2015年5月31日日曜日

Google+ 2015年5月中の日記メモ等

前回(初回)のGoogle+日記メモ記事は総計10,000文字超となり、記事用に拵えた画像2枚も含めると、メモ帳史上類を見ない圧倒的な長さの記事となったことが明白だ。
今回はそんな前回記事と比べ、集計範囲が1ヶ月間のみと短期間であるし、同じ1ヶ月だけでも4月は今回記事の5月中より多く投稿していたため、これを加味すると圧倒的に短い内容となろう。
それでも、通常記事以上のボリュームとなることにも想像が付く。

※記事本文の話題に関連して日記的な追記を本家記事に行ったものは掲載していない(例として、本家ブログ5月5日の記事における5月7日7時半の追記などがある)。



2015/05/03


「義の戒壇」・・・豊橋母宅における上の弟用の部屋は2014年3月より牛久祖母の部屋となったが、4月26日に上の叔母さん夫婦らが仏壇ほか品々を直接運んできた。

続きは本家5月13日の記事にコピーしてあるので省略する。
※当該記事には5月7日の日記メモも引用しているが、これは当記事でも載せる。



2015/05/06



「弟・デ・ラ・クレーム」・・・5月6日、GW最終日は終日、子供の往来が疎らで最後の日らしい静かさだった。この日の朝8時前、弟のケーキ作りが始まる。5月の頭、母親との会話で怒りながら「だからぁデコレーションが楽しいんだ!」と力説していた。「楽しい」という言葉を怒りながら吐く人は稀だ。思わず噴き出してしまった。去る5月5日のケンタ通いの際、同ホリデイスクエア内のイトーヨーカドーでの買い物にて、市販スポンジケーキと生クリームとアラザン等を購入した。果物類はない。

弟が生クリームをホイップにすべく専用のおもちゃで泡立てている様子を8時3・4分に撮影した。あの弟の姿を見て、相変わらずその背の高さに目を引かれる。身長の具体的な数字は、通知表を見た記憶によると、中1発育測定が166cm、中2発育測定が172cmらしい。172cm時より1年以上経つ今となれば一層高くなったことだろう。これは中2始めの集合写真を見て、特別支援学級の中でも最も背が高いことがわかる。

当記事注: この日記メモは本来、その様子を撮った動画を投稿した際に説明文として記載する予定の文章だったが、動画の投稿は断念してここにメモを残すまま今日まで経った。弟の肖像を気にして動画投稿を辞したのではなく、着ている服装が(以下略)なので、画像には部分的にぼかしをかけてここに掲載した。写真自体は、身長の高さがある程度伝わるように下の部分が写るように配慮して撮った。



2015/05/07


5月7日11時頃、2階・前祖母部屋から大きめの物音が頻繁に発つ。例の仏壇処分について始動したと見るが、ついぞGW期間中にはやらなかったようだ。12時過ぎ、外のカラスの動きが不純であった。

13時過ぎにゴミ置場の様子見を兼ねてゴミ出しの準備を始めるが、この直前に4月30日同様、高圧ガス式スプレーの音が頻りに鳴っていた様子があったが芳香剤ではなく、今回は本当に殺虫剤であった。玄関の靴類が全て片付けられている理由も不明で、ゴミ出しを辞めようかと思うも、予定の行動なのだから遂行すべく敢行した。片付けられたサンダルを取り出してゴミ置場に赴くと、案の定カラスに荒らされたゴミが散乱しており、ことにカラスの目的は腐りかけの枝豆のさやであった。

ゴミの回収が正午過ぎということは、出すのが遅れた人々にとり救われる思いでもあろうが、地域の衛生上とても問題性がある。去年にも野良猫の件に触れたが、彼らは真夜中~早朝にゴミを漁る傾向がある。明るい時間帯はこのようにカラスの独擅場か。野良猫やカラスの繁殖は更なる健康被害も及ぼすし、何よりゴミを回収するニイチャンたちの作業に手間が増えるであろう。本日の現場の臭いは割と酷かった。取り出したサンダルは同じく片付けなおした。

当記事注: 当記事を編集している5月末も仏壇は処分されていないし、これからも予定は無い。それでは、5月8日の暖房器具引き取り云々の電話は誰が相手で何の意味があったものか不明、こんな行動を伴わなく意味のない会話ができる間柄の人間はいないはずだ。もしかしたら、通話の最後に「当店では何々の処分は行っておりません」として断られたのではなかろうか。



2015/05/12


最近の弟の発言録「(5月7日深夜(?)本人が寝ようとしている時に母親が大きな音を発て)うるさい!バーカ!死ねー!」、「(5月10日夜(?)テレビの内容に反応して)藤岡弘だろうぅ?ウィキペディアで見たしー」後者の発言時刻は、当人の出演した番組を探せばいい。名前でGoogleなりTLなり漁ってみようか。「ウィキペディアで見た」というのも、サムライ云々の声も聞こえたので、それに関する記述を探すべきか。

2015年5月14日追記、同19時頃の記憶「じゃあ後で85万円払え!俺にとってはお前なんか憎い女なんだ!」22時前「ヘタな生き方、ヘタ人間!クソ人間!」→この大声で俺の思考が乱される。

2015年5月16日追記、そういえば近頃は「チェッ、なんなんだよ自分だけ」とか「何様だよ!」とか「じゃどうするのぉ!?」などを言わなくなった。今、ずっと休日ならではの二人の険悪な遣り取りが続いている。



2015/05/13


左下の唇裏に深い口内炎ができると虫歯の有無を問わず左上の歯も痛む。右側の偏頭痛があれば右の目も痛む。これは私の中の通説で、いずれも対応する位置に同じ神経が通っている為との所見だ。同様に、体の特定部位に酷い裂傷を被れば、その半身不随も起こる。神経やその他の管が集中する箇所を切り裂かれるのだから、通じる部位は機能しづらくなる。

こういう医療関係の私見に際してネットで検索しても、関連した情報を見られず。検索は徒労に終わることが当然の帰結となっている。仰々しいくらいダブルクオーテーションマークを利用しているのだが・・・



2015/05/15


劫濁の世間では原因に対する結果が顛倒する。ある結果を想定した意図的な原因を起こしても外れる。過去の執筆においても「完璧な理論が覆される不条理」を嘆き、深慮による行動が裏目に出てばかりだとの悲憤を綴ってきた。今回は自動的なものでなく他動的な例を挙げる。

いつも通りの汚い話だが、本日5月15日10時前に4日ぶりに下剤を適量服用した。その前の排便が5月13日と記録される。下剤を服用した9時より前の食事が、5月14日24時前で、ご飯+味噌汁+焼いた豚肉・ニラ・もやし+のり(板のり1.33枚相当)+マヨネーズ少量という内容だ。これ以降は下剤の服用までほぼ飲食が無い。実際に、1時半~5時過ぎの睡眠と7時~9時半の都合6時間の睡眠を挟んでいるため、少なくとも7時以降は何も食べていない。そのまま9時半の起床より数十分以内に下剤を服用し、ほとんど空腹に違いない。

下剤は空腹時の服用が推奨されるものの、1時間経っても腹部の違和感(蠕動運動の類)や乱れた音(ギュルギュル等)などが無い。普段なら1時間ほどで、下剤に対応したこれらの活動が感じ取れる。12時頃にシリアルを軽く食べて、菓子パンとコーヒーを食べて、食事に伴う胃腸の活動を期待したものだが、相変わらず変化なし。服用から3時間経っても変化が無く、お腹のハリもそれほど感じ取れない。そして14時過ぎに便意が強く現れ、やや長めのクソが出た。まあ冒頭に「結果」云々書いたが、普通のクソを出せたなら諒とする結果だろうが、それでも、出るまでに起きると予想される諸々の違和感が少しも現れなかったことはおかしい。

何せ、ギュルギュル音だとか、クソも出そうとしない時の寝ている時にはやたら鳴る割に、この下剤服用時には何もなかった。出もしないのにギュルギュル鳴って、下剤服用しても鳴らない、腸の違和感もないのでは、薬効も皆無じゃないかと不安感が襲ってくる。

このように因果顛倒していることが、真面目な私には不可解に思う。数年で、この世間を取り巻く道理は顛倒の傾きを強めている。今までの数年、十数年、数十年、百年、身に災いがなかったとしても、数年後を待ってみよ、御書に曰く「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」、前後の文脈は少し意味が変わるけれど。

当記事注: 次に下剤を服用したのが5月20日7時頃。それまでの間は食物繊維の割合が高い食品の多量摂取を行う極端な策を執った。また、コーヒーも多めに喫んだ(多い日で少量を3杯)。コーヒーのカフェインパワーでの排便補助は、最後に飲んだペースと量に対して間を適当に置いたことで効用がある。5月20日以前の服用=5月17日の数日以内からコーヒーを多めに飲み始めていたので、例え短時間に500ml飲んでも、徒に体をコーヒーのカフェイン漬けにして、血中濃度を異常に高めるだけで、体が弱い私なら動悸などの中毒症状を引き起こすことが予想される。思えば、コーヒーやお茶などをあまり飲める機会が無い頃にたまたまそれらにありつけた時は、やはりよく出てくるものだから「紅茶毎日飲んでる子って快便なのかな!?」とか「○○茶飲んでる子ってもしかして・・・?」などという邪推をも懐くことがあったが、それらも腸がカフェイン慣れすれば蠕動運動も起きづらくなくなる。コーヒーもお茶も、便秘への助力という観点では、覚醒剤で一時の快楽に溺れることとあまり変わらないように思える。同じく御書に曰く「師子を吠る犬は腸(はらわた)腐る」、さあ私は誰を師子王として、実際にそれを吠えているのだろうか?羸痩・便秘。



2015/05/19


メモ帳ブログの今月の記事数は9本を目標としている。理由は先月が9本だからだが、その前月が10本だったので、こちらを取ってもよい。少なくとも8や11などに分かれることは免れたい。記事本数の数字合わせに少しこだわりがあるのは、元からではない。

2014年の月別本数を見ると、6・7・8・9月はいずれも13本投稿されているが、4ヶ月に渡って13が並ぶという奇跡に感動を覚える。10・11月に至っては月間19本もの投稿が並び立つ。12月と年を跨いだ1月は共に12本である。これらの事実から、数字が2~4連続することが分かろう。ところが2015年は2月より不安定なのがわかる。短い28日間といえども7本しか投稿できなかった2月は、厳冬に色々と凍結していた部分があった。

それでも、今月は先月や前月とほぼ同ペースであるから、数字もそれに並ぶものとしたい。この日記メモ時点の投稿本数は5本。これに加えて現在の下書き記事状況は、完成率が高めの2本がある。更に今月の日記メモまとめを月末にでも投稿することになればプラス1本となり、計8本。最低限の用意で既に王手が掛かっている。残りの10日余りで新しい記事の案が浮かぶものならば、目標到達は必至。胡座を掻いてはいられない、今日中にも構想があるとよい。達成に向けての憂慮は、私の身とPCの調子といったところか。

当記事注: この日の別の出来事はメモ帳に別途記事がある。「メール」を主題として、無関係な同日中の事柄についても、ついでに当該記事に記録している。



2015/05/24


大仰な反応をするきらいのある人に関して思うことは、きっとその反応の根底に、自覚できない潜在的な意図がある。私にその心当たりが生じたのは、5月24日11時15分の母親の挙動からである。母親については今までもその人格を幾度と取り上げてきて、各ブログ・動画に散り散りではあるが、総合的には詳らかな情報量であると言える。この時の母親のそれは、私に対する害意の類ではないが、少々鼻につくものではあった。それもいつもと同じ私の取り方だ。

いずれにしても、母親にしても、私が独り言で仰々しい形容をくどく続けることにしても、「心に思うこと以上の誇張をしたい」という意図が重なるところがある。人に言えば下らない邪推となるかもしれないが、やはり大仰な反応には多かれ少なかれ他意が含まれており、悪い方面では悪意・害意が別件の蟠りから発生していることも考えられる。

当記事注: 「別件の蟠り」と関連するわけではないが、この十数分後に口論が起きてしまったことは、5月26日の本家記事のとおり。



2015/05/27


この夏は、少しでもお金のかかるペットボトル飲料への一切の欲望を封じ込めそうだ、という高揚感が起こった昨日。この「ペットボトル飲料」という語が指す範囲はスポーツドリンク・お茶・炭酸飲料などであり、缶の類も含まれる。昨日は、いつものムーミンのカップに4分の3ほどの量の水に製氷機の氷3~5個分を入れて4杯ほど飲んだ。「これぞ少欲知足、現代生活の倹約」と意気込んだ。

変わって今日は、弟のスポーツドリンクに関する会話を耳にすると、気持ちが少し揺らいだ。「俺は出来る」という気持ちが一週間でも持続するためしが滅多にないものの、とりあえず夏が来ないことにはどう進んでいくかわからない。夏を水で乗り切らんとする俺の戦いは、始まったばかりのようだ。

ちなみに、今日はまだ氷水を一杯も飲んでいない。思えば「年々色んな意味で味気ない生活になっていないか、色気も」と思っていたものだ。「思えば~と思った」と、「言わば~と言える」などは重複表現なのか?とも今日思った。

当記事注: 今の弟がペットボトル飲料を多く飲む(今回のスポーツドリンクはアクエリアス2Lで、最近のメモ帳記事にも)ように、少し前まで私も金銭面と外出時の体調の他は顧みず買っていた。この夏を乗り切るこの方針は、私の身の丈にあったもので、味気がないのも当然かもしれない。また、鬢糸茶烟の感がある、小学生の時は気にせず飲み放題の気分だろう。「暑い日に熱いお茶」といえば、小5の運動会では熱いお茶が用意されていた。



2015/05/28


5月28日15時半、母親が買い物へ出る。15時50分頃、弟が帰宅するが、最近数日はこのように帰りが早く、普段通りなら部活込みで18時過ぎになる。「特別支援学級の担任が出張だから」という理由を昨日も一昨日も話していた。続いて17時20分に母親が買い物から帰宅。

いつも、買ってきた品はリビングの窓を通して家の中に入る。母親は未然に窓の開錠をしていたが、母が帰ってくる間に弟はなぜか半分閉めてしまった=斜めに掛けた。これにより母親は物を室内に入れられないため怒ってしまい、弟と喧嘩になった。

後で言っていた理由の一つに「気温30度でハエがたかる」ということだったが、30度のような真夏日は、今日の豊橋では有り得ず、十中八九他地域との混同であり、また今日の17時過ぎではなお有り得ない。例の如き誇張したがる表現に、外野ながらウンザリしてしまうが、食品を置いた車内環境であれば、あながち全否定できるわけでもないか。二人の喧嘩の内容は、まともな言葉の応酬もあったが、何より印象に残った発言は弟の「クソ女!シネ女!」で、前にも「ヘタな生き方!ヘタ人間!クソ人間!」と面罵していたことが容易に想起される。

喧嘩が一旦静まって弟が傍にいない間に特有の「グチグチ小言」や、時間が経ったときに再度「何で鍵なんて閉めたの!?」と迫っていたが、魔が差してやったことについて、まともな弁明は特に弟の場合、至難の業だ。母親が今より元気で私の小さい頃に、グチグチ小言は不穏当で、子供の憤怒か不安を生むだけだし、理不尽な追求には混乱して、子供がますます塞ぎこんでしまう原因にしかならないと実感するが、どちらにしても本人が疲れるか飽きるまで続いてしまうという、引き際の悪いところが厄介で陰険で悪辣だ。若い時ほどこの傾向が強い。



2015/05/30


5月30日は朝4時半前に起床し、10分以内に風呂に入る決定をした。ここ一週間ほど、ご飯が炊けない日が続いており、今日はご飯が炊けそうなら風呂に入らないことにしていたが、例の如く炊ける環境でなかった(別に使用済みの時に私が無理やり使うのは争いの火種を作る)ので、炊飯は辞して風呂に入る判断が固まった。

風呂から出たのは5時半前、朝に風呂というのはいつも3時半頃が適切としているが、これは母親や弟の7時までの起床を想定してのことだ。その点から見ると4時半というのは実に遅く、事前に「1時間以内で済ます」必要があると考えていたが、今日は土曜日であり、弟の起床はほぼ無いと見られた。

