自動車も自転車も、今のところ主要な交通手段でない私にとって、鉄道は重要である。
なればこそ、私は鉄道に関する種々の懸案を見ては暗黒面の広がりを観察した。
ここ数年で鉄道(特にLRT以外)を取り巻く状況は、急速に悪化している。
今の私は、鉄道と一体的な街づくりにもろ手を挙げて喜ぶという気になれない。
日本の世間では、「コンパクトシティ」、「ウォーカブル(歩きたくなるまちづくり)」を推進することへの賛同が多い。
官庁においては、大手および地元鉄道会社への忖度が伴っている、と私は推量する。
「ウォーカブル」の街のモデルには、車道の車線の数を減らして歩道を拡げるモデル(歩行者利便増進道路、ほこみち;屋外テラス席を推進する意図を含む)が見受けられた(国土交通省 都市局 - "居心地が良く歩きたくなるグランドレベルデザイン")。
教養:筆者(豊橋市 在住、埼玉県 生まれ)は、作曲家でもあるので、文化的存在「駅メロ、発車メロディ (train melody)」の実演をした。
以下の問題を無視しては、その自治体や関係する民間企業などが憂き目を見る結果となりうる。
1. 短期的に、コロナ禍の緊急事態宣言で鉄道を利用した通勤・通学の需要が激減したこと
;つまり、短期的には鉄道利用の全体像として流動性が高い。
;一例としてJR東日本の乗車人員(乗降客数ではない)の指標は、2020年4月からの1年の間(2020年度)の統計が多くの上位駅で3割を超える減少率を示した。コロナ禍に関連する自粛は緊急事態宣言でないときにも大なり小なりあるので、年間であっても増減率に大きな影響を及ぼしたことが分かる。
;満員電車(ソーシャルディスタンスで座席を空けるかどうかは状況による)には、新型コロナウイルス感染症 COVID-19 をはじめとする感染症の空気感染リスクが高いのかと言えば、評価しづらい。多かれ少なかれ窓を開けることによる換気などの努力が行われている。
2. 鉄道労働者の人材、人手不足
;深夜の車両点検などの業務負担も多い。コロナ禍で仕事が減っていそうに見えても、慢性的にそういう問題が示されている。「しゃしょうさんになりたい」の子供たちが直面することになった現実。日本の鉄道業界では、2022年度の新卒採用を多くの会社が減らしていたのに、同じ口で人手不足と言っている構図である。
;若手を中心とした社員の離職が長年の課題と言われる。賃金の改善が叫ばれている。なんと、イギリスなどでは今年の物価上昇のためのストライキ (strike) が行われた業種の筆頭が、鉄道なのである。7月27日実行。この文章を記している7月29日時点で、医療などの生活インフラを支える異業種にも広がると言われている。日本ではこういう柔軟なストライキが起こりづらい。かわりに感染拡大で店じまいという現象ならば多い。
3. 突発的かつ連鎖的である車内や駅での攻撃(暴力)、乗客トラブルの発生
;連鎖的であるが、個々の犯人どうしは組織的つながりが無いので、孤立的でもある。
;他の公共交通機関はどうか?飛行機のハイジャック (aircraft hijacking) というのは21世紀の日本で発生事例が無いし、路線、観光、高速バスのハイジャック (bus hijacking, バスジャックは和製英語) というのは日本で致命的な発生事例が無い(日本で最初の最後の死者を出した例である西鉄バスジャック事件は2000年=20世紀末)である。
;一部の路線では、一部の乗客の沸点が下がったのか、周知があったのか、非常停止ボタンを押すことが心理的にしやすくなった。しかも、小田急電鉄の場合、同じ会社の全路線が一時停車するしくみがあり、運休や発車遅れの二次的な影響が増えた。
4. 社会不安に比例して増える自殺者数と、その手段がホームからの線路飛び降りや踏切の飛び込みであり、たとえ件数が減少しても決して日本社会から無くならないこと
;ホームドアを設置すれば、いくばくかの予防になる。乗り越えて周りの人が助けられずに死んだ例が東海道新幹線・新横浜駅にあるので、過信するつもりはない。それはごく少数の事例である。周りの人2人以上が自殺志願者に食い止める手を貸すだけの猶予が少し生まれる。つまり、時間稼ぎ。そもそも、ホームドアの存在から思いとどまる人(他の手段を選ぶ人;自殺自体はよくないこと)もそこそこはありうる。これは新小岩駅の現在までの経過でよく学ばれる。新小岩駅でも各駅停車ホームにホームドアは無いが、電車の進行方向側から飛び込めば、時速10 km/h 以上出ていて物理的慣性で轢死バラバラが実現しやすいから、このことにも潜在的な悪用リスクがある。
;快速や特急車両に人が飛び込んで運転席フロントガラスが割れることはよくある。血も付着する。運転士には気の毒だが、仕事のうちであり、この現実から逃れられない。一部の鉄道労働者はうんざりしている。そりゃ、やんなるわ。エグいのに直面するばかりか、有象無象の乗客に舌打ちされ、パラノイア・サイコパス男に「いつ再開するんだよ?!」と怒鳴られもするから。
;2022年7月19日、JR神戸線 灘駅で男が姫路行き下り快速電車(6両編成)に飛び込んで自殺した際、ホームに立っていた女性5人が巻き込まれて負傷した。余談だが、「みんなつらい気持ちになるから飛び込みはやめようぜ」などと一般人が言った言葉が、自殺志願者を食い止めることはないし、将来的に自殺念慮を懐きうる人に記憶されて「鉄道自殺はやめておこう」などと手段変更するようなこともない。こういう事故を見ると、人により、「こういうことが繰り返され続ける鉄道業界、ひいては日本社会がうんざりだ」と退廃的に思える。去年12月の大阪ビル放火殺人、同月8日の安倍銃撃殺人も同じ関西で発生し、同月10日の参院選投開票で関西から支持が強い日本維新の会の議席が躍進したところで「職場などで人権状況の改善に期待は無い」と思えば、尼崎市23歳会社員(飛び込み男)だって海の日、3連休明けに通勤服で自殺したくもなるであろう。
;事故運休の極端な頻度では、2022年8月7日のJR宇都宮線 (1踏切、2飛び込み、3飛び込み) と、2022年8月27日の西武新宿線 (1飛び込み、2飛び込み) である。
;2022年8月28日、新宿駅、埼京線のホームから線路に飛び込んで自殺したケースは、興味深い。このホームには、快速などを問わず、どの車両も必ず停車するという理由からか、ホームドアが設置されていない。列車は、ある1両にいくらか人が乗車している状態であれば相当に重いはずであり、時速20キロメートル (20 km/h) 以下の遅い速度であっても物理的な慣性が、線路に横たわった人1人を死に追いやるだけの強さを保つことが予想される。JR東日本は、こういうことで甘く見ていた可能性がある。この方法と、時速60キロメートル以上の速度の列車に正面から当てられるのとで、どちらが苦しい死に方なのかは推測できない。
5. 3, 4に伴う警備強化による人件費の増加
;京成電鉄のスカイライナーに警備員が乗車するようになった。後述のように、これはスカイライナーの運賃の上昇に直接影響した。
6. 4や不慮の事故の発生を考慮したホームドア設置による経費の増加
7. 線路飛び込み、飛び出しと踏切での高齢者や障害者や交通車両の滞留を防ぎうる高架化は、土地の事情と財政的な事情から、各地で徹底することの不可能なこと
;高架化されないでいる、踏切のない線路での「とびだし」事例もある。さらには、2021年10月23日、福岡県久留米市津福本町のJR久大線 小立野2号踏切で女子中学生バラバラ死体が発見された案件は一時、殺人事件か(運転士の誰もが轢いた覚えは無いと話し、列車のどれにも痕跡が見られなかった)と疑われたように、その案件の事実がなんであれ、殺人被害者の遺体を自殺に見せかける手段にも悪用されやすい。
8. そのほかの脆弱性が乗客と沿線の心理に「いろいろあって頼りない」と悪影響を及ぼすこと
;2022年3月16日23時36分発生の福島県沖地震では、走行中の東北新幹線が脱線事故を起こした。軽い人的被害にとどまったが、地震による新幹線脱線事故は過去に上越新幹線でも発生した。防ぐのは困難である。
;各地で鉄道施設が炎上することもよく見られる。去年11月、埼玉県蕨市のJR東日本 蕨交流変電所で火災が発生した。
;いくら金儲け営業に忙しいのだとしても、名鉄名古屋駅でシステムが2022年現在も Windows XP であるのは、IT脆弱性の観点でも疑わしい。日本国内はもとより、諸外国の鉄道でもそういう事情があるかは定かでないが、やはり安全性がないがしろにされているような印象がある。影響が少なめのとき、事前に告知したうえで、システムのアップデートのために鉄道の運行を止めてもよいのでは?
;痴漢被害については、無言で被害を主張できるアプリというものを使っても使わなくても、自助努力や周囲の人の協力というのが相応に見られている。とはいえ、発覚しない痴漢被害というのも多かろう。鉄道会社の協力体制までは分からない。女性専用車両を増やす必要性は聞かれない。コロナ禍で減便しても、車両内が満員でない、密集しない状況では発生率が相当に低いはずだが、諸外国の訪日観光客がまた月100万人以上となって満員になりやすい地域が増えてからは、どうなるか?
;新設予定のリニア中央新幹線の工事においては、2021年10月27日の崩落事故で作業員2人が死傷した。同じく、2021年11月と2022年3月にも負傷者の出る労災事故が発生した。鉄道以外の同種の工事では、今年も神奈川県山北町の新東名高速道路のトンネル工事現場で作業員2人が巻き込まれて重軽傷を負っている。同種の工事で労働災害は決して防ぎきれない。安全対策が十全であっても防げない事故は、そもそもその工事の存在が殺人的であると言える。しかし、いくらかの例は安全対策が十全でないとか、事前の調査不足であるとか、人為的エラーがある、ということも考えられる。同リニア工事で、静岡県サイドが大井川での工事に苦言しているのも、静岡県函南町周辺「丹那トンネル」における大量湧水の漏水事故(地下水が枯渇するなどして地域の農業に大打撃を与えた)の前例による懸念が大きいと考えられる。同種の懸念は北陸新幹線延伸計画にも言われている。その中身は、京都丹波高原国定公園で大深度地下工事が行われることに伴う、地下水への影響である。建設残土(受け入れ、盛り土が問題になる)についても、懸念が言われている。私から一言言えることは、JRやNEXCOなどの事業主体と大手ゼネコンら実施者が「安全神話」にとらわれることなく、事前調査と説明責任を果たすようにしてほしい。
9. 財政的な事情から、営業赤字、不採算事業となっている鉄道路線(過疎エリアに多い)の廃線と他の交通手段への置き換えが検討されている事情
;去年から政府をはじめとして議論が続いている。2022年7月以降、JR東海以外のJR各社は、国の検討会で輸送密度が基準以下の路線を公表した。JR東日本は利用者少ない区間の「線区別収支」を初めて公表した。
10. 電力などエネルギーの高騰が今年はいろいろな要因から強まっており、最終的には鉄道の利益に影響すること
11. 強風(台風、竜巻、突風など)、大雨(豪雨)、落雷、地震、噴火などの被害として、設備に影響が出たり、乗客の安全に及ぶ事故になること
;これは普通の自家用車や、高速道路などの道路交通全般にも言えることである。「影響が出る」とは、川の上の橋の崩落(陸橋、跨線橋はほぼ無い)、変電所火災、停電、倒木などである。「乗客の安全に及ぶ事故になる」とは、脱線事故などである。
;地方は何かと頻繁に上記の災害に遭っていて一つの種類の災害とその二次被害に憂えている中で別の災害が無関係に発生(e.g., 2016年4月の複数回にわたる最大震度7観測の熊本地震の後、同年に阿蘇山噴火)することもある。その地域の経済や財政を下支えしている農業がある場合、それが打撃を受けることもその地域に禍根を残す。よほど愛着のない限り、そういう地方から様々な層が出て行き、ごくわずかな民家以外は老人ホームなど高齢者福祉施設しか新しい開発が無くなる
12. 鉄道ファンの中でも「撮り鉄」が反社会的な暴力行為を頻繁に行うことに変化が無いこと
;「数ある中のごく一部で全体を評価するな(一斑全豹だ)」という「あるある反論」はさておき、そういう事態が世間で認知されることに今も変化がないことで、鉄道そのものへの嫌悪感をいだく人もいる。彼らのサブカルチャーの中で持続可能性を念頭に置いた道徳意識を互いに共有するなどの努力がされ、少しずつでも改善が見られないと、やはり全体が悪いように思われるのは当然である。「限定した常同的で反復的な関心と行動」などの発達特性を持つ人たちが多いということで、一般社会人は手を貸すのが難しい。彼らの「好きスキ」なもので丁寧に教える方法くらいしかできない。
;歴史的に、もっとも知られたものが埼玉県大宮駅での駅員に対する「どけ! KY!」など多数の暴言罵声(駅員がしゃがむと「ありがとう」と拍手歓声)を浴びせたできごと(2009年3月以前の不明の時期、TVでも報じられていた。転載動画のみ現存?当駅は他にも多く同様の事態や脚立持ち込みによるマナーの悪い撮影行為が繰り広げられる)であろう。東京都八王子市の住宅の植物に対する連続切り倒し事件はかなり前であるが、忘れられない。去年末にも京都市の大学生によるロープ切断があった。これらは撮影の障害物を排除しようとする動機で行われた器物損壊罪である。ほかの迷惑行為は枚挙にいとまがない。「車内通報ボタン」の悪用など、今年もたくさん聞かれている。西川口駅ホームでの、撮り鉄会社員が、他の撮り鉄と言い争いになった様子を撮った中学生へ暴行して逃走した事件のように、鉄道撮影行為そのものと別のことで刑事事件になったケースもある。なお、人身事故やトラブルに関連した情報提供をする撮り鉄は「撮り鉄さん」と呼ばれやすい。
