2023年10月15日日曜日

食べ物と飲み物の合理的な好き嫌い(食育と経済の将来像)

任意の食べ物と飲み物についての忌避する(嫌う)もの:
1. 物理的な抵抗と刺激の強さ
2. 栄養成分の一般的なエビデンスに基づく生理的特徴
3. 社会性に基づく官能的特徴
4. その他



「合理的」といって雁字搦めにされてもあれだから、あまり厳しすぎないように自分でも加減している。
実際のところ、以下のようなもので、継続できている(持続可能)。
明確にダイエタリープラン (diet, dietary plan; 軽い造語、ダイエタリーはダイエトリーとも読む) を組んでいるとも言えないが、だいたい毎日のスケジュール管理に食事メニューが含まれている。





1の具体例:

・口腔粘膜などを傷つける
;いわゆる、口内炎になってしまう。
;かたいものそれ自身と、それを噛んだ後の破片。
;実際に食べる際、注意していれば回避できるとも思えるのだが、注意を強めても傷つく結果になれば、かなり抵抗が生まれる。加工食品に関しては個別の商品、個体や部位の状態(e.g., 焼成のできあがり具合など)によって「傷つける性質の差」があり、実際に食べてみてからそれについてこちら側が判断することになる。

・歯に詰まる
;ただでさえ詰まるのでも厄介なのだが、性質の悪いものでは、第三大臼歯が生えかけのときや、生えた後で、そこに詰まったものが奥の口腔粘膜を傷つけることもある。

・歯に刺激を与える
;知覚神経に対する冷たいもの。
;石灰質に対する酸味料。



2の具体例:

・一時的であれ、長期的であれ、健康診断の項目で「悪い」とみなされる数値の要因になる
;私は健康診断(企業とかでされる定期健診)というものを一度も受けたことが無いので、仮想する程度になる。
;高血圧症、高脂血症みたいなものは代表格。LDLコレステロールになりうるもの (e.g., トランス脂肪酸) をあまり食べないとか、飽和と不飽和とを問わない脂肪酸のトリグリセリド(トリグリセライド、中性脂肪)の多い揚げ物を多めに食べない(特に私はめったに食べない)というもの。塩分も、量について警戒している。塩分もといナトリウム化合物の生理的影響を軽減したいときは、カリウム化合物(海藻、野菜などに多い)を多めに摂ることで期待される。

・蛋白質(タンパク質、プロテイン protein, ペプチド peptide)の複雑な特徴がほぼブラックボックスだが、いくらかの種類は生理的に望ましくない
;ただし、カゼイン、グルテンは、はっきりとアレルゲンにならない(アレルギーでない)私にとって関係ない。
;グルテン系の蛋白質にオピオイド様ものがあって幻覚作用があるというのは、しっかりと研究されていないか、少なくとも通説になっていないと思う。

・カルシウム (calcium) やカリウム (kalium or potassium) といったミネラル分 (minerals) の存在様態がほぼブラックボックスだが、いくらかの種類は生理的に望ましくない
;シュウ酸塩 (oxalate, oxalic acid) のうちでカルシウムやカリウムの化合物があり、特にシュウ酸カルシウムは針状結晶となっていろいろな刺激や疾病の原因になる(特に、腎臓へのダメージ、尿路結石といった泌尿器の病気)。ホウレンソウをはじめとした「カルシウム豊富」野菜というのは、シュウ酸塩として多く含んでいる種類が多い。栄養学で、はたしてカルシウムという名のシュウ酸カルシウムみたいな「悪玉」のものを、栄養成分表示の数値に含めているか、いないか、一般に情報が得られない。シュウ酸カルシウムは、ある意味トランス脂肪酸みたく、生体利用率(バイオアベイラビリティ bioavailability)が低いなどでまがい者扱いされる。ビーガンの落とし穴は、たんぱく質、カルシウムに至るまで、かなり多い。一部のヴィーガンはよくご存じかと。https://www.bbcgoodfood.com/howto/guide/best-vegan-calcium-sources


3の具体例:

・口臭などの体臭につながる
;ニンニク系の硫黄化合物などは代表的なもの。
;食べるタイミングを選べば、気にならない場合がある。
;余談だが、大腸の内部ガス発生における、悪臭の種類は、食中毒との結びつきが強い。正常な範疇では水 H2O と二酸化炭素 CO2 が菌の原生生物、酵素による分解の副産物として多めに発生するが、硫黄化合物や毒素などを多めに作る菌(いわゆる悪玉菌。クロストリジウム属 Clostridium spp. に多い)の活動は、人間が食べるに適さないものを食べた結果で、大腸内で強くなったりする。それが大腸内部ガス(気体混合物)における悪臭の原因の化合物を増やし、濃度(単位 ppm などであらわされる)を上げ、悪臭の形で食中毒や大腸内生態系の異常を伝えてくる、という構図である。



4の具体例:

・食べていると不可抗力で、目に見えて分かる大きさまたは分からない大きさの食べかすが落ちる
;クッキー、ビスケット、スナック菓子に多い。シーズニングパウダーも、それなりに分かりやすく落ちたり、口の周りに付着しやすい。
;それ以外でも、あまりにも小さくて目に見えないものとか、香りの成分(香気成分の分子。蛋白質や炭水化物の高分子よりも小さいし、生理活性がほぼない)とか、そこまで細かく気にする必要はない。
;部屋を汚したくない、ケア少なめで衛生的に保ちたい人にとってストレスにつながる。
;1, 3の特徴に近いが、どちらにも分類しがたいので、4に分類した。

・夏場に限り、発汗作用のある物質 (e.g., 唐辛子のカプサイシン) を含んでいるものを食べることにより、汗をかきそうである
;汗をかくときの身体的、精神的不快感がある。さらに、不衛生であったり、体臭と衣類の汚れの原因にもなる。これらの特徴に注意して「汗マネジメント」をしていれば、まだ何とかなるかもしれないが、不快感が勝る限り、夏場には控えることが望ましい。
;冬場のカプサイシン摂取が、最終的に体を冷やすことになる、とする言説もある。
;1, 3の特徴に近いが、どちらにも分類しがたいので、4に分類した。





これらの事項から、私が2023年3月の独立完了以後ほぼ自発的に買って食べないものの例:
・一部のスナック菓子
;ポテトチップス (1, 2, 3, 4すべてそろう) は筆頭か。2023年6月現在、一度も購入していない。とうもろこしコーンスターチや、じゃがいも馬鈴薯でんぷんの生地のものがこれに続く。



スポーツドリンクなどは、あまり酸味料を多く入れないでいただけると、助かる。
謎デザイン「#そんなに甘くない」とやらのアクエリアス、あれでさえもそんなに(分かりやすい量の)酸味料を添加するのっていかがなの?
それだと、ショ糖(スクロース scurose、グラニュー糖の主成分)や果糖ブドウ糖液糖やブドウ糖果糖液糖やの中のブドウ糖(グルコース glucose)を口内(口腔内)の乳酸菌が分解して乳酸 (lactic acid) を作り出して「う蝕(虫歯の原因)」するのと同じような程度の酸(何の酸 acid か特定不能だが味覚受容体が酸っぱいと感じる酢酸や乳酸みたいなもの)が、残ってしまうから、口直しの水を用意せずにはそれを飲む気分になれない。



2 の中で揚げ物について否定的に言及したが、揚げ物であっても「あえて何かをそれとして食べるのに良いと言える側面」がある。
魚の骨、エビの殻が、高温の油に触れる形で揚げ物になると、食べやすくなる。
普通の焼き方をした時と比べて、しなやかさが無くなり、砕けやすくなる。
栄養価についてはなんとも言及しがたいが、期待しているのであれば、これが手軽で食べやすい方法になる。
魚の骨、エビの殻については、揚げる以外に、油を多めにして焼く方法も同じくらい。
サバの缶詰のようなものを作る方法は、さすがに家庭で行うことは難しい。
魚の骨に限れば、圧力鍋を用いる方法が考えられる。



