2015年8月12日水曜日

食品や液体の熱と口内感覚の鈍磨

昔の記憶の中に、「お風呂の温度は39度」という歌詞を含んだ歌がある。
ポケモンの2003~04年頃のエンディングで流れていたもので、これを今も覚えているのは、そのシーンの映像と歌詞から受けた印象の強さにある。
小1~2ほどの当時でさえ、もう39度は適温~ぬるいように思えていたわけだから、映像中でキャラクターが顔を真っ赤にして飛び跳ねるシーンを見てしまうと「そんな熱くはないでしょ~」と、気に障りつつ突っ込んでいた。
※原曲名で検索する気持ちは起きない、またそのキャラが歌詞中の「39度の風呂」の熱さにその演出をしたかどうかは不明で、YouTubeなどに映像が上がっているとしても確認しない。

それから現在に至っても、その楽曲の曲名が含まれるサビのパートと、問題の歌詞のシーンばかりは記憶に残されており、時々思い出すことがある。
私自身、「なぜか覚えている」ものの代表格といえば、ドラえもんの漫画における「だんへいた らたっかつみ(記憶漏れ:うおゃちめう、アニメで同じ道具の回があったらどう再現されるのか?)」が挙げられるが、それはともかく、日々の食事で気を払う点が増えた。

手で10秒も触れられない温度の食べ物・飲み物(スープ類・お湯やお茶など)は、たとえ少量でも口にする前にしっかり冷ます必要性を強く意識する。
それは、私の3月24日日記メモにおける貼付写真をご覧になると、下の色が局所的に周囲と異なる箇所が2つ目立っていることでそう思えてくる。
これはそのメモ内に書かれるとおり、アツアツの麺をまともに冷まさずして急ぎ口に運んだため、このような火傷を負っている。
慣れると痛みも鈍くなるのだが、それは「感覚の鈍磨」そのものだ。



赤ちゃんに与える離乳食などは、しっかり冷ましてから与えるイメージが諸君にもあるはずだ。
イメージしやすく言うと、母親がスプーンに取ったお粥(リゾット)を「ふーふー」と冷ましてから与えてみるが、赤ちゃんが辛い顔をしたり吐き返せば、「あ、ごめんねぇあちゅかったね~」、「赤様ごめんなさい!」と言う光景があるかもしれない。
ここで「お風呂の温度」と関係のある話題となるが、小1の頃の私が適温~ぬるいと思っていた「39度のお風呂」も、赤ちゃんには熱く、落ち着いていられないレベルのものではないかと見られる。
毎日のように風呂に入る(張ったお湯に浸かる)生活をたった10年程度でも続けている内に、個人差もあるが多くの子供は40度辺りまで慣れてしまう。

風呂の設定温度と一口で言うにも、各家庭に備わった給湯器パネルであるとかの設定温度でまちまちかも(私的な憶測の域を過ぎないが)しれないし、築年数のある家によっては、風呂のための給湯器さえあってもパネルなどなく、普通の蛇口などでお湯を張ることもあるだろう(より古くは給湯器の構造から沸騰させたお湯が流れる場合もあり、それが悲惨な事故に)。
また、我が家の事情としては、給湯器パネル(Rinnaiの120Vシリーズを参照)が二つあって、一つが浴室に備わり、もう一つが台所に備わる2台体制であることは日記メモ6月1日に記録した通りだ。
パネルのスイッチを入れることで初めて温水を出せるようになる。
それぞれのパネルにそれぞれの設定(浴室の高温設定と台所のエコ設定)が付いて、スイッチの入れようでは、相互に異なる設定で影響し合ってしまうが、その問題は特に関係ない個人的な記録だし、記事の内容が紛らわしくなるので忘れて欲しい。
浴室に備わった方のパネルには、更に細かく浴室のシャワーやキッチンにまで通じる設定項目と、浴槽本体に排出するお湯の設定項目の2種類が設けられている。

浴槽本体に排出するお湯については、少なくとも4年以上風呂に入っていない(お湯に浸かっていない)私が知っていることや意見できることは何もない。
このパネルが指すシャワー設定39度でも、異様に熱い水(同パネルなら42度以上の設定に相当)が出てくることがあり、最近はシャワー排出量が控えめの時に多く感じる。
逆に少し前だと、控えめの排出量でお湯を沸かしたがらないようだったから、給湯器のシステムに強く疑問を持たざるを得ない。
また、季節によっ水の熱さが異なることを踏まえて、私が普段シャワーで使用する設定を記録すると、我が家設定で冬は39~40度、夏は38~39度。
別に温度を調節する「サーモスタット混合水栓」は常に最高位置に止めているが、パネルボタンをいじりたくない(操作音を立てたくないなど)場合は適宜ここで調節している。
上述の、39度設定における異様に熱い水が出やすくなった昨今は、こうして調節することが増えたわけだが、熱い水って私の感覚の問題なのか給湯器のシステムによるものか分からない。
このサーモ水栓という代物は、私の小1~2期あるいは物心付いたあたりにも住んでいた与野・浦和期のマンションやアパート(築20年ほどと30年超?)の風呂場にも設えられていたのだが、日本ではどれほど以前より普及していたのか、その疑問は置いておく。

今では4年以上風呂や温泉に入っていないとしても、前の家ではある程度入っていたわけで、記憶の中には柑橘系の炭酸ガス入浴剤の存在が大きい。
前の家における入浴状況もついでにここで記録したいが、入浴剤は父親がほとんどこれのみ選んでいたので特に書くことはもう無い。
当時の風呂でお湯を張る際の設定温度は・・・あまり記憶に無いのだが、40・41度を好み、まれに42度を選んだこともあっただろう。
ぬるめの温度について関心を持ったこともあるが、それは2009年以降テレビでぬるま湯の半身浴が取り上げられていた辺りだと考えられる。
小5のころは夏休みに広義の風呂さえ一週間入らなかったこともあって、学校で自慢したら(略)、中1以降は中2二学期末の不登校となるまで、毎日潔癖症のような気概で入っていた。
平日はほぼ一人きりなわけだから、綺麗な風呂に入りたい時は自分でよく掃除をしていた。
こっちの家はずいぶんと浴槽のアカか赤いアレとかが離れでも視認できるわけだが、母も弟も家で風呂に入らないのだろうか。



お湯というと、2013年以降味のついていないお湯(白湯とも言う)を飲む頻度が増えつつあるわけだが、これについても近頃、アツアツを無理に飲む必要が無いことを感じている。
部屋の電気ケトルでゴボゴボ沸騰するまで待つのは煮沸消毒のつもりだが、余程不安があるときでもなければ、白湯の為にその儀式を挙げる必要は無い。
よって近頃は60~80度ほどと見られるあたりで加熱を止める。
いつものムーミンカップはいくらか保温性を有するわけだが、沸騰したお湯をそのカップの5分目以上に注いだ場合、今の時期なら冷めるのは時間がかかる。
しっかり待たぬ内にスプーンに取ったお湯を半端に冷まして、やはり冷ましたりなくて、熱さに悶えるとまで言わずとも焦ることは多くある。
敢えて上記でカップから時期までの細かい状況設定を設けたが、季節を問わず量を問わず、お湯の熱さに困惑することは多いのだ。

どうも、その温度のお湯をたかが少量飲んだくらいでは平気に思うかもしれないが、近頃の私だからこそ以前より不安視を強めている。
ただ一時の感覚として口内で熱い、歯にしみそう、喉が焼けそう、この程度に落ち着かせて何度でも繰り返す、それではやはり「慣れ」という名の「感覚の鈍磨」が進んでしまうのだ。
乳児~幼児期の食道系における温度感覚は、人体の他の部位の皮膚に通る神経と大きな齟齬は無いようであったことは既述の文章から知られよう。
今であっても、口に含んでは温かみの感じるカップのお湯を指先で触れてみると、10秒触れるのは辛いようで、口の感覚と指先の感覚では著しく隔たりが感じられる。
そんなお湯は「煮え湯」であり、それを受けた喉や胃にとっては、口で感じた温かみ・ぬるさと比べてより熱く感じるし、実際に熱の害も起きていることだろう。
深く探れば、胸焼けにも似た不快感を捉えられるし、熱いものは、家庭医学の噂に聞くところでは、食道がんや胃がんの原因にも繋がりやすい。

