今回は、目が見えて手が使える大多数の人が普遍的に利用可能な表現方法としての漫画(マンガ)と、社会的責任を伴った企業に求められる進歩的な商業作品のあり方の、2点について、提案する。
前者と後者は、スペクトルとして右と左を陣取っているが、中央に及んでおり、両極ではない。
日本のクリエイティブなサブカルチャーの人がよくいう「同人と商業」と似ているが、もう少し、洗練されたものを解明したい。
目が見えて手が使える大多数の人が普遍的に利用可能な表現方法としての漫画
・各々の言語や習慣に従ったもの。
;ただし、国際的な標準化の必要はない。伝統(日本マンガの伝統と習慣と格式)も尊重されることが普通である。もしするならば、日本語での漫画は、大きな習慣破壊が求められる。つまり、吹き出しの中の縦書きを廃止し、横書きにするのみならず、コマ割りや吹き出しの位置も左から右に読めるように対応せねばならない。これについては、「国語の教科書」「400字詰め原稿用紙」と同じ開き方を採用する日本語の漫画雑誌にとって現実に困難なものであり、個人的な漫画では可能になる。
;;「左から右に、横書き(横読み)」というのは、アラビア文字、満州文字、モンゴル文字の言語の人たちにとって不親切ではないか?という声も上がりそうである。
;;余談だが、日本語の漫画の英語への翻訳には、色々な方式がある。一つには、左右反転をするか、しないか。これをすると、例えばキャラクターが「右手を挙げて」と発言する場合、これを「左手を挙げて」と意味ごと反転させて翻訳する必要性も出てくる。縦書き縦読みマンガ英訳の全体傾向として、「昔よりは今が左右反転しないものが主流だ」、とする説もある。もう一つには、吹き出しや擬音語のような文字を全部消すか、しないか。これをすると、原作の出版社か、翻訳業者の方で欠けた絵を描き足す必要性も出てくる。もし全部、上手く完了すると、英語圏のマンガ初心者にも読みやすいように、不自然さは無くなるが、その結果に至る手間は多い。話を少し変える。とある、外国へ憧れる日本人の主人公と日本への留学生2人を中心とした漫画では、主人公が英語を話せるようになると、作者は英語を発していることを示唆して日本語でさえも横書きにする、という表現をしていた。これらのことを熟知している私(とはいえこの業界の現場にいたわけでないが)としては、「国際的な標準化の必要はない」、という理解を示している。ただし、私自身が漫画を描く場合は、別の話である。自前で英語に翻訳しやすいフレキシブルさを求める人は、横書き重視のレイアウトになる。
・商業的な出版を念頭に置く必要はない。
;それをしたければ、後述の「社会的責任」が期せられるほど、ノウハウのある専門的な会社で行うから、難易度が上がる。
;以前から記しているが、表現の自由や言論の自由の絶対主義 (free ** absolutism) というものは、スペクトル上、社会的責任と反対に位置する。暴力や差別を思うがままに表現することは、個人的な範疇ではよいが、衆目にさらすことは望ましくない。無反省かつ退行的な暴力や差別をISBN付で出版することが、「小市民でもできる新時代の自由出版なのだ」などとする論調は、社会正義に反している。
備考:「目が見えて手が使える大多数の人」とは、大多数の人は目が見えて手が使える、ということを意味している。手の使えないか欠損している人でも、それ以外でも、エフォートレスな方法で漫画の方式による表現を使う方法は無いか?と言えば、あるともないとも言える。例えば、「コミPo!」だったか、あのようなツールを使う方法が挙げられる。自分で3DCGのアバターを動かして画像を生成し、コマとフキダシを用意する方法もある。昨今では生成AIの普及が進み、今後も技術が進展することで、思考と想像によって漫画の方式による表現が利用可能になるという期待をする人もいるかと思う。AI以外には、神経科学の技術で想像をアウトプットする方法がある。
社会的責任を伴った企業に求められる進歩的な商業作品のあり方
・侮蔑的な意味 (pejorative or derogatory sense) で使われる傾向の強い語句を濫りに用いない。
;いわゆるスティグマ (stigma) になる語句を濫りに用いない。良い意味や真面目な文脈であれば、まだいくらかの中立的な語句は、スティグマにならない。しかし、ギャグ漫画の類でそれを求めるのはナンセンスというものか。
・ジェンダー、職業、宗教信仰の有無などについて、ステレオタイプへ潜在意識を偏らせる一方ではいけなく、反対のイメージも持てるようにする。
・
マンガ雑誌だと、編集者が個々の漫画家(原作と作画のように役割分担が明確な共作を含む)に細かくアドバイスしている場合も多いのだから、そんなに難しくないであろう。
それ以前に、作家たちを社員として雇っている場合(そうでない場合が多いとしても)、事前の教育でいくらか、浸透させることもできるかと思う。
少なくとも、雑誌単位で、差別や偏見を、無意識に進ませている状況があり、これは自覚されないと、いつの間にか、それらの雑誌や出版社の足場が崩れているような将来像も浮かび上がる。
社会の趨勢について
・「パーソナライズされていない、価値観が合わないだけのフィクション作品」は、「自分の時間や金を捧げてまでして見る価値が無いもの」と、年々、人々が気づいていくことになる。
;漫画、コミックに限らない。しかし、国内外、映画館 (cinema, theatre) で見る映画 (film, movie) というものは、どうも興行収入がバブルである。コロナ禍の以前、社会的反響の大してない作品(特にシリーズもの)でも、全世界の興行収入が1年間に20億ドルを超す作品が多数、あった。2000年以前には10億ドルさえ超すものがそうそうなかったのにもかかわらず、長期的なインフレーションが遠因だとしても、金額だけ妙な増え方になっている。内容としても、まだまだノンフィクションとかドキュメンタリーはマイナーな地位に甘んじており(というよりはそういうものか)、フィクション作品(特にここ数年のトレンドは昔からのビデオゲームとかおもちゃとかの流れのもの)が優勢である。
・二次的な時間と金銭の消費が、面倒な形で発生することを、年々、人々が敬遠する。
;子どもと高齢の要介護者に、付きっきりで相手をするのが楽しいという人はいない。刹那刹那の楽しさがずっと続く人がいないからであり、さらには、そういうコミュニケーションは疲れのもとである。一時的でもテレビ TV を見せて、子どもと高齢の要介護者の退屈さを埋めさせることでさえ、TVCM(映像広告)の雑多さと、「これ買ってねだり」や「テレビへの攻撃ぼやき」をされる恐れから敬遠されている。YouTube動画広告はウェブブラウザにAdBlock系の拡張機能を導入して消すことができるが、消せないアプリもある。有料動画配信サービスやサブスクだと、広告は、おそらく多くない(典型的な広告とは別に、ステルスの広告が含まれる)。日本のTVアニメ番組の原作が漫画作品だというケースが多い分、商業的な漫画作品を敬遠しはじめる人も、年々、増える。
・煽情的な広告を、年々、人々が敬遠する。
;広告を見て、かえって商品を「悪いもの」として記憶に留め、その個人の心の中の不買運動の意識になる場合がある。
;いくらかの領域 (一例) で、不特定多数にアダルト漫画のウェブ広告が表示される現象について、非難轟々であった。それにより、年々、広告の依頼者、広告代理店、広告の掲載者などの商品やサービスを利用したくなくなる人が増える。意識の流れが読めないと、彼らの収益は減る。「煽情的な広告を見ても気にしない人たち」は、「年々、気にしてゆく」社会全体の通念の水準から外れやすくなり、日常的に心が散乱することになる。中でも、望まない形で表示されるアダルト漫画の広告は、広告の顧客になる人の心理面も含めて多くの人に利益が無いのでは?
;アダルトでなくとも、いきなり、しかめた表情で「は?」と言うシーンで始まる漫画広告(GIFアニメーション)が、普通のトレンドブログ(全然、エンタメ系ではなく、医療、健康、美容品、日用品がらみのもの)で表示されるのは、いかがなものかと。これだと、いくらかの日本人が、J-popを嫌ってK-popに行ったように、マンガ (Manga) からマンファ (Manhwa, マンフヮ、韓国語) に行きかねない。
;;もっと言うと、人間関係の生々しいものなどをフィクションで見たいと思わない、現実の物事に疲れた人々は、ファーリー(furry, ただしそれでさえヒトっぽいケモノが人語のセリフを言うものなどもある)と、そのほか海外(e.g., ディズニー)に多いヒト外見以外が主要な登場人物である界隈に行きかねない。「可愛いは疲れる(かわいいは疲れる)」の尺度だと、ポケモンやサンリオみたいなものも果たしてどうなのか、と思うが、そこまでは踏み込みすぎか。
・個人主義を進める人間社会、現代文明のもとで、表現方法として開かれた、普遍的な漫画が確立されないと、次世代に漫画文化を継承することは難しい。
;継承されるものとしては、形式的で保守的な程度が高くある必要もない。
;言い方が悪くなるかもしれないが、与えられる一方のフィクション作品(マンガ以外も含む)というだけならば、素直に楽しめなくなる。マンガでも小説でも、比較的簡単に表現方法として利用可能になれば、その形で人々に愛好され続けることになる。5-7-5文字で構成される川柳みたいなもの。
;この種の話をすると、やはり手が使えない身体障害者や、そもそも表現力が時間的、心理的、器質的理由で乏しい人たちに配慮した技術を望む声が出てくる。一番に挙げられるのは、電極などを使って脳の電気信号などをアウトプットする脳神経科学の技術である。この技術は、まず神経言語学(神経音声学)や言語療法の領域から進められるかと思う。
・社会的責任(上述)を重んじないエンタメ企業(出版社を含む)は、淘汰される。
;「無意識に借金しすぎて、いつの間にか債務不履行になること」と同じように、私は感じる。生身の人間なら、個人的な借金を債務整理するなどして生き続けられるが、企業は倒産などで消滅するか (e.g., レナウン)、著しく別の形に変わる (e.g., 東芝) ことをしないとならない。金持ちで才能のある人が転落して再び登ることがあっても、企業は再建しようとしたところで、元の流出した従業員と優秀な人材を取り戻すのは困難であろう。
総評:単に面白い作品を作ろうとするだけでは、長期的に良い影響を自他にもたらすことはできない、とそろそろクリエイターもファンも気づく必要がある。
ついでに言うと、よいクリエイターが最初は個人的な活動の側面(小規模な団体を含む)が強くてもよいのだが、途中から、有力な企業の下にいないとマーケティングなどの面でも「大きくウケた(大ヒットした)作品」にはならない。
このことからも、企業の影響力というものは、社会的に監視され、統御されないと、どの業界も、持続可能とは言いづらい。
起草日:2023年8月13日
当記事は、前回記事『企業の社会的責任 CSR と性的対象化の一考(私自身のこと)』に続くものとして作成された。
私自身が翌月6日に作った漫画のネーム(日常系アクション、横書き、左から右に読む)を載せようと思ったが、ここではしない。
2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2023年9月24日日曜日
2023年9月21日木曜日
企業の社会的責任 CSR と性的対象化の一考(私自身のこと)
世間の主張、正と反、どちらもセクハラだから。
趣向にもよるが、「かわいいは疲れる」。
依然としてセクハラというか性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント sexual harassment)の言葉はインターネットに満ちている。
実名でも、匿名でも、仮名でも、リアルタイムで繰り返されている。
Googleは、平然と見せなくてよい検索結果を見せ続けるほどに、その検索アルゴリズムだとかAIだとかも、進歩していない。
大多数は正のセクハラだが、反のセクハラもまた、性被害や性暴力の文脈で、いくらでも言われている。
こういうことをされたというカミングアウトとか、確かに、もらいゲロ(君からもらい吐き♪)になるね。
このカオスで、企業が性的対象化を推進するようなものは、ますます非難されるはずである。
