2015年4月13日月曜日

日本語・漢字におけるBとMの発音の互換性「漢音・呉音と音便(訛り)」

例えば「美」は「美人(びじん)」というが、旧国名に「美作(みまさか)、美濃(みの)」、女性の名前(世代により男性にも)に「○美さん」など、多くが「び」ではなく「み」と発音される。
「母」も「父母(ふぼ)」というが、昔は「父母(ふも)」と発音され、同じく人名に「田母神(たもがみ)」などとその名残がある。
この「美」や「母」は、「び"bi"・ぼ"bo"」が漢音の読み方で、「み"mi"・も"mo"」が古風な呉音である。

この例は漢字の音読みであれば他にも「万」や「文」などがある。
「万」は多く「まん」との読みが用いられるが、「万物」「万年」など古くは漢音の「ばんぶつ・ばんねん」と読まれたが、この読みでは変換できない。
「万歳(ばんざい)」あたりは、かなり著名な例に挙げられる。
ちなみに、「万」を「まん」と読めば慣用音であって呉音は「もん」であるとされる(Wiktionary参照)が、「万=もん」の発音例は未知。
「文("ぶん"に対する"もん")」は「経文(きょうもん)」、「文字」などに残るが、後者は「もんじ」と読む場面もあり、使用頻度が上がる時代の中で「ん」だけ冗長とみなされ省かれたのだろう。
やはり人名などに「十文字(じゅうもんじ)」と残り、人名や地名にはこういった読み方がその命脈を保っていることは明確である。
漢音「ぶ○」が呉音「も○」となっている例は、「物("ぶつ"に対する"もつ")」が好例だ。

要するに、一般名詞は漢音"B"の発音が多く、固有名詞は呉音"M"の発音が多い。
呉音が主流であった時代に成立した固有名詞ならば、特徴が残りやすいのだろう。



漢字においては「漢音・呉音の差なら当然だ」と思われる博学な方もいるだろう。
続いて通常の日本語の名詞・動詞・形容詞に見られる例も挙げる。

まず、小学生の時に何かの漫画のセリフで「さぶい」という言葉があり、その時「『さぶい』って、『さむい』のことかな?ヘンなの~」と思った記憶がある。
これも口語表現などで今もどこかの方言に残っているのではないか。

「さむ・さぶ」は、例えば漢字だと「三」が、今では「さん」だが、以前も書いたよう、「ん」が「む」に互換された撥音便であり、かつては「さむ」と発音されていたことがわかる。
「三位(さんみ)」は、この「さむ」が「い」に呼応した連声の読み方だ。
人名では「三郎さん」などに「さぶ」が残っているが、他は算数の九九において「3*6=18(さぶろくじゅうはち)」というものもあっただろう。
※余談だが「晋三さん」の三(ぞう)は「さむ→さん→さう→連濁: ざう→ぞう」という変化であろう。

「む」や「ぶ」の訛りと見られるものは「被る(かむる)」や「煙(けぶり)」などもある。
「かたむく」と「かたぶく」に対する「かぶく」もこの例だろうか?
はっきり言えば、どっちから訛ったかは、現代の標準語を基準にするよりも、もっと昔の用例・・・文献や和歌などで判断すべきだろう。
すると、「かたぶく」などは古い用例がしっかりあり、標準語こそが後発のパターンも多く、寧ろ方言などに古い形が残っていることも多い。
結局源流からどう変化するかという違いであるから、何語が源流を継いでいたり、何弁が源流を継いでいたりするかはケース次第だろう。

ついでに、まだ載せてない動詞→えらむ(えらぶ)・とぶらう(とむらう)など。
「産毛・産湯・産土(うぶすな)」の"うぶ"も「産ぶ→産む」のように思える。
少し検索して出たページ→「バ行とマ行の音韻交替」
最も分かりやすい例で「さみしい・さびしい」があることに一向に気付けなかった。
「さぶい」以前の幼い頃の疑問でもあったはずだから、まさに灯台下暗し。



もう一度「漢音・呉音」の話題に入るが、今度は難易度も上がるか。
「馬」は漢音で「ば・ま」という読み方ができ、「ば」は例に挙げるまでもないが、「ま」は稀有で「絵馬(えま)」、「対馬(つしま)」などがある。
仏教関連にはよりマイナーな「め」という呉音の読み方が多く、それが「馬頭(めず・ばとう)」や「罵詈(めり・ばり)」である。
ここまで来ると、初見では一度で正しく読める領域ではない。

「馬頭」は「馬頭観音」に対し、「牛頭馬頭(ごずめず)」というものがある。
「罵詈」は「罵詈雑言」に対し、「悪口罵詈(あっくめり)」と一部仏教の読み方があるが、この「悪口(あっく)」は「あくく」の促音便である。
「わるぐち・あくこう」は訓読み・漢音読みだが、「あくく」は呉音であり、漢音・呉音が「こう・く」となる同様の漢字は「公・工・孔」ほど。
これは特に本題と関係ないので戻す。

この「馬(ま・ば・め)」系の類似例は「米(べい・まい)」であろう。
馬と同様、漢音と呉音とでBM互換があるのみならず、子音もAとEで変わっている(ただし順序がそれぞれ逆)。
「玄米・精米・白米」に対して「米寿・米飯・米国」などがあるが、前者と後者の単語群で「米」の位置が明確に違っていたり、前者は米そのものの状態を表すという特徴も共通している。

「まい」系は「売」「ばい・まい」=「焼売」や「売僧(まいす)」があり、後者は某学会などで僧侶(坊主)に対して「売国奴」と似たニュアンスの蔑称として用いられている。
それはしなくてもいい余談だし、「焼売」については載せると紛らわしい例である。
「売僧」についても、「僧」を「す」と発音する例は未知な上、漢音でも呉音でもない。



ここまでは「ば・ま」、「び・み」、「ぶ・む」、「ぼ・も」の例を挙げたが、「べ・め」が互換される例は真面目に考えても何も浮かばない。
当記事を執筆するに至ったのは、この4月12日までに1週間ほど毎日のようにこのBM互換を意識していたからで、この際記事にすべきだろうと思い立ったことにある。
今までに「べ・め」の例もきっと浮かんだかもしれないし、そうでもないかもしれない。
よってこれは自然に浮かぶまで放置する。

