2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2014年11月11日火曜日
最近の片手なべ料理
10月31日 普通のラーメン+具材
食材 即席ラーメンと卵1つと豚肉・もやし
調理の流れは説明を割愛。
11月10日 思いつきチーズリゾット(おかゆって言えばいいじゃない!)
俺の部屋の食材
・9日に炊いたご飯(適量) ・ハーフベーコン(2枚)
キッチンより調達
・味噌(適量) ・鰹節(適量) ・料理用の溶けることが売りのチーズ(適量) ・お好みの調味料(適当に選んでガラムマサラが気付けば俺の手に・・・)
簡単に手順の説明 - 適度、適量、フィーリング。
1.ベーコンを適度に切って焼く。 2.ベーコンを引き上げたら水を張り加熱して、温まったところでご飯を投入。 3.茹で続けてある程度ほぐれてきたら、味噌や鰹節を投入。 4.丁度いい味わいを見極めたら、チーズを投入する。 5.ベーコンを飾って完成。
作るも食べるも一緒だよ、の精神で片手なべのまま頂いてください。
食べ終わった感想「チーズが足りないね。チーズのとろける感じを楽しみたいならもっと入れれば、太ることを気にせず『これでもか!』とばかりにぶち込んでしまおう。あと、冷凍食品のブロッコリーの存在を思い出してしまったが、これは使うべきだった。色どりって奴ね。それと、調理中からの疑問で、トマトケチャップとか入れてもいいんじゃないかという気がした。」
食後の一品「自分で剥ききったリンゴ」
感想「甘くておいしかったよ。でも、一人で1個を短時間で食べきったから途中でウンザリしてきたよ。それと、動画撮影中に残ってたリンゴはすぐに酸化で変色し始めたね。」
実際に食した動画 http://www.youtube.com/watch?v=t-xsnPI528g
2014年11月10日月曜日
苦手な菓子についての見解
食料の供給は母親の週1~2の買出しに一任している、と言いたいのだが、飲み物など足りない気分を補う場合は自分で自販機に赴く。
それで今部屋にある菓子といえば、数週間前の親の買い物から残ってるガムと、1週間前の清涼菓子と名称の欄に記入されてるものである。
私が苦手とする菓子は「飴やガムなど」と認知しているが、清涼菓子の類いは、この「など」に含まれているものの、適切に言い表せずにいた。
そこで好きな菓子と苦手な菓子の法則を見出すことにした。
好きな菓子は、真っ先に浮かぶのがチョコレートの系統のもの("系統"であるから、板チョコなどはこの限りでない)、続いて色々。
またも「色々」などという曖昧な表現でつかえる。
苦手な菓子といえば上記の通りになる。
思索の結果、好きな菓子は「何かしら飲み物に合うもの」と断定した。
苦手な菓子はそれに反するものである。
チョコレート系はじめ、好きな菓子といえば牛乳や紅茶に緑茶、コーヒー、場合によって炭酸飲料に合う事がある。
緑茶は和菓子で、炭酸飲料はポテトチップス系のスナック菓子を指す。
苦手な菓子は上に挙げている飴やガム、清涼菓子など飲み物と一緒に食べることは想定されていないし、俺としても口に合わない感想を持つはずだ。
個別に非を挙げれば、飴やガムは長時間口に残して、溶かすなり噛むなりを意図しているわけで、俺はその味が長く残ることに不快感があるのだろう。
この故に飲み物で流したい考えを持ったのだろう(飲み物の味は良しと出来る)。
残る味に歯が溶けそうな感覚が不安のようだ。
だからといって、特にガムのほか「清涼菓子」などで多く使われるミント系の味も好まない。
あの味が舌に残るとしばらく何も食べたくなくなるが、その故に歯磨き粉などに使われる面もあろう、夕食後に歯を磨いてすぐ食べだしてしまうことを防ぐなど。
もちろん、歯磨き粉はガムと同様「口に残る」ような味わいを排除すべく、ミントが使われることこそ目的と見られる。
また、それらの一部で甘味料を主体とした甘みも苦手か。
これは一部炭酸飲料にも合致するが、やっぱり飲み物は別腹(別舌)っぽい。
甘味料といっても多種あるが、例えばガムには多くキシリトールが配合され、飲み物(炭酸飲料等)では・・・検索。
それで今部屋にある菓子といえば、数週間前の親の買い物から残ってるガムと、1週間前の清涼菓子と名称の欄に記入されてるものである。
私が苦手とする菓子は「飴やガムなど」と認知しているが、清涼菓子の類いは、この「など」に含まれているものの、適切に言い表せずにいた。
そこで好きな菓子と苦手な菓子の法則を見出すことにした。
好きな菓子は、真っ先に浮かぶのがチョコレートの系統のもの("系統"であるから、板チョコなどはこの限りでない)、続いて色々。
またも「色々」などという曖昧な表現でつかえる。
苦手な菓子といえば上記の通りになる。
思索の結果、好きな菓子は「何かしら飲み物に合うもの」と断定した。
苦手な菓子はそれに反するものである。
チョコレート系はじめ、好きな菓子といえば牛乳や紅茶に緑茶、コーヒー、場合によって炭酸飲料に合う事がある。
緑茶は和菓子で、炭酸飲料はポテトチップス系のスナック菓子を指す。
