2022年7月6日水曜日

中卒ニートひきこもり概念から日本語話者たちが奪いあげたもの

明るい言葉にまみれた呪い書き:

・美容、
・未来、
・夢、
・希望、
・才能、
・知能、
・学習能力、
・社会性、
・人間性、
・哲学性、
・目的性、
・努力、
・勤勉さ、
・富裕、
・独立心(自立心)、
・行動力、

これらを人は日本語世界で、中卒ニートひきこもり概念から、奪いあげないようにせよ。

私は必要な休みを取っても、怠けたくて怠けたことなど一度も無かったことを表明する。

私=首吊り自殺AA属性「中卒(事実上の小卒)、無職、ニート、引きこもり、童貞、ハゲ、血液型B型、埼玉県(ださ〇たま)生まれ、ゆとり世代」(スティグマ stigma, stigmatize, stigmatization)。

生きる個人の自由、正義を蔑ろにするな。

私は芸術、学問、宗教、武術、弁論、諜報を必要に応じて修めた。
これら全てをリベラルアーツのうちであるとみなしている。

そもそも論:
NEETもとい NETEと略されない Not in Education, Training or Employment と、イギリスの元首相トニー・ブレア政権下でのSEU (social exlusion unit)
2020年10月20日投稿『ニートの時代区分(簡素な時系列、年表)』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54983640.html

「中卒」「ニート」「ひきこもり(改名案:社会的距離症候群)」は、お飾りでも侮蔑語でもなく、社会的に必要な説明のために言われた。

「ニートの記号論」:闘争の道具やファッション的な装飾としてではなく社会正義 (social justice) に基づいて社会で有益に機能することが志向されねばならない。



イメージ画像 (202207011837, 原案は2022年5月?)

Q. あなたの憲法はどちら?

第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。 (「労働の義務」は一般的な先進国の憲法に明文化されない概念であり、日本でも罰則は無し、横野は無収入で納税義務の無い労働を間断なく行っている)
;1789年のフランスの「人間と市民の権利の宣言 (Déclaration des droits de l'homme et du citoyen de 1789)」と、1948年の「世界人権宣言」なども参照。人権問題は、第二次世界大戦以降、国内的なものから国際的なものに変容した。勤労、労働に対する適切な保護が大事なのであり、日本国はまだ適切な賃金も労働者福祉も不十分である実情がある。解釈用語「国民の三大義務」が人権よりも先にあると見る日本国民たちは、赤ちゃんと寝たきり老人の不当な殺害を許すことができる。しかし、その妄想は、現にその罪人が今の日本で懲役5年以上の実刑判決を受ける現実により、否定される。いじめられて社会的に去勢された人が、社会保障も受けられない状態では、労働災害などのおそれから就労などできない。もしその人に法的根拠(e.g., 労役場 刑法 第18条4項、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 第287条)もなく強制労働させる雇用主がいた場合、それこそ人権侵害の犯罪になる。国民の西洋的教育の未熟な日本国では、人に対する医療行為としての安楽死議論(後日の記事で詳述)などまだ早い。

ロシア帝国とソビエト連邦の憲法 (それぞれ1918年、1936年):
"Кто не работает, тот не ест"=「働かない者、その者は食べない」(俗に言う「働かざる者食うべからず」)
↑日本国憲法公布から今まで、「日本人の心の憲法」はこちら。
 共産主義哲学 無しに、意地悪で互いを傷つけるために 彼ら日本人は、似たような理由から日本人どうしを差別する。 この方法では、互いを不幸にさせ、自殺させるのみ。

2 Thessalonians 3:10 趣旨:
「キリストのように神の福音を弘めるための良い行動をせよ。 それを望まない者は食べない方がよい」
↑このパウロ書簡も、日本人の心?もはや納税労働ですらないのに?なんと敬虔な。信仰に熱心なこと。



先行研究の例、関連記事:
2014年10月22日投稿『特定の層を卑下して驕る者 "驕慢の沙汰"』
https://lesbophilia.blogspot.com/2014/10/blog-post_22.html

2014年11月3日投稿『謙遜と嫌味の区別 - 自己紹介で自分を謙る表現の御法度』
https://lesbophilia.blogspot.com/2014/11/blog-post_3.html

2018年1月21日投稿『道心あるニート・引きこもりの修行における障壁』
https://lesbophilia.blogspot.com/2018/01/neet-hikikomori-shugyo.html

2019年7月15日投稿『科学・文学・音楽・美術 個人主義や自由主義のためのリベラルアーツと芸術運動』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/07/arts-neet-hikikomori.html

2020年3月5日投稿『ニートの記号論・記号学で社会正義の程度を判別する』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54300497.html

2020年3月5日投稿『ニートの記号論・記号学と社会正義:備考7項目』
https://masashi.doorblog.jp/archives/54342620.html





