2020年7月12日日曜日

調と性格: シャルパンティエ&マッテゾン&シューバルト本文翻訳編

「調と性格 (Key and Character): 導入編」の記事より続く。



訳の総合的な注意点

語彙ごとの注釈はそれぞれの項目にある。
時代の差で、現代フランス語やドイツ語の正書法 (orthography, spelling) と異なるなどは、私が参照した比較的信頼できるソースのままにしている。
既存の日本語訳や、Google翻訳(正書法の問題は翻訳用のために修正して解決)などを参考にしてもいる。
その上で、文法と語彙を徹底に検証している。
一部の著者における長めの説明は最小限の要素を抽出してから翻訳した。

普通の日本語の感覚で理解しやすくなることを心掛ける。
それと同時に、逐語訳の特徴を保つようにした。
私にとって、原文と対照しやすくなることや翻訳結果の説明可能性向上を狙っている。
ただし、原文の3典籍の時とは、理論値で最大24ある調(文献ごとに内容の数は異なるが)の位置を変え、一般的な音名ド=ハの長調・短調 (ハ長調は C, C major; ハ短調は Cm, C minor; ドが主音の長音階→短音階) および音程の昇順(i.e. ド→レ♭→レ)で並べる。

「楽しい」、「喜ばしい」、「悲しい」などのシク活用および多くの感情表現の形容詞は:言及の客体に精神がある場合「その精神状態にある」という意味でもあれば、言及の主体側が任意の客体から「その精神状態にさせられる効果を受ける」という意味でも解釈できる。
音楽に寄せて言えば、「この曲は楽しい…」と言われても:「この曲自体が楽しい心でいる、と私は思う」という意味や、「この曲から私は楽しさの感情を受け取った/楽しい気分にさせられた」という意味で解釈できる。
そのような言語の曖昧さの問題(場合によっては同時に、書き手がそこをはっきりとさせない問題)があるため、極めて翻訳に迷う。
それも適宜に翻訳し、できる限り「(主体側が)その精神状態にさせられる効果を受ける(=客体がその精神状態にさせる効果を与える)」という方で理解できるようにしている。
単純に「楽しい」という和語の形容詞(シク活用、形容動詞)は、別の意味論的問題もある。
この語彙だけでは多義的であり、対応可能な語句のうち英語 pleasant の場合、pleasant に与えられている辞書的定義 (任意の英英辞書で"Giving pleasure; pleasing in manner."とされる) で「愉快な」とも言われ、これもまた多義的である感じが否めず、さらに追い詰めて「快適な、快感の」という意味で理解することになる。
任意の例文における「楽しい散歩 a pleasant walk」は、踊るようにはしゃぐ散歩のことではなく、快適さを示唆する場合が多い。
ただし、風景に面白さなどがある、という面白さを示唆する場合、やはり心が躍るような散歩という点で踊るようにはしゃぐ散歩を表現している可能性も否定できない。
いずれにしても、ある程度、互いに意味が区別可能になるようにドイツ語でもフランス語でも日本語でも英語でも、統括的に概念的な構造を私は適用したいと思っている。
「逐語訳」、逐語的であるとしても、ここに慎重さを期してみようと思っている。

音楽には感情に関わる言語表現が多く用いられやすいので、このように少し言語的考察を記した。
感情動詞 verba sentiendi などに興味があれば以下の過去記事も参照されたい。
2019年2月17日投稿『現代日本語・口語における述語表現が変容して存在する文法 ~ 感情表現・幼児語の正統性』

シャルパンティエ Charpentier の「調と性格」説を載せる *1
シャルパンティエ説についてはフランス語版抄出があるが、活字文献スキャンなどは発見しづらい。
一ページ例 keychar.htm に載るもので全て。
嬰ヘ長調 Fa dièse majeur, F-sharp major (十二平均律での同音:変ト長調 G-flat minor) などに言及なし、と見られる。

シャルパンティエ述 Les Règles de Composition (c. 1682) *2 より:

ハ長調 (C): 陽気で好戦的な調子
ハ短調 (Cm): 陰鬱で悲しみ嘆く調子
ニ長調 (D): 楽しくて非常に好戦的な調子
ニ短調 (Dm): 真剣で敬虔な調子
変ホ長調 (E♭): 残酷で峻厳な調子
変ホ短調 (E♭m): 恐ろしくておぞましい調子
ホ長調 (E): けんか好きで派手な調子
ホ短調 (Em): 女々しく、恋に落ちていて悲しみ嘆く調子
ヘ長調 (F): 怒り狂っていて正気を失っているような調子
ヘ短調 (Fm): あいまいで悲しみ嘆く調子
ト長調 (G): 甘く楽しい調子
ト短調 (Gm): まじめで壮大な調子
イ長調 (A): 楽しくて牧歌的な調子
イ短調 (Am): 柔らかくて悲しみ嘆く調子
変ロ長調 (B♭): 壮大で楽しい調子
変ロ短調 (B♭m): あいまいで恐ろしい調子
ロ長調 (B): 悲しみ嘆く調子
ロ短調 (Bm): 孤独で憂鬱な調子

Ut majeur: Gai & guerrier
Ut mineur: Obscur & triste
Ré majeur: Joyeux & très guerrier
Ré mineur: Grave & dévot
Mi bémol majeur: Cruel & dur
Mi bémol mineur: Horrible & affreux
Mi majeur: Querelleux & criard
Mi mineur: Efféminé, amoureux & plaintif
Fa majeur: Furieux & emporté
Fa mineur: Obscur & plaintif
Sol majeur: Doucement joyeux
Sol mineur: Sérieux & magnifique
La majeur: Joyeux & champêtre
La mineur: Tendre & plaintif
Si bémol majeur: Magnifique & joyeux
Si bémol mineur: Obscur & terrible
Si majeur: Dur & plaintif
Si mineur: Solitaire & mélancolique

訳注

  • この性格説の表現フレーズは、ほとんど形容詞2つをアンパッサンド (ラテン語とフランス語では et という英語 and と同じ意味の言葉をくっつけた記号なのでそのまま and の意味で文章中に使用可能) で分けたものであるが、唯一副詞が含まれるフレーズや、形容詞3つの場合に1つめと2つめとの間にコンマが用いられるフレーズがある。形容詞の連結には「~くて(ク活用およびシク活用 ku +助詞 te = kute)」や「~で(ナリ活用 ni +助詞 te の転訛による結合助詞 n'te = de)」を採用し、唯一の副詞にはそれが用いられないことで訳し分けている。
  • "dur"は2度あるそれぞれで異なる訳をつけた。英語 hard の意味の形容詞(どちらも語彙として副詞でもあるがここでは副詞とならない)とされ、その英語も多義的なので、それぞれで適切なものを選択している。
  • "plaintif"は「悲しい感じのある/悲しそうに聞こえる sounding sorrowful」という意味の形容詞で理解し、「悲しげな」とした。"triste"の時の「悲しい」とは異なる。「哀れな」は英語 poor の意味で取る人が多くなるし、フランス語でも他の語彙 pauvre, pitoyable があるので整合しなくなり、選ばない。なお、ラテン語の語源では planctus のようになり、苦しみ嘆く行為 plango の完了受動分詞とそこから派生した行為名詞であり、後のフランス語で plaint, plainte に継承される。その -if 形容詞形が plaintif と見られるので、更に訳を変えて「悲しみ嘆く(悲嘆に暮れる、も可)」とした。後掲マッテゾン説のドイツ語にも同系語が見られるが、現代ドイツ語では辞書にさえ載らない廃語らしく、近い意味として形容詞"klagenden" (klagend、泣き叫ぶ~、嘆きの~) との代替案が注釈される写本も見られた。
  • "doucement"は douce + -ment の副詞 adverb で、意味は「柔らかい soft」「やさしい gentle」などと辞書に載る (adv. softly, quietly, gently) が、イタリア語 dolce などに比較できるラテン語 dulcis に由来する単語なので、副詞「甘く sweetly (甘い sweet)」とした。dolcemente(イタリア語)も参照。無論、この次にある形容詞"joyeux"を修飾する副詞であると理解した。
  • "tendre"はラテン語 tener の目線で「柔らかい tender, soft」とするが、ラテン語では「女々しい effemine」「卑猥 erotic」などの意味もあるとされ、シャルパンティエさんにそちらが想定された可能性も否定できない。