苦手な菓子は上に挙げている飴やガム、清涼菓子など飲み物と一緒に食べることは想定されていないし、俺としても口に合わない感想を持つはずだ。
個別に非を挙げれば、飴やガムは長時間口に残して、溶かすなり噛むなりを意図しているわけで、俺はその味が長く残ることに不快感があるのだろう。
この故に飲み物で流したい考えを持ったのだろう(飲み物の味は良しと出来る)。
残る味に歯が溶けそうな感覚が不安のようだ。
だからといって、特にガムのほか「清涼菓子」などで多く使われるミント系の味も好まない。
あの味が舌に残るとしばらく何も食べたくなくなるが、その故に歯磨き粉などに使われる面もあろう、夕食後に歯を磨いてすぐ食べだしてしまうことを防ぐなど。
もちろん、歯磨き粉はガムと同様「口に残る」ような味わいを排除すべく、ミントが使われることこそ目的と見られる。
また、それらの一部で甘味料を主体とした甘みも苦手か。
これは一部炭酸飲料にも合致するが、やっぱり飲み物は別腹(別舌)っぽい。
甘味料といっても多種あるが、例えばガムには多くキシリトールが配合され、飲み物(炭酸飲料等)では・・・検索。
口に残りやすい甘味料というのは、とある炭酸飲料に多く使われ、夜飲んで朝起きても舌に残っているものだ(甘い夢が見られそう!?)。
もう一度結果に振り返れば、菓子は飲み物で流したいという願望があるのだろう。
もう一度結果に振り返れば、菓子は飲み物で流したいという願望があるのだろう。
2014年11月9日日曜日
身辺の事象を文学調に綴る秘術
以前は、身近なことを歌に詠んでみせようという記事を書いた。
今回の試みに従い、以下で、およそ1時間前=11月9日4時前の一件を表す。
「琥珀色の液体が杯に注がれた。芳醇な香りは俺の周囲に漂う。口を付け、一気に呷る。舌から喉へ、液体だというのに焼けるような刺激が迸る。直後、俺が咳き込んだのは言うまでもなかった。一段落した頃合に、空気を貪る。それ以後は喉に痰が絡んだ如くであった。」
ツイッターばりの140文字未満で表すとこうなる。
冒頭の文面は、いつかの「久遠の時」の様相を呈しているか。
「迸る」の意味を、なんとなく誤用している気がしなくもないけどね。
琥珀色で、芳醇な芳香を放ち、それでいて咽喉が焼ける感覚の液体の正体とは?
勿論、17歳たる私はそんな法を破る真似は一切しておらず。
恐ろしや、恐ろしや。
私は数日前より、全部で110話ほどあるが未だ完結しておらず、2年ほど前から更新が止まっている小説を見始めた。
膨大な話数のみならず、1話あたり平均15,000文字あると見られ、文字数のカウントをすれば20,000を超す話もある。
これが更新分では110話ほどあるというのに、未だ完結に遠いのだから驚きだ。
近年は、ネットで長期間活動していて途絶え、何も告げぬまま失踪する者も相次いでいるので、この作者はもう帰って来ないかもしれない。
足跡を辿れば、1年半まで自前のBBS上にて書き込みや応援メッセージ等への返答はしていたようだが、それも音沙汰なし。
この状況とこのネットご時世も相俟って、復帰を期待することは、私にはできない。
それでも一通り読んでみたい欲は沸いているのである。
この小説を読破するのも勉強の一環にあるが、これに疑問が沸く者もいるだろう。
小説を読む程度なら確かに、多くの人間に出来るだろうが、まずこの長い小説を面白くとも退屈であろうとも読みきるという精神訓練、続いて難解な語句の頻発にも検索という対処法を用いて解決させ、語義を頭に叩き込む。
これで十分に勉強や訓練となりうるのだ。
特に私には丁度いい。
成果は今のところ、己の知る内にて実感できている。
精神訓練というのは、身を削る難点もある。
視力が著しく落ちたり、ページ画面を睨むわけだから色が目に焼き付く。
反面、言語的な部分は向上が期待できる。
難解語句や言い回し、表現など未知のものから、既知ながら忘れかけていたものまで網羅されているので、いずれも俺の脳の活性化に繋がる。
普通の人ならばこれに至らず、漠然と読むに終始するか。
ただ、前の記事にも書いた通り、疲れてる俺がこれをやってもあまり頭に入らないのではないかという疑念もあるし、疲労に拍車をかける弊害となれば問題だ。
俺はずっと迷いがある。一日くらい休息を得てもいいとね。
昨日も小説を読む以外に絵を多めに描いたりした。
この文章を猛烈なスピードで打ってる今、両腕に疲れがのしかかる。
座り続けでケツがぁ、食事後の胸焼けまで襲い掛かる(いつものこと)。
斯くしてこの文章は4時50分頃から5時半過ぎに書き終えた。
オマケの追記だけど、その私が読んでる小説で面白いところを特筆すれば、性的な描写や情景と、キャラ外見を表す記述の性的誇張が一切ないところだね。
キャラ間の恋愛感情の類の描写も見られない。
一部キャラの回想に故人のキスや、歓楽街で水商売の客引きシーンとかがあるくらいだ。
女性キャラの美しい容姿を表す際も、髪型と髪色や瞳の色、服装などに留める。
性的暴力や誘惑だとか、風呂系とか、夜這いっぽいのとかは有り得ない至って硬派な文学って感じがある。エロは棲み分けてる?
