2016年10月1日土曜日

Google+ 2016年9月中の日記メモ

日記メモ用語や略記事項の詳細をまとめて既存記事に追記
日記メモ用語・・・4種5種アラーム、風呂(シャワシャン)、カフェインパワームーミンカップなど
日記メモ略記の詳細・・・下剤1錠はコーラック系ビューラックなど
備考・・・日記メモとは別に2012年9月からPCのtxtファイルで4項目の生活記録(最後に風呂・歯磨き・排便・自慰を行った日)を取り始め、同年10月にPCの一時的な不良に際して携帯電話のテキストメモに移行し、記録事項も多少増えた(下痢の日や小遣いを受けた月や小遣いに対する自販機通いでの消費額と最後の金銭の消費の日)。

9月10日にE2邸にE2一家(30代前半ほどの夫婦・3歳ほどの子供と生後数ヶ月の赤子)が引っ越してきた。

メモ記入日の一覧 (日付をクリックして移動)
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2016/09/01

一昨日8月30日の20時前にOFFにした5種アラームを、全てONに戻した時が前日31日の夕方ころであろうが、その前日31日は早めに寝ようとして19時24分にPCをシャットダウンした。本日はまず0時台に目覚めたが、これでは起床する気にならなかった。長めに睡眠を取りたかった。再度眠りに戻り、次の目覚めが2:10の第一アラームか2:20の第二アラームの時であり、起床は2時45分となった。

4時20分台から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時20分過ぎに自室へ戻った。9時10分台、前日の夕に俄かに起こった便意の再燃が本日は続いている様子であったが、ここで排便が可能な強さを感じたため、トイレに入った。10分ほどの時間をかけて固めのいびつなモノを2つ出した。



2016/09/02

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時15分に起床した。前日の夜の記録「20時半、2階の母がにわかに、弟が夕食を取らないでいるため誘った。9月1日はいつも通り12時台に特別支援学校から帰宅後、10分ほど経って一人で外出(玄関では"お母さんの料理はまずい等"と独り言)に出た弟である。9月上旬分の小遣いで外食かと考えられる。眠れない私が耳栓を使わずにいる就寝のタイムアウト・ゲームオーバー宣告(2月29日メモ表現)である。結局は耳栓を着けることとなり、眠った」

4時ころから淹れたやや多めの砂糖(粒状の甘味料を含む)と牛乳を混ぜたインスタントコーヒーを1杯の6割ほど飲み、残りは数時間後にお湯を注ぎ足して飲んだが、それまでかそれ以後に排便があった。11時10分台になって再度多少の排便があってからそのことの記録を仕損じたと気づき、今更に記録を取っている。11時30分ころに母親が発車して外出した。13時30分前に母親の車が家に着いたが、1階リビングの窓から何かを家の中に運んだ。置く際の音が、ズシッとして重い。0、5の付く日ではないが、イオンで買い物をしたようであり、私にも少量の食品が分配された。後の時間に調べても、ズシッとした荷物は確認できず、トイレットペーパー・キッチンペーパーが入ったままの買い物袋は当然図体の割に軽い。何らかの重くない荷物を、普段よりずっと大きい音を立てて置いたのであろうか。

18時台、母親が弟を使役するために呼び出したが、いつも通りこの時間帯の弟は応答が遅いか応答しない。母親が足音を立てて2階に上がると弟が声を上げた。洗濯物の処理に関して弟に任せた母だが、いつも通り、弟が犯した不手際を追求しだしたので、弟も「お前の飯はまずいんだよ!」と声を荒げた。その後は弟が平静の状態であったが、その中の母の言葉で、最近よく聞く「薬」について詳細が聞かれた。最近の弟が飲用を続けているらしい薬のことである(白くて少し大きい錠剤を見た)。今まで私は耳鼻咽喉に関する薬かと思っていたが、「学校で暴れちゃうから」とかどうのと聞かれるところ、どうも精神安定剤のようである。「飲まない方がいい」とかと聞く場合には、逆に精神を不安定にする副作用を持つ薬剤の可能性も考えられるが、不明瞭である。ほか「先生に飲めと言われ」、「オトモダチに変なことしちゃう」と母が言っていた詳細や背景は謎である。18時40分にトイレに入って中サイズ1本を排便した。

当記事注: この「薬」については9月3日11時に調べると「リスペリドン (1mg)」と判明し、錠剤の大きさの認識についても、思ったより小さいものであった。リスパダールという商品名でも販売される抗精神病薬である。先月の上旬や中旬は弟が大して暴れることはなかったようでもあるが、その時からこの薬品を服用していたのであろうか?

追記・12月19日: NHKのニュースサイト(テレビ放映と同様)で「知的障害の子どもへの抗精神病薬」という最近の調査情報が取り上げられている様子を見た。『(調査の)対象は知的障害がある3歳から17歳までのおよそ2000人で、調査の結果、全体のおよそ13%に抗精神病薬が処方され、15歳から17歳では27%に上る(引用)』という。その未成年の知的障害者の抗精神病薬の300日以上の服用(長期化)の割合の高さを問題視している。ほかのニュースソースを調べると毎日新聞(12月4日)などを確認した(同様の統計)。精神安定剤の副作用云々はそのニュースやネットに見る通りであって私から語ることもない。人道的な問題もある。投薬治療・対症療法の長期化は、私の下剤使用にせよ、由々しい事態であろう。そのニュース記事に載るの統計結果の通りならば、一定数、知的障害児の抗精神病薬服用習慣はあるようである。悲しいことに母親は薬剤師でありながら、心の良薬を施す慈悲も徳も無い。一般的な知的障害児の愚親に留まるペーパー薬剤師・ヤクザ医師である。そのような抗精神病薬・精神安定剤の類を、よくもまあ、気安く与えられ、そもそも、そうせねばならぬほどに弟を狂わせる養育をしてきた証左である。子の鑑は親、親の鑑は子であると信じられなければ、親子ともに陥る。一方の私が施す「心の良薬」は「口に苦し」の極みであるから、母親がこれを「取って服す(如来寿量品)」ということもない。まさしく「良医・狂子(如来寿量品)」の関係は私と母である。しかしまあ、そのニュース記事の統計結果の通りならば、一定数、知的障害児の抗精神病薬服用習慣はあるようである。理性に乏しい知的障害児の多動・奇行・暴力衝動は、脳のナンタラ物質の過剰分泌が原因だとする科学の領域では、やはり科学の力に頼るしかない。私と異なり、理性で御する能力に欠ける知的障害児とその保護者は、薬に頼らねばならない。しかし、私の弟は別の話であるとも思う。なぜならば、彼が唐突にキレることはごく稀であるし、彼が母と衝突する時に怒りを自ら抑えようとする様子は多くあった。むしろ母親が荒げていることこそ多い。やはり、心の毒薬を盛っている母親から改善すべき点が多いが、このままでは取り返しがつかなくなりかねない。母親の育て方では、抗精神病薬の作用で弟の陸上部活動・運動意欲も潰えてしまう。副作用で糖尿病を併発するリスクもあるならば、今に夢や希望を見ようとも、元々実現性が低い。その元よりの問題を知らずして語る将来があろうか。幼少より今までに様々な場面で彼らの泥沼が深まり続けていることを憂えねばならない。しかし、過去の原因は取り上げても、粉砕すべきところではない。今後、ますます改善が困難となる母・弟の問題は、これまでどうしようもないでいる私に、もはや為す術はないと思っておきたいが、他人事ではないから悩ましい。「火宅に遊ぶ子供(譬喩品)」であって苦を苦と知らず、苦の原因も知らない(四諦を知らない無明)。一切皆苦の仏法のものさしでなくとも、現に俗世間で問題視される苦しみの生き方にある。精神医学なりでは「人道的な問題」とみなされよう。母ら知的障害児の保護者一部は、それすらも知らない・自覚が無いわけである。エセ薬剤師の母は世俗法にも仏法にも暗い。



2016/09/03

本日は2:10の第一アラームで目覚め、2時13分に起床した。部屋を出て顔を水洗いして部屋に帰る折、廊下では2階から母親の歌い声が聴こえ、弟の部屋のベッドがひどくきしむ音も聴こえた。クソ夜中にクソ不愉快な歌声が聴こえて弟もさぞかし寝づらいことであろう。

