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2014年5月の開始から、時期ごとに学術的と感じる方法に、メモ感覚を兼ねて随時投稿する。身辺や私情を主題に論理を展開することが当ブログの個性である。当ブログの学問関連には、不正確な情報が古い時ほど含まれるので、慎重に確認されたい。キーワードと表記ゆれを重んじる。何か気になる語句があれば検索 ([Ctrl + F] またはブログ内での検索機能) を推奨する。
2020年5月2日土曜日
2020年4月5日日曜日
「二次・三次相対互換の理論」に対する新しい解明と説明
「二次・三次相対互換の理論"theory of relativity between 2-ji and 3-ji; the relative similarity theory"」の先行研究は以下である。
2016年2月15日投稿『二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論の体得』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/02/2ji-3ji-gokan.html
導入として「三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていることは反対の例・『絶対的な相似』であり、二次元側に比較するならば違和感ばかりを覚えてしまう」といった考えもある。
当該記事では、内在理論の具体例に関して、主観性と客観性を混ぜながら説明した。
他に絵に関する私の複数の記事でも、この研究が紹介される。
2019年以降、幾何学的な見地での検証・解明と、認知科学での説明とを構想するようになった。
第一段階に、数学(最低でも中等教育レベル全体)の学習と、3DCGのソフトウェアの操作の習得とを志した。
用語の簡易な注釈:スラング的な日本語の「二次元–2次元 (nijigen, 2-jigen; from two-dimensional)」と「三次元–3次元 (sanjigen, 3-jigen; from three-dimensional)」を容認している前提である。加えて、当記事では 2-ji, 3-ji と表記する場合がある。「相対互換」の意味合いは「三次元→二次元」のみならず「二次元→三次元」とも想定され、当記事では途中やあとがき欄などで過去記事の例示とともに説明する;新しい解明と説明によせて、変更案も挙がる。
「幾何学的な見地での検証・解明」と、「認知科学での説明」の前に、二次イラストと三次写真(または擬したイラスト)とを選定する必要がある。
それらのうち、何でも表情があれば動的なものとして扱い、先に、健康な状態の時の平穏な表情(健全な無表情)を静的なもの/基盤とする。
二次のうちでも、私が描く萌え系イラストは一つの類型 (illustration style or type) であり、私が検証に用いる。
それと実在人物の相貌との中間的な相貌の類型もあるので、それごとに相対互換を検証することも可能である。
これを概念的想像図にすれば、それらが正当に相対互換である場合、座標上の直線 (line) または放物線 (parabola) に重なるもの(比例 proportional 相似 similar)と考えられるからである。
Aさんの顔つき、Bさんのさんの顔つき(Cさんの…, D…, E…)などがそれらの線になり、イラスト・写真の類型ごとの点が線に重なると想定する。
一次元的には、異なる画風=イラスト類型でスペクトル (spectrum, fr: spectre) が形成される。
ケースに応じた数(1ないし無数)の直線が多方向に放射状に展開されることを考えたが、実際には2つの極点の間でケースに応じた数の立体的な曲線 (curve) があることになる。
2つの極点 (2 poles, 2 extreme points) とは、地球に北極点 northern pole と南極点 southern pole とがあるように、二次極 2-ji extreme point と三次極 3-ji extreme point とがある。
想像上の2つの極点に置かれる類型は判然としないが、二次極までの1/4で単純な図形の組み合わせによる表情の画風、三次極までの1/4で写実的な画風および写真となろう。
二次極に極めて近いものでは「Aさんの顔つきの線」、「Bさんの顔つきの線」などの個人間の差異がほぼ無くなり(顔文字 ・_・ や :( を想像すると分かりやすい)、任意の解像度における「二次極の1歩前」は、正三角形を上下反転した角の位置に点が3つあるようなものとして仮定できる。
今の日本で一般的に見られるような表情の筋肉の反映が顕著で表現しやすい画風は、赤道 (equator) の位置に近いかもしれない。
想像上の二次極・三次極の間には1ないし無数の立体的な曲線(非ユークリッド幾何学の繋がる直線とも)がある。
地球の経線(子午線 meridians)が1本, 2本, 180本, 360本ないしそれ以上が必要に応じて想定されることと同じである。
線は、1ないし無数のイラスト類型の点で構成されるようでもある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は、「幅の無いものとしての線 (ユークリッド原論1-2: Γραμμὴ δὲ μῆκος ἀπλατές)」ではなく幅が広まったり狭まったりする線になるかもしれない。
「Aさんの顔はCさんに似ている」、「Bさんの顔はライオンに似ている」といった比喩が伴う場合や、「Aさんの起きたばかりの顔(むくんでいるなど)」、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」である。
例外事項で「『気絶している状態』などの顔」があり、「表情に関する筋肉の力が入っていない状態」と仮定される「表情」に区分されることに注意する。
「年齢差(幼少期・老齢など)」に至っては同一人物の同一性による基盤から外れる。
「Aさん・Bさんの顔は幻想的だ」と言われそうだが、あくまでも実在人物に仮託した基盤の「予備的なパラレル」として幅が広まったり狭まったりすることの話をする。
この場合(線に1以上の幅を想定する)は地球上で譬えて、単純な標高–海抜0 mに対するプラスやマイナスを想定するなどが可能になる。
パラレル事項は、そのように予備であって根本的でないが、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」という例は、実際に絵を描く人が感じる思考や疑問として伴う場合がある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は疑似的な客観性=共通主観性(共同主観性ともいう)で認知される自然物が基盤であり、パラレル事項は多くの場合に主観的認知の強いものとして許容の範疇に置く。
「二次・三次相対互換の理論」をこのように、地球(真球または楕円体)の形で概念的に・スキーマ的に想像することは、これからの作業の設計図の一部分として受け止める。
相対互換ということ(相似)の要旨でもある。
顔の形質的特徴とその知覚に関する基礎知識から考えられる注意点
幾何学的な見地での検証・解明
「幾何学的な見地での検証・解明」には、2Dでの顔貌(相貌)の特徴抽出 (手段の例: ニ値化、1 px細線化または線画抽出 thresholding, thinning)と、パーツとその関係性の数量化 (quantification; width, height などの value) などがある。
2Dの状態でも色々と求められる事柄はある。
その後、3DのCGのソフトウェアでいわゆる二次元キャラ・三次元ヒトのモデルを作成し (modeling)、比較・対照を行う。
備考:「絶対的な相似」と違和感についての簡易な検証
当記事の冒頭にも載せた2016年当該記事の文は「例えば三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていると、誰しも奇怪に思うであろう。このように『絶対的な相似』では、違和感ばかりを覚えてしまう」として「絶対的な相似」について言及した。
その中で目が例に挙げられるので、このことも含めたいくつかの検証を行う。
写真A 201908080917.jpg は私の顔全体を含む上半身がY軸斜め(鼻尖をX = 0, Y = n, Z = +100% で任意の後頭部1点をX = 0, Y = 鼻尖に等しいn, Z= -100%とした際の両目のXやZが正面顔に比して対称的な数値にならないこと)で写される。
その二値化がされた画像(二値画像 binary image)を3種類に用意した。
私の管理するファイル名で binary-1, binary-2, binary-3 としている。
binary-1は、一ソフトでのエフェクトの後に「しきい値 155 (0-255中)」の方法で二値化して作られたものである。
binary-2は、その方法で二値化してからその人物の繭から頤の範囲に少しの幾何学的矯正 [height 66%] とともに目と眉の形状を保ちながら位置の適正化をし、細部の感性的矯正をして作られた…。
binary-3は、その方法で二値化してからその人物の目の範囲に幾何学的矯正 [width 130%, height 300%] と拡大後エッジの感性的矯正をして作られた…。
これらのうち、binary-3の画像が目に関して、その「絶対的相似」の意図に近いものになっている。
つまり、幾何学的な目の横幅と縦幅の近似値を人物の目に「二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目との絶対的相似」で適用したことになる。
数学–幾何学用語の「相似 (similar, similarity)」からは、私の目とbinary-3矯正後の目とで相似でないものの、近似値として「二次イラスト 2-ji」の特徴に相似であることを企図している。
一方で、binary-2の画像は、目の横幅と縦幅に変更が無いまま、その距離を鼻尖や口に近いものとしてパーツの相対性を重んじたものとしたことになる。
認知の対象におけるどの細部や全体に重点が置かれるかは、認知の行為者=主体の一時的な機能と長期的な経験とによって不確実であるものの、どちらが「二次イラスト 2-ji」の特徴に近いか、行為者自身で吟味する必要がある。
ただ、2016年以降の私の「自明の理」としてbinary-2側であるとされている。
この備考で、反対の仮想–反証または背理法の材料–反例として、こういった検証を提供する。
厳密な数理的方法は、やはりそれができる人に発破をかける意図でも、私が導入するのみである。
備考:前述の「注意点 4」についての検証
任意の3DCG(三次元コンピューターグラフィックス)のビデオゲームから相貌の遠近法 (perspective) の数理モデルの簡単な例示をする。
人物Bryan (身長約1.8 m ≈ 5.9 ft と仮定。実在人物からモデリングされていることを含めて著作権 a copyright や肖像権 a right related privacy or morality, a portrait right 云々の問題を言われそうだが倫理面以外では現状に問題視されない) の顔は:[fov 44] コンソールコマンドで至近距離(約0.2 m が想定される)で撮られたrendering1-a1, rendering2-a1 、[S] キーで後退することで離れて(距離にして約10 m と想定)から撮られた rendering1-bf, rendering2-bf 、[fov 3.8] コンソールコマンドで同じく撮られた rendering1-b1, rendering2-b1 がある。
▽ rendering2-a1 と rendering2-b1 をGIFアニメーションで交互に表示する。
▽ rendering1-a1に rendering2-a1を50%の濃度で重ねる。
▽ rendering1-bfに rendering2-bfを50%の濃度で重ねる。
▽ rendering1-b1に rendering2-b1を50%の濃度で重ねる。
3DCGの表示の数理モデルや計算的構造が直感的に分かると思うが、遠近法–透視投影 (perspective projection) に関しても再現されていることが分かる。
循環論法に思われそうだが、これは「注意点 4」についての検証と、3DCG利用の実効性に関する両方を同時に示すことである。
ここで使用した3DCGモデルの正確さについては、別の話とする。
注意点:ここでの画像の名は筆者個人管理のファイル名から取られた。rendering1はワイヤーフレーム wire-frame のレンダリングであり、rendering2はテクスチャ texture を表示するレンダリングである。Bryan の顔の位置をこちらは至近距離a1系の時で僅かに高い位置から見ていたので視線の角度は水平よりも下になる。離れてからb2系も同じ視線の角度にすべくこちらの「カメラ camera」の位置を物理的に上(CGの計算処理としてはY軸のプラスに当たる)にして同じ角度で同じようなBryanの見え方を再現した。[fov] コマンド (field of view, 人間の視野と区別して"angle of view"と呼ぶことがゲーム業界の外では好まれる。コマンドの数値上限は170で視角170度のことだが水平と垂直 horizontal/vertical に関しては水平を基準にしつつ垂直も比例して変化している) は人物の映っている範囲の解像度 (resolution) の向上と統一を目的にしていて、過度な外周付近の縮約–展開(e.g. 北極と南極の展開された平面世界地図、鉄製スプーンの裏側が楕円的なもの=凸面鏡に映る像 cf. 19世紀に著名な学者マッハ Ernst Mach が哲学的な探究から描いた自身の鼻が右に映るような左目の視界を表現した自画像の絵 drawing, これらの間には異なる原因や結果的な焦点と外周の距離感の差異があるが参考までに)が発生しないことを期している。
遠近法について:至近距離a1系で両耳などが見えづらい代わりに鼻の突出の具合が強い。離れてからb2系で両耳がよく見えるように奥まった部分の把握がしやすい。これらは遠近法の有意な差として認めることができる。かつ、計算機=コンピューターの処理に基づいて立体の特徴が計算的に反映されたことになる。人物の相貌以外では、単純に立方体 (cube, さいころ dice などの実物または3Dモデルを指す) を斜め上から見る場合にも、見る「目(裸眼)」または「カメラ(ゲーム用語)」の距離によれば物理的に近いものがそれだけ視覚における映像の中に拡大される。
注意点4の検証は以上のように可能である。
至近距離の画像で見られたような特徴は、「迫力のあるもの」として知覚されるので、驚きや絶望感や威圧の表情に用いることが強みになると思う。
二次・三次相対互換の「幾何学的な見地での検証・解明」で、距離感の近すぎる顔の特徴を用いることは望ましくない。
どのような距離感の顔の特徴を用いるべきかと言えば、「ほどほど中間的」である上で、比較対象が相互に同等である必要がある。
例えば、任意の距離感の2-ji画像にはそれに近似するか等しい距離感の3-ji画像を比較に用いて新たに用意するものも可能な限りでそうすることになる。
「距離感の計測」は、描かれたものである以上、顔の遠近法 perspective を計算的に取ることが困難であるため、目測で構わないが、2つ以上あるものは基盤の一者を決めて、そこから「それに近似するか等しい距離感の画像」を選択する。
備考:その他の考慮事項
顔面の皮膚の「シワ–しわ–皺(wrinkle, rhytide; 年齢に関するものと表情の筋肉に関するものとで呼び分ける場合もある。かなり広い指示対象で見た目によるものは fold とも)」は、まぶた–目蓋–瞼(eyelid, La: palpebra)上部 (palpebra superior) のものが幼少から見られる実在人物が多いものの、それ以外のシワは若年層に多く見られづらいし、ある場合は薄い。
私自身の顔は、いわゆる「平行二重瞼」の傾向(反対に東アジア人などに普遍的で末広二重や奥二重や一重に統計的相関のある蒙古ひだ epicanthic fold も少し考えられる; 英語版Wikipedia oldid=941837871で"up to 90% in some estimations"と記されるようなもの)があるほか、額や眉間に少しだけシワのようなものがあったり、浮かびやすいし、頬のほうれい線も同様である。
シワというよりは影の一種として2015-03-05記事に示すような「ケツアゴ(割れ顎 cleft chin)」もある。
一般的な二次イラスト 2-ji でまぶた上部のシワは他のシワよりも描かれやすいが、形式に関しては、白人(ここでの指示対象はヨーロッパと中近東のコーカソイド)に比して鼻梁に近い位置の3分の1程度が描かれるものと、私がするように全体的に描くものと、全く描かれないものとで分かれてもいる。
「眉毛–まゆ毛(まゆげ eyebrow, La: supercilium)」は前頭骨の眼窩部 (orbital part of frontal bone, La: pars orbitalis ossis frontalis, 前頭骨は os frontale で眼窩は orbita) につく傾向にあるが、位置が高いか低いかの個人差が著しく見られる。
同じ毛色の場合の「視覚的な濃さ」は、毛の太さと長さと密度などで上下する。
人種論的な見解を含めて言うと、白人(先述の指示対象)は東アジア人よりも平均的に位置が低めで、個人間の太さの差が少ない。
東アジア人である私の顔についてはその白人タイプの方に近似する、と分析する。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は画風によって比較的低い年齢の人物の眉の位置を高めにする傾向がある。
2016年2月15日投稿『二次元・三次元の相貌の相対的な互換性に関する理論の体得』
https://lesbophilia.blogspot.com/2016/02/2ji-3ji-gokan.html
導入として「三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていることは反対の例・『絶対的な相似』であり、二次元側に比較するならば違和感ばかりを覚えてしまう」といった考えもある。
当該記事では、内在理論の具体例に関して、主観性と客観性を混ぜながら説明した。
他に絵に関する私の複数の記事でも、この研究が紹介される。
2019年以降、幾何学的な見地での検証・解明と、認知科学での説明とを構想するようになった。
第一段階に、数学(最低でも中等教育レベル全体)の学習と、3DCGのソフトウェアの操作の習得とを志した。
用語の簡易な注釈:スラング的な日本語の「二次元–2次元 (nijigen, 2-jigen; from two-dimensional)」と「三次元–3次元 (sanjigen, 3-jigen; from three-dimensional)」を容認している前提である。加えて、当記事では 2-ji, 3-ji と表記する場合がある。「相対互換」の意味合いは「三次元→二次元」のみならず「二次元→三次元」とも想定され、当記事では途中やあとがき欄などで過去記事の例示とともに説明する;新しい解明と説明によせて、変更案も挙がる。
「幾何学的な見地での検証・解明」と、「認知科学での説明」の前に、二次イラストと三次写真(または擬したイラスト)とを選定する必要がある。
それらのうち、何でも表情があれば動的なものとして扱い、先に、健康な状態の時の平穏な表情(健全な無表情)を静的なもの/基盤とする。
二次のうちでも、私が描く萌え系イラストは一つの類型 (illustration style or type) であり、私が検証に用いる。
それと実在人物の相貌との中間的な相貌の類型もあるので、それごとに相対互換を検証することも可能である。
これを概念的想像図にすれば、それらが正当に相対互換である場合、座標上の直線 (line) または放物線 (parabola) に重なるもの(比例 proportional 相似 similar)と考えられるからである。
Aさんの顔つき、Bさんのさんの顔つき(Cさんの…, D…, E…)などがそれらの線になり、イラスト・写真の類型ごとの点が線に重なると想定する。
一次元的には、異なる画風=イラスト類型でスペクトル (spectrum, fr: spectre) が形成される。
ケースに応じた数(1ないし無数)の直線が多方向に放射状に展開されることを考えたが、実際には2つの極点の間でケースに応じた数の立体的な曲線 (curve) があることになる。
![]() |
| 概念的な『顔つきの線』モデル (原案: 2019年9月28日) |
2つの極点 (2 poles, 2 extreme points) とは、地球に北極点 northern pole と南極点 southern pole とがあるように、二次極 2-ji extreme point と三次極 3-ji extreme point とがある。
想像上の2つの極点に置かれる類型は判然としないが、二次極までの1/4で単純な図形の組み合わせによる表情の画風、三次極までの1/4で写実的な画風および写真となろう。
二次極に極めて近いものでは「Aさんの顔つきの線」、「Bさんの顔つきの線」などの個人間の差異がほぼ無くなり(顔文字 ・_・ や :( を想像すると分かりやすい)、任意の解像度における「二次極の1歩前」は、正三角形を上下反転した角の位置に点が3つあるようなものとして仮定できる。
今の日本で一般的に見られるような表情の筋肉の反映が顕著で表現しやすい画風は、赤道 (equator) の位置に近いかもしれない。
想像上の二次極・三次極の間には1ないし無数の立体的な曲線(非ユークリッド幾何学の繋がる直線とも)がある。
地球の経線(子午線 meridians)が1本, 2本, 180本, 360本ないしそれ以上が必要に応じて想定されることと同じである。
線は、1ないし無数のイラスト類型の点で構成されるようでもある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は、「幅の無いものとしての線 (ユークリッド原論1-2: Γραμμὴ δὲ μῆκος ἀπλατές)」ではなく幅が広まったり狭まったりする線になるかもしれない。
「Aさんの顔はCさんに似ている」、「Bさんの顔はライオンに似ている」といった比喩が伴う場合や、「Aさんの起きたばかりの顔(むくんでいるなど)」、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」である。
例外事項で「『気絶している状態』などの顔」があり、「表情に関する筋肉の力が入っていない状態」と仮定される「表情」に区分されることに注意する。
「年齢差(幼少期・老齢など)」に至っては同一人物の同一性による基盤から外れる。
「Aさん・Bさんの顔は幻想的だ」と言われそうだが、あくまでも実在人物に仮託した基盤の「予備的なパラレル」として幅が広まったり狭まったりすることの話をする。
この場合(線に1以上の幅を想定する)は地球上で譬えて、単純な標高–海抜0 mに対するプラスやマイナスを想定するなどが可能になる。
パラレル事項は、そのように予備であって根本的でないが、「Bさんについて私が思い出す顔(記憶が薄れたこと・よく見えなかったこと・特定の表情のみ見られたことなどで表象の基盤としては脚色や修正が強い)」という例は、実際に絵を描く人が感じる思考や疑問として伴う場合がある。
概念的な「Aさん or Bさんの顔つきの線」は疑似的な客観性=共通主観性(共同主観性ともいう)で認知される自然物が基盤であり、パラレル事項は多くの場合に主観的認知の強いものとして許容の範疇に置く。
「二次・三次相対互換の理論」をこのように、地球(真球または楕円体)の形で概念的に・スキーマ的に想像することは、これからの作業の設計図の一部分として受け止める。
相対互換ということ(相似)の要旨でもある。
顔の形質的特徴とその知覚に関する基礎知識から考えられる注意点
- 皮膚がどうあるか/骨格がどうあるかに依存して、輪郭の線として抽出される特徴や種々の影の原因となる多くの立体性が問える
- 知覚の構造は、形質的に:パーツと、その配置に特徴づけられる (cf. 相貌失認 prosopagnosia, 脳における側頭葉や後頭葉に局在–偏在する機能に関連。重要視されるものは紡錘状回 gyrus fusiformis–BA37の紡錘状顔領域 FFA, fusiform face area で顔のパーツとその配置 configuration of parts に敏感であるという; ただし網膜などの視細胞や視神経や脳神経に本題の理論との関連性は今のところ無い)
- 「髪などを除いた相貌のみを認識せよ」と他者からの指示または自己の意思で人が何らかの顔を認識する際に、「任意の個別パーツ」または「全体の配置」または「パーツとも配置とも表現できない漠然とした全体像」のいずれかには、見ている間の時点によって偏り (バイアス bias) がある
- 目視において遠近法のようなもので遠距離と近距離とでは正当に比較できないようなパーツの見え方の差異 difference が生じる
幾何学的な見地での検証・解明
「幾何学的な見地での検証・解明」には、2Dでの顔貌(相貌)の特徴抽出 (手段の例: ニ値化、1 px細線化または線画抽出 thresholding, thinning)と、パーツとその関係性の数量化 (quantification; width, height などの value) などがある。
2Dの状態でも色々と求められる事柄はある。
その後、3DのCGのソフトウェアでいわゆる二次元キャラ・三次元ヒトのモデルを作成し (modeling)、比較・対照を行う。
備考:「絶対的な相似」と違和感についての簡易な検証
当記事の冒頭にも載せた2016年当該記事の文は「例えば三次元の人物の顔が二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目を持っていると、誰しも奇怪に思うであろう。このように『絶対的な相似』では、違和感ばかりを覚えてしまう」として「絶対的な相似」について言及した。
その中で目が例に挙げられるので、このことも含めたいくつかの検証を行う。
![]() |
| 上から;写真A, binary-1, 2, 3 □ |
写真A 201908080917.jpg は私の顔全体を含む上半身がY軸斜め(鼻尖をX = 0, Y = n, Z = +100% で任意の後頭部1点をX = 0, Y = 鼻尖に等しいn, Z= -100%とした際の両目のXやZが正面顔に比して対称的な数値にならないこと)で写される。
その二値化がされた画像(二値画像 binary image)を3種類に用意した。
私の管理するファイル名で binary-1, binary-2, binary-3 としている。
binary-1は、一ソフトでのエフェクトの後に「しきい値 155 (0-255中)」の方法で二値化して作られたものである。
binary-2は、その方法で二値化してからその人物の繭から頤の範囲に少しの幾何学的矯正 [height 66%] とともに目と眉の形状を保ちながら位置の適正化をし、細部の感性的矯正をして作られた…。
binary-3は、その方法で二値化してからその人物の目の範囲に幾何学的矯正 [width 130%, height 300%] と拡大後エッジの感性的矯正をして作られた…。
これらのうち、binary-3の画像が目に関して、その「絶対的相似」の意図に近いものになっている。
つまり、幾何学的な目の横幅と縦幅の近似値を人物の目に「二次元の少女漫画や萌えイラストさながらの大きさの目との絶対的相似」で適用したことになる。
数学–幾何学用語の「相似 (similar, similarity)」からは、私の目とbinary-3矯正後の目とで相似でないものの、近似値として「二次イラスト 2-ji」の特徴に相似であることを企図している。
一方で、binary-2の画像は、目の横幅と縦幅に変更が無いまま、その距離を鼻尖や口に近いものとしてパーツの相対性を重んじたものとしたことになる。
認知の対象におけるどの細部や全体に重点が置かれるかは、認知の行為者=主体の一時的な機能と長期的な経験とによって不確実であるものの、どちらが「二次イラスト 2-ji」の特徴に近いか、行為者自身で吟味する必要がある。
ただ、2016年以降の私の「自明の理」としてbinary-2側であるとされている。
この備考で、反対の仮想–反証または背理法の材料–反例として、こういった検証を提供する。
厳密な数理的方法は、やはりそれができる人に発破をかける意図でも、私が導入するのみである。
備考:前述の「注意点 4」についての検証
任意の3DCG(三次元コンピューターグラフィックス)のビデオゲームから相貌の遠近法 (perspective) の数理モデルの簡単な例示をする。
人物Bryan (身長約1.8 m ≈ 5.9 ft と仮定。実在人物からモデリングされていることを含めて著作権 a copyright や肖像権 a right related privacy or morality, a portrait right 云々の問題を言われそうだが倫理面以外では現状に問題視されない) の顔は:[fov 44] コンソールコマンドで至近距離(約0.2 m が想定される)で撮られたrendering1-a1, rendering2-a1 、[S] キーで後退することで離れて(距離にして約10 m と想定)から撮られた rendering1-bf, rendering2-bf 、[fov 3.8] コンソールコマンドで同じく撮られた rendering1-b1, rendering2-b1 がある。
▽ rendering2-a1 と rendering2-b1 をGIFアニメーションで交互に表示する。
▽ rendering1-a1に rendering2-a1を50%の濃度で重ねる。