漢音と呉音の例は他に「木・目」が共に「ぼく・もく」の読みを有する。
「木」は「巨木(きょぼく)」に対し「樹木(じゅもく)」などがある。
「目」であるが、これは「もく」こそ多かれど、「ぼく」の例を一つも知らない。
検索しても「瞬目(しゅんぼく)」ほどしか見当たらないようだ。
と思ったが、みんな知ってる単語に「面目(めんぼく・めんもく)」があるではないか。

「没(ぼつ)」は、私に馴染んだ例に「穏没(おんもつ)」があるが、検索すると他に「没日(もつにち)」、「没薬(もつやく)」などが見つかった。
検索する前に浮かんだフレーズに「没苦海(もっくうかい)」があり、これは何か経文に使われていたイメージだったが、それらしいページは何もヒットせず。
※時間が経ってから「没在於苦海」だとわかった。

そろそろ簡単に羅列したい。
「漠」など「ばく・まく」=「砂漠・空漠」、同じ部首の字である「幕(まく)」は一般的にその読み方のままに日常的に使われる。
「漠」の部首「莫(ばく)」は経文で「諸悪莫作(しょあくまくさ)」とM音で読まれる。
「微」など「び・み」=「微妙(びみょう、経文ではみみょう)・微塵(みじん)」
「亡・望」など「ぼう・もう」=「亡」が音符の「望」は「願望(がんぼう)・所望(しょもう)」
ここまでにしよう。



続いて、とても「やまと」的な上級の例を出したい。
冒頭に挙げた「母」という字を用いた地名に「天母山」というものがある。
静岡側の富士山麓の山岳名で、これを知ったきっかけがまた某教団関連のネタであるが、これは「あんもやま」と読む。
「母=も」は既述の通りだが「天=あん」とは、「天(あま)」が「母(も)」に呼応して「ま」が撥音化したものと見てよい。
ちなみに某教団でセットに言われる「天生原(あもうがはら)」は、「天(あま)」と「生(う)」で「あまう」、これを歴史的仮名遣いに見られる「あう→おう」と訛ったものと見られる。
英語でも本来ラテン語等で"Au"が「アウ」と発音されていたのに、「オー」と訛った例が多いだろう。(アウグスト・オーギュスト、アウストラロピテクス・オーストラロイドなど)

他に漢字の音読みを伴わない例で「此度(こだみ)」というものがある。
これも「此の」で「の」が撥音化するも先例の「文字」と同じく「ん」が省かれ、「度=たび」が連濁並びにBM互換され「だみ」となった。
「度」については元から「度=たみ」であったと見るほうが、古語の法則より自然か。
だが改めてこの「此度(こだみ)」を検索してみたところ、私がこれを知るきっかけとなった某ユーザーさんの投稿以外には、江戸時代の著名な作品の他に用例が乏しい。
某ユーザーさんは、江戸時代が好きなお方であるから、当該作品は愛読しているか。
それはおいても、「此度(こだみ)」はあまり頭に止めなくてもよい。
また、このような単語は当該作品等読んでいると山ほど見つかるかもしれない。



最後に、「瞑る」について「つぶる」と「つむる」の私見。
どちらが先に生まれたかといえば、断定できない。
日本語もとい「やまとことば」という概念を以て考える私には、語根が「つぶ」なら、「潰す(つぶす)」と同様のものだと想像が出来る。
だが、この「潰す」行為を表す動詞が生まれた当時に「つむす」と呼ばれていたかもしれない。
どちらが先に生まれたかの判断は、由緒ある言い伝えなり文献なりに精通した学者でもない18歳の在野研究の私に下せるものではない。

注意点を一つ、この日本語に於ける「語根」は、例えば「なぐ」という発音から「薙ぐ」、「殴る」、「投げる(eru外して投ぐ)」が生まれていることなどが顕著だ。
いずれも、腕を大きく振り回す動作が共通しているだろう。



追記: 2015年5月4日
BとMの互換性について長く例などを挙げてきた当記事だが、ここではBとMの相似性について気づいたことを追記する。
動詞が助動詞に呼応して変化する上で、やはりB・M系統のみに見られる現象がある。
「遊ぶ」や「進む」という動詞に、接続助詞「て」を付けた形は、共に連用形を経て「遊びて・進みて」とするのではなく、「び・み」を「ん」に変え、接続助詞「て」を濁音化させる。
そして「遊んで・進んで」という通常の形が生まれるが、B・M以外では「死ぬ」等がある。
これらはいわゆる「撥音便」と呼ばれている。
動詞の連用形+接続助詞「て」の形で「撥音便」が起こるのは、B・M・Nの音の時だと。




2015年4月9日木曜日

髪切らずして5年経つ日が迫る

2010年8月より髪を切らなくなって、5年近く経つ。
5年といえば、私の人生の4分の1をも超す長さだ。
4分の1以上も髪を切らない人生とは、余人には想像し難い世界である。
相対的な時間の長さは一方的に増えるのだから、30歳までには人生の過半に達する。

逆に今から髪を伸ばす人なら、その年齢から+5年とは私ほど感覚的に長くはない。
ましてや、30歳を超える年の者ならば、これしきの時間など問題ではないはず。
その年で5年髪を伸ばすには、別の方向で色々と問題があるが・・・
環境的な制約とは、物理面(頭皮、毛根の意味)のみならず、当人の立場上、その立場に於ける「自由な容貌の限度」から逸脱してしまいかねない。
故に、私の立場ほどの自由度が必要になるが、髪を伸ばすためにそれをしたがる人間がどれほどいるか、その気概を持つ人間もいなければ、私自身も当初は伸ばしたくて伸ばしたのではない。
発端は頭髪の制限がない上に、髪を切るメリットも生まれないところから。

結局、30歳以上の人に伸ばしてもらっても、気持ち悪さに磨きがかかるだけか。
そこで、幼い子供たちに髪を伸ばすことを勧めたい。
可愛い頃から人材を育てる、これぞ各界普遍の専門家ならではの心意気だ。