15時ころから、小5(小6)購入の部屋着のズボン(ボトムス)の緩みを直そうと裁縫を始めた。新たに通す腰紐は、最初から無いものと見ているから、今までに浮かんだ解決策は、緩みを我慢するか、別のズボンを履くか、買い替えるか、何らかの裁縫を施す、などがあった中、本日はにわかにひらめいた。裁縫で直す方法が浮かんだため、これを実行した。説明を省く。裁縫と言えば、去年であれば10月にも行っていたと記憶する。2015年10月11日の日記メモである。これは後の数か月以内に瓦解したようであった。今回の修正は、ある意味で失敗となってはいるが、縫合自体は固いため、ある意味では成功である。この裁縫自体は直接の解決法とならなかったが、裁縫を終えてから考え直すと、ちょうどよい結び方を考えた。つまり、この裁縫は、結ぶ作業がしやすくなるという利便性向上の効果くらいは生じていると考えてよい。後の私がこの日記メモを見ても疑いを残してはならない。今の私が考え抜いた上での最善を、しかも見事に為し終えている。今や、必要に応じて逐一この分厚いゴムを結ぶという作業を面倒くさいと思っていない。今、可能な手段ならば厭う理由も無い。あの部屋着スウェットだってゴムが緩んだり腰紐の摩擦で腰のあたりの綿繊維の生地がビリビリに破けてきている。この化学繊維ポリエステルで丈夫な部屋着はこれからも長持ちすると考えたい。



2016/09/04

本日は1時半ころに目覚めていたが、2時前にとある衝動があって起床に至った。10時30分台に2階で初めて母親が動き、「いくよー!(外出意思)」などという声を発した後は1階リビングに居座り始めた。12時7分になって1階リビングのエアコンを消し、階段を上がり始めた途端に「おまたせー!」などという声を発した。12時16分に弟だけが外出していった。母の空言を聞いて私の心に空思いが生み、私が苦しみを受ける虚妄苦の縁起である。

13時45分に部屋の照明を落とした途端、不可解な偶然の現象が起こった。何の前触れも無く母親のメールが届き、何の用件かと思えば、「大きい方の窓を開けて(改行)光を取り入れましょう」という、スパムメール・マルチポストレベルの内容であった。母親らしく無意味(俗諦の意味での無意味・無駄)の極みであった。15時5分、このメールに関連した私への干渉もあったが、忍従に徹するのみである私は賢い。



2016/09/05


本日の目覚めについて5種アラーム(例の如く第3のものはOFFだが)が役に立った記憶が無い、とだけ書いておく。2時35分に起床した。前日は23時10分台に一度目覚めた。その時はすごい土砂降りの雨音に変わった瞬間である。私が寝る押入れが小刻みに揺れるほどの猛烈に降っていた(10分以内には降り方が大分和らいだ)。その数分前は、文字通り夢の中におり、悪い場面に出くわしていた。こじゃれたオフィスのような場所(開放感があって向かい右側が全面ガラス張り・その外は草木が多く生える庭)でデスクワークをしていたが、私がデスクを離れてブレーカーか何かをいじって私のデスクに関連するものの電源を切ってしまい、直ちに入れ直してもPCは再起動していて作業データが保存した途中までしか残っていないという、妙に現実的な内容であった。それで目覚めれば、前日の就寝までには予想だにしなかった、土砂降りの雨が始まるという状況である。

4時20分以降に淹れたインスタントコーヒーを飲んだ効果による便意で8時10分からトイレに入り、本日最初の排尿に続けて中サイズ2本を排便した。9時台に母親が徒歩でどこかに出たか家の周辺に留まっていたか、しばらく家の外にいる動きが見られ、11時40分ころに再度家の外に出て11時46分に発車した。本日は夜明け後にも8時台に激しく降ったり、止んで空が明るんだりと雨降りが不安定である。母親がが発車した直後1分以内にも俄かに雨脚を強めることがあり、1分間だけ土砂降りとなった。

11時49分から風呂(シャワシャン)の準備を始めて風呂場の確認をすると、最近ありがちな照明の異常があった。それも今までにない3往復のスイッチON・OFFでも照明が点かない状態である。風呂(シャワシャン)は12時以降を予定しているため、少々2階に上がり、虹が出ていないか、また他の様子も確認しようとした。晴れ間は見られたが、虹は見当たらないし、その後も、雲の動きが激しくあって晴れ間は揉み消され、11時58分からまた雨が降り出した。母親の部屋の窓ガラスに雨が打ち付け始めた様子でそう気付いた。12時3分から風呂(シャワシャン)を始め、12時55分に自室へ戻った。

19時台、部屋を暗くしてみるとPCの画面に1匹の羽蟻が映えた。いつもながら複雑な気分で殺めると、また1匹、大きさの異なる羽蟻が映えた。次いで、次いでと1匹屠るごとに羽蟻が現れ続けた。今日の悪天候と、どう関係していようか?



2016/09/06

本日はいつ目覚めたかはっきりしないが、起床する2時36分の数分前に携帯電話を開いた際には、表示した記憶の無いアラーム設定一覧画面が表示されていたため、2:10の第一アラーム以後の20分以内に一度は目覚めていたと思われる。

4時台、前日の羽蟻に関してアルゼンチンアリではないかと思った。Wikipediaを適当に眺めて、外皮が柔らかいとかと書かれていて触感が似ていると思ったし、豊橋の繁殖ソース(東愛知新聞の記事)も載っていて私が住む豊橋の家でも闖入は考えられなくない。羽蟻に関しては何の記述もなく、ウィキメディアコモンズにも羽蟻の写真が一枚も無い。日本語で「アルゼンチンアリ 羽」と画像検索しても1枚も関係のある写真は無く、普通の検索でも関係のないものしかヒットしなかったので、役に立たなかった。このアリの闖入は母親の模造観葉植物が掛かった側の窓か、そうでない広い窓か、あるいはその両方かとも特定できていないため、判断材料に欠けている。10時20分台、最近よく見かける全身が黒い中サイズの飛ぶ虫・・・ハチの種類とすれば小さめだが、私が向き合う窓の網戸へそのような虫の飛来を確認した。同じような虫の同じような飛来は1週間以内に2・3度として発生する。この虫は間もなく網戸にくっつき、その後1分ほどでどこかへ消えた。

本日は朝8時ころから道路工事(1か月以上前から続く水道工事関係か)がされ、激しい物音や振動なども発生するような作業が続いている。15時20分台、母親がその中で発車した。問題なく車は出せたが、今道路が開かれている部分は我が家付近だとT家側であり、T家の車は2台とも家に無いため、T家の住人らは夕方以降に帰るのではないかと考えている。



2016/09/07

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があった。起床は2:20の第二アラームを経た2時23分である。前日の弟は5時過ぎに1階へ降りてきて6時台(30~50分ころ?)に投稿を始めていたが、本日は6時ころに1階へ降りてゴミ出しも行っていたが、7時ころに2階で母と争う様子があった。数分経って再度聞かれた話では、どうも前日も本日も部活動(弟は陸上部)の朝練があり、前日はそういう理由で登校が早かったが、本日は弟が「朝練は無い」と思い込んだためにまだ登校しなかったそうである。それで弟が逆上して母親を威嚇したのであろう。

9時台だったか、本日4時以降に淹れたインスタントコーヒーの効果の排便があってやや長めの1本を出した。しっかり記憶して記録を取る意思を起こしたのにすぐ失念したようである。13時12分に母が発車した。本日もそれなりに騒音の大きい道路工事が続いている。17時30分に弟が帰宅したが、2階に上がってから弟の変わった声が聴こえた。学校関係者の男性と通話をしている様子であり、その男性は母親の帰宅について問うている。本日に訪問の意思があるのであろうか?19時14分に母親からの着信が入った。弟が電話に出ないので代わりに私へ洗濯物を取り込むよう頼んできた。ついでに、今母親がどこにいていつ頃帰るか尋ねると、イトーヨーカ堂(豊橋店)にいて30分~1時間後になるという。施設内のフードコートか飲食店で何か食べていよう。

20時前に母親が帰宅したが、母親が弟に「着信があったけど何の用だった?」と尋ねて弟が「定期券を無くした」ような発言をした。あの男性との通話はこれに関連するものか。2人がトイレだとか帰宅後の整理だとかで間が開いて話題を起こし直してから、5万円が入っていたとかという言葉が聞かれたが、弟が通学に使う定期券に運賃5万円相当の利用権が含まれていたという意味か。20時10分ころに母親が突然家の外に出たが、駅かどこかにでも向かったか。弟が2階で呪いの声を上げながら物音を立て始めた。私の名前まで呼び始めて何やら破壊行為についての相談をしてきた。「お母さんのテーブル壊して悲しませたいよぉ悲しませてお母さんを死なせたいよぉ」などとドア越しに語ってきたため、適当に「テーブルは可哀想だよぉテーブルを壊してもお母さんは死なないよぉ」と返答しておいた。「小人閑居して不善を為す(小人閒居爲不善)」とか「豎子与に謀るに足らず(豎子不足與謀)」とかいう言葉が浮かんでくる私であった。



2016/09/08


本日は2:10の第一アラームから2:50の第四アラームまで起きず、3時0分に起床した。いつもより起床を倦んだ理由は前日に作業が多めであったり、しかも20時40分台にPCを終了して就寝しても寝つきが悪くて22時近くまで眠らなかったためであると思う。こういう日もあろうから、悲観視するには及ばない。前日は、4時台以降のコーヒー1杯に限らず、その後も12時までに1杯、14時ころにももう1杯の計3杯のコーヒーを飲んで排便の期待をしたが、やはり過度なものは期待する効果が無く、空虚なガス発生ばかりが起こっていた。しかも心臓のピクピク感もあり、カフェインによる副作用の弊害ばかりが起こっていた。

