2017年5月21日日曜日

仮名文字は仮に名付ける為に・・・さ行表記と拗音・破擦音の関係、唐音「茶(ちゃ)」の検証

すす すず 種種 すさう すざう 衆生
「種」、「衆」は現代ピンインで"zhong4"のように古代中国でも破擦音・2モーラ(日本語相当)であった
→日本は1モーラの「しゅ"shu, syu, sju"」として受容し、平仮名・片仮名は江戸時代以前に「す」と綴った


前回記事関連(承前のこと)

仮名(かな・カナ)表記で拗音表記や濁点・半濁点が無かった時代(江戸時代以前か?)、文書に「すす(すゝ、スス)」と平仮名(片仮名)で書いてある場合、人々は文脈に合わせて「しゅじゅ・種々・種種 "Shuju, Syuzyu"」と読んだろう。
私が確認した鎌倉時代の仏教の僧侶の文書・当時の書簡に、そういった仮名表記が見られる(参考: 日蓮聖人真蹟・種々物御消息、ほか日蓮大聖人御書全集 全文検索"すずの")。
僧侶自身は難しい漢字を読み書きできても、紙が不足している状態にあれば筆で緻密に書く際の視認性を考慮して仮名文字で略記するし、識字率の低い時代に読み手が一般庶民・在家信者であれば考慮して仮名文字の表記を用いる。

難しい漢語を仮名表記した例は、「ひるさな(びるしゃな・毘盧遮那)」や「すりはむとく(しゅりはんどく・修利槃特・・・""の字の中古音や韓・粤語発音は韻尾-mではないがあの時代は仮名"ん・ン"の発音と文字表記が普及していないためか)」などである。
鎌倉時代など、仮名表記が本当に「仮」という感覚で用いられた時代には、口の発音に則していない状態ではあったろうが、読み手は「すす」といった便宜的な表記から「しゅじゅ・種々」を連想したと考えてよい。
これら一部の漢字語句カナ表記における「さ=しゃ」、「す=しゅ」といった発音は口伝されて江戸時代辺りにようやく拗音表記が生まれ、現代まで漢字音の拗音読みがもたらされたと考えてよい。
明治時代になっても拗音表記が出来ていない場合、文字を文字通りのまま読む風潮が生まれ、現代にはシャ行発音が口語・俗語・方言以外では命脈を断たれていたであろう。
後述する、本来日本にあった「チ="ti"ティ、ヰ="wi"ウィ」という表記・発音が、外来語の仮名表記ために拗音表記として生み出されることが有り得るくらいであろう。

なお、「種」という字は、記事本文にある「良」のように、軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が韻尾の漢字と同じく、2モーラ化していない「しゅ」という読み方で普及した字の一種である。
現代のピンインでは"zhong (チョン、条件によりジョン)"と書かれるよう、本当は日本でも「しょう・しゅう」という2モーラの発音がされるべきであったろう。
「良」の「ら」という読み方は、現代の国語学だとかでは正当な漢字音・呉音・漢音とみなされず、伝統的にも仏教用語などに見られないが、「種」の「しゅ(す)」という読み方は「種々」に見るよう、古い時代から正当な発音として現代まで伝わっている。

その一方、仏教用語の一部には「種子」を一般的な「しゅし」と読まず、「しゅうじ」や、「しゅじ」と読むこともある。
「しゅうじ・しゅじ」とも、軟口蓋鼻音の影響で連濁したもの(鼻音連濁・過去記事)となっている。
「しゅじ」のみならず、「種々・しゅじゅ」については、2モーラ目"う"が残らない字でも「功徳"くどく kong tok, kong dok"・恭敬"くぎょう kong kieng,  kong gieng"」のように「隠れ軟口蓋鼻音」の連濁が発生している。
このように現代では2モーラ目"う"が省かれた字でも、本来は軟口蓋鼻音の韻尾が存在し、そのために連濁したものと分析せねばならない(「何となく連濁した」とか「訛って連濁した」とか「語感をよくするために連濁した」とかという経緯ではないということ)。
※「衆(眾)」という字も、現代のピンインでは「種」と同じく"zhong (チョン、条件によりジョン)"と書かれる文字であり、また呉音も「種」と同じく「しゅ」が多く、「衆生(しゅじょう)」という場合は、やはり軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が韻尾である影響で連濁が発生している。衆生は、「すす(現代校正: すず)」表記に則った場合「すさう (すざう、現代校正: すそう・すぞう)」となる。恵信尼消息に見られる