そしてどうにか約1時間に済ませ、体を拭き髪をまとめ、耳を掃除し、顔をアレで洗い、次いで髪を乾かしていると悪い予感が当たり、6時頃に母親が降りてきたが、デジャブだ。半年以内にも6時頃に髪を乾かしていて母親が降りてきたことがある(後の調査で3月10日9時のことと判明)。またある件で母親が干渉し、その時ほど険悪なしゃべりでもないが、母親が6時頃に起きなければこんな話にならなく、私はそれらを視野に入れた上での行動をしている。

第一に母親の生活習慣といえば不規則で、人を振り回し続ける。昨日5月29日も11時半頃に母親が起きてきて顔を洗っているのをふすまの隙間より覗きみたが、ああいう時は「弟・デ・ラ・クレーム」同様に気付かれず写真に撮れる(まあ本人は写真に撮られても無関心だろうけど)ので次の機会に撮ろうか。ともかく、昨日と今日でまた起きる時間に大きな差が生じているのだが、毎日あなた自身の生活を縛るもの、仕事などは3月以降何もない。週2度の買い物なども昨日と今日はない。

このように都合がよいまでの不規則ぶりは、ただ本人の自己管理能力のなさに起因している。そして、弟にも「何でいるんだ!何でこんな早く(買い物から)帰ってきているんだ!」等と問われるように、これがみんなの迷惑にかけている。それでも、いい年した母親はいい年を過ぎてボケてしまっているようで、改めもせず、気付きさえしない。仮に自分の不規則さが厄介であることに気付いても、強情の故に反省など微塵も起こり得ない。孝子たる私は慈悲の故に、悪母を改悔せしめんと心を砕いている。

当記事注: 同日12時半前に、郵便局員の配達があった。インターホンが鳴らされて時間が経ったときに弟が応答したが、母親は別に外出中でもなく、家にいてその後にも一切反応がなかった。十中八九、寝ているのだ。29日が12時前に起きてきたり、30日が6時過ぎに1階へ降りてきたり、そう思ったら昼に客が来ても出られない母親のだらしなさが浮き彫りになる。この後、何も知らぬままノコノコ起き上がって来るのだろうか、と思うとますます淫乱な人間だと見えてしまう。これで、弟に迷惑がかかり、郵便局員にも無駄に時間を待たせたことで、淫乱な母親の罪がもっと重なる。種々の事実を連ねて強く呵責せど、例えそれを辞して甘き懐柔せども、頑迷固陋の母が矯正さるることは全くなし、いかで改悔せしむべきか。



2015/05/31


5月31日19時45分頃、弟は食事に先がけてテレビを付けたのだが、その音声には、海自だか艦船(イージス艦、潜水艦、製鐵所)の話題が聞かれた。数分後に弟がチャンネルを変えたが、母親が意外にも「見てたのにチャンネル変えないで」と促した。これに弟は「この潜水艦はお母さんの友達の命を奪うの?尊い命を」と返していた。この10分ほど前、いつもと同じ弟と母親の会話で「お母さんの友達を殺す」等の発言に「お小遣いあげないよ、困るよ」と苦しげに仕返していた。いない「友達」を殺すと脅されて困った母が、逆に弟を困らせたいそうだ。

私の母はどんな理由か分からないが安倍政権を嫌っている人で、無論、集団的自衛権に関する法案などにも反対派だと推量していた。こっちの軍事技術等も敬遠してそうだった。かかる法案への母の賛否については知る由はないが、ともあれ、行使反対派であっても軍事技術に関心を持っている人は当然いよう。思うに、やはりテレビ上で近年この種の国防に関する特集も増えているのだろうか、民間レベルの関心が向上しているのだろうか。これらのやり取りもテレビの内容も、全てリビングから聞こえた音声で判断しているし、私自身はテレビを2011年からまともに見ていないと示すことは常例の通り。

また、小さい頃を思うに母親は皇室の日常か歴史(?)のような特集した麗しい番組も、好んで見る傾向があったと記憶する。皇室にしても軍事技術、特に旧帝国海軍の艦船だとか空軍の戦闘機など、イデオロギーを問わず国民に愛されるものだと考えるべきだろう。いずれも我が国が誇る歴史・文化・技術の象徴である。



2015年5月29日金曜日

5月17日と5月21日に見た夢

2015年5月17日の出来事を即日綴ったのが以下である。
日記メモでやるか、当メモ帳ブログでやるかは迷ったが、文字数的にはこちらが適していると判断した。
話題としては、学術性に欠け他愛ない日記のようなものだ。

過去の夢記事→http://lesbophilia.blogspot.com/2014/09/blog-post_24.html



夢を見た、始まりは・・・あの車の後部座席の真ん中に、中2の頃の自分とよく似た少年。
その位置ではシートベルトも着けられないが、両脇にはきっちりシートベルトが着いている、その時の外見だと思われる二人の弟。
だが、現実には中1・中2期に二人の弟と会ったことなど一度もない。
運転席の父親と助手席の母親の表情は悪くなさそうだが、この車の向かう先は住んでいた埼玉県内からどこか広い道路(首都高?)を通って都内へ進んでいる。
夢の景色が変わり、都内のような場所に出たときには、高速道路沿いの幹線道路に出ていたが、その渋滞から後部座席より不満の声が出て、少年も「確かに渋滞無かったらどのくらい進んでいるかな」と内心で思っていた。
父親が「じゃあここから降りて(夢ではこう発言しているが、意味としては"折り返して"である)帰るか?」と言い、戸惑う後部座席だったが、少年は「こちらを試す冗談か?」と内心で感じ取る。
程なくして父親も、冗談である旨を一言明かした。
次の場面では同じ道路の蛇行した箇所(高速道路の高架下で暗い)で唐突に車が止まり、母親が車を降りてその近くに立つ女性に道を聞いていたっぽいが、その女性が立っていたところは歩道でもなく、蛇行車道の車線間スペースにオレンジ色の線が引かれていた踊り場的なスペースだ。

夢特有のおかしな状況に見ている私が眩惑されそうだが、ここで私の目が覚める。
すると土曜日昼、13時半の母・下の弟の会話が聞こえる。
母親がテレビを見ている間は夢のように笑い声をあげていても、不満げな声は次第に、休日ならではの二人の険悪な遣り取りに変わってしまう。



なぜこんな夢を見ていたか、現実の聴覚が何か彼らの会話を捉えた影響とも言えなくはないが、奇妙な展開以外で思ったことといえば、このような家庭の構造が2015年にも再現されていたら、ということだ。
夢の中の少年が中2、その年に対応した外見の他4人の年齢時であっても、バラバラな家庭であり荒唐無稽のようだが、欺瞞的にもこの夢に似た家庭環境は小2のあたりまで確かにあった。
私自身は一寸先の闇など露知らず、何の憂いもなくいられたのだった。
このような一件、家族5人で平穏とした様子が今でも続いているというなどは考えもしない。
それを鮮烈とまで言わないが、実感してみた。

実は、この夢の本当の始まりと記事冒頭の場面に至るまでのシーンを、文章を打っている間に何となく思い出せた。
家族5人でいるシーンに関しては、どこかトンネル内で父親が嫌いそうというより目を丸くしそうなジャンルの音楽が流れたり、車に乗っていないシーンにおいては2006年7月に引っ越した都市に隣接する自治体の最寄り駅前が閑散としている曇り空の場所でチラチラ人が。
最寄り駅のその光景は過去に数度夢に出ていたが、それ自体は久々に夢に出たことになる。
夢に幾度と出る場所は屋内外問わず、押し並べて曇っている気がする。

家族系以外では、本家ブログのUUがちょうど1,000に達している夢と、薄暗い林の中の開かれた空間で大聖人と対話する夢を見たような。





2015年5月21日は朝8時~18時までの間に短時間睡眠を連続で繰り返したりもしたが、その2度目の起床あたりかに戦慄のグロい夢を見た。
ストーリーとしては、何か脱線事故の後のような線路(複数の複線路線の線路)上で車両などが横転して著しく損傷している。
しかもそこら中に血糊が散っていて、凄惨なショーが展開されていた。
70年代某革命派的な若い男性らが周囲に笑われながら首を刎ねられたり、その眼を。
とまあその夢では見た範囲に渡って終始首のオンパレードであったが、当然この夢を見ている途中で意識が活発になって目覚めてしまおう。

見た後からこの夢の背景を考察するに、革命男性衆は在来線の車両をジャックしたか或いは最初から出発地より多く乗り込んで別の地域へ行動しに行く最中、対立勢力の策に嵌ってしまい、乗り組む車両を横転・脱線させられ、一部はその衝撃で即死・気絶して、残りは負傷したり再起しづらい間に対立勢力の奇襲を食らって、事故車両から引き摺りだされた男達が抵抗できずに血祭りに上げられたと見る。
書いていて思い出したことは、処刑されている彼らの声はあまり聞こえなかった。



2015年5月23日土曜日

助動詞「る」の連体形的な性質について感覚を掴めたので解説

「(れ)る」は連体形の助動詞でもある。
「られる」のら抜き言葉というのは現代において長く論議されてきた文法の問題であり、当ブログでも度々「"eru"形の動詞」と呼んで疑問を呈してきた("eru"形=下一段活用だと後日知る)。
この「られる」の正体とはそもそも何かを率直に言えば、原型の動詞に多義的な助動詞「る」を付随する上で、その動詞を変形させた結果の形と見ている。

助動詞「る」が多義的と称する所以は、私が様々な書を見てきて「自発・可能・受動・尊敬」と「継続・現在進行助動詞『り』の連体形」に加え、「連体形をなす助動詞的な文字」としての性質があることに気付けたところにある。
この種の日本語は、今日までの足跡を辿れば判然とするのだ。
書というと、鎌倉時代などが中心である。

この記事では、最近どうにかして気づけたことを、全力で砕いて解説していきたい。
つい数ヶ月前なら、連体形と連用形の作用の違いを、ネット上の文章の理屈では到底理解できなかった私が感覚的に要領を得られたわけだから、地盤が固いと言い難い。
今の自分が書くこの記事で説明不足・不適切さも出るかもしれない。



まず、「る」が連体形としての性質を持つことは、古く生きた助動詞に見られる。
過去・完了の助動詞「つ・ぬ」の連体形は「つる・ぬる」であり、現代でもお堅い場面に用いられる状態否定の助動詞「ざり」の連体形も「ざる」である。
助動詞連体形の「ぬる」を用いた好い例文を、日蓮大聖人の御書挙げたい。

「法に過ぐれば罰当たりぬるなり」

この「なり」という助詞が指す範囲が動詞である場合、連体形である必要がある。
この御文では「当たる」という動詞が「なり」に指されているため、「当たる→当たりぬ→当たりぬる」と変化したのだ。

大聖人サマは正しい仏法のみならず、正しい文法も示された。
これこそ生きる古典であろう(もちろん教法も学んでおりますとも)。
この「なり」自体が実は助動詞で、「つる・ぬる」というものは過去・完了の助動詞「ぬ」の連体形に「る」というものが付くという点を再度踏まえて頂きたい。
以下に当方が確認するため参考にしたリンクを載せるが、「なり」という助動詞に意味が別個のものがあること(性質として、連体形でなく終止形に付く点など)を注釈している。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/intro/jodousi06.html#a08

※御書でよく見かける「動詞+なり」表現は「云うなり」であるが、この「云う」をはじめ、通常の動詞は多くが終止形と連体形が同一の形であるため、「云うなり」の「云う」も連体形であり、もし可能・受動で「云える・云われる」の意味にしたければ「云える・云わるるなり」とする。



では、ここで助動詞「る」自体の解説に入る。
先ほどの「法に過ぐれば~」に加え、「唱うれば」という表現も借用する。
「過ぐれば」は、「過ぐ(動詞終止形)+る(連体助動詞)+ば(既定助詞)」という構造であり、同様に「唱うれば」は、「唱う(動詞終止形)+る(連体助動詞)+ば(仮定助詞)」と品詞分解(?)できる。
※「ば」という助詞の前に付く「れ」というのは、連体助動詞「る」が已然形に変化したものである。

↑この部分の下書きメモが5月5日頃で、十日も経つと何を書きたいメモだったか私自身がわからなくなったので軽く無視してもらいたい。

続いて御書より紹介する表現は「滅ぼさるべし」、「建立せらるべきなり」だ。
前者は、「滅ぼす」を受動態にして「滅ぼさる」としたものに「べし」を付けて文を終えている。
後者は、名詞サ変動詞「建立する」を尊敬語にして「べし」の連用形「べき」に「なり」を付けている。
「滅ぼす・建立する」をそれぞれの形にするプロセスにおいて、実は共に助動詞「る」を付けているが、これは連体形を作る目的の「る」ではなく、別個の助動詞として「る」が付けられている。
片や受動、片や尊敬という形である。
「建立せらる」の「せらる」は、現代文で用いるとして「せられる」程度が見かけられるライン。
「せられる」ではなく「せらる」が文脈から正しい用法と言える理由は何か?

当記事でここまで書いた情報でお分かりになることと思うが、「せらる」と「せられる」なら、終止形と連体形の差がある。
助動詞「べし」には、終止形語句が前に付くきまりがあり、受動の「さる」も、尊敬の「せらる」も、終止形。
「される」、「せられる」と書けば連体形であり、現代の人には聞きやすい形でもある。
似たような現代の動詞に「せしめる(使役に尊敬を含む)」というものがあるが、これも「せしむ」の連体形だから、古い時代に文末で用いる=終止形の用例は無い。
仮に連体形でも"eru"形にせず、「さるる・せらるる・せしむる」が用いられるようだ。

思えば、半年前では「せしめる・せしむの差は何だろうか」という不鮮明に浮かべて、取るに足らないとばかりに捨てていたわけだから、研鑽による文法への意識の変革は歴然としている。
嘗てわからぬことも、勉強の過程で答えを得て、今わからぬことも弛まぬ研鑽でいつかは。
また、上掲の御書における表現を見直して、本来の文法に則ったものであると実感できる。
大聖人の御書では、仏法も文法も正しく学べるのだ。
同時にいつも思うのは、訓読する人の力量でこの表現が変わるものかね、って。

サ変動詞の受動態変遷
さる(サ変受身)→さるる→される(現代的、尊敬の意も)
さる(サ変受身)→さるる→さるれば→されれば(現代的、尊敬の意も)
されば・さらばの存在も留意されたし。

サ変動詞といえば、音読みした漢字一文字に「する」を付随してサ変動詞とすることもある。
「課する・達する・服する」などがあるが、これらは「課す・達す・服す」と、「る」を省いて用いられることも多い。
当記事で書いてきたことから諸君も想像が付くとおり、この「る」もまた連体形として「課す・達す・服す」に後続したことになる。
では、「感じる・生じる」という"じる"形は何かといえば、「感ず・生ず」の連用形「感じ・生じ」に連体形「る」を後続させて「感じる・生じる」という活用形が現代までに浸透した。
「される」等の"eru"形=連体形があたかも終止形のごとく浸透したように、漢字一文字サ変においても、"iru"形=連体形が終止形同様の浸透を見せた。



続いて冒頭にて「多義的と称する所以」を示したが、その一つに「継続・現在進行助動詞『り』の連体形」を挙げた。
これについても、御書での用例を挙げたい。
そもそも、御書や多くの古文献で現在進行形や過去形を表す「している・した」等表現が存在せず、それに取って代わる表現が何か疑問を持つ時期もあった。
ことに継続・現在進行形においてはそれらしいものが判然とせず。

それも今や氷解しているが、まず御書から好例といえる一文を載せよう。
「湿れる木より火を出(だ)し、乾ける土より水を儲けん」の中の「湿れる・乾ける」こそが継続・現在進行形である。
この「湿れる・乾ける」は連体形であるが、終止形に戻すと「湿れり・乾けり」となり、「助動詞『り』の連体形」と示した理由も見られよう。
この助動詞「り」は、過去記事でも語ったことがあるが、それは去年12月のことで、未だ日本語における「助動詞」という概念も不明瞭に思えていた頃であった。
ましてや、その最中で無理やり意味を理解しようとしても、諸々の助動詞の意味を深く感覚的に掴むのは至難の業である。
今となれば、実際に多くの書から用法を感じ取ったため、各々解説するにも知っている用例をすぐさま引き合いに出せる。

