The supported/supporting balance and its index (支えられ/支え均衡とその指数)
当記事では、そのモデルについて紹介する。
このモデルは、幽霊市民として生まれ、生かされて自分の努力をその時宜に応じて行いながら、他人に評価してもらえず、不足分を補うことをについて承認してもらえなかった横野真史が、日常生活の中で導き出したものである。
ここでの「支えられ」と「支え」は、何であるか?
まず、基礎人口の下に、その2つが存在しているという前提である。
「支えられ」とは、社会保障、公的扶助のうち、障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受けている人である。
これらを受けていても、社会的な活動の多いものもいる点をまず、留意されたい。
「支え」とは、障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金のいずれをも受けていない人である。
就労や納税の実質的な状況については、ここで問題視しない。
例えば、私は就労や納税が2022年現在で皆無であるものの、障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受けてもいない幽霊市民であり、消極的ながら「支え」人口にのみ該当する。
障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受けてもいない限り、未就学児、児童、生徒、学生も、消極的ながら、「支え」人口に該当する。
障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受けていながら、所得税を納めている人は、「支えられ」人口と「支え」人口のどちらにも該当する。
この結果、「支えられ」人口と「支え」人口は延べ人数であることになる。
もし上記の基準に不服であれば、生活保護の受給の状況(受給者はアルバイトなどで収入があっても所得税を払う必要はない)なども基準に加えるとよい。
用語から分かるように、ここでの基準に採用されたものは日本国の制度である。
諸外国で同じような数字を出したい場合は、その国の制度で同等のものを採用することになる。
「支えられ/支え」という語順は、THE (Times Higher Education) における「女男比 (female:male ratio)」のように、従来の考え方を否定する柔軟な表現である。
「(有力者である)男 (man 成人男性) とそれ以外(女、子など)」という考えを無くするように、ここでも、主役は、以前まで主役となりづらかった「障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受けている人」の方を主役に立てることにした。
先と後とを「優劣」に配当するつもりはない。
スラッシュ記号 / によって両者が分けられるように、算術的に両者の数は割り算され、その数値を「支えられ/支え指数」と私は呼ぶ。
この指数が1より低いのが、今までの時代であった、と私は予想する。
これからは少子高齢化、福祉の拡充、発達障害と精神障害の認定のニーズの増加といったことで、1を超すのが当たり前の時代になるであろう。
折れ線グラフによる予想
以下の折れ線グラフは、「ある国では、こうです」、ということを想像して作ったものである。
日本国での実態がどうかは別の話になるが、相似するものと私は予想して作成した。
実際に調査していただき、同じように図表を作成することで比較できる。
@(Y軸はその指数、X軸は1960 から 2050年の1年刻みの時間範囲)
今の人間の使命
このモデルから分かることは、障害基礎年金と障害厚生年金と老齢基礎年金を受ける人の増加と、そのバランスの歴史的な変化のタイミングである。
統計的ピークがいつであるかは全く予想がつかないが、1を超えることを私は確実視している。
できれば上がりすぎないように社会的な努力が必要である、と言いたいところであるが、それは、最終的なものと思ってもらいたい。
まず、いろいろな悩みを持つ人の悩みの解決ができる環境が整い、各々の精神衛生やQOLの向上によって社会の改善もある、という道筋を意識してもらいたい。
上がっている今でも、新しい課題が次々と湧き出ている。
ダイナミックな時代の変化へのスムーズでフレキシブルな対応能力こそが、一般社会人の上役や、政治家の資質であり、確かな結果が求められている。
この指数が、ピークとして高すぎないように、平坦化 (flattening; 平滑化 smoothing ではない) できるかどうかことが、結果的な鏡になる。
納税している社会人や政治家など「有力者、強者」が、「昔からあんな凶悪犯罪あるよ。昔の方がひどかった」などと詭弁を弄している。
以前も具体的に客観的な根拠で私は論駁していたため、ここでそうするつもりはない。
そういう客観性とは別に、私は、民主主義の憲法に基づいて使命感ある国民的な努力の観点で少しずつ身近な努力から悪事を無くしてゆこう、という論点を持っている。
彼ら強者たちが絶え間なく変化する情勢から目を背けて改善への努力を放棄するならば、義務放擲の怠慢も甚だしい。
そのことで、次の世代にしわ寄せが来る。
義務教育期間中、私の通ったニセ教育現場と異常な家庭環境とにおいて、私は迫害される結果となり、13歳にして一般的な教育を離れた後も、社会の身分としては悪い周辺環境、外的要因を与えられている。
今の若い世代は、多かれ少なかれ、それより以前の世代が作った、そのまた以前の世代よりも悪い環境を与えらている。
今からの次の世代、またはその次の世代が「終末世代」、「最後一代 (Simplified Chinese: 最后一代, English: the last generation)」か?
そうならないためにも、自覚、反省、努力による自己実現と社会的な改善とが必要である。
起草日:2022年8月17日
人口政策スキーマ、社会学モデル
人口研究所は役に立つのか
年金手帳の裏面「年金は世代と世代の支え合い」の意味
音楽、絵画、言語、宗教、化学、生物学などを必要程度から博士号レベルに収めた結果でできる、謎の学問
8月13日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、12月8日を迎えた。
つまり、その3か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
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