ほか、「ひるさな(ヒルサナ)=毘盧遮那(毘盧舍那・びるしゃな)」を例に取ったが、これについての一考も記す。
毘盧遮那とは、梵語・サンスクリット「ヴァイローチャナ"Vairocana"」の音写語句である。
弘法大師空海さん・慈覚大師円仁さん(ほかに禅僧?)など、中国に渡って中国語や梵語発音を聞いた人は、便宜上「さ」という仮名表記や相当する漢字を用いることがあっても、口頭では臨機応変に「チャ(破擦音系統)」と発音した可能性がある。
真言・陀羅尼・咒といったものの発音は、梵語の発音を知る彼らが梵語に近い発音で唱えないことは考えづらい。
現代、カタカナ表記をカタカナ表記のまま唱えれば光明真言の「ベイロシャノウ(べいろしゃのう・びろさのう・びろしゃな...)」という、「ヴァイローチャナ"Vairocana"」とは全く異なる発音をしかねないが、実際は当時の人々の間で、もっと梵語に近い発音がされていた可能性もあろう(推定: ベイロチャナ)。
後の日本国内で流布したものとしては、既に中国語や梵語といった原語の発音から遠ざかっていたかもしれないが、一部の大寺院の僧侶や、実際に大陸へ渡った僧侶は、奈良・平安・鎌倉時代の日本語にはない「チャ」の発音を「さ」に相当する仮名表記や漢字から発音していたと考えてよい。

※梵語発音の受容については過去記事(2016年12月12日投稿のもの)で「達摩・達磨"Dharma"(だつま・だるま)」を例に挙げた。http://lesbophilia.blogspot.com/2016/12/dharma-sanskrit.html



歯茎音グループの仮名表記における関連性

さ行=歯茎摩擦音 "s, z"
た行=歯茎破裂音 "t, d"
しゃ行(古来仮定さ行)=歯茎硬口蓋摩擦音など "sh (ɕ, ピンイン: x)"
ちゃ行(古来仮定さ行)=歯茎硬口蓋破擦音など "ch (ピンイン: j, q, zh)"
その他・・・つぁ行=歯茎破擦音 "ts"、中国音韻ではちゃ行"ch"の祖である場合がある

文字とは記号であり、仮名"kana"とは読んで字のごとく仮の表記である。
当時においては「文脈や話の脈絡から機敏に異なる発音を選んでいた」と、古人に対する信仰心も相俟っているので、こう推量している私である。
「チャ」の発音について、いくらか古い時代の日本には民間的にされなかった可能性を示唆したが、例えば「」の「ちゃ」という音は、いわゆる唐音(唐宋音)という、中国が唐そのものでなく宋や元である時代以後、日本に伝来したものと見る(日本Wiktionaryの人が閲覧した辞書は慣用音として載せているが編纂者・学者の浅い見解や未完成の学説によるか)。
それ以前の時代の中国に「ちゃ"cha"」発音がある場合は、唐音表記とされる「さ」に通じている。
いいや、この「さ」に相当する仮名表記・表音漢字が古文献に載っているのであり、先述の通り、当時の人々はその表記を頼りに「チャ"cha"」の発音をしていたと理解すべきである。
「ひるさな=毘盧遮那=梵語のヴァイローチャナ"Vairocana"」といった例など、証明する根拠は極めて多い(なにせ仮名の拗音表記が無い時代だもの!)。
「遮断する」の「遮」という字も、現代日本では「しゃ」と発音しているが、中国語・広東語・朝鮮語など、みな"ch"系発音であり、"sh"系発音が全く見られないことから推して知るべきである。

」の字の話に戻すが、「茶」が頭子音"t, d"の発音の時代(現代中国でも閩南語"te"など方言に残る)においては「だ(漢音)・じゃ(呉音・歴史的仮名遣いは"ぢゃ"なので現代的に"でゃ dya, dia"と表記すべき発音である)」として伝来したようである。
英語"tea"の語源としての「茶」は、"cha"でないし、"さ・sa"であるはずは到底有り得ない。
「茶」が頭子音"t, d"の発音の時代はあり、かなり古層であろうが、そこから歯茎破擦音系統"ts・つぁ"および"ch (ピンイン: j, q, zh)・ちゃ"に変化したということが転訛の法則からして理に適う。
後にどう変化しても日本に頭子音"s"発音で伝来することは無いと考えるべきである。
※禅僧などがある時期に中国の一部地域を往来した際、その時その場のみが茶を"s"で発音することも無い。唐宋音、鎌倉時代のものはどうか・どのような文献に記録が有るかは不明である。例えば12世紀に入宋した栄西さんによる「喫茶養生記(通称の読み: きっさようじょうき)」の19世紀の写本に「हूं ウン("hūṃ"吽・フーム)」の梵字・カナ表記などがあっても、「茶」の字音表記は見られない。以後の項目に「一茶名字(一に茶の名字)」として爾雅が引用されるが、言葉や植物の説明が主要であり、反切などの音韻・字音への言及は無い。