13. 中心的な駅前にかつて多かった百貨店や商店街の店舗は閉業が続き、店舗数が減っており、時代の変化が見られること
;「市街地の空洞化」問題とは別次元である。
;鉄道系百貨店デパートは、かつて圧倒的に「西武百貨店」が多くあり、西武グループ社長が長年、Forbes 長者番付の世界一であった。その時代も過ぎて久しく、西武百貨店は多くが再開発で高さ 60 m 超の高層ビル(オフィスビル、複合ビル、タワマンなど)に変容した。ほかの百貨店はもちろん、マルイ(丸井)、パルコ Parco のような類似の商業施設も、閉店が続いている。いくらかのファッションビルや生活的な駅前型イトーヨーカドーにその波は及んでいないように見えるが、後者はその足音が近づいているようである。2022年現在、千葉市では三越百貨店跡やパルコ跡がタワーマンションに建て替えられようとしており、千葉県船橋市でも船橋駅前の西武百貨店跡(西武船橋店の本館とLoft館)が2棟のオフィスビル(ただし高さは60m未満)に変わろうとしている。愛知県豊橋市では2000年代に西武百貨店跡がココラフロントになっているほか、2020年2月に閉館したほの国百貨店(それ以前は丸栄百貨店)の既存建築物が2021年から2022年にかけて解体され、こちらも百貨店にならない、と確定的な情報は聞かれていないが、多分そうである。こればかりは路面電車の停車場が近いというもので、普通の鉄道駅からは遠い。埼玉県は正反対に、閉館して廃墟となった百貨店に開発計画も無く、既存の百貨店が閉館するという話も上がっていない。例えば、そごう川口店(閉店当初から聞かれたビックカメラ説は進展なし、集団接種会場としての利用は何度か経験)は2021年2月28日に閉業して1年経過しても解体されず、開発計画も無いし、大宮駅周辺など埼玉県内全体で百貨店が閉館するという話も上がっていない(調べると、小規模な坂戸市の丸広百貨店があった)。埼玉は、千葉や多くの地域と違い、この種類の再開発が皆無である。一部の千葉県民は、駅前のデパートなどを「時代遅れ」と単純に評価していた。さて、駅の近くに商業施設を置く大きなデメリットは、固定資産税や維持費などがあるかと思うが、昔建てられたものは老朽化や建築基準不適合であるのみならず、最新の事情を反映していない不都合さを持っている。どういう交通手段で顧客が来るか、ということで自転車とか自動車とか、何かしら都合がよくない可能性もある。顧客のみならず、運送業者の都合、駅利用の歩行者の都合なども。周辺の歩道や車道の広さや、他の建物との空間なども、最新の事情に合わないものが、早期に解体されて別の建物に生まれ変わる結果となった経緯を物語っている。百貨店の人気があるとかないとかの客観的判断や、今後に復活する/リバイバルが来るという予想をするつもりはない。私には、消費者心理として、何か鉄道利用による中長距離のショッピングそのものが敬遠されているように映っている。遠因にはネット通販 E-commerce も絡んでいるであろうが、ここでは問題視しない。交通手段がまず意識的にどうあるか、調査の必要がある。実際に百貨店の数が減っている状況では、そういうショッピングの選択肢が減っている事実があるし、それによる鉄道利用も少なくなる。
14. 3, 4, 5, 6, 10, 11を原因とした運賃値上げ
;乗客離れになると言いたいが、値上げから短期間で簡単に離れるということではない。まず心理的な嫌悪感があり、敬遠する気持ちも生まれ、将来的な交通手段と移住先とライフスタイルとが、自転車や自動車を交通手段とした方法で充足するものであることを一般市民が考えるようになる。その消費者心理をくみ取る事業者が不動産や街づくりに参与する場合、そういう設計になる。コンパクトシティなどでベネフィットとリスクのどちらに天秤が傾くかは場所によるが、かなり悪い想定ではこうなる。社会ぐるみで人権状況に改善なく、4, 5, 6の事態が頻発するような地域では、値上げ幅や回数も長期的に増え、残念ながら「悪い想定」の実現に駒が進む。「不合理な認知バイアス」と言われる筋合いはない。確証バイアスと正常性バイアスは両方、排除されている。実際、私は鉄道支持者であるから、過信しないで負の側面をここで紹介し、自身の安全性のために注意している。環境政策における「世界終末時計 (Doomsday Clock)」ではないが、私は人権状況の改善を促したいのみである。実際、今まで大した改善もできずに来たのが日本社会である以上、さらなる悪化を防いでもらわないと、鉄道業界も憂き目を見ることになる。「全日本人が相乗りする地獄への特急列車」。
;上の話は補足事項であり、実際に運賃値上げは各社で行われてきたし、さらなる値上げ検討も多い。理解を示す顧客は多かろうが、社会が疲弊する中で日常的に使って感謝するからである。一方、嫌悪感を持つ人たちは運賃の高さのみならず1番に挙げた「感染リスク」のこともあって長距離通勤の日常よりはテレワーク(在宅勤務)を選ぶようになるのもある。鉄道会社の多くは減収減益と値上げの負のスパイラルに置かれる。
解析と提言:
人命を第一に考えた方法の鉄道路線持続は、SDGs 「だれひとり とり残さない」"Leave no one behind" (LNOB) の観点からも、これからの時代のカギである。
文字通り、人の命と夢を乗せたものが、「とり残された人」の自殺に用いられる、無差別攻撃に用いられることが後を絶たないようでは、メンツが立たない。
「安全神話の崩壊」とは、鉄道に限らず、多くの分野で2010年代以降に次々と見られた日本国内の事情とセットで日本国民に思わせる感情を指す。
各種ものづくりの産業、建設業でも十分だが、鉄道、医療に加え、2022年7月8日の安倍晋三銃撃暗殺事件は民衆に心理的に強い影響を与えたのではないか、と私は推察している。
鉄道と街づくりの件は、政治の部門でいうと、主に国土交通省と関連が深い。
他方、自動運転技術と空飛ぶクルマ(タクシーなど)とドローンと電気自動車の普及に加えて新しい道路交通を考える必要性もあり、これらすべての事情は混沌としている。
なので、時代の進行(衰退)も混沌としている今の状況を、上手くまとめることは日本国で不可能に近いし、今の与野党のどの人材にも、期待できない。
日本の下層民衆にこそ、民主的努力の心と監視が必要であっても、その手前の「反省」、そのまた手前の「自覚」にさえ及ばない。
斯様な上下万民に、前進も善心も無い。
一「幽霊市民」にどうしようもない多くの問題が認識されていても、私の交通手段として鉄道が重要なことは揺るぎないので、引き続き、注意しながら利用しよう。
各々の立場でできる注意があり、幽霊市民は幽霊市民なりに、鉄道事業関係者や交通行政関係者は彼らなりに、その努力の中で、必要な答えが見いだせると運が良い、くらいのものである。
以上、個々の問題を見て自覚や注意だけは持っていただきたい、としてこの章を締めくくることとする。
P.S.: 2022年9月21日、東海道新幹線 豊橋駅ホームで、のぞみ229号が通過する際に人が飛び込む人身事故(自殺事案)が発生した。2021年10月18日にも同様のケース(のぞみ16号)が発生しており、短いインターバルでの再発である。「自殺の名所」の風評被害に及びかねない。私の豊橋ライフは、新幹線に始まり、新幹線に終わると言っても過言ではないので、冗談抜きにホームドア設置を急がれたい。本文に「乗り越えて周りの人が助けられずに死んだ例が東海道新幹線・新横浜駅にある [...] それはごく少数の事例である。周りの人2人以上が自殺志願者の食い止める手を貸すだけの猶予が少し生まれる [...] ホームドアの存在から思いとどまる人」と記されるように、反例をはねのけて人命重視の対応に、JR東海と豊橋市行政は急がれたい。
最新の新幹線豊橋駅ホーム自殺事故の2日後、9月23日、西九州新幹線の開業日の記念式典で午前6時、嬉野温泉駅の「1日駅長」として豊橋生まれ、豊橋ふるさと大使の松井玲奈が登場の怪。ありえない偶然「豊橋、新幹線」ニュース乱発で社会撹乱!松井玲奈の同日午後、台風15号の接近で各地の鉄道が運転見合わせの憂き目を見た。先陣を切ったのが、東海道新幹線 豊橋駅と三河安城駅の間にある雨量計における規制値 超えであった。10月9日、NHK News Web - "東海道新幹線 三河安城~浜松の上下線で運転見合わせ"、本文によれば「豊橋駅で人が線路内に立ち入った影響」なのだそう。記事を読む前から「また豊橋か!」と嫌な予感がしていた、感想。犯人は逃走成功と見られたことで、おばけ扱い;幽霊まで人権擁護主張に動員され始めたようである。私が「来豊」する原点の豊橋駅・新幹線ホームで頻繁にトラブルの発生を許す、その豊橋に、「地元愛、郷土愛を持て」と言われても、今や叶わない。エンタメやスポーツよりも大事なこと、分かりますか?
2022年10月14日(鉄道の日、1872年10月14日の新橋駅、のちの汐留駅と、横浜駅、のちの桜木町駅の開業による;150年)に、『現住と故郷「豊橋と埼玉」の話はそろそろ終幕か & ブログ開設10年』という記事から、内容を独立させた。
そちらの記事は、もう少し後の時間、Ld. 本家ブログで投稿される。
起草日は本年8月下旬か?
同じ記事の同じ章のうちで、「余談1」、「余談2:」として、「バス (bus, 特に路線バスと高速バス) 」や、「ライフラインとしてのインターネットカフェ(マンガ喫茶、ネットルーム、個室カラオケ店などを含む)」の話題も、現住と故郷「豊橋と埼玉」のために言及されている。
同じ章が「人命を第一に考えた方法の鉄道路線持続」を主軸としているように、「バス」、「ネットカフェ」も同様である。
2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2022年10月14日金曜日
2022年10月3日月曜日
事業者目線:できる努力を尽くした幽霊市民が一般就労するのは無理、という現状
☆事業者、求人者の質問☆
学歴や資格や経歴といった一般的に評価しやすいもの以外で、能力を判断できる求人の募集方法はありますか?
自分の会社の人事戦略会議で、そういう方法で人材の募集ができることを提案しようと思っています。
例えば、求職者や人材の自己申告になりますが、まず意思と行動力があり、いろいろと科学分野の学問研究をしてきたり、社会的な記事の執筆をしたり、芸術作品を作ったり、他の人に無い知見がある、という感じのアピールが中心になっていて、そういう方が実際に企業など事業者に紹介された後、しっかりと雇用され、勤務がなりたち、事業に貢献した…、という事例があるのがよいと思います。
ございましたら、会社やサービス名(求人メディア、求人媒体、人材派遣、就職エージェント)でお答えください。
TwitterなどのSNSみたいに、紹介業務の契約を伴わない方法で募集するくらいしかないのでしょうか?
☆質問者から、とある回答への返信☆
*** さんご回答ありがとうございます。
「こういう質問を〇×でする時点で仕事できなそう」みたいな批判は、されそうだと思っていましたが、でしょうね。
本文で「という事例があるのがよいと思います。ございましたら、会社やサービス名でお答えください」と記しましたが、できれば、それについてのご回答をよろしくお願いします。
つまり、*** さんにとっては、「そんな活躍する人材の事例は、ありえないだろうし、そんな募集方法のできる人材派遣や求人サービス名とその会社は日本に存在しない」ということですか?
こちらとしては、もちろん自己申告であっても、その応募者の学んだことや作品などを、具体的なものでアピールされることを期待しています。
はっきりご回答がもらえない場合、LinkedInや専門サイトで質問します。
☆回答(ベストアンサー)☆
そのような事例も、募集方法なども、無いのだと思います。
日本型雇用の中核にある「新卒一括採用」はコロナ禍のただなかでも揺らいでおらず、柔軟性は不十分です。
「23卒」云々の質問投稿が人気なのでも、分かります。
去年までのコロナ禍だと、コロナショックに関連した「内定取り消し」が問題になっていました。
新卒への執着が事業者からも就活生、求職者からも消えれば、就職氷河期世代とかロストジェネレーションとか社会貢献の意欲の喪失とか、そういう事態の発生も防げるのですが。
日本ビジネスのモラハラ上司、職場の「替えはいくらでもいるんだよ」という圧力で、無機質に有能な労働人材大卒が多くいても、これらがモンスター社員、地雷になりそうです。
無機質に有能な労働人材大卒と一緒に、多様なバックグラウンドの人材もいれば、成長の突破口になりそうなのですが、そうでないと大企業正社員の収入が成長し続ける一方で、国全体のGDPや景況感の移動平均などはゆっくり悪化します。
大震災の引き金や安倍暗殺のように、予期しないとき、地雷が多数、一斉に爆発する可能性もあります。
また、終身雇用は無くなりつつあります。
ダイバーシティ採用というのは大変ですね。
外国人材、グローバル人材というので、多少、進んできても、留学生問題で韓国や台湾にパイが取られた日本の恥ずかしさは本当に深刻です。
質問者さんは、若い世代に希望を持ってもらおうと、何かしら求人や雇用の形態の多様性を求めたのでしょう。
所属は、スタートアップ企業、ユニコーン企業か何かでしょうか?
