2017年10月8日日曜日

梵天・極楽へ至る ~ 上座部・三明経と大乗・般舟三昧経に見る古代の在家信者の仏道修行・三昧行

自作「清浄萌土抄」は、菩薩の浄仏国土の修行と他者が往生してくることを萌えによって示した。
自作「萌集記・イデオフォノトピア遊行の事」は、心の世界へ往生して住まう因縁を萌えによって示した。
二作とも、阿弥陀仏国土とそこへの往生という事柄に関して、伝統的な仏国土思想から解き明かす意図があった。
仏国土と衆生を思う時、仏教における梵天・梵衆梵王(ブラフマー)の存在について考えてみる必要がある。
以下から、「萌集記・イデオフォノトピア遊行の事」の注釈文のテーマ「仏教における諸天・神や悪魔とはどのようなものか」に基づいて、2017年8月25日の考察を示す。



※当該作品3章にある梵天勧請・梵行"Brahmacarya (ブラフマ・チャリヤ)"・四梵住"Brahmavihāra (ブラフマ・ヴィハーラ)"=四無量心(慈悲喜捨)に関する説法の内容と、当該作品終盤の梵天らしい天子による祝福の場面が、前提である。

梵天・梵住は無瞋・無執着にして慈悲深い処という教説が長阿含経・パーリ長部の「三明経(漢訳長阿含で第26経・パーリ長部で第13経) "Tevijjasutta"」に有る。
その三明経では、梵天を「どこかにきっといる絶世の美女(名も姿も居場所も知らない存在)を探し求めること」に譬える。
そのように、梵天を「確かに存在するもの(誰も行っていないとされる場所や誰も見ていないとされる神)」と思い込んではならない。
尊い梵天に到ることを願うならば、形ある雲の上の世界に行こうとするものである。
雲が綿のような外見であっても、実際には「水蒸気の集まりを離れて見たときに形状が認識されるもの(雲の内部は霧同然)」であるから、綿のような触感や強度が無い。

梵天衆も仏も無瞋・無執着にして慈悲が有るという前提に於いて、同じようにする人が梵天"Brahmaloka"や浄土(仏国土"Buddha-kṣetra")に行け、転生できると説く。
長阿含經・卷第十六・三明經の要約: 梵天無恚心・無瞋心・無恨心・無家屬産業・得自在。 (現世で梵天に住して来世に転生できる比丘の行いについて慈悲喜捨の四梵住が明かされる) 於現法中而自娯樂。所以者何?斯由精勤、專念不忘、樂獨閑靜、不放逸故。彼以慈心遍滿一方、餘方亦爾…悲、喜、捨心遍滿一方、餘方亦爾。廣布無際、無二、無量、無恨、無害、遊戲此心而自娯樂。…梵天無恚心、行慈比丘無恚心。

※パーリ語句で梵天と行慈比丘の徳目はApariggaha (無執着) Averacitta (無恨心) Abyāpajjacitta (無瞋心) Asaṃkiliṭṭhacitta (不染心) Vasavattī (自在)…ヒンドゥー教のブラフマーは、仏教における多くのブラフマー(複数形の名詞)の中の一人であったものが単一のブラフマーとして崇拝されたものであろう。サラスヴァティー(弁財天)という妻を持つことは、漢訳に「無家属産業」とあるように釈尊在世のインドで認知されなかろう。顔が4つあることは千眼・千手観音のような智慧・慈悲を象徴するのかもしれないが、それも釈尊在世のインドに無かろう。「4つの顔に一つずつ有る口から4ヴェーダが説かれた」という発想も、後述する本経の三明"Tevijja = ここでは3ヴェーダの意味"より後世にアタルヴァ・ヴェーダ=元アータルヴァナが婆羅門たちに承認されて以後であろう。現存プラーナ文献におけるブラフマー4人の子(チャトゥルサナ)の一人であるサナト・クマーラसनत्कुमारは、パーリ仏典における梵天衆の一人サナンクマーラ"sanaṅkumāra"に相当する何らかの存在の派生形か。三明経はチャンドーカ"Chandoka"なるヴェーダ学派が示されるので、チャーンドーギヤ"Chāndogya"・ウパニシャッド7章に登場する人物サナトクマーラ"sanatkumāra"が釈尊在世にはブラフマー≒梵天往生を実現した聖者の一人として崇拝されていたと推定できる。例えば日本の民間信仰で、宗派の祖師・高僧を仏のように崇めることと似るか。ほか、マハーバーラタのサナトクマーラはパーリ仏典のサナンクマーラのように刹利種"khattiya, kṣatriya"が婆羅門種に勝るということを説き(MBh 3.183.22)、現存プラーナ文献のようなブラフマー4人の子の一人という設定は無かろう。