▽ rendering1-bfに rendering2-bfを50%の濃度で重ねる。
▽ rendering1-b1に rendering2-b1を50%の濃度で重ねる。
3DCGの表示の数理モデルや計算的構造が直感的に分かると思うが、遠近法–透視投影 (perspective projection) に関しても再現されていることが分かる。
循環論法に思われそうだが、これは「注意点 4」についての検証と、3DCG利用の実効性に関する両方を同時に示すことである。
ここで使用した3DCGモデルの正確さについては、別の話とする。
注意点:ここでの画像の名は筆者個人管理のファイル名から取られた。rendering1はワイヤーフレーム wire-frame のレンダリングであり、rendering2はテクスチャ texture を表示するレンダリングである。Bryan の顔の位置をこちらは至近距離a1系の時で僅かに高い位置から見ていたので視線の角度は水平よりも下になる。離れてからb2系も同じ視線の角度にすべくこちらの「カメラ camera」の位置を物理的に上(CGの計算処理としてはY軸のプラスに当たる)にして同じ角度で同じようなBryanの見え方を再現した。[fov] コマンド (field of view, 人間の視野と区別して"angle of view"と呼ぶことがゲーム業界の外では好まれる。コマンドの数値上限は170で視角170度のことだが水平と垂直 horizontal/vertical に関しては水平を基準にしつつ垂直も比例して変化している) は人物の映っている範囲の解像度 (resolution) の向上と統一を目的にしていて、過度な外周付近の縮約–展開(e.g. 北極と南極の展開された平面世界地図、鉄製スプーンの裏側が楕円的なもの=凸面鏡に映る像 cf. 19世紀に著名な学者マッハ Ernst Mach が哲学的な探究から描いた自身の鼻が右に映るような左目の視界を表現した自画像の絵 drawing, これらの間には異なる原因や結果的な焦点と外周の距離感の差異があるが参考までに)が発生しないことを期している。
| 参考:投影法 projection の立方体による比較 (by Cmglee, from Wikimedia commons) |
注意点4の検証は以上のように可能である。
至近距離の画像で見られたような特徴は、「迫力のあるもの」として知覚されるので、驚きや絶望感や威圧の表情に用いることが強みになると思う。
二次・三次相対互換の「幾何学的な見地での検証・解明」で、距離感の近すぎる顔の特徴を用いることは望ましくない。
どのような距離感の顔の特徴を用いるべきかと言えば、「ほどほど中間的」である上で、比較対象が相互に同等である必要がある。
例えば、任意の距離感の2-ji画像にはそれに近似するか等しい距離感の3-ji画像を比較に用いて新たに用意するものも可能な限りでそうすることになる。
「距離感の計測」は、描かれたものである以上、顔の遠近法 perspective を計算的に取ることが困難であるため、目測で構わないが、2つ以上あるものは基盤の一者を決めて、そこから「それに近似するか等しい距離感の画像」を選択する。
備考:その他の考慮事項
顔面の皮膚の「シワ–しわ–皺(wrinkle, rhytide; 年齢に関するものと表情の筋肉に関するものとで呼び分ける場合もある。かなり広い指示対象で見た目によるものは fold とも)」は、まぶた–目蓋–瞼(eyelid, La: palpebra)上部 (palpebra superior) のものが幼少から見られる実在人物が多いものの、それ以外のシワは若年層に多く見られづらいし、ある場合は薄い。
私自身の顔は、いわゆる「平行二重瞼」の傾向(反対に東アジア人などに普遍的で末広二重や奥二重や一重に統計的相関のある蒙古ひだ epicanthic fold も少し考えられる; 英語版Wikipedia oldid=941837871で"up to 90% in some estimations"と記されるようなもの)があるほか、額や眉間に少しだけシワのようなものがあったり、浮かびやすいし、頬のほうれい線も同様である。
シワというよりは影の一種として2015-03-05記事に示すような「ケツアゴ(割れ顎 cleft chin)」もある。
一般的な二次イラスト 2-ji でまぶた上部のシワは他のシワよりも描かれやすいが、形式に関しては、白人(ここでの指示対象はヨーロッパと中近東のコーカソイド)に比して鼻梁に近い位置の3分の1程度が描かれるものと、私がするように全体的に描くものと、全く描かれないものとで分かれてもいる。
「眉毛–まゆ毛(まゆげ eyebrow, La: supercilium)」は前頭骨の眼窩部 (orbital part of frontal bone, La: pars orbitalis ossis frontalis, 前頭骨は os frontale で眼窩は orbita) につく傾向にあるが、位置が高いか低いかの個人差が著しく見られる。
同じ毛色の場合の「視覚的な濃さ」は、毛の太さと長さと密度などで上下する。
人種論的な見解を含めて言うと、白人(先述の指示対象)は東アジア人よりも平均的に位置が低めで、個人間の太さの差が少ない。
東アジア人である私の顔についてはその白人タイプの方に近似する、と分析する。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は画風によって比較的低い年齢の人物の眉の位置を高めにする傾向がある。
私の萌え系イラストでは、他の萌え系イラストよりも実在人物の特徴に近づけ、全体の平均は比較的低い、と分析する。
目の「クマ–くま(目の隈 dark circles under eyes, periorbital dark circles)」が強めの顔には、そのクマの状態によって「彫り(ほり、顔の骨格に依存して立体感が生まれた状態)」が深く見える効果が考えられる。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は一時的変化または人物の属性(どちらでも睡眠不足の記号的表示が好例)を示すために誇張して描かれることがほとんどである。
私の萌え系イラストでは、特に意識してクマが描かれることは無い(反面、彫りを示すような影を眼窩の領域に付けることは多い)。
これら(および同等の考慮事項)を含めて検証したいときは、検証に用いるデータにその成分が出ている場合に、その範囲をラベリングするか注釈する方法がある。
これらを除いた場合のデータも用意して検証することも選択肢に入れる必要がある。
認知科学での説明
「認知科学での説明」には、研究者である私が近似する特徴としての具体例を示すべきであり、最初から断定的である姿勢は望ましくないと思う。
「近似する特徴」という前提で示される具体例は、断定的である場合よりも、例示の余裕があり、量を多くできる。
読者の多様な判断を促すうえで、「近似する特徴」という前提で多めに示そう。
具体例@(記事投稿日現在保留)
2019年9月28日 記憶に基づく実在人物の絵 二次ver. 三次ver.@
学術機関でのそれ(科研費の案件・研究課題)だと、何か社会的な調査を含めるかもしれない。
当の記事の後年の追記②で、「臨床的な手法」という言い方をしたことに当たる。
日本でいう「モニター調査・モニタリング *monitoring」という類があるが、英語圏で一般的にそういう言い方があるか不明である。
他にアンケート (enquête) とも言われる方法 (questionnaire; surveyの一種) がある。
誰か一定数の人々に、1人ずつ、具体例の二次ver.と三次ver.の類似性を尋ねる方法である。
特定の場所に人々を招くか、遠隔で人々に判断させる(類似性の判断に不自然な影響が入っていない必要がある)など、多少の形式の差がある。
手法としては、いわゆる定性的研究=質的調査 qualitative research の一種に入ると思う。
医学的に「エビデンスを取る」という言い回しをすると、それは定性的研究と定量的研究=量的調査 quantitative research とのどちらかは判然としない(英単語survey サーベイはどちらの意味にもなる>アンケート調査 vs. 測量・測定行為)。
混合研究法 (mixed methods research, multimethodology) という言い方がされるものもある。
「臨床的な手法」は、この研究に社会的要請がある場合に行えばよいと思う。
精神的作用からの「相対互換」
「相対互換」という言葉には、三次元ヒトもとい実在人物が二次元キャラの相貌の影響を受けることも含まれている。
これは、実在人物が知能を有している描く主体=見る主体=思う主体であり、その客体である絵を、主体が自ら認知する特徴に意識的でも無意識的でも似せることがあるのみならず、主体が客体である絵の顔つきに似てくることである。
そのような主体と客体との相互関係・互恵関係・相互依存ということを「兩萌相應(新字体:両萌相応)」とも呼ぶが、「兩萌相應」は宗教的な文脈でのみ使用したほうがよい。
絵を描く私が、人物の顔つきについて考察を深める中で、骨格・筋肉などが自身の理想に近似してゆく兆候を感じたことが含まれる。
主体が何を描く・見る・思うかによっては、その思いの対象である=客体である絵に相応した近似があるので、私が求める萌え系に限らず、他の人間・動物(イヌ等)・人間に似た謎の生命体(肌が黄色いアレ等)など、主体のヒトビトが異なって客体に似ることがある。
この趣旨は、2017年3月23日投稿記事『「念」による端正(たんじょう)な顔の利益 ~ 色心の相応』に様々な例示で説明されている。
そこで、私が小学生のころに世間の事物から意識的に感じていた事柄が示されてもいる。
これを定量的に研究するならば、膨大なデータ量とそのための時間とを必要とするであろう。
前提の設け方も色々とあるため、いくつかの説明方法も用意せねばならない。
手早く済ませたいならば、私の中学2・3年生の時の写真と、2016年以降の写真とを比較することで一旦の解決にする。
私の体脂肪率(特に顔面の皮下脂肪)は、それらの期間において恐らく大差なかろう。
起草日: 20190928
科学の後に、一般世間で広く利用できる技術があるとすれば、なおかつ、この研究が科学的であるとすれば、私が描く萌え系のための技術が開発できる。
例えば、似顔絵を描く際の「似ている似顔絵」・「似ていない似顔絵」の客観的な判断基準の設定に役立つ。
実践としては、特徴的な画風の中でのAさん・Bさんなどの顔つきの差異を「NさんよりはAさんっぽい・Bさんっぽい」などの相対性よりも「確実にAさんだ・Bさんだ」などの絶対性に近い判断が得られるような絵画の表現を実現するための補助の理論となる。
実在人物のコミカルな外見の表現でも、髪型や服装だけでなく人間的な特徴のうちで変化しづらい性質のある「顔つき」がそこでの人物の判別のために明確な特徴を発する。
正確にその絵画の技術もとい技法を用いるには、相当の慎重さを伴った丹念な方法が求められて困難であり、速い描画のためには天才的な才能が求められて困難であるとも思う。
コミカルなものなどは、性格に応じた表現(表情・セリフ・人物の外見全体による行動描写)などが人物の特徴として認知されやすく・描く者が意識するので、その方面では「二次・三次相対互換」の「スキーマにおける形式性の追求」は影響を与えづらいかもしれない。
他に、人物の表情を描画しやすく、他者から直観的に判別しやすく開発することを考えよう。
人物の多面的な表現を志向する、一部の漫画やイラストレーションなどのためには応用できる。
単純な図形の組み合わせによる表情の画風は原型たる人物と一時的な表情のヴァリエーションが少ないし、写実的な画風は人物の表情の反映が必ずしも直観的でない。
人工言語というと、音韻や文法に関して聞き取りやすく区別しやすいものや自然の現象を知覚・想起する脳内での主体と客体の関係を示しやすいものを目指す。
子音や母音の種類が少なすぎる (e.g. 10/3) と、実現しないことも多いか単語の音素単位・文字数が多くなる。
子音や母音の種類が多すぎる (e.g. 50/10) と、相互の区別が困難な音素が増える。
文法事項を反映した語形(屈折 inflection によるものなど)が多すぎると、習得が困難だったり日常的な使用に支障の出る人もいる。
過去記事に例示される人工言語エスペラントは、ヨーロッパの言語が基盤である(日本語L1のみで30年以上生きた人にとっては/l/ /r/や/h/ /x/の区別が困難かもしれない)とはいえ、ここら辺のバランスが望ましいし、信奉者が社会的な変化に多少の対応を努力する傾向もある。
言語には、論理性に加え、色々とユニバーサルなことやバリアフリーなことが求められよう。
しかしまた、多様性の観点では、日本語や英語などの自然言語において好まれる特徴も多いので(主要な自然言語は相互に通じやすくすべく合理化された部分・翻訳借用も多いが)、なかなか取り扱いは単純でない。
大衆的な絵も、人物に関しては表情の表現を描画しやすく判別しやすいものを目指すことが可能であるが、どのくらい追求されるべきか?
芸術のうちで限定的な領域であっても、模索したい人が模索することは望ましい。
結果的な反響や利益について、私は特に想定しない。
「楽語共調理論 symphonedy theory」など、情報技術の数学的原理・情報理論とさまざまな芸術行為に関する統括的な研究が考案される。
芸術の立場では、認知科学などの知見も取り入れることになる。
一個人である私がマルチに活動するとなると、どうにも疎通の説明が可能な研究が必要となる。
個別分野に関しては、当然、それらのローカルな知識(専門用語)や学問(パラダイム paradigm: "nomenclature, terminology, methodology"に差異がある・"incommensurability"がある)が伴うし、芸術分野も色々と説明がされていて一つの分野(例えば芸術>音楽>ポップス>ロック<器楽などが入れ子構造や二重支配を持ってもどれか一つ)に複数の流儀や解釈や説明がまかり通る。
それらが人間の行為と複数の人間に理解される知識と捉えられ、私は時間がかかっても学び取るだけの知能と精神とが必要になる。
その後、納得のいく検証・解明・説明を私が行おう。
説明には既存の概念に比較しづらいとき、紛らわしくない新たな造語を欲することは、科学哲学で有名な通約不可能性"incommensurability"を念頭に置いている。
例えば、言語学でノーム・チョムスキーさんが言った「言語能力 linguistic competence」という独自の用語・術語 (恐らく1965 Aspects of the Theory of Syntax か 1957 Syntactic Structures) は、文法が言語の基盤である前提にして(生成文法・普遍文法のモデル)言語と文法が生得的な能力である(彼の派閥は他の動物と共通する生物学的カテゴリに置くことを期す)という意味で言われたものの、一般的な形容詞と名詞の組み合わせであることから、社会的な能力 (ability) や経験的な知識 (knowledge) としての差別的な言語能力と解釈されやすく(チョムスキーさんは同時に ability に近い意味で linguistic performance も説明したろう)、人文科学・社会科学における一つの反省点である。
用語の使用と受容の不調和は、既存の主流な研究の妨げになったり、新たな・独特な研究に対する主流派からの容喙が及ぶなどで、相互に問題が起こる。
こうして音楽でも絵画でも、個々の理論を人間の行為の大局的な領域にまとめあげる作業がある。
一応、芸術分野の一つの解釈のために科学的方法論や知識の援用があるのみで、私の研究を科学に属すると立証する意図は無い。
研究の前提に、色々と科学や数学の方法論と知識と歴史とを学ぶ。
日本の大衆的な芸術分野の突破口を見つけ、国際化以上の価値を創出する一助にしたい。
専門分野との関連性は、奥行きや広がりを持たせる。
複数の分野の関係者間における相互理解の一助としても期待がある。
↑(一つ上)の段落は2019年10月2日以前に書かれたものである、と2020年3月7日に確認した。
当記事はそのように起草日から数日以内に大きく書かれて以後は、「必要な準備(数学の学習、学術的方法の検討、画像素材–図表の作成)」と「他のあらゆる作業–活動」のためにあまり加筆されないできた。
2020年2月下旬からは、内容の加筆が再開され、理論の基礎部分の再考を始めたりした。
「相対互換(相対的互換性とも)」という名は2016年当時に学術的な立場をあまり念頭に置かず、便宜的に付与した名称である。
「相互」をほぐしたような語彙として考案されたかもしれない。
現在までにこの理論を指した記述の数例を参照する:
互換性といえば英語で"compatibility"であり、形容詞は"compatible"であるが、行為名詞 (action noun, nomen actionis) や現在分詞と同形の動名詞 (gerund ジェランド) は無いように見える。
元はラテン語で「(誰かとともに苦しむ/憐れみを感じる」という意味の能動態 (active voice/aspect) しか無い自動詞の compatior である。
不定詞 compati と接尾辞-bilis が合わさったような語彙の派生語として、英語の形容詞"compatible"(「思いやりがありえる/できる」「同情できる」;任意の人物の持つ精神の機能という意味合いで。そこから「両立できる/互換性のある」)があろう。
過去能動分詞 compassus は「同情・哀れみ–憐れみ」のような意味の名詞 compassion の派生がある(いわゆるコンパス compass とは接頭辞con- = com- が共通しても関連性は無い)。
このような観点から「相対互換」という表現は、西洋語を念頭に置くときに扱いが困難である。
「相対互換」という表現の扱いが困難でなかったとしても、この記事の段階で私は「Aさんの顔つきの線」の話にあるような新しい説明の手段を持っている。
想像上の個人と仮定される顔の抽象的な類型区分を設定する方向にある。
変更案のために連想される語彙は何か?:
"facial similarity"…顔の類似性、相似性。曖昧さが強調される。
"graphical face indentity/identifying"…描写的な顔貌同一性/識別。
"individual face taxonomy"…個別顔貌分類法(分類学)。
"prosopoanalysis/prosopanalysis"…顔貌(相貌)分析(分析学)。πρόσωπον (prósōpon) + ἀνάλυσις (análusis) という古代ギリシャ語系の複合語。
"generative face perception"…生成的な顔貌の知覚/生成顔知覚。「考えられる注意点 2」も参照。
"anatomy of the neotenous/baby-faced appearance"…幼児のような外見/童顔の解剖学。この neoteny 語彙は生物学用語から派生した俗語–スラング slang の意味合い。いわゆる「二次元」の萌え系イラストの個別の分析と実験手法の側面に寄せて。
"moe-form/moeriform identification"…萌相識別(顔貌についての表現対象と表現結果との間の同一性の明示)。moeriform は moerus (萌えの典籍からの造語) + -forma (adv. -formis) というラテン語系の複合語。
改めて想起されるものが、2016年に動物を比喩的に萌え系イラストの類型区分に用いたことである。
Ld1. 2016-06-22で2015年12月15日の絵を載せた際の説明、Ld1. 2016-10-11で2016年8月28日から6日の複数の絵を1枚に載せた際の説明、同じく2016年9月4日の絵を載せた際の説明などの後、Bl. 2016-10-10で譬萌條という章に「五萌類『萌相を獣に譬ふ、狗・貓・猴・兔あり、鳥も擧ぐべきか』」が説かれたことを指す。
経線モデルで萌えの帯域にZ軸(海面からのプラスとマイナスの高度に当たる)方向の派生を設けたいならば、分類学的研究とそのMoella属の種または経度Numerus属(numerusは数学 n と同じ仮定なので実際にはラテン語の数詞またはアラビア数字を当てる。赤道からプラスとマイナスを仮定する場合は2-ji属と3-ji属とEquator属とを設ける)のmoerus種(前述のプラスとマイナス仮定ではnumerus種)の亜種か変種といった命名を伴うことが考えられる。
生物学の分類学や系統学を参考にした。
彼らの命名やラベリングは、現在に主流の分子系統学 (molecular phylogenetics) の場合に個体と考えられる個体間における分子的な差が特異でないと種の区分が生じない(属と科と目などについても種に代表される下位の区分の情報の蓄積に依拠している)。
歴史として、いきなりそういう高度なものではなく、先に古典的な形態の特徴の分析の後、難問が露出し、転回–パラダイムシフト paradigm shift が求められ、今も生物学には分子系統学の正しさを追究する努力があるのではないか。
この長くなりつつあるあとがき欄で、はじめに「私が描く萌え系のための技術」が開発できるという展望を示した。
技術開発の観点では、科学的研究もほどほどにして客観的特徴の心理的な決定と実用性を重んじ、既存の二次イラスト(3DCGモデルを含む)や三次写真を解釈して数々の属性 (property, properties) のラベリングを行うであろう。
自身の出力 (output) のための情報を整理して形式的に記述する。
さしずめ <eye size="middle" color="156°, 100%, 78%"> (color属性はここであえてHSL, HSVのようなもので心理的に表現;気に入らない方はRGB: 0, 200, 120; CIELab: 71.33, -60.18, 28.53とも) <eyelid fold="2" length="100%"> などの具合で客観的特徴の心理的な決定を行うが、これは、その実用を望む人自身がイメージについて自覚的である精神的努力の技術が同時に求められるかもしれない。
萌え系の鼻の表現では、鼻梁と鼻尖と鼻孔のいずれをどう強調するかなど、これも <nose> 要素の property または variant, variable または value として考慮できる。
あとは、音楽でいう楽譜からの楽器演奏またはMIDIファイルの再生のように、そのように記述されたものが他者の脳内またはプログラムの組まれた機械で変換されて出力されるなどもある。
目の「クマ–くま(目の隈 dark circles under eyes, periorbital dark circles)」が強めの顔には、そのクマの状態によって「彫り(ほり、顔の骨格に依存して立体感が生まれた状態)」が深く見える効果が考えられる。
これは実在人物–三次写真 3-ji の場合であり、一般的な二次イラスト 2-ji は一時的変化または人物の属性(どちらでも睡眠不足の記号的表示が好例)を示すために誇張して描かれることがほとんどである。
私の萌え系イラストでは、特に意識してクマが描かれることは無い(反面、彫りを示すような影を眼窩の領域に付けることは多い)。
これら(および同等の考慮事項)を含めて検証したいときは、検証に用いるデータにその成分が出ている場合に、その範囲をラベリングするか注釈する方法がある。
これらを除いた場合のデータも用意して検証することも選択肢に入れる必要がある。
認知科学での説明
「認知科学での説明」には、研究者である私が近似する特徴としての具体例を示すべきであり、最初から断定的である姿勢は望ましくないと思う。
「近似する特徴」という前提で示される具体例は、断定的である場合よりも、例示の余裕があり、量を多くできる。
読者の多様な判断を促すうえで、「近似する特徴」という前提で多めに示そう。
具体例@(記事投稿日現在保留)
2019年9月28日 記憶に基づく実在人物の絵 二次ver. 三次ver.@
学術機関でのそれ(科研費の案件・研究課題)だと、何か社会的な調査を含めるかもしれない。
当の記事の後年の追記②で、「臨床的な手法」という言い方をしたことに当たる。
日本でいう「モニター調査・モニタリング *monitoring」という類があるが、英語圏で一般的にそういう言い方があるか不明である。
他にアンケート (enquête) とも言われる方法 (questionnaire; surveyの一種) がある。
誰か一定数の人々に、1人ずつ、具体例の二次ver.と三次ver.の類似性を尋ねる方法である。
特定の場所に人々を招くか、遠隔で人々に判断させる(類似性の判断に不自然な影響が入っていない必要がある)など、多少の形式の差がある。
手法としては、いわゆる定性的研究=質的調査 qualitative research の一種に入ると思う。
医学的に「エビデンスを取る」という言い回しをすると、それは定性的研究と定量的研究=量的調査 quantitative research とのどちらかは判然としない(英単語survey サーベイはどちらの意味にもなる>アンケート調査 vs. 測量・測定行為)。
混合研究法 (mixed methods research, multimethodology) という言い方がされるものもある。
「臨床的な手法」は、この研究に社会的要請がある場合に行えばよいと思う。
精神的作用からの「相対互換」
「相対互換」という言葉には、三次元ヒトもとい実在人物が二次元キャラの相貌の影響を受けることも含まれている。
これは、実在人物が知能を有している描く主体=見る主体=思う主体であり、その客体である絵を、主体が自ら認知する特徴に意識的でも無意識的でも似せることがあるのみならず、主体が客体である絵の顔つきに似てくることである。
そのような主体と客体との相互関係・互恵関係・相互依存ということを「兩萌相應(新字体:両萌相応)」とも呼ぶが、「兩萌相應」は宗教的な文脈でのみ使用したほうがよい。
絵を描く私が、人物の顔つきについて考察を深める中で、骨格・筋肉などが自身の理想に近似してゆく兆候を感じたことが含まれる。
主体が何を描く・見る・思うかによっては、その思いの対象である=客体である絵に相応した近似があるので、私が求める萌え系に限らず、他の人間・動物(イヌ等)・人間に似た謎の生命体(肌が黄色いアレ等)など、主体のヒトビトが異なって客体に似ることがある。
この趣旨は、2017年3月23日投稿記事『「念」による端正(たんじょう)な顔の利益 ~ 色心の相応』に様々な例示で説明されている。
そこで、私が小学生のころに世間の事物から意識的に感じていた事柄が示されてもいる。
これを定量的に研究するならば、膨大なデータ量とそのための時間とを必要とするであろう。
前提の設け方も色々とあるため、いくつかの説明方法も用意せねばならない。
手早く済ませたいならば、私の中学2・3年生の時の写真と、2016年以降の写真とを比較することで一旦の解決にする。
私の体脂肪率(特に顔面の皮下脂肪)は、それらの期間において恐らく大差なかろう。
起草日: 20190928
科学の後に、一般世間で広く利用できる技術があるとすれば、なおかつ、この研究が科学的であるとすれば、私が描く萌え系のための技術が開発できる。
例えば、似顔絵を描く際の「似ている似顔絵」・「似ていない似顔絵」の客観的な判断基準の設定に役立つ。
実践としては、特徴的な画風の中でのAさん・Bさんなどの顔つきの差異を「NさんよりはAさんっぽい・Bさんっぽい」などの相対性よりも「確実にAさんだ・Bさんだ」などの絶対性に近い判断が得られるような絵画の表現を実現するための補助の理論となる。
実在人物のコミカルな外見の表現でも、髪型や服装だけでなく人間的な特徴のうちで変化しづらい性質のある「顔つき」がそこでの人物の判別のために明確な特徴を発する。
正確にその絵画の技術もとい技法を用いるには、相当の慎重さを伴った丹念な方法が求められて困難であり、速い描画のためには天才的な才能が求められて困難であるとも思う。
コミカルなものなどは、性格に応じた表現(表情・セリフ・人物の外見全体による行動描写)などが人物の特徴として認知されやすく・描く者が意識するので、その方面では「二次・三次相対互換」の「スキーマにおける形式性の追求」は影響を与えづらいかもしれない。
他に、人物の表情を描画しやすく、他者から直観的に判別しやすく開発することを考えよう。
人物の多面的な表現を志向する、一部の漫画やイラストレーションなどのためには応用できる。
単純な図形の組み合わせによる表情の画風は原型たる人物と一時的な表情のヴァリエーションが少ないし、写実的な画風は人物の表情の反映が必ずしも直観的でない。
人工言語というと、音韻や文法に関して聞き取りやすく区別しやすいものや自然の現象を知覚・想起する脳内での主体と客体の関係を示しやすいものを目指す。
子音や母音の種類が少なすぎる (e.g. 10/3) と、実現しないことも多いか単語の音素単位・文字数が多くなる。
子音や母音の種類が多すぎる (e.g. 50/10) と、相互の区別が困難な音素が増える。
文法事項を反映した語形(屈折 inflection によるものなど)が多すぎると、習得が困難だったり日常的な使用に支障の出る人もいる。
過去記事に例示される人工言語エスペラントは、ヨーロッパの言語が基盤である(日本語L1のみで30年以上生きた人にとっては/l/ /r/や/h/ /x/の区別が困難かもしれない)とはいえ、ここら辺のバランスが望ましいし、信奉者が社会的な変化に多少の対応を努力する傾向もある。
言語には、論理性に加え、色々とユニバーサルなことやバリアフリーなことが求められよう。
しかしまた、多様性の観点では、日本語や英語などの自然言語において好まれる特徴も多いので(主要な自然言語は相互に通じやすくすべく合理化された部分・翻訳借用も多いが)、なかなか取り扱いは単純でない。
大衆的な絵も、人物に関しては表情の表現を描画しやすく判別しやすいものを目指すことが可能であるが、どのくらい追求されるべきか?