水素添加 (hydrogenation) によるトランス脂肪酸の発生の図 


日本企業の、ショートニングを多かれ少なかれ使っている菓子(某ミニサイズのブラウニー)を、たくさん買う、太めの女性が某スーパーマーケットにいた。

商品としてはファミリーパックのもの(1点に9個の個包装が封入されている)で、点数は6つ、そこのスーパーが頻繁にする菓子1割引きセールやポイントn倍でもないタイミングで。
私見では、本人、またはその家族は、食物依存症に近いメンタルとみられ、毎日、かなりショートニングを摂取していそうである。
国家や行政の保健当局および企業などは、「トランス脂肪酸の過剰摂取は日本にない」という否認主義を改め、実際に個人としてそうなっていると疑われる人たち(少数派)がいる前提で、可能な限りヨーロッパや北米のように規制することを検討していただきたい。
公衆衛生の健康の国家全体主義から転換して、国家個人主義で個人の幸福を助けるために(人権侵害とならない範疇で)運用されないと。
トランス脂肪酸規制は人的被害なく可能だろうけど、諸外国の先行事例を参照できるよね?
人々の「おいしく健康を害しない幸せ食生活」のための規制が進まないのは、ショートニングとマーガリンの油脂業界既得権益、癒着、雇用が惜しいから?

日本企業たちは、どうも、「マクロビ派(森永)」みたいに、ショートニングとマーガリン不使用でトランス脂肪酸0(自然の植物性油脂はエライジン酸のようなトランス脂肪酸が0か0と表記できるほど微量であり、バターなど動物性油脂は少量ある点に注意)を謳うものが贅沢品であるように仕立てたいようである。
そういうニッチな方法で高単価にせず、欧米のように、普通のものとして扱い、市場から消費者が選択しやすいリーズナブルな価格帯で提供すべきである。
そうでないと、欧米に後れを取るのみならず、中国、マレーシア、インドネシアそのほか、欧米以外の国々に出し抜かれてしまう。

※日本で一般的に販売されるマーガリンは、部分水素添加油脂 PHOs の量を削減しているとメーカーが主張しているが、加工食品に使われるマーガリンやショートニングにどれほどPHOsが使われているかは、にわかに知りがたい。なお、アメリカ(当局:FDA, 2018年6月18日から)、シンガポールのように厳しく使用と生産とを禁止しなくてもよい。他国がこうして突き進んでおり、多かれ少なかれ、日本企業のうちで、対応はされているが、当然、国内ではそんなに進んでいないし、消費者の意識も全体としては上がっていない。もし切り込み隊長がいれば、貧乏くじやババ抜き負け組みたいにされかねない?否、先見の明というよりも日本国の遅れ具合が異常だと気付かせなければならない。

※日本語でショートニングやマーガリンやファットスプレッドと呼ばれる、食用加工油脂群は、同じ呼び名でも、業務用に売り出される製品として特長に差があったりする。諸外国だと、マーガリンでありながらトランス脂肪酸0とされるものもある(注意:とあるマレーシア製オーツ麦クッキーの商品から読み取った情報なので、油脂製品自体を見たわけでない)。日本企業の例として、「太陽油脂」社の製品カタログ https://taiyo-yushi.co.jp/service/oil-fat/ (リンク先にPDFあり) を見る分には、トランス脂肪酸への言及が無かった。なお、豚から作られるラード (lard) は、昔から、今でいうショートニングなどと同じ用途で使われており、天然のトランス脂肪酸を含む食品の例に当たる。

※レーズンサンド系の商品は、ブルボン社の「ガトーレーズン」をはじめとして色々とある。東ハト「オールレーズン」は違う種類だが、どちらにせよショートニングを使っている(2023年6月現在)。某ディスカウントスーパーで見た某レーズン入りバターサンドは6個600円台(税込)、と高いのだが、それでさえもマーガリンとショートニングをどっぷり使い、不使用のものは北海道の明治期創業というところの5個700円台(税込;おみやげ仕様、贈答品にも使える)、とさらに高い。もとがショートニングまたはマーガリン使用かつ安いところのそれが、不使用となって少しの値上げになっても、こちらとしては悪く感じない。露骨にお高いものよりは手頃だから(実際にそうであればの話)。というか個包装商品が多いね、脱炭素社会、カーボンプライシング云々もあるし、低価格帯では適当な個数のパック商品で個包装廃止でもよいのでは?輸入菓子を買うと、よほど日本向け仕様でもない限り、個包装でない。レーズンサンド系は、成城石井で売っているスペイン製ダイジェスティブビスケット(全粒粉)とか、業務スーパーで売っているイタリア製クッキー(オーツ麦、全粒粉)とかのと違って粉と砕片が多くなるのでもないし、個包装なしでもかまわないと思うけど。逆に個体どうしが張り付いたりもしないだろうし。

「気にする人」は少数派だと思うか?
「ニッチーなものは高値で出しても売れる(高くても買う人がいる)」、という考えを切り替えることが、これからの持続可能な社会や、多様性重視の社会に必要だと、さすがに気づいていただきたい。
※実際のところ、菓子メーカーの大企業は、重々承知?国際的には困難でも、国内的には流通できてしまう。それとも、まさか国内で流通しているショートニング使用菓子でさえ、PHOsではない原料由来のショートニングだとでも?
私は、お試しで買ったりもするが、続けるとランニングコストが大きいので、「こういうもの」と分かる程度にとどめて色々と違うものを買っていたり、多くの場合に金銭的負担の少ないものに妥協している。

ショートニングとマーガリンの油脂業界既得権益を守るにしても、使うものについては二者択一にしてほしい。
どっちも使われていると、どっちが何のために使われているか、にわかには知りがたい。
一個の加工食品が、パーツごとにも加工食品であり、それが複数の会社の分業で(e.g., パイ生地は会社Aの工場、ホイップクリームは会社Bの工場)作られている結果として、ショートニングとマーガリンが別々に使われたのか、あるいは、1個の工場でショートニングとマーガリンが同時に(同じ製造ラインで)使われたのか、それも、原材料名の一覧で察しうるものと、察しえないものとがある。

マーガリンと言っても、本来はトランス脂肪酸を含まないものであったようで、マーガリンとされるものが実際にどういうものか、判別が難しい側面もある。
というわけで、「マーガリンを冷蔵で固形、融点が低めの油脂」として活用したければ、せめてトランス脂肪酸の含有量を菓子の「栄養成分表示」に記す努力義務が求められる。
あの太めの女性とその家族とかでも、栄養計画のしやすいように、当然のこと。
「生乳大量廃棄」とうっとうしいことを数年来、農林水産省(農林水産大臣を含む)と酪農業界が主張する割に、バターを高値で売り続けている。
困ったときはバターやバター香料をたくさん作ってください。
下請け工場の稼働能力なんて知りませんから。
まあ、バターを謳うのでなければ、ああいう「トランス脂肪酸0」輸入菓子は、ヒマワリ油などを使っていた。
品目による。





「好きな食べ物」について

表題に「好き嫌い」と書きながら、「好き」サイドの話をしていなかった。
好きな食べ物についての質問は、長年、私にとって回答に困る事柄であった。
なぜならば、常々、体の健康と心の健康とを重んじている上で、偏ってスキスキを言う態度そのものにも疑問が強かったからである。

