歴史とはそもそもなんであろうか。
現代日本では当然、古今東西、人類の文明的な歩みを指す。
少なくとも、人の寿命の及ぶ時間を歴史と呼ぶには些か足りないと思う。
100年ならまだしも、2015年現在より80年以内でしかない、戦時中の大日本帝国の振る舞い云々で「歴史の真実を直視」と喧伝する類の人ほど歴史に無頓着だろう。
私の好む歴史とは、大局的に500年以上前~2000年ほど前である。
これこそが貫禄ある「歴史学」の領分だろう。
時広き且つ文献も多く存在しており、既存のものでさえ研鑽には一生かけても飽くことなし。
それでは極論を弄せば、百万年以上前の人類の進化、乃至数十億年も遡る太古の地球の歴史はより壮大だと言えるだろう。
然るに、それらは歴史というよりも生物学・地理学に類し、天文学にさえ当たる。
これは「歴史」という文系ニュアンスから些か離れる。
3000年以上前の文明・遺跡調査等ならば「考古学」という広義の歴史学にあろうか。
それでは私の興味の範囲にある500年以上前~2000年ほど前がいかに高尚であるか。
そもそもこの歴史を学ぶことは、日本語・英語という文明的二大言語の根幹が強く関係していることに起因する。
日本語はこの間に多くの語句が生まれ、中国大陸より諸々の書物も伝わり、解読にあたっては既存の日本語の語句を訓読にあてた。
今の日本語の「漢字+かな」という構図の原点はこれである。
解読にあたって便宜的に作られた日本語の言葉も多くあり、これは中国大陸という進んだ文明にあって様々な物や事象が言語化されていたから追いつく為である。
日本語の真理を知る上で、東アジアにおけるこの長久の時代を学ぶ必要性はとても強い。
今の中国語は、漢字の故郷とて紛い物である。
1000年ほど前から清に至るまでに現在の漢字の読みが定着したが、これは1500年以上前のサンスクリット語の音写語句を見れば、いかに本来からかけ離れたものであるか論を俟たない。
サンスクリット音写で多く用いられた漢字の読み方さえもが、どのような経緯で全く異なる読み方に変化したものか、想像の付きようがない。
ことに佛(仏)の字義はサンスクリット音写で用いられてより決定されたが、これを「ブツ」ならぬ「フォ」と発音すればサンスクリット語の原音より離れてしまう。
過去記事に詳細あり→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post_30.html
日本の鎌倉時代などにおける仏教の論文は漢文形式がメインであったが、これは1000年以上前の中国人に見せたら容易に理解してくれるだろう。
今の中国人は頭に疑問符を浮かべることと思う。
道元さんの書を改めて見てたら、「玉フ(給う)」があった、俺まだ浅学だよね。
こういった表現は流石に、もとの漢文見ても1000年以上前の中国人はわからなさそうだ。
私の見た訓読文のページでは「アタハス(能わず)」「オモヘリ(思えり)」など、漢字にすべきものが漢字でないが、「玉フ」は漢字であるが、原典はいずれもこうなのだろうか?
日本語の表現に同音の漢字を便宜的に当てているならば、中国や渡来時の正統な意味とは当然離れているため、1000の人が見ても当然わからない。
「玉(ギョク)」が高尚な物で、「たまう」が高尚な人間の行為という点は通じる。
・・・この変な例は、「日本人が読むために訓読の便宜上」あてられたもので、玉の件は当然現代日本でも有り得ない。
最悪な蛇足となった、「道元さんの書」からここまでの既述は4月21日追記されたもので、以下からの文は4月20日にかいたもの、本当に読者におかれては紛らわしい記事となる。
より蛇足だが、4月23日に戦後の論文見ていたが、ここでも「玉ふ」という当て方が見られた。
「たまう」という表現自体、経文など読むと「たまわく」とク語法となるが、原文にそれに相当する漢字がない以上、訓読文でも漢字は用いられない。
以下より話したかったことに戻るが、追記分の「某元」以降は無視して読むべし。
中国では、時代と共に字義も音韻も分離していった性質が強い。
漢や呉の時代よりすれば、北京も上海も台湾・香港ほか方言も同様だ。
字形であれば、略体を全面使用した簡体字の存在が単純明快である。
日本の方が遅く伝わった分、真面目に今日まで継承しているのだ。
もちろん、日本の新字体も似たようなもので、この点においては台湾・香港あたりの繁体字が優れているのかもしれない。
そんな私は簡体字も繁体字も近頃頭に入れるようにしている。
英語についても、ギリシャ語やそれを踏襲してアルファベットを用いたラテン語のその昔からすれば、ぐちゃぐちゃで氾濫した発音の法則があり、不安定である。
日本語のローマナイゼーションのような整然さには遠い。
日本語ロマナゼこそが2000年前のラテン式にとりわけ近いものとみなせる。
ラテン文字はラテン語圏の最大帝国・ローマであるからローマ字である。
英語学習も日本語と同様に、源流・根本を掘り下げることが飛躍的な向上に結びつく学習法だとしているが、それにあたってはギリシャ文字まで覚えようとする有り様。
1年以上前にも「キリル文字くらいは読めるように」と少々かじったことはあった。
今年は3月より仏教関連ばかり勉強しているから、英語など西洋の言語は疎かになっているため、このままではギリシャ文字もキリル文字も雀の涙ほどの量だが、折角の知識が漏れて無下にされてしまう。
漏れずに容器内で留まってくれることを祈るばかりだ。
4月23日の寝る前に、「印欧語根」という、名前だけでも興味を誘う言葉を見た。
英語を覚える手がかりとは日本語と同じように「語根」にあり、実際にネイティブというものは幼少よりその感覚を掴んで着実に言語を身に着ける。
随って、「(ギリシャ)語根」を専門に扱った過去記事も投稿している。
起きてより検索をしてみたのだが、「印欧祖語」ということも検索してみると、興味深くも少し目が丸くなるような単純明快の画像も見た。
まあもちろん、ラテンましてやギリシャの前身にある言語というものはあって然るべきだが、このあたりまで掘り下げて学ぶのは少々難がある。
日本人で英語が堪能な者でさえ、果たしてギリシャ・ラテンにどれほど入っているか知れないところを、在野で年端も行かない私がこの学術的領域に首を突っ込んでよいものか。
申し訳程度に英語、最新のラテン語根の勉強の話を書く。
4月24日、キッチンに保管されている抹茶を取り出して作ることにした。
これは2014年のいつだかより購入、開封されて以後、冷蔵庫保管推奨の注意書きも無視され常温放置されたまま2015年3月8日の賞味期限が切れたものである。
母親がもらったものか、自ら購入したものか不明だが、無責任ではないか。
今回は初めて茶筅・茶碗等も使ってそれなりに点てたが、泡などは激しくやってもたたず、どういう濃度が丁度いいかを知らない私がかなり濃い目で味付けもせず飲むことになった。
保存環境と切れた賞味期限などの条件から、衛生面の不安もあったが、口に苦すぎる毒に、惰弱なる雑菌の殖える余地はないと看做して、不安はなくなった。
それはさておき、勉強の話だが、まずタンニンと鉄分吸収だとか便秘がどうだとかを調べてから、抹茶について少々調べた。
続いて、英語版記事"Camellia sinensis"の文字列を見て「カメリアシネンシスってアムニオセンテシスみたいだ!」と興味がそそられ、原料のチャノキに関する記事を覗いた。
この学名にある"Sinensis"は、接頭辞"Sino-(中国)"、接尾辞"-ensis(産地)"より構成されている。
"Sinensis"が付く学名は「当帰」という漢方薬の原料などがあるようだが、これは日本にも自生しているらしい。
それにしても、ちょっとした学名にも"Disambiguation(曖昧さ回避)"ページがあるとは驚きだ。
それぞれの文字から始まる単語にも曖昧さ回避のページが設けられている。
ところで、英語版Wiktionary漁っても、"sino, sina, sinum, sinus"いずれを見たところでラテン語「中国」を意味する記述がなかった。
他のネット上検索でも答えが出ない。Google翻訳の英語→ラテン語で"China"を訳すと"China"と出るが、"China"がラテン語であるわけはないし、"Chinese"では"Illicium"と出てきた。
"Illicium"自体は複数の「樒(シキミ)」などで学名に用いられているようだが、これまたWiktionaryにはラテン語として載せてなく、意味も「誘惑」だとか「ルアー」と記されている。
こういう勉強関係で常のことだが、やはりネットで核心を得た答えは出せないようだ。
衛生面の話に戻るが、茶碗は事前に一度洗ったのに茶筅の方は洗わず使った。
いざ、使用後の洗浄の時に、指を突っ込んだら砂っぽい垢のような汚れがまとわり付いた。
やはり茶筅も事前に洗うべきだったのだろう。
それと、賞味期限についても、抹茶だけでなくコーヒー豆も2015年3月に切れたものがある。
あの母親が買い物でインスタントコーヒーを全然買わなくなって、この豆を挽いてコーヒーを作るようになったのも、偏に切れた賞味期限の問題が絡んでいるからと見える。
自分で買って、長く使わず放置して、無責任なことだと思う。
だが、捨ててしまうよりはマシかもしれない。
4月25日も勉強になった点があるので縷々並べる。
まず、「4月21日の蛇足」部分の注釈だが、「たまふ→玉ふ」といった、日本語に意味を伴わない訓読みの漢字を当てることを、万葉仮名に限って「借訓」と呼ぶ。
この「万葉仮名」とは、既述の「サンスクリット語音写」が日本語においても行われた類のもので、平安までの和歌に用いられた。
「万葉仮名」自体は元々認知していたが、当ブログでは一度として語を書いていなかった。
万葉仮名は、音写というより「借音」というようである。
同時に、「小」を「シャオ"Xiao"」と読む、現代中国の発音としての認識がついていたこれ、実は唐音で、遣唐使の時代でもされていたっぽいね。
清・明など漢音"Ei"、呉音"You"の音が"In"に変わるこれも実は唐音だと数日内に知ったが、シャオよ、お前もか・・・
呉音・漢音の伝わり方が幾らか遅いことも薄々気付いていたが、なぜ時代の差が付くかというと、朝鮮半島で根付いた読み方が伝わるからだとかどうだとか。
唐音について2週間ほど前に少しだけ調べたとき、室町時代でようやく?だった?
まあ、いずれも再度調査すればいいが、ほら、私の探究心だとか感じてもらいたいよね。
少し遠い記憶で曖昧なことを、調べ直してから繕うように綴る気はあんまりないね。
これ書いてるの、だいぶ眠いからいつも以上に乱文だよね、もう寝よう・・・
馴染んだ口語的な表現は、未だ甘えの心から制御しきれていないことがわかる。
2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2015年5月6日水曜日
2015年5月3日日曜日
Google+ 2月~4月末までの日記メモ等
当記事では、4月以降本家ブログでも存在を示すようになった「Google+日記メモ書き」のまとめ転載を行う。
このG+メモは、本家ないしメモ帳等で記事にするには足らないような些細なことを記録したものであるが、この際2月以降のものを選別してまとめようと思う。
それに当たっては、原文を少し編集しておきたい。
例えば、改行は普通の記事と比べ控えめだが、これはニュースサイトに準拠しており、文の脈絡に合わせられている。
また、投稿の仕様で付けられない、画像データなども一部載せる。
必要に応じて当記事側で趣意や注釈も付けたり、既述に応じた有用な過去記事リンクも付ける。
留意点が一つ、G+のコメント欄では一定時間が経過すると何時何分かは表示されなくなる。
面倒な仕様で、HTMLソースを見ると何時何分の記述が残っている。
よって、ソースより時刻を引用する手間を少々省いて、基本的には日付のみ示す。
横野真史のGoogle+アカウント→https://plus.google.com/113853869960515555243
家から目的地までの片道約200mを往復で全力に比較的近い速度を維持して走った。厳冬の夜の冷涼な空気は助力たりえるのか。目的地では1分で所用を済ませ帰路も駆ける。西からの風はこの時に強く感じられた。
普段だと脚の痛みが顕著となり、ことに足首と膝の関節。しかし今回は足腰の負傷など感じず、家に入って体を休めるや否やの瞬間に気管支、呼吸器系の部位が悲鳴を上げだしたのだ。
走ってる最中は「何でも出来るぞ」という高揚感さえ躍っていた。当該箇所の苦痛をものともせず。それが虚勢のごとく瞬時に苦痛として発現したのであった。
帰宅から10分経過しても歩行等は覚束ない。肺に穴が開くという表現もあるが、走りを過度に飛ばせばその境地に達することも否めないと判ぜられる。
世間では、今回の距離の5倍の距離同等の速度で走っても涼しい顔でいられる人がいるのだろう。
一応、走る際のポイントを昔取った杵柄で踏まえてはいる。呼吸法は鼻で2回吸う、口で1回か2回吐く。大口で空気を貪れば、上述の苦痛の比でないほど傷める。走法は関節への負担を考慮し、適宜つま先の疾駆と踵の緩衝とで変えながら。良いフォームと長いブランクでは後者が痛快なまでに優っているのだ。
小4~中2期の肩身の狭さを思う。学校生活は漸次その傾向が増してゆく日々だったか。当時の自分に「その共同体に於ける己の存在価値」というものはその状態に比例して薄くなっていく自覚を持っただろう。いっそ死んだ方が自他共に気楽ではないかと。
ここで「死ぬ故に存在価値がある(byらい○、趣意)」という簡素な結論のみで説かれても、前提の知識がない人々が噛み砕いて理解したところで誤認識の流布がされかねないと思う。そう、死ぬから生を全うせねばならない、仏法の眼で見るべき。
地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく人間の身に生まれることが、どれほどまでに稀有なることか。その尊い命を蔑ろにして、自殺ということは実に言語道断の所業。
千数百年前、中国のとある和尚は柳の木に登って飛び降り、自殺を図ったが、未遂に終わって一週間悶えて絶命した。動機は「死んで極楽往生したい」ため、死に急いだのだが、無残な最期になったのだ。この人物の臨終については後世の捏造ともされるが、ここでは触れない。
与えられた人身を自ら粗末にする所業はお許しに給わぬ、御仏の厳戒である。されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ。
世の真理・仏法で以て説くことで心肝に染まるため、近現代の道徳等の理屈では、どんな内容でも子供達に精神は伝わらない。当時の私にも。
口内炎と舌火傷の二重苦である。只でさえ、口内炎を誤って更に噛むという泣きっ面に蜂の如くを冒した矢先に。まあ舌火傷は平常時に痛みも何もないけど。歯などが患部に触れた際、火傷時特有の過敏さが起きるのみ。触覚・痛覚が斯様である故に、舌火傷の発覚は視覚的なことに起因するものであった。
鏡で舌を見たときに初めて「白い部分がピンク」という周囲から際立った色彩的な異常に気付き、火傷だとすぐにわかった。痛みも微少なれば、発生時の原因(火傷の発生を実感させる要因)も微少で、少し熱かったラーメンを多めに啜ったからである。この時は冒頭の「口内炎を更に噛んだ」直後で苛立っていて、火傷も厭わない覚悟であった。
当記事による趣意: 出来た口内炎をもう一度噛んで苛立ったときに、熱めのラーメンを火傷も厭わぬ覚悟で勢いよく啜ったら火傷したが、そのときは気付かずに、時間が経って鏡を見た際に初めて気付くほどそれまで痛覚的な火傷の実感が薄かった=火傷の規模が小さい。
↑で口内の二重苦を謳った24日に替わり、25日1時は堅いシリアルをバリバリ食っていたら舌を傷つけた。ポテチ等の噛まれた欠片が口内炎の原因となることと類似している。舌の先端に近い部分からは血が僅かに出てくる。
当記事注: 3月24日撮影の上掲画像では、同じく「下の先端に近い部分」にキズと思しきものが付いているが、この3月25日1時の件と関連性はあるのだろうか?