Mattheson, Johann (1681-1764)

マッテゾン Mattheson の「調と性格」説を載せる *3
マッテゾン説についてはドイツ語版抄出があり、更に調査して活字文献のデジタルテキスト化と思しきページを発見した。
そこでは、"À TONO PRIMO, D.MOLL, (DORIO)" というようにニ短調 (D minor) が最初の調であるとしてドリア旋法を重んじているが、例の通りハ長調 (C major) で並べ替えをしようと思う。
翻訳を進める中でフラクトゥール活字画像がGoogle Booksで閲覧できることが分かった。

マッテゾン述 Das neueröffnete Orchestre (Hamburg, 1713) *4 より:

ハ長調 (C): かなり失礼で生意気な調子
ハ短調 (Cm): 極度に愛らしい [調子であり]、なおかつ悲しくもある調子
ニ長調 (D): やや鋭くて頑固な調子
ニ短調 (Dm): 少し敬虔で穏やかな何かを含み、なおかつかなり大きくもあり、快感で満足の感じる調子
変ホ長調 (E♭): それ自身で感情的なものが多い、そして真剣かつ悲しみ嘆くものしか欲しない [調子であり]、全ての充足感にあたかも敵対的なようでもある調子
ホ長調 (E): 絶望に満ちた [感情]、または完全に致命的な悲しみを比類なく表現する [調子であり]、不運で希望なき恋愛の窮状に最適な調子
ホ短調 (Em): 陽気なものに繋がることがほぼありえない [調子であり]、非常に考え込んでいて深慮していて傷心でいて悲しい [気持ちに] させる調子
ヘ長調 (F): 寛大さ、忠誠心、愛など、美徳の名簿の上位にあるもの何でもといった、世界で最も美しい感情を表現することができる調子
ヘ短調 (Fm): 穏やかで静穏でありながら、同時に深くて重い [調子であり]、やや絶望感と致命的な心の恐怖を表している調子
嬰ヘ短調 (F♯m): 大きな悲愴感につながるが、致死的というよりも、だるくて恋している調子
ト長調 (G): 多くのご機嫌どりのものとおしゃべりなものをそれ自身に持っている [調子であり]、 加えて少なからず輝いてもいて、まじめなものと陽気なものの両方に適している調子
ト短調 (Gm): 前の調(ニ短調 d-moll, Dm)に付けられたまじめさを生き生きとした愛らしさに混ぜるだけでなく、並外れた優雅さと礼儀正しさも兼ね備えているので、これら全てで最も美しい調子
イ長調 (A): (同時に [その調が] 輝くかどうかは、?)非常に攻撃的である [と言われ]、遊興よりも、嘆かわしく悲しい情緒に向いている [調子であり]、 特にバイオリンの演奏にはとてもよく適している調子
ここから中途@→イ短調 (Am):
変ロ長調 (B♭):
ロ長調 (B): 嫌気のさす、硬い、そしてとても不愉快で、しかもやや絶望的な特徴をそれ自身に持っている調子
ロ短調 (Bm): 奇妙で、不快で憂鬱な調子

C-Dur: (Dieser Ton) hat eine ziemlich rude und freche Eigenschafft, wird aber zu Rejouissancen, wenn und wo man sonst der Freude ihren Lauff lässet, nichtungeschickt seyn, dem ungeacht kan ihn ein habiler Componist, wenn erinsonderheit die accompagnirenden Instrumenta wohl choisiret, zu gar was charmantes umtauffen, und füglich auch in tendren Fällen anbringen.
c-moll: (Dieser Ton) ist ein überaus lieblicher, dabey auch trauriger Ton, weil aber die erste qualité gar zu sehr bey ihm prävaliren will, und man auch des süssen leichtüberdrüßig werden kan, so ist nicht übel gethan, wenn man dieselbe durchein etwas munteres, oder ebenträchtiges mouvement ein wenig mehr zu beleben trachtet, sonst möchte einer bey seiner Gelindigkeit leicht schläffrig werden. Soll es aber eine Piece seyn, die den Schlaff befördern muß, sokan man diese remarque sparen, und natürlicher Weise bald zum Zweckgelangen.
D-Dur: (Dieser Ton) ist von Natur etwas scharff und eigensinnig, und zum lärmen, lustigen, kriegerischen und aufmunternden Sachen wohl am allerbequem-sten, doch kan man auch nicht in Abrede seyn, daß nicht auch dieser harte Ton, wenn zumahl an statt der Clarine eine Flöthe, und an statt der Paucke eine Violine dominirt, gar artige und fremde Anleitung zu delicaten Sachen geben könne.
d-moll: (Dieser Ton) enthält in sich etwas devotes und ruhiges, dabey auch etwas grosses, angenehmes und zufriedenes, dannenhero derselbe in Kirchen-Sachen die Andacht, in communi vita aber die Gemüths-Ruhe zubefördern capabel sey, wiewohl solches alles nichts hindert, daß man nichtauch was ergötzliches, doch nicht sonderlich hüpfendes, sondern fließen-des mit succes aus diesem Ton setzen könne.
Es-Dur: (Dieser Ton) hat viel pathetisches an sich, und will mit nichts, als ernsthafften und dabey plaintiven Sachen gerne zu thun haben, ist auch aller Üppigkeit gleichsam spinnefeind.
E-Dur: (Dieser Ton) drucket eine Verzweiffelungsvolle, oder gantz tödtliche Traurigkeit unvergleich wohl aus, ist vor extrem=verliebten, Hülffe und Hoffnungslosen Sachen am bequemsten, und hat bey gewissen Umständen so was schneidendes, leidendes, und durchdringendes, daß es mit nichts, als einer fatalen Trennung Leibes und der Seelen verglichen werden mag.
e-moll: (Dieser Ton) kan wohl schwehrlich was lustigem beygelegt werden, man mache es auch, wie man wolle, weil es sehr pensiv, tieffdenckend, betrübt und traurig zu machen pfleget, doch so, daß man sich noch dabey zu trösten hoffet. Etwas hurtiges mag wohl daraus gesetzet werden, aber das ist darum nicht gleich lustig.
F-Dur: (Dieser Ton) ist capable die schönsten Sentiments von der Welt zu exprimiren, es sey nun Großmuth, Standhafftigkeit, Liebe oder was sonst in dem Tugend=Register oben an stehet, und solches alles mit einer der massen natürlichen Art und unvergleichlichen Facilité, daß gar kein Zwang dabey von nöthen ist. Ja die Artigkeit und Adresse dieses Tons ist nicht besser zu beschreiben, als in Vergleichung mit einem hübschen Menschen, dem alles, was er tut, es sey so gering es immer wolle perfect gut ansteht, und der, wie die Franzosen reden, bonne grace hat.
f-moll: (Dieser Ton) scheinet eine gelinde und gelassene, wiewohl dabey tieffe und schwehre, mit etwas Verzweiffelung vergesellschaffte und tödtliche Hertzens=Angst vorzustellen, und ist über die massen beweglich. Er drucket eine schwartze, Hülfflose Melancholie schön aus, und will den Zuhörern bißweilen ein Grauen, oder einen Schauder verursachen.
fis-moll: Ob gleich dieser Ton zu einer grossen Betrübniß leitet, ist dieselbe doch mehr languissant und verliebt, als lethal; und hat auch sonst dieser Ton etwas abandonirtes, singulaires, und misantrophisches an sich.
G-Dur: (Dieser Ton) hat viel insinuantes und redendes in sich, er brilliret dabey auch nicht wenig, und ist so wohl zu serieusen, als munteren Dingen, gar geschickt.
g-moll: (Dieser Ton) ist fast der allerschönste Ton, weil er nicht nur die dem vorigen anhängende ziemliche Ernsthafftigkeit mit einer munteren Lieblichkeit vermischet, sondern eine ungemeine Anmuth und Gefälligkeit mit sich führet, dadurch er so wohl zu zärtlichen, als erquickenden, so wohl zu sehnenden, als vergnügten, mit kurtzen, beydes mäßigen Klagen und temperirter Fröhlichkeit bequem und überaus flexible ist.
A-Dur: (Dieser Ton) soll sehr angreiffen, ob er gleich brilliret, und mehr zu klagenden und traurigen Passionen, als zu divertissiments geneigt ist; insonderheit schicket er sich sehr wohl zu Violin-Sachen.
a-moll: (Dieser Ton) soll einen prächtigen und ernsthafften Affekt haben, so, daß er doch dabey zur Schmeicheley gelencket werden mag. Ja die Natur dieses Tons ist recht mäßig, etwas klagend, ehrbar und gelassen, item zum Schlaff einladend, und kan fast zu allerhand Gemüths=Bewegungen gebraucht werden. Ist dabey gelinde und über die massen süsse.
B-Dur: (Dieser Ton) ist gar divertissant und prächtig, behält dabey gerne etwas modestes, und kan demnach zugleich vor magnific und mignon passiren. Unter andern Qualitäten, die ihm beygelegt werden, ist diese nicht zu verwerfen: Ad ardua animam elevat.
H-Dur: (Dieser Ton) scheinet eine widerwärtige, harte und gar unangenehme, auch dabey etwas desperate Eigenschaft an sich zu haben, ist aber nicht sonderlichgebräuchlich.
h-moll: (Dieser Ton) ist bizarre, unlustig und melancholisch, deswegen er auch selten zum Vorschein kommet, und mag solches vielleicht die Ursache seyn, warum ihn die Alten aus ihren Clöstern verbannet haben.