例えば、阿弥陀仏などの仏(非存在・非無存在)を見る方法を説いた般舟三昧経の行品(英訳: Sūtra of the Pratyutpanna Buddha Sammukhāvasthita Samādhi)でも、あらゆる事物(執着の原因)・二項概念(邪見の原因)を念ぜずに感情を捨てることが説かれる。
佛説般舟三昧經(全一卷): 菩薩よ、疾(はや)く是の定を得んと欲せば、常に大信を立てて如法に之を行じ、則ち得べき也。毛髮許(ばか)りの如き疑想有ること勿れ。是の定意法(意を定むる法)を名けて菩薩の超衆行(ちょうしゅぎょう・あまたの行を超えたるもの)と爲す。(ここから三字の偈)「一念を立てて 是の法を信ず。聞く所に隨い 其の方を念ず。宜く念を一にして 諸想を斷ずべし。 定信を立てて 狐疑すること勿れ。精進にして行じ 懈怠すること勿れ。起して 有と無とを想うこと勿れ。勿念進 勿念退 勿念前 勿念後 勿念左 勿念右 勿念無 勿念有 勿念遠 勿念近 勿念痛 勿念痒 勿念飢 勿念渴(渇) 勿念寒 勿念熱 勿念苦 勿念樂 勿念生 勿念老 勿念病 勿念死 勿念身 勿念命 勿念壽 勿念貧 勿念富 勿念貴 勿念賤 勿念色 勿念欲 勿念小 勿念大 勿念長 勿念短 勿念好 勿念醜 勿念惡 勿念善 勿念瞋 勿念喜 勿念坐 勿念起 勿念行 勿念止 勿念經 勿念法 勿念是 勿念非 勿念捨 勿念取 勿念想 勿念識 勿念斷 勿念著 勿念空 勿念實 勿念輕 勿念重 勿念難 勿念易 勿念深 勿念浅 勿念廣 勿念狹 勿念父 勿念母 勿念妻 勿念子 勿念親 勿念疎 勿念憎 勿念愛 勿念得 勿念失 勿念成 勿念敗 勿念清 勿念濁。(決して雑念を起こすな!修行を続ける・辞めるとか成功する・失敗するという事柄をも推し量ってはならない!もし雑念が起きればそれを自覚して執着せずに断て!また雑念を起こしたという我見に基づく失敗を最初から無きものとして素直に立ち直れ!という示唆)諸の念を斷じ 一にして念を期(ご)し 意亂るること勿れ。…」

般舟三昧經(全三卷): 意を定めて十方の佛に向く。若し定意あらば一切に菩薩の高行を得。何等か定意と爲す。佛を念ずる因縁より佛に向いて念意亂れざる(こと)なり。

※後に、須摩提"sukhāvatī"=阿弥陀仏国・安楽世界・極楽への往生のためには名を念ぜよという。一巻経の行品に「即ち問う。何の法を持ってか此の國に生ずることを得ん。阿彌陀佛、報いて言く。來生せんと欲せば、當に我が名を念ずべし。休息有ること莫(な)くば則ち來生するを得(う)」とある。ただし、三巻本などといった他の本に「名を念ずること」は見られない。チベット語訳のもの(འཕགས་པ་ད་ལྟར་གྱི་སངས་རྒྱས་མངོན་སུམ་དུ་བཞུགས་པའི་ཏིང་ངེ་འཛིན་ཅེས་བྱ་བ་ཐེག་པ་ཆེན་པོའི་མདོ། = 'phags pa da ltar gyi sangs rgyas mngon sum du bzhugs pa'i ting nge 'dzin ces bya ba theg pa chen po'i mdo)には「仏随念(sangs rgyas rjes su dran pa, *buddhānusmṛti)」を多く行えば阿弥陀仏国に生じると書いてある(སངས = sangsなどng部分は軟口蓋鼻音であってIASTのようにsaṅsと綴ってもよいようだがチベット文字ワイリー方式のラテン文字表記はまだ個人的な理解に不明な部分が多い)。そして、仏隨念によって「空三昧を得る」と説き、行品の最後には、当ブログ過去記事にも載る「仏を見ることで不来不去・三界唯心などを察して何事も見ず想わない=空を念じる」という話に至る。