芸術のうちで限定的な領域であっても、模索したい人が模索することは望ましい。
結果的な反響や利益について、私は特に想定しない。
「楽語共調理論 symphonedy theory」など、情報技術の数学的原理・情報理論とさまざまな芸術行為に関する統括的な研究が考案される。
芸術の立場では、認知科学などの知見も取り入れることになる。
一個人である私がマルチに活動するとなると、どうにも疎通の説明が可能な研究が必要となる。
個別分野に関しては、当然、それらのローカルな知識(専門用語)や学問(パラダイム paradigm: "nomenclature, terminology, methodology"に差異がある・"incommensurability"がある)が伴うし、芸術分野も色々と説明がされていて一つの分野(例えば芸術>音楽>ポップス>ロック<器楽などが入れ子構造や二重支配を持ってもどれか一つ)に複数の流儀や解釈や説明がまかり通る。
それらが人間の行為と複数の人間に理解される知識と捉えられ、私は時間がかかっても学び取るだけの知能と精神とが必要になる。
その後、納得のいく検証・解明・説明を私が行おう。
説明には既存の概念に比較しづらいとき、紛らわしくない新たな造語を欲することは、科学哲学で有名な通約不可能性"incommensurability"を念頭に置いている。
例えば、言語学でノーム・チョムスキーさんが言った「言語能力 linguistic competence」という独自の用語・術語 (恐らく1965 Aspects of the Theory of Syntax か 1957 Syntactic Structures) は、文法が言語の基盤である前提にして(生成文法・普遍文法のモデル)言語と文法が生得的な能力である(彼の派閥は他の動物と共通する生物学的カテゴリに置くことを期す)という意味で言われたものの、一般的な形容詞と名詞の組み合わせであることから、社会的な能力 (ability) や経験的な知識 (knowledge) としての差別的な言語能力と解釈されやすく(チョムスキーさんは同時に ability に近い意味で linguistic performance も説明したろう)、人文科学・社会科学における一つの反省点である。
用語の使用と受容の不調和は、既存の主流な研究の妨げになったり、新たな・独特な研究に対する主流派からの容喙が及ぶなどで、相互に問題が起こる。
こうして音楽でも絵画でも、個々の理論を人間の行為の大局的な領域にまとめあげる作業がある。
一応、芸術分野の一つの解釈のために科学的方法論や知識の援用があるのみで、私の研究を科学に属すると立証する意図は無い。
研究の前提に、色々と科学や数学の方法論と知識と歴史とを学ぶ。
日本の大衆的な芸術分野の突破口を見つけ、国際化以上の価値を創出する一助にしたい。
専門分野との関連性は、奥行きや広がりを持たせる。
複数の分野の関係者間における相互理解の一助としても期待がある。
↑(一つ上)の段落は2019年10月2日以前に書かれたものである、と2020年3月7日に確認した。
当記事はそのように起草日から数日以内に大きく書かれて以後は、「必要な準備(数学の学習、学術的方法の検討、画像素材–図表の作成)」と「他のあらゆる作業–活動」のためにあまり加筆されないできた。
2020年2月下旬からは、内容の加筆が再開され、理論の基礎部分の再考を始めたりした。
「相対互換(相対的互換性とも)」という名は2016年当時に学術的な立場をあまり念頭に置かず、便宜的に付与した名称である。
「相互」をほぐしたような語彙として考案されたかもしれない。
現在までにこの理論を指した記述の数例を参照する:
それで、記憶に似つき、相対的互換性理論に適っているかといえば、然程でもないが、実在のS・芽生ちゃんとは別物と思えば、別物として良しと言える。—Ld1. 2016-07-01
女児Sのイメージを、どうにかして絵として完璧に表現できることを望みながら、懲りずに描いた。(中略。なお「S・芽生」と「女児S = Y.S.」は別人物)「二次三次相対互換」の様々な理論や、イメージを表現する際の経験的基準を用いても、技能的な問題が強いためか、なかなか望み通りとならない、と見ている。—Ld1. 2018-05-05
萌え系の人物の相貌に関する「実在の美人の相貌との相対的相似(近似)」を「二次三次相対互換」として2015年から考察を始めた。—Ld1. 2019-08-19
互換性といえば英語で"compatibility"であり、形容詞は"compatible"であるが、行為名詞 (action noun, nomen actionis) や現在分詞と同形の動名詞 (gerund ジェランド) は無いように見える。
元はラテン語で「(誰かとともに苦しむ/憐れみを感じる」という意味の能動態 (active voice/aspect) しか無い自動詞の compatior である。
不定詞 compati と接尾辞-bilis が合わさったような語彙の派生語として、英語の形容詞"compatible"(「思いやりがありえる/できる」「同情できる」;任意の人物の持つ精神の機能という意味合いで。そこから「両立できる/互換性のある」)があろう。
過去能動分詞 compassus は「同情・哀れみ–憐れみ」のような意味の名詞 compassion の派生がある(いわゆるコンパス compass とは接頭辞con- = com- が共通しても関連性は無い)。
このような観点から「相対互換」という表現は、西洋語を念頭に置くときに扱いが困難である。
「相対互換」という表現の扱いが困難でなかったとしても、この記事の段階で私は「Aさんの顔つきの線」の話にあるような新しい説明の手段を持っている。
想像上の個人と仮定される顔の抽象的な類型区分を設定する方向にある。
変更案のために連想される語彙は何か?:
"facial similarity"…顔の類似性、相似性。曖昧さが強調される。
"graphical face indentity/identifying"…描写的な顔貌同一性/識別。
"individual face taxonomy"…個別顔貌分類法(分類学)。
"prosopoanalysis/prosopanalysis"…顔貌(相貌)分析(分析学)。πρόσωπον (prósōpon) + ἀνάλυσις (análusis) という古代ギリシャ語系の複合語。
"generative face perception"…生成的な顔貌の知覚/生成顔知覚。「考えられる注意点 2」も参照。
"anatomy of the neotenous/baby-faced appearance"…幼児のような外見/童顔の解剖学。この neoteny 語彙は生物学用語から派生した俗語–スラング slang の意味合い。いわゆる「二次元」の萌え系イラストの個別の分析と実験手法の側面に寄せて。
"moe-form/moeriform identification"…萌相識別(顔貌についての表現対象と表現結果との間の同一性の明示)。moeriform は moerus (萌えの典籍からの造語) + -forma (adv. -formis) というラテン語系の複合語。
改めて想起されるものが、2016年に動物を比喩的に萌え系イラストの類型区分に用いたことである。
Ld1. 2016-06-22で2015年12月15日の絵を載せた際の説明、Ld1. 2016-10-11で2016年8月28日から6日の複数の絵を1枚に載せた際の説明、同じく2016年9月4日の絵を載せた際の説明などの後、Bl. 2016-10-10で譬萌條という章に「五萌類『萌相を獣に譬ふ、狗・貓・猴・兔あり、鳥も擧ぐべきか』」が説かれたことを指す。
経線モデルで萌えの帯域にZ軸(海面からのプラスとマイナスの高度に当たる)方向の派生を設けたいならば、分類学的研究とそのMoella属の種または経度Numerus属(numerusは数学 n と同じ仮定なので実際にはラテン語の数詞またはアラビア数字を当てる。赤道からプラスとマイナスを仮定する場合は2-ji属と3-ji属とEquator属とを設ける)のmoerus種(前述のプラスとマイナス仮定ではnumerus種)の亜種か変種といった命名を伴うことが考えられる。
生物学の分類学や系統学を参考にした。
彼らの命名やラベリングは、現在に主流の分子系統学 (molecular phylogenetics) の場合に個体と考えられる個体間における分子的な差が特異でないと種の区分が生じない(属と科と目などについても種に代表される下位の区分の情報の蓄積に依拠している)。
歴史として、いきなりそういう高度なものではなく、先に古典的な形態の特徴の分析の後、難問が露出し、転回–パラダイムシフト paradigm shift が求められ、今も生物学には分子系統学の正しさを追究する努力があるのではないか。
この長くなりつつあるあとがき欄で、はじめに「私が描く萌え系のための技術」が開発できるという展望を示した。
技術開発の観点では、科学的研究もほどほどにして客観的特徴の心理的な決定と実用性を重んじ、既存の二次イラスト(3DCGモデルを含む)や三次写真を解釈して数々の属性 (property, properties) のラベリングを行うであろう。
自身の出力 (output) のための情報を整理して形式的に記述する。
さしずめ <eye size="middle" color="156°, 100%, 78%"> (color属性はここであえてHSL, HSVのようなもので心理的に表現;気に入らない方はRGB: 0, 200, 120; CIELab: 71.33, -60.18, 28.53とも) <eyelid fold="2" length="100%"> などの具合で客観的特徴の心理的な決定を行うが、これは、その実用を望む人自身がイメージについて自覚的である精神的努力の技術が同時に求められるかもしれない。
萌え系の鼻の表現では、鼻梁と鼻尖と鼻孔のいずれをどう強調するかなど、これも <nose> 要素の property または variant, variable または value として考慮できる。
あとは、音楽でいう楽譜からの楽器演奏またはMIDIファイルの再生のように、そのように記述されたものが他者の脳内またはプログラムの組まれた機械で変換されて出力されるなどもある。
2020年3月11日水曜日
楽語共調理論の拡大, 反対の仮想–反例, 自己反証
以下の記事は「楽語共調理論 symphonedy theory」の導入や入門として書かれ、日本語の5母音 (the 5 vowels in modern Japanese) を中心として説明した。
その当時でさえも英語などの西洋言語を比較に用いている。
2019年4月6日投稿『母音の広狭と音高の上下に関する実験の意図で作詞した ~ 楽語共調理論 入門』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/04/symphonedy-vowel-pitch.html
当記事では、日本語の5母音の見直しを、音声学的に可能な人間の言語のあらゆる母音と比較・対照することで論じる。
まず、先の記事で言うような「二分・三分」の方法によれば:
口の広狭(舌の低高)"height": あ /a/ = 広母音(低母音)、え・お /e, o/ = 中母音(中央母音)、い・う /i, u/ = 狭母音(高母音)
舌の位置の前後"backness": え・い /e, i/ = 前舌母音、あ /a/ = 中舌母音、お・う /o, u/ = 後舌母音
唇の円さ"roundedness": え・い /e, i/ = 円唇母音、あ・お・う /a, o, u/ = 非円唇母音(平唇母音)
となる。
5母音はその方法の区分から、右の図のように配列される。
これを音楽の歌詞におけるメロディのノートの音高(ピッチ pitch)に対応するものと見る場合、図の中の:上に位置するほど高い音高のノートに当たり、下に位置するほど低い音高のノートに当たるとした。
これらは絶対的なノートの音高の高低よりも、相対的なノートの音高の高低に対して適用されることを主張してもいる。
相対的とは、特に、前のノートの音高に対するものとして考える。
日本語に対する楽語共調理論の拡大案
先の記事で、イ段・い段の発音 /C + u/ を狭母音に区分しながら規範的に対応するノートの音高が低い必要を示したが、これは形式的な一面の説明であった。
い段の発音は、前舌母音・非円唇母音でもあることから、え段 /C + u/ と同様に第二フォルマント F2 の周波数が高い部類にあるばかりか、最も高くもある。
そのため、い段の発音のもう一つの側面として、前のノートの音高よりもノートの音高が高い場合にも用いることができると言える。
当時にも、そのように許容する案が示されていた。
その当時でさえも英語などの西洋言語を比較に用いている。
2019年4月6日投稿『母音の広狭と音高の上下に関する実験の意図で作詞した ~ 楽語共調理論 入門』
https://lesbophilia.blogspot.com/2019/04/symphonedy-vowel-pitch.html
当記事では、日本語の5母音の見直しを、音声学的に可能な人間の言語のあらゆる母音と比較・対照することで論じる。
まず、先の記事で言うような「二分・三分」の方法によれば:
口の広狭(舌の低高)"height": あ /a/ = 広母音(低母音)、え・お /e, o/ = 中母音(中央母音)、い・う /i, u/ = 狭母音(高母音)
舌の位置の前後"backness": え・い /e, i/ = 前舌母音、あ /a/ = 中舌母音、お・う /o, u/ = 後舌母音
唇の円さ"roundedness": え・い /e, i/ = 円唇母音、あ・お・う /a, o, u/ = 非円唇母音(平唇母音)
となる。
![]() |
| (先の記事所載)言語発音全般の母音の特徴で 日本語における「あ・い・う・え・お」の5母音を示す図 □ |
これを音楽の歌詞におけるメロディのノートの音高(ピッチ pitch)に対応するものと見る場合、図の中の:上に位置するほど高い音高のノートに当たり、下に位置するほど低い音高のノートに当たるとした。
これらは絶対的なノートの音高の高低よりも、相対的なノートの音高の高低に対して適用されることを主張してもいる。
相対的とは、特に、前のノートの音高に対するものとして考える。
日本語に対する楽語共調理論の拡大案
先の記事で、イ段・い段の発音 /C + u/ を狭母音に区分しながら規範的に対応するノートの音高が低い必要を示したが、これは形式的な一面の説明であった。
い段の発音は、前舌母音・非円唇母音でもあることから、え段 /C + u/ と同様に第二フォルマント F2 の周波数が高い部類にあるばかりか、最も高くもある。
そのため、い段の発音のもう一つの側面として、前のノートの音高よりもノートの音高が高い場合にも用いることができると言える。
当時にも、そのように許容する案が示されていた。
母音の広狭はあくまでもF1に関連するものであり、F2の存在を加味するならば舌の前後についても考慮できる。「い」の音(近似 [i])は既に示されるように、F1 = 240 Hz, F2 = 2400 Hz (差異 2160 Hz) であり、実は高い音に当てることもできる。これは後述の「2017年3月10日>交差点」における「つかり↑、ぱたり↓」という歌詞の「り"ri"」同士の異なりや、「2017年4月24日>曲名未定」の「はれとき↑どき、あめのひ↑には…」という歌詞の「とき"toki", のひ"nohi"」の両者が「お o」モーラから連なる「い i」モーラが突きあがるような音高で発せられることなど…(後略)※フォルマント値は当該記事に"Catford, J. C. (1988)"の情報、と参照されている。私自身の調査目的では別にサウンドスペクトログラムを用いることもしている。
先の記事で、ウ段・う段の発音 /C + u/ を狭母音や円唇母音に区分しながらも、「実際の現代人発音は/ɯ/平たい唇・/u/円い唇よりも中間的であり、極端な唇の動きとならない」と2018年の記述を引用し、現実的には曖昧な調音方法と聴こえであるとした。
先の記事で、そういった理由から『「う(円唇)・い(非円唇)」は、共に狭母音であるとしても、西洋言語発音にならえば円唇・非円唇の相違性=唇の円さの動きが典型的に現れる音であるため、個性的である』と記し、楽語共調理論に基づく日本語の歌において音価 [u] を仮想することを示している。
これに関して拡大の案がある。
う段の発音は、現代日本語の一般的な発音でされる場合を許すならば、それがい段の発音に近くもある。
そのため、い段の発音に近い分だけ、ノートの音高が前のノートの音高よりも少し高い場合にも用いることができると言える。
この場合にう段の発音もとい音素母音う /u, ɯ/ は、シュワーともいえる曖昧母音として捉えることもできる。
それは、外国語借用語の二重子音・閉音節で /p, b, k, g, f, v/ といった子音がう段 /C + u/ に置換されることの一つの解釈でもある。
※日本語での話。言語ごとに選択性がある。スワヒリ語では /a/ (音声実現としては曖昧系?) キクユ語では /u/ だったり (cf. thukuru from en: school)、朝鮮語では /eu/ = /ɯ/ だったり (cf. 스트레이트 seuteureiteu from en: straight) することを考慮した方がよい。言語によっては前後の母音から移る例も多く、キクユ語の borithi は英語 police から借用された(語末閉音節が同じ母音で新しい音節を形成した)ものであり、日本語でも一色"isshiki" vs. "isshoku"、テキスト・テクスト"tekisuto" vs. "tekusuto"、マキシ・マックス"makishi" vs. "makkusu" (これのみ原語で異なる語句である点に注意) などに比較される。この注釈事項は2019年8月10日投稿記事『言語における科学性の多面的な説明』にも説明された。日本語の例にトロッコ・トラック"torokko" vs. "torakku"などもある。サンスクリット→パーリの成節子音 ṛ の母音変化例 (mṛta-mata, ṛṣi-isi) も参照。なお、これは音韻論的現象の側面を示すものであり、キリバス語の Kiribati(キリバスィ)が Gilbert(ギルバート 形容詞でGilbertese)に由来すること(同様にキリスィマスィ Kiritimati はクリスマス Christmas)などは原語の語末の閉音節の母音 (ここでaおよびer) と新たに語末に付加される母音 (ここでi) との関係がうまく明示しづらい。場合によってイタリア語男性名詞のsing. -o, plu. -i などの屈折語における形態の文法的機能を考える必要もあることに注意されたい。注釈対象の本文の話に戻すと、言うまでもなく /t/ た行は /tu/ が相補分布などで本来の破裂音から破擦音となっており [to] を用いるなど行ごとに例外もある。/z, j/ ざ行・じゃ行は英語の有声後部歯茎破擦音 [dʒ] とフランス語の有声後部歯茎摩擦音 [ʒ] に用いられるが、イメージ (image), オマージュ (hommage) といった音写のジ・ジュ "ji" vs."ju"の差があるなど、恣意的な側面にも注意されたい。
こうした拡大案が許容されるならば、う段の音は日本人がう段の音と知覚できる限りは微細な区別を適用できる。
他の発音も同様に、便宜的な変更がありうる。
例えば:
え段 /C + e/ ・お段 /C + o/ の音は、広狭について中央母音 (mid vowels [e̞, o̞]) の他に半広母音・半狭母音 (open-mid vowels [ɛ, ɔ], close-mid vowels [e, o]) にする選択肢を持つ。
あ段 /C + a/ の音は、舌の前後について中舌母音 (central vowel [ä]) の他に前舌母音・後舌母音 (front vowel [a], back vowel [ɒ]) にする選択肢や、広狭について広母音(open vowel [ä]) の他に狭めの広母音 (near-open vowels [æ, ɐ]) にする選択肢を持つ。
い段・う段の音についても、あ段の反対で広めの狭母音 (near-close vowels [ɪ, ʊ]) を用いる選択肢を持つ。
そうすると「日本語の日本語らしさが崩される」と、現代における保守的な立場からは疑問視を受けると思う。
しかし、現代日本語に至る歴史的変遷の観点、または現代日本における方言の発音の差異など様々な事項の考慮によって、歌唱用の発音における便宜的な変更は日本語に悪影響を及ぼさないと思う。
いわば水道水の塩素系消毒剤、街中の排気ガスの蔓延などの現象の言語版があり、それが既に世間の大衆文化に見られる。
文学の修辞や著名人の発言や大衆音楽の歌唱の不自然さ・・・。
それらに比して、私は規範を意識しながら規範以外の方法を用い、必要に応じて規範を明示する用意がある。
教育や倫理の観点も多々考慮しながら、私の創作がされてきている。
話が脱線しそうであるが、楽語共調理論は「学問知識を用いた芸術の技法の一種」であろうが、最終的に大衆文化の再検討と創出とを視野に入れて問題のない作りであると考える。
どちらにしても、外国語発音についての豊富な知識と経験のある者が、理論的に日本語の歌唱の発音を検証しなおして彼自身の納得・自己満足に繋がる必要がある。
あ段 /C + a/ の音は、先に挙げられた「便宜的な変更」の例に加えていない案もある。
「~た(現代語の過去形/完了形の助動詞の終止形。連体形を含む)」「~ら(現代語の動詞の未然形/已然形/仮定形に伴う形態)、~ば(仮定の助詞)」のような歌詞の一区切りの部分で登場するものが、その歌唱の音符–ノートの音高–ピッチが相対的に下がっているものがある。
そのように「相対的に低い/下の音高」でありながら広母音の音素が登場することが避けられない場合、口の広狭(舌の低高)を中性化するなどで負の効果を低減させる方法が提示できる。
この歌唱の際の母音は [ɐ] (near-open central vowel) や [ɜ] (open-mid central unrounded vowel) [ʌ] (open-mid back unrounded vowel) に近似する。
既存の例でさえも、日本のポップスでそのような発音はよく聴かれている。
それらの歌い手または音楽的監督者は、明瞭に「-ア [ä]」を発する場面を制限している、とは踏み込んだ言い方になる。
認知的「ん /N/」と成節子音 [m̩] [n̩] [l̩]
先の記事で、日本語音韻論でいう「撥音」について以下のように記した;
当時の私にとって、 /n, N/ は閉音節と二重子音の形でのみ歌唱において実現されてほしいということであったし、一般的な母音と比べてフォルマント研究が一般的でないことから、先の記事で考察の対象としなかった。
この「撥音」は、前後の音の如何によって多くの音声実現があり、音声学的子音だけでなく、鼻母音 (nasal vowel/vowels) の多くの種類も含まれていると分析がされる:
@
これらと、成節子音 (syllabic consonant; ~共鳴音、~響音 -sonorant, -sonant) である [r̩] [m̩] [n̩] [l̩] のフォルマントに関しても、何かしら解析される必要があろう。
私の肉声で録音した後に、スペクトログラム画像を載せるなどする。
行っていない段階で、私の感性に依拠して推定すると、:「撥音」のうち成節子音である [n̩] や [l̩] は三角波 (triangle wave) に近似しつつ肉声の実現としては [u] よりも更にF1, F2 の関係が狭まるか低くなるなどする。
それで私は、[u] のためよりも低い音高のノートに使いやすいと思う。
反対の仮想の手段
先の記事で以下のように記した内容は、いくつもの示唆に富んでいる。
ここから読み取れる話は、楽語共調理論の数学的原理・数理モデルがそのまま現実の人間の認知 (cognition) に比例する結果を持っていないということである。
以上の引用の最後に、「広母音か狭母音か中央母音といった何かしらの母音のモーラのみで1曲の歌詞(最低50モーラ以上)を構成する」という、発音と意味との両方とも違和感の伴う歌詞の仮想が例示される。
そのような作詞は、楽語共調理論の反対の仮想に資すると思うので、是非、試していただきたい。
当記事では一つ、それを作って載せる。
まず、音楽ではなく言語発音の回顧を試そう。
「あいうえお・かきくけこ a i u e o, ka ki ku ke ko」の時の高低アクセント (pitch accent) を思い出そう。
この高低アクセントは、大概の人にとってそのまま「いえあおう i e a o u」や「かけきこく ka ke ki ko ku」といったアナグラム(音節・モーラ単位)に適用しうるものと思う。
「あいうえお・かきくけこ・いえあおう・かけきこく」はいずれも、私にとって「ウクライナ [ùkúráꜜìnà](中高型。中高は少し揺れもあるがパレスチナも同様)」と同じであるが、「アルバニア・アルメニア・エストニア [èsútóníá]・リトアニア [rìtóáníá]・ポルトガル [pòrútógárú](平板型)」と異なると思う。
もし適用されるならば、現代日本語の高低アクセントの認知が話者の深層に達していることの表象と考えられる。
続いて、中世の日本の和歌の「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月(明恵上人による短歌;和歌の愛好家はスペースで区切ることを好まないのでここでも区切らずにおいた)」を詠んでもらいたい。
「あかあかや」という5拍(5モーラ)一句が先の、日本語アクセント論での平板型「アルバニア・アルメニア・エストニア・リトアニア・ポルトガル」の音高(ピッチ)で詠まれることは、多くの日本人において有り得ず、和歌には和歌のための音高が適用されて短歌5-7-5-7-7や俳句5-7-5といった種々の拍数の和歌が詠まれる。
楽語共調理論と反対に、これは母音が何であるかを問わない自然現象を示している。
こうして、音楽のノートの音高の上下の周波数に、母音の広狭などによるフォルマント値の関係を見出すことは無理であるという「反対の仮想」も可能になる。
その反論としては「言語音声の高低アクセント(日本語など)や声調-トーン(中国語・バントゥー諸語など)やイントネーション(ほぼ全言語)は楽語共調理論の考察対象でない」となる。
そのまた反論としては「楽語共調理論の考察対象のうちにもし人間の認知機能があるならば、その認知において言語音声の高低アクセントやトーンやイントネーションの知識が潜在的に好悪種々の影響を持ちうるので少しは判断材料に加える方がよい」となる。
現状では、たとえ数学的原理に偏るとしても、基盤の研究として数学的原理や自然現象(ここでは人間の可聴の音=音波・音響)の数理モデルが優先されるのだ、と言おう。
全てが広母音の歌詞を示す。
この広母音とは:第一に標準的な日本語の [ä] 音声のみに制限される必要があり、第二に断り付きで聴き心地のよさを目的とする他の音素 /a/ と知覚される母音音声を混ぜること (e.g. 英語 banana, katana /kəˈtɑnə/, Panama /ˈpæn.ə.mɑː/ のようなものをスペース分かち書きごとに適用してみたければどうぞ断り付きでなさるように) が可能である。
記事の目的のために、歌詞の意味や文法へ注釈の必要を感じないが、一点言うと、動詞の活用形は一部の未然形以外が不能であるため、これで他の活用や連用形名詞化・連体形分詞用法などを行うことになる。
既存の歌詞つき楽曲「交差点」の替え歌であり、そのメロディで歌う:
赤坂宝刀 akasaka takara katana,
頭は八幡高菜 atama wa yawata takana,
貴方が語らばまだ花だ anata ga kataraba mada hana da,
夜叉は魔羅から欠かな yasha wa mara kara kakana,
中々長や坂や nakanaka nagaya sakaya,
渡らば川は赤や wataraba kawa wa akaya,
偶々誤りゃ明かさな tamatama ayamarya akasana,
性は幻な間差だ彼場帰処 saga wa maya na masa da aba sarana,
肩下がらば kata sagaraba,
業無や薔薇香有らや waza naya baraka araya,
また利関わや mata kaga kakawaya,
何一切可分 ka sabata wakaya, (これのみ意味を注釈すると便宜的にパーリ語を混ぜた和語かつ全て長短無き広母音ということになる:分別されるべき普遍性は何か?{ का सब्बता √分+fem.ईय })
相良ジャワ鎌 sagara jawa kama,
カナダ七夕名は長かな kanada tanabata na wa naga kana,
綿か藁か束か棚田か wata ka wara ka taba ka tanada ka,
誰が屋墓場 tagaya hakaba,
沙門ならばだ空だ機会時間 samana naraba da kara da samaya kala.