ある人が、普通の学生よりも意思や才能があって努力に秀でたところがあっても、それで大学の特待生と認定されて学費免除になるなんて制度もありませんから、労働人材大卒が増えても、社会のアレコレが改善された試しはありませんでした。
※プリンストン大学は低所得世帯の学生に援助を徹底し、ローン(借金)を撤廃する (no loan, debt-free) など、アメリカ合衆国では大学、高等教育で社会経済的多様性 socioeconomic diversity を重んじて努力を進めています。
遠い未来、ロボティクス普及で「技術的失業 (technological unemployment)」の最たるものも考えられますが、現段階では人手不足が聞かれます。
今でさえマンパワー人手不足を改善する有効な手段を打ち出せず、多少の上げ幅で賃金を上げるのが精一杯です。
社会福祉の観点でも、「蔑ろにされた人々」が社会的包摂を受けられないと、国家は日本沈没への時計の針を止めることができません。
障害者福祉さえ受けられない隠れ障害者や幽霊市民も増え、一般的には少子高齢化、社会復帰できない累犯の犯罪者も増えます。
キャリアの多様性など、日本では考慮されないでダイバーシティ採用などと調子のいいことを言います。
「年功制、年功型人事」から「ジョブ型人事」に転向する道も険しいこと。
現政権(菅、岸田)による「リカレント教育」や「OJT」や「リスキリング」の推進は、方向性として良いようでも、何かが欠けています。
「生まれも育ちも不幸が少ない、上の人」が贅肉を維持するのに向いており、国家のがん細胞増殖(浸潤)を止める「職業訓練、自立支援」は等閑視でしょうか?
今後は災害の激甚化によって普通の社会生活を送るのが難しい人が、一時的にも長期的にも増えるに違いありません。
そうなるまでに、国力と覚悟を備えて種々の課題に立ち向かいましょう。
もう1点。
TwitterなどのSNSみたいに、紹介業務の契約を伴わない方法で募集するくらいしかないのだと思います。
関連用語:
「福祉的就労」…主に、障害者の就労継続支援の別名。そうである限り「障害者雇用枠」は含まれない。
「福祉的雇用」…高齢者、シニア採用の「成果を期待しない」という批判的、侮蔑的、意味で用いられる用語。実際に「福祉的雇用から脱して」とか「脱・福祉的雇用」とか「人生100年時代の働き方:『福祉的雇用』から『仕事ベースの処遇』へ」など、2022年8月22日時点の私向けのGoogle検索結果の上位10件以内では否定的な用法のみ見られる。
結論:
義務教育期間に不登校で最終学歴が小卒や中卒である、いわゆるニート (NEET, 元の英国では満16-18歳に限っていた) やひきこもりの人で、「社会的去勢を受けても孤独に努力して学問や芸術など可能な範囲で修めた人」が就職することは、今の日本国で現実的ではない。
「顔で採用」とか「職場のアイドル、癒しのアイドルがほしい」とかのそれらも、望まれない。
後者は特に、ネコ(猫、ねこ)のようなヒト以外の動物を職場で飼うことで実現する事例が多い。
ヒトでその役職を置いても、主観的に認識しても、セクハラ、パワハラ、同性からのいじめ嫌がらせなどの温床になる。
動物福祉やとか労働者福祉とは別に、普通、「職場のアイドル、癒しのアイドル」はいない。
コンサルタントとかメンタルマネジメントみたいなのはペット動物にできないことなので、そういうのを、そういう人材にやらせる案(能力の有無を簡単にテストしたうえで必要な資格取得の補助をする)も世間には無かろう。
不安定な、根無し草扱いになりそうな、フリーランス(最近は認識が変わりつつあるが未熟)や同人の活動に甘んじるのが、いくらかの人のできることである。
私は過度に社会へ期待していないが、こういうことでひとまず調査は済ませた。
結局は、知り合いのいる首都圏へ行って意識高い系の自治体で生活保護を申請し、何かしらの方法で審査を待ち、通過すれば、生活保護受給者となって家賃と生活費の比較的低いエリアの物件を見つけて(移管手続きを兼ねて)移住し、それからは社会全体の意識が改善されるまで過ごすしかない。
独立生活保護受給を目指す実家在住者は、こういう社会的な知識を学んで理論武装し、「学歴、資格、職歴、生活歴、どれも就労に現実的でないし、労働災害になって持続しない」と主張するほかない。
今までと同じく、手をこまねいて待つのではなく、できる努力を尽くそうと行動することに何も変わりはない。
起草日:2022年8月22日
起草以後、前年7月22日に大阪府高槻市で発生した殺人事件被害者Nとの養子縁組書類偽造(有印私文書偽造、違法行為)で逮捕された男(高井凜、新字体:高井凛、旧姓:松田)に、殺人容疑が固まった。
この犯人は、本年9月1日7時、大阪府警・福島警察署での拘留中に自殺を図り、後に死亡が確認された。
外資系生命保険会社の元社員などと報道され、その人物がどういう人生を送ったかなどはここで詳細に記さず、一般のニュースソースに譲る。
しかしまあ、ここまで保険金殺人のようなものを行うのに、すごい執念があったものである。
保険業の仕事でも狡猾な悪事を重ねていたそうである。
犯行に及ぶ前、保険募集人の資格を取り消され、仕事を退社するなどしていたようである。
この人物について報道された情報によれば、異性関係や豪奢な生活のために金銭のことで執着し、どれほど汚い手段をもいとわなかった、と感じられる。
最果てに、逮捕されて自殺した、「悪行の道に生まれて死んだ命」に見える。
2017年に『本来的・本質的に「優しい心・思いやり」が人間に備わっている事の理の論証 ~ 2つの真理』という記事を投稿したのは、無慈悲ないじめのできる少年少女、「サイコパス、パラノイア」と呼ぶべき人であっても、ある種の「主観的真理」によれば、「優しい心・思いやり」があり、一時的に埋没していても「厚い雲に覆われた太陽のように」なんとか機能を復活させることができる…、という信念を記していた。
日本社会には、人事と雇用において、学歴や職歴で人物の職業パフォーマンスとスキルを評価するばかりか、他の面でもそういう傾向がある。
この希少な例に限らず、そういう評価方法は破綻してきている。
社会人、シャカイジン様がたの人物鑑定眼が劣化している。
この転落凶悪犯の自殺を許した大阪府警の監視体制の甘さは、自殺リスクを見抜けなかったセンスの無さにある、という趣旨の批判も出ている。
日本国において、悪人ののさばる仕組みがあり、社会悪がうまく治るだけの社会運用ができていない、ということを私は再確認した。
日本社会では、山口県阿武町ホームセンター社員の事件や、東京国税局の職員らが行った不正受給事件からも分かるように、「地道に働いてコツコツと貯金して幸せになれ」という一般的信念が通じなくなりつつある。
「悪のために生まれて死んだ命」でないならば、日本社会の「地道に働いてコツコツと貯金して幸せになれ」という同調圧力のある社会が、遠回しに、こういう「強がりの人」を育てたろう。
この犯人も「腐敗堕落社会、停滞社会」の犠牲者なのかもしれないが、個人の心の悪が一定の段階に至っては、誰もそれを直せなかったろう。
彼が自信をどれほど有能だと位置づけても、「やっていいことと悪いこととがある」、そういう考えに加えて、逮捕された場合のリスクも考慮し、思いとどまる、ということがなかった。
ある部分は有能でも、破滅的な結果を招き、ちっぽけな教訓くらいしか残していない。
「ベストアンサー」文中、「プリンストン大学」の件。
9月にも新しく、さらなる支援策が発表され、大きな反響があった。
アメリカ合衆国では大学、高等教育で社会経済的多様性 socioeconomic diversity を重んじて努力を進めている、ということが現在進行系で伝わってくる。
日本国の「中卒」逆スティグマ(根拠なく嫌いな人間を「中卒だ」とみなす差別幻視行為)と、旧統一教会献金被害者問題(高卒が多い)と、博士号取得者数減少(もしくは国家間での順位低下)には、それだけの社会的停滞(成長したがらない国、国民に成長への意欲を持たせない国)を思わせてならない。
ダイバーシティ採用というと、今、住んでいる愛知県豊橋市の勉強会での「ダイバーシティ雇用」の考えに2022年1月24日動画説明文でつっこみを入れたことがあった。
「高齢者・女性・障がい者・外国人など」としても、すべての人を包摂するのではなく、ハナから「成人かつ弱者」と「分けられた(分別された/差別された)」「高齢者・女性・障がい者・外国人」を念頭に置いているとしか思えない。
地元についてよく考えよう、の巻 あっと 住み続けても住み続けなくても。
そうであるうちは、豊橋市が「人づくりNo.1をめざす」とすることについても、一考の余地がある。
豊橋市の地域若者サポートステーションが「板橋区のそれ、練馬区のそれ、足立区のそれ、長岡市のそれ、富山市のそれ、北九州市のそれ、春日部市のそれ、同じ愛知県春日井市のそれ、蒲郡市のそれ、一宮市のそれ…」どこと比べても、「車の運転できない社会的弱者(肢体不自由と視覚不自由の身体障害者、発達障害者、貧困者、社会経験ゼロの人)」に不便な立地であることが浮き彫りになっている。
学歴や資格や経歴といった一般的に評価しやすいもの以外で、能力を判断できる求人の募集方法はありますか?
自分の会社の人事戦略会議で、そういう方法で人材の募集ができることを提案しようと思っています。
例えば、求職者や人材の自己申告になりますが、まず意思と行動力があり、いろいろと科学分野の学問研究をしてきたり、社会的な記事の執筆をしたり、芸術作品を作ったり、他の人に無い知見がある、という感じのアピールが中心になっていて、そういう方が実際に企業など事業者に紹介された後、しっかりと雇用され、勤務がなりたち、事業に貢献した…、という事例があるのがよいと思います。
ございましたら、会社やサービス名(求人メディア、求人媒体、人材派遣、就職エージェント)でお答えください。
TwitterなどのSNSみたいに、紹介業務の契約を伴わない方法で募集するくらいしかないのでしょうか?
☆質問者から、とある回答への返信☆
*** さんご回答ありがとうございます。
「こういう質問を〇×でする時点で仕事できなそう」みたいな批判は、されそうだと思っていましたが、でしょうね。
本文で「という事例があるのがよいと思います。ございましたら、会社やサービス名でお答えください」と記しましたが、できれば、それについてのご回答をよろしくお願いします。
つまり、*** さんにとっては、「そんな活躍する人材の事例は、ありえないだろうし、そんな募集方法のできる人材派遣や求人サービス名とその会社は日本に存在しない」ということですか?
こちらとしては、もちろん自己申告であっても、その応募者の学んだことや作品などを、具体的なものでアピールされることを期待しています。
はっきりご回答がもらえない場合、LinkedInや専門サイトで質問します。
☆回答(ベストアンサー)☆
そのような事例も、募集方法なども、無いのだと思います。
日本型雇用の中核にある「新卒一括採用」はコロナ禍のただなかでも揺らいでおらず、柔軟性は不十分です。
「23卒」云々の質問投稿が人気なのでも、分かります。
去年までのコロナ禍だと、コロナショックに関連した「内定取り消し」が問題になっていました。
新卒への執着が事業者からも就活生、求職者からも消えれば、就職氷河期世代とかロストジェネレーションとか社会貢献の意欲の喪失とか、そういう事態の発生も防げるのですが。
日本ビジネスのモラハラ上司、職場の「替えはいくらでもいるんだよ」という圧力で、無機質に有能な労働人材大卒が多くいても、これらがモンスター社員、地雷になりそうです。
無機質に有能な労働人材大卒と一緒に、多様なバックグラウンドの人材もいれば、成長の突破口になりそうなのですが、そうでないと大企業正社員の収入が成長し続ける一方で、国全体のGDPや景況感の移動平均などはゆっくり悪化します。
大震災の引き金や安倍暗殺のように、予期しないとき、地雷が多数、一斉に爆発する可能性もあります。
また、終身雇用は無くなりつつあります。
ダイバーシティ採用というのは大変ですね。
外国人材、グローバル人材というので、多少、進んできても、留学生問題で韓国や台湾にパイが取られた日本の恥ずかしさは本当に深刻です。
質問者さんは、若い世代に希望を持ってもらおうと、何かしら求人や雇用の形態の多様性を求めたのでしょう。
所属は、スタートアップ企業、ユニコーン企業か何かでしょうか?
ある人が、普通の学生よりも意思や才能があって努力に秀でたところがあっても、それで大学の特待生と認定されて学費免除になるなんて制度もありませんから、労働人材大卒が増えても、社会のアレコレが改善された試しはありませんでした。
※プリンストン大学は低所得世帯の学生に援助を徹底し、ローン(借金)を撤廃する (no loan, debt-free) など、アメリカ合衆国では大学、高等教育で社会経済的多様性 socioeconomic diversity を重んじて努力を進めています。
遠い未来、ロボティクス普及で「技術的失業 (technological unemployment)」の最たるものも考えられますが、現段階では人手不足が聞かれます。
今でさえマンパワー人手不足を改善する有効な手段を打ち出せず、多少の上げ幅で賃金を上げるのが精一杯です。
社会福祉の観点でも、「蔑ろにされた人々」が社会的包摂を受けられないと、国家は日本沈没への時計の針を止めることができません。
障害者福祉さえ受けられない隠れ障害者や幽霊市民も増え、一般的には少子高齢化、社会復帰できない累犯の犯罪者も増えます。
キャリアの多様性など、日本では考慮されないでダイバーシティ採用などと調子のいいことを言います。
「年功制、年功型人事」から「ジョブ型人事」に転向する道も険しいこと。
現政権(菅、岸田)による「リカレント教育」や「OJT」や「リスキリング」の推進は、方向性として良いようでも、何かが欠けています。
「生まれも育ちも不幸が少ない、上の人」が贅肉を維持するのに向いており、国家のがん細胞増殖(浸潤)を止める「職業訓練、自立支援」は等閑視でしょうか?
