労働者福祉に関わる問題で私は「職業パフォーマンス障害 (disability on occupational performance)、または症候群」を持っていると自己診断しています。私が勤務することで、労働災害の危険性が高まる、欠勤が続く、能力が落ちる、など、職務に支障がでやすい業種は多いと思います。
私の職業パフォーマンス障害の具体的な特徴は次の通りです:
1. 虚弱体質、免疫力が低い;具体的には食中毒や副鼻腔炎の頭痛にかかりやすい;2022年5月9日のモデルナ3回目接種の後、2日間、体調不良になり、10日以上、早起きのできない状況に陥った
2. 幼少期から頭に頭皮切除手術後のハゲ(瘢痕性禿髪)があり、髪の毛は長くて最長130cm以上ある;加えて男性の平均的な長さより短くする意思はない
3. 基礎体力が低い
4. 慢性的なニキビ様の腫れ(吹き出物、尋常性痤瘡、面皰、粉瘤腫、表皮嚢胞、毛嚢炎)が発生しやすい;2021年から予防策を取り始めているが根治できる見込みはないし、気にしてQOLや作業の効率を悪くする
5. 体質として痰が絡みやすい;痰が絡んでいてもいなくても「声がきもい」と評される
6. 自律神経不全 (自律神経失調症; SSD, FND or FSS) や神経因性膀胱や腸閉塞ではないが、神経と関連の強い五臓六腑の問題を感じる;具体的には逆流性食道炎、頻繁な下血など
7. ひきこもり生活歴から社会的な経験が不足しており、対人関係が難しいと思われる
8. 統合失調症ではないが、喧嘩の多い家族や私を知る他人からの攻撃を受けることへの懸念から、普通の人が気にしなくてよいことを気にして生活している;防犯の注意や生活記録をまめに取る習慣などの必要性を感じる豊橋の家で社会生活は送りづらい、と思い、2022年10月に家出したし、2011年4月には埼玉の家からも出た経験がある
9. 独り言が多い上でそれを自制するのが困難;人前では基本的に自制することもできるが、刺激があると他人よりは言語的に反応する(つまり、ただの「わっ!」みたいな言語的に無意味な声以上に何かしら言う)可能性がある
10. 9のフラッシュバック版;特に病理的な例では、PTSDのようにトラウマ記憶がフラッシュバックすると、「愛知県 (在住=過去に住んだ埼玉県やインターネットでの経験に対比する)」などと声に出ることもあり、ひどいものでは「クズどもめ」、「死ね」とも→「フラッシュバック後冒涜独言障害」"post-flashback profanity [or coprolalia] soliloquy disorder", PFPSDと独自に呼び、インターネットに症例多数
11. 芸術や学問を重んじた経緯から、その関心を制御する必要のある職務の場合、精神的に不安定になる可能性がある;長年、絵と音楽の創作をしたことで絵や音楽に敏感だったり、無関係の業種で勤務することによって絵や音楽の幸福が薄まると退廃的になって職務に支障がでる可能性がある
12. 一昔前に言う性同一性障害の弱い程度でトランスジェンダー女性(加えて性的対象は女性)を自負する側面があり、男子トイレよりは衛生的な女子トイレを使いたい
13. 吃音または場面緘黙ではないが、認知能力の低下で言葉に詰まって返答が不正確になったり、早く答えようと不適切な答え方や悪い滑舌や早口になるなど、意思疎通が困難になる
14. 認知能力の低下で物忘れ傾向;PTSD相関の海馬萎縮か?