コーヒーと疲れ・・・カフェインパワーで延ばされた起床時間は、その長さに比例した疲れが蓄積する。起きている間は朦朧とした感覚に陥るが、これは眠気ではなく疲労に起因する。この疲労は、疲労感として自覚するものではない。疲労の発現が朦朧感として生ずる。よって作業の場合はその能率も落ちる。
是が非でも起床時間を拡張させたい時にはコーヒーも大なり小なり有効と看做せる。そのカフェインパワー時間を作業に当てる場合、質を問わない作業には向くが、私のような創作活動では能率に響きやすい。本来の許容範囲を強引に突破する手法であるからだ。
今この文章は、本来眠っている時間にコーヒーのカフェインパワーを自覚しながら書いている=文章能力に何かしらの影響があるかもしれない。
当記事柱: メモ帳4月1日の記事でも転載した。その時に要約も行った。「カフェインパワーは斯くなるものぞということで、この文章もまさにカフェインパワーによって強引に眠気を飛ばして書かれている以上、乱文の恐れがある。」
御書などで、意外な言葉が用いられていると、やはり仏教は日本の歴史的な熟語メーカーだと常々思える。近頃では法華経の経文などもじっくりと拝読しており、今日は薬王菩薩本事品における阿弥陀仏の出演のあたりを眺めていて、少し先の項に目をやると、「如渡得船=渡りに船を得たるが如く」とあり、衝撃を受けた。日本のことわざ「渡りに船」も、千数百年前の中国で漢訳された経典で既に用いられていたこの事実。
多くの熟語・・・どころか、「種々の譬喩」ひいてはそこで生じたことわざまでもが仏典由来なのだ。懸命に拝読を重ねる私は、着実と理解が及んでいっている。半年前だと経文は難しいとして逃げていたはずだからだ。「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」
3月28日土曜日の母親の買い物でまたも弟向けに「青森県産にんにくとブレスケア(グレープ)」が買われていた。先週土曜日から続き二度目(後者はレモン味)だが、当初は「何かの番組にでも触発されたか?」と可笑しくなった。
その時のニンニク一個は今回までの約一週間で消費された。処理した中身を1個ずつ朝食として生でかじっていたようだが、まだ春休みに入る直前だとそのまま登校して特別支援の同級生に「お前クチくせー」と言われたのか。春休みに入った今では問題にならないだろうが、本人の口臭は近寄ってもわからない反面、食べる度に1Fリビング~廊下は強い臭いが充満して残る。
このニンニク買いは母親の菓子不買宣言に発端し、菓子の替わりに弟が求めたと見る。不買の理由は「菓子コーナーは小さい子供の行き来が激しくて嫌」として、今更言うことか疑問である。
それはそうと、奇しくも最初のニンニク買いの日のあたりに、某同人(某所でたまたま目にした)で某設定のキャラがニンニクの臭い嫌うシーンを見たが、その某種族がニンニクを嫌うとは初耳である(忘れていただけっぽいけど)。ニンニク入り餃子を食べていたキャラに対し「食べすぎで頭おかしくなったんじゃない?」と言い放っていた。
ニンニクで「奇しくも」ネタがもう一点、3月6日に「忍辱」の読み方を「ニンニク」と読むことを知った(仏教と野菜では、インゲンマメと隠元のことも同日知った)。
最初のニンニク買いで未使用の実物両点の写真を撮ろうとしたが、撮らぬまま日が過ぎてしまい後悔したものの、またとない起死回生のチャンスが到来したので、今回は撮る予定。今回の買い物では前言撤回で菓子を購入していたため、次回水・土の買い物では「代替条件説」に拠ればもう買わない可能性がある。
当記事注: 「今回は撮る予定」というメモ書きの通りに実際に取った時刻は3月29日0時23分。また、「次回水・土の買い物では『代替条件説』に拠ればもう買わない可能性がある。」という可能性を示唆したが実際は、これ以降も数回以上このセットの買い物をしている。ある時より、なぜだかニンニクの臭いが感じられなくなった。なお、法然とホウネンエビに関係はない。
3月30日2時半、母親は弟に「早く寝なさい」と声をかけた後、1Fリビングを占領。3時過ぎ、2回くしゃみ(声が大きい)が聞こえたあたりからテレビの音に耳を澄ます。何を観ているかと聞き耳を立てたわけだが、断続的に小声しか鳴らず、何も聞こえなくなってなお訝り、気付けば「ハッロ~チュ~リッヒィ」などと鳴り出す。
所詮テレビに俺が関心を持ったところでいいことなど無い、と当然の帰結を再度慨嘆した。魔の害毒たる囁きに耳を貸すまじ、という戒めの体験は数知れず。3時10分頃に笑い声。
宗教とは往々にして相容れないものである。なぜ斯くも脆いことか。例え同じ祖を持つとも、遺された教えの解釈を巡り諍いあらば血で血を洗う争いすら絶えない。切に平和を願う信者とは裏腹に、権謀術数、名利を得んとする輩が蔓延る。歴史は血塗られ、現代は傷痕と火種を残す。
人類の意思を普く統一させることは叶わないのか。そこに、神などの威光を仰ぐ姿が重なる。偏狭にして無智の者が戯論に誑かされ顛倒しちゃった。
当記事注: 2015年7月になり、この3月末~4月始あたりで母・弟が伊良湖岬に1泊したことの記録を探す必要が出たが、どこにも記録が無い。なぜ当時の私は記録を取らなかったのか。当時の物的な調査で、2人1泊で約14000円と記憶する宿泊費がメモ書きされた紙を母親の部屋で見た。勝手なイメージだが、あの辺りのホテルの中でも10階建てほどの建物、即ち「伊良湖シーパーク&スパ 」に泊まったことと見ているが、そこだと恐らく1~3階の部屋の料金が近そうだ。
断続的に悩まされる事例:下衆の勘繰りがたまたま結果的に当たる事があっても、推論は曖昧模糊にして卑俗なるパターン。結果が偶然当たって増長されるなら尚煩わしい。
母親が、時間を置いて順次菓子を与える方式をいつからか行うようになったが、その発端は、弟が節度なく菓子を短時間で平らげるためだと見る。だが、私は弟と同じかそれ以下の量を、次の母親の買い物まで見据えて徐々に食べてゆく。このような歴然たる違いも見分けられない人物鑑定眼のなさに相変わらず呆れる。
この方式の問題点は、私に渡すべき菓子をも忘れてしまう所にある。例えば2ヶ月ほど前にセブンプレミアムの某菓子を、購入日より数日後に弟に渡したが、私にはそれから更に1週間経った頃に同じものが渡された。鈍麻な感覚で行えば無責任なことだろう。セブン系の店は以前にもメモ帳で書いたとおり、イオンに取って代わられて以降は滅多に行ってない以上、弟に渡されたそれと私に渡されたそれは同日中に購入したものと断定できる。
第一に、これらストックされた菓子がどこに隠されているか、その所在は今日まで未だ杳として知れず。4月12日の弟の菓子が置かれている場所に、私にはまだ渡されてない菓子があったのだが、今までこれらがどこに眠っていたかその場所を見つけたことがない。
※ここまでメモった後に最近のレシートを確認したところ、4月以降のものには当該商品が見当たらない。まさか今回のものは弟が自分で買ったものだというのだろうか?それを抜きにしても、過去にこういった母の不手際があったことは事実。
久々の創造主関連「よろしゅうございますか?」
「なんかそれ冗長じゃない?『よろしいですか?』でよくない?」「いえ、それでもこれは貫きますよ。戦後になって『楽しいです』といった新文法が妥協されましたが、それ以前は『楽しゅうございます』こそが是とする公的な見解が支持されていたので、この点の峻別をしておきたいのです」「『おきたいのです』は『おきとうございます』にしないのか・・・。そういえば『おはようございます』と『お早いです』は一緒なんだよね」「さすがは創造主様、鋭くございますね」「鋭う」「それはウ音便にしなくてよござんす」
・・・・・これ書くに当たって前の検索ワード引き出そうとしたけど、Google検索履歴は稀にワードを消失させる問題があることを認知していたが、この件もやはり当該ワードが消えていた。無い物強請りとなるところだったが、当然ブラウザには履歴が残っている。3月半ばと4月2日の2件。「公的な見解」と欠いた部分・・・国語審議会。
また「須らく」も5章より著しく誤用されていた。「須らく」とは、古典に親しみあらば誰しも理解してそうな言葉で、大聖人の御書にも正しく用いられる。小説の人を除いても、この御書に精通してるH講員・S会員らが「すべからくすべからくの意味を誤っている(誤用例)」。往々にして「須らく」の意味を誤る人々。
仏法では「未だ得ざるを得たりと謂う」と、増上慢を表す言葉があるが、彼らも意義を得ずして慎重ならざる姿勢にて誤っている。検索できぬネットなき時代でも、御書のほか辞書等で理解が及ばなかったことを自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」。現代の人ではH講やS価よりも、K会の会長が正しく使えていた。「須らく清き源流に戻るべし」。
大聖人の御書で何を見てきたのか、教法だけでも学べればよいかもしれないが、文法などはぞんざいにされたのか。ならば「須らくその誤用を慎むべし」。一切衆生の親である大聖人様は、講員・会員に「誰がそんな文法を教えたか、そんな子に育てたつもりはない!」とお怒りあそばすことだろう。
大聖人の御書での用法は、やはり文中に「べし」やその活用形を後続させている。品詞分解なるものでは「すべく-ある」のク語法(恐らく・願わくは等)で成り立つ。今一度御書を見るに、べし系を伴わない例外、その場合は推量・意思助動詞の「ん」が綴られることも多い。某会員の例はこれにあてはまっていて、案外誤用ではないのか?助動詞「ん」は副詞付随の係助詞「か」の文や、「豈」、「争で」等の文末に付くことも多く、「須らく」にもこのような用法もあるのだろうか?あるいは、べし系を綴らずともべし系の意味合いが文に含むことが読者に伝われば省いてもよいのだろうか?
4月24日11時頃、家に物が届いた。少し経ってリビングに出ると開けてある段ボール箱3つが目に付くが、一つはその中により小さい空の段ボール箱があるだけだった。残り二つは、雄飛航空なる送り主だとわかったが、中身は色々であるものの取り立てて言うものでない。
雄飛という名は日本に心当たりなく、一見すると台湾の方(高雄市の雄)かと思ったが、住所にある「川田谷」という地名でホンダエアポートのことだとわかる。前の家の頃は、現地で航空ショーっぽいものを見たと記憶している。ホンダは埼玉県内広域に各種拠点を配備しており、当飛行場のみならず、工場は2014年に寄居町内に新設され、研究拠点の子会社も和光市にあることなどが知られる。なのに本社移転は拒んでいる点で、一部からは「埼玉を都合のいい女みたいに扱いやがって!」と揶揄される。
ともかく、今更埼玉県内の飛行場に関連して何を始めるつもりなのか訝しいばかりである。ホンダエアポートに、父・上の弟が住む前の家の諜報を頼むつもりなのか?3月の俄かに動いたカフェ関連のような、壮大そうでも肩透かしの終わり方をするものなのか、それとも別段壮大なこともないのか。
また、段ボールに少し触れたり中身を見ただけで汚れ云々とわめくが、何を神経質になっているのか、最初は12時頃そんな話になったが、玄関先の植物いじっているあんたの手の状態を、室内にいる私の手と同一視するほど判断力が落ちたのか?
尚且つ18時過ぎに俺が起きて手洗い洗顔を軽く済ませてタオルもないしスウェットで拭うわけにもいかない上、起きたばかりの虚ろな意識で手を振って水気を飛ばすことも怠ったから、水滴が段ボール上に落ちたのだろう、それを見た母親が小声でグチグチと不満げであった。
そもそもリビングで人が通る場所に、そんな大事大事らしいものを勝手に横たわらせておくことが顛倒の様で、神経質の割に無神経だ。いざ俺のつま先がぶつかってズレたり、表面が僅かな水滴に濡れただけで中身が汚れるだ、返品がどうだ、あんたの俄かに終わる趣味を「仕事」と強弁するだとか、3月に輪をかけた悪辣さと思う。
母親の愚痴を小耳に挟んだときは黙ってやり過ごしたが、数分経た後に怒りが爆発、瞬間湯沸かし器ならぬ電気ケトルくらいか。2階にいた母親と一悶着あったが、誠意のない謝罪をして遁走したがっても、そんなものは求めてなく、「欲しい答えは『問題でないことに目くじらを立てる理由』の釈明だ」と告げて話を進ませた。
俄かに終わる趣味か何かに固執して、人を惑わせ、トラブルを起こさせる人格異常者だから父親と喧嘩しまくっていたという点には気付く由もない。今回も出費して誰かとの電話の必要を伴うような規模で展開していて、尚且つ今のところ趣味とは断定していないが、傍目には心地よい動向でない。
4月25日1時16分、家の外が赤い光に明るんだので様子を窺う。そこにはなんとタクシーが止まっており、「こんなところで休憩はないだろ~、運転手さんよ」と思いながら注視するに、後部座席に一応客らしき人影が感じられた。
かなり前に、近隣の家のお婆さんがタクシーを利用する様は見受けられたが、夜中はない。「どこの家の人だろうか」と更に見守ること1分弱、料金の支払いも済んだようでその人物は車から出てきた。なんと、見慣れた向かいのT家のおっさんだ。
この人は平日の朝6時~7時に私服+自動車で仕事へ出るようだが、不定期に休みがあるようで24日金曜日も昼などはおっさんの車が家にあるままだった。それがこの夜中にタクシーで帰宅とは。その足取りもフラフラと覚束ないもので、あまつさえヨロめいてその愛車に半身をぶつけた。私の父親にはこんなグデングデンな帰宅の有様など一度もなかった。
これは相当に酒が回っていること疑いなき様子だが、タクシーでどうにか料金を支払えた点を鑑みれば正常ラインなのか。そもそもタクシー利用となると、近所で捕まえるのでなく、豊橋の繁華街など一定距離のある場所から帰ってきたと考えられよう。休みの金曜日に悪い誘いで酩酊状態。このおっさんは子供といて楽しそうに見える感じではないが、それでクールにクールを徹さず、酔い潰れであられもない有様が露見した。
当記事注: 当記事を編集している4月28日火曜日と、昨日の月曜日は共に、昼間に至ってもおっさんの車が家に置かれたままだから、休みか。長いGWを取っているのだろうか。
4月26日23時、洗面所のタオル利用を母親から問われて、私はぎこちないながら事実を告げた。以下略。
続きは関連動画説明文にある。
http://www.youtube.com/watch?v=ZmrDRjPaF0Q
動画のコメント欄にて4月27日朝にとった記録もある。
発生日時の記憶が曖昧な過去の事案の記録と見解である。
4月27日16時過ぎに寝た。毎日21時にはやることがあるが、今日はやらないと決め、21時までに目が覚めてもそのまま眠り続けるという熟睡の方針を採ることにした。色々計画を立て通して十全の判断だと看做した故だ。私の計画は食事・風呂・今回は外出など見通して、綿密に組まれている。
まあ、4月27日は16時過ぎで寝るまでにも、予定におかしな障害が生じることは幾度とあったが、これも例に漏れなかったようだ。というのも、目が覚めたのは19時40分過ぎ(たったの3時間)で、原因は人生初の夢精であったが、オナニーさえ週に1~2回の俺がなぜ今更夢精なのだろうか。半勃起時にじわじわ出たようで、幸い出た直後に意識を叩き起こせたからパンツ内に勢力は留まり、スウェットが僅かに湿っぽくなっただけか?
それから20時半まで考え事をしたが、そのまま二度寝に入ることはなさそうだとした上で、新しい計画も固まったと思い、結局熟睡の計画はこれをもって完全に破綻した。そもそも計画だとかと甲斐甲斐しく毎日練っていても、今回みたくいつもの不運で敢え無く破綻するがね。
まず色々メモすることを目的にPCを起動したが、いつも起動時にチェックするソフト(起動のたびに調子が変わるソフト)が今回不調なので魔が差し、元々の計画で夜中に行う自販機買い物を「敢えて夜中を選ぶ必要はない、暇さえ惜しい」とばかりに早期決行した。直前で「敢えて今に強行する必要はない、メモはどうした」と思いとどまることもあったが、朝飯前の鍛錬だとして深く考えられず、意気揚々と決行した。リビングのテレビの音声と母親の笑い声が煩わしいから離れたいという理由もあった。
空は雲がほぼなく、真上に半月より欠け気味の月と疎らに少なめの星が浮かんでいた。目的地は、この時間だと人がうろつく傾向があったが生憎今日もそんな様子で、作業着の男が一人いて、呪われたように蠢いていた。私はすぐ所用を済ませるのだが・・・
結局免れたかった悪いケースが続き、あまつさえ幸か不幸か人生初経験まで。近頃ついていない自覚はあったが、これほどまで不幸続きでは、真面目に考える私ほど損するのではないかと、いつも通りの帰結で呆れてしまうのであった。
4月に入って我慢できない仮眠や、不愉快な短時間睡眠の頻度が激増しているが、4月27日だけでも1時50分~4時50分の約3時間睡眠があったばかりだった。休まる時間がいつまでも訪れない上に、4月はG+メモ書き等で書いた文字数が多いから過労状態であることも見られる。
途中、「朝飯前」などと綴って、気づけば最初の食事は22時半過ぎで、起きてから約4時間飲まず食わず。こんな中、予ての計画通り夜中(23時台)に再度自販機へ行った。
当記事注: 不可解な「人生初の夢精」であるが、性的な夢であっても夢精は今まで一度としてなかった。それでは今回、何でイッてしまったかといえば、とあるゲーム関連のキャラであったが、奇しくもそのキャラを別のきっかけ・・・最新のそのゲーム関連の動向(起床の27日19時より後に出回った情報だから、元々薄らと目に付いたことが夢で干渉したということではないといえる)で目にすることに。「予知夢」の類いは信じないが、人生では度々不思議な一致も起きる。この件もその範囲にあろう。
4月29日17時過ぎ、家の前を通る人影に反応して、窓の外を覗き、視界を下げると人が数人、犬が数匹歩いてるように見えた。一番後ろの人間に牽かれる動物を見て、「こんな犬種あったか?」と思った瞬間、これはヤギだと思ったが、すぐ思考を切り替え、「毛の剃られた羊」だと分かった。
羊は小3ほどの女の子に牽かれていたが、女の子は隣家の植物の葉を毟って羊に与えていた。別の犬に攻撃されかけ、犬とは異なる軽やかさで身を引いたりもした。泣き声についても幾度と聞こえたが、明らかに羊の「メェ~」というヤギより軽い声であった。
一つ重大な疑問がある。いつもの疑問だが、ペットのような羊の散歩など、豊橋に住んで以来、当然初めて見たことである。家の前を通る者達は、いつも見たことのない人間ばかりであり、昨日であれば幼女数人組みが印象的だ。羊の散歩ともなれば初めてである。
年度末~春休み明けまでは変わった人の通りもよくあるが、例えば小型犬(全てバター犬・ダックスフンド)を5匹以上連れて散歩していたネェちゃんは何者だろうか。これも春休み期間に一度見たきりである。彼ら「一度見たきり」の人間はどこに住んでいて、どんな経緯で家の前を散歩したのであろうか。羊にしろ多頭小型犬にしろ、仮に遠方から来たとして、こんなところへ気軽に散歩するものではないはずだ。過去に数度は見てもおかしくないが、私は一度見るに始まり、それっきりで終わる。泡沫に過ぎる一期一会だと思った。
なお、T家動静だが、本日昭和の日は家族みな、朝からずっとお出かけの模様である。平日のT家は、母親あたりが断続的に家に帰ってまたどこかへ行く様子が見られる。昨日のT家は、御息女が自分の足で下校していた様子を、私にとって始めて見られた。さすがに二年生になったのだから、もうママンの車に迎えてもらって夕方までどこかで遊ぶみたいなことも卒業したらしい。
当記事注: 4月30日16時半過ぎに羊の散歩が見られたが、今回同伴の犬2匹の内に、前回羊を襲った犬らしいのはいなかった。前回と同じ方向へ散歩していたが、帰りは別ルートなのか?また、5月2日の朝には、29・30日の小3っぽい女の子でなく、低学年ほどの男の子が羊を牽いて犬・大人と共に散歩させていた。
彼らは男性一人(大矢先生)女性二人という構成で、顔ぶれからまず特別支援学級の教師らだと気付くべきだった。彼らの来訪は中型の乗用車であったが、来訪の前に母親が唐突に車の位置をズラしていたことも、彼らの来訪に備え駐車スペースを未然に空けたという点に繋がる。「未然に」といえば、高圧ガス式のスプレーの音が頻りに鳴っていたこともこれに繋がる。当初、殺虫剤かと思っていたが、実際には芳香剤で、彼らの来訪直後(リビングに案内され約1分の遊び時間)に和室のふすまを空けてリビングの様子を窺ったところ、私の和室の窓を開放しているため空気の流れから息苦しささえ覚える芳香剤の香りがしたのだ。
ふすまを僅かに開けた隙間には、視線の先2mほどに白髪の男性、大矢先生である。姿勢としては、こちら側を正面に向いているのだが、私の視線に気づくことはなかった。そのままPCの前に戻る私であったが、それから母親と教師らの会話に耳を傾けることなく時間が過ぎる。我が家への来訪から実に約10分、実際の会話時間は7~8分という時間で家庭訪問が終わってしまった。
帰り際に改めて窓から彼らの容姿を確認した。女性二人が共に灰色(グレー)のスーツを着ていたことは最初に見知ったが、大矢先生は黒~濃い灰色のスーツである。実はその「最初」の時にチラっと男性の姿が見えても、大矢先生と気付かずもっと若い知らない人に見えたことが、「最初」の確認で家庭訪問の教師だと気付けなかった原因でもある。故にこの時は「雄飛」関連、あるいはどこかの職員あたりかと妙な恐怖心さえ懐いていた。
なお、本日は12時前に部屋のゴミ袋1つを捨てに出たが、この時間に敢えてゴミ捨てに繰り出すと夜~早朝のゴミ捨てと異なる気分が味わえる。ことにゴミ捨て場がゴミの山になった様子は新鮮・・・不衛生である。