2012年ころ?、コミックLOという雑誌(中〇しでフィニッシュして後日談が1ページだけあるというお決まりの流ればかりの読み切りオムニバス形式で載せている月刊誌?)がAmazonで取り扱い停止にされた事態で、日本のネット民が大騒ぎになっていたが、あれの雑誌自体の命脈は、こちらとしてどうでもよい。
今後、そういうケースが増えるかは不明だし、依然として「ファン層が異性の、同性だけの音楽グループ(ガールグループ girl group, 楽器を使わないボーイバンド boy band など)」という sexism セクシズム、 sexist セクシスト認定を受ける商売がアジアを中心に、人気が高いので、かなり複雑である。
2020年1月7日『ジェンダー研究の例示(宗教学・社会言語学・美学・文化研究から)』で、性的対象化(性的客体化 sexual objectification)にまつわる事象を考察していた。
そういう哲学的な背景もある。
こちらが、絵と音楽を商業的に使ってもらうような意図は、今まで以上に限られるかと。
「同人ならよいのか」というと、同人とかインディーズでさえ、似たものどうし(マンガ、音楽などカテゴリ別)による労働組合とかを作ろうとしている時代なのだから、やはり社会的責任の追尾から逃れるとは思えない。
※労組の件については、ほぼ脳内ソース。正しくは、フリーランスの記者、ライター(物書き)、それといくつかの個人事業主、小規模事業者(運送業とか?)あたりだったか?とはいえ、それらの業務を長年続けてやりがいを感じる人たちが多いのであれば、業界の垣根を越えてこういうことが広がるかもしれない。
こちらのできる努力で、いくらか投稿しているものであり、赤松健のような政治家にお願いすることなど、ない。
私は過度に、表現の自由や言論の自由を主張しないし、ましてやイーロン・マスクらの「絶対主義 (free speech absolutism, absolutist)」のような立場にない。
※付言すると、荒木Nも釧路市で「表現の自由」を濫用し、「俺の自由だ」を体現していた。
住んでいる杉並区(有名なアニメ作品の元請け会社が多い「アニメのまち」)で選出された衆議院議員(立憲民主党、女性)、区長(立憲民主党らの支持を受ける無所属、女性)、区議会議員(女性が過半数)が、全体としてリベラル度が高いものだから、ある種の方向性が強くなりすぎないでほしいとは思う(逆に生きづらさが強くなりかねない)。
長年、広い範囲を傍観者目線で見てきたが、結局は、学校で不遇な状況に遭っているときから、今まで「ある種の完璧主義」により、私において職業的成功、世俗的出世というのはありえないようになった。
「37歳まで未婚、出世しない父親」を含め、普通の仕事をする人たちと、私は、バックグラウンドもキャラクターもスキルもエクスペリエンスも著しく違う。
金稼ぎの道はあまりないから、これからも好きにさせてほしいし、その中で、自ら(自分の中に)提案するよ。
正(ジンテーゼ)と反(アンチテーゼ)、ただの魑魅魍魎でも、こちらは合(アウフヘーベン)を行う。
長年、示しているし、これからもそうありたい。
起草日:2023年8月8日
次回『表現方法としての漫画と、企業に求められる進歩的な商業作品』で、私が新たに創作する場合の展望を示す。
趣向にもよるが、「かわいいは疲れる」。
依然としてセクハラというか性的嫌がらせ(セクシャルハラスメント sexual harassment)の言葉はインターネットに満ちている。
実名でも、匿名でも、仮名でも、リアルタイムで繰り返されている。
Googleは、平然と見せなくてよい検索結果を見せ続けるほどに、その検索アルゴリズムだとかAIだとかも、進歩していない。
大多数は正のセクハラだが、反のセクハラもまた、性被害や性暴力の文脈で、いくらでも言われている。
こういうことをされたというカミングアウトとか、確かに、もらいゲロ(君からもらい吐き♪)になるね。
このカオスで、企業が性的対象化を推進するようなものは、ますます非難されるはずである。
2012年ころ?、コミックLOという雑誌(中〇しでフィニッシュして後日談が1ページだけあるというお決まりの流ればかりの読み切りオムニバス形式で載せている月刊誌?)がAmazonで取り扱い停止にされた事態で、日本のネット民が大騒ぎになっていたが、あれの雑誌自体の命脈は、こちらとしてどうでもよい。
今後、そういうケースが増えるかは不明だし、依然として「ファン層が異性の、同性だけの音楽グループ(ガールグループ girl group, 楽器を使わないボーイバンド boy band など)」という sexism セクシズム、 sexist セクシスト認定を受ける商売がアジアを中心に、人気が高いので、かなり複雑である。
2020年1月7日『ジェンダー研究の例示(宗教学・社会言語学・美学・文化研究から)』で、性的対象化(性的客体化 sexual objectification)にまつわる事象を考察していた。
そういう哲学的な背景もある。
こちらが、絵と音楽を商業的に使ってもらうような意図は、今まで以上に限られるかと。
「同人ならよいのか」というと、同人とかインディーズでさえ、似たものどうし(マンガ、音楽などカテゴリ別)による労働組合とかを作ろうとしている時代なのだから、やはり社会的責任の追尾から逃れるとは思えない。
※労組の件については、ほぼ脳内ソース。正しくは、フリーランスの記者、ライター(物書き)、それといくつかの個人事業主、小規模事業者(運送業とか?)あたりだったか?とはいえ、それらの業務を長年続けてやりがいを感じる人たちが多いのであれば、業界の垣根を越えてこういうことが広がるかもしれない。
こちらのできる努力で、いくらか投稿しているものであり、赤松健のような政治家にお願いすることなど、ない。
私は過度に、表現の自由や言論の自由を主張しないし、ましてやイーロン・マスクらの「絶対主義 (free speech absolutism, absolutist)」のような立場にない。
※付言すると、荒木Nも釧路市で「表現の自由」を濫用し、「俺の自由だ」を体現していた。
住んでいる杉並区(有名なアニメ作品の元請け会社が多い「アニメのまち」)で選出された衆議院議員(立憲民主党、女性)、区長(立憲民主党らの支持を受ける無所属、女性)、区議会議員(女性が過半数)が、全体としてリベラル度が高いものだから、ある種の方向性が強くなりすぎないでほしいとは思う(逆に生きづらさが強くなりかねない)。
長年、広い範囲を傍観者目線で見てきたが、結局は、学校で不遇な状況に遭っているときから、今まで「ある種の完璧主義」により、私において職業的成功、世俗的出世というのはありえないようになった。
「37歳まで未婚、出世しない父親」を含め、普通の仕事をする人たちと、私は、バックグラウンドもキャラクターもスキルもエクスペリエンスも著しく違う。
金稼ぎの道はあまりないから、これからも好きにさせてほしいし、その中で、自ら(自分の中に)提案するよ。
正(ジンテーゼ)と反(アンチテーゼ)、ただの魑魅魍魎でも、こちらは合(アウフヘーベン)を行う。
長年、示しているし、これからもそうありたい。
起草日:2023年8月8日
次回『表現方法としての漫画と、企業に求められる進歩的な商業作品』で、私が新たに創作する場合の展望を示す。
2023年8月27日日曜日
国家個人主義の2つの考え方と、文明の緩やかな滅亡(持続可能性の裏返し)
1-1. 任意の国家が保障するものとしての国家個人主義(国家が行為主体)
1-2. 国家にとっての国家個人主義(国家が客体もしくは再帰的)
1-1. 国家が行為主体である国家個人主義
任意の国家が保障するものとしての個人主義(国家が行為主体)は、主に憲法などに明文化される。
これは主に様々な権利(基本的人権など)を指す。
国家が保障するものとしての個人主義は、間接民主制に不可欠な一部分を構成する。
国家がまずは一方的に国民である個人たちへ主権を保障するような構図である。
その後は、国家と国民である個人たちとが互いに影響しあい、循環する関係性になる。
ここからは、踏み込んだ話になる。
間接民主制を高度に行えていれば、直接民主制も可能になる、と私は思っている。
直接民主制を高度に行えていれば、アナキズム(無政府主義 anarchism)の実現も可能になる、と私は思っている。
アナキズムについては、こういった段階が踏襲されない限り、急進的なものである。
民主主義(民主制)のようなものは、参政権や立法の仕組みなど、権利の一部分である。
「主権」という言葉は、統治主体のようなものであり、過去には単一または少数の支配者(君主、独裁者、全体主義の党派など)が実質的な主権の所持者(主権者)だったところがほとんどである。
先述の通り、今は国民が国家から主権を保障されており、国家の役割は、権力 (パワー) で抑えつける側面よりも、権利を分散させて意思を応援するといった側面のほうが重要視されている。
※民主的な法治国家では、警察、公安組織などは、同じ人間が運用しているし、同じく職権乱用や横暴がされないように、多方面から牽制されており、三権分立というのもある。これらは現時点での理想的な構図だが、貧しい国では汚職が横行しがち。
「主権」はまた、国内的にそうであるが、国際的には国家のものである。
1-2. 国家が客体もしくは再帰的である国家個人主義
国家(nation, 特に主権国家 sovereign state)にとっての個人主義(国家が再帰的な主体)は、国家が一個人という名の再帰的な主体もしくは客体である場合の、個人主義である。
国家にも、主権 がある (国家主権 state sovereignty)。
それが、他の国家(つまり他人)と対等な主権者どうしであることを認め合うことにも相当する。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。
参考として、反対のことも挙げよう。
一般的なたとえ(メタファー metaphor, 比喩)に、国家間の親子関係、兄弟関係(姉妹関係)のようなものが言われる。
特に、「兄弟国家」というのは、共通の母体(i.e., かつて存在した両者の国土を版図に収めた国)から継承された国々を指す傾向にある。
これが、人間関係における上下、モラルハラスメント(パワーハラスメント)のようなものに悪用されることもある。
日本に対する台湾(もとは大日本帝国)、逆に歴史的な朝鮮系国家に対する日本(史実を抜きに、そういう主張をする人たちが韓国や北朝鮮にいる。国家としてそのようなことが無かったとしても漢字の使用とか文化的に年長者であるかのような認識や、仮説上の語族 language family の祖語を用いる言語集団=仮想の祖先を指す場合がある)、ロシアに対するウクライナ(もとはソビエト連邦)など、世間に見られている。
どのような形で以前の国家が消滅したか(いわゆる崩壊や割譲や分離独立など)、という部分については、重要でない。
今、存在する国は、そう自負する限り、対等な個人、もとい主権国家なのだから、たとえ以上の何かを「兄弟」の概念に使うことは、全く適切でない。
そういう家族主義 (familialism or familism) の尺度が正しいのであれば、ある国が別の国の「傀儡国家 (puppet state, puppet government or dummy government)」であるようなものになってしまう。
仮に「兄弟(兄と弟)」という表現を用いないにしても、文化的な年長とか、国力の大きさなどで上下関係を無意識に懐くのであれば、そのようなアンコンシャスバイアス (unconscious or implicit bias, implicit stereotype) も同様である。
一方が、他方を自身よりも格下だとみなす考えで、他方に、(武力行使などで)はたらきかけると、意表を突かれる場合があることは、人間関係でも国際関係でもよくあることである。
意表を突かれて、かえって不利益を生む結果もあり、その種類の積極行動は、成熟した個人(国家)ほど、しなくなる。
ものによって、ギャンブラーの若気の至り、では済まされない。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。
現時点で地球上の国家間(国際関係)においては、拘束力の強い政府が存在せず、無政府状態 (anarchy) でもある。