今後は災害の激甚化によって普通の社会生活を送るのが難しい人が、一時的にも長期的にも増えるに違いありません。
そうなるまでに、国力と覚悟を備えて種々の課題に立ち向かいましょう。
もう1点。
TwitterなどのSNSみたいに、紹介業務の契約を伴わない方法で募集するくらいしかないのだと思います。
関連用語:
「福祉的就労」…主に、障害者の就労継続支援の別名。そうである限り「障害者雇用枠」は含まれない。
「福祉的雇用」…高齢者、シニア採用の「成果を期待しない」という批判的、侮蔑的、意味で用いられる用語。実際に「福祉的雇用から脱して」とか「脱・福祉的雇用」とか「人生100年時代の働き方:『福祉的雇用』から『仕事ベースの処遇』へ」など、2022年8月22日時点の私向けのGoogle検索結果の上位10件以内では否定的な用法のみ見られる。
結論:
義務教育期間に不登校で最終学歴が小卒や中卒である、いわゆるニート (NEET, 元の英国では満16-18歳に限っていた) やひきこもりの人で、「社会的去勢を受けても孤独に努力して学問や芸術など可能な範囲で修めた人」が就職することは、今の日本国で現実的ではない。
「顔で採用」とか「職場のアイドル、癒しのアイドルがほしい」とかのそれらも、望まれない。
後者は特に、ネコ(猫、ねこ)のようなヒト以外の動物を職場で飼うことで実現する事例が多い。
ヒトでその役職を置いても、主観的に認識しても、セクハラ、パワハラ、同性からのいじめ嫌がらせなどの温床になる。
動物福祉やとか労働者福祉とは別に、普通、「職場のアイドル、癒しのアイドル」はいない。
コンサルタントとかメンタルマネジメントみたいなのはペット動物にできないことなので、そういうのを、そういう人材にやらせる案(能力の有無を簡単にテストしたうえで必要な資格取得の補助をする)も世間には無かろう。
不安定な、根無し草扱いになりそうな、フリーランス(最近は認識が変わりつつあるが未熟)や同人の活動に甘んじるのが、いくらかの人のできることである。
私は過度に社会へ期待していないが、こういうことでひとまず調査は済ませた。
結局は、知り合いのいる首都圏へ行って意識高い系の自治体で生活保護を申請し、何かしらの方法で審査を待ち、通過すれば、生活保護受給者となって家賃と生活費の比較的低いエリアの物件を見つけて(移管手続きを兼ねて)移住し、それからは社会全体の意識が改善されるまで過ごすしかない。
独立生活保護受給を目指す実家在住者は、こういう社会的な知識を学んで理論武装し、「学歴、資格、職歴、生活歴、どれも就労に現実的でないし、労働災害になって持続しない」と主張するほかない。
今までと同じく、手をこまねいて待つのではなく、できる努力を尽くそうと行動することに何も変わりはない。
起草日:2022年8月22日
起草以後、前年7月22日に大阪府高槻市で発生した殺人事件被害者Nとの養子縁組書類偽造(有印私文書偽造、違法行為)で逮捕された男(高井凜、新字体:高井凛、旧姓:松田)に、殺人容疑が固まった。
この犯人は、本年9月1日7時、大阪府警・福島警察署での拘留中に自殺を図り、後に死亡が確認された。
外資系生命保険会社の元社員などと報道され、その人物がどういう人生を送ったかなどはここで詳細に記さず、一般のニュースソースに譲る。
しかしまあ、ここまで保険金殺人のようなものを行うのに、すごい執念があったものである。
保険業の仕事でも狡猾な悪事を重ねていたそうである。
犯行に及ぶ前、保険募集人の資格を取り消され、仕事を退社するなどしていたようである。
この人物について報道された情報によれば、異性関係や豪奢な生活のために金銭のことで執着し、どれほど汚い手段をもいとわなかった、と感じられる。
最果てに、逮捕されて自殺した、「悪行の道に生まれて死んだ命」に見える。
2017年に『本来的・本質的に「優しい心・思いやり」が人間に備わっている事の理の論証 ~ 2つの真理』という記事を投稿したのは、無慈悲ないじめのできる少年少女、「サイコパス、パラノイア」と呼ぶべき人であっても、ある種の「主観的真理」によれば、「優しい心・思いやり」があり、一時的に埋没していても「厚い雲に覆われた太陽のように」なんとか機能を復活させることができる…、という信念を記していた。
日本社会には、人事と雇用において、学歴や職歴で人物の職業パフォーマンスとスキルを評価するばかりか、他の面でもそういう傾向がある。
この希少な例に限らず、そういう評価方法は破綻してきている。
社会人、シャカイジン様がたの人物鑑定眼が劣化している。
この転落凶悪犯の自殺を許した大阪府警の監視体制の甘さは、自殺リスクを見抜けなかったセンスの無さにある、という趣旨の批判も出ている。
日本国において、悪人ののさばる仕組みがあり、社会悪がうまく治るだけの社会運用ができていない、ということを私は再確認した。
日本社会では、山口県阿武町ホームセンター社員の事件や、東京国税局の職員らが行った不正受給事件からも分かるように、「地道に働いてコツコツと貯金して幸せになれ」という一般的信念が通じなくなりつつある。
「悪のために生まれて死んだ命」でないならば、日本社会の「地道に働いてコツコツと貯金して幸せになれ」という同調圧力のある社会が、遠回しに、こういう「強がりの人」を育てたろう。
この犯人も「腐敗堕落社会、停滞社会」の犠牲者なのかもしれないが、個人の心の悪が一定の段階に至っては、誰もそれを直せなかったろう。
彼が自信をどれほど有能だと位置づけても、「やっていいことと悪いこととがある」、そういう考えに加えて、逮捕された場合のリスクも考慮し、思いとどまる、ということがなかった。
ある部分は有能でも、破滅的な結果を招き、ちっぽけな教訓くらいしか残していない。
「ベストアンサー」文中、「プリンストン大学」の件。
9月にも新しく、さらなる支援策が発表され、大きな反響があった。
アメリカ合衆国では大学、高等教育で社会経済的多様性 socioeconomic diversity を重んじて努力を進めている、ということが現在進行系で伝わってくる。
日本国の「中卒」逆スティグマ(根拠なく嫌いな人間を「中卒だ」とみなす差別幻視行為)と、旧統一教会献金被害者問題(高卒が多い)と、博士号取得者数減少(もしくは国家間での順位低下)には、それだけの社会的停滞(成長したがらない国、国民に成長への意欲を持たせない国)を思わせてならない。
ダイバーシティ採用というと、今、住んでいる愛知県豊橋市の勉強会での「ダイバーシティ雇用」の考えに2022年1月24日動画説明文でつっこみを入れたことがあった。
「高齢者・女性・障がい者・外国人など」としても、すべての人を包摂するのではなく、ハナから「成人かつ弱者」と「分けられた(分別された/差別された)」「高齢者・女性・障がい者・外国人」を念頭に置いているとしか思えない。
2月28日ダイバーシティ雇用促進セミナー「人が集まり、成長する企業へ」、講堂(豊橋市役所 東館 13階)で開催するそうである。
これに限らず「高齢者・女性・障がい者・外国人など」と違って何も証明書類の無い「マイノリティ、マイナー社会的弱者」である私は、社会的排除の象徴である。
—"冬行動: 不動産 賃貸保証会社に関する総合的な結論 with だもんで (だも豊)"
地元についてよく考えよう、の巻 あっと 住み続けても住み続けなくても。
そうであるうちは、豊橋市が「人づくりNo.1をめざす」とすることについても、一考の余地がある。
豊橋市の地域若者サポートステーションが「板橋区のそれ、練馬区のそれ、足立区のそれ、長岡市のそれ、富山市のそれ、北九州市のそれ、春日部市のそれ、同じ愛知県春日井市のそれ、蒲郡市のそれ、一宮市のそれ…」どこと比べても、「車の運転できない社会的弱者(肢体不自由と視覚不自由の身体障害者、発達障害者、貧困者、社会経験ゼロの人)」に不便な立地であることが浮き彫りになっている。
不慣れの人が、スマホ地図アプリも使えない状況で、見知らぬ住宅地をさまよい歩いている間に、直射日光や、通り雨に苦しんで「もういやだ」と悪い経験を覚える可能性があります。
豊橋市は「人づくりNo.1をめざすまちプロジェクト」を推進し、浅井市長は市長選で県内の自治体で2番目だった人口が5番目に転落したことを問題視して「もう一度豊橋に元気を取り戻し、愛知県第2の存在感のある地域にしないといけない」(東日新聞 2020-03-27) と話したように、人口増加を目論んでいます(東日新聞が人口を示唆するものと勝手に解釈加筆した可能性もあります)。
それらは、重度ひきこもりの人、一部の発達障害者、身体障害者(肢体、視覚など)が、単独行動でも比較的到達しやすいと思います。
しかし、豊橋市のサポステ「とよサポ」さんは、田原市や新城市、奥三河からも利用者が来ているはずですが、渥美線小池駅から複雑な経路で徒歩20分、もしくは豊橋駅からバス利用になる立地です。
豊橋市青少年センター全体を含め、不思議ですね。
俗に名古屋と愛知県は車社会、と言いますが、鉄道網が足りている側面もありますし、自転車や自動車での来所に無理のある利用者も多いはずです。
鉄道なき沖縄市のサポステは、片側3車線の幹線道路に面した図書館、劇場と同じ雇用促進等施設にあり、車でも来やすい立地です。
[...]
2022年10月2日日曜日
2022年9月24日土曜日
2014年、ニュースデトックスに努め、しだいに目的意識で情報を見るように中性化された
2014年、情報デトックス(information detox, ニュースデトックス news detox, ニュースダイエット news diet, その他さまざまなインターネット投稿物に対する同様の方法)に務め、しだいに目的意識で情報を見るように中性化された。
なぜならば、綺麗なものとか、尊い教えとかでも、現代人が現代日本語で説明する限り、自身の嫌いな語句やネガティブな反応となる情報を当然、含むからである。
目的意識で情報を見ることで、中性的な解決が実現された。
それが2016年ころのことである。
とはいえ、当時はまだ「目的外でありそうな話題は見る必要がない」と狭めている種類であった。
更に後には、「短期的な目的外」のものでも、多少の自制心や注意を伴ってみる限り、長期的な目的内(意外性で新しく生じる目的)であるとして、普通の人からするとありえないほど広い視野(肉食動物の視野狭窄だって彼ら自身の役に立つのだが、というか、もともと私は視野が広いのに「ひきこもり」という属性で正反対に過小評価で取られているので修正の繰り返しがある)で情報を見て理解するようになった。
「デジタルデトックス (digital detox)」というのは、自分の生活の中でほどほどに行われていた。
それでさえも、目的意識によれば、毒よりも薬である。
極端な禁欲じみたことを私はしていない。
したければするのも一興であるが、それで何も得られる知見が無かったらば、無意義である。
私がニュースを見るならば、相応の目的意識があり、偶然の取得に対しても、何かしらの応用がありうる。
生活に関して科学的思考で把握することが多い。
多かれ少なかれ、ニュース情報は多方面に応用されている。
起草日:2022年5月25日
「情報デトックス」(などなど)とは、不必要な新しい情報を遮る間に思考の新陳代謝を図ることで解毒すること (detoxification)。
ところで、いわゆるニュースダイエットを始めたければ、NHK, CNN, BBCあたりのヘッドラインだけとりあえず見て、雑多なものを載せるポータルサイト、ニュースポータルのそれを見ないようにすれば、だいたい必要性の高いものや緊急性の高いものが足りる。
タイトル(見出し)における煽情主義 (扇情主義、センセーショナリズム sensationalism) で、いわゆる「スレタイ速報」、「釣り」、「羊頭狗肉」みたいになりかねない結果は、この方法を取るだけでも、かなり少なくできる。
デジタルウェルビーイングを重視する社会で、もう少し、そういうことに気づいてもらえば、悪意のあるニュースサイトは弱体化するか、改善せざるを得ない(売文家のライターたちについては彼らが改善できない限りペンを手放すことになる)。
2014年ころを含む過去の経緯は、以下の記事でも記されている。
2016年10月21日投稿『事実認識の相違、思想や意見の対立でヘイト感情…世俗上の中観法』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html
2020年3月5日『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54300497.html
5月25日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、8月5日を迎えた。
つまり、その2か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
8月19日に最後の編集をしてから、9月22日にこの記事を投稿した。
つまり、その1か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
他には、何かしら執筆していた。
公開する時期を見計らっている。
なぜならば、綺麗なものとか、尊い教えとかでも、現代人が現代日本語で説明する限り、自身の嫌いな語句やネガティブな反応となる情報を当然、含むからである。
目的意識で情報を見ることで、中性的な解決が実現された。
それが2016年ころのことである。
とはいえ、当時はまだ「目的外でありそうな話題は見る必要がない」と狭めている種類であった。
更に後には、「短期的な目的外」のものでも、多少の自制心や注意を伴ってみる限り、長期的な目的内(意外性で新しく生じる目的)であるとして、普通の人からするとありえないほど広い視野(肉食動物の視野狭窄だって彼ら自身の役に立つのだが、というか、もともと私は視野が広いのに「ひきこもり」という属性で正反対に過小評価で取られているので修正の繰り返しがある)で情報を見て理解するようになった。
「デジタルデトックス (digital detox)」というのは、自分の生活の中でほどほどに行われていた。
それでさえも、目的意識によれば、毒よりも薬である。
極端な禁欲じみたことを私はしていない。
したければするのも一興であるが、それで何も得られる知見が無かったらば、無意義である。
私がニュースを見るならば、相応の目的意識があり、偶然の取得に対しても、何かしらの応用がありうる。
生活に関して科学的思考で把握することが多い。
多かれ少なかれ、ニュース情報は多方面に応用されている。
起草日:2022年5月25日
「情報デトックス」(などなど)とは、不必要な新しい情報を遮る間に思考の新陳代謝を図ることで解毒すること (detoxification)。
ところで、いわゆるニュースダイエットを始めたければ、NHK, CNN, BBCあたりのヘッドラインだけとりあえず見て、雑多なものを載せるポータルサイト、ニュースポータルのそれを見ないようにすれば、だいたい必要性の高いものや緊急性の高いものが足りる。
タイトル(見出し)における煽情主義 (扇情主義、センセーショナリズム sensationalism) で、いわゆる「スレタイ速報」、「釣り」、「羊頭狗肉」みたいになりかねない結果は、この方法を取るだけでも、かなり少なくできる。
デジタルウェルビーイングを重視する社会で、もう少し、そういうことに気づいてもらえば、悪意のあるニュースサイトは弱体化するか、改善せざるを得ない(売文家のライターたちについては彼らが改善できない限りペンを手放すことになる)。
2014年ころを含む過去の経緯は、以下の記事でも記されている。
2016年10月21日投稿『事実認識の相違、思想や意見の対立でヘイト感情…世俗上の中観法』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/10/heretical-dogmas.html
2020年3月5日『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54300497.html
5月25日にこの記事を起草したが、当日のみに編集したまま、8月5日を迎えた。
つまり、その2か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
8月19日に最後の編集をしてから、9月22日にこの記事を投稿した。
つまり、その1か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
他には、何かしら執筆していた。
公開する時期を見計らっている。
ラベル:
感想
2022年9月2日金曜日
2022年8月中の日記メモ
(2020年4月から続き)本文をコメントアウトで公開します。
ソースからご覧ください。
ご不便をおかけします。
ソースからご覧ください。
ご不便をおかけします。
●口上
日記メモは学問・宗教・生活のトリレンマである(2019年以前の文言、復活!)。日記メモにはその便宜のために定型的な表現と語句を含んでいるが、それらは広く「日記メモの用語と解説」ページに説明がされている。
●私感
謎の思考の現実化:当月8日豊橋市の「神谷薬局」薬剤師面接、薬剤師系現役国会議員・神谷政幸の「2021-03-01 旭川市と豊橋市は繋がってます」ページ閲覧、2日後に豊橋市の近所で「旭川」ナンバープレートの乗用車を見るという謎の現象に遭遇する。
遠くの島=北海道から、新しい移民か近所住民の知人が近所に。
証拠写真あり、電波すぎ!