起床の2分以内には下剤1錠を飲んだ。最後に下剤を服用した日が8月29日のようであり、以後はコーヒーや紅茶のカフェインパワーで断続的に少量の排便をしてきたから、実際には酷い蓄積があろう。5時以降の毎朝の略式勤行の最中にやや効果発現を感じたが、5時20分台はかなりの腹痛で発現した。こういうときは全身がやや湿り、顔は脂が滲み出るような感覚となり、しかもあくびと涙にも攻められる。その最中は楽な姿勢を取って悶え苦しんだ。これも大した便意とはならずに5分ほどで落ち着いてきた。5時50分前からトイレに入って中・小サイズの複数本を出してきた。6時8分からもトイレに入り、長くて軟らかいものを一度に多く出したり、軟便に変わったものを出した。6時50分ころからもトイレに入り、下痢状態のものを出した。

水道関係の工事は昨日も今日も続いており、雨が強くなったり弱くなったり空が明るんだりを繰り返す現象は3日前に似る。本日は前日の問題のために弟が登校しないで自宅待機である。前日は21時ころに母と弟の2人で駅に行ったが、弟の通学用の定期券の発行の完了が本日の昼ころのようである。11時20分前からも下痢状態の排便を行った。

20時17分からPCのシャットダウンを試みるも、なぜかいつも通りのスタートメニューの項目からの操作では反応が無い。そこで、Ctrl+Alt+Delのメニューを表示しようとしたが、このメニューは開きもしない。一方で、タスクバー上のエクスプローラー起動アイコンをクリックするという、関係のない操作を試すと、これは反応があった。通例の異常事態では、クリック操作などが利かない中でCtrl+Alt+Delだけはしっかりと利くものであり、それは当Win10機も旧Win7機も同様であろうに、この異常事態は何であろうか。スリープしても画面が真っ暗になるだけでファンの回転などが続いてスリープしきらず、トイレを挟んだ20時20分に起動スイッチ長押しで強制終了した(これは利いた)。で、「因無し策無し禍根無し」という通例通りの無意味な通常起動が出来た。今、こうして日記メモを打っている。安眠妨害も甚だしい。異なる原因に2日連続で20時30分以降の長起きとなろうとは、不条理である。私の宿命であり、どうでもよい。



2016/09/09

本日は2時0分以降に目覚めたろうが、4種アラームの再生を感じない。2時28分に起床した。5時10分過ぎから風呂(シャワシャン)の準備を始め、自室へ6時0分過ぎに戻った。



2016/09/10

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から薄く意識があり、鳴って以後の2時12分に起床した。9時40分に母親が発車した。12時前に母親から着信があって洗濯物に関する話をされた。先に弟へ既に干されている弟のシーツだとかの取り込みをさせたそうで、私の分の洗濯物は今からできるようになったらしい。母親に帰宅がいつ頃になるか尋ねると、1・2時間後だと答えた。14時30分台に母親が帰宅した。

13時ころに下剤1錠を興味本位で飲んだ。17時ころにはややその効果を感じ始めている。本日は午後以降に聴きなれない声でトラックを誘導する「オーライ」が「ライライライライ」と小刻みに発されて聴こえた。17時10分台に家のある場所からE2邸を覗き見ると「アリさんマークの引越社」のトラックが見られた。最近竣工して内装も大体仕上がった様子を感じていたが、もう引っ越しに至っているとは思わなかった。水道工事の交通整理おばさんは今日も見られたが、E2夫婦が移住してもう問題はないという状態か。今文章を打っている17時23分も交通整理おばさんの野太い声が聴こえてくる。18時過ぎに母親が家の外に出たが、時を同じくしてE2夫婦の引っ越し挨拶の姿を確認した。男性が荷物を手に提げ、女性が1歳に近そうな子供を抱えていた。母親は先に家の中に入った。E2夫婦は我が家よりも少し距離の遠いT家・E家・I家を先に訪問した。確認はしていないが、K家が一番最初ではないか。18時23分に彼らがようやく我が家へ回った。さすがに今回はK夫婦への対応のような長話とならずに終わった。



2016/09/11

本日はまず、2:10の第一アラームが2時15分に再生された際に目覚めたか、意識がはっきりとした。2時10分ではなく2時15分に鳴っていた理由を無理に言えば、おそらく2時10分に一度鳴った際に私が気づかず、その5分後に再生し直したのであろう。しかし、私があのアラームの60秒間の再生にウンともスンとも反応せず、2時15分に再び再生されたらすぐに気付くなどとは考えづらい。さて2:20の第二アラームから1分以内に起床した。

4時20分台、前日に飲んだ下剤1錠の効果と本日3時台から淹れたやや薄いインスタントコーヒーの相乗効果による便意・腹痛が排便レベルに達したのでトイレに入り、そこそこ多めに軟らかいものを出した。最後の方はかなりの軟便である。5時30分台にも下痢気味の軟便を出した。9時30分からも下痢気味の軟便を出した。12時10分台、部屋のエアコンを起動しようと、そのリモコンを操作したが、「冷房」とか「除湿」といったボタンを押しても常時表示される「停止」アイコンが点滅するだけしかリモコン画面に変化なく、エアコンも起動しない。電池切れかと考えてパックを開くと液漏れを確認した。残量不足なのか液漏れなのか、どちらが先でどちらが直接の原因であるかは全く不明だが、一旦はこの単4乾電池2本を取り除き、リモコンを清掃した。この際にキッチンから調達したウェットティッシュで部屋の一部を清掃した。長年、部屋のドアの部屋側の取っ手にビニールの変質したような緑色の膜が見られ、実害はないし、爪を立てて除去してドアの取っ手に傷が付いたり輝きが減ったりする懸念もあるためにわざわざ除去しないでいたが、今回はこれを大体は除去した。

12時30分台から10分以上1階や家の周囲・車内に居続けた母と弟が12時44分に家の中に入ってきた。ちょっとしたことで口論が起きたのであろう、彼らは今回、弟の靴を買いに行こうとしたらしい。12時51分に彼らは再度車に乗って外出した。13時台に単4乾電池の保管場所を家の中で探していると、1階玄関の収納スペース内に置かれた紙の箱の中から見つけ出した。2016年11月が使用期限とあり、2011年ころに買われたものと見てよい。これをリモコンに入れるとしっかりと操作できるようになったし、液晶画面の文字は新品同様にくっきりと表示された。13時50分、下痢気味の軟便を少量出した。16時0分台に弟が先んじて徒歩で帰宅し、16時28分になってから母親の車が家に着いた。



2016/09/12

本日は4種アラームをどう聴いた認識があるかはっきりとしないが、2:50の第4アラームから間もない2時51分に起床した。本日は母親の干渉が無くとも一人で朝の準備をして部活動の朝練に遅れないよう登校できた弟である。母親はといえば10時台後半に初めて動きを感じ、1階へ降りてきた。それからずっと1階にいて何か「配達」に関連する電話を行っている様子もあった。番号を入力して誘導される音声案内?のようなアナウンスの声が聴こえていた。最初は配達業者への電話かと思ったが、実際はTV通販の可能性が考えられる。

それはそうと、ここまでの家族に関することは書きたい情報ではないが、それをわざわざ書いた理由は、この後起こる出来事を書きたくてついでに本日の経過も書いたのみである。12時10分ころ、TVの音も物音もしない1階リビングの出入りをしようと思ったが、母がいる可能性もあるために警戒しながらドアを少し開け、母親がソファに座ってうつむいている様子を確認した。その数分以内、私が母親と関係のない独り言(敬語調)でしゃべっていると、いきなり「○ちゃん」と私の名を呼んできたので、私は少し待ってから呼び直されたときに返事をした。すると母親は「誰としゃべってるの?」などとここ6年以上も自明であるはずの愚問を投げてきた。私が少しドアを開けたことに何の悪意もない。母親はひどい悪意を持って無駄な干渉を行う。

