メタファッションの概要 (An Overview of Metafashion, Meta-fashion; Metamode, Métamode)
今回は「メタファッション」という便宜的な造語から「ファッション」についての客観的考察を披瀝する。
「ファッション(英語: fashion, 中英語では facioun とされる;「行為」に関する意味からの派生に fact もあるが、「作る行為」の側面でこちらは派生したという;究極的なラテン語の語源からの同根語 cognate または二重語 doublet に faction がある)」という概念には:
「流行(はやり、トレンド)」に関する意味合いと、「外観(見栄–みえ、お洒落–おしゃれ)」に関する意味合いなど、多様な文化的価値や背景が影響する。
前者に関しては、フランス語やイタリア語で対応する語彙の mode, moda がそのような意味を反映しているし、前置詞句または形容詞句の à la mode, alla moda (いわゆる「アラモード」)もよく知られる。
他には、「実用性」の対義語、という意味合いもある。
「メタ」は英語接頭辞 meta- であり、語源である古代ギリシャ語での接頭辞 μετα- や前置詞や副詞 μετά は「後ろ、背後」に関する意味(その他に多義あるがみな後述の意味と異なる)を持つものの、人文学系の英単語にある場合は形而上学"metaphysics"(物理的なものを超えていることの考察)の"meta"からの back-formation として「超越した~」という意味を持つ(メタ認知–metacognition、メタ言語–metalanguage などの派生語を持つ;この意味の接頭辞はギリシャ語系 hyper-, ラテン語系 super- が本来担う=スーパーファッション–superfashion)。
ここでは、自己の精神性と、他者との関係性の両面を気に掛けながら、簡単な概要を述べる。
一、ファッションそれ自体に関するファッション性
・ファッションに関係することは、ファッションまたはモードとしてどうなのか?(かっこいいか、ださいか?流行に乗っているか否か?)
;この言及対象のファッションは、人によって自由に捉えることができる。強いて言えば、服飾に関する:工業や商業などの産業に従事すること、消費者として高頻度に店舗に通うこと、イベントに参加すること、流行を追うことが、「ファッションに関係する」という簡明な行為である。それが、「ファッションまたはモードとしてどうなのか?(かっこいいか、ださいか?流行に乗っているか否か?)」という問いである。
;反対に、関係しないことは?
・ファッションに言及することは、ファッションまたはモードとしてどうなのか?(かっこいいか、ださいか?流行に乗っているか否か?)
;反対に、言及しないことは?
・ファッションに精神で注意を払うことは、ファッションまたはモードとしてどうなのか?(かっこいい、ださいか?流行に乗っているか否か?)
;反対に、精神で注意を払わないことは?
ファッション版の「身・口・意の三業」とでも言おう。
実益と虚栄とが逆転するかもしれない。
上記の3つ(ないし6つ)の問いは、日常的思考において多くの答えを持つことができる。
身近にある「客観的な理由」から、肯定的な答えにも否定的な答えにもなりうる。
メタ的であることは、それ自体を論証しようという無理な命題であり、また、思弁的であるため、その限りでは、上記の3つ(ないし6つ)の問いに関して「唯一の答え=無の答え」のみが与えられる。
cf., abyākata/avyākata (十無記/十難無記 En: ten unanswered questions; 典拠 パーリ経蔵:相応部・無記相応44.10経、中部63経)
二、ファッションの外側におけるファッションの要素
・社会正義:人権擁護(労働者の権利)、動物愛護、環境保護などの観点で好ましいメーカーや素材を選ぶかどうか、ということが自己の哲学性や他者との関係性に影響を及ぼすという観点
;「人や生き物の苦しみに繋がるぞ!」「リアル毛皮は許さぬ!」「ゴミの山を作るな!」とファストファッションにもハイブランドにも吠える人もいるはず cf., バングラデシュのダッカ県 (Dhaka District, Bangladesh) における史上最悪の犠牲者数のビル崩壊事故、衣料品–アパレルの製造業に関する国ごとの情報をまとめた統計の紹介 (by Sewport)、ポリエステル生地の概説 (by Sewport)(化学繊維と洗濯機での洗濯に関する水質汚染の話題も)、絹–シルク生地の概説 (by Sewport)、enwiki: Leather production processes (oldid=946318033) 、木綿–綿花栽培とアラル海 (Aral Sea) の水位減少