同じ車は、最初の記録から2週間経っても存在するので、どちらかといえば「新しい移民」の可能性が高い。
思考盗聴やアンカリングと呼ぶつもりはない;それと別の種類の現実化を「逆アンカリング、逆逆アンカリング」と呼ぶことはある。
![]() |
| 2022年8月10日6時49分「旭川ナンバーつきの乗用車」トリムされた説明画像 □ |
豊橋市の世帯主の面接先「神谷薬局(「神谷調剤薬局」、「有限会社ドラッグストアー・カミヤ」)」と、「日本薬剤師連盟(日本薬剤師会の政治組織、参院選ごとに候補者を擁立している)」副会長にして現役国会議員・神谷政幸(豊橋在住から参院選比例区に立候補)の関連は不明である。
翌月に知ったこと→結果的には田原市の調剤薬局に通勤している。
当月21日、Windows 10機のキーボード入力の難([5], [i], [o], [a], [y], [[], [BackSpace], [;], [:] などのキーを打つと、出力されないか、二重出力されるか、出力にタイムラグがある)を、数日前からあるとして報告した。
今までに何の前触れもなく、キー同時多発異常とは呆れる。
当月25日に手動でアップデートし、問題を解消した。
つくづくMicrosoft, MS, マイクロソフトは無用のトラブルを起こさせてくれる。
そう思ったが、異常と正常とが切り替わることは手動アップデート以前からあり、これも一時的に正常になったという範疇であり、いくらでも異常をぶりかえした。
問題が解消されていない。
時間的に散発的な発生からよくわかるように、ハードウェアの物理的な問題(接触不良、汚損)が原因ではない。
ソフトウェアとの間の中間的な信号処理が、いくらかのキーで同時多発的に不具合を起こしている、という構図(スキーム、スキーマ)である。
「中間的」とは具体的にどこになるかと言えば、テキストのアプリケーションであれ、ビデオゲームであれ、そのキーが実際の挙動になるよりも前の段階であり、ハードウェアのアナログ信号電流発生よりも後の段階のいくつかである、と見られる。
Google Japanese Input 日本語入力を導入しても、もちろん、変化はなかった。
Windows 11は「プロセッサ」の都合でインストールが禁止されている。
9月2日時点で根本的に改善されない。
キーが出力されない事態における姑息的解決方法としては、「スクリーンキーボード」の利用が挙げられる。
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from: n
日時: 2022/08/0 Sat. hh:mm
件名: NA
ラベル:
日録
2022年8月28日日曜日
紛らわしい偶然の固有名詞の共通: 有明と大森と川崎
属性(分野、業界など)と名前のダブった地名、人名など固有名詞の多さと、その地理的特性について考察したい。
以下に紹介する3つは、紹介された具体的な事物以外でも名前が共通する場合は有ろうが、特に有名でありながら属性も共通した「紛らわしい」ものについて示されている。
A「有明 (Ariake)」と海苔
・のり産地だった浅草の近くにある「有明」(自治体:東京都江東区)
・のり産地として知られる「有明海」(九州周辺の一部の海域)
:おそらく無関係。浅草はこじつけになるが、浅草やアサクサノリ (Neopyropia tenera or Pyropia tenera) 語頭ア発音も印象付けで紛らわしさの元になる。
O「大森 (Omori, Ōmori, Oomori, Ohmori)」と海苔
・江戸の海苔商業地「大森」(自治体:東京都大田区、旧・大森区)
・大阪の海苔商社「大森屋」
;おそらく無関係。
;前者は、かつて、海苔の養殖などで産地でもあった。種は、有明海のと同じく、アサクサノリとされる(根拠不明、「大森海苔のふるさと館」の人に聞いてみては?)。
;今の大田区大森に「株式会社ナガイのり」があるが、2022年4月現在、私が住む愛知県豊橋市の「永井海苔株式会社」と協力して商品を出しているのはどういうことか?どちらの会社も、発音が同じ「ながいのり」。共通キャッチフレーズ(モットーでもある?)は「ナガ~イお付き合い」。もともと無関係の会社らしい。異なる年(豊橋で1947年、大森で1951年)の10月に「永井海苔店」創業、という謎の共通点がある。更に、グループ企業で豊橋のは1959年に「株式会社ナガイ」、大森のは1960年に「株式会社 東京ナガイ」を設立していたというので、常に豊橋が先んじていたようである。海苔関連は、謎の共通固有名詞が多い。
K「川崎 (Kawasaki)」と病気または工業
・工業地の「川崎」(自治体:神奈川県川崎市)における「川崎公害」
・医者の名前「川崎富作」に由来する「川崎病」
・オートバイ(バイク)、電車の車両の製造で有名な、兵庫県に縁の深い「川崎重工業」
;3者とも全くの無関係。
;前2者は時期が近い。さらに、実際の公害(病気、症候群、障害;四大公害病、日本四大汚染病 four big pollution diseases of Japan)の名前もある。工業地つながりの「四日市ぜんそく」が有名な分、混同しかねない。
;川崎病 (Kawasaki disease, KD) は1967年に論文で発表された原因不明の小児病であるが、一時、新型コロナウイルス感染症との相関性が取りざたされた。そちらについては同じであると断定されておらず、「小児多系統炎症性症候群 (multisystem inflammatory syndrome in children, MIS-C)」と呼ばれる。
以上A, O, Kの中には、少なくとも行政区画や大まかな地理的範囲として、東京都と神奈川県の沿岸部=東京湾に面している例がある。
起草日:2022年4月28日
ポリコレ的な名前の変更(political correctnes, 自己検閲 self-censorship)というのも世の中に増えているので、柔軟に、名前の付け方の問題点と、変更の動機を発見する一助になればよい、と思う。
ただし、みだりに変える必要性を意味しない。
5月25日にこの記事を編集したきり、8月5日を迎えた。
つまり、その2か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
近況じみたもの:
東京都地下鉄、東京メトロの新設区間で有力なものに「有楽町線(都市高速鉄道第8号線)豊洲駅からの支線」が挙げられている。
住吉駅まで伸ばすことから、「豊住線」とも呼ばれる。
それには、なんと、文京区の千石駅(東京都交通局、都営地下鉄三田線)とは「千石」違いの江東区の千石駅(新・千石駅、メトロ千石駅;千石二丁目、千石2丁目に作られる予定)が含まれる。
「メトロ千石駅」?「小松橋駅」?「新千石駅」?「江東千石駅」?「千石アイル駅(千石アイランド駅、千田や千石エリアが川や堀に囲まれている)」!?「千石テレポート駅」!!?「千石ゲートウェイ駅」!!??
それよか都営三田線を埼玉県の和光市駅に延伸してはいかがか?
「東洋大学は、三田線が和光市駅などの東武東上線と交わることを期して埼玉県に2つのキャンパスを作っても、それが実現されなかったので憂き目を見た」、という歴史がある。
どうも、西高島平駅と埼玉県内で有力だった案は、戸田市経由・武蔵浦和駅接続と、「東武高島平線」のようなものの2つらしい。
「西高島平駅と西馬込駅=西西ニシニシ、ニニンガシで止めずにだね、池ノ上駅ならぬ池上駅にも延伸して」→「あさくっさ!西馬込駅は浅草線やんけ!じゃあそれ、池上駅に伸ばしてよということにして帰るから。三田線は目黒駅かいな、俺の目が黒いうちに…」。
都営大江戸線の東所沢駅への延伸計画や、埼玉県境寸止めの舎人ライナーの延伸計画よりは実現性がありそうでも、される気配が全くない。
誰よりも地元愛があったり、科学的に検証して反省もした「蔑ろにされた人」である私が、今の時局で期待するようなことでもない。
コロナ第一波2020年2月において浦和レッズ(サッカーJ1 浦和レッドダイヤモンズ)が空気を読まないで「埼玉スタジアム2002に埼玉高速鉄道=地下鉄7号線を暫定延伸しろや」と会見したこと(裏話:2019年の署名の成果で、その会見をしたもの)も思い返される。
以下に紹介する3つは、紹介された具体的な事物以外でも名前が共通する場合は有ろうが、特に有名でありながら属性も共通した「紛らわしい」ものについて示されている。
A「有明 (Ariake)」と海苔
・のり産地だった浅草の近くにある「有明」(自治体:東京都江東区)
・のり産地として知られる「有明海」(九州周辺の一部の海域)
:おそらく無関係。浅草はこじつけになるが、浅草やアサクサノリ (Neopyropia tenera or Pyropia tenera) 語頭ア発音も印象付けで紛らわしさの元になる。
O「大森 (Omori, Ōmori, Oomori, Ohmori)」と海苔
・江戸の海苔商業地「大森」(自治体:東京都大田区、旧・大森区)
・大阪の海苔商社「大森屋」
;おそらく無関係。
;前者は、かつて、海苔の養殖などで産地でもあった。種は、有明海のと同じく、アサクサノリとされる(根拠不明、「大森海苔のふるさと館」の人に聞いてみては?)。
;今の大田区大森に「株式会社ナガイのり」があるが、2022年4月現在、私が住む愛知県豊橋市の「永井海苔株式会社」と協力して商品を出しているのはどういうことか?どちらの会社も、発音が同じ「ながいのり」。共通キャッチフレーズ(モットーでもある?)は「ナガ~イお付き合い」。もともと無関係の会社らしい。異なる年(豊橋で1947年、大森で1951年)の10月に「永井海苔店」創業、という謎の共通点がある。更に、グループ企業で豊橋のは1959年に「株式会社ナガイ」、大森のは1960年に「株式会社 東京ナガイ」を設立していたというので、常に豊橋が先んじていたようである。海苔関連は、謎の共通固有名詞が多い。
K「川崎 (Kawasaki)」と病気または工業
・工業地の「川崎」(自治体:神奈川県川崎市)における「川崎公害」
・医者の名前「川崎富作」に由来する「川崎病」
・オートバイ(バイク)、電車の車両の製造で有名な、兵庫県に縁の深い「川崎重工業」
;3者とも全くの無関係。
;前2者は時期が近い。さらに、実際の公害(病気、症候群、障害;四大公害病、日本四大汚染病 four big pollution diseases of Japan)の名前もある。工業地つながりの「四日市ぜんそく」が有名な分、混同しかねない。
;川崎病 (Kawasaki disease, KD) は1967年に論文で発表された原因不明の小児病であるが、一時、新型コロナウイルス感染症との相関性が取りざたされた。そちらについては同じであると断定されておらず、「小児多系統炎症性症候群 (multisystem inflammatory syndrome in children, MIS-C)」と呼ばれる。
以上A, O, Kの中には、少なくとも行政区画や大まかな地理的範囲として、東京都と神奈川県の沿岸部=東京湾に面している例がある。
起草日:2022年4月28日
ポリコレ的な名前の変更(political correctnes, 自己検閲 self-censorship)というのも世の中に増えているので、柔軟に、名前の付け方の問題点と、変更の動機を発見する一助になればよい、と思う。
ただし、みだりに変える必要性を意味しない。
5月25日にこの記事を編集したきり、8月5日を迎えた。
つまり、その2か月超の期間に一度も、この記事を編集したり、この記事に加筆していない。
近況じみたもの:
東京都地下鉄、東京メトロの新設区間で有力なものに「有楽町線(都市高速鉄道第8号線)豊洲駅からの支線」が挙げられている。
住吉駅まで伸ばすことから、「豊住線」とも呼ばれる。
それには、なんと、文京区の千石駅(東京都交通局、都営地下鉄三田線)とは「千石」違いの江東区の千石駅(新・千石駅、メトロ千石駅;千石二丁目、千石2丁目に作られる予定)が含まれる。
「メトロ千石駅」?「小松橋駅」?「新千石駅」?「江東千石駅」?「千石アイル駅(千石アイランド駅、千田や千石エリアが川や堀に囲まれている)」!?「千石テレポート駅」!!?「千石ゲートウェイ駅」!!??