16時台に弟が帰宅した。本日の電話の件と関係があるか不明だが、17時10分台に母が弟に配達の荷物受け取りの説明をしていた。米が配達されるとは、いつものAmazonの可能性が高い。それで、母が説明を終えて数分後に再度弟を呼びつけて補足の説明をしていたが、弟の怒りを邪推して「何度も呼びつけちゃって」という自虐をすると、弟の怒りが増長した。弟は声を荒げたり、補足の説明を聞きはしたが、2階に戻ってから物音を立て始めた。ところで、前日も靴の件で18時台に弟が暴力(1発小突いた?)していた様子があった。間もなく、母親が私に声を掛けてリビングに呼び出してきた。別にいつも呼び出しに応じているのに、この私の行動を珍しいものと思い込んで仰々しい反応をしていた。仏道の者である私が拒むわけなかろうに、やはり母親は物分かりに乏しすぎる。弟に暴力をやめるよう言えないか打診してきたが、「それで今も後も暴力が止んでも一時的姑息的であって対症療法である」と言うなどして会話した(釈迦族と毘瑠璃王の故事を参照)。私は前に垂らした髪をいじっているので、最初も最後も髪のことで揚げ足取りをする母親に誠意を感じない。ほか、弟が5万円相当の定期券を無くした9月7日に私が弟の暴力を低減させた話をした。この時に、手数料など計1,100円で紛失した定期券の利用停止・残余の分の定期券の再発行を行った話を聞いた。弟の子育てにお金が掛かろうと手が掛かろうと、そういうものという理解を深めないでいるうちは母子ともども苦しみ続けてしまう。慈悲無くして改善の指導力も無いことは私も一緒であり、この場では適当な話しかしないでおいた。

最近、色々と「思考が鈍磨」と過去に評した状態の比でないほどに思考の鈍化を実感し、物事の無関心さや熱の失いに反して漫然とした創作活動が続いている。日常生活で言えば、涎は垂れないものの、口で涎の泡が弾けそうなとぼけ方が多い。この際、その場の処置が叶うならば、色々とどうなろうとよい印象でいる。そういった刹那的な安心に逃れようとする姿勢は好ましくないと思うが、これも日々に危機感を念じる中で正されればよいと感じる。まだ熱意が今よりもあった数か月前に私に、安易でも頼ろうとすべきであったろうに、今更にする母親の行動を気色が悪いものと感じている。その時であれば、今回よりもベターな助言ができたであろう。17時40分台に母が弟を1度呼びつけたが、互いに口調が悪い程度で怒鳴り声なども無く終わった。

18時過ぎにまたにわかに酷い物音が2階から鳴らされた。母親は放置している様子である。今回の一連の動きで母親は、いつもより穏健な方かもしれない。ここ1年で、弟の怒りが長引く傾向はエスカレートしている。そうは感じたが、少し思考を深めると、ただ怒りの感情だけでは、わざわざあんな物音をにわかに鳴らすなどはしない。純然と怒りの感情で行うならば母親の面前で行えばよい。あれは自分の怒りをアピールしたいという理性的な悪も抱えている。その結果があの行動である、と仏教の縁起観に影響を受けた私の思考がそう分析する。だから、母親の面前では逆に理性的に利害を考慮して行わないが、少し母親から離れれば箍が外れるというものであろう。私自身も色々と過去に実感はあるものだが、今の弟はその比でないし、弟が支援施設に入所するか、母がよほど徳を持たない限り、知的障害の弟が自ら改善など有り得ないところ、極めて危険な状態である。18時20分台に品物が届けられたが、18時46分に確認するとAmazonの細長くて高さのある箱1つとAmazonの大きめの箱1つずつであった。配達受け取り後の弟と母親の食事では、やはり母親が弟の不満をしっかり聞く姿勢がある様子は普段と異なっていた。



2016/09/13

本日はまず目覚めて1分以内の0時11分に押入れより起き上がり、やや強めに降る雨を恐れて開放していた窓を閉めた。再度眠って目覚めると2時28分であり、携帯電話の画面がアラーム再生中のものであったが、時間的に今この表示はおかしい。それはともかく、2時30分に起床した。この起床の前後に母親が1階に降りて洗濯機の蓋を閉める音が3時までに3回も聴かれた。

前日20時過ぎの携帯電話半角カナ打ちメモ「20時0分台に一度体を起こしてメモ絵を描き始めると、10分台に弟が2階で大きな物音を立ててから1階に降り、母親に恐ろしい言葉を掛けてにじり寄り、2人の争いが起きた。今まで(9月12日中)事あるごとに慎重な言い回しを続けた母が、この争いの最後には、今までの弟による、飯まずい・買った食品まずい・母の調理で栄養が無くなるといった発言をつまみ上げた、家の食べ物は全部あんたのもんじゃないから、といつも通りのy黒檀な脅しに戻った。空虚な口先だけの兵糧攻めである」

5時50分台、4時半から淹れて飲んだ緑茶多めの1杯のカフェインパワーで便意があり、少なめに軟便を出した。前日や前々日も同様にして緑茶を飲んでいたが、緑茶に依ってのようやくの排便である。今朝も6時台に母と弟の声が荒げる様子はあった(弟: 俺の力は強いんだぞ、こんな赤い("黄色い"といったか?実際は黄色の)靴はいらねぇんだよ!)が、登校の際は普通に送り出していた。

18時5分ころ、E2邸の家の車の付近で動向を感じた。女性が赤ちゃんを胸の前で固定しながら買い物袋を取り出す様子を見た。E2奥さんが一人で車を運転していたかは、この直前の様子を確認していないため、不明である。その後、1階の洗面所に行くと、照明のスイッチのそばに黒い影を見た。小さいため、気にせずに照明を点けると、全長7mmほどの小さいクモであった。このクモは糸を引きながら洗面台の影に逃げ込んでいった。

当記事注: このクモと同じものと見られるクモが、翌日あたりに1階トイレで巣を作った様子を確認したが、即日、母親が除去したようであった。思えば、当月は26日に洗濯物を干し出す目的で2階バルコニーに出た際、ひさしのあたりに出来た大きめのクモの巣を私が確認した翌日には、それが無くなっていたこともある。これまた風のいたずらなどではなく、母親の所業と見てよい。



2016/09/14

本日は2:10の第一アラームを聴いた記憶は無いが、2時19分までには目覚めていてその時刻に起床した。6時ころに下剤1錠を飲んだ。13時20分ころからトイレに入り、軟便を経て下痢を出した。19時8分、おばさん声の1名の来客があり、弟がインターホンで応じたが、どうも私に用があるらしい。先月(押印が8月1日付けのように見える)に届いた地域の成人式案内の往復はがきの返信を出さなかったため、直接出欠確認に来た様子である。弟が玄関での立ち話を「ハエが入っちゃう」と厭って玄関の内側に誘導した。母親が2階にいて動きもない。どうしても出る必要があり、弟の呼びかけに私は応じて弟をリビングか2階に下がるように指示し、私が顔を出して伝えることにした。もちろん欠席を伝えた。



2016/09/15

本日は2時ころに目覚めて2:10の第一アラームをきっかけに起床した。4時ころから淹れた緑茶は、2杯の3分の2ほどを飲むまでに便意を強め、6時0分台からトイレに入って中小サイズの軟らかめのものを4・5本、排便した。本当は1・2本程度に繋げられたものであろうから、実際に一度にその4・5本ほどが出た。

14時45分に母親が発車して外出した。本日の母は弟の登校前に一度動向があっても、その後は10時台まで動向を感じられなかった。13時台に母親が自身の分の炊飯を行って食事をしていた様子がある。14時52分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、15時45分に自室へ戻った。母親は17時30分ころに帰宅した。本日は午前中から色々な勉強関係などに断続的に取り組んでいて日没以後も再燃するなど没頭していたために就寝時間の20時を回っても取り組んできた。その中で20時30分台に1階の母が2階に上がったが、そう思うと5分後には弟を連れて1階に降りてきた。弟を2階に戻してから、20時44分にテレビをつけた。前日もほとんど同じ時間に1階に降りてテレビをつける様子があったが、夜は夜らしく自室にいたのならばそのままに過ごしてほしい。



2016/09/16

本日は0時台に目覚めてしばらく布団と戯れることもあったが、続いて2時40分台に目覚めた。2:40の第三アラームであろうか。「『あろうか』って・・・、そういうことがあらば念記(あると思って浮かべた単語)せねばならんぞ」、その後2時45分に起床した。起床後に「針金が通るような痛み」を腹部に感じたが、その後は臭気の少ないガス排出が続いたので、およそ大腸に原因を持つと考える。4時40分台にインスタントコーヒー1杯を久々に入れて飲んだが、その効果で6時前からトイレで排便した。これは初発の先端から軟らかめであり、続けて水っぽさを含んだ軟便となってすぐに出きった。



2016/09/17

本日は2:10の第一アラームを聴いたかはっきりしないが(けだし聴いたので目覚めたのであろう)、2時14分に起床した。日本時間9月17日の午前はリオデジャネイロパラリンピックの10日目だが、本日は弟の特別支援学校陸上部が「愛ぴっく陸上競技大会」なる体育イベントに出るため、5時5分ころから母親が1階に降りて弁当の用意をしている。6時20分ころに2人が家を出た。