;この観点で積極的な人は:リサイクルに関して再生可能性、廃棄に関して生分解性のある製品が開発されることを期待する。次に、リベア–修理の可能な製品構造、設計や社会基盤を重要視する。民衆に対して有名メーカーと小売業者 (店名で言えば Zara, H&M, ユニクロなど) にまずは購入対象を限らせ、そこに社会的責任の追及の矛先を人々が向けるようにさせ、それらメーカーがどのような正義感による生産を行っているかできるだけ多く明確になるように請求する。多くの人は、比較的に問題性の低い天然素材(加えて自然派はオーガニックの栽培や加工を望む:化学物質をできるだけ少なくする方法)からの製造を選択する。天然素材の加工には化学物質を多く伴う場合があることは、上に示された通り。
;フタル酸エステル類のPVC(ポリ塩化ビニル樹脂)用の可塑剤 (1, 2, 3) について、「フタル酸フリー "phthalate-free"」という言明は、特に危険視される量の制限という規制対象の数種に関して不使用という意味か。この言明あるメーカーについて必ずしも製造の内実は定かでない。問題性については「内分泌攪乱物質(環境ホルモン)」が挙げられる。
;皮革製品は、その原皮 (rawhide) から鞣し–なめし (tanning) を行う際、特にクロムなめし (chrome: chromium(III) sulfate 三価クロム化合物の硫酸クロム(III) という化学物質を主に用いる) からの産業排水(皮革廃水)が工場に近接する川に流されることで水質汚染になるという。日本では恐らく排水処理の厳しい基準があると見られる(今井哲夫と名乗る人物の「皮革の特性」などを参照)が、そうでないバングラデシュなどでは水質汚染になるという。また、食肉の屠殺や寿命での死の後の副産物としてよりも主目的で皮を採取することが多いようである。何らかの合成皮革 (synthetic leather) をビーガンレザー (vegan leather) と呼びたい人は、同時に食生活もビーガンでありたい。合成皮革の流通量は多くが生分解性の無いものであろう。革に適した牛や豚の品種 (breeds) というものを私は聞いていない。毛皮=ファー (real fur) については、ここで別の話としたいが、よく聞かれるようにこれを主目的にする傾向が革=レザーよりも強い。屠殺の主目的になりやすいことでファーは、動物の福祉とクルエルティフリー (cruelty-free) という産業界でのラベルと相関性が高い。
;「タピオカミルクティー (bubble tea)」を含むテイクアウト飲料 (take-out, takeout drink/drinks) と「インスタ映え (insuta-bae, a Japanese slang for Instagram)、SNS映え」に関する話題には言及しない。食品や飲料やその他の、プラスチック容器や袋やストロー(および食器)を紙にする動きもあるが、ポイ捨てさえしないでおけば、まだ洗った後のプラスチック(合成樹脂)にリサイクル可能性があるとして、それら多くの紙製品は、主にポリエチレンのコーティングある"plastic-coated paper"というリサイクルが困難な例の一つ(紙ストローのコーティングで有毒な物質 3-MCPD が基準値を超えて検出されてリコールになった製品がアイルランドにある 1, 2, 3)であると嫌う人がいる。反対に、再生、リサイクル可能性についてはグリーンウォッシュ (greenwashing グリーンウォッシング) の欺瞞、ごまかしが多いと見る懐疑的主張もある。環境保護に関して実務者側自身が良いラベリングを行うことを、多くの民衆、消費者は見聞きしても、あまり詳細な説明を要求する考えにならない。現状では民衆の意識とか知識とかも、それに対する企業などの実務者の立場も、必ずしも必要の程度に及んでいない、と見てよい。洗うことの人件費と技術開発と設備の導入と種々の時間といった視点で、リサイクルの徹底は幻想的であり、教養層の中の少数の人の努力が輝かしいのみでは理想的な実現に達しないし、必要程度の普及も困難である、と見ようか。
;「日本のアパレル業界では洋服の供給量の半分以上が売れ残って廃棄処分されている」と語る者がいる。具体的な統計についてはこちらの方で未調査。私は色々な映像で大都市や生産地から遠い地域の少数民族や貧困地域の人でも比較的綺麗な洋服を着ている様子を見たので、「売れ残りの一部はそれらの人たちに寄付されたりしているのか?」と考えてしまう。実際、そういう取り組みが慈善事業や社会貢献という名目で行われているかは知らない。
;オーガニックコットン/リネンやフェアトレードなどというもので、どういう国の誰さんが栽培したかという「見える化、視覚化」というものがされることはあまりない。日本の農業では情報技術 (IT, information technology) で2000年代からQRコード(日本の発明品)による携帯電話での「生産者の顔が見える(額面通りに本人や家族の顔写真を載せる必要は無い)」情報表示などが少し普及したが、服飾においては下げ札(切り捨てタグ)や包装などにそういうものが付いてくることは無かった。なお、縫製その他、工場のものについては別の方法のウェブサイト掲載でどうぞ。綿や麻の用いられたワイシャツ(ドレスシャツ、カジュアルシャツ)のパッケージとかにそういうものがあってもよいのではないか、と頻繁に私は思うことがある。
