2014年12月8日月曜日

人の家の前で利己的に雑談に耽るクソババアから垣間見る現代のモラル「傍若無人」

姦しい


2014年11月11日16時、私の家の前で高齢女性2名が立ち話を展開していた。
私の部屋に届く大きな声で交わされたやり取りは余りにも耳障りだった。
そのため、記録として証拠撮りをしたのが上の写真になる。

この写真を見ていただければ分かるとおり、我が家の方を向いている。
しかし、彼女らは我が家に用事があるわけでもないし、周辺の家にも結局立ち寄ったわけではなく、ただの通行人に過ぎない中で、我が家の前で立ち話をしていたのだ。
私としては、鬱陶しい声自体にしか意識が向かず、会話内容は歯牙にも掛けなかった為、何の話題が彼女らをそんなに白熱させ、我が家の前にて歩みを止めていたのかは知らない。
結局5分ほどこれが続いたようだった。

この件の概要はこんなところだが、このような高齢女性が酷く耳障りな声で話すことは最近1週間にも心当たりがある。
向かい隣の家は顕著なもので、他所から来たババアを連れた車が道路の真ん中で停車し、道を塞ぎながらそのババアが向かい隣のババアと大声で立ち話。
いい年して普通の会話に大声が出ることがある意味羨ましいが、控えてもらいたい。
連れの人間の車も、道路事情をしっかり鑑みてもらいたい。
この他、色々な場所で「クソババアの姦しい喋り」は私の耳を劈いた。


今の時代、「平成生まれ」や「ゆとり世代」という、生まれの時代で人格の判断をも決めてしまうような言葉が罷り通るが、人格の判断は「生まれた時代」という区分よりも「生きる時代」で区分した方がより的確ではないかと考えている。
例えば、近年は老人のモラルも疑われている。
私の身近はもちろんだが、社会全体なら「幼稚園(など)の運動会がうるさい」と騒音の苦情が全国で増加しているが、苦情を入れた本人は多くが老人である。
これだって、年齢が年齢だからそうする、などと安易に決め付けるのはよくない。
現代を生きる人間は、老若男女の垣根を越えてモラルが欠如している、こう取るべし。

現代だと高齢化といった絶対的なことが昔より増えてる要因かもしれないが、あくまで真実の一端に過ぎず、個々の平均的な教養性の悪化という相対的要因も重大だ。
現代の日本だから、先述のように「老若男女の垣根を越えてモラルが欠如」しているため、これから年を重ねるごとに一層その性質に拍車が掛かるだろう。
日本全体のみならず、私の近所でも「クソババアの姦しい喋り」が増加して、神経質が顕著になると思うと、今から憂いしかない。

「老人らしく寝たきりになれ」と言う気は毛頭ないが、年相応に出張らず、大人しくして頂こう。
老人とは「好々爺」というように、親しまれる状態こそ理想の姿だが、近年の老人はそれが乏しいようにしか感じられないのだ。
そして私の憂慮は、身辺の範疇にとどまらず、日本という国の近い将来にも波及しているが、やはり「濁悪の世」と称するに相応しい「人心の落魄」は見るに堪えない。



追記:2014年12月29日10時台

爺 迷惑 キチガイ 酔狂


近所の婆と他所の爺がどうしてか我が家の前で喋り、挙句会話が終わっても爺の車が10分ほど家の前に停まり続けた。
爺の外見は、帽子と長めのヒゲだが、クリスマスはもう終わったぞ。
本当に爺婆は他の邪魔な爺婆をおびき寄せる力があるものだな。

話し込んでる間は、婆がなぜか持ってた花束、それが我が家に向けて置かれていたが、あたかもここが交通事故現場で犠牲者が出たみたいな無礼さだ。
家に用がないのはもちろんだが、不躾にも左側の車輪が我が家の敷地内に乗り上げっぱなし(そうしなければ別の通行車に迷惑がかかるからなのだろうが、それなら不必要に我が家の前に居座るのはもっと問題だ)。
とことん悪事を極めていやがる。

この酔狂の開始ゴングは、車のブザーであったが、よくもまあ人を呼ぶ際に車のブザーを堂々と、躊躇いもなく鳴らそうと思えるね。
まさしく、モラルの欠如も甚だしい。

私はこの事態を前にして、特に当人達の前に出て干渉(咳払いなどで嫌悪感を仄めかし)することはせず、上の写真の如く密かに記録する程度にとどめた。
全く近所人と見知ってるような人間らに、こちらが嫌悪感を示したら、それだけでどんな仕打ちが待ってるかと思うと、そんな厄介事は御免蒙りたい。
本題にあるモラル欠如が顕著な、現代の哲学だろう。
卑しき者が蔓延してる世間では、誰がどう狂える者かも察しが付かない。
ならば「識者、訝しきに関わらず」という言葉で以て、様子見を決め込み、記録を取る。
こんな記録活動は良心の呵責もあるが、なぜ己を非として責めねばならない。

そして、こいつらの会話の直前までは雨が降っていたが、なぜ雨は止んだ。
俺は早朝、外に出ねばならない、この家の衛生上必要な作業(ゴミ出し)をせねばならないのに、こんな雨で妨害されたが、こいつらの無益な路上の立ち話には天は微笑んだのか。
こいつらが住宅街の狭い通りを塞いで通行車に迷惑をかけた、邪魔な存在でしかないし、この会話の有益性を問うなら、当人らの独善にしかならない。
天までもが乱れた世の中、今年8月以降だけでも広島の土砂崩れ、御嶽山の噴火、長野北部の震度6弱、九州までに渡る12月ではありえない大雪(豊橋は少しも降らなかったが)など振り返れば明白だ。

矍鑠たる好々爺の温情に触れる、子供達はその恩恵を与られない時代である。
これもまた濁世の現証、私もその犠牲者であった・・・。
現代は世代を超えて等しく尊敬すべからぬ者が跋扈しており、年上の者に敬意を持って接することは敬意を持った人の徳になっても、敬意を持たれる者が真に尊敬を受けるとは限らない。
誰かに敬意を持っても、面従腹背でいないと同質化しよう。

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