国際連合の条約を含む国際法 (international law) は、多少の強さを持っているが、戦争のときは大なり小なり、戦争法 (law of war) で求められた「不必要な苦しみを減らす」ということが履行されづらい。
私が「国家個人主義 (national individualism)」と言うならば、1-1の意味で言うはずである。
1-1は、国内的なもの (internal, domestic) として「国民主権」が既成事実になっている先進国では普通のことだが、どこでも昔は、単一または少数の支配者にこそ主権(に相当するもの)が存するものと思われていた
1-2は、国際的なもの (external, international) として不確実性の強さがあるが、1-1は人間文明の成熟に従って必然的に「ある種の傾向」を伴い、強めてゆくものであると私は信じている。
2. 文明の緩やかな滅亡
いかなる経過であれアナキズムが成立するとは考えづらい向きもある。
一方で、人間社会と人類文明の滅亡については、多くの人が半信半疑に思うところである。
私としては、遅かれ早かれ、何らかの形でそれが起こると確信している。
個人主義が普及して成熟するところでは、人が年ごとに性機能や身体機能を減らしていくように、持続という名のもとで、滅亡に向かう準備が整う。
成熟した者であれば、何であれ、滅亡のなかでは、安らかな滅亡を志向するかと思う。
私としては、そうであるが、切望するところは、速やかな死よりでない。
不安定な生き方と不安定な死に方のリンク(接続)を解くことを切望している。
図太く生きるよ。
その時その時のバックグラウンドとステータスを自覚し、サーカムスタンスを把握すること。
アウェアネスとマインドフルネスとを重んじること。
可能な限り、多くの手段を活用しなきゃ。
この話は私自身に向けられており、私以外の社会的弱者には実際に困難なことである。
過去にすがることをよしとしない信念の人もいるが、その信念は何か近い過去と近い未来を含む現在のことに強い義務または使命を負っている人のためである。
私には、容易に捨てることのできるものと、捨てがたいものとがある。
結局は、克服の道を進み、寂滅為楽ということか。
「振出しに戻る」、「足踏みしていただけ」、メタファーはなんとでもどうぞ。
「戦争によって作られた歴史は、人に憎悪の心がある限り、終わることは無い」、宗教的マインドから言えば、これが人の世の実相であろう。
私としては、長年、その趣旨を言っていた。
今の文明が戦争で終わるのか、戦争以外で終わるのか、私には分からない。
ただの無関心とは違い、「(憎悪をたぎらせて歴史を繰り返す、度し難い世の中に)愛想をつかした」ものとしての諦念で「人々を好きさせよう;こちらが助ける術は無いどころか、義理も無い」と思って極力、外的な刺激を避ける形で自他の終焉を待つ道が、人生の比較的後に、はっきりと現れる。
メメント・モリ、死の準備を意識している。
個人および文明が安らかに死ぬ鍵となるものは、よほど高度な科学と技術とが実現しない限り、その欲望を減らすことくらいである。
起草日:2023年6月22日
本記事の1-1および1-2の事項(2つの国家個人主義)については、2年以上前から、頻繁に頭に浮かべていた。
アウトプットして人に見せるまでもない、と遮っていたが、私自身の環境変化が多くある中でも、それなりに意識されたので、実行することにした。
何せ、2の話題が、主な執筆の動機であったから。
1-1, 1-2というのは、奥行きを演出している。
アナキズムというか、私は、アナグラム (anagram) に陶酔した晩年のソシュールみたいな状態になってきたか?
ボルツマンみたく海に還ろうとすることは無いと思うが。
職歴なし、就労不能の状態でも、私が家出して独立できたのは、入念な調査によるものである。
他者の権利を著しく害しかねない自由を謳うリバタリアン (libertarian) または自由絶対主義者(free ** absolutist, ドナルド・トランプやイーロン・マスクのようなもの)ではなく、リベラルの側面を持った中道であり、よく検討してから行動した。
※イーロン・マスクの言う「言論の自由」は、任意の憲法がそれ自体は具体的でないように、あまり意味を待たない。アメリカ合衆国では、連邦政府と別に州ごとの憲法を用意し、それが日本国憲法と近いものもあり、例えばコネチカット州憲法 (Connecticut Constitution) では: "SEC.4. Every citizen may freely speak, write and publish his sentiments on all subjects, being responsible for the abuse of that liberty.", "SEC.5. No law shall ever be passed to curtail or restrain the liberty of speech or of the press." と、自由の濫用を禁じることと、憲法によって個々の法律があることとが理解しやすい内容である。アラバマ州 Alabama, 最も宗教保守的なテキサス州 Texas でも同じ条項がある。憲法の目から言えば、彼は各州の憲法を超越し、独自に「エックス共和国」を建設したいかのようである。
私が何をしても公益性は無いと思うが、権利で認められる限り、今後も理性的に追求したい。
1-2. 国家にとっての国家個人主義(国家が客体もしくは再帰的)
1-1. 国家が行為主体である国家個人主義
任意の国家が保障するものとしての個人主義(国家が行為主体)は、主に憲法などに明文化される。
これは主に様々な権利(基本的人権など)を指す。
国家が保障するものとしての個人主義は、間接民主制に不可欠な一部分を構成する。
国家がまずは一方的に国民である個人たちへ主権を保障するような構図である。
その後は、国家と国民である個人たちとが互いに影響しあい、循環する関係性になる。
ここからは、踏み込んだ話になる。
間接民主制を高度に行えていれば、直接民主制も可能になる、と私は思っている。
直接民主制を高度に行えていれば、アナキズム(無政府主義 anarchism)の実現も可能になる、と私は思っている。
アナキズムについては、こういった段階が踏襲されない限り、急進的なものである。
民主主義(民主制)のようなものは、参政権や立法の仕組みなど、権利の一部分である。
「主権」という言葉は、統治主体のようなものであり、過去には単一または少数の支配者(君主、独裁者、全体主義の党派など)が実質的な主権の所持者(主権者)だったところがほとんどである。
先述の通り、今は国民が国家から主権を保障されており、国家の役割は、権力 (パワー) で抑えつける側面よりも、権利を分散させて意思を応援するといった側面のほうが重要視されている。
※民主的な法治国家では、警察、公安組織などは、同じ人間が運用しているし、同じく職権乱用や横暴がされないように、多方面から牽制されており、三権分立というのもある。これらは現時点での理想的な構図だが、貧しい国では汚職が横行しがち。
「主権」はまた、国内的にそうであるが、国際的には国家のものである。
1-2. 国家が客体もしくは再帰的である国家個人主義
国家(nation, 特に主権国家 sovereign state)にとっての個人主義(国家が再帰的な主体)は、国家が一個人という名の再帰的な主体もしくは客体である場合の、個人主義である。
国家にも、主権 がある (国家主権 state sovereignty)。
それが、他の国家(つまり他人)と対等な主権者どうしであることを認め合うことにも相当する。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。
参考として、反対のことも挙げよう。
一般的なたとえ(メタファー metaphor, 比喩)に、国家間の親子関係、兄弟関係(姉妹関係)のようなものが言われる。
特に、「兄弟国家」というのは、共通の母体(i.e., かつて存在した両者の国土を版図に収めた国)から継承された国々を指す傾向にある。
これが、人間関係における上下、モラルハラスメント(パワーハラスメント)のようなものに悪用されることもある。
日本に対する台湾(もとは大日本帝国)、逆に歴史的な朝鮮系国家に対する日本(史実を抜きに、そういう主張をする人たちが韓国や北朝鮮にいる。国家としてそのようなことが無かったとしても漢字の使用とか文化的に年長者であるかのような認識や、仮説上の語族 language family の祖語を用いる言語集団=仮想の祖先を指す場合がある)、ロシアに対するウクライナ(もとはソビエト連邦)など、世間に見られている。
どのような形で以前の国家が消滅したか(いわゆる崩壊や割譲や分離独立など)、という部分については、重要でない。
今、存在する国は、そう自負する限り、対等な個人、もとい主権国家なのだから、たとえ以上の何かを「兄弟」の概念に使うことは、全く適切でない。
そういう家族主義 (familialism or familism) の尺度が正しいのであれば、ある国が別の国の「傀儡国家 (puppet state, puppet government or dummy government)」であるようなものになってしまう。
仮に「兄弟(兄と弟)」という表現を用いないにしても、文化的な年長とか、国力の大きさなどで上下関係を無意識に懐くのであれば、そのようなアンコンシャスバイアス (unconscious or implicit bias, implicit stereotype) も同様である。
一方が、他方を自身よりも格下だとみなす考えで、他方に、(武力行使などで)はたらきかけると、意表を突かれる場合があることは、人間関係でも国際関係でもよくあることである。
意表を突かれて、かえって不利益を生む結果もあり、その種類の積極行動は、成熟した個人(国家)ほど、しなくなる。
ものによって、ギャンブラーの若気の至り、では済まされない。
国家の自由は、言うまでもなく、相手の主権を侵害しない範疇に制約されねばならない、という根底で、多数の国家が牽制しあう習慣が、定着している。
現時点で地球上の国家間(国際関係)においては、拘束力の強い政府が存在せず、無政府状態 (anarchy) でもある。
国際連合の条約を含む国際法 (international law) は、多少の強さを持っているが、戦争のときは大なり小なり、戦争法 (law of war) で求められた「不必要な苦しみを減らす」ということが履行されづらい。
Sovereignty has taken on a different meaning with the development of the principle of self-determination and the prohibition against the threat or use of force as jus cogens norms of modern international law. The United Nations Charter, the Draft Declaration on Rights and Duties of States, and the charters of regional international organizations express the view that all states are juridically equal and enjoy the same rights and duties based upon the mere fact of their existence as persons under international law. The right of nations to determine their own political status and exercise permanent sovereignty within the limits of their territorial jurisdictions is widely recognized.
— Wikipedia - "Sovereign state". oldid=1161352244.
