、本日8月1日は朝6時20分頃起きた。先月も「6時20分」という起床時間を何度も日記メモで書いたような記憶があるため、なんだか嘘を付く時のお決まり思いつきみたいな空々しささえ感じられそうだ。ともあれ、昨日は22時半過ぎにPCをシャットダウンして以降、2時間近く寝付けなかったし、何度か目が覚めた気がしなくもない。
そんな昨晩は21時過ぎに下剤(某ラック)を2錠飲んでいた。その下剤の効果は、寝つきの悪かった時間内にほぼ発現を感じられず、体への影響が弱まっているか、あるいは穏やかに作用して程よく効果を現すか、といった望ましくも疑わしくも感じられる複雑さがあった。前者であることは、決して無きようにと祈りさえもした。
そのまま朝を迎え、予定通り納豆を多めに消費する朝食(味噌汁に野菜の余りを使用)を食べ終わって(味噌汁とご飯を僅かに残して数時間以内に食べる予定)お茶のペットボトルや茶碗の水洗いなどの後片付けを始めようとして、自室冷蔵庫に茶ボトルを戻したところ、アレが出そうだったので出してみると、アチラではなく、下痢の方が発射されてしまった。最初は半信半疑のまま急ぎ足でキッチン方向に歩くにつれ、臀部下に生暖かさを感じてきて、しかも左腿を勢いよくつたっていく温かい液状の何かを感じ、すぐさま左の靴下を脱ぎ、風呂場に急いだ頃には左足にアノ液体がぽつっ・・・
でもまあ、この後右の靴下も脱いで風呂での洗浄を始めたし、汚物付着の衣服2点(部屋着下・パンツ)も粗方汚れを落としてすぐ洗濯を始めるなど、被害が最小限に留まったのも、
最新メモ帳記事「怜悧な」の言葉が合う私の即決英断によるところだ。結果として、この風呂に置き去りにしたカミソリのカバーであるとかを回収できたり、オマケの良いこともあったわけだから、それほど不満は残さずに置けるかもしれない。
だが、一番不可解なのは、たまにある下剤の極端な作用だろう。今回のように、寝る前には腸の左下の硬化にしても、腹のハリや鳴りなどもなく、俄かに下痢が迸る現象は不条理極まりない。特に今までの下剤使用でもこれほどに服用~前兆~排出の過程における中間現象が無い上で俄かな発現があることはなかった。
5月25日メモに記した「中間現象が無い」という場合でも、その時は今回ほど酷い排出状況ではない。
原因があるとすれば
7月28日メモにもあるとおり、ローションいじいじかもしれないが、これはその日の就寝前下剤2錠服用と翌朝の紅茶=カフェイン中程度摂取のダブルパンチであってもこのような「痛みも便意もなく突如発現」という奇怪な現象に至る事は無かった。他に挙げられるその時と今回の差異といえば、せいぜいその時が4日排便が無くたまっていて、今回がたった2日待ちで敢行したことくらいでしかない。精神面の原因では、私が小6の頃に某掲示板で仲良しだった山形県酒田市小6女児のコテが「うんこ漏らしたorz」という品性の無い(彼女自身V系・某TCGファンの自称レズビアンで男になりたいと私に告白していた)書き込みをして私が彼女を嫌うようになった、という思い出を本日は起きてから回想していたことにあるかもしれない。今の私にすれば、そんな女子らしからぬ汚い書き込みさえも愛しく思えてならないし、今どんな子になっているだろうか・・・
10時半より前に薄い桃色の折り紙を折り始めたが、生まれてより一度も折ったことのない「鶴」を、300枚入り色紙の裏厚紙に記載された説明に従って作ることにした。私は不登校期間の関係で、折鶴の折り方を教わったこともなければ、小学生の速弾きの定番「猫踏んじゃった」の音階も知らない(音感によってアレンジ曲を作ったことはある)。逆上がりも、補助台使用でも一度として出来たことはなかった異端児の私が、特有の難解な説明に従って折るのだ。図形感覚や言語感覚が卓越した私に敵は無し、と勇み立つこと20分、苦闘の末に人生初の折鶴を一人で完成させた。小学生が一人でやるには難解であったが、私は図の見方や平仮名主体の読みづらい文章も、文意を超えた理解によって正解へと進めた。私といえば、日本文化・折り紙そのものが「淫風陋習・時代錯誤」だと嫌いになりつつあった中で、始めて和解への一歩を踏み出せたこととなる。
それはそうと、この「3日間」を指すのに「3連休」と言いそうになることが昨日から何度もあった。確かにある種の休日でもあろう。家に一人でいられて羽を伸ばし、半ば好き放題できるわけだからそう言いたくなるのは無理もないが、同時にその「半ば好き放題」の範囲のほとんどが、洗濯・炊事や弟機利用などのプランに則った作業であり、実は一番労働に近い状態となっている。昨日に続き、今日も色々予定を組んでいるし、日記メモやブログ記事執筆も盛んに行っている。この好き3日間を逃す手はないが、詰め込みも程々にしたい。そこに、今日のメモのお漏らしとは、番狂わせ同然だし、月の頭から汚すぎるメモの話題には自ら辟易してしまう。ともあれ、こういった終日、でなくとも日中一人でいられる時間が2012年上の弟追放~2015年3月母退職までは多くあったわけで、今では貴重なものだが、このような時間は月に数度あれば程よいと思うものだ。また、年に数度こういった3連休の余裕があると嬉しい。それだけで寝具の衛生面も調和がとれる(雨降らなければ、の話)。次回は
毎年恒例のお盆シーズンかな。
追記1:20時16分、予想だにしない凶報が届いた。20時過ぎより福井駅から電車に乗り始め、帰路に着いたという。これによって3日目の計画も、3日目に向けて整えた準備と心構えは全て空しきに帰し、2日目夜を含む、今後に掛けた希望は潰えた。20時20分過ぎに継続中の作業を中止して、すぐさま全ての後を片付ける作業に移行した。最後の作業の土産も拵えた。このようにスムーズな対応ができることは、凶報がメールの形で未然に告げられたところで不幸中の幸いと言えるだろう。これで、母・弟の福井旅行からツアー制などの説はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。
最も遺憾なことは、明日午前中の風呂(シャワシャン)が不可能となった点で、これを見据えたが為に多少の汗水は厭わなかった。まあ同メール曰く24時頃家に着く見込みであるそう(終電など平気か)だからその間に入りたければ入ればいいものの、すぐ入る決断を下せるものではない。私の運の悪さは誰にも正しい反論が出来ないほど証明しきれているが、やはりまたとてつもない大番狂わせで、ナントカ付きの計画が空しく壊滅したことになる。
追記2:23時半前、母と弟が帰宅した。23時50分に二人とも2階に移動している合間に、1階リビングに置かれたおみやげ袋の存在を確認したが、これは凶報メール貼付画像1の左端で見切れた大きな紙袋と同一であった。"DINO STORE"という恐竜博物館内の土産屋らしく、中身は食品系3点の箱を確認した。
去年の阿智村1泊時の土産を特別支援学級の担任と所属生徒に配ったように、来週の登校日にも配る予定だろうか?結局このような担任・同級生への土産配りという母の性癖・贈答癖も、
小1の私の全同級生に宛てた年賀状を私に書かせた2003年と同轍にしか思えない。
2015/08/02本日8月2日は起きたのが午前10時過ぎのことだが、目覚めの要因は母・弟の会話である。程なくして弟は向山方面・中央図書館などに向かったそうだ。彼らの会話がなかったとしても、やや暑苦しさを感じる寝起きであることから、後1時間しか眠っていなかったのかもしれない。就寝は昨日もとい8月2日0時50分頃のPCシャットダウン以後であり、実際の睡眠時間は8時間半ほどと見て、寝つきが悪くも早起きの多い最近の中では眠れた方だろう。
起きたときの体の違和感といえば、左手の筋肉痛である。昨日は書いた文章量も去ることながら、弟機に入れた某ゲームの通常ストーリーをかじっていたわけで、これでかなり指を動かせたのだろう。寝相に原因があるとも思えないし、何より体の中で手にピンポイントで筋肉痛が発生する寝起きなどは一度も経験が無い。蓋しゲームの影響且つ、私の普段の執筆活動はゲームより遥かに疲労を生まないらしい。
昨日ひいては24時過ぎも、できるだけ夜更かしによる昼夜逆転を目指していた。日曜日は少なくとも毎度24時前に用事がある。近頃は21時~23時までにPCシャットダウン・就寝といったリズムが定まっており、日曜日であっても24時まで起きて用を済ませばすぐ寝て、翌日の起床も早める。次のお盆までは当分、昼夜逆転も良いと思っている。短期間で昼夜・夜昼を逆転させるスキルはもうとっくに習得しているため、気軽に行える。でも寝付きづらい夏では意図した通りになるかは今一つ心許なく思う。
ところで、今日8月2日は、本来だと母・弟福井旅行3日目で、行き先は永平寺となっていたが、その3日目が失われなければ私は今日どれほどに活気が溢れていたのだろうか。今日はとある別の要因もあってあまり気分は芳しくないし、「3日目」であれば、起きた時間も7時頃とかだったかもしれない。意義を見出して躍起となる、結局は私にとっても精神的な部分が原動力として肝要なのだと感じてしまった。
2015/08/0411時前に起きたらしいが、その時は13時のつもりだった。私が起きた直後に、どこかに出かけていたらしい弟と母が帰ってきたが、行き先は大体予想でき、弟は中学校に顔を出す必要がある予定が元々あって、母親も買い物に行っていたことは、私が寝ている間に行われていた。だが、私が目覚めた1分かそこらの間で彼らが家に帰ってくるのは信じられない。厳密に言えば、家のドアを開けたのは弟が先でも、母は家に着いてから軒下ドアの前まで行くのに、数分ほどはかかる。1Fリビングの窓を開け、そこから家の中に購入物を置くための作業などする。実際には母が車を家の前に停めたことが、帰宅タイミングとしては先着となる。
思えば、いつも母の買い物では15~18時に発車することから、今日は午前中に行って正午より1時間も早く帰ってきている。稀であるが、これがやはり、帰宅後特有の雰囲気が相変わらずで、弟との衝突を生んでしまった。「お前の買ってくる菓子なんかま~ずいんだよ!」、「ぶちコロされたいかぁ!?」などと不穏な言葉を吐き散らしつづける弟に、母親もたまに言い出す「刑務所入れるよ?」といった言葉で応戦し、「ヤダッ」と分かりやすく尻込みする。
色んなスキがある時に、いつも起きた直後に行う、水での顔洗いや口ゆすぎ、うがいなど急速に済ませたのだが、最後にトイレに入って小便を半ば出した頃に、音も無く訪問者が来た=車を伴わない=何かの勧誘か挨拶回り?が煩わしくも家のインターホンを2回も鳴らした。インターホンに応答するため母・弟が1階に降りるかもしれない、という危惧から紙拭きなど早めに済ませて退出し、自室窓から家の前を窺ったが、どうにも人影が全く見られない。家の前から去りゆく人影すら見られなかったのだ。そんなすぐ消える輩がインターホン2階鳴らすとは非常識極まりない。
私の人生、おかしなことは毎日付き物だが、起きてからすぐにこんな異常事態の連発では身が持たない。第一に8月2日メモにもあるよう、昼夜逆転を意図的に狙って計画組んでいる私を、午前の内に買い物済ます母から、キチガイ訪問者まで邪魔し続けているではないか。この日記メモも、起きたばかりの頭を使い、たった15分ほどで1000文字くらい書いてきている。
追記:19時50分前からまた弟と母に一悶着あった。弟の怒声のみならず、何かを叩きつける音であるとか、とにかくうるさいだけであった。どうも「まずいんだよ!」が口癖のような弟で、今回は「お前が買ってくる肉なんかまずいんだよ!」と叫んでいた。
2015/08/06昼夜逆転狙いの最中である本日8月6日は、朝5時過ぎに朝焼けの美しさに見惚れて自販機通い兼ゴミ捨てに出ようと考えた。軽く準備も済ませて家のドアを開けた瞬間、セミと思しき影と飛び立ち、羽音は私のことを大いに驚かせたのだ。すぐにはドアを閉めようとしない私が数秒様子を窺う間に、飛び立った木の元へ帰ってくるように接近したため、そこでドアを閉め、反射的に家の鍵も掛けた。元々施錠されていたものを戻す行為とはいえ、私も朝から大きめの音を立ててしまった。鍵を掛ける音は結構大きい。