この時間のゴミ捨てにはもう一つ理由があり、10時頃窓の外を過ぎ行く大勢の子供たち、これは4月28日もそうであったが、上級生が車道側を歩き、新入生の手を繋ぎ目的地へ歩くという遠足だと見られた。私が小1=大戸小学校の時代に別所沼公園へ二年生と共に遠足をしたものだ、と感慨に耽る。様子がおかしいことは、上級生と思しき者の学年が小4~小6バラバラに見えたこと。
ゴミ捨てを遂行してそのまま現地へ足を運ぶ。そこには総勢数百名と思しき子供らがいた。最寄の小学校はおろか、見慣れない校名からの一行も。現地を巡回するように練り歩きながら、子供たちの食事時を鑑賞した。現地入りして最初~半分ほどの時間に、携帯電話で写真を5枚撮った。大勢の子供らが園内で過ごしている様は、さながら前述の別所沼公園のアレ。食事中の学校のエリアでも、あちこちで忙しない子供の動きが見られた。どうやら、大人しく食事が出来ないようである。
この時期にもなると暖かいといえば暖かい気候だが、4月29日の豊橋はそれ以前の数日より涼しいようだったが、4月30日朝4時半に起きたときはやや寒く感じられた。この日の現地はクマバチのような大きめの蜂が1匹見られ、高木の枝から長く吊るされた蜘蛛の糸も散見され、不気味で、よくも遊んでいる子供らがこれに掛からないものだと思った。
その他(2015年9月追加)
期間的な意味や内容的な意味などから「その他」。
本来は載せないこととしていたが、2015年9月ワケあって一応は漏れなく載せようと考えた。
2月
26日
俺が研鑽・創作等してなければ、こう→「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しょうもん)とは云ふなり。
22日
召喚詠唱の下級派生「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」読点を休符と思って、あとは休みを挟まず矢継ぎ早に唱える。節が"7・9"・"7・5"という点に注目。この詠唱の用途→T家によく来る大人(全員女性)は延べ人数5人だが、どれほどが同一人物か掴みづらいため、これで想定人物の魂を集めて見分ける。ちょっと意味不明&いい加減
07日
御誡歌(ボツっぽい) 「ヤンゴトナシヤチエノモノ カロンジテオシハカリケル オソレハバカレハジシラズ クチニナダシソカレガミナ」
02日
110 BPMの3連符で「こーくぉでおーおたーがも~もとせめぇ~ と~おっくま~みえーしあ~だが~たき~ おぉめおぉめの~がしーてなーるもぉのかぁ~ く~びはーねせっしめぇ~たーてまっつれ~」今様形式に基づいて軍歌調に。
1月
29日
知識は悉く足枷になっている。何が人生の是であるのか。真実に至るには若きに過ぎる。猶予が許されるのならば、より識りゆく必要がある。荒波にも超然とする精神は悟りの境地だ。憂慮も悲愴も、他人の愉悦も全て「死という絶対の理」で以て片付けるのは中々に難しいようだった。
25日
「虚しかる 我が慈しみ 誰が為ぞ」懐疑、諦観。慈悲とは二次的に行われるもので、本来は生存記録こそが目的なはずだ。しかし現にこの事態に直面すると懐疑的になる。俗人への阿諛迎合とその結実が他者よりはるかに劣って利益となることもない。俗を憂えてこの道に入らんと望むが、同じ道の者に貶されたら容易く潰えてしまうのか。そんな時に「なおもうきとき いづちゆくらむ」との名句が耳朶を打つ。市井の歌人でありたい。
22日
いたづらに 命は死なん いづちへと・・・ 答えて曰く、寂光の園に身は帰るらむ、と。「いづくにか」や「いかでか」等の語尾「か」は、現代の文で疑問形をなす文末の「か」が副詞の接尾語となったもので、「いづくにかある」や「いかでか~べき」は現代からすれば疑問形に見えないが、この法則上疑問形になっている。また、「何をか言わんや」という俗語があるが、この法則が適合するものの、「か」と末尾の「や」で重複表現である。しかも「言わんや」では「況や」と混同しやすく、こんな語を作った人間(自体が混同していたのかもしれない)は何様か。「誰をか証人として糾さん(誰を証人として糺すのだろうか)」という御書のフレーズのように、末尾に「や」をつける必要はなく、過剰だ。よって「何をか言わん」で事足りる。「すべからく」の誤用等、半可通で恥をかく言葉。「何をか」は「いかでか」同様、御書では「~べき」を後続の文節に付随させることも多い。ちなみに「言わん・糾さん」とは本来「言はむ・糾さむ」で、已然形+助動詞の「む」が「ん」と変化(撥音便)したものだ。この「む」は「だろう」と推量を付加する。
20日
未だ悲愁が続いて、創作関係を懈怠しつつあるので一首。「どしがたく かいしがたかる うきよにて ゆめをもたはば あぶくのごとし」 寝る前の耽美俳句「のぞみしは ながぬばたまの こいしかみ」
19日
夕日の光、家屋の壁面に映ゆと雖も、茜の空は拝みえること実に多からぬと候。このこと夜半に思いき。
16日
「みのらずに からゆわかばは またもゆる つよきみさおを かかえのぶらむ」今日作った歌・・・今日でなくても。
このG+メモは、本家ないしメモ帳等で記事にするには足らないような些細なことを記録したものであるが、この際2月以降のものを選別してまとめようと思う。
それに当たっては、原文を少し編集しておきたい。
例えば、改行は普通の記事と比べ控えめだが、これはニュースサイトに準拠しており、文の脈絡に合わせられている。
また、投稿の仕様で付けられない、画像データなども一部載せる。
必要に応じて当記事側で趣意や注釈も付けたり、既述に応じた有用な過去記事リンクも付ける。
留意点が一つ、G+のコメント欄では一定時間が経過すると何時何分かは表示されなくなる。
面倒な仕様で、HTMLソースを見ると何時何分の記述が残っている。
よって、ソースより時刻を引用する手間を少々省いて、基本的には日付のみ示す。
横野真史のGoogle+アカウント→https://plus.google.com/113853869960515555243
2015年2月
2015/02/03
家から目的地までの片道約200mを往復で全力に比較的近い速度を維持して走った。厳冬の夜の冷涼な空気は助力たりえるのか。目的地では1分で所用を済ませ帰路も駆ける。西からの風はこの時に強く感じられた。
普段だと脚の痛みが顕著となり、ことに足首と膝の関節。しかし今回は足腰の負傷など感じず、家に入って体を休めるや否やの瞬間に気管支、呼吸器系の部位が悲鳴を上げだしたのだ。
走ってる最中は「何でも出来るぞ」という高揚感さえ躍っていた。当該箇所の苦痛をものともせず。それが虚勢のごとく瞬時に苦痛として発現したのであった。
帰宅から10分経過しても歩行等は覚束ない。肺に穴が開くという表現もあるが、走りを過度に飛ばせばその境地に達することも否めないと判ぜられる。
世間では、今回の距離の5倍の距離同等の速度で走っても涼しい顔でいられる人がいるのだろう。
一応、走る際のポイントを昔取った杵柄で踏まえてはいる。呼吸法は鼻で2回吸う、口で1回か2回吐く。大口で空気を貪れば、上述の苦痛の比でないほど傷める。走法は関節への負担を考慮し、適宜つま先の疾駆と踵の緩衝とで変えながら。良いフォームと長いブランクでは後者が痛快なまでに優っているのだ。
2015/02/21
小4~中2期の肩身の狭さを思う。学校生活は漸次その傾向が増してゆく日々だったか。当時の自分に「その共同体に於ける己の存在価値」というものはその状態に比例して薄くなっていく自覚を持っただろう。いっそ死んだ方が自他共に気楽ではないかと。
ここで「死ぬ故に存在価値がある(byらい○、趣意)」という簡素な結論のみで説かれても、前提の知識がない人々が噛み砕いて理解したところで誤認識の流布がされかねないと思う。そう、死ぬから生を全うせねばならない、仏法の眼で見るべき。
地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく人間の身に生まれることが、どれほどまでに稀有なることか。その尊い命を蔑ろにして、自殺ということは実に言語道断の所業。
千数百年前、中国のとある和尚は柳の木に登って飛び降り、自殺を図ったが、未遂に終わって一週間悶えて絶命した。動機は「死んで極楽往生したい」ため、死に急いだのだが、無残な最期になったのだ。この人物の臨終については後世の捏造ともされるが、ここでは触れない。
与えられた人身を自ら粗末にする所業はお許しに給わぬ、御仏の厳戒である。されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ。
世の真理・仏法で以て説くことで心肝に染まるため、近現代の道徳等の理屈では、どんな内容でも子供達に精神は伝わらない。当時の私にも。
2015年3月
2015/03/24
口内炎と舌火傷の二重苦である。只でさえ、口内炎を誤って更に噛むという泣きっ面に蜂の如くを冒した矢先に。まあ舌火傷は平常時に痛みも何もないけど。歯などが患部に触れた際、火傷時特有の過敏さが起きるのみ。触覚・痛覚が斯様である故に、舌火傷の発覚は視覚的なことに起因するものであった。
鏡で舌を見たときに初めて「白い部分がピンク」という周囲から際立った色彩的な異常に気付き、火傷だとすぐにわかった。痛みも微少なれば、発生時の原因(火傷の発生を実感させる要因)も微少で、少し熱かったラーメンを多めに啜ったからである。この時は冒頭の「口内炎を更に噛んだ」直後で苛立っていて、火傷も厭わない覚悟であった。
当記事による趣意: 出来た口内炎をもう一度噛んで苛立ったときに、熱めのラーメンを火傷も厭わぬ覚悟で勢いよく啜ったら火傷したが、そのときは気付かずに、時間が経って鏡を見た際に初めて気付くほどそれまで痛覚的な火傷の実感が薄かった=火傷の規模が小さい。
2015/03/26
↑で口内の二重苦を謳った24日に替わり、25日1時は堅いシリアルをバリバリ食っていたら舌を傷つけた。ポテチ等の噛まれた欠片が口内炎の原因となることと類似している。舌の先端に近い部分からは血が僅かに出てくる。
当記事注: 3月24日撮影の上掲画像では、同じく「下の先端に近い部分」にキズと思しきものが付いているが、この3月25日1時の件と関連性はあるのだろうか?
2015/03/26
コーヒーと疲れ・・・カフェインパワーで延ばされた起床時間は、その長さに比例した疲れが蓄積する。起きている間は朦朧とした感覚に陥るが、これは眠気ではなく疲労に起因する。この疲労は、疲労感として自覚するものではない。疲労の発現が朦朧感として生ずる。よって作業の場合はその能率も落ちる。
是が非でも起床時間を拡張させたい時にはコーヒーも大なり小なり有効と看做せる。そのカフェインパワー時間を作業に当てる場合、質を問わない作業には向くが、私のような創作活動では能率に響きやすい。本来の許容範囲を強引に突破する手法であるからだ。
今この文章は、本来眠っている時間にコーヒーのカフェインパワーを自覚しながら書いている=文章能力に何かしらの影響があるかもしれない。
当記事柱: メモ帳4月1日の記事でも転載した。その時に要約も行った。「カフェインパワーは斯くなるものぞということで、この文章もまさにカフェインパワーによって強引に眠気を飛ばして書かれている以上、乱文の恐れがある。」
2015/03/27
御書などで、意外な言葉が用いられていると、やはり仏教は日本の歴史的な熟語メーカーだと常々思える。近頃では法華経の経文などもじっくりと拝読しており、今日は薬王菩薩本事品における阿弥陀仏の出演のあたりを眺めていて、少し先の項に目をやると、「如渡得船=渡りに船を得たるが如く」とあり、衝撃を受けた。日本のことわざ「渡りに船」も、千数百年前の中国で漢訳された経典で既に用いられていたこの事実。
多くの熟語・・・どころか、「種々の譬喩」ひいてはそこで生じたことわざまでもが仏典由来なのだ。懸命に拝読を重ねる私は、着実と理解が及んでいっている。半年前だと経文は難しいとして逃げていたはずだからだ。「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」
2015/03/29
3月28日土曜日の母親の買い物でまたも弟向けに「青森県産にんにくとブレスケア(グレープ)」が買われていた。先週土曜日から続き二度目(後者はレモン味)だが、当初は「何かの番組にでも触発されたか?」と可笑しくなった。
その時のニンニク一個は今回までの約一週間で消費された。処理した中身を1個ずつ朝食として生でかじっていたようだが、まだ春休みに入る直前だとそのまま登校して特別支援の同級生に「お前クチくせー」と言われたのか。春休みに入った今では問題にならないだろうが、本人の口臭は近寄ってもわからない反面、食べる度に1Fリビング~廊下は強い臭いが充満して残る。
このニンニク買いは母親の菓子不買宣言に発端し、菓子の替わりに弟が求めたと見る。不買の理由は「菓子コーナーは小さい子供の行き来が激しくて嫌」として、今更言うことか疑問である。
それはそうと、奇しくも最初のニンニク買いの日のあたりに、某同人(某所でたまたま目にした)で某設定のキャラがニンニクの臭い嫌うシーンを見たが、その某種族がニンニクを嫌うとは初耳である(忘れていただけっぽいけど)。ニンニク入り餃子を食べていたキャラに対し「食べすぎで頭おかしくなったんじゃない?」と言い放っていた。
ニンニクで「奇しくも」ネタがもう一点、3月6日に「忍辱」の読み方を「ニンニク」と読むことを知った(仏教と野菜では、インゲンマメと隠元のことも同日知った)。
最初のニンニク買いで未使用の実物両点の写真を撮ろうとしたが、撮らぬまま日が過ぎてしまい後悔したものの、またとない起死回生のチャンスが到来したので、今回は撮る予定。今回の買い物では前言撤回で菓子を購入していたため、次回水・土の買い物では「代替条件説」に拠ればもう買わない可能性がある。
当記事注: 「今回は撮る予定」というメモ書きの通りに実際に取った時刻は3月29日0時23分。また、「次回水・土の買い物では『代替条件説』に拠ればもう買わない可能性がある。」という可能性を示唆したが実際は、これ以降も数回以上このセットの買い物をしている。ある時より、なぜだかニンニクの臭いが感じられなくなった。なお、法然とホウネンエビに関係はない。
2015/03/30
3月30日2時半、母親は弟に「早く寝なさい」と声をかけた後、1Fリビングを占領。3時過ぎ、2回くしゃみ(声が大きい)が聞こえたあたりからテレビの音に耳を澄ます。何を観ているかと聞き耳を立てたわけだが、断続的に小声しか鳴らず、何も聞こえなくなってなお訝り、気付けば「ハッロ~チュ~リッヒィ」などと鳴り出す。
所詮テレビに俺が関心を持ったところでいいことなど無い、と当然の帰結を再度慨嘆した。魔の害毒たる囁きに耳を貸すまじ、という戒めの体験は数知れず。3時10分頃に笑い声。
2015年4月
2015/04/01
宗教とは往々にして相容れないものである。なぜ斯くも脆いことか。例え同じ祖を持つとも、遺された教えの解釈を巡り諍いあらば血で血を洗う争いすら絶えない。切に平和を願う信者とは裏腹に、権謀術数、名利を得んとする輩が蔓延る。歴史は血塗られ、現代は傷痕と火種を残す。
人類の意思を普く統一させることは叶わないのか。そこに、神などの威光を仰ぐ姿が重なる。偏狭にして無智の者が戯論に誑かされ顛倒しちゃった。
当記事注: 2015年7月になり、この3月末~4月始あたりで母・弟が伊良湖岬に1泊したことの記録を探す必要が出たが、どこにも記録が無い。なぜ当時の私は記録を取らなかったのか。当時の物的な調査で、2人1泊で約14000円と記憶する宿泊費がメモ書きされた紙を母親の部屋で見た。勝手なイメージだが、あの辺りのホテルの中でも10階建てほどの建物、即ち「伊良湖シーパーク&スパ 」に泊まったことと見ているが、そこだと恐らく1~3階の部屋の料金が近そうだ。
2015/04/07
断続的に悩まされる事例:下衆の勘繰りがたまたま結果的に当たる事があっても、推論は曖昧模糊にして卑俗なるパターン。結果が偶然当たって増長されるなら尚煩わしい。
2015/04/12
母親が、時間を置いて順次菓子を与える方式をいつからか行うようになったが、その発端は、弟が節度なく菓子を短時間で平らげるためだと見る。だが、私は弟と同じかそれ以下の量を、次の母親の買い物まで見据えて徐々に食べてゆく。このような歴然たる違いも見分けられない人物鑑定眼のなさに相変わらず呆れる。
この方式の問題点は、私に渡すべき菓子をも忘れてしまう所にある。例えば2ヶ月ほど前にセブンプレミアムの某菓子を、購入日より数日後に弟に渡したが、私にはそれから更に1週間経った頃に同じものが渡された。鈍麻な感覚で行えば無責任なことだろう。セブン系の店は以前にもメモ帳で書いたとおり、イオンに取って代わられて以降は滅多に行ってない以上、弟に渡されたそれと私に渡されたそれは同日中に購入したものと断定できる。
第一に、これらストックされた菓子がどこに隠されているか、その所在は今日まで未だ杳として知れず。4月12日の弟の菓子が置かれている場所に、私にはまだ渡されてない菓子があったのだが、今までこれらがどこに眠っていたかその場所を見つけたことがない。
※ここまでメモった後に最近のレシートを確認したところ、4月以降のものには当該商品が見当たらない。まさか今回のものは弟が自分で買ったものだというのだろうか?それを抜きにしても、過去にこういった母の不手際があったことは事実。
2015/04/15
久々の創造主関連「よろしゅうございますか?」
「なんかそれ冗長じゃない?『よろしいですか?』でよくない?」「いえ、それでもこれは貫きますよ。戦後になって『楽しいです』といった新文法が妥協されましたが、それ以前は『楽しゅうございます』こそが是とする公的な見解が支持されていたので、この点の峻別をしておきたいのです」「『おきたいのです』は『おきとうございます』にしないのか・・・。そういえば『おはようございます』と『お早いです』は一緒なんだよね」「さすがは創造主様、鋭くございますね」「鋭う」「それはウ音便にしなくてよござんす」
・・・・・これ書くに当たって前の検索ワード引き出そうとしたけど、Google検索履歴は稀にワードを消失させる問題があることを認知していたが、この件もやはり当該ワードが消えていた。無い物強請りとなるところだったが、当然ブラウザには履歴が残っている。3月半ばと4月2日の2件。「公的な見解」と欠いた部分・・・国語審議会。
2015/04/20
狂信気味であった小説は誤用も目立っていたが、例えば6章から「火急速やかに」という表現が頻出する。今までなかった表現が俄かに増えだすと、私は噴きだす。また「須らく」も5章より著しく誤用されていた。「須らく」とは、古典に親しみあらば誰しも理解してそうな言葉で、大聖人の御書にも正しく用いられる。小説の人を除いても、この御書に精通してるH講員・S会員らが「すべからくすべからくの意味を誤っている(誤用例)」。往々にして「須らく」の意味を誤る人々。
仏法では「未だ得ざるを得たりと謂う」と、増上慢を表す言葉があるが、彼らも意義を得ずして慎重ならざる姿勢にて誤っている。検索できぬネットなき時代でも、御書のほか辞書等で理解が及ばなかったことを自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」。現代の人ではH講やS価よりも、K会の会長が正しく使えていた。「須らく清き源流に戻るべし」。
大聖人の御書で何を見てきたのか、教法だけでも学べればよいかもしれないが、文法などはぞんざいにされたのか。ならば「須らくその誤用を慎むべし」。一切衆生の親である大聖人様は、講員・会員に「誰がそんな文法を教えたか、そんな子に育てたつもりはない!」とお怒りあそばすことだろう。
大聖人の御書での用法は、やはり文中に「べし」やその活用形を後続させている。品詞分解なるものでは「すべく-ある」のク語法(恐らく・願わくは等)で成り立つ。今一度御書を見るに、べし系を伴わない例外、その場合は推量・意思助動詞の「ん」が綴られることも多い。某会員の例はこれにあてはまっていて、案外誤用ではないのか?助動詞「ん」は副詞付随の係助詞「か」の文や、「豈」、「争で」等の文末に付くことも多く、「須らく」にもこのような用法もあるのだろうか?あるいは、べし系を綴らずともべし系の意味合いが文に含むことが読者に伝われば省いてもよいのだろうか?
2015/04/24
4月24日11時頃、家に物が届いた。少し経ってリビングに出ると開けてある段ボール箱3つが目に付くが、一つはその中により小さい空の段ボール箱があるだけだった。残り二つは、雄飛航空なる送り主だとわかったが、中身は色々であるものの取り立てて言うものでない。
雄飛という名は日本に心当たりなく、一見すると台湾の方(高雄市の雄)かと思ったが、住所にある「川田谷」という地名でホンダエアポートのことだとわかる。前の家の頃は、現地で航空ショーっぽいものを見たと記憶している。ホンダは埼玉県内広域に各種拠点を配備しており、当飛行場のみならず、工場は2014年に寄居町内に新設され、研究拠点の子会社も和光市にあることなどが知られる。なのに本社移転は拒んでいる点で、一部からは「埼玉を都合のいい女みたいに扱いやがって!」と揶揄される。
ともかく、今更埼玉県内の飛行場に関連して何を始めるつもりなのか訝しいばかりである。ホンダエアポートに、父・上の弟が住む前の家の諜報を頼むつもりなのか?3月の俄かに動いたカフェ関連のような、壮大そうでも肩透かしの終わり方をするものなのか、それとも別段壮大なこともないのか。
また、段ボールに少し触れたり中身を見ただけで汚れ云々とわめくが、何を神経質になっているのか、最初は12時頃そんな話になったが、玄関先の植物いじっているあんたの手の状態を、室内にいる私の手と同一視するほど判断力が落ちたのか?