※古い継続の表現の一つに、助動詞「たり」があり、連体形だと化石的に「秘めたる~」等の表現が残るが、この「たる」の「る」も省かれて今日では普通の過去形に用いている。



最後に、近現代の例も挙げたい。
現代ではあまり聞かれなくなった敬語表現に「であります」というものがあるが、これにも連体形をなす場合「る」が送られることも多い。
「でありますが」などは、「でありまするが」となる。
これは更に古い世代=今でも元気な80歳超の人の語りにはこの口調が出る傾向がある。
言い換えると、「ありまする」という表現が文末・語尾などに付くことは文法上ありえず、それがある場合はおよそ現代の作品などで、そういう口調のキャラとして存在するだけであろう。
試しに"でありまするが"と、ダブルクォで括って完全一致検索すると、その時代=戦前あたりの文章もあれば、普通に現代の人のアホっぽいページなどの二極化された検索結果が見られる。
他に「敬語表現+る」で連体形をなす例は、「しますると(動詞+ます+る+と)」なども挙げられる。

この「まする」という表現は現在でも「そういう口調のキャラ」というようなノリで使われる場合もあることについて触れたが、上述のようにその世代の人は「ありまする・しまする」を連体形として用いている。
現代のキャラ作りのように、終止形として「ありまする・しまする」を用いることはない。
これで分かるとおり、「る」を「ます」の後に送る法則を感覚的にでも弁えた上で用いているのだから、当時の言語感覚の片鱗が窺える。
今日では連体形と連用形の差など、数ヶ月前の私のように分かりようもない。
嘗ての日本語表現をつぶさに"拝しますると"、実に日本語の道理があるとも窺える。
それを"極むれば"「感覚的に」弁えるどころか、私のように文面で正確に表せる。

そしてこの敬語表現の実例についてだが、戦後においても9割方「であります」で文末が綴られ、「しますると」も多用された論文があるので載せておこう。
http://homepage3.nifty.com/hougyokudou/newpage133.htm
この論文では「でありまするが」などは無く、「る」が抜けている点に留意されたい。
著者の「堀米日淳」上人の日号は、能化になられた1949年に与えられ乃至、自身の御遷化(死没)はその10年後であるため、最低でも戦後に本文が認められたと拝察している。
日蓮正宗100年の歴史における法主上人の中では教学関連でとても秀で懸命だった。

一方、「です」というものに「る」を送るかというと、戦後以降に普及した敬語であり、これは「であります」の冗長性が嫌われたことが要因であるから、「でする」という連体形は見られない。
したがって、余分な「りま」が省かるれば、連体形を為すに「る」も必要でなくなった。

非敬語の「である」という表現においても、「だ」に変わられつつある。
「であるから」という表現自体が古めかしいようで、「だから」が一般的。
「であるからして」という慣用句的な用法はまだ、そのニュアンスで以て今日でもネタ的に使われる傾向があるが、私のように普段から固めの文章を書いている人以外は、「して」を除いた「であるから」という表現を常用することはない。
なお、「である」の「る」は連体助動詞ではないことをついでに念を押しておく。






中間地点のボツ・別ルート(小文字化した)

先ほどの「法に過ぐれば~」に加え、「この法を立てらるれば」という御文も借用する。
「過ぐれば」は、「過ぐ+る(連体助動詞)+ば(既定助詞)」という構造であり、同様に「立てらるれば」は、「立つ+る(自発助動詞?)+る(連体助動詞)+ば(仮定助詞)」と品詞分解(?)できる。

「ば」という助詞の前に付く「れ」=「る」というのは、助動詞「る」が已然形に変化したものである。

後者の構造解明には、「立てる」の「る」が厄介となり思考が混乱し、曖昧なまま終えるのもまた読者の混乱を招くので、必死に考え抜いて「立てる」の「る」が自発助動詞であるとみなした。
こんにち、この「立てる」など"eru"形動詞が、単一の動詞であるようにされているもの、「立てる」でさえも「立つ」の已然形に自発助動詞「る」が付いたものと見ているが、また思考が混乱した。
自発・可能・受動・尊敬の助動詞「る」とは、普通なら未然形にしか付かず、"eru"形と似たような亜種"iru"形(上一段活用
)なら満ちる・伸びる(満つ・伸ぶ連用形)、"oru"なら起こるって「起く」の何だ!?
この他"eru"形の亜種の存在は枚挙に遑がないものと見ている。
「ら抜き」についても、大方この"eru"形とその亜種の動詞のみが本来問題であり、例は"出れる"、"得れる"、"起きれる"、"食べれる"等。

"iru"形は満たす・伸ばすなどの"asu"という使役形をも生む(「悔やす・恥ざす」は聞かない)。
そういえば一般的な使役形の動詞「させる」も、連体助動詞の「る」を除けば「さす」であり、「立つ→立たす」の用例は「立たしめる(立たせる)」などがあるが、「立たしめる」も連体助動詞の「る」を除けば「立たしむ(立たす)」となる。
経文でポピュラーな例「令入於仏道」も「仏道に入らしむ」も「入らしめる」と文を終えないことも、この「しむ」が終止形で「しめる」が連体形であることを弁えた上で訓読したのだと言えよう。
数ヶ月前に連用形と連体形の区別が曖昧だった私のような読者の為に改めて付け加えると、「入らしむ」を連用形にするならば「入らしめ」となるように、ここでは「る」を加えず「む」の音だけ「め」に変えればよい。




どこに書くべきか迷ったメモ「『得る』自体がeru形 "eru"の音が『できる・可能』の意味で助動詞的な性質となった末に動詞の子音に付けるようになった 『得る』の読みは古くは『うる』であることも御書の他、古文献の声に出した朗読に聞かれる 例えば現在『挟みえる・挟みうる・挟める・挟むる』という表現が可能形として用いられるとして、この内の『挟むる』に古くは『できる・可能』の意味は無い また、『得る(うる)』自体が更に連体形であり、古くは『する』と共に"る"が省かれ、『得・す・見』のみで一つの動詞をなすこともあるが、現代でも知れる好例が『すべき』等で、『得』は御書だと『仏法を得べき便(たより)・心うべし(訳:心得るべきだ)』という表現もある」



後年の追記
2017年5月10日に投稿した記事に、当記事の話題と関連した考察が載る。
http://lesbophilia.blogspot.com/2017/05/blog-post_10.html
動詞の連体形「ある」と、形容詞の連体形「ない」は、現代文において「~です(~である)」に接続すると正当でない用法としてみなされるが、古文や文語体では「~なり」に接続できる。
そして、その言語学的に正当な根拠も説明される。
すなわち、「の・もの・こと・とき」といった準体助詞や準体言の省略(または∅ ゼロ化)に拠る。
「あるです・ないです・あるなり・なきなり(ある〔ということ=∅ ゼロ化〕です…)」、これらは言語学的に正しい表現となる。
また2017年9月には、連体形+ですについて梵語や漢語に寄せて重説した(?)。


2015年5月20日水曜日

普通のメールに見えるが、その深くして量り難い真義

2015年5月19日0時38分に母親に送信したメール。
食料に関する要望の旨のメールだが、私が真に問いたいのは母親の人間性についてである。
叔母さんYなどには些細な日本語の誤用(とも言い難い)に関してくどい指摘("ご苦労様は目上の人(姉である母自身)に使わない"、"誰も教えてくれなかったんだね可哀想"と一人で言いたい放題)をしたり、学校の教員などには何かのイベントの日程や情報に関して「微に入り細に入り("細に穿ち"の誤用、あなたも誤用しているじゃん!)詳細に伝えてくれないと誰も分かりませんよ」などと頻繁に指摘することがあるが、その割に自分こそ不明瞭な発言ばかりである。
人には理不尽に当たるところが、人間関係に摩擦を起こし、現に父親と喧嘩し続けた日々を偲べば、誰にとってもあの母親と長く住まうことは、正気を保てないことであると言える(この種の話題では毎度この情報を書かねばならない)。

そんな母親の人間性を受け継ぎ、今でも肌身に触れる私(2007年~2011年まで別居していたが)も世間に聞く、愚にもつかない「血液型」なるもので人間性を判断するそれに準じてA型(母)とB型(父・私・弟二人)の差はあれども、似たような人格は形成されたようである。
「人間性を問う」意思を暗示された、含みのある「5月19日0時38分メール」は以下の通りだ。



シリアルが写真の通り4袋、内容量換算でも3袋分余っている。牛乳の量を増やすか、シリアルを週に1度に減らす等の対策が必要。そもそも以前はシリアル週1度だったが、週2度の買い物で毎度買っているから、○○(下の弟の名前)がバカ食いしても私には供給過多となる。○○には私と同じシリアルの量に対し、私より多くの牛乳を与えている。その上で先週は2LのDAKARAや1.5Lの炭酸飲料を与えていた。荷物の重みで指の肉がちぎれないだろうか。私のシリアルは牛乳無くして食べられないが、○○の水分補給は水で足りるし、一週間に3.5Lの清涼飲料水や私以上の多量の菓子摂取で、○○の糖尿病発症も必至か。
要望としては、牛乳を増やすか、シリアルを週1度にして菓子を増やすかだが、体力・金銭負担や買い物時の記憶整理の観点であなたが楽だと思う方でよい。シリアルの余りが過ぎたら○○に1袋分けるかもしれない。」

余ったシリアル

注釈をするならば「私以上の多量の菓子摂取」という記述だ。
このメールは先に記した通り、母親に宛てたものであり、母親自身が下の弟の菓子摂取状況は把握しているため、同メール内に縷々と記す必要も無かった。
当記事では読者のために一応その状況について書く。
私は母親から買い与えられた少量の菓子に留めているが、あの弟の場合は前の土曜日にもイオンで菓子を多めに買い足していた。
チョコ系然り、スナック菓子然りである。

炭酸飲料と清涼飲料水の話も加味するが、私も暑くなりゆくこの時期にあって、お茶・炭酸飲料の買い足し頻度は強まっている。
確かに菓子も飲み物も、私が今の下の弟と同じくらいの頃にはどれほど貪っていたことか。
このような回想は雑念そのものだと思う。



注釈ということで、冒頭の「学校側に対して細かく情報を尋ねる」行為について過去の例と現在の対応について記録する。
「微に入り~」云々は、寒気がした記憶である。
というのも、母親自身の声で聞かれたものではなく、電話の事前に書かれたメモを見たからであるが、「微に入り~以下誤用」の表現を口頭で発したいが為に電話の事前にそのような台本を作っているところが、気持ち悪さに輪をかけている行為だと思えよう。
他にも、学校の公式ブログの何かの予定に関する告知記事に、本名のフルネームをローマ字に換えた名前で「具体的に案内して、こう書いて、でないとどうしたらいいのか全然分からない(要約、元の文字数は約260)」とコメントしていたのだが、当該公式ブログでそんな殺伐としたコメントを、しかも本名で以てコメントする人間は過去に一人もいない。
殺伐としたコメントも、フルネームを使用したコメントも、片方に該当するコメントすら誰もしていないことを、あの母親だけが成し遂げた。
誇れもしない武勇伝を次々に作り上げる母親に、息子として感服する思いである。

当の学校の教職員の間では、「特別支援学級の○○(下の弟の名前)君のママさん怖い人ですよね、給食の懇談会では誰とも話さず俯いたまま(写真アリ)食事し続けて、○○君のお兄さんは二人とも不登校のようでした」などと噂になっているに違いない。
特別支援学級の担任、大○先生はこんな母親の理不尽な要望ばかりでも、真面目に対応している人だ。
あの母親だけに詳細な日程を記したプリントを作成するなど、特別な処置を行っている。

教師とはそもそも自己犠牲の職業であるべきで、この先生は弟が去年の5月に同級生とのトラブルでズル休みした2日目に我が家まで訪問したが、私が最後の不登校になった○川市立中学校の新任男性担任教師Hには一度も無かった。
まさに自己犠牲を美徳とすべき、この先生は教師の鑑であろうと傍目に感じられた。
ただ一点思うのは、特別支援学級という特殊な少人数クラスでは、少人数でなくとも負担が軽く、問題児に個別に当たりやすいのではないかという上から、弟の問題にも親身に当たる事が出来たのではないかとも見られる。

そういえば、母親の気持ち悪い性癖に関して、類似の例が最近もあったので軽く記録。
稀に家の近辺の診療所から郵便物が届くが、2015年4月頃にも同診療所からいつも通りの封筒が届いていた。
母親がその封筒を返送するらしく、表に「何年も我慢しています、不条理("理不尽"と混同?)だとしか思えません」などと書きなぐっていたが、「非常識」ならまだしも、「不条理」とは仰々しい形容だ。
勝手に送られる郵便物を返送するにも、不穏な文言を書きなぐれることは正気でなく、もっと穏便に停止する手続きなどがあるし、その方法を採ろうと思わなかったのだろうか。
この母親に汚された封筒の実物(当然この後ポストに投函されただろう)を見れば、誰もがあの母親の異常人格に驚愕することは無理もないはずだ。
不穏な文言の書かれた封筒を見て時間が経った頃、診療所担当部位を模したキャラクターのイラストと「不条理」の単語が不調和で、思い出し笑いが絶えないものだった。





以下、当メールとは全く関係ないが、ついでに日記メモ欄とする。
5月19日19時前から19時半頃まで母親と一悶着あった。
同メール送信よりこの時間に至っても、一度もメールの件について返信や返答はないので、内容は一応承知したと見える。
喧嘩自体についてどういった原因があるかなどは、長くなる為ここには書かない。
ただ、タイミングとしては18時半頃(まだ日没前)に夕方の勤行を遅れて始めて十如是・寿量品長行を終え、自我偈の中腹に至った時であった。

意味不明なタイミングで唐突に、ある問題(本当に何故このタイミングでそんな遠い時間の話題が出るのか)に関して焦るような口調(遠い時間のことをあたかも今起きたかのような臨場感)で話され、誰でも聞いていて心地よくないし、腹を立てることも仕方が無いものだ。
相変わらず理不尽で、出来事に対する感情の変化が非合理的で煩わしい。
その「遠い時間」にとても近い時(19日朝5時台)に一度話しかけられたことがあったが、その時にその不満を私に投げかければまだ正気の内であると看做せる。
20時頃にもまたおかしな問いがあったが、母親からは万事に渡って理解の乏しさを感じられる。



1ヶ月ほどは、この種の衝突はなかったが(4月26日の件は数分程度)、この件のせいで最近続けている勤行を退転したくなってしまった。
真面目に勤行していて邪魔な干渉というのは、法難か、はたまた罰か判断し難い。
ここで一つ思うのは、他の家庭も含め、個人的な勤行が世間の家庭不和の原因になることもあろう(この程度の衝突は、数年前、飛んで小3・4期じゃ日常茶飯事だが)。

「隠れ題目」として、読経・唱題は観念で行じる、というのも可能だろうか。
「懈怠するより殊勝だろう」として、以降全てを観念行にしてしまうのは「凡夫の浅識・驕慢」で、謗法となるのだろうか。
いずれにせよ、仏界というものの涌現やそれが強盛になるだとかは、思い込みはあっても、確かな実感は無い。

うちの母親には、法華経の価値も「馬の耳に何とやら」であるし、逆に法華経の信行というものが反発される要素にもならず(論理的な怨嫉もないということ)。
また、法門を一分と知らずして知る気もない者に、仮に認められるなら「第一のはぢ」だ。
法義上から諫暁することが仏法の行いかもしれないが、無理ね。



仏法のそれについても度し難いが、それは今の濁世の普遍的な問題で、人格面では人並みはずれて相容れがたい。
ある動作をする度に、あるいは過去にも似たような理由の口論(何年も続いていることに"ず~っと"不満があったかのような言い方で不服を唱えていたが、これも理不尽な物言いだ)もあったが、それに関する動作の度にもこれらの衝突がフラッシュバックする。
当記事の本文で取り上げた諸々の奇怪な文言も、日記メモ欄の話題の出来事も、偏に母親の異常人格が元凶であるが、この異常性は日毎に強まっていることを実感する。