活発な時期にあって不便な点は、運動の最中に抜けやすいことだろう。
当然、同時に抜ける本数も多ければかなり痛む。
最悪の場合、しばらくは目立つハゲも・・・
痛みも醜態も、幼い頃から経験し続ければ忍耐力と我慢強さが養われる。
その上、みんながハゲなら、いじめも差別もないのではないか(簡単な理屈)。

1歳から今日に至るまでハゲている私に比べれば、それほど物の数ではないことだろう。
ハゲアリヌイマノワタシニクラブレバ、アナタハモノノカズニアラザリ



4月2日、トイレにて項垂れた姿勢(肘・腕を腿に突き前屈みになる)をとると、髪の先端が床にべっとりと着いてしまう。
そんなことは自分で十二分に既知のことと存じ上げているものの、改まって不可抗力的になったこの状態を見れば、いつからかは確かな伸びを見せていることに気付ける。
一年と少し前であれば、同じ姿勢でも辛うじて付くや否やの程度である。

そこで髪を伸ばすことの展望も改めて述べたい。
端的に言えば「当面の間は切る予定が無い、可能な限り伸ばしたい」。

顧みると1年半ほど前なら、今の長さ(2015年4月・最長部80cm強)で届く部位から以下の部位に及ぶ長さは切ってしまい、それを維持するということがベストだとしていた。
先述の「トイレ」に関する要因(伸びた髪が悲惨な地に着く)がかなり強い。
過去の絵の練習記事でも、この考えを元に描いた9月24日の絵を載せている。
2014年9月当時にもなると、この辺の憂慮が残るくらいで、今と同等の「髪への意志」は既に持っていたはずである。



冒頭の2010年8月というと13歳半ほどの年齢だが、大聖人様は16歳で出家あそばされた(寺に入ったのは12歳)ので、頭髪に関する命運が反発している。
しかも私は出家ならぬ「父宅の家出」を2011年4月=14歳で敢行したため、この点も類似。
冒頭の一行目が自我偈訓読っぽいので「我2010年8月(平成廿二年八月庚寅)自り髪を切らなくなって来(このかた)経たる所諸の年数五年なり。」

先述の通り4月といえば18日を以て家出より4年が経つ。
前の家で自転車乗って微妙な地理感の保障される範囲で遊びまわっていた時間も今は昔。
こちらの家では遊ぶ金も場所も自転車もなく、鬢糸茶烟の感で思いを馳せるのみ。
根源である体力さえもないのではないか。

毎度のように対比されることは上の弟の現状。
今尚遊び呆けているか、その中で自転車は用いられているか。



2015年4月4日土曜日

横野真史のブログ文章記述理論

横野真史のブログは、2014年以降、毎度のように2,000文字を超す記事を送っている。
4,000~5,000文字超までもが稀に投稿される。
文字数が多いと読む時間も増えてしまい、億劫に思ってまともに読まない者もいるだろうが、それならばそれで良し。
長い文章であるが、タイプしながら余剰の表現などを推敲せんと、脳内で構築している。

即ち、冗長にならないための工夫がなされている。
※ページ端での改行を考慮した一行あたりの文字数というものも考慮している。
余剰の表現が省かれて尚、文字数が多いということは、密度が濃い上に豊かだといえる。

使用する語句も、イメージを端的に表現した物を選別する。
時に難解な場合もあるが、それはそれで読者の知らないものなら検索するか辞書を引くかで、また一つ教養が深まろう。
既にその語句を知っている者は、文章の理解が容易となるとも言う。

過去に何か同一事象を詳細に書いた記事あらば、当該の記述に適切な過去記事をリンクして、余分な説明を省略している。
同一事象に触れる際、逐一似たような説明を繰り返すより、過去記事を掘り出した方が、大切な記録の忘却も防げる(直接該当する文章を引用することもあった)。
私の記事投稿は伊達に行っているものではない。
活動以前の過去から、投稿当時の現在までの記録を大切に残している。
文意詳らかなれば、幾度も日の目を見よう。

記事リンクにより、回遊率を向上させる目的まで、一石二鳥だろう。
読者にも、「横野真史という人物はしっかり記録を取っていて、過去にも優れた記事を投稿している」という認識が生まれることまで加味すれば、それでまた多くの記事に目を通す。
あくまで、極一部の物分かりの良い読者に限りそうだが・・・

私は2010~2013年頃に、ネット上の人物の情報をやたら探ることが好きだった。
人物の過去の投稿、隠れている別サイトのアカウントや活動なども探り当てる。
2014年はいつからか、次第にその行為をやる頻度が減っていった。
勉強に時間を当て、それら「下らない行為」などは控えるよう自制したことは大きい。
この私自身が、少しでも興味を持った人間を調査するきらいがあったからこそ、読者諸君もファンの僭称とまでいかずとも、興味を持てば私の気概に少しでも感化されたい。

その過去記事というものが、つらつら2013年頃などを見返すに、敢えておかしな文体(キャラ作り)を多用していたようだ。
この点は同じ自分といえども、評価しがたいポイント。

愚蒙の輩、これを見るに本気で私を「馬鹿」だと思いき。
驕慢の輩、普く天下に満ち、邪鬼の跋扈せるやうなり。
ネットの事は即学校生活ぞかし、いづくに留まらんとも業が末に究まりぬるなり。

↑のように擬古文で書く頻度が2015年以降に激増するが、これを使用するタイミングは記事全体でバラバラではなく、一纏まりにするか、節目で挿入するかに留めてる。

通常の文章の語彙についてだが、これは語彙の豊富さを重視する反面、同一事象を指す場合はその都度異なる表現を氾濫させず、同一表現を用いる。
同一事象であるのに異なる表現を用いれば、異なる事象に触れてると誤解を生みかねない。
読み手に些細なれども、正しい理解をしてもらいたい上での配慮だ。
読み手の有無を問わず、書いた文章を自分が後々見返した時に混乱が生まれることもあるため、この部分も自ら防止することも・・・後付の理由じゃないよ。