訳注

  • 私が参照した版で"wascharmantes"など、校正ミスが見られたものは適宜に修正してある。他は正書法の問題について触れた通り、そのままにしてある。
  • 調の名の名詞は文法性 (grammatical gender) が男性 (masculine) である、と分かる。マッテゾン説では"ist ein überaus lieblicher…"から読み取ることができる。冠詞 ein の名詞句または不定冠詞句の中で男性・主格・単数形と見られる形容詞 lieblicher (叙述では lieblich) がある。なお、"dieser Ton"も男性である。シャルパンティエ説は額面上、男性だが、無性かもしれない。踏み入った事項は、シャルパンティエ説の原点の文脈や、活字デジタル画像を閲覧していないと、確かには言いづらい。
  • "ziemliche"は形容詞 ziemlich の屈折/曲用が伴った語形である。ziemlich について、英語版Wiktionaryは副詞しか載せていないが、ドイツ語版Wiktionaryは形容詞としても載せている。冠詞 eine の名詞句または不定冠詞句の中で女性・主格・単数形になっている。
  • "Lauff lässet"は、"Laufflässe"など複数の版で異なり、 動詞 lassen = laßen の活用形: lasset = laßet (三人称・複数・現在時制・接続法?), lässt = läßt (三人称・単数形・現在時制・直説法) などにも理解できるように綴る版もある。"(Lauff) läst" と綴る版もあるが、この綴りについてはドイツ語の意味で理解されないのではないか?この綴りそのものはスウェーデン語にのみある。ただし、フレーズ単位で検索すると、Mattheson 文献と同時代の他のドイツ語文献が色々と検索にかかるので、何かしらありえるようである。
  • "schläffrig"に関しては現代語で schläfrig とするも、ここでは f が二重であるし、その他の版で"schlaeffrig", "schlaeffrich"などと、ウムラウトの ä を現代スイス式で綴るものや無声の軟口蓋/硬口蓋摩擦音のために ch と g とで表記が異なるものもある。
  • "enthält" (不定詞: enthalten, 意味: 含む) は"hat" (不定詞: haben, 意味: 持つ、有する) とする文献もあるが、大きな意味の差は無い。
  • "dabey aber auch grosses"は、"aber"の無い版2つを見て、それを除いた。
  • "an sich"は再帰的な (reflexive) 性質を同じ節 (clause) の動詞に与える前置詞句と理解できるが、ここでの動詞 haben (活用で"hat"と) に対して有効な意味があるか不明。直訳した。似たもので"in sich"も後に出てくるが、同様にした。縮約助詞「で」とナリ活用連用形由来助詞「に」の意味は原文を見てもらうことになるが、原文でもナンセンスに近い状態と見られるので、形態を変えることは不必要な思索を生んでしまうか。
  • "plaintiven"は前掲シャルパンティエ説への訳注の通り現代ドイツ語にとって廃語で、"klagenden" との代替案を注釈する写本もある。
  • "Sachen gerne zu tun haben" (gerne は辞書的に gern) は名詞句と見る場合、翻訳不能。ざっくりと「もの、楽しんで、有することをする」と書き残す。2時間ほど理解に苦しんだ後、ドイツ語(もとい一部ゲルマン語)の統語論にあるV2語順について思い返したので、この広い範囲を独立の主節 (main/independent clause) と見た場合、その中の助動詞"will"がV2に相当して最後に"zu tu haben"が謎の慣用句(ウェブ検索およびGoogle翻訳で否定の語句をともなう「関係ない、関わりたくない」と出るが他の意味も見られて意味不明)と見ることもできる。冒険しすぎて謎めいた領域に入るので、—学問的良心としてどうかと思うが—実用的には留保になる。
  • "drucket"は任意の辞書で「印刷する to print」としか言われない。しかし、日本語版WikipediaやGoogle翻訳は「表現する」と文脈に合った翻訳をする。drucket もとい動詞 drucken (不定詞) は drücken という別の現代ドイツ語の語句とほぼ同系の語彙であり、こちらの意味は「押す to press」などとされ、こちらに接頭辞 aus- が付くことで「表現する to express」という意味の ausdrücken になったりもするため、近縁であると言える。この話は抜きにしてもマッテゾン述のドイツ語で「表現する」という語彙は drucken になると見られる。
  • "Huelff- und"はそのようにハイフンとスペースとが用いられる版を私は参照し、訝しいので他の例も比較すると"Hülff=", "Hülffennd" (時代不詳、フラクトゥール活字画像およびテキスト化) などと見られた。正書法の問題として見る限度を超えている。まだ辞書に載っているような Hülfe, Hilfe という名詞も、英語 help に比較される「助け」の意味であり、この名詞のまま理解するには困難がある。既存の日本語訳やフィンランド語訳に歩み寄る必要を感じた。
  • "kan wohl schwehrlich"は現代ドイツ語で kann wohl schwerlich となる。wohl は辞書的に「おそらく」(perhaps) の意味であるが、動詞の意味を「法」(mood, mode) の特質で変える modal particle(法的不変化詞)であるとも。kann […] schwerlich は can hardly となる(現代英語圏でこの想定される意味に can か can't かは分かれる傾向があるがGoogle翻訳は否定表現を付随させないで英語に翻訳した)。一見して直訳は「おそらく困難に~できる」となるが、意味としては「ほとんど~できないであろう」となる。ついでに、wohl schwehrlich の独英対照の例文が読めるサイトも載せる https://www.linguee.com/german-english/translation/wohl+schwerlich.html
  • "pensiv"は"plaintiven"のように、フランス語からの借用が多いマッテゾン説または同時代ドイツ文語の特徴と見られる。英語 pensive に相当する意味のフランス語の形容詞であり、男性・単数の語形"pensif"とする版もある。
  • "leitet" (不定詞: leiten, 意味: …後述) は他動詞か自動詞か?どの意味か?というと、この動詞の前に与格支配の前置詞"zu"と、与格の冠詞"einer"の名詞句または不定冠詞句とが見られるため、英語の自動詞 lead の lead to (意味: ~に導く or ~につながる) に相当するものと理解した。意味は「~につながる」とした。類義語に führen (他動詞の「~を導く」と自動詞の「~につながる」どちらも) がある。