8時7分にメールを受信したらしいが、それに気付いた時間は11時過ぎである。半田市にバスで移動していて帰りは19時になる、という内容であった。この陸上大会はオリンピック(パラリンピック)の名を模しているが、県内の会場は毎年、半田市のようであって別の都市の競技場などにローテーションはされない。半田市をアテネとするつもりであろうか。愛知のアテネといえば、知多半島がイタリアやイベリア半島のようであり、渥美半島はトルコやアラビア半島のようであり、名古屋がフランスのように見えた場合、蒲郡になるのではないか。三河大島はキプロスである。かなりいい加減な重ね方となったし、それ以上厳密に、あるいは県外まで広げて判定する気はない。ただし、もう1点言いたいことは、ドイツ替わりがある場合、車の生産で重なる豊田となるのではないか。帰宅が19時になる理由として前日に私が小耳にはさんだ話では外食店で夕食を取るためであろう。喧嘩別れをしなければ、そうなろう。

ところで、E2邸から子供の声らしいものが聴こえ続けるし、2階に上がった際も聴こえたため、2階のとある部屋からE2邸の様子を窺った。1階の窓は網戸状態のまま全開にしてあり、薄めのカーテンが風を受けるごとに大きくそよいでいる。子供の声はもちろん、E2家の生活音は割とはっきりと聴こえる。子供がバタバタと動く音もわかる。あの家の子供は、生後1~3か月ほどの赤子(8月28日メモに写真)だけではないらしい。この声や音(音の鳴るおもちゃ)などを聴くに、2~4歳ほどと感じる。

18時20分台に久々の外出を行い、非飲料自販機で110円x1, 160円x2を買う予定であったが、110円・160円を各1つで済ませた。帰路、交通量の多い通りでは電柱の位置に注意して歩みを止めようとするのに、私がそのまま突き進んで車道側に電柱を避けようと推量したか知らないが、私の近くの車のどれかからクラクションが鳴らされた。ほか、普段の住宅街の通りではやたらと人の往来を多く感じた。SW連休の土曜日で夕方とはいえ、とある住宅兼店舗に住む高齢者男性が腕をブンブン振り回して通りに現れる様子もあるなど、SWという連休の異常性を感じた。しかし、全てはどうでもよい。日中は曇りが多く、昼過ぎは1・2時間ほど太陽光が射す時もあったが、路面の湿り気などもなく、母・弟も外出している状態であるし、何よりも近頃は天気が不安定な中で比較的まともであったり、明日以降の数日間は降雨も考えられるため、この行動がある。別に、自販機通いはなくても生活できるが、済ませて備えるだけでも心の安定は異なってくる。19時15分に弟が帰宅し、1分後には母親も家に入った。20時9分、本日17時台から起草した音楽館ブログの記事を投稿した。急ごしらえであった。



2016/09/18

本日も2:10の第一アラームを聴いたかはっきりしないが、2時14分に起床した。前日も2時14分に起きているが、特に仮眠を取ろうとは思わずに20時20分台まではPCを使う状態が続いていたため、かなり疲れている。二度寝もせずにフラッと起き上がったが、今日は久々に仮眠を取ってもよいのではなかろうか。それとも、例の如く仮眠という仮眠が取れずに不本意なPC前での寝落ちとなろうか?

本日は8時台に弟が1階に降りて10分以内に母親が降りる様子があった。10時台、先の陸上競技大会に関連する「安全ピン」の所在や処置について弟のやり方に腹を立てた母親と、反発する弟が争い始めた。途中から弟が足音を立てる程度でひどく物音を立てず、一方で母親には手を上げた。母親の腕を、強く掴んだか、少しつねるようにつまんだと思われる。母親も臆面せずに手を出すなど、互いに肉体的な応酬が交わされていた。だいぶ普段とは異質な争いである。母親も幼稚な人間であり、やはりいつも通りその問題とは関係ない方向でも弟に詰問しだしていた。駅(渥美線とか名鉄とか東海道線と言うので新豊橋駅で下車した際の話か)で不手際があったとかという内容である。切符を使用する際にモタモタしたとか、その折にスマートフォンを落としたとか、それを踏まれて弟が悪口を発したそうである。2階に舞台が移ってからは弟の脅しに対する母親の悲鳴と「死んじゃう!」という大仰な発言、弟のすさまじい物音の連発があった。音声ばかりは仰々しくて居心地が悪い。中盤での会話録→「弟: おれは力がつぇんだぞ!」「母: お母さんだって強いよ」、「母: ボクシングでも始めりゃいいのに」、「母: スポーツマン云々、陸上部やめな?」「弟: やだ!」

20時過ぎに1階にいた誰かが2階に上がった(後に弟と判明する)。もう4日も排便していない実感もないが、実際にそういう状況であるからと明日に下剤服用をする予定でいたが、あいにく下剤は部屋に無いので1階に人がいなくなった今、母親のコーラック系下剤の10個分を取りに行った。明日に飲む予定を先行して20時9分に1錠を飲んだ。



2016/09/19


本日は2:40の第三アラームまでには目覚めの状態が薄く続いていたため、このアラームの1分後・2時41分に起床した。前日は23時台だったか、誰かが玄関の出入りをしていて母親の声もやたらと聴こえた様子があった。その記憶も定かでない。メモを取るつもりもあったのに、結局それをしなかった。2015年や今年の2月頃まであったはずの記録精神も、薄まって久しいようである。今も1階リビングに母親がいて通販番組をつけっぱなしでいる。3時25分に母親がテレビを消して2階に上がる際、「あぁ~いてててて、腰痛が・・・」などと色々と独り言を続け、2階に上がってからも変な言葉を発していたが、本当に人の睡眠への配慮などは欠いていて自己中心的な言動ばかりであり、ましてやこの真夜中に食事などの行動は・・・(以下略) キッチンに足を運ぶと、見慣れない瓜系のオレンジ色の野菜が2つ置かれ、流し台の前のフローリングが水浸しである。流し台のそばに「母」と書かれた付箋の張られた石鹸のケースが置かれていて、いずれも普通の様子ではない。野菜に関しては冷蔵庫に柿(かき・カキ)、野菜室に野菜か何かが入った白いビニール袋も確認されたが、その23時ころの動向と関係があろうか。その時や私の就寝時でない限り、突然、これらが家に入ることもない。

4時10分台から前日の下剤1錠の効果発現で強い便意が起きたため、トイレに入った。軟便に至る糞をそこそこ排出した。5時28分からも排便目的のトイレに入ろうとする際、E2邸付近の動きを感じた。E2邸に泊まりに来ていたと思われる黒い軽自動車のような車の持ち主が大きいゴミ袋のようなものを車内に入れ、2分以内には発車した。前日の午後から確認された車だったが、その前には別の乗用車がE2邸に停まっている様子を見た。私のトイレでは恐らく、軟便を出したろう。

12時54分から「臥禅(がぜん)」と称して押入れで仰向けになり始めた。近頃はあらゆる場面で「ボケ」のような状態を自覚したり、実際に休息不足ではなかろうか。「臥禅」の名は座禅をもじって行住坐臥から類推したものである。7月下旬の謎のメモでは「①閑居求道者の修行・臥禅、②ただの仮眠、③、④なぜか通常より四肢や頭部を痛める」とある。今回の臥禅は、しばらく着ていなかった部屋着の長袖トップスを着て押入れに入り、いつもの布団の上で辛すぎず崩しすぎない姿勢で仰向けに臥せて耳栓を着ける状態で行った。出来る限り雑念は起こさないで無想状態を保つようにするか、室内を目で観察してみることもよい。5分ほどで入眠した。13時34分に起き上がった。30分未満の睡眠時間で、先のメモのように「四肢や頭部」をひどく痛めはせずとも、悪い感覚をもらった気がする。現状の臥禅は、且つは気休め、且つは苦の連鎖となる。

18時台に考えた。私は毎朝2・3時台に起床する通り、時間の確保に努めている。風呂(シャワシャン)の頻度が5日に1度程度となりつつある近頃も、より多くの時間の確保を求める状態である。しかし、確保された時間に対する作業量は少なく、効率が悪いようである。それは、元々効率が悪いから時間を確保しようとするのか、あるいは時間を確保しようとして実現されたから作業の手と心構えが弛んでしまったのか、どちらが原因であってどちらが結果であろうかと疑問に思う。

しかし、仏教徒は、物事の因果と縁起を知っているからこそ、このような些事に因果関係を明確にしようとはしない。どちらでも構わないわけであり、どちらでもあってどちらでもない。原因と結果は表裏一体であるし、相互に影響しあう。私の疑問については実際にそういった部分があり、それらの要因は互いに原因となって結果となりあう連鎖すら感じる。中身が何であれ、あらゆる疑問には「どちらでもあってどちらでもない、したがってどちらでも構わない(どうでもいい)」と結論すべきであろう。特に死生観について直接の原因の追及に執着した議論が「戯論」と言われ、仏教の結論が「無始無終」である。「無始無終」など中道の思考で迷いも苦しみも制御される。また、世俗的方面での因果論も、俗諦の場合に直接原因を問うことができても、仏教の真諦では対峙するどちらがどう直接原因であるかを問うと二元対立に陥るため、そう原因を考える人間の「無明」こそが全ての原因と考える発想で簡単に一蹴でき、迷いを生まずに済む。原因は、有るには有るが、有って無いようなもの、という概念として捉えられる。さて、何が言いたかったかと言えば、そういった疑問が生じても、「どっちでもいいだろ」と唾棄し、今できることに挑んでゆくことが実質的に大事な姿勢であろう、と帰結した。