※太字は筆者による。数字付き注釈表示を除去した。
私が「国家個人主義 (national individualism)」と言うならば、1-1の意味で言うはずである。
1-1は、国内的なもの (internal, domestic) として「国民主権」が既成事実になっている先進国では普通のことだが、どこでも昔は、単一または少数の支配者にこそ主権(に相当するもの)が存するものと思われていた
1-2は、国際的なもの (external, international) として不確実性の強さがあるが、1-1は人間文明の成熟に従って必然的に「ある種の傾向」を伴い、強めてゆくものであると私は信じている。
2. 文明の緩やかな滅亡
いかなる経過であれアナキズムが成立するとは考えづらい向きもある。
一方で、人間社会と人類文明の滅亡については、多くの人が半信半疑に思うところである。
私としては、遅かれ早かれ、何らかの形でそれが起こると確信している。
個人主義が普及して成熟するところでは、人が年ごとに性機能や身体機能を減らしていくように、持続という名のもとで、滅亡に向かう準備が整う。
成熟した者であれば、何であれ、滅亡のなかでは、安らかな滅亡を志向するかと思う。
私としては、そうであるが、切望するところは、速やかな死よりでない。
不安定な生き方と不安定な死に方のリンク(接続)を解くことを切望している。
図太く生きるよ。
その時その時のバックグラウンドとステータスを自覚し、サーカムスタンスを把握すること。
アウェアネスとマインドフルネスとを重んじること。
可能な限り、多くの手段を活用しなきゃ。
この話は私自身に向けられており、私以外の社会的弱者には実際に困難なことである。
過去にすがることをよしとしない信念の人もいるが、その信念は何か近い過去と近い未来を含む現在のことに強い義務または使命を負っている人のためである。
私には、容易に捨てることのできるものと、捨てがたいものとがある。
結局は、克服の道を進み、寂滅為楽ということか。
「振出しに戻る」、「足踏みしていただけ」、メタファーはなんとでもどうぞ。
「戦争によって作られた歴史は、人に憎悪の心がある限り、終わることは無い」、宗教的マインドから言えば、これが人の世の実相であろう。
私としては、長年、その趣旨を言っていた。
仏教徒にとって、法律は「人間の概念・認識・妄想の所産である道徳・哲学の文明・世界観を支えるもの」であって「戯論」となる。
どうして単なる「相似性」を、無理に「同一だ」と主張するかといえば、我見・我欲の故であり、法律は、その我欲を肯定した人々に争いが生じないよう、何とか権力で抑えつけるためにある。
これで、我欲と全ての欲望が肯定される文明が、欺瞞の平和のもとに生き続け、戦争に入るという悪循環を繰り返すことになる。
仏教徒は、このことを憂え、愧じ、恐れねばならない。
人の悪を悲しまねばならない。
しかし、仏教徒は、世俗の倫理・習慣に則らねば教化できないし、むしろそういった「戯論・迷妄」ありきで「四諦(苦集滅道)」や「中道」などの仏道がある。
—2017年8月10日投稿『仏教と著作権・・・「同一性」とは相似性の便宜上の呼称である(法学・法律学)』
今の文明が戦争で終わるのか、戦争以外で終わるのか、私には分からない。
ただの無関心とは違い、「(憎悪をたぎらせて歴史を繰り返す、度し難い世の中に)愛想をつかした」ものとしての諦念で「人々を好きさせよう;こちらが助ける術は無いどころか、義理も無い」と思って極力、外的な刺激を避ける形で自他の終焉を待つ道が、人生の比較的後に、はっきりと現れる。
メメント・モリ、死の準備を意識している。
個人および文明が安らかに死ぬ鍵となるものは、よほど高度な科学と技術とが実現しない限り、その欲望を減らすことくらいである。
起草日:2023年6月22日
本記事の1-1および1-2の事項(2つの国家個人主義)については、2年以上前から、頻繁に頭に浮かべていた。
アウトプットして人に見せるまでもない、と遮っていたが、私自身の環境変化が多くある中でも、それなりに意識されたので、実行することにした。
何せ、2の話題が、主な執筆の動機であったから。
1-1, 1-2というのは、奥行きを演出している。
アナキズムというか、私は、アナグラム (anagram) に陶酔した晩年のソシュールみたいな状態になってきたか?
ボルツマンみたく海に還ろうとすることは無いと思うが。
職歴なし、就労不能の状態でも、私が家出して独立できたのは、入念な調査によるものである。
他者の権利を著しく害しかねない自由を謳うリバタリアン (libertarian) または自由絶対主義者(free ** absolutist, ドナルド・トランプやイーロン・マスクのようなもの)ではなく、リベラルの側面を持った中道であり、よく検討してから行動した。
※イーロン・マスクの言う「言論の自由」は、任意の憲法がそれ自体は具体的でないように、あまり意味を待たない。アメリカ合衆国では、連邦政府と別に州ごとの憲法を用意し、それが日本国憲法と近いものもあり、例えばコネチカット州憲法 (Connecticut Constitution) では: "SEC.4. Every citizen may freely speak, write and publish his sentiments on all subjects, being responsible for the abuse of that liberty.", "SEC.5. No law shall ever be passed to curtail or restrain the liberty of speech or of the press." と、自由の濫用を禁じることと、憲法によって個々の法律があることとが理解しやすい内容である。アラバマ州 Alabama, 最も宗教保守的なテキサス州 Texas でも同じ条項がある。憲法の目から言えば、彼は各州の憲法を超越し、独自に「エックス共和国」を建設したいかのようである。
私が何をしても公益性は無いと思うが、権利で認められる限り、今後も理性的に追求したい。
2023年8月26日土曜日
「面白い作品」は作品が面白いのではなく面白いと思われる原因を持っている、という説
2013年ころに私は、「面白い作品」は、作品が面白いのではなく、面白いと思ってもらえる原因を持っている、という説を聞いた。
うろ覚えになるが、近い時期のZさん(仮称)の発言らしく、詳細(文脈)と典拠と日時は不明である。
「作品」とは、Zさんがビデオゲームのシナリオ、デザイン、プログラム、さらにはグラフィックやミュージックを手掛ける人物であることから、ドラマやマンガを含む文学作品やビデオゲームのことかと推察される。
「人々にとっての面白い作品」における、「面白いと人々から思われる原因」は何か?
社会的な背景から来る、複数の個人の認知や心理の領域にある、と私は考えた。
直接的なもの:
・その作品について、マスメディアが人気であるように取り上げていることを個人が見聞きした。
・その作品について、個人が頻繁に、繰り返し目にすることがあって「よく見かける。面白い作品なの? →よく見かける。面白い作品に違いない」と、心理的な親近感を認知バイアスとして感じるようになった。
;とはいえ、その個人にとって「ヤラセ」や「過大評価」と思われる方法の宣伝や、作品の特徴から不快感を覚えることがあれば「よく見かける。うざい」と思ってしまう。
「何度も、長年、見せられているものが馴染みのあるように錯覚してくる現象(作品であれば、それが何か良いもの、文学作品であれば面白いものと錯覚する)」というのが報告されている(こちらでは特に心理学のほうでどういう名前が付けられているかなどを調査していない)。
・その作品について、個人が「こういうネタがある」と知った喜びで執着し、面白いと思えた一部分の要素を針小棒大にした。
副次的なもの:
・その作品について、いくらか「嫌な部分もあるけど全体的には面白いものなんだ」と自己暗示をかける必要があり、それが達成された。
1996年に始まるZさん自身の作品シリーズも、2004年以降、Zさん自身が思った以上の高い人気を得て困惑し、「面白い作品は面白いと思われる原因を持っている」と、そう考えるようになったのではないか。
他方、基盤として「実際に面白い、上出来である」ことも、先のきっかけとして必須条件である。 今回の考察は、Zさんがその発言をしたのか、その場合はどんな話の脈絡なのか、ということの客観的事実とは別にして読んでいただきたい。
発言そのものは、作品を作る立場の人が思うこととして、「自分が面白いと思った要素はなんなのか、漠然と面白いという感情で支配されすぎず、具体的に省察して自覚することが役に立つ」という精神論を意味している可能性もある。
分析
心理的な効果を巧みに取り込むと、「面白い作品」を作りやすい。
いくらかの作品は、基盤として「実際に面白い、上出来である」かもしれないが、大衆心理まで視野に入れたマーケティングを伴わないと大きくて長期間の人気につなげるのは難しい。
某週刊少年マンガ雑誌系は、そういう部分をうまく捉えているように見える。
紙媒体と電子媒体(TV、ウェブサイトなど)の両方の新聞、雑誌、ニュース、エッセイが具体的な実働部隊である。
「斜陽産業」と扱われない努力で、同業他社間、上位カテゴリの共通した異業種間で、互いの利益の向上を図っているような協力関係が広がっている。
私は2010年(中学2年生、夏休み期間)、すでに特定の作品(アニメ、マンガ)に関して、具体的なマスメディア動員について批判していたことがある。
特定の領域で、当該作品の特集がしつこく行われたことにより、ほかの新人などが埋没している状態に見えていた。
2012年以降、特定の作品のみならず、ポップカルチャー全般の作品に(作者、作家、企業など人格のほうにも)批評を言わないようにしているが、完全に自粛しているわけでもない。
その作品も、多少の人々にとって面白いは面白いのだろうが、万人受けしているのでもないし、過去と未来のいかなる作品であってもマーケティングが巧みなところで万人受けするとは限らない。
ディズニー系を含む「往年の名作」でさえ、時代、地域といった文化の差によって、初めて見た人たちの評価が「ステレオタイプ」、「差別と偏見」、「ギャップ」への認識を伴って変わりうるものである。
ところで、新興宗教でも、なんだかんだ、信者が「教義を見てみろ、素晴らしいから」と主張する場合があるかと思う。
古今東西の宗教を見聞きした立場だと、結局、私は、教義のすばらしさについて、ある特定の新興宗教よりも明らかに綿密で優れたものがあることを知っているし、それだからと言って現存の教団に自発的に加入するというものでもない。
その立場の人がその経緯で、その信仰を持つ結果があったに過ぎないのだろうけど、あまりにも新興宗教信者の一代目(これもまた親と先祖が似たようなものかもしれないが)でありながら、教義への理解や、教義自体の内容が粗雑でありながら、信仰が深い場合、やはり新興宗教としてもうまい具合に「教義の素晴らしさ以上に、素晴らしいと思わせる力」を発揮したのだろう、と感じる。
とはいえ、どこであれ、社会的な目で20世紀以降に発生した新興宗教が、教勢を強めて一国の全民衆に流布したケースは無いので、その程度でもある。
万人受けする完璧な宗教(教義のみならず組織運営が優れている)が存在しないように、万人受けする完璧な作品も成り立つことはない。
そこで、「ある時代、ある文化」での比較的多くの人に支持される作品を作るか、ニッチな層に支持される作品を作るか、単純に作りたいと思ったテーマからの作品を作るか、これはもう、作り手や、その人の属する集団(企業など)の判断になってくる。
たとえ、一定の人気を得た作品であっても、企画の当初、ターゲットやコンセプトがはっきりしない or 複数にまたがっていた、というものが占める割合も多いかと思う。
起草日:2022年10月29日
2022年10月29日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、2023年8月を迎えた。
つまり、その9か月の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
投稿直後、いくらかの加筆をした。
うろ覚えになるが、近い時期のZさん(仮称)の発言らしく、詳細(文脈)と典拠と日時は不明である。
「作品」とは、Zさんがビデオゲームのシナリオ、デザイン、プログラム、さらにはグラフィックやミュージックを手掛ける人物であることから、ドラマやマンガを含む文学作品やビデオゲームのことかと推察される。
「人々にとっての面白い作品」における、「面白いと人々から思われる原因」は何か?