生物学的にも、他の動物は、肉にしても植物にしても熱して食べる習慣は当然無く、熱いものは刺激物であるから、進化論の上で刺激物に慣れつつある人間であっても、過度な領域に寄ったものは摂食の継続を避ける必要がある。
ましてや刺激物に適応する必要は無いだろう、結局人類が超人に進むとしても人体の多くを構成する「水」の沸点以上の温度環境で身が保つことは、クマムシでないのだから有り得ない。
私には疎遠な学問分野の話をしすぎると、浅識が露見しそうなので、ここで休めておく。
熱いお湯が胃と喉に与える影響については、口内でお湯の熱を取ってから飲めばいくらか緩和され・・・これは多くの人が実際に意識してもしなくてもやっていることと思うが、口内というものは体の中で一番、触れた熱に適応できるよう作られているかもしれない。



なお、冷たい飲み物を勢いよく飲むと、喉から胃にかけて鮮烈に液体の通りを感じることと思う。
消化器系がコーティングされたような感覚がある。
これに気付いたのが14~16歳ころのことだが、近頃は冷たい飲み物を流し込むという行為自体なかったので、意識する機会は無かった。
水道水はお湯で飲むか冷やさず飲む場合が多く、氷水で飲むにも、ヒエヒエとした水は歯にしみそうなので、流し込む真似は行っていない。
この行為がどのような影響をもたらすかは定かでないが、誰でも何かのイラストで、顔の付いた胃が目を閉じて腕を組んででバツを示したり手を伸ばして拒否を示すなどを見たことがあるはずだ。
バツや拒否を示されたものは、酒・タバコなどもあろうが、アイスや冷たい飲み物に向けられることもある。
悪い影響が幾らかあることは確かである。
私自身、朝起きて水道水を流し込むこともあり、冷えている水ほど好ましいとも思っているが、結局出したてのぬるいもの(6月以降始まった習慣だから冬の場合は存じない)を飲んでいる。
また、アイスは長いこと口にしていなく、関係ない話となるがアイス食べたい。



追記:2015年9月3日
私はこの夏いよいよお湯を飲む頻度が増えたようだ。
ノートPCや自室調理換気の為にエアコンを掛ける中で、自分としては自室エアコンの最もぬるい設定温度(30度)でも寒く感じる場合があり、温かい飲み物も悪くは無いばかりか、多く別方向で効果を期待して飲んでいる。
あるいは、当記事に語られる要因と汗かきを厭う点があいまって、ぬるめで一気飲みもよくある。
一気飲みすることは、狭窄傾向の喉を拡げる訓練でもあるが、気道と食道を弁(喉頭蓋)が弁ぜずして肺に流れ込み肺に水が溜まること、でなくともその誤嚥を防ぐべく悶絶することは恐れる。

ところで「肺に水が溜まる」と俗に言われるこれは、いかなるプロセスでその状態に至るのかといえば、上述の如く物理的に気道を経て肺に流れ込み、患者のケース次第ではその自覚無きままに進行して重症に陥るのか。
これは一端として例に挙げるのみで、他にも考えられることはある。
※"肺水腫 - Wikipedia"参照、血管に関する原因(ほぼ高齢者)が主要であり、後はよほどの外的ダメージ(薬物・感電等)に起因し、私が水の多飲にあっても憂えなくてよいが、一点残る疑問は、その治療に水を排出すべく利尿剤等というと、私の排尿が鈍れば起き得なくはない。

以上の如く、私は夏にあってもお湯を多めに取り、例えば牛乳を弟・母と同じ量を与えられるとしても、計画的にシリアルで消費していき、余る分はお楽しみ。
同じ量のシリアルが与えられる弟は牛乳を飲み水の代わりに多く飲み、母はどうも健康食品のみならず、今夏からアイスコーヒー(カフェオレ)で多量に消費しているようだが、それによって母は一番牛乳の消費が遅かったのに今では一番速くなっている。
元々この私よりも牛乳の消費が少ない母だったし、6月頃は俄かに調整豆乳を色々買って飲んでいたが、にわか豆乳もにわカフェオレも共に、にわかウイスキー(2014年末~今年未明)や、2015年7月以降のにわか糖類(22日メモ)と変わらない。
質素倹約の私と異なり、貪りを感じてならない。



オマケ、「なぜか覚えていて検索候補(サジェスト)が出るフレーズ」集→「お風呂の温度は39度」、「うおゃちめう だんへいた らたっかつみ」、「弁護士さんは金持ちだ~命が惜しくて逃げ出した~」


2015年8月7日金曜日

7月31・8月1・2日の母弟らの福井旅行と様々な思索

2015年7月31日から月をまたいで8月1・2日の間に、2泊3日の福井旅行へ赴いた母弟だが、その予定を知った7月中旬当時からの旅路(交通手段)の仮説と、2012~2014年に国内地理に興味を持っていた時代の知識などを、ここで披瀝したく思う。
※当記事の原案は7月31~8月1日昼までにはほとんど完成していた。旅行2日目の8月1日20時16分に「緊急帰宅」の凶報メールが届いて、3日目は無しに終わった。ところどころの状況が異なる加筆で紛らわしくなる。

まず旅路の仮説、福井への交通手段とは何であろうか?
予定の概要を知った7月中旬当時からの仮説としては、当地の最寄り駅・所定の駅(豊橋駅など)より観光バスで移動するツアーや、当地から東海道新幹線で東京駅に移動して流行の北陸新幹線に乗り換えて金沢駅の北陸本線を乗り継いで福井駅に到着し(あるいは最短ルートで豊橋→名古屋→米原→福井?)、現地からツアーが組まれている、などだろうか。
少なくとも、家から車を飛ばして目的地数箇所に回り、それで帰宅もするということは無い。

何せカレンダーには「7/31福井駅・8/1恐竜博物館・8/2永平時(ママ)」の記載しかなく、私からも深いことを聞く気概も無いため、このような仮説に終始するし、答えは彼らが帰ってきてからのお土産や切符などの確認で分かることだろう。
その記載を元に推測すると、1日目は福井市内に留まると見ている。
2日目に恐竜博物館の勝山市内・・・その日はどこに泊まるか、先に永平寺町内に着いて旅館に宿泊する可能性もあるが、まさか母親が宿を予約するような人だろうか。
福井市から勝山市、永平寺町という流れは方向上自然に見える(今回の旅で利用した可能性のある現地鉄道路線の福井駅 - 勝山駅間の途中で永平寺口駅がある)。

このような仮説が立てられたが、記事冒頭に加筆した「旅行2日目の8月1日20時16分に緊急『帰宅』の凶報メールが届い」たという一件でかなり実相が浮き彫りとなった。
母・弟の福井旅行がツアー制という線はほぼ無くなり、緩急自在な個人スケジュールである姿も表出した。
その故に、掲げたプランを自ら撤回して、急な帰宅の判断も下る。
凶報メールに貼付された同日17時10分48秒撮影の写真にも、画面左端にエナメルバッグが見え、旅の荷物は常に博物館内などで提げながら移動していたことがわかる。
どういう事情かは聞かないが、予約など取らずに現地に出向いて泊まれるホテルが無かったのか、現地で二人が喧嘩して感情的に帰宅判断を下して終電ギリギリに帰ってきたか、と推量。
1日目の宿泊先を示す品も見当たらないため、更に探してみたいし、他の事情も聞ける時があれば聞いておきたく思う。