尚且つ18時過ぎに俺が起きて手洗い洗顔を軽く済ませてタオルもないしスウェットで拭うわけにもいかない上、起きたばかりの虚ろな意識で手を振って水気を飛ばすことも怠ったから、水滴が段ボール上に落ちたのだろう、それを見た母親が小声でグチグチと不満げであった。
そもそもリビングで人が通る場所に、そんな大事大事らしいものを勝手に横たわらせておくことが顛倒の様で、神経質の割に無神経だ。いざ俺のつま先がぶつかってズレたり、表面が僅かな水滴に濡れただけで中身が汚れるだ、返品がどうだ、あんたの俄かに終わる趣味を「仕事」と強弁するだとか、3月に輪をかけた悪辣さと思う。
母親の愚痴を小耳に挟んだときは黙ってやり過ごしたが、数分経た後に怒りが爆発、瞬間湯沸かし器ならぬ電気ケトルくらいか。2階にいた母親と一悶着あったが、誠意のない謝罪をして遁走したがっても、そんなものは求めてなく、「欲しい答えは『問題でないことに目くじらを立てる理由』の釈明だ」と告げて話を進ませた。
俄かに終わる趣味か何かに固執して、人を惑わせ、トラブルを起こさせる人格異常者だから父親と喧嘩しまくっていたという点には気付く由もない。今回も出費して誰かとの電話の必要を伴うような規模で展開していて、尚且つ今のところ趣味とは断定していないが、傍目には心地よい動向でない。
2015/04/25
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| 後に画像を追加、2015年8月9日0時39分撮影の向かいT家おっさん |
4月25日1時16分、家の外が赤い光に明るんだので様子を窺う。そこにはなんとタクシーが止まっており、「こんなところで休憩はないだろ~、運転手さんよ」と思いながら注視するに、後部座席に一応客らしき人影が感じられた。
かなり前に、近隣の家のお婆さんがタクシーを利用する様は見受けられたが、夜中はない。「どこの家の人だろうか」と更に見守ること1分弱、料金の支払いも済んだようでその人物は車から出てきた。なんと、見慣れた向かいのT家のおっさんだ。
この人は平日の朝6時~7時に私服+自動車で仕事へ出るようだが、不定期に休みがあるようで24日金曜日も昼などはおっさんの車が家にあるままだった。それがこの夜中にタクシーで帰宅とは。その足取りもフラフラと覚束ないもので、あまつさえヨロめいてその愛車に半身をぶつけた。私の父親にはこんなグデングデンな帰宅の有様など一度もなかった。
これは相当に酒が回っていること疑いなき様子だが、タクシーでどうにか料金を支払えた点を鑑みれば正常ラインなのか。そもそもタクシー利用となると、近所で捕まえるのでなく、豊橋の繁華街など一定距離のある場所から帰ってきたと考えられよう。休みの金曜日に悪い誘いで酩酊状態。このおっさんは子供といて楽しそうに見える感じではないが、それでクールにクールを徹さず、酔い潰れであられもない有様が露見した。
当記事注: 当記事を編集している4月28日火曜日と、昨日の月曜日は共に、昼間に至ってもおっさんの車が家に置かれたままだから、休みか。長いGWを取っているのだろうか。
2015/04/26
4月26日23時、洗面所のタオル利用を母親から問われて、私はぎこちないながら事実を告げた。以下略。
続きは関連動画説明文にある。
http://www.youtube.com/watch?v=ZmrDRjPaF0Q
動画のコメント欄にて4月27日朝にとった記録もある。
発生日時の記憶が曖昧な過去の事案の記録と見解である。
2015/04/27 21:53
4月27日16時過ぎに寝た。毎日21時にはやることがあるが、今日はやらないと決め、21時までに目が覚めてもそのまま眠り続けるという熟睡の方針を採ることにした。色々計画を立て通して十全の判断だと看做した故だ。私の計画は食事・風呂・今回は外出など見通して、綿密に組まれている。
まあ、4月27日は16時過ぎで寝るまでにも、予定におかしな障害が生じることは幾度とあったが、これも例に漏れなかったようだ。というのも、目が覚めたのは19時40分過ぎ(たったの3時間)で、原因は人生初の夢精であったが、オナニーさえ週に1~2回の俺がなぜ今更夢精なのだろうか。半勃起時にじわじわ出たようで、幸い出た直後に意識を叩き起こせたからパンツ内に勢力は留まり、スウェットが僅かに湿っぽくなっただけか?
それから20時半まで考え事をしたが、そのまま二度寝に入ることはなさそうだとした上で、新しい計画も固まったと思い、結局熟睡の計画はこれをもって完全に破綻した。そもそも計画だとかと甲斐甲斐しく毎日練っていても、今回みたくいつもの不運で敢え無く破綻するがね。
まず色々メモすることを目的にPCを起動したが、いつも起動時にチェックするソフト(起動のたびに調子が変わるソフト)が今回不調なので魔が差し、元々の計画で夜中に行う自販機買い物を「敢えて夜中を選ぶ必要はない、暇さえ惜しい」とばかりに早期決行した。直前で「敢えて今に強行する必要はない、メモはどうした」と思いとどまることもあったが、朝飯前の鍛錬だとして深く考えられず、意気揚々と決行した。リビングのテレビの音声と母親の笑い声が煩わしいから離れたいという理由もあった。
空は雲がほぼなく、真上に半月より欠け気味の月と疎らに少なめの星が浮かんでいた。目的地は、この時間だと人がうろつく傾向があったが生憎今日もそんな様子で、作業着の男が一人いて、呪われたように蠢いていた。私はすぐ所用を済ませるのだが・・・
結局免れたかった悪いケースが続き、あまつさえ幸か不幸か人生初経験まで。近頃ついていない自覚はあったが、これほどまで不幸続きでは、真面目に考える私ほど損するのではないかと、いつも通りの帰結で呆れてしまうのであった。
4月に入って我慢できない仮眠や、不愉快な短時間睡眠の頻度が激増しているが、4月27日だけでも1時50分~4時50分の約3時間睡眠があったばかりだった。休まる時間がいつまでも訪れない上に、4月はG+メモ書き等で書いた文字数が多いから過労状態であることも見られる。
途中、「朝飯前」などと綴って、気づけば最初の食事は22時半過ぎで、起きてから約4時間飲まず食わず。こんな中、予ての計画通り夜中(23時台)に再度自販機へ行った。
当記事注: 不可解な「人生初の夢精」であるが、性的な夢であっても夢精は今まで一度としてなかった。それでは今回、何でイッてしまったかといえば、とあるゲーム関連のキャラであったが、奇しくもそのキャラを別のきっかけ・・・最新のそのゲーム関連の動向(起床の27日19時より後に出回った情報だから、元々薄らと目に付いたことが夢で干渉したということではないといえる)で目にすることに。「予知夢」の類いは信じないが、人生では度々不思議な一致も起きる。この件もその範囲にあろう。
2015/04/29 17:34
4月29日17時過ぎ、家の前を通る人影に反応して、窓の外を覗き、視界を下げると人が数人、犬が数匹歩いてるように見えた。一番後ろの人間に牽かれる動物を見て、「こんな犬種あったか?」と思った瞬間、これはヤギだと思ったが、すぐ思考を切り替え、「毛の剃られた羊」だと分かった。
羊は小3ほどの女の子に牽かれていたが、女の子は隣家の植物の葉を毟って羊に与えていた。別の犬に攻撃されかけ、犬とは異なる軽やかさで身を引いたりもした。泣き声についても幾度と聞こえたが、明らかに羊の「メェ~」というヤギより軽い声であった。
一つ重大な疑問がある。いつもの疑問だが、ペットのような羊の散歩など、豊橋に住んで以来、当然初めて見たことである。家の前を通る者達は、いつも見たことのない人間ばかりであり、昨日であれば幼女数人組みが印象的だ。羊の散歩ともなれば初めてである。
年度末~春休み明けまでは変わった人の通りもよくあるが、例えば小型犬(全てバター犬・ダックスフンド)を5匹以上連れて散歩していたネェちゃんは何者だろうか。これも春休み期間に一度見たきりである。彼ら「一度見たきり」の人間はどこに住んでいて、どんな経緯で家の前を散歩したのであろうか。羊にしろ多頭小型犬にしろ、仮に遠方から来たとして、こんなところへ気軽に散歩するものではないはずだ。過去に数度は見てもおかしくないが、私は一度見るに始まり、それっきりで終わる。泡沫に過ぎる一期一会だと思った。
なお、T家動静だが、本日昭和の日は家族みな、朝からずっとお出かけの模様である。平日のT家は、母親あたりが断続的に家に帰ってまたどこかへ行く様子が見られる。昨日のT家は、御息女が自分の足で下校していた様子を、私にとって始めて見られた。さすがに二年生になったのだから、もうママンの車に迎えてもらって夕方までどこかで遊ぶみたいなことも卒業したらしい。
当記事注: 4月30日16時半過ぎに羊の散歩が見られたが、今回同伴の犬2匹の内に、前回羊を襲った犬らしいのはいなかった。前回と同じ方向へ散歩していたが、帰りは別ルートなのか?また、5月2日の朝には、29・30日の小3っぽい女の子でなく、低学年ほどの男の子が羊を牽いて犬・大人と共に散歩させていた。
2015/04/30 15:24 (非G+メモで、ただの記録)
4月30日15時20分過ぎ、下の弟の中学校の家庭訪問で教師ら3人が 件の家庭訪問が4月30日にあることを家のプリントなどから把握していたが、15時に彼らの来訪があったとき、例の「雄飛」関連の人間かと誤認した。彼らは男性一人(大矢先生)女性二人という構成で、顔ぶれからまず特別支援学級の教師らだと気付くべきだった。彼らの来訪は中型の乗用車であったが、来訪の前に母親が唐突に車の位置をズラしていたことも、彼らの来訪に備え駐車スペースを未然に空けたという点に繋がる。「未然に」といえば、高圧ガス式のスプレーの音が頻りに鳴っていたこともこれに繋がる。当初、殺虫剤かと思っていたが、実際には芳香剤で、彼らの来訪直後(リビングに案内され約1分の遊び時間)に和室のふすまを空けてリビングの様子を窺ったところ、私の和室の窓を開放しているため空気の流れから息苦しささえ覚える芳香剤の香りがしたのだ。
ふすまを僅かに開けた隙間には、視線の先2mほどに白髪の男性、大矢先生である。姿勢としては、こちら側を正面に向いているのだが、私の視線に気づくことはなかった。そのままPCの前に戻る私であったが、それから母親と教師らの会話に耳を傾けることなく時間が過ぎる。我が家への来訪から実に約10分、実際の会話時間は7~8分という時間で家庭訪問が終わってしまった。
帰り際に改めて窓から彼らの容姿を確認した。女性二人が共に灰色(グレー)のスーツを着ていたことは最初に見知ったが、大矢先生は黒~濃い灰色のスーツである。実はその「最初」の時にチラっと男性の姿が見えても、大矢先生と気付かずもっと若い知らない人に見えたことが、「最初」の確認で家庭訪問の教師だと気付けなかった原因でもある。故にこの時は「雄飛」関連、あるいはどこかの職員あたりかと妙な恐怖心さえ懐いていた。
なお、本日は12時前に部屋のゴミ袋1つを捨てに出たが、この時間に敢えてゴミ捨てに繰り出すと夜~早朝のゴミ捨てと異なる気分が味わえる。ことにゴミ捨て場がゴミの山になった様子は新鮮・・・不衛生である。
この時間のゴミ捨てにはもう一つ理由があり、10時頃窓の外を過ぎ行く大勢の子供たち、これは4月28日もそうであったが、上級生が車道側を歩き、新入生の手を繋ぎ目的地へ歩くという遠足だと見られた。私が小1=大戸小学校の時代に別所沼公園へ二年生と共に遠足をしたものだ、と感慨に耽る。様子がおかしいことは、上級生と思しき者の学年が小4~小6バラバラに見えたこと。
ゴミ捨てを遂行してそのまま現地へ足を運ぶ。そこには総勢数百名と思しき子供らがいた。最寄の小学校はおろか、見慣れない校名からの一行も。現地を巡回するように練り歩きながら、子供たちの食事時を鑑賞した。現地入りして最初~半分ほどの時間に、携帯電話で写真を5枚撮った。大勢の子供らが園内で過ごしている様は、さながら前述の別所沼公園のアレ。食事中の学校のエリアでも、あちこちで忙しない子供の動きが見られた。どうやら、大人しく食事が出来ないようである。
この時期にもなると暖かいといえば暖かい気候だが、4月29日の豊橋はそれ以前の数日より涼しいようだったが、4月30日朝4時半に起きたときはやや寒く感じられた。この日の現地はクマバチのような大きめの蜂が1匹見られ、高木の枝から長く吊るされた蜘蛛の糸も散見され、不気味で、よくも遊んでいる子供らがこれに掛からないものだと思った。
その他(2015年9月追加)
期間的な意味や内容的な意味などから「その他」。
本来は載せないこととしていたが、2015年9月ワケあって一応は漏れなく載せようと考えた。
2月
26日
俺が研鑽・創作等してなければ、こう→「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しょうもん)とは云ふなり。
22日
召喚詠唱の下級派生「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」読点を休符と思って、あとは休みを挟まず矢継ぎ早に唱える。節が"7・9"・"7・5"という点に注目。この詠唱の用途→T家によく来る大人(全員女性)は延べ人数5人だが、どれほどが同一人物か掴みづらいため、これで想定人物の魂を集めて見分ける。ちょっと意味不明&いい加減
07日
御誡歌(ボツっぽい) 「ヤンゴトナシヤチエノモノ カロンジテオシハカリケル オソレハバカレハジシラズ クチニナダシソカレガミナ」
02日
110 BPMの3連符で「こーくぉでおーおたーがも~もとせめぇ~ と~おっくま~みえーしあ~だが~たき~ おぉめおぉめの~がしーてなーるもぉのかぁ~ く~びはーねせっしめぇ~たーてまっつれ~」今様形式に基づいて軍歌調に。
1月
29日
知識は悉く足枷になっている。何が人生の是であるのか。真実に至るには若きに過ぎる。猶予が許されるのならば、より識りゆく必要がある。荒波にも超然とする精神は悟りの境地だ。憂慮も悲愴も、他人の愉悦も全て「死という絶対の理」で以て片付けるのは中々に難しいようだった。
25日
「虚しかる 我が慈しみ 誰が為ぞ」懐疑、諦観。慈悲とは二次的に行われるもので、本来は生存記録こそが目的なはずだ。しかし現にこの事態に直面すると懐疑的になる。俗人への阿諛迎合とその結実が他者よりはるかに劣って利益となることもない。俗を憂えてこの道に入らんと望むが、同じ道の者に貶されたら容易く潰えてしまうのか。そんな時に「なおもうきとき いづちゆくらむ」との名句が耳朶を打つ。市井の歌人でありたい。
22日
いたづらに 命は死なん いづちへと・・・ 答えて曰く、寂光の園に身は帰るらむ、と。「いづくにか」や「いかでか」等の語尾「か」は、現代の文で疑問形をなす文末の「か」が副詞の接尾語となったもので、「いづくにかある」や「いかでか~べき」は現代からすれば疑問形に見えないが、この法則上疑問形になっている。また、「何をか言わんや」という俗語があるが、この法則が適合するものの、「か」と末尾の「や」で重複表現である。しかも「言わんや」では「況や」と混同しやすく、こんな語を作った人間(自体が混同していたのかもしれない)は何様か。「誰をか証人として糾さん(誰を証人として糺すのだろうか)」という御書のフレーズのように、末尾に「や」をつける必要はなく、過剰だ。よって「何をか言わん」で事足りる。「すべからく」の誤用等、半可通で恥をかく言葉。「何をか」は「いかでか」同様、御書では「~べき」を後続の文節に付随させることも多い。ちなみに「言わん・糾さん」とは本来「言はむ・糾さむ」で、已然形+助動詞の「む」が「ん」と変化(撥音便)したものだ。この「む」は「だろう」と推量を付加する。
20日
未だ悲愁が続いて、創作関係を懈怠しつつあるので一首。「どしがたく かいしがたかる うきよにて ゆめをもたはば あぶくのごとし」 寝る前の耽美俳句「のぞみしは ながぬばたまの こいしかみ」
19日
夕日の光、家屋の壁面に映ゆと雖も、茜の空は拝みえること実に多からぬと候。このこと夜半に思いき。
16日
「みのらずに からゆわかばは またもゆる つよきみさおを かかえのぶらむ」今日作った歌・・・今日でなくても。
ラベル:
日録
2015年4月30日木曜日
18歳で法を説く「諸事相対抄」の構想 (背景と大意)
「諸事相対抄」背景
傲岸不遜に存じるが、私も御書に影響された説法の書を著述してみたい。
私の欲望は今「法を説きたい」という菩提心である。
まあ、御書のインスパイアというものは畏れ多い気持ちもある。
誰しもそう感じるが故に、これを行う者は某総本山貫首さんなど高僧のほかは憚るのだろう。
だが、正法を流布せんが為ということが本心であるから、一つの教法ともなる。
「それならば敢えて御書ライクで文に起こす必要ないじゃん」ということになりかねないが、私としてはこの方向でやって現代の気風に反する個性を出したい。
タイトルは平易な漢字を並べ、凝った読みを用いていない。
当初の発想では「文心相対抄」で、「抄」以外は小学校で習う簡単な字。
「諸」という漢字も教育漢字であるか調べると、小6で習うらしい。
ただ、「対」に関しては「對」と旧字体に出来るのだ。
「諸事」という言葉が浮かんでもタイトルに付けるべきか迷い、試しに御書などにおける用法を調べたが、個人的にいまいち語義を掴めなかった。
どうにも、仏法における諸々の「事」について指す用法が見受けられない。
然るうちは使用を控えたほうが良いだろうが、これは特に定まった語義は当てられてないとみなし、私の本抄において便宜的に字義を合わせて作られた語とすればよい。
御書ほか、仏教の文献で「○○撰」というように、述者の名が表記される。
戒名などを書くところだが、戒を受けてない私が自称するのはもう無慚無愧に過ぎるので、「横野真史 撰」でよいだろう。
戒名を創作するとしたら、この「真」という字か、本名の「雅」という字を使いたく思うが、ことに後者は戒名で用いられる字ではないと考えられる。
平成廿七年四月 横野真史撰
「諸事相対抄」大意・ポイント
幾つかの相対を表す「事」について「義」で説明している。
仏教の諸々の「事」から、よりよい「事」を選び抜いて、正しい仏法を突き止めてみよう、の第一歩。
大聖人の御書にも、諸宗の教義を比べる際に法華経ほか諸経・論文という「文証」から、現実に衆生の身に起きた「現証」までを克明に綴られている。
私の本抄においては、仏法のもう少し原始的な方向に掘り下げてみたい。
文心勝劣(もんしんしょうれつ)の義
悟りとは聖典の文に依るべきか、専心の修行に生じる心に依るべきか。
「説かるるが如く行を修む(説の如く修行する)」。
仏の正法を知ることは、文を通じる他になし。
二千年の往古より経典が尊重された所以はこれだ。
同じ文にも、いかにして甚深なる法義を判ずるか。
そこに、素直な信じ方は心が肝要である。
ただ、経文という前提を伴わない唯心論的な修行は仏法にあらず。
末法の衆生は、仏に思し召された遺産たる文を第一に信受すべきか。
天台智顗、智者大師の法華文句に「暗者は其の文を守る」という言葉がある。