社会的な背景から来る、複数の個人の認知や心理の領域にある、と私は考えた。
直接的なもの:
・その作品について、マスメディアが人気であるように取り上げていることを個人が見聞きした。
・その作品について、個人が頻繁に、繰り返し目にすることがあって「よく見かける。面白い作品なの? →よく見かける。面白い作品に違いない」と、心理的な親近感を認知バイアスとして感じるようになった。
;とはいえ、その個人にとって「ヤラセ」や「過大評価」と思われる方法の宣伝や、作品の特徴から不快感を覚えることがあれば「よく見かける。うざい」と思ってしまう。
「何度も、長年、見せられているものが馴染みのあるように錯覚してくる現象(作品であれば、それが何か良いもの、文学作品であれば面白いものと錯覚する)」というのが報告されている(こちらでは特に心理学のほうでどういう名前が付けられているかなどを調査していない)。
・その作品について、個人が「こういうネタがある」と知った喜びで執着し、面白いと思えた一部分の要素を針小棒大にした。
副次的なもの:
・その作品について、いくらか「嫌な部分もあるけど全体的には面白いものなんだ」と自己暗示をかける必要があり、それが達成された。
1996年に始まるZさん自身の作品シリーズも、2004年以降、Zさん自身が思った以上の高い人気を得て困惑し、「面白い作品は面白いと思われる原因を持っている」と、そう考えるようになったのではないか。
他方、基盤として「実際に面白い、上出来である」ことも、先のきっかけとして必須条件である。 今回の考察は、Zさんがその発言をしたのか、その場合はどんな話の脈絡なのか、ということの客観的事実とは別にして読んでいただきたい。
発言そのものは、作品を作る立場の人が思うこととして、「自分が面白いと思った要素はなんなのか、漠然と面白いという感情で支配されすぎず、具体的に省察して自覚することが役に立つ」という精神論を意味している可能性もある。
分析
心理的な効果を巧みに取り込むと、「面白い作品」を作りやすい。
いくらかの作品は、基盤として「実際に面白い、上出来である」かもしれないが、大衆心理まで視野に入れたマーケティングを伴わないと大きくて長期間の人気につなげるのは難しい。
某週刊少年マンガ雑誌系は、そういう部分をうまく捉えているように見える。
紙媒体と電子媒体(TV、ウェブサイトなど)の両方の新聞、雑誌、ニュース、エッセイが具体的な実働部隊である。
「斜陽産業」と扱われない努力で、同業他社間、上位カテゴリの共通した異業種間で、互いの利益の向上を図っているような協力関係が広がっている。
私は2010年(中学2年生、夏休み期間)、すでに特定の作品(アニメ、マンガ)に関して、具体的なマスメディア動員について批判していたことがある。
特定の領域で、当該作品の特集がしつこく行われたことにより、ほかの新人などが埋没している状態に見えていた。
2012年以降、特定の作品のみならず、ポップカルチャー全般の作品に(作者、作家、企業など人格のほうにも)批評を言わないようにしているが、完全に自粛しているわけでもない。
その作品も、多少の人々にとって面白いは面白いのだろうが、万人受けしているのでもないし、過去と未来のいかなる作品であってもマーケティングが巧みなところで万人受けするとは限らない。
ディズニー系を含む「往年の名作」でさえ、時代、地域といった文化の差によって、初めて見た人たちの評価が「ステレオタイプ」、「差別と偏見」、「ギャップ」への認識を伴って変わりうるものである。
ところで、新興宗教でも、なんだかんだ、信者が「教義を見てみろ、素晴らしいから」と主張する場合があるかと思う。
古今東西の宗教を見聞きした立場だと、結局、私は、教義のすばらしさについて、ある特定の新興宗教よりも明らかに綿密で優れたものがあることを知っているし、それだからと言って現存の教団に自発的に加入するというものでもない。
その立場の人がその経緯で、その信仰を持つ結果があったに過ぎないのだろうけど、あまりにも新興宗教信者の一代目(これもまた親と先祖が似たようなものかもしれないが)でありながら、教義への理解や、教義自体の内容が粗雑でありながら、信仰が深い場合、やはり新興宗教としてもうまい具合に「教義の素晴らしさ以上に、素晴らしいと思わせる力」を発揮したのだろう、と感じる。
とはいえ、どこであれ、社会的な目で20世紀以降に発生した新興宗教が、教勢を強めて一国の全民衆に流布したケースは無いので、その程度でもある。
万人受けする完璧な宗教(教義のみならず組織運営が優れている)が存在しないように、万人受けする完璧な作品も成り立つことはない。
そこで、「ある時代、ある文化」での比較的多くの人に支持される作品を作るか、ニッチな層に支持される作品を作るか、単純に作りたいと思ったテーマからの作品を作るか、これはもう、作り手や、その人の属する集団(企業など)の判断になってくる。
たとえ、一定の人気を得た作品であっても、企画の当初、ターゲットやコンセプトがはっきりしない or 複数にまたがっていた、というものが占める割合も多いかと思う。
起草日:2022年10月29日
2022年10月29日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、2023年8月を迎えた。
つまり、その9か月の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
投稿直後、いくらかの加筆をした。
2023年8月4日金曜日
Draft 2022-10-04: OO、山岡洋一 vs. XX、黒木玄 4名のダブルバトルの見直し
あの構図は笑えた。
山岡洋一 「引きこもって」の悪用
倫理道徳を破壊する発言や行為は、学術キャリアさえも壊す諸刃の剣(両刃の剣)である。
伊藤穰一、ジョー・イトー (Joe Ito) が当時のMITにおける要職役職を追われたことに等しい。 彼は直接に悪いことをしたのでないが、それでさえ、非難と追及を受け、MITメディアラボ所長を辞任する結果となっている。
彼は大学を何度中退しても博士号(および名誉博士号)を情報工学ではなく政策学・メディア論(および文学)の分野で取得し、MITで辞任に追い込まれても、彼は色々と活動したがっているようなので、「千葉工業大学変革センター センター長」など、日本で仕事をもらい続けている。
宗教家 兼 宗教学者との対話を希望し、その司会役もこなしていた(上掲動画"NFTs & Religion" by 変革 Center for Radical Transformation)。
チベット仏教の関係者 Venerable Tenzin Priyadarshi と、キリスト教の関係者 Father Eric Salobir を京都に招いて行われた。
4名のプロフィール
起草日:2022年10月5日
サーベイ論文またはコラム。
スマブラに、ポケモンの「ダブルバトル」のようなものはある?
→2対2, 2 on 2 (two-on-two) ということに関しては、あるが、あまり聞かれない。64専用の初代(第一作)には無い?深入りはしないでおく。
山岡洋一 「引きこもって」の悪用
倫理道徳を破壊する発言や行為は、学術キャリアさえも壊す諸刃の剣(両刃の剣)である。
伊藤穰一、ジョー・イトー (Joe Ito) が当時のMITにおける要職役職を追われたことに等しい。 彼は直接に悪いことをしたのでないが、それでさえ、非難と追及を受け、MITメディアラボ所長を辞任する結果となっている。
彼は大学を何度中退しても博士号(および名誉博士号)を情報工学ではなく政策学・メディア論(および文学)の分野で取得し、MITで辞任に追い込まれても、彼は色々と活動したがっているようなので、「千葉工業大学変革センター センター長」など、日本で仕事をもらい続けている。
宗教家 兼 宗教学者との対話を希望し、その司会役もこなしていた(上掲動画"NFTs & Religion" by 変革 Center for Radical Transformation)。
チベット仏教の関係者 Venerable Tenzin Priyadarshi と、キリスト教の関係者 Father Eric Salobir を京都に招いて行われた。
4名のプロフィール
起草日:2022年10月5日
サーベイ論文またはコラム。
スマブラに、ポケモンの「ダブルバトル」のようなものはある?
→2対2, 2 on 2 (two-on-two) ということに関しては、あるが、あまり聞かれない。64専用の初代(第一作)には無い?深入りはしないでおく。
ラベル:
人々
2023年7月24日月曜日
独立後に皮膚科クリニック受診、の案(症状:慢性的なニキビ様の腫れ)
以下を要点として、担当医に:
・簡潔に口頭で伝えるか、
・詳細に文書で伝える
ための文案を用意する。
慢性的なニキビ様の腫れ (にきび、吹き出物、尋常性痤瘡、尋常性ざ瘡、面皰、粉瘤腫、表皮嚢胞、毛嚢炎), chronic acne-like swelling
・顔で常に、白ニキビのようなものが20個以上ある。
;白ニキビのような疑わしいものとして、角栓を伴った毛穴や、カード状凝固物を伴った毛穴や、膿のような乳白色液体またはエマルションを伴った毛穴を含む。
;毛穴からカード状凝固物、乳白色液体が多く排出できる。
;爪を立てて押し出すこともよくする。目視するには、明るい環境が望ましい。そこで、違和感のある皮膚の範囲を指で押し広げると、はっきり見えてくる。触診では、固めのハリ(ぷっくら、丘状と言いたいが丘疹は関係ない)が感じられる部分(首の下など、見づらいところはさっと触診で探る)。
・右の頬に目立つクレーター(瘢痕)があるし、より小さなクレーターは多数ある。
・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例 *1:2022年9月20日撮影
・これらの腫れ及び出血は毎日発生するものであり、全体として静まったことはない。
;最近の例 *2:2022091009523400撮影、202209100953800撮影
・既往歴としては、2010年12月以前(13歳、中学校不登校でなかった間)、主に赤ニキビで自覚症状あり。数は過度に多くなかった。皮膚科に行けない間の自助努力で、2021年から意識的に洗顔頻度を増やし、シャワーとシャンプーを伴う浴室風呂行為を外出していない日でも行うようにし、QOLの下がる毛穴乳白色エマルション排出をして衛生的に後始末してもいるが、改善されない。
・以前、チョコレート摂取で顔の皮膚に痒みが発生しやすかった。神経生理学的な条件反射でも、チョコレートの想像刺激で同じく痒みが発生しやすかった。一般的にチョコレート摂取が臨床試験では相関関係としてニキビの発生に貢献していると研究 (Laetitia Penso, et al.) は示唆しているが、生理学的因果関係は評価できない。私の肉体として、最近は臨床的にも相関性を見出しづらくなった。
美容目的でニキビを直したいならば、結局は有効成分「過酸化ベンゾイル(benzoyl peroxide, 日本では新薬承認云々の法律の壁で市販薬に配合されていない。アメリカと日本のプロアクティブにもこれの有無の違いがある)」配合の外用薬を買うのが最善かと思う。
日本国内での正規ルート(副作用救済制度の対象)で「過酸化ベンゾイル」配合の医薬品を入手するには、医師の処方に限られている。
一方で、個人輸入の方法は、違法でなく、一般的に利用可能である。
※混同されないために記すと、アキュテインのイソトレチノインは、日本で未承認であり、アメリカで承認されていても市販されておらず、処方箋が必要なもののようなので、そちらは要注意。
外用薬は、洗顔フォームみたいに広範囲で塗りたくるのではなく、患部のみに(もぐらたたきの要領で)、塗布することが望ましい。
過酸化ベンゾイルの作用機序からすると、患部じゃないところで、オーバードーズになって皮膚炎を起こすかもしれない。
皮膚炎にならなくても、常在菌を殺しすぎるとか?
