2014年6月16日月曜日

世界的な画一化の進行に警鐘を鳴らす。 (原稿・校訂版)


http://www.youtube.com/watch?v=kx6FJ2RNyPo

これからの時代、先進的人類は凡庸で没個性化し、つまらない(陳腐な)存在で溢れかえる、即ち機械の様に量産されることになる。
現時点でも各業界において様々な組織があった中から、次々に大手に飲み込まれるか潰される現状が見えている。

こと日本における現状

企業→90年代から合併等が進んでいる。最近も某大手小売が大株主となり他の同業他社を傘下に加えてブラックホール同然。
小売業、食品業→大手SCの店舗及び、そのPB(プライベートブランド)。商店街や小規模商店は駆逐され、大型店へ来客集中。また、激安のPBによって純粋食品企業のブランドの売れ行きは落ち、最悪その会社も小売業のPB共同開発=小売業の傀儡となり、PB以外のブランドは淘汰されてゆく。
ネット→中小零細サイトも栄えていたが、現在ではTwitterや2chを始めユーザーの交流拠点は扱いやすい大手にシフト、その大手同士でも似たようなレイアウトへの変更(TwitterやYouTubeプロフページは、FBに倣ったもの)が進んでいる。主体性を失って一様のデザインと化している。
都市→東京など大都市ほか、地方中枢都市に人口が集中(ただし大阪は×)、地方中堅都市や山村などは寂れる一方。近年ではこの性質が猛烈に加速、日本の人口は減ってるのに東京は都心にタワマン乱立。「東京一極集中(周辺3県含む)」という言葉を聞かれるのが全ての証拠。


好例としてわかりやすく鮮明なものを挙げたが、このような状態を「画一化」と呼んでいる。
上記の大カテゴリのみならず、一個人など一般国民などに於いても画一化は進んでいる。
現在の教育制度を「画一的」と見解を示す学者がいるが、これに賛同をするワタクシ、ただ大学まで進学して卒業し、就職、無難に生きて結婚、これが人生の成功か!?
様々な生き方があるし、少し外れた生き方は全て悪いとまで取れるような価値観を養う現在の教育の姿。

実態を捉えるに平易な例が最近の子供の将来の夢で、「公務員、サラリーマン」という無難な選択をしてかっこつけるパターンだ。
これには不況云々も関わってるかもしれないが、やはり内向的自虐的精神を養ってしまう教育の賜物と言えるはず。
まあ確かに、私も小6~中2は弁護士だとか公務員だとか、はたまた年収1000万エリート会社員とか他人が挙げなくも無難な夢を狙っていたのだが・・・

そして、自分の裏に潜むもう一つの見解が、「画一化もスマートになるための重要な要素」と思ってる面があるため、なんだか否定し難いところが・・・
そうさ、画一化すれば利便性向上だね、小さい店よりイオンとかのが入店に躊躇しないし、品揃えも申し分なし。
このように画一化の利点も否定しないけど、やはり自身の個性では我が道を行きたいしね、「目指せ男性日本一の長髪!」との威勢を失わずに。


最後に、没個性化について軽く触れておく。
Windowsは7に8、マリオカートも7に8と、それまではXPにVista、ダブルダッシュなど個性的な名を冠していた(Winはリリース年、マリカはハード機の名称なども多い)ものだが、なぜ7作目からいずれも数字(ナンバリングタイトル)に傾倒したのか。
何作目を表す数字を用いたタイトルはそれまで一度もなかったのに。
すなわちこれも没個性化することで、第一印象を和らげ躊躇ない商品イメージに結び付くこととなり、特徴的=変で奇抜な名前であり、抵抗感が生まれる。
上記の例のみならず、世界中で進行しているに違いないと断言できる。
なお、マリカやWindowsには64や2000、95と98などの数字もあるが、この限りでない


皆一様化したり、個性を廃したりして形成される未来は、とてつもなく空虚に思う。
個々の存在がつまらなく、また同様の存在に満ち溢れてしまい、代えはいくらでも、ってこと。


画一化に関連するワード→シンプリフィケーション ノーマライゼーション 凡庸 陳腐 合理化 単純化 一般化 没個性化 大衆化 世俗化

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