福井駅 ストリートビュー 恐竜
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続いて、弟が一人写っている福井駅前での写真(上画像の中央上)を見てもらうと、福井の西口駅前が噂に聞く「ジュラシックパーク」仕様となっていることが物凄く分かりやすい。
少し前まで、かなり広々とした様子の駅前だった。
個人的に福井駅西口といえば、あの有名な自称・集団ストーカー被害者の山下さんが福井のお巡りさんに喧嘩を売っている動画が印象的ではある。

それはそうと、2013年にストリートビューで初めて見た(ディスクにその日付の記録されたキャプチャ写真保管)印象は、撮影日にもよるだろうが人通りがほぼ見られずガラーンとしており、駅付近の立派な片側三車線以上で中央分離帯付きの大通りも交通量は疎らで、各種統計上からも福井は良かれ悪かれ地方都市の王道を進んでいる印象を受けたのであった。
2013年当時の駅前の人通りの頭数と、今の恐竜オブジェクトやアートの恐竜達の頭数であれば、実は後者の方が多いかもしれないのではないか・・・実に幼稚なネタを詫びたい。
でもまあ、その少し前までの印象を覆し、同じ北陸にある「世界で最も美しい駅の一つ・金沢駅」に対抗できるようなインパクトが生まれたのではないか。
※ストリートビューで福井駅付近もとい福井県内広域が見られるようになったのは、2013年2月の大幅拡大の時(リンク先Google日本公式)で、撮影時期の範囲は2012年4~8月頃が主要だ。

一方の東口の方はどういった様子かというと、記憶によれば比較的近年にカタカナ四文字で地上10階建てくらいの商業施設・・・アオッサ(AOSSA)というそうだ。
これがあるかなぁ、という記憶がある点、私はまだ詳しいほうではなかろうか。
西口であっても、高層棟にホテルが入居する高層ビルを建設している、といった記憶が2014年頃より残っており、これも将来の北陸新幹線開通を視野に入れた動きかもしれない。
上記は、「興味を持っていた時代の知識」を語ったものだが、今し方調べ直したので、アオッサ西口複合高層ビル再開発(地上21階90m、福井最高層)のリンクを文字に付加する。
その西口再開発の高層棟について、正しくはホテルでなくマンションの分譲だった。



2日目には恐竜博物館に寄ったが、下の弟としては一番期待していたスポットであろう。
私自身、「福井+恐竜」といえば小学生の頃に、ほんの数度か福井から発掘された化石に新種を見出して、発掘地である福井の名を冠した学名になっている、といった情報を見ただろう。
その情報の通り、フクイサウルス・フクイラプトル・フクイティタンといった名前が付けられている。
ところで、同じく小学生の頃から福井県の境域(県の形)自体が、頭でっかちの恐竜に見えなくはないと思っていたが、今の言語感覚で学名を定めるなら「トポモーフォシス」とする。



次に、3日目に寄った「永平寺」(2日目夜の「緊急帰宅」が告げられる以前の原案だから許して~)についても、知っていることから色々書いてみる。
これは正直に言うと、地理関係を学んでいた頃には名前さえはっきり覚えていなかった寺院で、しっかりと覚えられたのが仏法を学び始めた2014年6月以降に、日蓮系の人が「禅の道場から観光寺院に成り下がった」と評していたところによる。
この永平寺は、日本禅宗の中枢とも言える寺院であり、事実、曹洞宗開祖の道元禅師が開山して、同宗の大本山でもある。
また、あまり関係は無いが、曹洞宗の某寺院に茨城母方の祖父か誰か親戚の墓があり、私も1~2度墓参りに同行したことがある。

実は一度だけ、地理関係を学んでいた頃に福井市郊外の山間部に面白い場所はないかとGoogle地図を見回していて、たまたまここをストリートビューしたが、地方の観光地にしては妙に人が集まり、若い人や親子連れも多く、大概の山間部観光地が中高年層ばかりのイメージと逆で驚いた。
要するに、偶然この永平寺をストリートビューしたことがあり、そういった印象を受けたわけだが、宗教関係を学ぶに連れて別方向のイメージも強まっていく。
仏法の勉強の初めの頃に日蓮系の人の発言を聞いた時、「永平寺って何だったかな?」と思って検索し、ストリートビューしたら、一度見たばかりの場所だと分かり驚いたものだ。

私自身、禅の教えなどはあまり好いておらず、例えば釈尊の教えよりも、誰々禅師の語録、問答などが尊ばれている点は仏教=仏の教えという根本に背反しないだろうか。
確かに禅にとっての釈尊最高の教えは、大梵天王問佛決疑經における「不立文字・教外別伝」であるから、敢えてその他の経文を好まないようにしつつ、便宜的に勤行で読誦はするのかもしれないが、まだ勉強不足。
他にも、禅に関わる僧俗らの人格、これは邪推じみた意見となるが、どうも社会派エリート気取りばかりだし、説法(サイトやブログ含む)の語彙は俗悪・粗暴な印象がある(下品さなら真宗系が・・・)。
専ら世俗的な大成だとかの為の処世訓として尊んだり、何か「貴い」人が座禅修行で身を修めているのではないだろうか。
仏への尊敬も、成仏への願望すら抜けているため、現代日本の禅は儒教に修行の形が加わった、「座禅教」と私は見ている。

「只管打坐」の精神というと、近代でもベトナムの僧侶が仏教徒としての主張のために座禅(結跏趺坐)したまま焼身自殺した殉教行為が想起される。
まさしく「不惜身命・我不愛身命・身軽法重」などの経文の身読だ。後生善処は疑いなし。
あれくらいの気概が「心頭滅却すれば火もまた涼し」の体現であり、上座部仏教にも似た禅宗の究極体だと言っても過言ではないが、過激・・・
日本でもせいぜい、アウトローに高層ビルの柵を乗り越えた上昇気流が擾乱する場所で人を騒がせるくらいの只管打坐があれば、実に愉快なものだと思わずにはいられない。

まあ、永平寺そのものとは関係の無い仏法の話となったが、これは以前から「禅」について思っていたことを、この際ここで書いてしまおうということで、そうした。
過去記事でも、禅宗系について論じたような記述はあるので参照されたし。
終盤 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/blog-post_17.html
唯心論云々の箇所 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/04/18.html
蓮盛抄の箇所で少々 http://lesbophilia.blogspot.com/2015/06/blog-post_24.html

ところで、日蓮系を中心に学ぶ私が永平寺について調べなおして驚いた一点は、道元さんが京都を追われて、有力士族「波多野」氏の誘いから越前に逃れ、後に永平寺を開いた、これは日蓮大聖人が鎌倉に居続けて法難に遭うのがいたたまれず、甲斐の有力檀徒・士族の「波木井」氏が自分の領土(身延)に招いて、その地に大聖人在世の内に後の久遠寺が出来た経緯と似ている。
京都・鎌倉の都から、近場の福井・山梨の山間部に「波」がつく漢字三文字の氏が後に宗祖となる高僧を招き、その入滅・遷化に至るまでに同宗派の本山格寺院がその地に開かれる。
妙だが意味の無い共通点を好む私としては、非常に興味深く思っている。
また、日蓮大聖人の複数の御書には、法華経を受持する真の天台法華宗が「釈迦世尊所立の宗(伝教大師の法華秀句より)=仏の立てる宗=仏立宗」であるとしており、道元さんが自分の教義にあえて宗名を付けるなら「仏心宗」とした名称と似てはいないだろうか。
これも私の好きな言葉遊びである。



・・・両派閥の方々にはよろしく当記事の乱文を諒とせられ、禅定の心を以てお許しおきくださらんことをと願い申し上げる。
なお、母・弟の福井旅行で永平寺に寄るという3日目が無く終わったことは既述の通りだけれど、彼らは永平寺で何をするつもりだったかといえば、蓋し物見遊山であろう。
僧侶の話を聞くとか、仏法などへの関心は恐らく無い。