ニキビの原因次第では、よく効くし、効き目が弱ければ他のケア方法や治療方法を併用することになる。
個人輸入代行の オオサカ堂 - "ベンザックジェル" (ベピオゲル、ベンザックゲル, AC 5 or AC 2 1/2; 有効成分を5%または2.5%配合というもの)
https://osakadou.cool/detail/017005_benzacgel_half.html
起草日:2022年9月19日
「独立後に皮膚科クリニック受診、の案」を記すと同時に、私は「特定の耳鼻咽喉科クリニックKに2021年12月8日以来の診療を受けに行く」という考えを持っていた。
今年に入ってからも弱めに維持している副鼻腔炎(主に前頭洞の痛みと中粘度の痰や色付きの痰)があり、診断をもらいたかった。
まず、症状を意図的に強めようと、10月の何らかの日の夜に豊橋市の市街地で買い物と散策をする案があった。
2022年10月11日に決行しようとしたが、準備を進める間、撤回し、近所での買い物をする程度にとどめた。
翌日には、この案を廃止した。
2022年10月16日、ニューキノロン系抗菌薬(抗生物質)"ジェニナック"のような医薬品が市販されているのかを調査した。
悪い予感の通り、そういう有効成分の市販薬は、内服薬として存在しない、と判明した。
篠ケ瀬 蒼惟 - "ドラッグストアで抗生物質は買える?買えない?理由についても解説!". https://www.kusurinomadoguchi.com/column/drug-store-antibiotics-20267/
いいもん、アタシ、プチ薬剤師だから乱用/濫用しないもん。
フツーの薬剤師にフカノーなマホーでニューキノロン系抗生物質の製剤"レボフロキサシン 500 mg 「DSEP」"(一般的に先発薬品名の"クラビット"で呼ばれる)を取り寄せたんだもん。
しかし、機会が1度のみ、得られる数も雀の涙ほどであったから、市販薬を探していた。
結果的に出先で症状が出てから耳鼻咽喉科、耳鼻科の診療所へ行く判断にした。
初診で診察券がどうとか、健康保険証がどうとかの問題もあるが、ひとまず、その方法にしよう。
ニキビ自体は有病率が高いものの、病気ではあるからと、この過酸化ベンゾイル BPO 外用薬をはじめとしたいくつかの治療法は、保険診療のうちらしい。
目的が美容で、重症でないとしても、保険適用にはなるようなので、場合によっては皮膚科の受診がよいかと思う。
普段から適切なスキンケアをして生活が規則的な人ほど、あまり受診の必要性は高くないかと思う。
生活保護受給者は、医療券の対象になるので、生活費の圧迫を避けたければ、受診したほうがよい。
アテローマ、アテロームという用語は、割愛。
おお、そういえばこんな医療画像を作ったこともあった。
『2021年11月中の日記メモ』所載。
以上は2022年の家出前、以下は2023年の独立完了後。
2023年7月14日、東京都内での一人暮らしが落ち着いてきた時点での、日ごろの食生活は、不摂生と程遠いものである。
スナック菓子をほぼ食べていない。
スキンケアというか、皮膚に触れるものだと、こういうものを普段、使っており、皮膚科をもし受診したら、医師に伝えておこう:
・ハンドソープ(個人的には洗顔兼用、イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?、ヒアルロン酸など保湿成分あり)
・泡洗顔(グリチルリチン酸ジカリウム、弱酸性?)
・石鹸(イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?)
・泡ボディソープ(同じくグリチルリチン酸2K、アラントイン、弱酸性?)
・シャンプー(薬用での有効成分なし、弱酸性?)
本文の修正案:
・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例:2022年9月20日撮影 ←実家の不自由な環境でニキビケアがしづらい状況で、頻繁に発生しました。今年3月に一人暮らしを始めてからは、こうなったことがありません。
本文の追加案:
最近の対処法:
・洗顔料を用いた洗顔は1日2,3回ある。
・洗顔の際に、手でよく泡立てるなどした洗顔料を、皮膚の表面にのせるようにし、転がすようにしている。
・洗顔料で皮脂を洗い落とし、水でよく洗い流している。高温多湿の季節だと、洗顔料に配合されたヒアルロン酸Naで保湿は足りる。
・質問:ピーリング材の有無を問わず、顔の垢を落とすには、強くこすったり、爪を立てるしかありませんが、一般論として、顔をこすらずに洗えという指導がされている。顔の垢を落とすには、顔をこするかこすらないか、どうすればよいのだろうか?
要望:
・アダパレンやベピオゲル(過酸化ベンゾイル BPO 外用薬)などの効果的な医薬品を処方していただき、しっかりと使っていきたい。もし処方していただいて用法用量を守って治療を続けても、症状が改善されない場合、他の方法にすることも検討する。
2023年7月24日、皮膚科のミッション完了。
ここで詳細を報告しない。
サマリー:ヘパリン類似物質ローション(日医工の後発医薬品、ジェネリック)、ベピオローション、ゼビアックスローション。
新たに分かったこと:ベピオとゼビアックスは併用禁忌、混用禁止ね(混合されると変色するとのこと)→禁忌や禁止は言い過ぎで、ただ皮膚科医が、どの患者が変色するのを嫌がるか分からないから誰にでも併用しないように指導しているだけで、実際は併用して医療的に効果が相殺されるとか、危険な化学反応が起きるとか、皮膚に弊害をもたらすというわけではないようである;併用可能。
予後(2023年9月23日)
陽気な歌と踊りで、お届けします。
まさしぃ『全身肛門踊り』(陽音階、3連符、128 BPM)
(' -'*) (' -'*) (' -'*) ♪角栓ぶーりゅぶーりゅぶーりゅっぶりゅ
('ヮ'*)***つ)('ヮ'*) ♪顔にも肛門、腕にも肛門
・簡潔に口頭で伝えるか、
・詳細に文書で伝える
ための文案を用意する。
慢性的なニキビ様の腫れ (にきび、吹き出物、尋常性痤瘡、尋常性ざ瘡、面皰、粉瘤腫、表皮嚢胞、毛嚢炎), chronic acne-like swelling
・顔で常に、白ニキビのようなものが20個以上ある。
;白ニキビのような疑わしいものとして、角栓を伴った毛穴や、カード状凝固物を伴った毛穴や、膿のような乳白色液体またはエマルションを伴った毛穴を含む。
;毛穴からカード状凝固物、乳白色液体が多く排出できる。
;爪を立てて押し出すこともよくする。目視するには、明るい環境が望ましい。そこで、違和感のある皮膚の範囲を指で押し広げると、はっきり見えてくる。触診では、固めのハリ(ぷっくら、丘状と言いたいが丘疹は関係ない)が感じられる部分(首の下など、見づらいところはさっと触診で探る)。
・右の頬に目立つクレーター(瘢痕)があるし、より小さなクレーターは多数ある。
・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例 *1:2022年9月20日撮影
・これらの腫れ及び出血は毎日発生するものであり、全体として静まったことはない。
;最近の例 *2:2022091009523400撮影、202209100953800撮影
・既往歴としては、2010年12月以前(13歳、中学校不登校でなかった間)、主に赤ニキビで自覚症状あり。数は過度に多くなかった。皮膚科に行けない間の自助努力で、2021年から意識的に洗顔頻度を増やし、シャワーとシャンプーを伴う浴室風呂行為を外出していない日でも行うようにし、QOLの下がる毛穴乳白色エマルション排出をして衛生的に後始末してもいるが、改善されない。
・以前、チョコレート摂取で顔の皮膚に痒みが発生しやすかった。神経生理学的な条件反射でも、チョコレートの想像刺激で同じく痒みが発生しやすかった。一般的にチョコレート摂取が臨床試験では相関関係としてニキビの発生に貢献していると研究 (Laetitia Penso, et al.) は示唆しているが、生理学的因果関係は評価できない。私の肉体として、最近は臨床的にも相関性を見出しづらくなった。
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| *1 2022年9月20日撮影 □ |
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| *2 2022091009523400撮影、202209100953800撮影 □ |
美容目的でニキビを直したいならば、結局は有効成分「過酸化ベンゾイル(benzoyl peroxide, 日本では新薬承認云々の法律の壁で市販薬に配合されていない。アメリカと日本のプロアクティブにもこれの有無の違いがある)」配合の外用薬を買うのが最善かと思う。
日本国内での正規ルート(副作用救済制度の対象)で「過酸化ベンゾイル」配合の医薬品を入手するには、医師の処方に限られている。
一方で、個人輸入の方法は、違法でなく、一般的に利用可能である。
※混同されないために記すと、アキュテインのイソトレチノインは、日本で未承認であり、アメリカで承認されていても市販されておらず、処方箋が必要なもののようなので、そちらは要注意。
外用薬は、洗顔フォームみたいに広範囲で塗りたくるのではなく、患部のみに(もぐらたたきの要領で)、塗布することが望ましい。
過酸化ベンゾイルの作用機序からすると、患部じゃないところで、オーバードーズになって皮膚炎を起こすかもしれない。
皮膚炎にならなくても、常在菌を殺しすぎるとか?
ニキビの原因次第では、よく効くし、効き目が弱ければ他のケア方法や治療方法を併用することになる。
個人輸入代行の オオサカ堂 - "ベンザックジェル" (ベピオゲル、ベンザックゲル, AC 5 or AC 2 1/2; 有効成分を5%または2.5%配合というもの)
https://osakadou.cool/detail/017005_benzacgel_half.html
起草日:2022年9月19日
「独立後に皮膚科クリニック受診、の案」を記すと同時に、私は「特定の耳鼻咽喉科クリニックKに2021年12月8日以来の診療を受けに行く」という考えを持っていた。
今年に入ってからも弱めに維持している副鼻腔炎(主に前頭洞の痛みと中粘度の痰や色付きの痰)があり、診断をもらいたかった。
まず、症状を意図的に強めようと、10月の何らかの日の夜に豊橋市の市街地で買い物と散策をする案があった。
[...] 20時帰宅?体調不良で免疫えればラッキー。
2022年10月11日に決行しようとしたが、準備を進める間、撤回し、近所での買い物をする程度にとどめた。
翌日には、この案を廃止した。
2022年10月16日、ニューキノロン系抗菌薬(抗生物質)"ジェニナック"のような医薬品が市販されているのかを調査した。
悪い予感の通り、そういう有効成分の市販薬は、内服薬として存在しない、と判明した。
篠ケ瀬 蒼惟 - "ドラッグストアで抗生物質は買える?買えない?理由についても解説!". https://www.kusurinomadoguchi.com/column/drug-store-antibiotics-20267/
いいもん、アタシ、プチ薬剤師だから乱用/濫用しないもん。
フツーの薬剤師にフカノーなマホーでニューキノロン系抗生物質の製剤"レボフロキサシン 500 mg 「DSEP」"(一般的に先発薬品名の"クラビット"で呼ばれる)を取り寄せたんだもん。
本日9月2日は前日22時13分にPCをシャットダウンして就寝し、1時11分に目覚めて2時24分に起床した。その後も眠らずにいて4時以降に入眠したろう。その間、弟が起床したり、変な声を発したり、強い物音をたてるなどしていた。5時31分に起床した。 [...] 午前中から感じていたように、2つの副鼻腔で痛みがある。去年11月以降の副鼻腔炎の規模に並ぶ症状が発現するかもしれない。「抗菌薬、ないかな」と思って1階リビングを見ると、図ったように"レボフロキサシン 500 mg 「DSEP」"(広範囲経口抗菌製剤、ニューキノロン系抗生物質)があった。これを後で2錠、入手した。それから10分も経つと、痛みが引いていった。まだ使わなくてよいかもしれないが、念のため常備しておこう。
| 2022101617335200 "without 診断" は正確に "without 処方"。 □ |
しかし、機会が1度のみ、得られる数も雀の涙ほどであったから、市販薬を探していた。
結果的に出先で症状が出てから耳鼻咽喉科、耳鼻科の診療所へ行く判断にした。
初診で診察券がどうとか、健康保険証がどうとかの問題もあるが、ひとまず、その方法にしよう。
ニキビ自体は有病率が高いものの、病気ではあるからと、この過酸化ベンゾイル BPO 外用薬をはじめとしたいくつかの治療法は、保険診療のうちらしい。
目的が美容で、重症でないとしても、保険適用にはなるようなので、場合によっては皮膚科の受診がよいかと思う。
普段から適切なスキンケアをして生活が規則的な人ほど、あまり受診の必要性は高くないかと思う。
生活保護受給者は、医療券の対象になるので、生活費の圧迫を避けたければ、受診したほうがよい。
アテローマ、アテロームという用語は、割愛。
おお、そういえばこんな医療画像を作ったこともあった。
『2021年11月中の日記メモ』所載。
![]() |
| 2021年11月3日12時 撮影の3枚 □ |
以上は2022年の家出前、以下は2023年の独立完了後。
2023年7月14日、東京都内での一人暮らしが落ち着いてきた時点での、日ごろの食生活は、不摂生と程遠いものである。
スナック菓子をほぼ食べていない。
スキンケアというか、皮膚に触れるものだと、こういうものを普段、使っており、皮膚科をもし受診したら、医師に伝えておこう:
・ハンドソープ(個人的には洗顔兼用、イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?、ヒアルロン酸など保湿成分あり)
・泡洗顔(グリチルリチン酸ジカリウム、弱酸性?)