近年の作品なら概してえっちぃのがあるし、いわばお色気あって然りなわけだから、そんな「工口なくして人気なし」を謳う作品達とはまた一線を画する。
そんなどうでもいいことに着目するというのがねぇ。
もう一点は、長いゆえかは知らんが、誤用や誤字や誤変換の散見で、これを見出して脳内で照らし合わせるのも勉強の一環になってると思った。
俺って捻くれてるのかね、普通の評価してないよね。。。きっと。
今回の試みに従い、以下で、およそ1時間前=11月9日4時前の一件を表す。
「琥珀色の液体が杯に注がれた。芳醇な香りは俺の周囲に漂う。口を付け、一気に呷る。舌から喉へ、液体だというのに焼けるような刺激が迸る。直後、俺が咳き込んだのは言うまでもなかった。一段落した頃合に、空気を貪る。それ以後は喉に痰が絡んだ如くであった。」
ツイッターばりの140文字未満で表すとこうなる。
冒頭の文面は、いつかの「久遠の時」の様相を呈しているか。
「迸る」の意味を、なんとなく誤用している気がしなくもないけどね。
琥珀色で、芳醇な芳香を放ち、それでいて咽喉が焼ける感覚の液体の正体とは?
勿論、17歳たる私はそんな法を破る真似は一切しておらず。
恐ろしや、恐ろしや。
私は数日前より、全部で110話ほどあるが未だ完結しておらず、2年ほど前から更新が止まっている小説を見始めた。
膨大な話数のみならず、1話あたり平均15,000文字あると見られ、文字数のカウントをすれば20,000を超す話もある。
これが更新分では110話ほどあるというのに、未だ完結に遠いのだから驚きだ。
近年は、ネットで長期間活動していて途絶え、何も告げぬまま失踪する者も相次いでいるので、この作者はもう帰って来ないかもしれない。
足跡を辿れば、1年半まで自前のBBS上にて書き込みや応援メッセージ等への返答はしていたようだが、それも音沙汰なし。
この状況とこのネットご時世も相俟って、復帰を期待することは、私にはできない。
それでも一通り読んでみたい欲は沸いているのである。
この小説を読破するのも勉強の一環にあるが、これに疑問が沸く者もいるだろう。
小説を読む程度なら確かに、多くの人間に出来るだろうが、まずこの長い小説を面白くとも退屈であろうとも読みきるという精神訓練、続いて難解な語句の頻発にも検索という対処法を用いて解決させ、語義を頭に叩き込む。
これで十分に勉強や訓練となりうるのだ。
特に私には丁度いい。
成果は今のところ、己の知る内にて実感できている。
精神訓練というのは、身を削る難点もある。
視力が著しく落ちたり、ページ画面を睨むわけだから色が目に焼き付く。
反面、言語的な部分は向上が期待できる。
難解語句や言い回し、表現など未知のものから、既知ながら忘れかけていたものまで網羅されているので、いずれも俺の脳の活性化に繋がる。
普通の人ならばこれに至らず、漠然と読むに終始するか。
ただ、前の記事にも書いた通り、疲れてる俺がこれをやってもあまり頭に入らないのではないかという疑念もあるし、疲労に拍車をかける弊害となれば問題だ。
俺はずっと迷いがある。一日くらい休息を得てもいいとね。
昨日も小説を読む以外に絵を多めに描いたりした。
この文章を猛烈なスピードで打ってる今、両腕に疲れがのしかかる。
座り続けでケツがぁ、食事後の胸焼けまで襲い掛かる(いつものこと)。
斯くしてこの文章は4時50分頃から5時半過ぎに書き終えた。
オマケの追記だけど、その私が読んでる小説で面白いところを特筆すれば、性的な描写や情景と、キャラ外見を表す記述の性的誇張が一切ないところだね。
キャラ間の恋愛感情の類の描写も見られない。
一部キャラの回想に故人のキスや、歓楽街で水商売の客引きシーンとかがあるくらいだ。
女性キャラの美しい容姿を表す際も、髪型と髪色や瞳の色、服装などに留める。
性的暴力や誘惑だとか、風呂系とか、夜這いっぽいのとかは有り得ない至って硬派な文学って感じがある。エロは棲み分けてる?
近年の作品なら概してえっちぃのがあるし、いわばお色気あって然りなわけだから、そんな「工口なくして人気なし」を謳う作品達とはまた一線を画する。
そんなどうでもいいことに着目するというのがねぇ。
もう一点は、長いゆえかは知らんが、誤用や誤字や誤変換の散見で、これを見出して脳内で照らし合わせるのも勉強の一環になってると思った。
俺って捻くれてるのかね、普通の評価してないよね。。。きっと。
2014年11月6日木曜日
勉強のしすぎが災いして目の充血が酷い
最近疲れているのか、頭が冴えないという意識ばかり俺を苛んでいた。
この5日ほどは自身の能力への懐疑や、ひいては多くのことにも悲観視気味でいた。
1日くらいのんびりしてもいいと慰めたかった。
右目が痛む。PC生活なんて長年の慣れっこではないのか?