;今は新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の世界的流行の影響を受けた世情(コロナ禍)にある。情報技術を駆使してヴァーチャル–バーチャルなファッションのシミュレーションを普及させ、手持ちの服や外出の服はみな高品質なものを少なく長期間に用いるという考え方が世間にあろうか。そのシミュレーションはPC, スマートフォンのアプリやウェブ上のツールなどであり、着せ替えゲーム感覚である。このために3DCGや画像処理などの知識と技能とを備えた情報系ファッションデザイナー人材が嘱望されよう(AI利用はそちらの専門家との協同になる)。3Dモデルと化した服にも、仮想された本来の繊維(バーチャル繊維)のタグ付けが望ましい。このシミュレーションは「人間/人類/文明バーチャル化を推進して結果的な少子化に寄与する」と非難を受けそうである。
;エシカルファッション (ethical fashion) を奉じる人々の学ぶべき基礎知識は多い。SDGs, 持続可能性 (sustainability サステイナビリティ、サステナビリティ;サステイナブル、サステナブル) と倫理の話題としては、他の産業分野にも多かれ少なかれ同じ話が可能である。
・服を愛して着るのみならず、自分で修繕することに吝かでないかどうか、ということが自己の哲学性や他者との関係性に影響を及ぼすという観点
;一般には:分業的生活の下に自分で修繕する時間とその学習時間が惜しいか、プロフェッショナルの人に出すお金が惜しいか、という即物的な側面で捉えられがち。
;露骨な「お直し」アピールの縫い目、つぎはぎ、パッチワークは、新しいファッションになるかもしれない。江戸時代に着物なり茶碗なりを手直しするという習慣(または町の職人による分業化)を私は幼少のころから知っていて精神的に影響されてきた。kimono のこういった物質的精神文化は知られていようか?「自分で修繕する時間とその学習時間が惜しい」という観点でスローファッションである。復古的な新時代のエコファッションかもしれない。これ見よがしDIY修理がファッションのアクセントになる。不合理の合理性について精神で研ぎ澄ます。経年劣化の生地の穴に見た突破口ではないか?
;私はいつか記したろう:何らかの仏教の僧団には僧侶個人が自分で袈裟を端材・廃材・お古から縫い合わせて作るか修繕する伝統があった(パーリ語の典籍で sīvana, sīveti などの語句がどう用いられるかは未調査)、と。
(私は)作業の最中(主に10時台において)、比丘は自ら裁縫をして袈裟(糞掃衣・ツギハギの衣・在家の人のボロ衣を縫い合わせる)を作ることや、修繕することを頭に浮かべた。その行為に「縫衣(ほうえ)」、「縫治(ほうじ)」といった表現がある。釈尊在世より比丘が行っていたようで、経・律・論・釈などに広く見られようか。日本では既に「分業」状態であったろうから、あまり袈裟を作ったり治したりという行為はなかったろう。官僧・貴族僧ともいうべき人は、絢爛・華美な衣などを賜り、丁重に扱うというかあまり破かずに済んだろうし、破けても専門家が修理(修治)することとなろう。
—2017年2月24日の日記メモ
これらは虚栄に虚栄を重ねたものと思い悩む人もいようか。
脱ファッションという名のファッション、新しい流行を追うことに疲れる人もいようか。
「人間やめたい」と感傷的になる人もいようか。
そうした時、仏教の典籍に見られるような釈尊在世のインドに「動物のように振舞う修行者」がいた(として記録された)状況が思い起こされる。
パーリ経蔵・中部57経"Kukkuravatikasutta"では、牛のようなプンナ (Puṇṇa), 犬のようなセーニヤ (Seniya) が登場し、釈尊との法話の後、懺悔して入信する。
形式上、現代インドにも全裸にサルの尾(しっぽアクセサリー)を付けて路上生活をする人などはいるが、説明的な資料としてまずはその仏教の典籍を参照されたい。
現代生活–モダンライフにおいては、ヌーディズム (nudism, naturism) のようなものが一種の止揚になっている。
ヌード・サブカルチャーに属する彼らの集団性は、メタファッションの懊悩から生じた異端の発想の疎外感を払拭させよう。
私は全く、その現代的裸族の生活を志していないが、メタファッションの懊悩を抱える者に提案可能な一つの生活様式–ライフスタイルであると思う。
仏教徒の場合、「尼乾子–ニガンタ (Nigaṇṭha) の如き裸形外道だ!在家と出家との関係が続いている限り、断じて推奨できぬ」と考えよう。
〇 筆者による自作文学に載る絵 |
芸術–アートに従来の認知的な「アートなること、アート性」が唾棄されるべきもののように扱われるコンテンポラリー・アートの現状について、私は2019年8月に執筆したこともある。