日本共産党の機関紙を反安倍思想から購読しても、共産主義などに無知だからすぐ解約するような母だしね。
ちなみに言うけれど、私は反安倍でも無ければ、有権者でもなく政治にさしたる関心も無いただの18歳である。
一番云々したいのは、無知だったりするが刹那的な関心で衝動的に行動するも、信念が無いからまともな継続の無い上に、そこに気付かない母親の人間性。


2015年7月30日木曜日

怜悧な小学生が他の児童を嗤う

「識」を重んじて生き抜く私の精神に振り返る回想をした。
まず、タイトルにある「他の児童を嗤う」という具体的な経験などを語る。

私の研鑽は言語を中心に据え、歴史・宗教などを範囲に収めているが、それまでは地理がメインで、現在であっても地理は言語の一端として幾らか取り込まれる。
その言語とは、2015年以降日本語(国語)の性質が強まって止まないようであるが、小学生の時も今も英語はじめ諸言語は捨てられない。
※学習が疎かと思われた英語は、3ヶ月前にSoundCloudで書く際に思い浮かばなかった文章が、本日再考した時ひらめいて、翻訳サイト無用で一気に構築された。

その中で「嗤う」という行為は中学生以降、ネットで他の誤りに向けられていた。
簡単な英単語さえスペルミスを犯す者が多いことに愕然としながらも嗤わずにはいられなかった。
2011(中3)~2014年の私は、好きな洋楽1曲の歌詞を全文ミスなく打てることを豪語していた。
それはまあ置くとして、私自身は幼稚園・不登園期間に自然とアルファベット大文字を読めるようになっていた(書けるようになったのは不明だが、間もないだろう)。

具体的に嗤った例は、小4の頃(二学期で転校した学校、当時の記憶はおばさん教師で、ケバい中年女性ではなかったから間違いなく小4と断定)には、とある女子児童が書いた絵の「レインボー」のアルファベット大文字表記を見た際、「レインボー☆」に遠い男子児童である当時の私でさえ、RとLや、AとEや、WとUの誤りに気付けたため、これは哄笑モノだった。
かっこつけて(かわいこぶって)英語書いたが運のツキ、でもおばさん教師をはじめとして誰もこの誤記には気付かないものだろうと覚った時、女子児童は表面的には幸運な方だと思えた。
何にしても、分かる私と比べて分からないような人は、自分の浅識に依存しないで大人に頼るか、あるいはかっこよさに飛躍せず、控えめにカタカナで書けばよい。
浅識の自覚に立って学ぶにも浅智ならば我慢偏執を捨てて、より智と識に優る人間に頼るべきだろうが、私は幼少より智に自立性があるので、それをしないで生きてきた。



一方の小文字の読み書き至っては、小学校卒業までに完璧に習得できていたが、当然母親別居以降などの時期的経緯からしても、指導者なきまま自ら学ぶ気持ちで進めたことである。
誰しもPCなどのqwerty入力に慣れれば一定の知識が身に付くが、小文字の一つ一つをつぶさにに見ているというはずは無いため、それだけで完璧な読み書きは出来ない。
故に、これを習得するに至った点は「自ら学ぶ」意欲が叫ばれよう。
小5・小6あたりのとある図工か何かの授業で描いた絵には、ローマ字表記で日本語文章を綴ったりして、周囲からの評価は何となく良かった。
これは、家にある両手鍋のデザインに着想を得たものだった。
逆に、描いた自分がこれに自信を持てず、文章を消したような記憶がある。

それに比べれば、中2になってもアルファベット小文字の"b d, p q"の区別が付けられないような人々、これが案外多かったため、「習っても覚えられない残念な奴ら」と嗤わずにいられなかった。
中1の初めには修まるべきアルファベット小文字は、出来ぬままなら中2までであってもテストで致命的だし、そもそも初歩的なことも修まるべき時間の内に修まらないとは、蓋し遊戯雑談の所為と断ず。
日本語であっても、毎日のように長文を書く私を見ていれば、判然としたタイプミス(誤変換や誤文法など除く)など、諸君の目にも見受けられないことと存ず。
受動的な勉強でさえ満足に身に付かない人々が友達などと戯れていて、別方向では当時の私を蔑視したり、逆に当時の私が「バカ」だとか思われていたわけだから困る。
私もそんな彼らに憐憫さえ起きたから、嘲笑の意思は何も口外、もといおくびにも出さなかったが、やはり諸々の遊戯雑談者という「ブーメランバカ」のレベルに合わせることは、それ以上に愚の極みであって、慢心こそ己の敵の頭領だと思う。
私のように「勉強できつつ友達のいない」タイプの中学生らもまた、この慢心が誰よりも身近な大敵となるのではなかろうか。
2010年12月をもって私は、その敵が現れがたいであろう世界へと離脱したが、やはり今も忽然と湧き出て闘争が続いているのだろう。



続いて、英語からも「嗤う」経験からも離れた「識」の昔話を綴る。
これは他者に向き合って公然と行われた、世間が求めるような実体験である。
小2~3の時、というと上述の小4以降の戦場とは少し遠い地の小学校(さいたま市浦和区)に通っていた時代となるが、その戦場以前であるため、友達が多かった頃だ。
ある日の昼休みのあたり、とある話題があって、「らくがき」の漢字表記について「楽書き」を推す者がいたので、「落書き」が正しいことを私は返した。
それは黒板にチョークで「落書き」の文字を落書きした後、教師の机上にある辞書を引いて示すなど、入念なものであった。
実は、この「らくがき」の漢字については、過去の国語の授業において「楽」と「落」で混同しないよう教師が教示していたくらい(教師用教科書に指導があるのか?)記憶もある。
「楽」は小2で習い、「落」は小3で習う教育漢字だが、どちらの時にこの旨を授業で教わったのかといえば、小3のときなら私は6・7月に3度目の不登校となるから期間的に考えづらい。

どちらにしても、小2~3の頃にこういった「識」問答があり、正しきを示せたのだ。
こういった双方の認識の齟齬がある時(母との会話然り、ネットで誰かの投稿見るとき然り)は、いつも自分が誤っているのではないかと思う場合も多いし、盛んに掲示板で投稿していた中2の頃は、誤解などを強く構えてこちらを曲解する集団にねじ伏せられるなどでトラウマがあったほどだ。
どんな時でも、大多数の暴力・多勢に無勢といったような苛烈な状況下に陥りやすく、リアル・ネットを問わず果敢に抗したことの多い中2頃も、惨敗の経験が多かったようだ。
この際、蛮勇にして正義顕揚も通じない虚しさは、疲弊感をみだりに増やすだけなので、少なくとも掲示板投稿は2011年から年々落ち込み、前にもどこかで書いたが、2014年以降ほぼレスを投稿しないまま掲示板閲覧にとどめることが多くなった(某したらばのスレッドは普通に閲覧するが、2ch関係は某ランキングでめぼしいスレをチラ見するほどで、ニュース系は記事本文の閲覧のみ)。
どこであっても、指摘するまでもない些細な誤り(作者が意見を募ってない以上タイプミスなどは一笑に付せばよい)から、とんでもない誤解や無明・驕慢・顛倒により詭弁や謬論(主に2ch掲示板や芸能人・世間一般の識者に多い)を書きなぐったものなど、日々目にすることとなるが、それを見てみぬフリで置いてしまうのはいかがなものか。
そう思うから自分はある程度、蛮勇のようでも中2までの正しい「識」を与える破折精神に立ち返ろうとする。



「嗤う」と「以識破折」と関係ない小学校の思い出
1. 小5の時に、オリジナルの小説を書く国語の授業があったが、期間内ではみな400字の原稿用紙3~5枚程度、多くて8枚ほどだったのが、私は9枚使った(クオリティは不明)。
2. 小6二学期~三学期に、好きなオトモダチと組んで発表するイベントがあったが、過去記事にあるとおり、私は学年で唯一「一人一組」のスタイルで臨み、苦渋の中で立派に巨大な紙面を完成させるも、発表時の様子は不評、恥辱ここに極まった。