それよか都営三田線を埼玉県の和光市駅に延伸してはいかがか?
「東洋大学は、三田線が和光市駅などの東武東上線と交わることを期して埼玉県に2つのキャンパスを作っても、それが実現されなかったので憂き目を見た」、という歴史がある。
どうも、西高島平駅と埼玉県内で有力だった案は、戸田市経由・武蔵浦和駅接続と、「東武高島平線」のようなものの2つらしい。
「西高島平駅と西馬込駅=西西ニシニシ、ニニンガシで止めずにだね、池ノ上駅ならぬ池上駅にも延伸して」→「あさくっさ!西馬込駅は浅草線やんけ!じゃあそれ、池上駅に伸ばしてよということにして帰るから。三田線は目黒駅かいな、俺の目が黒いうちに…」。
都営大江戸線の東所沢駅への延伸計画や、埼玉県境寸止めの舎人ライナーの延伸計画よりは実現性がありそうでも、される気配が全くない。
誰よりも地元愛があったり、科学的に検証して反省もした「蔑ろにされた人」である私が、今の時局で期待するようなことでもない。
コロナ第一波2020年2月において浦和レッズ(サッカーJ1 浦和レッドダイヤモンズ)が空気を読まないで「埼玉スタジアム2002に埼玉高速鉄道=地下鉄7号線を暫定延伸しろや」と会見したこと(裏話:2019年の署名の成果で、その会見をしたもの)も思い返される。
2022年8月11日木曜日
カウンターカルチャー:極度の長髪と多分野学習&実践、マイ理念
スーパーロングヘアー (superlong hair)、スーパーサイエンティスト (super-scientist)、スーパーアーティスト (super-artist)。
髪の長さを際限なく追及したり、分野の広さを際限なく追及したり、私はしている。
現代文明の、「多様性を言いながら画一性を求め、分業体制を強める客観情勢」に対する反骨精神。
それでありながら、「こういう人も必要だ」と世の中から期待もされない現実に対する努力。
誰かがやりそうで誰もやっていないことを、広く、多く行うのは世界で唯一、私しかいない、と自負している。
私が長髪を保つことは、その象徴として実践されている。
剃髪してお坊さんという形式にはあこがれたこともあり、仏教を学ぶ以前には「中途半端な短髪になるくらいならば坊主頭、スキンヘッドがよい」と思ったこともある。
同じ趣旨が本家ブログ2013年8月4日の記事に記されている。 私の頭頂部に「不治のハゲ」と認識される瘢痕性禿髪、瘢痕性脱毛症+頭皮欠損の部分があることが主な原因である。
しかし、現在までに、全体的な剃髪をすることはありえないという方針が決まっている。
その禿の原因になっている普通じゃありえない「すりへった頭皮」は、おそらくスキンヘッドにされた形状をいびつにする。
「いびつにする」と言うと、頭の骨がへこんだような人に同質化され、語弊があるので、それとも違う「独特なものにする」、と修正しよう。
私の瘢痕性はげ部分がスキンヘッドにされた形状独特なものにする、という趣旨が本家ブログ2013年9月20日の記事に記されている。
余談:サブカルチャーのうちには、パンクス (punks, punk) と並び称されるものが、スキンヘッズ (skinheads, skinhead subculture) であるが、これの走りになった60年代のムーブメントでは、頭髪全体を刈るというものであり、剃髪していないが、ずっと後の時代には名前の印象どおりの剃髪された頭 (shaven head or full bald) も出てきた。
また、凶悪犯罪者(暴力を伴う著しい人権侵害犯罪者、刑事犯と裏社会の人間どちらも)の人物例で、スキンヘッドを個人的にいろいろと見たが、長髪 1 m (1メートル) 超の凶悪犯罪者というのを、リアル(一般的な犯罪報道を含む)で見たことは皆無である。
私ほどの長髪が平和主義の体現であることが客観的に決まることが無いのは、科学的思考に明らかではある。
しかし、今の時点で「長髪1m超の凶悪犯罪者」という事実は確認されていないし、されていても同カテゴリ人物のうち極めて少ない割合である。
私は個人主義と自由主義のリベラルアーツを行うとしても、悪い意味でのエゴイズム(不自由さと自己嫌悪と内省の困難さを伴うもの)でない、ということは2019-07-15記事に記されている。
何らかの知能、何らかの状況において、ある種の凶悪犯罪は実行されるが、私はむしろ抑制しているほうである。
防衛機制の「昇華」に相当する。
一部の人間が、子供を産むまたは設ける(養子縁組を含む)のに社会的責任を自覚せず、子を設けてもネグレクトになったり、そもそも相手の男性の分からない女性を除き、パートナー(同性を含む)離別または死別の後に異性の人間に貢いだり、虐待を行う異性の人間と交際したり、宗教団体やぜいたく品に金銭を浪費するなどで実子や身近な人間を苦しめてしまうことは、エゴイズムと別の身勝手な性質であり、理性的な人による個人主義や自由主義とはかけ離れている。
年をおって個人主義や個人の自由が推進され、拡大する中で、社会が、不平不満の部分について解消できない限り、確かに自由の心は毒となって悪い意味でのエゴイズムとなり、個人間の疑心暗鬼と、社会の治安悪化につながるわけである。
それも2019-07-15記事に示唆されていたが、そうして「無敵の人」、「ローンウルフ型犯罪」というのは実際に2021年8月から、社会で問題視される個別事例が増加した。
2022年5月の時点では組織的であるよりも、ローンウルフ型 (lone wolf attack) が基本であるが、コロンバイン高校銃乱射事件のように2人以上のルサンチマンを持つ犯人ないし反社会的カルト教団や宗教過激派組織のようなものの現代版(インターネットで共謀や支援がされたり運動に与する一部分であるパターン)もいずれは警戒される。
全国各地で見られる個別の事件の記憶から、鉄道の利用客は、車内や駅のホームでのちょっとした乗客トラブルに敏感に反応するようになった。
誰もが「不必要な犯罪」におそれず、安心して生活が送れるようになるには、一部の人がその社会の「悪質な習慣」を離れて問題がない状態を得られることにある;つまり、新たな自由が必要である。
「国民の三大義務」は解釈用語に過ぎず、日本国憲法自身はそれを言わないが、日本人の間で浸透し、人権と市民権の必須条件とさえ誤解している。
殺人罪は、勤労の義務(憲法第27条)を行使できない赤ちゃんや寝たきり老人を対象としても、ある女性が新生児を殺害して東京都港区のイタリア公園に遺棄した事件のように、懲役5年以上の実刑判決が下されている。
第11条「基本的人権の享有を妨げられない」のほうが重要だからである。
※そもそも論では、勤労の義務自体が普通の西洋国家の憲法や六法に無いものであり(労働基本権などの権利しかないが、フランス憲法前文 devoir de travailler という例外もある)、旧・社会党の野暮な提案によって戦後憲法に盛り込まれたものであるし、国家が勤労の権利と義務とを保障してこそ意味のある条項であり、私の勤労の権利を奪っている日本国と多くの国民こそが「義務放擲」の怠け者である。「勤勉なニッポンジン」という条文によって戦災復興ができたのではなく、もともとある普通の人間性から戦災復興を果たしたのであり、今の日本人にそんな勤勉さはないし、70年代以降、イスラエルでの「テルアビブ空港乱射事件 (Lod Airport massacre)」など、国内外で多くの人間を傷つけたのも日本国民であるから、統計上、平和的であろうとなかろうと、できる努力で恒久平和を目指さなければ、やはり怠け者である。
その事件に関しては、さらに、そういう弱者女性(新社会人になる前の大学生若者)が無責任な性行為で作った赤ちゃんを殺さざるを得なかった家庭や学校や人権教育レベルなどの社会状況が悪いのである。
SDGs "LNOB"の理念もあったものではない。
日本国民は「三大義務」の詭弁ロジックにより、「労働して納税する怠け者」、「『崇高な理想と目的を達成すること』(日本国憲法前文より)と社会を改善する努力を欲しない愚か者」に変わったのである。
その中から、殺人などの著しい人権侵害に至らないと気が済まないことで実行する人材も現れうる。
人は、どんな境遇でも、私のように自由な、芸術と学問の個人主義リベラルアーツをできるように心が教育されていないとならない。
それは主に、私のような「就労不能だが社会福祉を受けられず、実家にいるしかない」境遇にある人のために向けられている。
同時に、寮や賃貸物件で独居する人でも、目先の失業や退学、長期失業を見込む場合、財産が減る間、生活保護受給(山上のように車を持っている場合は基本的に売る必要がある)を念頭に置き、ゆっくりと再生すればよいし、就労を目指すこともすればよい、という生活モデルを当記事でも2019-07-15記事でも示していたわけだが、まだまだ世間に認知されていない。
政治家も民衆も、同じ社会に存在する様々な種類の弱者(各々に必要な支援が不十分だったり、懊悩と苦痛とが見過ごされた人々)の心理に冷淡であり、今までの社会の思考と言語の習慣を反省することなく、社会的な改善を目指すことなく放置してきた。
今や、社会の癌細胞が浸潤し(増殖し)、転移して取り返しのつかない状態に進みつつある。
いつ、その精神的良薬を社会は認識し、服用することができるか?
「普通の人」に、自分のできる努力により、可能な範囲で近づくことを私はしていた。
宗教、学問、芸術の実践もその一部である。
しかし、自分には、「その時点において、それが無理である部分」もあるから、それについては、肯定包容した。
たとえば、犯罪者のうち、刑務所に入っている受刑者は、自由刑(懲役、禁錮、拘禁)を受けている立場を肯定したうえで社会復帰を目指す。
その受刑者がどう努力しようと、刑期を終えなければ「普通の社会生活」など過ごすことはできない。
私は凶悪犯罪、刑法犯をしていないが、無期の受刑者と大差のない身の上である。
しかし、また受刑者の身分でもない。
「幽霊市民」の所以である。
過去の引用文など
カウンターカルチャー (countercultue) と呼ぶからには、対になる時間的に先行する文化 (mainstream culture, cultures) とその研究が必要である。
あんまり個別分野の専門的な研究課題は、多岐にわたっており、ここでは載せないが、2016年から多数の外国語、古典語に手を付けるだけの方法を学習し、獲得したので、その初期段階の例は載せておいた。
以下から、過去の引用文などを載せる:
備考:髪に関する英語の文法
「私の髪は誰のものでもない」(誰にも属していない)と言いたい場合:
A "My hairs belong to no-one."
B "My hair belongs to no-one."
具体的な指示対象が複数であると考えられる場合は複数形、そうでなければ現代の多数派としては単数形になるということである。
以下は、例文である:
この観点で、Bが形式的に正しいが、どうしてもAで問題ないようなことを考えてしまう。
起草日:2022年5月29日
日本国の巨悪の退治(社会が持つ病気の治療)には、相当の力や機会が必要であるが、去年から私がかけている念力によって多かれ少なかれ各地に呼応噴火のような現象が見られてきた。
私は「災厄を起こす」こと、「人の不幸を喜ぶ」こと、そういう悪魔崇拝のために念力をかけているのではなく、日本国民たちの自覚と反省をしうるだけのできごとを求めるためである。
個々の犯罪と災害に関して私は責任を負わないし、通常、関知しないのだが、ケーススタディやリスクマネジメントのために観察している。
こういうマクロ社会の情勢に関しては「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」ということで、日本国に大きな改善を求めるには、小さな客観的現象のみでは不可能であることも、去年から強く実感している。
私は日蓮系の信者でないものの、そういう感覚で、仏教学と宗教研究から離れた以降も日蓮聖人の言葉や思想を受け止めてきた。
ここで詳述しないが、2021年10月13日投稿『行政における個人主義の重要さ、私の行動による確認』の記事で「現代に生きる人にとっての『立正安国論』」のモデルが示されている。
日蓮聖人の仏法と同時に、日本国の祖霊崇拝に関しても、心の神、心の仏という観点で、今の時代には人権尊重の実践が具体的な平和と繁栄の方法論であると私は受け止めている。
当記事に関連する話題から反例を挙げるならば、立正安国論の大集経引用文「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん」という言葉がある。
これは、実際の過去の社会における道徳相対性から言われる教えであって全く別問題に当たる、と私は受け止めている。
それに、実際、今の末法と現代社会で「隠没」しているならば、その時代の私は、それを象徴して長髪でいればよい。
常々断るように、私は出家者ではないし、出家意識は無いし、在家信者どころか仏教徒と名乗ることさえはばかられる程度の立場である。
余談:身延日蓮宗にとって厄介な名古屋の某寺がよく、上の大集経引用文を口で言って他人攻撃をしている。彼らのうちでさえ女性信者の長髪があり、彼らは言っている口によって恣意的に仏法を行っているも同然である。なぜか男性信者はみな剃髪という外見ジェンダーギャップ;教条主義的、復古主義的な宗教ジャンキーなのに、日蓮大聖人ご在世における諸の尼御前のように頭を丸めない?