Schubart, Christian (1739-1791)
シューバルト Schubart (Christian Friedrich Daniel Schubart) の「調と性格」説を載せる。
シューバルト説についてはドイツ語版抄出があるが、活字文献スキャンなどは発見しづらい。

シューバルト述 Ideen zu einer Ästhetik der Tonkunst (1784–85; ed. by his son, Ludwig Schubart, Vienna, 1806) *4 *5 より:

ハ長調 (C): 完全に純粋(な調子 or だ。その性格は:無邪気さ、単純さ、素朴さ、幼児語の名を持つ)
ハ短調 (Cm): 愛の宣言、と同時に不運な愛の嘆き(を表す調子)
ここから中途@→変ニ長調 (D♭):

C dur, ist ganz rein. Sein Charakter heisst: Unschuld, Einfalt, Naivetät, Kindersprache.
C moll, Liebeserklärung, und zugleich Klage der unglücklichen Liebe. – Jedes Schmachten, Sehnen, Seufzen der liebetrunknen Seele, liegt in diesem Tone.
Des dur. Ein schielender Ton, ausartend in Leid und Wonne. Lachen kann er nicht, aber lächeln; heulen kann er nicht, aber wenigstens das Weinen grimassiren. - Man kann sonach nur seltene Charaktere und Empfindungen in diesen Ton verlegen.
Cis moll. Bußklage, trauliche Unterredung mit Gott; dem Freunde; und der Gespielinn des Lebens; Seufzer der unbefriedigten Freundschaft und Liebe liegen in seinem Umkreis.
D dur. Der Ton des Triumphes, des Hallelujas, des Kriegsgeschrey’s, des Siegsjubels. Daher setzt man die einladenden Symphonien, die Märsche, Festtagsgesänge, und himmelaufjauchzenden Chöre in diesen Ton.
D moll, schwermüthige Weiblichkeit, die Spleen und Dünste brütet.
Es dur, der Ton der Liebe, der Andacht, des traulichen Gesprächs mit Gott; durch seine drey B, die heilige Trias [Dreifaltigkeit] ausdrückend.
Es moll. Empfindungen der Bangigkeit des aller tiefsten Seelendrangs; der hinbrütenden Verzweiflung; der schwärzesten Schwermuth, der düsteren Seelenverfassung. Jede Angst, jedes Zagen des schaudernden Herzens, athmet aus dem gräßlichen Es moll. Wenn Gespenster sprechen könnten; so sprächen sie ungefähr aus diesem Tone.
E dur. Lautes Aufjauchzen, lachende Freude, und noch nicht ganzer, voller Genuß liegt in E dur.
E moll. Naive, weibliche unschuldige Liebeserklärung, Klage ohne Murren; Seufzer von wenigen Thränen begleitet; nahe Hoffnung der reinsten in C dur sich auflößenden Seligkeit spricht dieser Ton. Da er von Natur nur Eine Farbe hat; so könnte man ihn mit einem Mädchen vergleichen, weiß gekleidet, mit einer rosenrothen Schleife am Busen. Von diesem Tone tritt man mit unaussprechlicher Anmuth wieder in den Grundton C dur zurück, wo Herz und Ohr die vollkommenste Befriedigung finden.
F dur, Gefälligkeit und Ruhe.
F moll, tiefe Schwermuth, Leichenklage, Jammergeächz, und grabverlangende Sehnsucht.
Fis moll. Ein finsterer Ton: er zerrt an der Leidenschaft, wie der bissige Hund am Gewande. Groll und Missvergnügen ist seine Sprache. Es scheint ihm ordentlich in seiner Lage nicht wohl zu seyn: daher schmachtet er immer nach der Ruhe von A dur oder nach der triumphirenden Seligkeit von D dur hin.
Ges dur. Triumph in der Schwierigkeit, freyes Aufathmen auf überstiegenen Hügeln; Nachklang einer Seele, die stark gerungen, und endlich gesiegt hat – liegt in allen Applicaturen dieses Tons.
G dur. Alles Ländliche, Idyllen- und Eklogenmäßige, jede ruhige und befriedigte Leidenschaft, jeder zärtliche Dank für aufrichtige Freundschaft und treue Liebe; – mit einem Worte, jede sanfte und ruhige Bewegung des Herzens läßt sich trefflich in diesem Tone ausdrücken. Schade! daß er wegen seiner anscheinenden Leichtigkeit, heut zu Tage so sehr vernachlässiget wird. Man bedenkt nicht, daß es im eigentlichen Verstande keinen schweren und leichten Ton gibt: vom Tonsetzer allein hangen die scheinbaren Schwierigkeiten und Leichtigkeiten ab.
G moll, Mißvergnügen, Unbehaglichkeit, Zerren an einem verunglückten Plane; mißmuthiges Nagen am Gebiß; mit einem Worte, Groll und Unlust.
Gis moll, Griesgram, gepreßtes Herz bis zum Ersticken; Jammerklage, die im Doppelkreuz hinseufzt; schwerer Kampf, mit einem Wort, alles was mühsam durchdringt, ist dieses Tons Farbe.
As dur, der Gräberton. Tod, Grab, Verwesung, Gericht, Ewigkeit liegen in seinem Umfange.
A dur. Dieser Ton enthält Erklärungen unschuldiger Liebe, Zufriedenheit über seinen Zustand; Hoffnung des Wiedersehens beym Scheiden des Geliebten; jugendliche Heiterkeit, und Gottesvertrauen.
A moll, fromme Weiblichkeit und Weichheit des Charakters.
B dur, heitere Liebe, gutes Gewissen, Hoffnung, Hinsehnen nach einer bessern Welt.
B moll. Ein Sonderling, mehrentheils in das Gewand der Nacht gekleidet. Er ist etwas mürrisch, und nimmt höchst selten eine gefällige Miene an. Moquerien [Vorwürfe] gegen Gott und die Welt; Mißvergnügen mit sich und allem; Vorbereitung zum Selbstmord – hallen in diesem Tone.
H dur. Stark gefärbt, wilde Leidenschaften ankündigend, aus den grellsten Farben zusammen gesetzt. Zorn, Wuth, Eifersucht, Raserey, Verzweifelung, und jeder Jast des Herzens liegt in seinem Gebiethe.
H moll. Ist gleichsam der Ton der Geduld, der stillen Erwartung seines Schicksals, und der Ergebung in die göttliche Fügung. Darum ist seine Klage so sanft, ohne jemahls in beleidigendes Murren, oder Wimmern auszubrechen. Die Applicatur [der Fingersatz] dieses Tons ist in allen Instrumenten ziemlich schwer; deßhalb findet man auch so wenige Stücke, welche ausdrücklich in selbigen gesetzt sind.