2015年7月23日木曜日

創作・研鑽が神仏への「お勤め」

私は日々「お勤め」をしている("努め"てもいる)。
目に見えない存在か、あるいは概念か、尊きものを慕い、あるいは畏れながら創作や研鑽を続けているが、それを「お勤め」と呼ぶ。
本来「勤める("努める"との混同に注意)」という言葉は宗教的に「勤行」と言うよう、仏などに信心や功徳を捧げた修行などに当てられていたが、江戸時代・明治時代と次第に社会的な用法が台頭して一般化した(というのは私の憶測・仮説で、調べてみるとコレが字源に詳らかな史実)。
それでは、私が「お勤め」として行う作曲において、どのような存在を尊んでいるのか。
紛れもなく威徳至上のメタル神である。

そのようなメタル神という考え方も、どこか遠い世界に住んでいる一つ厳かに存在しているのか、あるいはメタルや某作曲界隈を司る力用(りきゆう)の概念であるのか、説き出した自分にも判然としていない。
さはあれ、らい○ちゃんなどの現証がある以上、どちらにしても威徳が絶大であり、らい○ちゃんのように勿体無くもメタルの良縁と妙技を得てより懈怠懶惰のみならず誹毀讒謗せば、大罰免れ難し。

作曲というのは最初憧れを持つところから始まるとしても、趣味・興味・娯楽のような認識もあれば、渡世の手段とする野心家もいるだろうし、あるいは単純な憧れが昇華して、自分が感動した曲より良い曲や、誰よりも良い曲を作りたい、聴かせたいという純真な者もいる。
私も色々と気持ちの移り変わりを経てきており、2年以上前までは音楽ほか動画などで大成して富や名声を得たいという野心も多分に備えていた。
今はどうか、世の真理を知りたいがために大聖人を中心とする仏を奉じた研鑽、またそれに準じては超越者のような作用があるメタルの真実を求めて、些か懈怠気味の非力を味わいながらも作曲を続けている。
何にしても、続けてみることで答えを知りたく思っている。
また、今は懈怠気味でも続けていく内に行道の亢進があることを望んでいる。
まあ創作関係って最近どっかで「自己満足」って表現使ったのが近い面もあるけどね。
聴いてもらって満足とか。

このメタル神について再度触れたく思うが、例えばメタル神の来歴として、最初から神として誕生せられたか、この世にかつて人体として存在し、何かの経緯(死を経るか生きながら昇天・成道するか)で超越者となられて力用を操るようになったか。
仏や神道の神も、多くは人体や物体としてこの世に存在したとして、今日に伝わっている。
物体といえば、万物に霊魂が宿る、万物を神体そのものとするのは神道のほか世界各地の民間信仰にもあるばかりか、仏教ことに大乗仏教では似たように有情非情問わず全ての生命、否、生物学的な区分に入らない物体にも心や仏性が宿り、成仏できるとする。

続いて、メタル神にあたる存在は、いわゆる一神教の神のように一人絶大なるパワーを有し、メタルないし某作曲界隈を司っておられるか。
お一人の意思によりらい○ちゃんに無上の楽才を授け給いしか。
対して私が便宜的に「メタル神」と呼ぶ一連の事象の背景が、力用のみの概念であるとすれば、抽象的な摂理であるのか。
メタル神とは一人の超越者であるか否かの探求は、1月5日のメモ帳記事に後日ひっそり加筆した箇所も「追って調べたい」旨で締めくくってある。
当該記事の時点でも宗教的に達観していたが、今回はまた一味違う考察に至っており、過去の自分が託した問題が解明に向かおうと躍進している。

こうした宗教などの体系的な知識は、主に日蓮系の仏法を学ぶことで多大に備わってゆく。
日蓮大聖人は、正法を弘めるために誤った信仰を撲滅する必要があるとして、四箇の格言を代表する邪宗破折の義を立てられた。
布教・弘教におけるこの破折の精神が門下の弟子や檀徒に継がれ、今日でも諸々の邪教を打破すべく特に某宗門で堅持されている。
そのような教団の卓越した宗教観はネット上に多く見られたり、機関紙なども昔から転載されている(6月21日のメモ帳記事で取り上げた某思想のアレは大白法という某宗門機関紙の昭和37年11月20日号にも匿名投稿の論文の中に載っている)。
末端信徒の教わりたてで曖昧な認識など、全ては鵜呑みにできないが、色々と氾濫する情報を見続けて、正しい考え方を自ら導き出すのが個人の訓練にもなる。

私はそうして体系的な宗教知識を得る内に、らい○ちゃんの消息からメタル神を見出すこととなった。
普通ならば、彼女の引退・失踪はただ優れた人材の儚い興亡盛衰の範疇であるとか、あるいは「しあわせです」発言を見て自殺を想起するなどに留まるはずで、私も教学に暗ければそういった程度の思考に終わったことだと思う。
一神教の神にしても私の説くメタル神にしても「妄想」と思われるかもしれないが、やはり神の名に仮託されただけで事実には偽りが無い。
何にせよ、昔の人は物事に表面的な原因のほか、神罰だとか怨霊の祟りを感じて自戒する気持ちが肝要であった。
日々創作と研鑽で「お勤め」する心は大事だと締めくくる。

ところで今回の件を記すきっかけが、2015年1月4日から作り始めたとあるメタル系の曲で、アレ動画の3番目に流した曲だ。
これは今も制作中であるが、7月に入ってからはそれまでの数ヶ月より著しく進展した。
思えば1月4日という始まりの日には、「夭折した~」のコードを転用してイメージした内の16小節分の音階を一気に打ち込めて、当時は件の記事執筆・投稿前の段階であったから、メタル神を讃えたことの恩恵とも取れた。
今また7月以降は、去年同様に夏特有のやる気が俄かに滾ったか、はたまたらい○ちゃんのことを6月末より再び追い始めて作曲の歓喜も起きたか、これからも作曲が続けられる=PCや携帯も壊れず私も健在なら即ち周囲も全て安泰、という状況が続くと良いものだ。



※当記事の原案は7月20日のGoogle+日記メモです。メモ帳記事の投稿ペース維持が困窮しているので、記事に仕上げました。


2015年7月18日土曜日

二つのロゴの類似性を多角的に検証する記事


当方で編集した上掲画像では、二つのロゴを左右に並べている。
左右ともに二つ以上のアルファベットが斜めに重なったデザインをなしており、アルファベット一字をとっても印象的な線の伸びを見せる。
一見ただ似ているだけのようで、私が簡潔に類似点を挙げたけれど、ここからはデザインの表層のみならず、背景と深層も探りたい。



背景としては、左のロゴの来歴・年は不明だが、日本の同人作曲家(以下、S氏)のHP上に掲載され、同HPファビコンにもなっている意匠である。
右のロゴは、2009年4月頃には出来上がった意匠であり、某携帯作曲アプリユーザー(以下、R氏)の携帯HPトップやニコニコ動画でもかつて静止画素材に用いられていた。
S・R両氏に公的な交流は一切確認されておらず、相手の話題をした様子も無い。
携帯コンテンツに深く関与しているのは後者のみならず、前者も携帯ゲームアプリに楽曲提供をしていて、旧HPを含めて2013年よりMIDI・着メロデータ入りのzipや携帯実機の音をライン録音したAACファイルなどが配信されている。