」という字が上古音・中古音では"t"行発音であった説が多く、現代日本の「ちゅう"chu"」、現代中国の「チョン"zhong"」、現代韓国の「チュン"jung, chung"」と発音される原型は字音仮名遣い「ちう"tiu = ting, tiŋ"」であり、バクスター・サガール式(以下、BS)でも鄭張式でも王力式でも/*truŋ/, /*tuŋ/, /ȶĭuŋ/として"t"系の字が用いられる通りである(という字も全く同じ頭子音の変化が生じた)。
字音仮名遣い「ちう・チウ」とは、現代のカナ発音を考慮して表記し直すと「ティウ」である。
よって、もし1000年前の日本人が「ロマンチック」や「ビルヂング」という表記と見たらば、小さいツやチの濁点を理解させれば必ず「ロマンティック」や「ビルディング」と英語に近い発音をしたであろうと言える。
「チ"chi, tsi"」、「ヂ"zi, dzi, dji"」、「ツ"tsu"」、「ヅ"zu, dzu"」といった発音は転訛の一種であり、江戸時代~昭和時代に成立したであろうかと思う。
西洋言語で例えると、ラテン語"gratia"が古典発音のグラーティアでなく、俗語・教会発音のグラツィアであるようなものである(教会発音は聖歌Veni Creator Spiritusの音声で聴かれる)。

※"ts, ch"等の歯茎破擦音のさ行表記の例として、「(淸、呉音しょう、漢音せい)」という字は唐音で「しん"shin"」というが、現代中国語では「チン"qing, ching"」であり、これも伝来時の唐音は「しん」と表記したとして実際は"chin"発音だったろう。「日清(にっしん)」とか江戸期前後に禅宗系が伝えた「清規(しんぎ)」なども、"shin"発音や"sin"発音がされるはずは無く、"chin (元はching)"発音である。明治のころに日本に名がはっきりと伝わった「青島(青は清の字の音符)」が"チンタオ"と仮名表記されたことは、近代化によって正しく伝わった点と、た行い段の「ち」が"ti, tsi"から既に大方"chi"に移行したためである。「清」の字もまた上古音・中古音では"t"発音であった説が多く、鄭張式が"s"発音ではあるが、現代中国・朝鮮・ベトナム発音に"s"発音が無い通り、少なくとも唐音は、ツィン・チン"tsin, chin"として伝来して「しん」を仮名に当てたろう。

辞書に載るとされる「さ」という唐音表記は、やはり「記号」として古人がスペリングしたものであり、まさに「仮名(kanaならぬケミョウでもよい・仏教思考と同じで浅い物事を頼りに深い物事ひいては実相を知る)」である。
例えば「小林一茶(こばやしいっさ・1763-1828)」という江戸時代の文人・俳人がいるが、彼が実在した時代に「いっさ"issa"」という発音が実際にされたとは考えづらいし、実際にされたとしても、「茶」という漢字が「さ」と仮名表記されても、そのような発音を伝来して表記を考案した人と周囲の人間・同時代の人々は「チャ」と発音していたと考えられる。
無論、「小林一茶」という人物がいた時代の知識人たちが、「チャ」発音並びに「いっちゃ"iccha, itcha"」という呼び方をしていたかは不明である。
江戸時代中期・後期となっても、そのように正統な「チャ」発音が口伝されていたか、当時の国学などの文献は未検証であり、判断が困難である。
江戸時代中期・後期は「日本語の乱れ」が顕著化してきた時代であるし、「小林一茶」という人物は当時から「いっさ"issa"」と呼ばれてもおかしくなかろうし、かえって「いっちゃ"iccha"」と読むことが「慣用音・転訛・百姓読み」と笑われる可能性が高い。



別件

中古音・上古音・広東語などで鼻濁音・軟口蓋鼻音"ng, ŋ"が頭子音(韻頭)となっている漢字音の受容に関し、当メモ起草の前日である3月10日に少し考えたことがあるので、記したい。
この漢字の例は「我・義・呉(誤)・原(願)・厳・崖・言・吾(語)」などがある。
いずれも、現代中国の普通話・ピンインでは頭子音が"-w"や"-y"に変わり、そもそも頭子音がない例「崖"ai"(癌"ai"という中国の現代医療における発音の由来でもある字)」などもあるように、すっかり別物に変質している。