なんと、この般舟三昧経の行品でも諸仏を「美女」に譬えて説く(漢訳は三明経に「端正女人」・般舟三昧経に「婬女」と呼ばれる)。
ラージャグリハの男が、ヴァイシャーリーに存在する3人の美女(ここでは3人おり美女を求める者が有名なアームラパーリーなどの名前のみを知っている設定)の噂を聞いて姿を見たことが無いのに欲求し、「夢の中で彼が美女と一緒にラージャグリハに同棲する」という譬喩が説かれる
インドの人々は梵天の姿を未だ見ずに名を知って憧れ、大乗仏教徒は阿弥陀仏の三十二相を未だ見ずに名を知って憧れる。
「眼で未だ見ていなくてもよい」ということを、般舟三昧経では「名のみ知られる美女を夢の中で見る」ということに譬えた。
雲の上の世界、見たことが無い美女、阿弥陀仏、といった事柄を考える。
その「夢の中で彼が美女と共にいること(異訳では「與彼女人共行欲事」とあり性交を行う)」のみを取れば、世俗でいう「煩悩による妄想行為」になってしまうが、あくまでも無執着で慈悲深い人が梵天に行くという説は釈尊の真意にとって「理想的結果(解脱など)」の形容であったり、大乗仏教で三昧で仏を見ることも、修行者の心の望みに応じて説かれた一手段に過ぎないこととなる(仏さまに憧れる人のためにはとても良い方便)。

梵天界は大変に幽かで奥深い処であり、「見ないことで見られる境地」といえる。
「見えなくても、あるんだよ。見えないからこそ、大事なんだよ。ほら見てごらん・・・(by 誰か)」
その信仰で、梵天・帝釈・四天王・浄居天(大自在天maheśvara)による仏法守護の意義も、第六天魔王による仏法壊乱の意義も成立する(みな非有非無・仮名・自分の心の出来事だから)。

死後に梵天・地獄などへ転生する、臨終に涅槃に入る、といった教説は、生前の故人を回想した我々のためにある。
死後の世界とは、あたかも飛行機雲のようである。
飛行機雲があれば、そこに飛行機が飛んでいたと推定できる。
綺麗な飛行機雲を見れば、「飛行機が無事に目的地へ辿り着いた=天・極楽に転生した(到彼岸)」と思うし、乱れた飛行機雲を見れば、「飛行機が墜落した=地獄に堕落した(堕地獄)」と思う。
実際に飛行機がどこへ行ったかは、断定できずとも、飛行機雲から推定できる。
釈尊は、亡くなった仏弟子につき、刀で自殺した跋迦梨ヴァッカリ尊者・瞿低迦ゴーディカ尊者を「識"pl: viññāna"が完全に消えて涅槃に入った(12)」と説くし、謀略を様々に実行した提婆達多デーヴァダッタ・僧団を乱した倶伽離コーカーリカを「直ちに阿鼻地獄へ落ちた(12)」と説くし、反対に提婆達多を「成仏して天王如来に成る(法華経・提婆達多品)」と授記することもある。

我々は、釈尊の柔軟な説法を聞き、自ら世相を見ることで現世の在り方を反省すると思う。
悟りの人は、生きながら梵天や無色界の浄居天"śuddhāvāsa"に住んでいるようなものであると知る。
釈尊の偉大なる飛行機雲は、慈悲によって久しく世に(永く夜に)輝き続ける。
ここにいらっしゃり、いらっしゃった、どこかにいらっしゃり、どこにもいらっしゃらないが、飛行機雲が確かに留まり続けて絶えていないと、仏道修行者は知る。
飛行機雲の行き先は往生と見るか?涅槃と見るか?成仏と見るか?輪廻と見るか?
はたまた、「都無」、最初から飛行機雲というべきものが無く、本来成仏していて寂滅なのか?
※中論によれば、目に見えるもの・認識できるものがどうであれ、分別しない状態を「涅槃」という(18:7偈25章全体などに説かれる・大乗では成仏の異名ともなる)。