最初日寛さんの依義判文抄が初出だと思っていた。
「明者貴其理・暗者守其文」
この言葉は、最初字面の意味だけで捉えがちになる人も多く、私自身も「文は全否定で理が最上なのか!?」と驚いたが、これこそ字面だけの浅い読み方である。
率直に言えば、文も文であるが次には理・心で読み、義を知ると。
天台にしても法華経の文を信受しているわけだから、言わんとしていることは「文の字だけ読むのは悪いということで、理の存在を絡め心で深く読む必要がある」ということだと気付いた。
穿ってみたが、この言葉の義とは、こういうことではなかろうか。
最近も当メモ帳で引いた、涅槃経の「依義不依語」はこれを簡潔に表している。
仏法たれば、文を第一にするべきだが、心でも深く読む、が結論。
仏俗抄録(ぶつぞくしょうろく)の義
諸々の書を学ぶにしても、仏典のみならず外典を抑える必要もある上での注意点。
衆に持たるゝ外典爲りと雖も、現代の卑俗に過ぎたる瑣末な本を讀む可からざる事。
仏教において、仏教そのものは「内」、他の教えは「外」と称される場合がある。
「外道」という表現も、本来仏教が由来だと思ってよい。
仏教ならざる所業だとかを「外道の所業」と言うのではないか。
同時に、仏典に対して、異教や世間の書物などは「外典」と呼ばれる。
日蓮大聖人は、対告衆によっては外典の情報を引かれることもある。
鶴を溺愛した「懿公」の肝の話があるが、肝臓以外の全身が北狄の蛮族に食い荒らされた主君の無残な死を前に、忠臣と称えられる「弘演」が「主君の肝と取り替えて葬ってくれ」と遺言し、自らも割腹で後を追った。
こういった故事を、主に武士に対して諫暁・教化する際に援用している。
大聖人自身、和歌を詠まれたことはないが、一部手紙に「葎~」の歌を引かれたりもした。
大聖人のほか某歴代法主なども、外典にも精通した博学で強記が絶倫の人にあてた書では、仏典由来でないフレーズなども引く。
某歴代法主なら、歌を詠まれた人は多い(日興上人は「謗法を呵責(破折・折伏)せずして外道の書物と歌道に耽ってはいけない」と遺誡された)。
法を説く上で、現代の人に通じる平易な例えなどを出したくとも、卑俗に過ぎている作品から学ぶことは推奨しない。
この他、「同じ仏の書でも何を見るべきか?」と、更に次の「事」に進んで語るべきかもしれないが、流石にここら辺で切り上げる。
経典や、数多の宗派の僧侶たちの書で、最勝を決めるということだが、冒頭の通り「大聖人の御書」並びに「法華経・涅槃経」あたりを薦めるべきだろうか。
この辺りは、その結論の「義」が今はまだ出難い。
日蓮大聖人は「無始無終の御本仏」であれば、今の私の年頃には法華経が最勝という判断が確然としているのかもしれない。
それはそうと(おい)、この記事を投稿後に加筆する最中、「我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて~」という御文が目に入った。
文脈としては、「出家僧侶が名利の為に法を説いて尊敬を集めたがるならそれは食法餓鬼」ということで、私は名利云々でもなければ在家(家出経験アリ)であるものの、この記事の題や冒頭などで「法を説く」という表現を使ったばかりに後味が悪い。
家出経験アリ在家+幼少からのハゲで得度済みだから実質出家みたいなモン(これ加筆した僅か10分後に「在家の人が出家を兼ねていると思うのは精神状態を疑いたい」という平成三年四月の僧侶の発言を目にした、俺ツイてなさすぎ)。
何しても運がないね、俺、生じた菩提心が招くものは疑惑の心か。
ここまでやって馬鹿馬鹿しさがとことん込み上げてくる。
「退転するな」ってことだろうか?まあ在家っていっても特定の教団にも属していないけど。
近頃、活動関連でも思うが、「肝胆を摧くのみにして(略)験しなし」といった気持ちで、投げ出したくなり、結局何が真理で何を追求すればいいのかわからん。
勉強・文章を書きまくるならば今月、2015年4月は絶倫そのものだろうか。
お絵かきや作曲等の創作関連といえば、反して鈍化しているようだ。
今回の記事"も"何か悪い方向に落ちた、ささやかな夢も無慈悲に潰える。
今後の投稿予定に「四字熟語+にして」なる記事があるが、それも当初からの意に反して「私の研鑽における障害」を語った内容が現れる。
このブログは私の日記という側面も強いから、今後もこの路線で狂ってみたいが、途中まで一見まともそうな瓊の裏側が瑕だらけっていう記事に終わるのは残念。
俺の完璧な論理が予期せぬキチガイに潰されるパターンもう懲り懲り。
このあたりも、「隠忍自重・忍辱の技術を付けろ」という仏意だと承服できれば、それが不満を生まずに綺麗な収まり方になるのだろうが、未だ気に食わない。
俺の論理は完璧だから、理不尽な問題に対してそういう捉え方も出来るが、あくまで理性の表面だけ、心の内ではますます不快感が燻る。
どうしても救われないから、こういうことを少しは縷々と書きたくなるものだ、私のほかに仏の心に適う人間がいないのに、仏にさえ救われないそうである。
私は涙を感情からは流さないが、いつも泣いているぞ、怒りはしない。
どうしたら度し難き世間・一切衆生を救えるか、ただ悲しく思う。
私が救われずとも、上記のような「毎自作是念」の悩みを持っている。
最後にもう一点、これも記事加筆中に見つけた御文だが、「法華経を読むにも口ばかり、文字読んで心を読まず、心を読んでも身で読まず(趣意)」というのもある。
これはたまたま言葉が似て「身読」について語ったもので、私の「文心勝劣の義」とは関係ない。
「身読」とは、法華経に説かれた末法における行者が遭う「法難」について、末法で法華経を「死身弘法」すれば必ず「法難」に遭う、これこそが法華経の「身読」と言われる。
大聖人が言わんとしたことは「像法時代の天台・伝教などが法華経を広めても難に遭わなかったが、末法時代の日蓮は多くの法難に遭った」ということである。
この御文を「文心勝劣の義」に加筆しようと思って辞めた理由がおわかり。
こう見れば、「諸事相対抄」は無宗教・18歳の著述と思えないほどに教学が及んだ、内容の豊かな書となる。
不満追記の段が本編パートに並びそうなボリュームになったことが悔やまれる。
「出家」について考えたメモを載せるスペースは、こちらに取る。
出家して山に入る行為について、ことに別の宗派を批判する側が「叡山(など)に篭って修行しても侘しい・空しいだけ」、「社会から隔絶された山寺(各宗の本山寺院など)」と嘲ったり、「社会から逃避して修行」とまで蔑んだりもする。
一方の出家・寺院・宗派としては、ホームページなどで「社会貢献」を強調することもある。
片や出家の反社会性や脱社会性をあげつらい、片や非難された劣等感を糊塗している。
対して、その前者としての立場が強い某在家教団も、一般世間から反社会的カルトと非難される。
宗教同士で「アレは邪教だ」と烙印を押しあうことは順当だが、社会性を持ち出す論は詭弁的。
意見や立場が異なって対立すると結果的には低劣な争いで同化しちゃう真理だろう。
宗教家が「感情」の中の「三毒」や「大罪」に振り回されるとは、色々と失望する。
結局、宗教に社会性を云々するのもアレであるし、真面目に修行をすればよいと思う。
れっきとした犯罪行為ともなれば、法治国家のもとにおいて問題視されようとも、その範疇でなければ問うべきでなかろう。
ことに「出家」であれば、否、「出家」だからこそ社会の趨勢に敢えて迎合する道理はない。
2000年以上前のネパール寄りのインドでは、街を去り山に篭ることが美徳だったはずだ。
この追記について名付けるなら「緇素信行の義」あたりにでもしようかな。
2015年4月27日月曜日
母親(49)の通知表から見る母親の幼少期
4月24日、メモ帳にて両親の学歴・職歴の調査・記録記事を投稿した。
当記事では、帝京大学薬学部卒・母親の小中期の通知表を4月17日深夜(リビング模様替え関連)に見つけたことに伴い、断片的にその幼少期を垣間見たい。
※私の通知表など学校関連の記録は前の家にのみ残っている以上、確固たる情報なきままに記事を作るわけにはいかないので今後も当面の間は予定ナシ。
過去にも触れた2014年4月26日、牛久の祖母アパートの物や母の思い出の品々が再婚間もない叔母さん夫婦により届けられた折に、これがもたらされたのだろう。
叔母さんらは当然、勝手に処分するのは申し訳ない気持ちであったのだ。
母親本人にすれば嫌いな自分史の記録で、厭っていた物だろうが・・・
製薬会社関連の真新しい業務用封筒内に入れており、中には阿見小1~3学年、土浦小4学年、土浦一中3年間の計7つであったが、小学校卒業間際の5・6年こそ見たかった。
3年生までの間「阿見町立阿見小学校」に在籍していたようだが、これは新事実である。
しかももう一点言えることは、1学年9月まで更に別の学校にいたようである旨がメモされている。
また、阿見小・土浦小とも「通信票(原題ママ)」のデザイン・レイアウトが一緒であり、校名は印字されておらず各々学校側が押印しているようで、どれほどの広域が同じ作りの「通信票」を採用していたのか、実に興味深いものである。
土浦小4学年のみ裏面の「修了証」の校名・校長の人名が押印でなく印字なのはなぜだか不明。
まず4学年までの通知表を見ると、5段階評価だというのに全科目・学年で押しなべて2と3のみが並ぶ状況に唖然とした。
戸惑った私は、「これは本当に5段階評価か」と疑ったが、中学校の通知表には俄かに4と5(保健体育・美術)が増え、やはり中間の小5・6こそ如何なるものか拝見したいものだ。
生活に関する評価の欄はABC評価の内、小学校1~4は全てBのみが連なるも、同じく中学ではAが増えだすという状態だ。
結局は評価する教師の判断に依る面もあるだろうが、まあ「としこおばさん」の教育の眼光も中学より鋭敏さを増したという見解もできる。
そして、「出欠の状況」もまた興味深いもので、4学年まで見ると欠席の頻度が高い。
例えば小4は二学期以降11月に欠席1のみだが、1学期中は5月・5回、6月・15回、7月・13回と欠席日数に異様な偏りが見られる。
忌引きでは到底有り得ないことだろう、何があったというのか。
数ヶ月丸休みでもなく、違和感のある休み方である。
要するに数ヶ月丸休みならば入院した・不登校などの状態が考えられるし、この異常を平たく言えば「今日は行く、今日は行かない」といった気分でないとこれは有り得ないのだ。
いつだか私に、熾烈ないじめ被害(上履きに犬の糞だか虫の死骸だかを入れられる等)の学校生活を母親が自白したこともあったが、熾烈さについては誇張表現とみなすとしても、いじめの事実については疑いようもない。
何らかのトラブルなどが窺い知れるが、それらの件に関して担任教師は、敢えてコメントで触れないようにしてると峻烈に感じられる。
土浦中2年も、一・二学期が10月の欠席1のほか無欠席なのに、3学期に入り俄かに3ヶ月間で16回欠席している。
数ヶ月に渡って疎らに欠席頻度が高まるような休み方は、上述の忌引き等ならぬことは判然としているが、やはりいじめに起因するのだろうか?
4つの「通信票」、3つの「通知表」の内、最も欠席が少ないのは中1の計5回。
私の学校生活で不登校期間の全くない小5~中1までの頃と同水準である。
※いつも書いてるが、私の不登校脱却期間は小4二学期(始業式)~中2二学期(12月3日)である。
ここまで色々記録と私の考察を連ねた。
過去の「熾烈ないじめ告白」の真偽はともかく、いじめ被害の事実は濃厚となる。
当時の母親自身の性格などについて、教師の所見の欄では、小1は「素直だが消極的」、小2は「素直で誰とでも仲良し」などと書かれているが、小3で「意志表示(原文ママ)をはっきりと、友達と元気に遊ぶよう、進んで仲間に加わるよう(筆者補足: にしてください)」と少し辛めな評価がある。
小4評価は「真面目、熱心、真面目」と続いていた。
中学校における評価だが、生活に関する意見など記入欄がなく、専ら勉強の姿勢等への言及のみであった。
なお、各学校の生徒数に関する見解も記したい。
在学時の土浦小学校は1学年に6クラスあり、クラスあたり約40人いるようだった。
母親自身、阿見小学校ではある年に6組に属していたことから最低6クラス以上あると見られ、土浦一中もある年に8組で、同様に8クラス以上あると見られる。
ご存知の人も多いだろうが、この時代は生徒数が今以上に肥大化していた傾向があり、団塊世代の小学校時代より一層、小学校が窮屈になる特殊事情がある。
昭和らしい発展する地方都市の市街地にあって、その事情によるマンモス校化といえるが、他の要因としては日本国が普遍的に今より児童人口の割合が高かったなどが言える。
クラス数に関しては私が小1三学期で転校した学校が1学年3クラスあったが、2学年に進級すると4クラスに増えた、県内屈指の教育地域と人口増加地区の相乗効果で、年度始に転入する児童が多いことが一因に数えられるが、これはよそでも有り得るのだろうか。
否、小4二学期に転校した学校では小5年度始に1人転入があったのみで、中学では中2年度始を以ていつの間にか3人の名前が学校から消えてしまって(3人転出)、この小中学校でクラス数が増えることは当然なかった。
その件については過去記事で詳述したが、例の如く見当たらず、徒労に終わる。
一方で私が中2の12月から不登校になっても、家出は翌4月18日だから、中3時のクラス名簿には当然私の名があり、担任教師も中2に続いて新任若手男性教師Hのまま。
中学時、同学年で不登校になった者は、先述の中2の年度始で消えた3人の内の一人で、元々強い被害妄想(私の小4転校時、些事を発端にいつも泣いてばかりだった彼にはただただ驚いた)により中1二学期始からいじめられずして登校しなくなった例くらい。
時の担任教師は別の若手男性教師Nであったが、この人物はその年度を以て他校へ異動しており、私が中学に進学する前も別の学校にいたと見られる。
若手には、各地で多くの児童を前に経験を積ませる方針があるようだから、本来はこの教師Nのように1年間を以て異動になろう新任教師Hも、私の持続した不登校に伴い、同校に留まることになったとしか思えない。
教師N時代より私に与え続けられた苦難の結果ではあったが、新任教師Hは生徒の責任を勝手に取らされ、取らせたのは勝手に私ということになるのだ。
私がその執権を持つというならば、責任なるものを別しては不良生徒ら、総じては同学年の全生徒に取らせる。
新任教師Hもまあ、私や学級の顕然とした異常事態に適切な対処を為しえなかった人間ではあるが、私が最も報いを受けるべきと思う者は別であった。
教師の異動に関する話は他に、中学では1・2年の学年主任が当時50前後の男性で、中3の時はすぐ家出しちゃうから知らないが、平成26年度も在任していることをHP上の学校便りで確認、最低でも21年度からいる。
小5・6年の担任教師は例の(?)ケバい中年女性教師であった。
小4転校時に既にいたことは確かで、中1の時も登校中の通学路の信号待ちに、小学校方面に向かう車を運転していたその女性教師に挨拶されたことがあった点から分かるとおり、私の卒業後も同小学校に在任している。
・・・このことを引き合いに出した理由が思い出せない。
ちなみに、4月27日になると、私が見つけ出した場所から、例の製薬会社封筒はなくなっている。
この製薬会社封筒は実は2つあって、もう片方は土浦小学校の卒業アルバムだ。
各種通知表の入った封筒であっても、同梱されていたものが通知表のみならず、例えば松蔭神社?松陰神社なるところの絵馬(何も書かれていない、まあ書いていたら奉納するのが普通だし)や、東京大学医学部(?)合格祈願の何かが入っていたが、願掛けしても潰えたね、ご愁傷様。
松陰神社は世田谷区内だが、茨城・土浦駅から行く場合、私の地理感では恐らく土浦→上野→渋谷→最寄の何とか駅(東急何とか線でしょ?)が真っ当なルートか。
当記事では、帝京大学薬学部卒・母親の小中期の通知表を4月17日深夜(リビング模様替え関連)に見つけたことに伴い、断片的にその幼少期を垣間見たい。
※私の通知表など学校関連の記録は前の家にのみ残っている以上、確固たる情報なきままに記事を作るわけにはいかないので今後も当面の間は予定ナシ。
過去にも触れた2014年4月26日、牛久の祖母アパートの物や母の思い出の品々が再婚間もない叔母さん夫婦により届けられた折に、これがもたらされたのだろう。
叔母さんらは当然、勝手に処分するのは申し訳ない気持ちであったのだ。
母親本人にすれば嫌いな自分史の記録で、厭っていた物だろうが・・・
製薬会社関連の真新しい業務用封筒内に入れており、中には阿見小1~3学年、土浦小4学年、土浦一中3年間の計7つであったが、小学校卒業間際の5・6年こそ見たかった。
3年生までの間「阿見町立阿見小学校」に在籍していたようだが、これは新事実である。
しかももう一点言えることは、1学年9月まで更に別の学校にいたようである旨がメモされている。
また、阿見小・土浦小とも「通信票(原題ママ)」のデザイン・レイアウトが一緒であり、校名は印字されておらず各々学校側が押印しているようで、どれほどの広域が同じ作りの「通信票」を採用していたのか、実に興味深いものである。
土浦小4学年のみ裏面の「修了証」の校名・校長の人名が押印でなく印字なのはなぜだか不明。
まず4学年までの通知表を見ると、5段階評価だというのに全科目・学年で押しなべて2と3のみが並ぶ状況に唖然とした。
戸惑った私は、「これは本当に5段階評価か」と疑ったが、中学校の通知表には俄かに4と5(保健体育・美術)が増え、やはり中間の小5・6こそ如何なるものか拝見したいものだ。
生活に関する評価の欄はABC評価の内、小学校1~4は全てBのみが連なるも、同じく中学ではAが増えだすという状態だ。
結局は評価する教師の判断に依る面もあるだろうが、まあ「としこおばさん」の教育の眼光も中学より鋭敏さを増したという見解もできる。
そして、「出欠の状況」もまた興味深いもので、4学年まで見ると欠席の頻度が高い。
例えば小4は二学期以降11月に欠席1のみだが、1学期中は5月・5回、6月・15回、7月・13回と欠席日数に異様な偏りが見られる。
忌引きでは到底有り得ないことだろう、何があったというのか。
数ヶ月丸休みでもなく、違和感のある休み方である。
要するに数ヶ月丸休みならば入院した・不登校などの状態が考えられるし、この異常を平たく言えば「今日は行く、今日は行かない」といった気分でないとこれは有り得ないのだ。
いつだか私に、熾烈ないじめ被害(上履きに犬の糞だか虫の死骸だかを入れられる等)の学校生活を母親が自白したこともあったが、熾烈さについては誇張表現とみなすとしても、いじめの事実については疑いようもない。
何らかのトラブルなどが窺い知れるが、それらの件に関して担任教師は、敢えてコメントで触れないようにしてると峻烈に感じられる。
土浦中2年も、一・二学期が10月の欠席1のほか無欠席なのに、3学期に入り俄かに3ヶ月間で16回欠席している。
数ヶ月に渡って疎らに欠席頻度が高まるような休み方は、上述の忌引き等ならぬことは判然としているが、やはりいじめに起因するのだろうか?