・石鹸(イソプロピルメチルフェノール、弱アルカリ性?)
・泡ボディソープ(同じくグリチルリチン酸2K、アラントイン、弱酸性?)
・シャンプー(薬用での有効成分なし、弱酸性?)
本文の修正案:
・耳たぶ裏や耳たぶ付け根は、ひどい腫れになりやすい。その頻度は1ヶ月に1回ほど。ここでの症状は、膿と血が大量に出る。ピアスホールは無い。
;最近の例:2022年9月20日撮影 ←実家の不自由な環境でニキビケアがしづらい状況で、頻繁に発生しました。今年3月に一人暮らしを始めてからは、こうなったことがありません。
本文の追加案:
最近の対処法:
・洗顔料を用いた洗顔は1日2,3回ある。
・洗顔の際に、手でよく泡立てるなどした洗顔料を、皮膚の表面にのせるようにし、転がすようにしている。
・洗顔料で皮脂を洗い落とし、水でよく洗い流している。高温多湿の季節だと、洗顔料に配合されたヒアルロン酸Naで保湿は足りる。
・質問:ピーリング材の有無を問わず、顔の垢を落とすには、強くこすったり、爪を立てるしかありませんが、一般論として、顔をこすらずに洗えという指導がされている。顔の垢を落とすには、顔をこするかこすらないか、どうすればよいのだろうか?
要望:
・アダパレンやベピオゲル(過酸化ベンゾイル BPO 外用薬)などの効果的な医薬品を処方していただき、しっかりと使っていきたい。もし処方していただいて用法用量を守って治療を続けても、症状が改善されない場合、他の方法にすることも検討する。
2023年7月24日、皮膚科のミッション完了。
ここで詳細を報告しない。
サマリー:ヘパリン類似物質ローション(日医工の後発医薬品、ジェネリック)、ベピオローション、ゼビアックスローション。
新たに分かったこと:ベピオとゼビアックスは併用禁忌、混用禁止ね(混合されると変色するとのこと)→禁忌や禁止は言い過ぎで、ただ皮膚科医が、どの患者が変色するのを嫌がるか分からないから誰にでも併用しないように指導しているだけで、実際は併用して医療的に効果が相殺されるとか、危険な化学反応が起きるとか、皮膚に弊害をもたらすというわけではないようである;併用可能。
予後(2023年9月23日)
陽気な歌と踊りで、お届けします。
まさしぃ『全身肛門踊り』(陽音階、3連符、128 BPM)
(' -'*) (' -'*) (' -'*) ♪角栓ぶーりゅぶーりゅぶーりゅっぶりゅ
('ヮ'*)***つ)('ヮ'*) ♪顔にも肛門、腕にも肛門
2023年6月24日土曜日
職業パフォーマンス障害 DOP 2023版 & 人間関係の理解しがたいものに直面
On my own "disability on occupational performance, DOP", June 2023 edition
人間関係の理解しがたいものに直面
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない。
この雑談は、言語的コミュニケーションのうちでも有機的なもの、かつ、しばしば内容が非建設的なものである。
私としても何か話を振られて回答しづらいフシを自覚しているのだが、その発生は立ち話みたいなものについてである。
私が、誰かともう少し回答してもらえやすい状況を作って雑談のようなことをしようとしても、相手は拒むに違いない。
それでいい。
誰か、絵を描く人でも、作曲する人でも、会社に属してようがいまいが(同人、フリーランス、個人事業主の小規模事業者)、3人組ボーカルユニットみたいなののプロデュースとかイメージイラスト提供とかをしていた。
こういうのは21世紀以降、あるあるだよね。
ピンク☆ピッグ☆オタクの夢だろ?
私の長きにわたる絵や作曲の活動にはそれがない。
それでいい。
仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談など、しがたいことである。
日常的な買い物、ちょっとした用事の移動時でも、雑談する人たちが何らかの場面で意味不明の笑い、私と無関係な不快な言葉(e.g., 側溝の硫黄化合物などの悪臭、ペンキにあるシンナー有機溶剤の臭いにおいなどに対するクサイ発言)を発するならば、それを聞くだけでも耐え難い。
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない状況が続くのであれば、他の物事も一事が万事みたいになってしまい、社会復帰とか一般就労とかを夢にも思わない。
日本生命社員と薬剤師という大卒両親(人脈狭い)に関係なく、生まれた3兄弟は普通の高校に一度も通っていない。
毎日新聞社員または寄稿した売文ライターどもよ、あんたらの尺度では、これが「下流の人」(Googleがそういう不快な題名の記事を検索結果に出して私は題名を見せつけられただけ)なんだろ?
彼ら上流の人からすれば、不可触民(カースト最底辺の外アンタッチャブル)、穢多非人(市農商工イヌ・ネコ以下)だろ?
「自分と、重要性の高い関係者のことで忙しい人が多いのは普通だ」、と思うか?
いくらかの人にとって、明らかにそうだし、年々、そういう「時間のない(という態度の)人」は増えているはずである。
反面、そうとみなすのは難しい種類の人たちこそ、街中で多く見られる。
なぜ仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談などしたり、時間を作って友達遊び(交友、交際)などができるのか…、と分からなくなってしまう。
任意の個人の関係者の集合には、個人ごとに水準のムラがある。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系の人たちである。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系ではない人たちである。
※「関係者の集合」とは?例えば、Aさんの関係者には、友人Bさん、片親Cさん、年上兄弟姉妹Dさん、Dさんの子Eさんがおり、誰もがAさんと連絡の取れる知己の人たちであれば、「関係者の集合」である。BさんないしEさんまでの4人には、Aさんの知り合い=関係者としての集団的結束があるのではないが、関係者という同じ属性を持つ個々のサンプルの集まりとして「集合」と呼んでいる。このうち、Bさんに対するDさんとEさんは、Bさんと会ったことがないし、連絡先も知れないというものであっても、同じ集合になっている。
私は好き好んでいくらかの人間関係を持ったのでなくとも、たまたま幼少期から前者の関係者の集合を持った。
「忙しい」ということを免罪符に言うのは好ましくない、と分かっている人でもそうでない人でも、とりあえず私の関係者の集合は、そういうもののようである。
同じ社会でも、そういう前者と後者との間で、大きな溝が彫られており、隔絶されている。
人間関係の理解しがたいものに直面した。
生まれる前から悪い運命に束縛されていたのだ、という思いを懐くしかない。
小学生の時から、結局は同じような状況が繰り返されている。
スピリチュアリズムや深層心理や社会科学に関する研究と省察を深めてどうにかなる問題でもない。
当たって砕けろでは、我が精神の自殺行為に等しい。
ケーススタディやリスクマネジメントを伴った学習と計画、実践は嫌いじゃない。
自然科学の不確定性はまだしも、人間社会の不確実性なんかゴメンだと思う。
起草日: 2023年6月6日
「人間関係の理解しがたいものに直面」の章を書いた日が、起草日に相当する。
このときの心理状態の勢いで、書いたものであり、なんというか、本気にしすぎないでください。
職業パフォーマンス障害 DOP の初版は、2022年2月。
6月12日:
東京しごとセンター(飯田橋)、ヤングコーナー、オンラインカウンセリング、初回登録受付シート(こちらをご提出後にオンラインサービスを受けられます。必ずご回答ください。):
オンラインカウンセリングのご予約を希望される方へ:どのようなことを相談したいですか?
(例:就活の進め方、応募書類の添削、面接対策、就活を進める上で〇〇が不安、等々)
→飯田橋への訪問は、秋ごろといたします。
↑この判断は6月28日だったが、翌日、6月29日、福祉事務所ケースワーカーから「〇〇さんが、精神の不調などを訴えている立場で、まだ精神科の通院を始めないならば、こちらはそろそろ就労指導を始める」という趣旨の電話が入ったので、新居付近での精神科通院を優先することが確定した。
労働者福祉に関わる問題で私は「職業パフォーマンス障害 (disability on occupational performance)、または症候群」を持っていると自己診断しています。私が勤務することで、労働災害の危険性が高まる、欠勤が続く、能力が落ちる、など、職務に支障がでやすい業種は多いと思います。
私の職業パフォーマンス障害の具体的な特徴は次の通りです:
1. 虚弱体質、免疫力が低い;具体的には食中毒や副鼻腔炎の頭痛にかかりやすい;2022年5月9日のモデルナ3回目接種の後、2日間、体調不良になり、10日以上、早起きのできない状況に陥った
2. 幼少期から頭に頭皮切除手術後のハゲ(瘢痕性禿髪)があり、髪の毛は長くて最長130cm以上ある;加えて男性の平均的な長さより短くする意思はない
3. 基礎体力が低い
4. 慢性的なニキビ様の腫れ(吹き出物、尋常性痤瘡、面皰、粉瘤腫、表皮嚢胞、毛嚢炎)が発生しやすい;2021年から予防策を取り始めているが根治できる見込みはないし、気にしてQOLや作業の効率を悪くする
5. 体質として痰が絡みやすい;痰が絡んでいてもいなくても「声がきもい」と評される
6. 自律神経不全 (自律神経失調症; SSD, FND or FSS) や神経因性膀胱や腸閉塞ではないが、神経と関連の強い五臓六腑の問題を感じる;具体的には逆流性食道炎、頻繁な下血など
7. ひきこもり生活歴から社会的な経験が不足しており、対人関係が難しいと思われる
8. 統合失調症ではないが、喧嘩の多い家族や私を知る他人からの攻撃を受けることへの懸念から、普通の人が気にしなくてよいことを気にして生活している;防犯の注意や生活記録をまめに取る習慣などの必要性を感じる豊橋の家で社会生活は送りづらい、と思い、2022年10月に家出したし、2011年4月には埼玉の家からも出た経験がある
9. 独り言が多い上でそれを自制するのが困難;人前では基本的に自制することもできるが、刺激があると他人よりは言語的に反応する(つまり、ただの「わっ!」みたいな言語的に無意味な声以上に何かしら言う)可能性がある
10. 9のフラッシュバック版;特に病理的な例では、PTSDのようにトラウマ記憶がフラッシュバックすると、「愛知県 (在住=過去に住んだ埼玉県やインターネットでの経験に対比する)」などと声に出ることもあり、ひどいものでは「クズどもめ」、「死ね」とも→「フラッシュバック後冒涜独言障害」"post-flashback profanity [or coprolalia] soliloquy disorder", PFPSDと独自に呼び、インターネットに症例多数
11. 芸術や学問を重んじた経緯から、その関心を制御する必要のある職務の場合、精神的に不安定になる可能性がある;長年、絵と音楽の創作をしたことで絵や音楽に敏感だったり、無関係の業種で勤務することによって絵や音楽の幸福が薄まると退廃的になって職務に支障がでる可能性がある
12. 一昔前に言う性同一性障害の弱い程度でトランスジェンダー女性(加えて性的対象は女性)を自負する側面があり、男子トイレよりは衛生的な女子トイレを使いたい
13. 吃音または場面緘黙ではないが、認知能力の低下で言葉に詰まって返答が不正確になったり、早く答えようと不適切な答え方や悪い滑舌や早口になるなど、意思疎通が困難になる
14. 認知能力の低下で物忘れ傾向;PTSD相関の海馬萎縮か?