更年期障害だとか痴呆症だとか、特定の病名を取り上げてレッテル貼りをすることは避けている私だが、どうにもこれらの枠に嵌めたくなってしまう。
病気といえば、先の口論でもまた通院の実態が不明な「ガン治療」や、「もう閉経した」だとか、思い出せぬ何か病気に触れて「自分は病弱だから」との理由で語っていたが、そう、みな病気で子の代になるほど寿命が短く、私も40歳までに若年性認知症になり、下の弟はそもそも先天的に知的障害があることを書くといつものように長くなる。
口先だけのガン治療強弁はうんざりするが、母が言うガン治療を認める傍証があるとすれば、健康食品を買いあさっているあたりだろうか?
ブルーベリー系やコエンザイム系のサプリメントは継続している方だが、それ以外の普通の食品(粉末系)は何十日分だろうと少し試してあまり使用しなくなってしまうのに、次々新しく買うのは無節操さの発露にしか見えない。

とにかくあの母親がエセ患者を名乗る内は厄介であるが、暴力性については幼少期の体罰がなくなった分、この点を恐れる必要がないのは救いがある。
また母親は、他人との関わりが酷く薄いが、最低限の人間関係は今でも維持している上で、必要以上に関わられると父親と似たような不幸に陥る点もある分、多くの人々にとっては救いだ。
あの母親が若かりしばあさんを「悪口ばかり・厄介者の性悪女(原文ママ)」と形容したそれが、今までの母自身の半世紀をも包含していることに推して知るべきだろう。

子供の教育上、「しかる」行為についても合理性が問われるが、その観点であんまり時と場所を選ばないような「しかり」は、その子供にも非合理性が定着しかねない。
私の場合、母親と離れた小5以降、一人の時間が極度に増えたり、学校では色んな空気(排気ガス・光化学スモッグ的な毒気)に触れたことで、母親譲りの不整合が矯正された。
それでも、母親の毒気に触れられている今はまた、冒頭に書いたように別の点で「似たような人格は形成された」のである。
少なくとも、母親の無神経さや論理矛盾・感情の不整合に関しては、理性で何とか抑えて、母親と同じ轍を踏むような状態にならない心掛けをしている。


2015年5月17日日曜日

日本を変革する大潮流がさいたま市・大宮地域より沸々と沸き起こる!(新興宗教編)

前回の政治編で吉田一郎氏についての話がだいぶ長くなって、記事総計文字数は5,000超。
前回記事で引用した動画コメントに「吉田氏と同じく東京都生まれ・さいたま市北区在住(盆栽町)の人に、80歳を越しながらにしてご隆昌の活動をされる宗教家がおられ」て書いてあるが、この80代の人物と、彼が設立した教団(とその前身)に関する話を始めたい。
仏教関連の知識も、当記事では平易に扱おうと思う。

同・80代の人物=浅井昭衛(正確には淺井昭衞)は東京都生まれであり、教団自体も元々品川区のとある寺院→板橋区→豊島区→墨田区という流れで寺院付属の教団だったが、1972年以降に寺院と別で本部を独立する。
その時の本部会館が、今日でも東京都板橋区常盤台に東京都内の拠点として建物が残っており、本部機能自体は1998年にはさいたま市大宮区内に新設した建物に移した。
2015年4月の幹部会で、大宮区内のこの本部に隣接した土地に新しい会館を作ろうと発表した。
既存の「青年会館」の「第二」という位置づけだそうだが、主に高齢者向けらしい。

大宮市 大宮区 寿能町 宗教 顕正会

1998年竣工、同教団本部所在地の今昔。画像は国土地理院の「空中写真」より作成。
大宮の新本部会館について「強固な地盤、至便な交通を誇る武州・大宮の地に建設されたこの会館は、堅牢にして荘厳、まさに広宣流布の究極の牙城である」と評する。

同教団(顕正会)がなぜこの大宮区(当時大宮市)に本部を移す運びとなったかというと、第一に阪神淡路大震災に関連して、都内よりも安全と思われた埼玉県内の安定した地盤(大宮台地)の土地を探すことになったようで、大宮は複数の新幹線が接続する交通至便の地として全国会員のアクセスにも都合が良い。
教団の曰く、この土地自体が過去に「松方正義公爵の別邸」が建っていたらしい。
どうも、那須方面に別邸があったという情報は見当たるが、埼玉県内のここに何かあったという情報は見られないし、仮に過去に存在したとしても聞かれない話である。
また、同教団をウォッチしている人のブログなどで、「ここの隣の旅館の方がその土地」という批判的なコメントもあったが、真偽不明の胡散臭い情報である。
同教団本部の土地の広さからして、ここの他で近辺のどこに別邸が建っていたと言うか。
すぐそばには大宮公園、或いは元尖閣諸島所有者・大地主の砦がある。

本部を移す以前に埼玉県内で同教団に関連した施設があったかというと、とある宗派・教団との裁判で、相手側が起こしたものの不利を覚って和解交渉の末に幾らか同教団は恩恵を受け、その内の一つに寺院の寄進があった。
それが埼玉県和光市に作られ、2000年以降は別の施設になっている。



あああ!これから先の約2,000文字を失った!

同教団の激しい布教活動について、日蓮大聖人の御書が根本にあること、幾つか通解した御文をひいて説明したのだけれど、下書きの移動中に操作を誤ってここからの既述を無くしたことに事後6時間ほど経ってから気付いた!
何とか記憶を探って書き直す。



同教団に関して吉田氏が過去に触れたことがあるかは、記憶が定かでない。
あるとすれば、肯定的な内容でないと考えられる。
世間一般でも、某学会と同様に「反社会的カルト教団」と扱われており、やはり宗教勧誘の違法性やしつこさなどが問題視されているらしい。
同教団側では「讒訴であり誣告だ、当会員がそんな暴力などするはずはない」、「某会の謀略で公安警察を操っている」と主張することもあった。
お守りの札をハサミで切ったとされる被害も「謗法(法華経誹謗、他宗教の存在自体が法華経誹謗に当たる解釈がある)を処分する救済=謗法払い」としている。
本部会館等の家宅捜査についても「某会が、当会をオウムの再来であるとの認識を世間にすり込ませようとしていて、マスコミをも招く仰々しい捜査を行わせている」と同教団側は見ている。

一方、同教団の教義については筋が通っていると思う。
元々既成仏教の宗派に属した経緯があることは、先述の所属寺院変遷の記述でも理解できよう。
同教団もカルト認定を受けやすい「終末思想」に似た仏法の「末法思想」を強く訴え、末法には国も人心も乱れ闘諍堅固となり、三災七難が絶えず、自界叛逆・他国侵逼があるとしている。
オウム真理教は「ヨーガ、チベット仏教」を名乗りながら「ハルマゲドン、キリストの再誕」と、教義がごちゃ混ぜで、噴飯物だ。
この点を鑑みれば、私自身は同教団に一目置いている側面もある。

※オウムと同教団の類似性について、同会長の名前が「アサハラショウコウ=アサイショウエイ("麻井会長=麻原"などと記載)」と文字列がやや重複する点や、阪神淡路・東日本大震災で被災者救援活動をせず、混乱に乗じた布教を行って悪辣である点などを示唆されることがある。それらは顕正会を嫌う創価学会の信者または関係者が示唆しているものとして例が載る。

激しい布教活動についても、専門的には「折伏」と称されていて、某学会も同様だ。
彼らが世間の毀誉褒貶に屈することなく、熱烈な活動を出来るのも、教義の根本である日蓮大聖人の御書に「末法の法華経の行者は怨嫉を受け法難に遭う」、「広宣流布の時には日本人がみな南無妙法蓮華経と唱える。私の予見は大地を的として矢を射るがごとく現実となるだろう」と説かれており、これを強固に信じている。
また、「末法には三災七難が絶えず、仏法にも大悪も起こるが、そうなれば大善も必ず来る」といった御文もあり、日本各地の大災害を始めとして、某学会の最新・謗法路線も受けて折伏活動の歩調をより速めている。
「某学会の最新・謗法路線も受けて折伏活動の歩調をより速めている」というのは、大聖人・歴代の法主の正しい御指南に背いていると某学会員らを諭して、自教団に誘引することをいう。



彼らの活動の原動力が、由緒ある教えに基づいたものということはこれで理解に足りよう。
世間の人が某学会について興味を持つのも、ニコニコのネタから政治政党関連までが精一杯で、一歩でも仏法の領域には踏み込もうとしない。
とある宗派に破門された経緯などをたまたま知るくらいではないか。
破門された原因さえ、どういう理由、噛み砕いて説明してもすぐに理解はできないと思う。

ここからの情報は当記事で書くわけにはいかない。
知らない上で興味を持たれた方は、是非検索などで知ってもらいたい。



以上、2つの記事に渡って、大宮地域が政治・宗教の両面で、現代日本の中でも類稀なる熱気を感じられる理由を示した。
さいたま市民や、私のように故郷がさいたま市域(私は旧浦和市)の人は、彼ら政治家や宗教家について関心を持ってもよいのではないかと思う。
その教団でも「広宣流布の時にはみんなが法華経を信じて法華題目を唱える、そのさきがけは自分達の他に無し」と使命感を懐いており、現在その拠点がさいたま市になっていることは、毎月の幹部会のソニックシティホール利用、2012~14年の3度に渡る各種大会のSSA使用で明白。
この2015・16年は全国各地で地方大会を開くそうだ。

吉田氏が「合併協定書に基づく新都心の新庁舎建設」を唱えていることと、同教団が「日蓮大聖人の御遺命に基づく天生原の国立戒壇建立」を教団の目的としていることは、少し似ているなぁと思った。
これらについても、読者には双方に関して理解を深めてもらいたい。


2015年5月14日木曜日

日本を変革する大潮流がさいたま市・大宮地域より沸々と沸き起こる!(地方政治編)

我が故郷・さいたま市(私は旧・浦和生まれ)、中でも大宮地域は政治・宗教の両面で、現代日本にあって類稀なる熱気を感じている。
当記事では政治の方から語り、次回記事より宗教の方にも移す。



去る2015年4月、全国で統一地方選挙の市議選が実施された。
この選挙では、タイトルの通り我が故郷・さいたま市内の様子が当初より気になっていたが、先に当地・豊橋について少々語る。

私の近所には、とある無所属候補者が事務所を構えているようで、期間中はほぼ毎日自宅近辺で選挙カーを動かしていた。
流石にあれだけ多く耳にその名が及べば、些かなれども記憶に残りやすい。
良かれ悪かれ宣伝力のある手法なのだと思わずにはいられない。
なお、無所属で選挙カーというと、背後にどこかの政党の後ろ盾もあると思われるが、当地の選挙関連は未成年の私は興味もなければ、知る必要も無いので、調査は未だ一切行っていない。

当然、地方自治体の政治や議会は、時としてもっと大きな単位の社会に影響を与えうるものと思う。
現住の地元の候補者に興味を持たずして、やや遠い故郷にばかり視線を向けるのもどうか、と我ながら悲観してしまう。
ともあれ、さいたま市の市議選に際しては、告示前はもとより、2011年より興味を寄せていた「吉田一郎」氏の動向に目が釘付けとなっていた。



その嚆矢濫觴たる2011年のことは、かなり唐突なもので、私がやや右寄り(ネトウヨ系)思想が生じた中2~中3期に「偏向教育」でYouTube動画検索をした際「さいたま市の偏向教育に怒りの追及!」という衝撃的なタイトルに惹かれ、再生したところ、浦和・大宮間の水面下に於ける軋轢など思いもしなかった情報に驚愕した。
見ての通り、吉田氏によるさいたま市議会での質疑が再生される。
生まれたときは浦和市、すぐ引っ越した与野市などを経て、都市や地名に関する知識もままならぬまま「さいたま市」となっていた人生からして、思いもよらなかった。
中2~中3期というと、埼玉県○川市から家出して愛知県豊橋市に移る時期で、もうさいたま市域には豊橋へと向かう過程における大宮駅での乗り換えの他に、地を踏む用が無かった。
色々と人生の迷いもあって、この当時には政治・外交への強い関心を持っていたが、生まれ故郷にまつわる地域間対立という概念は、古くも新鮮で青天の霹靂。

まさに寝耳に水の思いであったが、この時は「そういうこともあるのだなあ」と、胸の内に抑えてより1年ほど経つまでに政治系、ことに特亜だとかに関連した情報への興味が失せてきた頃、国内地理・都市開発などに強く関心を持つようになる。
その根底には、やはり懐郷の思いが強くあったのだ。
懐郷の思いとは、故郷の凄みや強みを拝さんとする思いである。

確かに、今となっては当地・豊橋の愛知県内最大の人口減少数(減少率は最低ではない)などから、地方都市特有の場末感はあっても、市街地建造物の老朽化に伴う再開発には今なお淡い期待を乗せている。
約一年前、2014年4月末には埼玉と豊橋の類似性に関する記事を本家ブログに投稿したが、その後日追記欄にも再開発計画のリンクを添付している。
本家ブログでは主に、2013年中に地理(都市)関連の記事を少々投稿していたので、「埼玉県」カテゴリと「愛知県」カテゴリをご覧になってもらいたい。
2013年の記事例12



この吉田氏の議会に於ける主張の要点を簡潔に記したい。
主に税金の無駄について議会で発言することが多く、そもそもさいたま市議会においては、1年間の発言回数が「ダントツ」らしい。
議会に於ける吉田氏の動画はご自身(ケロペロ"keropero"というユーザー名は2001年にも某掲示板で挙げられている)により多くネットにアップされている。

「税金の無駄」というと、政務活動費(政務調査費)などがメインで、吉田氏自身は「議員活動中に一円も受け取っていない」そうである。
生活保護制度に関して、特定のNPO法人の活動が貧困ビジネスであったり、不正受給の温床となっている問題点を挙げている。
例の「盗んだ自転車で埼玉から豊橋へ帰る男」は関係なかったのか、謎が残る。
また、古くはサッカープラザ計画、埼玉高速鉄道建設計画はじめ、今も続く赤字地下鉄延伸問題、近年までには盆栽美術館・岩槻人形会館・さいたまクリテリウム等のハコモノ・イベントを斬る。

2020年オリンピック開催地の選考に関して彼は、さいたま市議会で「ギリシャ・トルコ友好のためにインスタンブールへ譲ろう」と凄い視点からの発言されていたが、彼の世界を股にかけるジャーナリズムによる世界史・地理知識が発揮された。
2020年オリンピックは結果的に、さいたま市内においてはサッカー予選の埼玉スタジアム、バスケットボールのさいたまスーパーアリーナ(都内新会場は金銭保守・舛添さんの御英断で粛清されたことによりSSAに決定)などがあり、県内全域では川越・朝霞(練馬)等。
この埼スタ・さいアリ両会場の五輪運用についての吉田さんの意見は、まだ聞かれない。

税金の無駄遣いを主軸に展開された主張を持つ根底にある思いは、旧大宮市の地域の税収を市の野暮な事業に使われることに対する嫌悪感・ルサンチマンである。
彼の議員活動の原点は、さいたま市誕生前~直後に始まる。
2001年の市長選挙に立候補したときも「さいたま市はNO」として、住民の意見に基づく旧3市分離を推進し、分離が住民の総意でなければ3市別の財源で市区政を運用するように提唱した。
今なお「大宮の税収を浦和の医療・インフラ整備等に回している」と主張した上で、大宮市の分離独立を標榜した思想を維持している。
その他、合併協定書に基づき浦和の市庁舎を新都心へ移転建設する件についても長年の主張となっており、「反故、無視、不履行」であることを嘆いている(合併時に旧3市間で交わした紙面上の約束を反故にするようなさいたま市政を糺すことが本意で、市庁舎を新都心に建てること自体が目的というわけではないと見る)。

彼の議会発言は主に予算案を裁く内容であり、各種議案の是非を論じている。
地域間の問題を論じると、外から野次が飛ぶこともある。
めげずに発言を続ける吉田氏の毅然とした姿には、畏敬の念さえ覚えてしまう。
ただ、私自身は吉田氏の思想の全てに賛同しているわけではない。
どんな要因であれ政令市屈指の潤沢な財政のさいたま市は、無駄な箱物は確かによくないけれど、交通網整備や市街地再開発にはもっと投資してもよいだろう。
2015年2月にTV支局入居が白紙になった大門町二丁目中地区再開発の体たらくについては、地権者様が問題児だとよくネットで言われている。