4つの「通信票」、3つの「通知表」の内、最も欠席が少ないのは中1の計5回。
私の学校生活で不登校期間の全くない小5~中1までの頃と同水準である。
※いつも書いてるが、私の不登校脱却期間は小4二学期(始業式)~中2二学期(12月3日)である。
ここまで色々記録と私の考察を連ねた。
過去の「熾烈ないじめ告白」の真偽はともかく、いじめ被害の事実は濃厚となる。
当時の母親自身の性格などについて、教師の所見の欄では、小1は「素直だが消極的」、小2は「素直で誰とでも仲良し」などと書かれているが、小3で「意志表示(原文ママ)をはっきりと、友達と元気に遊ぶよう、進んで仲間に加わるよう(筆者補足: にしてください)」と少し辛めな評価がある。
小4評価は「真面目、熱心、真面目」と続いていた。
中学校における評価だが、生活に関する意見など記入欄がなく、専ら勉強の姿勢等への言及のみであった。
なお、各学校の生徒数に関する見解も記したい。
在学時の土浦小学校は1学年に6クラスあり、クラスあたり約40人いるようだった。
母親自身、阿見小学校ではある年に6組に属していたことから最低6クラス以上あると見られ、土浦一中もある年に8組で、同様に8クラス以上あると見られる。
ご存知の人も多いだろうが、この時代は生徒数が今以上に肥大化していた傾向があり、団塊世代の小学校時代より一層、小学校が窮屈になる特殊事情がある。
昭和らしい発展する地方都市の市街地にあって、その事情によるマンモス校化といえるが、他の要因としては日本国が普遍的に今より児童人口の割合が高かったなどが言える。
クラス数に関しては私が小1三学期で転校した学校が1学年3クラスあったが、2学年に進級すると4クラスに増えた、県内屈指の教育地域と人口増加地区の相乗効果で、年度始に転入する児童が多いことが一因に数えられるが、これはよそでも有り得るのだろうか。
否、小4二学期に転校した学校では小5年度始に1人転入があったのみで、中学では中2年度始を以ていつの間にか3人の名前が学校から消えてしまって(3人転出)、この小中学校でクラス数が増えることは当然なかった。
その件については過去記事で詳述したが、例の如く見当たらず、徒労に終わる。
一方で私が中2の12月から不登校になっても、家出は翌4月18日だから、中3時のクラス名簿には当然私の名があり、担任教師も中2に続いて新任若手男性教師Hのまま。
中学時、同学年で不登校になった者は、先述の中2の年度始で消えた3人の内の一人で、元々強い被害妄想(私の小4転校時、些事を発端にいつも泣いてばかりだった彼にはただただ驚いた)により中1二学期始からいじめられずして登校しなくなった例くらい。
時の担任教師は別の若手男性教師Nであったが、この人物はその年度を以て他校へ異動しており、私が中学に進学する前も別の学校にいたと見られる。
若手には、各地で多くの児童を前に経験を積ませる方針があるようだから、本来はこの教師Nのように1年間を以て異動になろう新任教師Hも、私の持続した不登校に伴い、同校に留まることになったとしか思えない。
教師N時代より私に与え続けられた苦難の結果ではあったが、新任教師Hは生徒の責任を勝手に取らされ、取らせたのは勝手に私ということになるのだ。
私がその執権を持つというならば、責任なるものを別しては不良生徒ら、総じては同学年の全生徒に取らせる。
新任教師Hもまあ、私や学級の顕然とした異常事態に適切な対処を為しえなかった人間ではあるが、私が最も報いを受けるべきと思う者は別であった。
教師の異動に関する話は他に、中学では1・2年の学年主任が当時50前後の男性で、中3の時はすぐ家出しちゃうから知らないが、平成26年度も在任していることをHP上の学校便りで確認、最低でも21年度からいる。
小5・6年の担任教師は例の(?)ケバい中年女性教師であった。
小4転校時に既にいたことは確かで、中1の時も登校中の通学路の信号待ちに、小学校方面に向かう車を運転していたその女性教師に挨拶されたことがあった点から分かるとおり、私の卒業後も同小学校に在任している。
・・・このことを引き合いに出した理由が思い出せない。
ちなみに、4月27日になると、私が見つけ出した場所から、例の製薬会社封筒はなくなっている。
この製薬会社封筒は実は2つあって、もう片方は土浦小学校の卒業アルバムだ。
各種通知表の入った封筒であっても、同梱されていたものが通知表のみならず、例えば
松陰神社は世田谷区内だが、茨城・土浦駅から行く場合、私の地理感では恐らく土浦→上野→渋谷→最寄の何とか駅(東急何とか線でしょ?)が真っ当なルートか。
2015年4月24日金曜日
両親の学歴・職歴についての調査と記録
簡潔に現状から記す。
父親は現在確認はとれないが、日本生命に関するオフィスに勤務してるだろう。
母親は断続的に退職を繰り返している折、今は求職中か。
まず父親の学歴だが、私の前の家にいた際(中3家出まで)の調査では、鴨川市内の小中学校、千葉県立長狭高等学校、駒澤大学(学部不明)だと思われる。
駒澤大学の可能性はかなり覚束ないものであるが、前の家で本棚に入っていた駒澤大学の卒業証書のようなものを見たり、幼い頃からほのかに父親の口頭で学校の名を聞いていたことなどが状況的な証拠として挙げられる。
卒業証書が状況証拠なら、長狭高の卒業文集らしきものを見たことさえ証拠たりえなくなる、結局は記憶にしっかりしたものがあるかどうかという私の判断だけが頼り。
また、父親の口頭というと、こういったことで駒沢大がマラソンか駅伝か何かで有名だという認識が小学生の時に付いた。
4月9日、たまたま仏教系の学校について考えていたが、このときにはじめて駒沢大が曹洞宗の方の学校と知った。
仏教要素は微塵も感じていなかったが、父親の実家は日蓮系信徒であり、父方の祖父は真言宗の寺に墓を構えているということを最近の調査で知ったばかりである。
母方の祖父の墓場が曹洞宗の寺院で、仏壇は日蓮系であるが、宗派がごちゃごちゃではないか。
曹洞宗の学校にどんな経緯で入学したか、そしてどの学部なのか、まあ宗教のことは切り離すべきなのだろう。
父親の職歴は、冒頭で「日本生命に関するオフィス」と書いたが、これは前の家で日本生命の社員証らしきものを見たこと、私が小3~4の頃に蒲田にあるアロマスクエアを見に行ったことや、幼い頃に父親の口頭で「新宿の半分は危険な場所」と告げられたことが判断材料となっている。
アロマスクエアとは、お金持ち保険会社の日本生命がオフィスビル不動産事業(明治安田生命なども高層オフィス開発を行っている)で建てたもので、自社のオフィス機能も備えているのか。
同時に口頭で告げられた新宿に勤めていた時代も加味すると、これは同じく日本生命に「新宿NSビル」というものがある(NSのNは"Nihon seimei"で、Sは"Sumitomo"に由来)。
この「新宿NSビル」に勤めていた可能性が高いと見ている。
ちなみに「新宿の半分は危険な場所」という真意は、新宿駅より東側の繁華街、ことに歌舞伎町などを指しているのだろう、と2013年に思った。
いわゆる、独身の、しがないサラリーマン時代に、父親は「JR船橋市場町社宅」(船橋市市場1丁目。最寄り駅は総武線各駅、総武線快速、東武野田線の止まる船橋駅、その近くに京成船橋駅)に住んでいたと思われる。
そこから新宿NSビルへ通勤、ということはあまり想像しづらい。
結婚後、ジャズ好きで友達なしの父親だが、もっと若い頃から23区内のJR中央線や都営大江戸線などの沿線のエリアから新宿に通勤しているほうが、まだ彼は人間的に豊かになれたろう。
続いて母親の学歴について綴る。
2015年3月31日、母親の部屋から履歴書が見つかったが、冒頭や過去記事にも書いたとおり母親が近頃またも退職していたため、求職にあたって作ったと思われる。
そこには、土浦第一中学校、土浦第二高等学校、帝京大学薬学部とあり、昭和何年かも含めると、差し支えなく順調に22歳(何か計算合わない、23歳?)で全過程を修めたものと見る。
「としこおばさん」の技量には私も平伏するばかり。
この中・高については元々微かに察していたものがある。
ある日の口論の中で母親自身の口頭で幼少期の話を聞かされたが、第二高校は当時女子高だったようであり、公式サイト学校案内にも平成6年に共学へ移行した旨が書いてある。
また、帝京大学について、板橋キャンパスの本館高層棟の画像を見た際に「これは近年できた建物だ」と思った。
一般に、大学キャンパスで高さ80m超の高層ビルは大概2000年代以降に竣工したものであり、少し調べるとこれも例に漏れず2008年竣工、2009年開業だと知る。
母親の在学当時で必ずしも板橋キャンパスに同学部があるとは限らない、そう予想した。
Wikipediaの簡単な沿革年表には、「1977年 大学に薬学部薬学科、生物薬学科を設置」とあり、あたかも初めから板橋に薬学部があるかのように思わせるが、私はそれを鵜呑みにしない。
必死に公式ページを探ったところ、「キャンパスの変遷」というページの板橋の項目には「2012 薬学部相模湖キャンパスより移転」とある。
「相模湖キャンパス」の項目には「1977 薬学部設置」とある為、ここであろう。
この「相模湖キャンパス」は2012年の学部移転に伴い建物は解体され、同じ土地で2015年に老人ホームが開設されている。
板橋に初めから同学部があると思えば早計であるが、相模湖キャンパスの所在地も母親の在学時は「神奈川県相模原市」ではなく、「神奈川県津久井郡」である。
この津久井郡とは、平成の大合併で相模原市の政令指定都市を目指す過程において同市に編入されて消滅している。
元々国内の地理が好きだった時期が2012~2014年にあった私は、この事実を既に存じていた。
故に、高層ビル云々から自治体の歴史まで短絡せずに、全てを深く思索した上で調査を進行させられた。
帝京大の話が長引いた。
この履歴書を見る以前は、私が連れていったもらったこともあり、母親の幼少を過ごした土浦に程近く位置する「筑波大学」だと思い込んでいた。
その為、確かな調査結果を出しても尚、相模方面の学校とは得心がいってない。
ほか、東京都世田谷区にある松陰神社の絵馬が家にあって無記載だが、関連する合格祈願の何かに第一志望が東京大学医学部であるようなことを書いていることも知っている(詳細は今に確認しづらい)。
続いて職歴であるが、同履歴書の1枚目から2枚目にも続いている。
平成元年に卒業してすぐ勤めた場所は、やはり地元県内にある、つくば市内の旧通産省の施設である。
某財団法人、某研究所が薬学部卒業とどう関連するかわからない。
同平成元年に薬剤師の資格を取得していることも確認している。
続く平成8年には研究所を退職して埼玉県内の病院に移っているが、これこそまさに父親と結婚するあたりだと断定できよう。
「病棟薬剤師として勤務」ということだが、やはり資格を所持しているはずだ。
未だ詳細が掴めないがこれもスルーしておく。
続く平成18年に退職したとされているが、ここで大きな注意点を挙げる。
どうも職歴とは略歴のようで、あの母親がその病院に10年間勤めているはずもないことは論を俟たないことで、平成18年といえば既に結婚以降より住み続けたさいたま市域(旧浦和・与野市)から離れている上、私が幼くして当然専業主婦となっていることは記憶に明らかだ。
それにその平成18年に北海道の病院に勤め始めたことが書かれているが、これも1年誤りがある。
平成19年=2007年4月、○×市より母親の別居が始まり、ここで初めて北海道に移った。
まあ、埼玉県内に住んでるときから、移るにあたって現地での仕事を未然に探していたとすれば、「平成18年度」内という風にも取ることはできなくない。
続く平成20年に愛知県豊橋市内の病院に移っているが、これもおかしい。
2008年(平成20年)から兵庫県姫路市内に移り住んで、豊橋市内の病院への勤務は翌2009年以降のことであるはずだ。
やはり略歴で、ここまでもここからも、細かい月については就いた月が4月、辞めた月が3月に統一されていて、姫路のことは省かれたのだ。
就職4月辞職3月で統一することは、もはや隠さずして潔い書き方だろう。
平成20年の病院は平成23年に辞めたとされ、以降はどこか薬局の店員・店長で、毎年毎年某大手チェーン(H.23)だとか中堅(H.24)だとか中堅(H.25)だとかとあたりを転々として「平成27年 現在に至る」と終わる。
何月の件をはじめ、その他も便宜的な表記であるだろう。
一見すると、何か大手や中堅の薬局の社員であるかのような書かれ方のそれも、雇う側の者は便宜的な表記であることは理解しているのだろうか。
履歴書とは誰しもがそうして書くものだろうか。
そのことを除いても、近年の母親が職を転々としていることは本人もこう書いている通りで、履歴書を見た者は「どんな事情の人だ」、「この人は長続きするのか」思うことだろうが、この豊橋で容易く就職が叶っている事実。
この件は過去記事に細かく考えているので参照されたし。
→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/02/blog-post_21.html
当記事で日本生命の高層ビルや、2000年代の大学の高層ビルについて触れたが、我が故郷さいたま市はことに大宮区に日本生命が関与した大宮ソニックシティや、2004年開業の大宮法科大学院大学(27年度末をもって桐蔭横浜に吸収される)の校舎ビルなどがある。
明治安田生命が、というのも新都心のランドアクシスタワーを指す。
これについても私の地理に詳しいこと、故郷埼玉を学んでいることがわかるよね。
博識だよね天才だよね凄いよね、大体17歳までに知ったことだよ。
後者のビルなどは、板橋の某ビルの竣工年を推理する上で第一の材料になった。
当記事の大筋を2015年4月9日に書き終えた。
同日中にもう一つの記事で2600文字超書いたわけだが、こうしてたまに1日で6000文字以上も頭で文章を考えながら文字を打つ作業は、手や腕などより、足腰がこたえる。
ずっと座布団の上に座って、頻りに姿勢を変えてはいるが、これは辛い。
関東でも雪が降った4月8日に対して同日も寒く、手先は冷える。
今年の1月に18歳の誕生日を迎え、今や4月、かつての同級生らの大半は大学に進学した頃合ではないか。
世の真理を普く求める私の独りの戦いは果てを知らず続くだろう。
普段なら大学云々の話題自体が空しいものだ。
まして私がドコドコ志望するなど考えもしない。
世渡りは生来不能の身であると独り覚ったのだから、これは不毛のこと。
だが、両親にかこつけて当記事は書こうと思えた。
あくまで、個人的な記録の為なのだから・・・
また、当記事を書くことに罪悪感をも覚えた。
記録とはいえ、両親の学歴や職歴などわざわざネットに載せる必要があるだろうか。
否、罪悪感を覚えることこそおかしいと思えばよい。
純粋に記録の必要が迫られているから、意のままに行ったと。
何か不都合があるとすれば、母親の履歴書の書き方の項目である。
こればかりはネットにその行為について載せるべきかかなり迷った。
悪く言えば職歴の偽装にもなるが、違法性は薄い上に、誰かが当記事見て法律相談したところで対応はされないだろう。
親告罪かどうかは知らないが、少なくとも母と職場以外の第三者が介入できることはないため、突然警察などが事情聴取だとかも、当記事が発端で起きることは普通にない。
すなわち職場、雇用主側が問題視して訴え出ると民事的には・・・
何にしても当記事は不穏分子となりそうだから、忌々しい気持ちが晴れないのだ。
私の順当な見解とは異なる者達が、我が家の偽りの平穏を乱してしまいそうで。
後発の関連記事(家族ラベル記事群にもある):
母親(49)の通知表から見る母親の幼少期 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/49.html
類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
父親は現在確認はとれないが、日本生命に関するオフィスに勤務してるだろう。
母親は断続的に退職を繰り返している折、今は求職中か。
まず父親の学歴だが、私の前の家にいた際(中3家出まで)の調査では、鴨川市内の小中学校、千葉県立長狭高等学校、駒澤大学(学部不明)だと思われる。
駒澤大学の可能性はかなり覚束ないものであるが、前の家で本棚に入っていた駒澤大学の卒業証書のようなものを見たり、幼い頃からほのかに父親の口頭で学校の名を聞いていたことなどが状況的な証拠として挙げられる。
卒業証書が状況証拠なら、長狭高の卒業文集らしきものを見たことさえ証拠たりえなくなる、結局は記憶にしっかりしたものがあるかどうかという私の判断だけが頼り。
また、父親の口頭というと、こういったことで駒沢大がマラソンか駅伝か何かで有名だという認識が小学生の時に付いた。
4月9日、たまたま仏教系の学校について考えていたが、このときにはじめて駒沢大が曹洞宗の方の学校と知った。
仏教要素は微塵も感じていなかったが、父親の実家は日蓮系信徒であり、父方の祖父は真言宗の寺に墓を構えているということを最近の調査で知ったばかりである。
母方の祖父の墓場が曹洞宗の寺院で、仏壇は日蓮系であるが、宗派がごちゃごちゃではないか。
曹洞宗の学校にどんな経緯で入学したか、そしてどの学部なのか、まあ宗教のことは切り離すべきなのだろう。
父親の職歴は、冒頭で「日本生命に関するオフィス」と書いたが、これは前の家で日本生命の社員証らしきものを見たこと、私が小3~4の頃に蒲田にあるアロマスクエアを見に行ったことや、幼い頃に父親の口頭で「新宿の半分は危険な場所」と告げられたことが判断材料となっている。
アロマスクエアとは、お金持ち保険会社の日本生命がオフィスビル不動産事業(明治安田生命なども高層オフィス開発を行っている)で建てたもので、自社のオフィス機能も備えているのか。
同時に口頭で告げられた新宿に勤めていた時代も加味すると、これは同じく日本生命に「新宿NSビル」というものがある(NSのNは"Nihon seimei"で、Sは"Sumitomo"に由来)。
この「新宿NSビル」に勤めていた可能性が高いと見ている。
ちなみに「新宿の半分は危険な場所」という真意は、新宿駅より東側の繁華街、ことに歌舞伎町などを指しているのだろう、と2013年に思った。