このセミが飛ぶことに関して、ごく最近にも経験がある。7月28日あるいは7月31日に洗濯物を2階バルコニーに干す際、私が窓を開けた瞬間に不気味な羽音と共に今回と同様の影が飛んでいくのを見たが、それがセミだった。それが飛びゆく先にもまた同様の影があったが、あんな鳥みたいな影が、2階建ての建物の屋根の高さでいくつも飛んでいると思うと恐ろしい。今年は例年にも増してセミに関する記録が多いと思うが、夏の終わりから激増するセミの死骸に関しても記録するのだろうかと思うとウンザリする。
ところで、このセミとの遭遇によって怖気づいた私は、自販機通い兼ゴミ捨てを実現できなかった。セミの一匹を前に一歩も外に出られないようだと、別の点で憂慮される。ドアを開けた際の路面を見るに、夜中は雨が降っていたようだと知る。朝焼けについては、我が家の2階空き部屋(元・上の弟、前祖母)から鑑賞した。眺めが1階や路上とは違うものだ。写真も1枚撮って、これで満足することとした。
追記:その後朝7時台に寝始めて、起きたのは14時過ぎであった。18時過ぎに外出計画が再浮上し、19時過ぎに決行した。あたりは大分暗くなっており、やはりセミの不気味な声が小刻みに聞こえている。どういう種類の鳴き声か私は知らない。いつもの通りを進むと、とあるお宅の敷地内に植えられている木の多くが、葉の茂った枝を落とされたようで、そのお宅の隠れていた建物が見えたり、この通りからは普段見えなかった別のアパートなども見え、新鮮に感じた。今回の夕焼けは弱程度、服装は過去数例に同じ。
帰ってきて数分ほど経って母親が1階に降りてきて何かの作業を始めた。おそらくは料理だろうが、また数分ほどで今度は弟が降りてきたようだ。それに私が気付いたのは母親の大声からであった。例の如く母親は、部外者の私もウンザリするような大仰の反応で弟を出迎えた。たかが弟が1階に降りてきただけで、この驚きようは何なのか。一度の大きくて長く伸ばした声にとどまらず、大きめの声で何やらペラペラと喋り始めた。当の弟も甚だ煩わしく感じるようで、激怒したり、大きな物音(落下音)も聞こえてきた。なぜ母親はトラブルの原因を作って止まないのだろうか。人の機嫌を損ねることの自覚は生まれないのか。
2015/08/09本日8月9日0時38分、部屋の障子を強烈に照らす光があって外の様子を窺うと、タクシーが止まっていたのだが、0時台にタクシーが家の前に止まる光景は既視感がある。過去に
4月25日の日記メモで記録した出来事と同じ可能性が高い。明るんだタクシーの中で、後部座席に2人の人影を感じたが、気のせいだったのか出てきたのは一人。やはり、前回の時と同様、向かいT家のおっさん・・・ご主人である。酩酊・酔いつぶれの千鳥足で、覚束ない足取りながら、今回は慎重に進むようにしていたため、上体を愛車にぶつけるようなことはなかった。(タクシーが去った後の0時39分に撮った写真を即時PC送信→編集した。)
思えば昨日8月8日は、19時過ぎに一家4人、奥さんの運転でどこかに行っていたわけだが、あれからどういう経緯があったかを私は知らないし、今まで関心もなかった。行き先の地で一人帰らず夜の街や店に居続けたのか、あるいは一家4人で帰宅後にご主人だけフラフラと遊びに出たのか。こういう姿を、御息女はご覧になったことがあるのか。ともあれ、その19時過ぎに普段見かけない服装を着てはしゃいでいた御息女は、とても愛らしく映った。
ここまでメモを書き終えて数分以内、2階で母・弟の会話が聞こえた。昨日23時以降断続的に話し声はあったのだが、まともに聞けなく、今回はしっかり聞こうとした。どうも、風邪の話題のようで、「母:風邪薬飲みすぎ、エアコン消して」と言って一度会話は閉じたが、弟は「まだ話がある、夏は夏風邪でしょー?」と反論したが、敢え無く「そう言うけど、普通の人は夏風邪を引かない、夏に風邪薬を飲み続けるのは変な人」と言われて弟は口を噤んだ。
夏の風邪薬常用は、先の
7月29日の日記メモで私も問題視した。クーラーをかけるだけかけて光熱費を上げるばかりか、一食に2合のご飯を食べる弟がそれで風邪を引いてしまう、無駄なのは食事量だけにしておいた方がよい。件の日記メモでは、弟の食生活と外出状況から身体的に丈夫な方であると分析しつつ、冬の風邪薬飲用状況から風邪に弱い体質である可能性も示唆したが、また俄かに始まった会話でも「俺の体はねぇ、風邪に弱い体なの」と弟が話していた。一方の私は外遊びやスポーツなどをせず、体型のとおり少食であるものの、知能・精神面で非常に優れており、自己管理の取れた用心深い生活であるから、夏風邪には無縁だ。反面、冬の風邪には体質上不安が大きいが、2014-15冬シーズンは特に風邪薬を必要とすることもなかった。
このように見れば全て太い人との差が一目瞭然であろう。熱ければエアコンのクーラーを冷蔵庫の如く(7月31日調査では設定温度23度・静風)かければいいわけでもないし、それで風邪を引いたら風邪薬を飲む、これでは経済的な問題だけでなく、医学的にも脆弱であり、何より精神的な部分がボロボロのフラフラだ。向かいT家の主人は酒でボロボロ・酔いでフラフラな体でも、心だってまたボロボロのフラフラである。
追記:朝9時40分前に佐川の配達があったが、何かのトラブルの件で長めに立ち話があった。それはいいが、続く9時40分台、母が弟にシリアルを食べたかどうか聞いた際に、弟からは今日買い物に行くかを問われていた。先の福井旅行からやはり月・木の買い物ペースが狂ったままなのだがが、あまり融通が利かない近頃の母親に出不精が加わったのかもしれなくて、いつものイオン買い物は今日から振り返って5日前である8月4日のことだ。8月7日(金)に臨時、徒歩でコンビニに菓子(母・弟はアイス・デザートや菓子パンを食べた)と牛乳の買い物に出ていたが、これがあるだけ助かった方だろう。
買い物のペースは、2012年の頃なら当時の仕事休みがある水・土曜日に買出しに行き、普通の仕事帰りにも弁当屋の弁当を買うだとかコンビニに寄るだとか、とても気が利いていた。休職中の今と比べれば別人のように経済活動をしていたこととなる。私としては、買い物が無いために野菜不足で健康がやや害されるとも幾分構わないのだが、母親の出不精が強まって全てが無気力となってしまっては、息子として何とも安らかでいられない。母親はそういう風になるべきではない人間であることは、
その半生を振り返ることでよくわかる。私への理解も無い割に、私の真似をするだなんてただの怠け者にしかならないだろう。「私への理解」の無さについては、
後日記事にされるはずだ。
月・木の買い物ペース調整するにも、一時的に頻度を縮めるか先延ばしにするかの場合、後者を選んでいるが、その度合いがあまり強いと弟にとってはかなり苦痛だろう。私としても、買い物ペースを時に応じた丁度良い頻度にしてくれるといいが、母親は、買い物に行く曜日が今までいくらでも変わってきたことを置いて、今は月・木を頑なに守ろうとしている。月・木厳守などいくらでも破って、必要な時こそ買いに出る、これくらい柔軟でなくてはならないし、先述の通り2012年ひいては2014年までの活発な動きとは異にしていることが明白だ。
近頃の傾向を予て察していた中で、金曜日のコンビニ行きは当時としても感心であったし、この追記してから少し経つ11時過ぎに、元々玄関に置かれていた見慣れないバッグを荷物としてどこかへ行った。車にエンジンをかけてから実に10分ほど車と家の中を行き来していたことが気がかり。13時ころ帰ってきたが、荷物の用事の他に食事でもしたのだろうか。
当記事注: 8月10日にも二人でどこか車で出掛けていたが、実際に買い物に出たのは8月11日(火)のことであった。もはや何が魂胆なのか見当もつかない。例えば、買い物我慢大会だというなら、あと数日でも付き合えたわけだが、何も話さない人だから何も理解できない。この火曜日にあたって弟は何か聞かされただろうか。まさか日曜日朝の会話で火曜日の予定の話があがったのだろうか。何にせよ、こんなことなら月・木厳守の方がずっとまともである。頑固どころか狂乱のように見えてならない。
2015/08/11昨日は引き続き買い物がされない日であり、本日夜中はご飯が炊けなそうであり、レトルトご飯の蓄えに手を出すことも敢えて控えることとし、スパゲッティを食べることとした。パスタ系はあまり口にしていない(一つまみのペンネをラーメンと共に茹でたことが1年以内にある)のだが、スパゲッティは2~3年以上食べていない。昔じゃ週に1度ないしそれ以上の頻度で食べていて、前の家ではよく一人で茹でて適当な味付けで食べたりもした。カップ麺タイプもそれなりに多かった。それからすると、少しでも生活が変わり、意識も変わってしまった今では、リビングから漂うミートソースの香りだとかにも反応が乏しくなっているわけで、スパゲッティを求めることはほぼ無くなってしまう。
かつての食生活や嗜好から対比すると、同じ自分としての変化が著しいことだろう。
ここまでの下書き前日・8月10日22時以降に書いたのだが、11日1時半なおもスパゲッティ調理の見込みはなく、空腹のままでいる。そもそも8月10日は12時前に寝始め、起きたのは17時台のこととなるが、まず18時過ぎに豚骨ラーメン(麺は10日夜中の別料理で部分消費済み)を食べた。その時、麺の量に対応して水分量を少なめに調理し、粉末スープをやや残るように使った。このときは、ご飯のふりかけ代わりに使おうとしたのだが、最近日増しに「スパゲッティ食べていないな」という意識がついてきたために、スパゲッティを久方振りに調理して、その味付けに使えば都合がよいと発案した。それで、そのラーメンを食べ終えた19時前後からこの1時半まで、シリアル少々摂りつつお湯や水などを飲んで過ごしている。
大体いつもこういう食生活だけれど、今回については1時過ぎから母親が1Fリビングで絨毯に体育座りでテレビを見ている。傍から見ると不気味な光景にしか映らない。ついでにリビングにおける母親のエアコン使用状況についてだが、今回も作動させている。涼しさは、私が多く29~30度設定にする(風量強弱は適宜調節)のに対し、1Fリビングはあの広い空間がかなり冷える印象であるから、それなりの低さであろう、体感値では29度設定の空間で、指定値は風量中強ほどなら26~28度、弟のように静風なら24~26度。その仮説の答えは27度、風量・中と判明した。
2時20分頃、スパゲッティ調理の準備を進めて茹で始めた。記憶から必要な材料である塩と油を揃える過程で、本当に久しく調理していないことを実感する。この片手なべで作る上での留意点が、沸き立つ水の空気のように鮮烈なものとして思い起こされる。麺の投入から調理器の火力など、ラーメンと同じ要領でやると吹きこぼしもあり、茹で上がりは劣悪となる恐れがある。色々、過去の調理感覚と齟齬もあるのだが、結果的に難なく出来上がった。
思えば、結束タイプのスパゲッティ一束を取る時、三束あるように見えた袋には2.5束分あった。一束あたり本数を無視すれば3束と言えるけれど、あまり心地よく思えない。私も普通の一束から3分の2近い量を抜き取った。それはいいとして、その量を9割がた食べた後、余りを片手なべに残したままお湯を入れ、1時間以上経った頃に味噌汁を作って食べた。終わり。
追記:12時前に寝て18時頃起きた。その間に母親は買い物に行って既に帰ってきている。私は20時前からゴミ出しと自販機通いを行った。道中、とある十字路に近づくにつれて、嫌な羽音が聞こえる。警戒しつつ歩き続けると、十字路の左側から軽トラックがこちらに=右折してきた。それで露払いされたことを期待したが、羽音の正体はなおも路面にいたらしい。こちらはノンストップ歩行であるから、正体が見えたときの対処は危ういものだった。羽音の正体は既に飛び立ち、こちらの方向に飛んでくる奇行のために私は、思わずしてか思ってか大声をその場で上げてしまった。普通の住宅街で白昼堂々、というのであればこちらが奇怪な人間である。