そして2015年5月11日、この記事を執筆する機運が高まったことは、以下の動画が同日夜に投稿されたことに起因する。
2015年5月1日の臨時会だそうで、冒頭の市長挨拶より1時間超の動画。
http://www.youtube.com/watch?v=ROVqIbOpats

厚かましくも、同日の視聴後に以下のようなコメントを投稿した。

"2月10日のTV出演に続き、市議会復帰にあたってもご健勝のようでなによりです。
今後も吉田氏の一層の活躍が期待されるところであります。
さて、牽強付会のようで恐縮ですが、吉田氏と同じく東京都生まれ・さいたま市北区在住(盆栽町)の人に、80歳を越しながらにしてご隆昌の活動をされる宗教家がおられ、「正しい仏法流布により日本を是正する」との信念より今日まで全国を巡る布教を展開されており、現代日本で稀に見る驀進です。
この方も「政治腐敗・どの政治家も政党も誤り・遊ぶことしか考えず国の将来を憂えない」と嘆いておられる。
さいたま市、殊に旧大宮市域より一国を揺るがす大潮流が巻き起ころうとは、不思議ささえ感じます。
その教団の風に言えば「動執生疑を起こす」が如く、一介のさいたま市民の中にも、このたび無所属で若くして立候補され、当選の叶った川村氏同様、少しでも多くの方がさいたま市政や議会に関心を持ち、積極的な政治参加がされることを念願しております。
吉田・川村両氏をはじめ、形骸化した議会を目覚めさせんとする志操堅固の方々の台頭を、故郷遠く三河の地よりご祈念申し上げます。"

「形骸化した議会」において、議員歴の長い人が議席を多く占めていることは想像できよう。
議員歴が浅い人は何らかの志を秘めている。
ことに、明確な意志を持って出馬した無所属・無党派の吉田氏の猛威には、彼ら中堅以上の市議にとり安穏ならざるものがある。
何せ「ダントツ」の発言回数を以て、矢継ぎ早の弁舌で議会を揺さぶる男は脅威だ。
安逸の微温湯に浸っていたかったところに、不遜な冷や水を浴びせられるようなものだ。
何としても欺瞞の安逸を伸ばさんとして、排除せねば保身の上から危うい。
権威・権力が壟断する議会を、無所属議員がただ一人(?)一刀両断する。



その吉田氏は2007(2009)年~2013年さいたま市長選挙の際に敗北した経緯で今年の4月までの2年間、議員活動を行えなかったが、メディアやインターネット、著書で点々と活動をしていた。
例えば上コメントにも「2月10日のTV出演」とあるが、これは吉田氏を後援する市民ブログにてその足跡を知り得たし、同ブログでは他にも色々吉田氏の動向では参考になっている。
「実は吉田氏本人?」と過去にも幾度と思いはしたが、色々な点でそれは否定される。

一例として、「2月10日のTV出演」の際にブログ主さん自身で撮られたTV画面の動画があるが、その終盤(13:00以降)あたりで撮影者の部屋が画面に反射して映っている。
吉田氏の部屋は同動画1分過ぎに映るよう、和室で広い障子が備わるところが、この13:00以降の部屋と酷似しているかもしれないが、1:00過ぎに映る吉田氏の部屋とTVの位置が一緒なら、TV画面に正対した位置に障子はないことになり、一緒の部屋とは断定できない。
人の部屋について精査して、ブログに考察を載せるのも、変態的で憚りたかったが、御寛恕のほどを願いたい。

このように約2年間は息を潜める?手ぐすねを引く?ように過ごして、遂に今年の統一地方選挙で立ち上がったのだ。
この吉田氏の共に活動をしていた2名も旧大宮市域より立候補したが、敗戦した。
吉田氏自身は、地元の北区より立候補したが、この時に北区は政令指定都市・さいたま市12年の歴史で初の「無投票」選挙区となったようで、吉田さんは無事に当選できた。
北区の定員数9人を超す候補者が出なかった。
吉田氏の威勢に古参の顔ぶれは怖じ恐れ、尻込みしたものと見られる。

吉田氏同様、住民として市に違法性を示した経緯がある若き虎・川村準(27)氏が南区より無所属議員として当選することになった。
さいたまクリテリウムに関する報道で、26歳・男性として映っていたようである。
吉田・川村両氏の当選には、他ならぬ清水市長あたりが脅威を覚えているだろう。
両氏共に、清水市長を相手取った住民訴訟や監査請求書(?)というものが・・・

そして、さいたま市議会の議長には、新しく若手・40代の議員が就任した。
この方は上5月1日議会の映像において、前議長に増して冷徹であるように見える。
両氏の発言を早い段階で「時間超過」の旨を理由に遮っている。
吉田氏の方は「簡潔に」と促されても、手馴れた対応で話の趣旨を変えず発言を続ける。
「発言中止」を宣告される度に吉田氏は、名残惜しそうに「もう少し喋りたかった」と零す。

だがこの議長さんも、両氏の対処にあたり、裏では胃腸の調子が落ちそうだ。
議長並びに議員各位にはお体をお大事に、と勝手ではあるが気遣っておきたい。

今後の吉田・川村両氏は、当面の間「無所属議員の発言権」を主軸に活動を展開するものと見ているが、議会発言ではこれからも地域偏重議案や不明瞭予算案を斬り込むであろう。
この両面において、大いに注目するに値することを全国に知らしめたい。



次回は3日後に、「新興宗教編」を投稿する予定だ。

※追記・6月議会では、当の議長さんのご英断で彼ら無所属議員の発言権が元の10分に戻った。吉田氏としては旧・大宮市議会のように、3分や10分などという時間制限自体を撤廃して、自由な発言が出来る議会に蘇ることが本願とのこと。




オマケ:2014・15年の"埼玉県"の躍進

さいたま市と関係が無いことで恐縮だが、個人的なメモとして載せる。

期間不明の人口転入超過数 http://i.imgur.com/D3tP2bW.png
色々と見物はあるが、東京都と埼玉県、ひいては首都圏に目が向く。
東京都の人口を3301人も奪っているが、埼玉県の他に東京都の人口を1人でも奪うほどの求心力や魅力を得た県は神奈川・千葉なりとも沖縄なりとも1県として存在しない。
逆に大阪府などは、この期間内で7776人も東京都に奪い取られている。



埼玉の求心力・・・東京の片腕としての片鱗を見よう。
吉田氏が議会で指弾していた貧困ビジネスNPO法人の件はともかくとして。

企業は10年で1013社の転入超過 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20150511/CK2015051102000179.html
首都機能分散という観点で今なお忙しく進んでいる一件が、本当の地方よりも、「とりあえず東京都外だから」と、実際は埼玉・千葉・神奈川への移転が10年間で相次いでいる。
確かに土地安くして交通至便の地であり、ますますその色を濃くする南関東だが、「東京」の行政区画の外でも、実質東京の勢力が広域化しただけだと思う。
ともあれ、その中の埼玉は最も恩恵を受けられているようだ。

だが、行政側・・・さいたま市などはオフィスビル等の大規模開発を渋っている。
根底には高さ100m規制もそうだが、どうも官が主導となっていい事業も21世紀初頭の新都心あたりで踏みとどまるどころか、消極性から否定的な状態とまで落ち込んでいる。
北陸新幹線・北海道新幹線・圏央道開通など数え切れない交通の改善による機が流れているが、事前にも事後にもことが運ばない、せいぜい大宮JPビル・新都心ビル(仮名)くらい。
地下鉄7号線延伸計画の、2012年着工という2000年代の計画も、2020年オリンピックという転機が訪れて尚、「一過性の利益」などとして腰が重い。
吉田氏の聖典「合併協定書」における新都心の市役所移転も、第8-1A街区の赤十字病院・県立小児医療センター計画によって事実上立ち消えとなったことを筆頭に、新都心周辺だけでもコクーン2・3やビバモールなど巨大SCが複数開業・建設が進んでいる。
巨大SCは県内ますます盛んで、よく飽和状態の懸念も生じないものだと感動する。
数十年後、廃墟モールが首都圏に幾ら増えるか私は憂えている。

行政の開発躊躇については過去記事の追記欄でも触れた。
"行政の開発手腕があまりにも鈍いことが重い足枷で、ただ単にベッドタウン・首都圏一極集中のおこぼれみたいな現状は手放しに喜べない。
難航していた大宮区大門町の複合ビル計画からNHKさいたま放送局の移転撤回など、聞くに堪えないニュースも、つい今月の話であったからだ。"
なお、新都心に関しては、住宅展示場跡にソフトバンク大宮ネットワークセンターが建設され、利用が議論されている三菱マテリアル跡地なども今後が注目される。
放射性廃棄物の処理なども問題視されていて、以前よりここが地震やミサイル攻撃等で荒らされると、首都圏全体に影響を及ぼすと噂される。

あるデータでは、全国にドラム缶換算で約77,000本の廃棄物があるとされる中で、この三菱マテリアル跡だけで30,910本相当があるとされている。
他大宮地域に9,196本相当があるとも言われる(合算で40,000本超、過半数に至る)。
廃棄物の量としては、全国の原発など物の数ではないようだ。
第一に今となっては県内屈指の一等地が、でなくとも三菱マテリアルの施設が出来た当時も広域が住宅地なのに、よくもまあ問題視されなかったものだと気付けよう。
これも住所大宮区の眠れる大ナマズだと思う。
どの程度の問題性があるのか、自分は実際にはピンと来ていないけれど。



2015年5月11日月曜日

「四字熟語+にして」という表現を探して集める

去る本家記事には「早期熟脱にして先見の明あり」という一文を綴った。
この文章の構造は、よく見る表現を踏襲している。
記事の題に「四字熟語+にして」と書いたこれだが、主に古文献・・・江戸時代までの書には散見されていた。
本来は漢文の訓読文で見かけるものであった。
何かこの表現が各所で見られることで、こだわりでもあるのかと思い、私自身も惹かれていった。

「四字熟語+にして」という表現に用いられる四字熟語は半ば造語のこともある。
これを「ニシテ表現」とでも呼ぼうか、「ヲシテ文献」から発想したものだ。
わざわざカタカナにしたいのも、「ヲシテ文献」が私の思考に干渉してくるからである。



「講説精弁にして能く~」 「叢林幽深にして翠葉~」 「言辞柔軟にして衆心を~」 「恵解天然にして秀逸の~」
といった用例を今までに見かけた。
「此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり」と叢林~は約10ヶ月前に知った表現。

リズム感が豊かだね、ニシテ表現とは。
大概は人格だとかの様子を讃える感情で形容する際に用いられている。
「本尊~」と「叢林~」については、物(御本尊モノ発言じゃないよ)や場所の状態を讃えている内容となっており、趣旨としては同様だろう。

2015年4月26日にはニシテ表現が多用される江戸時代の書を見た。
「生智聡敏にして当世絶倫の学匠、信行兼備の明師なり」 「文辞鄙昧にして聖徳を黷さんことを」 「聴睿絶倫にして博学宏才なり」などなど・・・
文辞~について、前後の既述を加味して文脈から意訳しよう。
「寛師の百回忌に際してこれを著した。寛師の功績をみんなに伝えて寛師の恩に報いたい。ただ恐れるところは、私の稚拙な文章で寛師の尊さを汚してしまうこと。」
謙っているね。私の拙訳、慙愧に堪えぬ思いであります。。。



適当に自作したものを載せる。
冒頭の例文→「早期熟脱にして先見の明あり」
「當(まさ)に此(こ)の男子(なんし)、眉目秀麗(みもくしうらい)にして精悍(しやうかん)なる相貌(さうめう)を有(いう)す」
「博覧強記にして聡明の聞こえあり」

「早期熟脱」の意味合いは、トップリンクの当該記事を熟読すればよくわかるよ。
そして、この「ニシテ表現」の概念に気づけたものがネットにいないか探した。
ダブルクオーテーションとアスタリスク併用検索「"四字熟語にして" "にして*あり"」←このまま検索して分かるとおり、********-u.ac.jpの投稿1件である。
それを見ても結局、上のほうの「楚兵剽軽にして~」のみが関連したもので、ニシテ表現の存在に触れたものでない。
「 "四字熟語" "にして" "にして*の*"」など色々試したがやはり無関係。
よって、この記事を以て世界初の提唱となる。

幼少より新しい概念を唱える傾向があった私にも、今や忘却されたものは少なくない。
本家ブログで唱えたものなどはネットに短からず残ってくれるだろうが、自分で過去記事を見回る気力も沸いてくるものではない。
ましてや、一所懸命に探して「あるはずがない」といういつもの徒労パターンは御免被る。

ここでニシテ一句。
「一所懸命に(探)して徒労に畢んぬ」



とある********-u.ac.jpのページ管理人の大学教授も、社会だとか、減らず口の「名言」が好きな言葉だとか、呆れるね、彼自身がその言葉で称えられた人格と逆ではないのかと。
言語のサイトなのに、全国のマラソンだとかの遊蕩に明け暮れた自慢とか、社会がどうとか、そんな雑然としたサイトは一度も見たことがない。

現代に於ける「大学」とは、世渡りの為に通る道だから、ただの形骸化した機関であり、そこに組していることに何の誉れも価値もないだろう。
100年以上前は学問の鬼門であり登竜門であり、国の学術面で最高権威であろうが、今では渡世の橋、ただの通り道。
真に学問を考える点では、大学の存在に拘泥する必要はなく、参考になるかわからないが、50年前の漫画にも「博士ってのは何も大学にいるだけじゃないぞォ」というセリフがある。
大学なぞに所属していることが誇れる点は何もなく、内心誇っているなら慢心もいいところ。

噂をすれば、当の********大学は、まさに父親が卒業した大学ではないか。
大学教授さんが1951年生まれ・・・これも父親より10年と離れない年である。
大学などという形骸機関は、思考が顛倒した輩の通り道であろう。
驕り昂ぶる偉人サマの詭弁を「名言」として持つなど、顛倒の極みである。

こんな下らんサイトを見ることこそ「一所懸命に(探)して徒労に畢んぬ」という、意義の深いニシテ一句に表されている。
無いことが判然としているものを探しても徒労に終わる、それも判然としていたのに。



追記: 2015年5月12日今後何か面白そうなニシテ表現があれば、随時追記していこうと思う。
まずはそう思うきっかけとなった「野衲は徳薄垢重にしてその器でありません」だ。
僧侶である書き手自身を「野衲(やのう)」と称してへりくだり、更に自身の器を「徳薄垢重(とくはくくじゅう、とくはっくじゅう)」と形容している謙遜の文章である。
「徳薄垢重」の語は、妙法蓮華経如来寿量品の中の「諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者。為是人説。我少出家。得阿耨多羅三藐三菩提。」という部分が依拠。
要するに、徳が薄くて垢が重い=下賎で不浄な者を意味するようだ。
謙遜する際にこれを用いているのである。



追記: 2015年5月26日本家ブログ5月26日付けの記事の後記欄で以下のように綴った。
「御本仏の在世にも邪法充満せり。何に況や現代に仏の名を終生知らざる事をや。諸の衆生、"摧尊入卑にして"遍く濁世に満つ。正法を持つと雖も懈怠の人、猶多し」
こういった自作の文章を毎度取り上げるのも野暮であるし、「軽い造語」が入ってないね("摧尊入卑"は普通の人だと知らない四字熟語だけど)。
慰め程度に、もう一つ同追記日時内に知ったもの、妙法蓮華経譬喩品より載せる→「諸根暗鈍にして矬(ざ)陋攣躄・盲聾背傴ならん」



追記: 2015年12月13日
Google検索ではヒットせぬであろう、レア文章をゲットしたので掲載する(一部記述検索で1件のみヒットした)。
「ニシテ表現」とは、「に+して」であり、この「に」とは「なり」の連用形である。
「として」という表現も「たり」の連用形「と」が入っていて同様である。
以下の文章には「ニシテ表現」は含まれず「トシテ表現」が少しだけ含まれるに過ぎないため、当記事との関連性は薄いが、念のため載せておく。

