今回は、実際に私が経験したことを、その記録の参照から、「条件付けの神経生理学」として解明するための試論を示そう。
個別の事例
もっとも有名な例:梅干しを見る/想像することによる唾液の発生。
これは、古今東西というか、それなりに古くから聞かれる。
ウメ Prunus mume の果実に限られるのかは、生物学と自然史の観点で議論を要する。
『法華経題目抄』(日蓮聖人):
師子の筋を琴の絃として一度奏すれば余の絃悉くきれ梅子のすき声をきけば口につたまりうるをう。世間の不思議すら是くの如し。況や法華経の不思議をや
『題目抄文段』(大石寺の日寛による『法華経題目抄』注釈書):
一、梅子のすき声を等文。
楞厳経第二に云く「醋梅を談説すれば口中に水出ず」云云。梅林は渇を止む。祖庭事苑第五巻、註に引く所の如し。また啓蒙の中に云云。
『大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經』巻第二(般剌蜜帝 Pāramiti 訳、インド言語の原典不明;関連情報は英語版Wikipedia - Śūraṅgama Sūtraを参照)
阿難。譬如、有人談説醋梅、口中水出。
パブロフの犬 (Pavlov's dog)。
専門化されて言うところの「古典的条件づけ (classical conditioning, Pavlovian conditioning)」。
私の生活の中では、次のようなものがある:
・ヨーグルト摂取後の便意
;乳酸菌などの細菌による作用を伴わない。明らかに胃にある段階、もしくは小腸の半ばに留まっている段階。
・チョコレートの見た目や香りを知覚することによる皮膚の痒み
;カカオマスの成分には、カフェイン、それと似たテオブロミンといった刺激的な生理活性のあるもの、更にはポリフェノール系の化合物が含まれる。また、加工食品としては、正体不明の「香料」や「乳化剤」(大豆ペプチド系とされる)が使われている。これらが痒みやニキビの原因になるという直截の証拠は無いが、私はチョコレート接種後に痒みやニキビの発生が有意に増えたと自覚している。そこから、「チョコレートを見ることによる皮膚の痒み」を感じる。例の"Dark chocolate exacerbates acne"論文 (1, 2) は臨床データからの結論を示しており、ここでは参考にしない。
・コーヒーの見た目や香りを知覚することによる頭痛
;急性カフェイン中毒などの症状として動悸や頭痛を感じた経験がある上で、カフェイン飲料、特にコーヒーに症状の原因を求めた後に、発生しやすい。
;カフェイン依存症の離脱症状(長めの期間を要する)、カフェイン禁断性頭痛については、ここで別物とみなす。
;仮説:コーヒーに夢中なバリスタがいるとして、その人が焙煎された大麦、麦茶 (roasted barley tea)、カッフェ・ドルゾ (caffè d'orzo) の濃く淹れられた飲料の見た目と香りを、コーヒーと違うものだと感じるのは難しいと思う。とりわけ、麦茶について意識しない生活の場合。これにミルクと砂糖で味をつけたもの (orzo latte) を味わっても、カフェオレやカフェラテとの違いを感じるのはさらに難しいと思う。味をつけていないものを飲むと、人により「どんな銘柄、どんな産地、どんな製法でこのようなコーヒーになるのか」と驚嘆するはずである;「おいしい」「まずい」のどちらの感想であっても。単純に濃い麦茶であるという正体であり、カフェインゼロでも、カフェインの作用機序と別の興奮作用がその人に発生する。バリスタ、コーヒーソムリエがどれほど生理学的刺激やコーヒーの化学を学んでいるかによれば、批判的思考で「キナ酸に由来する(と一般に信じられる)酸味が感じられないので、見た目と香りから得た先入観を排除し、コーヒーではない」と判断することになる。なお、麦茶以外のコーヒー代用品(代替品 coffee substitute)には、たんぽぽコーヒーがあり、原料になるタンポポ種 (Taraxacum officinale, およびほかの類似種 dandelion species) の根に含まれるクロロゲン酸(ヴァリエーション色々)は、コーヒーと同じく、熱でコーヒー酸とキナ酸とに分解されるようである(多分)。もしそうであれば、濃度にもよるが、コーヒーに近い風味になる。他には、キク科つながりのチコリー種 (Cichorium intybus) の根から作られる、チコリコーヒー (caffè di cicoria, 未焙煎の根に含まれるチコリ酸は、酒石酸にコーヒー酸2つがエステル結合した化合物) もある。歴史に詳しいバリスタ、コーヒーソムリエであれば、ヨーロッパ諸国で戦争や一時的な危機を背景に代用品が広く飲まれていたことを知っており、それを連想する。私が濃い麦茶で、話題の頭痛が発生するかは検証していない。
・膨張剤(ベーキングパウダー)の使われた食品の風味を知覚することによる嫌悪感
;濃度の高い重曹水、重曹を使いすぎた食品に関する記憶が強い間に、発生しやすい。
・尿のアンモニア臭(尿素 urea など)に対する敏感さ
;それなりの濃度の健康的な尿を飲んだ(飲尿)後に、発生しやすい。
これらを私は神経生理学的な対象として考察した。
「神経」と称しても、知覚神経から脳神経の種類までさまざまにあり、どの部分で過剰な反応をしたり、エラー信号のようなものを発するかは、個々に違いがあろう。
神経伝達物質は、ペプチド(2個以上のアミノ酸の脱水縮合したもの)などであるが、そういうものが何らかの刺激で発せられ、体のほかの器官の機能に影響するということが、まず、簡単な説明である。