粗方書きたいことは書いたはずだが、冒頭に「毎度のように2,000文字超」と能書きをした割に、この記事はその水準に達していない。
だが、どうでもいい情報を長々と書いて、帳尻合わせをするわけにもいかない。
「余剰の表現を省く」という理念を垂れたばかりに自ら反してしまいかねない。

文字数の参考として、当記事の一つ前の本家記事とメモ帳記事のリンクを載せる。
どちらも約3,000文字になったようだ。

本家→http://masashi.doorblog.jp/archives/43436304.html
メモ帳→http://lesbophilia.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html

上本家記事についてこちらに少し解説を書く。
例えば「過去にも書いた同一事象の説明にはその記事のリンクを載せる」という説明をしたが、この上記事でもリンク化テキストが散見されよう。
当該記事への移動をしてもらう手間が増えるかもしれないが、その同一事象の詳細に興味なくば御覧にならずともよい。



追記:2015年8月28日

この記事の途中の記述に加筆しようと思ったが、そういう行為は大概、前後の文脈などを深慮せねばならないから作業のしづらさこの上なく思う。
今回追記したいのは、記事前半にある「※ページ端での改行を考慮した一行あたりの文字数というものも考慮している。」という点だ。

ページ端での改行を考慮した一行あたりの文字数というものも考慮している。
一文字が余分なために自動で改行されるのは煩わしいため、Bloggerのエディタ両端が全角文字で約40~50文字の感覚で埋まることを考慮して文章を書き、メモ帳ブログのPCデザインも、同様の長さで両端が合うように揃えている。
よって、それを拘泥するようになった2015年に入るか入らないあたりの頃から、当ブログのデザインことにページ幅と文字サイズは迂闊にいじれなくなっている。
ページ幅は多くの環境での閲覧に配慮して、これ以上広げるのはあまりよくない。
文字サイズは今以上に大きくしたいとは思うが、ページ幅を変えない場合「ページ端の自動改行」を考慮した今までの文章の改行が乱されるし、ページ幅を大きくして文字数を大きくするのは、先述のようにこれ以上広げたくない考えから難しい。
このように些か頑固なようでもある状況に陥っていて、2015年以降に当メモ帳のテンプレートをいじったのは、せいぜいcontent箇所の灰色の濃度を落として、テキストの濃度を上げて文字色を明確に読みやすくした程度だ。



追記:2015年9月19日

ついでに、文法で今年のいつからか非常に気にするようになっているのは「している・していない」という現在進行形の「い」抜きや、一文中(文節)で「は・では・には・のは」等の助詞が重複しないようにするところである。
前者の「い抜き言葉」に関しては一般的に誰も問題視していないし、私も他人が使うだけなら問題視しないが、自分の文章はここらへんもキッチリさせたく思う、というより、今では「い」が入ることが自然に当然のセンスとなっている。
後者の「助詞重複表現」に関しては、例えば長い一文で重複助詞が離れていれば一見違和感が無いのだが、それを意味が変わらない程度に重複助詞を近づけると、誰の目にも息苦しい助詞の重複と感じられるから、このように位置を整然とすることで助詞の重複というのは見分けが付く。

以下略、別途記事を作成して9月24日に投稿したので参照されたい。
準体助詞の件 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/2015.html

2015年4月1日水曜日

散歩の砌に至る時、努々歩めや弛まじと

3月30日記。

4月を目前に控えた今、この頃は胸中で散歩せんとする論議がなされる。
さしたる散歩ルートの案もないが、理性だけが淡く「絶好の時、今まさに散歩の砌」として掻き立てている。
4月といえば、冬も明け寒暖の巡りあれど、日を選べば実行に適しているはずだ。
今や近所の公園でも桜が咲き誇る頃合ではないか。
6月にもなれば既に大きい蜂が忙しなく飛び交う墓場もある。
故に、ここで逡巡する間に、遠からず後悔する日へ達してしまうだろう。

今この文章を書いている暇に散歩を出来る者もいるはずだ。
朝7時であるが、散歩するにあたって好ましい天候である。
日陰に風が吹けば肌寒いこともあるだろうが、数少ない外出が冬でも悪風の夜・夜中ばかり(服装も部屋着)の私としては構わない。
※3月30日12時現在、いつものスウェットでかなり暖かく、某天気情報では豊橋の気温も好調で、風も少ないのだろう。朝9時頃、1Fリビング網戸に大きめの蚊が張り付いて前後運動をしていたが、こんな虫も早速覚醒してきたようだ。

それでも、突発的な経緯で実行することは控える。
散歩の計画は風呂というものも包含している。
みだりに放蕩して汚して、剰え洗濯・風呂が叶わないというわけにはいくまい。

結局、散歩の計画については、今尚も進ませておらず。
去年の秋ごろに色々思案したことと思うが、それも実現に向ける意思なし。
時が更けるまでに機運が高まることを願うのみ。
文に曰く「春眠不覚暁」、この機を逃せばいつに散歩できるか。

※2014年末、個人的な大掃除の最中、室内のみならず網戸や雨戸も全面的に掃除をすることを機が熟した頃合=春にでもやりたいと考えていたが、仕事を辞めた母親のもとでは、いつまでも実行できないだろう。外で遊ばず慎ましやかな私だが、外での善行も封じられた。よって掃除叶わざれば、散歩もまた能わずじまいか。



散歩を見据える近日の私の健康状態についても思索する。
いざ本番に体が言うことを聞かないのでは不埒だ。
どうにも肌の荒れ方が甚だしいが、入浴頻度は上げている。
良かれと思ってやることが医学的根拠なく裏目に出るのか、それとも思慮を絶するような医学的根拠に則してこのような結果が出るのか。
また、入浴頻度の緩急に関わらず、別の要因がこの問題を起こさしめているのか。

更に記30日と29日は、心臓の状態が不審である。
心拍が止まるだとか、形容がわからないものの、胸にしばしば違和感が生じる。
これはどう取っても心臓に起因するものと見ている。
心臓が原因とみなす場合、該当する日はコーヒー摂取量が多い(私の適量で3杯ほど)のだが、カフェインの多量摂取が強く絡んでいるのではないか、とも見ている。