楽語共調理論の立場で、これ(「交差点」の替え歌)を聴くならば、メロディライン・ボーカルフレーズの音高に不調和な歌詞が乗っていることになる。
多くの人にとって「交差点」の歌詞とこの替え歌の歌詞とのどちらがメロディを妨げないものか、考えてもらうことが、楽語共調理論において、一つの社会科学的な見地での検証法である。
非日本語話者の場合(未収得言語での歌詞を聴くこと)はともかく、日本語話者はどうしても言語音声から意味を想起するであろうという、意味の有無に関する問題(cf. 生成文法など言語学で有名な"Colorless green ideas sleep furiously"; 意味が無いまま文法が成り立つモデルとして考案された例)も慎重になるが、今は論じない。
先の和歌「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」ついても、和歌のための音高・ピッチが日本人に定着していることを示すものであって音楽の歌の比較に用いられると思う。
逆に「あかあかや... (月までの計29モーラ)」の音高を平板・平坦にして詠んでみる方法をすれば、これは楽語共調理論の立場での仮想になる。
上記の、「全てが広母音の歌詞」においては子音フォルマントの方も考察してみる価値はある。
「肩 kata」の部分を「束 taba」に置き換えてどちらが任意のメロディの相対的な音高もとい音程に適しているか、と考えるようなことである。
聞く側よりは歌う側の調音部位(主に子音ごとの動作の特徴を持った舌や唇)の運動に関する心地よさに関わる可能性も、仮想の手段になる。
あくまでもその「特殊な歌詞」のためであれば、「子音のフォルマント」は現状で楽語共調理論の説明対象に無い事項である。
ノートの音高側に合わせて認知的「あ /a/」の音声実現を変更することも考察してみる価値はある。
先の記事に以下の説明がある:
音高の上下を母音で認知する際の母語音韻の影響&個人差
日本人は日本語の基本的な5母音が、「手に取る範囲にある」ように、音高の上下の母音に対する認知に用いやすい。
決して英語の音韻論における英語の母音 (e.g. [æ], [ɪ]) を浮かべないであろうが、英語に堪能な人であれば十分にありうる。
私の場合、音声学の知識が深いので、色々な母音の選択肢を持っている。
それは多言語的であるために個別言語の虚無にも類する。
しかし、母語は母語として影響が大きいし、多言語のためには個別言語の「音韻パック(セット)」というものも用意されている。
そこに、「日本語スイッチ」や「英語スイッチ」を設け、出力を切り替え、聴いているメロディフレーズを色々な母音で自然に認知することになる。
自分で作詞する際は、何度も音楽の作詞の型になるボーカル用メロディフレーズを聴き直して広い選択肢から吟味する。
それにしても日本の子供がモーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart) の Eine kleine Nachtmusik (I. Allegro) を聴いて最初のフレーズを"baka, aho, doji, manuke"と言語音声に変換する現象は、"baka"以外の語の母音の広狭が割と認知的ノート単位の音高・音程に通じている。
考え方の一例に、2音ごとに区切って解析すれば、"ba-ka"/a-a/ノート音高は上–下、"a-ho"/a-o/ノート音高は上–下、"do-ji"/o-i/ノート音高は上–下、こじつけになるかもしれないが"ma-nu-ke"に関しては前の"ji"を合わせて"ji-ma"と"nu-ke"に変えてこれらの音高のノートは下–上、下–上という具合に相対的な上下の解析ができることを、ここで言いたかった。
恣意的な側面もあるが、考え方の一例で示した。
この場合は、「ニノート間解析 (dual note analysis または interbinote analysis)」とでも呼ぶことになり、元の記事に「『母音の広狭と音高の上下』の基本を簡潔に言えば、広母音モーラが相対的に音高・ピッチとして高いノートであり、狭母音モーラが相対的に音高・ピッチとして低いノートである」と記した「相対的な音高」の解析の基本的な手段に当たる。
ついでに言うと、同じ音高の歌詞ノートでは「中」または「平」とする。
この Eine kleine Nachtmusik 以外に知られる、歌詞なしメロディに対する日本語での空耳の例:「らららコッペパン(らき✩すた 劇中BGMに対するもの, ネット上では作品ヒロインがチョココロネを持つシーンの改編でコッペパンを持つ画像が見られ、作中にコッペパンは登場しない)」、「金のごまだれ(小林明子「恋におちて -Fall in love-」のイントロのメロディに対するネット上での空耳の例だと思ったが、TV CMでの替え歌が発祥らしく違う)」、「デデドン!(Nash Music Library の作品の一つに対するもの、子音に関してオケヒの音ではよくダ行音が当てられる)」
音楽以外のメロディ様の音に対する日本語での空耳の例:「カッコー(かっこう、カッコウ、鳥 Cuculus canorus の鳴き声の擬声語)」、「ホーホケキョ(ウグイス、鶯、鳥 Horornis diphone の鳴き声;現代日本語では声門と軟口蓋という調音位置の近い子音を使うが、江戸時代の途中まではホが両唇音であったと思われるが、子音は楽語共調理論と関連しないし音声学を議題にしているのでないために問題視しない;「法華経」に託した名前であると考えられるので、確かに例として引用するには不適切に思われる)」
音楽以外では、救急車に対する「ピーポーピーポー」や「ピーポーパーポー」といった擬音語は、先の高い1つのピッチが「ピー /piː/」や「パー /paː/」などとF1, もしくはF2 のピッチが最も高い母音で表現され、後の低い1つのピッチが「ポー /poː/」とF1, F2のピッチが相対的に低い母音で表現されることに、楽語共調理論の傍証がある。
応用
楽語共調理論を逆手にとって、任意の歌曲のボーカルボーカル用メロディフレーズの言語的母音を無くして好みの母音に統一してみることで、音高や音程(高いか低いかはもちろん、どの程度で音高の隔たりがあるか)が把握しやすくなる。
一般的な歌曲は、相対的にとても高いノートに「う」が来ることや相対的にとても低いノートに「あ」が来ることに関して意識的に除かれることはないので、そのような母音を保つと音高や音程が把握しづらかろう。
これは、いわゆる絶対音感の強くない人が耳コピを体感的に行いたい場合の下準備の方法として想定する。
この場合は声量など強勢アクセントに類する機能も除いて平坦化する方が、もっとよい。
理論への全般的な反証
先に「楽語共調理論は『学問知識を用いた芸術の技法の一種』であろう」と断っているものの、科学的方法論を用いて「反証 falsification」を自ら試みる。
複数の母音フォルマントとノート間の音高の上下に対応するという理論が通じない要因を示して「反証」の可能性を模索しよう。
母音のフォルマントが何らかの楽器に相似する可能性の検証
先に「楽語共調理論の数学的原理・数理モデルがそのまま現実の人間の認知に比例する結果を持っていない」と記したが、「数学的原理」について用い方を上手く広げれば「例外」と思しき事柄も「枝葉の例」にまで理論化できると思う。
イの発音を材料に、知覚の実験をしてみよう。
イの実際の音声 [i] は、非円唇前舌狭母音 close front unrounded vowel は先の記事でもフォルマントの一研究"Catford, J. C. (1988)"に示された標準値が F1 = 240 Hz, F2 = 2400 Hz (差異 2160 Hz) である。
私にとり、これは楽器音声だと任意のシンセサイザーによる鋸歯状波 sawtooth wave(のこぎり波・鋸波)に似ると思う。
「似ると思う」という印象によれば、正弦波 sine wave は円唇後舌狭母音 [u] ... F1 = 250 Hz, F2 = 595 Hz (差異 345 Hz) となる。
言語音声と楽器音声を、音声波形やスペクトログラムで見て、実際に言語音声の母音フォルマントと相応の類似性があると判断できる場合、類似性のあるもの同士は聴覚的に似たものと認知できる可能性がある。
先に「非円唇前舌狭母 [i] は任意のシンセサイザーによる鋸歯状波、円唇後舌狭母音 [u] は任意のシンセサイザーによる正弦波」と趣旨を記したが、私が個人的に言語音声と楽器音声を検分して、言語音声の母音フォルマントは楽器音声と比較するのに向いていないように見えた。
私の地声での母音言語音声の波形は、[i] の時に正弦波にフォルマント差による縮れた形状が乗り(譬えると250 Hzの波に10分の1の周期を持つ2,500 Hzの波が伴う状態)、[u] の時に三角波のような形状が見られ、[o] の時に最も正弦波と似た形状が見られた。
この結果で、言語音声の母音フォルマントと楽器音声に類似性は多少ある可能性が否定しきれずとも、類似性の認知に対する影響は極めて小さいと判断する(認知機能においては比較材料の多寡が類似性の認知を左右する側面もあるためかなり個人差がある点は別に考慮)。
母音フォルマントよりも、発音する人の「声色」という一般的な特徴の方がまだ、楽器音声の音色との類似性の認知に関連しやすいと考えたい。
記事の本題に寄せて言えば、楽語共調理論の反証に、任意の楽器によるボーカルフレーズの再生行為が、「複数の母音フォルマントとノート間の音高の上下に対応するという理論が通じない部分」を暴くことに用いることはできないし、「言語音声の母音フォルマントと楽器音声に類似性は多少ある可能性が否定しきれずとも」。
これらが把握された上で音高の相対的上下について再確認
何らかのメロディアスなフレーズのある楽曲(ボーカルは代用の楽器–インストゥルメントに置換する)を、日本語でも英語でも、即興で母音重視の歌唱をする。
…という方法がある。
これは私が2011年以降に多く行ってきたことであり、楽語共調理論の案に繋がるまでの糧になったことでもある。
私が何かしら、題材になる曲を示した方がよいが、当記事で特別に視聴可能な形で用意するつもりは無い。
例の通り、Sundarknessや活動全体で公開された音楽作品から、気にいるものを見つけて試すとよい。
YouTube - Sundarkness: https://www.youtube.com/user/SundarknessMusics/videos
YouTube - playlist: https://www.youtube.com/playlist?list=PLbz1d6dAQMeV79W5OCLkvtos-Z9EM69CE
あえて1曲を題材に考えよう。
とある他者の曲で個人管理楽曲識別番号: 468 (BPM: 120, 拍子: 4/4)は、曲名が"Happy Sunday"であり、歌い出しが"Happy Sunday"と歌うこともできるフレーズになっている。
楽譜やピアノロールを示さないでノートを近似的に示すと:4分休符、8分音符-F#、8分休符、4分音符-E、4分音符-G、4分音符-F#である。
ニノート間解析で:"hap-py = Ja: hap-pī"/a-i/ノート音高は上–下、"sun-day = Ja: san-dei"/a-e/ノート音高は上–下となる。
ノートの上下感覚とどのように合うか、実際に聴いて歌ってみよう(2020年3月11日時点で未公開)。
日本人作曲で英語タイトルであり、日本語のカタカナ発音「ハッピーサンデー [häpʲːiː sände̞ː]」または「ハッピーサンデイ [häpʲːiː sände̞j] (この場合のイは無母音の硬口蓋接近音 [j] または二重子音 [i̯] で音節理論における前の母音と同じ音節とみなす)」とするか、英語GA/RR発音/ˈhæpiː ˈsʌndeɪ/に近似させるか、考えることも楽しい。
なお、これにも反対の仮想ができる。
英語には強勢アクセント (stress accent) があり、見事に"Happy Sunday"の強勢 ˈ と歌い出しノートの相対的に高い部分に一致している。
作者が強勢アクセントを意図したか深層で意識してノートをアクセントのある音節が高くなるように配置したか、歌い出しの歌詞にできる言葉を選んで曲名にした、という可能性もある。
作者の音楽的心理を詮索する目的でこの文を打っているわけでないが、題材を他者に求めて分析する方法に、この慎重さも必要であることを示した。
起草日: 20191107
2019年11月24日から2020年2月XX日までの時間は、この記事に手の加えられることが全く無かった。
この間では、当ブログのラベル「音楽」の記事として音階理論を説明した記事も書かれている。
表題に言う「拡大」は、端的に「日本語に対する楽語共調理論の拡大案–5母音の音素の音声的実現の範囲の拡大」を指している。
本文中から要約すると:
え段 /C + e/ ・お段 /C + o/ の音は、広狭について中央母音 (mid vowels [e̞], [o̞]) の他に半広母音・半狭母音 (open-mid vowels [ɛ], [ɔ]; close-mid vowels [e], [o]) にする選択肢を持つ。
あ段 /C + a/ の音は、舌の前後について中舌母音 (central vowel [ä]) の他に前舌母音・後舌母音 (front vowel [a], back vowel [ɒ]) にする選択肢や、広狭について広母音(open vowel [ä]) の他に狭めの広母音 (near-open vowels [æ, ɐ]) にする選択肢を持つ。
い段 /C + i/ ・う段 /C + u, ɯ/ の音は、広狭について狭母音 (close vowels [i], [u, ɯ]) の他に広めの狭母音 (near-close vowels [ɪ], [ʊ]) を用いる選択肢を持つ。
相対的に低いノートの音高にあ段 /C + a/ の音の歌詞を当てる場合は、広狭について相対的に狭い母音 ([ɐ], [ɜ], [ʌ]) で中性化する選択肢を持つ。外来語借用語などの語源意識をその単語に適用したい場合に、言語の無母音箇所に挿入された母音(い段・う段・お段)は曖昧母音として捉えて可変性を与える(すなわち音素 /ə/ に置換して「前後の母音に近似する母音」か「中舌中央母音 [ə] に近似する母音」で実現させる)。
先の記事で、そういった理由から『「う(円唇)・い(非円唇)」は、共に狭母音であるとしても、西洋言語発音にならえば円唇・非円唇の相違性=唇の円さの動きが典型的に現れる音であるため、個性的である』と記し、楽語共調理論に基づく日本語の歌において音価 [u] を仮想することを示している。
これに関して拡大の案がある。
う段の発音は、現代日本語の一般的な発音でされる場合を許すならば、それがい段の発音に近くもある。
そのため、い段の発音に近い分だけ、ノートの音高が前のノートの音高よりも少し高い場合にも用いることができると言える。
この場合にう段の発音もとい音素母音う /u, ɯ/ は、シュワーともいえる曖昧母音として捉えることもできる。
それは、外国語借用語の二重子音・閉音節で /p, b, k, g, f, v/ といった子音がう段 /C + u/ に置換されることの一つの解釈でもある。
※日本語での話。言語ごとに選択性がある。
こうした拡大案が許容されるならば、う段の音は日本人がう段の音と知覚できる限りは微細な区別を適用できる。
他の発音も同様に、便宜的な変更がありうる。
例えば:
え段 /C + e/ ・お段 /C + o/ の音は、広狭について中央母音 (mid vowels [e̞, o̞]) の他に半広母音・半狭母音 (open-mid vowels [ɛ, ɔ], close-mid vowels [e, o]) にする選択肢を持つ。
あ段 /C + a/ の音は、舌の前後について中舌母音 (central vowel [ä]) の他に前舌母音・後舌母音 (front vowel [a], back vowel [ɒ]) にする選択肢や、広狭について広母音(open vowel [ä]) の他に狭めの広母音 (near-open vowels [æ, ɐ]) にする選択肢を持つ。
い段・う段の音についても、あ段の反対で広めの狭母音 (near-close vowels [ɪ, ʊ]) を用いる選択肢を持つ。
そうすると「日本語の日本語らしさが崩される」と、現代における保守的な立場からは疑問視を受けると思う。
しかし、現代日本語に至る歴史的変遷の観点、または現代日本における方言の発音の差異など様々な事項の考慮によって、歌唱用の発音における便宜的な変更は日本語に悪影響を及ぼさないと思う。
いわば水道水の塩素系消毒剤、街中の排気ガスの蔓延などの現象の言語版があり、それが既に世間の大衆文化に見られる。
文学の修辞や著名人の発言や大衆音楽の歌唱の不自然さ・・・。
それらに比して、私は規範を意識しながら規範以外の方法を用い、必要に応じて規範を明示する用意がある。
教育や倫理の観点も多々考慮しながら、私の創作がされてきている。
話が脱線しそうであるが、楽語共調理論は「学問知識を用いた芸術の技法の一種」であろうが、最終的に大衆文化の再検討と創出とを視野に入れて問題のない作りであると考える。
どちらにしても、外国語発音についての豊富な知識と経験のある者が、理論的に日本語の歌唱の発音を検証しなおして彼自身の納得・自己満足に繋がる必要がある。
あ段 /C + a/ の音は、先に挙げられた「便宜的な変更」の例に加えていない案もある。
「~た(現代語の過去形/完了形の助動詞の終止形。連体形を含む)」「~ら(現代語の動詞の未然形/已然形/仮定形に伴う形態)、~ば(仮定の助詞)」のような歌詞の一区切りの部分で登場するものが、その歌唱の音符–ノートの音高–ピッチが相対的に下がっているものがある。
そのように「相対的に低い/下の音高」でありながら広母音の音素が登場することが避けられない場合、口の広狭(舌の低高)を中性化するなどで負の効果を低減させる方法が提示できる。
この歌唱の際の母音は [ɐ] (near-open central vowel) や [ɜ] (open-mid central unrounded vowel) [ʌ] (open-mid back unrounded vowel) に近似する。
既存の例でさえも、日本のポップスでそのような発音はよく聴かれている。
それらの歌い手または音楽的監督者は、明瞭に「-ア [ä]」を発する場面を制限している、とは踏み込んだ言い方になる。
認知的「ん /N/」と成節子音 [m̩] [n̩] [l̩]
先の記事で、日本語音韻論でいう「撥音」について以下のように記した;
「ん (撥音 moraic N, 成節鼻音 syllabic N/nasal)」については、状況によって音節主音=1音節となりえるし、日本の音楽では「ん~♪(例えば"永遠"という中国語からすると2音節 yǒng yuǎn になる語句を"えーい、えーんー"のように4音節相当でされるような発音)」として長く伸ばす発音も多い。
当時の私にとって、 /n, N/ は閉音節と二重子音の形でのみ歌唱において実現されてほしいということであったし、一般的な母音と比べてフォルマント研究が一般的でないことから、先の記事で考察の対象としなかった。
この「撥音」は、前後の音の如何によって多くの音声実現があり、音声学的子音だけでなく、鼻母音 (nasal vowel/vowels) の多くの種類も含まれていると分析がされる:
@
これらと、成節子音 (syllabic consonant; ~共鳴音、~響音 -sonorant, -sonant) である [r̩] [m̩] [n̩] [l̩] のフォルマントに関しても、何かしら解析される必要があろう。
私の肉声で録音した後に、スペクトログラム画像を載せるなどする。
行っていない段階で、私の感性に依拠して推定すると、:「撥音」のうち成節子音である [n̩] や [l̩] は三角波 (triangle wave) に近似しつつ肉声の実現としては [u] よりも更にF1, F2 の関係が狭まるか低くなるなどする。
それで私は、[u] のためよりも低い音高のノートに使いやすいと思う。
反対の仮想の手段
先の記事で以下のように記した内容は、いくつもの示唆に富んでいる。
原則的な事項がある。
母音の広狭ないし中間(中央)は、そこに絶対的な「こういう印象」が求められるかといえば、スペクトログラムや科学的技術の手段で特徴を明かしてから「広母音は明るい (bright)、狭母音は暗い (dark)」と判断できそうである。
しかし、必ずしもそうでない可能性を知るべきである。
「明るい・あかるい"akarui"、高い・たかい"takai"」の「あか"aka"、たか"taka"」は、「あ・か・た」という広母音モーラの語幹による形容詞であるからといって、本質的に「広母音とそれによるモーラ発音は印象が明るくてピッチが高い」と、確定できるものでない。
日本語話者の間では、彼らの共通主観性のうちに、広母音や狭母音についての認識の傾向を見いだせるかもしれないが、それさえも不確実に思う。
広母音も狭母音も、一者のみを用いる言葉は必ずしも多くない(2モーラ語に限って/a/, /i/ や動詞終止形や動詞連用形由来など以外にも鈴"suzu", 冬"fuyu", 己・斧"ono", 事・琴"koto"など同じ母音で揃うものが多いが、/e/ え段は動詞連用形由来や複合語や畳語以外で語源的に揃わない)。
もし広母音か狭母音か中央母音といった何かしらの母音のモーラのみで1曲の歌詞(最低50モーラ以上)を構成するならば、発音と歌詞の意味とに違和感があろう。
ここから読み取れる話は、楽語共調理論の数学的原理・数理モデルがそのまま現実の人間の認知 (cognition) に比例する結果を持っていないということである。
以上の引用の最後に、「広母音か狭母音か中央母音といった何かしらの母音のモーラのみで1曲の歌詞(最低50モーラ以上)を構成する」という、発音と意味との両方とも違和感の伴う歌詞の仮想が例示される。
そのような作詞は、楽語共調理論の反対の仮想に資すると思うので、是非、試していただきたい。
当記事では一つ、それを作って載せる。
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| 言語発音・高低アクセントの要旨と実験 □ |
まず、音楽ではなく言語発音の回顧を試そう。
「あいうえお・かきくけこ a i u e o, ka ki ku ke ko」の時の高低アクセント (pitch accent) を思い出そう。
この高低アクセントは、大概の人にとってそのまま「いえあおう i e a o u」や「かけきこく ka ke ki ko ku」といったアナグラム(音節・モーラ単位)に適用しうるものと思う。
「あいうえお・かきくけこ・いえあおう・かけきこく」はいずれも、私にとって「ウクライナ [ùkúráꜜìnà](中高型。中高は少し揺れもあるがパレスチナも同様)」と同じであるが、「アルバニア・アルメニア・エストニア [èsútóníá]・リトアニア [rìtóáníá]・ポルトガル [pòrútógárú](平板型)」と異なると思う。
もし適用されるならば、現代日本語の高低アクセントの認知が話者の深層に達していることの表象と考えられる。
続いて、中世の日本の和歌の「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月(明恵上人による短歌;和歌の愛好家はスペースで区切ることを好まないのでここでも区切らずにおいた)」を詠んでもらいたい。
「あかあかや」という5拍(5モーラ)一句が先の、日本語アクセント論での平板型「アルバニア・アルメニア・エストニア・リトアニア・ポルトガル」の音高(ピッチ)で詠まれることは、多くの日本人において有り得ず、和歌には和歌のための音高が適用されて短歌5-7-5-7-7や俳句5-7-5といった種々の拍数の和歌が詠まれる。
楽語共調理論と反対に、これは母音が何であるかを問わない自然現象を示している。
こうして、音楽のノートの音高の上下の周波数に、母音の広狭などによるフォルマント値の関係を見出すことは無理であるという「反対の仮想」も可能になる。
その反論としては「言語音声の高低アクセント(日本語など)や声調-トーン(中国語・バントゥー諸語など)やイントネーション(ほぼ全言語)は楽語共調理論の考察対象でない」となる。
そのまた反論としては「楽語共調理論の考察対象のうちにもし人間の認知機能があるならば、その認知において言語音声の高低アクセントやトーンやイントネーションの知識が潜在的に好悪種々の影響を持ちうるので少しは判断材料に加える方がよい」となる。
現状では、たとえ数学的原理に偏るとしても、基盤の研究として数学的原理や自然現象(ここでは人間の可聴の音=音波・音響)の数理モデルが優先されるのだ、と言おう。
全てが広母音の歌詞を示す。
この広母音とは:第一に標準的な日本語の [ä] 音声のみに制限される必要があり、第二に断り付きで聴き心地のよさを目的とする他の音素 /a/ と知覚される母音音声を混ぜること (e.g. 英語 banana, katana /kəˈtɑnə/, Panama /ˈpæn.ə.mɑː/ のようなものをスペース分かち書きごとに適用してみたければどうぞ断り付きでなさるように) が可能である。
記事の目的のために、歌詞の意味や文法へ注釈の必要を感じないが、一点言うと、動詞の活用形は一部の未然形以外が不能であるため、これで他の活用や連用形名詞化・連体形分詞用法などを行うことになる。
既存の歌詞つき楽曲「交差点」の替え歌であり、そのメロディで歌う:
赤坂宝刀 akasaka takara katana,
頭は八幡高菜 atama wa yawata takana,
貴方が語らばまだ花だ anata ga kataraba mada hana da,
夜叉は魔羅から欠かな yasha wa mara kara kakana,
中々長や坂や nakanaka nagaya sakaya,
渡らば川は赤や wataraba kawa wa akaya,
偶々誤りゃ明かさな tamatama ayamarya akasana,
性は幻な間差だ彼場帰処 saga wa maya na masa da aba sarana,
肩下がらば kata sagaraba,
業無や薔薇香有らや waza naya baraka araya,
また利関わや mata kaga kakawaya,
何一切可分 ka sabata wakaya, (これのみ意味を注釈すると便宜的にパーリ語を混ぜた和語かつ全て長短無き広母音ということになる:分別されるべき普遍性は何か?{ का सब्बता √分+fem.ईय })
相良ジャワ鎌 sagara jawa kama,
カナダ七夕名は長かな kanada tanabata na wa naga kana,
綿か藁か束か棚田か wata ka wara ka taba ka tanada ka,
誰が屋墓場 tagaya hakaba,
沙門ならばだ空だ機会時間 samana naraba da kara da samaya kala.
