2020年11月7日土曜日

マジで記事ネタが無いときの作文(2020年11月7日17時台)

任意の分野の専門家でない人にとって、学問と技術とそれらの産物とが、彼らの手に届く範囲がひろがりつつあり、可能なことが増えました。それでさえ、ローテクもハイテクも、巨視的であれ微視的であれ、その極みは今なお、専門家でない人に真似できないものとして高みにあります。つまり、その技術と時間とです。微視的なものは、専門家でない人の手で握る道具に、実現されない細かさと繊細さとがあります。巨視的なものは、専門家でない人の手で握る道具に、実現されない大きさと危険さとがあります。また、そういった技術の勉学と習得とに時間がかかります。極みは、これらの程度 (value, values) に関して、曲線的変化の弱まるあたりから限界方向を示します。このような高みがローテクにもハイテクにもあるので、専門家でない人には俄かに真似できなくございます。お金で頼むことは小学生の時に私は頻繁に思いつきましたが、それで多少、可能な範囲が増えます。ローテクもハイテクも。ムクリもコクリも。英語圏の人が少しむくりこくり (sukoshi mukuri-kokuri) であると思うに違いない彼らの単語は"skosh", "googly-moogly"です。日本人にとっても"skosh", "googly-moogly"はむくりこくりな英単語 (English words) であると思われます。"Great googly-moogly!" 高句麗蒙古遁げる(こくりもくりにげる, kokuri mokuri nigeru)?"googly-moogly"の起源は定かでありません。日本語と関係が無いともされます。中国語で「縁起 (Ja: engi; Zh: 緣起, 缘起; yuánqǐ, yuanqi)」とは、起源 (an origin) の意味でもあります。同義語または類義語並列の熟語でしょうか?または異なる意味の並列の熟語でしょうか?仏典にある仏教用語での意味は後者のようです;「縁って起こる」という複合動詞の名詞化のような解釈で。しかし、結局は玄奘三蔵以降に主流かした訳語の一つ。近代以降に日本で、パーリ仏典の訳でパティッチャサムッパーダ (paṭiccasamuppāda) とカタカナで記されても長いことから、やはり漢字の熟語で翻訳することは妥当でしょう。一方、江戸時代以降からか、縁起という意味は地理言語学的俗語化で、日本では他の意味が連想されやすいので、読み手が自助努力で仏典での意味を取ることにします。ああ、何という憶測での起源推定よ。「縁起」のおおもとの意味は「おおもと」、と(口で)言えば意味不明にさえ聞こえます。決して意味不明ではありません。そのまま、「『縁起』のおおもとの意味は『おおもと』」と理解していただきます。



はい、以上。
表題にいうようなものは、この通りになる。
後で微修正など、あるかもしれない。
韻を踏んだ、という意味での詩的な内容を期待している人には申し訳の無い文章である。



次のような謎の詩も記事のストックが無い時に作られていたので、ご覧になってほしい。
おおよそABAB押韻であり、音節数なども一定の区切りで整えられる。
日本語の「うた」であるが、和歌というよりは擬古文のポップな歌に向いている。

Nochi-no-oomidzuchi
higashini mizuabare, nishini hinote shigeshi. umino tookiwa kawakihate, tamino nagekiwa chinioteri.

のちのおほみづちNoti-no-ofomiduti
ひがしにみずあばれhigasi ni mizu abare
にしにひのてしげしnisi ni hinote sigesi
うみのとほきはかわきはてumi no tofoki fa kawaki-hate
たみのなげきは地におてりtami no nageki fa ti ni oteri

これは現在におけるとある大陸に見られる現象を歌っているが、じきに他の大陸でも起こるかもしれない。
政治的であろうか?いな、認知的事実の詩であるので、お気になさらず。



2020-11-01 『起床前や夢の時間に脳内で流れた音楽を自作曲にした6作、歌詞も含まれる』 https://www.youtube.com/watch?v=DyvJCNcSR0U


こちらは私が投稿したうちで最新の動画であるが、韻を踏んでいるなどの意思表示から、日本語歌詞にローマ字表記のみをあてている。

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