それで、羽音の正体が虫であることは確実なものとして、実際にはどんな種類かといえば、一瞬だけ捉えた姿はセミに見えがたいが、知識もないためセミと思うしかない。セミであるなら可愛らしいくらいだろう。この住宅街の中で、得体の知れない種類が路面を這ったり飛び立ったりするのは恐ろしいことで、ますます外に出られなくなる。本当は19時半に出ようとしていたが、少し遅れただけでも虫の沸きようが格段に異なる、と短絡的に考えたくもなる。所詮セミか何か大物が一匹現れた以外に何も無いはずなのだが、こういう不可解現象が続くところは私らしい。
その後の自販機通いについては、無事に済んで帰路も別状なし。8月10日夜にも別に行った自販機があるが、そこは10円玉・100円玉を投入してもつり銭の場所に流れてしまう異常が起きていた。また以上確認のために手を伸ばした先に巨大な羽虫っぽい暗い茶色の影も。やはり既に目的の場所に手を触れたあたりで虫が飛び去った。他に、白バイっぽいのが進行方向後ろよりノロノロ走行していたので、走り出したらスピードを上げてきた、ということも。この昨日の外出についてはメモにするつもりはなかったし、メモ投稿しなかったし、本日の外出も別状なければ記録はしなかった。
2015/08/12「畏みて問い申す。主の御稜威は普からずや、如何。然ればただ我らに無上の楽才を授け給え、恐恐。デウス・メタラム、ドミナス・トレメンデ。」
これは本日の思い付きで浮かんだフレーズであるが、古い日本語とラテン語っぽいのの知識やセンスは、今年の1月からあまり進歩していない。「如何・恐々」といった語の使いようは比較的最近身についた方ではある。また、思い付きであるから、正しく使えているかという点はあまり保障するものではない。
私のネタに詳しい方なら「主の御稜威(みいつ)」という表現・・・それにピンと来ずとも、デウス・メタラムの語から「
メタル神」のネタであることが明白である。8月10日に勢いで制作を始めた新曲があるが、これは非メタルで今も制作中。8月11日にも新曲をもう一つ手がけて都合5時間即日完成に至ったが、これはシンセソロのフレーズが8月10日新曲から借用しつつ、リードギターのフレーズは1月4日から制作を継続している「赤誠」から借用したもので、即日完成を条件にハイスピードで打ち込んだ。今までに無いスピードで1分超のメタル系楽曲が完成した。
私の
アレ作曲最盛期は、去年8月であり、
YouTube音楽チャンネルでも本数多めに投稿活動を果たせた。この佳き月を迎えるにあたって憂慮もあったのだが、今はまた俄かに盛りはじめていることは喜ばしくある。去年8月ですら、1日でこの規模の楽曲は難しかった。確かに今回の曲は同じフレーズのコピペが40秒ほど続くが、だんだん増える楽器パートを見ると、ことにPC81: Square Wave(矩形波)の使いようは、憧れの人たちに比肩するクオリティを再現できた。ほか、技術的な進歩を具象化できたが、視覚的実体はMIDI譜面に一目瞭然。
2015/08/13昨日のメモ以後、ウトウトし始めたようで、23時半過ぎには寝落ちが始まった。PCを起動したまま寝落ちというのはそうそうあるものではない。寝落ちという行為自体、2014年に入ってからはあまりしておらず、体力減少のためか肉が薄くなったためかは定かでない。ともあれ、実にはしたない上に不覚にもそのような状態に陥ったことはあまり喜ばしくない。断続的に目が覚めて上体起こすこともあったが、まともに起き上がったのは1時半の頃であり、2時間ほどこういった状態が続いたらしい。
それから色々ネット閲覧や楽曲いじりをしていたが、私があの状態になってからか起きてからか、どうも雷の音が幾度と鳴り続けている。雷というと、今年は当地の場合あまり雷鳴を聞いた覚えがない。5月の台風6号襲来にしても他の時期にしても梅雨にしても、雷鳴はほぼ聞かれなかったため、今日は違和感が強かった。3時半から炊飯準備をしたり、4時半には食べ始めて、5時過ぎから風呂(シャワシャン)に入った。そのあたりには雨音がシトシト、サァーッというような程度に聴かれた。8時現在は既に止んでいる。
ところで、前回の風呂では髪を洗う際に「フケ・かゆみ防止」を標榜するものを試しに使ったのだが、これは以前にも数度使った経験がある。その効果が出ているかの評価は決まらないが、その時の使用では、使用中から頭皮に広く痒みが走ったばかりか、後頭部には2日ほど約1cmの腫れができた。いつもはメリットを使用しているが、どう配合成分が違えばどう良く標榜された効能が出て、どう洗い方を間違えればこのような異常が発現するのか。既述の通り過去に使用例があって同様の事態には至らなかったし、これといった問題も感じなかった。体質・幼少期抱えていたアトピーなどが問題とも思えない。
追記:13時過ぎに寝始めるまでは、俄かに強い雨が降り出して10分で止んだりもした。私が押入れの中に入ってしばらくすると、外から拡声器を通した男声が聞こえてくる。車を利用して町内にアナウンスしているようだが、その内容はとあるイベントの本日中止と、明日(みょうにち)は天候がよければ予定通り行う、という旨であり、そのイベントは近所に張り紙がされているのを目にしたものであった。本日より数日ほど続ける開催予定の1日目が中止、という報告であった。
続いて私が起きたのは20時を過ぎた頃のことで、その時は母親が1Fにいたことに気付き、数分後には2階へと上がった。間もなく弟と母の会話が始まったが、切り出したのがどちらかは不明。内容の要点は、この夜か数日以内にどこかへ行く予定を中止するかのもので、弟が怒っていた。「お母さんの何とかは80パーセント何とか、300パーセント、4000パーセント」等を繰り返した。「後で80万円払え!」等の小遣い要求系も叫んだ気がするが、この話の中では8月9日に鰻を食べに行った(カレンダー記載済み)ということも聞かれ、弟が「おいしかったよ」というと、母は「ほんと!?アレまずかったけど、ならいいや」のようなやり取りとなっていた。
ちなみに、寝る30分~1時間以内に下剤2錠飲んだわけだが、今回も起きてから時間の経つ22時前に悪い形で発現した。それまで8月1日メモにも書いた「服用~前兆~排出の過程における中間現象が無い」という有様であった。下剤服用に起因する違和感といえば、せいぜい起床時に少し感じられた程度だ。何かしらの前触れがないと、人は知らない間・無意識に小便を垂れ流してしまう動物となっている。「中間現象が無い」例として、8月1日や
5月15日(少し状況が異なるが)等の類似例も鑑みると、寝る前の下剤服用→起きてからの効果発現を期待するのは悪い結果しか招かないと帰結する。被害の方はパンツまでの最小限に留まった。
人体のリズム上、朝起きてからの排便云々という理屈が一般的であり、私が小学校の頃にも、某ベネッセか何かで断片的に知られていた。当時から半信半疑だったそれを、実感ないまま期待するのであれば、生来貧困の者が富裕に夢想することに等しい。同じ貧困の者でも、富裕なら幸福であるとかの幻想を懐かない者もいる。私も、幼少より実感し得ない「人体リズムの理想」に手を伸ばそうとする必要は無いのかもしれない。
2015/08/14星の一巡ありし方にTはK・Y・Eの三部を作されたり。我が好みも偶この順を歴たり。即ちKは出発地、Yは中間地、Eは是れ終着点なり。Eの最勝ならんこと定めし自りこのかた、猶お転ばで今日に至れり。Eより二巡已後のF等に入らんずること、水より火が出でんとも無かるべし。
Eのストーリーにおける主要のキャラは、シリーズ他作品のキャラに合わせがたいようだが、その点ストーリーにあまり関与しなかった作品色の薄いキャラは一見地味でも他作品キャラとの親和性があって、他作品の類似種族で結ばれる傾向がある。私としては、このマニアックなEの立場を知る機会が多かった。何かと、表に出づらいような立場だと分かるが、それでも去年末に出たとある映像で、そのEのEXの子に出番が与えられることを知るや、その歓喜はやや起こった。手放しに喜べはしなかった一憂がある。それは措いておく。15時前、この文を留め残して眠りなん。
続いて23時過ぎに起き、今はラーメンを食べながらメモを打つ。作曲についても真面目に考えた。過去に何度も至っているはずの結論であったり、その故に近頃あまり考えようとしなかった話題がある。やはり音楽用語とかが自分には未だ理解ができていない。過去に幾度と嘆いた「コード進行」等をはじめとして、漠然とした認識・感覚的な程度にとどまって、他にサラっと聞きなれない言葉を出している投稿を見ると、正直ひがみにも似た感情になる。例えばどこか理系の学術機関・研究機関において、彼らの専門用語がやり取りされるのは何も悪く思わないのだが、ネット上の一般人(リアルでプロもいるのかもしれないが)の間でさも当然のようにやり取りされる光景は、疎外感を覚えてしまう。
ここで、やはり数年以上前から、用語がわかる作曲者に対して、分からずに作曲できる「天才型」という考え方を見出す。「天才型」という語が揶揄のようで、必ずしも褒め言葉でない印象を受ける。理論がわかり事実にあらわす、これが最も望ましくあるから、今の私が「天才型」に似たまま作曲を続けていることは快い状況と思えない。理論の理解ができればいくらか便利なことに違いないのだが、今や理解できたら負けの気持ちさえ芽生えている。理論の理解、事実の実行、この「
理と事」とも優れた人が、某サイトに少しばかりいるが、多くは「天才型」なのかもしれない。
2015/08/158月15日、寝るために11時53分にPCの電源を落として押入れに入ったのだが、程なくして12時前に手を洗いに1Fキッチンまで出た際、母親が2階から1階に降りてきて廊下で何やら大きめにしゃべっていた。怪しいのですぐ部屋にリビングふすま経由(
1F概略図参照)で戻ったが、すぐに母親はリビング側に移動し、今度はふすまノックで私に話しかけてきた。私への小遣いを自主的に渡しに来たようだった。
その際、8月13日朝・14日朝に送信したメールで尋ねた用件への返答が無いことから直接問うた。初めにメールを2度送ったことから話しても、3日間くらいメールを読んでいないとのことだったが、いくら他人との友好関係が無く、知り合いもいない母親に、まともにメールを受ける相手が私だけでもいるのだから、ちゃんと見る・・・それ以前に、最近の様子では携帯電話も起動していなく見えるが、実に呆れたことだ。
ところでそれは一言も発さず続いて用件を口頭で尋ねたのだが、一に次回の買い物の予定は何曜日となるか(前回火曜日)、二に今年はお盆の墓参りに行かないのか、という二点だ。一の答えは月曜か火曜日なのだが、どうでもいいことをくどくどと喋ったり、わかりづらい。また、ここ1ヶ月の傾向を見ると、買い物の予定が週2度から週1度に減らされる懸念があるが、母親の出不精に起因するのか経済的な裏事情が原因であるのかは不明だ。「どうでもいいこと」とは、表面的な話をごちゃごちゃ言っていることで、こういった内面について自ら打ち明けることが母親にはない。二の答えは「行かないわ
(アクセントは"いかねーよ"と同じでお嬢さま言葉の方ではない)」と率直であった。
続く12時半過ぎには、
にわか共産党員の母親から「戦争法案反対」の署名にサインを求められた。その際に「戦争反対に名前書いて」と言われたのだが、実に語彙が足りていない。ニュアンスがかけ離れる。自分の信条くらいもう少し具体性を孕んだ語彙で自信を持って唱えてみよ、と思う。まあ母親に信念は無いのだが。その時の私はこういった思想を吐露せず、穏便に断るだけとした。私は別に、安部政権の政策に賛否も無く、支持不支持の意向も無ければ、恣意的で一方的な「戦争法案」の呼称を用いることも無い。「中庸が最善(安部ちゃんのコレ裏目に出たけどね)」に賛同するだけである。この後、知的障害の弟もサインを求められ、彼は時間をかけて記名・住所記入を行った。
※「署名される紙」を私に渡す際に、母が「破くなよ」的なことを言っていたが、そうして起こり得ない事態への被害妄想をしてわざわざ本人に発言するとは、人権侵害である。子供の心を破る人間は、母親である。「署名される紙」を破く行為など、私はしないが、仮に私が破いても、子供の心を破る母親の罪こそ最も重大である。是の如き悪親が子供から信用される道理は無い。