訳注

  • 参照したデジタル文献(テキスト、電子文献 e-text, electronic text)には » « という引用符が用いられていたが、ここでは掲載用に取り除いた。




他の注釈

*1... 日本語版Wikipediaの「~調」記事には、原版に言及される限りのシャルパンティエの説が載っている(その日本語訳の責任者は不明、時期は2007年10月)。
*2... WW2以降に英語訳 M.-A. Charpentier's "Règles de Composition" が作られた (1967 Lillian M. Ruff) そうだが詳細不明。
*3... 日本語版Wikipediaの「~調」記事には、原版に言及される限りのマッテゾンの説が載っている(その日本語訳の責任者は不明、時期は2007年8月)。
*4... WW2以降に性格説の部分が Rita Steblin によって英訳されて A History of Key Characteristics in the Eighteenth and Early Nineteenth Centuries (1983) に載るという。フィンランド語のウェブサイトに、そこからの重訳フィンランド語が載っている。原題は多くの場合"Das neu-eröffnete Orchestre"と、形容詞の部分にハイフンが用いられる。
*5... Sprache und Musik (Dürr, Walther. 1994) に引用されたシューバルト説は村田千尋によって邦訳されて「声楽曲の作曲原理: 言語と音楽の関係をさぐる マドリガーレからリートまで」に載るという。



参考文献

調性の性格論 - 福井雄一. 2014-11-26. https://dirigent.exblog.jp/23795125/ (「Sprache und Musik 邦訳:声楽曲の作曲原理」を出典としている)
The affective properties of keys in instrumental music from the late nineteenth and early twentieth centuries - Ishiguro, Maho A. 2010. https://scholarworks.umass.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1561&context=theses
Sävellajikarakteristiikka - Klassismi moduli 3. 2012-11-15. https://klassismi.wordpress.com/johdatus-musiikin-klassismiin/savellajikarakteristiikka/ (フィンランド語訳。Steblin, 1983 からの重訳。マッテゾンとシューバルトの他にルソー Jean-Jacques Rousseau, ガレアッツィ Francesco Galeazzi などの説が載る)
Key Characteristics and Pitch Sets in Composing with Just Intonation - Alves, Bill. Summer 1990. http://pages.hmc.edu/alves/justkeys.html
Tonartenverteilungstabelle.pdf - Johannsen, Daniel "Dschonnie". 2005-05-24. http://www.danieljohannsen.com/Kompositionen/Tonartenverteilungstabelle.pdf
ドイツ語ではなぜシの音をhと呼ぶの?ドイツ音名h(ハー)の謎に迫る!! - スガナミミュージックサロン品川. 2015-08-09. https://www.suganami.com/info/44155



比較する表(簡略、の予定)

KeysCharpantierMatthesonSchubart
C陽気で好戦的なNANA
CmNANANA
D♭NANANA
C♯mNANANA
DNANANA
DmNANANA
E♭NANANA
D♯mNANANA
ENANANA
EmNANANA
FNANANA
FmXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
F♯/G♭NANANA
F♯mNANANA
GNANANA
GmNANANA
A♭NANANA
G♯mNANANA
ANANANA
AmNANANA
B♭NANANA
B♭mNANANA
BNANANA
BmNANANA



総評

シャルパンティエ (c. 1682) とマッテゾン (1713) に関しては、かなり共通する説明が見られた。
シャルパンティエからシューバルト (1784–85) までは編年および生没年で100年前後の時間の差があり、解説も変わってくる。
「調と性格」に関する解説は、前の記事の文「実際の楽器ごとにある調の得意・不得意による楽曲を構成する楽器の偏りが、彼らの感性に影響を与えた可能性」や、前の記事の [注釈*8] で引用されたヘルムホルツさんの話(英訳されたもの。元のドイツ語不明)からしても、曲の回想から言われたものと感じることになる。
調律の方法および基準音に関する前提よりも、このことが重要であると感じる。
任意の著者が任意の調について性格を解説することが、同じ時代の作曲家に役立っていたと見る向きも現代の研究者にはある。
つまり、任意の調の性格の解説は、その用いられた曲の目録を暗示しているかもしれない。
当時の彼らは、現代の専門家ほど「曲として完成した状態での音楽」を多く聴く環境にあったわけでないにしても、記憶力や聴く際の精神性が大きく異なり、強く心に余韻を懐いたとも思われるので、彼らなりに記憶の量や熱心さや楽器経験&知識がある上で調の性格を記述した、と私は思っている。
ただし、彼らの解説に楽器の相性に関しては言及されない。
他には、何らかの方法で譜面を多く入手して閲覧していたとも思われる。
「調(調性)の性格論」と呼ばれる研究の界隈で、この点=彼らオリジナルの作家たちの環境が解明されているかはあずかり知らない。

調(調性)の概念そのものについては、その調が星座などによる占いや血液型による性格判断のようなものとして使われる印象を調査以前に懐いていた。
もしくは、「この雰囲気がかっこいい、感動的」といった感傷的でありながら具体的な根拠を求めることの難しいものとも思っていた。
何の調を用いるかについて、今まで調査したことから、作曲者によって、明らかに使用楽器が想定された実用性や親切心に依拠することが多い、と私は考えなおした。
調号などにより、五線譜などの記譜法にも関係する。
ポピュラー音楽で同一フレーズの移調による転調が多いことに関しては、別の話とする。

何となく、「任意の時代・地域における音楽家が何の周波数を基準とした調律の楽器を用いて作曲したとしても、調と性格に当てはめる問題ではない。つまり、調の名のラベルの下に作られた曲想=曲例が印象に作用していて、調の音響的特性が聴く者の印象に作用していない。調の性格論はロゴス的なものの影響が強い」と考えそうになるが、これは恐らく通用しない見方である。
シャルパンティエ、マッテゾン、シューバルトの三者と、19世紀以前に性格論を解説した人たちの時代背景が細かく解明され、整理されてから言えることがあると思う。
ほとんど解明が困難なことは:彼らの時代以前からフランス語・ドイツ語圏に後世のピアノのような1オクターブを満たす十二の半音をそなえた楽器(e.g. チェンバロ=ハープシコード)が多くの音楽家に利用可能であったかということと、それで演奏実験を彼らが行った上で解説をしたか、ということである。
楽器の側面では、やはり17世紀以降のヨーロッパで一般に行われた調律方法(一例では中全音律 meantone temperament の系統?)で任意の調での和音–コードに聴く人にとっての不快感が伴うという問題などが多くの作曲家–演奏家をして忌避せしめるほどに調律の方法が影響することもある。
当記事に載る3名の解説で最も新しいシューバルト説は、ロ短調 (h-Moll) および同主調の変ニ長調 (Des-Dur) に対して「まれ、珍しさ」を言うことで、婉曲的にこの問題を取り扱っているようである(日本語版と英語版のWikipediaはロ長調 B major の方にまれであることが記される。シューバルト説 H-Dur は言及なし)。