15. ADHDまたはASD, アスペルガー症候群ではないが、集中力が低い;原因は認知能力の低下や、芸術と学問の興味に起因するものと思われる
16. 何かと不運に遭う;同じ共同体の他の人ではありえないものから些細なものまで不幸なことが発生しやすい
17. する挨拶、される挨拶のどちらでも、挨拶恐怖症;エピソードは、埼玉の中学生時代に1つあり、愛知で11年の脱社会生活にも心理的にひきづり、2022年における人生2回目の家出以後にもあり
18. ICDやDSMに掲載のない、俗語「コミュ障」相当の心理的コミュニケーション障害;他人から、突然、「業務上の意味のあること以外と思われる何か」を言われると、身構えてしまう。言われた後、聞き取れても聞き取れなくても、理解に時間がかかる。返事の必要性が低いと思う限り、返事せずやりすごしたい。相手に、無視したかのように思わせ、それで気を悪くさせるのは、こちら側の気を悪くする。先輩ヅラみたいに細かいことまで指導したがり、反面、悩みごとを対等な目線で聞くことはしなさそうな人とは、最初から近づきたくない。もしサポステでも就労移行支援でも職業訓練でも、人の近くで勉強とか作業訓練なんてするならば、そういう恐怖もあって集中できないし、精神衛生を悪くする。職場などが多人数であるほど、各個人に対して態度にムラが出るおそれがある。私は、他人から「コイツ、アノコにデレデレだが俺には虫けらを見る目で冷たいな」とかの邪推を微塵もされたくない
19. 豊橋の家のときにも増して、小金井の宿泊施設ではタバコと食事と洗面所とトイレの臭いが気になり、自分の口臭までもが気になるほど、ニオイに敏感になった。知覚神経の機能が高まったというよりは、自己免疫疾患みたいな要領で五感や感情自覚が敏感になった。デリケート、ナイーブ症候群みたいな状態。周囲が仲のいい人たちでない分、俗に言うノイローゼ状態で休まらない→杉並区で一人暮らしをしていると忘れがちになるが、共同性の高い時間が長くなれば、こういう症状が強まりそう
20. 猥褻目的でないグレーゾーンの盗撮癖;上記8や10と近い背景から、私はするようになった→インターネットに症状を持つ個人多数あり、「動画記録生活障害」 "vlogging disorder" と独自に呼ぶ
21. センシティビティが高い、HSPじみている;コンビニなどの小売店や不動産仲介などの店舗で、店内放送や歌詞つきBGMやラジオが流れており、聴覚過敏のような状態に加え、その言語的情報が苦痛だからそういう職場に勤める気にならない。年々、外的情報へのセンシティビティが高くなっており、悪い意味で気にしすぎる。気疲れが多い。いわゆる普通の人かどうか分からない有象無象の他人たちの人間関係は理解しがたい
22. 自己愛性人格障害、反社会性人格障害ではないが、後天的で言語性の聴覚過敏?;雑談の多い職場は嫌だ。自分への陰口なんじゃないかと気になって集中しづらい。雑談にノリづらい私が話を振られても、ハブかれても嫌だ。「菌いじめ」を受けた小学校高学年の時からこの思いがある。自意識過剰とナルシシズムには限られない。当時は、世間の話題を学びまくって話をできる準備をしたが、実際に同級生たちからそういう話題を振られることは滅多に無かった。努力に対する他人からの評価は、相応の対価を持たない。自分で選べる限り、そういう雑談の機会が多い職場を避けて選びたい
23. 便利なものと情報通信技術を駆使したほうが私としては働きやすい;便利なもの依存症、本能機能低下、認知症予備軍、要介護リスク、フレイルなど関係なく、人は誰でも福祉の対象として今の流れに乗り、ゆっくりと滅亡するほうが望ましい、とさえ2023年の私は思っているから、私は労働生産性向上にも繋がるその方法を切望している
24. 15とほぼ同じだが、今の住居は少し強めの雨で断水するほど不幸。設備が改修されなそうなので、心理的にもろい私が普通の社会人と同じことをすると負担大。管理会社も最低限のことはするが誠意を感じづらい
これらのことからすると、私個人のDOPの質は、日本社会の包摂、インクルージョンの努力が足りていないことの裏返し [...]
[...]
[...] 日本語話者の、学歴神秘主義の幻視も甚だしい。私個人と無関係のスティグマも多い。いくらかの業種の、職務の遂行に支障がないのを、社会は差別している。ダイバーシティの範囲を広げて包摂がされきらない限り、無尽蔵に救われない個人たちを生み出すことになるので、救われないのは社会それ自身である。この状況のある間、または悪い記憶が続く間、私は自分の学歴も髪の長さも固定しておく。
リアルとネットの悪い記憶を起こさない環境に、数年いられれば、話は変わってくる。そんな特例優遇福祉制度を社会は用意していないので、とにかくやりたいことをやらせてもらえればそれでよい。もともと認知行動療法、メタ認知とかをセルフマネジメントで行えているが、一人暮らしになってから、思考への悪い刺激を回避しやすくなった。新たな刺激を回避する分、その悪い記憶たちがクローズアップされやすい。記憶解毒は時間がかかるから、そっとしといて。
[...]
2023-02-13起草、2023-**-**版;音読様式対応(非公開でない)→音読様式非対応
※初版は2022-02-nn起草
紙芝居か漫画「こんな職場はイヤだ」, a spin-off of the DOP 2023 □ |
人間関係の理解しがたいものに直面
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない。
この雑談は、言語的コミュニケーションのうちでも有機的なもの、かつ、しばしば内容が非建設的なものである。
私としても何か話を振られて回答しづらいフシを自覚しているのだが、その発生は立ち話みたいなものについてである。
私が、誰かともう少し回答してもらえやすい状況を作って雑談のようなことをしようとしても、相手は拒むに違いない。
それでいい。
誰か、絵を描く人でも、作曲する人でも、会社に属してようがいまいが(同人、フリーランス、個人事業主の小規模事業者)、3人組ボーカルユニットみたいなののプロデュースとかイメージイラスト提供とかをしていた。
こういうのは21世紀以降、あるあるだよね。
ピンク☆ピッグ☆オタクの夢だろ?