2016/09/20


本日は3時10分に起床した。前日19時50分ころから就寝を始めていたが、それ以後は何度も母親や弟の動向によって目が覚めたようである。うち、記録のあるものは本日0時50分のことである。「○ちゃん早く寝な、○ちゃんのことなんて呼んでない」などという母親の、夜中という事実を無視した普段通りの大声が1階や2階で繰り返され続けた。4時10分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、4時55分ころに自室へ帰った。

11時50分ころから、本日の11時までに2杯分近くを飲んだインスタントコーヒーの効果による便意でトイレに入り、硬めのようなものを多少出してきた。

14時3分に母親から私へメールが送信された。足腰が痛いから買い物には行かない、明日以降に行く、という内容である(台風16号による強雨強風の影響もあろうが)。本日の母は7時10分台から弟に絡んではいたものの、その後は二度寝をしたのか、前回15日のように10時以降に1階へ降りるなどの様子があった。そして、13時30分ころには弟の帰宅があり、今はこのメールであり、本日分の買出しの延期は想像が付いていた。キッチンの食材を使っていいとも書いてあるが、それは元々、明日の早朝に行うつもりであったため、その時は心置きなく、件の野菜などを使おうと企んでいる。白いナスや、細長く淡い緑色のナスなどが確認されるが、普通に紫色の長いナスを料理に使おうと考えている。件の野菜や果物は、傷つきや形の不ぞろい、柿などは成熟の差も大きいため、何か地産地消の雰囲気がある。この渥美半島は全国随一の農耕地帯であるのに、これは有り得ようか。特別支援関係であろうか。これらの野菜も果物も、普通のビニール袋に入っているのみで、産地も生産者も全く不明であるため、こういった憶測が生まれるのみに留まる。



2016/09/21

本日は2:10の第一アラームに目覚め、2時13分に起床した。この睡眠では前日22時台にも目覚めた記憶がある。近頃、天気が不安定であるため、9月10日の風呂(シャワシャン)の前日には先んじてパンツ・肌着・靴下の洗濯を行ったことがあり、前日9月20日の風呂(シャワシャン)の際に脱いだパンツ・肌着・靴下は本日21日の洗濯を期して部屋に置いていた。本日は2時20分台からこの洗濯を始めた。洗濯物が無いというのに洗濯機の蓋が閉まっていることが気がかりであった。母親は、「洗濯機の蓋は開けておかないとカビ(雑菌)が殖える」というような発言をしているのに、このようである。それで、この洗濯を終えた洗濯物の衣類3点は、特有の菌らしい汚れが付着しまくっていた。この結果は、最近の悪天候、特に昨日のような台風の影響が著しい日に他の洗濯物をしないまま空の洗濯機の蓋を閉めっぱなしにしたためと見る。つくづく、間が悪いしツイていない私である。ハイジア"HYGIA"などは即効性が無い。予防にすらなっていなかろう。それとも菌類の汚れでないというのか?数日来、洗濯の構想を持っていた私の胸中を読み取った悪魔の誑かしで母親は蓋を閉めた経緯と見る。

なお、9月18日夜と見られる時間から常温放置されたままのカボチャ2つは未だに料理に使われておらず、表面のキズのようでキズではないくぼんだ箇所の周辺が白いものを生んでいる。この悪天候で湿気の多く未だ寒くない時期では常温放置など適さないというのに。母親の精神崩壊を恐れるばかりである。

13時30分台に今月半ばの小遣いを渡された(例月では15日の前後に渡してくるが今月は異様に遅い・気付いていたがどうでもいい)。13時45分に母親から、「これから買い物に行くからその間に階段と1階の廊下などフローリングの広範囲の髪を掃いてほしい」と指示された。説明が冗長だが、私も小刻みにハイ、ハイと返答する。ゴミの処理に関してキッチンで共有されるゴミ箱の疑問を尋ねておいた。説明が終わって母親が外出しようと玄関ドアを開けたが、その後も「あ!まだやることがあるんだった」などと言ってからブツブツと聞こえるように聞こえづらい独り言を続けて鬱陶しい。13時53分に母が発車して直後に指示通りの作業を始めた。説明中と去り際に「階段だけでもやってね」と2度も言われたが、やはり未だに私をなまけ者と思い込んだり、やってくれない不信を持つなどの迷妄が強いようであった。そんな母親を見返させるとか、そんな野望も無く、私はただ仏教徒として人の言うことを無心に聞いて履行する実践に徹す。

16時37分、俄かに電話の着信があった。外出中の母親かと思いきや、0532の市外局番であった。その番号を見て警戒はしたが、数秒ほどで8月5日の訪問者に記憶が繋がった。名刺を取って番号を照らし合わせると、電話番号の下2桁のみが異なっていた。しかし、無視するわけにもいかず、一か八か、その訪問者である推測に掛けて通話を始めた。結果は、あの訪問者の1人であるSさんである。要約する。次の月曜日(9月26日)の午後1時半に来訪するつもりである。私の母親へ今までに何度か電話を掛けたが出てこない(8月5日以降のどの時期なのか本日より近い内なのか不明、私にはこの電話が初めての着信)。私からは、前回訪問時8月5日の10日以内とは母親の生活状況が異なるため、前回訪問時の理解で来ると問題があるかもしれない懸念を伝えた上で、彼女らの予定を受け入れておいた。ほか、Sさんは「プライバシー」を理由に動画撮影の拒否を願い出ていたが、法的根拠を問わずにこれも快諾した。私が記録をしたければ録音でも構わない。インターネットには「公務員に肖像権はない」云々といって相手の願い出を拒絶する動画撮影者も多く、彼らの反権力姿勢のために必要な革命的行為であろうが、およそ民主主義シャカイの常識人の振る舞いには見えない。

17時30分、夕の略式勤行を終えた私だが、どこからともなく電子的な音が繰り返されて鳴る。家の外のようでもあり、E2邸からとか通行人からとかとも思ったが、どちらも違うようなので、やはり家の2階、それも弟が本日学校に持ち寄らなかったスマートフォンではないかと察した。2階に上がるとやはり弟のスマートフォンに着信があって母親から掛けられていた。1階に降りて直後、今度は私の携帯電話が母親から鳴らされたので通話を始め、2階バルコニーの洗濯物を取り込んでほしいという旨であったから実行した。

18時過ぎに母親が帰宅した。本日は外出前も帰宅後も、足腰の痛みをアピールするような独り言が多い。19時20分ころ、謎の男性の訪問があり、インターホンから弟が応じた。弟のふにゃふにゃ声に対比してはきはきと定まったセリフのように言葉を発する男性であった。単なるセールスではないが、唐突な珍客のようである。母親を弟が呼んで母親がインターホンで応じるも、同じセリフを再度発する男性である。家の外で会話が始まってから、料金云々という話題が聞かれ、段々と母親が拒絶の色を見せてきて玄関ドアに舞台が移って押し問答のような話し合いとなった。母親は「警察呼びますよ?」とも発した。最後は母親が無理やりにドアを閉めて男性を追い出していた。男性は直後にくしゃみを2度発した。

彼は今時の借金取りらしいものか?男性自身は「株式会社ナンタラ(英語イニシャル?)名古屋支局から来た、どこどこから要請が入ってしまって・・・」という奇怪な身の上を述べていた。こちらを知っているつもりの単なる詐欺師の可能性もある。だが、こんな時間に来る点と、母親の態度からしても、実際に確かな用がある人間かもしれない。母親は、足腰の痛みの影響か不明だが、あのような対応をすべきか疑問が残る。母親も男性も、普通の人間として欠陥がありそうであり、そういった者の対立は最も恐ろしく感じる。母親・弟が不在中に一度、訪問客があり、私は5年来の慣例通りに応じなかったが、一度その訪問客は男性の声で「こんにちは」と発していた。同じ人物か不明だが、一応記録する。



2016/09/22


本日は0時台に一度目覚めて起き上がり、開放していた窓を閉じた。二度寝から目覚めた時間が2時台であり、2:20の第二アラームなどは聴いた。2時46分に起床した。7時半ころ、4時台後半から飲み始めた薄めのコーヒー1杯の影響で排便した。前日は緑茶2杯とかコーヒー1杯を飲んでいたが、当然、足し算がかえって減算になる不条理で排便などなかった。

