2022年12月8日木曜日

Draft 2022-08-13: 伝統を電子化、仮想化して保存し、現実世界では持続可能な社会まで一時停止する案

世界各地で、いくらかの時点で誕生した文化的事物(行事、文物)は、ある時点から途絶えて近年に復興した、というものがある。
日本国内でも、何らかの地域の祭りや工芸品にそういう例が散見される。
ならば、持続可能性(サステナビリティ)の低めなものに関しては、今の社会の喫緊の課題解決まで意図的に放棄し、解決した暁に復活させる、ということを私は提案する。
そういうテコ入れができないと、人類は次々と人災や天災の悪化に見舞われながら、対応が後手後手に回る結果が予想される。

具体的に、どういう基準で持続可能性が低いと判断されるのか?
・行為や道具の扱いや保存が人命に及ぶリスクの高いもの。

・貴重な資源を無反省に使い、同じ用途のためには再生可能でない、循環しづらい状態にするもの。
;打ち上げ花火は、打ち上げて爆発させると、熱などの化学反応で火薬の物質(ニトログリセリンなど)が完全に変性するし、爆発のエネルギーで炎色反応の色成分に使われるアルカリ金属系などの物質や粒子としての放出を伴った結果、「同じ用途のためには再生可能でない、循環しづらい状態」にする。
;多くの温泉が造営された経緯には、ボーリングなどの掘削工事が伴っていた。「大深度掘削泉」と呼ばれる。一方、自然に湧き出る、本来の、古来の温泉(「自噴泉」)は今や希少である。後々、枯渇の憂き目を見ている。源泉の湧出量には、雨(降水量)が関係していると示唆する報告もある。とはいえ、現在の技術は天然資源としての源泉の湯量を増やす方法を持っていない。モニタリングシステムなどの技術で、維持管理の高度化を進める事例が見られる。伝統もどきの温泉リゾート開発や、沸かし湯で物足りないというスーパー銭湯開発には厳しい目が注がれつつある。

・環境破壊(大気中の温室効果ガスの非倫理的な増加を含む大気汚染、土壌汚染、水質汚染、生態系破壊)に、一定以上の程度で貢献するもの。

・観客のような第三者が事故(アクシデント)に巻き込まれ、人命に及ぶリスクの高いもの。
;舞台にいる人や動物が観客に迫ったり、流れ弾のような物体が及ぶ、などの主客間の接触事故。警備、安全管理、注意喚起などで防ぎうるかどうかは、それらオブジェクトや観客の存在の特徴しだいである。
;積載量のキャパシティを超えた橋の崩落、将棋倒しの群衆雪崩、などの群集事故。警備、安全管理、注意喚起などで防ぎうるとされる。1つ上の例よりはまだその期待がしやすい。



実際に放棄した際に想定される問題点:
・精神論「その事物が連綿と継承されることに意味や本質があるので、放棄すると意味が無くなる」。
;氏子と氏神の関係によって行われる祭りが日本には多いので、これに関連するものも多い。また、必ずしも専業(納税している職業かどうかを問わず、生業として精神的に最も重みがあるもの)であるとは限らない。

・地域の文化や経済に打撃がある。

・絶やさずに伝統を保つことが、安全面での維持になっていることがある。
;再開時に安全性(危険性)のリスクがある。

・伝統行事や伝統工芸の人材が自由に転職できるなど、再出発のための環境整備に難がある。
;特に日本は他の西洋国家よりも柔軟でないから、自由に転職するにはソフト面でもハード面でも難しい。

・IT利用や伝統規制のために新しい人材が必要になる。
;新しい人材の確保の方法は、「今の住環境で就労が困難な人の移転、職業選択の自由を支える政策」が一例に相当する。