今だと、明確な答えが言える:
先の「忌避する(嫌う)もの」に当てはまらないもの(例外的に軽度に当てはまるものを含む)のうちで、あまり高額にならない範疇で「比較的おいしい、かつ品質の良い」もので、さまざまな「食べ飽きない」バリエーションを得られる限りでは、どれでも、その時その時の購入対象にはなる。
換言すると、好きだから購入するというわけでなく、購入しているから好きというわけでもない。

表現としては長くなるし、はっきりと「好き」と言う形にはならないが、今の私の答え方としては、こうなる。
色々なローテーションがされているほうが、「それなりにおいしく食べる」方法である。
誰かしら、食べ飽きることの多い人にとっても、特定の食べ物の好き嫌いを簡単に言うのは抵抗があるはずである(何か「○×が好きなんだなぁ」キャラを演じる気でもない限り)。
結局は、色彩感覚(好きな色?単色?配色?)にも言えることだが、私は中立的にバリエーションを重視している。

このような回答であっても、普通の回答であっても、どのみち面倒な思いを懐くに違いない。
今後は回答拒否を進めたい。





起草日:2023年6月22日

カタカナ語としての「ダイエット (diet)」 を、「食事計画」全般を意味する、英語と同じ広義の意味を加える形で修正することは、望んでいない。



「学校という名の社会的排除 (social exclusion) 機関」から離れた私のように学習することは、 "money rich, time poor" 傾向の強い一般社会人に難しいこと。
一般社会人でそれができるようになるには、ダウンシフト (down shifting) などを推進する必要がある。
それは、禁欲やミニマリズムを実践して自慢げになる態度と完全に異なり、多くの人にとって「1日や1週間の労働時間を減らす」、「燃え尽き症候群 occupational burnout (syndrome) を避ける」、「今までよりは、足るを知る、の状態」という社会的、心理的な改善から実利的な結果を狙っている。
日本では特に、長年、「勤労の義務 (他の先進国ではフランス憲法前文 devoir de travailler くらい)」をスティグマに用いた国民全員にとって難しかったので、今もなお、意識的な消費者 (conscious consumer) は少ない。
ワークライフバランスと選挙投票率の相関性について、私は言及したことがあったが、これもそれも、ほとんど同じ性質の結果である。
平穏だと、日本が他の先進国の後を追っている現状で、時間が解決するように思うかもしれないが、もっと意識的に進めてほしい。
意識に乏しいと、結局は、パンデミック(コロナ禍)と戦争のように最初の兆候がある程度分かりやすくてゆっくりと進むものから、大震災のように突発的なことから素早く多くの被害が生じるものなど、危機の前では流言飛語を鵜呑みにするなどし、人権侵害がまかり通ってしまう。


2023年9月24日日曜日

表現方法としての漫画と、企業に求められる進歩的な商業作品

今回は、目が見えて手が使える大多数の人が普遍的に利用可能な表現方法としての漫画(マンガ)と、社会的責任を伴った企業に求められる進歩的な商業作品のあり方の、2点について、提案する。
前者と後者は、スペクトルとして右と左を陣取っているが、中央に及んでおり、両極ではない。
日本のクリエイティブなサブカルチャーの人がよくいう「同人と商業」と似ているが、もう少し、洗練されたものを解明したい。



目が見えて手が使える大多数の人が普遍的に利用可能な表現方法としての漫画

・各々の言語や習慣に従ったもの。
;ただし、国際的な標準化の必要はない。伝統(日本マンガの伝統と習慣と格式)も尊重されることが普通である。もしするならば、日本語での漫画は、大きな習慣破壊が求められる。つまり、吹き出しの中の縦書きを廃止し、横書きにするのみならず、コマ割りや吹き出しの位置も左から右に読めるように対応せねばならない。これについては、「国語の教科書」「400字詰め原稿用紙」と同じ開き方を採用する日本語の漫画雑誌にとって現実に困難なものであり、個人的な漫画では可能になる。
;;「左から右に、横書き(横読み)」というのは、アラビア文字、満州文字、モンゴル文字の言語の人たちにとって不親切ではないか?という声も上がりそうである。
;;余談だが、日本語の漫画の英語への翻訳には、色々な方式がある。一つには、左右反転をするか、しないか。これをすると、例えばキャラクターが「右手を挙げて」と発言する場合、これを「左手を挙げて」と意味ごと反転させて翻訳する必要性も出てくる。縦書き縦読みマンガ英訳の全体傾向として、「昔よりは今が左右反転しないものが主流だ」、とする説もある。もう一つには、吹き出しや擬音語のような文字を全部消すか、しないか。これをすると、原作の出版社か、翻訳業者の方で欠けた絵を描き足す必要性も出てくる。もし全部、上手く完了すると、英語圏のマンガ初心者にも読みやすいように、不自然さは無くなるが、その結果に至る手間は多い。話を少し変える。とある、外国へ憧れる日本人の主人公と日本への留学生2人を中心とした漫画では、主人公が英語を話せるようになると、作者は英語を発していることを示唆して日本語でさえも横書きにする、という表現をしていた。これらのことを熟知している私(とはいえこの業界の現場にいたわけでないが)としては、「国際的な標準化の必要はない」、という理解を示している。ただし、私自身が漫画を描く場合は、別の話である。自前で英語に翻訳しやすいフレキシブルさを求める人は、横書き重視のレイアウトになる。

・商業的な出版を念頭に置く必要はない。
;それをしたければ、後述の「社会的責任」が期せられるほど、ノウハウのある専門的な会社で行うから、難易度が上がる。
;以前から記しているが、表現の自由や言論の自由の絶対主義 (free ** absolutism) というものは、スペクトル上、社会的責任と反対に位置する。暴力や差別を思うがままに表現することは、個人的な範疇ではよいが、衆目にさらすことは望ましくない。無反省かつ退行的な暴力や差別をISBN付で出版することが、「小市民でもできる新時代の自由出版なのだ」などとする論調は、社会正義に反している。

備考:「目が見えて手が使える大多数の人」とは、大多数の人は目が見えて手が使える、ということを意味している。手の使えないか欠損している人でも、それ以外でも、エフォートレスな方法で漫画の方式による表現を使う方法は無いか?と言えば、あるともないとも言える。例えば、「コミPo!」だったか、あのようなツールを使う方法が挙げられる。自分で3DCGのアバターを動かして画像を生成し、コマとフキダシを用意する方法もある。昨今では生成AIの普及が進み、今後も技術が進展することで、思考と想像によって漫画の方式による表現が利用可能になるという期待をする人もいるかと思う。AI以外には、神経科学の技術で想像をアウトプットする方法がある。





社会的責任を伴った企業に求められる進歩的な商業作品のあり方

・侮蔑的な意味 (pejorative or derogatory sense) で使われる傾向の強い語句を濫りに用いない。
;いわゆるスティグマ (stigma) になる語句を濫りに用いない。良い意味や真面目な文脈であれば、まだいくらかの中立的な語句は、スティグマにならない。しかし、ギャグ漫画の類でそれを求めるのはナンセンスというものか。

・ジェンダー、職業、宗教信仰の有無などについて、ステレオタイプへ潜在意識を偏らせる一方ではいけなく、反対のイメージも持てるようにする。



マンガ雑誌だと、編集者が個々の漫画家(原作と作画のように役割分担が明確な共作を含む)に細かくアドバイスしている場合も多いのだから、そんなに難しくないであろう。
それ以前に、作家たちを社員として雇っている場合(そうでない場合が多いとしても)、事前の教育でいくらか、浸透させることもできるかと思う。
少なくとも、雑誌単位で、差別や偏見を、無意識に進ませている状況があり、これは自覚されないと、いつの間にか、それらの雑誌や出版社の足場が崩れているような将来像も浮かび上がる。