楽語共調理論の立場で、これ(「交差点」の替え歌)を聴くならば、メロディライン・ボーカルフレーズの音高に不調和な歌詞が乗っていることになる。
多くの人にとって「交差点」の歌詞とこの替え歌の歌詞とのどちらがメロディを妨げないものか、考えてもらうことが、楽語共調理論において、一つの社会科学的な見地での検証法である。
非日本語話者の場合(未収得言語での歌詞を聴くこと)はともかく、日本語話者はどうしても言語音声から意味を想起するであろうという、意味の有無に関する問題(cf. 生成文法など言語学で有名な"Colorless green ideas sleep furiously"; 意味が無いまま文法が成り立つモデルとして考案された例)も慎重になるが、今は論じない。
先の和歌「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」ついても、和歌のための音高・ピッチが日本人に定着していることを示すものであって音楽の歌の比較に用いられると思う。
逆に「あかあかや... (月までの計29モーラ)」の音高を平板・平坦にして詠んでみる方法をすれば、これは楽語共調理論の立場での仮想になる。
上記の、「全てが広母音の歌詞」においては子音フォルマントの方も考察してみる価値はある。
「肩 kata」の部分を「束 taba」に置き換えてどちらが任意のメロディの相対的な音高もとい音程に適しているか、と考えるようなことである。
聞く側よりは歌う側の調音部位(主に子音ごとの動作の特徴を持った舌や唇)の運動に関する心地よさに関わる可能性も、仮想の手段になる。
あくまでもその「特殊な歌詞」のためであれば、「子音のフォルマント」は現状で楽語共調理論の説明対象に無い事項である。
ノートの音高側に合わせて認知的「あ /a/」の音声実現を変更することも考察してみる価値はある。
先の記事に以下の説明がある:
種々に検討すると、たとえ日本語では微細な区別なき「あ a」の音(外来語のためのア段カナの原語は多用な異なる発音。アメリカ英語のGA発音だけでもア段カナに対応する4種類の音素 /æ, ʌ, ɑ, ə/ の区別がある)であっても、歌詞発音のためには舌の前後・唇の円さといった区別を駆使する必要があるかもしれない。
すなわち、一般的に非円唇中舌広母音 [ä] である「あ」も、前後のノート音高の相対性により、低音としての「あ」を非円唇後舌広母音 [ɑ] にしたり、高音としての「あ」を非円唇前舌広母音 [a] にするといった、音高に「あ」を相似させるための弁別と発音訓練とである。
音高の上下を母音で認知する際の母語音韻の影響&個人差
日本人は日本語の基本的な5母音が、「手に取る範囲にある」ように、音高の上下の母音に対する認知に用いやすい。
決して英語の音韻論における英語の母音 (e.g. [æ], [ɪ]) を浮かべないであろうが、英語に堪能な人であれば十分にありうる。
私の場合、音声学の知識が深いので、色々な母音の選択肢を持っている。
それは多言語的であるために個別言語の虚無にも類する。
しかし、母語は母語として影響が大きいし、多言語のためには個別言語の「音韻パック(セット)」というものも用意されている。
そこに、「日本語スイッチ」や「英語スイッチ」を設け、出力を切り替え、聴いているメロディフレーズを色々な母音で自然に認知することになる。
自分で作詞する際は、何度も音楽の作詞の型になるボーカル用メロディフレーズを聴き直して広い選択肢から吟味する。
![]() |
| 英語版Wikipedia - oldid=925307085, Eine_kleine_Nachtmusik#I._Allegro に載る画像 |
それにしても日本の子供がモーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart) の Eine kleine Nachtmusik (I. Allegro) を聴いて最初のフレーズを"baka, aho, doji, manuke"と言語音声に変換する現象は、"baka"以外の語の母音の広狭が割と認知的ノート単位の音高・音程に通じている。
考え方の一例に、2音ごとに区切って解析すれば、"ba-ka"/a-a/ノート音高は上–下、"a-ho"/a-o/ノート音高は上–下、"do-ji"/o-i/ノート音高は上–下、こじつけになるかもしれないが"ma-nu-ke"に関しては前の"ji"を合わせて"ji-ma"と"nu-ke"に変えてこれらの音高のノートは下–上、下–上という具合に相対的な上下の解析ができることを、ここで言いたかった。
恣意的な側面もあるが、考え方の一例で示した。
この場合は、「ニノート間解析 (dual note analysis または interbinote analysis)」とでも呼ぶことになり、元の記事に「『母音の広狭と音高の上下』の基本を簡潔に言えば、広母音モーラが相対的に音高・ピッチとして高いノートであり、狭母音モーラが相対的に音高・ピッチとして低いノートである」と記した「相対的な音高」の解析の基本的な手段に当たる。
ついでに言うと、同じ音高の歌詞ノートでは「中」または「平」とする。
この Eine kleine Nachtmusik 以外に知られる、歌詞なしメロディに対する日本語での空耳の例:「らららコッペパン(らき✩すた 劇中BGMに対するもの, ネット上では作品ヒロインがチョココロネを持つシーンの改編でコッペパンを持つ画像が見られ、作中にコッペパンは登場しない)」、「
音楽以外のメロディ様の音に対する日本語での空耳の例:「カッコー(かっこう、カッコウ、鳥 Cuculus canorus の鳴き声の擬声語)」、「ホーホケキョ(ウグイス、鶯、鳥 Horornis diphone の鳴き声;現代日本語では声門と軟口蓋という調音位置の近い子音を使うが、江戸時代の途中まではホが両唇音であったと思われるが、子音は楽語共調理論と関連しないし音声学を議題にしているのでないために問題視しない;「法華経」に託した名前であると考えられるので、確かに例として引用するには不適切に思われる)」
音楽以外では、救急車に対する「ピーポーピーポー」や「ピーポーパーポー」といった擬音語は、先の高い1つのピッチが「ピー /piː/」や「パー /paː/」などとF1, もしくはF2 のピッチが最も高い母音で表現され、後の低い1つのピッチが「ポー /poː/」とF1, F2のピッチが相対的に低い母音で表現されることに、楽語共調理論の傍証がある。
応用
楽語共調理論を逆手にとって、任意の歌曲のボーカルボーカル用メロディフレーズの言語的母音を無くして好みの母音に統一してみることで、音高や音程(高いか低いかはもちろん、どの程度で音高の隔たりがあるか)が把握しやすくなる。
一般的な歌曲は、相対的にとても高いノートに「う」が来ることや相対的にとても低いノートに「あ」が来ることに関して意識的に除かれることはないので、そのような母音を保つと音高や音程が把握しづらかろう。
これは、いわゆる絶対音感の強くない人が耳コピを体感的に行いたい場合の下準備の方法として想定する。
この場合は声量など強勢アクセントに類する機能も除いて平坦化する方が、もっとよい。
理論への全般的な反証
先に「楽語共調理論は『学問知識を用いた芸術の技法の一種』であろう」と断っているものの、科学的方法論を用いて「反証 falsification」を自ら試みる。
複数の母音フォルマントとノート間の音高の上下に対応するという理論が通じない要因を示して「反証」の可能性を模索しよう。
母音のフォルマントが何らかの楽器に相似する可能性の検証
先に「楽語共調理論の数学的原理・数理モデルがそのまま現実の人間の認知に比例する結果を持っていない」と記したが、「数学的原理」について用い方を上手く広げれば「例外」と思しき事柄も「枝葉の例」にまで理論化できると思う。
イの発音を材料に、知覚の実験をしてみよう。
イの実際の音声 [i] は、非円唇前舌狭母音 close front unrounded vowel は先の記事でもフォルマントの一研究"Catford, J. C. (1988)"に示された標準値が F1 = 240 Hz, F2 = 2400 Hz (差異 2160 Hz) である。
私にとり、これは楽器音声だと任意のシンセサイザーによる鋸歯状波 sawtooth wave(のこぎり波・鋸波)に似ると思う。
「似ると思う」という印象によれば、正弦波 sine wave は円唇後舌狭母音 [u] ... F1 = 250 Hz, F2 = 595 Hz (差異 345 Hz) となる。
言語音声と楽器音声を、音声波形やスペクトログラムで見て、実際に言語音声の母音フォルマントと相応の類似性があると判断できる場合、類似性のあるもの同士は聴覚的に似たものと認知できる可能性がある。
先に「非円唇前舌狭母 [i] は任意のシンセサイザーによる鋸歯状波、円唇後舌狭母音 [u] は任意のシンセサイザーによる正弦波」と趣旨を記したが、私が個人的に言語音声と楽器音声を検分して、言語音声の母音フォルマントは楽器音声と比較するのに向いていないように見えた。
私の地声での母音言語音声の波形は、[i] の時に正弦波にフォルマント差による縮れた形状が乗り(譬えると250 Hzの波に10分の1の周期を持つ2,500 Hzの波が伴う状態)、[u] の時に三角波のような形状が見られ、[o] の時に最も正弦波と似た形状が見られた。
この結果で、言語音声の母音フォルマントと楽器音声に類似性は多少ある可能性が否定しきれずとも、類似性の認知に対する影響は極めて小さいと判断する(認知機能においては比較材料の多寡が類似性の認知を左右する側面もあるためかなり個人差がある点は別に考慮)。
母音フォルマントよりも、発音する人の「声色」という一般的な特徴の方がまだ、楽器音声の音色との類似性の認知に関連しやすいと考えたい。
記事の本題に寄せて言えば、楽語共調理論の反証に、任意の楽器によるボーカルフレーズの再生行為が、「複数の母音フォルマントとノート間の音高の上下に対応するという理論が通じない部分」を暴くことに用いることはできないし、「言語音声の母音フォルマントと楽器音声に類似性は多少ある可能性が否定しきれずとも」。
これらが把握された上で音高の相対的上下について再確認
何らかのメロディアスなフレーズのある楽曲(ボーカルは代用の楽器–インストゥルメントに置換する)を、日本語でも英語でも、即興で母音重視の歌唱をする。
…という方法がある。
これは私が2011年以降に多く行ってきたことであり、楽語共調理論の案に繋がるまでの糧になったことでもある。
私が何かしら、題材になる曲を示した方がよいが、当記事で特別に視聴可能な形で用意するつもりは無い。
例の通り、Sundarknessや活動全体で公開された音楽作品から、気にいるものを見つけて試すとよい。
YouTube - Sundarkness: https://www.youtube.com/user/SundarknessMusics/videos
YouTube - playlist: https://www.youtube.com/playlist?list=PLbz1d6dAQMeV79W5OCLkvtos-Z9EM69CE
あえて1曲を題材に考えよう。
とある他者の曲で個人管理楽曲識別番号: 468 (BPM: 120, 拍子: 4/4)は、曲名が"Happy Sunday"であり、歌い出しが"Happy Sunday"と歌うこともできるフレーズになっている。
楽譜やピアノロールを示さないでノートを近似的に示すと:4分休符、8分音符-F#、8分休符、4分音符-E、4分音符-G、4分音符-F#である。
ニノート間解析で:"hap-py = Ja: hap-pī"/a-i/ノート音高は上–下、"sun-day = Ja: san-dei"/a-e/ノート音高は上–下となる。
ノートの上下感覚とどのように合うか、実際に聴いて歌ってみよう(2020年3月11日時点で未公開)。
日本人作曲で英語タイトルであり、日本語のカタカナ発音「ハッピーサンデー [häpʲːiː sände̞ː]」または「ハッピーサンデイ [häpʲːiː sände̞j] (この場合のイは無母音の硬口蓋接近音 [j] または二重子音 [i̯] で音節理論における前の母音と同じ音節とみなす)」とするか、英語GA/RR発音/ˈhæpiː ˈsʌndeɪ/に近似させるか、考えることも楽しい。
なお、これにも反対の仮想ができる。
英語には強勢アクセント (stress accent) があり、見事に"Happy Sunday"の強勢 ˈ と歌い出しノートの相対的に高い部分に一致している。
作者が強勢アクセントを意図したか深層で意識してノートをアクセントのある音節が高くなるように配置したか、歌い出しの歌詞にできる言葉を選んで曲名にした、という可能性もある。
作者の音楽的心理を詮索する目的でこの文を打っているわけでないが、題材を他者に求めて分析する方法に、この慎重さも必要であることを示した。
起草日: 20191107
2019年11月24日から2020年2月XX日までの時間は、この記事に手の加えられることが全く無かった。
この間では、当ブログのラベル「音楽」の記事として音階理論を説明した記事も書かれている。
表題に言う「拡大」は、端的に「日本語に対する楽語共調理論の拡大案–5母音の音素の音声的実現の範囲の拡大」を指している。
本文中から要約すると:
え段 /C + e/ ・お段 /C + o/ の音は、広狭について中央母音 (mid vowels [e̞], [o̞]) の他に半広母音・半狭母音 (open-mid vowels [ɛ], [ɔ]; close-mid vowels [e], [o]) にする選択肢を持つ。
あ段 /C + a/ の音は、舌の前後について中舌母音 (central vowel [ä]) の他に前舌母音・後舌母音 (front vowel [a], back vowel [ɒ]) にする選択肢や、広狭について広母音(open vowel [ä]) の他に狭めの広母音 (near-open vowels [æ, ɐ]) にする選択肢を持つ。
い段 /C + i/ ・う段 /C + u, ɯ/ の音は、広狭について狭母音 (close vowels [i], [u, ɯ]) の他に広めの狭母音 (near-close vowels [ɪ], [ʊ]) を用いる選択肢を持つ。
相対的に低いノートの音高にあ段 /C + a/ の音の歌詞を当てる場合は、広狭について相対的に狭い母音 ([ɐ], [ɜ], [ʌ]) で中性化する選択肢を持つ。外来語借用語などの語源意識をその単語に適用したい場合に、言語の無母音箇所に挿入された母音(い段・う段・お段)は曖昧母音として捉えて可変性を与える(すなわち音素 /ə/ に置換して「前後の母音に近似する母音」か「中舌中央母音 [ə] に近似する母音」で実現させる)。
これらのために「反対の仮想–反証」なども行って精査していた。
2020年2月29日土曜日
閏年–うるう年、2020年の閏日–うるう日 (leap year 2020)
閏年テスト記事
ワード「閏(うるう)」
漢語(漢字の意味論、中国語)
閏…字形としては「もんがまえ+王(おう)」である。音韻としては:日本語の漢音で「ジュン jun」、呉音で「ニン nin *nyun /njun/」、現代中国語普通話の拼音 Pinyin で"rùn" /ʐwən⁵¹/である。「王」の字形はあるが、韻は「王」と異なる。簡体字の「闰」などUnicodeで符号化された異体字は数種ある (䦞 閠 𥹿 𨳝)。説文解字には「餘分之月、五歳再閏。告朔之禮、天子居宗廟、閏月居門中。从王、在門中。周禮:閏月、王居門中、終月也。如順切。」と解説される。王または天子と呼ばれる人物が門(宮殿というよりは引用された「宗廟」?何か目的がある?)から出ずに「いる(居る/居座る)」期間を指す、と読み取ることになる。しかし、:先にその期間を意味する字「閏」がある後から「うるう=任意の年に天文学的な原因から挿入された時間」の概念のために当てたのか?もしそうであればいつからか?もしそうでなければ字の構成から推定しづらい別の由来(民間語源 folk-etymology の方法で想像しづらいもの cf. 仮借、当て字)があるか? といった特定は、漢籍などから詳細な調査を要する。
なお、現代中国語で、「任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為=任意の暦においてうるうを置くこと」はそのまま「置閏」と呼んでいる。…と思ったが、百度百科の「闰日」という記事には「别称 置闰」とあり(リダイレクトページ経由では「同义词 置闰一般指闰日」とも表示される)、行為ではなく行為で置かれる側の「うるう日(もちろんグレゴリオ暦–格里高利历によるもの)」を指すとしている。
和語(やまとことば、日本語)
うるう (uruu/urū)=閏…漢字の字形として似る「潤」の訓「うるお-う (uruo-u 潤う)」の転訛。漢語から借用して (loan) 訓 (kun) を当てた例であろう。いつからかは不明(文献的に平安時代か。更に可能な古い時で遣隋使や大化の改新でもありえてそれ以前という人もいるとしても有効な証拠があるかどうか)。「うるう月(閏月)」を伴う暦は、中国からもたらされた伝統的な暦(いわゆる旧暦。種類は多数だが大まかに太陰太陽暦 lunisolar calender を指す)である。現代に、グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日を「うるう日(閏日)」と呼ぶ。
英語 (English)
intercalation … ラテン語由来(動詞 intercalare, intercalo; inter- + calo 直訳で:間に+呼び出す。時代用例は未調査)かそのような形態で構成される。これは任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為を指す。日本人にとって「『うるう』は『うるう日』と『うるう年』に見られる2種の用法がある。多義語か?挿入の手段である時間に対しても、その時間が挿入される期間に対しても、『うるう』で複合語を作るようだ」と考えられるが、英単語"intercalation"は行為を指すと分かる。"intercalation"の訳語は「置閏法(ちじゅんほう)」と考えられる。
いわゆる「うるう日」は"leap day", 「うるう年」は"leap year"(同じく「うるう秒」は"leap second")と呼ぶ。"leaping"や"leaped"のような能動–受動の分詞に語形変化をさせていない。この用語法"leap"を見ると、日本語の「うるう」と同じに見える。日本語に「うるい日」や「うるわれ年」という語形変化が伴わないように。「うるう」については、英語に対して日本語が意味借用 (semantic loan) の一種を持つように見える。
leap … これは「最も多いうるう日=グレゴリオ暦の2月29日」の存在によって曜日の周期性が1日分リープする/飛ぶことに由来する。例えば、クリスマス(聖誕)は12月25日(主にカトリック)に決まっている場合:2014年に木曜日、2015年に金曜日、2016年に日曜日と1年ごとに1日送りであるはずの曜日がうるう日によって2日送りになる。それはOEDなどの辞書にそういう見解が載っているというもので、有効な文献の証拠があるわけでない。
cf.,
汉典 (zdic.net, 説文解字注や康煕字典なども掲載) - “閏”字的基本解释.
Unicode.org - Unihan data for U+958F.
百度百科 - 『闰』142993738版, 『闰日』136716246版, 『置闰法』135863740版.
日本語版Wikipedia - 『閏』頁oldid=61477635, 『閏年』頁oldid=75587347.
英語版Wikipedia - "Intercalation (timekeeping)"頁oldid=933049803, "Leap year"頁oldid=939186126.
英語版Wiktionary - 『閏』頁oldid=54575300, "intercalary"頁oldid=55359972, "intercalate"頁oldid=55323787, "intercalation"頁oldid=54545545, "leap day"頁oldid=54446329, "leap year"頁oldid=58065549.
OUPblog - What is a leap year? 2012-02-29. https://blog.oup.com/2012/02/what-is-a-leap-year/ .
注意事項がある。
「グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日」などのように簡易に記した情報に関しては、用語の歴史経緯と別の話(現代的な運用や計算方法など)なので詳述しない。
上記のリンク先など外部サイトで調べてもらえばよいと思っている。
起草日: 20200205
📅閏年テスト記事である。
当記事の調査–執筆は、和語→英語→漢語の順番であるため、説明に関して全てを読むことで相互に補完されることになる。
掲載順は起草の当初から漢語→和語→英語である。
太陰暦–太陰太陽暦の「閏月」と現代の「うるう秒」についての言及を持つ過去記事が当ブログにある。
2017-07-21記事『時間 "kāla, samaya, 迦羅・三摩耶" と仏教 (仏教の時間論)』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2017/07/time-kala-samaya.html
ワード「閏(うるう)」
漢語(漢字の意味論、中国語)
閏…字形としては「もんがまえ+王(おう)」である。音韻としては:日本語の漢音で「ジュン jun」、呉音で「ニン nin *nyun /njun/」、現代中国語普通話の拼音 Pinyin で"rùn" /ʐwən⁵¹/である。「王」の字形はあるが、韻は「王」と異なる。簡体字の「闰」などUnicodeで符号化された異体字は数種ある (䦞 閠 𥹿 𨳝)。説文解字には「餘分之月、五歳再閏。告朔之禮、天子居宗廟、閏月居門中。从王、在門中。周禮:閏月、王居門中、終月也。如順切。」と解説される。王または天子と呼ばれる人物が門(宮殿というよりは引用された「宗廟」?何か目的がある?)から出ずに「いる(居る/居座る)」期間を指す、と読み取ることになる。しかし、:先にその期間を意味する字「閏」がある後から「うるう=任意の年に天文学的な原因から挿入された時間」の概念のために当てたのか?もしそうであればいつからか?もしそうでなければ字の構成から推定しづらい別の由来(民間語源 folk-etymology の方法で想像しづらいもの cf. 仮借、当て字)があるか? といった特定は、漢籍などから詳細な調査を要する。
なお、現代中国語で、「任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為=任意の暦においてうるうを置くこと」はそのまま「置閏」と呼んでいる。…と思ったが、百度百科の「闰日」という記事には「别称 置闰」とあり(リダイレクトページ経由では「同义词 置闰一般指闰日」とも表示される)、行為ではなく行為で置かれる側の「うるう日(もちろんグレゴリオ暦–格里高利历によるもの)」を指すとしている。
和語(やまとことば、日本語)
うるう (uruu/urū)=閏…漢字の字形として似る「潤」の訓「うるお-う (uruo-u 潤う)」の転訛。漢語から借用して (loan) 訓 (kun) を当てた例であろう。いつからかは不明(文献的に平安時代か。更に可能な古い時で遣隋使や大化の改新でもありえてそれ以前という人もいるとしても有効な証拠があるかどうか)。「うるう月(閏月)」を伴う暦は、中国からもたらされた伝統的な暦(いわゆる旧暦。種類は多数だが大まかに太陰太陽暦 lunisolar calender を指す)である。現代に、グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日を「うるう日(閏日)」と呼ぶ。
英語 (English)
intercalation … ラテン語由来(動詞 intercalare, intercalo; inter- + calo 直訳で:間に+呼び出す。時代用例は未調査)かそのような形態で構成される。これは任意の年に天文学的な原因から時間を挿入する行為を指す。日本人にとって「『うるう』は『うるう日』と『うるう年』に見られる2種の用法がある。多義語か?挿入の手段である時間に対しても、その時間が挿入される期間に対しても、『うるう』で複合語を作るようだ」と考えられるが、英単語"intercalation"は行為を指すと分かる。"intercalation"の訳語は「置閏法(ちじゅんほう)」と考えられる。
いわゆる「うるう日」は"leap day", 「うるう年」は"leap year"(同じく「うるう秒」は"leap second")と呼ぶ。"leaping"や"leaped"のような能動–受動の分詞に語形変化をさせていない。この用語法"leap"を見ると、日本語の「うるう」と同じに見える。日本語に「うるい日」や「うるわれ年」という語形変化が伴わないように。「うるう」については、英語に対して日本語が意味借用 (semantic loan) の一種を持つように見える。
leap … これは「最も多いうるう日=グレゴリオ暦の2月29日」の存在によって曜日の周期性が1日分リープする/飛ぶことに由来する。例えば、クリスマス(聖誕)は12月25日(主にカトリック)に決まっている場合:2014年に木曜日、2015年に金曜日、2016年に日曜日と1年ごとに1日送りであるはずの曜日がうるう日によって2日送りになる。それはOEDなどの辞書にそういう見解が載っているというもので、有効な文献の証拠があるわけでない。
Word Origin
late Middle English: probably derives from the fact that feast days after February in such a year fell two days later than in the previous year, rather than one day later as in other years, and could be said to have “leaped” a day.