15. ADHDまたはASD, アスペルガー症候群ではないが、集中力が低い;原因は認知能力の低下や、芸術と学問の興味に起因するものと思われる
16. 何かと不運に遭う;同じ共同体の他の人ではありえないものから些細なものまで不幸なことが発生しやすい
17. する挨拶、される挨拶のどちらでも、挨拶恐怖症;エピソードは、埼玉の中学生時代に1つあり、愛知で11年の脱社会生活にも心理的にひきづり、2022年における人生2回目の家出以後にもあり
18. ICDやDSMに掲載のない、俗語「コミュ障」相当の心理的コミュニケーション障害;他人から、突然、「業務上の意味のあること以外と思われる何か」を言われると、身構えてしまう。言われた後、聞き取れても聞き取れなくても、理解に時間がかかる。返事の必要性が低いと思う限り、返事せずやりすごしたい。相手に、無視したかのように思わせ、それで気を悪くさせるのは、こちら側の気を悪くする。先輩ヅラみたいに細かいことまで指導したがり、反面、悩みごとを対等な目線で聞くことはしなさそうな人とは、最初から近づきたくない。もしサポステでも就労移行支援でも職業訓練でも、人の近くで勉強とか作業訓練なんてするならば、そういう恐怖もあって集中できないし、精神衛生を悪くする。職場などが多人数であるほど、各個人に対して態度にムラが出るおそれがある。私は、他人から「コイツ、アノコにデレデレだが俺には虫けらを見る目で冷たいな」とかの邪推を微塵もされたくない
19. 豊橋の家のときにも増して、小金井の宿泊施設ではタバコと食事と洗面所とトイレの臭いが気になり、自分の口臭までもが気になるほど、ニオイに敏感になった。知覚神経の機能が高まったというよりは、自己免疫疾患みたいな要領で五感や感情自覚が敏感になった。デリケート、ナイーブ症候群みたいな状態。周囲が仲のいい人たちでない分、俗に言うノイローゼ状態で休まらない→杉並区で一人暮らしをしていると忘れがちになるが、共同性の高い時間が長くなれば、こういう症状が強まりそう
20. 猥褻目的でないグレーゾーンの盗撮癖;上記8や10と近い背景から、私はするようになった→インターネットに症状を持つ個人多数あり、「動画記録生活障害」 "vlogging disorder" と独自に呼ぶ
21. センシティビティが高い、HSPじみている;コンビニなどの小売店や不動産仲介などの店舗で、店内放送や歌詞つきBGMやラジオが流れており、聴覚過敏のような状態に加え、その言語的情報が苦痛だからそういう職場に勤める気にならない。年々、外的情報へのセンシティビティが高くなっており、悪い意味で気にしすぎる。気疲れが多い。いわゆる普通の人かどうか分からない有象無象の他人たちの人間関係は理解しがたい
22. 自己愛性人格障害、反社会性人格障害ではないが、後天的で言語性の聴覚過敏?;雑談の多い職場は嫌だ。自分への陰口なんじゃないかと気になって集中しづらい。雑談にノリづらい私が話を振られても、ハブかれても嫌だ。「菌いじめ」を受けた小学校高学年の時からこの思いがある。自意識過剰とナルシシズムには限られない。当時は、世間の話題を学びまくって話をできる準備をしたが、実際に同級生たちからそういう話題を振られることは滅多に無かった。努力に対する他人からの評価は、相応の対価を持たない。自分で選べる限り、そういう雑談の機会が多い職場を避けて選びたい
23. 便利なものと情報通信技術を駆使したほうが私としては働きやすい;便利なもの依存症、本能機能低下、認知症予備軍、要介護リスク、フレイルなど関係なく、人は誰でも福祉の対象として今の流れに乗り、ゆっくりと滅亡するほうが望ましい、とさえ2023年の私は思っているから、私は労働生産性向上にも繋がるその方法を切望している
24. 15とほぼ同じだが、今の住居は少し強めの雨で断水するほど不幸。設備が改修されなそうなので、心理的にもろい私が普通の社会人と同じことをすると負担大。管理会社も最低限のことはするが誠意を感じづらい
これらのことからすると、私個人のDOPの質は、日本社会の包摂、インクルージョンの努力が足りていないことの裏返し [...]
[...]
[...] 日本語話者の、学歴神秘主義の幻視も甚だしい。私個人と無関係のスティグマも多い。いくらかの業種の、職務の遂行に支障がないのを、社会は差別している。ダイバーシティの範囲を広げて包摂がされきらない限り、無尽蔵に救われない個人たちを生み出すことになるので、救われないのは社会それ自身である。この状況のある間、または悪い記憶が続く間、私は自分の学歴も髪の長さも固定しておく。
リアルとネットの悪い記憶を起こさない環境に、数年いられれば、話は変わってくる。そんな特例優遇福祉制度を社会は用意していないので、とにかくやりたいことをやらせてもらえればそれでよい。もともと認知行動療法、メタ認知とかをセルフマネジメントで行えているが、一人暮らしになってから、思考への悪い刺激を回避しやすくなった。新たな刺激を回避する分、その悪い記憶たちがクローズアップされやすい。記憶解毒は時間がかかるから、そっとしといて。
[...]
2023-02-13起草、2023-**-**版;音読様式対応(非公開でない)→音読様式非対応
※初版は2022-02-nn起草
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| 紙芝居か漫画「こんな職場はイヤだ」, a spin-off of the DOP 2023 □ |
人間関係の理解しがたいものに直面
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない。
この雑談は、言語的コミュニケーションのうちでも有機的なもの、かつ、しばしば内容が非建設的なものである。
私としても何か話を振られて回答しづらいフシを自覚しているのだが、その発生は立ち話みたいなものについてである。
私が、誰かともう少し回答してもらえやすい状況を作って雑談のようなことをしようとしても、相手は拒むに違いない。
それでいい。
誰か、絵を描く人でも、作曲する人でも、会社に属してようがいまいが(同人、フリーランス、個人事業主の小規模事業者)、3人組ボーカルユニットみたいなののプロデュースとかイメージイラスト提供とかをしていた。
こういうのは21世紀以降、あるあるだよね。
ピンク☆ピッグ☆オタクの夢だろ?
私の長きにわたる絵や作曲の活動にはそれがない。
それでいい。
仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談など、しがたいことである。
日常的な買い物、ちょっとした用事の移動時でも、雑談する人たちが何らかの場面で意味不明の笑い、私と無関係な不快な言葉(e.g., 側溝の硫黄化合物などの悪臭、ペンキにあるシンナー有機溶剤の臭いにおいなどに対するクサイ発言)を発するならば、それを聞くだけでも耐え難い。
他人たちの誰もが、私とは雑談したくない状況が続くのであれば、他の物事も一事が万事みたいになってしまい、社会復帰とか一般就労とかを夢にも思わない。
日本生命社員と薬剤師という大卒両親(人脈狭い)に関係なく、生まれた3兄弟は普通の高校に一度も通っていない。
毎日新聞社員または寄稿した売文ライターどもよ、あんたらの尺度では、これが「下流の人」(Googleがそういう不快な題名の記事を検索結果に出して私は題名を見せつけられただけ)なんだろ?
彼ら上流の人からすれば、不可触民(カースト最底辺の外アンタッチャブル)、穢多非人(市農商工イヌ・ネコ以下)だろ?
「自分と、重要性の高い関係者のことで忙しい人が多いのは普通だ」、と思うか?
いくらかの人にとって、明らかにそうだし、年々、そういう「時間のない(という態度の)人」は増えているはずである。
反面、そうとみなすのは難しい種類の人たちこそ、街中で多く見られる。
なぜ仕事(オン)のときとか、プライベート(オフ、私生活)のときとか、そういうどちらでも、雑談などしたり、時間を作って友達遊び(交友、交際)などができるのか…、と分からなくなってしまう。
任意の個人の関係者の集合には、個人ごとに水準のムラがある。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系の人たちである。
ある人の関係者の集合が社会経済的地位がどうであれ、忙しい系ではない人たちである。
※「関係者の集合」とは?例えば、Aさんの関係者には、友人Bさん、片親Cさん、年上兄弟姉妹Dさん、Dさんの子Eさんがおり、誰もがAさんと連絡の取れる知己の人たちであれば、「関係者の集合」である。BさんないしEさんまでの4人には、Aさんの知り合い=関係者としての集団的結束があるのではないが、関係者という同じ属性を持つ個々のサンプルの集まりとして「集合」と呼んでいる。このうち、Bさんに対するDさんとEさんは、Bさんと会ったことがないし、連絡先も知れないというものであっても、同じ集合になっている。
私は好き好んでいくらかの人間関係を持ったのでなくとも、たまたま幼少期から前者の関係者の集合を持った。
「忙しい」ということを免罪符に言うのは好ましくない、と分かっている人でもそうでない人でも、とりあえず私の関係者の集合は、そういうもののようである。
同じ社会でも、そういう前者と後者との間で、大きな溝が彫られており、隔絶されている。
人間関係の理解しがたいものに直面した。
生まれる前から悪い運命に束縛されていたのだ、という思いを懐くしかない。
小学生の時から、結局は同じような状況が繰り返されている。
スピリチュアリズムや深層心理や社会科学に関する研究と省察を深めてどうにかなる問題でもない。
当たって砕けろでは、我が精神の自殺行為に等しい。
ケーススタディやリスクマネジメントを伴った学習と計画、実践は嫌いじゃない。
自然科学の不確定性はまだしも、人間社会の不確実性なんかゴメンだと思う。
起草日: 2023年6月6日
「人間関係の理解しがたいものに直面」の章を書いた日が、起草日に相当する。
このときの心理状態の勢いで、書いたものであり、なんというか、本気にしすぎないでください。
職業パフォーマンス障害 DOP の初版は、2022年2月。
6月12日:
東京しごとセンター(飯田橋)、ヤングコーナー、オンラインカウンセリング、初回登録受付シート(こちらをご提出後にオンラインサービスを受けられます。必ずご回答ください。):
オンラインカウンセリングのご予約を希望される方へ:どのようなことを相談したいですか?
(例:就活の進め方、応募書類の添削、面接対策、就活を進める上で〇〇が不安、等々)
私の現状(職業パフォーマンス障害または症候群)についての理解をいただき、労働者に対する合理的配慮や、あらゆる人への社会福祉の向上を第一とする職場があるのかどうか。
→飯田橋への訪問は、秋ごろといたします。
↑この判断は6月28日だったが、翌日、6月29日、福祉事務所ケースワーカーから「〇〇さんが、精神の不調などを訴えている立場で、まだ精神科の通院を始めないならば、こちらはそろそろ就労指導を始める」という趣旨の電話が入ったので、新居付近での精神科通院を優先することが確定した。