諸々の仏弟子は銀河の星々のように、天の川のお星さまのように見える。
法華経の二乗作仏・悪人成仏・女人成仏・畜生成仏の説は、天の川を映すように見えた。
恒河沙とも言われる無数諸仏の国土がある世界観である。
仏日と称するよう、恒星を周旋する惑星でも小惑星でも矮惑星でも、仏に従う菩薩や二乗のみならず、人間でも天使でも悪魔でも地獄の人でも、十界互具・みな仏と等しく見えてくる。

※萌集記・イデオフォノトピア遊行の事にある「初会の後席(登場人物の過去世の話)」では、拾主が「輸提尼は輸提尼でない。聖者は聖者でない。私は私でない。過去世は無く、現世も来世も無い。此岸も彼岸も無い。だからこそ、あの過去世の出来事を輸提尼とも私とも称す。能耕心田師が本生経"jātaka"をお説きになった真意を拝すべきである。仏家の、いわゆる忉利天への転生や兜率天への上生や極楽浄土への往生の説も意義が深い。この世に生きて輪廻したはずの存在が、今は不可視の世界にいるとも言い、我々は不可視の世界に入ることができるとも言う。イデオフォノトピアは未だ清浄でないが、この輸提尼は彼の地においてすでに女人の器"strīlakṣaṇa"を持たない身の精霊として化生(けしょう)している」と語る。

般舟三昧系の経典(うち三番目の章=四事品・見仏品と呼ばれる部分)に、この偈があった。
(静まって雲も無い夜に空を見て…)
見彼衆星過百千 晝念明了亦無失 菩薩如是得定已 多見無量億千佛



【両経の説法の因縁・由緒】

まず、仏教文献学において「三明経」がいつ撰述されたか、私は不明とするが、釈尊滅後間もない第一結集の時としても以後数百年以内としても構わないつもりである。
小乗・阿含時の釈尊の教説そのものと信じる。
「般舟三昧経」についても、釈尊の教説そのものと信じつつ、いつ撰述されたか(いつ世間に秘密大乗の教えが経として流布したか)は、後々の注釈に譲り、釈尊滅後500年(歴史学的に西暦1世紀ころ)としても以後数百年以内としても問題は生じない。

「三明経」の対告衆は、婆羅門(バラモン・ブラーフマナ)の人たち(婆悉咤=ヴァーセッタ、頗羅墮=バーラドヴァージャ)であり、パーリ語のものの最後に釈尊に帰依して「優婆塞=在家信者」となるシーンが示される。
「般舟三昧経」の対告衆は、在家菩薩とされる「颰陀和(ばつだわ・バドラパーラ"Bhadrapāla"、訳名は賢護・善守)」および他の在家菩薩が主である。
両経の対告衆は、「在家(比丘僧団に所属しない)」という点で共通している。

※三明経のバーラドヴァージャ(誤字でバーラドヴァーシャ)は、スッタニパータ1章4経の「田を耕すバーラドヴァージャ(漢訳雑阿含経の耕田婆羅豆婆遮)」や1章7経の「火に事(つか)えるバーラドヴァージャ」と別人であろう。相応部の婆羅門相応にバーラドヴァージャ姓の人が多数出る。同3章9経中部98経にもヴァーセッタ・バーラドヴァージャが登場するが三明経の異伝かもしれない。長部27経では彼らが既に出家した後のストーリーとなる。一方、般舟三昧経のバドラパーラは五戒(在家信者の基本的な戒)を保っているそう。大智度論巻第七にも摩訶般若波羅蜜経より居家菩薩十六士の首・跋陀婆羅として紹介される。伝教大師最澄も山家学生式で法華経に関連してそう紹介する。全三巻の方の般舟三昧経の請仏品(および賢護経=大方等大集経賢護分の具五法品)には、彼らが仏・僧へ、供養(布施)をしたいので家に来られるようにと申請するシーン(我欲請佛及比丘僧明日於舍食、願佛哀受請。)がある(その後は恐らく翌日に颰陀和の家に仏・僧が多く来るが維摩経の不思議品のように神通力で家が大きくなる)。