寝る前に、起きてからの予定を組んでアラームを設定し、起きたのはアラームが鳴るより先の18時50分のことであった。目覚まし時計等、設定前より起きられるのは中1以降覚った体内時計のシステムによる。19時半までに調子を整えて計270円の自販機通いを行った。やはり外の明るさは、1ヶ月前(7月中旬)の19時半よりグッと暗くなってしまう。
2015/08/178月16日に寝る前(午前12時=午後0時以後)の押入れの中で、自分の腕や足を見ると、外から入った光の調和もあり、「枯れた木の枝」と自嘲的に感じた。さながら、枯れて葉っぱも付いておらず弱弱しく、簡単に折れてしまいそうな枝の外見によく似ていた。私の質素な閑居・隠棲修行で順次食事量が減りゆく中で、こういった体型の変化も判然としてくる。
その時想起したことは、「入定」という多義的な言葉のうちの、過酷な修行法を指すものである。「入定」の語は、単に禅定の境地に至った精神状態を指す場合が本来持っている語義となるが、一方で修行法を指す場合は、食べ物にこだわって漸次肉体を「ミイラ化」させるための状態に近づけ、ついには地中に設けた空間に入って読経のまま餓死、示寂に至ること。
好ましい食べ物は木の実・樹皮など、いわゆる「木食(もくじき)」であり、「腑に入らばたちまちに腐りぬ(腑-月+肉=腐、というジョークである。昔見た菜食派の受け売りだけれど、
字の成り立ちに無関係・
牽強付会らしい)」と嫌われる肉類を避ける。まあ肉食(にくじき)は、入定を行うような僧侶であれば大前提もとよりしていないはずだけれど。これに続いて、日本人と欧米人の腸の長さは~、というこれまた昔の受け売りの話題にも入ったが、これも割愛する。
そこに、本日は興味本位でとある僧侶の弟子が綴った伝記か何か(某上人伝)について検索し、ヒットしたとある寺院公式サイトを覗いた。そこは過去に見覚えがあったが、最初はどういう経緯で見たか思い出せずにいた。サイトの情報量と好奇心からのめりこむように色々観覧していったのだが、その中でようやく、少し前の記憶に触る書の名前を見つけた(伝教大師最澄さんのとある書)。これを検索した際(2月6日)、初訪問となったようだ。色々見る中に、先述の「枯れ木」のような僧侶の姿について、上座部仏教とチベット系仏教と日本等の大乗仏教での反応の差も触れてあった。当該寺院は真言宗で、江戸時代にそこで得度した高名な僧侶(その人物も今年7月7日に1度見た)の流れをついで、梵語経典の研究が深い反面、真言宗の中心本山である高野山を蔑視、お大師の空海さんさえ軽視した向きもある。もう一人同寺で尊ばれる僧侶がいるが、それは華厳宗にあって密教を受持した僧侶で、所縁の寺院は明治以降、名実共に真言宗に宗旨替えしている。
多くのページの記述は、当該寺院の所属僧侶の一人による著述のようだが、私の卑見で観ずるに、誤謬・誤文法・誤字・誤変換(右に些末順)が少々あり、気に障るような「社会」に執着したり、「支那」「朝鮮」といった語を常用する嫌・特亜思想などをお見受けした。朝鮮の南に限定する場合は「韓国」と表記するのは公平である。支那という呼称は、どういう状況による分別か不明だが、普通に「中国」と書く場合もある。歴史的背景を伴わず、現代のことを指すにも「支那」「朝鮮」と表現したページを見た(支那や朝鮮の如きもの・他所から剽窃・元来我が物であったかのように・見た目豪勢・さも実があるかのように)。私見では、日本仏教で長い歴史を貫いて現代までの中国を指す際、「漢土」とするのが適切な印象であり、どちらも通常IMEでは一発変換できない。また、二つの対極的な立場を述べる際にも、双方の言い分に「などと」と度々記すが、これでは論者の考え方に掴みどころが無くなる。
これらはともかくとして、そういった多くのページ・記述から、固く戒を持(たも)つ思想がこの方より窺え、破戒の不行状は許すまじとした熱気が伝わる。梵語経典の研究と同時に、戒律主義を推進したのも、寺院ゆかりの僧侶の偉業であるそうだから、こういった気風が当該寺院で堅持されているのかもしれない。
彼の私情と嫌うことはないから、実際の修行法、修行の理念についても披瀝されたい。戒・定・慧の実践はどうなのか、また具足戒や律などを厳守しているのか、飲酒肉食妻帯は終生しない方針か。最後の問いのYES or NOほどは単純な二択でも済ませられる。未熟な求道者たる私に、先達として指針を示すことは大乗の鑑であり、また自己の信条の矜持は確然たるものとして受け止められる。この方は、多くの論理を示せども、個人的な部分は示さずという点は、中立のような全意見反骨のような文章の随所に現れている。
ところで日記だが、8月16日は19時過ぎに母・弟らがコンビニに買い物へ出掛け、私には菓子パン1点チョコ菓子2点、彼らは菓子パン・スイーツ・アイス等個数不明だがこういったもののみを買った様子だった。前回彼らのコンビニ通いでは牛乳計3本があったが、今回は飲み物類が無い様子。日付上8月17日に入って未明より、かなり強い雨が降り出し、4時半からは断続的にやや離れから雷鳴も聞こえる。
7時50分あたりから、またも1時間近く寝落ちをしてしまったらしい。前回8月13日に続き、「1年ほど無かった寝落ち」の2度目と、痴態・醜態に我ながら情けない思いでいっぱいだ。それは疲れているためなのか、睡魔の干渉が始まったためなのか、いずれにせよ前回は通常睡眠の状況を書いていないが、雷鳴が聞こえた日という点は一致し、今回は2日連続睡眠不足の傾向がある。アラーム設定起床、これは前日(日付上の8月16日)同様、5~6時間ほどの睡眠にとどまる。それでもこの時間内でしっかり休まったらよいものだ。
13時半から、母弟の喧嘩が始まった。最初は原因が分からなかったが、次第に元々私も違和感を覚えた事象との関連性が浮かぶ。12時頃にキッチンの洗い物が全て無くなって、一時保管のザルにも置かれておらず、母親の流儀にはかなり異なると思った。その実は、弟が全て洗ったらしいく洗い物の処理について母親が咎めて、ここから揉め始めたようだ。「さっさと銀行行け!!」「オレはがんばってなぁ、必死でなぁ」という弟の発言も聞かれたのだが、母としては「分からないなら聞けばいいのに」「出来るんならいいけど出来てないじゃん」と苦言する。
思えば、本日は朝9時40分頃にヤマトからAmazon購入品の配達があった際も、弟が遅れながら応答したのだが、母親はグーグー惰眠を貪っていたに違いない。これは
退職後の3月からしばらく
よくあったが、最近は失せ気味の傾向であった。自分の頼んだ配達物は自分で対処せよ、と思う。弟を遣わせ、配達員は雨の中待たせる。勝手な食器洗いの件も、母親が生活を自ら正し、朝早く食器を洗うことで防止できた。仕事が無い人間とはいえ、睡眠と起床のリズムくらい調整すべきであろう。私は緩急自在に昼夜・夜昼逆転など調整したり、洗い物など最初から出さないし、洗うなら自分でその都度洗う人間だ。母親は、自分を統御するだとかの意識をもう少し持つべし。同じ家に住んでいて生活体系が異なれば、意識も逆方向だと思う。
私、中卒無職の横野真史(18)は世間で社会のゴミ、クズ人間と蔑視されても仕方がない肩書きかもしれない。社会的見地においてはそうかもしれない。薬剤師免許持ち大卒でバツイチ夫なし職なしの母親(49)にはその自覚も無い。へりくだること、客観的な知見も無い。しかも「自分は決してそういう言われは無い」と信じて已まない強情な人格であろう。自分の状況に、微塵も疑いを持たず、他者に真っ当な見解を示されても受け入れはしない。
当記事注: 2016年8月26日、
中阿含経の阿梨吒経を披見していた。そこには「
燥草枯木」の文がある。当メモで触れた「枯れ木」について、仏典に説明があるとはあまり思っていなかった。この経文には「比丘は人から非難されたり攻撃されたり、あるいは供養を受けて尊敬されても喜怒哀楽はない。例えば今、我々がいる給孤独園の周辺に広がる荒れ野の雑草、枯れ木のようである。これから薪に用いられる草木がやたらと怒ったり喜んだりはしない」と説かれる。上座部仏教圏の沙弥・比丘の望ましい姿勢が「枯れ木」とされる根拠はこれでなかろうか。そのように、大阪のお比丘さまは「一見して無愛想で不遜に見える態度こそ比丘たる振る舞いだが、外国人相手にやると印象が悪いため、外国人が多い地域の比丘らは愛嬌を演じることが多い」と
書いていた。ただし、このお比丘さまは経典の所説を示しておらず、縁起観や歴史的経緯などの思想のみを推量して語っていた。この経文にははっきりと枯れ木の態度が示されている。この経文やその所説がパーリ仏典に存在するかは不明であり、実際に存在してもそれが上座部圏で根拠となっていたかも不明である。
2015/08/18今日は0時20分頃に起きたと見る。昨日寝に入るまでにPCをまだ付けた状態で下剤を2錠飲み、PCをシャットダウンしたのは14時半を過ぎてからのことだ。昨日のメモにあるよう、ここ数日以上の疲れを鑑みて、出来る限り眺めの睡眠を取るように望んで寝たのだが、一度母親から間抜けなメールが21時前に届いた。毎日21時頃にはとあるネットでの予定があるが、これを返上してまで眠り続けようとしたのに、メールの着信音で目が覚めてしまい、台無しである。その後気を取り直して再度寝始め、メモ冒頭の一文に帰る。
下剤2錠を寝る前に飲む、これは8月13日で「実感し得ない理想」と諦めつつあった問題の再検証のためである。効果の方だが、起きたときには腹部から相応の違和感が感じられ、日課である水での手洗い顔洗いと口ゆすぎを済ませる間に強まった痛みを元に、早速トイレへと入った。入って跳ね返り対策を施すなどして糞が出るよう集中していると、蚊が一匹飛んでいるのを見つけた。後で困らぬよう速やかに根絶したく、徹底的に追い詰めた。一度蚊の浮遊バランスを崩して急降下させ、床に落ちたときは、致命的な弱らせ方ができたと思ったものの、試しに指先でつつくと何事も無いように飛び上がった。ついには手の平が痛みながらも平手で潰した。幸い吸われなかったようだ。「幸い」という表現はあまり使いたくない。殺したからには罪悪感もある。潰れた蚊の肉体は、トイレットペーパーで拭った。
私をモスキートキラーに仕立て上げる蚊は、殺生の罪より深いと思う。いちいち、なぜか夜中に明るいような怪しい空間、すなわち人のすみかに入ったら、蚊にとって命終は不可避である。追い詰められた終いには、キラーも嫌がる無残な潰れようで命を落とす。そして何より、この蚊を殺した後、更に2度も蚊が沸いたのであった。同じ蚊の蘇生と仮定すれば、等活地獄のようなものだ。
2度目の蚊は、私がある程度脱糞・・・排便をしたあたりでどこからともなく現れ、これも何回トイレに入るか分からない後先に困るため、速やかに対処する必要を考えた。今度の蚊は潰さず、両手の指先で押さえ込むように捕らえ、フワフワとトイレの水面へ落とし、私自身もう尻を拭い終っていたから、そのまま流し、一旦トイレを出ることとなった。
間もなく便意と痛みが強まり、再度トイレに入ってから、また蚊が現れて3度目となる。初めは小バエに見えたが、蚊だと分かっては、まさか流したはずの蚊が生きていたのか、とも考えたが、一見して小バエと思ったように、他の2匹より小さめであった。こうも3度と短時間で蚊が1Fトイレに現れることは無い。まして、下剤服用の関係でトイレ通いづめの間では、糞への集中も乱される。仏教には、禅定が得られそうなほど座禅・瞑想に集中していたのに湖面の魚が暴れたり、林の鳥が叫ぶなどで気が散ってしまい、その後は天上界の悟りを得るなど色々あって飛狸、モモンガとなって魚や鳥を殺戮して三悪道に落ちたという修行者の故事が「大智度論・十七」にある。だがしかし、今回の3度目については蚊を手で払う程度で様子見した後、ドア側に寄った際逃がした。もはや何匹も殺す気にならない。求道者の立場で、蚊などに気を揉んで手を焼いたり、もう手を穢す真似は御免蒙りたい。