いわゆる、独身の、しがないサラリーマン時代に、父親は「JR船橋市場町社宅」(船橋市市場1丁目。最寄り駅は総武線各駅、総武線快速、東武野田線の止まる船橋駅、その近くに京成船橋駅)に住んでいたと思われる。
そこから新宿NSビルへ通勤、ということはあまり想像しづらい。
結婚後、ジャズ好きで友達なしの父親だが、もっと若い頃から23区内のJR中央線や都営大江戸線などの沿線のエリアから新宿に通勤しているほうが、まだ彼は人間的に豊かになれたろう。
続いて母親の学歴について綴る。
2015年3月31日、母親の部屋から履歴書が見つかったが、冒頭や過去記事にも書いたとおり母親が近頃またも退職していたため、求職にあたって作ったと思われる。
そこには、土浦第一中学校、土浦第二高等学校、帝京大学薬学部とあり、昭和何年かも含めると、差し支えなく順調に22歳(何か計算合わない、23歳?)で全過程を修めたものと見る。
「としこおばさん」の技量には私も平伏するばかり。
この中・高については元々微かに察していたものがある。
ある日の口論の中で母親自身の口頭で幼少期の話を聞かされたが、第二高校は当時女子高だったようであり、公式サイト学校案内にも平成6年に共学へ移行した旨が書いてある。
また、帝京大学について、板橋キャンパスの本館高層棟の画像を見た際に「これは近年できた建物だ」と思った。
一般に、大学キャンパスで高さ80m超の高層ビルは大概2000年代以降に竣工したものであり、少し調べるとこれも例に漏れず2008年竣工、2009年開業だと知る。
母親の在学当時で必ずしも板橋キャンパスに同学部があるとは限らない、そう予想した。
Wikipediaの簡単な沿革年表には、「1977年 大学に薬学部薬学科、生物薬学科を設置」とあり、あたかも初めから板橋に薬学部があるかのように思わせるが、私はそれを鵜呑みにしない。
必死に公式ページを探ったところ、「キャンパスの変遷」というページの板橋の項目には「2012 薬学部相模湖キャンパスより移転」とある。
「相模湖キャンパス」の項目には「1977 薬学部設置」とある為、ここであろう。
この「相模湖キャンパス」は2012年の学部移転に伴い建物は解体され、同じ土地で2015年に老人ホームが開設されている。
板橋に初めから同学部があると思えば早計であるが、相模湖キャンパスの所在地も母親の在学時は「神奈川県相模原市」ではなく、「神奈川県津久井郡」である。
この津久井郡とは、平成の大合併で相模原市の政令指定都市を目指す過程において同市に編入されて消滅している。
元々国内の地理が好きだった時期が2012~2014年にあった私は、この事実を既に存じていた。
故に、高層ビル云々から自治体の歴史まで短絡せずに、全てを深く思索した上で調査を進行させられた。
帝京大の話が長引いた。
この履歴書を見る以前は、私が連れていったもらったこともあり、母親の幼少を過ごした土浦に程近く位置する「筑波大学」だと思い込んでいた。
その為、確かな調査結果を出しても尚、相模方面の学校とは得心がいってない。
ほか、東京都世田谷区にある松陰神社の絵馬が家にあって無記載だが、関連する合格祈願の何かに第一志望が東京大学医学部であるようなことを書いていることも知っている(詳細は今に確認しづらい)。
続いて職歴であるが、同履歴書の1枚目から2枚目にも続いている。
平成元年に卒業してすぐ勤めた場所は、やはり地元県内にある、つくば市内の旧通産省の施設である。
某財団法人、某研究所が薬学部卒業とどう関連するかわからない。
同平成元年に薬剤師の資格を取得していることも確認している。
続く平成8年には研究所を退職して埼玉県内の病院に移っているが、これこそまさに父親と結婚するあたりだと断定できよう。
「病棟薬剤師として勤務」ということだが、やはり資格を所持しているはずだ。
未だ詳細が掴めないがこれもスルーしておく。
続く平成18年に退職したとされているが、ここで大きな注意点を挙げる。
どうも職歴とは略歴のようで、あの母親がその病院に10年間勤めているはずもないことは論を俟たないことで、平成18年といえば既に結婚以降より住み続けたさいたま市域(旧浦和・与野市)から離れている上、私が幼くして当然専業主婦となっていることは記憶に明らかだ。
それにその平成18年に北海道の病院に勤め始めたことが書かれているが、これも1年誤りがある。
平成19年=2007年4月、○×市より母親の別居が始まり、ここで初めて北海道に移った。
まあ、埼玉県内に住んでるときから、移るにあたって現地での仕事を未然に探していたとすれば、「平成18年度」内という風にも取ることはできなくない。
続く平成20年に愛知県豊橋市内の病院に移っているが、これもおかしい。
2008年(平成20年)から兵庫県姫路市内に移り住んで、豊橋市内の病院への勤務は翌2009年以降のことであるはずだ。
やはり略歴で、ここまでもここからも、細かい月については就いた月が4月、辞めた月が3月に統一されていて、姫路のことは省かれたのだ。
就職4月辞職3月で統一することは、もはや隠さずして潔い書き方だろう。
平成20年の病院は平成23年に辞めたとされ、以降はどこか薬局の店員・店長で、毎年毎年某大手チェーン(H.23)だとか中堅(H.24)だとか中堅(H.25)だとかとあたりを転々として「平成27年 現在に至る」と終わる。
何月の件をはじめ、その他も便宜的な表記であるだろう。
一見すると、何か大手や中堅の薬局の社員であるかのような書かれ方のそれも、雇う側の者は便宜的な表記であることは理解しているのだろうか。
履歴書とは誰しもがそうして書くものだろうか。
そのことを除いても、近年の母親が職を転々としていることは本人もこう書いている通りで、履歴書を見た者は「どんな事情の人だ」、「この人は長続きするのか」思うことだろうが、この豊橋で容易く就職が叶っている事実。
この件は過去記事に細かく考えているので参照されたし。
→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/02/blog-post_21.html
当記事で日本生命の高層ビルや、2000年代の大学の高層ビルについて触れたが、我が故郷さいたま市はことに大宮区に日本生命が関与した大宮ソニックシティや、2004年開業の大宮法科大学院大学(27年度末をもって桐蔭横浜に吸収される)の校舎ビルなどがある。
明治安田生命が、というのも新都心のランドアクシスタワーを指す。
これについても私の地理に詳しいこと、故郷埼玉を学んでいることがわかるよね。
博識だよね天才だよね凄いよね、大体17歳までに知ったことだよ。
後者のビルなどは、板橋の某ビルの竣工年を推理する上で第一の材料になった。
当記事の大筋を2015年4月9日に書き終えた。
同日中にもう一つの記事で2600文字超書いたわけだが、こうしてたまに1日で6000文字以上も頭で文章を考えながら文字を打つ作業は、手や腕などより、足腰がこたえる。
ずっと座布団の上に座って、頻りに姿勢を変えてはいるが、これは辛い。
関東でも雪が降った4月8日に対して同日も寒く、手先は冷える。
今年の1月に18歳の誕生日を迎え、今や4月、かつての同級生らの大半は大学に進学した頃合ではないか。
世の真理を普く求める私の独りの戦いは果てを知らず続くだろう。
普段なら大学云々の話題自体が空しいものだ。
まして私がドコドコ志望するなど考えもしない。
世渡りは生来不能の身であると独り覚ったのだから、これは不毛のこと。
だが、両親にかこつけて当記事は書こうと思えた。
あくまで、個人的な記録の為なのだから・・・
また、当記事を書くことに罪悪感をも覚えた。
記録とはいえ、両親の学歴や職歴などわざわざネットに載せる必要があるだろうか。
否、罪悪感を覚えることこそおかしいと思えばよい。
純粋に記録の必要が迫られているから、意のままに行ったと。
何か不都合があるとすれば、母親の履歴書の書き方の項目である。
こればかりはネットにその行為について載せるべきかかなり迷った。
悪く言えば職歴の偽装にもなるが、違法性は薄い上に、誰かが当記事見て法律相談したところで対応はされないだろう。
親告罪かどうかは知らないが、少なくとも母と職場以外の第三者が介入できることはないため、突然警察などが事情聴取だとかも、当記事が発端で起きることは普通にない。
すなわち職場、雇用主側が問題視して訴え出ると民事的には・・・
何にしても当記事は不穏分子となりそうだから、忌々しい気持ちが晴れないのだ。
私の順当な見解とは異なる者達が、我が家の偽りの平穏を乱してしまいそうで。
後発の関連記事(家族ラベル記事群にもある):
母親(49)の通知表から見る母親の幼少期 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/49.html
類聚(2) ~ 「母の普遍的な精神状態」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju2.html
類聚(3) ~ 「父の教育に対する無関心・無頓着な姿勢」篇 https://lesbophilia.blogspot.com/2015/09/ruiju3.html
2015年4月21日火曜日
下剤使用をとことん忌避する計画の顛末~便秘の良薬
4月18日7時18分に投稿したメモ
「『薬は飲まんぞぉ!』と叫べば頑固な高齢者っぽいが、下剤(便秘薬)の服用についてはやはり慎重な姿勢でいたい。是好良薬・汝可取服の反対に『汝余生の健康を願わば須らく其の害毒を断つべし』となる。」
そこで書いたとおり、下剤の常用が続くほどに腸の機能が鈍化するため、下剤を「毒」として扱っているが、この知識は2012(2013?)年に初めて母親用のコーラックの使用に際して、ネットで検索して知った情報が今日に生きている。
便秘について悩むとしても、数日おきに1錠か2錠のみを飲む程度に自制する。
使っておいて「毒」と呼ぶことに虫の良さを感じつつも、「毒」と思わずにはいられない。
書き出しの「高齢者」云々については、不適切な気配もあるが、実際に私が「今日は薬を飲まない」と決めた際に、どうも薬を飲みたがらない軽度の認知症患者の影が重なったのだ。
このメモを書く前より、一つの計画が浮かんでいた。
それは4月19日0時過ぎのメモ(未投稿)に記される。
「4日ほど出てないことは死活問題だ。強ち余命数日と言えなくもなく、切迫している。もちろん極論を言えば、誰しも1ヶ月出ない体では身が持たないだろう。18日深夜に新たな延命措置を講じた。下剤を使う前にカフェインパワー=コーヒー助勢の排便を試みた。土曜日の買い物で切れていたインスタントコーヒーを買い足すとの予測もあったが、土曜日の買い物を夕方になり翌日へ延期したため、こちらの予ての計画も破綻した。告げられる前から弟と険悪な雰囲気で、『今日は買い物行かなそうだ』と推量していて、実際に告げられたときは無問題の承服であった。だが夜半に至ってこの計画を思い出すと、母親の買い物中止は実に悪辣だと感じた。念入りに完璧な計画をすると、このような寝耳に水の障害が生まれる。」
「『薬は飲まんぞぉ!』と叫べば頑固な高齢者っぽいが、下剤(便秘薬)の服用についてはやはり慎重な姿勢でいたい。是好良薬・汝可取服の反対に『汝余生の健康を願わば須らく其の害毒を断つべし』となる。」
そこで書いたとおり、下剤の常用が続くほどに腸の機能が鈍化するため、下剤を「毒」として扱っているが、この知識は2012(2013?)年に初めて母親用のコーラックの使用に際して、ネットで検索して知った情報が今日に生きている。
便秘について悩むとしても、数日おきに1錠か2錠のみを飲む程度に自制する。
使っておいて「毒」と呼ぶことに虫の良さを感じつつも、「毒」と思わずにはいられない。
書き出しの「高齢者」云々については、不適切な気配もあるが、実際に私が「今日は薬を飲まない」と決めた際に、どうも薬を飲みたがらない軽度の認知症患者の影が重なったのだ。
このメモを書く前より、一つの計画が浮かんでいた。
それは4月19日0時過ぎのメモ(未投稿)に記される。
「4日ほど出てないことは死活問題だ。強ち余命数日と言えなくもなく、切迫している。もちろん極論を言えば、誰しも1ヶ月出ない体では身が持たないだろう。18日深夜に新たな延命措置を講じた。下剤を使う前にカフェインパワー=コーヒー助勢の排便を試みた。土曜日の買い物で切れていたインスタントコーヒーを買い足すとの予測もあったが、土曜日の買い物を夕方になり翌日へ延期したため、こちらの予ての計画も破綻した。告げられる前から弟と険悪な雰囲気で、『今日は買い物行かなそうだ』と推量していて、実際に告げられたときは無問題の承服であった。だが夜半に至ってこの計画を思い出すと、母親の買い物中止は実に悪辣だと感じた。念入りに完璧な計画をすると、このような寝耳に水の障害が生まれる。」
下剤使用は是が非でも避けんとする意志が伝わろう。
この4日間はカフェインの摂取も少なく、4月17日深夜に一人で急須一杯のお茶を淹れて飲み干したなどに止まっている。
この記事を執筆している4月19日1時現在、これから同様にお茶を飲むか、母親が昨日今日と渋々行っている「コーヒー豆を挽いてドリップ(?)するコーヒー」を自分も作って飲む計画はある。
今までも下剤使用を忌避する上で、ヨーグルトを一日で多めに(自分が思う範囲)摂取する作戦を試行して、当時としては久々に非下剤による多めの排出が叶った。
それも束の間のことだった。
一日多量摂取作戦はそれ以前にシリアル等も試し、いずれも効果的だったが、いずれも長く続けられない事情がある。
そのことの他に補足すべきことは、やはり「完璧な計画に対する想像だにしない落とし穴」が不意に起こる点であろう。
過去にも同様の不満をあげつらう記事を投稿した。
真面目に向き合うほど、虚を衝くが如き報せで裏目に出る。
不条理に陥れられることは変えがたい宿業の果報であろうか。
これも、私の人生で付き物だと諦めるしかない、そう慰めるのみ。
排便なく4日経つことは稀にあるが、5日ともなれば2014年の大下血のような末路さえ想起される。
ところで、2012年の大下血はコーヒーを飲んだことに起因する見解を今までに示したが、その時何日便秘が続いていたか記録がない。
これを知ることが出来れば後学のためにもなり、対策の参考に組み込めるのだが。
当時は記録する習慣も薄い上に、記録手段も定まってなかったのだから、今知る術はないだろうが、一応当時も便秘あるいは下痢に悩んでいたはずだ。
今とは事情が異なる点もきっと多いとは思う。
例えば、2010年・・・前の家では牛乳でお腹を壊す頻度が今以上に多かった。
寧ろ現在では牛乳がこの悪影響を及ぼすこともなくなったほどである。
それは2013~14年の快便期から今までがそうである。
ここまでの全文は19日1時20分までに書き上げたが、投稿予定はいつになることか。
前回は17日なので、今月の方針は4日に1度だから21日となりそうだ。
前回は17日なので、今月の方針は4日に1度だから21日となりそうだ。
上記時刻よりお茶を飲み始め、2時過ぎにもなると、かなり腸内が荒ぶってきた。
経験的に言えることだが、頑固な便秘は大概この状態に終始する。
結局、下剤に頼らねば期待する結果は得られない、と帰結することが多い。
今更感じたが、物を少なく食べて腸に物を溜める量を減らすことで、下剤の服用する頻度をも減らす作戦は、3日4日と腸に腐敗物を溜めてしまう点ではかなり危険ではないか。
多く食べて下剤も1日おきに服用し、清浄にした方がまだ健康的ではないか。
下剤使用頻度を減らすために腐敗物を残して腸を腐らせてしまう(?)ことと、機能鈍化のリスクを被りながら下剤使用で浄化することはどちらが悪い手段か、二律背反である。
便秘の解消は、食生活の他に生活リズムにも重点をおいた方がいいのかと思うが、これも以前どこかで書いたように、快便期も便秘期も生活リズムに何ら違いがない。
一番の良薬が何であるか、未だ見つけること能わず。
三毒というように、心が体に毒をもたらしているのだろうか・・・?
個人差が出やすい「ストレスを感じる」状態などを指す。
思えば、4月17日の起床時に腹ごしらえで食べた少しばかりのシリアルから22時までの約7時間を、敢えて飲まず食わずで過ごしたものだ。
これも下剤不使用期間を延長せんが為の措置であった。
4月19日4時現在まで、やはり普段より摂取量を多く減らしている。
身長約170cmで体重が約50kgとする私が、50kg台に戻らなくなる日もいつか来るだろうか。
この4月17日就寝前に、1日断食の計画もあった。
これも偏に、水曜日買い物時の肉・野菜をそれまでに食べきったから企画したものである。
こういった消費期限の浅い生物は、食べずに時間を置くわけにいかない。
私の計画一つ一つが綿密に練られたものであることが、よくお分かり頂けよう。
そして、続く4月19日朝7時台に下剤を飲んで、入眠が9時ごろと思われる。
今までも節度を持っての服用を継続してきたが、近頃ビューラックでいうと1度に2錠飲むようになった。
「少し前まで使っていたコーラックだったら1錠で済むか」というと、これもまさに最後の1錠の効き目が酷く鈍っていた。
目が覚めたのは、本家記事でも話題にした17日・18日同様14時頃に母親の視るテレビの音によるものであった。
腸に溜めた量の影響か、あるいはビュー2錠でもコー1錠の効能に値しなくなったためかは知れずとも、相変わらず激しい発現はなかった。
少し苦しんで出したが、まあ激しい下痢の痛みに悶える苦しみには如かず。
この程度の効果が永く続いてくれることを願いたい。
次の服用はまだ残っているものを鑑みて2日後に実行したい。
トイレでそんなことを考えていると、鎖から解かれない薬物中毒患者の姿と重なりかけて、憂鬱な心情を呼び起こした。
暗澹たるピンクの小粒だとしみじみ感じる。
これがないと生きていけない、冒頭の既述の如く「余命数日」の可能性は潜伏している。
上段「そして~」以降が19日18時頃に書いた部分だと思う。
21時をまわって下痢が出始めた。
いつもの流れだと思いたいが、上述のように効能が近頃は鈍っていたため、漸次下痢へと移行することが記憶に遠かった。
いや、しかし最終下痢日の記録が4月15日で、排便日と同じであるから、4月15日もまた同様の進展だったはずである。
もう記憶が絶え絶えでわからない。
腸の疼くを覚える、痛みか悶えかもわからない。
三毒というように、心が体に毒をもたらしているのだろうか・・・?