社会の趨勢について

・「パーソナライズされていない、価値観が合わないだけのフィクション作品」は、「自分の時間や金を捧げてまでして見る価値が無いもの」と、年々、人々が気づいていくことになる。
;漫画、コミックに限らない。しかし、国内外、映画館 (cinema, theatre) で見る映画 (film, movie) というものは、どうも興行収入がバブルである。コロナ禍の以前、社会的反響の大してない作品(特にシリーズもの)でも、全世界の興行収入が1年間に20億ドルを超す作品が多数、あった。2000年以前には10億ドルさえ超すものがそうそうなかったのにもかかわらず、長期的なインフレーションが遠因だとしても、金額だけ妙な増え方になっている。内容としても、まだまだノンフィクションとかドキュメンタリーはマイナーな地位に甘んじており(というよりはそういうものか)、フィクション作品(特にここ数年のトレンドは昔からのビデオゲームとかおもちゃとかの流れのもの)が優勢である。

・二次的な時間と金銭の消費が、面倒な形で発生することを、年々、人々が敬遠する。
;子どもと高齢の要介護者に、付きっきりで相手をするのが楽しいという人はいない。刹那刹那の楽しさがずっと続く人がいないからであり、さらには、そういうコミュニケーションは疲れのもとである。一時的でもテレビ TV を見せて、子どもと高齢の要介護者の退屈さを埋めさせることでさえ、TVCM(映像広告)の雑多さと、「これ買ってねだり」や「テレビへの攻撃ぼやき」をされる恐れから敬遠されている。YouTube動画広告はウェブブラウザにAdBlock系の拡張機能を導入して消すことができるが、消せないアプリもある。有料動画配信サービスやサブスクだと、広告は、おそらく多くない(典型的な広告とは別に、ステルスの広告が含まれる)。日本のTVアニメ番組の原作が漫画作品だというケースが多い分、商業的な漫画作品を敬遠しはじめる人も、年々、増える。

・煽情的な広告を、年々、人々が敬遠する。
;広告を見て、かえって商品を「悪いもの」として記憶に留め、その個人の心の中の不買運動の意識になる場合がある。
;いくらかの領域 (一例) で、不特定多数にアダルト漫画のウェブ広告が表示される現象について、非難轟々であった。それにより、年々、広告の依頼者、広告代理店、広告の掲載者などの商品やサービスを利用したくなくなる人が増える。意識の流れが読めないと、彼らの収益は減る。「煽情的な広告を見ても気にしない人たち」は、「年々、気にしてゆく」社会全体の通念の水準から外れやすくなり、日常的に心が散乱することになる。中でも、望まない形で表示されるアダルト漫画の広告は、広告の顧客になる人の心理面も含めて多くの人に利益が無いのでは?
;アダルトでなくとも、いきなり、しかめた表情で「は?」と言うシーンで始まる漫画広告(GIFアニメーション)が、普通のトレンドブログ(全然、エンタメ系ではなく、医療、健康、美容品、日用品がらみのもの)で表示されるのは、いかがなものかと。これだと、いくらかの日本人が、J-popを嫌ってK-popに行ったように、マンガ (Manga) からマンファ (Manhwa, マンフヮ、韓国語) に行きかねない。
;;もっと言うと、人間関係の生々しいものなどをフィクションで見たいと思わない、現実の物事に疲れた人々は、ファーリー(furry, ただしそれでさえヒトっぽいケモノが人語のセリフを言うものなどもある)と、そのほか海外(e.g., ディズニー)に多いヒト外見以外が主要な登場人物である界隈に行きかねない。「可愛いは疲れる(かわいいは疲れる)」の尺度だと、ポケモンやサンリオみたいなものも果たしてどうなのか、と思うが、そこまでは踏み込みすぎか。

・個人主義を進める人間社会、現代文明のもとで、表現方法として開かれた、普遍的な漫画が確立されないと、次世代に漫画文化を継承することは難しい。
;継承されるものとしては、形式的で保守的な程度が高くある必要もない。
;言い方が悪くなるかもしれないが、与えられる一方のフィクション作品(マンガ以外も含む)というだけならば、素直に楽しめなくなる。マンガでも小説でも、比較的簡単に表現方法として利用可能になれば、その形で人々に愛好され続けることになる。5-7-5文字で構成される川柳みたいなもの。
;この種の話をすると、やはり手が使えない身体障害者や、そもそも表現力が時間的、心理的、器質的理由で乏しい人たちに配慮した技術を望む声が出てくる。一番に挙げられるのは、電極などを使って脳の電気信号などをアウトプットする脳神経科学の技術である。この技術は、まず神経言語学(神経音声学)や言語療法の領域から進められるかと思う。

・社会的責任(上述)を重んじないエンタメ企業(出版社を含む)は、淘汰される。
;「無意識に借金しすぎて、いつの間にか債務不履行になること」と同じように、私は感じる。生身の人間なら、個人的な借金を債務整理するなどして生き続けられるが、企業は倒産などで消滅するか (e.g., レナウン)、著しく別の形に変わる (e.g., 東芝) ことをしないとならない。金持ちで才能のある人が転落して再び登ることがあっても、企業は再建しようとしたところで、元の流出した従業員と優秀な人材を取り戻すのは困難であろう。





総評:単に面白い作品を作ろうとするだけでは、長期的に良い影響を自他にもたらすことはできない、とそろそろクリエイターもファンも気づく必要がある。
ついでに言うと、よいクリエイターが最初は個人的な活動の側面(小規模な団体を含む)が強くてもよいのだが、途中から、有力な企業の下にいないとマーケティングなどの面でも「大きくウケた(大ヒットした)作品」にはならない。
このことからも、企業の影響力というものは、社会的に監視され、統御されないと、どの業界も、持続可能とは言いづらい。







起草日:2023年8月13日

当記事は、前回記事『企業の社会的責任 CSR と性的対象化の一考(私自身のこと)』に続くものとして作成された。

私自身が翌月6日に作った漫画のネーム(日常系アクション、横書き、左から右に読む)を載せようと思ったが、ここではしない。


2023年9月21日木曜日

企業の社会的責任 CSR と性的対象化の一考(私自身のこと)

世間の主張、正と反、どちらもセクハラだから。

趣向にもよるが、「かわいいは疲れる」。

依然としてセクハラというか性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント sexual harassment)の言葉はインターネットに満ちている。
実名でも、匿名でも、仮名でも、リアルタイムで繰り返されている。
Googleは、平然と見せなくてよい検索結果を見せ続けるほどに、その検索アルゴリズムだとかAIだとかも、進歩していない。

大多数は正のセクハラだが、反のセクハラもまた、性被害や性暴力の文脈で、いくらでも言われている。
こういうことをされたというカミングアウトとか、確かに、もらいゲロ(君からもらい吐き♪)になるね。

このカオスで、企業が性的対象化を推進するようなものは、ますます非難されるはずである。
2012年ころ?、コミックLOという雑誌(中〇しでフィニッシュして後日談が1ページだけあるというお決まりの流ればかりの読み切りオムニバス形式で載せている月刊誌?)がAmazonで取り扱い停止にされた事態で、日本のネット民が大騒ぎになっていたが、あれの雑誌自体の命脈は、こちらとしてどうでもよい。
今後、そういうケースが増えるかは不明だし、依然として「ファン層が異性の、同性だけの音楽グループ(ガールグループ girl group, 楽器を使わないボーイバンド boy band など)」という sexism セクシズム、 sexist セクシスト認定を受ける商売がアジアを中心に、人気が高いので、かなり複雑である。

2020年1月7日『ジェンダー研究の例示(宗教学・社会言語学・美学・文化研究から)』で、性的対象化(性的客体化 sexual objectification)にまつわる事象を考察していた。
そういう哲学的な背景もある。