私の長きにわたる絵や作曲の活動にはそれがない。
それでいい。
仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談など、しがたいことである。
日常的な買い物、ちょっとした用事の移動時でも、雑談する人たちが何らかの場面で意味不明の笑い、私と無関係な不快な言葉(e.g., 側溝の硫黄化合物などの悪臭、ペンキにあるシンナー有機溶剤の臭いにおいなどに対するクサイ発言)を発するならば、それを聞くだけでも耐え難い。
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない状況が続くのであれば、他の物事も一事が万事みたいになってしまい、社会復帰とか一般就労とかを夢にも思わない。
日本生命社員と薬剤師という大卒両親(人脈狭い)に関係なく、生まれた3兄弟は普通の高校に一度も通っていない。
毎日新聞社員または寄稿した売文ライターどもよ、あんたらの尺度では、これが「下流の人」(Googleがそういう不快な題名の記事を検索結果に出して私は題名を見せつけられただけ)なんだろ?
彼ら上流の人からすれば、不可触民(カースト最底辺の外アンタッチャブル)、穢多非人(市農商工イヌ・ネコ以下)だろ?
「自分と、重要性の高い関係者のことで忙しい人が多いのは普通だ」、と思うか?
いくらかの人にとって、明らかにそうだし、年々、そういう「時間のない(という態度の)人」は増えているはずである。
反面、そうとみなすのは難しい種類の人たちこそ、街中で多く見られる。
なぜ仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談などしたり、時間を作って友達遊び(交友、交際)などができるのか…、と分からなくなってしまう。
任意の個人の関係者の集合には、個人ごとに水準のムラがある。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系の人たちである。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系ではない人たちである。
※「関係者の集合」とは?例えば、Aさんの関係者には、友人Bさん、片親Cさん、年上兄弟姉妹Dさん、Dさんの子Eさんがおり、誰もがAさんと連絡の取れる知己の人たちであれば、「関係者の集合」である。BさんないしEさんまでの4人には、Aさんの知り合い=関係者としての集団的結束があるのではないが、関係者という同じ属性を持つ個々のサンプルの集まりとして「集合」と呼んでいる。このうち、Bさんに対するDさんとEさんは、Bさんと会ったことがないし、連絡先も知れないというものであっても、同じ集合になっている。
私は好き好んでいくらかの人間関係を持ったのでなくとも、たまたま幼少期から前者の関係者の集合を持った。
「忙しい」ということを免罪符に言うのは好ましくない、と分かっている人でもそうでない人でも、とりあえず私の関係者の集合は、そういうもののようである。
同じ社会でも、そういう前者と後者との間で、大きな溝が彫られており、隔絶されている。
人間関係の理解しがたいものに直面した。
生まれる前から悪い運命に束縛されていたのだ、という思いを懐くしかない。
小学生の時から、結局は同じような状況が繰り返されている。
スピリチュアリズムや深層心理や社会科学に関する研究と省察を深めてどうにかなる問題でもない。
当たって砕けろでは、我が精神の自殺行為に等しい。
ケーススタディやリスクマネジメントを伴った学習と計画、実践は嫌いじゃない。
自然科学の不確定性はまだしも、人間社会の不確実性なんかゴメンだと思う。
起草日: 2023年6月6日
「人間関係の理解しがたいものに直面」の章を書いた日が、起草日に相当する。
このときの心理状態の勢いで、書いたものであり、なんというか、本気にしすぎないでください。
職業パフォーマンス障害 DOP の初版は、2022年2月。
6月12日:
東京しごとセンター(飯田橋)、ヤングコーナー、オンラインカウンセリング、初回登録受付シート(こちらをご提出後にオンラインサービスを受けられます。必ずご回答ください。):
オンラインカウンセリングのご予約を希望される方へ:どのようなことを相談したいですか?
(例:就活の進め方、応募書類の添削、面接対策、就活を進める上で〇〇が不安、等々)
私の現状(職業パフォーマンス障害または症候群)についての理解をいただき、労働者に対する合理的配慮や、あらゆる人への社会福祉の向上を第一とする職場があるのかどうか。
→飯田橋への訪問は、秋ごろといたします。
↑この判断は6月28日だったが、翌日、6月29日、福祉事務所ケースワーカーから「〇〇さんが、精神の不調などを訴えている立場で、まだ精神科の通院を始めないならば、こちらはそろそろ就労指導を始める」という趣旨の電話が入ったので、新居付近での精神科通院を優先することが確定した。
0 件のコメント:
コメントを投稿
当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。