— leap year (noun) - Oxford Advanced Learner's Dictionary
cf.,
汉典 (zdic.net, 説文解字注や康煕字典なども掲載) - “閏”字的基本解释.
Unicode.org - Unihan data for U+958F.
百度百科 - 『闰』142993738版, 『闰日』136716246版, 『置闰法』135863740版.
日本語版Wikipedia - 『閏』頁oldid=61477635, 『閏年』頁oldid=75587347.
英語版Wikipedia - "Intercalation (timekeeping)"頁oldid=933049803, "Leap year"頁oldid=939186126.
英語版Wiktionary - 『閏』頁oldid=54575300, "intercalary"頁oldid=55359972, "intercalate"頁oldid=55323787, "intercalation"頁oldid=54545545, "leap day"頁oldid=54446329, "leap year"頁oldid=58065549.
OUPblog - What is a leap year? 2012-02-29. https://blog.oup.com/2012/02/what-is-a-leap-year/ .
注意事項がある。
「グレゴリオ暦でおよそ4年ごとに加えられる1日」などのように簡易に記した情報に関しては、用語の歴史経緯と別の話(現代的な運用や計算方法など)なので詳述しない。
上記のリンク先など外部サイトで調べてもらえばよいと思っている。
起草日: 20200205
📅閏年テスト記事である。
当記事の調査–執筆は、和語→英語→漢語の順番であるため、説明に関して全てを読むことで相互に補完されることになる。
掲載順は起草の当初から漢語→和語→英語である。
太陰暦–太陰太陽暦の「閏月」と現代の「うるう秒」についての言及を持つ過去記事が当ブログにある。
2017-07-21記事『時間 "kāla, samaya, 迦羅・三摩耶" と仏教 (仏教の時間論)』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2017/07/time-kala-samaya.html
2020年2月12日水曜日
数詞・人名… 「西洋式と東洋式の語順」について追記されてもよい例
当ブログ2019-03-05記事からの話題;これらに見る課題を詳細に研究し、まとめて誰かが偉大な論文や著作を書いてみればよかろう。
「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ国王パセーナディ"rājā pasenadi kosalo"」に関する復注
参考までにスペイン語 (Spanish, Español) で「イタリアのマッタレッラ大統領 or イタリア大統領セルジョ・マッタレッラ氏」を表現すると"el presidente italiano, Sergio Mattarella"となる。ポルトガル語 (Portuguese, Português) で「アメリカのブッシュ元大統領(子の方)」を表現すると"o ex-presidente americano George H.W. Bush"となる。同様に「アメリカのトランプ大統領」は"o presidente americano, Donald Trump"である。これらはイタリア語で表現しても同じような語順になる。コンマ (, comma) の有無が実際の使用例によって分かれることはここで論じない。
2020年1月16日の注釈(案)
数詞「12 (十ニ)」は日本語で「ジュウニ jūni, とおあまりふたつ tō amari futatsu」と言うようなことが、東洋式と西洋式とに区分できる。日本語・中国語・朝鮮語は共通の東洋式になる。インド・ヨーロッパ言語では、サンスクリット語dvādaśa द्वादश, ラテン語duodecim, 英語twelve など、"ten-two"(ten + two) ではなく"two-ten"(two + ten) のようにされる。インド・ヨーロッパ祖語も同様ではなかろうか、として推定される。西洋式はアラビア数字の表記と合わないし、和算 (sum) に適していないと考えられる傾向にあり、国際補助語(人工言語の一種)ではエスペラント語dek du, イド語dek-e-du など東洋式にされる(ラテン語deca = 10と duo = 2に当たる語句が12のためにduo + decaではなくdeca + duoとしてラテン語と逆になっている)。面白いことに、「16, 17. 18 (十六・十七・十八)」に関してはラテン語とイタリア語とフランス語のような親子–兄弟(イタリック語派–ロマンス諸語。ただしイタロ・ダルマチア語 Italo-Dalmatian, ガロ・ロマンス語 Gallo-Romance など更に細分化もある。ラテン語も厳密には古典ラテン語が想定される)の言語間で異なる様式がある。La: sedecim, septendecim, duodeviginti (18は20引く2で表現 cf. 19 = undeviginti); It: sedici, diciassette, diciotto (16–17でdiciの位置が変わる); Fr: seize, dix-sept, dix-huit (一見seizeは疑問だがイタリア語に同じ。ハイフン有り). 三者三様かつ、一者のうちでもイレギュラー irregular な命数法が伴っていると分かる。
cf. 英語版Wikipedia - "List of numbers in various languages" oldid=935245993. 今は例示しなかったドイツ語や朝鮮語–韓国語やアイヌ語の例に限らず、非常に色々な例が見られるが、出典は無いに等しいため、各々が個別に調べ直すとよい。
認知心理学などの学者 (Iro Xenidou-Dervou, Ann Dowkerら) が言語の数学に対する影響の研究をし、東洋式と私が言うようなものの方が児童の算数–数学の成績に良い結果をもたらすとしている。報道例:"Why you might be counting in the wrong language", BBC Future. by Anand Jagatia (この人名を論文姓名表記にJagatia, Anandと改めるページがインターネット上に見られる)
数詞の西洋式についても「原初–起源」を推し量るならば、地名や日付と同じく「小さいものから大きいものへ」という判断基準の適用を考えることができる。もう1つの判断基準に「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」というものがある。ここでは、現代アラビア数字「10」とすると0表記ありきの先入観が反映されるので漢数字に「代入」してみる。彼らの手に取る範囲の事物もとい日常的な思考に関わるものとして二十以下の数は「一から十とされる範囲を繰り返す」ことが許され、単に十台 (-teen) であることが分かる形態が伴えばよい。二十以上は日常的に考えなくてよい。しかし、時には二十以上が必要である。そういう場合はどうか、現代人の私が判断材料を探る。三十二–三十三–三十七のためにサンスクリット dvātriṃśa द्वात्रिंश, trayastriṃśa त्रयस्त्रिंश, saptatriṃśa सप्तत्रिंश, という数の表現を用いている(仏教用語の三十二相–三十三天–三十七道品などを参照。同じ用語がパーリ語にもあって比較可能)が、これらを見ても低い桁の数の後に高い桁の数を言う「小さいものから大きいものへ」・「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」という基準の方法になっている。他の例で三万ニ千人いることに「(二+三×十)×千 (two plus three times ten) times thousand」のような表現があったりする(e.g. 1999年にチベットで見つかった維摩経写本: dvātriṃśatā ca bodhisatvasahasrair... 鳩摩羅什漢訳=大正蔵17巻537頁a段:: 菩薩三萬二千)。仏教で定型的に見られる「八万四千」という数は、大乗仏教の脈絡に見る「八万四千法門」以外にあるか探すと、パーリ経蔵・長部17経 Mahāsudassana Sutta に"caturāsīti thambhasahassāni"(中阿含経=大正蔵1巻516頁a段: 八萬四千柱) が見られた。これらはいずれも千にあたる数詞 sahasra, sahassa が数量化される語句 bodhisatva, thambha を隔てて後側に伴う。
旧世界–ユーラシア的な範疇の二項対立に思われそうである。
英独仏や日中韓を一括りにすることを嫌う人がいる。
しかし、便宜的かつ人名にあやかった科学用語のようなもので、ステレオタイプなどの偏見を催すように思われても「東洋式」・「西洋式」という呼称を用いる。
一般的に理解の得られそうな(ポピュラー popular だが)東アジア言語とヨーロッパ言語が中心的に提示されている。
興味のある人がアフリカ大陸や南北アメリカ大陸(アメリカ州)の「エスニックな言語(帝国的な目線での表現)」についても、データを徹底的に調べて体系的にまとめればよいと思う。
当該記事2019-03-05と当記事で「東洋式」・「西洋式」とくくることにした語順は:
・地名 toponym, place name, placename
・人名=姓名 human name, personal name, full name; first–last, given name–surname
・日時=日付と時刻 date and time
・数詞 numeral, number ←New!
「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ王パセーナディ」は同格表現であって文法的な語順–統語論 (syntax) に関わってくるし、インド・ヨーロッパ系の諸語は古典語であっても同格表現の語順に相違がある。
しかし、これに関しても東洋式と西洋式とで対立的な傾向が強いことがいくらかの文献の例示で分かる。
インドが地理的にも語順に関しても中間的であることは当該記事にも示された。
名称は"eastern-western"方式と"oriental-occidental"方式のどちらがよいかは、前者が直感的であると同時にオリエンタリズム orientalism の連想を回避しやすいので、私は前者を選ぶ。
大文字と小文字 (upper-case or lower case) については、標準的に小文字を用いる。
「西洋」は地理的・文化的な範疇を通時的に括るわけでない。
西洋言語の影響下であっても、後世に国際補助語エスペラントの数詞や、ISO 8601による日付表記や、論文の姓名表記などに東洋式で反映された例は示される。
「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ国王パセーナディ"rājā pasenadi kosalo"」に関する復注
参考までにスペイン語 (Spanish, Español) で「イタリアのマッタレッラ大統領 or イタリア大統領セルジョ・マッタレッラ氏」を表現すると"el presidente italiano, Sergio Mattarella"となる。ポルトガル語 (Portuguese, Português) で「アメリカのブッシュ元大統領(子の方)」を表現すると"o ex-presidente americano George H.W. Bush"となる。同様に「アメリカのトランプ大統領」は"o presidente americano, Donald Trump"である。これらはイタリア語で表現しても同じような語順になる。コンマ (, comma) の有無が実際の使用例によって分かれることはここで論じない。
2020年1月16日の注釈(案)
数詞「12 (十ニ)」は日本語で「ジュウニ jūni, とおあまりふたつ tō amari futatsu」と言うようなことが、東洋式と西洋式とに区分できる。日本語・中国語・朝鮮語は共通の東洋式になる。インド・ヨーロッパ言語では、サンスクリット語dvādaśa द्वादश, ラテン語duodecim, 英語twelve など、"ten-two"(ten + two) ではなく"two-ten"(two + ten) のようにされる。インド・ヨーロッパ祖語も同様ではなかろうか、として推定される。西洋式はアラビア数字の表記と合わないし、和算 (sum) に適していないと考えられる傾向にあり、国際補助語(人工言語の一種)ではエスペラント語dek du, イド語dek-e-du など東洋式にされる(ラテン語deca = 10と duo = 2に当たる語句が12のためにduo + decaではなくdeca + duoとしてラテン語と逆になっている)。面白いことに、「16, 17. 18 (十六・十七・十八)」に関してはラテン語とイタリア語とフランス語のような親子–兄弟(イタリック語派–ロマンス諸語。ただしイタロ・ダルマチア語 Italo-Dalmatian, ガロ・ロマンス語 Gallo-Romance など更に細分化もある。ラテン語も厳密には古典ラテン語が想定される)の言語間で異なる様式がある。La: sedecim, septendecim, duodeviginti (18は20引く2で表現 cf. 19 = undeviginti); It: sedici, diciassette, diciotto (16–17でdiciの位置が変わる); Fr: seize, dix-sept, dix-huit (一見seizeは疑問だがイタリア語に同じ。ハイフン有り). 三者三様かつ、一者のうちでもイレギュラー irregular な命数法が伴っていると分かる。
cf. 英語版Wikipedia - "List of numbers in various languages" oldid=935245993. 今は例示しなかったドイツ語や朝鮮語–韓国語やアイヌ語の例に限らず、非常に色々な例が見られるが、出典は無いに等しいため、各々が個別に調べ直すとよい。
認知心理学などの学者 (Iro Xenidou-Dervou, Ann Dowkerら) が言語の数学に対する影響の研究をし、東洋式と私が言うようなものの方が児童の算数–数学の成績に良い結果をもたらすとしている。報道例:"Why you might be counting in the wrong language", BBC Future. by Anand Jagatia (この人名を論文姓名表記にJagatia, Anandと改めるページがインターネット上に見られる)
数詞の西洋式についても「原初–起源」を推し量るならば、地名や日付と同じく「小さいものから大きいものへ」という判断基準の適用を考えることができる。もう1つの判断基準に「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」というものがある。ここでは、現代アラビア数字「10」とすると0表記ありきの先入観が反映されるので漢数字に「代入」してみる。彼らの手に取る範囲の事物もとい日常的な思考に関わるものとして二十以下の数は「一から十とされる範囲を繰り返す」ことが許され、単に十台 (-teen) であることが分かる形態が伴えばよい。二十以上は日常的に考えなくてよい。しかし、時には二十以上が必要である。そういう場合はどうか、現代人の私が判断材料を探る。三十二–三十三–三十七のためにサンスクリット dvātriṃśa द्वात्रिंश, trayastriṃśa त्रयस्त्रिंश, saptatriṃśa सप्तत्रिंश, という数の表現を用いている(仏教用語の三十二相–三十三天–三十七道品などを参照。同じ用語がパーリ語にもあって比較可能)が、これらを見ても低い桁の数の後に高い桁の数を言う「小さいものから大きいものへ」・「一から十とされる範囲を繰り返す方が行いやすい」という基準の方法になっている。他の例で三万ニ千人いることに「(二+三×十)×千 (two plus three times ten) times thousand」のような表現があったりする(e.g. 1999年にチベットで見つかった維摩経写本: dvātriṃśatā ca bodhisatvasahasrair... 鳩摩羅什漢訳=大正蔵17巻537頁a段:: 菩薩三萬二千)。仏教で定型的に見られる「八万四千」という数は、大乗仏教の脈絡に見る「八万四千法門」以外にあるか探すと、パーリ経蔵・長部17経 Mahāsudassana Sutta に"caturāsīti thambhasahassāni"(中阿含経=大正蔵1巻516頁a段: 八萬四千柱) が見られた。これらはいずれも千にあたる数詞 sahasra, sahassa が数量化される語句 bodhisatva, thambha を隔てて後側に伴う。
旧世界–ユーラシア的な範疇の二項対立に思われそうである。
英独仏や日中韓を一括りにすることを嫌う人がいる。
しかし、便宜的かつ人名にあやかった科学用語のようなもので、ステレオタイプなどの偏見を催すように思われても「東洋式」・「西洋式」という呼称を用いる。
一般的に理解の得られそうな(ポピュラー popular だが)東アジア言語とヨーロッパ言語が中心的に提示されている。
興味のある人がアフリカ大陸や南北アメリカ大陸(アメリカ州)の「エスニックな言語(帝国的な目線での表現)」についても、データを徹底的に調べて体系的にまとめればよいと思う。
当該記事2019-03-05と当記事で「東洋式」・「西洋式」とくくることにした語順は:
・地名 toponym, place name, placename
・人名=姓名 human name, personal name, full name; first–last, given name–surname
・日時=日付と時刻 date and time
・数詞 numeral, number ←New!
「波斯匿王(はしのくおう)=コーサラ王パセーナディ」は同格表現であって文法的な語順–統語論 (syntax) に関わってくるし、インド・ヨーロッパ系の諸語は古典語であっても同格表現の語順に相違がある。
しかし、これに関しても東洋式と西洋式とで対立的な傾向が強いことがいくらかの文献の例示で分かる。
インドが地理的にも語順に関しても中間的であることは当該記事にも示された。
名称は"eastern-western"方式と"oriental-occidental"方式のどちらがよいかは、前者が直感的であると同時にオリエンタリズム orientalism の連想を回避しやすいので、私は前者を選ぶ。
大文字と小文字 (upper-case or lower case) については、標準的に小文字を用いる。
「西洋」は地理的・文化的な範疇を通時的に括るわけでない。
西洋言語の影響下であっても、後世に国際補助語エスペラントの数詞や、ISO 8601による日付表記や、論文の姓名表記などに東洋式で反映された例は示される。
2020年2月5日水曜日
音楽における「和風」議論 ~ 短音階第六音を抜くことの多寡
和風およびエスニックの音楽の特徴に、五音 (pentatonic) という簡素な音高 (pitch) の数で構成される音階 (scale) が挙げられる。
その本源は各種楽器の調律-チューニング tuning の結果として1オクターブあたりの音数の制約があったことと考えられる。
デジタルな制作環境 (DAW, digital audio workstation) でも、その雰囲気は作曲者の感覚または理論から保持される傾向にあるが、七音音階 (heptatonic scale) によるメロディに親しんでいる側面から六音 (hexatonic) が多いか、好まれやすい。
※当記事でいう「音楽」は特筆しない限り、現代の日本の音楽シーンが位置する大衆音楽–ポピュラー音楽 (popular music) を意味する。厳密な定義は困難だが、厳格な伝統の守護の意識が無いなどの点で、そう考える。
その本源は各種楽器の調律-チューニング tuning の結果として1オクターブあたりの音数の制約があったことと考えられる。
デジタルな制作環境 (DAW, digital audio workstation) でも、その雰囲気は作曲者の感覚または理論から保持される傾向にあるが、七音音階 (heptatonic scale) によるメロディに親しんでいる側面から六音 (hexatonic) が多いか、好まれやすい。
※当記事でいう「音楽」は特筆しない限り、現代の日本の音楽シーンが位置する大衆音楽–ポピュラー音楽 (popular music) を意味する。厳密な定義は困難だが、厳格な伝統の守護の意識が無いなどの点で、そう考える。
当記事は、私がそう結論を得るような研究した経過と結果で構成される。
昔からの経緯を、まず、示す。
某サイト作曲者「らい○」について、2015年8月に私はSU名義(らい○同一人物)とSRS名義(らい○同一人物か疑問の余地)の活動を検証した。
そこ (音楽館 2015-08-30記事) で、以下の情報を書いた。
※「苦言」は疑問符が付いていない疑問文の形式を取り、「どこも和風でない」と言いたい婉曲的な否定の文であろう。らい○本人は「主メロが和風」、「ピアノを琴 (koto, 和楽器の一種) にしようか迷っても楽器でごまかすことはよくないと思った結果」という趣旨を含む低頭の返信をしていた。
らい○ちゃんの「和風曲の解釈についての苦悩」について、一つの説明ができる。
2019年12月15日に私が思い当たることを調べた。
問題の「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」の主旋律–メロディ (main melody) は「ニロ抜き短音階(二六 niro 抜き)」に近似していると分かった。
この曲の調(キー key)は嬰イ短調(変ロ短調ともいう。英: A#m, B♭m)であるが、これをイ短調(先の半音のみ低い調。英: Am)に移調すると、本来七音の音階(ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G)であるうちの六音(6つ)のみが使われ、使われない一音は第六音 (6th)=ロ(ファ F)である。
i.e., A B C D E G A… = ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ・ラ… (古い音名でイ・ロ・ハ・ニ・ホ・ト・イ…とも表現できるが後述のように、ロ短調と呼ぶようなイロハ式のときのロと二六=ニロのときのロは別物である点に注意)
このような近似ニロ抜き短音階…、ここで厳密に言うと「短音階第六音を除いた音階」の楽曲は東方Projectの曲に多いとして、説明するページがある。
そこでも例示された「明日ハレの日、ケの昨日 (th10_14)」と「旧地獄街道を行く (th11_06)」を同じようにイ短調にすると、同じく主旋律で使われない一音は第六音=ロ(ファ F)であった(ニロ抜きというがニもといシ Bはそこそこ出る)。
ここでの検証方法は有志作成MIDIファイルの利用によるが、興味のある人が各自で調べるとよい(上2曲については動画で説明する人がTwitterに見られた 1, 2)。
当方ID(私による管理楽曲識別番号。初のらい○記事2014-10-04にも載る。らい○ちゃんの2011年1月1日トランス曲は439)で、和風のトランス楽曲162-163も同じであった。
以上も以下も、注意してほしい点は「短音階=自然短音階 natural minor scale(3種の1。長音階は1種類のみ)」ということと、「あくまでも主旋律のみが対象(伴奏のベースやアルペジオやコードなどは必ずしも当てはまらない)」ということである。
さて、SRS名義での「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」(2013年6月) という発言についても思い返そう。
らい○名義・SU名義・SRS名義の全期間において、あまり音楽理論(音階理論や和声理論)は言及されなかったが、このような「和風議論」において音階の側面でも優位な一面があると私は感じた。
なお、東方Projectの曲に多いコード進行VI→VII→i (短調での話。e.g. Am = Cが調の時 F→G→Am) をも、この「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」は踏襲していた。
東方Projectのゲームや音楽の作者であるZUN氏(太田順也/博麗神主)は「和風」についてどう楽曲に反映するか?