三明経は序盤に於いて、自分たち婆羅門の三明(ここでの三明とは3つの聖典ヴェーダ"veda"とか3つの学問"skt: vidya"ヴィドヤorヴィディヤもとい"pl: vijja"ヴィッジャのことで一般的な三明=3つの神通力のことでない)に通じた師匠が示す「梵天に転生する方法(聖典に基づく祭祀儀礼などか)」について見解が分かれたので、たまたま近辺に訪れていた世尊=釈尊に尋ねることを決めたという。
つまり、釈尊在世に「誰も見ていない・会っていない梵天」に会う手段を言い争う婆羅門がいたことを示す(パーリ三明経の梵天は人格"Brahma"のようだが漢訳三明経の梵天は場所の名"Brahmaloka"に意味を限定するようである)。
釈尊は、三明婆羅門たちの「雲をつかむような梵天へ転生する方法」への執着を解いた。
最終的に「無執着・無瞋で慈心の堅固な比丘(漢: 行慈比丘無恚心無瞋心無恨心)が死後に梵天に生まれる(漢: 生梵天上 巴: brahmuno sahabyūpago...)」と説くので、彼ら婆羅門の人たちは歓喜したのである。
般舟三昧経が説かれた経緯も、もしかしたらば「誰も見ていない阿弥陀仏"amitābhā"・行けない須摩提"sukhāvatī"」を求めて煩悩まみれの生活をする在家信者がいたことによろうか?
太古のインド(または中央アジア)の情景が浮かぶ思いである。

※阿弥陀仏については、ただ単に経の中に引き合いに出されただけで、当時の在家信者は釈尊か最古の仏国土思想と名高い阿閦仏(東方の善徳仏)を求めていた可能性もある。経のスタンスとしては「三昧ありて十方諸仏悉在前立と名づく (中略・諸事を念ぜず四念処に相当する想念を持て) 是の行法を持ちて便ち三昧を得、現在諸仏悉く前に在りて立つ(一巻般舟三昧経より)」とあるよう、他の諸仏を対象とすることも可能であろう。しかし、主要な所説に阿弥陀仏が引き合いに出されたことは別に意義を感じさせる。

般舟三昧は、三明経の所説を改め、在家信者に明示した大乗仏教の修行法であろう。
その方法は、先の引用箇所にあるような小乗・阿含時から継承された質実な三昧の手法であり、なおかつ「仏を見る」という点に特化して三十二相・八十種好を念ずる必要性も説く。
主要な対告衆が颰陀和という在家菩薩とされる人物であることも、大いに納得できる(彼は先述の煩悩まみれの人・三明婆羅門でなく在家の模範として五戒を持っていたろうが)。
三明経の修行法は在家婆羅門に与えられ、般舟三昧経の会座では多くの仏弟子・天人が聴聞するとも、主に在家菩薩8士へ法が説かれる。
般舟三昧とは、三明経所説・梵天への転生を、仏教の立場で説いた修行法であった。

諸法は空で不可得とはいうが、それを善く説く仏教に依れば、雲をつかむことも実現できる(いわゆる手捫日月という神変・神足通など)。
仏も本来は無相(非無相とも)・寂滅ではあるが、龍樹菩薩の大智度論に「(無相は難解な第一義諦であり)世諦の故に三十二相を説く(巻二十九)」と説かれるよう、仏教徒は三十二相がある仏の存在を信ずべきものである。
現代においては、好色萌相(詳細は私による萌相三十儀)として萌え絵の意義(歓喜・浄信・離欲を促進する)を整えた上で萌えキャラと出会って心身が融通・相応する「萌観」もある。
こうした「仏・萌えを観る」という修行の利益・果報の説示は、詳細を観萌行広要に預ける。
ほか、イデオフォノトピア遊行の事・初会の後席にある輸提尼(ソ○○○ニーちゃん)のイデオフォノトピア往生は、彼女が淫欲や愛憎や自他への恨み(怨み)を捨てて目の前の「聖者」の姿や名を念じて救いを求めたことを因縁としており、般舟三昧・極楽往生の説に似る。