この頃は勉強に没頭していたのかもしれない。
やはり焦燥感があったのか、思いつめていたのかもしれない。
休みを適度に挟むべきだとなんども呵責していたのに、体は言うことを聞かない。
休息こそが怠慢で、休息こそが遅滞なのだとばかりであった。
俺はやはり働きすぎるきらいがある。
真面目に勉強を頑張りすぎていた。
この、高度日本語や英語などの言語、その他さまざまなこと。
1日でも休みを挟むことが著しい減速たりえるのではないかとは杞憂なのだろうか?
逆に勉強しても言葉が頭に入らなくなってきてるのは、食生活が悪いのか就寝時間が乱れてるのか、はたまた頭の使いすぎによる疲弊なのか?精神衛生か?
睡眠時間であれば、7~10時間ほどの適量を取っている。
就寝時間の乱れとは、寝始めるタイミングと、その規則性の維持である。
例えば、毎日夜10時に寝てるよ~とかが好ましいという意味である。
1ヶ月という、長くも短い時間を見晴らせば、私は朝であれ昼であれ夜であれ夜中であれ、寝ている場合がある、それを乱れと呼ぶ。
私の就寝とは、規則性を問う必要がなかったり、尚且つその時次第で順応させねばならないため、寧ろ規則性を廃す、撤廃させる方が生活体系に適合しているのだ。
いつ寝るかどうかっていう問題は、別に今に始まらず数年以上前からこうだろうけど。
目の話だが、もともと充血の傾向にあったのだが、やはりもう少し労わらねば。
もとあった憂いと、今の状態の相乗効果で、不安が膨れ上がった気がする。
この5日ほどは自身の能力への懐疑や、ひいては多くのことにも悲観視気味でいた。
1日くらいのんびりしてもいいと慰めたかった。
右目が痛む。PC生活なんて長年の慣れっこではないのか?
この頃は勉強に没頭していたのかもしれない。
やはり焦燥感があったのか、思いつめていたのかもしれない。
休みを適度に挟むべきだとなんども呵責していたのに、体は言うことを聞かない。
休息こそが怠慢で、休息こそが遅滞なのだとばかりであった。
俺はやはり働きすぎるきらいがある。
真面目に勉強を頑張りすぎていた。
この、高度日本語や英語などの言語、その他さまざまなこと。
1日でも休みを挟むことが著しい減速たりえるのではないかとは杞憂なのだろうか?
逆に勉強しても言葉が頭に入らなくなってきてるのは、食生活が悪いのか就寝時間が乱れてるのか、はたまた頭の使いすぎによる疲弊なのか?精神衛生か?
睡眠時間であれば、7~10時間ほどの適量を取っている。
就寝時間の乱れとは、寝始めるタイミングと、その規則性の維持である。
例えば、毎日夜10時に寝てるよ~とかが好ましいという意味である。
1ヶ月という、長くも短い時間を見晴らせば、私は朝であれ昼であれ夜であれ夜中であれ、寝ている場合がある、それを乱れと呼ぶ。
私の就寝とは、規則性を問う必要がなかったり、尚且つその時次第で順応させねばならないため、寧ろ規則性を廃す、撤廃させる方が生活体系に適合しているのだ。
いつ寝るかどうかっていう問題は、別に今に始まらず数年以上前からこうだろうけど。
目の話だが、もともと充血の傾向にあったのだが、やはりもう少し労わらねば。
もとあった憂いと、今の状態の相乗効果で、不安が膨れ上がった気がする。
2014年11月5日水曜日
宗教の教えを基盤に確立する組織
大きな主題には、大前提を説く者がおり、更にそこで肯定的・否定的な意見が衝突する。
これは宗教の大教祖が究極の教えを説いて、それを学んだ・惹かれた後世の人間が細かい解釈を見出すのだが、更にそこでその解釈に賛同する者から、反発する者もいるのだ。
要するに、この原則にのっとりたい。
今日の日本でも宗教と異なる主題において、多くはネット上では音楽にしても何かの作品にしても、細かい階層のなかで派閥が形成されており、それぞれの主張が唱えられている。
ネットのあたかも誤りが正しいかのような強弁が散見されていて、そんな中で真理を見出した私が道理を尽くしての教えを確立したいのだ。
と書いておいたが、何の教えを確立させたいかといえば、ある事象についてだ。
不肖横野真史、齢十七の若くて青い獅子である。眠れる獅子、獅子奮迅。
あるお偉い方は19歳に修行を始め、四十余年の説法を経てより究極の教えを説いた。
17で探し始めるならば前途有望であろうか。
青いとかって書いたけど、好きな色は赤と黒である。
邪見の卑しい者達の我見が跳梁跋扈しており、それは短絡的であった。
今の私はまだ勉強が足りない身であるが、道理を尽くして説き伏せられる。
回りくどかった。ある事象とは、同一視されがちな「ニート」の存在である。
私は17歳ニートにして引きこもりだが、研鑽の邁進を怠らない。
私のように若いニートたちが今も日本のどこかで苦しみ悶えながらも学んでいるのだ。
ニートは概して無気力であるとか、バカであるとか、他にあたかも主体性がない人間のように例えられたり、斯様な讒言が蔓延しているものの、反面私のように精神的・金銭的な協力者や支援者なく、ただネットなど最低限の勉強道具のみの状況下で、細い生命線で、崖っぷちの研鑽を続ける者もいるのだ。
云わば慢性的に無気力だとかの讒言はオールドタイプで、以前も書いた「私の定義におけるネイティブニート」では合致しないし、あまり一括りに容易な評価は避けるべきだ。
当事者を騙るか、あるいは当事者だとしてもニートの全てがそうであるとか、ニート歴が長いと一様にこうなるとか、それはその人がただそういう人間なだけである。
私にも一時的に無気力気味な時代があったが、2013年から正義(しょうぎ)に目覚めた。
また、私のような正しい道を行く者を私は増やしたい。
同志の存在を確認しあって、共に自信を持って邁進できるようなネットを築きたい。
某寮だとか職業訓練校だとか更生施設だとかは、社会通念に準じたばかりの画一的人生を与えるに過ぎない。