東方文花帖(同名のゲームもあるが2005年8月出版の書籍の方。ISBN 9784758010375)における「幻想の音覚」の中で、彼の「プレインエイジア (th08_07)」という曲のコメントにこう書いている:
私の記憶を出発点にしてから、「
これを引用する場面なのかと悩んだが、一応した。
「三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する」という「ある物」は、彼の作曲環境と彼の感性とであろう。
ここで革新的に彼は、合理的な復古主義(近世や近代ならではの科学的なもの)を批判しつつ、彼の生まれながらの感性と自由な学習による音楽性と言語表現とを用いることを是としていよう。
それを日本の「無思想の思想」にも比較してみよう。
作曲環境において三味線や尺八は使用可能であるし(GM音源にShamisenとShakuhachiがある。彼の持つハード音源SD-90プリセット名にも当然ある)、音階についても意識的に用いることは可能である。
典型的な和楽器のインストゥルメントや、和楽器の調律に基づく日本音階(英語版Wikipedia - Japanese musical scalesに色々と載っているが信憑性は不明)を、確かに彼は使わない傾向がある。
ところで、その「プレインエイジア」という曲も、やはり主旋律は六音のみの音階であって短音階第六音が用いられない(i.e. ヘ短調 Fm であって第六音ドのシャープ C#が用いられない。調をイ短調にするとイ短調の音階の第六音ファ Fが用いられない)。
ZUN氏の、2005年8月当時と近い時期の説明も少し参照されたい。
他に気になれば"Music Room"コメントなどを「和」などのキーワードで探してみるとよい。
単語例として「和洋折衷」については「
話がそれたので少し戻すと、らい○ちゃんの思う「和風」とは、ZUN氏の音楽性や言語表現に見る「和風」に近いと思ってよい。
これは東方界隈やボカロ界隈が詮ずる所、日本の大衆文化 (popular culture, pop culture in Japan) の中にあるという点で括れば、それで済む話になる。
実際のところ、2011年1月1日トランス曲も、SRS名義2013年6月の曲も和楽器を用いないが、らい○2011年以前には三味線や琴や尺八などがID: 861 893 894で使われる(和楽器はしばしば某サイト曲において他のエスニック系インストゥルメントや笛についてのフルートやパンフルートやオカリナやピッコロやカリオペリードで代用される)。
SRS名義2013年6月の曲「雰囲気が和風」とは、せいぜい曲名や歌詞ということになる点で、ZUN氏と異なる側面もあると結論付ける。
一般的な音楽での結論:
「和風曲」の音階理論におけるエッセンスは…
十二平均律の観点での短音階第六音=長音階第四音抜き、となる。
本来は和楽器やエスニック系の楽器の調律に依存するが、これらは別の検討方法が必要になる。
簡潔に言えば、和風曲では1オクターブ中に使う音高を6つ(できれば5つ)に制約するとよい。
早い段階で「一つの説明」と言ったように、これらはいくつか条件 (conditions: harmony-scale-tuning) が確立されている上で与えられた分析結果の説明であるため、普遍的であるとは限らない。
付録
主旋律(メロディライン)に用いられる音の音高の数により、私の管理データの楽曲の識別番号を区分してみる。
ここでは例示程度の曲数からそのような区分をしてみる。
識別番号 (数字ID) に「上n」または「下n」を付随し、イ短調またはハ長調に移調した際、上げたか下げた半音の数を表示した。
「314下5」であれば、原曲314の調がニ短調 (Dm) であるところを半音5つ下げてイ短調にしたものだ。
「平」の場合は、移調なく(イ短調・ハ長調のまま)音階の調査をしたことを示す。
加えて、先の話で「ニロ抜き短音階」といったことを長調に適用すると「ヨナ抜き長音階(四七 yona 和語の数詞ヒフミヨイムナから)」となり、短音階におけるニ・ロと長音階におけるヨ・ナは同じ音高を指す。
つまりイ短調自然短音階で第二音 (2nd)=ニ(シ B)と第六音 (6th)=ロ(ファ F)はハ長調長音階で第四音 (4th)=ヨ(ファ F)と第七音 (7th)=ナ(シ B)に相当するので、いずれもファ Fとシ Bとが除かれている。
紛らわしいことに「ニ・ロ」は漢数字の漢字発音に由来しており、イロハニホヘト由来の音名 (A B C D E F Gに対応) でニがレ D、ロがシ Bであることと混同しないようにしよう。
私による作曲例も含まれるが、多くは他の個人活動作曲者である。
それについては色々と秘密にする(本当は私的な研究目的のため)。
括弧内に縷々とジャンル名など補足事項を書いてあるが、割と主観的(作者自身の説明や原題に基づく要素もある)なので参考程度にしていただきたい。
前置きが長くなったが、以下から一覧であり、参考のための動画 (https://youtu.be/JOBf018Wv14) も参照されたい。
五音または六音のみの音階で基本的に主旋律を構成する曲:
439下1(本文に言及されるらい○作)
昔からの経緯を、まず、示す。
某サイト作曲者「らい○」について、2015年8月に私はSU名義(らい○同一人物)とSRS名義(らい○同一人物か疑問の余地)の活動を検証した。
そこ (音楽館 2015-08-30記事) で、以下の情報を書いた。
・らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲では「和風」を称していたが、和楽器を用いていないもので、アンチから「どこが和風ですか(★1評価)」と苦言されて以来、和風曲の解釈に苦しみ続けているようで、SRS名義でも「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」と予め断ったロック曲(13年6月)がある。
※「苦言」は疑問符が付いていない疑問文の形式を取り、「どこも和風でない」と言いたい婉曲的な否定の文であろう。らい○本人は「主メロが和風」、「ピアノを琴 (koto, 和楽器の一種) にしようか迷っても楽器でごまかすことはよくないと思った結果」という趣旨を含む低頭の返信をしていた。
らい○ちゃんの「和風曲の解釈についての苦悩」について、一つの説明ができる。
2019年12月15日に私が思い当たることを調べた。
問題の「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」の主旋律–メロディ (main melody) は「ニロ抜き短音階(二六 niro 抜き)」に近似していると分かった。
この曲の調(キー key)は嬰イ短調(変ロ短調ともいう。英: A#m, B♭m)であるが、これをイ短調(先の半音のみ低い調。英: Am)に移調すると、本来七音の音階(ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G)であるうちの六音(6つ)のみが使われ、使われない一音は第六音 (6th)=ロ(ファ F)である。
i.e., A B C D E G A… = ラ・シ・ド・レ・ミ・ソ・ラ… (古い音名でイ・ロ・ハ・ニ・ホ・ト・イ…とも表現できるが後述のように、ロ短調と呼ぶようなイロハ式のときのロと二六=ニロのときのロは別物である点に注意)
このような近似ニロ抜き短音階…、ここで厳密に言うと「短音階第六音を除いた音階」の楽曲は東方Projectの曲に多いとして、説明するページがある。
ニロ抜き短音階の考察 - ZUN氏作曲音楽データベースWiki
https://w.atwiki.jp/tohomusicdb/pages/505.htmlそこでも例示された「明日ハレの日、ケの昨日 (th10_14)」と「旧地獄街道を行く (th11_06)」を同じようにイ短調にすると、同じく主旋律で使われない一音は第六音=ロ(ファ F)であった(ニロ抜きというがニもといシ Bはそこそこ出る)。
ここでの検証方法は有志作成MIDIファイルの利用によるが、興味のある人が各自で調べるとよい(上2曲については動画で説明する人がTwitterに見られた 1, 2)。
当方ID(私による管理楽曲識別番号。初のらい○記事2014-10-04にも載る。らい○ちゃんの2011年1月1日トランス曲は439)で、和風のトランス楽曲162-163も同じであった。
以上も以下も、注意してほしい点は「短音階=自然短音階 natural minor scale(3種の1。長音階は1種類のみ)」ということと、「あくまでも主旋律のみが対象(伴奏のベースやアルペジオやコードなどは必ずしも当てはまらない)」ということである。
さて、SRS名義での「和風なのは曲じゃなくて雰囲気」(2013年6月) という発言についても思い返そう。
らい○名義・SU名義・SRS名義の全期間において、あまり音楽理論(音階理論や和声理論)は言及されなかったが、このような「和風議論」において音階の側面でも優位な一面があると私は感じた。
なお、東方Projectの曲に多いコード進行VI→VII→i (短調での話。e.g. Am = Cが調の時 F→G→Am) をも、この「らい○時代の2011年1月1日に投稿されたトランスの楽曲」は踏襲していた。
東方Projectのゲームや音楽の作者であるZUN氏(太田順也/博麗神主)は「和風」についてどう楽曲に反映するか?
東方文花帖(同名のゲームもあるが2005年8月出版の書籍の方。ISBN 9784758010375)における「幻想の音覚」の中で、彼の「プレインエイジア (th08_07)」という曲のコメントにこう書いている:
これこそが日本人が見た日本だ、という意気込みで曲を書きました。純邦楽と言われる曲がありますが、アレは完全に作られた日本なのではないのかと思う。日本人は歴史の物の成長を再開させた様に見えて、その実は歴史と現代を分け始めた。本当は、現代風の手段をもってして、自然とどこかに日本が入ってくる事を目指すべきだと思っています。この曲は今の私が考える日本の曲。別に三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する。こういう曲を聴くと、日本に生まれて良かったという幻覚を見る。えっ幻覚?いやいや、幻覚は思い込みなどではないのです。引用元:东方文花帖(书籍)/幻想的音觉/中日对照 - THBWiki ※リンク先のサイトのコンテンツはフェアユースの範疇でないかもしれない (It may not be fair use)。他に英語サイトなどで載るが、私に原文を検証する手段も無いので、信憑性は読者に任す。
私の記憶を出発点にしてから、「
あたかも自らが作曲したかのように滔々とコラムを書き連ねる博麗神主」というような内容を見直した。
これを引用する場面なのかと悩んだが、一応した。
「三味線や尺八に拘るわけでもなく、日本ならではの音階を使うのでもなく、ある物で表現する」という「ある物」は、彼の作曲環境と彼の感性とであろう。
ここで革新的に彼は、合理的な復古主義(近世や近代ならではの科学的なもの)を批判しつつ、彼の生まれながらの感性と自由な学習による音楽性と言語表現とを用いることを是としていよう。
それを日本の「無思想の思想」にも比較してみよう。
作曲環境において三味線や尺八は使用可能であるし(GM音源にShamisenとShakuhachiがある。彼の持つハード音源SD-90プリセット名にも当然ある)、音階についても意識的に用いることは可能である。
典型的な和楽器のインストゥルメントや、和楽器の調律に基づく日本音階(英語版Wikipedia - Japanese musical scalesに色々と載っているが信憑性は不明)を、確かに彼は使わない傾向がある。
ところで、その「プレインエイジア」という曲も、やはり主旋律は六音のみの音階であって短音階第六音が用いられない(i.e. ヘ短調 Fm であって第六音ドのシャープ C#が用いられない。調をイ短調にするとイ短調の音階の第六音ファ Fが用いられない)。
ZUN氏の、2005年8月当時と近い時期の説明も少し参照されたい。
さてに曲。曲の方もますます独自の世界に入っていきたいと思いつつ。全体的に曲も東洋風を意識しています。東方なんだからね(笑)
かといってこてこての和風過ぎるのも好きではないので、どこか懐かしい感じを受ける程度に東洋風だといいかな?って感じにしたいところです。- 東方妖々夢 体験版Plus おまけ.txt (web上からの孫引き)
それにしても、いつもは西洋風の曲を創っても、何処かしら東洋風の雰囲気が混じるのですが、今回は東洋風に徹しても、何処かしら異国風になっているような気がしてならない。決められたものを決められた通りに創れないのは、プロフェッショナルでない証拠ですね(^^;和洋折衷、ということで・・・- 東方妖々夢 おまけ.txt (web上からの孫引き)
他に気になれば"Music Room"コメントなどを「和」などのキーワードで探してみるとよい。
単語例として「和洋折衷」については「
紫(筆者注:キャラ名 Yukari)の場合、和洋折衷じゃ駄目なんですよね。分離したまま一つにしないと、肝心の境界がなくなってしまいますから。(東方萃夢想 "夜が降りてくる ~ Evening Star")」、「
この曲は私なりに最大限の和洋折衷を目指した曲です。(東方永夜抄"夜雀の歌声 ~ Night Bird")」といった具合に用いられる。
話がそれたので少し戻すと、らい○ちゃんの思う「和風」とは、ZUN氏の音楽性や言語表現に見る「和風」に近いと思ってよい。
これは東方界隈やボカロ界隈が詮ずる所、日本の大衆文化 (popular culture, pop culture in Japan) の中にあるという点で括れば、それで済む話になる。
実際のところ、2011年1月1日トランス曲も、SRS名義2013年6月の曲も和楽器を用いないが、らい○2011年以前には三味線や琴や尺八などがID: 861 893 894で使われる(和楽器はしばしば某サイト曲において他のエスニック系インストゥルメントや笛についてのフルートやパンフルートやオカリナやピッコロやカリオペリードで代用される)。
SRS名義2013年6月の曲「雰囲気が和風」とは、せいぜい曲名や歌詞ということになる点で、ZUN氏と異なる側面もあると結論付ける。
一般的な音楽での結論:
「和風曲」の音階理論におけるエッセンスは…
十二平均律の観点での短音階第六音=長音階第四音抜き、となる。
本来は和楽器やエスニック系の楽器の調律に依存するが、これらは別の検討方法が必要になる。
簡潔に言えば、和風曲では1オクターブ中に使う音高を6つ(できれば5つ)に制約するとよい。
早い段階で「一つの説明」と言ったように、これらはいくつか条件 (conditions: harmony-scale-tuning) が確立されている上で与えられた分析結果の説明であるため、普遍的であるとは限らない。
付録
主旋律(メロディライン)に用いられる音の音高の数により、私の管理データの楽曲の識別番号を区分してみる。
ここでは例示程度の曲数からそのような区分をしてみる。
識別番号 (数字ID) に「上n」または「下n」を付随し、イ短調またはハ長調に移調した際、上げたか下げた半音の数を表示した。
「314下5」であれば、原曲314の調がニ短調 (Dm) であるところを半音5つ下げてイ短調にしたものだ。
「平」の場合は、移調なく(イ短調・ハ長調のまま)音階の調査をしたことを示す。
加えて、先の話で「ニロ抜き短音階」といったことを長調に適用すると「ヨナ抜き長音階(四七 yona 和語の数詞ヒフミヨイムナから)」となり、短音階におけるニ・ロと長音階におけるヨ・ナは同じ音高を指す。
つまりイ短調自然短音階で第二音 (2nd)=ニ(シ B)と第六音 (6th)=ロ(ファ F)はハ長調長音階で第四音 (4th)=ヨ(ファ F)と第七音 (7th)=ナ(シ B)に相当するので、いずれもファ Fとシ Bとが除かれている。
紛らわしいことに「ニ・ロ」は漢数字の漢字発音に由来しており、イロハニホヘト由来の音名 (A B C D E F Gに対応) でニがレ D、ロがシ Bであることと混同しないようにしよう。
私による作曲例も含まれるが、多くは他の個人活動作曲者である。
それについては色々と秘密にする(本当は私的な研究目的のため)。
括弧内に縷々とジャンル名など補足事項を書いてあるが、割と主観的(作者自身の説明や原題に基づく要素もある)なので参考程度にしていただきたい。
前置きが長くなったが、以下から一覧であり、参考のための動画 (https://youtu.be/JOBf018Wv14) も参照されたい。
五音または六音のみの音階で基本的に主旋律を構成する曲:
439下1(本文に言及されるらい○作)
162=163平(本文に言及される和風トランスといえる何か。それぞれ原曲とアレンジの関係)
2平, 629下3, 676下6(黄昏フロンティア東方原作格ゲーのあきやまうに氏・NKZ氏による曲のようなワールド–エスニック系インストゥルメンタル。一説では猫叉Master/佐藤氏の音ゲー曲のようだとも)
74下4, 75上5, 79下1, 96下4, 545上6, 546平サビで上1(東方風)
90上1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。冒頭から終盤まで頻出するフレーズは徹底的にニロ抜き五音で他は六音が基本。ピアノ伴奏・ソロは七音以上を鳴らす部分も)
349下1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。主旋律の大半は徹底的にニロ抜き五音で、Bメロのみ六音と音階の外の音1つで七音。ちなみに一部フレーズは東方原曲「童祭 ~ Innocent Treasures」上6からのオマージュで、その曲も当該フレーズのみニロ抜き五音)
407下1(アニソン風味。長調。第七音を用いない)
467下1(後述のFF等RPGのゲーム音楽に影響された云々の作品群に含まれるが、この曲のみこちら)
492下1(らい○作メロディックデスメタル色の和風V系ロック。短音階第四音レ Dと第七音ソ Gがギターソロ2回分や28-32小節のようなボーカルパート頻出フレーズで抜かれている。ヨナ抜き短音階による五音音階の希少な例)
基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する曲:
282下6, 526上2, 530上1(らい○作ロック曲)
300下4, 608上4, 820下2, 821平(長調。邦楽ポップ・バラード–ピアノバラード。300, 821は長音階第七音シ Bの頻度低め)
314下5(色々なテイスト。73小節からの主旋律のみ東方風の印象があったが今回の調査でやはり短音階第六音が使われていないと判明。他は七音+ソ# G#)
315平(長調。J-pop風味)
339序奏間奏で下2サビで下5(ユーロビート色のハードコアテクノ風ポップス。BPMとリズムとシンセ音色が「ハレ晴れユカイ」や「魔理沙は大変なものを…」に近似して2000年代のニコニコ受けがよさそう)
435下1, 436上5, 465下6, 466下6(FFに代表される邦RPGの世界観に影響された雰囲気が濃いと同時にハードコアパンクやヘヴィメタルに属するロック)
469下2, 724平(フラメンコ色のワルツで前者はエレキのギターソロ付きハードコアパンク。ボーカルフレーズは両者とも七音音階の外の音が多く用いられる)
504下5(らい○作V系メタル。ボーカルフレーズは短音階第六音の頻度が少なめで七音音階の外の音が用いられやすい)
540下2, 541上5(長調。アイルランド伝統音楽風。後者は現代ミクソリディア旋法またはミクソリディアンスケールと言われる音階"modern mixolydian"に当たる)
726下6(洋楽風ロック)
881下3(カンツォーネまたはシャンソンを想起させる・ロマンスあふれるフォークまたはカントリー)
注: 基本の七音から外れた音も伴奏コードに依存して登場する。イ短調は先述の通りラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G = 白い鍵盤のみを使うので、これに加わる音は黒い鍵盤となる。典型的にイ短調はダイアトニックコードの一つBmの和音を構成するファ# F#が考えられる。曲によって何の黒い鍵盤が頻出するかが分かれる。465ではソ# G#が用いられ、466ではファ# F#が用いられ、六音が基本の467でもファ# F#が用いられている。ソ Gの代わりにソ# G#を用いる短音階は和声的短音階 harmonic minor scale、そこに加えてファ Fの代わりにファ# F#を用いる短音階は旋律的短音階 melodic minor scale と言われるが、この他の黒い鍵盤の音(ド# C#など)が用いられる場合もある。長音階でも七音の外の音がありうる。場合によっては無調性 atonality や半音階 chromatic scale, chromaticism と呼びうる。もしそう見えても主音 tonic note や終止 cadence などに注目して調を見出すことも可。
基本の七音のうち短音階第六音=長音階第四音を控えめに用いて主旋律を構成する曲:
172下4後半で平(短調。東方風だが特に秘封倶楽部を連想させる。前半部では、伴奏コードのごとく短音階第一音のフラット、イ短調でのラ♭ A♭ = G# が頻繁に見られる)
管理楽曲識別番号を用いた例示は以上である。
識別番号による合計の曲数は50 (= 18 + 23 + 9) である。
他に、私の投稿物で今からでも聴ける例を示す:
「ハピコアメロコアメロスピ同盟(仮)」 https://www.youtube.com/watch?v=ecyUbYFg1EQ (平, 短調, 題のジャンル+東方テイスト, 2014年8月–) はイントロのギターソロのみ七音で、ボーカルや残りのギターソロが二五・ニゴ抜き短音階ともいえる五音(A C D F G. 当時の音楽理論理解でミ Eとシ Bを避けていた)で構成される。
他の楽曲(手持ちのMIDI)で少し調べた例も載せる:
Furusato (平, 短調, 日本の民謡「ふるさと」…私の耳コピ) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Cielito Lindo (下2, 長調, メキシコの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
虹色は光のスペクトルの赤ないし紫(科学知識によれば電磁波における可視光線の長い波長750 nmから短い波長380 nm)を示すものであり、それを文化ごとに三色とも五色とも七色とも言い、現代日本では七色(7色)で定着している。
七色を唱えた説のうち、有力な説明をした最初の人はアイザック・ニュートン Isaac Newton と思う。
過去記事に記したように、彼の時代はまだ光の粒子説と波動説とがあるうち、波動の面での解明が浅かったので「波長」とは言われずとも、目に見えるもの (visible) としてプリズム (prism) からの光を指すこともできる「スペクトル (spectrum, spectra)」は言及があった。
彼は七色を"Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo, Purple"とした。
Blue, Indigo は青・藍と直訳できるが、これら2色は代数的に呼ばれたものなので、今日のシアン Cyan(子ども向けには水色)・青 Blue と言い換えられる方がよい。
彼の七色の説は1704年に刊行された「光学 Opticks」で見られる。
そこには、七色を七つの音 (D E F G A B C, レから始まる) に配当した説明が見られる、と私は認知しているが、原著の文脈を知らないので、少し探してみた。
Fig. 11. とは、BOOK ONE. PART II.の中で11番目の図表 (figure) を意味する。
その図表に描かれるサークル(円形)はD E F G A B Cと名付ける線7つで時計回りで区切られ、外側にRedからPurpleまでの色の名が領域DEから領域CDまで時計回りで記されている。
7つの色を分けるD E F G A B Cの線はDを調とする音階または旋法と関係が無いものか?
便宜的なものであろうか?
そのあたりはこの内容から読み取ることができない。
"proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"を含んだ段落が、どう関係しているか?
"the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"という同格表現をどう解読すべきか分からないが、1オクターブ12音高の時に:sol, la はそのまま半音7つ(完全5度)上げて re, mi の位置にすると次の fa, sol, la に繋がり、次の mi, fa, sol はそのまま半音5つ(完全4度)下げて si, do, re の位置にすると、これらは re, mi, fa, sol, la, si, do, re という D E F G A B C D という1オクターブの"the eight Sounds"の"the seven Musical Tones or Intervals" (7つの音程) になる、としか私には理解の方法が無い。
図を見る限り、一般的な音階のE-FやB-Cは半音で隣り合うので、これをスペクトルの Orange と Indigo が視覚的に狭いことに託してDのドリア旋法 (Dorian mode, ドリアン・モード;教会旋法のほう) を採用している、という点で理論的に見える。
Orange と Indigo はそれまで五色が主流だった虹の色数の説明に、彼が七音音階に合わせて七色とするために加えて挙げたものであるとも世間で言われている。
インターネット上でもそういう説明がそこそこあろう。
この解釈には、その理解をニュートンさんが持っていたという直接的根拠があるか判然としない。
虹の色彩は、好む人も好まない人もいる。
白黒二色やモノクロームやモノトーンや任意の色の濃淡明暗の差の色彩と比べてどう好まれるか?
虹の色彩を用いる場面によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階も、五音音階より好きという人も嫌いという人もいる。
七音音階を用いる曲の雰囲気によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階は虹の色彩か、それとも任意の調の下で比較的自然に用いられる白い鍵盤の範囲か?