※文献学では、経文中の授決(予言)として「般舟三昧は仏滅後四十年で行う者がいなくなり、世が乱れて仏教が絶えようとする時に仏の威神が経として復活させる。それを聞いた颰陀和など八人の菩薩が(輪廻などして)実現することを誓った(三巻般舟三昧経の取意)」や、「般舟三昧は仏滅後四十年間は広く行われる(そして止む)。五百年後の一百年間に正法が滅び比丘が悪を行じ諸国が相伐(う)つ時に善根のある衆生が再び般舟三昧を得て世に流布する。それも仏の威神による(賢護経の取意)」とある記述に基づき、釈尊滅後500年以上が経過してから撰述されたとする説が認証される。つまり、般舟三昧経を撰述した在家の人か大乗の僧侶かが、自ら颰陀和(賢護バドラパーラ)・羅隣那竭(宝徳離車子ラトナーカラ、離車リッチャヴィの人)に擬して現実のインドに流布しようとしたとするか在家の人に勧めようとしたとする(参照: 昭和9年訳経解題・平成24年某年報61号)。

※般舟三昧は本当に在家の人々のための修行法か?断定しづらい側面も多い。天台宗の四種三昧は摩訶止観に説かれるが、90日間阿弥陀仏の像を周り歩く「常行三昧」が般舟三昧経の四事品(賢護経で三昧行品)に説かれる意義を踏襲しているようである。4種類の四事(全16項目)を説いている内の2周目の四事にある。すなわち一巻本の四事品に「菩薩有四事法、疾逮得是三昧。 (中略) 二者、不得睡眠三月、如彈指頃。三者、經行不得休息三月。除其飯食左右。」とあり、三ヶ月間も眠らないようにしたり、食事の時以外は歩き続けて休まない(三巻本では臥すな・坐るなとあって摩訶止観の表現と似る)ようにするという。一般的な在家生活では非常に困難となるので、世俗を厭離して日本で実際に行われてきた比叡山延暦寺くらいの深山で精進せねばならなかろう。しかし、跋陀婆羅菩薩くらいの方には、この三昧修行が開示されてもよかったと思う。あるいは四事が4種類あるから、各人が持ちやすい行法1種を選択するように説かれたか?なお、萌えの法門では本萌譚・異伝③に、「過去萌尊の一人がどう萌尊と称される境地に達したか」を示すにあたり、世事に追われていたある人物が他者の「可愛相」に憧れたので時間を確保して夜明け前から日没まで集中して「可愛相」を見たことが第一段階として示されている。私としては、萌えの法門であっても九十日や三月の三昧行を示そうとは考えられないし、実に口にしがたく畏む。再建語 *tricandra (*trimāsa ? pl: temāsa)-caraṇa *sadācaraṇa



起草日: 20170828

例の通り、本文中の記述に対する補足(余談)↓

本文中、『般舟三昧経が説かれた経緯も、もしかしたらば「誰も見ていない阿弥陀仏"amitābhā"・行けない須摩提"sukhāvatī"」を求めて煩悩まみれの生活をする在家信者がいたことによろうか?』と綴った。
その時、「ちょうど煩悩具足を謳う浄土真宗のような状態に似る」とも思ったが、当然、親鸞さんの教えに託けてそういう「積極的な破戒・無戒の人」もいるであろう、という程度の意味である(元は摧邪輪などから非難された法然さんの教えによることもある)。
本地が観音さまという親鸞聖人信仰から見れば、親鸞さんの言いたいことは、清浄萌土抄に寄せた「余談」にも暗示するよう、「素直な信心による真の絶対他力=絶対自力=他力即自力=非自力非他力」となり、それによって自ずと心が浄まり、身口意の三業が制御されるという理論が成り立つ(もちろん普段から僧俗無別に女房と淫行・飲酒をしてよいとするのだろうが)。
一心(刹那一念の心法"ekacitta"でなく世俗的に見て長めの時間の心)に阿弥陀仏を思うわけだから、般舟三昧経の行品に説かれた第二段階の修行法(観仏)に通じる。
かえって難しい修行であり、「修行不要論」扱いを受ける天台本覚思想や華厳法性思想(中国以後の華厳教学)や左道密教(真言宗立川流)の方が「易行」かと思う(伝統的な天台・華厳・真言はやはり聖道門として難行認定を受ける)。