古典的な「調の性格論」と別物で、似たような研究もありうる。
特定の調律と基準音とで12の長三和音や12の短三和音を複数の人に聴かせてその印象を調査するような研究は、臨床的な手法である。
これは、同じ根音で同じ第3音の和音がその調であるように関連させる意図でない;前後に何の和音を聴いたか、思ったか、という相対性からの印象になってしまうと、それだけの結果になる恐れもあるので、個人的にしらみつぶしの課題ではないか、と感じる。
古典的な「調の性格論」から出発した別物の、現代的な研究は、一例で、ポピュラー音楽のみを対象にし、大量の「識別された単体楽曲、作品」の楽譜データ(デジタル規格たるMIDIファイルに一括できる)とテーマや印象に関するキーワードから量的に集計することである(キーワードに関して言えばタグクラウドのようなもの)。
これは、権利者サマの存在が強いポピュラー音楽の広い領域を対象にするので、限られた研究者、共同体が可能であろうという意図である。
識別された単体楽曲でも、転調を伴うなどがあり、その考慮には3つの案:基本的な1つの調のみに制約するか、1曲アイデンティティの下に複数パートを別個に扱うか、のどれかによって解決されねばならない。
1つの調でも邦楽における「IV V iii vi (minor scale: VI VII v i) 王道進行」や「IV V vi (minor scale: VI VII i) 進行」などの短調認定をされながら(もし短調の音階–スケールでないならばリディアン・スケール?しかしVI和音の主音VIをメロディにほとんど用いない曲についてメロディ主音は短調らしいと見られる)同じ根音で同じ第3音の短三和音で始まらない進行が主要な曲(言うまでもなく三和音–トライアドを直ちに見いだせないかパワーコードばかりの曲でも基本的に音名と音階の関係で長和音–メジャーコードか短和音–マイナーコードに便宜的な処理ができるや、それら進行とその他の進行とが場面ごとに異なって現れる曲などがあり、1曲アイデンティティの曖昧さは取り扱いに注意を要する。

作る側も聴く側も十二平均律の環境が与えられているポピュラー音楽での作曲のためには「平均律和声の性格論」を設けた方が実用的である。
例えば、減七和音 (diminished seventh chord) や増六和音 (augmented sixth chord) は、それらのみであると「暗い、不吉な印象が強いもの」として語りうると同時に、ピアノバラードを始めとしたいくらかのポップスでは「綺麗な深みを与えてほのかな明るさに効果的なもの」として実用できる。
七音音階、ダイアトニックの音の音程 (intervals) には、純正律 (just intonation) の純正音程 (just interval, 単純な整数比であり、平均律の対数の等分と異なる) との違いが12通りに含まれる。
12の音高ごとの関係性/相関性 (relativity, relation, relationship/correlativity, correlation 相変わらず適切な用語不明) というものは、過去の不等分音律の下での調の性格論に類似の数理的問題が内包されるので、平均律和声の印象論の解説を行えば、現代で実利的な性格論となる。
とはいえ、三全音 (tritone, 半音6つの音程) が「音楽の悪魔 (the Devil in music, 新ラテン語 diabolus in musica, 減七和音や減三和音にも含まれる音程)」と評されるような音程は、純正律で定まっていないようで、もし定めても独特な印象は続くし、この呼称自体はどちらかというと印象よりも整数比の前項–後項(いわゆるC major ハ長調における F♯とG♭の相違性とを指す;前の記事のヘルムホルツさんの説を参照)や数値単純化に関する問題を指していそうである (e.g., 7制限純正律で7:5, 10:7; ピタゴラス音律で729:512, 1024:729)。







当記事は「調と性格 (Key and Character): 導入編」の記事より続く内容である。
他の事項はそちらに集約されているので、あわせて読まれたい。
調の印象について各自が自己実験などをしたい場合は、調律の基準のピッチが何であるか(現代の標準は440 Hzである/一時代・一地域は415 Hzである)など、注意事項が付随する。
当記事の話では、「実験」というよりも、解説されたような古典音楽の感性に合わせたい人が擬似的に合わせるためにそのような方法で「訓練」する方に需要がありそうである。
手軽にはDAWという、MIDIの規格を用いたデジタル作曲環境を用いることであり、過去記事に調律の基準のピッチを簡易に変える方法の一例を示したこともあるが、MIDI 2.0 という2020年の最新の規格ではこの辺のもっと便利で確実な手段があるかもしれない。

翻訳をした私自身、調と性格に関して実用的な期待を2019年9–10月に持つことで発案したが、同時に、日本語版Wikipediaの情報のソースを探す意図もあった。
結果的に文献学的批判というかクリティカル (critical) な態度の調査が重なっている。
できる限り丁寧に翻訳しようとしたことも、言語学習の意図によるもので、音楽的実用性は忘れられていると思う。

この間にも、翻訳行為と別に作曲したり、自分で「調の性格」を具体的な曲から感じてみようとする心情はあった。
基準のピッチ 440 Hzの現代的なポピュラー音楽で、一例としてニ長調 (D major) は静かな状態の水のある場所(昼~夕暮れ)に合うような情緒があった。
本文にも趣旨が記される通り、結局は私の認知する曲例 (管理楽曲識別番号: 926, 954) に依拠した感覚である。
他に、ニ長調 (D major) はポピュラー路線のロック系の青春のような雰囲気に合う、この情緒もギターで一般的なEADGBEスタンダード・チューニング(またはドロップDチューニング)が関係する曲例 (管理楽曲識別番号: 11, 49, 341, 651, 807, 820)に依拠した感覚である。
DAW, デジタルに符号化されたオーディオデータを機械的にピッチ調整して鳴らすデジタル環境での作曲で、実際の楽器と異なるが、やはり任意の位置では苦手な鳴り方のある場合もあり、この実用性の観点で頻繁に移調をしながら音を確かめる。
ただし、これは調の性格、印象を決める作業と異なる。
無理に、音階に関する実験のためにハ長調=イ短調に移調して再生した場合が確認できる動画もある(動画内容と説明文を見ての通り、元が何の調であるかは半音いくつ分で動かされたかという形で表記しているが、移調される前の音の状態は再生しないのであしからず)。





当記事投稿以後の2020年7月17日に追加の調査を行い、以下の2点のページを見たことも報告する。

調性格 ハンドブック - デミカ. 2010-03-19. https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=216866&id=51433156
表題の三者以外の説も多く載る。本文での名義は「高木 竜馬」、1992年生まれの人物で公開者はその実母という。この公開よりも2年以上前 (注釈 *1, 3 参照) からシャルパンティエ説とマッテゾン説に同じ翻訳文が日本語版Wikipediaに見られるので、彼らの翻訳行為ではないと見られる。また、典拠に日本人の名は同じく説を持つ「門馬 直美」のみが見られ、注釈にも記したように「日本語訳の責任者」は今なお定かでない。このページは一部の人の手軽な閲覧には向いている(シューバルト説のうち福井氏のものと僅かに異なる部分が見られたり、ことわりなく異名同音調のそれぞれに同じ内容を載せたり、全角数字と半角数字の混在などがある点に注意)。

cat. 調性格 - やわらかなバッハの会. 2008-04-14/2009-01-06. http://equal-system.com/archives/cat_10013560.html
載せられる説は、一つ上と異なる人物も多く見られ、マッテゾン説については不明の「日本語訳の責任者」と仮定するソースは同じ…と思ったが別の記事に「山下道子」の訳と記され、翻訳文の差異もある。「ミース」、「リューティー」については「竹内ふみ子」の訳と記される。これはカテゴリーのページであるため、他の話題も見られる。「調性格の説は不確実、恣意的である」とする。「キルンベルガー」の「平均律は作曲家に長調にするか短調にするかの選択肢しか残さない」という言及(訳者不明、原典不明)もその筆者の要旨になる。調の性格の研究史が別々の記事に色々と記されているので、興味のある方は参照されたい。ご本人のイコール式(音楽教育法・鍵盤楽器奏法の教授、商標登録第5091155号)について、ここで私は詳述しない。2008年10月にバッハ研究 or 愛好つながりの「富田庸」氏から褒められたことを、2016年に自発的な自己紹介に言っているコメント行為が、見られた。



2020年7月4日土曜日

2020年6月中の日記メモ

(前月に続き)本文をコメントアウトで公開します。ソースからご覧ください。ご不便をおかけします。

●口上
日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。
2019年9月29日における携帯電話の画面に光が入らなくなる故障から、非パソコンでの簡易なメモ(強い必要性があるものに限り紙・ペン)と自室での時刻確認ができない状況にある。
同じ事由で、写真は多くの場合にその場でのプレビュー参照ができずに撮影・保存・公開の段階に入ることになっているので、ぼやけ(加えてレタッチのシャープなどはデジタル画像処理の観点で「写真に対する使用はごまかし」なので別の理由が無い限り用いない)や被写体の位置が枠を外れる程度についてのご寛恕を願う。

