大きな主題には、大前提を説く者がおり、更にそこで肯定的・否定的な意見が衝突する。
これは宗教の大教祖が究極の教えを説いて、それを学んだ・惹かれた後世の人間が細かい解釈を見出すのだが、更にそこでその解釈に賛同する者から、反発する者もいるのだ。
要するに、この原則にのっとりたい。
今日の日本でも宗教と異なる主題において、多くはネット上では音楽にしても何かの作品にしても、細かい階層のなかで派閥が形成されており、それぞれの主張が唱えられている。
ネットのあたかも誤りが正しいかのような強弁が散見されていて、そんな中で真理を見出した私が道理を尽くしての教えを確立したいのだ。
と書いておいたが、何の教えを確立させたいかといえば、ある事象についてだ。
不肖横野真史、齢十七の若くて青い獅子である。眠れる獅子、獅子奮迅。
あるお偉い方は19歳に修行を始め、四十余年の説法を経てより究極の教えを説いた。
17で探し始めるならば前途有望であろうか。
青いとかって書いたけど、好きな色は赤と黒である。
邪見の卑しい者達の我見が跳梁跋扈しており、それは短絡的であった。
今の私はまだ勉強が足りない身であるが、道理を尽くして説き伏せられる。
回りくどかった。ある事象とは、同一視されがちな「ニート」の存在である。
私は17歳ニートにして引きこもりだが、研鑽の邁進を怠らない。
私のように若いニートたちが今も日本のどこかで苦しみ悶えながらも学んでいるのだ。
ニートは概して無気力であるとか、バカであるとか、他にあたかも主体性がない人間のように例えられたり、斯様な讒言が蔓延しているものの、反面私のように精神的・金銭的な協力者や支援者なく、ただネットなど最低限の勉強道具のみの状況下で、細い生命線で、崖っぷちの研鑽を続ける者もいるのだ。
云わば慢性的に無気力だとかの讒言はオールドタイプで、以前も書いた「私の定義におけるネイティブニート」では合致しないし、あまり一括りに容易な評価は避けるべきだ。
当事者を騙るか、あるいは当事者だとしてもニートの全てがそうであるとか、ニート歴が長いと一様にこうなるとか、それはその人がただそういう人間なだけである。
私にも一時的に無気力気味な時代があったが、2013年から正義(しょうぎ)に目覚めた。
また、私のような正しい道を行く者を私は増やしたい。
同志の存在を確認しあって、共に自信を持って邁進できるようなネットを築きたい。
某寮だとか職業訓練校だとか更生施設だとかは、社会通念に準じたばかりの画一的人生を与えるに過ぎない。
私のように数々の不条理や不遇を受けて生きながらえた若き者には不要なので、ネットがあるならば情報の取捨選択、慧眼で見抜いて邪念を振り払い、須く研鑽に邁進すべし。
道筋は、学問でも絵や音楽のような芸術でもなんでもよい。
各々の価値・魅力・個性を醸成し得るものを自身の趣向に適うものを選べばいい。
私の母親は未だに画一的人生を望もうとするが、それなら幼い頃からその線を徹底すればよかったのに、との一言に尽きる。
私は頭が良い上で主体性を持ち、邪見を払い除けることはできるが、上の弟は私と同じ中卒無職でも、生き方から育ち方が大きく異なるため、同種のものではない。
まあこの話は置いてね、新たに正しい教えを説きながら、邪義を唱え流布するネットの愚者を徹底的に諫めて破すことは、あたかも宗教の成立(立教)や宗派の分裂(分派)のようである。
宗教について学んでいると、様々な事象が宗教に当てはまっているように思う。
また、正しい教えを説くと怨嫉が巻き起こるという仏法の定理を忘れてはならない。
第六天の魔王や三類の強敵だとかのあたりである。
私の思想の台頭以前から悪鬼の跋扈が起きているのは何故か?
ひとまず、「ニート研鑽連盟」だか"Neet Educational Association"だか、何かしら命名?
準ずることは、教義理念の固持であり、平易でシンプルに表すべきで「一に誤った認識を正すこと、二に研鑽に努めること」などであろうか。
思想体系は「ニート化の奨励や助長ではなく、私のような状況に陥り普通の道が難儀な同志の苦しみの心を済度し、学問や芸術の道を共に研鑽して開花させようという現代的ネット組織」とする。
教義や教団の確立、そして教祖とは威厳や偉大さが見えるものだ。
私はそんな歴史上のあらゆる教祖たちと肩を並べるか、今後数十年だけでもそんな風格やカリスマ性を維持できるだろうか。
この事象は現代日本社会ほど狭い範囲にしか適用されないだろう。
故にそんな短期間でも割と長いはずだ。
そんな人間たりえる素質を持っているか。
※いつもだと寝る時間に半ば混迷状態でこの文章を書いてて、雑多になった気がする。
今日も魔の障りで、やろうとしてた目的を捨ててしまいかけたが、典型的な天魔か強敵などが修行を妨げるために誑かしてきたに過ぎないので、眼中に置いてはいけない。
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