こちらが、絵と音楽を商業的に使ってもらうような意図は、今まで以上に限られるかと。
「同人ならよいのか」というと、同人とかインディーズでさえ、似たものどうし(マンガ、音楽などカテゴリ別)による労働組合とかを作ろうとしている時代なのだから、やはり社会的責任の追尾から逃れるとは思えない。
※労組の件については、ほぼ脳内ソース。正しくは、フリーランスの記者、ライター(物書き)、それといくつかの個人事業主、小規模事業者(運送業とか?)あたりだったか?とはいえ、それらの業務を長年続けてやりがいを感じる人たちが多いのであれば、業界の垣根を越えてこういうことが広がるかもしれない。

こちらのできる努力で、いくらか投稿しているものであり、赤松健のような政治家にお願いすることなど、ない。
私は過度に、表現の自由や言論の自由を主張しないし、ましてやイーロン・マスクらの「絶対主義 (free speech absolutism, absolutist)」のような立場にない。
※付言すると、荒木Nも釧路市で「表現の自由」を濫用し、「俺の自由だ」を体現していた。
住んでいる杉並区(有名なアニメ作品の元請け会社が多い「アニメのまち」)で選出された衆議院議員(立憲民主党、女性)、区長(立憲民主党らの支持を受ける無所属、女性)、区議会議員(女性が過半数)が、全体としてリベラル度が高いものだから、ある種の方向性が強くなりすぎないでほしいとは思う(逆に生きづらさが強くなりかねない)。



長年、広い範囲を傍観者目線で見てきたが、結局は、学校で不遇な状況に遭っているときから、今まで「ある種の完璧主義」により、私において職業的成功、世俗的出世というのはありえないようになった。
「37歳まで未婚、出世しない父親」を含め、普通の仕事をする人たちと、私は、バックグラウンドもキャラクターもスキルもエクスペリエンスも著しく違う。
金稼ぎの道はあまりないから、これからも好きにさせてほしいし、その中で、自ら(自分の中に)提案するよ。

正(ジンテーゼ)と反(アンチテーゼ)、ただの魑魅魍魎でも、こちらは合(アウフヘーベン)を行う。
長年、示しているし、これからもそうありたい。







起草日:2023年8月8日

次回『表現方法としての漫画と、企業に求められる進歩的な商業作品』で、私が新たに創作する場合の展望を示す。




2023年8月27日日曜日

国家個人主義の2つの考え方と、文明の緩やかな滅亡(持続可能性の裏返し)

1-1. 任意の国家が保障するものとしての国家個人主義(国家が行為主体)
1-2. 国家にとっての国家個人主義(国家が客体もしくは再帰的)



1-1. 国家が行為主体である国家個人主義

任意の国家が保障するものとしての個人主義(国家が行為主体)は、主に憲法などに明文化される。
これは主に様々な権利(基本的人権など)を指す。
国家が保障するものとしての個人主義は、間接民主制に不可欠な一部分を構成する。
国家がまずは一方的に国民である個人たちへ主権を保障するような構図である。
その後は、国家と国民である個人たちとが互いに影響しあい、循環する関係性になる。

ここからは、踏み込んだ話になる。
間接民主制を高度に行えていれば、直接民主制も可能になる、と私は思っている。
直接民主制を高度に行えていれば、アナキズム(無政府主義 anarchism)の実現も可能になる、と私は思っている。
アナキズムについては、こういった段階が踏襲されない限り、急進的なものである。

民主主義(民主制)のようなものは、参政権や立法の仕組みなど、権利の一部分である。
「主権」という言葉は、統治主体のようなものであり、過去には単一または少数の支配者(君主、独裁者、全体主義の党派など)が実質的な主権の所持者(主権者)だったところがほとんどである。
先述の通り、今は国民が国家から主権を保障されており、国家の役割は、権力 (パワー) で抑えつける側面よりも、権利を分散させて意思を応援するといった側面のほうが重要視されている。
※民主的な法治国家では、警察、公安組織などは、同じ人間が運用しているし、同じく職権乱用や横暴がされないように、多方面から牽制されており、三権分立というのもある。これらは現時点での理想的な構図だが、貧しい国では汚職が横行しがち。
「主権」はまた、国内的にそうであるが、国際的には国家のものである。



1-2. 国家が客体もしくは再帰的である国家個人主義

国家(nation, 特に主権国家 sovereign state)にとっての個人主義(国家が再帰的な主体)は、国家が一個人という名の再帰的な主体もしくは客体である場合の、個人主義である。
国家にも、主権 がある (国家主権 state sovereignty)。
それが、他の国家(つまり他人)と対等な主権者どうしであることを認め合うことにも相当する。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。

参考として、反対のことも挙げよう。
一般的なたとえ(メタファー metaphor, 比喩)に、国家間の親子関係、兄弟関係(姉妹関係)のようなものが言われる。
特に、「兄弟国家」というのは、共通の母体(i.e., かつて存在した両者の国土を版図に収めた国)から継承された国々を指す傾向にある。
これが、人間関係における上下、モラルハラスメント(パワーハラスメント)のようなものに悪用されることもある。
日本に対する台湾(もとは大日本帝国)、逆に歴史的な朝鮮系国家に対する日本(史実を抜きに、そういう主張をする人たちが韓国や北朝鮮にいる。国家としてそのようなことが無かったとしても漢字の使用とか文化的に年長者であるかのような認識や、仮説上の語族 language family の祖語を用いる言語集団=仮想の祖先を指す場合がある)、ロシアに対するウクライナ(もとはソビエト連邦)など、世間に見られている。
どのような形で以前の国家が消滅したか(いわゆる崩壊や割譲や分離独立など)、という部分については、重要でない。

今、存在する国は、そう自負する限り、対等な個人、もとい主権国家なのだから、たとえ以上の何かを「兄弟」の概念に使うことは、全く適切でない。
そういう家族主義 (familialism or familism) の尺度が正しいのであれば、ある国が別の国の「傀儡国家 (puppet state, puppet government or dummy government)」であるようなものになってしまう。
仮に「兄弟(兄と弟)」という表現を用いないにしても、文化的な年長とか、国力の大きさなどで上下関係を無意識に懐くのであれば、そのようなアンコンシャスバイアス (unconscious or implicit bias, implicit stereotype) も同様である。
一方が、他方を自身よりも格下だとみなす考えで、他方に、(武力行使などで)はたらきかけると、意表を突かれる場合があることは、人間関係でも国際関係でもよくあることである。
意表を突かれて、かえって不利益を生む結果もあり、その種類の積極行動は、成熟した個人(国家)ほど、しなくなる。
ものによって、ギャンブラーの若気の至り、では済まされない。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。

現時点で地球上の国家間(国際関係)においては、拘束力の強い政府が存在せず、無政府状態 (anarchy) でもある。
国際連合の条約を含む国際法 (international law) は、多少の強さを持っているが、戦争のときは大なり小なり、戦争法 (law of war) で求められた「不必要な苦しみを減らす」ということが履行されづらい。

Sovereignty has taken on a different meaning with the development of the principle of self-determination and the prohibition against the threat or use of force as jus cogens norms of modern international law. The United Nations Charter, the Draft Declaration on Rights and Duties of States, and the charters of regional international organizations express the view that all states are juridically equal and enjoy the same rights and duties based upon the mere fact of their existence as persons under international law. The right of nations to determine their own political status and exercise permanent sovereignty within the limits of their territorial jurisdictions is widely recognized.