個人差が出やすい「ストレスを感じる」状態などを指す。
思えば、4月17日の起床時に腹ごしらえで食べた少しばかりのシリアルから22時までの約7時間を、敢えて飲まず食わずで過ごしたものだ。
これも下剤不使用期間を延長せんが為の措置であった。
4月19日4時現在まで、やはり普段より摂取量を多く減らしている。
身長約170cmで体重が約50kgとする私が、50kg台に戻らなくなる日もいつか来るだろうか。
この4月17日就寝前に、1日断食の計画もあった。
これも偏に、水曜日買い物時の肉・野菜をそれまでに食べきったから企画したものである。
こういった消費期限の浅い生物は、食べずに時間を置くわけにいかない。
私の計画一つ一つが綿密に練られたものであることが、よくお分かり頂けよう。
そして、続く4月19日朝7時台に下剤を飲んで、入眠が9時ごろと思われる。
今までも節度を持っての服用を継続してきたが、近頃ビューラックでいうと1度に2錠飲むようになった。
「少し前まで使っていたコーラックだったら1錠で済むか」というと、これもまさに最後の1錠の効き目が酷く鈍っていた。
目が覚めたのは、本家記事でも話題にした17日・18日同様14時頃に母親の視るテレビの音によるものであった。
腸に溜めた量の影響か、あるいはビュー2錠でもコー1錠の効能に値しなくなったためかは知れずとも、相変わらず激しい発現はなかった。
少し苦しんで出したが、まあ激しい下痢の痛みに悶える苦しみには如かず。
この程度の効果が永く続いてくれることを願いたい。
次の服用はまだ残っているものを鑑みて2日後に実行したい。
トイレでそんなことを考えていると、鎖から解かれない薬物中毒患者の姿と重なりかけて、憂鬱な心情を呼び起こした。
暗澹たるピンクの小粒だとしみじみ感じる。
これがないと生きていけない、冒頭の既述の如く「余命数日」の可能性は潜伏している。
上段「そして~」以降が19日18時頃に書いた部分だと思う。
21時をまわって下痢が出始めた。
いつもの流れだと思いたいが、上述のように効能が近頃は鈍っていたため、漸次下痢へと移行することが記憶に遠かった。
いや、しかし最終下痢日の記録が4月15日で、排便日と同じであるから、4月15日もまた同様の進展だったはずである。
もう記憶が絶え絶えでわからない。
腸の疼くを覚える、痛みか悶えかもわからない。
2015年4月17日金曜日
「依法不依人」に音楽の好みを惟う
「依法不依人」とは「法に依って人に依らざれ」と読み下す。
貴い身分の人間を敬うのではなく、優れた法こそ信ずるべきだということを意味する。
人の貴賎より法の優劣を重視しよう、という涅槃経(曇無讖訳)の一句だ。
※この語義が一人歩きしてしまっていて、本来の意味は結構違っている、後述。
音楽でいえば、楽曲自体よりも作曲者の人間自体が好きだから、楽曲も聴いてるだとかの状態のリスナーもいると思うが、これが「依法不依人」の精神に反しているのだ。
最たるものはJ-popにおけるアイドルの類だが、これは最初から眼中に無い。
今回問題視したいのは、最近私の本家チャンネルを登録した人にいる。
そのユーザーは動画投稿もして、尚且つ作曲もしているため、YouTubeでコメントだけをしたがる輩よりクリエイティブだろう。
彼の作曲ジャンルが「不気味な音楽」と称されたもので、「そういうことか」とすぐに察した。
どういうジャンルのリスナーであっても、巧い曲を作れないと、自分でも何がしたいかわからない方向の闇に堕ち(顛倒し)て自ら卑下することもある。
この人もそういう経緯があると勝手ながらおかしな勘繰りをした。
つらつらチャンネルを眺めるに、下部へスクロールしたところ、そのユーザーのお気に入り動画が見えたのだが、「ボ○ロ」で「女子中学生(?)」が作っただとかとタイトルに堂々と書いてある動画であり、寒気を覚えた。
彼の聴いているジャンルと作っているジャンルが、全く相反している。
「聴いている」と「作っている」のどちらが好きなジャンルかわからない。
彼の好きなジャンルが前者であれば、作るためのセンスや技術が不足していて、やむなく自ら「不気味」との烙印を押した音楽を量産する。
後者であれば、所詮「女子中学生(?)」の人間が好きで、音楽が二の次ということになる。
「人に依って曲に依らざる」状態となっていよう。
音楽を聴く上で、作曲者の人間に固執するのはよくないことを過去記事でも書いた。
ただし、作曲者が作曲する際の学習目的で作曲者と作曲背景・環境に関する認知や系統分類などは必要な行為だと考える。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post12.html
私は「ボ○ロ」のリスナーをかなり軽蔑しているが、半ば感情的な側面もあると自認。
音楽の信念を持っていて、それに符合するならば「ボ○ロ」リスナーでも良いと思う。
作曲に用いるならば、さらに良い。
ただし、私が「ボ○ロ」の楽曲を進んで聴く日はこれからも無いと思うが。
音楽面でもいろいろ理由はあるが、一点に限って言えば、人間の普通の歌声すら苦手だというのに、これを進んで聴く道があるだろうかと。
「ボ○ロ」を批判するつもりは毛頭ないのだが、ここまで見ただけでも私が「流行(まあピークは過ぎたが)を批判する人」と思われかねないだろう。
純粋に我が理念にそぐわない上に視界でチラチラされることが多いので、記事にあげつらっているのみである。
2011年までの私は、受け入れよう克服しようという心境もあったが、それこそ流行だからといって、害毒のアレルゲンを敢えて取り入れる必要はないと思わないだろうか。
これは空論ではなく、過去の学校生活の経験則として確然と生きている。
要するに、一見私が偏狭に見えて、実は私のこの記事に明確な敵愾心を持つことがより偏狭であり、風潮に加担する点は真逆で無節操となる。
ちなみに「ボ○ロ」は流行というよりも、老若男女を問わない日本の作曲者に於ける定番アイテムとなった側面もあることは2012年から認識している。
音楽に特化した音声合成ソフトという優位点が破られざる時期に、ブランドの特質を早々にヤマハ(クリプトン)は確立し、堅固ならしめたと評価したい。
さりとて、私が音楽で用いるかどうかは当分別の話である。
「ボ○ロ」は、晩年(2010年末~)のらい○ちゃんが作り始めていただろう。
この頃までに当初のメタル系を離れたことは私にとり傷心の念だ。
彼女の顛末、メタル離反と誹謗の全容は、過去記事の通り。
ちなみにらい○ちゃんには、人間としてではなく音楽として今でも尊敬している。
また、最近音楽館に投稿した記事で話題の現在38歳の人物も、晩年(2012年8月まで)の作品に「ボ○ロ」要素は微塵も無いメタル系であり、「ボ○ロ」には遠い人間に見えただろう。
彼も2012年末あたりのブログ記事で「ボ○ロ・初○ミ○」仕様のスマートフォンを購入したことを自慢していたが、それを見たときは「ああ、汝もか」と膝から崩れる思いとなった。
彼については某サイト引退以降、音楽活動を辞退したことを置いても、人間的に好ましいところが失われたため、人間として尊敬できるところはないが、音楽は過去の巨大な遺産として今尚私の中に風化せず座している。
この2人は、凋落の前後で「ボ○ロ」に公然と絡み始めている。
そのことを、2人が堕落した原因だとは断定したくない。
私が主張したいことは、「ボ○ロ」のファン層の状態である。
やはりボ○ロファンの彼らでは、音楽は二の次というように帰結してしまうのであった。
得てして、本来の制作ジャンルを離れたり忘れる時に邂逅する。
「ボ○ロ」を敬遠してそうだった当時35歳の彼にも「ああ、汝もか」なのである。
メタル系(彼ならブルデス系)などとかなり合わない「ボ○ロ」にどうしても寄ってしまう者が後を絶たないのはなぜなのか、私には感覚が掴めない。
この他に、聴いているジャンルと作っているジャンルがかけ離れている人というのも稀に見かけるのだが、どういった心境の下であるか興味深い。
「本当はそういう曲が好きだけど、あなたにとって難しいから作らないの?」と訊きたい。
もちろん私が音楽として尊敬している元某サイトの2人は、技術的に優れているため、この問いをかける範疇ではない。
冒頭の「※この語義が一人歩きしてしまっていて、本来の意味は結構違っている」について詳しく述べておく。
ここでいう「依法不依人」本来の意味とは「仏の真実の教え(原文: 法性)に依り、後世の人間の恣意的な見解に依るな」ということである。
そして、「依法不依人」という文字列で本来と異なる意味が生まれた。
用例としては「某法主などの貴い坊主ではなく、尊いことを仰る先生を敬え」といったもので、某価の人らのサイトで見る。
この軽い誤用の場合、「依法不依人」を「依義不依語」の逆を冒したとも言える。
私自身も本来の語義から離れた用い方は好きではない上に、仏法では「我見」という言葉があるが、当記事自体が仏語を悪用した我見であるかもしれない。
それを顧みるとまことに畏れ多いのではないか。
事実、過去に我見の愚論を弄した者を見て気分を悪くしたのだから、私自身もこのような記事は控えるべきだと思う。
その人物と当記事は程度が違うところも多々あるが、何よりその人物は大聖人サマに「天魔」と呼ばれた禅の信徒だしね。
道○を敬っているが、禅宗は経文よりも我見派(不立文字・教外別伝)だから、信徒もその気質を継いでいる。
よって、恥ずかしげもなく顛倒した自説を無慚無愧のままに見せられる。
噂をすれば、その人物も「ボ○ロ」ファンであった。
上リンク記事ではもっと色々書いているが、当時(2014年10月)とはまた見方も変わった。
禅云々だとかも知らず、出任せで「第六天の魔王」と綴ったことも、強ち誤りではなかった。
日蓮大聖人曰く、「諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見以非為是。不能分別是邪是正。遍向道俗作如是言。我能知是我能見是。当知此人速滅我法」
大聖人がひいていたこの経文、一文字変わっているような・・・?
追記:4月21日7時
この記事を書く上であげつらった「ボ○ロ」ファンの人相・私の感覚は、およそ今までに見てきた思い出しきれない人々を見たことによって築き上げられたものと思う。
追記日、思い出せた中の一例を強いて挙げるとすれば、私の本家チャンネルの顔出し動画を見た初○ミ○アイコンの人が、当該チャンネル複数動画に中傷コメントを残したことがある。
変に根に持ったようで、本家に飽き足らず音楽チャンネルの当時の最新動画(顔等を映してない)にも「ロン毛きも」とコメントしてきた。
初○ミ○も性質は違えど髪長いだろう、それに音楽のことを差し置き、髪さえ映っていない音楽動画に「ロン毛きも」とは、やはり当時、短絡ながら「ボ○ロ」ファンは音楽の関心が薄いなと思えた。
「キャラに依って曲に依らざる不届き者」である。
その者の音楽の根を、その者自身が絶やすこととなろう。笑止。
追記:2017年以降
「依法不依人」は、その涅槃経(曇無讖訳、大乗の大般涅槃経)に出るのみならず、維摩経にも「依於法不依人(鳩摩羅什訳)、依趣法性終不依於補特伽羅見有所得(玄奘訳)」と出る。
その涅槃経の説では、まず迦葉菩薩が「仏の所説の如く、是の諸比丘、当に四法に依るべし」と語って示されて釈尊が「依るべき四法(依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経)」の解説を行っていた。
その語義が釈尊によって解説されるときに「如来、法性」という言葉が用いられる。
「法性」は梵語で"Dharmatā (法であること・性質)"であり、維摩経の梵語版「依法不依人」にも "dharmatāpratiśaraṇatā na pudgaladṛṣṭyupalambho na grāhyābhiniviṣṭatā" と出る。
つまり、維摩経など、過去の大乗仏説にあることを再び涅槃経で説き直していると考えられる。
もし原典に忠実に学びたい人は、これらの情報を出発点として各自学ぶとよい。
記事本文に「『依法不依人』本来の意味とは『仏の真実の教え(原文: 法性)に依り、後世の人間の恣意的な見解に依るな』ということである」と記された後半部分について少し説明する。
その涅槃経では「依法不依人」よりも先に「依るべき四人(釈尊滅後に帰依すべき4種類の人=1. 出世具煩悩性 2. 須陀洹人・斯陀含人 3. 阿那含人 4. 阿羅漢人)」が説かれているが、それを前提として「依るべき四人」さえも「依らざれ」とされているようである。
仏法の布教は、必ず釈尊滅後の時に釈尊よりも劣る人が行ってゆくので、特に「依るべき四人」を挙げるが、次いで自身の修行や解脱のためには真実の法・法性を見ねばならない。
「見るという行為"to see"」は、真理において成立しないものの、そのことが「見るという行為と等しい」という話であるので、「法に依るとは、即ちこれ如来の大般涅槃なり。一切仏法即ちこれ法性、この法性は即ちこれ如来なり。この故に如来は常住不変なり。若しまた如来は無常なりと言うこと有らば、この人法性を知らず見ず。若し法性を知見せずんばまさに依止すべからず(依法者。即是如來大般涅槃。一切佛法即是法性。是法性者即是如來。是故如來常住不變。若復有言如來無常。是人不知不見法性。若不知見是法性者不應依止。)」と説かれる。
もし原典に忠実に学びたい人は、これらの情報を出発点として各自学ぶとよい(大事なことなので2度言う)。
貴い身分の人間を敬うのではなく、優れた法こそ信ずるべきだということを意味する。
人の貴賎より法の優劣を重視しよう、という涅槃経(曇無讖訳)の一句だ。
※この語義が一人歩きしてしまっていて、本来の意味は結構違っている、後述。
音楽でいえば、楽曲自体よりも作曲者の人間自体が好きだから、楽曲も聴いてるだとかの状態のリスナーもいると思うが、これが「依法不依人」の精神に反しているのだ。
最たるものはJ-popにおけるアイドルの類だが、これは最初から眼中に無い。
今回問題視したいのは、最近私の本家チャンネルを登録した人にいる。
そのユーザーは動画投稿もして、尚且つ作曲もしているため、YouTubeでコメントだけをしたがる輩よりクリエイティブだろう。
彼の作曲ジャンルが「不気味な音楽」と称されたもので、「そういうことか」とすぐに察した。
どういうジャンルのリスナーであっても、巧い曲を作れないと、自分でも何がしたいかわからない方向の闇に堕ち(顛倒し)て自ら卑下することもある。
この人もそういう経緯があると勝手ながらおかしな勘繰りをした。
つらつらチャンネルを眺めるに、下部へスクロールしたところ、そのユーザーのお気に入り動画が見えたのだが、「ボ○ロ」で「女子中学生(?)」が作っただとかとタイトルに堂々と書いてある動画であり、寒気を覚えた。
彼の聴いているジャンルと作っているジャンルが、全く相反している。
「聴いている」と「作っている」のどちらが好きなジャンルかわからない。
彼の好きなジャンルが前者であれば、作るためのセンスや技術が不足していて、やむなく自ら「不気味」との烙印を押した音楽を量産する。
後者であれば、所詮「女子中学生(?)」の人間が好きで、音楽が二の次ということになる。
「人に依って曲に依らざる」状態となっていよう。
音楽を聴く上で、作曲者の人間に固執するのはよくないことを過去記事でも書いた。
ただし、作曲者が作曲する際の学習目的で作曲者と作曲背景・環境に関する認知や系統分類などは必要な行為だと考える。
http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post12.html
私は「ボ○ロ」のリスナーをかなり軽蔑しているが、半ば感情的な側面もあると自認。
音楽の信念を持っていて、それに符合するならば「ボ○ロ」リスナーでも良いと思う。
作曲に用いるならば、さらに良い。
ただし、私が「ボ○ロ」の楽曲を進んで聴く日はこれからも無いと思うが。
音楽面でもいろいろ理由はあるが、一点に限って言えば、人間の普通の歌声すら苦手だというのに、これを進んで聴く道があるだろうかと。
「ボ○ロ」を批判するつもりは毛頭ないのだが、ここまで見ただけでも私が「流行(まあピークは過ぎたが)を批判する人」と思われかねないだろう。
純粋に我が理念にそぐわない上に視界でチラチラされることが多いので、記事にあげつらっているのみである。
2011年までの私は、受け入れよう克服しようという心境もあったが、それこそ流行だからといって、害毒のアレルゲンを敢えて取り入れる必要はないと思わないだろうか。
これは空論ではなく、過去の学校生活の経験則として確然と生きている。
要するに、一見私が偏狭に見えて、実は私のこの記事に明確な敵愾心を持つことがより偏狭であり、風潮に加担する点は真逆で無節操となる。
ちなみに「ボ○ロ」は流行というよりも、老若男女を問わない日本の作曲者に於ける定番アイテムとなった側面もあることは2012年から認識している。
音楽に特化した音声合成ソフトという優位点が破られざる時期に、ブランドの特質を早々にヤマハ(クリプトン)は確立し、堅固ならしめたと評価したい。
さりとて、私が音楽で用いるかどうかは当分別の話である。
「ボ○ロ」は、晩年(2010年末~)のらい○ちゃんが作り始めていただろう。
この頃までに当初のメタル系を離れたことは私にとり傷心の念だ。
彼女の顛末、メタル離反と誹謗の全容は、過去記事の通り。
ちなみにらい○ちゃんには、人間としてではなく音楽として今でも尊敬している。
また、最近音楽館に投稿した記事で話題の現在38歳の人物も、晩年(2012年8月まで)の作品に「ボ○ロ」要素は微塵も無いメタル系であり、「ボ○ロ」には遠い人間に見えただろう。
彼も2012年末あたりのブログ記事で「ボ○ロ・初○ミ○」仕様のスマートフォンを購入したことを自慢していたが、それを見たときは「ああ、汝もか」と膝から崩れる思いとなった。
彼については某サイト引退以降、音楽活動を辞退したことを置いても、人間的に好ましいところが失われたため、人間として尊敬できるところはないが、音楽は過去の巨大な遺産として今尚私の中に風化せず座している。
この2人は、凋落の前後で「ボ○ロ」に公然と絡み始めている。
そのことを、2人が堕落した原因だとは断定したくない。
私が主張したいことは、「ボ○ロ」のファン層の状態である。
やはりボ○ロファンの彼らでは、音楽は二の次というように帰結してしまうのであった。
得てして、本来の制作ジャンルを離れたり忘れる時に邂逅する。
「ボ○ロ」を敬遠してそうだった当時35歳の彼にも「ああ、汝もか」なのである。
メタル系(彼ならブルデス系)などとかなり合わない「ボ○ロ」にどうしても寄ってしまう者が後を絶たないのはなぜなのか、私には感覚が掴めない。
この他に、聴いているジャンルと作っているジャンルがかけ離れている人というのも稀に見かけるのだが、どういった心境の下であるか興味深い。
「本当はそういう曲が好きだけど、あなたにとって難しいから作らないの?」と訊きたい。
もちろん私が音楽として尊敬している元某サイトの2人は、技術的に優れているため、この問いをかける範疇ではない。
冒頭の「※この語義が一人歩きしてしまっていて、本来の意味は結構違っている」について詳しく述べておく。
ここでいう「依法不依人」本来の意味とは「仏の真実の教え(原文: 法性)に依り、後世の人間の恣意的な見解に依るな」ということである。
そして、「依法不依人」という文字列で本来と異なる意味が生まれた。
用例としては「某法主などの貴い坊主ではなく、尊いことを仰る先生を敬え」といったもので、某価の人らのサイトで見る。
この軽い誤用の場合、「依法不依人」を「依義不依語」の逆を冒したとも言える。
私自身も本来の語義から離れた用い方は好きではない上に、仏法では「我見」という言葉があるが、当記事自体が仏語を悪用した我見であるかもしれない。
それを顧みるとまことに畏れ多いのではないか。
事実、過去に我見の愚論を弄した者を見て気分を悪くしたのだから、私自身もこのような記事は控えるべきだと思う。
その人物と当記事は程度が違うところも多々あるが、何よりその人物は大聖人サマに「天魔」と呼ばれた禅の信徒だしね。
道○を敬っているが、禅宗は経文よりも我見派(不立文字・教外別伝)だから、信徒もその気質を継いでいる。
よって、恥ずかしげもなく顛倒した自説を無慚無愧のままに見せられる。
噂をすれば、その人物も「ボ○ロ」ファンであった。
上リンク記事ではもっと色々書いているが、当時(2014年10月)とはまた見方も変わった。
禅云々だとかも知らず、出任せで「第六天の魔王」と綴ったことも、強ち誤りではなかった。
日蓮大聖人曰く、「諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見以非為是。不能分別是邪是正。遍向道俗作如是言。我能知是我能見是。当知此人速滅我法」
大聖人がひいていたこの経文、一文字変わっているような・・・?
追記:4月21日7時
この記事を書く上であげつらった「ボ○ロ」ファンの人相・私の感覚は、およそ今までに見てきた思い出しきれない人々を見たことによって築き上げられたものと思う。
追記日、思い出せた中の一例を強いて挙げるとすれば、私の本家チャンネルの顔出し動画を見た初○ミ○アイコンの人が、当該チャンネル複数動画に中傷コメントを残したことがある。
変に根に持ったようで、本家に飽き足らず音楽チャンネルの当時の最新動画(顔等を映してない)にも「ロン毛きも」とコメントしてきた。
初○ミ○も性質は違えど髪長いだろう、それに音楽のことを差し置き、髪さえ映っていない音楽動画に「ロン毛きも」とは、やはり当時、短絡ながら「ボ○ロ」ファンは音楽の関心が薄いなと思えた。
「キャラに依って曲に依らざる不届き者」である。
その者の音楽の根を、その者自身が絶やすこととなろう。笑止。
追記:2017年以降
「依法不依人」は、その涅槃経(曇無讖訳、大乗の大般涅槃経)に出るのみならず、維摩経にも「依於法不依人(鳩摩羅什訳)、依趣法性終不依於補特伽羅見有所得(玄奘訳)」と出る。
その涅槃経の説では、まず迦葉菩薩が「仏の所説の如く、是の諸比丘、当に四法に依るべし」と語って示されて釈尊が「依るべき四法(依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経)」の解説を行っていた。
その語義が釈尊によって解説されるときに「如来、法性」という言葉が用いられる。
「法性」は梵語で"Dharmatā (法であること・性質)"であり、維摩経の梵語版「依法不依人」にも "dharmatāpratiśaraṇatā na pudgaladṛṣṭyupalambho na grāhyābhiniviṣṭatā" と出る。
つまり、維摩経など、過去の大乗仏説にあることを再び涅槃経で説き直していると考えられる。
もし原典に忠実に学びたい人は、これらの情報を出発点として各自学ぶとよい。
記事本文に「『依法不依人』本来の意味とは『仏の真実の教え(原文: 法性)に依り、後世の人間の恣意的な見解に依るな』ということである」と記された後半部分について少し説明する。
その涅槃経では「依法不依人」よりも先に「依るべき四人(釈尊滅後に帰依すべき4種類の人=1. 出世具煩悩性 2. 須陀洹人・斯陀含人 3. 阿那含人 4. 阿羅漢人)」が説かれているが、それを前提として「依るべき四人」さえも「依らざれ」とされているようである。
仏法の布教は、必ず釈尊滅後の時に釈尊よりも劣る人が行ってゆくので、特に「依るべき四人」を挙げるが、次いで自身の修行や解脱のためには真実の法・法性を見ねばならない。
「見るという行為"to see"」は、真理において成立しないものの、そのことが「見るという行為と等しい」という話であるので、「法に依るとは、即ちこれ如来の大般涅槃なり。一切仏法即ちこれ法性、この法性は即ちこれ如来なり。この故に如来は常住不変なり。若しまた如来は無常なりと言うこと有らば、この人法性を知らず見ず。若し法性を知見せずんばまさに依止すべからず(依法者。即是如來大般涅槃。一切佛法即是法性。是法性者即是如來。是故如來常住不變。若復有言如來無常。是人不知不見法性。若不知見是法性者不應依止。)」と説かれる。
もし原典に忠実に学びたい人は、これらの情報を出発点として各自学ぶとよい(大事なことなので2度言う)。