この話をするうちに思弁的な気がしてきた。
七音音階の好き嫌い・善悪も、認知科学などの方法論で解明したり説明したりできるかもしれないが、現状ではこれ以上の示唆ができない。
いくらかの疑問を残す。
私は、根拠の少ない状態で結論に導くようなことを言いたくないので、読者への宿題ということにしておこう。
それでも、七音音階は虹の色彩に見えるし、七音音階の外の音高は白い鍵盤に対する黒い鍵盤のように虹の色彩で形式的に示される七色それぞれに類似する色に見える、と私の今の感覚を言う。
この共感覚のようなもの (synesthetic sense, sensation like synesthesia) が、過去にどうであったか、未来に続いているかは別の話である。
音高を色で表す合理的な方法も、考えてみよう。
虹の色彩は表現される色数が3であれ5であれ7であれ:
HSVカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Value"明度100%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままVの値を下げると黒に近づき、H = 任意でV = 100%のままSの値を下げると白に近づく。
HSLカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Lightness"輝度50%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままLの値を下げると黒に近づき、Lの値を上げると白に近づく。
HSVやHSLのモデルを適用し、オクターブの高低の差を色で表現することを可能にする。
MIDIのC-1からC9でいえば、聴覚的に音色の特徴が理解されやすい音域がC4(十二平均律でピッチ基準音440 Hzの場合にC4ドは約261.63 HzでC4シは約493.88 Hz)なので、C4に虹の色彩もとい光のスペクトルを置き、C-1は白か黒、C9は黒か白に近づくように脱色の方向で扱う。
この方式が一般的に採用されているか、私は知らない。
類例として、C D E F G A Bの7つの音高を7つの異なる色にして表示することはMIDIファイルを扱うソフトウェアなどに見られる。
その一例として、Domino では色のスペクトルで(ニュートン式の名で仮定すると)Bが赤であり、Cがオレンジであるところを経由してAが紫となるような配色(視覚的または技術的にはBがオレンジ appr. #ff8000 でCが赤 appr. #ff3000 と逆に感じる;他にはD, E, F, Gは緑、藍=青、黄、青=シアンなので、スペクトルにならって正せばF, D, G, Eのようにしたくなる配色)にしている。
起草日: 20191215
記事本文中に:
短音階の第六音は第6音、第二音は第2音と記さなかった。
長音階の第四音は第4音、第七音は第7音と記さなかった。
個人的に、七色(なないろ/ななしょく/しちしょく/しちしき)の読み方は訓読み「なないろ nanairo」としたい。
ただし、私のセンスでは「三色」が「さんしょく sanshoku」、「五色」が「ごしき goshiki」となるなど、私が音読みのうちの漢音 kan-on や呉音 go-on を単語ごとに分けて用いるような読み方になる。
これも「色々 iroiro」、「色とりどり iro-toridori」ということになる。
ゲーム音楽–ゲームミュージック (video game music) を研究する学問を英語圏で"ludomusicology" (「遊び・遊ぶこと」を意味するラテン語由来の語幹 lud, ludus のギリシャ接頭辞化 ludo-または interconsonantal vowel -o- 挿入 lud-o- が付いた ludology という「ゲーム研究 game studies」を意味する用語に musicology という「音楽学」を意味する用語を合成したという)と呼んでいることは2019年12月28日に知った。
その分野には、国内外の東方ファンおよび国内のゲームファンの交流があまりなさそうである。
民族音楽とされるものを研究する学問を英語圏で"ethnomusicology"と呼んでいることは2020年1月3日に知った。
文字通りに「民族音楽学」と訳語にすることが可能であるが、西洋音楽との対比が差別的であるとか、音楽的特徴以外も研究した民族学 (ethnology) の一種だとして見るために「音楽民族学」と呼んで理解する向きもある。
先に「民族(ethnicity, ethnic group)」と定義を与えたものに属する音楽とその文化を研究対象とすることが「正統派」であろう。
「本物–ホンモノ」だという民族音楽は、「民族」の文化的全体性や社会的な目的などに従属するので、独立の音楽としての側面以外が強調される。
音楽的特徴に関しては音階理論以外にも「狩猟の際の槍・弓矢の使用は弱強の裏拍リズムで、農耕の際の鍬の使用は強弱の表拍リズムだから文化によってリズムの得意・不得意が異なる」云々の論調も含まれる(鍵括弧内については日本人と西洋人を対比して任意の問題の原因を示す際のたとえ話で日本人がよく用いる様子)。
一般的な認知で、民族音楽は民族音楽というスタイル(典型的に楽器・衣装・演奏者らのアイデンティティ)が一般人に分かりやすい範疇で言う。
当記事で「エスニック ethnic, フォーク folk」と呼ぶようなものは、ポピュラー音楽での応用を指すので、この分野に関連しない。
実際、定義の不明な「民族音楽」という呼称は一度も用いられていない。
五音音階をイ短調=ハ長調(key: Am = C)で用いること(A C D E G. ニロ抜き短音階に当たる)は初歩的であって初心者の入門に適しているという趣旨の意見がWikibooks - "Guitar/Scales". oldid=3454107. に記されている:
当ブログでは、某サイトと東方Projectを同時に言及したことが一度ある。
2015-11-13記事『同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2015/11/20092012.html
2平, 629下3, 676下6(黄昏フロンティア東方原作格ゲーのあきやまうに氏・NKZ氏による曲のようなワールド–エスニック系インストゥルメンタル。一説では猫叉Master/佐藤氏の音ゲー曲のようだとも)
74下4, 75上5, 79下1, 96下4, 545上6, 546平サビで上1(東方風)
90上1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。冒頭から終盤まで頻出するフレーズは徹底的にニロ抜き五音で他は六音が基本。ピアノ伴奏・ソロは七音以上を鳴らす部分も)
349下1(東方アレンジ界隈の曲を思わせる。主旋律の大半は徹底的にニロ抜き五音で、Bメロのみ六音と音階の外の音1つで七音。ちなみに一部フレーズは東方原曲「童祭 ~ Innocent Treasures」上6からのオマージュで、その曲も当該フレーズのみニロ抜き五音)
407下1(アニソン風味。長調。第七音を用いない)
467下1(後述のFF等RPGのゲーム音楽に影響された云々の作品群に含まれるが、この曲のみこちら)
492下1(らい○作メロディックデスメタル色の和風V系ロック。短音階第四音レ Dと第七音ソ Gがギターソロ2回分や28-32小節のようなボーカルパート頻出フレーズで抜かれている。ヨナ抜き短音階による五音音階の希少な例)
814平(英語歌詞の洋楽風ロック。短音階第六音を用いないが僅かに七音音階の外の音ファ#とソ#を用いる)
注: 以上は概ね短音階第六音・長音階第四音(イ短調・ハ長調におけるファ F)の無い六音であり、ハモりの旋律は短音階第六音・長音階第四音が現れやすくなる。五音は90や349や492で特筆するほど稀である。74, 75, 79は途中に短三度転調(短三度もとい半音3つ分の転調)が1, 2回あり、いずれも上がるものだが、東方原曲で短三度転調というと「広有射怪鳥事 ~ Till When?」37小節付近と「蠢々秋月 ~ Mooned Insect」26小節付近のように下がるものもある。基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する曲:
282下6, 526上2, 530上1(らい○作ロック曲)
300下4, 608上4, 820下2, 821平(長調。邦楽ポップ・バラード–ピアノバラード。300, 821は長音階第七音シ Bの頻度低め)
314下5(色々なテイスト。73小節からの主旋律のみ東方風の印象があったが今回の調査でやはり短音階第六音が使われていないと判明。他は七音+ソ# G#)
315平(長調。J-pop風味)
339序奏間奏で下2サビで下5(ユーロビート色のハードコアテクノ風ポップス。BPMとリズムとシンセ音色が「ハレ晴れユカイ」や「魔理沙は大変なものを…」に近似して2000年代のニコニコ受けがよさそう)
435下1, 436上5, 465下6, 466下6(FFに代表される邦RPGの世界観に影響された雰囲気が濃いと同時にハードコアパンクやヘヴィメタルに属するロック)
469下2, 724平(フラメンコ色のワルツで前者はエレキのギターソロ付きハードコアパンク。ボーカルフレーズは両者とも七音音階の外の音が多く用いられる)
504下5(らい○作V系メタル。ボーカルフレーズは短音階第六音の頻度が少なめで七音音階の外の音が用いられやすい)
540下2, 541上5(長調。アイルランド伝統音楽風。後者は現代ミクソリディア旋法またはミクソリディアンスケールと言われる音階"modern mixolydian"に当たる)
726下6(洋楽風ロック)
734平(長調。ポップな矩形波を伴うロック。ループ音楽。最初8小節のフレーズは第二音と第七音が徹底的に抜かれる稀な五音音階)
855下1(長調。オサレ系アニソン風ポップス)881下3(カンツォーネまたはシャンソンを想起させる・ロマンスあふれるフォークまたはカントリー)
注: 基本の七音から外れた音も伴奏コードに依存して登場する。イ短調は先述の通りラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ = A B C D E F G = 白い鍵盤のみを使うので、これに加わる音は黒い鍵盤となる。典型的にイ短調はダイアトニックコードの一つBmの和音を構成するファ# F#が考えられる。曲によって何の黒い鍵盤が頻出するかが分かれる。465ではソ# G#が用いられ、466ではファ# F#が用いられ、六音が基本の467でもファ# F#が用いられている。ソ Gの代わりにソ# G#を用いる短音階は和声的短音階 harmonic minor scale、そこに加えてファ Fの代わりにファ# F#を用いる短音階は旋律的短音階 melodic minor scale と言われるが、この他の黒い鍵盤の音(ド# C#など)が用いられる場合もある。長音階でも七音の外の音がありうる。場合によっては無調性 atonality や半音階 chromatic scale, chromaticism と呼びうる。もしそう見えても主音 tonic note や終止 cadence などに注目して調を見出すことも可。
基本の七音のうち短音階第六音=長音階第四音を控えめに用いて主旋律を構成する曲:
172下4後半で平(短調。東方風だが特に秘封倶楽部を連想させる。前半部では、伴奏コードのごとく短音階第一音のフラット、イ短調でのラ♭ A♭ = G# が頻繁に見られる)
174=175平(短調。和風トランス。頻繁に繰り返すフレーズ以外は七音)
403上1(短調。洋楽風メロディックハードコア。短音階第二音の使用頻度も低い。なぜか私は噂にあるスコットランド民謡がどういうものか調べたくなった)
544平サビで上5, 705平(短調。東方風)
555下5(短調。邦楽ロックでアニソン風味)
717上4(長調。洋楽風メロディックハードコア。長音階第四音を用いる頻度が低いがそれと同じくらいハ長調でのラ# A#を用いるが伴奏コード依存)
544平サビで上5, 705平(短調。東方風)
555下5(短調。邦楽ロックでアニソン風味)
717上4(長調。洋楽風メロディックハードコア。長音階第四音を用いる頻度が低いがそれと同じくらいハ長調でのラ# A#を用いるが伴奏コード依存)
795下1(短調とも長調とも。邦楽メロディックハードコア)
管理楽曲識別番号を用いた例示は以上である。
識別番号による合計の曲数は50 (= 18 + 23 + 9) である。
他に、私の投稿物で今からでも聴ける例を示す:
「ハピコアメロコアメロスピ同盟(仮)」 https://www.youtube.com/watch?v=ecyUbYFg1EQ (平, 短調, 題のジャンル+東方テイスト, 2014年8月–) はイントロのギターソロのみ七音で、ボーカルや残りのギターソロが二五・ニゴ抜き短音階ともいえる五音(A C D F G. 当時の音楽理論理解でミ Eとシ Bを避けていた)で構成される。
「萌通」 https://www.youtube.com/watch?v=L_aKbPZsU1c (下5, 短調, 東方風ジャズ系インスト, 2014年9月–) は六音(調査用イ短調は一度Bmコードの時に主旋律でファ#あり)で基本的に主旋律を構成する。
「大晦日の歌」 https://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI (上5, 長調, 文語で七五調の歌謡曲, 2015年10月–) は六音で基本的に主旋律を構成する。
「Delightful Sunrise」 https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI&t=291 (上4, 長調, ハッピーハードコア, 2016年9月–) は七音で基本的に主旋律を構成する。
「Cupiditas 官能的な牡牛くんが犯した罪の詩」 https://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI (下1, 短調, ユーロピアンなポップス, 2018年11月–) は六音(短音階第二音なし)で基本的に主旋律を構成する。
「大晦日の歌」 https://www.youtube.com/watch?v=Ve3krVxVeQI (上5, 長調, 文語で七五調の歌謡曲, 2015年10月–) は六音で基本的に主旋律を構成する。
「Delightful Sunrise」 https://www.youtube.com/watch?v=VSUm2KE1uDI&t=291 (上4, 長調, ハッピーハードコア, 2016年9月–) は七音で基本的に主旋律を構成する。
「Cupiditas 官能的な牡牛くんが犯した罪の詩」 https://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI (下1, 短調, ユーロピアンなポップス, 2018年11月–) は六音(短音階第二音なし)で基本的に主旋律を構成する。
他の楽曲(手持ちのMIDI)で少し調べた例も載せる:
Cielito Lindo (下2, 長調, メキシコの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Calabrisella Mia (下2, 長調, イタリアの民謡) は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Camino de Llamas (平, 短調, Uña Ramos 1982年アルバム収録?アンデス音楽) は五音で基本的に主旋律を構成する(第二音シ Bと第六音ファ Fを抜く。元の楽器ケーナ quena の調律方法に依存)。
Camino de Llamas (平, 短調, Uña Ramos 1982年アルバム収録?アンデス音楽) は五音で基本的に主旋律を構成する(第二音シ Bと第六音ファ Fを抜く。元の楽器ケーナ quena の調律方法に依存)。
Hatikvah (上5, 短調, Fuggi Fuggi Fuggi フレーズ借用のイスラエル国歌"הַתִּקְוָה") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
Mayim Mayim (上1, 短調, イスラエル発祥の国際的フォークダンス曲目"מַיִם מַיִם") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
備考:東方Project無関係の曲の「東方っぽさ」の理由と反面
備考:七音音階は七色?
七音音階の音がきっちり使われている曲は鮮やかに虹色を映しているように、私は錯覚することがある。Mayim Mayim (上1, 短調, イスラエル発祥の国際的フォークダンス曲目"מַיִם מַיִם") は基本の七音をバランスよく用いて主旋律を構成する。
備考:東方Project無関係の曲の「東方っぽさ」の理由と反面
日本の大衆音楽・歌謡曲で私が「東方っぽい」と感じる例に「夏祭り (Whiteberryの曲)」がある。
私の測定によれば、イ短調 Am と分かり、有名なサビのフレーズに第六音ファ Fが無いと判明した(BPMに関しても東方のステージ曲とボス曲の過半数が属する150–170のあたりに重なる。コード進行も東方で定番のF→G→Am派生形)。
これは『「東方っぽい」東方Projectと無関係の曲』の代表例として祭り上げてよいと思う(理論的説明をした上で)。
ただし、人々が「東方っぽい」と知覚する理由に微妙な差異もありうる(cf., 東方萃夢想 Music Room - "萃夢想", 作者U2 = あきやまうにコメント 引用: 東方ぽく最初は静かですが [...])。
ZUNさんが先の年代(2002–2010年 cf., 東方妖々夢 おまけ.txt, 東方永夜抄 おまけ.txt, 妖精大戦争 Music Room - "可愛い大戦争のリフレーン")で言うことは「ゲームミュージックは『ゲームありきのミュージック』であり、ゲームの目的に合うだけの価値を持つ」というもので、STG東方原曲に限れば、ステージやボス目的に合わないものを「東方の多くの楽曲が分類される『ザ・東方』の曲っぽい」ということは、難しい。
実際にいくらかZUNさんの「音楽スタイル」として人々に観測可能な特徴は、東方の原作STGでさえ、旧作のもの (–1999年12月) と輝針城以前のもの (–2013年8月) と紺珠伝以後のもの (2015年8月–) とで異なると見られやすい(某掲示板やTwitterユーザーなどでたまたま見た他者の意見による。後はコード進行などを抽出して統計でまとめるなどを仮想している。なおFM音源PMDやSD-90など再生環境に関することは基本的に別の話)。
特に天空璋以降 (2017年8月–)、ドラムのキック–バスドラムの音がテクノ系ドラムマシンのサウンド(いくつかの情報源はGroove Agent 4のElementicとする)に固定されたことは、ゲーム中のグレイズ graze 効果音と混同しないためのゲームの目的性による変更点でないか、と私は感じている。
なので、音楽的特徴の抽出は音楽の一面で偶然的に(強く言えば蓋然的に)合うもの、と理解すべきである。
音階理論から解明される東方っぽさは、漠然と「和楽器が無いのに『和風』の感じ」や「オリエンタルなテイスト」や「フォーク–エスニック系の香ばしさ」と日本人が知覚できるものである。
これは『「東方っぽい」東方Projectと無関係の曲』の代表例として祭り上げてよいと思う(理論的説明をした上で)。
ただし、人々が「東方っぽい」と知覚する理由に微妙な差異もありうる(cf., 東方萃夢想 Music Room - "萃夢想", 作者U2 = あきやまうにコメント 引用: 東方ぽく最初は静かですが [...])。
ZUNさんが先の年代(2002–2010年 cf., 東方妖々夢 おまけ.txt, 東方永夜抄 おまけ.txt, 妖精大戦争 Music Room - "可愛い大戦争のリフレーン")で言うことは「ゲームミュージックは『ゲームありきのミュージック』であり、ゲームの目的に合うだけの価値を持つ」というもので、STG東方原曲に限れば、ステージやボス目的に合わないものを「東方の多くの楽曲が分類される『ザ・東方』の曲っぽい」ということは、難しい。
実際にいくらかZUNさんの「音楽スタイル」として人々に観測可能な特徴は、東方の原作STGでさえ、旧作のもの (–1999年12月) と輝針城以前のもの (–2013年8月) と紺珠伝以後のもの (2015年8月–) とで異なると見られやすい(某掲示板やTwitterユーザーなどでたまたま見た他者の意見による。後はコード進行などを抽出して統計でまとめるなどを仮想している。なおFM音源PMDやSD-90など再生環境に関することは基本的に別の話)。
特に天空璋以降 (2017年8月–)、ドラムのキック–バスドラムの音がテクノ系ドラムマシンのサウンド(いくつかの情報源はGroove Agent 4のElementicとする)に固定されたことは、ゲーム中のグレイズ graze 効果音と混同しないためのゲームの目的性による変更点でないか、と私は感じている。
なので、音楽的特徴の抽出は音楽の一面で偶然的に(強く言えば蓋然的に)合うもの、と理解すべきである。
音階理論から解明される東方っぽさは、漠然と「和楽器が無いのに『和風』の感じ」や「オリエンタルなテイスト」や「フォーク–エスニック系の香ばしさ」と日本人が知覚できるものである。
備考:七音音階は七色?
虹色は光のスペクトルの赤ないし紫(科学知識によれば電磁波における可視光線の長い波長750 nmから短い波長380 nm)を示すものであり、それを文化ごとに三色とも五色とも七色とも言い、現代日本では七色(7色)で定着している。
七色を唱えた説のうち、有力な説明をした最初の人はアイザック・ニュートン Isaac Newton と思う。
過去記事に記したように、彼の時代はまだ光の粒子説と波動説とがあるうち、波動の面での解明が浅かったので「波長」とは言われずとも、目に見えるもの (visible) としてプリズム (prism) からの光を指すこともできる「スペクトル (spectrum, spectra)」は言及があった。
彼は七色を"Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo, Purple"とした。
Blue, Indigo は青・藍と直訳できるが、これら2色は代数的に呼ばれたものなので、今日のシアン Cyan(子ども向けには水色)・青 Blue と言い換えられる方がよい。
彼の七色の説は1704年に刊行された「光学 Opticks」で見られる。
そこには、七色を七つの音 (D E F G A B C, レから始まる) に配当した説明が見られる、と私は認知しているが、原著の文脈を知らないので、少し探してみた。
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| Fig. 11. PROP. VI. PROB. II. Opticks. …当ブログ筆者による着色を伴う |
In a mixture of Primary Colours, the Quantity and Quality of each being given, to know the Colour of the Compound.
With the Center O [in Fig. 11.] and Radius OD describe a Circle ADF, and distinguish its Circumference into seven Parts DE, EF, FG, GA, AB, BC, CD, proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol, contained in an eight, that is, proportional to the Number 1/9, 1/16, 1/10, 1/9, 1/16, 1/16, 1/9.- PROP. VI. PROB. II. Opticks. (ここでの引用元は第4版の内容で1952年に発行された本の本文154ページ。他に初版だという本のネット上で閲覧可能なスキャン物では spread: 73 の [114] とあるページに載る。ただし分数が7つ記される部分は1/9, 1/10, 1/10, 1/9, 1/10, 1/16, 1/9とあり、異なる)
Let the first Part DE represent a red Colour, the second EF orange, the third FG yellow, the fourth CA green, the fifth AB blue, the sixth BC indigo, and the seventh CD violet. And conceive that these are all the Colours of uncompounded Light gradually passing into one another, as they do when made by Prisms; the Circumference DEFGABCD, representing the whole Series of Colours from one end of the Sun's colour'd Image to the other, so that from D to E be all degrees of red, at E the mean Colour between red and orange, from E to F all degrees of orange, at F the mean between orange and yellow, from F to G all degrees of yellow, and so on.
Let p be the Center of Gravity of the Arch DE, and q, r, s, t, u, x, the Centers of Gravity of the Arches EF, FG, GA, AB, BC, and CD respectively, and about those... (後略)
Fig. 11. とは、BOOK ONE. PART II.の中で11番目の図表 (figure) を意味する。
その図表に描かれるサークル(円形)はD E F G A B Cと名付ける線7つで時計回りで区切られ、外側にRedからPurpleまでの色の名が領域DEから領域CDまで時計回りで記されている。
7つの色を分けるD E F G A B Cの線はDを調とする音階または旋法と関係が無いものか?
便宜的なものであろうか?
そのあたりはこの内容から読み取ることができない。
"proportional to the seven Musical Tones or Intervals of the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"を含んだ段落が、どう関係しているか?
"the eight Sounds, Sol, la, fa, sol, la, mi, fa, sol"という同格表現をどう解読すべきか分からないが、1オクターブ12音高の時に:sol, la はそのまま半音7つ(完全5度)上げて re, mi の位置にすると次の fa, sol, la に繋がり、次の mi, fa, sol はそのまま半音5つ(完全4度)下げて si, do, re の位置にすると、これらは re, mi, fa, sol, la, si, do, re という D E F G A B C D という1オクターブの"the eight Sounds"の"the seven Musical Tones or Intervals" (7つの音程) になる、としか私には理解の方法が無い。
図を見る限り、一般的な音階のE-FやB-Cは半音で隣り合うので、これをスペクトルの Orange と Indigo が視覚的に狭いことに託してDのドリア旋法 (Dorian mode, ドリアン・モード;教会旋法のほう) を採用している、という点で理論的に見える。
Orange と Indigo はそれまで五色が主流だった虹の色数の説明に、彼が七音音階に合わせて七色とするために加えて挙げたものであるとも世間で言われている。
インターネット上でもそういう説明がそこそこあろう。
この解釈には、その理解をニュートンさんが持っていたという直接的根拠があるか判然としない。
虹の色彩は、好む人も好まない人もいる。
白黒二色やモノクロームやモノトーンや任意の色の濃淡明暗の差の色彩と比べてどう好まれるか?
虹の色彩を用いる場面によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階も、五音音階より好きという人も嫌いという人もいる。
七音音階を用いる曲の雰囲気によっては、好む人が増えたり、減ったりする。
七音音階は虹の色彩か、それとも任意の調の下で比較的自然に用いられる白い鍵盤の範囲か?
この話をするうちに思弁的な気がしてきた。
七音音階の好き嫌い・善悪も、認知科学などの方法論で解明したり説明したりできるかもしれないが、現状ではこれ以上の示唆ができない。
いくらかの疑問を残す。
私は、根拠の少ない状態で結論に導くようなことを言いたくないので、読者への宿題ということにしておこう。
それでも、七音音階は虹の色彩に見えるし、七音音階の外の音高は白い鍵盤に対する黒い鍵盤のように虹の色彩で形式的に示される七色それぞれに類似する色に見える、と私の今の感覚を言う。
この共感覚のようなもの (synesthetic sense, sensation like synesthesia) が、過去にどうであったか、未来に続いているかは別の話である。
音高を色で表す合理的な方法も、考えてみよう。
虹の色彩は表現される色数が3であれ5であれ7であれ:
HSVカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Value"明度100%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままVの値を下げると黒に近づき、H = 任意でV = 100%のままSの値を下げると白に近づく。
HSLカラーモデルでいえば"Saturation"彩度100%, "Lightness"輝度50%の時の"Hue"色相360度の範囲内にある。
H = 任意でS = 100%のままLの値を下げると黒に近づき、Lの値を上げると白に近づく。
HSVやHSLのモデルを適用し、オクターブの高低の差を色で表現することを可能にする。
MIDIのC-1からC9でいえば、聴覚的に音色の特徴が理解されやすい音域がC4(十二平均律でピッチ基準音440 Hzの場合にC4ドは約261.63 HzでC4シは約493.88 Hz)なので、C4に虹の色彩もとい光のスペクトルを置き、C-1は白か黒、C9は黒か白に近づくように脱色の方向で扱う。
この方式が一般的に採用されているか、私は知らない。
類例として、C D E F G A Bの7つの音高を7つの異なる色にして表示することはMIDIファイルを扱うソフトウェアなどに見られる。
その一例として、Domino では色のスペクトルで(ニュートン式の名で仮定すると)Bが赤であり、Cがオレンジであるところを経由してAが紫となるような配色(視覚的または技術的にはBがオレンジ appr. #ff8000 でCが赤 appr. #ff3000 と逆に感じる;他にはD, E, F, Gは緑、藍=青、黄、青=シアンなので、スペクトルにならって正せばF, D, G, Eのようにしたくなる配色)にしている。
起草日: 20191215
記事本文中に:
短音階の第六音は第6音、第二音は第2音と記さなかった。
長音階の第四音は第4音、第七音は第7音と記さなかった。
個人的に、七色(なないろ/ななしょく/しちしょく/しちしき)の読み方は訓読み「なないろ nanairo」としたい。
ただし、私のセンスでは「三色」が「さんしょく sanshoku」、「五色」が「ごしき goshiki」となるなど、私が音読みのうちの漢音 kan-on や呉音 go-on を単語ごとに分けて用いるような読み方になる。
これも「色々 iroiro」、「色とりどり iro-toridori」ということになる。
ゲーム音楽–ゲームミュージック (video game music) を研究する学問を英語圏で"ludomusicology" (「遊び・遊ぶこと」を意味するラテン語由来の語幹 lud, ludus のギリシャ接頭辞化 ludo-または interconsonantal vowel -o- 挿入 lud-o- が付いた ludology という「ゲーム研究 game studies」を意味する用語に musicology という「音楽学」を意味する用語を合成したという)と呼んでいることは2019年12月28日に知った。
その分野には、国内外の東方ファンおよび国内のゲームファンの交流があまりなさそうである。
民族音楽とされるものを研究する学問を英語圏で"ethnomusicology"と呼んでいることは2020年1月3日に知った。
文字通りに「民族音楽学」と訳語にすることが可能であるが、西洋音楽との対比が差別的であるとか、音楽的特徴以外も研究した民族学 (ethnology) の一種だとして見るために「音楽民族学」と呼んで理解する向きもある。
先に「民族(ethnicity, ethnic group)」と定義を与えたものに属する音楽とその文化を研究対象とすることが「正統派」であろう。
「本物–ホンモノ」だという民族音楽は、「民族」の文化的全体性や社会的な目的などに従属するので、独立の音楽としての側面以外が強調される。
一般的な認知で、民族音楽は民族音楽というスタイル(典型的に楽器・衣装・演奏者らのアイデンティティ)が一般人に分かりやすい範疇で言う。
当記事で「エスニック ethnic, フォーク folk」と呼ぶようなものは、ポピュラー音楽での応用を指すので、この分野に関連しない。
実際、定義の不明な「民族音楽」という呼称は一度も用いられていない。
五音音階をイ短調=ハ長調(key: Am = C)で用いること(A C D E G. ニロ抜き短音階に当たる)は初歩的であって初心者の入門に適しているという趣旨の意見がWikibooks - "Guitar/Scales". oldid=3454107. に記されている:
A Minor Pentatonic
A-C-D-E-G-A
Most guitarists feel comfortable beginning with the A minor pentatonic, which is the single most popular scale for solos in Western music. Most guitarists know this shape of the Am pentatonic scale by heart, mainly because it is so frequently used in solos. It can also be used for pretty much anything, especially if you want to give it a slightly melancholy sound.
Remember that this scale pattern (and any other scale pattern) can be moved up and down the fretboard therefore allowing the guitarist to play in many different keys using the one shape. (後略、diagram あり)
当ブログでは、某サイトと東方Projectを同時に言及したことが一度ある。
2015-11-13記事『同じ作者の2009年の作品と、初公開が2012年で未完の作品それぞれ』
URL: https://lesbophilia.blogspot.com/2015/11/20092012.html
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