それらアーティストは、表現対象または表現結果に審美眼的良し悪しなどを求めたがらず、さしずめ「メタアート (metaart, meta-art; cf., リレーショナル・アート relational art)」の立場にある。
ファッションも、従来の認知的な「ファッションなること、ファッション性」が唾棄されるべきもののように扱われ、過渡期においては地球温暖化としての気候変動アピールでビジネスもTシャツ・短パン・サンダル(最暖月を含む夏季の降水量が少なくなりつつある欧州と南北アメリカ大陸の西海岸には最適;雨量が増える限り日本とアジアの東海岸は常用しづらい)をよしとし、段階的に「誰でも裸の王様」として民主主義の主張も兼ねたヌード・ファッションが成り立ちかねない。
2年ほど前から似たような考えを持っていたが、今、あえて記そう。
既成概念のスタイルを超えて適用される、メタファッションの考え方の例になる。
メタファッションは自己の精神と相談することがありうる。
これはスピリチュアルかもしれないし、独りよがりに思われるであろうが、十分に独創的で新時代を先導するものともなりうる。
私の記事は流行追っかけのようにも見えるので、後はやはり読者の「自己の精神との相談」が鍵になると私は言いたい。
環境保護の自助努力も実効性なく、既存の産業の雇用も減るので自己満足でしかないが、それが自己の一生の間の小さな努力としてスローライフの人には楽しく感じられよう。
どうか自己満足の気概で進んでいただきたい。
起草日:2020年8月21日
関連動画
2017-09-10 『部屋着ズボンの緩みを裁縫で直した』 https://www.youtube.com/watch?v=lU_ulOD0yF4
関連記事
2020-05-21 「思想のア・ラ・モード」に言及した記事 http://masashi.doorblog.jp/archives/54621651.html
2020-01-18 ポストモダン系の人文学と社会学の言説を批判した Fashionable Nonsense (fashionableという形容詞は英語とともに原著に相当するフランス語で"Imposture Intellectuelle"と題されるので知的欺瞞=「装う/繕う」という意味で理解され、「流行」の意味とはやや遠い)という著作を例示した記事 https://lesbophilia.blogspot.com/2020/01/une-equation-sexuee.html
CNN International のトップページに"Fashion, the climate crisis and you"という欄が掲載されている様子を2020年9月4日に見た。
そこでの見出しで、以下の記事が掲示されている:
Biodegradable T-shirts and the next generation of eco-friendly fabrics
https://edition.cnn.com/style/article/back-to-basics-natural-fabrics-sept/index.html
In numbers: The devastating impact of a $2.4 trillion fashion industry
https://edition.cnn.com/interactive/2020/09/style/fashion-in-numbers-sept/
'Most clothes can be recycled' and 8 other fashion myths
https://edition.cnn.com/style/article/common-myths-about-ethical-and-sustainable-fashion-sept/index.html
Why it makes a difference when you don't just throw your clothes away
https://edition.cnn.com/style/article/guide-old-clothes-sept/index.html
当記事の執筆行為と、上掲4記事は特に関連しないが、2020年8月17日に私はBBCの"Why clothes are so hard to recycle"という記事を閲覧したことがある。
https://www.bbc.com/future/article/20200710-why-clothes-are-so-hard-to-recycle
ファッションを満喫する人、語る人は数あれども、あまり「社会正義:人権擁護(労働者の権利)、動物愛護、環境保護などの観点」という倫理的/理性的見地での話題を持つことは無いと思う。
私自身は、そういう観点でアパレル産業の革新派や保守派の双方の主張(化学繊維など合成素材は善か悪か、天然素材は善か悪か、など本文中に両面は簡潔に示してある)を見聞きしつつ、双方に懐疑的な立場で検証することを好む。