幾度と書いてきたが、従兄(母の上の妹の息子)が心臓発作により25歳ほどで急逝したことと関連するのではないかと思わずにはいられない。
牽強付会の邪推になるかもしれないが、母方の祖父が60前後という若さで亡くなったことも、心臓の病に端を発し、従兄がその遺伝子を濃く引いて発現したと推測できる。
ばあさんの遺伝子は、体質なら凡そ正常だろう、体より危惧される部分が別にある。
今まで、従兄の夭折は祖母の害悪遺伝子が原因だと見ていたため新説である。
祖父母の話をすれば、あの祖父母でない方から優性遺伝してくれれば良かったと思う。
私~弟2人、他のいとこ等が一様にそうなってくれれば、みな苦しみも緩和された。
先天的要因、遺伝子の善悪問わずとも後天的要因が私の体質をより虚弱にさせていて、従兄のように夭折する危険性が高いことから不安は残る。

それにしても、既述の「コーヒーのカフェインパワー」を思い返すに、この従兄は後天的要因としてカフェイン多量摂取していた可能性があることも考えるべきか。
20代で急逝するなどは、生まれつき体が弱いと仮定しても、表向きに特段重病のない健常者であるなら、普通の生活をしている中でこのような頓死は起こりえない。
よほどの不摂生の祟りという点が濃厚ではないか。
だがそれこそ、生でツラを拝んでもない人間の食生活など知る術はない上に、カフェインの話を差し置き遺伝子説にしても・・・思考の整理がつかない。

突如として絶命したという彼だが、それ以前から叔母さんなどはこの従兄の健康状態を把握(定期診断など)できていたのだろうか?
まともに受けているなら未然の防止もできただろうに。
何にせよ、密接な人間関係であるのにそれを為しえない彼女らは不用心であり、亡くなった彼も他人と遊び呆ける前に己が病身を憂える用心も必要だった。

御金言を拝す「老少不定の境なれば、老いたるは先立ち若きは留まる。是れは順次の道理なり。歎きの中にもせめて思ひなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり若きは先立つ。されば恨みの至つて恨めしきは、幼くして親に先立つ子、嘆きの至つて歎かしきは、老いて子を先立つる親なり、是くの如く生死無常・老少不定の境、あだにはかなき世の中に、但昼夜に今生の貯をのみ思ひ朝夕に現在の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は何を以つてか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて実報寂光の仏土に至らんや」



そして日が明け、3月31日は朝4時過ぎ起床。
2時頃に起きる予定が狂ってしまったため、起きて急ぎで風呂に入り(毎度のことだが、お湯に浸かる行為は数年してない)、6時くらいには歯を磨く・髪を乾かす・育毛剤を付ける・爪を切る等の処理を済ませた。
腹ごしらえもないまま天気の良さに惚れて、そのまま散歩へ・・・
前半に「突発的な経緯での実行を避ける」ことを誓って変節か。

近所の公園の様子は遠くがモヤモヤ(以下写真よりモヤっぽさと芝生の緑が映える)。
写真を5点撮って帰宅するも、桜の花に近寄って観察することは忘れた。
遠目ではあるが、ほぼ満開と見てよいだろう。
桜の写真→http://www.panoramio.com/photo/118245198
昼が暖かい日も、まだ朝は寒い。
園内では手袋を外す時間も長く、帰って1時間経っても手から腕が冷える。
この1時間の内にシリアルを食べたが、温かい食べ物を敢えて食べなかった。

写真使用動画→http://www.youtube.com/watch?v=3a3d93qUtLA



カフェインパワーについて3月26日のメモ
「コーヒーと疲れ・・・カフェインパワーで延ばされた起床時間は、その長さに比例した疲れが蓄積する。起きている間は朦朧とした感覚に陥るが、これは眠気ではなく疲労に起因する。この疲労は、疲労感として自覚するものではない。疲労の発現が朦朧感として生ずる。よって作業の場合はその能率も落ちる。是が非でも起床時間を拡張させたい時にはコーヒーも大なり小なり有効と看做せる。そのカフェインパワー時間を作業に当てる場合、質を問わない作業には向くが、私のような創作活動では能率に響きやすい。本来の許容範囲を強引に突破する手法であるからだ。今この文章は、本来眠っている時間にコーヒーのカフェインパワーを自覚しながら書いている=文章能力に何かしらの影響があるかもしれない。」

要約:カフェインパワーは斯くなるものぞということで、この文章もまさにカフェインパワーによって強引に眠気を飛ばして書かれている以上、乱文の恐れがある。



ほか、2013年中にも、カフェインの恐怖を語ったことがあるので引用する。

横野真史 さんがYouTube動画にコメントしました。
一般公開で共有しました  -  2013/12/14

「私はコーヒーに含有されているカフェインで大量下血をした経験があります。他にも下痢、嘔吐感、眩暈など諸症状を誘発します。今日は、自動販売機のモンスターエナジーを買いました。初めて飲みましたが、今からが不安ですね。私が少量飲んだ程度で死んでしまうのは不本意です。アナイス・フォーニアさんは薬物中毒者のようで、これで死なずとも短命だったでしょう。」

2015年3月30日月曜日

東南アジアの言語のローマ字表記と漢字文化圏の影響

英語版Google地図等で東南アジアのあたりを見るに、2012年頃の私は「中国語同様、"n"の後ろに発音しない"g"(厳密には発音に些細な違いを生む)を付けた地名が多いな」と気付く。
「"n"の後ろに発音しない"g"」の代表例は"Beijing"や"Bangkok"など。
その特徴ある地名が見られた国は朝鮮半島や勿論、一部モンゴルも。
東南アジアはインドシナ3国(漢字の影響が強いベトナムをラオス・カンボジアと同種にみなすのは誤り?)とタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアなどであった。

一度国境を越えインドに渡れば、もはや中国語ピンイン的なスペリングは消える。
一方、我が国・日本は言うまでもなく"n+g"という綴りの地名などはない。
この点において、2012年当時は「日本語もインドの諸言語も、中国の言語的な影響は少ないか、或いは特有の独自性があるから」という見解に至った。
それから暫く、揺るがない通説になって落ち着いていた。
「日本は中国と文化的に異なっているはず」という、感情による後押しも大きい。