その携帯ゲームアプリは色々あるが主要なものは二つ、共に某方二次創作ゲームで、一つ目が2007年より完全無料アプリで作者サイト提供のち2012年までに作者失踪・サイト消失、時期不明にミラー委託サイトの一部有料化にともないこれも有料、私が初めて知った2012年にもDLできた(最近は不明)。
二つ目が2008年にTrial版、のち2009年より随時通常版(無料)とPLUS版が用意されるも、なぜか通常版委託サイトからDLページが消え、上述のゲームアプリ作者サイト消失で通常・PLUSとも新規DL不能となった。
失踪したゲームアプリ作者と件の2015年も活動中のS氏はリアルにも付き合いがあるそうだが、詳しい消息は未だ告げられず(作者失踪と時を同じくS氏も一時的に消えたことがあり、復活が2013年であったがそれまでは同一人物説も・・・)。
二つ目のアプリはかなりハイレベルな作りのゲームで人気を博し、先のゲームからのクオリティ上昇のみならず、プレイの様子を自分で再生(内蔵メモリ・SDカード保存など仕様は不明)したりオンライン=消失サイトのサーバ上で共有する「リプレイ機能(この点は某作曲アプリのサーバ譜面共有機能などとも相似)」まで備わり、他者のリプレイも同様にダウンロード視聴可能であった。

※余談、通常版委託サイト2009年度のアプリ評価では最優秀賞ということだが、選定方式が毎年変わり、過去にはエントリー式で賞金が用意されることもあったが、その年では提供されたアプリが強制エントリーされ、人気投票+謎の審査委員会の最終選考により決まるということだ。ゲームアプリ作者もノミネート後にプレイヤーから知らされたとWeb Archiveに残るブログ記事より確認した。2010年度まで同イベントは商業的な雰囲気がほぼ無かったものの、以降は企業・法人が幅を利かしたスマホアプリが中心で凡庸且つ形骸化したイベント。思えばこの二次創作ゲーが最終選考でも勝ち抜くって、素直に良作を評価する姿勢がある。ちなみに2009年度のノミネート作品の中に、奇しくも某作曲アプリの作者の別アプリが混ざっていた。このイベント関連も現存するページは結果しか載せていないので、概要などはWeb Archiveにて調査した。

といった背景で分かるとおり、R氏はこのゲームアプリをプレイしたり、またその同人作曲家さんを見てロゴアイデアがインスパイアされたものと邪推する私だが、この情報ではそれと結論が決まらない。
背景で闡明にすべき曇りが「左(S氏)のロゴが完成し公開された時期」である。
左ロゴは辿っても(9)時代登録のニコニコ動画で最初からこのロゴをアイコン指定していたと見ており、右R氏のロゴは、先述の通り2009年4月頃とニコニコ動画の投稿動画から確認できている。
色々調べても、S氏のHPは2013年以降出来たらしく、2010年の動画にはゲーム作者のHPに誘導する文言のみ見られたため、個人的なスペースは同年中には(9)時代登録ニコニコ・3月登録Livedoorブログや2009年6月登録のTwitterなどが見られる。
何にしても、たまたま両者の活動が携帯コンテンツに絡む音楽活動といった点が似ているだけで、片方が片方のロゴを模倣したなどとは言い切れず、偶然似ただけかもしれない。



続いて、これらのロゴの類似性を、より掘り下げて検証してみたい。
そもそもアルファベットの字形がどう似ているか、線をクルクルと伸ばしたアートである。
しかも複数のそのような形状の文字を斜めに重ねているのだから、それだけで酷似ともいえ、本来の文字そのものが挿げ替えられただけとも言える。
すなわち、左は"SP"、右は"RM"と描かれ、その文字が指すところは彼らの活動名やサイト名などの頭文字である。
元の単語は個人名であったり、一般名詞を後続させたりといった具合だ。
その"SP"と"RM"という文字の特徴をつぶさに見ると、同じ人がデザイン=既製のフォントがあることが推測でき、その仮説を検証せねばならないと思った。

よって、手始めにGoogle画像検索にドロップすると、全く同じ字形を含む画像がいくらもヒットしたものの、肝心のフォントを紹介するようなページは皆無だ。
ヒットした画像で再検索し続けても見当たらない。
だが、それだけ多く同様の字形が用いられていることから、やはり既成のフォントの存在はほぼ証明できたとしておく。
実は画像検索をしてからも"SP"ロゴの"P"は判然としてなく、RやGやLやQ(瑣末順)、あるいはCとLの複合など、様々な憶測が浮かんでいた。
もちろん、同じフォント説も同時に断定できておらず、そのために"RM"でRという字が使われているわけだから、"S[?]"の[?]がRと見てSも"RM"とは違うフォントの可能性も考えていた。
要するに"SP"説は当初活動名の一般名詞箇所の頭文字として支持されたが、検索を重ねて大文字Pを含むがヒットして、ページタイトル画像内の単語が合致したから"SP"説が固まった。
まあこの話は、あまり経緯が読者にはごちゃごちゃとなりかねないため、ここで終える。

そうしてSP説が固まる7月18日以前の7月15日で"MSG"と書いてある画像がヒットしたので、加工して別個検証画像を作成した。
7月18日に大文字Pを付け足したが、設置場所は残念な扱いとなった。


この英字フォントの使用状況は多言語に渡り、英語以外では.ロシア語やbrドメインのポルトガル語などが主にヒットする傾向がある。
日本のサイトは少々出るくらいであった。
肝心の英字フォントの名称・詳細については、当記事投稿までに見当たることは無かった。
某QAサイト内をGoogle画像検索「フォント」で調べても似たようなフォントは見られず。




今回の一連の調査には、画像検索時の急迫感は去ることながら、Web Archiveで今はもう淘汰された委託サイトの旧時代アプリページや、件の消失したHPなどを見ていて哀愁が感じられた。
儚さから感傷に浸る面も多々あったし、今でもゲーム作者の最後の更新となったTwitterやブログは2011年より止まっているが、最初に私が覗いたのは2012年5月のことだった。
ブログでは2010年よりiPhoneアプリ開発の話が増え、意気込みも空しく公開できる形にならないまま2011年12月に残った最後のツイートに「疲れ」という単語が不穏な予兆を仄めかすようで、何だか寒気がする内容だった。

活況を極めても儚く消えるサイト・らい○ちゃんなどの人々、これも良いが、某アプリ関連は古い時代からのシステムをそのままに(2011年3月の一部アプリ有料化は別)今なお生きながらえていて、これも良い。
また、微々たる進化を経ながら制作を続けるS氏のような例も良い。
似たような人やサイトがあって、それぞれ魅力を感じるかはコンテンツの良し悪し次第。
この辺の美学は「インターネット考古学」記事から読者にも知ってもらいたい。

この度ゲーム作者のTwitterを覗くと、ツイート無きままプロフィールにニコニコマイリストのリンクが、なんと同氏の名で投稿されたパ○ドラのプレイ動画だけ、アカウントは(γ)時代登録。
何も言えなくなっていつの間にか変なゲーム漬けとなって、別の意味で悲しいが、こういう制作を辞めて遊びオンリー(某携帯作曲者たちの中にも、PCを持て余しながら2014年以降艦○れの画像ツイートばっかなどゲームの話題しかせず、DTMさえ放棄した本分忘失の抜け殻が多い)に転身する人はこの数年で激増しているため、「またこのパターンか」と思うしかない。
そんな中、細々と今でも作曲しているS・R両氏はなんと良い心掛けであろうか。

勝手な憶測になるが、もしかしたらS氏は意図的にこの堕落したゲーム作者さんのことを言及していないのかもしれない。
見る人の憧憬を集めて止まない素敵な歴史がブチ壊しになることを懸念して、興味を持つ各々の判断に委ねた、と。
多くの人は落胆して、私などは幻に消えたままの方が良かったのではないかと思う。
iPhoneアプリ開発の意気込みもどこへやら、という点は某携帯アプリ開発者が2011年3月の有料化以降Androidアプリに専念して2012年にはその開発も放棄し、2013年8月にサーバ維持費の愚痴をこぼし、2014年末から自前ブログの更新も止めた経緯と酷似している。
同開発者のことは某所で幾度と詳述したが、ここで少々、2003年のサイト開設以後、ある年には年間数十本もの無料アプリを開発・配布したような、才技充足にして生産性に秀で00年代においては比類なき逸材、能く利用者の声を聞いて邁進していたが、昨今の趨勢の中でも比較的初期の堕落者入りをしたのかもしれない。
長く続けてきた以上、その分に志を失いやすいのかもしれないし、サイトが現存するだけ他所より丈夫(今年の5月26~30日や6月12~16日の間はサーバ応答不能)な方だが、この落差は濁世の趨勢に気付けていない2013年に目を丸くしたものだ。

