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心情(2024年12月):
・人は誰でも望まずして生み落とされて不可抗力的に自我意識が芽生え、「生きる理由」も「死ぬ理由」も客観的には存在しないが、主観的には見出すことができるので、私にとって「生きる理由」は「死ぬ理由」(自他の苦しみを無反省に増やすことが無いように早く死ぬこと)である。
・必要なことに集中して取り組み、まだ生きていてよいのか、死ぬに適した時期はいつかを注意している。
・「必要なこと」、「(死ぬまでに)やりたいこと」を手早く消化しつつ(実行はもちろん、行動前の見積もり段階で切り捨てることも含む)、あまり増やさないようにしている。
・精神的に執着する物体や思想のようなもの、および主張したいことを減らし、最小限にしている。
→必要性の高いこと、死ぬまでに済ませたいことの遂行に集中し、思想や主張を減らして普通に生きる個人でありたい。
※せめてこれだけは記させて。
近い将来、もしくは遠い将来、難局に直面するのであれば、相応の準備はしておきたい。
乗り越えねばならないにしても、あるいは潔く退かねばならないにしても。
「20歳までに死ぬのが妥当だった命」の私は長生きしすぎているので、後者か。
2024年のできごと代表「雨漏り部屋(発覚は2024年3月、発生は2023年)」 □ |
2024年開始の割合アクティブな活動 https://www.youtube.com/channel/UCqis_fyMLJD4QYUd2j9FegQ
多少、その活動に関連が深い範囲での文章の投稿もしている(リンク先のリンク先 note というサイトでは主に8月と9月に多めに投稿していた)。
心理的に負担を最小限にしていたが、それでさえも続けるのは、そろそろ難しそう。
先に「望まずして生み落とされ、生きる理由は死ぬ理由」と記しているが、この表現も個人的には2024年1月に使いはじめていた。
「必要なこと」、「(死ぬまでに)やりたいこと」を手早く消化しつつ、あまり増やさないようにしている。