 夫れ仁者はまさに天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ。今茲に弔慰を捧げんとする一千百八十余柱の英魂は、身夙に軍籍にあり只管国策の伸張に専念し、偏に国運の開拓に戮力せり。然れば第二次世界大戦の勃発するや、身を塞北に挺して砲雲弾霧を凌ぎ、肝を南溟に砕いて屍山血河を越え、具に艱難を嘗めて従容莞爾、唯だ国あるを知りて我あるを知らず。義あるを思うて身あるを忘る。蓋しまさに天の大任を下さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめその筋骨を労せしむればなり。
 然るに何ぞ図らん。時運拙く国策の破綻に会して、所期の目的を果たす能わず、功は敗戦の汚名に抹し、労は降伏の恥辱に包まれて慰むること能わざりき。遂に名を戦犯裁判に借りて、冤罪を以て刑場に誅せらる。その恨むところ誠に万斛、耳此を聴くに耐えず、心此を偲ぶに耐えざりき。
 爾来光陰早くも転じて半世紀を閲す。日愈々遠くし、思い愈々繁くして情更に溢る。怪々たる海潮の声を聞いては、魂魄の今に迷えるには非るかを疑い、燦々たる天辺の星を仰いでは、英霊の今に瞬けるに非るかを思う。重ねてその功烈の平和安寧の風に蕩散し、日月怱忙の波に忘失せられんことを恨む。しかし英魂を天地の外に慰むるの手段を執らんには。依って高 (中略) の照鑑を仰いでその雄志を紫明の山水に留めんとす。見ればそれ、桜花駘蕩たる春風に散り急ぎ、禽鳥嬉々として青山に声を連ぬ。安養の静謐、浄土の幽寂も是くの如きか。仰ぎ願わくは、十方の諸仏これらの幽魂の誘引して、速やかに無上の覚位に導き賜わんことを。

※「留めんとす」から「仰ぎ願わくは」までの文章は、この11年前の版で「今や諸士の億念し止まざりし東亜の康寧、人類の福利具現するの日至れり。以て瞑するに足るべし」となっている。



追記: 2016年6月12日
「~にして」という表現は、「に(ナリ活用連用形)+し(す=サ変活用連体形)+て(助詞)」に分解できる。
このうちの「に」は、ナリ活用の連体形であるから、「~として」とするタリ活用の表現と別に用いる。
「~として」という表現も同じように分解すれば、「と(タリ活用連用形)+し(す連体形)+て(助詞)」となり、これは、「凛として」のような単漢字を始め、「敢然として・厳然たる」のほか、「○々」という韻を踏んだような畳語のような熟語に付随する表現である。
「○然」形式であれば、「然(ぜん)」を呉音で「ねん」と読んでも「忽然(こつねん)として~」と言う場合もある。

それでは本文にもあるフレーズ例の「恵解天然(えげてんねん)にして~」は、なぜナリ活用のニシテ表現であり、タリ活用のトシテ表現とはならないか?
これは先に言うよう、ナリ活用とタリ活用の基準が畳語のような熟語であるとか、基準が曖昧であり、科学的に定まった法則が言語には、必ずしもあるわけではないという観点で考えれば、結局、作文者や漢文の訓読者などの感覚に依存する側面が強い。
加えて「恵解天然」が四字熟語であるから、誰か作者の感覚でニシテ表現が取られたのみである。
よって、それ以上は疑問視ができない。
他にタリ活用自体の現代的な用例を言えば、「○○(肩書などの名詞)たる××(人名などの固有名詞)」という、畳語や韻を踏むことと無関係な表現も多々見られるが、このために現代人にはタリ活用の分別が難しい。


2015年5月6日水曜日

私の歴史観と言語の密接な関係

歴史とはそもそもなんであろうか。
現代日本では当然、古今東西、人類の文明的な歩みを指す。
少なくとも、人の寿命の及ぶ時間を歴史と呼ぶには些か足りないと思う。
100年ならまだしも、2015年現在より80年以内でしかない、戦時中の大日本帝国の振る舞い云々で「歴史の真実を直視」と喧伝する類の人ほど歴史に無頓着だろう。

私の好む歴史とは、大局的に500年以上前~2000年ほど前である。
これこそが貫禄ある「歴史学」の領分だろう。
時広き且つ文献も多く存在しており、既存のものでさえ研鑽には一生かけても飽くことなし。

それでは極論を弄せば、百万年以上前の人類の進化、乃至数十億年も遡る太古の地球の歴史はより壮大だと言えるだろう。
然るに、それらは歴史というよりも生物学・地理学に類し、天文学にさえ当たる。
これは「歴史」という文系ニュアンスから些か離れる。
3000年以上前の文明・遺跡調査等ならば「考古学」という広義の歴史学にあろうか。



それでは私の興味の範囲にある500年以上前~2000年ほど前がいかに高尚であるか。
そもそもこの歴史を学ぶことは、日本語・英語という文明的二大言語の根幹が強く関係していることに起因する。

日本語はこの間に多くの語句が生まれ、中国大陸より諸々の書物も伝わり、解読にあたっては既存の日本語の語句を訓読にあてた。
今の日本語の「漢字+かな」という構図の原点はこれである。
解読にあたって便宜的に作られた日本語の言葉も多くあり、これは中国大陸という進んだ文明にあって様々な物や事象が言語化されていたから追いつく為である。
日本語の真理を知る上で、東アジアにおけるこの長久の時代を学ぶ必要性はとても強い。

今の中国語は、漢字の故郷とて紛い物である。
1000年ほど前から清に至るまでに現在の漢字の読みが定着したが、これは1500年以上前のサンスクリット語の音写語句を見れば、いかに本来からかけ離れたものであるか論を俟たない。
サンスクリット音写で多く用いられた漢字の読み方さえもが、どのような経緯で全く異なる読み方に変化したものか、想像の付きようがない。
ことに佛(仏)の字義はサンスクリット音写で用いられてより決定されたが、これを「ブツ」ならぬ「フォ」と発音すればサンスクリット語の原音より離れてしまう。
過去記事に詳細あり→http://lesbophilia.blogspot.com/2015/03/blog-post_30.html

日本の鎌倉時代などにおける仏教の論文は漢文形式がメインであったが、これは1000年以上前の中国人に見せたら容易に理解してくれるだろう。
今の中国人は頭に疑問符を浮かべることと思う。

道元さんの書を改めて見てたら、「玉フ(給う)」があった、俺まだ浅学だよね。
こういった表現は流石に、もとの漢文見ても1000年以上前の中国人はわからなさそうだ。
私の見た訓読文のページでは「アタハス(能わず)」「オモヘリ(思えり)」など、漢字にすべきものが漢字でないが、「玉フ」は漢字であるが、原典はいずれもこうなのだろうか?
日本語の表現に同音の漢字を便宜的に当てているならば、中国や渡来時の正統な意味とは当然離れているため、1000の人が見ても当然わからない。
「玉(ギョク)」が高尚な物で、「たまう」が高尚な人間の行為という点は通じる。

・・・この変な例は、「日本人が読むために訓読の便宜上」あてられたもので、玉の件は当然現代日本でも有り得ない。
最悪な蛇足となった、「道元さんの書」からここまでの既述は4月21日追記されたもので、以下からの文は4月20日にかいたもの、本当に読者におかれては紛らわしい記事となる。
より蛇足だが、4月23日に戦後の論文見ていたが、ここでも「玉ふ」という当て方が見られた。
「たまう」という表現自体、経文など読むと「たまわく」とク語法となるが、原文にそれに相当する漢字がない以上、訓読文でも漢字は用いられない。
以下より話したかったことに戻るが、追記分の「某元」以降は無視して読むべし。



中国では、時代と共に字義も音韻も分離していった性質が強い。
漢や呉の時代よりすれば、北京も上海も台湾・香港ほか方言も同様だ。
字形であれば、略体を全面使用した簡体字の存在が単純明快である。

日本の方が遅く伝わった分、真面目に今日まで継承しているのだ。
もちろん、日本の新字体も似たようなもので、この点においては台湾・香港あたりの繁体字が優れているのかもしれない。
そんな私は簡体字も繁体字も近頃頭に入れるようにしている。



英語についても、ギリシャ語やそれを踏襲してアルファベットを用いたラテン語のその昔からすれば、ぐちゃぐちゃで氾濫した発音の法則があり、不安定である。
日本語のローマナイゼーションのような整然さには遠い。
日本語ロマナゼこそが2000年前のラテン式にとりわけ近いものとみなせる。
ラテン文字はラテン語圏の最大帝国・ローマであるからローマ字である。

英語学習も日本語と同様に、源流・根本を掘り下げることが飛躍的な向上に結びつく学習法だとしているが、それにあたってはギリシャ文字まで覚えようとする有り様。
1年以上前にも「キリル文字くらいは読めるように」と少々かじったことはあった。
今年は3月より仏教関連ばかり勉強しているから、英語など西洋の言語は疎かになっているため、このままではギリシャ文字もキリル文字も雀の涙ほどの量だが、折角の知識が漏れて無下にされてしまう。
漏れずに容器内で留まってくれることを祈るばかりだ。



4月23日の寝る前に、「印欧語根」という、名前だけでも興味を誘う言葉を見た。
英語を覚える手がかりとは日本語と同じように「語根」にあり、実際にネイティブというものは幼少よりその感覚を掴んで着実に言語を身に着ける。
随って、「(ギリシャ)語根」を専門に扱った過去記事も投稿している。

起きてより検索をしてみたのだが、「印欧祖語」ということも検索してみると、興味深くも少し目が丸くなるような単純明快の画像も見た。
まあもちろん、ラテンましてやギリシャの前身にある言語というものはあって然るべきだが、このあたりまで掘り下げて学ぶのは少々難がある。
日本人で英語が堪能な者でさえ、果たしてギリシャ・ラテンにどれほど入っているか知れないところを、在野で年端も行かない私がこの学術的領域に首を突っ込んでよいものか。



申し訳程度に英語、最新のラテン語根の勉強の話を書く。
4月24日、キッチンに保管されている抹茶を取り出して作ることにした。
これは2014年のいつだかより購入、開封されて以後、冷蔵庫保管推奨の注意書きも無視され常温放置されたまま2015年3月8日の賞味期限が切れたものである。
母親がもらったものか、自ら購入したものか不明だが、無責任ではないか。

今回は初めて茶筅・茶碗等も使ってそれなりに点てたが、泡などは激しくやってもたたず、どういう濃度が丁度いいかを知らない私がかなり濃い目で味付けもせず飲むことになった。
保存環境と切れた賞味期限などの条件から、衛生面の不安もあったが、口に苦すぎる毒に、惰弱なる雑菌の殖える余地はないと看做して、不安はなくなった。

それはさておき、勉強の話だが、まずタンニンと鉄分吸収だとか便秘がどうだとかを調べてから、抹茶について少々調べた。
続いて、英語版記事"Camellia sinensis"の文字列を見て「カメリアシネンシスってアムニオセンテシスみたいだ!」と興味がそそられ、原料のチャノキに関する記事を覗いた。
この学名にある"Sinensis"は、接頭辞"Sino-(中国)"、接尾辞"-ensis(産地)"より構成されている。
"Sinensis"が付く学名は「当帰」という漢方薬の原料などがあるようだが、これは日本にも自生しているらしい。
それにしても、ちょっとした学名にも"Disambiguation(曖昧さ回避)"ページがあるとは驚きだ。
それぞれの文字から始まる単語にも曖昧さ回避のページが設けられている。

ところで、英語版Wiktionary漁っても、"sino, sina, sinum, sinus"いずれを見たところでラテン語「中国」を意味する記述がなかった。
他のネット上検索でも答えが出ない。Google翻訳の英語→ラテン語で"China"を訳すと"China"と出るが、"China"がラテン語であるわけはないし、"Chinese"では"Illicium"と出てきた。
"Illicium"自体は複数の「樒(シキミ)」などで学名に用いられているようだが、これまたWiktionaryにはラテン語として載せてなく、意味も「誘惑」だとか「ルアー」と記されている。
こういう勉強関係で常のことだが、やはりネットで核心を得た答えは出せないようだ。



衛生面の話に戻るが、茶碗は事前に一度洗ったのに茶筅の方は洗わず使った。
いざ、使用後の洗浄の時に、指を突っ込んだら砂っぽい垢のような汚れがまとわり付いた。
やはり茶筅も事前に洗うべきだったのだろう。

それと、賞味期限についても、抹茶だけでなくコーヒー豆も2015年3月に切れたものがある。
あの母親が買い物でインスタントコーヒーを全然買わなくなって、この豆を挽いてコーヒーを作るようになったのも、偏に切れた賞味期限の問題が絡んでいるからと見える。
自分で買って、長く使わず放置して、無責任なことだと思う。
だが、捨ててしまうよりはマシかもしれない。



4月25日も勉強になった点があるので縷々並べる。
まず、「4月21日の蛇足」部分の注釈だが、「たまふ→玉ふ」といった、日本語に意味を伴わない訓読みの漢字を当てることを、万葉仮名に限って「借訓」と呼ぶ。
この「万葉仮名」とは、既述の「サンスクリット語音写」が日本語においても行われた類のもので、平安までの和歌に用いられた。
「万葉仮名」自体は元々認知していたが、当ブログでは一度として語を書いていなかった。
万葉仮名は、音写というより「借音」というようである。

同時に、「小」を「シャオ"Xiao"」と読む、現代中国の発音としての認識がついていたこれ、実は唐音で、遣唐使の時代でもされていたっぽいね。
清・明など漢音"Ei"、呉音"You"の音が"In"に変わるこれも実は唐音だと数日内に知ったが、シャオよ、お前もか・・・
呉音・漢音の伝わり方が幾らか遅いことも薄々気付いていたが、なぜ時代の差が付くかというと、朝鮮半島で根付いた読み方が伝わるからだとかどうだとか。
唐音について2週間ほど前に少しだけ調べたとき、室町時代でようやく?だった?