— Wikipedia - "Sovereign state". oldid=1161352244.
※太字は筆者による。数字付き注釈表示を除去した。



私が「国家個人主義 (national individualism)」と言うならば、1-1の意味で言うはずである。
1-1は、国内的なもの (internal, domestic) として「国民主権」が既成事実になっている先進国では普通のことだが、どこでも昔は、単一または少数の支配者にこそ主権(に相当するもの)が存するものと思われていた
1-2は、国際的なもの (external, international) として不確実性の強さがあるが、1-1は人間文明の成熟に従って必然的に「ある種の傾向」を伴い、強めてゆくものであると私は信じている。





2. 文明の緩やかな滅亡

いかなる経過であれアナキズムが成立するとは考えづらい向きもある。
一方で、人間社会と人類文明の滅亡については、多くの人が半信半疑に思うところである。
私としては、遅かれ早かれ、何らかの形でそれが起こると確信している。
個人主義が普及して成熟するところでは、人が年ごとに性機能や身体機能を減らしていくように、持続という名のもとで、滅亡に向かう準備が整う。

成熟した者であれば、何であれ、滅亡のなかでは、安らかな滅亡を志向するかと思う。
私としては、そうであるが、切望するところは、速やかな死よりでない。
不安定な生き方と不安定な死に方のリンク(接続)を解くことを切望している。

図太く生きるよ。
その時その時のバックグラウンドとステータスを自覚し、サーカムスタンスを把握すること。
アウェアネスとマインドフルネスとを重んじること。
可能な限り、多くの手段を活用しなきゃ。

この話は私自身に向けられており、私以外の社会的弱者には実際に困難なことである。
過去にすがることをよしとしない信念の人もいるが、その信念は何か近い過去と近い未来を含む現在のことに強い義務または使命を負っている人のためである。
私には、容易に捨てることのできるものと、捨てがたいものとがある。
結局は、克服の道を進み、寂滅為楽ということか。
「振出しに戻る」、「足踏みしていただけ」、メタファーはなんとでもどうぞ。



「戦争によって作られた歴史は、人に憎悪の心がある限り、終わることは無い」、宗教的マインドから言えば、これが人の世の実相であろう。
私としては、長年、その趣旨を言っていた。

仏教徒にとって、法律は「人間の概念・認識・妄想の所産である道徳・哲学の文明・世界観を支えるもの」であって「戯論」となる。
どうして単なる「相似性」を、無理に「同一だ」と主張するかといえば、我見・我欲の故であり、法律は、その我欲を肯定した人々に争いが生じないよう、何とか権力で抑えつけるためにある。
これで、我欲と全ての欲望が肯定される文明が、欺瞞の平和のもとに生き続け、戦争に入るという悪循環を繰り返すことになる。
仏教徒は、このことを憂え、愧じ、恐れねばならない。
人の悪を悲しまねばならない。

しかし、仏教徒は、世俗の倫理・習慣に則らねば教化できないし、むしろそういった「戯論・迷妄」ありきで「四諦(苦集滅道)」や「中道」などの仏道がある。

—2017年8月10日投稿『仏教と著作権・・・「同一性」とは相似性の便宜上の呼称である(法学・法律学)

今の文明が戦争で終わるのか、戦争以外で終わるのか、私には分からない。
ただの無関心とは違い、「(憎悪をたぎらせて歴史を繰り返す、度し難い世の中に)愛想をつかした」ものとしての諦念で「人々を好きさせよう;こちらが助ける術は無いどころか、義理も無い」と思って極力、外的な刺激を避ける形で自他の終焉を待つ道が、人生の比較的後に、はっきりと現れる。
メメント・モリ、死の準備を意識している。

個人および文明が安らかに死ぬ鍵となるものは、よほど高度な科学と技術とが実現しない限り、その欲望を減らすことくらいである。





起草日:2023年6月22日

本記事の1-1および1-2の事項(2つの国家個人主義)については、2年以上前から、頻繁に頭に浮かべていた。
アウトプットして人に見せるまでもない、と遮っていたが、私自身の環境変化が多くある中でも、それなりに意識されたので、実行することにした。
何せ、2の話題が、主な執筆の動機であったから。
1-1, 1-2というのは、奥行きを演出している。

アナキズムというか、私は、アナグラム (anagram) に陶酔した晩年のソシュールみたいな状態になってきたか?
ボルツマンみたく海に還ろうとすることは無いと思うが。

職歴なし、就労不能の状態でも、私が家出して独立できたのは、入念な調査によるものである。
他者の権利を著しく害しかねない自由を謳うリバタリアン (libertarian) または自由絶対主義者(free ** absolutist, ドナルド・トランプやイーロン・マスクのようなもの)ではなく、リベラルの側面を持った中道であり、よく検討してから行動した。
※イーロン・マスクの言う「言論の自由」は、任意の憲法がそれ自体は具体的でないように、あまり意味を待たない。アメリカ合衆国では、連邦政府と別に州ごとの憲法を用意し、それが日本国憲法と近いものもあり、例えばコネチカット州憲法 (Connecticut Constitution) では: "SEC.4. Every citizen may freely speak, write and publish his sentiments on all subjects, being responsible for the abuse of that liberty.", "SEC.5. No law shall ever be passed to curtail or restrain the liberty of speech or of the press." と、自由の濫用を禁じることと、憲法によって個々の法律があることとが理解しやすい内容である。アラバマ州 Alabama, 最も宗教保守的なテキサス州 Texas でも同じ条項がある。憲法の目から言えば、彼は各州の憲法を超越し、独自に「エックス共和国」を建設したいかのようである。
私が何をしても公益性は無いと思うが、権利で認められる限り、今後も理性的に追求したい。


2023年8月26日土曜日

「面白い作品」は作品が面白いのではなく面白いと思われる原因を持っている、という説

2013年ころに私は、「面白い作品」は、作品が面白いのではなく、面白いと思ってもらえる原因を持っている、という説を聞いた。
うろ覚えになるが、近い時期のZさん(仮称)の発言らしく、詳細(文脈)と典拠と日時は不明である。
「作品」とは、Zさんがビデオゲームのシナリオ、デザイン、プログラム、さらにはグラフィックやミュージックを手掛ける人物であることから、ドラマやマンガを含む文学作品やビデオゲームのことかと推察される。

「人々にとっての面白い作品」における、「面白いと人々から思われる原因」は何か?
社会的な背景から来る、複数の個人の認知や心理の領域にある、と私は考えた。

直接的なもの:

・その作品について、マスメディアが人気であるように取り上げていることを個人が見聞きした。

・その作品について、個人が頻繁に、繰り返し目にすることがあって「よく見かける。面白い作品なの? →よく見かける。面白い作品に違いない」と、心理的な親近感を認知バイアスとして感じるようになった。
;とはいえ、その個人にとって「ヤラセ」や「過大評価」と思われる方法の宣伝や、作品の特徴から不快感を覚えることがあれば「よく見かける。うざい」と思ってしまう。
「何度も、長年、見せられているものが馴染みのあるように錯覚してくる現象(作品であれば、それが何か良いもの、文学作品であれば面白いものと錯覚する)」というのが報告されている(こちらでは特に心理学のほうでどういう名前が付けられているかなどを調査していない)。

・その作品について、個人が「こういうネタがある」と知った喜びで執着し、面白いと思えた一部分の要素を針小棒大にした。



副次的なもの:

・その作品について、いくらか「嫌な部分もあるけど全体的には面白いものなんだ」と自己暗示をかける必要があり、それが達成された。



1996年に始まるZさん自身の作品シリーズも、2004年以降、Zさん自身が思った以上の高い人気を得て困惑し、「面白い作品は面白いと思われる原因を持っている」と、そう考えるようになったのではないか。
他方、基盤として「実際に面白い、上出来である」ことも、先のきっかけとして必須条件である。 今回の考察は、Zさんがその発言をしたのか、その場合はどんな話の脈絡なのか、ということの客観的事実とは別にして読んでいただきたい。