私のように数々の不条理や不遇を受けて生きながらえた若き者には不要なので、ネットがあるならば情報の取捨選択、慧眼で見抜いて邪念を振り払い、須く研鑽に邁進すべし。
道筋は、学問でも絵や音楽のような芸術でもなんでもよい。
各々の価値・魅力・個性を醸成し得るものを自身の趣向に適うものを選べばいい。
私の母親は未だに画一的人生を望もうとするが、それなら幼い頃からその線を徹底すればよかったのに、との一言に尽きる。
私は頭が良い上で主体性を持ち、邪見を払い除けることはできるが、上の弟は私と同じ中卒無職でも、生き方から育ち方が大きく異なるため、同種のものではない。
まあこの話は置いてね、新たに正しい教えを説きながら、邪義を唱え流布するネットの愚者を徹底的に諫めて破すことは、あたかも宗教の成立(立教)や宗派の分裂(分派)のようである。
宗教について学んでいると、様々な事象が宗教に当てはまっているように思う。
また、正しい教えを説くと怨嫉が巻き起こるという仏法の定理を忘れてはならない。
第六天の魔王や三類の強敵だとかのあたりである。
私の思想の台頭以前から悪鬼の跋扈が起きているのは何故か?
ひとまず、「ニート研鑽連盟」だか"Neet Educational Association"だか、何かしら命名?
準ずることは、教義理念の固持であり、平易でシンプルに表すべきで「一に誤った認識を正すこと、二に研鑽に努めること」などであろうか。
思想体系は「ニート化の奨励や助長ではなく、私のような状況に陥り普通の道が難儀な同志の苦しみの心を済度し、学問や芸術の道を共に研鑽して開花させようという現代的ネット組織」とする。
教義や教団の確立、そして教祖とは威厳や偉大さが見えるものだ。
私はそんな歴史上のあらゆる教祖たちと肩を並べるか、今後数十年だけでもそんな風格やカリスマ性を維持できるだろうか。
この事象は現代日本社会ほど狭い範囲にしか適用されないだろう。
故にそんな短期間でも割と長いはずだ。
そんな人間たりえる素質を持っているか。
※いつもだと寝る時間に半ば混迷状態でこの文章を書いてて、雑多になった気がする。
今日も魔の障りで、やろうとしてた目的を捨ててしまいかけたが、典型的な天魔か強敵などが修行を妨げるために誑かしてきたに過ぎないので、眼中に置いてはいけない。
これは宗教の大教祖が究極の教えを説いて、それを学んだ・惹かれた後世の人間が細かい解釈を見出すのだが、更にそこでその解釈に賛同する者から、反発する者もいるのだ。
要するに、この原則にのっとりたい。
今日の日本でも宗教と異なる主題において、多くはネット上では音楽にしても何かの作品にしても、細かい階層のなかで派閥が形成されており、それぞれの主張が唱えられている。
ネットのあたかも誤りが正しいかのような強弁が散見されていて、そんな中で真理を見出した私が道理を尽くしての教えを確立したいのだ。
と書いておいたが、何の教えを確立させたいかといえば、ある事象についてだ。
不肖横野真史、齢十七の若くて青い獅子である。眠れる獅子、獅子奮迅。
あるお偉い方は19歳に修行を始め、四十余年の説法を経てより究極の教えを説いた。
17で探し始めるならば前途有望であろうか。
青いとかって書いたけど、好きな色は赤と黒である。
邪見の卑しい者達の我見が跳梁跋扈しており、それは短絡的であった。
今の私はまだ勉強が足りない身であるが、道理を尽くして説き伏せられる。
回りくどかった。ある事象とは、同一視されがちな「ニート」の存在である。
私は17歳ニートにして引きこもりだが、研鑽の邁進を怠らない。
私のように若いニートたちが今も日本のどこかで苦しみ悶えながらも学んでいるのだ。
ニートは概して無気力であるとか、バカであるとか、他にあたかも主体性がない人間のように例えられたり、斯様な讒言が蔓延しているものの、反面私のように精神的・金銭的な協力者や支援者なく、ただネットなど最低限の勉強道具のみの状況下で、細い生命線で、崖っぷちの研鑽を続ける者もいるのだ。
云わば慢性的に無気力だとかの讒言はオールドタイプで、以前も書いた「私の定義におけるネイティブニート」では合致しないし、あまり一括りに容易な評価は避けるべきだ。
当事者を騙るか、あるいは当事者だとしてもニートの全てがそうであるとか、ニート歴が長いと一様にこうなるとか、それはその人がただそういう人間なだけである。
私にも一時的に無気力気味な時代があったが、2013年から正義(しょうぎ)に目覚めた。
また、私のような正しい道を行く者を私は増やしたい。
同志の存在を確認しあって、共に自信を持って邁進できるようなネットを築きたい。
某寮だとか職業訓練校だとか更生施設だとかは、社会通念に準じたばかりの画一的人生を与えるに過ぎない。
私のように数々の不条理や不遇を受けて生きながらえた若き者には不要なので、ネットがあるならば情報の取捨選択、慧眼で見抜いて邪念を振り払い、須く研鑽に邁進すべし。
道筋は、学問でも絵や音楽のような芸術でもなんでもよい。
各々の価値・魅力・個性を醸成し得るものを自身の趣向に適うものを選べばいい。
私の母親は未だに画一的人生を望もうとするが、それなら幼い頃からその線を徹底すればよかったのに、との一言に尽きる。
私は頭が良い上で主体性を持ち、邪見を払い除けることはできるが、上の弟は私と同じ中卒無職でも、生き方から育ち方が大きく異なるため、同種のものではない。
まあこの話は置いてね、新たに正しい教えを説きながら、邪義を唱え流布するネットの愚者を徹底的に諫めて破すことは、あたかも宗教の成立(立教)や宗派の分裂(分派)のようである。
宗教について学んでいると、様々な事象が宗教に当てはまっているように思う。
また、正しい教えを説くと怨嫉が巻き起こるという仏法の定理を忘れてはならない。
第六天の魔王や三類の強敵だとかのあたりである。
私の思想の台頭以前から悪鬼の跋扈が起きているのは何故か?