この3度目の蚊のみならず、大概の蚊は手で払われるなどで怖気づいて天井の方へ逃げ惑い、頭をゴツゴツぶつけるなどはよくあるが、1度目の蚊の時は同じ状態になっても「徹底的に」と綴ったよう、猛烈に殺した。2度目はそうなる前に押さえ込んだ。3度目は長時間この状態で、断続的に降下したりもしたが、その都度手で払った。釣り下がる電灯や換気扇の枠のあたりなどいくらでもしがみつく場所はあるのに、ずっと浮遊したまま天井にぶつかり続ける理由がわからない。私もずっと天井を見ていると光で目を悪くしそうだから、それは出来ない。
また、この長文のメモを書いている間にも、現状は蚊に刺されたことによると見られる症状などは確認されず、思えば7月19日の日記メモで記録した蚊は貪欲な奴だった。下剤2錠の再検証にしても、「実感し得ない理想」が形式上再現されて、一歩進めた。
2015/08/198月19日は3時前の起床で、就寝は前日の17時半。夜昼逆転の移行はスムーズな方だが、障害が無いというわけではない。「万障を繰り合わせて」実現に向かっているのだ。
日付上昨日の8月18日は22時10分頃に一度目覚めた。8月17日21時前の短時間覚醒と同じく、原因には母親が絡んでいるが、今回の直接原因は弟である。何時からかは分からないが、その日の第2次母弟喧嘩が2階で始まって、弟が立てる激しい物音に加えて凶悪な脅し声も届いてくる。母親に対して実際に手を上げている可能性もあり、物騒なことこの上も無い。
先に「第2次」としたが、8月18日は既に物々しい喧嘩が1度、1Fリビングにて起きたのだ。それは15時頃に母親が買い物から帰ってきてその1時間以内のことである。この日の買い物は、弟も同行していたようで、後から耳鼻咽喉科の処方薬・1日1錠7日分の記載がある袋を見つけたが、それ以後にどこからか一人徒歩で帰ってきたようで、それが14時頃のことであった。喧嘩では「まずいんだよ!買ってくんな!」といった罵声が聞かれたが、一旦収まってからリビングに出てみると、件の処方薬の袋だとか、封の開いたポテチ袋もあり、中身が細かく砕かれていた。
買い物が長時間無いと、弟に不機嫌の傾向が出るようだが、買い物があったらよりキレやすくなるのだろうか。気になる騒乱の原因は、「ゴミの処理」らしい。弟がゴミとして、変わった物を出す、母親は買い物帰りに環境センターかどこか行政機関に問い合わせていた。その「ゴミ」とは、彼らの買い物中、たまたま弟の部屋に上がった際、ビニール袋にまとめられた恐竜・怪獣フィギュアを見た。袋の頭は縛られていて、妙な気持ちとなったが、これが関係していそうだと見ている。
ともあれ、冒頭における「万障」の所以がここに明かされた。母弟には頼むから、普通の会話をして、頼むから私を眠らせて欲しい。
ところで、母親が福井旅行時にホテルの部屋からくすねてきたティーバッグ「緑茶x2・ほうじ茶x2」があるが、8月17日にほうじ茶x1消費して、8月18日には残り3つ全て消費したようだ。私の去年11月以降のティーバッグ中毒でも、1日に3つ消費ということはあまりない。1つのバッグで私のムーミンカップ2~3杯分出している。そもそも普段お茶をあまり飲まない人が俄かにこれほど摂ることが極端で、まさか飲みたくないのに消費しきらねばならない理由があるのだろうか。旅行から帰ってきて2週間半経つ今更、どうしたかったのだろうか。
追記:本日は朝9時から16時台まで勉強詰めであって、一時は空腹も構わず休みなしで
既存記事の追記等に打ち込んでいたのだが、その後半の時間、実に4時間ほどは自室をふすまで隔てた先の空間でテレビを見続ける人間がいた。そのことを独り言でベラベラ言い始めると、その人物は不意に2階へと上がり、弟に「明日って21日でしょ?ソフビ、エレキングとか捨てる日」などと放言しているが、今日が19日であることからとんでもない日付感覚と見る。だがまあ、これであのビニール袋にまとめられた怪獣らの処遇も判明した。
17時5分以降母親が家の周りで掃除などを始めたのだが、7分頃に家の前を見覚えのある男女が通過した。これは10代の二人組み、学校生活で言う今年度1学期の時期にも平日の昼間に見かけた彼らはどんな間柄なのだろうか。健全な兄弟関係か不純な異性関係か。いずれも同じ方角に歩いていく様子のみだ。ちなみに掃除といえば、A家の婦人も今朝か昨夕にほうきで掃いていたが、同時に向かいT家の出入りがあった。A家婦人が私の母と見間違えられたりはしなかっただろうか。
2015/08/20今日は午前2時頃に意識があったのだが、自覚した直後に私の眠る1階自室物置に2階から直に届くような物騒な物音が轟いた。弟の怒りが混ざった声も聞こえた。意識が付いてからの偶然なのか、それとも私の意識が付いた原因がその前から続く母・弟のやり取りに起因するものなのか判然としないが、それからもう一度、小さくなった同種の音などが聞こえてくるともう何も騒々しさは無くなった。本当はもう少し寝ておきたかったのだが、理性では仕方がないと思いつつ、起きることとした。
朝4時過ぎに私のゴミを出したのだが、最初は時間選びに迷いがあった。やはりゴミ出しと自販機通いをセットにこなしつつある近頃では、どうしても暗くなり始めの頃か、明るくても人の少ない時間などにこだわってしまいがちだ。どちらも、自販機に寄り付く虫が少ないことから好機と定めているが、ゴミ出しについてそれは無関係の事柄であるため、その短い時間帯を狙う必要は何も無い。まして8月6日には、朝5時の明るんだ時間帯に家のドアを開けるとセミが飛んできたこともあり、むしろそれら時間帯を好まないで良いほどだ。その結論に至ってからは、すぐ実行に移った。帰って間もなく雨が降り始め、10分以内には止んだ。
朝5時半以降炊事や食事など随時終えたりもしたが、食器洗いをしている6時過ぎになって母親が2Fトイレを出た後、弟に「起きてる?じゃ今日出来そうだね、8時までに」と話しかけていた。無論、昨日の日記メモなどにも触れてきた「おもちゃのゴミ出し」あるいは、それは明日21日に出すとして今日20日は普通のゴミを出す日であり、どちらにしてもゴミ出しに関連した話題であろう。母親の過信・・・期待、というよりは信頼か、これは実に甘いし、本人も無用心だ。所以は何ん。
その朝8時になっても、ゴミ出しの動きはおろか、2階における人の動きも感じられない。よもや惰眠を貪っているということはあるまい。雨の日では9時頃に収集車が来ることも多いため、本日メモ執筆開始時間から数えて、間もなくタイムアウト・ゲームオーバーである。母親も、弟に信頼を向けるのはいいが、見守るだけ否、見守りもしないというのなら無責任が甚だしい。もしこれで出しそびれたら、無責任の母親が自分の非を省みず怒って、怒られた弟は母親の非を覚らず悔しがるだけで猛烈に反発するのだろうか・・・(邪推)。
何にせよ、早朝は二人とも起きていて互いに軽々しく言葉を交わすが、問題の時間までにはグーグー寝始めてしまうならば恐ろしいものだ、無用心の愚を知るべし。人間1時間放っておくとどうなるのか、母親の信頼はその道理を無視して知的障害の弟に重荷を載せてしまったことに他ならず、過信そのものだ。仮にゴミの回収に間に合うとしても、「8時までに」という期待は既に大いに外れてしまった。夏休みなど長期休暇の時でなければ実際に6時~7時半の登校までに出したりする。今日の声掛けも、その点の不安から行ったのかもしれないが、であれば手放しに安逸に浸らず、少しは監視すべきであろう。
このような締りの無い人間性の彼らを見ていると、憤懣やるかたない思いである。私は彼らに合わせて、あるいは自分の
完璧な計画を完遂すべく、昼夜逆転や夜昼逆転を自在にしている。彼らの狂った物音などが邪魔してこようとも、断じて達成せねばならない。毎日争いまくる割に、刹那的な安逸から気楽な素振りは多いが、愚人の最たるものだ。
ところで、9時8分に佐川の配達が来た。ここで母の次に弟が起き出して応答したが、奇跡的である。このような奇跡に救われてばかりでは、ますます堕落するだけである。入れ替わりで9時11分にゴミの回収が来た。私の部屋の窓を開け放っていたおかげで、2Fの彼らにも聞こえたようである。母親が弟に指示し、大きいゴミを抱えて収集車の後を追った弟は、手ぶらで帰ってきた。タッチの差で受け付けてもらえたらしい。佐川という奇跡的な助け舟、あるいは霊柩車となるのか、安堵ばかりでなく反省も必要である。弟のネット監視では、4時51分から止まっていた履歴が9時19分から進んでいるところ、やはり佐川が来るまで寝ていたのは疑いない。
2015/08/21本日は3時過ぎに起きた。3分の1サイズのラーメン、ムーミンカップ半分x2のシリアル、炊飯器蓋設置漏れで1合炊いた前日のご飯の残りなどを11時までに食べてきた。11時頃に母親から「おはようの挨拶」と称した干渉があったので、その際に本日6時に送信した品書きメール後半質問文の返答を請うたが、案の定読んでいないため、要旨を伝えて訊いた。その要旨とは、「1. 買い物の方針を示してほしい 2. 週1にするつもりか 3.その場合何曜日を定めるのか」ということで、2・3の答えは「買出し面倒臭い、決まりは無いが月・火になる」とのことであった。8月9日メモの通り、母親は仕事が無いと余事にも消極的となり、8月17日のメモの通り自堕落な生活となる。
12時頃に、ヤマトから大きめのダンボールの配達が来た。どのような品が届くのか知ることは大抵無いものだが、今後は食品を頼む可能性もありそうだ、と考察した。みな母のようにネットでの食品購入が増えたら、佐川とヤマトが肥大化する、需要に応じてAmazon等が独自の配送機関を設けるかもしれない、リアル店舗小売業の雇用が運送業に傾くな、と何となく恐怖を感じるが、それは食品配達に限らず佐川とヤマトが来る度に思うことだ。また、健康食品などでなければ私にも分配されて然るべき流れとなる。
そう思ったところ、品物の答えが12時50分頃に判明した。それはその時に私へ母からの干渉があり、食品を渡された際に「さっき到着した荷物の中身か」と訊いて母が肯定したところによる。渡された食品とは、謎のクッキー8枚(個包装)と、某スナック菓子である。母によれば、食品以外にも頼んだらしいが、具体的なことは聞き流してしまった。調べ直したところ、ビールらしい。
追記:どうにか21時台まで起き続けている。今日は午前中より当メモなど様々な作業を挟みつつ、とある調査をしてここまで過ごしてきた。その調査の詳細については後日
音楽館あたりに投稿する記事に約5,000文字で載ることと思う。その調査から一つ追究したい事柄が生まれたので、熱心に取り組んで、疲れや眠気を感じながらも色々と済ませた。こうして夜昼逆転は、連日の日記メモに見るごとく完遂へと向かうのである。
当記事注: ここで「約5,000文字」と示した範囲・・・即ち、その調査の詳細、レポートであるが、その箇所は間もなく6,000文字を超してしまった。
2015/08/22この日の日記メモは無いが、
同日投稿の本家ブログ記事に日記の要素が大いに込められている。
2015/08/23本日8月23日は前日夜に設定した4時50分のアラームの30分ほど前に意識が付き、10分前に体を起こした。つまり4時40分ころ起床となるが、やはり私の体内時計・・・くだらないようにも思うが、
7月2日の日記メモで同じ出来事を記録したように、過去にこういうことはよくある。却って、アラームの定刻に至っても意識が付きさえしないことも多く、この二極化というのはどういうわけなのか不可解だ。
前日そのようにアラームを設定したのは、風呂に入るという計画に基づいてのことだ。風呂(シャワシャン)の準備を進める間、炊飯が出来そうな状況に気付いたため、米研ぎも並行して行った。途中、母親が2Fトイレなど利用した後、1階に降りてきたため、私が「意味分からん」とつぶやくと「ごめんね私が1階の電気つけっぱなしに」と言い出し、2階に戻った。私はいつも作業する際物音を立てない。母親は私の物音に目を覚ましたわけではない。勝手にバラバラな生活をしているだけのようであることは例の通り。この干渉により、嫌な予感が尾を引く。