ところが最近これを思い返すと、どうも違うと気付く。
この頃は勉強も盛んであるから、当時より知識が著しく増え、違った見方が出やすい。
それは何か、「n+gの綴りが多いのは、西洋が『先に倣え』の如く中国式のローマナイゼーションをまだローマナイズドされてない言語に便宜的に取り入れて、それが浸透した」というものだ。

日本は先に西洋と言語的な交流を作った歴史があり、中国など別のアジアの国の形式とは別にローマ字化がされた為、性質の異なるローマ字表記が多いと見る。
またインドも、ピンインのような先例などない時からイギリスの統治などを受け、言語的な交流も生じ、これまた中国の例と別の表記(サンスクリットIASTなど)が与えられた。
インドが現在も英語に強く圧されず独自の文字を保っていることは傍証か。

タイはインドシナ3国と異なり、西洋の統治もなく中国とも少々異なる方向の国家であった上、言語的には本来文字などがサンスクリット系(いわゆる梵字、専門的にはブラーフミー系とかアブギダ系と言うそう)に疎通する。
にもかかわらず、中国に類似したローマナイゼーション(n+g等)がされたのはなぜかといえば、タイの学者自身が、中国の例を参考に西洋文字の互換を図ったのではないか。

インドネシアに至っては、地理的に中国から言語的影響など歴史上見られなさそうな国家。
まあ、言語の特性というのは何たら語族というのが端的な区分であるか。
これも現地の学者・政治家か、西洋の人が、中国の例からローマナイゼーションを行った。
ところがインドネシア語の"ng"の発音は、どうも"n"ではなく"g"の方が主体らしい。
それでも、私はこの綴りを採用すること自体が、やはり中国式に似せたと見ている。

マレーシア・ミャンマーまで解説するのは、省略しておく。
モンゴル含む"n+g"の綴りがある多くの言語ローマナイゼーションは、既述の言語と同様か。
※ここまでの文面は、信憑性の薄い話に終始してしまった。



続いて、日本語の音読みについての一考である。
当ブログでは去年7月より今まで、幾度と呉音に関する情報を記した。
日本語は漢字の音読みであっても、中国式のローマナイゼーションになることはない。
"ng"形はもちろん、"x"で"sh"のような発音の綴りもありえない。

近頃、仏教関連でサンスクリット等の音写の語句眺めていると、思うことがある。
今の中国語の発音などでは、サンスクリットの本来の発音から転写された漢字列など、原音から遠のいてしまうのではないか。
実例として、「釈迦牟尼」は「シャーキャムニ"Shakyamuni"」というサンスクリットの音写だが、これを今の中国語で素直に読むと「シジャムニ"Shijiamouni"」と、少し離れてしまう。
「仏陀」に至っては「ブッダ"Buddha"」と読まずに、「フォトゥオ"Fotuo"」とかけ離れる。
フォトゥオとブッダでは、母音にも子音にも共通点が何もない(強いて言えば、BとF、DとTなどの変化を、共に濁音でない状態に変化した類似性と看做せる)。
今の中国で、音写などの語句の場合、本来の読みでしっかり読んでくれるのだろうか?
※後日注、マレーシアの動画で中国語マンダリン楽曲がBGMに流れ、フォートゥオ(1:06)とかシ~ジャ~モオニ~フォ~(3:55、南无本师释迦牟尼佛と言っている)とかシジャモニフォー!とかと歌っていた(15年6月頃の記憶を15年9月になって辿っていて探しづらい)

一方、今の日本語の方が原音に近い発音をしているように思う。
日本語では漢字の読みが「漢音・呉音」に分かれているのだが、漢や呉の時代に類似した読み方を今に些細な変化はあれど、受け継がれている。
千数百年以上前にインドの僧侶などが音写した時代の発音と大きな差はなさそうだ。

対する今の中国は、音写された時代の発音を大きく変えたということは、様々な国家や民族の衝突や交流などにより薄れてしまったことを根拠とする。
標準的な中国語といえど、今の中華の言語的な源流は清の頃である。
清に至るまでの間が、様々な王朝などの鬩ぎ合いで異流同士の食い潰しの繰り返し(中国史は詳しくないため、勝手なイメージかもしれない)。
また日本語でも、平安・鎌倉時代までは文化あらば全国的に同等の文語・口語を持っていながら、今では多くの方言に分裂したように、中国語も標準的なものから方言まで分裂し、あの時代の名残は薄れたものと見る。
同時に言えることは、一部方言などは寧ろ発音に面影を残してる可能性もある。
色々と探して、私は広東語あたりが日本の音読みと共通点が多いと感じた。
それでも、目を丸くする読みがある。
朝鮮語などの漢字読みも、まだ日本語よりであった。

一部言語に仏典音写時代の面影は残っているが、中国の標準的なものは中国でありながらかつての中国に遠のいたものだと再確認する。
中国本土の「簡体字」などは、漢字文化破壊だとも評されることがある。
増殖した人民、多様な民族を抱える以上、教育には少しでも平易さが求められるところがあるのかもしれないが、象形・会意などの成り立ちが損なわれるのは確かに疑問だ。





謎のメモ

軟口蓋鼻音 Velar Nasal 鼻濁音 ng, ŋ (IPA表記) 尾子音 韻尾
アジア 地名 Asian place names, Toponym, Toponymy東京 とうきょう トーキョー tokyo, to kyo トンジン トンキン tongjing, tong jing ,donjing, dong jing
上海 シャンハイ shanhai, shan hai じょうかい jokai, jo kai, shanghai, shang hai
拼音 ピン音 Pinyin, ping yin

2015年3月27日金曜日

3月22日に「白癩」について色々と調べたこと

2015年3月8日、呵責謗法滅罪抄を拝読する中、「白癩病」という言葉が書いてあったので、何を指す言葉か調べたが、「ハンセン病」の古い名称とだけ、その時は知った。
同時に「霍乱」という言葉も同書から調べたが、奇しくも同日中に「病草紙」という絵巻も調べていて「霍乱の女」なる絵があることも知った。