この記事の投稿に渋っていた間も、日本国の社会で災害(天災と人災:強風、大雨、落雷、地震、噴火、落石、倒壊、火事、陥没)や不当な人権侵害行為が絶えないわけであるが、特筆すべきことは福岡県北九州市の旦過市場における火災である。
旦過市場は、今年4月の大規模火災の後、総額9464万円のクラウドファンディングと義援金募金などの寄付がされたが、8月10日夜にも発生し、市場関係者たちは憔悴した。
被害店舗数は新旦過横丁を含む前回の方が多かったが、今回は老舗映画館を含む近辺の焼け残り施設が主な被害を受けており、それぞれ延焼面積はほぼ同じ、回数もこれで今年2回となった以上、単に1回で同じ規模の被害が出るのとは異質の精神的なつらさがあろう。
この市場は、2021年から再整備のための土地区画整理事業の対象になっていて一部の土地で現代化が進められていたようであるが、まだ着工しておらず、4月の件ではその事業の対象外の区域が被害に遭ったそうであり、8月の件も同様(cf., FBS福岡放送の図解)である。
去年から頻繁に伝えているように、自由な転職と家族主義の有毒性の観点でも、「何代も続く家業の店を自分の代で終わらせたくない」という執着を捨てて柔軟に生きる発想は、市場関係者のうちにも大事である。
寄付の件は、市場の営みよりも生きている個人の方が重要だから、その被災して仕事の無くなった人たちへの義捐金(そもそも人への生活保障金は行政の出すもの)を集める、といえば理解できるが、市場の復興ということには感心しない。
義援金募金は復興の意図が強いが、クラファンはがれき撤去が主な目的だったようである。
日本国の人々が、本文にもあるように、勤労の権利と学問の自由を同じ日本国民である私から奪い上げながら金稼ぎと納税をし、さらに災害への寄付を行ったところで、諸天善神もとい心の神や祖霊たちが称賛することは無い。
「そんなはした金」は、仏教の徳になるものでなく、三災七難を止める方法にもならない。
UNICEF, WFPなどへの寄付でさえも、今の社会の市民腐敗浄化能力の低さのうちでは、効力を持つものとならなくなった。
民主的で堅実な努力をする自分と同志のために使う、それが社会に有益であり(富裕層が巨万の富と力とをもって寡占支配をする方法や優生思想が正しいなどと言いたいのではない)、市場の多数の人間や世界の貧困層に関しては、どういう心持ちで生きているのか知りえないのに支援する義理は無い、と肝に銘じよ。
民主的で堅実な努力をする同志の知人が被害を受けた、というのであれば別の話である。
先にも記したように、被害の顕著な被災者は市場の復興よりも重要な「生活再建」のための支援を行政から受けることができ、志を異にする遠方の他人が金を出す要素など何一つないのだと覚えたほうよい。
被災者以外の社会的弱者(犯罪者予備軍、被害者予備軍、自殺者予備軍)も同じように、本来は行政や特定NPO法人のようなところがその人々を助けて社会悪から逃れるものである。
そもそも「少しでも助けになれば」という善意が寄付者たちにあったのか不明であるし、「再度の大火」に見舞われようが、見舞われまいが、一方の「幽霊日本国民」の苦しみを助ける気持ちが無いうちは、あらゆる金銭支援は「金ドブ」に等しい。
3.11東日本大震災で経済的被害や風評被害を受けた東北地方が今年に入っても、多くの風水害と地震の被害を作っている事実(特に大崎市や白石市を擁する宮城県)にも同じことが言える。
これら災害や犯罪がどこでどれほどの人定被害を伴って起きるかは、極めて不特定であり、同じところに同じようなことが集中する場合もあれば、そうでない場合もある。
客観的に「天罰 (高位の霊体が行う報いの罰)」は存在せず、これらを他人を愚弄する手段にするよりも、国民的な自覚と反省をする機会にとどめてほしい。
安倍暗殺の数日後から全国各地で大雨が絶えず、本日も本州に上陸するおそれある台風発生とリンゴ農園、農地、農作物、農家の被害などが聞かれ、ことあるごとに農業の打撃も免れない。
この状態では、気候変動に伴う自然災害の激甚化(日本では記述の通りだが、夏場の雨が少ない気候の国ではさらに夏場の雨が減って山火事が鎮静化されづらくなるなど地球上で多種多様に悪化している)への対応能力などが、日本国民全体からますます奪われる。
社会全体を改善するために、一歩一歩、地に足の着いた努力が必要である。
「私の髪はいかなる他人のものでもない」ので、カウンターカルチャーとして髪の長さを維持しながら、「不断の努力」を行いたい。
髪の長さを際限なく追及したり、分野の広さを際限なく追及したり、私はしている。
現代文明の、「多様性を言いながら画一性を求め、分業体制を強める客観情勢」に対する反骨精神。
それでありながら、「こういう人も必要だ」と世の中から期待もされない現実に対する努力。
誰かがやりそうで誰もやっていないことを、広く、多く行うのは世界で唯一、私しかいない、と自負している。
私が長髪を保つことは、その象徴として実践されている。
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| 横野真史と特徴的な自画像の例 □ |
剃髪してお坊さんという形式にはあこがれたこともあり、仏教を学ぶ以前には「中途半端な短髪になるくらいならば坊主頭、スキンヘッドがよい」と思ったこともある。
同じ趣旨が本家ブログ2013年8月4日の記事に記されている。 私の頭頂部に「不治のハゲ」と認識される瘢痕性禿髪、瘢痕性脱毛症+頭皮欠損の部分があることが主な原因である。
しかし、現在までに、全体的な剃髪をすることはありえないという方針が決まっている。
その禿の原因になっている普通じゃありえない「すりへった頭皮」は、おそらくスキンヘッドにされた形状をいびつにする。
「いびつにする」と言うと、頭の骨がへこんだような人に同質化され、語弊があるので、それとも違う「独特なものにする」、と修正しよう。
私の瘢痕性はげ部分がスキンヘッドにされた形状独特なものにする、という趣旨が本家ブログ2013年9月20日の記事に記されている。
余談:サブカルチャーのうちには、パンクス (punks, punk) と並び称されるものが、スキンヘッズ (skinheads, skinhead subculture) であるが、これの走りになった60年代のムーブメントでは、頭髪全体を刈るというものであり、剃髪していないが、ずっと後の時代には名前の印象どおりの剃髪された頭 (shaven head or full bald) も出てきた。
また、凶悪犯罪者(暴力を伴う著しい人権侵害犯罪者、刑事犯と裏社会の人間どちらも)の人物例で、スキンヘッドを個人的にいろいろと見たが、長髪 1 m (1メートル) 超の凶悪犯罪者というのを、リアル(一般的な犯罪報道を含む)で見たことは皆無である。
私ほどの長髪が平和主義の体現であることが客観的に決まることが無いのは、科学的思考に明らかではある。
しかし、今の時点で「長髪1m超の凶悪犯罪者」という事実は確認されていないし、されていても同カテゴリ人物のうち極めて少ない割合である。
私は個人主義と自由主義のリベラルアーツを行うとしても、悪い意味でのエゴイズム(不自由さと自己嫌悪と内省の困難さを伴うもの)でない、ということは2019-07-15記事に記されている。
何らかの知能、何らかの状況において、ある種の凶悪犯罪は実行されるが、私はむしろ抑制しているほうである。
防衛機制の「昇華」に相当する。
一部の人間が、子供を産むまたは設ける(養子縁組を含む)のに社会的責任を自覚せず、子を設けてもネグレクトになったり、そもそも相手の男性の分からない女性を除き、パートナー(同性を含む)離別または死別の後に異性の人間に貢いだり、虐待を行う異性の人間と交際したり、宗教団体やぜいたく品に金銭を浪費するなどで実子や身近な人間を苦しめてしまうことは、エゴイズムと別の身勝手な性質であり、理性的な人による個人主義や自由主義とはかけ離れている。
年をおって個人主義や個人の自由が推進され、拡大する中で、社会が、不平不満の部分について解消できない限り、確かに自由の心は毒となって悪い意味でのエゴイズムとなり、個人間の疑心暗鬼と、社会の治安悪化につながるわけである。
それも2019-07-15記事に示唆されていたが、そうして「無敵の人」、「ローンウルフ型犯罪」というのは実際に2021年8月から、社会で問題視される個別事例が増加した。
2022年5月の時点では組織的であるよりも、ローンウルフ型 (lone wolf attack) が基本であるが、コロンバイン高校銃乱射事件のように2人以上のルサンチマンを持つ犯人ないし反社会的カルト教団や宗教過激派組織のようなものの現代版(インターネットで共謀や支援がされたり運動に与する一部分であるパターン)もいずれは警戒される。
全国各地で見られる個別の事件の記憶から、鉄道の利用客は、車内や駅のホームでのちょっとした乗客トラブルに敏感に反応するようになった。
誰もが「不必要な犯罪」におそれず、安心して生活が送れるようになるには、一部の人がその社会の「悪質な習慣」を離れて問題がない状態を得られることにある;つまり、新たな自由が必要である。
「国民の三大義務」は解釈用語に過ぎず、日本国憲法自身はそれを言わないが、日本人の間で浸透し、人権と市民権の必須条件とさえ誤解している。
殺人罪は、勤労の義務(憲法第27条)を行使できない赤ちゃんや寝たきり老人を対象としても、ある女性が新生児を殺害して東京都港区のイタリア公園に遺棄した事件のように、懲役5年以上の実刑判決が下されている。
第11条「基本的人権の享有を妨げられない」のほうが重要だからである。
※そもそも論では、勤労の義務自体が普通の西洋国家の憲法や六法に無いものであり(労働基本権などの権利しかないが、フランス憲法前文 devoir de travailler という例外もある)、旧・社会党の野暮な提案によって戦後憲法に盛り込まれたものであるし、国家が勤労の権利と義務とを保障してこそ意味のある条項であり、私の勤労の権利を奪っている日本国と多くの国民こそが「義務放擲」の怠け者である。「勤勉なニッポンジン」という条文によって戦災復興ができたのではなく、もともとある普通の人間性から戦災復興を果たしたのであり、今の日本人にそんな勤勉さはないし、70年代以降、イスラエルでの「テルアビブ空港乱射事件 (Lod Airport massacre)」など、国内外で多くの人間を傷つけたのも日本国民であるから、統計上、平和的であろうとなかろうと、できる努力で恒久平和を目指さなければ、やはり怠け者である。
その事件に関しては、さらに、そういう弱者女性(新社会人になる前の大学生若者)が無責任な性行為で作った赤ちゃんを殺さざるを得なかった家庭や学校や人権教育レベルなどの社会状況が悪いのである。
SDGs "LNOB"の理念もあったものではない。
日本国民は「三大義務」の詭弁ロジックにより、「労働して納税する怠け者」、「『崇高な理想と目的を達成すること』(日本国憲法前文より)と社会を改善する努力を欲しない愚か者」に変わったのである。
その中から、殺人などの著しい人権侵害に至らないと気が済まないことで実行する人材も現れうる。
人は、どんな境遇でも、私のように自由な、芸術と学問の個人主義リベラルアーツをできるように心が教育されていないとならない。
それは主に、私のような「就労不能だが社会福祉を受けられず、実家にいるしかない」境遇にある人のために向けられている。
同時に、寮や賃貸物件で独居する人でも、目先の失業や退学、長期失業を見込む場合、財産が減る間、生活保護受給(山上のように車を持っている場合は基本的に売る必要がある)を念頭に置き、ゆっくりと再生すればよいし、就労を目指すこともすればよい、という生活モデルを当記事でも2019-07-15記事でも示していたわけだが、まだまだ世間に認知されていない。
政治家も民衆も、同じ社会に存在する様々な種類の弱者(各々に必要な支援が不十分だったり、懊悩と苦痛とが見過ごされた人々)の心理に冷淡であり、今までの社会の思考と言語の習慣を反省することなく、社会的な改善を目指すことなく放置してきた。
今や、社会の癌細胞が浸潤し(増殖し)、転移して取り返しのつかない状態に進みつつある。
いつ、その精神的良薬を社会は認識し、服用することができるか?