素直な心、直心(じきしん)、柔和質直(にゅうわしちじき・・・自我偈に説かれる仏を見る心)。
キリスト教の聖書にあるという「富める者が神の国に入ることよりもラクダが針の穴を通るほうがたやすい」という比喩や「戒律を守る者が神に持戒自慢をして救われなかったが、戒律を守らず世俗に生きた者が心から祈って神に救われた」というたとえ話(十二部経でいうウパマーではなくアヴァダーナにあたる)と同義となる(前者はLuke 18:25、後者はLuke 18・・・どっちもルカによる福音書18章だったとは!)。
暴れないラクダさんは、神の不可思議な力用によって針の穴(人が思うような10cm未満の小さい針ではない)を通り抜けるように神の国に行くと思われる(=阿弥陀仏に救ってもらう?)。
方便の化身・愚禿(ぐとく)親鸞の身は阿弥陀仏国土・西方極楽世界について「この世の彼方に実在するもの」と本心で想っていようが、本地・観音菩薩は「唯心・非有非無・真如非如」と考える(仮にも比叡山における止観業などの資格を有していた親鸞は二空の理や往生要集に載る般舟三昧の意義を理解していたろう)。
それは一神教のヤハウェ・アッラー・神の王国"Regnum Dei, Βασιλεία του Θεού"の真実(空・唯心・非有非無・方便譬喩)にも通じている(神による天地創造も無始無終の言い換え。ムハンマドさんもそういう理解があったと仏教徒の見地では推定できるがイスラーム世界では負の一面が強く受け止められて実体視する精神が強いために唯一神のことは闘争・戦争の原因となりやすい。現代カトリックに見るヒューマニズムとか平和主義はイスラム教に困難)。

伝統的な仏教の逸話にある、朱利槃特尊者(チューラパンタカ"Cūḷapanthaka" チューダパンタカ"Cūḍapanthaka")の修行法「掃㨹(そうえ?そうすい?、掃くホウキを指す)」も、「素直な心による修行」の一端となる。
掃㨹修行とは、いわばルーチンワークだが、言葉が覚えづらく他の人と同じ戒を守れないながらに素直な信心ある尊者が、悲嘆に暮れる折に釈尊から教えられた「簡素ながらも賢げな人々には極めて難行」となる「易行」である。
増一阿含経では、その掃㨹修行を「掃(掃く)・㨹(ホウキ)」と唱えて行う中で、思惟(主に四念処か)の徳を発揮し、梵行を成就する。
そうして朱利槃特尊者は、阿羅漢と成ったと語られる(十六羅漢にも列なる存在)。
漢字でいう二字の経「掃(掃く)㨹(ホウキ)」すら苦労して覚えた「鈍根の愚者」は、かえって速やかに菩提を得た「利根の賢者」となる。

恐ろしい!易行即難行・難行即易行、鈍根即利根・利根即鈍根、愚者即賢者・賢者即愚者という不二法門を暗示せられた周利槃特菩薩!
彼の得道は、鈍根即利根というよりも鈍根も利根も平等に得道するという教理によるべきか。
覚えやすくて単純でも、素直に行えば往生などの目的が実現できるので称名念仏などが「易行」と名付けられるのであるが、実際にそれで目的が実現できるかは用い方次第であることは釈尊や龍樹菩薩が中阿含経の阿梨吒経パーリ経蔵・中部22経や中論24章に「誤って捉えた蛇に噛まれて苦しむ⇔うまく捉えた蛇を利用する」と譬えるようである(過去記事に説明)。

なお、パーリ経蔵・小部・テーラガータージャータカでの彼は、襤褸衣で拭き掃除を行う中で禅定の三昧"Samādhiṃ"に入ったとし、三明"Tisso vijjā"神通力を獲得して1,000体の化身を作ったことが示される(漢訳経典では増一阿含経九衆生居品9経に彼が何かを化作する記述がある)。
ほほう、三明"Samādhi"、三昧"Tevijja"って、記事タイトルにも書いてある言葉だ。
頭からケツまで三明・三昧!
当記事【因縁】の項目中に注釈を済ませてあるよう、尊者の「三明」は3つの神通力の方を意味しているので、三明経の三明=テーヴィッジャ"three vijjas, three vidyas, three vedas (三ヴェーダ)"と意味が異なる点に注意されたい。

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