まあ、いずれも再度調査すればいいが、ほら、私の探究心だとか感じてもらいたいよね。
少し遠い記憶で曖昧なことを、調べ直してから繕うように綴る気はあんまりないね。
これ書いてるの、だいぶ眠いからいつも以上に乱文だよね、もう寝よう・・・
馴染んだ口語的な表現は、未だ甘えの心から制御しきれていないことがわかる。


2015年5月3日日曜日

Google+ 2月~4月末までの日記メモ等

当記事では、4月以降本家ブログでも存在を示すようになった「Google+日記メモ書き」のまとめ転載を行う。
このG+メモは、本家ないしメモ帳等で記事にするには足らないような些細なことを記録したものであるが、この際2月以降のものを選別してまとめようと思う。

それに当たっては、原文を少し編集しておきたい。
例えば、改行は普通の記事と比べ控えめだが、これはニュースサイトに準拠しており、文の脈絡に合わせられている。
また、投稿の仕様で付けられない、画像データなども一部載せる。
必要に応じて当記事側で趣意や注釈も付けたり、既述に応じた有用な過去記事リンクも付ける。

留意点が一つ、G+のコメント欄では一定時間が経過すると何時何分かは表示されなくなる。
面倒な仕様で、HTMLソースを見ると何時何分の記述が残っている。
よって、ソースより時刻を引用する手間を少々省いて、基本的には日付のみ示す。

横野真史のGoogle+アカウント→https://plus.google.com/113853869960515555243



2015年2月

2015/02/03


家から目的地までの片道約200mを往復で全力に比較的近い速度を維持して走った。厳冬の夜の冷涼な空気は助力たりえるのか。目的地では1分で所用を済ませ帰路も駆ける。西からの風はこの時に強く感じられた。

普段だと脚の痛みが顕著となり、ことに足首と膝の関節。しかし今回は足腰の負傷など感じず、家に入って体を休めるや否やの瞬間に気管支、呼吸器系の部位が悲鳴を上げだしたのだ。

走ってる最中は「何でも出来るぞ」という高揚感さえ躍っていた。当該箇所の苦痛をものともせず。それが虚勢のごとく瞬時に苦痛として発現したのであった。

帰宅から10分経過しても歩行等は覚束ない。肺に穴が開くという表現もあるが、走りを過度に飛ばせばその境地に達することも否めないと判ぜられる。

世間では、今回の距離の5倍の距離同等の速度で走っても涼しい顔でいられる人がいるのだろう。
一応、走る際のポイントを昔取った杵柄で踏まえてはいる。呼吸法は鼻で2回吸う、口で1回か2回吐く。大口で空気を貪れば、上述の苦痛の比でないほど傷める。走法は関節への負担を考慮し、適宜つま先の疾駆と踵の緩衝とで変えながら。良いフォームと長いブランクでは後者が痛快なまでに優っているのだ。



2015/02/21


小4~中2期の肩身の狭さを思う。学校生活は漸次その傾向が増してゆく日々だったか。当時の自分に「その共同体に於ける己の存在価値」というものはその状態に比例して薄くなっていく自覚を持っただろう。いっそ死んだ方が自他共に気楽ではないかと。

ここで「死ぬ故に存在価値がある(byらい○、趣意)」という簡素な結論のみで説かれても、前提の知識がない人々が噛み砕いて理解したところで誤認識の流布がされかねないと思う。そう、死ぬから生を全うせねばならない、仏法の眼で見るべき。

地表に普く積もりて満つ大地、生命。なかんずく人間の身に生まれることが、どれほどまでに稀有なることか。その尊い命を蔑ろにして、自殺ということは実に言語道断の所業。

千数百年前、中国のとある和尚は柳の木に登って飛び降り、自殺を図ったが、未遂に終わって一週間悶えて絶命した。動機は「死んで極楽往生したい」ため、死に急いだのだが、無残な最期になったのだ。この人物の臨終については後世の捏造ともされるが、ここでは触れない。

与えられた人身を自ら粗末にする所業はお許しに給わぬ、御仏の厳戒である。されば、譬ひ大禍が起くなりと、その苦を逃れんと命を捨つ選択だけはせじ。

世の真理・仏法で以て説くことで心肝に染まるため、近現代の道徳等の理屈では、どんな内容でも子供達に精神は伝わらない。当時の私にも。



2015年3月

2015/03/24



口内炎と舌火傷の二重苦である。只でさえ、口内炎を誤って更に噛むという泣きっ面に蜂の如くを冒した矢先に。まあ舌火傷は平常時に痛みも何もないけど。歯などが患部に触れた際、火傷時特有の過敏さが起きるのみ。触覚・痛覚が斯様である故に、舌火傷の発覚は視覚的なことに起因するものであった。

鏡で舌を見たときに初めて「白い部分がピンク」という周囲から際立った色彩的な異常に気付き、火傷だとすぐにわかった。痛みも微少なれば、発生時の原因(火傷の発生を実感させる要因)も微少で、少し熱かったラーメンを多めに啜ったからである。この時は冒頭の「口内炎を更に噛んだ」直後で苛立っていて、火傷も厭わない覚悟であった。

当記事による趣意: 出来た口内炎をもう一度噛んで苛立ったときに、熱めのラーメンを火傷も厭わぬ覚悟で勢いよく啜ったら火傷したが、そのときは気付かずに、時間が経って鏡を見た際に初めて気付くほどそれまで痛覚的な火傷の実感が薄かった=火傷の規模が小さい。



2015/03/26


↑で口内の二重苦を謳った24日に替わり、25日1時は堅いシリアルをバリバリ食っていたら舌を傷つけた。ポテチ等の噛まれた欠片が口内炎の原因となることと類似している。舌の先端に近い部分からは血が僅かに出てくる。

当記事注: 3月24日撮影の上掲画像では、同じく「下の先端に近い部分」にキズと思しきものが付いているが、この3月25日1時の件と関連性はあるのだろうか?



2015/03/26


コーヒーと疲れ・・・カフェインパワーで延ばされた起床時間は、その長さに比例した疲れが蓄積する。起きている間は朦朧とした感覚に陥るが、これは眠気ではなく疲労に起因する。この疲労は、疲労感として自覚するものではない。疲労の発現が朦朧感として生ずる。よって作業の場合はその能率も落ちる。

是が非でも起床時間を拡張させたい時にはコーヒーも大なり小なり有効と看做せる。そのカフェインパワー時間を作業に当てる場合、質を問わない作業には向くが、私のような創作活動では能率に響きやすい。本来の許容範囲を強引に突破する手法であるからだ。

今この文章は、本来眠っている時間にコーヒーのカフェインパワーを自覚しながら書いている=文章能力に何かしらの影響があるかもしれない。

当記事柱: メモ帳4月1日の記事でも転載した。その時に要約も行った。「カフェインパワーは斯くなるものぞということで、この文章もまさにカフェインパワーによって強引に眠気を飛ばして書かれている以上、乱文の恐れがある。」



2015/03/27


御書などで、意外な言葉が用いられていると、やはり仏教は日本の歴史的な熟語メーカーだと常々思える。近頃では法華経の経文などもじっくりと拝読しており、今日は薬王菩薩本事品における阿弥陀仏の出演のあたりを眺めていて、少し先の項に目をやると、「如渡得船=渡りに船を得たるが如く」とあり、衝撃を受けた。日本のことわざ「渡りに船」も、千数百年前の中国で漢訳された経典で既に用いられていたこの事実。

多くの熟語・・・どころか、「種々の譬喩」ひいてはそこで生じたことわざまでもが仏典由来なのだ。懸命に拝読を重ねる私は、着実と理解が及んでいっている。半年前だと経文は難しいとして逃げていたはずだからだ。「かゝる聖文、当に値ひ奉ること難し、例せば三千年に・・・」



2015/03/29




3月28日土曜日の母親の買い物でまたも弟向けに「青森県産にんにくとブレスケア(グレープ)」が買われていた。先週土曜日から続き二度目(後者はレモン味)だが、当初は「何かの番組にでも触発されたか?」と可笑しくなった。

その時のニンニク一個は今回までの約一週間で消費された。処理した中身を1個ずつ朝食として生でかじっていたようだが、まだ春休みに入る直前だとそのまま登校して特別支援の同級生に「お前クチくせー」と言われたのか。春休みに入った今では問題にならないだろうが、本人の口臭は近寄ってもわからない反面、食べる度に1Fリビング~廊下は強い臭いが充満して残る。

このニンニク買いは母親の菓子不買宣言に発端し、菓子の替わりに弟が求めたと見る。不買の理由は「菓子コーナーは小さい子供の行き来が激しくて嫌」として、今更言うことか疑問である。

それはそうと、奇しくも最初のニンニク買いの日のあたりに、某同人(某所でたまたま目にした)で某設定のキャラがニンニクの臭い嫌うシーンを見たが、その某種族がニンニクを嫌うとは初耳である(忘れていただけっぽいけど)。ニンニク入り餃子を食べていたキャラに対し「食べすぎで頭おかしくなったんじゃない?」と言い放っていた。

ニンニクで「奇しくも」ネタがもう一点、3月6日に「忍辱」の読み方を「ニンニク」と読むことを知った(仏教と野菜では、インゲンマメと隠元のことも同日知った)。

最初のニンニク買いで未使用の実物両点の写真を撮ろうとしたが、撮らぬまま日が過ぎてしまい後悔したものの、またとない起死回生のチャンスが到来したので、今回は撮る予定。今回の買い物では前言撤回で菓子を購入していたため、次回水・土の買い物では「代替条件説」に拠ればもう買わない可能性がある。

当記事注: 「今回は撮る予定」というメモ書きの通りに実際に取った時刻は3月29日0時23分。また、「次回水・土の買い物では『代替条件説』に拠ればもう買わない可能性がある。」という可能性を示唆したが実際は、これ以降も数回以上このセットの買い物をしている。ある時より、なぜだかニンニクの臭いが感じられなくなった。なお、法然とホウネンエビに関係はない。



2015/03/30


3月30日2時半、母親は弟に「早く寝なさい」と声をかけた後、1Fリビングを占領。3時過ぎ、2回くしゃみ(声が大きい)が聞こえたあたりからテレビの音に耳を澄ます。何を観ているかと聞き耳を立てたわけだが、断続的に小声しか鳴らず、何も聞こえなくなってなお訝り、気付けば「ハッロ~チュ~リッヒィ」などと鳴り出す。

所詮テレビに俺が関心を持ったところでいいことなど無い、と当然の帰結を再度慨嘆した。魔の害毒たる囁きに耳を貸すまじ、という戒めの体験は数知れず。3時10分頃に笑い声。




2015年4月

2015/04/01


宗教とは往々にして相容れないものである。なぜ斯くも脆いことか。例え同じ祖を持つとも、遺された教えの解釈を巡り諍いあらば血で血を洗う争いすら絶えない。切に平和を願う信者とは裏腹に、権謀術数、名利を得んとする輩が蔓延る。歴史は血塗られ、現代は傷痕と火種を残す。

人類の意思を普く統一させることは叶わないのか。そこに、神などの威光を仰ぐ姿が重なる。偏狭にして無智の者が戯論に誑かされ顛倒しちゃった。

当記事注: 2015年7月になり、この3月末~4月始あたりで母・弟が伊良湖岬に1泊したことの記録を探す必要が出たが、どこにも記録が無い。なぜ当時の私は記録を取らなかったのか。当時の物的な調査で、2人1泊で約14000円と記憶する宿泊費がメモ書きされた紙を母親の部屋で見た。勝手なイメージだが、あの辺りのホテルの中でも10階建てほどの建物、即ち「伊良湖シーパーク&スパ 」に泊まったことと見ているが、そこだと恐らく1~3階の部屋の料金が近そうだ。



2015/04/07


断続的に悩まされる事例:下衆の勘繰りがたまたま結果的に当たる事があっても、推論は曖昧模糊にして卑俗なるパターン。結果が偶然当たって増長されるなら尚煩わしい。




2015/04/12


母親が、時間を置いて順次菓子を与える方式をいつからか行うようになったが、その発端は、弟が節度なく菓子を短時間で平らげるためだと見る。だが、私は弟と同じかそれ以下の量を、次の母親の買い物まで見据えて徐々に食べてゆく。このような歴然たる違いも見分けられない人物鑑定眼のなさに相変わらず呆れる。

この方式の問題点は、私に渡すべき菓子をも忘れてしまう所にある。例えば2ヶ月ほど前にセブンプレミアムの某菓子を、購入日より数日後に弟に渡したが、私にはそれから更に1週間経った頃に同じものが渡された。鈍麻な感覚で行えば無責任なことだろう。セブン系の店は以前にもメモ帳で書いたとおり、イオンに取って代わられて以降は滅多に行ってない以上、弟に渡されたそれと私に渡されたそれは同日中に購入したものと断定できる。

第一に、これらストックされた菓子がどこに隠されているか、その所在は今日まで未だ杳として知れず。4月12日の弟の菓子が置かれている場所に、私にはまだ渡されてない菓子があったのだが、今までこれらがどこに眠っていたかその場所を見つけたことがない。

※ここまでメモった後に最近のレシートを確認したところ、4月以降のものには当該商品が見当たらない。まさか今回のものは弟が自分で買ったものだというのだろうか?それを抜きにしても、過去にこういった母の不手際があったことは事実。



2015/04/15


久々の創造主関連「よろしゅうございますか?」

「なんかそれ冗長じゃない?『よろしいですか?』でよくない?」「いえ、それでもこれは貫きますよ。戦後になって『楽しいです』といった新文法が妥協されましたが、それ以前は『楽しゅうございます』こそが是とする公的な見解が支持されていたので、この点の峻別をしておきたいのです」「『おきたいのです』は『おきとうございます』にしないのか・・・。そういえば『おはようございます』と『お早いです』は一緒なんだよね」「さすがは創造主様、鋭くございますね」「鋭う」「それはウ音便にしなくてよござんす」

・・・・・これ書くに当たって前の検索ワード引き出そうとしたけど、Google検索履歴は稀にワードを消失させる問題があることを認知していたが、この件もやはり当該ワードが消えていた。無い物強請りとなるところだったが、当然ブラウザには履歴が残っている。3月半ばと4月2日の2件。「公的な見解」と欠いた部分・・・国語審議会。



2015/04/20

狂信気味であった小説は誤用も目立っていたが、例えば6章から「火急速やかに」という表現が頻出する。今までなかった表現が俄かに増えだすと、私は噴きだす。

また「須らく」も5章より著しく誤用されていた。「須らく」とは、古典に親しみあらば誰しも理解してそうな言葉で、大聖人の御書にも正しく用いられる。小説の人を除いても、この御書に精通してるH講員・S会員らが「すべからくすべからくの意味を誤っている(誤用例)」。往々にして「須らく」の意味を誤る人々。

仏法では「未だ得ざるを得たりと謂う」と、増上慢を表す言葉があるが、彼らも意義を得ずして慎重ならざる姿勢にて誤っている。検索できぬネットなき時代でも、御書のほか辞書等で理解が及ばなかったことを自覚せば「須らく其の慢心を抑うるべし」。現代の人ではH講やS価よりも、K会の会長が正しく使えていた。「須らく清き源流に戻るべし」。

大聖人の御書で何を見てきたのか、教法だけでも学べればよいかもしれないが、文法などはぞんざいにされたのか。ならば「須らくその誤用を慎むべし」。一切衆生の親である大聖人様は、講員・会員に「誰がそんな文法を教えたか、そんな子に育てたつもりはない!」とお怒りあそばすことだろう。

大聖人の御書での用法は、やはり文中に「べし」やその活用形を後続させている。品詞分解なるものでは「すべく-ある」のク語法(恐らく・願わくは等)で成り立つ。今一度御書を見るに、べし系を伴わない例外、その場合は推量・意思助動詞の「ん」が綴られることも多い。某会員の例はこれにあてはまっていて、案外誤用ではないのか?助動詞「ん」は副詞付随の係助詞「か」の文や、「豈」、「争で」等の文末に付くことも多く、「須らく」にもこのような用法もあるのだろうか?あるいは、べし系を綴らずともべし系の意味合いが文に含むことが読者に伝われば省いてもよいのだろうか?



2015/04/24


4月24日11時頃、家に物が届いた。少し経ってリビングに出ると開けてある段ボール箱3つが目に付くが、一つはその中により小さい空の段ボール箱があるだけだった。残り二つは、雄飛航空なる送り主だとわかったが、中身は色々であるものの取り立てて言うものでない。

雄飛という名は日本に心当たりなく、一見すると台湾の方(高雄市の雄)かと思ったが、住所にある「川田谷」という地名でホンダエアポートのことだとわかる。前の家の頃は、現地で航空ショーっぽいものを見たと記憶している。ホンダは埼玉県内広域に各種拠点を配備しており、当飛行場のみならず、工場は2014年に寄居町内に新設され、研究拠点の子会社も和光市にあることなどが知られる。なのに本社移転は拒んでいる点で、一部からは「埼玉を都合のいい女みたいに扱いやがって!」と揶揄される。

ともかく、今更埼玉県内の飛行場に関連して何を始めるつもりなのか訝しいばかりである。ホンダエアポートに、父・上の弟が住む前の家の諜報を頼むつもりなのか?3月の俄かに動いたカフェ関連のような、壮大そうでも肩透かしの終わり方をするものなのか、それとも別段壮大なこともないのか。

また、段ボールに少し触れたり中身を見ただけで汚れ云々とわめくが、何を神経質になっているのか、最初は12時頃そんな話になったが、玄関先の植物いじっているあんたの手の状態を、室内にいる私の手と同一視するほど判断力が落ちたのか?