●私感
エアコン掃除の一般的な参照源:
https://meetsmore.com/services/air-conditioner-cleaning/media/7267
https://www.cecile.co.jp/genre/g3-1-LF-LN-1E/article144/

2020年6月20日土曜日

音楽理論とデジタル作曲実技に関連する動画の説明文

二三の動画の説明文を投稿日の昇順で掲載する。



3月5日投稿『MIDIシーケンサー:ピッチベンド pitch bend, ポルタメント portamento, パンポット pan pot の多用』


既存の私の楽曲で行われていないことを今回の耳コピで、次のように私は行った:
・高音の矩形波 (square wave) にポルタメント (portamento, CC065および005) をかけた。
・「知らないわ~」パート(原曲1:30-)中の鋸歯状波(鋸波 sawtooth, saw wave)は同じフレーズで2度鳴るものにポルタメントをかけた。
・ボーカルの音色はバグパイプ (PC110: Bagpipe)とシャナイ (PC112: Shanai, shehnai) とを作曲中に何度も変更して聴き、最終的に後者にした。音響的には原曲の声よりも1オクターブ高い(周波数が約2倍)。
・ボーカルには大量にピッチベンド (pitch bend) を付与して原曲の声に擬することを望んだ。ただし、スペクトログラムなどで音程を精密に計測したわけでない。「上海」と4回言うパート(原曲1:02-)は1回ごとに微分音のように少しずつ音程をずらして発しているように私は感じたが、ノート周波数とピッチベンドの相対比較でピッチベンド値を決めたわけでない。
・冒頭のキックには矩形波や鋸歯状歯をベース様に低音 (C1 F = 29が基本) で鳴らしたり、ゴーストノートを重ねたりした。
・「イーアルサン~」パート(原曲0:10-)中のパッド系シンセ音はカットオフ(ブライトネス)のマイナス値を適宜に加えた。

これらはその新しさの範囲内での訓練となったろう。
(2019年12月29日までに上記に当たる作業が完了したと私は判断する)
作曲の可能性を拡げることになると思うが、恐らく実行されようものは多くない。
私の欲する曲作りと、今回の耳コピとでは、目的が違いすぎるためである。

ここでの語義:
耳コピ = 通称「ごっすん」の楽曲を私が利用したこと。「魔理沙は大変なものを盗んでいきました (東方乙女囃子, IOSYS, 2006年)」のプロモFlash版 (約2分0秒) に準拠。この曲を利用する経緯については詳述を避ける。この耳コピ行為の期間自体は2019年11月24日に始まる。
CC = コントロールチェンジ (control change)。MIDIのパラメータ。先述の通り、ポルタメントはその065および005に与えられる。ピッチベンドはコントロールチェンジの一種でないが、130という解釈もある(2進数での7乗に当たる10進数での128の外なので疑わしい)。なお私の携帯電話の某社PCM音源での再生はピッチベンドを反映してもポルタメントを反映しないが、これが音源チップの問題か再生実行機能の問題かは未特定。
PC = プログラムチェンジ (program change)。MIDIのパラメータ。
Cn = Cが音高–ピッチ (pitch) の名であり、88鍵ピアノで最も低い音高CをC1 Cとする。88鍵ピアノよりも更に低い音域と高い音域を含むC-1 CからC9 Gの12 * 10 + 8 = 128音高で、MIDIのノートを打ち込むことができる。
MIDIシーケンサー = 打ち込みのためのGUIを備えたソフトが連想され、当動画ではDominoの「演奏モニター」画面が表示される。これはピアノロールやスコア(楽譜)ではない方式にすることでコントロールチェンジやパンポット (pan pot, panoramic potentiometer) の動きを示す意図である。楽器–インストゥルメントの名称のために、当動画用でファイルを書き換えたりもした。動画で表示される画面は、動画側 [1280 x 720] の解像度の中で元の撮影された解像度 [n x n] 125%(1.25倍)で表示をしている。余った範囲に簡単な説明の文章と、2020年2月3日に私が紙に描いた「アリス・マーガトロイド」というキャラクターの絵(プロモFlashで登場する主要キャラかつ楽曲の原作のテーマ曲を持つキャラ。ここで青いエプロン状の服を着ていない状態が描かれる。下着らしいものをシンプルなパンツとしたのは突発的に浮かんだイメージの正直な実行でありドロワーズなどで想像されなかったため。色の紫は七色を謳う人格に合わせてパンツに用いられた)をPCで加工したものを載せた。「横野真史公式ブログ・お絵かきカテゴリ記事」での掲載が遠い予定にある。






5月24日投稿『2019年6–7月 未公開の自作曲3つ:5拍子、7拍子、オーケストラ(メタル要素あり)』


抜粋:
音楽面について少し書く。
3曲の調–キーを順に記すと、1曲めがC minor, 2曲めがF minor, 3曲めがC minorである。
2曲めと3曲めは、それぞれ途中からディストーションのエレキギターが鳴ったり、激しいドラムが入ったりしているので、何らかのメタルやパンク系に相当すると私は思っている。
パワーコードは、完全5度…数学的に言うと構成する2つの音の周波数の関係が整数比 3:2 (音名の音とそれよりも半音7つ高いか低い音程、一例はド Cと高い方のソ Gの音程;並び替えの2:3 は完全四度と見ることができ、一例はソ Gと高い方のド Cの音程) = 1.5 に近似するために音波の振動 振れ幅のピークがどの和音よりも高頻度で重なり(高い音の周波数の振動3回に2度重なる)やすい特徴がある。
七音音階で長音階–メジャーと短音階–マイナーとを問わず、揃えやすい。
これらの点で極めて「渋みが少なく、分かりやすい音の組み合わせ」であるので、その用途をある程度、制約している。
その2曲では、ところどころに用いられるが、散発的で頻度が低めである。
作曲の中でそういったことも気にかけていた。
演奏においては、難易度が上がるかもしれない。
3曲の作曲期間には、楽器演奏経験が実質0と長年自負する私が楽器演奏(エア)も視野に入れた音楽理論研究を兼ねていたので、こういうことを気にかけていた。
リフのコード以外に、任意のチューニングの6弦で演奏可能な音域などの問題もあるが、演奏を前提にしてDAW打ち込みをする立場でもないので数理の精密さは成立していない。





6月20日投稿『2020年5月10日の調律実験(民謡音階+純正律、都節音階の再現)』


元々和風に知覚される音楽フレーズを、他の音階 scale および調律の音程 interval で鳴らすとどうなるか?
試した:

1. 民謡 min'yō (陽 , equivalent to major scale in the tradition) の音階を鳴らす
references: Min'yō_scale.mid from Wikimedia Commons
※ニロ抜き短音階と記したいものの その参照源に合わせたこの内容はイ短調の「ニゴ抜き短音階」になっている。他の参照源 v=PZ29tvIdpJU は、ハ短調のニロ抜き短音階を表す。

2. 純正律 just intonation で民謡の音階を鳴らす
references: Junseiritsu_scale.mid from Wikimedia Commons
※MIDIのピッチベンド pitch bend (ただしベンド幅 sensitivity 調整なし) の機能で音高ごとにその純正律の音響となるような数値で設定してから、再生している。ここでは客観的に分かる上記 references のうち Junseiritsu_scale.mid に依拠することにした。科学的な態度で数学的批判修正を行うこともできた(e.g. 第四音は -80 よりも -84 の方が正しい)が、その数値を変えないでいる。