発言そのものは、作品を作る立場の人が思うこととして、「自分が面白いと思った要素はなんなのか、漠然と面白いという感情で支配されすぎず、具体的に省察して自覚することが役に立つ」という精神論を意味している可能性もある。





分析

心理的な効果を巧みに取り込むと、「面白い作品」を作りやすい。
いくらかの作品は、基盤として「実際に面白い、上出来である」かもしれないが、大衆心理まで視野に入れたマーケティングを伴わないと大きくて長期間の人気につなげるのは難しい。
某週刊少年マンガ雑誌系は、そういう部分をうまく捉えているように見える。
紙媒体と電子媒体(TV、ウェブサイトなど)の両方の新聞、雑誌、ニュース、エッセイが具体的な実働部隊である。
「斜陽産業」と扱われない努力で、同業他社間、上位カテゴリの共通した異業種間で、互いの利益の向上を図っているような協力関係が広がっている。

私は2010年(中学2年生、夏休み期間)、すでに特定の作品(アニメ、マンガ)に関して、具体的なマスメディア動員について批判していたことがある。
特定の領域で、当該作品の特集がしつこく行われたことにより、ほかの新人などが埋没している状態に見えていた。

2012年以降、特定の作品のみならず、ポップカルチャー全般の作品に(作者、作家、企業など人格のほうにも)批評を言わないようにしているが、完全に自粛しているわけでもない。
その作品も、多少の人々にとって面白いは面白いのだろうが、万人受けしているのでもないし、過去と未来のいかなる作品であってもマーケティングが巧みなところで万人受けするとは限らない。
ディズニー系を含む「往年の名作」でさえ、時代、地域といった文化の差によって、初めて見た人たちの評価が「ステレオタイプ」、「差別と偏見」、「ギャップ」への認識を伴って変わりうるものである。



ところで、新興宗教でも、なんだかんだ、信者が「教義を見てみろ、素晴らしいから」と主張する場合があるかと思う。
古今東西の宗教を見聞きした立場だと、結局、私は、教義のすばらしさについて、ある特定の新興宗教よりも明らかに綿密で優れたものがあることを知っているし、それだからと言って現存の教団に自発的に加入するというものでもない。
その立場の人がその経緯で、その信仰を持つ結果があったに過ぎないのだろうけど、あまりにも新興宗教信者の一代目(これもまた親と先祖が似たようなものかもしれないが)でありながら、教義への理解や、教義自体の内容が粗雑でありながら、信仰が深い場合、やはり新興宗教としてもうまい具合に「教義の素晴らしさ以上に、素晴らしいと思わせる力」を発揮したのだろう、と感じる。
とはいえ、どこであれ、社会的な目で20世紀以降に発生した新興宗教が、教勢を強めて一国の全民衆に流布したケースは無いので、その程度でもある。

万人受けする完璧な宗教(教義のみならず組織運営が優れている)が存在しないように、万人受けする完璧な作品も成り立つことはない。
そこで、「ある時代、ある文化」での比較的多くの人に支持される作品を作るか、ニッチな層に支持される作品を作るか、単純に作りたいと思ったテーマからの作品を作るか、これはもう、作り手や、その人の属する集団(企業など)の判断になってくる。
たとえ、一定の人気を得た作品であっても、企画の当初、ターゲットやコンセプトがはっきりしない or 複数にまたがっていた、というものが占める割合も多いかと思う。





起草日:2022年10月29日

2022年10月29日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、2023年8月を迎えた。
つまり、その9か月の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
投稿直後、いくらかの加筆をした。


2023年8月4日金曜日

Draft 2022-10-04: OO、山岡洋一 vs. XX、黒木玄 4名のダブルバトルの見直し

あの構図は笑えた。



山岡洋一 「引きこもって」の悪用
倫理道徳を破壊する発言や行為は、学術キャリアさえも壊す諸刃の剣(両刃の剣)である。

伊藤穰一、ジョー・イトー (Joe Ito) が当時のMITにおける要職役職を追われたことに等しい。 彼は直接に悪いことをしたのでないが、それでさえ、非難と追及を受け、MITメディアラボ所長を辞任する結果となっている。


彼は大学を何度中退しても博士号(および名誉博士号)を情報工学ではなく政策学・メディア論(および文学)の分野で取得し、MITで辞任に追い込まれても、彼は色々と活動したがっているようなので、「千葉工業大学変革センター センター長」など、日本で仕事をもらい続けている。
宗教家 兼 宗教学者との対話を希望し、その司会役もこなしていた(上掲動画"NFTs & Religion" by 変革 Center for Radical Transformation)。
チベット仏教の関係者 Venerable Tenzin Priyadarshi と、キリスト教の関係者 Father Eric Salobir を京都に招いて行われた。





4名のプロフィール







起草日:2022年10月5日

サーベイ論文またはコラム。


スマブラに、ポケモンの「ダブルバトル」のようなものはある?
→2対2, 2 on 2 (two-on-two) ということに関しては、あるが、あまり聞かれない。64専用の初代(第一作)には無い?深入りはしないでおく。

2023年7月24日月曜日

独立後に皮膚科クリニック受診、の案(症状:慢性的なニキビ様の腫れ)

以下を要点として、担当医に:
・簡潔に口頭で伝えるか、
・詳細に文書で伝える
ための文案を用意する。



慢性的なニキビ様の腫れ (にきび、吹き出物、尋常性痤瘡、尋常性ざ瘡、面皰、粉瘤腫、表皮嚢胞、毛嚢炎), chronic acne-like swelling

・顔で常に、白ニキビのようなものが20個以上ある。
;白ニキビのような疑わしいものとして、角栓を伴った毛穴や、カード状凝固物を伴った毛穴や、膿のような乳白色液体またはエマルションを伴った毛穴を含む。
;毛穴からカード状凝固物、乳白色液体が多く排出できる。
;爪を立てて押し出すこともよくする。目視するには、明るい環境が望ましい。そこで、違和感のある皮膚の範囲を指で押し広げると、はっきり見えてくる。触診では、固めのハリ(ぷっくら、丘状と言いたいが丘疹は関係ない)が感じられる部分(首の下など、見づらいところはさっと触診で探る)。

・右の頬に目立つクレーター(瘢痕)があるし、より小さなクレーターは多数ある。

・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例 *1:2022年9月20日撮影

・これらの腫れ及び出血は毎日発生するものであり、全体として静まったことはない。
;最近の例 *2:2022091009523400撮影、202209100953800撮影

・既往歴としては、2010年12月以前(13歳、中学校不登校でなかった間)、主に赤ニキビで自覚症状あり。数は過度に多くなかった。皮膚科に行けない間の自助努力で、2021年から意識的に洗顔頻度を増やし、シャワーとシャンプーを伴う浴室風呂行為を外出していない日でも行うようにし、QOLの下がる毛穴乳白色エマルション排出をして衛生的に後始末してもいるが、改善されない。

・以前、チョコレート摂取で顔の皮膚に痒みが発生しやすかった。神経生理学的な条件反射でも、チョコレートの想像刺激で同じく痒みが発生しやすかった。一般的にチョコレート摂取が臨床試験では相関関係としてニキビの発生に貢献していると研究 (Laetitia Penso, et al.) は示唆しているが、生理学的因果関係は評価できない。私の肉体として、最近は臨床的にも相関性を見出しづらくなった。