尚且つ18時過ぎに俺が起きて手洗い洗顔を軽く済ませてタオルもないしスウェットで拭うわけにもいかない上、起きたばかりの虚ろな意識で手を振って水気を飛ばすことも怠ったから、水滴が段ボール上に落ちたのだろう、それを見た母親が小声でグチグチと不満げであった。

そもそもリビングで人が通る場所に、そんな大事大事らしいものを勝手に横たわらせておくことが顛倒の様で、神経質の割に無神経だ。いざ俺のつま先がぶつかってズレたり、表面が僅かな水滴に濡れただけで中身が汚れるだ、返品がどうだ、あんたの俄かに終わる趣味を「仕事」と強弁するだとか、3月に輪をかけた悪辣さと思う。

母親の愚痴を小耳に挟んだときは黙ってやり過ごしたが、数分経た後に怒りが爆発、瞬間湯沸かし器ならぬ電気ケトルくらいか。2階にいた母親と一悶着あったが、誠意のない謝罪をして遁走したがっても、そんなものは求めてなく、「欲しい答えは『問題でないことに目くじらを立てる理由』の釈明だ」と告げて話を進ませた。

俄かに終わる趣味か何かに固執して、人を惑わせ、トラブルを起こさせる人格異常者だから父親と喧嘩しまくっていたという点には気付く由もない。今回も出費して誰かとの電話の必要を伴うような規模で展開していて、尚且つ今のところ趣味とは断定していないが、傍目には心地よい動向でない。



2015/04/25

後に画像を追加、2015年8月9日0時39分撮影の向かいT家おっさん

4月25日1時16分、家の外が赤い光に明るんだので様子を窺う。そこにはなんとタクシーが止まっており、「こんなところで休憩はないだろ~、運転手さんよ」と思いながら注視するに、後部座席に一応客らしき人影が感じられた。

かなり前に、近隣の家のお婆さんがタクシーを利用する様は見受けられたが、夜中はない。「どこの家の人だろうか」と更に見守ること1分弱、料金の支払いも済んだようでその人物は車から出てきた。なんと、見慣れた向かいのT家のおっさんだ。

この人は平日の朝6時~7時に私服+自動車で仕事へ出るようだが、不定期に休みがあるようで24日金曜日も昼などはおっさんの車が家にあるままだった。それがこの夜中にタクシーで帰宅とは。その足取りもフラフラと覚束ないもので、あまつさえヨロめいてその愛車に半身をぶつけた。私の父親にはこんなグデングデンな帰宅の有様など一度もなかった。

これは相当に酒が回っていること疑いなき様子だが、タクシーでどうにか料金を支払えた点を鑑みれば正常ラインなのか。そもそもタクシー利用となると、近所で捕まえるのでなく、豊橋の繁華街など一定距離のある場所から帰ってきたと考えられよう。休みの金曜日に悪い誘いで酩酊状態。このおっさんは子供といて楽しそうに見える感じではないが、それでクールにクールを徹さず、酔い潰れであられもない有様が露見した。

当記事注: 当記事を編集している4月28日火曜日と、昨日の月曜日は共に、昼間に至ってもおっさんの車が家に置かれたままだから、休みか。長いGWを取っているのだろうか。



2015/04/26


4月26日23時、洗面所のタオル利用を母親から問われて、私はぎこちないながら事実を告げた。以下略。
続きは関連動画説明文にある。
http://www.youtube.com/watch?v=ZmrDRjPaF0Q

動画のコメント欄にて4月27日朝にとった記録もある。
発生日時の記憶が曖昧な過去の事案の記録と見解である。



2015/04/27 21:53


4月27日16時過ぎに寝た。毎日21時にはやることがあるが、今日はやらないと決め、21時までに目が覚めてもそのまま眠り続けるという熟睡の方針を採ることにした。色々計画を立て通して十全の判断だと看做した故だ。私の計画は食事・風呂・今回は外出など見通して、綿密に組まれている。

まあ、4月27日は16時過ぎで寝るまでにも、予定におかしな障害が生じることは幾度とあったが、これも例に漏れなかったようだ。というのも、目が覚めたのは19時40分過ぎ(たったの3時間)で、原因は人生初の夢精であったが、オナニーさえ週に1~2回の俺がなぜ今更夢精なのだろうか。半勃起時にじわじわ出たようで、幸い出た直後に意識を叩き起こせたからパンツ内に勢力は留まり、スウェットが僅かに湿っぽくなっただけか?

それから20時半まで考え事をしたが、そのまま二度寝に入ることはなさそうだとした上で、新しい計画も固まったと思い、結局熟睡の計画はこれをもって完全に破綻した。そもそも計画だとかと甲斐甲斐しく毎日練っていても、今回みたくいつもの不運で敢え無く破綻するがね。

まず色々メモすることを目的にPCを起動したが、いつも起動時にチェックするソフト(起動のたびに調子が変わるソフト)が今回不調なので魔が差し、元々の計画で夜中に行う自販機買い物を「敢えて夜中を選ぶ必要はない、暇さえ惜しい」とばかりに早期決行した。直前で「敢えて今に強行する必要はない、メモはどうした」と思いとどまることもあったが、朝飯前の鍛錬だとして深く考えられず、意気揚々と決行した。リビングのテレビの音声と母親の笑い声が煩わしいから離れたいという理由もあった。

空は雲がほぼなく、真上に半月より欠け気味の月と疎らに少なめの星が浮かんでいた。目的地は、この時間だと人がうろつく傾向があったが生憎今日もそんな様子で、作業着の男が一人いて、呪われたように蠢いていた。私はすぐ所用を済ませるのだが・・・

結局免れたかった悪いケースが続き、あまつさえ幸か不幸か人生初経験まで。近頃ついていない自覚はあったが、これほどまで不幸続きでは、真面目に考える私ほど損するのではないかと、いつも通りの帰結で呆れてしまうのであった。

4月に入って我慢できない仮眠や、不愉快な短時間睡眠の頻度が激増しているが、4月27日だけでも1時50分~4時50分の約3時間睡眠があったばかりだった。休まる時間がいつまでも訪れない上に、4月はG+メモ書き等で書いた文字数が多いから過労状態であることも見られる。

途中、「朝飯前」などと綴って、気づけば最初の食事は22時半過ぎで、起きてから約4時間飲まず食わず。こんな中、予ての計画通り夜中(23時台)に再度自販機へ行った。

当記事注: 不可解な「人生初の夢精」であるが、性的な夢であっても夢精は今まで一度としてなかった。それでは今回、何でイッてしまったかといえば、とあるゲーム関連のキャラであったが、奇しくもそのキャラを別のきっかけ・・・最新のそのゲーム関連の動向(起床の27日19時より後に出回った情報だから、元々薄らと目に付いたことが夢で干渉したということではないといえる)で目にすることに。「予知夢」の類いは信じないが、人生では度々不思議な一致も起きる。この件もその範囲にあろう。



2015/04/29 17:34


4月29日17時過ぎ、家の前を通る人影に反応して、窓の外を覗き、視界を下げると人が数人、犬が数匹歩いてるように見えた。一番後ろの人間に牽かれる動物を見て、「こんな犬種あったか?」と思った瞬間、これはヤギだと思ったが、すぐ思考を切り替え、「毛の剃られた羊」だと分かった。

羊は小3ほどの女の子に牽かれていたが、女の子は隣家の植物の葉を毟って羊に与えていた。別の犬に攻撃されかけ、犬とは異なる軽やかさで身を引いたりもした。泣き声についても幾度と聞こえたが、明らかに羊の「メェ~」というヤギより軽い声であった。

一つ重大な疑問がある。いつもの疑問だが、ペットのような羊の散歩など、豊橋に住んで以来、当然初めて見たことである。家の前を通る者達は、いつも見たことのない人間ばかりであり、昨日であれば幼女数人組みが印象的だ。羊の散歩ともなれば初めてである。

年度末~春休み明けまでは変わった人の通りもよくあるが、例えば小型犬(全てバター犬・ダックスフンド)を5匹以上連れて散歩していたネェちゃんは何者だろうか。これも春休み期間に一度見たきりである。彼ら「一度見たきり」の人間はどこに住んでいて、どんな経緯で家の前を散歩したのであろうか。羊にしろ多頭小型犬にしろ、仮に遠方から来たとして、こんなところへ気軽に散歩するものではないはずだ。過去に数度は見てもおかしくないが、私は一度見るに始まり、それっきりで終わる。泡沫に過ぎる一期一会だと思った。

なお、T家動静だが、本日昭和の日は家族みな、朝からずっとお出かけの模様である。平日のT家は、母親あたりが断続的に家に帰ってまたどこかへ行く様子が見られる。昨日のT家は、御息女が自分の足で下校していた様子を、私にとって始めて見られた。さすがに二年生になったのだから、もうママンの車に迎えてもらって夕方までどこかで遊ぶみたいなことも卒業したらしい。

当記事注: 4月30日16時半過ぎに羊の散歩が見られたが、今回同伴の犬2匹の内に、前回羊を襲った犬らしいのはいなかった。前回と同じ方向へ散歩していたが、帰りは別ルートなのか?また、5月2日の朝には、29・30日の小3っぽい女の子でなく、低学年ほどの男の子が羊を牽いて犬・大人と共に散歩させていた。



2015/04/30 15:24 (非G+メモで、ただの記録)

4月30日15時20分過ぎ、下の弟の中学校の家庭訪問で教師ら3人が 件の家庭訪問が4月30日にあることを家のプリントなどから把握していたが、15時に彼らの来訪があったとき、例の「雄飛」関連の人間かと誤認した。

彼らは男性一人(大矢先生)女性二人という構成で、顔ぶれからまず特別支援学級の教師らだと気付くべきだった。彼らの来訪は中型の乗用車であったが、来訪の前に母親が唐突に車の位置をズラしていたことも、彼らの来訪に備え駐車スペースを未然に空けたという点に繋がる。「未然に」といえば、高圧ガス式のスプレーの音が頻りに鳴っていたこともこれに繋がる。当初、殺虫剤かと思っていたが、実際には芳香剤で、彼らの来訪直後(リビングに案内され約1分の遊び時間)に和室のふすまを空けてリビングの様子を窺ったところ、私の和室の窓を開放しているため空気の流れから息苦しささえ覚える芳香剤の香りがしたのだ。

ふすまを僅かに開けた隙間には、視線の先2mほどに白髪の男性、大矢先生である。姿勢としては、こちら側を正面に向いているのだが、私の視線に気づくことはなかった。そのままPCの前に戻る私であったが、それから母親と教師らの会話に耳を傾けることなく時間が過ぎる。我が家への来訪から実に約10分、実際の会話時間は7~8分という時間で家庭訪問が終わってしまった。

帰り際に改めて窓から彼らの容姿を確認した。女性二人が共に灰色(グレー)のスーツを着ていたことは最初に見知ったが、大矢先生は黒~濃い灰色のスーツである。実はその「最初」の時にチラっと男性の姿が見えても、大矢先生と気付かずもっと若い知らない人に見えたことが、「最初」の確認で家庭訪問の教師だと気付けなかった原因でもある。故にこの時は「雄飛」関連、あるいはどこかの職員あたりかと妙な恐怖心さえ懐いていた。

なお、本日は12時前に部屋のゴミ袋1つを捨てに出たが、この時間に敢えてゴミ捨てに繰り出すと夜~早朝のゴミ捨てと異なる気分が味わえる。ことにゴミ捨て場がゴミの山になった様子は新鮮・・・不衛生である。

この時間のゴミ捨てにはもう一つ理由があり、10時頃窓の外を過ぎ行く大勢の子供たち、これは4月28日もそうであったが、上級生が車道側を歩き、新入生の手を繋ぎ目的地へ歩くという遠足だと見られた。私が小1=大戸小学校の時代に別所沼公園へ二年生と共に遠足をしたものだ、と感慨に耽る。様子がおかしいことは、上級生と思しき者の学年が小4~小6バラバラに見えたこと。

ゴミ捨てを遂行してそのまま現地へ足を運ぶ。そこには総勢数百名と思しき子供らがいた。最寄の小学校はおろか、見慣れない校名からの一行も。現地を巡回するように練り歩きながら、子供たちの食事時を鑑賞した。現地入りして最初~半分ほどの時間に、携帯電話で写真を5枚撮った。大勢の子供らが園内で過ごしている様は、さながら前述の別所沼公園のアレ。食事中の学校のエリアでも、あちこちで忙しない子供の動きが見られた。どうやら、大人しく食事が出来ないようである。

この時期にもなると暖かいといえば暖かい気候だが、4月29日の豊橋はそれ以前の数日より涼しいようだったが、4月30日朝4時半に起きたときはやや寒く感じられた。この日の現地はクマバチのような大きめの蜂が1匹見られ、高木の枝から長く吊るされた蜘蛛の糸も散見され、不気味で、よくも遊んでいる子供らがこれに掛からないものだと思った。





その他(2015年9月追加)
期間的な意味や内容的な意味などから「その他」。
本来は載せないこととしていたが、2015年9月ワケあって一応は漏れなく載せようと考えた。

2月

26日
俺が研鑽・創作等してなければ、こう→「来る日も、ひねもす食ひて寝るのみに過ごしたるは、あたかも畜生のやうなり。」然るに我、健やけく学べり。是を声聞(しょうもん)とは云ふなり。

22日
召喚詠唱の下級派生「集魂詠唱:古今普く揺蕩う霊魂、呼びて集いて群れと為す!"Veni Spiritus!!"」読点を休符と思って、あとは休みを挟まず矢継ぎ早に唱える。節が"7・9"・"7・5"という点に注目。この詠唱の用途→T家によく来る大人(全員女性)は延べ人数5人だが、どれほどが同一人物か掴みづらいため、これで想定人物の魂を集めて見分ける。ちょっと意味不明&いい加減

07日
御誡歌(ボツっぽい) 「ヤンゴトナシヤチエノモノ カロンジテオシハカリケル オソレハバカレハジシラズ クチニナダシソカレガミナ」

02日
110 BPMの3連符で「こーくぉでおーおたーがも~もとせめぇ~ と~おっくま~みえーしあ~だが~たき~ おぉめおぉめの~がしーてなーるもぉのかぁ~ く~びはーねせっしめぇ~たーてまっつれ~」今様形式に基づいて軍歌調に。



1月

29日
知識は悉く足枷になっている。何が人生の是であるのか。真実に至るには若きに過ぎる。猶予が許されるのならば、より識りゆく必要がある。荒波にも超然とする精神は悟りの境地だ。憂慮も悲愴も、他人の愉悦も全て「死という絶対の理」で以て片付けるのは中々に難しいようだった。

25日
「虚しかる 我が慈しみ 誰が為ぞ」懐疑、諦観。慈悲とは二次的に行われるもので、本来は生存記録こそが目的なはずだ。しかし現にこの事態に直面すると懐疑的になる。俗人への阿諛迎合とその結実が他者よりはるかに劣って利益となることもない。俗を憂えてこの道に入らんと望むが、同じ道の者に貶されたら容易く潰えてしまうのか。そんな時に「なおもうきとき いづちゆくらむ」との名句が耳朶を打つ。市井の歌人でありたい。

22日
いたづらに 命は死なん いづちへと・・・ 答えて曰く、寂光の園に身は帰るらむ、と。「いづくにか」や「いかでか」等の語尾「か」は、現代の文で疑問形をなす文末の「か」が副詞の接尾語となったもので、「いづくにかある」や「いかでか~べき」は現代からすれば疑問形に見えないが、この法則上疑問形になっている。また、「何をか言わんや」という俗語があるが、この法則が適合するものの、「か」と末尾の「や」で重複表現である。しかも「言わんや」では「況や」と混同しやすく、こんな語を作った人間(自体が混同していたのかもしれない)は何様か。「誰をか証人として糾さん(誰を証人として糺すのだろうか)」という御書のフレーズのように、末尾に「や」をつける必要はなく、過剰だ。よって「何をか言わん」で事足りる。「すべからく」の誤用等、半可通で恥をかく言葉。「何をか」は「いかでか」同様、御書では「~べき」を後続の文節に付随させることも多い。ちなみに「言わん・糾さん」とは本来「言はむ・糾さむ」で、已然形+助動詞の「む」が「ん」と変化(撥音便)したものだ。この「む」は「だろう」と推量を付加する。

20日
未だ悲愁が続いて、創作関係を懈怠しつつあるので一首。「どしがたく かいしがたかる うきよにて ゆめをもたはば あぶくのごとし」 寝る前の耽美俳句「のぞみしは ながぬばたまの こいしかみ」

19日
夕日の光、家屋の壁面に映ゆと雖も、茜の空は拝みえること実に多からぬと候。このこと夜半に思いき。

16日
「みのらずに からゆわかばは またもゆる つよきみさおを かかえのぶらむ」今日作った歌・・・今日でなくても。