起草日:2022年3月20日

3月には、私の独立に向けた動きに暗雲が多い中、Tさんや、Nさんら3名など、人の訪問が多かった。

どういう属性を得ていても私は、ヒト Homo sapiens sapiens として認められているし、幽霊市民であっても法的人である。
そういうわけで、「醜悪なモンスター、良い部分が無い、負と否定の権化」(dehumanization, dehumanisation) みたいに昔から、ごく少数の標本からステレオタイプを作って属性を持つ個人の例(顔の見える数多くの例)も知らずに、何でもその型にはめるようなことを、よしてもらいたい。
私の目の黒いうちは、私の足が動くうちは、脊髄と脊柱が正常であるうちは、現代文明における社会的去勢 (social castration, cultural castration, mental castration or psychological castration) の実態を白日の下にさらしつづける所存である。
そういう人権侵害が、日本語話者たちの中でも、宗教、政治、芸術に関わりの深い国内外の活動家たちによって行われる、ということも今までに紹介されてきた。
こういう種類のハラスメント (harassment) は、「心理操作 (マインドコントロール, psychological manipulation) 等の嫌がらせ」として私には不特定多数から一生涯に渡って与えられている、と受け止めている。
※モラハラ系:ジョブハラ、キャリハラ、アカハラ、アビハラ、ブラハラ、ロカハラ、セクハラ、ヘアハラ、ハゲハラとでも言いたくなるが、日本でいうモラル・ハラスメントという概念は、フランス語の harcèlement moral (by Marie-France_Hirigoyen 1998, マリー=フランス・イルゴイエンヌ、精神科医、被害者学を研究した) または harcèlement psychologique から独り歩きしたもののようである。直訳して、「道徳的な嫌がらせ」または「心理的な嫌がらせ」。どこからどこまでが独特なのかを考えないと、イギリスでの"Not in Education, Training or Employment"支援の議論とは異色な日本国での「ニート」概念(および二次的な世界全体への波及)と同じような結果になりかねない。
何せ、中学校でも数十人のマニピュレーター(もしくは下っ端の実行役)が私にたかって面罵、暴行、演劇(私へのラブレター、お笑わせによる「アイツはこんなヤツだ」という評判作り)、阻害を繰り返してきたわけで、「お前はこの共同体から消えろ」という心理操作を繰り返していた。
その中学校は学問の自由と教育を受ける権利の享受に不適格であり、およそ私の教育現場と呼べない状況にあったし、「私が通うことで他人が殺人加害者になりかねないならば通うに及ばない」として私は離れた次第である。

2014年11月21日投稿『中学時代における、人間不信に陥るような他人からの所業』
https://masashi.doorblog.jp/archives/41409921.html

醜い加害者と被害者との二項関係を離れれば、滋賀県・大津市立皇子山中学校におけるいじめ被害者の自殺、愛知県・弥富市立十四山中学校のような自称いじめ被害者による他殺にもならない。
これが平和主義的孤立主義(孤独主義 isolationism as a method for peace, anti-war)であり、哲学理念であるよりは一手段として有効に活用される。
手段として行う限り、私は固執していない。
たとえ被害者や加害者が成人年齢、大人であろうとも、この種の事件被害者や加害者は、「ずっと子供:永遠の小学生、永遠の中学生、永遠の高校生」さながらの子ども写真(主に卒業アルバム、卒アル)で報道され(数多くの社会的弱者の犯罪者はもちろん、監禁事件犠牲者である寝屋川市の柿元愛里や川崎市の横山雄一郎)、人々の閲覧可能な状態にされる。
私は自分の意思で努力することで、被害加害の二項関係を離れ、最新の公的書類の証明写真を用意している。



ところで、わたしは「ゆとり世代」であるよりも「Z世代」であろう。
ギリギリ1997年生まれ、3歳でパソコンを操作し、2004年に携帯電話作曲とインターネット利用で迷惑メールの概念を習得し、2008年にはWindows OSの旧スマートフォン WS011SH を操作していたし、名実ともにZ世代である。
日本社会の「他人シネ、弱者抹殺してやるスティグマタイジング同調圧力」通念では「ゆとり世代」や「脱ゆとり世代=広い意味でのゆとり世代」に変わるので、いくらでも名乗ってやろう。
「ゆとりは体罰を受けていない」だって?
私はZ世代との協会にありながら「攻撃的な発達障害の傾向のある母親」に、頻繁に平手や拳骨で、頭部や臀部を打たれていたがね。
ゲンコツ100発だよ!」などと不当な人権侵害(子どもの権利、人権の蹂躙)の伴う脅迫、恫喝=パワハラも多かった。
下手な昭和生まれよりもひどい仕打ちを21世紀に受けまくった、ギャップの激しさで発育に悪影響が大きい。
そのことと、両親の夫婦喧嘩の多さなどについてここで詳述しない。

ほか、日本家族主義の軋轢。
私はなりたくて3兄弟の長男になったのではないのに、世間には「長男だからって」とか、「長男よりも末っ子が」とか、作品名『兄に付ける薬はない』とか、作品名『お兄ちゃんはおしまい!』とかと破滅的に差別する表現が満ちている。
こういう日本社会でも悪辣な川崎市で精神障害者「横山」(統合失調症で大学中退ぼっちゃん)が家族(主犯は父で、母と妹が不起訴;無職一家)に監禁されて死んだように、不当な長男差別で自殺者、虐待死者(主に赤ちゃん)が絶えない。
そりゃ、社会的去勢の餌食になって泣きたくもなるわ。
そりゃ、社会的抹殺の犠牲になって死にたくもなるわ。
あの両親にとっての「生んだ子が気違いだったからまた作っても気狂い、また作ってもキ○ガイ」の「ガ○ジ三兄弟」には、身体性別♀がいない。
私は社会的去勢されているのでキモ男の身の上を避けて「トランスジェンダー女性」となり、兄でも姉でもなくなる。


0 件のコメント:

コメントを投稿

当ブログのコメント欄は、読者から、当ブログ記事の誤字・脱字の報告や、記事の話題に関する建設的な提案がされる、との期待で解放されていました。
しかし、当ブログ開設以来5年間に一度もそのような利用がされませんでした (e.g. article-20170125, article-20170315, article-20190406)。
よって、2019年5月12日からコメントを受け付けなくしました。
あしからず。

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。