2014年11月3日月曜日

謙遜と嫌味の区別 - 自己紹介で自分を謙る表現の御法度

自虐のつもりが、不特定多数への中傷になりえる。

自分を謙って「○○しない××な人間」や「○○だから××」と言うことは、一見謙虚のようだが、そういう表現の仕方は、同じ「○○しない人」や「○○な人」も、「××」へ一緒くたに該当させるので、私は控えるようにしているか、そういう表現を見たときはいい気分がしない。
自分が思っている範囲外に、不快感を与えていることには気付けない。
俺が読者を不快にさせたい時に意図して変なことを書くことはあっても、このようなことは有り得ない。

他に、「私は△△が下手です」と言ってる割に上手だったり、「私は△△に関して弱いです」と言ってる割に強いというのも、自虐のつもりが、多くの人に対する自惚れ表現になってる。
平易に言い返せば「お前より上手いやつなんて逆に少ないぞ」ということだ。
そんな人が能力の謙遜をしても、嫌味にしか聞こえないだろう。
「自分なんて大したことない」と容易に自己評価することが、かえって反感をかうだろう。

前1例を言い換えれば、その自虐が相手に向けられた際、分かりやすくなるということだ。
例えば「お前は○○しない××なヤツなんだ」や、「あんたって○○だからいつまでも××なんだ」のように書いてみれば、あたかも人格否定のような罵言となるのだ。
これで分かるとおり、あまり安易な自虐は止すべきだろう。
何であれ〇〇と××に、本質的な因果関係は無いし、科学的な証明ができないにもかかわらず、言葉を用いる当人の価値観で勝手に因果関係が断定されている。

それら2例の自虐表現を用いる人間は、この点の他にも、相手に不快感を与える表現を、知らず知らずの内に平然と用いることが多いため、諸君も言葉遣いに注意を払うべきだ。
自分を謙って紹介する場合は、特に前1例のように何かの要因を絡めた上で「自分はダメな人間性の状態」、のような表現を避けるべきである。
特に見ている誰かを傷つけるかどうかは、臨機応変に考えて言葉を選ぶ必要がある。
発言者がどんな人間であれ、私の感情としてそれらの表現は全てが一様に腹立たしい。
以上、17歳自称言語学者。

慇懃無礼 へりくだる 嫌悪感 表裏一体 紙一重 真理 自覚 日本語 レッテル貼り 短絡的



以下、後日追記となる。
例えば筆者、横野真史は「17歳・中卒・B型埼玉生まれニート(あとハゲあり)」である。
ここからストレートに表現する。
「17歳の若造ですが~若輩ですが~」あたりはよくあるへりくだり方だとしても、「17歳中卒のバカで~す」とか「B型だからだらしない奴です」とか「埼玉生まれでダサくてゴメンね」とか「ニートでどうしようもないんです」などと自ら口に出すことなどは考えもしない。
このような自己紹介の仕方は、へりくだることで自分への評価を上げるどころか、頭の悪さを露見させ、かえって評価を素で落としかねない。
また、B型以外の血液型の人が自分の非を並べて「B型っぽい○型」等と言うことも、学生やフリーターなどニートでない人がニートを自称して「ニートのような怠け者」だとかと自己紹介することも同様に、見識ある人間からは嫌悪を蒙るのみである。
単に発言者自身が背負っている汚点を、別の概念に転嫁しないでほしい。

「17歳=若い≒未熟」、ということはよくある口上で通るとしても、それ以後の肩書き群がそのまま諸々のマイナス評価に繋がるなら、偏狭な感情に起因するものであろう。
上記のような「○○=××」も「非○○=××」という等号不等号の図式は必ずしも成立しない。
風評の一元で物事を捉える人が特にその状況に置かれて、そういう自己紹介をするということが多いようであるから、それらのサイト(SNSなど)に入り込む気は起きないものである。
ただ、たまたま虎穴に入って虎の子を得たように、こういった記事を作られる。

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