風呂に入る前、いつものように洗面台の鏡を見て、特に後ろ髪が気になった。出来るだけ全て後ろに流し伸ばしてみると、やはり長さが気になる。振り返れば、この半年ほど伸びていないような気がしてならない。
育毛剤はどれほど寄与しているのだろうか。海苔はどれほど寄与しているのだろうか。海苔についてはもちろん育毛を期待して摂っているわけではない。ただ、好悪何らかの影響はあるべきだろうと考えている。
風呂場から出る前に身体を整える・・・体や髪の水気を切る、払うなど行っている最中、母親が1階に降りてきて・・・何よりは炊飯器のことが心配であった。風呂場を出るまでいつも以上に水気払いを続けざるを得なかったが、母は一度2階に上がったりした。洗面所で体を拭く等している間にまた降りてきて、今度は庭に出て行った。庭にいる間に作業が済んだので神経を鋭敏にしながら廊下を通って自室に帰ってきた。
この後まあ、多々経過があったが、母親とのコミュニケーションにおける普遍的な問題についてメモする。まず、知らないだろうから示しているのに、それを不遜に感じてしまうらしい母は、いつも「知るわけないじゃん」とふんぞり返る。私が知らない人に事実を教える上で、勝手に悪く捉えてそういう返答ばかりする癖を母親は直すべきであろう、いな自覚すら無いように思うから、もう少し自他ことに自身の言動を事後に省みるのでもでもいいから、精査した方が良い。
他に直すべき会話上の悪癖は、不要に詳細な私事を並べる母に、私は話しが雑然としないよう「どうでもいい」と釘を刺すと、「どうでもよくないよ」と言い返すところである。ただ、これについては私の「どうでもいい」という口癖に似た(母親の口癖でもある。移った?)発言にも一部非があり、語彙が足りず、語弊があるようだ。要するに私が「どうでもいい」と発言する深層には、趣旨が理解できた点に因る。母親の主張したい感情・趣旨が伝わったら、それ以上の仔細は余分・冗長なのだから、それで終えることが出来る。私がその心情を前提に発する「どうでもいい」の語は、場合によって「あなたがそうしているという要点は分かったからいい」など、もう少し如実に言い換えたほうがよいのかもしれないので、以後実践できるならこれを念頭に置く。ちなみに、母親が「どうでもいい」と発する際の状況は私の場合と全く異なり、同語異義である。
追記:17時過ぎからラーメンの調理を始め、出来て、食べ始めてから5分ほどで蚊が目の前に現れた。どうも吸う蚊らしく、いくら払っても執拗に迫ってきたり、太ももの内側に止まったり、私が座布団から立ち上がってテーブルの前から離れ部屋の反対側に移ると、やはり時間差でついて来る。色々動き回って殺虫剤を乱射したりもしたが、「エアコン→私→蚊」の位置関係になったところで殺虫剤を噴射したあたりから見かけなくなった。蚊の死体が散逸して腐敗されても困るから、早急に見つけたい。
ところで、今日は風呂に入ったのは既述の通りだが、洗濯の問題で長袖の部屋着を着ていない。何でこういう時に蚊が現れるのか、ましてや食事中に手や腕を振ってみたり腕を動かして蚊を手に収め殺そうとしたり、部屋中動き惑うなど、控えたい。部屋に蚊が現れるのはもう2週間ほどないことであったのに、悪い衣服悪い食事時に現れるのは狂っている、陰謀だ。
調理前からトイレを我慢していて、おそらく最初に尿意を感じてから30分ほどは調理・食事・蚊の邪魔・何かの作業など続けていたのだが、全て落ち着いてトイレに行ける状況下になると、今度は邪魔なセールス(1度インターホンを鳴らしてすぐ去る丁寧型ピンポンダッシュ)が来た。また陰謀だ。すぐ去るパターンだから、弟が応答する10秒前には家の前を去っている。弟は母に「なんでもなかった!」と告げた。先述の「何かの作業」の中に、刺されて腫れて痒くなった箇所に塗り薬を塗布する行為が含まれるが、このおかげで20時頃には諸症状が概ね引いた。
2015/08/24本日は朝8時に起きたが、前日19時はゴミ出しと自販機通いを難なく済ませた。朝9時までに食事を行ったが、前日のご飯の残りを油揚げ麺のかけらをかけて食べた。炭水化物かけご飯おいしい。いつも通り、海苔に巻くなどして食べたりがメインだけど。味付けは、そのラーメンの粉末スープちょびちょび。
本日12時前、母・弟が車でどこかへ出掛けた。月曜日ということもあり、買出しであると予想されたので、予て問題視していたエアコンの掃除・前日メモでも触れた洗濯物などを処理すべく行動を開始した。余裕あらば
弟機で音楽関連の作業も行うつもりでいたが、間もなく12時10分頃、掃除に使った雑巾を洗っている最中に二人とも帰ってきた。
彼らはどうも「パン」を買いに行ったらしい。パンを買うのに弟が同行する理由も薄ければ、そもそも「買出し面倒臭い(8月21日メモ)」という母親が少しばかりパンを買うだけに車を走らせる理由がどこにあるのだろうか。パン屋などに行くことは、買出しの寄り道ならよくあることだ。本来すべき買出しを忽せにしてパン屋にだけ買いに行く母の自家撞着に呆れる。もし自家撞着でないとの反駁あらば「買出しは面倒だが、余事には吝かでない」ということだろうか、そんなやる気の本末顛倒による外出が災いして、私との摩擦を起こした。
母親は、私の行った作業にめくじらを立てるきらいがあるが、今回はいつも以上に大仰に取り立てた。母親が問題視している事柄について、私は自身の非を一部認め、母親の言うことを反芻したのだが、少し声が大きいことを不遜に感じるらしく、「黙れこぞう!」などと切断してくるが、あなたの主張に甘受・同意した旨を確認しても、こういう風に真っ向から反発するのは実に平常心に欠く。そもそも、この人が手放し・無根拠で私を信用したところの説明不足が最大の過失である。後から説明されてそれでも承服する息子の親思いをなぜ認めないのか。無根拠の信用でさえ愚昧なのに、それが裏切られた気になってこんな反応とは、親として世界最低ランクである。
この他、「ケンキョーフカイ」の論理を口頭で指弾しても、「不快じゃないよ!」と、分かったような顔で言い返してくる。「ケンキョー」が聞き取れず、「フカイ(付会)」を一字も合わない「不快」と聞き違えているようだ。言葉を知らないのに、その知らない言葉を借りるとは、己の無知を知らざる無恥であろう。分かったような顔で人の言葉を借りるのは慎んだ方がいい。
なお、「パン」を買いに行ったとする情報は、私が実際に見たのではなく、見たものは見慣れないデザインのビニール袋。実際は会話の終盤で母が「○○のパン捨てるからね!」と唐突に発したことに依る。頼んでもいないもの、求めてもいないものを引き合いに出して、それも事後にペナルティを課すなど、聞いているこちらは母が意図することと別の意味で驚いてしまう。冗談でも、パンを捨てるだとか幼稚な発想を私はしない。母の「捨てる」発言に呼応した弟が「俺が食べたい」と呟いたそうだが、母は「イヤ、捨てるものだから」と。終わったはずなのに無駄な独り言(私に向けているが、聞き返すと「あんたに関係ない独り言」だと本人が言って憚らない)を続けるのもいつもらしい悪癖である。
話が終わって数十分後に、物分りの悪い問いがされ、素直に応答した私だが、混乱・錯綜した母親にはそれとなく態度に表しても言葉に含みを持たせても伝わらず、直接意思を伝えてもごちゃごちゃ別の問い(既に聞かれたこと)を起こしてくる。母親にはいつも、自己分析と自覚が必要であるように思う私だが、こういう状態が慢性的な人にはどう伝えても手の施しようがない。特に、卑下の対象である息子に言われると全て遮断するなどで微塵も理解に及んでくれない。こういう点は「ガキ!」という発言に全て内包されている。
心理学だ、カウンセラーだ、の講座を受けるよりも、日々自身を深く捉え、他と相対し、冷静に正しい本質を見極めて向上すべきである。
追記:16時台にリビングを出入りしているとき、先週からテーブルに置かれていた弟用の耳鼻科の薬(8月19日メモ参照)、その袋が増えていた。すぐ繋がる事象があろう。今日の行き先は、パン屋のほかに弟を連れての耳鼻咽喉科通いのようだ。前回と同じ薬が14日分処方されている。薬の名前はエバスチンで、どういう症状の治療や改善を期待する代物か調べてみても、弟の状態と噛み合わなかった。そもそも耳鼻咽喉科と聞いて、弟の夏風邪などが連想されるが、実際にどれほど関連しているかは判然としない。
18時前のあたりか、母親の干渉があった。1度目は私がキッチン棚にあるパンの存在を示すと、弟の胃袋の中だなんて強弁していたが、その棚には20時現在も確かに有る。そこに有る物をそこに無いなどと思い込む時点で、顛倒した思考である。2度目には、「明日買い物に行くからなんか言って」と、要望を私に聞いてきたが、これも前の金曜日に送信したメールに書いてある、と伝えた。私は用意周到・・・人間性が優れていて、少しも間違わない。母親は未だに読まずしてわざわざ口頭で尋ねてきたのだ。その上、読みもしないで尋ねる行為は3週連続である。買出し面倒状態になって、全て鈍磨しているのではなかろうか。
2015/08/25本日は朝6時40分頃に起きた。昨日の21時半頃に下剤を1錠飲んでいる。意識が付いて直後の押し入れ内でも下腹部の違和感があった。実際に"出た"のは、朝食も挟んだ8時半頃である。朝食ではレトルトご飯の扱いで悲惨な事態に難儀したが、これは割愛する。ともあれ、寝る前の2錠で異常発現もあれば、寝る前1錠でも足りるであるとか、いくらか調査は進んでいる。今後も寝る前1錠で様子見となろう。
一つ良い傾向にあるかと思いたいが、やはりこの下剤ライフ(第2次大便秘期)の濫觴が、別しては
2014年11月19日の大量下血、総じてはその1週間ほど前からの腸の不調にあって、状態が並行に推移したら1周年を迎えてしまう。もちろんそれを重々危惧しているから、今日まで安易な下剤乱用を行わず、しかもこういった記録を厭わずに継続している。私が裏で記録しているところでは、2012年から「最後に下痢をした日」など取り始めており、
本来は便秘より下痢の症状が慢性的であり、日々悩まされているものだった。
追記:母親は以前だと夕に買出しに行くことも多かったが、近頃は10時~14時までには出る場合が多い。その中で、今日は夕方(17時半)になっても母親は買い物に行かない様子だ。否、今日は1日あまり動きを感じない。私が15時頃音楽関連の作業をしているとき、強風(
自室雨戸の音が酷い)と母がかけだした掃除機が二重苦であった。弟など、今日はほとんど食えていないのではないか。
それはともかく、「明日買い物に行く」という昨日の日記メモにも記録した発言のあるやり取りを無視するのか。出不精の重ね続ける母親のことだから、台風の影響で当地にも吹き荒れる強風に怖気づいたに違いない。まだ18時にもなっていないで今この追記を行っているが、今日はこれからも蓋し買出しに行かないことと思う。週に1度が定着しつつある中、しかも月曜日行かないならば遅れても火曜日だ、ということすら裏切る。今日の昼頃は家の前を何か大会の帰りっぽいJCが強風にさらされながら健気に自転車を漕いでいた。こんな日にも決行する屋外競技の市内or地方ブロック大会があるらしい。それは余談。
この追記を書く最中、17時51分にメールが届いたが、携帯電話を手に取る前から母だと分かる。予想通り、買い物中止の旨が書かれた内容だ。「食べ物、まだ、ありますか?大丈夫ですか?」などという文言はどうでもいいを越して鬱陶しいほどに思う。その感想だけを綴ってすぐさま返信した。食べ物については、次回の買い物の購入品を視野に入れ、消費するペースなどを調整している。そんな話を母にする必要など無い。
そもそも、昨日のメイン目的地の耳鼻科(診療どんな短時間?薬の処方だけ?)に対して無駄なパン屋通いを辞め、通常の買出しを行っていれば全て滞りなく、あの蟠りを起こさず済んだが、事前に台風の影響はあまり考えないでいたようであり、しかも当日になって影響の強さを知るや、この様である。私の怒りは義憤である。物質的な欲求が満たされないとかではなく、ただ母親が話を蔑ろにしたことが悔しくて、痛憤に堪えない。