中道=空は虚無主義になる面も、形而上学的「結論なき結論」を唱えやすい面も、何も論じないに等しい面もあるが、興味のあることがらに堅実な調査を行うことは、多くの分野でもう少し取り入れられたいと念願している。
〇 筆者による何らかの絵の練習記事 |
情報技術の駆使は、新型コロナ禍にあってシミュレーションの域を超えた価値=現実性を持っていると知られた。
ファッションにおいては既述の通りである。
石炭火力発電からの電気によるEV (electric vehicle, 電気自動車) や公共交通機関の電車、または石油由来の燃料による自動車などを用いてアウトドア活動を行わず、「家でアウトドア (indoor-outdoor, an outdoor recreation or activity in your house/homeindoor-outdoor, an )」という相反するカテゴリの単語が今では見事に一致する。
これは現時点でのエシカルの頂点でもある。
生態系を破壊せず(靴や服に付着した種子や微生物を濫りに運ばない)、ナイロンやポリエステルの糸くずとマイクロファイバー・マイクロプラスチックをばらまかず、動植物を乱さずにアウトドアということが、家で動画や写真を鑑賞することによって実現される(もともと観光していた人は現地の自然保護活動に寄付すればよい;人造キャンプ場の場合は別)。
ビデオゲーム (video game, metaverse メタバースを含む) とかVR (vertual reality, 仮想現実;特定の機能) とかGoogleストリートビューの類でもよい。
「サイバー (cyber), 無機的 (inorganic), ファスト (fast) なのでかえって人生としては非倫理的だ」という反対意見の想像もできる。
私の動画もインドアなアウトドア(物見遊山、花見、小さな冒険など豊富)が多いし、本当は身の回りの問題が無ければ私は屋外の活動も好きなタイプであったので、是非とも、私のエシカル・アウトドア満載な動画もご覧になってほしい。
追記:2020年12月5日
次のようなニュース記事が投稿されているので、引用する:
ファッション産業は紡績や染色の工程で大量の水を消費して汚染するほか、売れ残った服の大量廃棄が問題になるなど、環境への負荷が大きいと指摘されています。
しかし、日本企業による環境への影響については定量的なデータがほとんど把握されていないことから、環境省は近く、初めての実態調査を行うことを決めました。
— ファッション産業の環境への影響 初の実態調査へ 環境省 - NHK News Web. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201205/k10012747211000.html
はい。私の東洋式の語順の記事投稿 (2019-03-05) の後に日本政府や内閣の閣僚(当時の外相・河野太郎さんなど)が日本人の英語における姓名表記について言及したように、また、私の投稿の後で同じ話題を日本国の政治がする展開のようです。
追記:2020年12月16日
ファッション、アパレルは、業界として比較しやすいものに、「衣食住」の一部分を大きく占めるものとして「飲食業」がある。
飲食業は、生産とサービスとが等価である点や、日本では往年に大量廃棄が問題視される点で、服飾の業界に共通する。
反論で、大量廃棄は、飲食業からでなく、陳列棚の見栄えその他の理由で「小売業」から(i.e. 食品ロス)こそ多い、とも言われよう。
また、コロナ禍で打撃を受けた代表格である点も共通する。
これにしても「バーチャルグルメ、ヴァーチャルグルメ」などと呼びたくなるが、ファッションの場合ほど妥当にゆかない(グルメ料理シミュレーションをしても口に入ることなく、画像でSNSに公開するくらいしかない)。
人の世でどれほどコロナ禍の新常識がまかり通るかは未知数だが、現状からは倹約、禁欲、倫理意識が導かれる。
倫理の視座で、COVID-19の社会的危機が断罪すると見えるものは多い。
無論、それら業界に関わってきた人を罪人だと私は言いたくない。
私は単にひきこもり生活を続けるし、この日はまた一つ、私の生活の一部分が壊されたわけで、ますます閉塞感が私に高められている。
追記:2021年6月29日
そうですね、「お古」とは言っても、「中古」「古着」ということは言っていませんでした。
そういえば、3R (Reduce リデュース、Reuse リユース、 Recycle リサイクル) も聴かなくなりましたね。
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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。
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