 = wo (nga)  = yi (ngi)
呉() = wu (ngu, nga)  = yuan (ngan)
厳() = yan (ngam)  = ai (nge, またはngre)
 = yue (ngat)  = ye (ngap)
 = yu (ngrok)  言語 = yan yu (ngien'ngio, またはngan'nga)
※軟口蓋鼻音のIPA記号"ŋ"は環境依存文字である点を考慮して"ng"に置き換えた。介音として用いられる"r"は"i, j, y"系統と同じような作用か、ふるえ音もどきの作用があろう。

これは韓国語・朝鮮語においても同じ現象が見られる(漢字音の伝来時からかは不明)。
ベトナム語は、ローマ字表記を見る限り、いずれの字音もしっかりと鼻濁音が残っている。
一方、日本では、いずれも頭子音が"g"であり、ガ行発音(現代は鼻濁音で発する世代と発しない世代が混在)のみで残っている。
これら頭子音"ng"漢字の伝来当時は、鼻濁音・軟口蓋鼻音(カ゚行・半濁音のカ)が専らに用いられ、カ行の濁音として発声するガ行発音とは区別されたと推定する。
よく言われる、伝来当時と推定される上代・古代の日本語は、特定条件による連濁しか濁音が発声されないためであり、鼻濁音"ng"は漢字音のために使い、連濁由来のガ行発音"g"とは区別していたという理由がある。

そして気付くことは、中古音などで、頭子音を軟口蓋破裂音の類"k, g"と発音し得た漢字が、やはり日本漢字音でも、カ行とガ行の清音・濁音の別が共に発音(仮名表記)されている。
現代のピンインにおいて頭子音が軟口蓋破裂音の類の漢字は、"k, g"のみならず"j, q"といった表記が見られる。
鼻濁音グループの漢字「我・義・呉(誤)・原(願)・厳・崖・言・吾(語)」の発音と、軟口蓋破裂音類グループの漢字の連濁などの条件で濁音化した漢字「(主に仏教)歓喜(かんぎ)・三界(さんがい)」について、現代の日本人は一様に、アナウンサーだとか高齢者と言われる人が鼻濁音"ŋ"で発するか、若い世代と言われる人が有声軟口蓋破裂音"g"で発するだろうが、元の漢字音はかなり別物として区別できる。



また、現代のピンインにおいてガ行・カ行発音でも特殊なグループは「幻・玄・古」などの字である。
なぜ日本語ではガ行・カ行発音となっているか、解明しよう。
「幻」は、現代のピンインにおいて"huan (粤: waan)"など摩擦音の子音(h, w)で綴るが、上古音などでは"g (鄭張: gren)"が頭子音であると推定されている。

「玄」は、頭子音"h"が韓国語"hyeon"やベトナム語"huyen"に見られるのに対し、現代ピンインにおいて"xuan (粤: jyun)"となるよう、"x"が頭子音という謎の変化を遂げている。
上古音などでは、やはり"g (BS: gin, 鄭張: geen)"である。
ピンインで頭子音"x"は、口頭だと"sh"シャ行発音(厳密には歯茎硬口蓋摩擦音)に似るが、本来"hs (ウェード式のローマ字)"という綴りもできたものであり、実際に中国音韻の変化法則からも"sh"よりは"hs"の方が合理的である。
それをピンインで"hs"でも"sh"でもなく"x"と綴っているが、この"h"は軟口蓋摩擦音(日本では声門摩擦音)の流れからして軟口蓋破裂音"k"と親和性があり、「夏(カ)」が現代中国普通話カナ表記で「シア」と呼ばれるピンイン"xia"であるように、"ka→ha→hsa, sha, xa→xia"という音韻変化が想定される。
あるいはX字形の文字としてキリル文字の"Х(ハー)"の音価が"h, f"に通じており、ギリシャ文字"Χ(カイ)"においては"kh (古代にk有気音)"→軟口蓋摩擦音である。
ラテン文字で"x"といえばエックス・エクスな文字であるが、その場合の源流はキリル"Х"・ギリシャ"Χ"ではなく、ギリシャ文字の"Ξ, ξ(グザイ・クサイ・クシー)"であり、音価は"ks"である。
これらの要素により、"ks"を"hs"に変えてピンインでも"x→ks→hs"といった関連付けができる。
話が逸れたが、こういった文字・音韻理論の観点で「夏」に関しては"hsia"と綴るべきであり、"玄"も"xuan"ではなく"hsuan"の方が、「幻"huan"」と同じ頭子音"g"音が由来であると推定しやすくなる。