・・・・・・何か荒れた話題で文字数が増えて罪悪感が。。。




追記:7月26日

私が興味を持つ人物は2011年以降は悉くマイナーな者たちとなるが、作品にしてもそういった傾向がある。
もう一点言いたいことは、当記事で取り上げたS・R両氏が活動の形態と象徴のロゴデザインに強い類似性が見られたように、作品であってもこの傾向が見られている。
2013年7月に初プレイの某フリーゲーム(終盤参照)と、2014年11月3日に初めて読んだ某小説には、固有名詞からストーリーの一部分において、他に例の無いような類似性を持つ。
あらかじめ言うと、某小説が2004年4月に更新を始めてから、下記情報の更新分は2010年以前に全て出し切っており、某フリーゲームは2009年以降に制作が始まっている。

固有名詞には、小説中の人物に「ライズバード」という姓や、姓不詳の「イーファ("Aoife"ってアイルランド名?)」というキャラもいるが、これは某フリゲに「北ライズバート大陸(ドが清音)」や、「ルクスイーファ地方(とある大陸の極東に位置する"Far East"の略と解釈?)」といった、特に「ライズバート・ライズバード」など他作品では被りようも無い類似名がある。
某小説の一部ストーリーの描写で、「転移魔法を行使したら見知らぬ氷雪の大地に飛ばされた」とか、「酒場でミルクを頼む(一部ジャンルによくある描写なのかもしれない)」だとかがあるが、そういったシーンも某フリゲに登場している。
他にも類似点を挙げればキリがないものの、肝心の両者のジャンルというと、某小説は某人気RPGシリーズ(主人公含む多くのキャラに名前がついていない)の二次創作であり、某フリゲもまた複数のRPG要素が詰め込まれたARPGで、もしかしたら在りし日(総票数2538の第二回人気投票が盛りだった2008年頃とか)には読んでいた可能性がある。

確かに、どこどこがどう似ていると云々するのは気持ちが悪いと思われる方もおろうが、私としてはたまたま見ていた作品にネット検索で他作品への客観性を問えど無し、という稀有な共通点を見ると、一方がもう一方の影響を受けたのではないかと思わずにはいられないものだ。
よって、某フリゲ作者個人についても調べるか、あるいは人気投票公開コメント欄や小説付属掲示板などに似ている半値の人を探すなどが具体的だろう。
ともかく、私が興味を持つ人物・作品などは、何か不可解な共通点がある奇跡を知らしめたい。



8月1日、軽い追記、どうも日本時間7月30日(July 29th)に当該フリゲのファンによる英語翻訳版が出回り始めたようで、作者が日本時間で即日ツイートして告知していた。
私も早速プレイして仔細を思うに、オリジナル固有名詞の類の訳に感心する点が多々あったが、いくらか原作者と相談はあったのだろうか(元ゲームの仕様自体、他者がデータをいじるのは難しい印象が元々あり、それが事実であれば最低限データを送る等のやり取りが必要)。
その翻訳版によると、ルクスイーファは"Luxefa"と表記されている。
このゲーム関係は毎年7月に何かしらの動きがあり、公式初リリースが2012年7月、私の初プレイが先述の通り2013年7月、続編のアップデート(小規模アプデ含めても1年半ぶり)が2014年7月、そして今年は7月末になってこの英語翻訳版が登場した。
来年の7月で、前回大幅アプデより丸2年となり、また何かあるといいものだが、何も7月にこだわらず、今年中でも良い。
変に7月に出す習慣がついて、完成した作品を次の7月まで出し渋るのは良くないからだ。


2015年7月10日金曜日

歯磨き粉などに多量配合されているミント系の成分と辛みの刺激

1階キッチンの棚に、月曜日=2015年7月6日の買い物で買われたと見られる某PVの洗口液(マウスウォッシュ)が置かれていた。
1本あたり480mlと、一般的なペットボトル相当の内容量で、ボトルの形状が太めである。
この図体には目を引かれるところがあったが、少し前まで同じ場所に置かれていたのが小さい緑のモンダミンであった。
「アルコールが微量配合され、口内に残る」との注意書きを読むと、近頃母親がお酒(日本酒・ワイン・俄かに大量のウイスキー等)をあまり買わなくなったという傾向を自ずと感じさせてくる。

私は1回分の使用量を試そうと思ったが、過去にあった洗口液は、この家で私の試用の例が無い。
小2~3に初めて試したことはあったが、その頃きりであったと記憶する。
1回分の使用量は10mlということで、キャップの分量線は20mlを数えられても、その最低使用量10mlを守って口に含んだ。
飲む前のイメージとしては、科学的な甘みをイメージしていたが、口に含んでみるとそれにも増して辛みの刺激が強烈だ。
30秒間含む、という用法が書かれてあるが、実際の私は20秒余りだったのではないか。
舌に触れないよう、申し訳程度にグチュグチュしてから吐き出した。
※後でラベルを見返すと、これでも刺激が苦手の方向け、ソフトタイプらしい。



ここで思うに、その辛みとは言うまでも無くミント系であり、これは歯磨き粉と同等以上の刺激を感じられた。
私が大人向けの歯磨き粉を使い始めたのが小1頃かもしれないが、少なくとも小2の時のある日に、各児童が家の歯磨き粉を持参する歯磨きの講習授業のようなものがあって、近くの席の児童は私が持参した緑色のクリアクリーンを見て「大人の使ってるの?」と話しかけられ、周りを見ると確かに小ぶり・赤(イチゴ)などの子供用歯磨き粉が主立っていた。
「ふぅ~ん、まだみんなそんな年なんだぁ」と内心は半信半疑であった。
且つ、小学校の頃は歯磨き粉を使用で舌を磨くこともあったほど、あの辛みに恐れはあまりなかったわけだが、今では味覚が狂うのではないかという警戒が強い。

故に今なお歯磨き粉を使用して歯を磨く習慣が普通でも、あの刺激への恐怖心と、ミント味の残りで後の食事が一時まずくなる不快感から、舌にはあまり付かぬよう注意深く行っている。
前述のように、小学生の時なら気にならないばかりか、身の毛もよだつ舌磨きが行えたものだ。

余談だが、歯磨きの歴史・14~16歳途中までは半年以上歯を磨かないこともしばしばあったが、いつからか歯を磨くように戻ったのは「口唇裏と歯の神経疎通に伴う口内炎歯痛(日記メモ2015/05/13を参照)」をただ虫歯による歯痛と誤解したことによるが、歯の汚染度は小学生の時の黄ばみから大して変わっていないし、虫歯なら当然あるはずもなく、歯を汚さない食事ほか普段より自浄作用が効いている。
また歯磨きするようになってから1年近くは歯磨き粉を使わないで磨いていたため、歯磨き粉の使用再開は今年に入ってからの可能性もあり、その為に最近になって洗面所に置かれた歯磨き粉が無くなって、日記メモ6月24日注釈2のような話題もあった。



続いてネットで、歯磨き粉のミントの辛さや、舌への影響などを雑に調べてみたのだが、こういった物・感覚のような事象は例の如く無関係な検索結果ばかりヒットして、私と同様の考えの載ったページが皆無であり、徒労。
中でも目立つのが「チョコミントアイス」なるものについての、下品な見出しや文言(双方が侮蔑の意図で味覚障害・貧乏舌などという語彙を用いる)のまとめサイトなど。