食べ物Aを映像で見たり、特徴を詳細に想像すると、Aによる中毒症状のある人が、身体的にその症状を再現するか、正確に再現されなくとも脳内でフラッシュバックして幻の症状を感じる、という現象があるとしよう。
これが神経伝達物質の分泌(特に過剰分泌)によるものか、そのほかに原因があるのか、学術領域で研究されて報告されているようには見えない。
プラセボ (placebo, プラシーボ、偽薬効果)、ノセボ (nocebo, ノーシーボ、反偽薬効果)
薬学 (pharmacology)、臨床研究 (clinical research)、身体心理学 (somatic psychology) あたりの対象にされるかもしれない現象である。
偽薬を用いた治験は、すでに製薬業界(ワクチンを含む)で定着している。
プラセボのメカニズムについての仮説には、古典的条件付けから導入されるものもある。
他には、"neural top–down control of physiology" (生理学の神経トップダウン制御) から導入されるものもある。
プラセボに関しては、任意の医薬品(特定の化合物が有効成分である何か)が飲まれた結果の効果の経験が無くても、「これを飲めば(服用すれば)よくなる」というポジティブな期待が神経機能から生理的に奏効するのではないか、とも考えられる。
そう仮定すると、古典的条件づけのような学習と別のメカニズムである。
とはいえ、神経生理学的な原理があるように私は思っている。
または、神経内分泌学 (neuroendocrinology) か。
精神衛生が、自律神経系(交感神経系と副交感神経系)に重要な関係を持ち、実際に精神的にネガティブな状態は五臓六腑などの病状として悪影響をおよぼすことがよく知られている。
総合的に考えると、こういう切り口で、どこからどこまで実際につながるかが、はっきりとしない。
起草日:2022年4月25日
離脱症状 (withdrawal symptoms, 禁断症状) は神経生理学的対象 (neurophysiological object) か?
直感的には、物理的な神経に関わりそうなものと、精神的な神経(脳の皮質)に関わりそうなものの2種類がある、と私は感じた。
アルコールもといエタノール (ethanol) は、医薬品というよりもエタン (ethane) の末端がヒドロキシ基であるように単純な化合物であるが、これは現にアルコール依存症を呈する個人から離脱することで、中枢神経系の離脱症状(いろいろ)が発生する。
アルコール離脱症候群 (alcohol withdrawal syndrome, AWS) と呼ばれる。
これは薬学と生理学でいう物理的な作用機序 (mechanism) に相当する。
もし、何らかの理由で抗アンドロゲン剤やエストロゲン製剤を飲む人がおり、何らかの症状が出た場合は?
もともと持っている身体的な病気(性ホルモンの異常分泌)の症状が医薬品で緩和されていたところ、復活した場合、単純に、その人にとって本来の身体的な現象が発生したというものであり、離脱症状ではなかろう。
しかし、精神的な依存性でその医薬品を服用し続け、ドクターストップで止められた場合、明らかに強めの心理的な依存症 (psychological dependence; addiction, 嗜癖) であり、ほしいと強く思って不快感や頭痛などの症状を起こすのであれば、精神的な離脱症状である。
その人は薬物(抗ホル剤、タイ製などのジェネリック輸入物)によって女性化 (忌憚なく言えば薬物去勢、化学的去勢 chemical castration) 望んでいた。
こうしたとき、その心理的な離脱症状は、ICD-11で削除されている「性同一性障害」の社会生活における実害ということになるはずだが、実際に今の精神医学では、ポリコレ (political correctness ポリティカルコレクトネス) の意図か、細分化の結果か、そういう風に言わないのであろう。
話は逸脱するが、私はインターネット依存症でなく、情報入手の方法やビジネスとして社会的に依存している;新型コロナ禍以降の世間がそうであるように、電気通信や電力供給が欠けると成り立たないことから情報弱者になる。
もし「人間 (Homo sapiens sapiens ヒトの生命体) こそ空気依存症、食物依存症、一酸化二水素依存症だ;空気、食物、水が不十分である限り、離脱症状を発するのだ」と言えば、「生命維持に合理的な生理的欲求=一次的欲求は病的な依存症状であると言わない;悟りの人でさえ自身の物質的な欠乏を如実に知って物乞いするのだ」と反論されるのであろう。
余談だが、食物依存症というのは、「それがないと生きていけないわけでもない」嗜好性の食べ物のために昼行性の人が深夜のコンビニへ足を運ぶ、などの心理的な行動で日常生活に悪影響を及ぼす精神障害を指す。
それを取り上げて摂取を禁じさせると、イライラが強まって暴れてしまうほどであれば、おそらくは精神科の措置入院(および日本国だけの制度=医療保護入院)がありうる。
依存症の話は、社会的な領域としてとらえられやすいが、それと区別した食欲 (appetite) は、心理生理学 (psychophysiology)、生理心理学 (physiological psychology)、神経生物学 (neurobiology) などとされ、意図的に神経生理学 (neurophysiology) と呼ばれていない。
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