2015/08/26本日は7時半過ぎに起床。食料不足の中、朝は自分の料理用(後述)に残しているクッキーをかじり、少量淹れた豆挽きドリップコーヒーを飲んだ。ほか、水を朝・昼と多めに飲んできて、先週火曜日(8月18日)の買出しによる牛乳2本の内、少量飲んできた1本も、本日の賞味期限切れに際して使いきった。
母の13時買出し行きの前あたりから音楽動画関連の作業が大詰めとなり、動画の編集・エンコードに、
音楽館記事文章の下書きをほぼ完成させるに至った。そして15時に母が買出しから帰ってきた。15時半になって受け取り催促をされたが、これを待つためにトイレを我慢し、それがずっと無いから部屋を発ってトイレに向かった矢先、催促が来るとは、嫌な予感の的中そのものだ。廊下における私の位置を示そうとも、「風呂の方(洗面所)かと思った」とあらぬ取り方をする母、この不条理で面倒な話に巻き込まれた。
買出し購入物として、予ての打診の結果に海苔ではなくふりかけ(それも大袋)が選ばれた。極端なことに、ご飯にかけるものとしてはレトルトカレーや焼き鳥缶詰(と納豆はいつも通りだが先週は無かった)など、充実している。普段海苔だけ買わせているのと、「海苔が嫌ならふりかけなどで頼む」というところからの結果がこれだと、私の意思が伝わっているかよりも、母がどういう思考でこの結果を選んだのかが気になる。いずれもラーメンにはほぼ使えないので、今週はご飯週間ということで、極力炊飯をしながら、レトルトの蓄えを崩す。
その他、シリアルはいつも通りとして、菓子はまた板チョコ(ガ○ナ)一つ。品書きは、ある時から「チョコ系の菓子」で念を押すことが多いが、チョコレートの塊は小学生の昔から無しの方針(実際に伝えたのは中3でこちらに来てからだろうか)なのに、それを忘れたのか知らないが、あるときから板チョコだけ、ということは多い。まして、ガ○ナは好きではない方だと直接伝えたこともあった。中1の時に毒入りバレンタイン作戦での使用に際して選んだハイ○ルクで板チョコのおいしさを知った。結局、板チョコ買いの再開以降、一度も不満を母に伝えていない、朴訥。1週間生き抜くのにシリアルさえない場合は発狂しているかもしれない。あるいは修行として、一度きり耐え抜いてみようとポジティブに堪えるかもしれない。
15時40分頃、クッキーのヨーグルト焼き、似非レアチーズケーキを作り始めたが、前回は7月7日(メモ参照)である。今回の使用クッキーは、金曜日到着の母注文品の中の一つであり、これを朝8時頃にかじった分では何の味に似ているかわからなかったが、料理前にもう一度かじると、それはメロンパンの表面に似ていると気付く。今回もほどよい焼き上がりで、ヨーグルトとよく合った。写真を撮る必要を感じなかったため、今回は撮っていないが、焼き上がりはいつも7月7日の例のようなものだと思ってくれればよい。
22時10分過ぎ、色々予定合わせが終わって今日最後のトイレに向かうと、直後に2階の動き・・・母親が弟に服薬の確認をしていた。急いでトイレでの作業を終えてドアに手を掛けたあたりで、母親が1階から降りてきた。入れ替わりで部屋の中に逃れて間もなく母親がわざわざ部屋のドアをノックして干渉してきた。ただでさえ予定を破壊する魔物が、もっと邪魔をしたいらしい。私はそんな母の干渉に猛反発して、すぐ話を終えようとしてもしつこく返す母親だが、数十秒で終わった。
こう書いてしまえば、自分の予定を母親にさえ壊されるのが嫌だという利己的な人間性だと私を評価する者もいるかもしれないが、きっとそういう高慢な人間なのかもしれない。だが、不要な干渉を不要だと思わず、畜生の如く漫然と浅慮のまま行動をし続ける愚昧な人間性の輩は、より低劣である。それで摩擦を起こすだけの人間が母だ。徳を下げる内容でも厭わず記録に残すのは、常に苦悩である。
2015/08/27http://www.youtube.com/watch?v=flY7hoWcrBg昨日の22時半以降、不快ながら必死に寝ようとして、悪い寝相で寝付いた。そして、不快感から目が覚めて数分後に新聞配達に回るバイクに気付き、携帯電話に手を伸ばすと、驚いたことにアラーム設定の1分前、3:29であった。8月23日にも、アラーム設定時刻の手前に目が覚めたことについて触れたばかりだ。
アラーム設定をしたというプロセスが、私の体内時計の目覚し機能に間接的に作用するとも、鳴らすアラームが直接役に立ったことは、ほぼ無い。アラームに気付いて目が覚めると、また眠り出す二度寝に入ったり、或いは鳴っているのも気付かないかそもそも鳴ってさえいないために、目的の時間に目を覚ますことなく超過する場合も多い。
それから4時までに炊飯ボタンを押す段階まで予定をこなした。5時までには食事なども済ませて、5時過ぎからだらだらと歯磨き・脱衣・自慰・風呂(シャワシャン)の順番で予定を消化し、風呂を出た後の身支度も7時までには済んだ。
歯磨きをしたあたりで、体重を測ったりもしたのだが、パンツ・肌着で食後の私に対して出された今回の数字は、44.50kgであった。この
体組成計においては初めて見かける44キロ台。数値を不審に思いつつ元の位置に体組成計を片付けたのだが、歯磨き後に再度測ると、下2桁の数字が入れ替わって45.40kg。更に測りなおすと、今度は44.80kgと出た。不安定に過ぎる。でもまあ、平均して約45キロであり、今後もそうであるのなら、最近投稿した動画も
「身長未詳(推定170cm) 体重46kg」というタイトルも書き換えた方がよいだろう。多く見積もっても46kgのつもりで当時そう書いたのだが、実際にもっと低いのだろう。
10時頃から、夏休みの課題かは不明だが、弟の草むしりが始まった。草むしりといえば、前の家では冬によく草を刈っては焚き火をしていた。それを父・施設帰りの弟ともに行ったのが2007年12月~2008年12月までの冬であり、2009年12月~2010年3月までの冬なら父と二人であっただろう。2010年12月などは既に家庭内別居も不登校も始まっていたから、一人で鎌を振りかざして「ヒャッハー!」気味に草刈をしていた。一人での焚き火の記憶は不明である。
夏に草刈などをするリスクは、酷暑と諸々の虫などが言わずとも知られる。活き活きとした草の茎は柔軟で丈夫だ。しかし、冬なら雑草も枯れているから刈りやすく根から抜きやすく、なお焚き火の火が起こりやすく、ベストである。家庭内別居期は2010年10月からだが、「一緒に焚き火しないか?」のような声掛けなどは一度も無かった。
母も話しているような放任もとい無関心の性質が強盛に復活した時期である。
12時頃、母親が起き出して、弟が草むしり終了(実際は庭の一隅をむしっただけ)の旨を告げると「そぉ?えらいねー!」とお決まりの台詞をフッと口に出していたが、刈った雑草をまとめた袋の置き場所など様々な問題から、いつも通り、否いつも以上の激しい喧嘩が勃発する。母親は現場を指示せず、敢えて知的障害の子を一人で好き勝手やらせて、少しでも問題があると激怒して止まない無責任な人間である。最初から放任するくらいなら、その程度は大目に見て誤りを改善するよう優しく教えればよいのに、放任もとい単なる早起きが面倒・生活バラバラの人間であって、心が狭いからそれが出来ない。放任するにしても実際は浅慮なだけである。問題があったら自分の非よりも、他人の目先の過失ばかり責めて、自分は反省をしない。
喧嘩の最中、弟はいつも以上に荒れて、1階・2階ともに幾度と轟音を立てていた。怒声の応酬も12時半頃には止んでしまったが、12時35分に用を足す折、洗面所の水音、風呂場であるが、どうも弟が風呂に入っているようだ。風呂の折戸は上部が損傷し、ガムテープ一枚が貼り付けられている。またしても母親は弟に破壊の因子を植え付けたらしい。これほどに悪しき親は、世界中そういない。つまらないことで自他共に徳を落としてしまうし、実子たる私もその範疇にある。故に孝子たれば啓蒙と諫言を臆することなく続けるべきだ。
13時50分以降、母と弟の会話が復活したので耳を傾けると、「外で遊ぶんだったら草むしりやってね」という話が以前からあったらしい。それで、朝から独断で草むしりをやった弟が、母親の意に反した作法で怒られるハメとなった。「やるにしてもまず私に相談して」とのことであり、これは8月17日にも「分からないなら聞けばいいのに」と同じ旨が聞かれた。その時も今回も、元はといえば、午前中グーグー寝ていて母親にあらざる人間性に起因しているのに、やはり自分の非に気付くこともない。少しは自分を観想した方がよい。
弟の14時32分の発言「こいつで殺してやろうかぁ!姉妹がぁ、三人になるぅ、ここに来てぇ!ここで消えろ!三人ともぉ!明日でみんなぁ!(姉妹とは愛知より遠く茨城に住む
母の妹2人)」ほか、14時頃に母親2階にハンマーを持ち込んで、6月21日(当該メモ参照)と同じく何かを修復するように20回近く叩いていた。
18時台にもまた、母と弟でゴミ袋の話で険悪となり、やかましいだけの争いが続いた。母親を脅す目的で物を持ち出したり振り回す弟に、怒りを混ぜた悲鳴を上げる母だが、母親が負傷するに至るのはごく稀であり、負傷したらしたで酷い痣を作って買い物行かない理由にするなどもある。それはともかく、今回も負傷しない通例の範疇であった。
18時40分台に母は1階に降りてきて作業を始めたのだが、弟が時間差で一度脅迫だけ降りてきてすぐ帰りもした。この作業では、唐揚げを作る予定で常温解凍に付していた鶏肉トレー2パックを片付けるなどが見られた。鶏の唐揚げといえば私が小4の頃までは母がよく作った料理であったが、小5別居以降に触れた
父親の料理では揚げ物全般が少なく、その分焼き魚と炒め物が主要だ。あの弟は今なら、私が小4当時の3兄弟分を、胃袋の容量的な意味では難なく食べられそうだ。こちらの家に来てから母の料理を見ても、唐揚げはほとんど作らなくなっていた。19時半頃、母がまた1階に降りてきたが、曰くつきのとある家具(三脚・一本柱の不安定なガラステーブル)を倒して大きな音を立て、不意のことだから私の心臓が止まりかける。
当記事注: 浦和に住んでいた頃の2005・06年にも、下の弟は父親の本棚のガラス製部分に大穴を穿ったことがある。この風呂の折戸がクリアな樹脂っぽい材質であるのに対して、あれは本物のガラスだから、破片が飛び散ったことと想像される。拳なのか物を用いての暴力なのかさえ覚えていない。後々、危険な損傷箇所はガムテープで補助された。あの本棚の表面は、左右に開くドアが2つ付き、そこに上下2つの窓が付く。左側のドアの上方窓の下部が損傷を受けているため、ガムテープ補助以後も、残ったガラスが外れそうに不安定である。実物は前の家にあって、詳細な確認はしづらいが、記憶としてはこのようであった。
2015/08/28今日は7時過ぎに起きたが、前日の予定ではアラーム設定で5時半のつもりであった。アラームはいつも2・3段階ほど鳴らし、今回なら5:40に2回目として保険をかけていたが、当然それにも気付くことはなかった。やはりアラームで起きることは叶わない。目が覚めることが無いか、目が覚めても気付かない。予定の時間に目が覚めても、アラームが鳴る直前。
計画遂行のため、急いで体を起こすと、右肩の痛みを感じるほか、後には尻の筋肉痛も感じる。起きてからさっさと昨日の炊飯の残り分のご飯を中心とした食事の準備を進め、8時までには茶碗を洗うなどしたところで2階の動きを感じたが、メモを書き始めた現在9時前まで誰も降りてこない。昨日21時半頃の会話では、今日は8時か9時に起きて母親が「市役所などに手続き」を取る外出をするそうであり、元は弟も連れるつもりだったが、その会話で一人で行くことが決まった。
母親は11時半に出掛けていったのだが、どうも風呂場に洗濯物が干されたままである。昨日の争いの中で、弟がやたらと洗濯物を増やすこと(幼少から直らない癖)についても叱られていたが、確かに洗濯物が多めだ。その中には昨日私が出した靴下・パンツ・肌着もある。出掛ける前に自室バルコニーに移動したらよいのではないかと思う。豊橋市内の当地付近ではにわか雨など、豊橋南部や三河山間部(豊田~奥三河)と比べてほとんど無く、この点を案じる必要は無い。洗濯物の衛生観念について、「30分で乾くとしても1・2時間は外でお日様の光や風に~」と力説するが、今回風呂に乾したままなのは、にわか雨を恐れてのことか、そうでない場合は洗濯物のことを顧みず外出したのであろうか。