この「チョコミントアイス」については、上の弟がまだ幼稚園児の年頃・・・もっと言えば埼玉県与野市の市域に住んでいた頃(2004年の頭が果て)にまで記憶を遡ることができる。
近所のドラッグエンスストアの買い物で、毎度のようにあの弟が選んで食べていた。
あの弟については、その与野期に私が苦手だったピーマンなども好んで食べるなど、幼児としては嫌わず何でも食べるようであったが、あの弟が小学校に上がって時間が経つにつれ、かえってピーマンなどを嫌い、チョコミント味のアイスも食べなくなっていった。

このような逆に進む・・・食の好き嫌いが退行する現象は、学問的に説明がつくのだろうか。
幼少には種々の執着なくして、肉体の成長に反して諸々の幼稚化が進む?
あの弟の経緯については疑問が多いが、これもその一つに数えられる。
ミント系の味については当記事のほか、過去には菓子を中心として触れたこともある。



執筆日(2015年7月8日)の軽い日記→ゴミ出し兼買い物を2時過ぎに実行した。当地・豊橋としては珍しく霧が濃く、明るい時間であってもこの密度ではおよそ100m先の姿かたちが捉えられないだろう。この真夜中にあって、遠い交差点の青信号・通り過ぎた車のランプなどは、道路の歪まぬ先まで鮮明に光を映した。雨がぱらつく近頃にあって路面の様子は、乾いた色になった箇所とそうでない箇所があるが、塗れている箇所は木の枝が真上にあるところで、そこを歩く際には自然と注意が頭上に向く。雨上がりの時は大概地面の水溜りに警戒する私。また、どこまでも様々な臭い、腐臭かはたまた煙のような焦げ臭さも。夜中は常に悪臭が遍満している気がしてならない。


2015年7月6日月曜日

6月30日夜の会話 (と7月2日午前1時半の会話)

6月30日、母親から唐突に「私が入院したとき、自分で歩いて買い物行ける?」と問いかけられた。
今月にわかに動き始めた「心理カウンセラー(6月10日の日記メモ)」の講座との関係性は定かでないが、母親が今まで自分に不利な話になると「ガン」を持ち出すことがあっても、「入院」の語が聞かれることはなかった為、寝耳に水の言葉に訝しさばかりを感じていた。

この話題は、言わば「もしも」のことであり、会話の大筋としては、私が徒歩を前提に少し歩いたところのスーパーに通って買い物できるかという内容である。
毎日学校に通う下の弟に対して、自分にこそ買い物をしてもらう必要があるとのことだ。
「もしも」を真面目に付き合うのは気恥ずかしいところもあるが、その気持ちを断続的に口にしながら真面目に取り合った。
炊事(炊飯)・洗濯など日常の他の行動を加味して、一口ではこの話を済ませられないことを問うてから、それらの疑問については消化された。

毎度徒歩で少し離れのスーパーに通う問題性については、「自転車」等の単語を互いに出さず、当然のことだが、母親から車で時間を掛けずにイオン等へ通えることについて話されたが、私としてもバイクや車の免許を取る意思は毛頭ない(自転車ばかりは半ば欲しげ)。
家に食品を配達するサービスについては尋ねると、やや方向のそれた返答があったので、正しいことを告げると、某業者を例に話された。
結局この路線はナシとして、ネットでの購入を例に取り、クレジットカードの貸与について話された。

クレジットカードについては、ネットでの買い物をしたがった中3の時に一度尋ねたが、断られた経緯があることを示すと、「当時は14・15ほどだから」として、「今なら18歳になっているし」と別に問題は無いと答えられた。
思えば16歳ほどまでは、ネットを介して商品を購入する欲望が強かったものだ。
今ではその方向の知識も廃れていって、改めて考えると知識の穴を感じる。
また、貸与に関して「横領」等の違法性について聞いたところ、母の名が記載されたカードを男性の私が利用して店頭で本人かどうかを尋ねられ、拒否されることがあるとしても、法律的な問題は無いだろうとのことだった。
まあそんなところなのだ、とすぐに受け入れられた。



話の途中で私は、「まだ50歳にもいかない年齢(実際は49)から『入院』などと弱気でいることが問題」と言うと、「ガンを持ってる人に年齢、20代でもいくつでも関係はない」とされた。
ガンのことは、毎度のように診断の概要も伝えられないし、通院・検診なども不明で、投薬・服薬などもなく、無関係の栄養補助食品だとかならいくらでもあるなど、客観的に見ればこの程度である。
ガンのことだけ強弁されても、せいぜい子供騙しだが、その私が初めて「乳ガン」と聞いた小5の時(北海道・紋別遠征時)には、レーザーでの治療の予定など、まだ詳しく聞かされた。
子供が成長するに連れて、親の方が稚拙になってしまっては、まともなやり取りなど叶いもしない。少し飛ばしたところで「私が80まで生きたらあなたも50になる」と返された。

この話になる前にも、近頃私の耳に若くして亡くなる一般人の話が及んでくることを告げていたが、ここでも再度その点について念を押した。
私とそう違わない年、もちろん肉親・親戚だとかの眷属に多く囲まれた年で逝く人たちの中には、私の茨城系の従兄とされる「かずき」さんが25・6歳かそこらで亡くなったことをここでも告げた。
そのように子が親に先立つ「老少不定」の境は近年顕然としており、厭世的にもなろうことは、この辺に聡くない母親にとって知ることもなければ、示されたところで歯牙にもかけないだろう。
具体的な現実で、「かずき」さんのことなどは母親こそ熟知しているのに。

この時にかつての「大成駅(鉄道博物館駅)」付近の診療所に寄った折、母親に聞かされた「左軸偏位」について質問したが、まず返ってきた答えが、私が左軸偏位について言葉しか知らない思い込んで、その感情よりいい加減な説明を始めたので、釘を刺した。
私は「そんな病気の概要なんて知っているから、私の体や大成駅と同関係があるか、私個人の危険性の有無などを教えてもらいたい」と話した。
「心臓にも個性があって」と、私の場合ただ左に寄り気味なだけで、問題はないとのことで、このことから私の思考も「だから幼少の頃に一度きりの言葉だったのかな」と思うようにした。

その他、「親に寄生、パラサイト」などと得意満面で言われたのだが、心外であることを然も的を射たように言われると甚だ心地が悪いものだろう。
だがここで、6月23日の日記メモにも書いた、「親≒神」の考えを元に「親は子を庇護する義務がある」と前置きをせずして、単に「出来る内はこの家に住まい、叶わない時は父親の家を訪ね、父親や上の弟への恐怖心から敷居が高い場合は、どこかの山に登って命の灯火尽きるまで過ごす」とのみ主張した。

この間には曲解からくる放言が聞かれたが、一々には憶えがたい。
私の発言から取り上げるとすれば、「先月・先々月の小遣いは無くてもいい態度でいた(8日の日記メモ)のだから、それが私の金への執着を切り離しつつある証左となるけど、来月(7月)は流石に欲しい」。
この話題で言いそびれたことは「今夏は飲み水で過ごすから、去年と比べてあなたにペットボトル飲料を頼むことも無い」という旨であろうし、他の話題でも多々後悔あり。
少し前まで私を苛んだ欲望を抑えつつあることが伝わりがたい。
故に「それが寄生だよ~」との放言が聞かれたのである。




以上の今回の会話は、全体で15分ほどであったが、終始両脚を開きながらふすまの水平方向に寄り添って引き手に左手を伸ばした姿勢を維持したが、左手・腕の血流は乱れて赤みを帯び、下肢も動き始めの数秒以内は不自由さを感じた。
母親も話の終わった直後に、体について一言漏らしていた。

2015年7月2日の真夜中、午前1時半前にヒョイと始まった一時間半に渡る会話があったが、具体的な内容をはらんだ概況を書くのも躊躇う。
姿勢や事後の身体違和については、先の一件を教訓にしてしばしば変えたりストレッチを心がけたことで、疲れ以外の問題は無かった。
藪から棒に始まった会話で予期できなかったが、元々予定されていた3時以降の外出(ゴミ出し・自販機通い)にはどうにか3時20分前より実行できた。