ひとまず、「ニート研鑽連盟」だか"Neet Educational Association"だか、何かしら命名?
準ずることは、教義理念の固持であり、平易でシンプルに表すべきで「一に誤った認識を正すこと、二に研鑽に努めること」などであろうか。
思想体系は「ニート化の奨励や助長ではなく、私のような状況に陥り普通の道が難儀な同志の苦しみの心を済度し、学問や芸術の道を共に研鑽して開花させようという現代的ネット組織」とする。
教義や教団の確立、そして教祖とは威厳や偉大さが見えるものだ。
私はそんな歴史上のあらゆる教祖たちと肩を並べるか、今後数十年だけでもそんな風格やカリスマ性を維持できるだろうか。
この事象は現代日本社会ほど狭い範囲にしか適用されないだろう。
故にそんな短期間でも割と長いはずだ。
そんな人間たりえる素質を持っているか。
※いつもだと寝る時間に半ば混迷状態でこの文章を書いてて、雑多になった気がする。
今日も魔の障りで、やろうとしてた目的を捨ててしまいかけたが、典型的な天魔か強敵などが修行を妨げるために誑かしてきたに過ぎないので、眼中に置いてはいけない。
2014年11月3日月曜日
謙遜と嫌味の区別 - 自己紹介で自分を謙る表現の御法度
自虐のつもりが、不特定多数への中傷になりえる。
自分を謙って「○○しない××な人間」や「○○だから××」と言うことは、一見謙虚のようだが、そういう表現の仕方は、同じ「○○しない人」や「○○な人」も、「××」へ一緒くたに該当させるので、私は控えるようにしているか、そういう表現を見たときはいい気分がしない。
自分が思っている範囲外に、不快感を与えていることには気付けない。
俺が読者を不快にさせたい時に意図して変なことを書くことはあっても、このようなことは有り得ない。
他に、「私は△△が下手です」と言ってる割に上手だったり、「私は△△に関して弱いです」と言ってる割に強いというのも、自虐のつもりが、多くの人に対する自惚れ表現になってる。
平易に言い返せば「お前より上手いやつなんて逆に少ないぞ」ということだ。
そんな人が能力の謙遜をしても、嫌味にしか聞こえないだろう。
「自分なんて大したことない」と容易に自己評価することが、かえって反感をかうだろう。
前1例を言い換えれば、その自虐が相手に向けられた際、分かりやすくなるということだ。
例えば「お前は○○しない××なヤツなんだ」や、「あんたって○○だからいつまでも××なんだ」のように書いてみれば、あたかも人格否定のような罵言となるのだ。
これで分かるとおり、あまり安易な自虐は止すべきだろう。
何であれ〇〇と××に、本質的な因果関係は無いし、科学的な証明ができないにもかかわらず、言葉を用いる当人の価値観で勝手に因果関係が断定されている。
それら2例の自虐表現を用いる人間は、この点の他にも、相手に不快感を与える表現を、知らず知らずの内に平然と用いることが多いため、諸君も言葉遣いに注意を払うべきだ。
自分を謙って紹介する場合は、特に前1例のように何かの要因を絡めた上で「自分はダメな人間性の状態」、のような表現を避けるべきである。
特に見ている誰かを傷つけるかどうかは、臨機応変に考えて言葉を選ぶ必要がある。
発言者がどんな人間であれ、私の感情としてそれらの表現は全てが一様に腹立たしい。
以上、17歳自称言語学者。
慇懃無礼 へりくだる 嫌悪感 表裏一体 紙一重 真理 自覚 日本語 レッテル貼り 短絡的
以下、後日追記となる。
例えば筆者、横野真史は「17歳・中卒・B型・埼玉生まれ・ニート(あとハゲあり)」である。
ここからストレートに表現する。
「17歳の若造ですが~若輩ですが~」あたりはよくあるへりくだり方だとしても、「17歳中卒のバカで~す」とか「B型だからだらしない奴です」とか「埼玉生まれでダサくてゴメンね」とか「ニートでどうしようもないんです」などと自ら口に出すことなどは考えもしない。
このような自己紹介の仕方は、へりくだることで自分への評価を上げるどころか、頭の悪さを露見させ、かえって評価を素で落としかねない。
また、B型以外の血液型の人が自分の非を並べて「B型っぽい○型」等と言うことも、学生やフリーターなどニートでない人がニートを自称して「ニートのような怠け者」だとかと自己紹介することも同様に、見識ある人間からは嫌悪を蒙るのみである。
単に発言者自身が背負っている汚点を、別の概念に転嫁しないでほしい。
「17歳=若い≒未熟」、ということはよくある口上で通るとしても、それ以後の肩書き群がそのまま諸々のマイナス評価に繋がるなら、偏狭な感情に起因するものであろう。
上記のような「○○=××」も「非○○=××」という等号不等号の図式は必ずしも成立しない。
風評の一元で物事を捉える人が特にその状況に置かれて、そういう自己紹介をするということが多いようであるから、それらのサイト(SNSなど)に入り込む気は起きないものである。