過去にこの「病草紙」は、1月中あたりに「尻に穴多き男(痔瘻)」という絵を見て、衝撃を通り越し「非現実的」と印象を持ったのだが、この3月8日に気になってついに検索した。
というのも、慢性的な痔瘻に呆れていた私が、2月16日に痔瘻の構造「肛門小窩から管を通して体表へ繋がっている」ことを知って以降、どうにもこの絵が気になりだしていたからである。
要するに、痔瘻は直腸と繋がった管を通って尻の毛穴より膿が排出される仕組みだが、この「尻に穴多き男」は膿ではなく糞が漏れているのだ。
鎌倉時代初期でも、案外、医学的な根拠はあるのかもしれない。

※私の尻・臀部にある症状を、私は痔瘻だと思っているが、実際のところ、ニキビ的な腫れであり、正しくは「粉瘤」と呼ぶのかもしれない。未詳。



「病草紙」はさておくとして、今回はこの「白癩」と「ハンセン病」について2015年3月22日に調べたことをまとめたい。
3月半ば、とある創価学会員の有志(50代以上の男女数名)によるサイトの付属ブログを閲覧していたが、ハンセン病云々の記述があった。
その記事は、仏法と割と遠い芸能の話メインである。
この時私は「日蓮大聖人の御書で、ハンセン病=白癩がどう扱われているか、彼らはご存知か?」と思う反面、彼らはおろかまず自分自身があまり詳しくない。
この時に起こったこの疑問が、3月22日までずっと引っかかり続けていた。
※当該ブログでは密教由来の「臨兵・・・」について謗法の見地に立たず語っていたり、3.11を「忘れまじ」と言っていたが、動詞の連用形に助動詞"まじ"は文法的に付かないことなどを知らないのにかっこつけて使う。18歳無宗教の私より教学の浅い学会員だという印象を持った(私が浅学なのか?)。例えば密教由来の話を書くことが例え宗教面を含めたものでないとしても、公式に学会員という体裁なのだから、実に不適切な場面であるかを気づいたほうがいい。

3月22日1時過ぎに「國體護持塾」という組織のサイトにいつ以来だかアクセスをし、手始めに、最新のコラムを覗くことにした。
思わぬ人名「忍性」、「日蓮」を見て、体に電流が走るが如く瞠目した。
まさか神道よりの組織で、仏教の、それも鎌倉仏教の話があるとは予想し得ない。

しっかり読み進めると、この忍性さんが当時差別の強かったハンセン病の患者に対して嫌忌せず、数々の救済・奉仕を行ったと書いている。
同時に思い出したことは、「忍性=極楽寺良観が名利のために偽善活動をしていた」という日蓮御書の何かを参考にして書かれた某ページ。
同コラムでは浄土教の聖典「法事讃(中国・善導さんの書)」についても触れていたが、これも真宗大谷派が過去にハンセン病に関する謝罪声明を出していたこと(3月8日Wikipedia「無癩県運動」を見た時に頭の片隅に止めていた)と関係があるか、改めて調べたく思った。



このように私は、色々な前知識を残しながら、様々な因果の絡み合いを一つにまとめた。
軽い冗談で「ハンセン病とは、最近のトレンドなのか?」とも呟きながら。

私を含む若い世代の大半は、こういった古めかしい難病の類に興味を持たない。
教育現場で被差別部落問題などが示されても、あまり現実味がなく、子供の関心は皆無。
上学会員ブログの段でも書いたが、彼らが壮年・婦人部あたりの者であるなど加味して、少なくとも40歳以上の世代から関心が強まるのであろうか。

私は、現代の社会事情を鑑みるに、今時は先天的な知的障害こそ重要視すべきと唱える。
下の弟が当事者で、私が近縁の者だから興味が強いという点もあるが、事実ハンセン病患者の療養所云々は東本願寺の広報(?)にも「加速度的に閉鎖続く」とある(後年これを再確認したが記述がどこか不明なのでリンク先『真宗2014年8月号』を見る必要は無い。真宗という名のハンセン病広報誌か何かはリンク先がインターネットで最後の更新のようで以降の月号は見られない)。
一方の特別支援学校は、人口漸減地域や過疎地でも開校は相次いでる。
詳細は多くの過去記事で触れている。
少子化のご時世、世間の不安を尻目に、逆説的な増加を厳然と見せているではないか。
古めかしい難病よりも、晩産化に伴う広義の知的障害児の相対的・絶対的増加などは普遍的且つ深刻な問題だと、古い世代に一喝しておきたい。



余談も早々に切り上げ、調査した経緯について入る。
國體~さんのコラムに法華経の典拠で「普賢菩薩勧発品」がカッコ内に引かれていた。
まず、試しにその経文の有無や、日蓮さんの御書における記述を探した。
確かに普賢菩薩勧発品において「此人現世・得白癩病(此の人は現世に白癩の病を得ん)」という経文を見つけ出すことができた。
御書においても、複数の書に同文が引用されていることを確認。

色々と調べて、仏典や文献などから詳らかであるページはこれ。
   →http://www.geocities.jp/libell8/8byakurai.html
御書での用例も、他の書物の記述も、ページ下段に年表でまとまっている。
後に他に見たページで「題目が白癩病の薬」とあったような?の文証は、「撰時抄」にあった。
大聖人サマ~は、大慈大悲の主師親であるし、例え謗法の果報として発症するとされる病気にも、お題目の力で治さんとされるお心遣いをお持ちになっている。
もう一点留意されたいのは、同ページで「白癩」の多義性に関して重ね重ね綴られている点で、別の症状をハンセン病と混同した例や、何か重病などを単に「白癩」と呼称した例など、細かく分析されている。

続いて、浄土真宗の近年までの確執に関する調査。
このページを軽く目に通した。
   →http://www.mognet.org/hansen/japan/shinshu01.html
2ページ目まで速読していると、「親鸞聖人」や「証如上人」という表現が目に付く。
日蓮も忍性も叡尊も敬称略なのになぜだろうかと、本文の外を確認すると、この文章自体が浄土真宗本願寺派の人による著述だと知る。
また、同ページの記述は、2003年の冊子から引用したものであることも窺い知る。
筆者を別途検索すると、筆者自身のHPの他、「脱カルト協会」という、見覚えのある名前が。
これもつい今月知った機関であるが、学会員ブログを見た日と近い時期のこと。
その時に理事メンバーのページを眺めていて、「日蓮宗(代表者の所属する立正大学も身延派日蓮系の大学)・浄土真宗・キリスト教の人が多く、あるいは教団に入らない各界の専門家も起用しているのだろう」と感想を持った。
再度同ページを見ての通り、本願寺派筆者さんも理事メンバーに名を列ねている。