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| 参考: from Ld1. 2016-08-25 "髪を切らない日々が6年を超過した" 多数の日本国民たちが私から勤労の権利と居住、移転、学問の自由を奪い上げるならば、「生きて髪が伸びる呪いの日本人形」が増えますよ、と。 |
「普通の人」に、自分のできる努力により、可能な範囲で近づくことを私はしていた。
宗教、学問、芸術の実践もその一部である。
しかし、自分には、「その時点において、それが無理である部分」もあるから、それについては、肯定包容した。
たとえば、犯罪者のうち、刑務所に入っている受刑者は、自由刑(懲役、禁錮、拘禁)を受けている立場を肯定したうえで社会復帰を目指す。
その受刑者がどう努力しようと、刑期を終えなければ「普通の社会生活」など過ごすことはできない。
私は凶悪犯罪、刑法犯をしていないが、無期の受刑者と大差のない身の上である。
しかし、また受刑者の身分でもない。
「幽霊市民」の所以である。
過去の引用文など
カウンターカルチャー (countercultue) と呼ぶからには、対になる時間的に先行する文化 (mainstream culture, cultures) とその研究が必要である。
あんまり個別分野の専門的な研究課題は、多岐にわたっており、ここでは載せないが、2016年から多数の外国語、古典語に手を付けるだけの方法を学習し、獲得したので、その初期段階の例は載せておいた。
以下から、過去の引用文などを載せる:
善き師・善き友、世俗的な意味においても私などは惨めでありますから、小学校の半ばより乏しくありながら、同時にその善き師や善き友を得られることの何と有難いことか、誰よりも知っておりました。
今、また独りでかたじけなくも仏教を学んでいて、やはり仏道を共にする人間がいれば何より心強いことを実感します。
このように、善知識・善友の価値を訴えることは、これまた小乗や大乗の別はございません。
日本でも有名な言葉のパーリ語原文です→Ekassa caritaṁ seyyo, natthi bāle sahāyatā, Eko care na ca pāpāni kayirā, Appossukko mātaṅgaraññe va nāgo.
[...]
大乗においては、仏道に背く者が世間の善行をしようと「悪」であるとされ、小乗においては、世間の道徳に背いたり欲が強くある者が悪とされます。
どちらにせよ、そのようなものと親しみ近づくくらいならば独りでいろ、独り善良であれ、と説いておられますが、それはあくまでも「寧ろ」と消極的な扱いです。
[...]
この"Khaggavisāṇa (環境依存文字抜き: Khaggavisaana)"の章は日本で「犀角独歩(反N博士派いわく独歩如犀)」として有名なもので、上2つは本文中盤の意を表す。 57においては孤独の良さを説きながら、続く58ではやはり優れた人間を友とする価値を説いている。
—某サイト投稿 2016/1/31 15:23:27
If you can’t find a good teacher, it’s better to wander alone.
—SuttaCentralにおけるSuttanipāta1.3 "The Rhinceros Horn" に対する要約
師弟関係は良いものだが、それを持つことができない立場の人も現代には多い。
宗教家・庭野日敬「自己流はクズ」(立正佼成会の教え)、仏教学者・辛嶋静志「独学はクズ」(創価学会、浄土真宗の教え)ということであれば、そういうわけで、彼ら「旧世代すぎる死人たち」は日本国憲法「信教の自由、学問の自由」を蹂躙している。
ただでさえ助けがないのに、意思を持たずに何もせず生きろ、とな?
道心、向学心で生きる人に対して目的を果たせぬままに自殺を煽っているも同然であり、「生存権」さえ否定するようなものである。
不幸な殺人カルト(牛の自警団に同じ)専門家に従属するバクティ依存関係 (bhakti) がお好きならばご勝手に、という感じである。
私の「ヒッキー大学」および「集合知先生 (Professor or Dr. Sifazzi)」という考え方は、社会的包摂の目的を兼ねている。
—Draft: "2021-06-20 ヒッキー大学 OpenCourseWare"
料理中に考えたこと:「日本国民と社会的排除=幽霊市民」、「ハゲと長髪=どちらも」、「男性外見と女性外見=どちらも」、「博士号を取れるほどの研究課題多数と社会最終学歴義務教育卒=どちらも」など、枚挙にいとまのないほど多くの事柄の中間(境界)で苦しまされている今の私は、新しく「就労の必要があるのと必要がないの」の中間で苦しんでいる状況に自覚した。この場合、「どちらでもある」種類ではなく、「どちらでもない」種類である。最終学歴も資格も生活歴も普通の社会人の比較にならないほど底辺であるのに、就労の必要がない病気や障害の立場であるとも認められないでいる。こういうわけで、普通の人は両極端のどちらかにつくことができるのに、私はどちらにもつけないで「生と死の狭間」または「中有(俗語の意味)」に苦しむ亡霊そのものである。
—2022年6月24日の日記メモ (ソース公開のみ、ただし同じ部分を別稿で公開予定)
※教えを乞う意思で「師匠、出てこい!」と唱え、面識のなかった生身の人間の師匠が出てくる道理はない。しかも、生身の人間もガッコ先生、カルト教祖も、本人や取り巻きの共同体が教えを受ける個人に対して金を求めるのが普通だし、住み込みでも通学でも教えを受ける方法が限られるのだから、意思だけで簡単にできることはない。迫害された私は、自力で学ぶしかないから、インターネットで宗教聖典でも学術文献でも読んできたし、その後、必要ならばと表で一般社会の営みを見たりもした。私は仮想師事した。「独学孤陋」などと言われる筋合いはない。ガッコ先生、カルト教祖に師事しても、本人の悟りは、最後までもそれらに頼ることで得るというものでなく、自力(浄土教の他力本願も畢竟自力)である。私は生身の人間に師事していない「無宗教、無教養」の人に見えても、仮想師事によって同等の大きな利益を得たから、種々の行動もある。これらのことに関しても両極端の「どちらでもある」種類に相当する。
※心理学用語の「コンプレックス (complex in psychology)」の比ではない、おそろしい境界の苦悩。私は理性的に対処でき、克服できるが、それのできない人は凶悪犯罪にエスカレートすることになる。でも、私ほど並外れた人はいないし、一般人は凡庸な容姿、凡庸な背景、凡庸な才能のなかで、そういうコンプレックスからのルサンチマンによる行動がありうるのみ。社会的に、そういう価値判断の無くなるように弱者への寄り添いが必要である。日本国上下万民の2022年現在の努力レベルは、必要相当水準に遠い。
備考:髪に関する英語の文法
「私の髪は誰のものでもない」(誰にも属していない)と言いたい場合:
A "My hairs belong to no-one."
B "My hair belongs to no-one."
具体的な指示対象が複数であると考えられる場合は複数形、そうでなければ現代の多数派としては単数形になるということである。
以下は、例文である:
George has (無冠詞) brown hair, but I found a hair on the sofa and suspect he's getting some gray hairs. George's hair is brown, but one hair I found was grey, so I think there are probably more grey hairs on his head as well.
この観点で、Bが形式的に正しいが、どうしてもAで問題ないようなことを考えてしまう。
起草日:2022年5月29日
日本国の巨悪の退治(社会が持つ病気の治療)には、相当の力や機会が必要であるが、去年から私がかけている念力によって多かれ少なかれ各地に呼応噴火のような現象が見られてきた。
私は「災厄を起こす」こと、「人の不幸を喜ぶ」こと、そういう悪魔崇拝のために念力をかけているのではなく、日本国民たちの自覚と反省をしうるだけのできごとを求めるためである。
個々の犯罪と災害に関して私は責任を負わないし、通常、関知しないのだが、ケーススタディやリスクマネジメントのために観察している。
こういうマクロ社会の情勢に関しては「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる」ということで、日本国に大きな改善を求めるには、小さな客観的現象のみでは不可能であることも、去年から強く実感している。
私は日蓮系の信者でないものの、そういう感覚で、仏教学と宗教研究から離れた以降も日蓮聖人の言葉や思想を受け止めてきた。
ここで詳述しないが、2021年10月13日投稿『行政における個人主義の重要さ、私の行動による確認』の記事で「現代に生きる人にとっての『立正安国論』」のモデルが示されている。
日蓮聖人の仏法と同時に、日本国の祖霊崇拝に関しても、心の神、心の仏という観点で、今の時代には人権尊重の実践が具体的な平和と繁栄の方法論であると私は受け止めている。
当記事に関連する話題から反例を挙げるならば、立正安国論の大集経引用文「仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く諸法も亦忘失せん」という言葉がある。
これは、実際の過去の社会における道徳相対性から言われる教えであって全く別問題に当たる、と私は受け止めている。
それに、実際、今の末法と現代社会で「隠没」しているならば、その時代の私は、それを象徴して長髪でいればよい。
常々断るように、私は出家者ではないし、出家意識は無いし、在家信者どころか仏教徒と名乗ることさえはばかられる程度の立場である。
余談:身延日蓮宗にとって厄介な名古屋の某寺がよく、上の大集経引用文を口で言って他人攻撃をしている。彼らのうちでさえ女性信者の長髪があり、彼らは言っている口によって恣意的に仏法を行っているも同然である。なぜか男性信者はみな剃髪という外見ジェンダーギャップ;教条主義的、復古主義的な宗教ジャンキーなのに、日蓮大聖人ご在世における諸の尼御前のように頭を丸めない?
この記事の投稿に渋っていた間も、日本国の社会で災害(天災と人災:強風、大雨、落雷、地震、噴火、落石、倒壊、火事、陥没)や不当な人権侵害行為が絶えないわけであるが、特筆すべきことは福岡県北九州市の旦過市場における火災である。
旦過市場は、今年4月の大規模火災の後、総額9464万円のクラウドファンディングと義援金募金などの寄付がされたが、8月10日夜にも発生し、市場関係者たちは憔悴した。
被害店舗数は新旦過横丁を含む前回の方が多かったが、今回は老舗映画館を含む近辺の焼け残り施設が主な被害を受けており、それぞれ延焼面積はほぼ同じ、回数もこれで今年2回となった以上、単に1回で同じ規模の被害が出るのとは異質の精神的なつらさがあろう。
この市場は、2021年から再整備のための土地区画整理事業の対象になっていて一部の土地で現代化が進められていたようであるが、まだ着工しておらず、4月の件ではその事業の対象外の区域が被害に遭ったそうであり、8月の件も同様(cf., FBS福岡放送の図解)である。
去年から頻繁に伝えているように、自由な転職と家族主義の有毒性の観点でも、「何代も続く家業の店を自分の代で終わらせたくない」という執着を捨てて柔軟に生きる発想は、市場関係者のうちにも大事である。
寄付の件は、市場の営みよりも生きている個人の方が重要だから、その被災して仕事の無くなった人たちへの義捐金(そもそも人への生活保障金は行政の出すもの)を集める、といえば理解できるが、市場の復興ということには感心しない。
義援金募金は復興の意図が強いが、クラファンはがれき撤去が主な目的だったようである。
日本国の人々が、本文にもあるように、勤労の権利と学問の自由を同じ日本国民である私から奪い上げながら金稼ぎと納税をし、さらに災害への寄付を行ったところで、諸天善神もとい心の神や祖霊たちが称賛することは無い。
「そんなはした金」は、仏教の徳になるものでなく、三災七難を止める方法にもならない。
UNICEF, WFPなどへの寄付でさえも、今の社会の市民腐敗浄化能力の低さのうちでは、効力を持つものとならなくなった。
民主的で堅実な努力をする自分と同志のために使う、それが社会に有益であり(富裕層が巨万の富と力とをもって寡占支配をする方法や優生思想が正しいなどと言いたいのではない)、市場の多数の人間や世界の貧困層に関しては、どういう心持ちで生きているのか知りえないのに支援する義理は無い、と肝に銘じよ。
民主的で堅実な努力をする同志の知人が被害を受けた、というのであれば別の話である。
先にも記したように、被害の顕著な被災者は市場の復興よりも重要な「生活再建」のための支援を行政から受けることができ、志を異にする遠方の他人が金を出す要素など何一つないのだと覚えたほうよい。
被災者以外の社会的弱者(犯罪者予備軍、被害者予備軍、自殺者予備軍)も同じように、本来は行政や特定NPO法人のようなところがその人々を助けて社会悪から逃れるものである。
そもそも「少しでも助けになれば」という善意が寄付者たちにあったのか不明であるし、「再度の大火」に見舞われようが、見舞われまいが、一方の「幽霊日本国民」の苦しみを助ける気持ちが無いうちは、あらゆる金銭支援は「金ドブ」に等しい。
3.11東日本大震災で経済的被害や風評被害を受けた東北地方が今年に入っても、多くの風水害と地震の被害を作っている事実(特に大崎市や白石市を擁する宮城県)にも同じことが言える。
これら災害や犯罪がどこでどれほどの人定被害を伴って起きるかは、極めて不特定であり、同じところに同じようなことが集中する場合もあれば、そうでない場合もある。
客観的に「天罰 (高位の霊体が行う報いの罰)」は存在せず、これらを他人を愚弄する手段にするよりも、国民的な自覚と反省をする機会にとどめてほしい。
安倍暗殺の数日後から全国各地で大雨が絶えず、本日も本州に上陸するおそれある台風発生とリンゴ農園、農地、農作物、農家の被害などが聞かれ、ことあるごとに農業の打撃も免れない。
この状態では、気候変動に伴う自然災害の激甚化(日本では記述の通りだが、夏場の雨が少ない気候の国ではさらに夏場の雨が減って山火事が鎮静化されづらくなるなど地球上で多種多様に悪化している)への対応能力などが、日本国民全体からますます奪われる。
社会全体を改善するために、一歩一歩、地に足の着いた努力が必要である。
「私の髪はいかなる他人のものでもない」ので、カウンターカルチャーとして髪の長さを維持しながら、「不断の努力」を行いたい。