ピンイン作者(周有光氏は2017年に111歳でお亡くなりになった)は、つくづく、不可解な発想をしたように思う(そもそも"Pinyin"という表記が「拼」という字の并という音符の韻尾"-ng"に相違して"g"を省くという過失がある・今は既成事実化してみな"ping"より"pin"と発されていよう)。
ピンインで頭子音"x"のものは、「玄・シェン"xuan"」のような説明がつけられるものが多いとよいが、先例の「夏"xia"」のみならず「小"xiao"」など、上古音・中古音時代が単なる"s"や"sh (sy, sj, si...)"だったものも多く混ざっており、古い音の想定に不向きで、理に適っていない。
頭子音"x"で"sh"発音とは、外国語圏からしても、奇怪な翻字・転写の手法だと思われよう。
あえて共産主義・合理主義・効率重視のために二重子音を嫌うならば、"zh"という奇怪な二重子音表記も無くして"q (ピンインではchと似た発音)"に統合すべきだったろうに、と思う。
話を戻そう。

「古」は、現代のピンインにおいて"gu, ku"と綴られるが、どういうわけか、これを音符に含めている「」については現代のピンインにおいて"hu (粤: wu)"と綴られるような発音に変化している(これは実際に"h"発音という裏付けが胡徳"Hood"や聖胡安"San Juanサンフアン"という語句にある)。
しかし、上古音で「胡」は言うまでもなく"g (BS・鄭張: ga)"が頭子音であると推定されている。
※「胡」が頭子音"g"と推定するのに「古」の方は"k (BS・鄭張: ka)"が頭子音と推定している。

この形成文字の「胡"hu (粤: wu)"」と音符の「古"gu"」の関係と似ている漢字の例として、会意形成文字の「"han (粤: ham)"」と音符の「今"jin (粤: gam)"」が挙げられる。
頭子音"h"が後の時代の訛りである例を、「胡」と「古」の関係や「含」と「今」の関係に検証した。上古音や中古音の学説を確認する前から、過去記事でも記したように梵語の音写「阿含・アーガマ"āgama"」や「阿那含・アナーガーミ"anāgāmi"」などに見られる通り、いくらか古い時代の中国で頭子音が今の"h (粤語w)"ではなく、"g"や"k"であると想像が付く。

ところで、当該記事に「好・海・韓(漢)」など、日本の呉音・漢音で頭子音"k"(カ行発音)として現代に伝わる漢字の一部は、古くから大陸で"h"であって上代・古代日本にその音韻が無かった学説に対比して記した(今のハ行は中世にファ行とか上代・古代にパ行と言われ、実際に朝鮮語や中古音の"p, b"という両唇破裂音類の漢字がみな現代はハ行・連濁バ行・連濁パ行で発せられている)。
もしかしたらば、これら"h"発音の「好・海・韓(漢)」が伝来した当初の日本人は自分たちに無いながらも漢字音のために"h"発音をしていた可能性もある。
そう仮定すれば、万葉仮名や後のひらがな・カタカナなどが用いられる時代には、「好・海・韓(漢)」などへの"h"発音を再び失っていたと考えられよう。
日本の中では、ごく一部の者が、大陸に渡ったり、大陸の人間と交渉する時のみ発音したろう。
※阿弥陀仏・観音菩薩の種子にキリーク(キリとも)というものがあるが、元の梵字によるラテン文字IASTは"hrīḥ"であり大日経の茶吉尼ダーキニーの真言にも摩訶"mahā"の訶"ha"を用いて「訶唎訶(厳密には訶二合で去声・長音・上声といった発音の特徴が示される)」がある。日本の過去の真言僧はキリークと書いて"hrīḥ"やह्रीः(デーヴァナーガリー表記)相当の発音をしたろうか?弘法大師サマの肉声相承はどこまで続いたか?



起草日: 20170311

当記事は、元々「日本語カナ読みと漢字音韻の雑なメモ」と題して5月10日投稿記事の後書き以後に載せるつもりでいた。
しかし、その記事が投稿される以前の2017年4月9日、内容が充実してきたり、別個の価値を感じられた経緯から、今回の記事として独立させる案を決定した。



後年の追記:拼音、ピンインは音韻的な区別ができるようにしたうえで、英語で用いられる ABC ... WXYZ ラテン文字のみで母音と子音を表記できるようにしており、なおかつダイアクリティカルマークで声調、トーン、四声を示すが、初期のコンピューター文字コードにない環境依存文字になることを回避して数字が代用できるなどしている。



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よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

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