15時10分過ぎ、絵の練習記事に関連する作業の途中、俄かにソフトの操作が利かなくなり、画面が真っ暗になり、ポインターが普通のマウスカーソルとソフトでの表示のものとで交互に表示が切り替わるなど異常な挙動を示した。ポインターの表示も消えて10秒ほど真っ黒の画面(ディスプレイの電源が消えている状態か黒色を表示している状態かは不明)のまま、続いてログイン画面が表示された。謎の強制終了であった。絵の練習記事の作業は、記事の文章は自動保存やCookieの類が利いていて問題が無かった。画像も、新しく始めたばかりの作業のものであったため、損失して問題は無い。ただ、何の前触れもなく異常な現象を起こしてこられると安心できないし、こんな記録を取る作業に時間と体力を費やすのだから、迷惑極まりない。画面の中央最下部に謎の表示だけが残されており、これは"Prt Sc"などでデスクトップキャプチャをしても画像に反映されない。15時30分、またも俄かに画面が落ち、「問題が発生したため、PCを再起動する必要があります。エラー情報を収集しています。自動的に再起動します。」というブルーな画面に変わった。



2016/09/23

本日も0時台に一度目覚めて再度眠りに入ると2時ころであったろう。2:10の第一アラームの記憶は無いが、2:20の第二アラームまでは意識が付いていたようであるからそれが鳴った直後の2時21分には起床できた。3時台、右目のみから酷い痛みのような違和感を感じた。目が開けられない。涙が出てくる。これは数分ほどで引いた。4時10分台にも再発し、右の鼻腔の詰まりも感じた。前日はかなり涼しい日であり、あえてあまり部屋着トップスなどを重ね着しなかったが、そのために風邪を患ったというのか?いずれにせよ、目が赤くなるなど外見の異常は見られない。その後も断続的に強弱の痛みが発生する中で、右目の外見の異常も顕著になってきた。今までになかった頭痛も自覚する。

10時以降は、あのような症状の自覚も無くなった。本日は7時台から雨が降っていたようであるが、小学生の下校が見られるようになった15時過ぎには、日が射すようになっている。水たまりも多い中で日が反射し、私の部屋には見慣れない光の入り方が発生している。1階中から空の方を確認したが、どこにも虹は見られなかった。15時40分台にはまた日が隠れた。ところで、向こう数日の簡単な予定を立てた。本日の寝る前に下剤1錠を飲み、明日や明後日はカフェイン節制を行う。明後日25日の早朝に風呂(シャワシャン)を行う。これで26日にある保健士2名の来訪には問題が無くなる。正しく言い換えると、現状の懸念材料が無くなる、となる。下剤1錠は17時台に飲んだ。



2016/09/24

本日は2:40の第三アラームまでには意識が付いていたため、それを聴いて間もない2時40分に起床した。前日の余波と見られる右目の痛みは3時台や4時台にも発生した。5時台後半は、窓を開放してある自室で上着を着ていても11月くらいの寒さを感じた。6時台は朝になっても、本日の起床前にあった下腹部の鳴り以外は下剤1錠の効果が発現しない。

8時10分台から20分近く横になっていたようであり、8時33分からはPCをスリープして、10時までには起きようと意識した仮眠を始めた。結果は9時55分の目覚めで満足に至っていたため、10時までには起床できた。仮眠に例の如く、首や腰などに筋肉痛を感じるが、まあさほど酷くはない。腹が鳴らずして、空からゴロゴロとした音が鳴る。10時15分、近場かは不明だが、恐ろしい響きのある雷鳴が轟いた。これで口火が切られたように1分後、雨が強めに降り始めた。

13時40分から、ようやくまともな便意のためにトイレへ入り、長いもの1本など複数のものを出してきた。量は多めの方であるが、極度に多いわけではなかった。14時59分に母親と弟が車で外出を始めた。今も雨が降り続いている。16時2分に彼らが帰宅したが、マクドナルドに行っていたようであり、例の通り現地で弟の不手際に母親が腹を立てた様子であった。私にはハンバーガー2種と、初めてのマックシェイク(森永キャラメル味?)が与えられた。今年の母親のマック持ち帰りは、いつも普通のハンバーガーかチーズバーガーを1~2つしか買わない様子でいた(当然ポテト・ドリンク類は一度も与えられない)。そして、今夏はアイスを一度も口にしていない上、冷たい飲み物も冷たいまま飲もうとしなかったので、このマックシェイクは最もアイス感覚が強いものである。この雨の中・・・。



2016/09/25

本日は、前日の就寝時にマナーモード設定をしていたために4種アラームはみなバイブレーションとなるはずであり、実際に2:10の第一アラームはバイブレーションとして再生された。それを聴いたことによって目覚めたか不明だが、このときにしっかりと意識が付いていたため、このバイブレーションを停止して2時14分に起床した。なお、前日の19時台に、それまで夕食を食べる話をしていた弟と母親が喧嘩別れをした経緯があり、母親が1階でテレビを鳴らして居続けたため、耳栓を装着していた。この耳栓はバイブレーションが再生されたときにもしっかりと両耳を塞いでいた。

その前日の就寝時には母親にメールを送信していた(19時47分)。先の9月21日の保健所からの電話に関して疑問を書いてある。本題は「保健所の人が9月26日に私を訪ねる話は聞いたか?」であり、続いてついでに書いた「どうにもあなたは何度も電話を掛けられて一度も出ていないと聞かされた・別の業者からもあなたは電話に出ていないということで確認の書類が送られたようにあなたはどういう状態のために電話を出ないか?」という些末な説明的質問にのみ答えたようで22時33分と22時34分の2度にわたって返信された。1度目に、電話が出られないことについて「電話の調子が悪い・(着信音が)出ていれば出る」というどうでもいい話、2度目に「コミュファ光です。」とのみ私が「フレッツ光」と書き間違えた部分の正誤を示してきた。このような揚げ足取りしかできず、文章をその時その時の取り方(前半部分を無視している)でしか読めない人間には、いつも長文のメールを書く気にならないが、やはり今回もそのようである。これでは、保健所の件を承知したか確認が取れない。一応、肯定的に見るならば、私を訪ねる話は知っても知らなくても気にならないということであろう。全てにおいて信頼もできず、尊敬などできない母親には失意落胆・絶望しか残らない。

4時10分前から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時0分までに自室へ帰った。この時間帯に行う風呂(シャワシャン)としては久々に寒く感じられた。8時過ぎ、気づけば本日は晴れている。Yahoo!天気の投票も、当地・豊橋市で晴れている朝に100人超えの得票は珍しい。大雨の朝ならば割と有り得る。やはり不安定な天候の中での晴れ模様は、貴重に感じられよう。17時40分前からPC・Win10機の接続不良(アクセス不具合・障害)が発生し、18時3分に回復を確認した。



2016/09/26

本日は3時18分に起床した。11時51分に母親が発車した。12時40分ころからバスタオル等3点の洗濯を始め、これは13時14分に2階のバルコニーに干し出した。12時47分からPCを2階の母の部屋に持ち寄って絵を描いた紙のスキャン作業を始めた。今回は、従来のスキャンソフトであるMSペイントと違うものを試した。"BTScan"である。なぜスキャンに用いるソフトを変えたくなったかといえば、MSペイントを通したスキャン画像のサイズが、どうも私のデスクトップのサイズとモニタのインチを考慮した実際のA4の紙と同等のサイズにリサイズされてしまう仕様に気付いたからである。MSペイントでのこの問題についてインターネットで語られたページが見られない。これを検証すべく、別のスキャンソフトを用いたくなった。やはり、MSペイントの方で勝手にリサイズがされていたらしく、反面、この"BTScan"でスキャンを行うと、従来の1,XXX x 1,XXXという大きさが2552 x 3504という大きさへ、約2倍の増大を見せた。この"BTScan"は、スキャンする際にプレスキャンという、スキャンのプレビューを行える点も機能的であるし、動作も軽快である。今後もこのソフトを利用していく方針である。スキャンした結果の画像の色調がMSペイントの時よりも明るいが、絵の線に対してどのくらい影響が出ているかは精査する必要がある。

13時29分に豊橋市保健所の前回と同じ女性2名が訪問した。話を行う場所は自室のつもりでいたが、自室に案内できる雰囲気でもないし、部屋を見る目的は無い確認を取ったため、1階リビングになった。立ち話を5分以上続けていくうちにSがしゃがんでノートにメモを取り、数分後にはUもしゃがんでノートを覗き込み、私も立って見下すわけにはいかないからしゃがんだ。結局、正座するようにもなった。話としては、彼らが知らず、母親にとって知ってもらいたくない昔話が長引いた。今の生活のおさらいもさせられた。最後に次回訪問の都合に関して意見交換を行った。この時間は、45分続いた。細かい内容に関して一つ記すべきことは、彼女らの「お母さんの考え・○○くんの考え」という表現である。要は、両者の考えを尊重すべきであると思っている反面、私の考えに同意するつもりが無いという心境であろう。彼女らは、私が拒否しないか事態が進展しない限りは同じように訪問し、毎度同じような結果に陥ると考えてよい。