3. 都節 miyako-bushi (陰 in, equivalent to minor scale in the tradition) の音階を鳴らす
references: Miyako-bushi_scale.mid from Wikimedia Commons

*4. 原曲の状態を鳴らす、都合により割愛

1, 2, 3 のいずれも、太鼓のような音で簡単なリズムを一様に取っている。
主音、A440, A minor scale (イ短調の短音階) であることに関しては現代的な簡明さに基づくので、問題視しない。
ただし、references: 1, 3 はDを主音とするような音階として表現するまま、私自身もその構成音高に随うので、そこは過誤があるかもしれない(1–2 は完全四度や完全五度の音程など、移調しても同じような構成ができる候補がある)。
和楽器の調律や雅楽に詳しくない私の一時的な興味での調査であり、他の詳細な比較はできないが、一応は客観的な説明と直感的な材料の例示ができたと思う。
私の方法に科学的な疑義ある者は、ご自身による実験を公開なさればよい。

内容についての音感から来る感想は、ご自由になさればよい。
「実験」の本題は、知覚や認知に関するものであるが、私の場合は自己完結とする。
つまり、私が感想を行うならば:
1 は、原曲の状態から改変がされているので、私が知る原曲との異なりを覚える。
2 は、1 に対して純正律の音程にされたことの有意な差が感じられない(和音が無いためか)。
3 は、「どこかで聴いたアノ和風」という感じで、大衆音楽にあまり聴かれないと思う(英語版Wikipediaでは陰 in 系統の調律が江戸期の発達した雅楽の有名な「さくらさくら」"Sakura Sakura"に使われているとする)。暗い和風ゲーム音楽向きな印象がある。

私による「和風」認知音楽理論の先行研究のブログ記事は以下である。

雑学になるが、1–2 は五音音階(倍音にならない1オクターブ中に5つの音高のみ)であると同時に半音(十二平均律目線でいう、任意の音高に対して約1.059倍の周波数である音程を持つ音高のこと)を含まないので、"anhemitonic scale"と呼ばれる。
英語版Wikipediaでは"Most of the world's music is anhemitonic, perhaps 90%."と出典つき(中身は不明)で説明される。
反対に、3 に紹介された都節音階は"a hemitonic scale"と説明される。
一目でわかる半音の音程は、当該箇所の映像、画像情報に見られる。

ここで、1–2 と 3 の両者の音階にある音を記す (カッコ内は十二平均律における音程の名称):
1–2. 第一音A (一度), 第二音C (短三度), 第三音D (完全四度), 第四音F (短六度), 第五音G (短七度)
3. 第一音A (一度), 第二音B♭(短二度), 第三音D (完全四度), 第四音E♭ (減五度), 第五音G (短七度)
小学生に分かりやすい説明では: 1–2 は「ラ、ド、レ、ファ、ソ」であり、3 は「ラ、ラのシャープまたはシのフラット、レ、レのシャープまたはミのフラット、ソ」である。
見ての通り、両者の音階は5つの音高のうち3つ=第一音 (一度), 第三音 (完全四度), 第五音 (短七度) の踏襲されている点が共通する。

その他:シーケンサーのソフトはDomino, 動画の企画は6月20日

追記:2020年7月13日
日本語版Wikipedia「音階」の記事(oldid=77623730)に「俗楽旋律考」が典拠だとする2つの音階の西洋音楽との対照が見られる。
主音がCである場合の音階が、次のように記される:
陽旋法・田舎節(俗楽) C D F G Bb(下降形 A G F D C)
陰旋法・都節(俗楽) C Db F G Bb(下降形 Ab G F Db C)
これらは七音音階目線からの度数 degree 表記も兼ねられる。
「下降形」というものが具体的に何の楽器でどう鳴らされるか、未だに判然としない。
「楽器」はピアノのような1オクターブを12の半音で満たすものやフレットレスの弦楽器などを除く(琴はどうにでも)。
旋律的短音階に同種のものがあるが、どう鳴らされて音楽的に実用されるものか、はっきりとした作品例を聴いたことが無い。
私自身が往年、これらの方向に関心が低いため、音楽学によほど傾注しないと、俄かには信じがたい情報ばかりである。
実際に2015年以前は和声理論をはじめとする音楽理論を半ば嫌っていたので、どこまで「雑学的に/疑問解決の意欲から/学問的意欲から…何にしても」傾注するかの差で、これは学ばれるかが分かれる。

なお、1-2 と 3 の音階の実験は主音がDで鳴らしたが、E (半音2つ上) にトランスポーズすることで全て白い鍵盤になるため、初心者向けには主音がE = ミであると教えやすくなる。
「さくらさくら」有名なフレーズは:ララシ、ララシ、ラシドシラシラファ (la la si, la la si, la si do si la si la fa)で演奏でき、3 の音階の主音が E = ミであるときの内容と同じ(説明用の主音ミ mi Eだけフレーズ中に用いられない)である。
隣り合う半音(周波数の比1:1.059の音程)が2組である以上、主音 E でのみ白い鍵盤でこの音階の一種を鳴らすことができる。
構成音のうちA = ラから鳴らす場合:
1-2. 第一音A (一度), 第二音B(長二度), 第三音D (完全四度), 第四音E (完全五度), 第五音G (長六度)
3. 第一音A (一度), 第二音B (長二度), 第三音C (短三度), 第四音E (完全五度), 第五音F (短六度)





※2月5日投稿『音高・ピッチ pitches の数 (学術的メモ帳ブログ記事2020-02-06用)』 https://youtu.be/JOBf018Wv14 は割愛する。







2020年6月20日に急遽、この記事スペースを設けた。
当日は、当日投稿動画の案を一気に書き上げて作成して投稿した。
その動画は2度エンコードされた。
英文中日本語ローマ字のためのイタリック体をAviUtlの制御文字 <s,,I> 任意の文字 <s> で適用すると、よくあるように謎のノイズや動画別素材の視覚的要素が部分的に表示される異常が起こる(それを回避するために大量のスペースを入れる必要がある)。
加えて、制御文字のある文字部分は「テキスト[標準描画]」というボードでの指定からズレたり、フェードアウト時に謎のビクつき(上下に数px動いて戻る)が発生する。
エンコードをし直すまでに、制御文字によるイタリック体をやめて別のテキスト要素の設置でイタリック体を適用した。

また当日は、動画投稿と無関係に「MIDIファイルのコメント要素と歌詞要素を相互に手動で変える方法」模索しようと、バイナリエディタ (binary/hex editor) でMIDIファイルを読み込んでバイナリのデータを解析したが、個人的に上手く行く手段を見つけることはできなかった。
内容物の同じコメント要素と歌詞要素を、MIDIシーケンサーのソフトで配置したり、片方を消したりしてデータの数列の変化などを観察したが、把握しても要素を抜き出す確実な数列が見られなかったし、減算の結果などでも実現されなかった。
データ系学問は特に参照していなくて私の感覚に任せているので、もう少し興味があれば学んでおこう。

2020年6月3日水曜日

2020年5月中の日記メモ

(前月に続き)本文をコメントアウトで公開します。ソースからご覧ください。ご不便をおかけします。

●口上
日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。
2019年9月29日における携帯電話の画面に光が入らなくなる故障から、非パソコンでの簡易なメモ(強い必要性があるものに限り紙・ペン)と自室での時刻確認ができない状況にある。
同じ事由で、写真は多くの場合にその場でのプレビュー参照ができずに撮影・保存・公開の段階に入ることになっているので、ぼやけ(加えてレタッチのシャープなどはデジタル画像処理の観点で「写真に対する使用はごまかし」なので別の理由が無い限り用いない)や被写体の位置が枠を外れる程度についてのご寛恕を願う。