ただ、たまたま虎穴に入って虎の子を得たように、こういった記事を作られる。
自分を謙って「○○しない××な人間」や「○○だから××」と言うことは、一見謙虚のようだが、そういう表現の仕方は、同じ「○○しない人」や「○○な人」も、「××」へ一緒くたに該当させるので、私は控えるようにしているか、そういう表現を見たときはいい気分がしない。
自分が思っている範囲外に、不快感を与えていることには気付けない。
俺が読者を不快にさせたい時に意図して変なことを書くことはあっても、このようなことは有り得ない。
他に、「私は△△が下手です」と言ってる割に上手だったり、「私は△△に関して弱いです」と言ってる割に強いというのも、自虐のつもりが、多くの人に対する自惚れ表現になってる。
平易に言い返せば「お前より上手いやつなんて逆に少ないぞ」ということだ。
そんな人が能力の謙遜をしても、嫌味にしか聞こえないだろう。
「自分なんて大したことない」と容易に自己評価することが、かえって反感をかうだろう。
前1例を言い換えれば、その自虐が相手に向けられた際、分かりやすくなるということだ。
例えば「お前は○○しない××なヤツなんだ」や、「あんたって○○だからいつまでも××なんだ」のように書いてみれば、あたかも人格否定のような罵言となるのだ。
これで分かるとおり、あまり安易な自虐は止すべきだろう。
何であれ〇〇と××に、本質的な因果関係は無いし、科学的な証明ができないにもかかわらず、言葉を用いる当人の価値観で勝手に因果関係が断定されている。
それら2例の自虐表現を用いる人間は、この点の他にも、相手に不快感を与える表現を、知らず知らずの内に平然と用いることが多いため、諸君も言葉遣いに注意を払うべきだ。
自分を謙って紹介する場合は、特に前1例のように何かの要因を絡めた上で「自分はダメな人間性の状態」、のような表現を避けるべきである。
特に見ている誰かを傷つけるかどうかは、臨機応変に考えて言葉を選ぶ必要がある。
発言者がどんな人間であれ、私の感情としてそれらの表現は全てが一様に腹立たしい。
以上、17歳自称言語学者。
慇懃無礼 へりくだる 嫌悪感 表裏一体 紙一重 真理 自覚 日本語 レッテル貼り 短絡的
以下、後日追記となる。
例えば筆者、横野真史は「17歳・中卒・B型・埼玉生まれ・ニート(あとハゲあり)」である。
ここからストレートに表現する。
「17歳の若造ですが~若輩ですが~」あたりはよくあるへりくだり方だとしても、「17歳中卒のバカで~す」とか「B型だからだらしない奴です」とか「埼玉生まれでダサくてゴメンね」とか「ニートでどうしようもないんです」などと自ら口に出すことなどは考えもしない。
このような自己紹介の仕方は、へりくだることで自分への評価を上げるどころか、頭の悪さを露見させ、かえって評価を素で落としかねない。
また、B型以外の血液型の人が自分の非を並べて「B型っぽい○型」等と言うことも、学生やフリーターなどニートでない人がニートを自称して「ニートのような怠け者」だとかと自己紹介することも同様に、見識ある人間からは嫌悪を蒙るのみである。
単に発言者自身が背負っている汚点を、別の概念に転嫁しないでほしい。
「17歳=若い≒未熟」、ということはよくある口上で通るとしても、それ以後の肩書き群がそのまま諸々のマイナス評価に繋がるなら、偏狭な感情に起因するものであろう。
上記のような「○○=××」も「非○○=××」という等号不等号の図式は必ずしも成立しない。
風評の一元で物事を捉える人が特にその状況に置かれて、そういう自己紹介をするということが多いようであるから、それらのサイト(SNSなど)に入り込む気は起きないものである。
ただ、たまたま虎穴に入って虎の子を得たように、こういった記事を作られる。
2014年11月1日土曜日
険悪な会話に倦厭する俺。
今日は昼頃に宅配便の人が来たようだが、どうも母親は出ずに弟が代わりに対応したところ「ママはトイレ」などのことを言って追い払ったようだ。
これに対し母親は「そんなことを言うな」「普通に受け取ればいい」「私がいなくても受け取ることは出来る」と激怒した。なんか最近も前例があった気がするけど。
夕方に、追い返された配達が改めて来て、母親は応対の開口一番に「すみません」などの詫びをこめていた。
その後、また別のものが届いて母親は弟に対応の練習をさせたのだが、弟は混乱してしまい、かなり焦って業者到着~応対・受け取りまでに2分ほどかかってしまった。
応対までは、母親が弟へ応対の催促をする大声と、恐れてパニックに陥る弟の大声で阿鼻叫喚そのものであった。
こんなことなので今日は母親は機嫌が悪いのか、18時をまわったころ、弟の別件(干していた洗濯物のこと)でまたもキレて叱っていた。
その数十分前も別件でキレていたような。。。