*1 2022年9月20日撮影 


*2 2022091009523400撮影、202209100953800撮影 






美容目的でニキビを直したいならば、結局は有効成分「過酸化ベンゾイル(benzoyl peroxide, 日本では新薬承認云々の法律の壁で市販薬に配合されていない。アメリカと日本のプロアクティブにもこれの有無の違いがある)」配合の外用薬を買うのが最善かと思う。
日本国内での正規ルート(副作用救済制度の対象)で「過酸化ベンゾイル」配合の医薬品を入手するには、医師の処方に限られている。
一方で、個人輸入の方法は、違法でなく、一般的に利用可能である。
※混同されないために記すと、アキュテインのイソトレチノインは、日本で未承認であり、アメリカで承認されていても市販されておらず、処方箋が必要なもののようなので、そちらは要注意。
外用薬は、洗顔フォームみたいに広範囲で塗りたくるのではなく、患部のみに(もぐらたたきの要領で)、塗布することが望ましい。
過酸化ベンゾイルの作用機序からすると、患部じゃないところで、オーバードーズになって皮膚炎を起こすかもしれない。
皮膚炎にならなくても、常在菌を殺しすぎるとか?
ニキビの原因次第では、よく効くし、効き目が弱ければ他のケア方法や治療方法を併用することになる。

個人輸入代行の オオサカ堂 - "ベンザックジェル" (ベピオゲル、ベンザックゲル, AC 5 or AC 2 1/2; 有効成分を5%または2.5%配合というもの)
https://osakadou.cool/detail/017005_benzacgel_half.html








起草日:2022年9月19日

「独立後に皮膚科クリニック受診、の案」を記すと同時に、私は「特定の耳鼻咽喉科クリニックKに2021年12月8日以来の診療を受けに行く」という考えを持っていた。
今年に入ってからも弱めに維持している副鼻腔炎(主に前頭洞の痛みと中粘度の痰や色付きの痰)があり、診断をもらいたかった。
まず、症状を意図的に強めようと、10月の何らかの日の夜に豊橋市の市街地で買い物と散策をする案があった。

[...] 20時帰宅?体調不良で免疫えればラッキー。

2022年10月11日に決行しようとしたが、準備を進める間、撤回し、近所での買い物をする程度にとどめた。
翌日には、この案を廃止した。

2022年10月16日、ニューキノロン系抗菌薬(抗生物質)"ジェニナック"のような医薬品が市販されているのかを調査した。
悪い予感の通り、そういう有効成分の市販薬は、内服薬として存在しない、と判明した。
篠ケ瀬 蒼惟 - "ドラッグストアで抗生物質は買える?買えない?理由についても解説!". https://www.kusurinomadoguchi.com/column/drug-store-antibiotics-20267/

いいもん、アタシ、プチ薬剤師だから乱用/濫用しないもん。
フツーの薬剤師にフカノーなマホーでニューキノロン系抗生物質の製剤"レボフロキサシン 500 mg 「DSEP」"(一般的に先発薬品名の"クラビット"で呼ばれる)を取り寄せたんだもん。

本日9月2日は前日22時13分にPCをシャットダウンして就寝し、1時11分に目覚めて2時24分に起床した。その後も眠らずにいて4時以降に入眠したろう。その間、弟が起床したり、変な声を発したり、強い物音をたてるなどしていた。5時31分に起床した。 [...] 午前中から感じていたように、2つの副鼻腔で痛みがある。去年11月以降の副鼻腔炎の規模に並ぶ症状が発現するかもしれない。「抗菌薬、ないかな」と思って1階リビングを見ると、図ったように"レボフロキサシン 500 mg 「DSEP」"(広範囲経口抗菌製剤、ニューキノロン系抗生物質)があった。これを後で2錠、入手した。それから10分も経つと、痛みが引いていった。まだ使わなくてよいかもしれないが、念のため常備しておこう。

2022101617335200 "without 診断" は正確に "without 処方"。 

しかし、機会が1度のみ、得られる数も雀の涙ほどであったから、市販薬を探していた。
結果的に出先で症状が出てから耳鼻咽喉科、耳鼻科の診療所へ行く判断にした。
初診で診察券がどうとか、健康保険証がどうとかの問題もあるが、ひとまず、その方法にしよう。



ニキビ自体は有病率が高いものの、病気ではあるからと、この過酸化ベンゾイル BPO 外用薬をはじめとしたいくつかの治療法は、保険診療のうちらしい。
目的が美容で、重症でないとしても、保険適用にはなるようなので、場合によっては皮膚科の受診がよいかと思う。
普段から適切なスキンケアをして生活が規則的な人ほど、あまり受診の必要性は高くないかと思う。
生活保護受給者は、医療券の対象になるので、生活費の圧迫を避けたければ、受診したほうがよい。



アテローマ、アテロームという用語は、割愛。

おお、そういえばこんな医療画像を作ったこともあった。
2021年11月中の日記メモ』所載。

2021年11月3日12時 撮影の3枚 



以上は2022年の家出前、以下は2023年の独立完了後。




2023年7月14日、東京都内での一人暮らしが落ち着いてきた時点での、日ごろの食生活は、不摂生と程遠いものである。
スナック菓子をほぼ食べていない。

スキンケアというか、皮膚に触れるものだと、こういうものを普段、使っており、皮膚科をもし受診したら、医師に伝えておこう:
・ハンドソープ(個人的には洗顔兼用、イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?、ヒアルロン酸など保湿成分あり)
・泡洗顔(グリチルリチン酸ジカリウム、弱酸性?)
・石鹸(イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?)
・泡ボディソープ(同じくグリチルリチン酸2K、アラントイン、弱酸性?)
・シャンプー(薬用での有効成分なし、弱酸性?)



本文の修正案:
・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例:2022年9月20日撮影 ←実家の不自由な環境でニキビケアがしづらい状況で、頻繁に発生しました。今年3月に一人暮らしを始めてからは、こうなったことがありません。



本文の追加案:

最近の対処法:
・洗顔料を用いた洗顔は1日2,3回ある。
・洗顔の際に、手でよく泡立てるなどした洗顔料を、皮膚の表面にのせるようにし、転がすようにしている。
・洗顔料で皮脂を洗い落とし、水でよく洗い流している。高温多湿の季節だと、洗顔料に配合されたヒアルロン酸Naで保湿は足りる。
・質問:ピーリング材の有無を問わず、顔の垢を落とすには、強くこすったり、爪を立てるしかありませんが、一般論として、顔をこすらずに洗えという指導がされている。顔の垢を落とすには、顔をこするかこすらないか、どうすればよいのだろうか?



要望:
・アダパレンやベピオゲル(過酸化ベンゾイル BPO 外用薬)などの効果的な医薬品を処方していただき、しっかりと使っていきたい。もし処方していただいて用法用量を守って治療を続けても、症状が改善されない場合、他の方法にすることも検討する。





2023年7月24日、皮膚科のミッション完了。
ここで詳細を報告しない。
サマリー:ヘパリン類似物質ローション(日医工の後発医薬品、ジェネリック)、ベピオローション、ゼビアックスローション。
新たに分かったこと:ベピオとゼビアックスは併用禁忌、混用禁止ね(混合されると変色するとのこと)→禁忌や禁止は言い過ぎで、ただ皮膚科医が、どの患者が変色するのを嫌がるか分からないから誰にでも併用しないように指導しているだけで、実際は併用して医療的に効果が相殺されるとか、危険な化学反応が起きるとか、皮膚に弊害をもたらすというわけではないようである;併用可能。





予後(2023年9月23日)

陽気な歌と踊りで、お届けします。
まさしぃ『全身肛門踊り』(陽音階、3連符、128 BPM)

(' -'*) (' -'*) (' -'*) ♪角栓ぶーりゅぶーりゅぶーりゅっぶりゅ
('ヮ'*)***つ)('ヮ'*) ♪顔にも肛門、腕にも肛門