形だけ伝統行事や伝統工芸を残してみたい場合、現代的な産業における「危険を伴う作業」に比較した。
農業でも建設業でも運送業でも、ロボティクス(ロボティックス)の普及で機械、ロボット、コンピューターに任せる部分が増えている。
その普及が進むごとに「技術的失業 (technological unemployment)」を生んでいる。
上で「機械」を挙げたように、その普及はザ・産業革命以前からあるわけで、歴史上、新しい発明とその普及のような過渡期ごとに技術的失業に相当する懸念と実現とがあった。
懸念の例、編み機 (knitting machine) の一種を発明して特許申請したウィリアム・リーに対するエリザベス1世の言葉:
Thou aimest high, Master Lee. Consider thou what the invention could do to my poor subjects. It would assuredly bring to them ruin by depriving them of employment, thus making them beggars.
Why Nations Fail by Daron Acemoglu and James Robinson, 2012

和訳:リー殿。この発明が私の貧しい臣民たちに何ができるか考えてみよ。彼らの職を奪い、彼らを乞食にさせ、彼らの破滅を招くことは間違いない。

※引用元の著書によれば、この発言の真意は別のところにあるそうだが、それはその著書の話の脈絡で言われたことである。次代の王であるジェームズ1世も同じ理由でリーによる再度の特許申請に対して拒否した、ということが英語版Wikipediaのいくらかに見られたが、それらの出典1, 2は全くその人物の話題が見られなかった(同名別人の James のみ)。

これからの時代、「労働者が必要な休暇を取る、持続可能な働き方をする」(休日の個人主義など)というどころか、さらに多くのことで柔軟でなくてはならない。
上の「転職」は柔軟さに関連する事柄の一つであり、他の西洋国家の制度運用事例や歴史を学んでもらってこそ、各「職人」、「継承者」たちが個人としての自己実現に心機一転できる。
そのカギが私の言う西洋的に進歩的な個人主義である。
そういうソフト面の教育も合わせるのが、SDGsに必要なことでもある。
例えば、児童生徒が学校で強いられて形式的な活動を行うと、経験を積める一方で、他方、人によっては意義を深く考えず、真意がぼやけてしまう。
いくらかの産業が、家業や家族経営から別のものへ移行が進んでいるものの、それだけでは飽き足らない状態が、顕在化している。
とはいえ、それに関しては個々の事業者の事情を照らし合わせるべきであり、私がひとくくりに評価することではない。
また、職人気質で当事者がやりたいことを趣味で行う分には、強く制限しないが、すでに多くの法律で類似の規制があるように、内容の規模に規制値を設けるなどで対応する。







起草日:2022年8月13日

倫理政治経済学のモデルを、普通の人が言及するにははばかられる話題から、当記事は説明しようとした。
SDGs「誰ひとり取り残さない」("No one left behind", "No one will be left behind" or "Leave No One Behind" LNOB) などと言った人たちの論拠が何であれ、望まない死に方をする人を減らす努力をしなさいよ、と。
本文自体は、あまり本気にしてもらわなくてもよい。
いわば、この記事は次の「今の住環境で就労が困難な人の移転、職業選択の自由を支える政策」という話題@への導入が目的である。
当記事は、考え方のモデルとして示したものである。

また、今年のいくらかの記事は、私自身をはじめとした各々の努力の必要性を説く傾向にあるが、この記事は結論や呼びかけを伴うものでない。
結論じみたものは導入部に記し終えてあり、後は「議論や考察を促す説明と補足事項」が少しある程度であるが、私自身、この記事の話題そのものにあまり強い気持ちを持っていない。
記述の通り、当記事は、考え方のモデルとして示したものである。

2021年7月22日記事『「メタファッション」の概要』では、「バーチャルなファッションのシミュレーション」、「3Dモデルと化した服にも、仮想された本来の繊維(バーチャル繊維)のタグ付け」、「人間/人類/文明バーチャル化を推進して結果的な少子化に寄与する」云々の話がある。
2021年7月22日記事『著作物を基本的に無料で提供し、信頼できる著者に寄付する形で維持する情報経済』では、「物理的なソフトウェア」、「炭素税」、「カーボンプライシング」、「贅沢税」云々の話がある。



8月13日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、12月8日を迎えた。
つまり、その4か月の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。


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