2015/08/29
今日は5時過ぎに起きたが、前日の予定ではアラーム設定で6時半のつもりであった。どうも弟が1階で食事を取るにあたって、静かなドキュメンタリー番組を爆音で流していたようだ。弟が早朝に1階で食事を取るにも、こういうテレビ音量は滅多に無い。再度寝たかったが、この際起き続けてみてもよいと思い、二度寝だけはしないことを願って体を起こした。今回も今回でアラームが役に立たない結果となった。
毎日21時に予定があることをこの8月にメモに書いたが、それは2013年の途中から始まった習慣で、今回はこれを辞退して早めに眠りについてもよいし、耳栓を付ければなお効果的である。今の弱い体で17時間ほど起きていられる自信は無く、蓋然的に二度寝が起きると予想される。自分の生活を21時にある予定に合わせる必要は必ずしもあるわけではないため、眠りたければ19時に寝てもよい・・・そう考えたが、それで翌日朝5時に起きて日曜日21時・24時頃までにある予定をもこなすことはなお困難となるため、これをも辞退することとなる。風向きを見て適宜判断しよう。
起きて顔を水洗いして間もなくつけたPCは1度目の起動が狂っていた。MIDIシーケンサーは音源デバイスを読み込まず(これはよくある)、最初に作業するためのIEもトップページのGoogleさえ表示せず、アクセス以前の異常であった。手に負えずスタートメニューからログオフすると、デスクトップの画像とマウスホイール以外消えた状態で何の変化も見られなくなり、Ctrl+Alt+Delで表示した画面から再度ログオフを選んだら、速やかにログオフという結末だ。PCの異常はよくあっても、今回の例は初めてだ。2度目の起動は何事も無いかのように動き、
PCの異常を話題にした先の本家記事タイトル画像「因無し策無し禍根無し」の具足を現した。
6時頃はコーヒーを片手に、前日母が出掛けた折に買ってきて、私に分け与えられた2個のパンの残り1個を食べた。コーヒーという選択は、長時間起き続けるための布石である。その後も9時頃のご飯や14時頃のラーメンなど、ペットボトル緑茶をコップに注いで少しばかり喫んできた。コーヒーもお茶も、カフェインパワーに期待してのことだが、1年以上前のような節度無き飲み方を今はしないから、少量でも効果的に作用する。
19時台、いつも思うことだが、母親のテレビ観賞時にテレビ放映内容に向けられる言葉が寒気を催す。この時も、抑揚がない声で「えっ何、えっ何」と2度唱えていたのだから、慄然としてしまう。時折、あの
ばあさん牛久祖母の声と重なってしまうのも、母と母子の関係であるが故、無理ならず。何より、稀に取り憑かれたような狂い笑いがある時は、精神崩壊をも想起させる。
2015/08/30 (日記メモ未投稿。当記事で別途編纂)朝5時台に目覚めた。メモに書くことはないが、長い日曜日が始まろうとする(8月31日の日記メモを参照)。この8月30日は5時台から翌日1時近くまで起きていたが、体の弱い私としては長時間の活動だと言える。どうも、この頃「私としては長時間の活動」をする日が多く、「私の体としては」睡眠不足の傾向にあろう。
8月30日は12時以降また「草むしり」の話題がぶり返したようだ。昼食の料理前から始まり、料理がある程度進んだところで収まった。連日の雨で、刈った雑草をまとめた袋が不衛生であり、「まとめる必要なんかなかったんだよ」という。ほか、「何であんなとこむしったの?」と、むしらなくてよい、もとい敢えて雑草を伸ばしていた隅っこの箇所だけむしられたことについて責めた。母(庭いじりをしない人間)が所用で庭を出入りする際、邪魔となる草=庭の中央箇所をむしってもらいたいらしい。確かに私もあの一隅だけむしった意味がわからなかった。強いて言えば、弟の心理としてボーボーに生えた箇所をむしった方がよいとの発想だと推量する。母はあらかじめ、むしる箇所を指定していたそうだが、独断で始めた弟は何も母に尋ねず独創(母の表現)で遂行した。
昼食の間は一旦別の話題が続いて昼食の終わるあたりで険悪ムードから、また同じ話題を蒸し返した。「何で木曜日なんかに?私が風呂入っている間勝手に?」と問い詰めたが、この日の1度目のやり取りで済んだ問いを繰り返しているだけに不毛なことである。弟は「もういいそんな話題は!(倒置法)」と反発するので精一杯だ。ほか、草むしりを独断で始めた動機は「手伝い成果の小遣いが目当て」だと話していた。小遣い目的でやったと一度は分かっても、少し経てば「何で?何で?」と狂ったように同じ問いを続けて已まない。
17時20分頃、母親と弟がどこかから帰ってきた。間もなく聞こえた会話で買い物のように思ったが、しばらくすると険悪ムードに陥った。「ブランコ乗って泥だらけのズボン、まっくろけっけじゃん」等の母のセリフから、想像しがたくなったが、泥云々は、昼間のやり取りでも26日「止んでしまった」以降の弟の入浴を指して、「草むしりで泥んこ、風呂入りすぎで」と・・・これを読む人には脈絡が伝わらないことと思う。誰かの喧嘩の記録なんてそんなもんだ。
2015/08/31本日は6時50分過ぎに1度目が覚め、もう少し寝たくて寝たら、10時過ぎのこととなった。そもそも日記メモを投稿しなかった昨日は、朝5時台に雨が強く降る中に起きて、0時頃まで日曜特有の予定のため起き続けていた。私としては長時間の活動だと言える。
日付が回った本日31日の1時頃に寝始めて、最初に起きた7時前には母親と弟がリビングで何かしていたが、8月31日から始業式があるので、今日からが弟の登校日である。それを思って再度耳栓を付けて寝てみれば、耳栓は付いたまま(5時間以上寝ると体外は両耳とも外れる)10時過ぎに起きて、耳栓を外すと誰かの話し声が・・・最初はテレビだと思いたかったが、どう考えても声の位置がテレビでなく、母親の声らしきもの混ざり、起きたばかりの感覚ながら、会話内容で結局は母親と、8月26日の騒乱で損傷した風呂の折り戸について相談を受けた修理業者(去り際に見た姿は明らかなギャル風の若い女性と、60以上に見える白髪が多めの男性)だと分かる。元々母が業者に電話で相談する声は聴いていたが、それが今日来ることは知らなかった。
野暮な会話内容の詳細はともかく(お子さんは女の子ですか?子供が中3・実は今日から学校など、専ら破壊的問題児のこと)、朝7時前の起床で母・弟がリビングに居るという稀な状況(と前日の長時間活動を加味)から二度寝を決めたのに、ここでも人が居るのでは、二度寝なんて時間を無為に潰した惰眠でしかなくなる。以前もどこかで書いたが、起床後は口をゆすいで顔を水洗いする習慣があり、ましてや誰でも睡眠中は膀胱に尿がたまって、起きて20分以内には確実にトイレへ向かっているはずだ。トイレくらいなら、母・弟がリビングにいてもリビングのドアはしまり、廊下経由でいける。修理業者という赤の他人で、ましてやリビングドア閉まりのリビングで会話するならまだしも、廊下とも洗面所ともつかない場所では、水の出る場所のどこにも通り道が無い。
結局三度寝などする気は更々無いから起き続けるなかで、口をゆすぐことは部屋のケトルに溜め込んだ水で行い、これで凌いだ。口内の不快感をゆすいだ水は、外に吐き出してはならない。そのままゴクンと飲み、これも過酷(でもない)な状況を耐え抜く訓練の一環だと思うことにした。程なくして、修理をせず相談を受けただけの業者は帰っていったが、後日修理に来るという約束が交わされた上での退出となったのかは不明である。
16時15分まで3時間ほど、座り続けて勉強なり色々していて、ようやく息抜きに立ち上がってまずトイレへ(上時間内にも1度トイレへ行ったが)。続いてキッチンでの所用を済ませようとした矢先に、母親が1階から降りてきた。少しでも物欲を出すとこういう風になってしまう。先日反映した記事「
閑居求道者が隠棲覚者となる日まで」にも、「求財不利(ぐざいふり)」という境涯を明かしている。ほかキッチンでの所用とは、風雨の強かった8月30日朝、開けっ放しでキッチンに吹き込んだ雨に晒されて悲惨な状況となっており、私が愚昧な母の代わりに窓を閉めた際に掃除したら、木目調の材質ビニールか何かの小窓付近を拭った雑巾は真っ黒となっていたため、ついでに今そこを見直そうとも思っていた。
結局、キッチンでは指先を少し洗っただけで洗面所に逃げ込むこととなり、母親が大仰な反応をして一言絡まれ(用あるの、と言うがそんなの分かるし、俺にも用がある。後から現れて譲らない人)、いつもと違い
グチグチ小言は無かったが、この時は左膝に右膝を打撲したほか、右の平手でドアを叩いたり左手の親指付け根(手首の近く)を取っ手にぶつけて痛めた。部屋に入ってからもう一度話しかけられたが、私の応答も無いまま自分のペースで話し始めたので、大声で割った。これについても珍しくグチグチ小言は起きなかった。人が息抜きしようと過ごしている時に限って1階に降りてくる母親が私の機嫌を損なった元凶である。それについては不条理を起こして人間関係を破壊したがる運が悪いから何も咎めない。ただ、近頃多くなった、私の返事無きがままふすまを隔てた先でのマイペースな用件話し出しは、考え直すべきだ。
この後、テレビなど付け始めたが、長居を予想させる。少しの大声でも喉を悪くしたので、長期間放置しているのど飴を一つ舐めようと思った。案の定、包装紙の中で周りはやや溶けており、一見固形の箇所も、砂糖が分離し軟化していた。自室への飴の流入過程は複雑だ。
飴やガムは本来好まず、母親に釘を刺すこともあるが、一度緩むと2・3度連続で私に飴やガムを多く買い与え、なぜかチョコ系やスナック菓子を全く買わなくなるという落差だ。よってこの飴や、最近なんとか消費を始めた長期間開封済みのガム(表面のコーティングはぐにゃぐにゃ)や、未開封のガム・飴各種は望まれずに多く買われて、長期間放置されたままでいる。
母自身も大してガムや飴を好んでいないのに、俄かに買い出すことがあるのは何故か、そんな自分に何の疑いも無いのか。こういう感覚は鈍磨そのもので、一時的に麻痺はおろか誰かに操られているかのようだが、私の舌も今、麻痺とは言わないが、飴によってピリピリ感が残っている。別途、舌については昨日あたりに食べたおかゆで、左側が外見だけ火傷している(3月の某メモ写真のように)。「舌焼けず」の故事について考えていた時であったが、これから逆に考えると、舌を火傷しないように払った注意が最近解けていたとはいえ、舌を火傷するのは私が悪いこと言っているからなのだろうか?
22時50分頃、本日の作曲に再着手して間もなく、2階で巨大な物音が立った。発生源は蓋し弟の部屋であり、程なくして2階で弟の会話する声が聞こえ、直後には1階に降りてきてすぐまた2階に戻った。その辺りから母親がなぜか掃除機(片手で使うタイプだが音量は普通のものと変わらない)を掛け始めた。夜中に掃除機・・・これはたまにある。ともかく、ややもすれば物音・掃除機など、異様な二人で、私の作曲に雑念を交えたがる。悪運の極みだ。作曲作業の音は彼らに聴こえるはずもないが、彼らは作曲の邪魔をし続ける。元々静かだったのにね、集ストだらけ。実は8月25日にも、音楽関連の作業時に母親が掃除機(これは普通サイズ)を掛け出すことがあった(メモ参照)。
当記事注: 「以前もどこかで書いた」の箇所は、「確かに日記メモなどで書いたはずだが、どうせ2~7月までの既存まとめ記事の中に一つも見当たらないのだろう」という当然の帰結を予期しての表現である。メモ投稿後に事実確認をすると、やはり、「起きてすぐには口をゆすいで顔を洗い、前後不順でトイレに行くなどの習慣があるんだよ~」と伝えたメモが無く、本家ブログ記事日記追記にも無い。当然の帰結の予期は当たってしまった。無理やり探すと、4月24日メモ・6月26日メモからは断片的に窺える。しばらくして探しなおすと8月18日のメモに「日課である水での手洗い顔洗いと口ゆすぎを済ませる」とあるのを見つけた。