2014年11月16日日曜日

「信号待ち」 ヒキ散歩エム

室内での独り言を、つぶさに、つらつらと文章に書き起こしてみた。


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散歩の目的地に至る道中は、駅前の交差点がある。
そこで自分が信号待ちをすれば、同じく信号待ちの人が傍らにいるかもしれない。
逆に、青信号のまま横断歩道にさしかかれば、立ち止まる事無く歩みを進める。
そこで車が停車して信号待ちをしていれば、彼らは歩行者に目を光らせているかもしれない。
そんな場合は、一際目を引く私の外見は注目の的になる。

「他人がどう思おうが知ったことではない」、そう思えばいい。
私が彼らの視界に入ったところでどんな感情を持とうとも、歯牙にも掛けず渡りきればいい。
どうせ、そこで居合わせただけの存在に過ぎない。

傍若無人に振る舞ってしまえばいいということだ。
傍若無人とは、悪い言い方だけれど、こういう場面ではただ毅然と歩むことだ。
否、それが街の誰もがしている普通の振る舞いなのかもしれない。


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この時、実に2014年11月15日16時頃であった――

そして17時20分前にこの家を出て、17時50分頃、家に帰ってきた。
外出時の服装は、黒いパーカーに、黒い手袋、白いズボンで黒いスニーカーである。
この間、近所の広大なる敷地を有する公園の北端にまで、時折、早足と疾走も兼ねての散歩をしてきたが、帰ってからというもの、あらかじめカップに入れておいたインスタントコーヒー豆に帰ってから沸かした熱湯を注いで、労いのコーヒーを用意した。
初めて口にする銘柄であったが、この疲労を癒すかのようであった。
そして、とてもおいしく感じられた。
この銘柄がそういうものなのか、あるいは疲労に相俟って味を助長させたか。
何にせよ、いつも以上においしく感じられたのは明らかであった。

・・・・・・最初の方は香ばしいコーヒーの味わいだったが、後ろはすっぱかった。




この寒中ランニングは、当然寒さに耳などがやられ、眼は目的地への到達に先駆け冷たい空気に悲鳴を上げていた。
呼吸をすれば、やたらと冷涼な空気が口腔から咽喉及び肺腑を支配する。
長く走れる人間には好都合なはずだろう。
それさえも我が身を苛んでいたのだろうか。
こんな調子で寒空の下を行く私が家に着いたら、正しく憔悴の色が露になった顔が鏡に写されたのである。

というわけで実際の写真が上だ。
目の下が赤みがかっている反面、周囲は黒ずんでる?蒼白?
頬がこけてしまわれた。元々な気もするけどね。
ちなみに、脚や膝に関しては、痛まないように気遣いながら走ったので平気。

それと、どうでもいいけど車の通りが多い道では、街灯や車のランプによって形作られた私の影が、この宙に舞う長髪をも演出していてかっこよかったよ。。。
こんな感じの文章を綴ってるのも、散歩帰りからほどなくして、だね。
2回目の点線以降から打ち始めてここまで約30分。

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