どうしてか、最近の勉強が一つに繋がってしまう。
俺が知る世界は狭いが、広くもある。
広い世界の真理を悟って、狭さを覚る。
いや俺、勉強のしすぎだよね、それはどうでもいいけど。
勉強して、こういう経験が慢心生んで増上慢たらしめちゃうよ~。

※大聖人サマが忍性(良観上人)を偽善であると非難した所以は、「生ける草をも切るな」と弟子に唆す割に、法華経の正法を弘めた日蓮によって生活が危ぶまれんとすれば他宗と共謀して権力者に讒訴するなどして流罪・死罪に陥れんとした為、と複数の御書から見られる。

他に日蓮系の話で、大石寺9世法主日有上人の癩検証の記事1・2ある。
真偽の判断は私にはしかねるが、これも最新2015年3月の記事のようなので一応リンクする。
日有上人の下部温泉湯治に関する他の情報はこれくらい。
またも初耳情報で「温泉宿でたくさんの子供を見た上人が一人弟子を取りたく願い入れると、宿主は嘘をつき、自分の子供はこの中の一人で残りは他所の子であると断ったら、その宿主の家系は子供が一人しかできなくなる。子孫の代が困った末に上人の墓参りをして先祖の嘘を懺悔したら、子沢山になった」という昔話が書いてあるが、どの文献が出所か気になる。
この時に申し出を受け入れ、子供を差し出そうとしても子供がみな連行されることを嫌がるか、偽らず正直に断っても堕地獄の業因となるのか。

それと3月26日23時、たまたまイタリア語に御書を翻訳してるブログ・サイト(SGI系?)を見つけたが、イタリア語をはじめ、英語などの外国語では「白癩」は如何に訳されるか。
そのまま「ハンセン病」と書けば、差別だとの誤解が生まれかねないため、別の言葉に置き換えてることは容易に想像がつくが・・・
調べてみると、英語版御書を掲載してるサイトには、呵責謗法滅罪抄と思しきページの対応する箇所に"White leprosy"とあった。





追記: 2015年5月25日
某学会員ブログの「忘れまじ(〇忘るまじ、現代語で忘れまい)」という文法的におかしな件について触れたが、この「忘れまじ」の起源はどうにもセンセー作詞の会歌か和歌らしいことを学会系怪文書見ているときに気付いた。
センセーは、3代会長就任時も「執り行わさせて頂きます」という言葉を発したが、これも「執り行わせて」でよく、「さ」は不要であったりするが、こっち系では「させて頂く」フレーズが定着しすぎて昭和30年代にも「さ入れ言葉」があったと見受けられる。



2015年3月24日火曜日

怜悧で尊大な小学生による、痛烈な裁きの喝破

G+における3月12、16日メモを原文に起草。

小学生の頃、咳(くしゃみ)や鼻水、腹痛などは割と頻発したものではないか。
殊に私は鼻水がティッシュ一箱300枚(構造上2枚で1組をなしているので150枚とも言う)なら、私一人で3日~1週間以内に使い切った時期もあっただろう。
尚且つ、一枚を余すことなく鼻水塗れにさせるほど使っても・・・

それは余談だが、これらの諸症状は一見、子供の場合取るに足らないものの、大人だと些事には思えないようだ。
嘗ての私も腹痛くらいは食後に稀にあったところで、下痢に至ることはなかった。
それが今では、下痢になる腹痛とならない腹痛の区別が付きやすくなるほどに下痢や便秘に悩み続けている。
多くの大人や今の私も少しばかり、腹痛の発現には当時以上に不安を強める。
「子供の身に起きようものなら上記の諸症状は恐ろしい」と思う大人が多いことも、今時の私から違和感が消えつつある。

教師等から大仰に身を案じられた際、子供の時の感覚に現在の言語的な装飾を加えれば、「これしき物の数ではない。それに子供であれば、幼児期より病原体を自身の防衛機能で御する経験の反復により、後々の免疫力を向上させることにもなる。稀に、反復させてもそれが叶わず、ただ生まれもって病弱のままに育つこともある」と言うのではないか。
その「病弱のまま」という人間は、今の私のことでもある。
咳や鼻水こそ昔の比ではないが、皮膚(ニキビ・痔瘻)や大腸(便秘・下痢)の問題は当時の自分が到底危惧し得ない領域である。

ちなみに鼻水といえば、2月のいつより、下の弟の鼻を啜る音がやたら聞こえるが、さながら豚の啜り泣きである。
あの弟の足音も豚並みで、アレの音も豚同然であるが、何をとっても豚に酷似している。



他に、嘗て返答に窮した類似の状況を思い出したので同様に書いてみる。
小4二学期、転校したての学校で、何かの薬を飲んだ時のこと。
職員室の隣の狭い部屋か、母親と男女教師1名ずつ居合わせていたのだろう。

紙コップに汲まれた水をまず僅かに口に含ませて錠剤を口に放る。
残りの水を口に流して飲み込む。
この一連の動作に男性教師(教頭?)は「変わった飲み方だね」と言う。
母親も、予期しない息子の行動に困った顔をしていたのだろうか。
その時は私も「そうか」という感想を持って、何らかの返答をしたのではないか。
その内容も、思ったような言葉にはならなかったはず。

もし、今の私の思考が介入すれば、こう返答する。
「一口目は、口内を潤す目的だ。確かに普段はこういう飲み方をしないことが多い。母親もそういう教育などは私にしてはおらず、不意に生じた自由意志であるが、私の流儀に余人が指図する権限はない」と怜悧に答えていただろう。
児童の身で教職員らにそんな尊大な対応がなせるのかは別の話。