こんな険悪で、殺伐とした会話をひっきりなしに聴かされていい気はしない。
そう思う俺であった。
弟=知的障害持ちで現在中学2年生。
思えば、俺も小3くらいの頃に同じようなことがあった気がする。
母親が風呂に入っている旨を伝えて、相手を追い払ったとかね。
今日はこのこともあって、母親が俺に「私や弟の代わりに出てもらえないか」という風に聞いてきたが、当然俺が対面とか弟とは違う理由で嫌なので断った。
2度聞いてきたが、2度とも断った。
同じような聞きかたじゃ変わらないよ。
例えば「誰も出られなければ、母親はネットショッピングが出来なくなる」、「誰も出られなければ、母親はずっと再就職できない」などの理由を付け足してくれれば、もう少し考えるんだけど。
ちなみに、配達物のひとつは、みかんである。
19時前にダンボールを開封したようだが、19時過ぎみかんを食べ始める前からまた争い始めたので、会話内容を書き起こす。
弟「お母さんの友達をねぇ、殺すことを考えた!」
中略
母「お母さんの友達だとかそんなことはどうでもいい!みかんをおいしく食べたい!休ませて!」
「ママに友達なんているわけないじゃない」というネタの絵を、10月30日描いた矢先に、また弟は「お母さんの友達」云々と喚いた。
母親も、最初からおりもしない「友達」について触れられて、複雑な気持ちが・・・というか、母親の感情になんの繊細さもないしそれは有り得ないか。
友達なんていない、という私の意見の記事は本家ブログにもある。
→http://masashi.doorblog.jp/archives/40201560.html
誰にでも友達はいるわけじゃないし、弟にとっては「特別支援学級の子はみんな友達」なのだろうが、放課後や休日に互いの家に招いて遊ぶような友達を俺は見たことがない。
また、10月30日に描いたとする絵は、またの機会に本家で載せるだろう。
11月18日の記事に載せた→http://masashi.doorblog.jp/archives/41358141.html
これに対し母親は「そんなことを言うな」「普通に受け取ればいい」「私がいなくても受け取ることは出来る」と激怒した。なんか最近も前例があった気がするけど。
夕方に、追い返された配達が改めて来て、母親は応対の開口一番に「すみません」などの詫びをこめていた。
その後、また別のものが届いて母親は弟に対応の練習をさせたのだが、弟は混乱してしまい、かなり焦って業者到着~応対・受け取りまでに2分ほどかかってしまった。
応対までは、母親が弟へ応対の催促をする大声と、恐れてパニックに陥る弟の大声で阿鼻叫喚そのものであった。
こんなことなので今日は母親は機嫌が悪いのか、18時をまわったころ、弟の別件(干していた洗濯物のこと)でまたもキレて叱っていた。
その数十分前も別件でキレていたような。。。
こんな険悪で、殺伐とした会話をひっきりなしに聴かされていい気はしない。
そう思う俺であった。
弟=知的障害持ちで現在中学2年生。
思えば、俺も小3くらいの頃に同じようなことがあった気がする。
母親が風呂に入っている旨を伝えて、相手を追い払ったとかね。
今日はこのこともあって、母親が俺に「私や弟の代わりに出てもらえないか」という風に聞いてきたが、当然俺が対面とか弟とは違う理由で嫌なので断った。
2度聞いてきたが、2度とも断った。
同じような聞きかたじゃ変わらないよ。
例えば「誰も出られなければ、母親はネットショッピングが出来なくなる」、「誰も出られなければ、母親はずっと再就職できない」などの理由を付け足してくれれば、もう少し考えるんだけど。
ちなみに、配達物のひとつは、みかんである。
19時前にダンボールを開封したようだが、19時過ぎみかんを食べ始める前からまた争い始めたので、会話内容を書き起こす。
弟「お母さんの友達をねぇ、殺すことを考えた!」
中略
母「お母さんの友達だとかそんなことはどうでもいい!みかんをおいしく食べたい!休ませて!」
「ママに友達なんているわけないじゃない」というネタの絵を、10月30日描いた矢先に、また弟は「お母さんの友達」云々と喚いた。
母親も、最初からおりもしない「友達」について触れられて、複雑な気持ちが・・・というか、母親の感情になんの繊細さもないしそれは有り得ないか。
友達なんていない、という私の意見の記事は本家ブログにもある。
→http://masashi.doorblog.jp/archives/40201560.html
誰にでも友達はいるわけじゃないし、弟にとっては「特別支援学級の子はみんな友達」なのだろうが、放課後や休日に互いの家に招いて遊ぶような友達を俺は見たことがない。
また、10月30日に描いたとする絵は、またの機会に本家で載せるだろう。
11月18日の記事に載せた→http://masashi.doorblog.jp/archives/41358141.html