15時57分に母親の車が家に着いた。訪問について母親に聞かれたことを普通に話した。ほか、16時20分に母親に、私が洗濯物関連かスキャン関連で気になった母親のノートパソコンの起動を行った件について絡まれた。弟によってノートパソコンの表面が傷ついていたから出来心で起動したが、バレても構わないつもりでいた。それでバレて淡々と母親の質問に答えたが、先ほどの干渉でもこの干渉でも、一つ一つの言葉が冗長で母親のテンションには疲れる。不満を表した言葉はスルーしたり無機質な言い回しで答える。今の私は、特に母親に対してそう振る舞うことが今にも後にも最善となる。それまでこのPCをスリープしていたようで、Windows 10のPINによるログイン仕様のためにシステム再起動せざるを得なくなって作業を終了させねばならなくなったという話であり、作業の内容はともかく、これは同情してもよいかもしれない。不本意な強制再起動は4日前に私も経験したばかりである。

当記事注: 2017年4月中にdpiという単語がスキャンの際の仕様に関わるものと知った。ある人物が300 dpiの設定と表明しており、MSペイント標準は不明だが、BTScanは初期設定が300 dpiであった。同月10日のスキャンでは、400 dpiを選択して試用した。縦幅pxでは2552→3402と、3分の4(約1.33倍)に増えている。



2016/09/27


本日は3時19分に起床した。昨日とほぼ変わらない時間であり、4種アラームを聴いた感覚も2:50の第4アラームは記憶が残るなどしており、2日連続で遅い起床は忌むべき問題である。4時20分から風呂(シャワシャン)の準備を始め、5時5分に自室へ帰った。9時前、母親から洗濯物に関して指示されたので返答したり簡単な質問を行った。9時1分に発車したが、直後、道路工事の人間にクラクションを小刻み鳴らしつけていた。

9時40分台、1階キッチンに9月19日から今もある野菜や果物の確認をした。ナス類は5つあって今まで私や母が2本ずつ使った経緯がある(私の使用は母に相談していない)。ほか、細いパプリカ系やタマネギ2種が多く残り、私がある日に1つずつつかって以後に母親は1度でも使ったであろうか?前日の夕に強く感じられたタマネギの臭いは、冷蔵庫に置かれている開封済みのローストオニオンの方ではないかと考えているから、前日に母親が使ったとは感じない。柿は冷蔵庫に1つあり、あまり熟れていないまま時間が経っているが、常温放置のものは多くが熟れすぎていて、元々青柿に近かった個体もオレンジが濃い。熟れすぎているために、表面がムニムニしている。しかし、これを腐敗とは思わない。個体によって元々ある損傷が目立っているものもあるが、そうでない限りはすっぱい臭いもなく、菌の繁殖を表面に見ることもない。

うち一つが実際に食べられることを証明したいので、手に取って包丁を入れた。やはりすっぱい味もしない。腐って酸っぱい臭いや味が発生する原理は、口内の糖分が酸に変わるプロセスと同じである。ヨーグルトがヨーグルトとなるプロセスも同様である。菌がエネルギー源となる成分を摂取して人間がCo2を排出するように、菌も酸を排出し、この酸がすっぱい臭いと味の元凶であり、腐敗の目安となる。すっぱくなく菌の繁殖も目視されなければ腐敗ではないし、果実であれば単なる成熟であるから、食中毒にもならない。特に柿ならば問題は無い。しかるに母親は一つの柿の全体を捨てたり、ナスにも大部分を捨てる処置があった。私はこの柿を小麦粉と混ぜて焼く。ところで、干し柿の製造法に納得もできた。渋柿のまま干し出して腐敗もせず、しっかり熟れて水分も抜けるから、この柿たちのようなだらしない状態にならず、皮も中身もおいしく食べられる。実際の知識で理解できたと思う。

13時30分に母親が帰宅したが、車の音には気付けなかった。8時台にT家の主人が車を出していたが、気づけばその車はすでにT家に戻っており、本日まともに再開された水道工事の影響で普段と違って簡単なケツ向け駐車がされている。母親は私に何らかの支持を出した後にまた外に出て工事の人に話しかけていたが、間もなく様子を感じられなくなった。その後は1時間ほど断続的に家の出入りを行う様子があった。15時40分、ラーメンを茹でていて感性が近い頃合いに母親から洗濯物を取り込むように言われた。何の不満もこぼさず承諾する私であるが、当然茹でている最中のラーメンは気がかりである。作業に関する質問までわざわざ行ってから急いで作業を済ませた。ラーメンは普通に食べ始めた。15時56分に母親の理不尽な干渉に無駄口を叩かずに応じて適当に従い、もっと無駄な小言には無視を決め込んでおいた。



2016/09/28

本日は0時台に一度目覚めて再度眠るも、続いて2時0分台に目覚めた。前日に2:20の第2アラームを、2:26の元・第3アラームと交代させて睡眠への影響を調べようとしたが、直接その時間に睡眠することがなくなって調査は思わぬ中断となった。2時9分に起床して2:10の第一アラームが再生される時を待ち構えておいた。2時30分ころに飲んだ下剤1錠などの効果によって5時10分ころからトイレに入って長めのものの数本を排出した。

5時40分から、とあるゴミ出しに行ったが、帰路で近所の店舗兼住居から最近(9月17日)の夕方にも一度見た中高年の男性が現れ、例の如く家の前をウロウロして気味が悪い。帰宅して部屋に入ると縦3mmほどの蛾が飛んでいて壁にくっついたため、直ちに処分すべく右手に殺虫剤、左手にティッシュを持ち、そのうちのティッシュで仕留めた。不条理の極みだが、一言も愚痴をこぼす気にならなかった。6時前から強めの腹痛を伴う便意でトイレに入り、下痢気味に変化してゆく軟便を出した。

8・9時台は母親が水道工事の人に絡んだかは不明だが、家の周囲で作業をしたり、玄関ドアを開けたままにする時間もあり、その後に水道工事の人から母親を呼び出すこともあった。騒音だとか車両通行に関する話かと思ったが、私は10時40分に断水が始まっている状態を確認したため、一時的に断水するという旨を伝えに来たと思われる。10時45分に母親が1階に降りてきたがまだ水道は通らないか、10時48分になって水道工事の人が再度母親をインターホンから呼び出し、水道を通らせた旨を伝えに来た。異常事態は続き、5分後にはそれまで大人しかった水道工事の重機が再度動き出し、3分後から母親も1階で掃除機をかけ始めた。このところ、毎日のように1階で掃除機をかける母だが、工事の音を紛らわしたいならば2階の自分の部屋が工事現場から遠いのだし、そこで大人しく過ごしてほしい。母は一緒に騒ぎたいだけの異常者である、と私も異常な考えを起こしたくなる。当然、毎度そういった極端な思考は、仏教を学び始めてから、一応感情で肯定しつつ、理性的には否定する。この区別は天才的である。

13時30分、開放していた窓を閉める際に、今までの明るい曇とは異なって外の暗さを感じたが、13時32分から俄かにバラバラと音が立つ雨が降り出した。



2016/09/29

本日は2:10の第一アラームが鳴る前から意識があり、何か脳内で考え事をしていて音楽を鳴らしたがっていたが、そんな時に2:10の第一アラームが鳴った。間もなく2時11分に起床した。

ところで、前日に一時的な断水から復旧した後のキッチンの水道水は、味に違和感があり、消毒剤が強まっていると見る。この水道水を沸かすと、洗面所の水ほどでもないが、いつものキッチンの水道水よりも消毒剤の臭いが強く感じられる。水道工事がどう原因を起こしてそんな結果となっているかは想像もつかない。これは日が明けた本日29日も続いている状態である。キッチンの水道水のカラン(?)は先月にこの家の竣工以後初めての交換がされ、新品となってから水質はともかく、色々と綺麗になったばかりであるのに、今は消毒剤に汚染された。今まで水道水を中心に飲んでいた私としては、「もう飲み水が無くなった思い」とまで言わないが、私の安定するところはこの世にあるはずもないと諦観を思う。水道水すらも満足に飲めなくなる私は生きていても他人より苦しまされる。

母親が7時台前半に弟の干渉や見送りを終えてから7時50分ころに1階へ降りてきた。8時40分ころから掃除機をかけ始めた。連日同じ場所に掃除機をかけていて尋常ではない。しかも、最中には「あいて!いたた!(今も腰痛が続いているか?)」などと声を発してもいるが、自ら異常行動を重ね続ける母親には憂慮しか感じない。9時ころはYahoo!天気の当地の投票で晴れの得票が100人以上を超す状態(さほど晴れていない)が続くも、10時50分台は明るい曇の中で俄かに雨が降り出した。



2016/09/30

本日は2:40の第三アラーム以後の2時46分に起床した。前日は23時前に目覚めたことがある。ひどく大きな音でテレビが流されていた。それ以前にも母親と弟の会話が聴こえたようだが、あれは夢だったのか肉声だったのかははっきりとしない。

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